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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4
75
:
初心者
:2012/07/09(月) 08:35:20 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ
>生長の家の「真理の城塞」にひきこもる状態とは、
初心者さまは、具体的にどんなことを指しておられますか?
現状がすべてを物語っているようにおもわれます。
>初心者さまは、宇宙のホログラムやDブレーンを通して、「カオス」(これが、初心者さまが示している本物のうちゅう、なのでしょうか)を説明し、理解しようとしておられるのですね。
真理といっても、最終的には「実感」だとおもいます。それがいかにリアルに実感
されるかが、問題になるとおもいます。実感のない真理をいくら語っても、そのこと
に意味はないと考えます。ただし、カオスが本物の宇宙のすべてということでは
ないでしょうね。言語以前の世界は人間にとってカオスでしかない、というのは
いえるかもしれません。
>熊楠は、日本最初のエコロジスト、と言われているんですが、自然の生態系の全体性を心身から、実感していて、森を守ることを訴えたんですよね。
生態学的にももちろんですが、熊楠は心霊的にも実感していたのではないかとかんじられます。
南方熊楠という人は、面白いことをいっていたようですね。幽霊のようなものが
見えていたようですが、それが本物の幽霊か幻覚であるかを見分ける方法として、
自分の向きを変えてみるということをいっていたようです。
本物の幽霊であれば、向きを変えても、幽霊はおなじ場所に立っている。それが
幻覚であれば、向きを変えても、幽霊はつねに自分の正面に立っている。こんな
ようなことを、公衆浴場などで長談義しながら真剣に語っていたといいますから、
たしかに見えていたのでしょうね。
植物や粘菌の研究は、自身の天才ぶりを持て余していた熊楠にとって精神安定剤
の役割を果たしていたようですね。森がなければ生きてはゆけぬ人であったようです。
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