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鬼和尚の仏教講読会 別館2

707鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/17(火) 23:15:32 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、冬至にかけてといているのじゃ。
 一人で門を閉じて修業するようにというのじゃ。

 そのような感じじゃな。

 冬至を衆に示すのじゃ。

 一人門を閉じて周囲を省みないのじゃ。
 これこそ誰にとっても法の中の王なのじゃ。
 もし人が冬至が来たか訊ねたならば、
 日は自ら今朝より一線ずつ短くなっていくことを告げるのじゃ。

708避難民のマジレスさん:2021/08/17(火) 23:37:27 ID:ts4ClNsk0
502
大惠宏智揖讓圖 大ゑわんしいう讓の図
眉毛相結眼睛同 眉毛相結んで眼睛同じ
兩箇老禪機境融 兩箇の老禪機境融ず
力士鐵槌子房策 力士の鐵槌子房がはかりごと
憤心在博浪沙中 憤心は博浪しゃ中に在り

くま訳
大慧宏智恭しい挨拶の図
面と向って見詰め合っているのである。
二人の老師は、お互いに力量を認め合っていたのだ。
(宏智は、)張良が力士を暗殺者として雇い、始皇帝の車列に重さ30キロのトンカチを投げつけたような作
戦を実施したのである。
始皇帝の(ような大慧の)怒りの原因は、博浪沙でのこの一件にあるのである。

*大惠⇒大慧
*大惠宏智揖讓圖(胡建明先生解説抜粋):大慧が16年間の流罪を終え、1156年、勅命を受け、大刹阿育王 
 山広利禅寺に住持した。・・大慧は・・宏智へ挨拶のため、天童山に拝登しようとした。そのとき宏智が 
 大慧の上山を知り、弟子たちを連れて・・山道の途中で大慧を迎え、礼を尽した。という美談。
  (もともと2人は大親友だったらしい。)
*揖譲:1 拱手(きょうしゅ)して、へりくだること。古代中国の作法。2 天子の位を譲ること。禅譲。
*大慧宗杲(だいえ そうこう)1089-1163:宋代の臨済宗の僧。普覚禅師。仏日大師。
 曹洞宗に属した宏智正覚と、真の禅法をめぐって激しく対立した。宗杲は、公案を用いることによって言 
 語による思考を限界に追い詰め、そこに大きな疑問を抱えつつ坐禅して言語を超越した悟りへと向かうと 
 いう禅法を正しいものと認めた。公案を用いることによって言語による思考に大きな疑問を抱えつつ坐禅 
 し、その疑問を打ち破ることにより悟りへと向かうという、臨済宗の禅法を正しいものと認めた。宗杲は 
 曹洞宗の禪を「黙照禅」と呼んで批判した。
*宏智正覚(わんし しょうがく)1091-1157宋代の、曹洞宗の禪僧。
 正覚は、悟りという目標を設定することによって無明と悟りという二元論的構造が生じることを避けるた 
 めに、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自己完結的な禅法の中で本来具有している仏性が顕れ 
 るとした。仏性は本来的にすべての者に具有されており、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自 
 己完結的な禅法の中でその事実に気付くことこそが悟りの要であるとして、公案を用いない曹洞宗の禅法 
 を擁護した。
 宏智は臨済宗の禪を「看話禅」と呼んで批判した。
*機境:行者の根機こんき (素質能力) と観察(かんざつ)の対象のこと。
*子房(張良の字)(? - 紀元前186年)は秦末期から前漢初期の政治家・謀将。軍師として劉邦に仕えて 
 、劉邦の覇業を大きく助けた。
 始皇帝暗殺未遂
 秦に亡ぼされた韓の公族であり、祖国を滅ぼされた張良は復讐を誓い、屈強な力士を借り受け、紀元前 
 218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博狼沙を通った所を狙った。方法は重さ120斤(約30kg)と言う鉄槌を投 
 げつけ、始皇帝が乗った車を潰すというものであった。しかし・・暗殺は失敗に終わった。

*くま質問
 大慧が始皇帝で、宏智が張良と譬えてると想定して解釈してみたのであります。実際に宏智が弟子を
 使って大慧に対して論戦を仕掛けたようなことはあったのでありましょうか?
 一休さんは面白がってる様であります。
(´・(ェ)・`)つ

709鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/18(水) 23:23:59 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことはないじゃろう。
 それはただ悟った者同士が会えたことを、対比させて珍しいこととしているだけなのじゃ。
 博浪沙では失敗しているのであるからのう。

 大惠宏智の揖讓の図なのじゃ。

 眉毛を互いに結び、瞳を同じにしたのじゃ。
 二人の老禅師の境地は融和しているのじゃ。
 子房が策で力士に鉄槌を投げさせた
 博浪沙中では失敗して怒っているのにのう。

710避難民のマジレスさん:2021/08/18(水) 23:53:07 ID:TdZJ1C6I0
くま質問
 子房が策で力士に鉄槌を投げさせた
 博浪沙中では失敗して怒っているのにのう。
とは、何をどの様な意味で譬えているのでありましょうか?

503
翠岩夏末示衆云   すい岩夏まつに衆に示し云く
一夏以來爲兄弟説話 「一げ以来ひんでいの為に説話す、
看翠岩眉毛在麼   看よ、翠岩が眉毛ありや」
保福云。作賊人心虚 保福云く。「賊となる人心いつはる。」
長慶云。生也    長慶云く。「せいや」
雲門云關      雲門云く「関」

眉毛公案爛泥荊 眉毛公案らんでいけい
保福雲門同道行 保福雲門同道に行く
長慶藏身還露影 長慶身を蔵して還って影をあらわす
小樓南畔月三更 小樓南ぱん月三更

くま訳
翠岩夏末示衆云   
一夏以來久しぶりに兄弟弟子のために説話したのである。 
見てくれ、翠岩の眉毛はまだあるだろうか
保福いわく、泥棒になる人は、自分の心を偽るものである。
長慶いわく、うむ。眉毛は生えてるのでありますよ。
雲門いわく、関門である。

眉毛の公案は、泥んこ刑みたなものである。
保福と雲門は、同じ道をゆくのである。
長慶は、本心を隠そうとして、かえってあらわになっているのである
小樓がある南の水辺で見る深夜の月。

*くま質問・爛泥荊とはどのようないみでありましょうか?
 「小樓南畔月三更」とは、この公案の景色は、定型的で風流なものである、みたいな評価でありましょう 
 か?
*翠巌和尚が夏安居の後に、誤った説法をすると眉毛が抜け落ちるといわれているが、わしの眉毛は残って 
 いるか?と問うた。
*翠巌令参(すいがんれいさん 生年不詳):翠巌、保福、長慶、雲門、の四人は雪峰義存門下の兄弟弟子
*雲門文偃(うんもん ぶんえん、864-949)
*保福従展(ほふくじゅうてん?〜928)
*長慶慧稜(ちょうけい・えりょう854〜932)
*爛:1.火に焼けて皮膚がくずれる。ただれる。くさって形をくずす。2.まっさかり。
*荊:1.とげのある低木。いばら。うばら。2.刑罰として罪人を打ちたたくつえ。しもと。
*畔:ほとり。岸。水際。
*145の詩 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>868 、保福 = 
 家裏人 = 関の内側 = 悟っている

不偸盗戒
鵝鳥呑珠刑罰辛 がちょう珠を呑んで刑罰からし
分明曲直僞兼眞 分別曲直偽と真と  
翠巖老漢眉毛話 すい岩老漢びもうのわ
保福豈非家裏人 保福あにかりの人にあらざらんや

871: 鬼和尚:2020/08/03(月)
 ・・・ 関といわれれば誰もが関の外に出ていると思うのじゃ。
 どのようにして関の中に入ろうとか思って悩むのじゃ。

 実は既に内に入っているのじゃ。
 一休はそれを詩にしたのじゃ。
 保福豈非家裏人というのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ

711鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/19(木) 23:11:22 ID:1d4drIFg0
↑ 子房が力士に鉄槌を投げさせたが始皇帝にはあたらなかったのじゃ。
 狙った物と物がぶつかるのさえ難しいのじゃ。
 悟った者同士が会うのは実に珍しいというのじゃ。

 乱れた泥の荊の鞭じゃな。
 苦難というような意味でよいのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 眉毛の公案は泥だらけの荊の道なのじゃ。
 保福と雲門は同じ道を行っているのじゃ。
 長慶は身を隠そうとして還って影を表しているのじゃ。
 南の畔で小樓から夜の月がみえるのじゃ。

712避難民のマジレスさん:2021/08/19(木) 23:40:18 ID:m5HzqKX60
504
讀冷齋夜話       冷齋夜話を読む
有褒禪山石崖僧之一件事 はう禪山石がい僧の一件のじ有り
感而題之  1/3  感じてしかしてこれに題す

佛印重荷一百夫 佛印重くになふ一ぴゃく夫
佳名道價滿江湖 佳名道価がう湖に満つ
石崖一箇野僧意 石崖一箇野僧の意
佛法南方一點無 佛法南方一點も無し

くま訳
冷齋夜話を読む
褒禪山の石崖僧の一件があった。
読んで感じたことを詠むのである。   

仏印禅師は一人で百人の重荷を背負ったのである。
その名声は世界中にとどろいているのである。
石崖は一人の田舎者の僧と云う意味である。
仏法は南方には、一点もないのである。

*冷齋夜話:僧慧洪の編、本書を随筆文にして、東坡の詩、嗣法の様子、羅漢の失墜隊、西崑の體等を録す 
 (大成脚注)
 覚範慧洪の編。詩人の逸話とその作品の評論集。わが五山文学への影響大きく、宋版による五山版がある。
 慧洪(えこう)1071-1128:北宋の禅僧,詩人。誣告されて再度投獄されたことがあり,のち隠遁して 
 終った。蘇軾に学んで雄健な詩風。また絵画にも長じていた。
*仏印禅師 仏印了元(1032-1098) 宋時代の高僧、
*野僧:田舎の僧侶。また、僧侶を軽蔑していう語。

*くま質問:「褒禪山石崖僧之一件事」どのような一件でありましょうか
(´・(ェ)・`)つ

713鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/20(金) 23:20:45 ID:1d4drIFg0
 冷齋夜話に収録されている隠者の話のようじゃ。
 ここに書いてあったのじゃ。
 
 http://zhangdachun.blog.caixin.com/archives/132891

 褒禪山石崖下に一人の僧がおったのじゃ。
 紙軸を枕にして寝ていたのじゃ。
 裸足でねていたのじゃ。
 いろいろ問答したのじゃ。

 南に帰って仏印禅師に逢うと山を出たのは

 重荷者百夫,擁輿者十許夫,巷陌聚觀,喧吠?犬と言ったのじゃ。
 重荷を持つ者が百人、貴族で輿を許されたものが十人、港に建物が多く、
 犬や鶏で騒がしいとかいつたのじゃな。

714鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/20(金) 23:27:28 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 冷齋夜話を読んで褒禪山石崖僧の一件に感じてこれに題するのじゃ。

 仏印は重荷一百夫と言ったのじゃ。
 その佳名、道価は天下に満ちているのじゃ。
 石崖一箇野僧の意は。
 仏法南方に一点も無しというのじゃ。

715避難民のマジレスさん:2021/08/20(金) 23:47:28 ID:3Kzc4IpY0
くま訳全面改
 褒禪山石崖下に一人の僧がおったのだ。
 紙軸を枕にして寝ていたのだ。
 裸足でねていたのだ。
 いろいろ問答したのだ。

 南に帰って仏印禅師に逢うと山を出たのは

 重荷を持つ者が百人、貴族で輿を許されたものが十人、港に建物が多く、
 犬や鶏で騒がしいとかいつたのだ。

505    2/3
玉帶笑欺如土泥 玉帯笑ひあざむく土泥の如し
路頭喧吠犬兼鶏 路頭かまびすしはい犬とけいと
天下老禪奈慚愧 天下の老禪慚愧をいかんせん
獄中天澤世皆乖 獄中天澤世皆そむく

くま訳
貴人は笑いながら人をだます泥酔者のようなものである。
街中で騒がしいのは、吼える犬と鶏くらいのものである。
天下の老師が、自分を愧じる思いをどうしたらよいのか。
虚堂が獄中にあったときには、世間は皆背いたのである。

*玉帯(ギョクタイ・ごくたい):玉の飾りをつけた革製の帯。貴族の束帯に用いられた。たまのおび。 玉 
 で飾った帯。たまの帯。
*泥の如し:泥酔して正体がないさま。
(´・(ェ)・`)つ

716鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/21(土) 23:10:20 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 玉帯の貴人は泥酔者の如く笑いあざむくのじや。
 路頭では犬や鶏が吠えて騒がしいのじゃ。
 天下の老禅師は慙愧をどうすればよかろうか。
 獄中の天沢に世人は皆そむいたのじゃ。

717避難民のマジレスさん:2021/08/21(土) 23:31:49 ID:606RJSI.0

506    3/3
百丈絶食無人學 百丈じきを絶って人の学ぶ無し
藥山兩粥黄采麥 藥山兩しゅくくわうさいのばく
但居門外弊衣徒 ただ門外にこすへいえの徒
金襴道光開法席 金襴の道光開席を開く

