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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1190トキ:2012/06/16(土) 18:11:47 ID:da4qspKs
 実は、「甘露の法雨」についての議論は以上で打ち切るつもりでした。が、谷口雅宣先生が、唐松模様の中で、以下のようなご文章を発表されているので、
お知らせいたします。

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生長の家京都支部が製作した折本型経本『聖経』は、雅春先生の2回目の京都旅行の2週間後、昭和10年4月25日が発行日である。ということは、雅春先生御自身がこの経本の編集や製作に関与される機会はあったし、実際に関与されたと考えるのが自然である。それどころか、先生御自身の考えやアイディアがこの『聖経』の編集や体裁に反映されている、と私は考えるのである。なぜなら、この京都版『聖経』における歌や神示の配置、配列、経文の読み方、使用活字の種類などは、後に東京の日本教文社(当時は光明思想普及会)から発行される『聖経 甘露の法雨』と、ほとんど同一といっていいほど変わっていないからだ。つまり、先生は京都で発行されたこの『聖経』の編集や体裁を気に入られ、発行場所や印刷所が変わっても、後々までも、できるだけ同一のものを発行されたのである。ここで私が言う「編集」とは、最初のページに「招神歌」を掲げ、扉ページには先生自筆の「甘露の法雨」の揮毫を入れ、次ページから<『七つの燈台の点燈者』の神示>という表題のもとに「大調和の神示」と「完成の燈台の神示」の2つを入れ、そして聖経の本文へと続き、最後に『実相を観ずる歌』で終わるという流れのことだ。また、「体裁」の中には、表紙デザインとして「雲間から差し込む陽光が、土から伸びる植物の芽を照らす」という図案を使うことも含んでいる。これだけのものが“京都版”と“東京版”で同じであれば、2つの経本の製作ディレクターは同一人物−−谷口雅春先生だと考えねばならない。
(つづく)


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