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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

90さくら:2012/07/09(月) 12:09:31 ID:vxm3Yqkc
>>87
スターダストさま

そうですか、
スターダストさまにかかってしまうと、
ダライラマ14世の科学者との熱心な対話の取り組みも、
無駄なことになってしまいますね・。
無理だ、と考えている宗教観があっても、これは、仕方ありません。
自分の世界観を崩されることは、たいへん不快なことですから。
たいへんなのは、よく理解しています。

ただ、引用の箇所は、ご丁寧にありがとうございます。
所々の、引用の文には、ご賛同いたしておりますよ。

ところで、
>>82
ある人がいいました。
自動車は科学者が一生懸命に発明したものである。
あなたは、現象を否定しているが、自動車を使わないのか?

私はいいました。遠くに行くのに、便利な方法はないのか。という、祈
りが神に通じて、自動車は出現したのであると考えていますよ。科学者
のように自動車の構造は知らないが、運転はできますよ。と。

もし、私が唯物論を超越できれば、イエスキリストのように、引力を超
越して、水の上を歩き、嵐を『黙れ静まれ』の一言で静めることができ
るでしょうね。これができない人はすべて唯物論を信じているのです。
もちろん私を含めてね。

この世界観も、わたしには興味深かったです、笑。
わたしは、引力の法則を超越して水の上を歩きたいなどとは思わずに、
ただ、科学の進歩にも感謝して自動車に乗ることも、信仰だと思っていたので、
・・水の上を歩けないものがすべて「唯物論」信仰だ、とは、思っておりませんでした。

ありがとうございました。拝


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