[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
1-
101-
201-
301-
401-
501-
601-
701-
801-
901-
1001-
1101-
1201-
1301-
1401-
1501-
1601-
1701-
1801-
1901-
2001-
2101-
2201-
2301-
2401-
2501-
2601-
2701-
2801-
2901-
3001-
3101-
3201-
3301-
3401-
3501-
3601-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1206
:
神の子さん
:2012/06/18(月) 10:24:14 ID:???
転載します。
御足労かけました。NEW (10365)
日時:2012年06月17日 (日) 23時08分
名前:山ちゃん1952
下記は重要な資料となります。それは出処が明らかな事実だと思います。
トキ様の尽力で少し光明が明らかになったと思います。それは『聖経 甘露の法雨』の出版までの経緯である。
雅宣総裁の自ら書いた推論が間違っていたことです。
何故、そういう重要な件を総裁一人で行うのか私は不思議です。トキ様は京都教化部に電話連絡してその経緯を明らかにしました。総裁が「唐松模様」で下記のように記載している。
>「甘露の法雨」の詩編を当時、先生に断りなく誰かが発行する可能性などゼロに等しいと言える。<
と記載している。穿った見方をすれば、谷口雅春先生の許可なしには書物は発行できないということです。
トキ様の京都教化部からの連絡では
谷口雅春先生のテープ「甘露の法雨講義」を拝聴すると、第1巻で谷口雅春先生ご自身が肉声で甘露の法雨に
ついて説明をされました。長い時間ですが、要約すると、
1 谷口雅春先生は、ある時期、詩が自然と次々と浮かんだ時期があった。甘露の法雨もその時期に出てきたものである。
2 甘露の法雨は、一回、発表はした(時期は谷口雅春先生ご自身も明確には覚えておられなかった)。
3 その後、他の聖典と同様に発表されたが、一番、人気がなかった。
4 谷口雅春先生は、甘露の法雨をお経にする意思はなかった。
5 甘露の法雨を聖経にしたのは、小木虎次郎博士である。
6 聖経にすると、次々に功徳が現れた。
7 甘露の法雨には、生長の家の教えが完全に縮尺されている。
というものです。このテープは立教50年特別企画ですが、ご講話は昭和29年の本部落慶記念での講演ですから、この講話がなされた時期には、関係者は多数ご生存で、信頼性は当然高いと思われます。
それと「小木寅太郎」というのは何回もいいますように、内務省警保局の資料ですから、間違いといわれれば、それ以上の反論はできません。それはそれに反論する資料を持ち合わせていないからです。
ただ出来れば、多くの資料を持ち合わさなければならないが、ほとんどが絶版になっていますから今から難しい。
御足労をかけたトキ様、ありがとうございます。
次にでた「唐松模様」の経本にしないと書いていて、結局は経本にするのはいけません。
>「聖経に取って代わるもの」を意図していない。諸処に聖経から引用しながら、聖経では触れられていない方面への補強を試みている。<唐松模様5月27日
この言葉は今回の
>「観世音菩薩讃歌」という長編詩も書かせていただきました。今度この長編詩が「大自然讃歌」と共に折り本型の経本として出版されることになりましたので、皆さんには是非、ご愛用いただきたいのであります。<唐松模様6月17日
聖経ではない経本であるという屁理屈が通用するかどうかである。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板