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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1136
:
うのはな
:2012/05/15(火) 19:47:58 ID:???
英霊
あっ、真っ白な鳩がいます!なんてきれいな白鳩なんでしょう。
神社には鳩がよくいますが、白い鳩ばかりいるのは、とても珍しいことです。
実は、ちょっと告白しておかなければならないのですが、私がまだ学生だった頃、
境内の白い鳩があんまり可愛くて、ついつい追いかけまわしてしまったことがありました。
そうしたら、私の母がとがめるような顔をしていいました。
「靖国の白い鳩は、エイレイのお使いなのよ。だから、追いかけまわしたりしてはダメよ。
遺族の方に叱られてしまうわよ」
「エイレイ?」
「英雄の英に、霊魂の霊で、英霊。英には、すぐれた、という意味があるの。
靖国神社には、英霊が祀られているの。靖国では、お国のために戦って死んで
いった人たちが、神様として祀られているのよ」
「戦争で死んだら神様になれるの?何人くらい祀られているの?」
「何人、とはいわないのよ。もう神様なんだから。人ではなくて、柱と数えるの。
戦死した人たちは、生きていたときのお名前のあとに<ミコト>を付けて
ほら、スサノオノミコトなになにのミコトって呼ばれるようになるのよ」
それを聞いて、私は感心してしまいました。
戦争で死ぬなんて、絶対にいやです。怖いし、痛いし、本当に恐ろしい。
でも--というよりも、だからこそ、戦死者を、日本の古代神話に出てくるような
神様のようにして祀っているという話に、私はなんだかほっとするものを感じてしまいました。
実は、子供の頃の私は、私が生まれる前にあったという、太平洋戦争というのは、
一九四一(昭和一六)年十二月八日に、日本がアメリカとイギリスに宣戦を布告して
始まった戦争でした。当時、日本は、この戦争を「大東亜戦争」と名づけて、すでに一九三七年の
七月に始まっていた中国との戦争も含めました。
この戦争は、第二次世界大戦という大きな戦争の一部でもありました。
ヨーロッパでも、一九三九年以来、ドイツとドイツに味方する国々と、それに敵対するイギリスなどのあいだで
戦争が繰り広げられていました。日本は、このとき、ドイツやイタリアと三国同盟という軍事同盟を結んでいたので、
日本がアメリカとイギリスに宣戦布告をしたことで、戦争は文字通りの世界的な広がりを持つようになってしまいました。
『14歳からの靖国問題」小菅信子 著
靖国神社の歌
http://youtu.be/MpQB5qck5uQ
1137
:
如月
:2012/05/15(火) 22:02:08 ID:ki/haAjk
うのはなさま
知らなかった事ばかりです。
恥ずかしいです。
ありがとうございます。
文部省唱歌だったとは、驚きです。
最近忙しくてなかなか書き込めませんが、いつも貼っていただいているものは
見せてもらっています。まとめてのお礼ですみません。
靖国の話からはそれますが、私は鳩を追いかけまわす事には大反対です。
お腹を空かせた鳩が、最後の力を振り絞って、飛んで来ているかもしれないのに
何で追いかけまわすんだろうと子供の頃から思ってました。
1138
:
金木犀
:2012/05/16(水) 07:14:34 ID:Zxu53Kwo
現代の世界を考える上に、巨大金融資本の支配という問題は避けて通れない
と思います。ということで、わが国がこの巨大金融資本との最初の出会いについて
書かれた文章を転写します。
【ここから転載】
強国建設の努力と急速な成長を白人キリスト教列国側は大きな脅威と受け取った。日本が「文明化」したと喜んだのではなく、脅威と嫌悪を覚えたのである。その指導者層に「黄禍論(イエロー・ペリル)」が台頭したのは、正にその証左であった。
逆の事態も現れた。白人列強の属国や植民地に貶められて呻吟(しんぎん)を余儀なくされていた多くの有色人種に深い感銘と大きな勇気を与えたという現象である。つまり、それなるが故に、白人列強は日本帝国が更に国力・国威を増進して、有色人種「解放」の指導者に成長する可能性を問題視した。そこで、独善性と利己心に満ちた白人列強の指導部は日本帝国を自家薬籠中の弱小国家に引き戻そうとの大戦略を立てたのだ。国際連盟や国際会議を以て「国際化」や「軍縮」という形で、謂わば「日本封じ込め戦略」を推進した。貪欲で狡猾な彼らは、東アジアを「分割して統治」する戦術で、共産ロシアや混乱続きのシナの有力軍閥に対して、「天皇制解体」や「反日・侮日・抗日」の日本攻撃作戦を展開させ、黒船の来襲時代に劣らぬ重大な脅威・外圧が我が国を襲ったのである。
3. 日露戦争とは
日露戦争とは、20世紀の初頭に満州方面を全面占領していたロシア軍を北満州まで押し戻して、日本と朝鮮半島との安全を確保した戦争であると(左翼以外の)一般には理解されている。だが、これでは表層的な理解の域を超えない。実は、日露戦争は日本とロシアの戦争という2国間の利害・対立問題を遥かに超えた、巨大にして不気味な背景があったのである。
米国大統領セオドア・ルーズベルトが日露講和を斡旋した動機には、満州・シナ大陸への利権拡大の思惑があった。これは、目につく一例で、今の日本の歴史常識は欧米勢力の日露戦争への関与という重大な背景を見落としているのだ。
20世紀に突入した時点で列強を巧みに金融で操る「国際金融財閥」は、愈々(いよいよ)彼ら年来の目標である世界支配運動を本格化した。先ず、せん滅の対象として狙った餌食は安定した「王制国家」、帝政ロシア、帝政ドイツ、帝政オーストリアそして皇室制度の下で急速に国威を増進する日本帝国だった。この、謂わば「闇の世界権力」は、ロシア帝国に対しては満州・朝鮮半島方面へ積極的進攻を誘導しながらも、他方ではロシア帝国解体への国内撹乱工作を展開した。つまり、共産革命勢力=帝政打倒勢力には膨大な運動資金を竊(ひそか)に提供してロシア帝国の破壊工作を進めさせた。一方で、ロシア帝国の南下に脅える小国日本に対しては、日英同盟を成立させ、戦費を融資して、ロシアとの大戦争を誘ったのである。
当時の日本政府は戦争資金の欠乏から財政家高橋是清(当時日銀副総裁、後の蔵相、首相)を欧米主要国に派遣して外債募集の任務に当たらせた。だが、巨大な陸軍帝国ロシアに対して東洋の小新興国家が勝利できようと予想する欧米の軍事専門家は皆無だった。従って、高橋の外債募集は困難を極めたが、そこに偶然を装って戦費融資の話に乗ってきたのが、クーン・レーブ商会のヤコブ・ヘンリー・シフなる国際金融財閥の有力者だった。シフの巨額な対日融資が誘い水になり、外債募集は満額を超えたのである。ロシア帝国のユダヤ人虐待を見かねて対露戦争に立ち上がる日本を支援したと、シフは語ったと、高橋は自伝でシフの民族愛と義侠心を称賛している(『高橋是清自伝』)。だが、国際金融財閥の思惑は、そんな情緒的問題を超えて遥かに壮大だった。クーン・レーブ商会は、欧州の金融大財閥ロスチャイルド家の米国における代理人の位置にいた者で、当時、ドイツやロシア方面の共産過激革命勢力に密かに資金を提供して革命運動を支援していた。帝政ロシア解体大作戦に東洋の新興国日本を一枚噛ませて、金融面で日本をより一層自在に操縦しようとの思惑である。つまり、世界支配を目指す、彼らの一石二鳥を狙った戦略だったということだ。戦後、律儀な日本は融資者に巨額の元本と利息を支払い続けたのだ。要するに、我が国にとっての日露戦争は独立と安全のための必死の自衛戦争だった訳だが、世界史大に視野を広げてみると、世界単一政府を目指す「国際金融財閥」による有力民族国家の操縦と支配、そして最終的には民族国家の解体という壮大な謀略の一環に組み込まれていた戦争だったと言うべきだと、筆者は見ているのである。
(つづく)
1139
:
金木犀
:2012/05/16(水) 07:15:49 ID:Zxu53Kwo
つづきです。
4. 日露戦争勝利後の日本の苦難の予兆
ところで、対露戦争の勝利は日本が急速かつ確実に立派な国家建設を進めていることを実証したわけだ。そこで、日本を利用して支配しようとする勢力は、改めて新興国日本帝国の前進に危惧を抱き、本格的に日本国家の成長と自律的活動を抑圧する方向に舵を取り始めたのである。
金融コントロールを筆頭に、米国政府による対日強硬政策の展開は、満州利権への介入、オレンジ計画の策定開始、ホワイト・フリートの日本寄港、そして太平洋艦隊の編成として早速に実行に移された。他方、ロシア帝国は、敗戦の打撃で政治と社会は混乱し、共産革命への趨勢が増大して、敗戦から12年後のロシア・ボルシェビキ革命へと経過していく。また、シナ大陸では大清帝国が敢え無く解体して共和制国家を目指す民族革命が追求されるが、これが東アジア世界の複雑さと不安定さを増大するのである。
従って、この「戦争と革命」の時代に本質に着目せずして、現代日本史を云々することはできない。国際政治・軍事・経済・社会全体の構造変動の一環に東アジアがあり、日本があるのだから、「国際金融財閥」や米英列強の諸動向を注視しながら、祖国の歴史を考察せずしては、「近代日本の栄光と苦難」の真実は把握できないのである。(日本戦略研究フォーラム季報掲載より)
・・・・・
【転載終り】
1140
:
志恩
:2012/05/19(土) 02:15:11 ID:.QY5jUA6
金木犀様
巨大金融資本の支配についての詳細の書き込みを、ありがとうございます。
闇の世界権力、ロスチャイルド(ユダヤ系ドイツ人)の陰謀論は、。。。
①世界の富や銀行を操り、世界経済を支配している。
②国家間の戦争を助長し、金儲けをしている。
③史上最大の富豪
④ユダヤ教徒であり、キリスト教秘密結社、イルミナティに所属している。
世界一の資産家で、1京円も資産がある。。。
なぜ、いま、ロスチャイルドなのかといえば、其れは,今の日本人の生き方が
ロスチャイルドによってきめられているから、、など、言われているのも知りました。
1141
:
金木犀
:2012/05/19(土) 07:03:28 ID:Zxu53Kwo
志恩様
読んで下さりありがとうございました。
まったくおっしゃる通りです。
志恩様
皆様
いま、キーボードの調子が悪く、打ち込みがうまくいかずに、打ってる途中で
変換が終ったり、カーソルが勝手に飛んだり、数行打つのに時間が掛かるので、
しばらくかきこみやめます。かな打つと同時にカーソルが飛んで、変換が終わることが
多いので、もうこのノーパソのじゅみょうかも知れません。キーボードで
おかしなショートカットができているのかも知れませんが、直し方もわからないし、
再セットアップしても直らないし、買い換えるしかないかもです。ちなみに、マウスを
はずしても、同じなので、マウスのせいでもないのです。
ということで、しばらくお返事もしないかも知れませんが、あしからずご了承ください。
1142
:
うのはな
:2012/05/19(土) 10:48:31 ID:???
靖国神社で英霊とされている人々は、ただ戦って死んだ人たちではありません。
天皇が国家であり、天皇が公であった時代に、その国家と天皇のために戦死した人々です。
そして、英霊になると、なんと、今度は、自分たちがそのために命を捧げた天皇に、靖国神社まで
来てもらって、参拝をしてもらえたのです!
靖国神社は明治天皇の思し召しによって創建された神社でした。明治時代にできた帝国憲法では、
天皇は「万世一系、神聖不可侵」の生き神様----現人神----でした。
当時の日本は、まさに天皇の国家でした。
太平洋戦争(大東亜戦争)で日本が負けて、敵だった連合軍に占領されて、軍備を解体され民主化されるまで、
天皇は、帝国憲法のもとで、政治と軍事をしきる現人神でした。
その現人神である天皇が、靖国神社までわざわざお出ましになって、英霊に親しく頭を下げたのです。
これを「天皇親拝」といいます。すごいことだったのです。
明治から昭和戦中期を生きた日本人は、つねに天皇に誠を尽くし、深々と頭を下げ、ときには土下座して、
その住まいの皇居に向かって礼をして、最大限の尊敬を捧げるように、学校でも社会でも家庭でも教育されていたからです。
『14歳からの靖国問題』 小菅信子 著
出征兵士を送る歌
http://youtu.be/HmpQF0jFcJo
1143
:
金木犀
:2012/05/21(月) 11:52:06 ID:L0Ei6.zw
占領軍の中のニューディール派というユダヤ人勢力が
日本を弱体化するための政策をおこなったことに関して、
その当事者の一人であるユダヤ人が書き記した著書からの引用です。
日本人に謝りたい
〜 あるユダヤ長老の懺悔 〜
──ユダヤ長老が明かす戦後病理の原像──
■■すばらしかった戦前の家族制度
さて次に、我々ユダヤ人の理想のお手本となるべきものに日本が戦前誇った家族制度があった。
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて「国際連盟」の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。「国際連盟」といっても、教科書的歴史観しか教えられていない日本人にはその本質を知る人は少ないようだが、これはユダヤの世界政府ともいうべきものである。第一次大戦の結果、金融支配力に自信をつけたユダヤ人は政治面へも進出をはかり、その結果つくられたものが「国際連盟」なのである。この連盟の指導者は、日本人の杉村陽太郎氏を除いて他は皆ユダヤ人だったのである。
この他、「国際労働局」というのがやはりジュネーブにあったが、これは「国際連盟」の一局の如く考えられるふしがあるが、さにあらず、全然独立した機関で実際の規模は「国際連盟」よりはるかに大きいものであった。私もここで極東問題を担当していたのであるが、これも勿論、ユダヤ人の機関であった。
何故ユダヤ人が労働問題にかくも力を入れるのかということは、マルクス主義の階級闘争史観をご存知の方はお分かりいただけると思うが、かつてユダヤ人は非ユダヤ人の協力者を集めるためマルクス主義の階級闘争史観を宣伝したのであり、その結果エピゴーネン (亜流、継承者)としての各国共産党を生んだのである。
一方、ユダヤ人自身としてもユダヤ民族の解放を非ユダヤ人の協力者にのみ任しておくわけにはいかないのは勿論である。当然、ユダヤ人自身でも自己の解放運動を進めていた。
国際連盟はその機関の一つとご理解願いたい。したがって、「国際労働局」の方がむしろ規模が大きいという点も納得されることと思う。
話がちょっととんだが、面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとしたとき、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
アルベール・トーマは、「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。何故ならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
かくの如く、日本の家族制度はこれまた類い稀な存在であったのだ。戦前の日本の家族制度にはとても及ばないが、現在世界中で一番この家族制度というものを強固に有しているのは我々ユダヤ人社会であろうと思う。この点、我々は常にそれを誇りとしている。
ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派が行なったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、なにも今日昨日の問題ではなかったのである。
参考:国家破壊を画策する手法としての、人民への工作戦略の警告(ナチスドイツ政府・ゲッベルス宣伝広報担当)大臣
「人間獣化計画」
愛国心の消滅、悪平等主義、拝金主義、自由の過度の追求、道徳軽視、3S政策事なかれ主義(Sports Sex Screen)、無気力・無信念、義理人情抹殺、俗吏属僚横行、否定消極主義、自然主義、刹那主義、尖端主義、国粋否定、享楽主義、恋愛至上主義、家族制度破壊、民族的歴史観否定
以上の19項目をつぶさに検討してみた場合、戦後の日本の病巣といわれるものにあてはまらないものがただの一つでもあるだろうか。否、何一つないのを発見されて驚かれるであろう。ゲッベルス宣伝相は、戦後の日本に対する予言者だったのであろうか。
戦後生まれの人たちにはピントこないかも知れないが、これらは正常な人間の頭で判断すれば人類の文明の破壊につながるものであることは一目瞭然である。人間の純度を落とし、本能性に回帰させようというものである。
1144
:
うのはな
:2012/05/21(月) 14:38:45 ID:???
女信者に悪態デマ罵詈雑言を浴びせるのと、本流批判とを
混同している、訊け無責任管理人管轄グループに、似たりよったり、、、
http://youtu.be/ECRoaYg4eJ0
1145
:
ルンルン
:2012/05/22(火) 00:11:39 ID:NS71OwS.
金木犀様
>>1413
家族制度、いいですか?
