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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

33初心者:2012/07/07(土) 00:04:16 ID:TfQ0e6RA
さくらちゃんへ

ジジェクは、純粋な信仰を「事実にもとづかない信仰」といっていますね。
極悪非道ともいえる人間にも善性を見ようとする態度を、ジジェクは「純粋な
信仰」と呼んでいるようです。

アンネ・フランクの例をあげて、「彼女はナチスの堕落を目の当たりにして、
『不合理ゆえに我信ず』を地でいくように、どんなに堕落していようとも、
すべての人間の中には善性の神々しい火花があるという確信を書き綴っている」
と述べています。

「ポジティヴな知」が、こうした確信に意味や価値を見いだすことはありません。
どこまでも事実のなかに真理を見いだそうとします。本物の宇宙が事実であれば、
「ボジティヴな知」はそれに人生を賭けることができます。

問題は、事実でないことにたいして、軽々しく確信を得ようとする人たちですね。
こうした人たちを、極限状態に置かれたアンネ・フランクと同列にあつかうことは
できません。

ところでさきほど、マックスウェルの電磁方程式で、過去へと進む波を「遅行波」
と書きましたが、「先進波」が過去へと進む波であるようです。また「遅行波」は
「遅延波」とするのが正しいようです。うろおぼえの記憶で書いてしまいました。
申し訳ありません。どちらにしても、詳しいことはなにも存じ上げておりません。

それと、たとえ真理が不変であったにしても、人類意識が変化すれば、真理との
かかわり方がおのずと変わってくるというのは、たしかですね。いつまでもおなじ
やり方が通用するのかということを、宗教の側はよくよく検証すべきであると
考えます。


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