くま訳     
百丈和尚の絶食の話を聞いても、人がそこから何かを学ぶことは無い。
薬山和尚の、棄てられ黄色くなった野菜と煮込んだ麦粥の話も同じだ。
ただのぼろい衣をまとった、浮浪者とかしか思わないのだ。
金襴の僧衣を着た道光の説教をありがたがっているのだ。

*百丈懐海(ひゃくじょう えかい、749-814唐代の禅僧。南宗禅中の洪州宗の祖馬祖道一の法を継ぐ。
*薬山惟儼(やくさんいげん・745-828) 寺は元牛小屋・
*道光.1251-1331鎌倉後期の浄土宗の僧侶。比叡山で顕密諸宗を学ぶが,のちに良忠門下に帰す。京都五条 
 坊門に悟真寺(のちに三条に移転)を建立し布教したので,その門流を三条派といった
(´・(ェ)・`)つ

718鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/22(日) 23:08:14 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 百丈の絶食を学ぶものは無いのじゃ。
 薬山の粥と野菜を学ぶものもないのじゃ。
 ただ門外に居る破れ衣の者とおもうのじゃ。
 金襴の道光を見ればありがたがって法話を聞きに来るのじゃ。

719避難民のマジレスさん:2021/08/22(日) 23:14:49 ID:K8K3PImw0
森に嫉妬されて、自殺未遂されて、形振り構わず謝る、一休さんであります。
507   
盲女森侍者情愛甚厚 盲女森侍者情愛甚だ厚し
将絶食殞命     まさにじきを絶って命をおとさんとす
愁苦之餘      愁苦のよ
作偈言之  1/2   偈を作りこれを言ふ   

百丈鋤頭信施消 百丈じょ頭信施しょうす
飯錢閻老不曾饒 飯錢閻老かつてあまさず
盲女艶歌笑樓子 盲女が艶歌樓子を笑ふ
黄泉涙雨滴蕭蕭 くわうせんの涙雨滴せうせうたり

くま訳
盲女森侍者は情愛がとても厚いのだ。
絶食して自殺をはかったのだ。 
わしは、愁いの思いで苦しいのだ。
なので、詩を作ってわしの思いを伝えるのだ。   
百丈和尚なら、無心のうちに、信施など受取らないであろう。
閻魔様は、今まで飯代を残したことなど無いのだ。決して見逃さないであろう。
森女が艶歌で遊女を笑っていたのを思い出して、
黄泉の国への旅立とうとする、森のつらい思いを悲しく思い、雨がしとしと降るようにわしは泣いているのだ。

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/  >>335の詩 参
  森は紹固に激しく嫉妬して、そのために断食自殺を図ったらしい。
*侍者:貴人のそば近く仕えて、用を足す人。おそばづきの者。
*鋤頭(じょうとう):無心に。↓おまけ参
*僧侶が、檀信徒からまごころの布施を得ること、信心施。
*信施消 
 信施:受施者がその施の本来の意義・佛法護持の目的を外して自己の慾望のために使うと信施不消の罪を 
 得て施者の功徳とアベコベの罪報に苦しまねばならない。
*鋤頭(碧巌録) 安延山承福寺HP埜村要道住職 訳・解説
 空手把鋤頭 空手にして鋤頭を把り、
 歩行騎水牛 歩行して水牛に騎る
 人従橋上過 人橋上従(よ)り過ぎれば、
 橋流水不流 橋は流れて水は流れず   

 鋤をとって無心に畑を耕し続けているうちに、いつの間にか鋤を握っていることを忘れ、耕しているとい 
 うことさえ意識もなく、吾れと鋤が一つになり、無心に徹した心境を「空手把鋤頭」と言い表したもので 
 ある。
 さらに、一日の仕事が終わり、牛の背なにゆられて、家路ににつく帰途はもう心地よい疲れもあって、も 
 う牛が歩いているのか自分が歩いているのか、人牛が一体となった無心の境地こそ「歩行騎水牛」の語で 
 ある。
 家路の途次には谷川があり、ざわざわと流れる水の音が聞こえ、橋の上に立ち止まってその流れをじっと 
 見つめていると、
 いつの間にか自分がその自然の中に溶け込んでしまい、自分が川の流れになって流れて 
 いるようでもあり、我と流れが一体になり橋を渡る我が橋と共に流れている大自然と一体となった無心の
 境地を「人従橋上過橋流水不流」と表したものである。

 無心とは無色透明で、赤が来れば赤に、青が来れば青に、子どもが来れば子どもに、老人が来れば老人に
 心を通わせられる。無心の状態なればこそ人境一如で、無心に触れる山川草木が仏のいのち、仏の姿その 
 ものとして受け入れ切れるのだ。
(´・(ェ)・`)つ

720鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/23(月) 21:54:45 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 盲女の森侍者は情愛甚だ厚くまさに食を絶って命を落とさんとする。
 わしはそれをうれいて偈を作って言ったのじゃ。

 百丈も鋤で自ら耕して信施を消費したのじゃ。 
 生涯に食べる飯の数は閻魔がつかて余したことはないのじゃ。
 盲女も艶歌に樓子を笑ったことが在るのじゃ。
 黄泉では涙滴は雨の如くふるじゃろう。

721避難民のマジレスさん:2021/08/23(月) 23:09:15 ID:YLe665060
くま訳改 
第一句:百丈も鋤で自ら耕して信施を消費したのだ。
 
508    2/2
看看涅槃堂裡禪 看よ看よ涅槃堂裡の禪
昔年百丈钁頭邊 昔年百丈のくわとうへん  
夜遊爛醉畫屛底 や遊爛醉畫べいの底  
閻老面前奈飯錢 面前飯銭をいかんせん

くま訳
見よ、涅槃堂で死を前にしてのわしの禅を
昔、百丈和尚は、農作業の責任者をしていたのであるが、
わしは、夜遊びをして、飲んだくれて、絵の書いてある屏風がある場所で遊んでいる始末である。
閻魔様の面前で飯銭をどうしたらよいのだろう。

*鍬頭(くわがしら):昔、大百姓の代人として、その手作り農業や新田開発を宰領した使用人の頭。飛騨
(岐阜県)白川地方では、家長の弟で農耕の指揮に当たった者。農作の差配人。
*畫屛:絵の描かれた屏風。

*くま質問:飯銭〜:食事などの日常の事々に対する真剣な取り組みが必要であり、いい加減に過すと因果
 の報いを受けると、一休さんは説いているのでありましょうか? 
(´・(ェ)・`)つ

722鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/24(火) 23:31:31 ID:1d4drIFg0
 そういえるじゃろう。
 飯銭とは食の対価じゃな。
 僧侶が働かずに施しを貰って生きてよいのは日頃から学道修業に励んでいるからなのじゃ。
 真面目に勤めないと閻魔の前で責められると言うのじゃな。

 そんな感じじゃな。

 見よ見よ涅槃堂の内の禅を、
 昔、百丈は座禅をしていない時も畑を耕していたのじゃ。
 夜には酔って遊んで屏風の下で潰れていては、
 閻魔の前で飯銭を責められてもどうしようもないのじゃ。

723避難民のマジレスさん:2021/08/25(水) 02:41:27 ID:qzveYPbg0
くま訳改
第三句;夜には酔って遊んで屏風の下で潰れていては、
第四句;閻魔の前で飯銭を責められてもどうしようもないのだ。

509
擯出中川賀頌  ちゅうせんをひん出する賀頌
不救病身勞病身 病身をすくはず病身を労す
蕭墻有禍會中賓 せうしょう禍ありゑ中のひん
十年劍樹刀山底 十年劍樹刀ざんのてい
萬劫難消阿鼻辛 萬却しょうし難し阿鼻のしん

くま訳
追い出した中川への祝い状
病身を救わず、苦しめる。
会派の内輪もめの元凶である
十年間、劍樹刀山 で苦しめたのだ、
猛火に身を焼く苦しみは、萬劫の年月忘れることができないものとなろう。

*擯出(ヒンシュツ):人をしりぞけること。のけものにすること。擯斥
*中川:「60%の日常 ブログ」記事より。「酬恩庵宝蔵には、一休禅師が書かれた文書がいくつか展示され 
 ています。門下の中川というお弟子さんが、一休さんの逆鱗に触れたようで、追い出された時の擯出状が 
 あるんですが、その中に『舌をぬき恥辱を与えし』と中々恐ろしいことが書かれてました。(この人のこ 
 とでありましょう)
*蕭牆の禍(しょうしょう)《「韓非子」用人から》一家の内部に起こるもめごと。うちわもめ。 
*刀山剣樹:思いやりが一切無いむごたらしい刑罰。または、酷く危険な境遇。「刀山」は刀の刃が上を向 
 いた状態で、無数に立てられている山。「剣樹」は葉や枝、花、実の全てが剣で出来ている樹。山を歩か 
 されたり、剣樹を登らされては落とされるという地獄で行われている刑罰のことから。
*阿鼻:八熱地獄の無間地獄。現世で父母を殺すなど最悪の大罪を犯した者が落ちて、猛火に身を焼かれる 
 地獄。
(´・(ェ)・`)つ

724鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/25(水) 22:52:57 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 中川というものを会から追い出したのじゃな。

 病身を救わず病身を疲れさせたのじゃ。
 会を内輪もめさせた原因なのじゃ。
 十年間剣樹刀山の苦しみをもたらしたのじゃ。
 その報いは万劫も消し難い阿鼻地獄の辛苦を味わうのじゃ。

725避難民のマジレスさん:2021/08/25(水) 23:13:50 ID:pFah44Nk0
510
擯出中川賀頌呈勝瓊 ちゅうせんをひん出する賀頌、しょうけいに呈す
本非蛇影客盃弓 もと蛇影にあらずかく盃のきゅう
元字在心從劫空 げん字こころに在り劫空よりす
昨日凡兮今日聖 さく日の凡こん日のしゃう
無根雲起變通風 無根雲起こる変通の風

くま訳
中川を斥ける賀頌 勝瓊に呈す
元々、盃に映ったのは蛇影ではなく弓影だったのだ。
元来、人は心持ち様次第でどうにでもなるもなのだ。
昨日凡夫、今日聖人。そんな事もあったりするのだ。
理由なく雲起り、風流れを変えたりもするのである。

*擯出(ヒンシュツ・ひんずい・ひんじゅつ):人をしりぞけること。のけものにすること。擯斥(ひんせき)。
*くま質問:勝瓊とは、中川の被害者でありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

726鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/26(木) 23:21:50 ID:1d4drIFg0
↑違うようじゃ。
 勝玉を呈したというのじゃな。
 中川を排斥して会が勝れた玉のようになったということじゃな。

 そんな感じじゃな。

 もともと客の盃の影は蛇ではなく弓だったのじや。
 もともと字は心にあり、劫空に従うのじゃ。
 昨日の凡人も今日は聖人になるかもしれんのじゃ。
 変通の風は無根の雲を引き起こすのじゃ。

727避難民のマジレスさん:2021/08/26(木) 23:50:36 ID:is15Ihgg0
*変通:時に当たって自由自在に変化し適応して行くこと。

くま訳改
中川を排斥して会が勝れた玉のようになったのだ。
第二句:もともと字は心にあり、劫空に従うのだ。
第四句:変通の風は無根の雲を引き起こすのだ。

くま質問:「もともと字は心にあり、劫空に従う」とは、どのような意味でありましょうか?

511
病僧與五辛
病僧大苦發傷風 病僧のたい苦傷風を発す
死脉頻頻命欲終 死みゃくひんぴんとして命終らんとす 
如来新病用牛乳 如来の新病牛乳を用ふ  
莫忌凡身藥草葱 忌む莫れ凡身薬草のそう
  
くま訳 
病気に罹った僧に五辛を与える
病僧は大へん苦るしい傷風に罹った。  
死脈を打ち命が終ろうとしていたのである 
釈迦は新しい病気に対しては牛乳を用いたのである。  
忌むなかれ、凡夫の身には、ネギが薬草になるのだ。

*五辛(ごしん):辛味や臭気の強い5種の野菜。仏家で、大蒜(にんにく)・韮(にら)・葱(ねぎ)・辣韮
 (らっきょう)・野蒜(のびる)、道家では、韮・辣韮・大蒜・油菜(あぶらな)・胡荽(こすい)をさす。これ 
 を食べると情欲・憤怒(ふんぬ)を増進するとして禁じる。五葷(ごくん)
*傷風:高熱を伴う風邪の一種。
*死脈:死期が近づいた弱い脈拍。「死脈が打つ(=臨終が近い)」
(´・(ェ)・`)つ

728鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/27(金) 23:22:46 ID:1d4drIFg0
↑誰がどうしたとかいうのは心にその名があるからだというのじゃな。
 それもまた空であり、無常であるというのじゃ。
 心次第ということじゃな。

 それでよいのじゃ。

 病僧に五辛を与えるというのじゃ。

 病僧大苦の傷風を發し、
 死脈が頻発して命も終わらんとしたのじゃ。
 如来は新病に牛乳を用いたのじゃ。
 忌む無かれ凡身が薬草のねぎを用いることを。

729避難民のマジレスさん:2021/08/27(金) 23:34:49 ID:pF.J9qfg0
鬼和尚、いつもくまでも分かる解説をありがとうであります。
「元字在心」事々に名づけて、その言葉に囚われてるに過ぎない、
「從劫空」本来一切空であり無情なのだ
ということでありますね。 

