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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板

1227金木犀:2012/06/28(木) 22:19:24 ID:qMq2iFMk
 では、清水澄博士のことについて述べてみたい。
 清水澄博士は、明治元年金沢市に生まれ、東京帝國大学法科を卒業後、学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士の学位取得され、宮内省、東宮御学問所の御用掛を拝命された。
 大正天皇、昭和天皇に御進講され、行政裁判所長官、枢密院顧問官を経て、敗戦後、最後の枢密院議長に任ぜられた憲法学者である。
 しかし、このような輝かしい経歴から隔絶するかのように、清水澄博士は、昭和二十二年九月二十五日、熱海の錦が浦で投身自決されている。なぜ自決されたのか。これについては、饒舌を尽くして博士の死を論うよりも、次に掲げる清水澄博士の遺書でご理解いただきたい。


自決ノ辞
新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ

元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム

追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ


 斯くして清水澄博士は、帝国憲法に殉死されたのである。その当時、変節学者や保身学者が多い中で、唯一人帝国憲法に殉死された文人である。
 遺書にあるように、中国の戦国時代の楚という国の屈原が汨羅(べきら)の淵に投身自決した故事に倣い、熱海の錦ヶ浦で投身自決してその忠君愛国の至情を貫かれた。その名のとおり、澄んだ清き水が如く、その赤心には一点の曇りもない。
 それゆえに、この文人の殉死は、武人の殉死に勝るとも劣らない壮絶さがある。
 その昔、明治天皇の御崩御を契機として、乃木希典将軍は、大葬当日、静子夫人と共に殉死された。そして、同じように、清水澄博士は、明治天皇の欽定にかかる帝国憲法が蹂躙されたことを契機として、清水澄博士は、正統憲法である帝国憲法に殉死されたのである。
 明治天皇に殉死することと、帝国憲法に殉死することとは、いずれも國體を護持し皇室の藩屏たらんとする信念の発露である。
 殉死には、主君の魂と肉体が再生するときに、冥界から甦るための道案内を臣下が務めるためという目的があるとすれば、清水澄博士のご遺志は、まさに帝国憲法を復原するための道しるべを我々に示さんとすることにあると信じている。

南出喜久治弁護士


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