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生長の家 「今の教え」と「本流復活」を考える/4

28初心者:2012/07/06(金) 22:07:59 ID:TfQ0e6RA
質問者様

わたしは、ひと様から問いかけていただけるほどの偉い生き物ではありません。
たとえ回答できたとしても、信頼性を保証するものではありません。とりあえず
はお答えいたしますが、あまり信用はなさらないでください。

「我が業は我がなすにあらず」というのが『招神歌』ですね。わたしは唱える
ことはありませんが、これはタオイズムの「無為自然」につうずる考え方で
ありますので、ご自身にあっているとおもわれるのであれば、そして唱える
ことで何らかの実感が得られるのであれば、唱えられたほうがよいのかも
しれません。

ご存じかもしれませんが、わたしは生長の家の会員ではありません。『神想観』は
ずいぶん前にやめました。誌友会などにも参加することはありません。したがって
『招神歌』は長らく唱えたことがありません。わたし自身はこのようなありさまです。

今の時代にあっているものということでいえば、ミンデルの思想を学ぶ過程で、
あるべき心境には自然と近づいて行っているような気がいたします。ここでいう
あるべき心境とは、これを唯物的に語れば、アドレナリンやドーパミンに依存する
状態ではなくセロトニンに依存する状態ではないかと考えます。

人間の脳は麻薬依存体質から抜け出ることはできないともいわれているようです
ね。であれば、少しでも上質な麻薬に依存したほうがよいにきまっていると考える
次第です。セロトニンがどれほど上質であるかは、はっきりとは存じ上げておりま
せん。まだどうすればセロトニン依存体質が実現できるのか、それも存じ上げて
おりませんが、悟りの心境とセロトニンには密接なつながりがあるという気がして
なりません。


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