512
鳩鹿狐懺悔   きうろくこ懺悔
麋鹿生涯獝狘愁 びろくの生涯きつけつの愁ひ
鳩因淫欲苦心頭 鳩は淫欲に因って心頭を苦しむ
四時難愕此愁夢 し時おどろき難しこの愁夢
一枕清風夜夜秋 一枕の清風夜夜の秋

くま訳
鳩、鹿、狐の懺悔
鹿は生涯歩く獣であることを愁いている。
鳩は淫欲に心を苦しめている
四六時中、悲しみに浸りながら見る夢に驚いてはいられないのは、鳩鹿狐もわしも同じなのだ。 
毎晩、少しづつ秋が深まってゆく。

*麋:鹿の大なるものなり「なれしか」ともいふ。(大成脚注)
*獝狘:(中国語翻訳)歩く動物
*四時:1.四季。2.仏教 一日の四つの時。旦(=朝)・昼・暮(=夕)・夜。
*愁夢: 悲しみにひたりながら眠って見る夢。
(´・(ェ)・`)つ

730避難民のマジレスさん:2021/08/27(金) 23:46:40 ID:GHXQWsSY0
くま訂正
無情→無常
(´・(ェ)・`)b

731鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/28(土) 23:50:59 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、そのような理解で善いのじゃ。
 

 そんな感じじゃな。

 鳩鹿狐の懺悔゛というのじゃ。

 鹿は生涯愁いがあるというのじゃ。
 鳩は淫欲に心頭を苦しめられるのじゃ。
 これらの愁いは常に驚きではないのじゃ。
 夜寝る時には清風で忘れられるだけなのじゃ。

732避難民のマジレスさん:2021/08/28(土) 23:57:58 ID:FQPEZLyM0
513  503参
翠岩示眉毛圖  翠岩眉毛を示す図
賓中有主主中賓 賓中主有り主中の賓
關字失錢生也親 關字失銭せいやしたし
賊賊賊賊拿不得 賊賊賊賊だふとく
當頭姦黨是何人 たうとう姦たう是れ何人ぞ

くま訳
翠岩和尚の「眉毛あるか」と本来の面目についての問の絵   
これは、賓となり主となり立ち代わり自由のはたらきを示す、優れた問い掛けで(示衆)である。
しかし、(雲門に)「関」の一字で応えられてしまっては、その巧妙さも効を失ってしまった。
賊賊賊、賊機あり(と応えたのは保福)。これでは、取り付く島がないのである。
この真っ向から(眉毛=本来の面目はちゃんとあるよと)応えた、(長慶という)悪党は、何者であろうか?

*賓と主:四賓主は、賓と主、二人の能力の関係を四通りに分けたもの。賓は客、主は亭主。通常、客が修
 行者、主は師となる。
*翠岩示眉毛:碧眼録 第8則 翠巌夏末示衆 参おまけ
*拿不得:補うことを得ざるをいふ(大成脚注)
*当頭:頭の上であること。または、真向かいであること。間近であること。
*姦党:悪人の仲間。悪人の集団。悪党。

おまけ 碧眼録 第8則 翠巌夏末示衆 禅と悟りHP 訳・解説
翠巌示徒 翠巌徒に示す
千古無対 千古対無し
関字相酬 関字相酬ゆ
失銭遭罪 失銭遭罪
潦倒保福 潦倒(ろうとう)たる保福
抑揚難得 抑揚得難し
潦倒翠巌 ろうとうたる翠巌
分明是賊 分明に是れ賊
白圭無玷 白圭?(きず)なし
誰辯真仮 誰れか真仮を弁ぜん
長慶相諳 長慶相そらんず
眉毛生也 眉毛生也

注: 
千古対無し:千年の昔から並ぶものが無い。
関字相酬ゆ:「関」という字で締め括った。
失銭遭罪:金を失った上に罰せられる。身から出た錆の報いだ。
潦倒(ろうとう)たる保福:老いぼれた保福
抑揚得難し:上げたのか下げたのか捉えにくい。
白圭:白い清らかな玉器。
ロウロウたる翠巌:饒舌な翠巌。

頌:
翠巌は「眉毛ありや」と父母未生以前の本来の面目を衆徒に示した。
こう見事に突きつけられては 
千年の昔からこれに対応できる者はいないほど翠巌の示衆は優れている。
しかし、そこで雲門に「関」とやられては、さすがの翠巌も骨折り損のくたびれ儲けだ。
老いぼれの保福が「ヤイこの盗人めが、ビクビクするない」
と言ったのは一体翠巌を褒めたのかけなしたのか分かりにくい。
ペラペラとよく喋る翠巌は油断ならない男でうっかりすると懐中のものを根こそぎ盗まれてしまうぞ 
とは言っても彼の説法は瑕のない白い清らかな玉器
のようでその真仮を見分ける人は少ないだろう。
長慶は「眉毛はチャンと生えているじゃないか」
という言葉で天地一本の大眉毛(本来の面目)はここにあるじゃないかと言った。
(´・(ェ)・`)つ

733鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/29(日) 23:05:07 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 翠岩が眉毛を示す図なのじゃ。

 客の中に主があり、主の中に客があるのじゃ。
 関の字で銭を失い.、眉毛は親しく生えるのじゃ。
 賊賊賊賊と賊が多く捕らえることが出来ないのじゃ。
 当頭の姦党、これは誰なのじゃ?

734避難民のマジレスさん:2021/08/29(日) 23:55:36 ID:wiaF4jrU0
くま質問
「銭を失い」とは、問の価値が失われるというような意味でありましょうか?
「眉毛は親しく生える」とは、結果的に過剰な説明になっていないので、眉はすぐに生えて来る、みたいな
 意味でありましょうか?

514
半雲 齋名   半雲 齋名
膚寸無根點碧空 ふ寸無根碧空に点ず
安身立命在其中 安じん立みょう其の中に在り
夢魂昨夜巫山雨 夢魂昨夜ふざんの雨
吟斷朝來一片蹤 吟斷す朝來一片の跡

柚葉先生のブログ訳
半雲(ちぎれぐも) 
わずかな根なし雲が、碧空にある。
安心立命とはそのようなもの、
昨夜、巫山の雨が降り、わたしの夢に神女が来たから、
今朝はそのひとひらの蹤を追う

くま訳
半雲 斎名
ほんの少しのはぐれ雲が浮かぶ紺碧の空
安身立命がその中にある。
昨夜は、女神がその雨になって現れてくれた。
今朝は、吟じつつ、一片の雲を待つのだ。

*膚寸(ふすん):「膚」は指四本をならべた長さの意・ほんのわずかな大きさ。特に切れぎれの雲を形容す 
 るのに用いられる。
*無根:うわさ・疑惑などの根拠となる事実が無いこと。
*巫山雲雨:(ふざんうんう):男女の交わり、情交のたとえ。
「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山のこと。
 戦国時代の楚の懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に女神が「朝には雲と 
 なって、夕方には雨となってここに参ります」と言ったという故事から。『文選』宋玉「高唐腑」
*安心立命(あんじんりゅうみょう):「あんしんりつめい」とも読む。安心は仏教用語,立命は儒教の用 
 語。すべてを絶対のものにまかせて,心が動揺しないこと。
(´・(ェ)・`)つ

735鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/30(月) 23:27:12 ID:1d4drIFg0
↑そのような意味じゃな。
 それはただ弟子を試す関門であると見抜かれてしまったのじゃ。

 その問いに拠って説法が完全になったという賛じゃな。

736鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/30(月) 23:31:33 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 半雲の齋名じゃな。

 青空に点のような根無し雲があるのじゃ。
 安身立命はその中にあるのじゃ。
 昨夜は夢に巫山雨があったのじゃ。
 朝が來てその一片の跡を吟詠するのじゃ。

737避難民のマジレスさん:2021/08/30(月) 23:56:20 ID:1z1Q5x4Y0
515
黄龍三關    黄龍の三關
成佛成驢手脚全 佛と成り驢と成る手脚まったし
河沙異號任生縁 がしゃの異號しょう縁に任す
黄龍關外黒雲鎖 黄龍關外黒雲とざす
積翠春風楊柳前 積翠の春風楊柳の前

くま訳
黄龍三關
仏と成り、ロバと成り、してみれば、自分の手脚は完璧である。
河の砂程多くの先師などではなく、自分の生れついての因縁に任せるのだ
黄龍の関の外側には、透関を妨げる黒雲がある。
そこを抜ければ、透き通った青空、柳を揺らす春風があるのだ。

*黄龍慧南(おうりょう えなん、1002-1069):宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる黄龍 
 派 の祖として知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものがこの黄龍派に属する。
*黄龍三關:慧南禅師、学人接化に於ける常用の手段なり、是れに三關あり、曰く、生録、曰く、佛子、曰 
 く、驢脚と。會元十七慶閑章に曰く、『龍問ふ、「如何なるか是れ汝生録のところ。」閑曰く、「早晨白 
 粥を喫す、如今又饑を覺ゆ。」問ふ、「我が手何ぞ佛手に似たる。」閑曰く、「月下琵琶を弄す。」問ふ、
 「我が脚何ぞ驢脚に似たる。」閑曰く、「鷺鶿雪に立つ同色に非ず」と』あり、以って其の關内に入れば 
 積翠より吹き下す春風が楊柳の前にそよいで居る様なり。
*成仏:1 煩悩(ぼんのう)を断ち、無上の悟りを開くこと。2 死んで、この世に未練を残さず仏となる
*黒雲: 物事を妨げる不吉なもの。暗雲。
*積翠:積み重なったみどり。青空、青山、青海など一面のみどり(青)を形容していう語。
(´・(ェ)・`)つ

738避難民のマジレスさん:2021/08/31(火) 00:07:23 ID:1z1Q5x4Y0
(´・(ェ)・`)
(おまけ)
無門關 黄龍三關(無量宗壽偈)淵藪野狐禪HPより抜粋
淵藪野狐禪師訳:
黄龍(をうりやう)の三關  
私の手は仏の手と比して、どうか?――
私は枕の後ろを手探りして分かった。
思わずカッカッと大笑いをしてしまった――
もともと、体自体が手そのもの。
我の脚(あし)は、驢馬の脚と比して、どうか?――
それを見比べるための上げ脚を未だにちっともしていないうちに、最早、ど〜んと大地を踏み据えてしまっていた――
この世界を股にかけて余すところ無く歩く。
そのためには、かえって楊岐禅師の三本脚の驢馬に跨るのが何より。
人にはそれぞれ、生れついての因縁がある。
そのそれぞれが、鮮やかな機先の働きへと玄妙に通底している。――
那吨(なた)太子は、己が肉体の骨を抜き取って元の父に還したというではないか。
どうして今更、わざわざ老爺(ラオパン)五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁(えにし)をわざわざ必要
とすることがあるであろうか、いや、全く以って無用である。
黄龍慧南禅師が示した、仏の手と、驢馬の脚と、生れつきの縁(えにし)と――
それらは、「仏ではなく」、「道ではなく」、「禅ではない」――
咎めてはいけない、『無門関』が険しいことを、いや、その険しさ故に、多くの修行者が、深い恨みを、収
縮したブラック・ホールのように、『無門関』の空間に出現させていることを。
私の居るこの瑞巖寺では、最近、無門和尚が来て居る。
繩で編んだ説法の腰掛けにどんと座り込んで、真っ向を向くと、今は昔のエピソードを、一つ一つ、商量し
ている。
商量とは言うものの、その実、それがたとえ凡であろうが聖であろうが、一刀両断にしてしまうのである―
さても……それを聴いて、どれだけのトグロを巻いた有象無象の蛇ぐさどもが、美事、昇龍となって、天空
に雷音を轟かすことが出来るか。

無門慧開禅師をお招きして会衆に法を説く立僧首座となって頂いた。その御礼にこの如何にも田舎臭い偈
(げ)を以って感謝の意を表し、奉りまする。
紹定(じょうてい)庚寅(かのえとら:西暦1230年。)三月。無量宗寿書。

*瑞巌寺の僧、無量宗壽(むりょうそうじゅ:生没年未詳)の偈。
*「楊岐禅師の三本脚の驢馬」:楊岐方会(993〜1046)の公案、『僧が楊岐方会に「如何なるかこれ仏」 
 と問うたのに対し、楊岐が「三脚の驢子、踵を弄して行く」と答えた(『古尊宿語録』楊岐方会章、『卍 
 続蔵』ことから、楊岐の宗風を三脚の驢子と称する。』「五祖大満の、生まれ変わりの迂遠な縁」の「五
 祖大満」とは禅宗第五祖弘忍大満(602〜675)で、『前世に栽松道者という老人であったが、四祖道信の
 法を聴くためにみずから死んで一女の胎内に入り、この世に生まれて五祖となったという』、ここはその
 故事に引っ掛けたもの謂いである。
*哪吒(なた):道教で崇められている少年神、もしくは中国仏教もしくはヒン ドゥー教の民話・説話の 
 登場人物である。托塔天王(毘沙門天)の三男。生後三日目に湯浴みの途中で、裸のまま海中に飛び込ん 
 で竜王の水晶宮に行き、蛟龍の背筋を引きぬき、縧子(しごき・帯紐)にしようとした。父・李天王は後 
 難を恐れて幼いうちに殺そうとしたため、激怒した哪吒は自ら体を切って、肉を母に骨を父に返上して死 
 んでしまった。父の精と母の血を捨てたその霊魂は、西方極楽浄土に向かい、釈迦如来に訴え、助けを求 
 めた。如来は蓮の葉や根で肉体を造って、起死回生の真言を唱えて彼を蘇生させた。
(´・(ェ)・`) b

739鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/08/31(火) 22:00:13 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 仏と成り、驢馬となるも手足は完全なのじゃ。
 河砂の如き他のさまざまな名前になるのも生縁に任すのじゃ。
 黄龍の関外では黒雲が閉ざすのじゃ。
 積翠の春風は楊柳の前に吹くのじゃ。

740避難民のマジレスさん:2021/08/31(火) 22:12:14 ID:TzONvbZk0
くま訳改
第二句:河砂の如き他のさまざまな名前になるのも生縁に任すのじゃ。

516
病中作     病中の作
佛病祖病迸鬼眼 佛病祖病鬼眼ほとばしらしむ
臨濟梵几案禪板 臨濟き案禪板を焼く
不會金山大病辛 金山大病の辛をえせず、
時人空吟艶詩簡 時人空しく吟ず艶詩の簡

くま訳
病中作
ブッタや祖師に執着する病に罹らぬように眼光鋭く見張るのだ
臨濟は、几案も禅板も何もかも焼き捨てた
圓悟は金山で大病を患ったが、(師匠が艶詩を詠むのを聞いて悟りを開き)辛くなくなったのである。
今まさに病のわしは、空しく艶詩吟じるのである。

*几案・机案(きあん):几、案とも机つくえの意
*禪板:坐禅の時労を除かんがために衆僧の蓄ふる板、手を案じたり、身を靠(もた)らす器なり。
*時人:その時の人。同時代の人々
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575// >>206 臨濟几案
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>889 圓悟大病
(´・(ェ)・`)つ

741鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/01(水) 21:47:42 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 仏病、祖師の病に、鬼眼を飛ばすのじゃ。
 臨済は几案も禅板も焼いたのじゃ。
 金山は大病の辛苦に会わなかったのじゃ。
 時人は艶詩の簡を空しく吟じたのじゃ。

742避難民のマジレスさん:2021/09/01(水) 23:42:28 ID:41bbPmdQ0
517
自賛
分明畫出許渾圖 ふんみょうゑがきいだす許こんが図
吟撚徑山天澤鬚 吟じてきんざん天澤のひげをひねる
嗜譽求名不愛利 ほまれをたしなみ名を求めて利を愛せず
風流寂莫一寒儒 風流せきばくたり一寒儒

くま訳
自賛
明らかに許渾を描き出しているような絵である 
吟じてはひげをねじる径山の虚堂智愚禅師のようでもある。
名誉ある在り様を心がけ、利を愛さず
風流で静寂につつまれた、清貧の一儒者のような佇まいである。

*「自賛」:自分の頂相(肖像画)に許渾の姿を重ね合せている(蔭木英雄銭生解説)
*許渾圖:唐の許渾が詩に曰く、「高歌一曲明鏡を掩(おお)ふ、昨日の少年今白頭」と。蓋し此の意に」 
 よるか(大成脚注)
 許渾(きょこん、生没年不詳)唐の詩人。832年、進士に及第、病弱のため免職。
*譽:誉(ほまれ)1 ほめる。ほめたたえる。2 よい評判。ほまれ。「栄誉・声誉・名誉」
*嗜む:1 このんで親しむ。愛好する。2 このんでそのことに励んでいる。芸事などの心得がある。3
 つつしむ。気をつける。用心する。4 前もって用意しておく。心掛ける。5 見苦しくないように整える。
*寒儒:貧しい儒者。
(´・(ェ)・`)つ

743鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/02(木) 23:04:03 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 自賛じゃな。

 分明に許渾を書いたような図なのじゃ。
 吟じては径山の天沢が髭を捻るがごときなのじゃ。
 名誉を求めて利益は愛さないのじゃ。
 風流寂寞として一寒儒の如くなのじゃ。

744避難民のマジレスさん:2021/09/02(木) 23:19:56 ID:zqYcd.Go0
518
徳禪塔主自賛  徳禪たつす自賛
平生乱醉倒金樽 平ぜい乱醉金樽を倒す
老後住持塵事繁 老後の住持人事繁し
莫恃榮華竟成苦 たのむなかれ榮華はつひに苦と成る
江山水宿又風餐 かう山水宿又風さん 

くま訳
徳禪塔主自賛(一休自賛)
日頃から大酒をくらい、金の酒樽を飲み干してこらがしていたのだ。
老後の住持は、人事が忙しいのだ。
栄華が続くなどと思ってはいかんのだ。栄華は必ず苦に転じるのだ。
海山で、風を食い、水辺で寝るのが、性に合ってるのだ。

*1459年 一休66歳 徳禅寺住持の請を受けて入院(じゅえん)晋山する。
*徳禪寺:かつては大徳寺とは独立した寺だった。 文明年間(1469-1487)、一休宗純が、大徳寺山内の現在 
 地に移した。
*風飡水宿(ふうそんすいしゅく)とは. 「風を食い、水のほとりで寝た」.
(´・(ェ)・`)つ

745鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/03(金) 21:45:07 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。


 また徳禪塔主の自賛じゃな。

 平生は乱酔して酒樽も倒すほどなのじゃ。
 老後の住持は人事が忙しいのじゃ。
 栄華はついには苦になるから頼りにしてはいかんのじゃ。
 江山水に宿り、風を食らって生きるのじゃ。

746避難民のマジレスさん:2021/09/03(金) 22:23:56 ID:ovP.sNfk0
519
臨濟曹洞善知識貪欲熾盛 臨濟曹洞の善知識貪欲熾盛
米錢膝下露堂堂 米錢しつ下露堂堂    
辛苦沈淪萬劫膓 辛苦沈淪す萬劫のはらわた
賊智不妨過君子 賊の智妨げず君子に過ぎたり
徳山臨濟沒商量 徳山臨濟もつ商量

つらつら日暮らしブログTENJIN住職解説 超抜粋
各地の禅宗の指導者は、貪欲が旺盛だ
修行者が修行に入る際に、指導者に支払う金銭(米代)が膝下に露わになっている。善知識の坐る座が、
弟子達の銭で溢れている。
その欲の結果、辛苦に沈むこととなるだろうが、それは無限の時間に腹にため込んできた悪事の結果だ。
金銭を得んとする狡猾な智は君子に勝り、
徳山や臨済といった中国の禅将も、この件については議論することも出来まい

くま訳
臨濟曹洞の師家は貪欲極まりない 
食い扶持を庇護してくれる人から全く堂堂と受取るのである。
その貪欲さ故に辛苦に沈み落ちぶれるのは、長年積み重ねた悪行の報いである。
盗人としての智恵は人格の優れた人よりも勝っているのである。
徳山臨濟は議論もできまい

*熾盛(しじょう ・しせい)火が燃え上がるように勢いの盛んなこと。また、そのさま。
*膝下:自分を庇護(ひご)してくれる人のもと。「親の膝下を離れる」
*沈淪:おちぶれること
(´・(ェ)・`)つ

747鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/04(土) 21:44:25 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 臨済曹洞の善智識が貪欲盛んであるというのじゃ。

 米銭が堂堂の膝下にあることは露呈しているのじゃ。
 そのような欲に憑かれていては辛苦に陥り、万劫も苦しむのじゃ。
 賊の智慧が妨げられないことは君子にも過ぎるのじゃ。
 徳山臨済は商量などしなかったのじゃ。

748避難民のマジレスさん:2021/09/04(土) 22:22:03 ID:3IopZBcQ0
520
元本無明    元本無明
法塵習着奈相思 法塵習ぢゃく相思をいかんせん
李杜蘇黄音律詩 李杜蘇くわうが音律の詩
弓影客盃元字脚 弓影かく盃元字脚
生身入地獄如矢 しゃうしん地獄に入る矢の如し

くま訳
根本的な、無知愚かさ
仏法を汚すようなことを習い身につけて考えてしまうことをどうしたものか。
李白・杜甫・蘇軾・黄庭堅の音律詩
盃に映る弓影を蛇と思い込む、慌て者
生きてる内にあわてて地獄へ行くようなものだ。

*法の塵:仏法をけがすものを塵にたとえていう語
*李杜蘇黄:李白・杜甫・蘇軾・黄庭堅
(´・(ェ)・`)つ

749鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/05(日) 23:29:02 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 法塵の習着する相思をいかにすべきか問題なのじゃ。
 李杜蘇黄等の詩人の音律詩。
 その字脚などは客の盃に写った弓影と見るのじゃ。
 そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。

750避難民のマジレスさん:2021/09/05(日) 23:58:17 ID:q09fDcSk0
521
黄檗三頓棒   黄檗の三頓棒
棒頭打着羯磨僧 棒頭打着すこん磨の僧
痛處針錐絶伎能 痛處の針すゐ伎能を絶す
桃李春閨簾外月 桃李春閨簾外の月
吟魂一夜十年燈 吟魂一夜十年の燈

くま訳
黄檗に3頓60打殴られて悟った臨濟
棒で殴るのである。相手は戒律を守っている僧をである。
痛く打つ技能は飛びぬけてるのである。
逢瀬のしとねで、部屋の外の月を見るようなものである。(悟りを得る為の指導と何の関係も無いことであ
る) そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。

*三頓:1頓=20 3頓=20×3=60
*羯磨:梵語、訳して作法、又は業といふ、四法を具すべし、又三種ありと、得会の師、證據の師の意なり 
 (大成脚注)〈梵〉karmaの音写。① (天台宗、浄土宗などでは「かつま」、律宗、真言宗などでは「こん
ま」という。業、作業、所作などと訳す) 広義には儀式、作法のこと。通常は戒律上の受戒(じゅかい)、
懺悔(さんげ)、結界(けっかい)などの折の作法をいい、密教では如来のはたらき、諸尊の威儀などの意に
用いる。
*黄檗三頓棒 359の詩 参
*桃李:唐の劉禹錫 (りゅううしゃく) の「満城の桃李春官 (しゅんかん) に属 (しょく) す」の詩句か
ら》試験官が採用した門下生。自分がとりたてた人材。
(´・(ェ)・`)つ

751避難民のマジレスさん:2021/09/06(月) 00:10:39 ID:q09fDcSk0
くま訳改
第三句:その字脚などは客の盃に写った弓影と見るのだ。
第四句:そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのだ。
(´・(ェ)・`)b

752避難民のマジレスさん:2021/09/06(月) 20:40:11 ID:wYm5/Zhk0
くま訳(750)訂正
第4句:そうでなければ生身で矢の様に早く地獄行きなのじゃ。→削除→詩ごころとしては、一晩が十年の 
    様に感じられるような、話である
(´・(ェ)・`)b

753鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/07(火) 22:48:43 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 黄檗の棒を三頓なのじゃ。

 棒で修業中の僧の頭を打つのじゃ。
 痛い所に針を押すような絶技能なのじゃ。
 あたかも桃李の春に閨の簾外の月を見て
 吟魂する一夜をてらす十年の燈のようじゃ。

754避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 00:08:42 ID:/.kdcULo0
522 
賛法然上人   法然上人を賛す
法然傳聞活如來 法然傳へ聞く活如來
安坐蓮花上品臺 安坐す蓮花上ほん台
教智者如尼入道 智者をしてに入道の如くならしむ
一枚起請最奇哉 一枚の起請最も奇なるかな

大角修先生のブログ 訳
法然上人は生き仏だったと伝え聞き、
今は極楽の蓮華の最上席に坐しておられる。
学僧でも在家・無知の人のようであれという
一向念仏の一枚起請文は
まったく奇跡のような書である。

くま訳
法然上人を賛す
法然は生き仏であったとの伝説である。
極楽の蓮華の花の最上台に安坐してるらしい。
教える立場の智者も、在家の尼さんのよな愚鈍なものと自覚しなければならないそうだ。
一枚起請とは最も奇なる文章である。

*法然(1133-1212)は、平安時代末期から鎌倉時代初期、はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、 
 1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できると 
 いう専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれた。
*尼入道: 在家のまま髪を剃って仏門に入った女性。尼女房。
 ※一枚起請文「たとひ一代の法を能々学すとも、一文不知の愚どんの身になして、尼入道の無知のともが
 らに同して、智者のふるまひをせずして」
*一枚起請文:法然の作。念仏の要義を1枚の紙に平易な文章で書き,釈迦・弥陀に偽りのないことを誓っ 
 た文。〈一枚消息〉ともいう。1212年,つねに法然のもとで仕えてきた源智が,師の命終が近いことを
 知り,没後に門人たちの間で異義の生じることを恐れ,浄土宗の安心起行(あんじんきぎよう)の肝要を 
 懇望したので,法然がこれに応じてみずからしたため源智に授与した。浄土宗では法然の遺訓として最も
 尊重する。京都の金戒光明寺に真筆と伝えるものを襲蔵する。
(´・(ェ)・`)つ

755避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 00:11:31 ID:pxS9a12E0
*750のおまけ
サワラ君の日誌 「漢詩名句400選」(有岡 しゅん崖 編著者/東京堂出版)より選句
黄庭堅(こうていけん) 寄黄機復 黄機復(こうきふく)に寄する
我居北海君南海 我 北海に居り 君 南海  
寄雁伝書謝不能 雁に寄せて書を伝うる能(あた)わざるを謝す  
桃李春風一杯酒 桃李 春風 一杯の酒  
江湖夜雨十年燈 江湖 夜雨  十年の灯(ともしび)   
持家但有四立壁 家を持するに但だ四立の壁有り  
治病不蘄三折肱 病を治すに三たび肱(ひじ)を折るを蘄(もと)めず  
想得読書頭已白 想(おも)い得たり書を読んで頭(こうべ)已に白く  
隔渓猿哭瘴煙藤 渓(たに)を隔て 猿は哭く  瘴煙の藤  

わたしは北海におり君は南海
雁に便りを頼んでも断わられるだろう
桃李の花の下で 春風に吹かれて一杯の酒

江湖の夜雨 別れて以来十年の灯火
家にはただ四方に壁があるだけ
いまさら苦労して成功しようとは思わず

思うに君は読書に励みながら白髪になっていようか

谷を隔てて猿が啼いていることだろう 毒気のある谷の藤葛


くま質問
 「あたかも桃李の春に閨の簾外の月を見て
  吟魂する一夜をてらす十年の燈のようじゃ。」
 とは、
 「あたかも、桃李の花の下で遊里の閨の窓外に月を見て
  詩情を誘われた一夜を照らした月明かり、あれからもう十年も経ってしまったようだ。」
 みたいな訳でよいのでありましょうか?

