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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

45 志恩:2012/07/07(土) 15:53:51 ID:.QY5jUA6
シュナイターは、1910.6.17に、オスロで語った。

〜「霊学」について〜

霊学とは、私たち自身の中で生きながら、しかも、私たちのためではなく、
すべての人のために生きること。そのことが、真の霊学的寛容なのです。


〜「現代科学と霊学」について〜

霊学は、普遍的な性格を持っている。
数学は、近代にいたって大変な進歩を遂げましたが、少なくとも、その精神のありように関しては、
古代以来変化していないのです。

近代科学は、ここ数十年の間、大発見をし続けてきました。そのことを霊学の光の下で見てみますと、
霊学の解釈は、それらの発見とぴったり一致していますが、今日まで構築されてきた科学理論は、数十年来知られるように
なった諸事実と一致していないことがわかるのです。

唯物論という一面的な観点から、繰り返して同じ誤謬がなされてきているのです。
私が強調したいのは、ここ数年間に物理・化学がなしとげた業績が示しているように、物質は、人間の単なる表象にすぎず、
実験の下では崩壊してしまう。

すべての運動、すべてのエネルギーを超えて、物理・化学は,今,物質が、その基礎に存する霊的作用に直面しつつある。
ということなのです。

今日の物理・化学の事実世界は、すでに霊的な基礎を求めるところまで来ているのです。

私が,今述べたような諸事実を示唆しようと思ったのは、科学理論とは別のところでも、外的感覚的な事実世界を霊的なものに
導き入れようとする必要が、いたるところにあらわれている、と、言いたかったからなのです。

とはいえ、現代の科学によって世界の全体像が提供されている限りは、そこからの一種の諦めをぬぐいさることはできません。

哲学の分野にも、この諦めを見ることができるのです。今日、アメリカのウィリアム・ジェームスやイギリスのF・C・シラーなどの
影響の下に、一つの注目すべき理論が通用しています。

それは、本来、諸事実が、霊を志向しているという事実から生じたものなのです。


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