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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1199
:
トキ
:2012/06/17(日) 21:50:23 ID:/qyhk4ts
昨日は、原子力発電所の再稼働というニュースがあったのにもかかわらず、谷口雅宣先生の唐松模様の
話題は、甘露の法雨の聖経の歴史でありました。それだけ、雅宣先生が、この問題に強い関心をお持ちで
あるという事は言えるでしょう。
言うまでもなく、間もなく最高裁判所の決定が出ます。おそらくは教団側に極めて不利な判決が予想され
ます。そうなると、残念ですが、甘露の法雨なども教団側が販売する事が難しくなります。
この時期に、谷口雅宣先生がこの問題を論じ、かつ、内容を従来の”定説”とは違う「甘露の法雨は谷口雅春先生
のご指導で聖経とされた」という新しい説を唱えられたのは、賛成は出来ませんが、理解はできます。それは
甘露の法雨が、信徒の自発的は発案により始まった、という事になれば、大自然讃歌や観世音菩薩讃歌を「聖経」
に准ずるものにすることが難しくなるからです。対して、総裁のご指導の下、聖経読誦という行が始まったとす
るならば、総裁のご指導の下、新しい聖経を制定するのも論理としては可能になります。
雅宣先生のご心境は苦しい立場だと思いますが、この「新説」は、かなり無理がある、というのが私の考えで
あります。と、言うよりも、本流復活派が過去の「神誌」を片端から調べたら、おそらく容易に反証が可能だと
予想しております。
それにもかかわらず、今回、谷口雅宣先生が、生長の家の歴史を正面から論じられたのは、大いに歓迎すべ
きだと思います。現在の路線を維持するにしろ、変更するにしろ、過去の歴史を検証した上で、議論をすべき
だと私は信じているからです。
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