[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
3701-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
1956
:
うのはな
:2013/11/18(月) 10:56:00 ID:ewG1RDbs
このインタビューの中で、たいへん興味深いのは、インタビュアーが「生長の家的な音楽がありますか?」と
訊いたときの先生のお答えです。そのお答えには、この「多様性の調和」というテーマが、実は先生の個人的な嗜好の問題ではなく、
生長の家の教えに深く根ざしているということが語られています
谷口 「生長の家」というのは、要するにすべてがそこに入っていないと本当の「生長の家」って言えないんじゃないかな。
一部分だけ取り出して「生長の家はこれだ」ってわけにいかんと思うんですね、大抵の人はそう思ってるけどね........。
宗教の中でも“右翼的宗教”だなんて思ってたりして.........。
そんなもんじゃないんだな。そこにすべてがあるところの“霊的大宇宙”が生長の家だからね、だからそういう点で、チャイコフスキーも、
ストラビンスキーもいいですね。それから僕は、ポップスやらジャズの中にもとてもいいのがあると思うんですねぇ。
ことに最近の音楽はね、一つの可能性があるのは、アドリブが多いでしょう。
あれがいいと思うんですね。非常に自由でしょう。そういう所にちょっと魅力を感じてますね。
谷口清超先生のこのようなお考えは、もちろん音楽のことだけを指しているのではありません。
このインタビューから数年後に、生長の家創始者、谷口雅春先生がお亡くなりになりましたが、その際の
追善供養祭で清超先生が述べられた言葉の中にも、「生長の家は霊的大宇宙である」という信念が明確に
表現されているのであります。清超先生は、雅春先生のことを次のように語っていられます
「皆さん、(雅春)先生は周知の如く空前絶後の愛国者でいらっしゃいました。しかしそれと同時に、天皇陛下のあの
無私の御愛念を、そのまま宣布し且つ実践なさいまして、凡ての人と物を生かす運動を展開せられたお方であります。
勿論日本も生かし、それと同時に人類をも生かし、人類ばかりじゃなく、凡ゆる生きとし生けるもの、山川草木国土ことごとくを
仏として礼拝し、その実相を顕わし出そうと精進せられたお方であります。
それ故、私達はこの生長の家の大真理を、全人類に向かって宣布する使命を戴いたことを、誠に幸せであると思うものであります」
このように、生長の家とは霊的大宇宙のすべてであるから、生長の家の運動も、実相世界の真存在のすべてを表現するための運動である
という信念をもって、清超先生は私たちの運動を引っ張って来られたということを、ぜひここで再確認していただきたいのであります。
『小閑雑感』2008年12月17日 谷口清超先生を偲んで から一部抜粋
(谷口雅宣先生著)
〇世界聖典普及協会編 “音楽を愛する人のために”
『追憶ー合唱曲と器楽曲』添付冊子(1983年、世界聖典普及協会刊)
〇生長の家編『生長の火をかざしてー永遠の谷口雅春先生』
(1985年、世界聖典普及協会刊)
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板