1146
:
金木犀
:2012/05/22(火) 11:18:19 ID:L0Ei6.zw
ルンルン様
家族制度は、非常に封建的なものだと考えられて、
例えば、結婚も現憲法では両性の合意と書き換えられて、
従来の、何々家という両家の結婚式等の表示も今は個人名に
している場合が多いと聞きます。
小説やドラマでも、「私は◯◯さんと結婚したのであって、
何々家と結婚したつもりはない」というセリフもよくあるくらいに、
個人の自由が尊重される時代になりました。
確かに、家族制度は、個人の自由を謳歌したい人には、いろんな
人間関係に煩わされるうるさいものと考えられるかも知れません。
長男が両親の面倒を見るというのもなんで長男だけがとか、いう話も出ます。
これは、しかし、現憲法での制度と、慣習とか混在するところからくるとも考えられ、
戦前の民法では、長男は家督相続し、財産も全て相続する代わりに
家長としての責任もすべて相続するという
ある種ちゃんとバランスのとれた制度だったと思います。
また祖先から受け継いだ「家」を、断絶させずに受け継ぐという
「継承の観念」が大切にされて来た、本来の日本思想です。
現在、未婚の男女が増え、また子供も産みたくなければ産まないと人もいるのは、
この「継承の観念」が非常に希薄になって来たことも原因だと思います。
この家族制度のせいで、嫁姑など、様々な人間関係のトラブルが起るのであって、
これをなくせばそれも解消すると、考える人も多いようですが、
こうしたトラブルは、実は制度とは無関係であって、それこそ個人の問題だと思います。
生長の家では環境は我が心の影だといいますが、制度を変えたら、
このトラブルがなくなるかというと、決してなくならず、
形を変えて、その人がこれに関する悟りを得るまでは、
どこどこまでも追いかけてくる問題であると思います。
人生は自分のまいた種を刈り取るのですから、自分が変わらねば環境は
たとえ核家族になっても、同じように問題は起ると思います。
ならば、戦前の「家」を大切にし、そこから祖先への敬意をもち、きちんと祖先を
祭祀する風習が形となった民法のほうが、日本人には合っていると感じます。
この家の制度は、皇室を日本人のすべての家の宗家とする思想につながり、
皇室制度を支えていました。
GHQは、これを知って、日本人の「家」の制度を破壊したと言えます。
1147
:
ルンルン
:2012/05/23(水) 01:16:36 ID:NS71OwS.
金木犀様
お返事を書こうと思いましたが、書くほど家族制度に対する知識がありません。
知識なしに、自分がぱっと思っただけで書き込みをしては、とんちんかんな的外れの文になると思いますので
ちょっと調べてから書き込みさせてくださいませ。
(自分の今の思いは家族制度なんていやだ。と思ってます。)
今日はちょっと疲れていて、(最近、睡眠がたらないみたいで、眠たくって仕方がないのです。
書き込みをずっと、深夜にしていたからと思います。←知らんがな。って言われそうですが(´ε`;)
おやすみなさい。
1148
:
金木犀
:2012/05/23(水) 09:11:28 ID:L0Ei6.zw
ルンルン様
家族制度というと、なんとなく大家族制を思い浮かべられて
その人間関係のしがらみなどを思い浮かべて嫌になるのではないでしょうか。
でも其処は現代なので、家族制度が仮に復活しても、
昔のような大家族にはならないと思います。
私は最近スーパーに買い物に行った時に、
非常に高齢のお年寄りが多くなったことに
なんとなく現代の社会の歪みを感じます。
八〇過ぎたようなお年寄りが一人で買い物をしている姿は、悲しいですね。
一人暮らしか、夫婦のみの生活なのか、昔ならば家族が一緒に生活しているので、
こういう姿は見かけなかったと思いますが、少子化も進む一方で、高齢化も進んで、
なんかお年寄りを見かけるだけで、その方々の明日が心配になったりします。
家族制度の根本は、要は、祖先を敬い、両親を敬って、兄弟仲良く
助けあってみたいな精神だと思います。ちょうど教育勅語みたいな感じではと
思うのですが、雅春先生は、自分の命の根っこが、遡ると祖先や更に神話の神にまで遡るような
意識が、日本人にはあって、それが家族制度だというような感じで書かれていた気がします。
1149
:
ルンルン
:2012/05/25(金) 00:54:47 ID:NS71OwS.
金木犀 様
水曜日のweb誌友会、すばらしかったですね。ごくろうさまでしたです。
私は会社から帰ったのは9時過ぎでしたが、水曜日は
パソコンが使えませんでしたので、本日読ませて頂きました。
もちろん、あまりにも深い内容なので、これから何回も何回も読ませていただきます。
ところで、家族制度の件ですが
(トンチンカンなことを書いてると思いますが、許してください。)
<<でも其処は現代なので、家族制度が仮に復活しても、
昔のような大家族にはならないと思います>>
えっと、では、どんな家族制度をイメージしておられますか?
下記のようなかんじですか?
{長男が家督を継ぐ。その代り全部責任もとる。
そして、家を守るためにも、お年寄りの一人暮らし防止のためにも代々一緒に住む。}
今は昔と違って子供の数も少ないです、
子供が一人っ子、あるいは女だけという場合もいっぱいあります。
家族制度というのは、子供がたっくさんいて、更に女性になんの権利もなかった時代だからこそ
成立した制度と思います。
制度として義務化なんか、無理じゃないですか?例えば、親の介護は、子供全員の平等に負う義務ですし。
1家族に負わせられるものではないです。
介護は嫁さんが担う場合がまだまだ多いですから、
長男と結婚しようとする女性がいなくなりますよ。
ユダヤの人もアインシュタイン(彼のユダヤ系ですが)も昔の日本の女性の権利が何もなかった事など何も知りもしないで
家族制度が良い と言ってるのではないでしょうか?
1150
:
ルンルン
:2012/05/25(金) 07:22:23 ID:NS71OwS.
>>1146
子供全員の平等に負う義務ですし。 を
子供全員が、平等に負う義務です。 に訂正sます。
1151
:
金木犀
:2012/05/25(金) 13:02:23 ID:L0Ei6.zw
ルンルン様
女性になんの権利もなかったという言い方にはちょっと驚きました。
随分否定的に見ておられるのですね。
戦前は、たしかに法律で選挙権などがなかったとか、
そうした部分はありましたが、それは外国でも同じで、
また選挙制度も徐々に変わってきていて、
女性参政権は、おそらく日本の敗戦がなくても、
これは既に変わる路線が引かれていたと思っています。
日本は世界の中では、女性が尊重されていた国の一つだと考えています。
これは西洋以上にそうであると考えます。
日本では、家庭の金銭的なやりくりは江戸時代くらいからもう
女性の役割ですが、これは世界では珍しいことで、
女性が金銭の運営を任されるということはほとんどありません。
意外と西洋は女性を大切にしているように見えて、
女性は保護されるものとしては扱っても、
女性を自立した人間としては扱って来なかったと聞いています。
日本は歴史上でも女性が活躍している国であり、これは幕末明治に
日本を訪れた外国人が、皆一様にほめて書いているところであり、
女性になんの権利もなかったという見方は、
自虐史観に基づいて教えられる歴史観だと思います。
女性が余り表に出ることを嫌う風潮は確かにありましたが、
これが西洋と比べて極端だというわけでもありません。
現在の少子化が何故起こっているかといえば、
やはり戦後の利己主義的民主主義の産物だと思います。
また仰るように、親の面倒を見るということは、
子供全員の義務ではありますが、
しかし結局見る場合は、全員という訳にはいかないのが現実であり、
誰かが一人、代表で見るしかないのです。
これは別に長男でなくても、末子でも構いませんし、
長男に決める必要もないと思いますが、
誰かが責任をもってやるべきです。
そしてその責任者が家督を継ぐべきではないかと思います。
また、ケースによっては親が一人暮らしをすることも
出てくるかも知れませんが、
最後の面倒くらいは見るべきだと思います。
今の現状では、家族制度の復活はたしかに無理な部分もありますが、
ゆるやかな制度の変則性をみとめて復活させることで、
現代社会の歪みも少しづつ是正されてくるのではと思います。
とはいえ、現在の老親の一人暮らしなどは、
結局その人がその人の人生に蒔いた種を刈り取っている
ということであり、しかたのないことかも知れません。
戦後、堕胎が多く行われ、本来ならば少子化の陰に
多くの生まれるべき生命があったのであり、
現代日本が高齢化に悩んでいるのも、
その戦後のつけが回ってきていると思います。
現代的な個人主義をずっと続けていく限りは、
どんどん社会は住みにくくなるのではないでしょうか。
面倒な事は嫌いで、自由に行きたいと思うのは誰しもでしょうが、
そのつけは、回り回って必ず自分にかえって来ます。
皇后陛下が、
複雑さに耐えて吾々は生きてゆかねばならないとおっしゃいましたが、
昔の日本人はそうした複雑さに耐える力があって、
しかも更にその上での自由をも、発揮していた気がします。
親とか祖先とかを考えずに、自分個人だけの生き方を選ぶならば、
確かに家族制度は不要だと考えます。
家族制度というのは、「家」つまり家系を継承するという理念
のもとでの制度ですから、この家族制度がなくなってから、
断絶する家がたくさん出てくるようになり、
少子化、高齢化社会が起こって来ました。
祖先とか親への感謝という気持ちも、現代では薄れてきましたから、
これが日本という國家を先人から受け継いでいる
という気持ちの希薄さにもつながっているのではないか
と思うのですが、
教育がそういう教育で来ているので、難しいところがありますね。
私では旨く説明しきれないので、雅春先生のご著書を読んでみてください。
1152
:
ルンルン
:2012/05/26(土) 02:21:30 ID:NS71OwS.
金木犀 様
<<日本は歴史上でも女性が活躍している国であり、これは幕末明治に
日本を訪れた外国人が、皆一様にほめて書いているところであり、
女性になんの権利もなかったという見方は、
自虐史観に基づいて教えられる歴史観だと思います>>
そうですか? (´ε`;)初めて聞きましたです。
雅春先生の文、よんでみます。
今んところ [ 家族制度が復活するのがいい] と、まだ思えません,,,
ところで、金木犀 様は介護の体験はございますか?
実は私は、祖父の介護を6年ほどさせていただきました。
祖父に介護が必要になった時、両親も姉も兄も働いていて、私だけが、無職だったので
(学校を卒業して入った会社を1年ちょっとでやめてしまってました)自然の流れで私が介護をすることになりました。
おっしゃる通り、介護は全員平等にする事はできません。誰かが代表で見ることになりますね。
私ん家は私が9割9分 担ってしまってました。
しかし、これはしんどいことですよ。
ノイローゼになりかけたこともあります。(w_−; ウゥ・・
しかし、祖父とはずっと一緒に住んでたし、やさしかったし、大好きだったので
命かけて、祖父を手助けさせて頂きました。
しかし、血のつながった祖父だからこそできたっていうところはあります。
介護はきれいごとではないので、正直、血のつながらない人にはそこまで自分はできないだろうなあと思います。
↑
誰が、お前のことなんかに興味があるねん!
と、どっかからつっこまれそうなので、これくらいにします。ヾ(´ε`*)ゝ
1153
:
金木犀
:2012/05/26(土) 09:20:32 ID:L0Ei6.zw
介護の話は、この年になると、あちこちから聞き、親戚でもご近所でも、
非常に関心を持たざるを得ません。
私は自分の実父と同居していましたが、父は割りとしっかりしていて、
そんなに介護というほどの状態にはなりませんでした。ただ若い頃から、
下痢気味の人だったので、また頻尿の症状もあったので、
畳や床に、しょっちゅう粗相をしてしまうことは多く、それを始末し、
本人の身体を綺麗にしてあげるくらいのことはよくありました。
これは、さほどには苦痛にはならず、実父ということもあり、慣れた感じで
あっという間にやっていました。
なんといっても、寝たきりではなかったので、その分、楽でした。
それに、これはやはり、介護する人間の年齢の問題もあると思います。
若し私が若かったら、気持ちはもっと苦痛が強く
不平不満が起こったかもしれないと感じます。
ルンルン様がそんなに若くして、お祖父様の介護を一生懸命にされたことには、
非常に頭が下がります。やはり、介護は愛がないと、辛いですよね。他人の介護は
否応なくさせられるものですから、本人の気持ちで、時には最悪になるでしょうね。
現代社会は、教育でも徳育が行われていませんから、利己心で育てられた人々が、
利己心を捨てなくては出来ない事をさせられるのですから、
より苦痛は大きいと思います。
確かに介護の問題は大きいですが、誰かがやらなくてはならないのですから、本来は家族がやるべきで
たとえ実の父母ではなくても、他人よりは本当はマシであるはずなのですが。
生長の家では、嫁ぎ先の父母も実父母と理念の上では同じであると教えられます。
御教えでこのような現状も、救うべきと考えますが、
そうしたことが語られないでいる教えでは意味がなく、
このような体験談が数多く語られる教えになるべきですね。
家族制度に関しては、私も雅春先生のご著書などから、本来あるべき姿だと
思い込んでいたので、深く考えていなかったので、説明足らずですみません。
去年、テレビを見ていたら、インドネシアから介護か何かの留学生の女の子二人が
日本に来て、老人ホームを見て、どうして日本では家族と一緒にすまないのかと
疑問を投げかけていました。
そして、その子達は、私たちは、祖父母と一緒に住みたいと思うと言っていました。
インドネシアはもしかしたら大家族制なのかも知れませんが、何かにほんより、
そういう家族の中の良さ、自然の家族の情愛があって、経済的には日本よりも劣っても
幸福度は上なのかもしれないとも感じました。
その子たちも、それを感じたようで、最初は経済大国の日本に憧れたようでしたが、
老人ホームを見て、自国の良さを感じ直したような風に見えました。
それを見て、私は、やはり日本の現状は残念に思いました。
少子化も今は婚期が遅れていることも原因になっていますが、
元々は、少なく生んで、教育などにしっかりお金をかけて育て、また自分たちも
ゆとりある生活をするために、あまり子供の数は多くないほうがいいという考えで、
堕胎した人も多く、そういう利己主義で胎児を殺し、さらに年取った両親は、
世話が大変だから、疎んじるということでは、一体人間と生れて、どこに人間の尊厳が
あるのかと思います。
確かに綺麗事では言えないけれども、経済発展の陰にどんどん唯物的な思考が蔓延っていくことに
日本がかつての時代も、大変だったかもしれないですが、やはり幸せな部分がもっとあった気がします。
昔の人は、老人の世話をしながら、これは順番なのだからしかたがないと言っていたのをよく聞きました。
自分もいつかされるのだから、という意味なのですが、そうやって、耐えてきたということです。
今は核家族で、老人の世話は大変かもしれませんが、昔はやはり助けあってきた部分が大きいと思います。
私も、そんなに経験もなく、余り言えませんが、そのように感じています。
1154
:
金木犀
:2012/05/26(土) 09:24:51 ID:L0Ei6.zw
訂正です。
そういう家族の中の良さ → そういう家族の仲の良さ
1155
:
Kジロウ
:2012/05/28(月) 14:47:32 ID:VJun9unU
初投稿ですm(_ _)m
>>1151
そうですね!
日本では近代化に際して、
成人女性への選挙権は検討はされていたが、時期早々という事で最終的に却下された経緯が、あります!
また、幕末に薩摩藩から徳川に嫁いだ篤姫は、江戸城に最終攻撃に向う、西郷隆盛に対して、
自分の首を差し出す替わりに、徳川の御家を取り潰しを見逃して貰う書状を送ってました!
これを受取った西郷隆盛は涙を流したという!
これにより、倒幕軍は無血で江戸城を明け渡しに成功するのでした!
これって、同じ様な事を何処かで聞いた事ないですか?
昭和天皇とマッカーサーの最初の会談そのものでしょう!
昭和天皇は、この史実は知っていたんだと思います!
篤姫から武士道を学んでいたんだと思います!
