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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1181
:
トキ
:2012/06/16(土) 09:29:59 ID:da4qspKs
おはようございます。
昨晩は、押し入れから古い本を山ほど取り出して、調べものをしておりました。
おかげさまで、完全に睡眠不足です。失礼があれば、お許し下さい。
まず、山ちゃん1952様の御文章を紹介し、その上で、私見を披露させていただきます。
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再度下記に書きますが、間違いを二点指摘させていただきます。
1、聖経は雅春先生が昭和6年秋頃にはその言葉は使用しようと思っておられます。
その根拠は昭和7年1月1日の『生命の實相』には記載されています。これは復刻版以外でも確認しています。(原本の確認)
昭和6年に小冊子『生長の家の歌』(5銭)を販売されたのですが、あまり売れなかったのですが、その後昭和10年の雅春先生の記載された「編集だより9月号」に「一回の読誦で近眼が消える」という記載があります。すでにその頃から『甘露の法雨』の功徳が現われていたのです。それが京都教化部で発刊されたものを読まれたのかどうかはわかりませんがその可能性はあります。「生長の家の歌」と記入されていないのが、その可能性です。ただしこの時点では聖経という言葉は使われていません。
2、理事長は中林政吉先生ではなく辻村楠造ではないでしょうか。
最後に飛び入り参加の人は「あちらの人」という呼称ですが、「学ぶ会」の人を指しているのでしょうか?なにか狭量のない人ですね。何故現在の生長の家の状況になったかを考えないのでしょうね。
(つづく)
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