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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1194
:
トキ
:2012/06/16(土) 23:01:08 ID:da4qspKs
山ちゃん1952様が、以上について、丁寧なご返答を下さりました。深く感謝申し上げます。
京都第一教区でも、さすがに戦前の事情を知る人は大半が亡くなられていました。が、探すと、戦前の様子を知る信徒が
おられました。人を介して質問をしたところ、ご返答を頂戴したので、併せてご説明を申し上げます。
先ず、山ちゃん1952様より、「小木寅太郎」と書いたのであり、「小木寅次郎」ではない、とのご指摘がありました。
この点はお詫びします。内務省警保局の資料からの引用だとは気がつきませんでした。
その後、改めて、其の人に質問をし直すと、以下の回答を頂戴しました。
昭和11年に荒川清逸氏がトップにきているのは、荒川氏が最初に誌友会を開いた人だからである、との事でした。その後、
京都支部発足と同時に、初代の京都支部長になられたのは、小木虎次郎先生であり(昭和15年まで)、これは文献で確認できる、
との説明を受けました。「京都誌友相愛会本部」の責任者は、当然、「小木寅太郎」氏ではなく、「小木虎次郎」博士でないと
おかしい、との事でした。
これが、普通の会員なら、「小木寅太郎」あるいは「小木寅次郎」さんが記録に残らない、という可能性はありますが、
京都誌友相愛会本部の責任者にある人が生長の家側の記録に残らないのは、考えられないと思います。
その上で、内務省警保局の資料を考えると、この資料は、当時の京都府警の特高警察の宗教担当者から、いくつかの段階を経て
内務省警保局へ送られたはずです。内務省というのは、当時、化け物みたいなマンモス官庁でしたから、たくさん段階を経て、
中央へ送られたはずです。
戦前から戦後、京都府警の特高警察で、宗教を担当していた銅銀松雄氏の回顧録「最後の特高警察」によれば、当時の特別な監視対象は
本願寺や基督教、大本教等だった様です。生長の家の記述はありませんでした。断言は出来ませんが、厳重な監視対象になっていなかった
と推測できます。
こういう状況を考えると、この「小木寅太郎」さんは、小木虎次郎博士の名前を間違って記入したもの、という可能性があると
思っています。この点、京都の知人が引き続き、調査をするとの事なので、報告があり次第、ご報告申し上げます。
合掌 ありがとうございます
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