1156
:
うのはな
:2012/06/07(木) 15:39:36 ID:gTn97m6I
軽薄な謝罪
靖国神社とは、以上のような意味を含んだ場所である。
そのことを承知した上で、あらためて靖国論争に期待したいものだ。たしかに
明治維新前後から祀られている二百四十六万余の祭神の、九割近くが先の戦争で
国の為に命を捨てた人々の霊だ。しかし、そこに参拝したからといって軍国日本への
回帰だというような単細胞こそ、私には“進め一億、火の玉だ”“贅沢は敵だ”といって進軍ラッパ
を吹いてきた、旧日本の全体主義の尻尾をぶら下げた人々に見える。
よく知られていることだが、あの時代のさなかで“ぜいたくは敵だ”と書いて貼られたスローガンに
一字加えて、“ぜいたくはス敵だ(ステキだ)と揶揄した人がいたという。
この話を聞くたびに私はホッとしている。あんな時代にさえ、これだけの余裕をもっていた日本人の間口の広さ、
教養の幅を感じるからだ。あのセンスはいまどこへ消えてしまったのだろうか。
中国から靖国参拝にクレームをつけて同調し、それっ、首相の参拝は軍国主義礼賛だと、一斉に声を揃えて誹謗、
中傷する識者がいるのに、正直なところ私はげんなりしている。
「中国は、首相が参拝を止めればスムーズな両国関係が保てるとシグナルを送ってきているんです」(二00五[平成十七]
年十月二十三日NHK日曜討論)といって中国の深層心理を代弁するかのようにいった人もあるが、馬鹿いっちゃいけない。
そもそもシグナルとは、それとなく送る信号ではないか。どうして、クレームがシグナルなものか。
あれは日本に対するあからさまな抗議であり、首相の行動に対するいわれなき干渉である。
近隣諸国への配慮など一切不要だとはいわないけれど、それは政治的配慮に止まるべきだ。
しかしあくまでも志を貫くための方便として使うべきもので、事態が一応治まったのを見届けたなら、
本論に立ち戻って目的達成のための次のステップを踏み出すべきで、政治的配慮とは、紛糾を避けるためのガス抜きが
目的であるはずがない。
『戦争を知らない人のための靖国問題』 上坂冬子 著
1157
:
金木犀
:2012/06/08(金) 11:54:34 ID:j28jHRaM
○○さんのブログから引用です。
昭和32年に発売された「東京だよ おっ母さん」。
島倉千代子の代表曲といってもいい曲ですが、
歌詞に「九段坂」があるのでNHKでは歌詞の二番は歌わせないといいます。
そのためかわかりませんが「BS 日本のうた」では二番を放送しました。
しかし多くの国民が見るNHK総合ではいまだにないようです。
また紅白歌合戦ではこの曲は1度も歌われたことがありません。
紅白で歌わせない理由がやはり歌詞の中にあるという。
一番の歌詞は、田舎から出てきた母親を皇居へ連れて行き
「ここが二重橋、記念の写真を撮りましょうね」と歌っています。
二番の歌詞は、「やさしかった兄さんが」桜の下で待っているという歌詞。
ここでいう桜の下というのは靖国神社です。
歌詞の中には靖国神社という固有名詞は出てきませんが、
母親を連れて「あれが九段坂」と歌っています。
三番の歌詞は、単純に浅草の観音様へいき「長生きしてください」とお祈りする。
やはり二番の歌詞の
「戦争で死んだ兄に逢いに(靖国神社へ)参拝しに行く」という内容が、
NHKにはよろしくないということらしい。
戦後GHQ内の共産主義者たちがNHKを占拠し、
その後、プロデューサーもアナウンサーも共産党員が増えたNHK。
やはり日本の戦前は悪い国にしたいのだろう。
東京だよおっ母さん
(詩・野村俊夫/曲・船村徹)
久しぶりに 手を引いて
親子で歩ける うれしさに
小さい頃が 浮かんできますよ
おっ母さん
ここが ここが二重橋
記念の写真を撮りましょうね
やさしかった兄さんが
田舎の話を聞きたいと
桜の下で さぞかし待つだろ
おっ母さん
あれが あれが九段坂
逢ったら泣くでしょ 兄さんも
さあさ着いた 着きました
達者で永生き するように
お参りしましょよ 観音様です
おっ母さん
ここが ここが浅草よ
お祭りみたいに 賑やかね
坪内祐三著の「靖国」には遺族のお婆さんたちの記録があります。
「靖国さまへお詣りできて、お天子様を拝ましてもろうて、
自分はもう、何も思い残すことはありません。
今日が日に死んでも満足ですね。 笑って死ねます。こんな次第でございます」
「息子も冥土からよろこんでくりょうぞ。 死に方がよかっただ。
泣いた顔など見せちゃ・・みんなお国のためだがね。
おら、そう思って、ほんとにいつも元気だがね」
「ほんとうになあ、もう子供は帰らんと思いや寂しくなって仕方がないが、
お国のために死んで、天子様にほめていただいとると思うと、
何もかも忘れるほどうれしゅうて元気が出ますあんばいどすわいな。」
・・・・・
この歌は母親を案内して東京見物する娘の姿がほほえましく、
そして最後に母の長寿を祈願して歌は終わります。
この歌に登場してくるような「お母さん」は今現在どれほど生きているかは分かりません。
残念ながら国が靖国神社に公式参拝をしないまま「おっ母さん」たちは
ひとり、またひとりと散華された息子の許へと旅立っていかれたのでしょう。
1158
:
SAKURA
:2012/06/08(金) 13:25:02 ID:q6U452WU
あら〜〜〜♫〜〜〜
ロ−マ字の【SAKURA の 独り言!】
【島倉千代子さん】は、確か?【有名な創価学会…】ですもの〜〜ネ!!
しかも、かなり“大事”にされていますモノ??素敵な方ですが〜〜♫〜〜
■■そう言えば…?
【芸能関係は…殆ど創価学会員!!】が多いそうです〜〜ネ!
それから…【労音…】これは【創価学会…!!】と関連してましたでしょうか??
再合掌
1159
:
金木犀
:2012/06/08(金) 14:21:54 ID:j28jHRaM
SAKURAさま
島倉千代子さん、いかにも創価学会の雰囲気ですよね、
芸能関係は、そういう人ほんと多いですね。
私も島倉さんは、どちらかと言えば嫌いですね。
だからといって、歌っている歌手が誰だろうと、
この歌を作詞した野村俊夫氏が
息子を戦死でなくされた老母の心をおもいやって作られたことは、
そこに日本人としての気持ちがあったと思います。
これは歌手が誰だろうと関係ないことです。
創価学会は、日本の国体破壊勢力のひとつであり、自民党と連立して恰も
保守勢力のごとくにふるまっていますが、反日左翼勢力の一つだと考えています。
自民党の衰退の一因も、公明党との連立にあると思います。
自民党の中にも怪しい勢力がいますからね。国のことを考えないで、党利党略自己保身に
陥ると、こういうことになりますよね。
1160
:
どうでもいいですが!
:2012/06/08(金) 14:52:55 ID:???
労音=勤労者音楽協議会 1949年共産党を母体として創設。
民音=財団法人民主音楽協会 1963年創価学会を母体として創立。
1161
:
金木犀
:2012/06/09(土) 05:40:41 ID:j28jHRaM
教育で国が滅ぶ! (「名張ロータリークラブ会報」・平成17年4月4日)
毎日、異常な事件が発生しています。少年が学校で教師を殺す。父が一家を皆殺しにする。集団自殺、薬物汚染、児童虐待・・・、もう切りがないほどです。こんな世の中にしたのは、誰でしょう。それは、じつは皆さんです。そして私です。今の大人は、みな先祖に対して、そして子孫に対して、そんな世の中にした責任があるのです。
なぜ、日本は、こんな国になったのでしょう?。それには原因があります。教育です。もはや今の大学生の3人に1人は「憂うる」という言葉の意味がわからず、また、19歳女性の13人に1人は性病に罹患していますが、その「頭」と「心」と「体」の衰退も、3世代つづいた「日教組教育」の果実にほかなりません。
しかし、どうして若者たちは、そんなふうに自分を「粗末」にしているのでしょう?。それは「自己肯定感」がないからです。戦後社会では子どもたちに、家庭も、学校も「自己肯定感」を与えてきませんでした。子どもたちに向かって、父の悪口を母が・・・母の悪口を父が、言い続けてきたのです。学校では日教組の「先生」たちが、子どもたちの「先祖の悪口」を、言い続けてきました。そういうことが日本では、もう60年続いているのです。
小学校・中学校の教科書を見れば、それが、いかに「反日自虐思想」に満ちているか、わかります。それらの教科書のメッセージは、ただ一つ。「日本を嫌悪せよ」。ただそれだけです。
その「自己否定感」を決定的にするのが、今の「ジェンダーフリー教育」にもとづく「過激な性教育です。そこでは、「命」を「つくるもの」としか教えません。古来の「子宝に恵まれる」などという発想は、まるでないのです。つまり、戦後教育は「命」は「つくられたもの」としか教えてきませんでした。
しかし、もしもそうなら、それは「消してよいもの」ともなるでしょう。こうして、自殺や殺人が蔓延しました。「命」とは「この世を越えた尊い存在」から「恵まれる」もの、と考えるのが世界の常識だということを、今の日本人は知りません。戦後教育の「唯物主義」では、じつは「命」は語れないのです。近ごろでは「いただきます」と言う言葉さえ、「宗教的」として廃止している学校があります。なんと罪深い教育でしょうか。
こうして日本は、今「滅び」に向かっていますが、それを止める責任はは、皆さんにあります。いくら周りにグチを言ったところで、世の中は決して良くなりません。
三重県は、日本一の「日教組王国」です。日教組は県の政界を支配しています。それを正すのは、皆さんの「行動」です。しかし、まずは知恵が必要でしょう(拙著『いいかげんにしろ日教組』PHP研究所、参照)。知恵のあとには勇気が必要です。勇気をもって「行動」しなければ、世の中は何も良くならないと、知っていただきたいと思います。
1162
:
金木犀
:2012/06/09(土) 05:45:48 ID:j28jHRaM
上記文章は、松浦光修先生のコラムからです。
http://matsumitsu.exblog.jp/5423480/
1163
:
「訊け」管理人
:2012/06/10(日) 15:37:30 ID:???
>トキ理事長
突然ですが、「型」って大切ですよね、トキさん・・・・。今日は、そんな話です。この、「型」ってヤツの大切さ、なのですが生長の家の凄さとは、この、「型」が確立されている点ではないかと・・・以下はたぶん、そんな話の流れになろうかと。
・・・いやなんで、いきなりこんな話になったか、と言いますとね・・・・これまた突然なんですが私、最近「空手」を習い始めまして(※)いやこの武道「空手」でありますが、「野球」なんかと比較したときに実に、スゴイなあと感心した次第なんです。
・・・昔から「武道にスランプなし」と聞き及んでおります。一方で私がやったスポーツ、「野球」ですがこの競技にはスランプ、これが存在するわけです。で、この原因なんですけど、「これ、何だろうなああ?」と考えてはいたのです。ですが最近まで答えは、出ておりませんでした。
「なんで武道には存在しない〝スランプ〟だが、野球には存在するんだ?」――この疑問です、ここ最近、道場に通うようになってようやく、その答えらしきものに気づきました。やはり「型」が確立されている点、これが要因だと思っている現在です。
野球のような「若い競技」――100年そこそこの歴史しかない――ここから武道に行くと、この「型」のありがたさは、切実に解りますね。野球は未だ、「型」が確立されていないスポーツです。(打者・投手フォーム見れば解ります。皆なバラバラでしょ?)いっぽうの空手はもう・・・詳しくは知りませんが、1,000年分に近い叡智が、蓄積されているわけです。先人たちが確立されてこられた「型」――これを空手では、もう、徹底反復するわけです。野球しか知らぬ身から見ていると、これ、驚嘆すべきことですね。そして「これが武道の凄味だろうなあ」と。
「型」が出来上がっているというのは、本当にありがたいものです。わたしのような素人が、それこそポッと参加しても、「やるべき内容」がダァーンと眼前にあるわけです。ですからいかに素人とは申せこの型、徹底反復すればよいという・・・型を反復「するだけで良い」というのは、実にありがたいものです。まあ今回は、そんな話でございました。「反復するだけでよい」――これ、もうどれだけ有難いことか!
追伸
生長の家は立教100年未満です。にもかかわらず「型」・・・これが確立されておりますよね?これは実に、感嘆すべきことだと思います。空手に触れて『生命の實相』のありがたさ、これまた如実に理解でき始めた現在です。
拜
<註>
※ 「空手」を習い始めまして
小中学生に交じって学んでいます(笑)「黄帯」「紫帯」の〝センパイ〟、これも小中学生なんです。やや余談ですがこのセンパイ、これを初日にですね・・・私、蹴り一撃で、吹っ飛ばしてしまいました(笑)そしたら道場、騒然という・・・まあむろん、小中学生限定の〝騒然〟さですが。(「今度来たシロオビ(白帯)、ヤバイぜ・・・」「○○クン、一撃だったゼ・・・」)・・・
また、これらセンパイともキチンと、交流しております。「オジサン、仕事は何ですか?」「私ですか?私は手品師です、先輩」・・・・・・・そしたらさすが、空手です。こんな事言っていたら道場主から、叱られました(笑)「フザケンナー!!」と(笑)いやーホント、野球部ノリで練習、参加してたらマズイですね(笑)空手は(笑)(いや空手では、練習ではなく〝稽古〟と呼称)
1164
:
SAKURA
:2012/06/10(日) 16:24:52 ID:BmbmmCRY
こんにちは… ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1160
拝読しまして…
労音=勤労者音楽協議会 1949年共産党を母体として創設。
民音=財団法人民主音楽協会 1963年創価学会を母体として創立。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
■私自身、勘違いいたしておりました…。指摘して頂きまして“感謝”申し上げます…。
それにしても…
【労音】 ・ 【民音】…両者とも良くな〜〜〜イ!なのです〜〜〜ネ!
改めまして…【感謝…】申し上げます…。
再合掌
1165
:
「訊け」管理人
:2012/06/10(日) 16:26:22 ID:???
(忘れていました・・・以下は我がブログ・コメント欄への投稿文です。徳久先生が、『生命の實相』を読みなさい!と叫んでおられます)
(ブログ・コメント欄より転写)
2. 徳久先生の文章より 2012年06月09日 21:47
・・・・・谷口先生は「すべてのことは『生命の實相』の中に既に解答してある」
とよく言われるが、私は各地を廻ってみて、余りにも『生命の實相』を読まなすぎる青年会員が多いのに驚かされるのである。
『生命の實相』を読まずに行動すると、その行動が往々ピントをはずれるのである。吾々は行動的であればある程、その行動の基準となる『生命の實相』を繰り返し繰り返し読まなければならないのであって、各地の青年会で問題が起る場合は、総て『生命の實相』を読まずに行動する結果である。・・・・
一、「生長の家」七つの光明宣言
一、「生長の家」家族の祈願及修養
一、「生長の家」信徒行持要目
この三つだけはよくよく読んで、吾々「生長の家」の青年達は、何を目的として実践活動をしたらよいかという、活動目標を確立しておいて戴きたいのである。
「生長の家」は宇宙の真理をのべ伝えるのであるから、その真理を青年が感受すれば青年運動となり、婦人が感受すれば婦人運動となるのであって、青年だけという特別の秘法があるわけのものではないのである。吾々は先ず『生命の實相』を熟読することが必要である。
仏教もキリスト教も、教祖自身のお書きになったものが残っているわけのものではないのであるが、「生長の家」だけは教祖先生自ら筆をおとりになったものが、誰でも手軽に読めるのであるから、吾々はいつ如何なる所ででも『生命の實相』を通じて、教祖先生と簡単につながることが出来るところに、吾々の強みがあるのである。
『生命の實相』を通じて間違いなく御教えをうけることが出来るということは、吾々にとっては最も有難いことなのである。・・・
『生長する青年』27年4月号より
(終了)
1166
:
トキ
:2012/06/10(日) 21:55:48 ID:Sup3o8Sw
私は武道の心得はないのですが、なかなか素晴らしいですね。
いくつになっても、前向きに頑張る姿勢こそ、生長の家の人だと思います。
型の問題、興味深いです。また、後日、論じたいと思います。
合掌 ありがとうございます
1167
:
SAKURA
:2012/06/14(木) 03:07:19 ID:aEj08Q/w
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1643
>>1644
【生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える会】に投稿しましたが…
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1643
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1644
拝読しまして
■『甘露の法雨』についての“出発点”は、多少は知っておりましたが〜〜〜
正直“うろ覚え??”でしたでしょうか??
私も【雅宣総裁先生のプログ】より、詳しく知る事になり“感嘆“しておりました。
■更に、今日「トキ様の文章」からも、知る事が出来まして、
要するに『甘露の法雨』は、雅春先生から、率先して“聖経”と云う…
“形式”にされたのではないと…
『生命の実相』にも書かれておりますが…周りからの“自発性”により起きた事
なんでしょう〜〜〜!!
それは【山ちゃん…】だろうが『誰…』であろうが?関係なく“信者自身…!!”
しかも『知識階級からの出発』になるのではとの?思いが致しますが〜〜?
その様に、私は解釈しましたし、更に「雅春先生の本」でも、似たような事を、
書いていらっしゃいます“記憶”があります…。
■■私は、今回の【お家騒動…】は“オカシイ〜〜〜!”と思いますし、
【分派…サイド】の考え方・方針に気にいられました方々は、それはそれで、
いいのではないでしょうか〜〜〜。今回の「現総裁雅宣先生の長編詩」は、
私でも、たまに拝読させて頂いておりますが…読誦は、すがすがしい〜〜気持ちに、
なりますし、その人の“念もプラス”にみれば…いいのでは・ないのでしょうか?
新しい事を始めるに当たりましては、“周囲の理解力”も必要で、
これは当事者のみではなく、周囲の人材の“人間性=人格”に入っていくものと
判断しますが…?
■話は変わりますが…
今回…今の若者の自発的な“アイデア・”を見まして…
「新しいジャンル…」の到来??思わず“笑い”を誘われています私に、
気づきましたが…
【歌あり・漫才的なスマ−ト?さあり・更に!“ア−ト的”なモノの総合性】を…
ミックスさせて…意外と私でも、拝見して“供給性“が湧きますかしら〜〜〜ン!
この様に「生長の家」も、若者が“自発的に運動”出来ますようにと…
思う次第ですが……><
今回の「総裁先生は現代文的?」ですが…私は“素晴らしい!!!と思います…。
更に!彼らは【大卒・大卒中退組みと…コンビ】でありますが…
やはり“新しい物事”に挑戦をする時の【開拓精神=知識から始まる】のでは??
ないでしょうか?その様に思います…。
■全て…事の始まりは【真理 ・ 光明 ・ 知恵 … 絶対の“愛”ですが〜♫〜】
そして【“知識”=“知恵”】は一番大切な“原点”です〜〜〜ョネ!
過去を振り返りまして…
私が“販売”していました時、デパ−トの【商談…】は、
やはり“大卒はスム−ズ”な応対ですので“時間的”にも短縮にてまとまりますが…?
たまに、這い上がってきましたクラスに“高卒の方”がいらっしゃいますが…
平均的に、先ず!聞く耳を持たなく…考え方に“幅がない”様でしたかしら〜〜〜ン!