これは、悟りを得る切っ掛けを得た事態から、もう十年も経った、みたいな意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

756鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/08(水) 23:10:11 ID:1d4drIFg0
↑ それは黄檗の賛であるからのう。
 黄檗は十年法灯を守り、一撃で修行者に悟りを得させたという意味じゃな。
 それはあたかも一夜の楽しみは、十年間照らし続けた燈明のおかげであるが如しというのじゃ。
 黄檗が十年法灯を守り続けた故に、僧も悟りを得たというのじゃ。

757鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/08(水) 23:17:38 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 法然の賛なのじゃ。

 法然は活きた如来と伝聞されているのじゃ。
 蓮華の上品の台に座すのじゃ。
 智者を教えて尼入道の如くするのじゃ。
 一枚起請は最も奇とすべきものなのじゃ。

758避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 23:50:14 ID:BZf28ne.0
くま質問
「智者を教えて尼入道の如くする」とは、どのように理解すればよいのでありましょうか?

523
貴人財     貴人の財
龐老棄錢誰擧楊 ほう老ぜにをすつ誰かこ楊す
曾撞玉斗亦何妨 かつて玉斗をつくもまた何ぞ妨げん
庭有梅花窓有月 庭に梅花有り窓に月有り
鐵檠紙帳五更霜 鉄けい紙帳五更の霜

くま訳
貴人にとっての財
ホウ老が銭を棄てて、誰が拍手喝采するのだろうか?
わしは、宝石をちりばめた柄杓で、酒を飲んだりしていたが、何か問題になるであろうか?
庭に梅あり、窓に月あり。
鉄の燈火台、紙のかや、風流な道具立ての部屋、明け方の霜

*龐居士:150(https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>919
 309(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>259
     395(http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>458
 の詩 参 元曲(元代に隆盛した雑劇と散曲を総称したもの。)「来生債」参
*挙揚:賞賛をするために演技の後で拍手をするまたは声を張り上げる 誉め讃える
*玉斗:斗は酒を酌む七杓の類なり。それを玉を以って作れるものをいふ。史記の項羽本紀に「玉斗一叟亞 
 父に與へんと欲す」と。(大成脚注)
*鐵檠:燈火の臺架をいふ。。
*紙帳:紙で作ったかや(防寒具にも用いた)
(´・(ェ)・`)つ

759避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 23:55:15 ID:BZf28ne.0
*おまけ「来生債」の内容。 『有福詩人』と元曲「来生債」 徳田武先生 より抜粋
〔楔子〕襄陽の李孝先は商人となろうとしたが、元手を欠いているので、龐居士に二個の銀を借りて商売を
する。が、元手も利息もすってしまい、借金を返せない。彼は県の役所で負債人を拷問して追徴していると
ころを見、自分もそうされるかと苦にして、病んで寝込んでしまう。
 龐蘊は・・・娘は霊兆。・・・霊兆は善知識たちからその聡明と仏性の明らかなることを保証されている。
龐居士は大金持で、友人の李孝先が彼に返すべき元手と利息は銀四個になっている。龐は行銭(雑役の用人)
をつれて、李孝先の様子を見に訪れる。
 龐は李孝先から、借金を返せないので官から追徴されるかと苦にして病気になったことを聞き、「我当初
本做善事来。誰想倒做了冤業。」(私は元来善い事をしようとしたのであって、どうして人を苦しめる事を
しようなどと思ったろうか。)と考え、李孝先の借金契約書を焼き、その上に二個の銀を与える。李孝先は、
来生では驢にも馬にもなってこの恩を返そうと、厚く感謝する。

*楔子(けっ‐し):1 くさび。かすがい。2 物事の最も重要なところ。

〔第一折〕
 ・・・
 龐は、「大地衆生、皆有仏性。則為這貪財好賄、所以不能成仏作祖」(この世の衆生はいずれも仏性ある
も、・財を貪り賄を好むために仏祖となれない。)と説く。
 龐は行銭に文書を焼かせる。妻下児は、そのわけを問う。ところへ、上界の増福神が秀士曽信実に扮して、
文書を焼くわけを問いに来たる。龐、「業上に業を作(な)さざる」ようにすると答える。曽、「這銭是人之
胆、財是富之苗」(金は人の心の支え、財産は富の基礎)、銭無ければ満腹の文章も貧を済わず、という。龐、
世人は有限の時と身を思わずに富を追求し、貧人や朋友の依頼には相手にならない、我は財布を傾け尽して
人に恵みたい、そして世に隠れて悪業が身にまとうのを免れよう、という。曽、「富与貴人之所欲」(富と
貴とは人の欲する所)、魯褒の「銭神論」にも「危可使安、死可使活、貴可使賤、生可使殺。」(危きも安ら
からしむべく、死も活かしむべく、貴も賤ならしむべく、生も殺さしむべし。)とある、という。龐、銭の
持づに値せぬことを様々にいう。
 曽が帰るに当って、龐は金と馬を与える。曽は決してこれを受けず、二十年後に再会せんと述べて、別れ
る。
 龐は、夕暮になったので、行銭と一緒に香を焚きに廻り、粉ひき小屋に行く。粉ひきの歌を聞き、「心中
必然快活」なる者と思い、呼び出して、定めし楽しかろうと聞く。粉ひきは、労働の大変で苦しいことを説
く。龐は粉ひきの負担を取り除くこととし、また「自今日為始、蒋這粉傍油房磨房都与我関閉了者、再休要
開。」(今日より粉小屋・油小屋・磨(ひ)き小屋をすべて閉じて、二度と開くまい。)と定める。粉ひき、そ
れでは仕事が無くなって、凍死か餓死かしてしまうという。龐、粉ひきに銀を与える。龐は、粉ひきへの報
恩として銀を与えたのであり、龐が願うのは「善縁を結ぶ」こと、である。


粉ひきは、銀を懐中にしっかと押しこみ、「誰知道我懐裏有銀子。」(俺が懐に銀を持っていることを知る
者はいない。)といって、寝る。が、夢に、大道でスリに銀を取られる様を見、眼を覚す。今度は「竈窩
(そうか・かまど)」中に銀を慝し、「誰知道竈窩裏有銀子」(カマドに銀があることはわかるまい。)とい
い、眠る。また、火事の夢を見て、眼を覚す。今度は「水鵠」の中に銀を悪し、「誰知道水短裏布銀子」と
いって、眠る。しかしまたもや洪水の夢を見て醒め、今度は「門限児」の下に銀を慝して眠る。「他怎麼
知道我門限児底下、埋着這銀子。」(敷居の下に銀が埋めてあることは知れまい。)と思うが、夢に賊来って
自分を砍るを見、眼をさます。
 粉ひきは、大金を持つ福分が自分には与えられてないことを悟り、銀を龐居士に返しに行く。「我那命裏
則有分簸麦揀麦淘麦、打羅磨麺。我可也消受不的這個銀子罷。」(俺は麦を簸(ひ)いたり選んだりより分け
たりし、麦粉をふるったり挽いたりするのが分なんだ。俺にはこの銀は使いこなせないのさ。)というのが
粉ひきの感慨である。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

760避難民のマジレスさん:2021/09/08(水) 23:56:16 ID:BZf28ne.0
〔第二折〕
 龐・下児・霊兆.鳳毛・行銭登場。龐居士、仏道は自ら修めて自ら得るものであると説く。また、貧人に
施与するのは自分だけだ、と唱う。
 そこへ、粉ひきが銀を返しに来る。龐居士は「這銀子呵原来分定也是前生注」(銀というものは前生に分
が定められているのか。)と嘆ずる。そして、一両の銀子を粉ひきに与えようとするが、粉ひきは受け取ら
ず、商売しに行く。龐居士は、後槽(厩)に行く。中では驢・馬・牛が話している。馬は、前生で十五両を龐
に返さなかったため、馬となって労働し返債している。驢と牛も同じ事情である。これを聞いた龐居士は驚
いて、「我当初本做善事来。誰想弄巧成拙。兀的不都放做来生債也。」(私は元来恵みを施そうとしたのに、
意外にも善かれと思ってしたことが悪しくなって、すべて来生までの負債を与えてしまった。)という。そ
して、文書を焼いて、もう人に銭を惜し与えない決心をする。龐居士の願いは「一世児清聞」(この世の静
謐)を得ることだけである。妻は強く焼かないように注告する。龐居士は、奴僕にすべて従良(解放)の文書
と二十両の銀を与えて自分の家に帰させ、家畜を鹿門山に放たせ、家財を海に沈めさせようとする。妻は子
供の将来を思って、強く反対する。が、龐居士は、家を放棄する決意を変えない。
〔第三折〕
 東海竜王、水卒をつれて出で、龐居士の船の来たるを待つ。龐居士、下児・霊兆・鳳毛・行銭と共に財宝
を積んだ船を東海に沈めに来る。その行為は「世人重金宝、我愛刹那静、金多乱人心、静見真如性」(世人
は金宝を重んずるも、我は刹那(このよ)の静なるを愛す、金多ければ人心を乱すも、静は真如の性を見(あ
らは)す。)という考え方に基づく。
 が、船は沈まない。龐居士は行銭に船底に穴をあけさせるも、なお船は沈まぬ。
 天使は東海竜王に命じて、龐居士の家財をすべて竜宮海蔵に収め入れさせる一天にわかにかき曇り、雷鳴
とどろき、船は沈む。
 龐居士は妻に、自分には笊籬(ざる)を編む腕がある、一日に十把の笊籬を編んで、それを霊兆に売らせて、
生計を立てようという。
〔第四折〕
丹霞禅師(嚢陽の雲岩寺の長老)は、毎日、寺に笊籬を売りに来る霊兆を気に入っていて、それを沢山買って
いる。この日、禅師は霊兆にちょっかいを出して、霊兆に逃げられる。ために禅師は、笊籬を買わなかった
ので、霊兆のために一百文を落としておく。霊兆はこれを見つけ、思案のあげく、銭を拾い、そのかわりに
十把の旅籠を代償として置いておく。
 龐、下児・鳳毛登場。霊兆は父親に一百文と笊籬をとり換えたことを報告する。青衣童子が彼らを迎えに
来、彼らは兜率宮霊虚殿に到り、石洞門に入る。そこに註禄神が現れる。それは生前の李孝先が変じた神で
ある。註禄神は増福神を引き合わせる。これは、曽信実が変じた神。増福神は、龐居士が今日「功成行満、
証果朝元」(功成り修行も終えて、神仙に昇る。)ことを告げる。曽信実が二十年後に再会しようと述べた言
葉は、ここに果たされた。龐居士は上界の賓陀羅尊者、.下児は上界の執幡羅刹女、鳳毛は善才童子にそれ
ぞれなり、霊兆は特にまさって南海普陀落伽山七珍八宝寺の自在観音菩薩となる。
龐鹿居士は「人世官員(このよのやくにん)」に「莫恋浮銭、只将那好事常行、管教你一個々得道成仙。」
(はかない金を求めずに、ひたすら善事を行うならば、必ずすべての者が道を得て仙とならん。)と勧める。

(´・(ェ)・`)
(おわり)

761鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/09(木) 23:40:02 ID:1d4drIFg0
>>758 法然は浄土教の者であったからのう。
 賢い者に念仏を教えて男女を尼や僧のようにしたということじゃな。

762鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/09(木) 23:44:30 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 貴人の財というのじゃ。

 ?居士は銭を捨てたが誰が誉め讃えたじやろうか。
 かつては玉杯で酒を飲んだが何の妨げになったじゃろうか。
 庭に梅花あり、窓には月が在るのじゃ。
 鉄の燈火台に紙の蚊帳、明けに霜がおりるのじゃ。

763避難民のマジレスさん:2021/09/10(金) 07:17:00 ID:gNt.YYHs0
くま訳改
第二句:かつては玉杯で酒を飲んだが何の妨げになっただろうか。

