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「今の教え」と「本流復活」を考える・挨拶板
1226
:
うのはな
:2012/06/28(木) 17:02:48 ID:gTn97m6I
『生長の家とは如何なるものか』 編者のことば
「生長の家とは如何なるものか」この問ほど易しく、そして難しいものもないでしょう。
『生命の實相』を読めば、これまで信じていた信仰のまま、その教えがもっとよく判る、といいます。
“ねばならぬ”はない、と言って当り前を当り前に生活することを教えます。
神の子人間、三界は心の影、大調和....人・時・処に応じ、さまざまの解釈がなされます。
そして多くの人が魂が救われ、幸せな生活に目覚めていっています。
家庭問題、人間関係の悩みで生長の家にふれ、救われた人は、その面の印象が強いでしょう。
健康問題で生長の家に入った人は、特にその面から強く生長の家を考える傾向があります。
仏教、キリスト教の面もあり、教育、政治の面で強く結びついている人もあります。
最初に読んだ聖典、導いていただいた方の影響が、いつまでも残っているものです。
生長の家は、人生・社会...一切の解決を含んだ愛の教えであり、更にそれらの現象なしと断ち切る万教帰一の
超宗教であります。しかしながら、“群盲像を撫でる”のたとえではありませんが、真理に完全に眼の開かない者にとっては、
今、或いはこれまでにふれた部分を以て全体と想い、「生長の家はすでに判った」と安易に考えがちです。
果してそれで宜しいのでしょうか。
もとよりそれの解決ー実相の把握をめざして、私たち皆は日夜精進しております。富士登山の如く、登り口はそれぞれ異っても、一歩一歩
頂上をめざし、自らの脚をもって登っております。そこに、より広い視野、真理の全貌が開けて参ります。
登山には頂上がありますが、私たちの道には終着点はありません。谷口雅春先生も「永遠に道を求める者である」と言われています。
その先生が求めていられる道、その同じ方向をめざして、私たちも研鑽精進していくばかりです。
そのための神誌・聖典であり、聖経読誦であり、神想観の実修です。
講話の聴聞であり、伝道、愛行、日々の生活における真理の実践であります。
「生長の家とは...」それが本当に判るには、右のそれぞれに徹し、『生命の實相』全巻を
熟読玩味する以外にないと言えましょう。
本書は谷口雅春先生に特にお願いしまして、この難しい問題に最も明確に答えていただいている
「生長の家家族の祈願および修養」の解説を一巻にまとめさせていただきました。
本書を読まれることにより、生長の家(の全相)を正しく理会し、実践し、神誌・聖典が十二分に生きて
くるための必携となることを念願しております。それにより、毎日の生活が一そう充実した生き甲斐あるものとなり、
更に『生命の實相』を読む意欲も昂ってくるものと思います。
昭和四十六年五月十二日 中島省治しるす
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