「係長クラス」は、意外と“高卒”が多かった様に、当時は思いましたが…
更に!【上の役職】で行きますと、当然「部長クラス」は“大卒…”!!
ですから【上の役職】になりますと、それなりの「人格=人望」と申しますか?
“大卒”の方は、一応“聞く耳”が〜〜〜ありましたかと?思った次第ですが……
但し…“考え方も〜〜♫〜〜考えの幅も〜〜♫〜〜性格も〜〜♫〜〜”…
あります様にお見受け致しましたが………??
当然!!“マナ―”もあり“ポジティブな精神面”もありました様ですが……!!
その様に、判断しましたが…(例外もあるかも〜〜〜><)
後程…若者達の【Tub…】紹介させて頂きます…。
再合掌
1168
:
SAKURA
:2012/06/14(木) 03:09:11 ID:aEj08Q/w
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1167
続きです…。
■【歌あり・漫才的なスマ−ト?さあり・更に!“ア−ト的”なモノの総合性】
でしょうか〜〜〜♫
■サイモン アンド ガ−ファンクル RAG FAIR
http://www.youtube.com/watch?v=dDYZTc6geLA&feature=related
■RAG FAIR「Good Good Day ! 」
http://www.youtube.com/watch?v=_vz1Tz9xhc0&feature=related
(上記は…“共有性”ありますかしら〜〜ン?)
再合掌
1169
:
SAKURA
:2012/06/14(木) 03:20:53 ID:aEj08Q/w
トキ様 へ
観覧者の皆様 へ
こんばんは… ローマ字の【SAKURA】で〜〜〜す。
>>1167
>>1168
の投稿の続きは
【生長の家「今の教え」と「本流復活」を考える会】に投稿致しておりますが
更に!下記の【URL…】にて続きを…投稿させて頂きました…。
尚!今回すぐさま?【投稿文…奥の間】に行くようですので…此処に投稿させて頂きます…。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1661
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1307277048/1662
おりにつきまして、「上記投稿文」を拝読した頂きますと、幸いに思います…。
再合掌
1170
:
うのはな
:2012/06/14(木) 18:10:11 ID:gTn97m6I
>> 従来は無審査で永代供養を受け付けてもらえたのですが、最近、教化部と本部の両方で審査をして、問題がある場合は永代供養をしてもらえないシステムになったのです <<
これは、光明思想を掲げながら人を排除する勢力の話ですか?
赤ペン先生にでも、雅春先生の御命日までに講釈していただきたいですわ。
長年組織会員としては。
1171
:
飛び入り参加
:2012/06/14(木) 22:26:49 ID:ogKt/5xM
トキさん、こんばんは。掲示板の運営、感謝いたします。
今回、聖経の問題に関連して、谷口雅宣先生が、甘露
の法雨の成立について論じておられます。この問題につ
いては、信徒の間でも議論があるのは理解しています。
が、それは別にして、議論の材料として、事実と思われる
文章を提供し、皆様の判断に任せます。
谷口雅宣先生が、生長の家30年史の中の斉藤壽美
先生の思い出を引用されておられますが、その同じ
文章に以下のような部分がありました。
「かくてみ光りはあまねく京都の地を蔽い、四月に
は小木様、岡様たち相はかり『甘露の法雨』はたん
に「詩」と扱うべきものではをく、その功徳の炳乎
なることから見て「聖経」と稀すべきものであると
言うことになり、はじめて聖経『甘露の法雨』を折
本型経本として京都教化部より発行いたすことにな
ったのであります。これができ上りますにつきまし
ては秋月様、尾本様をはじめ、京都の幹部総動員で
お手伝い致しました。」
この文章は、昭和33年頃に書かれたもので、当時
谷口雅春先生をはじめ、関係者の大半がご存命だった
事を考えると、信憑性は高いと思われます。この文章
を見る限り、聖経の名称は信徒からの呼称と推測でき
ます。
1172
:
飛び入り参加
:2012/06/14(木) 22:27:20 ID:ogKt/5xM
次に、「生長の家京都光明化50年史」という本が
あります。ネットオークションで入手した非売品の本
ですが、生長の家京都教化部の歴史が書いてあります。
その中に、甘露の法雨に言及した部分が2カ所ありま
す。
同書のP30には、尾本輝三先生の回顧談が収録され
ています。
また、皆様お持ちの『甘露の法雨』の析本、あれは
小木虎次郎博士が、
「尾本はん、あんた明日来る時に本願寺さんの前で無地の折本が
売ってあるはずやから探して買ってこい」とおっし
ゃる。探して持って参りましたら、それに『甘露の法
雨』を書け、とおっしゃる。私は「恥はかくけど字は
よう書きまへん」と云うて笑ったんですけど、「書き
なさい!」とおっしゃるので書いてみたんですけど
全部が書けません、そのあとを着月先生がお書きに
をったんですけど書けなかった。どうしても作れ、
とおっしゃるので、誌友の森本という印刷屋にお願
いして第一号の『甘露の法雨』を印刷したのです。無
論先生には内諸です。ですから『甘露の法雨』と云う
題字もごぎいません。大調和の神示もごぎいません。
ただいきなり本文の『甘露の法雨』だけでございました。
ところが内緒ということは何時までももてるもの
ではございせせん。先生が見えると読みにくいので
読み、先生がお帰りになると読み易いそれを出して
読む、というようをことをやっておりましたが、着
月先生と相談して、先生に叱られるつもりで谷口先
生のところへお伺いに参りました。幸いに叱られず
に先生にお喜びいただきまして、「なんぼでも印刷
しをさい」とお許しをいただきまして、今度は大威
張りで印刷をやって参りました。そうすると、谷口
先生は「もっとせい、もっとせい」となんぼでも数
を増してこられる、資本金がたまりません。そこへ
谷口隆之助と云う方が 「わしが資本金出してやろう」
と出して下さった。そういうことから始まった『甘
露の法雨』 でございます。
非常に厳しかった小木先生は一面また非常に温か
い方でございます。いまだその温かいお心を想い出
しては「先生、有難うございます」と感謝をしてい
る次第です。」
1173
:
飛び入り参加
:2012/06/14(木) 22:28:00 ID:ogKt/5xM
同書のP26に着月 暁先生の回顧談が収録されてい
ます。
「それから折本甘露の法雨はみなさんのお世話で京
都で出来たのです。ところが、光明思想普及会が出
来まして、先生の出版物は全部扱うということにを
り、「戻せ!」とおっしゃる。あれは皆残念がった。
京都はやって行けんがな、と思った。よう売れる、
よう出るんです。然し小木博士、偉らかったね。「返
す、あんた持って行き」と云ってですね、紙型とか
材料全部私が抱えて持って、お渡ししたのが理事長
先生(中林先生)でした。遅かったなあ、と云われ
るかと思ったら、「よう来てくれた」と喜んでいた
だいて、えらい御馳走になった。」
同書の編集には、戦前の信徒が多数参画しており、
信頼性は高いと思われます。
その他、小木虎次郎博士の娘婿である石川芳次郎
先生の伝記(非売品)の中にも、小木博士が甘露の
法雨の発案者である事が明記されていました。
小生は、あちらの人たちを応援するつもりはありませんが、事実
は事実として、記録するのが大事だと思い、ここに公表
します。
感謝、合掌。
1174
:
トキ
:2012/06/15(金) 19:18:26 ID:HJJWPibQ
飛び入り参加様、ご投稿、ありがとうございました。
お返事が遅れて、申し訳ありませんでした。内容は重要なものだと思います。
貴重な資料を提示して下さり、深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
管理人敬白
1175
:
トキ
:2012/06/15(金) 23:31:57 ID:HJJWPibQ
本流掲示板で、山ちゃん1952様からこの件について、貴重なご指摘を頂戴しました。深く感謝申し上げます。
内容は、「飛び入り参加」様への訂正の申立ですが、以下の2点です。
1 聖経の文字は確かに、谷口雅宣先生のご指摘の通り、昭和6年に使用されている。
2 文中、中林先生とあるのは、辻村楠造先生の間違いではないか。
この件について、できれば「飛び入り参加」様のご意見もお願いします。
余談ですが、辻村先生は、元陸軍主計総監をされた方で、明窓浄机で、谷口雅春先生が、
「辻村楠造」閣下と書かれていたのを記憶しております。
実は、わたしも、あの後、考え込んでいたのです。と、言うのは、谷口雅宣先生や山ちゃん1952様の
ご指摘は正しいです。しかし、「飛び込み参加者」様が指摘されたのと同様の証言を私も別の人から聞いて
います。谷口雅春先生ご自身もその内容で説明をされていたと記憶しております。つまり当時の複数の
関係者の証言と矛盾するのです。と、言っても、当時の関係者は既に故人になっておられるので、確認は
できません。
自分も少し興味があるので、調べてみます。
あと、論点としては、
1 折り本にしたのは、京都の信徒であった。
2 甘露の法雨の読誦については、谷口雅春先生はご存知ではなかった。
という点については、山ちゃん1952様のご意見を頂戴できれば幸いです。
合掌 ありがとうございます
1176
:
志恩
:2012/06/16(土) 05:17:44 ID:.QY5jUA6
飛び入り参加様
トキ様もおっしゃっておられますが、本流掲示板で山ちゃん1952様のご指摘の1つ
2、理事長は、中林政吉先生でなく。辻村楠造先生ではないか、
について、「京都光明化50年史」が、S 33年頃書かれたものである、となりますと、
中林政吉先生が、理事長になられたのは、下に貼りましたが、
「生長の家本流青年、、、」の中で、童子さまが書かれていますように、
中林先生は、昭和40年から4期に亘り、理事長をつとめる。とありますから、中林先生ではないのではないでしょうか。
http://bbs7.sekkaku.net/bbs/?id=seinen&mode=res&log=85&submitlog=85
1177
:
志恩
:2012/06/16(土) 05:28:43 ID:.QY5jUA6
生長の家五十年史 P816に、歴代理事長として記載されていると、
ネット、生長の家今昔物語にも、載っていました。
歴代理事長
辻村楠造 (初代)
中島與一 (二代)
清都理門 (三代)
辻村彦次郎(四代)
中林政吉 (五代)
山口悌治 (六代)
和田英雄 (七代) と、七代まで書いてある。
1178
:
志恩
:2012/06/16(土) 06:01:53 ID:.QY5jUA6
S33年に書かれたのは、聖経に関することでした。
×「京都光明化50年史」が、S 33年頃書かれた
○「京都光明化50年史」の中で、S 33年頃書かれた
1179
:
晴れときどき・・・
:2012/06/16(土) 06:23:54 ID:M7ribEwU
◎京都50年史当時の本部理事長が中林政吉先生。
◎光明思想普及会の社員として、京都へ遣いに出られた中林政吉先生。
※「京都50年」が「生長の家50年」よりも歴史が長い古いはずがありません。
昭和15年 小木博士の功績偉業を称えて『小木虎次郎賞』が設定されています。
1180
:
志恩
:2012/06/16(土) 06:36:31 ID:.QY5jUA6
晴れときどき…さま
京都50年史当時の理事長先生が、中林政吉先生ですか。教えて下さって、ありがとうございます。
その他のことも、ごしんせつに!
1181
:
トキ
:2012/06/16(土) 09:29:59 ID:da4qspKs
おはようございます。
昨晩は、押し入れから古い本を山ほど取り出して、調べものをしておりました。
おかげさまで、完全に睡眠不足です。失礼があれば、お許し下さい。
まず、山ちゃん1952様の御文章を紹介し、その上で、私見を披露させていただきます。
----------------------------------------------------------------------------------------
再度下記に書きますが、間違いを二点指摘させていただきます。
1、聖経は雅春先生が昭和6年秋頃にはその言葉は使用しようと思っておられます。
その根拠は昭和7年1月1日の『生命の實相』には記載されています。これは復刻版以外でも確認しています。(原本の確認)
昭和6年に小冊子『生長の家の歌』(5銭)を販売されたのですが、あまり売れなかったのですが、その後昭和10年の雅春先生の記載された「編集だより9月号」に「一回の読誦で近眼が消える」という記載があります。すでにその頃から『甘露の法雨』の功徳が現われていたのです。それが京都教化部で発刊されたものを読まれたのかどうかはわかりませんがその可能性はあります。「生長の家の歌」と記入されていないのが、その可能性です。ただしこの時点では聖経という言葉は使われていません。
2、理事長は中林政吉先生ではなく辻村楠造ではないでしょうか。
最後に飛び入り参加の人は「あちらの人」という呼称ですが、「学ぶ会」の人を指しているのでしょうか?なにか狭量のない人ですね。何故現在の生長の家の状況になったかを考えないのでしょうね。
(つづく)
1182
:
トキ
:2012/06/16(土) 09:50:42 ID:da4qspKs
晴れときどき・・・様、志恩 様、ご投稿ありがとうございました。
わたしも、「生長の家40年史」を読んで、昭和40年代の中林政吉先生が理事長であるのを知り、同じ結論に達しました。
それは、50年史のような歴史関係の本を作る場合、何年もリサーチをするのが普通ですから、尾本先生、着月先生に
リサーチをした当時の理事長が、中林政吉先生であるのは不思議ではないからです。
常識的に考えて、当時の尾本先生も着月先生も、まだ若かったし、いわゆる「使い」で行かれた職員に過ぎない
方です。その人に、陸軍主計総監であり理事長をされた人が直接、接待をするとは思えないです。やはり、ここは
中林先生に「聖経」を渡した、と考えるのが妥当でしょう。
次に、明窓浄机を拝読すると、
>>昭和15年 小木博士の功績偉業を称えて『小木虎次郎賞』が設定されています。
という晴れときどき…さまの主張を裏付ける内容の文章がありました。生長の家50年史にも、甘露の法雨の聖経
についての説明、また「永遠不滅の生命」にも、「聖経」の発案者 小木虎次郎博士、という説明がありました。
しかし、昭和6年に「聖経」という言葉が存在した、というのも事実です。
その時に感じたのは、当時、「聖経」「聖詩」という名称が混在していたのではないか、という感想です。
ひょっとしたら、他にも信徒の間で別の呼び方があったのかもしれません。それを「聖経」と決められたのが
小木博士ではないか、という仮説です。(これが正しいとは言いません。小木博士は、初版の「生命の実相」
を読まれていますから。しかし、当時の関係者の説明とは矛盾しない説明をしようとすると、これぐらいし
か考えがつかないのです。)
1183
:
トキ
:2012/06/16(土) 09:58:16 ID:da4qspKs
あと
>>「編集だより9月号」に「一回の読誦で近眼が消える」という記載があります。
ですが、実際の執筆は7月(のはず)ですから、これは、生長の家京都教化部から出た「甘露の法雨」のはずです。
それは、尾本先生、着月先生の説明とも矛盾しないです。
ちなみに、昭和11年に発行された甘露の法雨は、既に「神示」も掲載されており、聖経 甘露の法雨という名称
も使っていますから、現代と同じ体裁です。
しかし、京都教化部から出た聖経でも、これだけ功徳があるのなら、別に「光明思想社」だろうが、教団から出そう
が、功徳には変わりはない、という事になりますね。(こんな事を書くと、本流掲示板の投稿者様が大喜びをするで
しょうが・・・。)
1184
:
トキ
:2012/06/16(土) 10:04:18 ID:da4qspKs
あと、山ちゃん1952様が、「小木寅次郎」博士の文字を使っておられますが、「小木虎次郎」博士
の間違いではないでしょうか? (「間違い指摘の間違い」の間違いの指摘?)
あと、申し訳ありませんが、飛び入り参加様、引用された文章をPDFにして当方へ送って頂けないでしょうか?