524
松窓 齋名   しょうそう 齋めい 
茅廬竹閣與難窮 ばうろ竹閣興きわまりがたし                                     
臨濟栽來功不空 臨濟うゑ来たって功むなしからず
枕上愧慚有閑夢 枕上愧慚す閑夢有るを                                                                                                    
夜來驚起屋頭風 夜來驚起す屋頭の風

くま訳
松窓 齋名 
萱葺き屋根の竹閣の住まいの楽しみは、窮め尽くせないのである。
臨濟が遺した功績は偉大である。
夜寝ていて夢を見てしまうことは、恥じ入るばかりである。
夜来、屋根の上を吹きぬける風音に驚き飛び起きてしまうのである。

*茅廬(ぼうろ):茅葺(かやぶ)き屋根の家。粗末な家。転じて、自分の家をへりくだっていう語。
*竹閣:竹で作った建物
*臨済栽松、         師、松を栽うる           
 次黄檗曰、深山裏栽許多松、 次(つ)いで、黄檗問う、「深山裏に許多(そこばく)を栽えて、
 作甚麽、          什麼(なに)をか作(なさ)ん」。
 師曰、一与山門作境致、   師云く、「一つには、山門の与(ため)に境致と作(な)し、
 二与後人作標膀、      二つには、後人(こうじん)の与(ため)に標榜と作(な)さん」。
 道了将钁頭墾地三下、    道(い)い了わって、钁頭(かくとう)を将(もっ)て地を打つこと三下す。 
 檗曰、           黄檗云く、
 雖然如是子己喫吾三十棒了也、「然(しか)も是(かく)の如くなりと雖も、子(なんじ)已に吾が三十棒を喫  
               し了われり」。
 師又墾地三下、嘘一嘘、   師、又钁頭を以て地を打つこと三下し、嘘嘘(きょきょ)の声を作す。
 檗曰、吾宗到汝大与於也。  黄檗云く、「吾が宗、汝に到って大いに世に興らん」。』

 萬福寺住職 福場宗康和尚訳
 ある時、臨済禅師が境内に松の木を植えていると、
 師匠の黄檗禅師が来て言いました。「こんな山奥に松を植えて、
 どうするつもりか」。
 臨済禅師は、「第一には寺の境内の景観をよくするため。
 第二には後の修行者がこの松を見て、松を植えた私の心を感じて、自分の生き方の糧としてくれたら」。
 と返答して、鍬で土を三度掘り起こしました。
 そこで黄檗禅師は追い打ちをかけます。
 「なるほど、そういうことか。だが境内に松など植えたところで、それがどうだというのだ」。
 しかし、臨済禅師の態度は変らず、また鍬を三度振り下ろすと大きく息を吐きました。
 黄檗禅師は、鍬をとって黙々と仕事に励む臨済禅師の姿を見て、
 「我が宗門は、おまえの代で大いに興隆するだろう」。と言い残されたそうです。
(´・(ェ)・`)つ

764鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/10(金) 23:01:32 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 松窓の齋名なのじゃ。

 茅廬竹閣の興は極めがたいのじゃ。
 臨済が植え来たってその功は空しくないのじゃ。
 閑にあかせて夢ばかり見ているのを枕上に恥じるのじゃ。
 夜来、屋根にふく風に驚いておきるのじゃ。

765避難民のマジレスさん:2021/09/10(金) 23:27:52 ID:0ulgyI.g0
くま質問
 「閑にあかせて夢ばかり見ているのを枕上に恥じる」とは、ありのままを観ることをせず、妄想に耽るこ
とでは、悟りには至らない、みたいな事を言おうとしてるのでありましょうか?

525
讓羽山新剏一寺  讓羽山に新に一寺をはじむ
山名虚堂寺扁大燈 さんをき堂寺と名づけ、大燈と扁す、 
因述一偈     因って一偈をのぶ

茅屋三間起七堂 ぼうおく三けん七堂を起こす
狂雲風外我封疆 狂雲風外我がほうきょう
夜深室内無人伴 夜深うして室内人の伴ふ無し
一盞殘燈秋點長 一さんの殘燈秋點長し

柳田聖山先生訳
虚堂山大灯寺
わずか三間の茅葺の小屋を建て、七堂伽藍とし、
これを世捨て人、狂雲子の住む別天地とした。 
夜が更けても、この住いに自分以外は居ない。
燭台の残り火が秋の夜長を照らすのみなのだ。

くま訳
讓羽山に新しく一寺を始めたのである。
山名を虚堂寺、扁大燈と扁したのである。
因って一偈を以って述べるのである。

茅葺屋根の間口三間(約5.5m)の寺院である。
野宿暮らしの狂雲の住処としたのだ。
夜更けて、室内にはわししかいないのだ。
残灯の下で、一人で一杯飲む、秋の夜長である。

*七堂:七堂伽藍(しちどうがらん)伽藍はサンスクリット語 saṃghārāmaの音写である僧伽藍の略。イン
 ド本来の意味は,修行者たちが住する園林のことであるが,中国,日本では一般に僧侶の住む寺院堂舎の
 称。後世,一つの伽藍には7種の建物を備えなければならないとし,これを七堂伽藍という。
*一盞(イッサン):① 一つのさかずきや皿。② 一杯の水や酒。また、それを飲むこと。軽い飲酒。
(´・(ェ)・`)つ

766鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/11(土) 23:40:32 ID:1d4drIFg0
↑そのようなことじゃな。
 作務も禅では立派な修業だというのじゃ。
 怠けていてはいかんのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 山に新しい寺を作って一偈をのべるのじゃな。

 三間の茅屋を起こして七堂となすのじゃ。
 わしが風をよける家とするのじゃ。
 深夜になれば誰もいないのじゃ。
 一杯飲んで秋の長夜を残灯が照らすのをみるのみなのじゃ。

767避難民のマジレスさん:2021/09/11(土) 23:51:12 ID:BIGPSRTI0
526
聾       ろう
掛拂遭呵百錬金 ほつをかけてかせらる百錬の金
天生懐海耳根深 天生ゑ海じこん深し
眞聞眞箇在何處 眞聞眞箇いづれのところにか在る
爲鼓無絃一曲琴 爲に鼓す無絃一曲のきん

青柳仁先生訳・解説
馬祖さんのところで、払子を壁に掛けていた時、百丈さんは一喝されてね、三日もの間耳が聞こえなくなっ
たんだよ。
馬祖さんの一喝は根源的な真実を開示してくれる百戦錬磨の鍛え抜かれた金言なんだ。
その真実の言葉にはっと気づいた百丈さんは、聞こえない真実の言葉を聞き取る力を持っていたんだね。
いわば弦のない琴の音を聞き分けることができたので、馬祖さんは無弦の琴を奏でたんだよ。

※払を掛け、呵に遭う:『伝燈録六』にある。馬祖道一さんに一喝された百丈懐海さんが、三日間耳が聞こ 
 えなくなったという話。

くま訳

百丈は馬祖と同じように払子を曲彔(きょくろく)に立て掛けえたので、馬祖から百戦錬磨の金言の喝を受
けて悟ることができた。
百丈懐海は生まれながらにして聞き取る能力が高かったので、
真実を真に聞き分けることができたのであろう。
馬祖はそれがわかっていたので、無弦の琴で一曲奏でたのだ。

*爲鼓無絃一曲琴:無弦の琴、無孔の鐵笛、鼓吹し得て之を不聞裡に聴き来たって、始めて真箇の消息を七
 得るなり(大成脚注)
*聾:水上勉解説:百丈懐海が払子をかけて馬祖に大喝されて耳が三日もきこえなかった故事を下敷きに、  
 天性百丈は耳根がふかかったゆえに真聞真箇が悟れたとされる。
*真個・真箇:まことであること。事実であること。虚偽のないこと。また、そのさま。真正。しんか。ま
 ことに。実に。はたして。
(´・(ェ)・`)つ

768鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/12(日) 23:37:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 払子をかけて呵に遭う百錬の金なのじゃ。
 天が生み、海が抱いていた耳根は深く心に根ざしているのじゃ。
 真聞、真個はどこにあるのじゃろうか。
 鼓を打つのは弦のない琴で一曲演じる為なのじゃ。

769避難民のマジレスさん:2021/09/12(日) 23:59:28 ID:d9q5xzjA0
くま質問
 「呵に遭う百錬の金」とは、耳が聞えなくなったが、真理を悟ることができた。
 「天が生み、海が抱いていた耳根は深く心に根ざしている」とは、天性の理解力の深さによるのである。
 「鼓を打つのは弦のない琴で一曲演じる為」合の手を入れるのは、自力で悟りを得るように導くため、い
 たいな理解で良いのでありましょうか?

527
病中還人送曲椂 病中人の曲ろくを送るを還す  
法座上禪名利基 法座上の禪は名利のもとゐ
諸方竪拂與拈鎚 諸方じゅほつとねんついと
圓悟金山遭大病 圓悟金山大病にあふ
苦吟小艶一章詩 苦吟す小艶一章の詩

くま訳
病中に、人から曲椂(寺での説法の時に使う椅子)を贈られたが、返したのである。
法座上の禪は名利を求めるものである。
諸方の師家は、払子をたてたり、鎚をひねったりし見せて指導する
圓悟は金山に行って大病を患ったのであるが、(圓悟にとって、苦はそこには無く、)
一章の小艶詩を吟じる中にあったのだ。 

https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>889
*圜悟克勤(えんご こくごん、1063-1135宋代の禅僧圜悟禅師、仏果禅師、真覚禅師と敬称される。
 諸処の高僧のもとで修行し、最後に五祖法演の弟子となった。のち金山に行き病を得て、再び五祖法演の 
 もとに戻り、法を嗣いだ。
 碧巖録に垂示・著語・評唱を加えた。
*『五灯三元』十九にある禅宗史話。圓悟は金山で罹った大病が治って、師の五祖法演のもとに帰ると、五
 祖は陳提刑に小艶詩を提唱していた。それを耳にして園悟は大悟した。
(´・(ェ)・`)つ

770鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/13(月) 23:59:09 ID:1d4drIFg0
↑それは十分に実践して来た者が大喝にあったといことじゃな。

 人に拠るが聴覚に拠って自我を保つものも居るのじゃ。
 それが百丈であったのじゃな。
 そのために一喝を受けて悟れたのじゃ。

 本来無我の者にそれを悟らせるために、大喝をしたということじゃな。
 鼓は大喝であり、弦のない事とは衆生本来無我の仏であるということなのじゃ。

771避難民のマジレスさん:2021/09/13(月) 23:59:52 ID:fdObWdiE0
528
亂裡工夫
毎朝高叫甚忙忙 毎朝高く叫んで甚だ忙忙
受敵機先當八方 敵を受けて機先八方に当たる 
観法坐禪休度日 観法坐禪日をわたることを休めよ
但須勤跋扈飛揚 だだ須らく勤めてばっこひようすべし

くま訳
混乱の中での工夫
毎朝大声で叫ぶ、はなはだ気忙しい
真先に攻撃を八方から受ける
徹夜して坐禅をするのはやめておけ
ただ、当然為すべきこととしては、常識など無視して、勝手に振舞うことである。

*忙忙(ぼうぼう、せわせわ)せわしくて落ち着かないさま。せかせ
*坐禅観法:坐禅を組んで、心中に悟道を黙想すること。
*飛揚跋扈(ひようばっこ):思うまま横暴に振る舞うこと。または、臣下が好き勝手に振る舞い、君主の力
 をこえること。「飛揚」は猛禽類の鳥が舞い上がること。「跋扈」は魚を捕まえるための竹垣の罠を飛び 
 越えて逃げること。悪人などが、常識や規則などを無視して好き勝手に行動することをいう。

772鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/14(火) 00:09:08 ID:1d4drIFg0
琴じゃな。

そんな感じじやな。

 病中に人から曲禄を送られるが還したのじゃな。

 法座の上の禅は名利の基なのじゃ。
 諸方の僧は払子を使い、槌を捻ったりするがのう。
 圓悟は金山で大病にあったが、
 小艶一章の詩の苦吟を聞いて悟ったのじゃ。

773避難民のマジレスさん:2021/09/14(火) 00:17:27 ID:fdObWdiE0
>>770
鬼和尚、くまにも分かる解説を、いつもありがとうであります。
(´・(ェ)・`)つ

774避難民のマジレスさん:2021/09/14(火) 00:22:30 ID:fdObWdiE0
くま訳改
第三句:(圓悟にとって、苦はそこには無く、)削除
第四句:小艶一章の詩の苦吟を聞いて悟ったのだ
(´・(ェ)・`)b

775鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/14(火) 23:11:55 ID:1d4drIFg0
>>773 どういたしまして、まおい゛てなさい。

776鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/14(火) 23:14:42 ID:1d4drIFg0
>>771 それでよいのじゃ。

 乱の中での工夫じゃな。

 毎朝高く叫んで忙しいのじゃ。
 敵を受けて機先を制して八方に当たるのじゃ。
 観法坐禪は日をわたることを休めるのじゃ。
 ただすべからく勤めて自らを跋扈飛揚させるのじゃ。

