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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

30さくら:2012/07/06(金) 22:46:39 ID:uSGRBL7.
初心者さま

さくらちゃん・・という言葉が、ほとんど、いじめに感じるくらい、
・・申し訳ないのですが、初心者さまのいうことの全てを、よく、理解ができていません、笑。見当違いのお返事なら、お許し下さい。

現代の宗教と科学の関係が、ジジェクが語るところによると、
「純粋な信仰が「ポジティヴな知」といわれる、根拠の明らかな真理によって脅かされている」状態であるということですね。

・・わたしにとっては、「純粋な信仰」とは、根拠のないものに従う、というより、
「内なる良心の呼び声」にしたがうという、こちらの方が、近い感覚です。
良心というのは、いざというときに普段の自分のそのままを反映する気がします。
普段、良心を麻痺させるような生活や考え方をすれば、良心はどんどん劣化しますし、
普段、良心に恥じない生活や考えをすれば、自分の意志にはあがなえないと思われるほど、強く働くことがあるとおもうのです。
どうしても、そうせざるを得ない、そんな感覚です。

わたしはですが・・信仰を持つことで、自分の意識がある偉大な精神性に繋がると、やはり信じていています。
良心でいえば、信仰を持つことで、普通の社会的良心(常識を守って人に迷惑をかけないなどの基本)から、
信仰の良心、(と自分では呼んでいるのですが)というものにそだっていくのではないか、と感じているんです。
この信仰の良心は、「根拠のない」自信を、わたしに与えてくれることがあります。
「根拠のない」ものの方が、時には強かったり、確かだったりすることが、明らかにあります。
・・これを言っても、たしかに何の根拠もありませんけれど。
でも、根拠がなんだ、っていうくらい、強く確かなことがあるので、仕方ありません、、。

>ジジェクのいう「ポジティヴな知」とは、内なる思いによってではなく、たしかな
根拠によって「真理」を知ろうとする心的な傾向であるということがいえそうです。

初心者さまは、先の発言で、反証不可能なことばでは語りたくない、と書かれていましたが、やはり、相当、「現代人の心性」におかされていますね、笑。

>人類の意識は時代とともに変化します。今という時代の意識とはどのようなもの
であるのか。こうしたことへの洞察が、宗教の側にも求められているということです。

たしかに、真理は変わらなくても、時代による、人類意識の変化は、宗教にとっても課題になり考えていくべき事だとおもいます。
このことに無関心な宗教団体では、社会に対しての貢献度が低くなって当然です。
結局は言葉だけ大きなことを言っても上滑りしてしまい、現実的な対応がなにも実現されない事になってしまいます。
それは、肌感覚が大きいのではないかと思います。論理がいくら正しくつじつまがあっても、

>>24
>>28
横レスになってしまいますが、コリンウィルソンの本にも、悟りとセロトニンの関係が書いてありましたね。
わたしも自己流の瞑想は、危険だと思っています。前に経験があるので、実感していますし・・。
神想観は、他比べても、良心的で安全な瞑想法ですね。

あと、わたしは、自分に没頭する「動的な瞑想」と(自分では呼んでいます)いえるものも、同じように大切だと思っています。こうしたときは、自我の意識を超えて、物事が自然に上手く動いていくことがありますね。
あとで、なんでこんな事ができたのだろうと、びっくりしたりします。

・そういえば、自分の感覚でわかる、イメージできることを人の言葉を借りずに、
自分の思いを伝えようとすると、貧弱になるのはわかります、よく。


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