出来れば、で結構です。
tokirijicyo@yahoo.co.j
最後になりましたが、貴重なご意見を頂戴した、晴れときどき…さま、志恩 様、飛び入り参加様、山ちゃん1952様に深く御礼を申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1185
:
トキ
:2012/06/16(土) 10:18:10 ID:da4qspKs
余談ですが、「明窓浄机」を拝読していたら、「生命の芸術」誌を合本して、100部だけ出版します、
という記事がありました。そう言えば、うちにも、そんな本があったなあ・・・・と気がついて探したら
出てきました。読むと、この生命の芸術に掲載された谷口雅春先生のご文章のいくつかが、そのまま
生命の実相に採用されている事がわかりました。
例えば、生命の芸術に谷口雅春先生の自伝が連載されていましたが、それが、そのまま、生命の実相の
自伝編になっています。
他にも、貴重な内容がありましたが、わたしのような人間がこんな本を持っているとは、猫に小判
ですねえ。(笑)
1187
:
トキ
:2012/06/16(土) 10:23:01 ID:da4qspKs
>>1184
飛び入り参加様へ
訂正です。申し訳ありません。
tokirijicyo@yahoo.co.jp
合掌 ありがとうございます
1188
:
トキ
:2012/06/16(土) 16:10:36 ID:da4qspKs
山ちゃん1952様より、御丁寧なお返事を頂戴しました。深く感謝申し上げます。
ご提示のPHPの文章は、偶然、私も読みましたが、あれをご存知とはすごいですね。あと、生命の芸術まで
お持ちとは、さすがです。
なお、小木「寅」次郎という方は、初めて知りました。初代京都支部長の小木虎次郎博士が、甘露の法雨の
発案者である、というのが私の調べた結果でした。この点については、申し訳ありませんが、山ちゃん1952様
と認識を異にします。
以上、この件について、いろいろと調べて下さった皆様に深く感謝申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1189
:
うのはな
:2012/06/16(土) 16:20:23 ID:gTn97m6I
魂の誇り ステッファニ 万里子 斉藤 (十五才)
靖国神社っていうのは、国のためになくなった私達の先輩の若者たちが
まつってある神社です。
若者たちは十六才のころ、お父さん、お母さんのいる家から出て、日本のため、
自分たちの国と家族をまもるために生命をささげました。
こわかったでしょう、くるしかったでしょう。
でも、若者は勇気をもって死にました。
靖国神社は生命をまつるために建てられた神社です。
戦争でなくなった若者は、誇りをもって靖国の社にいらっしゃいます。
その方々の父親も母親も、日本じゅうの人は、今も、いつまでも、その人たち
の誇りをまもって心をこめて祈りに行きます。
だから、その神社がなくなったら、その方々の魂の誇りはどこへ行きますか。
日本じゅうの人の誇りと考え方と心は、どこにもっていけばいいのですか。
今の日本人の心が私には分りません。
靖国神社は、ブラジル人である私たちにとっても誇りです。
この靖国神社の大切さと、祭られている人を尊敬しない日本人がいることが、わかりません。
そんな日本人を見ると、何だかとてもかなしくなります。
靖国神社、いつまでもいつまでも、世界の、みんなの誇りであって下さい。
その神社は、もう地球上にせんそうがないように、がんばっている人のお手本ですよ。
『日本の皆様、靖国神社を守って下さい』ブラジルの中高生からの手紙
真倫子 川村 編 明成社
1190
:
トキ
:2012/06/16(土) 18:11:47 ID:da4qspKs
実は、「甘露の法雨」についての議論は以上で打ち切るつもりでした。が、谷口雅宣先生が、唐松模様の中で、以下のようなご文章を発表されているので、
お知らせいたします。
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------
生長の家京都支部が製作した折本型経本『聖経』は、雅春先生の2回目の京都旅行の2週間後、昭和10年4月25日が発行日である。ということは、雅春先生御自身がこの経本の編集や製作に関与される機会はあったし、実際に関与されたと考えるのが自然である。それどころか、先生御自身の考えやアイディアがこの『聖経』の編集や体裁に反映されている、と私は考えるのである。なぜなら、この京都版『聖経』における歌や神示の配置、配列、経文の読み方、使用活字の種類などは、後に東京の日本教文社(当時は光明思想普及会)から発行される『聖経 甘露の法雨』と、ほとんど同一といっていいほど変わっていないからだ。つまり、先生は京都で発行されたこの『聖経』の編集や体裁を気に入られ、発行場所や印刷所が変わっても、後々までも、できるだけ同一のものを発行されたのである。ここで私が言う「編集」とは、最初のページに「招神歌」を掲げ、扉ページには先生自筆の「甘露の法雨」の揮毫を入れ、次ページから<『七つの燈台の点燈者』の神示>という表題のもとに「大調和の神示」と「完成の燈台の神示」の2つを入れ、そして聖経の本文へと続き、最後に『実相を観ずる歌』で終わるという流れのことだ。また、「体裁」の中には、表紙デザインとして「雲間から差し込む陽光が、土から伸びる植物の芽を照らす」という図案を使うことも含んでいる。これだけのものが“京都版”と“東京版”で同じであれば、2つの経本の製作ディレクターは同一人物−−谷口雅春先生だと考えねばならない。
(つづく)
1191
:
トキ
:2012/06/16(土) 19:03:14 ID:da4qspKs
現在、甘露の法雨がどこで始まっても、その価値が変わるものではない、と思います。ただ、昨日、私も資料に一通りめを通したので、申し訳ありませんが、以上のご文章には不審に思う点があります。
もし、谷口雅春先生がご発案されたとすると、何故、わざわざ京都の信徒に委託されたのか? という疑問があります。既に本部は東京に移転しており、人材もそろっていました。指事をするのも、
当時の交通事情を考えたら、遠隔地の京都を選ぶのは不自然です。(当時、本部と光明思想普及会は同じ住所にあった)。京都は、教化部も間借りで、東京から本部駐在員が行っていたぐらいの体制
でした。編集には、絶対に京都よりも東京のほうが便利です。
第2に、当時、谷口雅春先生はご自分の計画については、詳細に「明窓浄机」で告知をされておられました。ところが、甘露の法雨については、何も記載がありません。もし、「聖経」のような大事業
を開始されるのなら、「明窓浄机」に掲載されておられるはずです。
第3に、小木虎次郎賞が制定された時に、「明窓浄机」上で、小木博士の功績として、甘露の法雨の聖経化を谷口雅春先生ご自身があげられています。小木博士が亡くなられたのは昭和15年ですから、
当然、関係者の記憶は新しいはずです。
(つづく)
1192
:
トキ
:2012/06/16(土) 19:16:42 ID:da4qspKs
あと、東京と京都の聖経の体裁が同じであるのは、着月先生の証言から説明ができます。
>.然し小木博士、偉らかったね。「返す、あんた持って行き」と云ってですね、紙型とか
材料全部私が抱えて持って、お渡ししたのが理事長先生(中林先生)でした。
当時の印刷は、「紙型」と言って、紙で作った原板を使用しておりました。今のような
デジタル化の時代ではないので、この費用は結構、かかったのです。だとしたら、その紙型
を流用したと考えるのが普通だと思います。
さらに申し上げると、谷口雅宣先生、山ちゃん1952様、私も、当時の事は伝聞でしか知りません。
しかし、聖経が小木虎次郎博士の発案という説は、当時の事を実際に知っている人達の間で言われていた
という話です。私もご両人ほどではありませんが、古い本部講師の方々とも話をしましたが、
聖経が、実は、谷口雅春先生のご発案という話は聞いた事はありません。
これが終戦直後だと、谷口雅春先生が占領軍により「公職追放、執筆禁止」の暴挙により活動が
できなかったので、弟子の名前で神誌にご発表された事もあったと聞いております。しかし、この件
では、谷口雅春先生も関係者も、隠す必要はなかったと思います。
(つづく)
1193
:
トキ
:2012/06/16(土) 19:28:14 ID:da4qspKs
後は、主観的な感想ですが、谷口雅宣先生も山ちゃん1952様も、現在のような、あるいは
百万運動の頃のような、統制が整った組織しかご存知ではないので、「谷口雅春先生がご存知
ないはずがない」と思われたと拝察します。しかし、当時の関係者の話を聞くと、教区により程度の
差はありましたが、「ぬるい」雰囲気で、結構、みんな、好き勝手にしていた、という話を聞きます。
谷口雅宣先生が、突然、甘露の法雨の問題をアップされた背景については、私も感じるところがあり
ます。が、この件は、その問題は別にして、やはり堂々と論じる事が大事だと思います。
合掌 ありがとうございます
1194
:
トキ
:2012/06/16(土) 23:01:08 ID:da4qspKs
山ちゃん1952様が、以上について、丁寧なご返答を下さりました。深く感謝申し上げます。
京都第一教区でも、さすがに戦前の事情を知る人は大半が亡くなられていました。が、探すと、戦前の様子を知る信徒が
おられました。人を介して質問をしたところ、ご返答を頂戴したので、併せてご説明を申し上げます。
先ず、山ちゃん1952様より、「小木寅太郎」と書いたのであり、「小木寅次郎」ではない、とのご指摘がありました。
この点はお詫びします。内務省警保局の資料からの引用だとは気がつきませんでした。
その後、改めて、其の人に質問をし直すと、以下の回答を頂戴しました。
昭和11年に荒川清逸氏がトップにきているのは、荒川氏が最初に誌友会を開いた人だからである、との事でした。その後、
京都支部発足と同時に、初代の京都支部長になられたのは、小木虎次郎先生であり(昭和15年まで)、これは文献で確認できる、
との説明を受けました。「京都誌友相愛会本部」の責任者は、当然、「小木寅太郎」氏ではなく、「小木虎次郎」博士でないと
おかしい、との事でした。
これが、普通の会員なら、「小木寅太郎」あるいは「小木寅次郎」さんが記録に残らない、という可能性はありますが、
京都誌友相愛会本部の責任者にある人が生長の家側の記録に残らないのは、考えられないと思います。
その上で、内務省警保局の資料を考えると、この資料は、当時の京都府警の特高警察の宗教担当者から、いくつかの段階を経て
内務省警保局へ送られたはずです。内務省というのは、当時、化け物みたいなマンモス官庁でしたから、たくさん段階を経て、
中央へ送られたはずです。
戦前から戦後、京都府警の特高警察で、宗教を担当していた銅銀松雄氏の回顧録「最後の特高警察」によれば、当時の特別な監視対象は
本願寺や基督教、大本教等だった様です。生長の家の記述はありませんでした。断言は出来ませんが、厳重な監視対象になっていなかった
と推測できます。
こういう状況を考えると、この「小木寅太郎」さんは、小木虎次郎博士の名前を間違って記入したもの、という可能性があると
思っています。この点、京都の知人が引き続き、調査をするとの事なので、報告があり次第、ご報告申し上げます。
合掌 ありがとうございます
1195
:
トキ
:2012/06/16(土) 23:09:35 ID:da4qspKs
ただ、追加して説明すると、当時の資料でも、憲兵隊資料の価値は低い(結構、荒い捜査をした)
が、特別高等警察の資料の価値は高いのです。「最後の特高警察」を読んでも、人間味のある捜査
をしている、という感想を持ちました。その点も付け加えます。
1196
:
トキ
:2012/06/17(日) 13:41:46 ID:0EM4X07c
京都の友人から情報が入りました。また、飛び入り参加様からも貴重な資料をPDFで頂戴しました。
深く感謝申し上げます。
先ず、昨日、トキが、谷口雅春先生のテープ「甘露の法雨講義」を拝聴すると、第1巻で谷口雅春先生ご自身が肉声で甘露の法雨に
ついて説明をされました。長い時間ですが、要約すると、
1 谷口雅春先生は、ある時期、詩が自然と次々と浮かんだ時期があった。甘露の法雨もその時期に出てきたものである。
2 甘露の法雨は、一回、発表はした(時期は谷口雅春先生ご自身も明確には覚えておられなかった)。
3 その後、他の聖典と同様に発表されたが、一番、人気がなかった。
4 谷口雅春先生は、甘露の法雨をお経にする意思はなかった。
5 甘露の法雨を聖経にしたのは、小木虎次郎博士である。
6 聖経にすると、次々に功徳が現れた。
7 甘露の法雨には、生長の家の教えが完全に縮尺されている。
というものです。このテープは立教50年特別企画ですが、ご講話は昭和29年の本部落慶記念での講演ですから、
この講話がなされた時期には、関係者は多数ご生存で、信頼性は当然高いと思われます。
(つづく)
1197
:
トキ
:2012/06/17(日) 14:01:35 ID:0EM4X07c
次に、飛び入り参加様から頂戴した、「石川芳次郎翁の生涯」によれば、小木虎次郎博士には
3人の兄妹がおり、長男の小木虎次郎博士は祖母の名字「小木」家を継ぎ、小木博士の妹さんの
ふくさんは鈴木家に嫁いで鈴木を名乗り、小木博士の弟(西野計之助)が西野家を相続したので
す。(P58)
以上より、小木博士の兄弟には寅太郎という人はおられなかったと思われます。
次に、生長の家京都光明化50年史から抜粋します。
同書によれば、昭和8年11月22日に荒川清逸氏宅で第1回の誌友会を開催し、以後、京都支部
を荒川氏宅におくこと」になったそうです。その後、昭和9年10月に初代支部長に小木虎次郎博士が
就任、昭和10年1月に支部を石川芳次郎宅へ移転とあります。(146p)
当時はインターネットなどもありませんでしたから、書類の発送、整理に時間がかかったことを考える
と、内務省警保局の資料との時間的な差は説明が可能であると思います。なお、同書には小木虎次郎氏は
登場しても、小木寅太郎という名前はないとの事ですから、おそらく内務省が名前を誤記したものと思い
ます。
(つづく)
1198
:
トキ
:2012/06/17(日) 14:10:38 ID:0EM4X07c
次に、京都の友人から続報が入りました。
当時を知る人に再度、確認をしたが、小木寅太郎という人物には思い当たりはない、との事でした。
今でこそ、相愛会は男性だけの組織ですが、昔は男女ともに糾合した組織でしたから、相愛会は信徒総代の
ような立場だったみたいです。
なお、小木虎次郎博士、石川芳次郎先生の子孫の方で地方講師の方はおられるので、その方に確認をすれば
より正確な事はわかるが、と言われましたが、身元秘匿のため、断念しました。
以上、簡単ですが、宜しくお願いします。
合掌 ありがとうございます
1199
:
トキ
:2012/06/17(日) 21:50:23 ID:/qyhk4ts
昨日は、原子力発電所の再稼働というニュースがあったのにもかかわらず、谷口雅宣先生の唐松模様の
話題は、甘露の法雨の聖経の歴史でありました。それだけ、雅宣先生が、この問題に強い関心をお持ちで
あるという事は言えるでしょう。
言うまでもなく、間もなく最高裁判所の決定が出ます。おそらくは教団側に極めて不利な判決が予想され
ます。そうなると、残念ですが、甘露の法雨なども教団側が販売する事が難しくなります。
この時期に、谷口雅宣先生がこの問題を論じ、かつ、内容を従来の”定説”とは違う「甘露の法雨は谷口雅春先生
のご指導で聖経とされた」という新しい説を唱えられたのは、賛成は出来ませんが、理解はできます。それは
甘露の法雨が、信徒の自発的は発案により始まった、という事になれば、大自然讃歌や観世音菩薩讃歌を「聖経」
に准ずるものにすることが難しくなるからです。対して、総裁のご指導の下、聖経読誦という行が始まったとす
るならば、総裁のご指導の下、新しい聖経を制定するのも論理としては可能になります。
雅宣先生のご心境は苦しい立場だと思いますが、この「新説」は、かなり無理がある、というのが私の考えで
あります。と、言うよりも、本流復活派が過去の「神誌」を片端から調べたら、おそらく容易に反証が可能だと
予想しております。
それにもかかわらず、今回、谷口雅宣先生が、生長の家の歴史を正面から論じられたのは、大いに歓迎すべ
きだと思います。現在の路線を維持するにしろ、変更するにしろ、過去の歴史を検証した上で、議論をすべき
だと私は信じているからです。
1200
:
トキ
:2012/06/17(日) 21:57:49 ID:/qyhk4ts
それと同時に、今回、昔の生長の家の文献などを読み直し、かってご指導を頂戴した谷口雅春先生の直弟子の
先生方のお顔を思い出しました。今、神界から、現在の生長の家の様子をご覧になり、嘆いておられると思いま
す。
それにつけても、谷口雅春先生の度量の大きさ、魂の自由さを改めて感じました。甘露の法雨もそうですが、現在
行われている「笑いの練習」「浄心行」も弟子の発案であったはずです。それを受容する態度は実にご立派だと思い
ます。
山ちゃん1952様は、青年会幹部による「実相観法」事件をご記憶だと思います。あの事件には議論がありますが、
時代を経るにつれ、難しくなりますね。
また、信徒同志が家族のように仲が良かった、というのもよく聞きました。そういうのも薄くなり、残念です。
1201
:
トキ
:2012/06/17(日) 22:01:00 ID:/qyhk4ts
以下は私の考えですが、昔の事を調べる、というのは、昔の通りにする、というのとは別の事だと思うのです。
例えば、昔、零戦という戦闘機がありました。あれは、あの当時なら良い戦闘機でした。が、今は時代が違う
のでつかいません。
それと同じく、昔の事を学ぶ、というのは、昔の通りにするのではなく、その精神を学び、また反省の材料に
するべきだと思うのです。
この点、本流復活派は、真面目に過去の文献を調査されているのは立派だと思います。教団側も今からでも良い
ので、歴史というものを正面から見つめ直す時期に来ていると思うのです。
合掌 ありがとうございます
1202
:
SAKURA
:2012/06/17(日) 22:21:50 ID:V.pKl3yA
トキ様 へ
観覧者様 へ
こんばんは… ロ−マ字の【SAKURA】で〜〜す。
■【甘露の法雨】…
先日より「雅宣総裁先生…ブログ拝読」して…当時の流れ〜♫〜少し私なりに…
把握させて頂きました…。
勿論「生命の実相」にも一部掲載されていましたが…
■今回「昨日よりの“トキ様”の投稿“内容”にて…
更に詳しく把握することが出来ました…。ありがとうございます…。
>>1181
>>1182
>>1183
>>1184
>>1185
>>1188
>>1190
>>1191
>>1192
>>1193
>>1194
>>
>>1195
>>1196
>>1197
>>1198
関連投稿を拝読させて頂きながら…
その中で
>>1181
の中から…
■>…その後昭和10年の雅春先生の記載された「編集だより9月号」に「一回の読誦で近眼が消える」という記載があります。すでにその頃から『甘露の法雨』の功徳が現われていたのです。< (一部抜粋)
聖経でも、これだけ功徳があるのなら…そうなのですよ〜〜ネ!