777避難民のマジレスさん:2021/09/15(水) 00:27:12 ID:NAZeRgmA0

くま質問
 「乱の中での工夫」とは、戦乱の中での工夫と言う意味と、仏道修行の中での心の乱れという意味をかけ
 てるのでありましょうか?
 「毎朝高く叫んで忙しい」とはどの様な状況でありましょうか?
 「敵を受けて機先を制して八方に当たる」とは、常に注意深く、周囲の状況や溢れ出す思考妄想に気付い 
 ていなさいみたいな意味でありましょうか?。
 「日をわたることを休める」とは、どの様な意味でありましょうか?
 「勤めて自らを跋扈飛揚させる」とは、常識や規則に囚われないで、自由に意識を飛翔させなさいみたい 
 な意味でありましょうか?
529
利欲忘名  1/2 利欲名を忘る 1/2
利欲農夫商女情 利欲の農夫商ぢょの情
絶交美譽與芳聲 交わりを絶つ美誉と芳声と
梅花雪月非我事 梅花雪月我が事に非ず
貪着米錢忘却名 米錢を貪じゃくして名を忘却す

くま訳
利欲は名分を忘れさせる
自分の利益を得ようとする農夫や商売女のような情や
名誉や名声とは縁を切花雪月は我事ではないのだ。
食い扶持を稼ぐことに執着すると、守るべき名分を忘れてしまうのだ。
 
*美誉:よいほまれ。立派な名誉。
*芳声:よい評判。名声。
*名:守るべき分際。名分
(´・(ェ)・`)つ

778鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/15(水) 22:43:17 ID:1d4drIFg0
>>777 そのような意味じゃな。
 戦と心の中の雑念の働きをかけているのじゃな。

 人々が戦で朝から争うのと心の働きが朝から騒ぎ出すのをかけているのじゃな。

 戦で敵から目を離さず注意深く防衛するのと、心を油断せず観察する事をかけているのじゃな。
 
 夜には休むべきというのじゃな。

 戦で全力で戦うことと、自らの心を練磨して修業に励むことをかけているのじゃな。

779鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/15(水) 22:58:19 ID:1d4drIFg0
>>777 それでよいのじゃ。

 利欲は名を忘れさせるのじゃ。

 利欲は農夫や商人や女子の感情なのじゃ。
 それで美誉や芳声と交わりを絶ってしまうのじゃ。
 梅花雪月を我が事に非ずとして、
 米銭に貪欲に執着して名声を忘れてしまうのじゃ。

780避難民のマジレスさん:2021/09/16(木) 04:10:22 ID:duC0Z0a20
くま訳改
第三句:梅花雪月を我が事に非ずとして、

530
利欲忘名  2/2 利欲名を忘る
賣弄深藏貪欲心 まいろう深くかくす貪欲の心
心中密密要黄金 心中密密に黄金をもとむ
詩情禪味風流譽 詩情禪味風流のほまれ
秋思春愁雲雨吟 秋思春愁雲雨の吟  

くま訳
利欲忘名 2/2
優れた者のように振る舞っていても、貪って飽くことの無い思いを深くかくしてるだけの者は、
心の奥底では黄金を求めているのである。
そんな俗気を離れた味わいのある詩情が、風流の誉である。
秋のもの悲しい思い、春の愁い、雲雨情交等を吟じるのだ。

*売弄(ばいろう):自慢すること。すぐれているようにふるまうこと。
*禅味:禅の趣。禅の、俗気を離れた味わい
(´・(ェ)・`)つ

781鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/16(木) 21:41:19 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。


 また利欲で名を忘れるのじゃ。
 
 売弄する者は貪欲の心を深く隠しているのじゃ。
 心の中には深く隠しているが黄金を欲しているのじゃ。
 詩情の禪味、風流の譽を知らんのじゃ。
 秋思春愁に雲雨を吟じるのじゃ。

782避難民のマジレスさん:2021/09/16(木) 23:55:24 ID:LKUxK5AY0
531
紅葉題偈以呈多欲之僧 紅葉に偈を題して以って多欲の僧に呈す
滿庭落葉無僧掃 滿庭の落葉僧のはらふ無し  
南陽擁來猶落草 南陽擁し來たる猶ほ落草  
自悔成欲界衆生 みづから悔ゆ欲界の衆生と成るを
君子愛財是何道 君子財を愛す是れ何の道ぞ

くま訳
紅葉に題をとって偈頌を作り、欲深い僧(養叟宗頤)に呈するのである。
庭いっぱいに落葉があっても、掃除をする僧はいない
南陽慧忠を擁し(円相を説いても)ても、山賊になったようなものである
欲界に生れたことを、自分で後悔しているのであろう。
君子財を愛すとは、これのどこが仏道なのだ。

*南陽慧忠(なんよう えちゅう、675-775年、唐代の禅僧。諡は大証禅師。禅宗の六祖慧能の直弟子であ
 る。粛宗・代宗と2代の皇帝の参禅の師となり、慧忠国師と称せられた。ウィキペディア(Wikipedia)
(´・(ェ)・`)つ

783鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/17(金) 23:28:57 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 紅葉の題の偈を多欲の僧に呈するのじゃ。

 万庭の落葉、払い清める僧はいないのじゃ。
 南陽が擁し来たのは猶落葉なのじゃ。
 欲界の衆生と成ることを自ら悔いるべきなのじゃ。
 君子が財を愛するとはどのような道なのじゃ?

784避難民のマジレスさん:2021/09/17(金) 23:57:26 ID:.9jQ8Mx60
*落草:動詞 ((宋元明清時代の話し言葉の上に形成された書き言葉)) 盗賊の仲間に入る,山賊になる.

くま質問
「南陽が擁し来たのは猶落葉なのじゃ。」とは、南陽慧忠を擁し(円相を説いても)ても、山賊になっ
たようなものであるという解釈で良いでありましょうか?

532
題靈山塔贈正傳庵僧 りょうぜんの塔に題し、正傳庵の僧に贈る
看來眞箇正傳庵 看來たれば眞箇正傳庵
不説宗乗唯世談 宗乗を説かずただせい談
凛凛威風逼人冷 凛凛たる威風ひとにせまってすさまじ
當機覿面有誰参 當機てき面誰有ってか参ぜん

くま訳
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
見に来てみれば、真に正伝の寺院である。
自宗の教義は説かず、一般的な共有できる話をする。
凛とした威風がすさまじく圧倒してくる。
臨機応変な対応できる、参って見ようかという勇者はいないか

*霊山:=徹翁義亨(てっとう ぎこう)1295―1369。臨済(りんざい)宗。京都建仁寺で出家,宗峰妙超の法   
 をつぐ。大徳寺1世となり,法度(はっと)を制定する。のち徳禅寺をひらき隠居
*大徳寺 - 徹翁義亨の塔所正伝庵もある。(乱により焼失した徳禪寺を一休が大徳寺内に再建)
*宗乗:自宗の教義。もと禅宗で、禅門の宗義や禅の極致をいった語。他の教えを余乗といって区別した。
(´・(ェ)・`)つ

785鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/18(土) 23:00:01 ID:1d4drIFg0
↑ 落草じゃった。
 そのようなことじゃな。
 その法もまだ足りないところがあったということじゃな。

786鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/18(土) 23:05:32 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 靈山塔の題を正傳庵の僧に贈るのじゃ。

 看来たれば真個の正伝庵なのじゃ。
 宗乗を説かずただ世間話をするのじゃ。
 凛々たる威風は激しく人に迫ってくるのじゃ。
 機に当たって正面から参禅できるものがいるじゃろうか。

787避難民のマジレスさん:2021/09/18(土) 23:25:15 ID:AK2QRmX60
くま訳改
霊山塔と題して、正伝庵の僧に贈る
第二句:宗乗を説かずただ世間話をするのだ。

533
佛眼遠禪師三自省曰  佛げんをん禪じ三自省に曰く
報縁虚幻不可彊爲   報縁虚幻しひて為すべからず
浮世幾何随家豊儉   ふせいいくばくぞ家の豊儉に随ふ
苦樂逆順。道在其中。 苦樂逆順。道其のうちに在り。
動静寒温。自媿自悔  動じゃう寒温。みずからはじ自ら悔ゆ

自悔自慚温與寒 自ら悔ゆ自ら慚づ温と寒と
看看三界本無安 看よ看よ三界もと無安
愚迷正是衆生樂 愚めいはまさにこれ衆生の樂  
嘗蜜猶忘井底難 蜜をなめて猶ほせい底の難を忘る

くま訳
仏眼清遠禪師の顕した三自省に曰く
幻想的な仏縁を強いて求めてはならない。
浮世での在り様は、家の豊かさ貧しさにある程度関係するのである。 
苦あれば樂あり、楽あれば苦あり。仏道は其中にあるのである。
動と静、寒と温。自らを省みて愧じ、悔いてみるのである。

温寒を自省してみれば、
見よ、元から、現世は、心安らぐことがない。
愚迷で真理を知らぬことが、衆生の楽というものだ。
蜜をなめて、井の底の困難を忘れようとしているのだ。

*仏眼清遠(1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧勲とともに東山の三仏と称さ
れ、仏眼派の派祖。三自省:おまけ 参
*法縁:仏法に会う縁。仏縁。法を縁とする慈悲。
*虚幻(中国語):形容詞 〔非述語〕幻の,幻想的の,実体のない.
*浮世(ウキヨ・ふせい)1《もとは「憂き世」の意》仏教的厭世観から、いとうべき現世。つらいことの 
 多い世の中。無常のこの世。2 死後の世に対して、この世の中。現実生活。人生。3 つらいことの多い 
 男女の仲。4 《漢語「浮世(ふせい)」を「うきよ」と解して》定めのない、はかない世の中。はかない 
 世なら、浮かれて暮らそうという俗世の気持ちを含む。5 《近世初期から、現世を肯定し、享楽的な世 
 界をいう》遊里。また、遊里で遊ぶこと。6 他の語の上に付いて、当世風・今様の、または好色・風流 
 などの意を表す。[補説]本来は、形容詞「憂(う)し」の連体形「憂き」に名詞「世」の付いた「憂き世」 
 であったが、漢語「浮世(ふせい)」の影響を受けて、定めない人世や世の中をいうように変化し、「浮き 
 世」と書かれるようになった。はかないこの世の中。うきよ。
*随家豊儉:暮らし向きが豊かなら豊かなりに、貧しければ貧しいなりに。
*三界無安(さんがいむあん):現世で生きることは、苦しいことや悩むことが多く、心が落ち着いて楽になる 
 ことはないということ。「三界」は欲界、色界、無色界の三つの世界のことで、現世のことをいう。
「無安」は心が安らぐことがないこと。
*愚迷(ぐめい): 真理の道を知らず、愚かで迷いの多いこと。また、そのさま。
(´・(ェ)・`)つ

788避難民のマジレスさん:2021/09/18(土) 23:30:09 ID:AK2QRmX60
おまけ1
*仏眼清遠(長谷川昌弘先生解説抜粋) (1067-1120) は五祖法演の法嗣で北宋末期の僧、仏果克勤・仏鑑慧
勲とともに東山の三仏と称され、仏眼派の派祖
禅風は静的で言句にとらわれることのないものであったことが窺われる。一方で古来より彼の「坐禅銘」が
禅門では著名であり、坐禅を重視したことも明らかである。これらの点で既に虎丘派や曹洞宗との思想的近
似性は充分感じられるのである。・・・・

仏眼の「坐禅銘」は・・・「標指六偶井叙」に・・迷悟」、「坐禅」、「入道」、「見聞」、「水月」、
「語黙」の六篇の内の一つであり、元来はそれ自体独立したものではない点である。さすれば仏眼の「坐禅
銘」はやはり他の五偶とともに総合的に理解されるべきものであろう。しかるに「坐禅」においては・・
分別心の起滅は自然のままにせよという悪くいえば無事禅的雰囲気も感じられるが、起滅は「自心」より現
ずるとして「自心」の追求に重点が置かれている。・・・
仏道は元々きずが無いとして本来仏であるからあらゆるものが悟りのあらわれであるという本覚門的な現成
公案を強調し、言句に対して否定的態度を表明している。そしてそれは徹底した「自心」において可能であ
るとしている。・・・
仏眼の六偶の主眼は本来仏であるが故の「自心」の徹底肯定であり、それは頓悟によって可能なことであり、
またそれが故に仏法はあまねく目前に現成しているということにあると考えられる

佛眼三自省(読み下しなどは、今回は断念)
是身壽命,如駒過隙,何暇閑情?妄為雜事。既隆釋種,須紹門風。
諦審先宗,是何標格?道業未辦,去聖時遙。善友師教,誠不可捨。
自生勉勵,念報佛恩。惟已自知,大心莫追。報緣虛幻,不可強為。
浮世幾何,隨家豐儉。苦樂逆順,道在其中。動靜寒溫,自愧自悔。

*おまけ2「南禅院参道彫刻」石畳に彫られた仏教の教えである万物のもととなる、地・水・火・風・空の
 5つのシンボルの彫刻。(詩の解釈とは無関係である。幾何・禅でヒットしたのである)
 https://blog.goo.ne.jp/mimoron/e/9a9b7c96c8d9d0589cba7bd9e05bfd38
(´・(ェ)・`)b

789鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/19(日) 22:59:22 ID:1d4drIFg0
 
 それでよいのじゃ。

 仏眼遠禅師の三省に曰くなのじゃ。

 報縁は虚幻であるから強いて成すべからずなのじゃ。
 浮世の生活は家の豊貧に随うのじゃ。
 苦楽順逆、道はその中に在るのじゃ。
 動静寒温、自ら愧じ、自ら悔いるのみなのじゃ。

 自ら悔い、自ら愧じる、温と寒なのじゃ。
 見よ見よ、三界は本から安心はないのじゃ。
 愚にして迷うは正にこれ衆生の楽しみとするところなのじゃ。
 蜜を嘗めてなお井戸の底の苦しみを忘れるようなものじゃ。

790避難民のマジレスさん:2021/09/20(月) 02:34:17 ID:E.CBLgGI0
くま質問
「報縁は虚幻であるから強いて成すべからず」とは、仏道に縁があるとなどということは幻想であるから、
その縁に酬いる為に修行をしようなどとするべきではないというような意味でありましょうか?