【一回の読誦で近眼が消える」という記載があります…】
これは、私自身も“パソコン”…も含めまして…
現代社会では“眼を使う事!”その機会が、多くなりました現状…【功徳…】凄いです。
■話はブレイクしますが…
今から?15年前前後〜〜><でしたかしら〜〜ン!
当時【長崎で開催されました現総裁先生の講習会…】の事なのですが〜〜♫〜〜
偶然隣の席の“素敵な御年配の女性”
そうです〜〜ネ!当時“80歳”越していらっしゃいましたか〜〜!!
(熱心な方で…確か?教員職でしたとか?おっしゃつていましたが…)
“ビックリ”した事が…それは?
「私の近眼…なおったのです〜〜ョ!ある時「生命の実相」読みましたの〜〜!!
それで!素直に“近視が治る!!”という事で「甘露の法雨」一心に読誦してみると?
本当に治ったんです〜〜ョ!」…この事を思い出しました…。
当時は、私も“そうな〜〜ンだ〜〜ワ”と、安易な気持ちでいたかと…
今思いますと…その女性の方…『心がクリ−ン』でしたのでしょう??
■今の私の課題???【聴力戻る〜〜〜の?】この様な素直な気持ちです…。
そして…戦争という悲惨な時期がありましたが…
それでも当時の人々の“心…”は…
■現総裁雅宣先生のおっしゃつております【四無量心…仏の心】
つまり【 慈 ・ 非 ・ 喜 ・ 捨 】の実践をされていたからこそ…
それは「神の御心」に叶うものでしたから…【功徳…】があったのでしょう〜〜♫〜〜
■■愛せよ。少しも求めずに愛せよ。これが愛の秘訣である。
こんなに愛してやっているのに相手はこうだと非難するな。呟くな。
愛は結果がどうなるからとて愛するのであってはならない。
愛すること、そのことが神の道だから愛するのだ。
愛すること其のことが幸福だから愛するのだ。
結果をもとめた愛は必ず不幸に終る。…… (一部抜粋)
当時の【信者の方々】は…
■自分がしたのではない神とともなる時、おのずから出来た愛であるから、『自分がした』と
云う感じが少しもない。
当に…自他一体…人々を【救済=光明化】この事が…【功徳としての“奇蹟”…】が…
多かったのでしょう…!!
私も益々【生長の家…生長しようとしている家=私自身の成長】
改めまして【甘露の法雨…】の当時の流れを教えて頂きながら…感じました次第です。
ありがとうございます…。「トキ様」へ…
再合掌
1203
:
みすまる
:2012/06/17(日) 23:25:43 ID:CIur6abI
1199のトキ様のご発言を読ませていただいて…
山ちゃんさまの、本流掲示板でのご文章や、トキ様の発言を見させていただき、大変勉強になりました。本当にありがとうございます。
これは総裁に申し上げたいことです。
嘘はいけない。大罪にしか他なりません。
数多くの雅春先生のご著書を絶版にしていることから
あなたは、自分のエゴを押し通すためだけに総裁の椅子に座っていると言われても、おかしくない。
歴史を真実を正しく伝えるべきです。
補強詩を聖経にしたいだけの、説明をブログで述べるのは
信徒をバカにしています。
生長の家とは高天原にまします、うちゅうの真理…古事記そのものを学ぶところであります。
総裁に申し上げたい。あなたのされようとしていることは、宇宙の真理に反することではないかと。
嘘はいけない。
1205
:
トキ
:2012/06/18(月) 09:45:43 ID:NHn0W01U
山ちゃん1952様
ご丁寧なお返事、ありがとうございました。
お詫びと訂正です。小生が調査を依頼した友人は、個人的な友人です。
生長の家京都教化部ではありません。今回の件に限らず、生長の家京都教化部とは一切、連絡を
取っていません。当方の表現が誤解を生むものであったと思います。
申し訳ありませんでした。
合掌 ありがとうございます
トキ
1206
:
神の子さん
:2012/06/18(月) 10:24:14 ID:???
転載します。
御足労かけました。NEW (10365)
日時:2012年06月17日 (日) 23時08分
名前:山ちゃん1952
下記は重要な資料となります。それは出処が明らかな事実だと思います。
トキ様の尽力で少し光明が明らかになったと思います。それは『聖経 甘露の法雨』の出版までの経緯である。
雅宣総裁の自ら書いた推論が間違っていたことです。
何故、そういう重要な件を総裁一人で行うのか私は不思議です。トキ様は京都教化部に電話連絡してその経緯を明らかにしました。総裁が「唐松模様」で下記のように記載している。
>「甘露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言える。<
と記載している。穿った見方をすれば、谷口雅春先生の許可なしには書物は発行できないということです。
トキ様の京都教化部からの連絡では
谷口雅春先生のテープ「甘露の法雨講義」を拝聴すると、第1巻で谷口雅春先生ご自身が肉声で甘露の法雨に
ついて説明をされました。長い時間ですが、要約すると、
1 谷口雅春先生は、ある時期、詩が自然と次々と浮かんだ時期があった。甘露の法雨もその時期に出てきたものである。
2 甘露の法雨は、一回、発表はした(時期は谷口雅春先生ご自身も明確には覚えておられなかった)。
3 その後、他の聖典と同様に発表されたが、一番、人気がなかった。
4 谷口雅春先生は、甘露の法雨をお経にする意思はなかった。
5 甘露の法雨を聖経にしたのは、小木虎次郎博士である。
6 聖経にすると、次々に功徳が現れた。
7 甘露の法雨には、生長の家の教えが完全に縮尺されている。
というものです。このテープは立教50年特別企画ですが、ご講話は昭和29年の本部落慶記念での講演ですから、この講話がなされた時期には、関係者は多数ご生存で、信頼性は当然高いと思われます。
それと「小木寅太郎」というのは何回もいいますように、内務省警保局の資料ですから、間違いといわれれば、それ以上の反論はできません。それはそれに反論する資料を持ち合わせていないからです。
ただ出来れば、多くの資料を持ち合わさなければならないが、ほとんどが絶版になっていますから今から難しい。
御足労をかけたトキ様、ありがとうございます。
次にでた「唐松模様」の経本にしないと書いていて、結局は経本にするのはいけません。
>「聖経に取って代わるもの」を意図していない。諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている。<唐松模様5月27日
この言葉は今回の
>「観世音菩薩讃歌」という長編詩も書かせていただきました。今度この長編詩が「大自然讃歌」と共に折り本型の経本として出版されることになりましたので、皆さんには是非、ご愛用いただきたいのであります。<唐松模様6月17日
聖経ではない経本であるという屁理屈が通用するかどうかである。
1207
:
トキ
:2012/06/18(月) 10:25:34 ID:NHn0W01U
追伸です。
今回、私が谷口雅宣先生のご発表を否定する内容の投稿をした点は、総裁や総裁を支持する人達からは、裏切り行為であると
受け取られると思います。しかし、今回の総裁の聖経についてのご発表は、公刊されている資料からでも十分に反証が可能であ
ります。この話が単行本になるなどして、広まってから論破されたら傷が深くなります。ならば、早い段階にご指摘申し上げる
のが、愛であると思います。
次に、おそらく、総裁ご自身が調べただけでなく、スタッフに調査を命じたと想像しております。しかし、今の幹部や職員は
生長の家の歴史には詳しい人は少ないです。そういう人達が慌てて30年史や40年史を引っ張りだして調べても、正確なところ
はわからないでしょう。また、仮に分かったとしても、今の本部の雰囲気では、総裁のご意向に逆らう内容の報告はしにくいと
推測されます。
なお、谷口雅春先生の光明テープ「甘露の法雨講義」は、たいへん素晴らしい内容です。ぜひ、お聞き下さい。
合掌 ありがとうございます
1208
:
トキ
:2012/06/18(月) 10:35:56 ID:NHn0W01U
もう一つ、付け加えると、昭和7年の段階で「聖経」とあった点が、テープを拝聴して感じた事がありました。
それは、谷口雅春先生ご自身が、最初に発表した時期に言及するさいに「何年ころ」という表現をされたのです。
谷口雅春先生はとても頭の良い先生でしたが、時期すら曖昧だったなら、聖経と命名されたのが曖昧になったとし
ても不思議ではありません。また、甘露の法雨自体が、霊感で書かれたものだとしたら、ご命名も霊感によりもので
あり、谷口雅春先生がそれをお忘れになられても、当然かもしれません。
以上は推測です。
合掌 ありがとうございます
1209
:
トキ
:2012/06/19(火) 14:48:00 ID:tLG2kBs2
以前、紹介した「最後の特高警察」という本は生長の家の歴史には触れていませんが、
大本教については貴重な資料です。筆者は京都府警の特別高等警察の刑事でしたが、本願寺や同志社、
大本教の出口一族などの監視を担当しておりましたが、監視しているうちに監視対象者と仲良くなり、
監視対象者に困った事があると、解決に一肌脱いだりしています。おかげで、出口王仁三郎の奥様の
出口澄さんが亡くなられると、昇殿参拝を許されています。こういう点は、公式の記録に現れない
話です。
同様に、生長の家の過去の出来事でも、公式論では言い切れない部分はたくさんあります。
それは人間がすることですから、やはり感情がからからです。そういう点は痛感しますね。
1210
:
うのはな
:2012/06/23(土) 17:18:42 ID:gTn97m6I
公の場であることを理解し、自主アク禁してください。
それが嫌ならば、誹謗中傷はおやめください。
解説者さんや皆様に補足しておきますが、
訊け氏は病人のためだとかいって、ここで苦情が出るくらい漫才やシモネタや
おかしなマンガ絵みたいなものを掲載されていたことがあります。
そのときの漫才なんたら、でここの女子会版でほかの女性投稿者とぶつかり、
おかしなマンガ絵が発端で、ここにはリサさんからも注意されました。
本流規約がどうたらと自分に警告文がなかったからと、そんな議論に志恩さんを
巻き込んだり、逃げられたとか書いていました。
部室版1ができたころも、マンガを書いて、ここでは一番くだらない話をする人が
優勝しますとか、そんな意味のことを書かれていました。
女神の部屋は訊け氏に責任がないようです。
そんな訊け氏のブログ投稿者のことで、「誌友会に参加しない旨」を何回も表明しても、
訊け氏は議論の妨害はもうはじまっている、リサさんは参加するといっていたのに参加しなかったとか、
ほかの人を巻き込んで説明していました。
1211
:
うのはな
:2012/06/23(土) 17:52:37 ID:gTn97m6I
>公の場であることを理解し、自主アク禁してください。
それが嫌ならば、誹謗中傷はおやめください。<
そして、私がローマ字さくらさんからの投稿に迷惑したこともあり、あるとき
彼女の投稿に文句をいうと、訊け氏は「歯に衣を着せぬいいかたは中学生じゃないか」
というような文句をいってきて、そのご、わたしとほかの人との会話の横にきて
ローマ字さくらさんに謝らないのかとしつこく攻撃してきました。
それ以外の人のことでも、その人たちが何も反論していないうちから、「攻撃だ」
とか、なにかと私の投稿を攻撃妨害しています。
管理人さんから以前、訊け氏に直接話さないで、いったん、管理人を間においたほうがいいのでは
と助言されたことを伝えても、また、管理人さんとメル友みたいだから、私への苦情はトキさんに
相談したらどうかなど何回かいっても、こないだも、ルンルンさんの弁護をします、
カチンときたとかそんな調子です。
クレームブログでも女神の部屋でもこの掲示板でも、訊け氏には関係ない話、別に誰かの誹謗でもない話まで
転載され、なんだかんだといわれました。
1212
:
「訊け」管理人
:2012/06/23(土) 18:00:52 ID:???
うのはなさんに拠ります「無実の人間に対する」ハラスメント行為(以下:「うのハラ」と略記)及び、公の場を個人的報復の場としてしまう投稿行動ですが、当分終りそうにありません。ですので再度、以下を確認しようと思います。
●「訊け」管理人への誹謗中傷は、自由に行ってください。(ただし場所は、訊けブログになります)
● 無実の人間へのハラスメント行為は、止めてください。(理由があれば別です)
・・・私個人への誹謗中傷は、自由です。ただし場所は「訊けブログ」にしてください。それもイヤならばもう、貴女のブログか掲示板を運営なさってください。そこで行う分には自由です。ですが、トキ掲示板で行うのは今後一切、控えてください。理由は、「他の公論を妨害しているから」になります。
この「妨害」の意味を念のため補足しておきます。この妨害とは、「公の場で個人的苦情を(延々と)掲載」している人、これは「迷惑になるのだ」という意味になります。(分かりますよね?こんな説明で)たとえば「組織云々」「信仰云々」のやり取りを行っている際、突如として「○○さんの人格は云々」などという話が開始されるのは、公論の妨害になるのです。(意味不明ならば、質問してください。いきなり斬りかかるのではなく・・・)うのハラは特定投稿者のみならず、他投稿者の時間までも殺してしまっているのです。その点へのご配慮をお願いします。
・・・・また無実の人間へのハラスメント行為。これは「言語道断」としましょう。世間では「一発退場」が普通相場です。下品な言葉を反復されながら今回、貴女は無実の人間に対し「通院を余儀なく」なされました。この行為の不当性は、もう説明を要するものでは「ない」と考えます。(それでも貴女側に正当性があるとお考えですか?それならば堂々受けますよ、その話。ですので論点を外すことなくやり取り、早急に開始しようではありませんか)
拜
追伸
以降のやり取りはコチラまで。
理由は、「キケテリアへの苦情」だからです。この、キケテリアへの苦情をトキドナルドに寄せる行為はこれ、世間では・・・・なんと称すればよいのか不明です。ただし、相当にバカバカしい行為であることには、間違いありません。現時点でせめて、この点への内省を希望するものであります。
○ 卯の花学園×訊商業
http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65667825.html
#comments
「それはお断りです」が返答でしょうか?それならば貴女に残された選択肢は、以下ふたつです。
1)メールで苦情する。
2)自分のブログか掲示板運営を開始する。
再拝
1213
:
うのはな
:2012/06/24(日) 15:53:23 ID:gTn97m6I
ぼくは、さまざまな仕事を持っています。
意図してそうなったのでは、ありません。ぼくなりに、ささやかに祖国の助けになることを
模索するうち、自然と、こうなりました。しかし根っこは、物書きです。
ところが、ここ二年半ほど一冊の本も出すことができませんでした。
そのわけは、九割がた、とにもかくにも書く時間を確保できなかったことにあります。
しかし一割は、別の理由です。そして、たったの一割とは言いながら、重い石のようにのしかかる苦渋でした。
その石が、実はこの「ぼくらの祖国」だったのです。
この本を仕上げられないために、物書きとして他の著作も、頭の中にはすでにありながら、すべて凍りついて止まっていました。
なぜ仕上げられなかったのか。
まず、パーソナル・コンピューターのなかの原稿ファイルが、二度にわたりバックアップまで含めて完全に壊れるという不思議な
トラブルから始まりました。
ほかの原稿は一切、何の被害もありません。狙い撃ちされていると言うほか、ありませんでした。
警察庁の外事情報部が関心を寄せる事態でした。
さらに実母と義母の介護問題が発生し、そして義母の死があり、そのうえに四つの病(尿菅結石、重症肺炎、大腸癌、腸閉塞)が連続して
起きて、二度にわたり死に神の笑う歯が見えるほど死に近づき、退院後も、腹の底から地獄へ引っ張られるような体調不良との戦いが続き、そこに
東日本大震災と福島原子力災害が重なり実務家としての奔走が始まったことがありました。
これらも、次から次へと重なった困難ではありましたが、それらを別にして執筆そのものの難しさは、読者対象をどこに絞るかにありました。
この書を書く最初のきっかけは、本文中でもお話ししたとおり、若いお母さんの「子供に読ませる本、祖国を教える本がない」という訴えでした。
このお母さんの願いは、ただ単に子供に与える本ではなく、子供自身も読むことができるし、その子供の親や教師や、子供の周りにいる大人たちも読むこと
のできる本、ということなのではないかと思いました。
つづく
『ぼくらの祖国』 青山繁晴 著
1214
:
金木犀
:2012/06/24(日) 22:59:36 ID:qMq2iFMk
うのはな様
『ぼくらの祖国』の序文ですか。有難うございます。そういえば体調不良だとい仰っていたことが
ありましたね。心配しましたが、その後平常に戻られたようで、ホッとしていましたが、いろいろなことが
あったのですね。
青山さんは、反日勢力からもいろいろな工作を受けておられるのでしょう。気をつけて欲しいですね。
つづき待っています。
1215
:
うのはな
:2012/06/24(日) 23:26:22 ID:gTn97m6I
1213 つづき
となると、明らかに新しい試みです。これまでなかった本を書こうとするのは、
意気あがる愉しい試技だけど、簡単ではありません。
しかし、文章を書くとは、不思議な力業です。苦しみの果てに、みんなそれぞれに話かける
ように書けばいいんだと気づきました。
それは、こういうことです。....長雨がふと、やんだ一夜、ぼくの周りに、子供も親も教師も、
いろんな大人たちも車座になってくれている。ぼくが中心というわけじゃない。
座の中心は、あかあかと燃える薪の火です。
ぼくは自在に、火のまわりを歩きながら、子供の眼を覗き込んで話すこともあれば、親とビール片手に
話もする。教師とはなぜか、指相撲もしちゃう。男女のティーンから山のような質問をどんどん受けていったり、
正体不明の大人と向き合ったもする。
これでいいんだ。こんな本だ。たったそれだけもことに気づいただけで、一気に仕上がりました。
ただし、その原稿を仕上げていくあいだ四週間を越えて、ベッドにも蒲団にもほとんど入らない生活には、なりました。
生きているのが、ちょっとだけ不思議。やっぱりこれは、ふしぎの本です。
突破口のひとつは、次の書き込みでした。
ぼくには地味な個人ブログがあります。そこへの書き込みです。
(前略)青山さんには一度説教をしたいと思っておりました。貴方は日本のために
生き残らねばならないと思います。
お礼を言わねばならない事柄がありますので、お時間があれば読んでください。
すぐ終わります。友人のニートがいます。そいつは政治に絶望し日本に絶望し自らの将来にも
絶望していました。アニメにしか興味がなく政治なんてどうでも良いと考えている男だったのです。
彼を何とかしようと友人たちが色々なことをしましたがだめでした。私が青山さんの動画をみせると、最初は
興味なさそうにしていましたが、アンカーを数回見せると、青山さんの話だけは興味を持ち、自らの小さいながらも
使命に目覚めたようです。さくらんぼ農家の長男である彼は、日本を諦めないことに決めたようです。(原文のまま)
ミスター・さくらんぼとその友人が「語ってくれ、俺たちも車座に入るよ」と勇気づけてくれたのです。
つづく
1216
:
うのはな
:2012/06/24(日) 23:40:42 ID:gTn97m6I
1215つづき
今ぼくは、冬のサンフランシスコに向かう機中にあります。資源エネルギー・
環境・宇宙をめぐる国際学会に参加します。日本時間の二〇一一年十二月五日の深夜です。
この月の二十七日に出る本の原稿を、こうして機中でまだ書いているのです。それでもきっと、
ちゃんと書店に並ぶでしょう。編集の田中亨さんをはじめ扶桑社のサポートは、常識をはるかに
ぶっ飛ばした、夢のようなものです。生涯忘れることはありません。
そして現在は、シスコのホテルで、ついに、すべての執筆とゲラの手直しが終わります。
ほんとうに書店に並びます。日本時間の十二月八日の未明です。発刊日まで、あと十九日しかありません。
ひょっとしたら、日本出版界の記録かな。
ふしぎにも、真珠湾攻撃の日に重なりました。シスコ時間では、七日の早朝です。
つまり、またしても徹夜となり、雲の上に浮いているような、心身です。
しかし、それでいて体力の復調をいま、はっきり感じています。物書きには、書物が出るのが、いちばんの
燃料注入なんでしょう。
そして書物は、書き手がその手を放した瞬間から、公器です。
どうそ、小さなお役に立ちますように。
青山繁晴 拝
1217
:
金木犀
:2012/06/25(月) 00:49:56 ID:qMq2iFMk
うのはな様
きっとこのような感じで出来上がる書物は、皆きっと霊界からの啓示が
送られてきているのでしょうね。青山さんならば、きっと啓示を受ける受信機を
お持ちでしょう。なんだか読みたくなりますね。読んでどこかに寄贈したいですね。
1218
:
うのはな
:2012/06/25(月) 10:45:43 ID:gTn97m6I
世界の愛国教育事情
http://youtu.be/gPJHMkhUOC4
1219
:
うのはな
:2012/06/25(月) 10:51:18 ID:gTn97m6I
金木犀さんにはこちらのほうが興味があるかも
家族と憲法無効論 南出喜久治 先生
http://youtu.be/XR7uB429FFc
1220
:
金木犀
:2012/06/25(月) 13:27:07 ID:qMq2iFMk
南出弁護士のサイトも少し読んだり、動画も、時々イノシシさんのところで見せてもらったり、
何かあれば知らせてくれる人がいて、先日も憲法無効の請願の集会と、
都議会の石原都知事と土屋議員の質疑応答の動画を、知らせてくれた人がいて、
それを見ました。この動画は、見たかも知れないように思いますが、
似たものを見ただけかも知れません。とにかくもう一度見てみますね。
請願の集会は、西田議員や吉水神社の宮司やDr.中松など6,7人くらいの人が
意見をのべてましたが、皆非常に素晴らしかったですね。
こういうのを見ると、教団とか本流とかに関係なく、今の生長の家より
はるかに実行力や国への思いが強いという気がします。
日本の実相顕現に向けて、着実に一歩一歩進んでいっているのは、こうした人々だと
感じます。そして、この人々の中には、おそらく雅春先生の教えを受けた人が
混じっているように感じます。
それにしても、南出弁護士って、なんか天才的です。みっちりと理論的に物を考えて
行政理論なども様々なアイデアを出されていて、感心します。副業が弁護士で、
本業が社会改革運動家、思想家とか仰ってましたが、まさにその通りな感じです。
時代が必要として、それに合わせて生まれて来た人という感じがしますね。
1221
:
うのはな
:2012/06/25(月) 14:16:24 ID:gTn97m6I
金木犀さま
わたしが勝手に選んで貼っているものですから、生真面目に観なくちゃいけないと
思い込まないで下いね(笑)ひまなときにでも、気が向いたらみてください。
パール博士の顕彰碑
http://youtu.be/gfhUIwZgcUg
1222
:
金木犀
:2012/06/25(月) 18:20:19 ID:qMq2iFMk
うのはな様
パール博士、ほんとに尊敬しますね。何度も来日されて、日本の戦後の自虐史観を
我が事のように嘆いて憤って下さって、日本人はパール博士の恩を絶対忘れてはいけないですね。
ところで最近沖縄の基地に配備されるオスプレイが性能不良のような報道されていますが、たいていの事故は
操作が未熟な操縦士が訓練時におきていたりで、操作が難しい部分があるものの、別に不良なわけではないようです。
辺境の島与那国では、警官が二人しかいなくて、有事の際に警官二人ではどうにもならず、かなり不安が広がっているようです。
オスプレイならば、沖縄から与那国まで、四十分で到着するのに、仮に自衛隊が配備されたとしても、輸送機の入札から始まって、なんだかんだで、
一週間かかるという話です。オスプレイの行動半径は700Kmです。
尖閣諸島がシナとの取り合いになった時にも支那より先に到着できます。
シナ軍は、このオスプレイの配備を非常に嫌がっているはずです。
そのために、左翼を動員して、住民票を移させたりと、いろいろやっているようです。
恵さんが言っていますが、恵さんのような保守系の活動家は身銭を切ってやっているのに、左翼は
非常に資金が豊富だそうです。集会なども本土から人手をすぐに集めて、横断幕も立派なものを
つくって持って来るし、何処からか貸金が提供されているらしいとのことです。
http://youtu.be/fNcL6JQTfbQ
【惠輶之介】島嶼防衛最前線〜与那国の今[桜H24/6/21]
1223
:
金木犀
:2012/06/27(水) 13:20:01 ID:qMq2iFMk
英国の震災支援者らと懇談=両陛下、迅速な救助などに謝意
【ロンドン時事】英国公式訪問中の天皇、皇后両陛下は17日午後(日本時間18日未明)、東日本大震災を受け被災地での救助や募金などさまざまな支援活動に当たった英国関係者らと日本大使館で懇談し、謝意を伝えられた。天皇陛下は冒頭、「被災者のために、多岐にわたる貴重な救援活動を迅速に実施されたことは、誠に心励まされることでした」と英語であいさつし、一人一人と会話を交わした。時事通信 (Web)2012年5月18日付記事より参照のため抜粋引用/
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気さくに人々に接せられる両陛下
被災地への度々の行幸啓に拝見できるお姿ながら、両陛下は、いずこに御足を運ばれても、気さくに、率直に人々に接せられる。海外におかれても変わらず。さればこそ、両陛下に接せられた人々の多くは、たとえ海外の方で有っても日本が大好きになる。
表題にも、「世界的なファッションデザイナー、ポール・スミス氏(65)」は、「震災後すぐに日本を訪れたり、寄付を呼び掛けたりした」と。さらに、「陛下から、多くの外国人が急いで日本を離れる中での訪日に感銘を受けたと言葉を掛けられたという」と記している。過去、陛下に接せられたことが有る西欧の方々のご自宅を訪問したことが少なからず有るが、陛下との写真を居間に飾られ、中には、日の丸の小旗スタンドを併せて飾っておられる方々もおられた。
たとえ首相が誰になろうとも、海外の心有る方々にとっては、両陛下おわす日本との認識は変わない。有り難いことである。
----------
事務所に写真を飾る事業者も
たとえば、欧州のアパレルメーカーの創業者もまたその一人であった。当時から、日本ではさほど知られた企業ではなかったのかもしれないが、自国では時たまテレビにも登場する名士の一人であった。
陛下が同氏と握手せられる写真を額に入れ、ご自身の事務所や工場の玄関にも掲げられていたのことを、ふとした見学の機会に目の当たりにさせていただいことがあった。同氏は、「日本が大好きです」と。さらに、「私は、日本の天皇陛下に握手していただいた幸せ者です。とても嬉しかった。この幸運を忘れないように、社員の皆に分けて上げたい気持で会社にも飾っています」と語っておられたことを、時折思い出す。
平成24年5月18日
博士の独り言
1224
:
うのはな
:2012/06/27(水) 21:07:54 ID:gTn97m6I
タカミムスヒノミコト
タカミムスヒノミコト、まず天武天皇によって最初に神宮に祭られた神ですが、
われわれからは全く遠い存在、忘れられてしまっている神です。この神はどんな神だったのでしょうか。
タカミムスヒノミコトは、『書紀』では高皇産霊尊と表記されています。
『古事記』では、高御産巣日神と、日神と表記されています。
しかしまた別名があって、高木神ともあります。『山城国風土記』(逸文)には、
「天照高弥牟須比命」(あまてらすたかみむすひのみこと)と、はっきり「天照」と
名前に冠せられた太陽神として書かれています。
タカミムスヒは、天孫降臨の場面では、天孫降臨の命令を下すという大役を果たす神です。
タカミムスヒは、出雲を平定し、出雲国に国譲りをさせ、地上を安泰にしてから天孫を降臨させた神です。
『書紀』の本文(「神代下、第九段」)を引用しておきます。
時に、高皇産霊尊、真床追襖を以て、皇孫天津彦彦瓊瓊杵尊に覆ひて、降りまさしむ。
『書紀』の本文は、天孫を降臨させた際の司令神は、タカミムスヒとしています。
天照大神としているのは本文ではなくて一書です。
「出雲国造神賀詞」にも、
高天原の神王、高御魂の命の、皇御孫の命に天の下大八島国を事避さしまつりし時に.....
とあります。タカミムスヒが皇祖となっています。「出雲国造神賀詞」というのは、出雲の国造が、
代替わりの新任の際に、大和朝廷への服従の誓いをして、朝廷に申し上げる祝言、というものです。
天孫降臨を主導したのは天照大神だと、一般的には誰もが思っているでしょう。しかし、右に見たように、
天孫降臨を司令した神はタカミムスヒでした。「高天原」の主宰神、つまり皇祖神はこのタカミムスヒでした。
「高天原」の主宰神が、タカミムスヒからアマテラスに変化したのです。
上田正昭は「タカミムスヒのほうが、アマテラスオオミカミにさきだつ皇祖神であった」と説明しています。
岡田精司も、タカミムスヒを「大王家の祖神の位置にあった」としています。
大系本『日本書紀』を見ますと「葦原中つ国に将軍や皇孫を降す人は常に高皇産霊尊であって天照大神ではない。
(中略)また記では高皇産霊神とともに天照大神が中心である」と書いています。
『伊勢神宮の源流を探る』 江口 洌 著
1225
:
金木犀
:2012/06/28(木) 00:10:55 ID:qMq2iFMk
歴史に対する健全な興味が喚起できなければ、歴史に関する情操の陶冶ということも空言でしょう。歴史に関する情操が陶冶されぬところに、国体観念などというものを吹き込み用がありますまい。国体観念というものは、かくかくのものと聞いて、なるほどそういうものと合点するような観念ではない。ぼくらの自国の歴史への愛情の裡にだけ生きている観念です。他では死ぬばかりです。
かつて唯物史観というものが、思想界を非常な勢いで動かしたことがあった。歴史という言葉が、世間で急にありがたがられだしたのはその時以来のことです。物を歴史的に見ない者は馬鹿だということになったわけで、世人の歴史的関心が高まったなどとしきりに言われたものですが、歴史に対する健全な興味が、けっして人々の間に換起されたわけではなかった。いや、かえって、歴史歴史という呼び声の陰に、本当の歴史は紛失してしまった、と言った方がよいかもしれぬ。人々の歴史的関心が高まったという妙な言葉の実際の意味は、人々はもう歴史という色眼鏡を通さなくては、何一つ見ることができなくなってしまったということであった、そう言った方がいいかもしれませぬ。
こういう逆説めいた光景は、何時の時代にもあったようで、気が付く者には気が付いていた。「その物につきて、その物を費やしそこなふもの、数を知らずあり、身に虱あり、家に鼠あり、国に賊あり、小人に財あり、君子に仁義あり、僧に法あり」そういう言葉が徒然草にもある。兼好が、今日生きていたなら、「歴史家に史観あり」と書いたかもしれぬ。兼好は、きいたふうな皮肉を言っているわけではない。ああいう隠者の人生を眺める眼は、よほど確かで冴えていたのであって、彼は、見たままを率直に語ったにすぎないのであります。いったい、思想とか、主義とかを説く人間の顔つきや身振りがはっきりと見えている人にとっては、主義や思想のからくりそのものは、いっこうおもしろくないものだが、そういうからくりをおもしろがるひと、つまり主義や思想の理論上の構造を盲信する人は、主義や思想が、どういうふうに説かれ、どういうふうに受け取られるか、その場合場合の人々の表情なり姿態なりにはいっこう気のつかぬものです。むろん、当人も自分の顔つきなどには気がつかぬ。したがって自分が十五銭とふんだ思想は、他人にもまさしく十五銭で通用するという妄想から逃れにくい。またしたがって、そういう人には、さまざまなイデオロギーというものが鯛や比目魚のようにそれぞれ、はっきりした恰好で、歴史の大海を泳ぎまわっているように見える。歴史の実景に接しているつもりであろうが、実は、歴史の地図を読んでいるにすぎないのであります。
「歴史と文学」
1226
:
うのはな
:2012/06/28(木) 17:02:48 ID:gTn97m6I
『生長の家とは如何なるものか』 編者のことば
「生長の家とは如何なるものか」この問ほど易しく、そして難しいものもないでしょう。
『生命の實相』を読めば、これまで信じていた信仰のまま、その教えがもっとよく判る、といいます。
“ねばならぬ”はない、と言って当り前を当り前に生活することを教えます。
神の子人間、三界は心の影、大調和....人・時・処に応じ、さまざまの解釈がなされます。
そして多くの人が魂が救われ、幸せな生活に目覚めていっています。
家庭問題、人間関係の悩みで生長の家にふれ、救われた人は、その面の印象が強いでしょう。
健康問題で生長の家に入った人は、特にその面から強く生長の家を考える傾向があります。
仏教、キリスト教の面もあり、教育、政治の面で強く結びついている人もあります。
最初に読んだ聖典、導いていただいた方の影響が、いつまでも残っているものです。
生長の家は、人生・社会...一切の解決を含んだ愛の教えであり、更にそれらの現象なしと断ち切る万教帰一の
超宗教であります。しかしながら、“群盲像を撫でる”のたとえではありませんが、真理に完全に眼の開かない者にとっては、
今、或いはこれまでにふれた部分を以て全体と想い、「生長の家はすでに判った」と安易に考えがちです。
果してそれで宜しいのでしょうか。
もとよりそれの解決ー実相の把握をめざして、私たち皆は日夜精進しております。富士登山の如く、登り口はそれぞれ異っても、一歩一歩
頂上をめざし、自らの脚をもって登っております。そこに、より広い視野、真理の全貌が開けて参ります。
登山には頂上がありますが、私たちの道には終着点はありません。谷口雅春先生も「永遠に道を求める者である」と言われています。
その先生が求めていられる道、その同じ方向をめざして、私たちも研鑽精進していくばかりです。
そのための神誌・聖典であり、聖経読誦であり、神想観の実修です。
講話の聴聞であり、伝道、愛行、日々の生活における真理の実践であります。
「生長の家とは...」それが本当に判るには、右のそれぞれに徹し、『生命の實相』全巻を
熟読玩味する以外にないと言えましょう。
本書は谷口雅春先生に特にお願いしまして、この難しい問題に最も明確に答えていただいている
「生長の家家族の祈願および修養」の解説を一巻にまとめさせていただきました。
本書を読まれることにより、生長の家(の全相)を正しく理会し、実践し、神誌・聖典が十二分に生きて
くるための必携となることを念願しております。それにより、毎日の生活が一そう充実した生き甲斐あるものとなり、
更に『生命の實相』を読む意欲も昂ってくるものと思います。
昭和四十六年五月十二日 中島省治しるす
1227
:
金木犀
:2012/06/28(木) 22:19:24 ID:qMq2iFMk
では、清水澄博士のことについて述べてみたい。
清水澄博士は、明治元年金沢市に生まれ、東京帝國大学法科を卒業後、学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士の学位取得され、宮内省、東宮御学問所の御用掛を拝命された。
大正天皇、昭和天皇に御進講され、行政裁判所長官、枢密院顧問官を経て、敗戦後、最後の枢密院議長に任ぜられた憲法学者である。
しかし、このような輝かしい経歴から隔絶するかのように、清水澄博士は、昭和二十二年九月二十五日、熱海の錦が浦で投身自決されている。なぜ自決されたのか。これについては、饒舌を尽くして博士の死を論うよりも、次に掲げる清水澄博士の遺書でご理解いただきたい。
自決ノ辞
新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ
元枢密院議長 八十翁 清水澄 法學博士 昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム
追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ
斯くして清水澄博士は、帝国憲法に殉死されたのである。その当時、変節学者や保身学者が多い中で、唯一人帝国憲法に殉死された文人である。
遺書にあるように、中国の戦国時代の楚という国の屈原が汨羅(べきら)の淵に投身自決した故事に倣い、熱海の錦ヶ浦で投身自決してその忠君愛国の至情を貫かれた。その名のとおり、澄んだ清き水が如く、その赤心には一点の曇りもない。
それゆえに、この文人の殉死は、武人の殉死に勝るとも劣らない壮絶さがある。
その昔、明治天皇の御崩御を契機として、乃木希典将軍は、大葬当日、静子夫人と共に殉死された。そして、同じように、清水澄博士は、明治天皇の欽定にかかる帝国憲法が蹂躙されたことを契機として、清水澄博士は、正統憲法である帝国憲法に殉死されたのである。
明治天皇に殉死することと、帝国憲法に殉死することとは、いずれも國體を護持し皇室の藩屏たらんとする信念の発露である。
殉死には、主君の魂と肉体が再生するときに、冥界から甦るための道案内を臣下が務めるためという目的があるとすれば、清水澄博士のご遺志は、まさに帝国憲法を復原するための道しるべを我々に示さんとすることにあると信じている。
南出喜久治弁護士
1228
:
トキ
:2012/06/29(金) 10:20:36 ID:ApVaC9kI
以前、この掲示板で、谷口雅宣先生が、「唐松模様」で書かれた「甘露の法雨」の成立の事情を説明されたご文章について、
「飛び入り参加」様とトキ、さらに別の掲示板で「山ちゃん1952」様が書かれたご文章で、異論を申し上げたところ、先日の
「唐松模様」で谷口雅宣先生が、「飛び入り参加」様の主張を認めて、訂正をされました。
詳しくは、唐松模様をご覧下さい。
なお、上記の事実は、もったいなくも、生長の家総裁 谷口雅宣先生が、この不届きな掲示板をご覧下さっているという蓋然性
が高い事を示しております。おそらく、腸が煮えくり返る想いで、我慢をしてこの不届きな掲示板をご覧だと拝察します。どうか
みなさま、谷口雅宣先生のご健康に差し障りがないよう、表現には気をつけて下さいね。
また、この事実は、この掲示版が本部直轄であるという本流掲示板の主張を否定する傍証になります。なぜなら、もし、管理人が
本部の人間なら、総裁へ事実関係を知らせるのは容易な事だからです。
それと、厚かましいお願いですが、谷口雅宣先生は、唐松模様に、この掲示板での投稿に、異論の投稿があった、とご紹介下さるのが本来の筋だと
思うのですが、無理ですかねえ(笑)
(つづく)
1229
:
トキ
:2012/06/29(金) 10:22:28 ID:ApVaC9kI
ところで、谷口雅宣先生は、以下のご文章を唐松模様に投稿されています。
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2012年6月26日 (火)
「聖経について(4)」を修正
6月16日付で本欄に書いた「聖経について (4)」では、京都で発行された初めての折本型『聖経』の製作に、谷口雅春先生が関与されていたかどうかを推測する記事を書きました。私の結論は、周辺の状況から考えて、「先生御自身の考えやアイディアがこの『聖経』の編集や体裁に反映されている」というものでした。が、この記事を書いた後で、京都教化部から発行された文書の中に、これを裏づける“決定的”とも言える証拠があることが分かったので、文章のほとんどを書き直しました。興味のある方は、前にもどって読み直してください。
谷口 雅宣
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1230
:
トキ
:2012/06/29(金) 10:47:07 ID:ApVaC9kI
この点については、山ちゃん1952様が、推測に過ぎない、と書かれています。私も同じ意見です。と、いうよりも、「飛び入り参加」様が
引用された文章(これが、谷口雅宣先生の主張の元になっている)を素直に読むと、谷口雅春先生が関与した可能性が薄いと推定するのが普通
である、というのが私の考えです。
この件については、仲介者をおいて(先方に私の正体が分からないように)、京都の人に調査を依頼したので、詳しい事が分かったら、お知らせします。
もともと、本流復活派が、過去の生長の家や谷口雅春先生のご文章や資料を必死で集めていましたが、この問題が起こってからは、教団側も
戦前の資料を探し始めたという話を聞きました。しかし、歴史に詳しい人は、大半が教団を辞めていますし、残った人もこの件では協力をする
意思はない、と言う人が多いみたいです。(教団の職員は別ですが)
つまり、甘露の法雨や聖典をめぐる裁判で、最高裁判所での敗訴はほぼ確実です。そこで、総裁は、新しい聖経を出す計画ですが、これを定着
させるためには、甘露の法雨が定着した経過を調べて資料にしたい、というお考えがあると思います。また、甘露の法雨が谷口雅春先生のご発案
でないと、新聖経を流布する上で都合が悪いのです。つまり、初代総裁の発案で決まった事なら、三代目の総裁が変えても良い、という論理はあ
りえますが、信徒の自発的な発案で始まった場合は、いかに総裁でも、変更は無理があるからです。
1231
:
トキ
:2012/06/29(金) 17:37:04 ID:ApVaC9kI
「飛び入り参加」様から頂戴した資料を読み直しました。まず、理事長が中林先生になっている件は、尾崎先生、着月先生の文章が「生長の家京都教化部40年設立記念講演」
での講演を筆記したものとわかりました。この時期の理事長が中林先生であり、辻村理事長でなくても矛盾はないです。
それと、調査を依頼していた京都の人から返答がきました。聖経は京都の印刷屋で印刷をしましたが、いくつかのバージョンがあったみたいです。中には、裏面が真っ白で
表面だけ印刷をしたものもあったみたいです。印刷は印刷屋がしましたが、製本は信徒の奉仕作業だったと言います。それも、教化部に材料が置いてあり、時間が出来た人が
都合のよい時に勝手に教化部へ行って、適当に奉仕作業をしていた、というノンビリした時代だったみたいです。返答者は高齢の方ですが、当時の雰囲気はよく覚えておられ
ました。「あの当時の生長の家と、今の生長の家とは、名前は同じだが、雰囲気は天地の差がある。」という事でした。
なお、結論としては、聖経に「御神示」が入った経過は、当時の関係者が亡くなられた以上、不明という事でした。ただ、聖経自体が、小木虎次郎先生の発案であり、かつ
京都支部の支部長だった以上は、小木博士のご発案である、というのが普通だろう、という感想を私は持ちました。
合掌 ありがとうございます
1232
:
神の子さん
:2012/06/30(土) 13:26:25 ID:???
本流からコピペ
雅宣総裁の心に占める第一は“お金への執着心”!NEW (10697)
日時:2012年06月29日 (金) 12時43分
名前:元・総裁秘書
合掌、ありがとうございます。雅宣総裁の“お金への執着心”は相も変わらず今も続いている事が分かり、彼が宗教家として全く不適任な性格であることを残念に思うと共に、彼を総裁というトップの位置にいただいている原宿教団の何も知らない信徒の皆さまが本当にお気の毒に思えて仕方ありません。一日も早くこのことに気が付かれまして目覚めて頂きたいと望むものであります。
さて、雅宣総裁は、昨日遅れて掲載のブログ「唐松模様」において、
>>2012年6月26日 (火)
「聖経について(4)」を修正
6月16日付で本欄に書いた「聖経について (4)」では、京都で発行された初めての折本型『聖経』の製作に、谷口雅春先生が関与されていたかどうかを推測する記事を書きました。私の結論は、周辺の状況から考えて、「先生御自身の考えやアイディアがこの『聖経』の編集や体裁に反映されている」というものでした。が、この記事を書いた後で、京都教化部から発行された文書の中に、これを裏づける“決定的”とも言える証拠があることが分かったので、文章のほとんどを書き直しました。興味のある方は、前にもどって読み直してください。<<
このように書いて「聖経について (4)」を書き直し、その書き直し文の最後の文章は、「1年8カ月の間、この経本は京都の光明化運動の重要な資金源となったのである。」と書かれているのであります。
第一、開祖・谷口雅春先生の霊感詩を京都教化部で折り本方のお経としたことについて、雅春先生の御意向が働いていたかどうかだとか、許可の下に為されたものであったのだろうかとか、それらを考古学者の如く調べなおし詮索する必要があるのでしょうか? そんなことは専門の考古学者の仕事であって、雅宣総裁はそんな暇があったら、直接信徒たちの病悩苦の救いの方面に全力を傾注すべきであると考えます。
第二に、重要な点は開祖・谷口雅春先生の霊感詩のこの部分が、特に京都の初期の熱心な誌友の人の手によって経本化されたという摩訶不思議な神様の配慮に気付くべきでしょう。雅春先生は御存知の通り極めて御謙虚な方でありますので、自らは経本化はいつまで経っても言い出されなかったことだと思われます。そこで生長の家の大神様は経本化して大々的に配布した方が人類救済のためには役立つと配慮され京都の誌友の人を選んで経本化されたと考えるべきであります。事実、経本化されて『甘露の法雨』と銘打って大きく普及され出すや多数の奇蹟的体験が続出しだしたのではありませんか!
雅宣総裁は宗教家と称するならば、まずこのことに注目して、神の不可思議な配慮のことを書かなければなりません。そんなことには注目せずに、経本化は京都教化部の“資金”となったと、お金ばかりに心の目が行っているのです。最近話題となっている「世界聖典普及協会」の解散命令の目的も、同協会にある50億円の金融資産の略奪(敢えて言います)が目的であったのです。
つづく
1233
:
続き
:2012/06/30(土) 13:33:58 ID:???
・・・
今回の「聖経について」の一連の文章は私たち信徒の信仰の深化には何の役にも立ちません。関係ないことであります。私達は、聖経『甘露の法雨』の由来として、『生長の家』四十年史(P.38―39)の次の記述だけで十分であります。雅宣総裁のように重箱の隅をつつくような詮索は不必要であります。
<< 『甘露の法雨』は、生長の家発祥当時、しきりに霊感的に私の脳裡にひらめいて来たのを書きつづった自由詩の一つであった。その頃出てきた私の自由詩は全部『生命の実相』の“聖詩篇”に収められているが、別に『ひかりの語録』という携帯型の袖珍本(しゅうもんぼん)に、やはり霊感的短箴言の輯録である“智慧の言葉”と共に収められているのである。これは私がまだ東京へ出ない前の数年間、ただ一般に“生長の家の歌”叉は“自由詩”として取り扱われていたのであるが、私が東京へ移転してから後、京都電燈社長の石川芳次郎氏の外舅(しゅうと)・工学博士・小木虎次郎氏が、その自由詩の中の一篇『甘露の法雨』を読誦すると、医界難治の奇病・難病が治癒することがあり、霊界の祖先の霊が救われると見えるような奇瑞が?々あるので、それを単に”詩“として詩集の中にのみ収めておいては功徳を知らない人が多いから、ハッキリとこれは聖経であると明示して折り本型の経本として発行すれば、功徳を受ける人が多いであろうと、生長の家京都教化部で経本式折本として発行されたのであった。折本の紫色の表紙には単に「聖経」という表題が貼り付けてぁ
"り、経文の本文を印刷した紙は、尾本輝三氏のお世話で福井県若狭ですいた純粋の和紙で作られたものであった。果たせるかな、それが経本になって頒布されると、陸続として功徳を受ける人々が殺到して、其れを携帯するだけで、交通事故に遭いながら微傷も負わなかった人が出て来たりしたのであった。京都の教化部では、これは京都で独占すべきものでないと、その出版権を本部に返還されたのであった。
どうして『甘露の法雨』にこのような偉大な功徳が生ずるのであろうか。私は、それをただ霊感で詩作する時に、ふと感じてその詩の題を『甘露の法雨』としたに過ぎないのであって、別に『法華経』の観世音菩薩の普門の功徳を説いた“普門品”に連関して詩の題を『甘露の法雨』と題したのでもなかったし、観世音菩薩が教えの本尊として門脇観次郎氏の霊眼に見(あらわ)れるなどと言う事も全然予想もしなかった。ところが私の著書や執筆の雑誌を読んで功徳を得た人に顕れる色々の霊顕や現象が次第に観世音菩薩が生長の家の本尊であり、その観世音菩薩が『法華経』の“普門品第二十五”にある通り「甘露の法雨を注ぎ給うて煩悩の炎を滅除し給う」のである事を証明するようになったのである。聖経『甘露の法雨』の功徳はそれをお説きになった観世音菩薩の妙智力と引き離して考えてはならないのである。>>と開祖・谷口雅春先生は書かれています。これだけで信徒は十分に満足しているのであります。詮索の必要など全くありません。
さらに、雅宣総裁は、『生命の實相』第27巻にある次の重要な開祖・谷口雅春先生の御文章を完全無視しているのであります。彼に宗教家としての注意を促す意味で引用させて頂きます。
<< 語学や考証を超えて―――
私はここに、本当の釈迦は二千五百年前、地上に生まれて王宮を出家して迦耶城を去ること遠からぬ道場に座りて阿耨多羅三藐三菩提を成じた如き『肉体』でないことを宣言する。それは私が宣言するだけではなく法華経の『如来壽量品』にちゃんと宣言してあるのだけれども、法華経は大乗経典であり、大乗経典は釈迦是を説かずと言うような、<さとり>には何の関係もない考証的仏教学者があるから私が茲に改めてそれを宣言する必要があるのである。斯く法華経に従って、本当の釈迦牟尼如来は浄飯王の太子ゴータマの如き肉体人間ではないのであって『久遠を流るるいのち』であることを知るとき、吾等は到るところに『仏教』即ち『<ほとけ>の説教』を見出すことが出来るのである。・・・何処にでも身を現じて法を説き給うのが釈迦なのである。だから法を説くとき阿難も釈迦であり、達磨も釈迦であり、賢首も、空海も、道元も、最澄も、親鸞も悉くみな釈迦なのである。親鸞などに到っては・・・彼の<さとり>は語学を超えて却って『久遠を流るる<いのち>』を把んだのである。・・・言葉や語学にこだわり過ぎて、この文字は梵語では本来何を意味するのだなどと
言う事を考証するほど、凡そさとりに遠いものはないのである。>>
本当に、雅宣総裁よ、無意味な文章を長々と書くパソコンお宅を続けたいのであれば、早く生長の家教団から出て行って頂きたいと強く思うものであります。 再拝
1234
:
トキ
:2012/06/30(土) 18:17:33 ID:/a9NyRNA
このたび、山ちゃん1952様から、小生の意見へのご賛同を頂戴しました。深く感謝申し上げます。
また、教団援護派の堀浩二先生のお母様が、脳梗塞になり寝たきりになられた、とのご投稿を拝見しました。
私は堀先生のお考えには賛成できない点が多いですが、それとは別に、お母様のご快癒を心からお祈りいたします。
さて、唐松模様を拝見すると、信徒からのコメントが全くないのが目立ちます。
例えば、谷口雅宣先生の総本山でのご挨拶には9つもコメントがあるのを考えると、この沈黙は興味深いです。
現在の信徒の大半は生長の家の歴史には関心がないし、逆に生長の家の歴史を勉強した幹部や講師から見ると
残念ながら、総裁のご文章には不備な点が多々あります。しかし、この件が契機になり、生長の家の上層部が戦前や戦後の谷口雅春
先生の足跡を学べば、得る点が多々あると思います。このままでは、教団も、そして、総裁も破滅に至るのは
否定できません。
甘露の法雨は、仏教者や基督教の人からも賞賛を浴びました。大自然讃歌などの新聖経は、わたしの個人的な
感想ですが、そういう評価が期待できないと思います。このまま最高裁判所の判決が出たら、週刊誌なども騒ぎ
ますし、生長の家の信徒は恥ずかしい想いをします。その上、新聖経を見たら、失望する信徒が大半だと思い
ます。そうなっては手遅れです。
教団上層部の早期の和解の決断をお願いする次第であります。
1235
:
志恩
:2012/06/30(土) 20:19:18 ID:.QY5jUA6
>>1234
の
トキ様のご文章は、「トキ みつる会」の香りがします。
生長の家の信徒にとりまして、聖経・「甘露の法雨」は、
” なにごとの おはしますかは 知らねども
かたじけなさに 涙こぼるる ” (作者:西行)
この歌と同じ想いの貴い貴い存在なのです。
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