534
各見不動
水流四念不同心 水は流る四念不同の心
佛界魔宮亘古今 佛界魔宮古今にわたる
寒窓風雪梅花月 寒そうの風雪梅花の月
酒客弄盃詩客吟 酒かく盃を弄し詩客は吟ず 

くま訳
各見解ゆるぎなし
四種の修行法は、説明は違っても、固定されない心に気付く為の法である。
仏界でも魔界でも、古今にわたって、
寒窓から見える風雪梅花月は、
酒客の盃をすすませて、詩客に詩を詠ませるのである。

*四念:四念所、又は四念住ともいひ、三賢位のうち念所の位に於いて修する観法。身念住、受念住、心念 
 住、法念住、吾人が浄、楽、我、常の四顚倒の盲見を起こす対象は、身、受、心、法の四法なり、今此の
 盲見を破せんがために、能観の知を以って身は不浄なり、受は苦なり、心は無常なり、法は無我なりと観
 ず、別想念住位にては別々に之を観じ、總想念住位に於いては、すべて同一時に之を観ず。(大成脚注)
 四念処(しねんじょ)四念住ともいう。仏教で 37種の修行を7つの部類に分けたものの第一で,この部
 類に属する4種の修行をさす。念処とは記憶をとどめおくことで,真剣な思いを意味する。 (1) 肉体の
 不浄 (身念処) ,(2) 感覚の苦 (受念処) ,(3) 心の無常 (心念処) ,(4) 法の無我 (法念処) に思いを
 凝らす観法。7つの部類の一つとして明確に位置づけられたのは後世であって,原始経典中には,上記の
 4種を独立の修行法として説く場合が多い。
*水流元在海、月落不離天。 水流れて元海に在り、月落ちて天を離れず
水はどこを流れても結局は海に帰り、月は落ちても天を離れることはない
種々に説示のしようは異るとも本分から離れはせぬ
(´・(ェ)・`)つ

791鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/20(月) 23:51:30 ID:1d4drIFg0
↑そのような理解で善いのじゃ。
 俗世の慣習であるから囚われてはいんのじゃ。

 それでよいのじゃ。

 各見不動なのじゃ。

 四念は水流の如く不同の心なのじゃ。
 仏界も魔界も昔から今まで常にあるものじゃ。
 冬に窓を開ければ風雪にも梅花が月の下に咲いているのじゃ。
 酒客は盃を弄び、詩客は詩吟するのじゃ。

792避難民のマジレスさん:2021/09/20(月) 23:58:56 ID:DDCdnTZ20
535
賛大應國師
看看佛日照乾坤 看よ看よぶつにち乾坤を照らす
天上人間唯獨尊 天上人間唯独尊
禪者如無渡東海 禅者もし東海を渡る無くんば
扶桑國裡暗昏昏 扶桑国裡暗昏昏 

柳田聖山先生訳
看よ仏の光は天地を照らす 
この人間世界にはただ独尊
老師が海を渡らなかったら
この日本に夜明けは見えず 

くま訳
大應國師を賛す
看よ仏の光明が天下を照らす 
天上界人間界でただ一人尊い 
大應が修行僧として東海を渡らなかったら 
日本国は暗黒の中にあったであろう。 

*天上人間(てんじょうじんかん)天上界と人間界のこと。または、絶対に通ずることのなく、遠く隔たって 
 いることのたとえ
*↓大応国師の木像を安置しています。この像は一休さんが63才の時につくられたものだそうである。
 http://www.ikkyuji.org/keidai_annai/kaizandou/kaizandou.html"
(´・(ェ)・`)つ

793避難民のマジレスさん:2021/09/21(火) 00:16:59 ID:aNaEJB1A0
>>790
くま訳全面改
各見解ゆるぎなし
第一句:四念は水流の如く不同の心なのだ。
第二句:仏界も魔界も昔から今まで常にあるものである。
第三句:冬に窓を開ければ風雪にも梅花が月の下に咲いているのだ。
第四句:酒客は盃を弄び、詩客は詩吟するのだ。
(´・(ェ)・`)b

794鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/21(火) 23:01:10 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 大應國師の賛なのじゃ。

 見よ見よ仏の光が世界を照らすのじゃ。
 天上人間の中でただ独りの尊者なのじゃ。
 その禅者がもし東海を渡らなかったら、
 この国は昏昏として暗いままだったじゃろう。

795避難民のマジレスさん:2021/09/21(火) 23:16:52 ID:6ksfPKqo0
536
拾馬糞修斑竹 1/2 馬糞を拾ふてはん竹を修す 
煨芋懶殘舊話頭 わいうはらい殘の旧話頭
不求名利太風流 名利を求めずはなはだ風流
相思無隙此君雨 相思げき無しし君の雨
拭涙獨吟湘水秋 涙をぬぐふて獨り吟ず湘水の秋

くま訳
馬糞を拾って肥料にして、観賞用の斑竹を育てる  1/2
芋を焼いた、懶瓚和尚の古い公案
名利を求めることなく、はなはだ風流である。
雨に濡れる竹について思いをめぐらす風流さのように、自然な教として隙が無いのである。
身を投げた屈原を偲び涙を拭い独り吟じるのである、湘水の秋について

*懶殘:懶瓚和尚なるべし(大成脚注)
 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>864 >>863
*斑竹(はんちく)稈の表面に黒褐色の斑紋がある。観賞用にされ,竹材は家具材にされる。
*隙なし(げきなし・ひまなし)①すきまがない。②絶え間がない。ひっきりなしである。③心のすきがな
 い。油断がない。
*此君(シクン):「晋書」王徽之伝の、竹を賞して、「何ぞ一日も此の君無かるべけんや」とある故事か
 ら》竹のこと。
*雨竹風松皆説禅  雨竹風松皆禅を説く(大慧普覚禅師語録)
 はあさん先生訳
 雨に濡れた竹も、風に揺らぐ松も、皆これ禅の大説法なり。大自然の営み、あらゆるものが説法だ。
  大慧普覚禅師は圜悟克勤の法嗣で,大慧派の始祖。大慧宗杲(そうこう)(1089-1163)。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>850
(´・(ェ)・`)つ

796鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/22(水) 23:56:32 ID:1d4drIFg0
 
 そんな感じじゃな。

 馬糞を拾って斑竹を修めるのじゃ。

 懶殘の芋の話は古い公案なのじゃ。
 名利を求めずはなはだ風流なのじゃ。
 隙間なく互いに愛し合うこの君の雨なのじゃ。
 涙を拭って一人吟詠する湘水の秋なのじゃ。

797避難民のマジレスさん:2021/09/22(水) 23:59:18 ID:Vo0l78pI0
537
拾馬糞修斑竹 2/2 馬糞を拾ふて斑竹を修す
看看我養鳳凰心 看よ看よ我が養ふ鳳凰の心
燕雀鳩鴉山野禽 燕雀きうあは山野の禽
臨濟栽松一休竹 臨濟は松をうゑ一休は竹
三門境致後人吟 三門の境致後人の吟

くま訳
馬糞を拾って肥料にして、観賞用の斑竹を育てる 2/2
見よ、我が霊鳥のような心を
燕や雀や鳩やカラスは、山野の禽獣である。
臨濟は松を植え、一休は竹を植えるのである。
将来の境内の景観と、門人の指針とならんがために。

*三門境致後人吟:臨済栽松 524の詩 参
(´・(ェ)・`)つ

798鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/23(木) 23:09:13 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 また馬糞を拾って斑竹を修めるのじゃ。

 見よ見よ我が養う鳳凰心なのじゃ。
 燕雀鳩鴉は山野の禽獣なのじゃ。
 臨済は松を栽培し、一休は竹なのじゃ。
 これも三門の境を後人に吟詠させるために致すのじゃ。

799避難民のマジレスさん:2021/09/23(木) 23:36:32 ID:yO5CiIXo0
538
宗春居士下火 行年三十七 宗春居士のあこ 行年三十しち
彌勒釋迦也馬牛 彌勒釋迦また馬牛
春風脳亂卒何休 春風に脳亂してつひに何ぞ休せん
六六元來三十七 六六元來三十七
一聲念讃起鐘樓 一聲の念讃鐘樓より起こる

くま訳
宗春居士火葬式 行年三十七歳
彌勒や釋迦、また馬牛
春風に悩み苦しんで、ついにどうして休むのか
六六元來三十七、不生不滅のまじないである
仏徳を讃える念讃の一声は、この、鐘楼上より起こるのである。

*下火:下炬に同じ、松火を以て火を点ずること、火葬式最後の作法にして、遺骸を焚焼する燃料に火を点 
 ずるなり、今は引導師、偈文を唱えて擬炬を拋ち 、点火の態を為すのみ。(大成脚注)
*行年:この世に生まれて何歳まで修行したかを意味する満年齢
*悩乱:悩み苦しんで心が乱れること。
*六六元来三十七:一声の念、讃合して卽ち六六三十七、形骸滅して却って一を増す、卽ち不生不滅なり。
*念讃:念仏奉讃のことで、心に仏を念じ口に名号を誦し、仏徳を讃えまた報恩感謝をあらわす言葉
(´・(ェ)・`)つ

800鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/24(金) 23:17:11 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 宗春居士という者の葬式じゃな。
 行年三十七だったというのじゃ。

 弥勒も釈迦ももとは牛馬だったのじゃ。
 春風に悩乱し休む暇もなかったのじゃ。
 修業して六六は元來三十七で不生不滅の悟りを得たのじゃ。
 一声の念賛は鐘樓より起こるのじゃ。

801避難民のマジレスさん:2021/09/24(金) 23:54:08 ID:JrSta6iA0
くま質問
「弥勒も釈迦ももとは牛馬だったのじゃ。」とは、修行により悟りを得た人と凡人との違いは、人と牛馬と
の違い以上に大きい、みたいな意味でありましょうか?

539
制戒
貪看少年風流 貪り看る少年の風流
風流是我好仇 風流は是れ我が好仇
悔錯開爲人口 悔ゆらくはあやまってい人の口を開くことを 
今後誓縮舌頭 今よりも後誓って舌頭を縮めん

くま訳
戒を保つのだ・おしゃべりは慎むのだ。
少年の風流を貪るように能の舞台で観劇する
風流は我が良きつれあいである。  
後悔しているのは、うっかりして、人の噂になるような事を言ってしまったことだ。
今後は誓って口を慎むのだ

*制戒:ヨーガ修業法の8段階のうち,最初に実践される方法で,不殺生,不妄語,不偸盗,不邪淫,無執 
 着の5戒を保つこと。
*一休さんの偈頌や詩には、能を題材にしたものがある。(金春座者歌・475等) 
 田口和夫先生によると、一休詩集には、志津賀、「風流艶色少年春」、「初めて発く風流美少年」等と詠 
 まれている詩がる。 file:///C:/Users/USER/Downloads/KJ00004252359%20(8).pdf 16 14
*好仇(こうきゅう) (「仇」は、つれあい、相手の意) よい相手。よい仲間。また、似つかわしいつれあい。 
好逑(こうきゅう)。
(´・(ェ)・`)つ

802鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/25(土) 23:44:40 ID:1d4drIFg0
↑ それは如来ももともと輪廻をさまよう衆生の一人に過ぎなかったということじゃな。
 修行をすれば凡人でも悟れるというのじゃ。
 実践がすべてなのじゃ。

803鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/25(土) 23:48:20 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。


 戒を制するのじゃ。

 貪欲に少年の風流を見るのじゃ。
 風流は我が好むところの仇なのじゃ。
 後悔するのは誤って人のために口を開いたことなのじゃ。
 今後は舌頭を縮めてそんな話はしないと誓うのじゃ。

804避難民のマジレスさん:2021/09/26(日) 00:02:15 ID:uuKEcQjE0
540
迷悟
無始無終我一心 無始無終我が一心、
不成佛性本來心 不成佛の性本來の心
本來成佛佛妄語 本來成佛佛の妄語
衆生本來迷道心 衆生本來迷道の心

くま訳
迷いと悟り
悟りに、始めも終りも無いのだ。始めから一つなのだ。
成佛する、悟ると言う事も無いと言うのが真理である。
本來成佛しているのだ、と言うのは、佛の妄語である。
衆生は本來、悟りを求める道に迷っているだけなのだ。

*迷吾:凡聖、佛衆生不二を説くなり(大成脚注)
迷悟一如:迷いや悟りといったものに、囚らわれることはないという意。迷いも悟りも本来は同一のもので、
たどりつくところは一つであるということ。
わが心は始めも終わりもなく、成仏などしないのが心の正体だ。

くま質問
「悟り」という特別の境地など無い。迷いがそのまま悟りと言ってるのでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

805鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/26(日) 23:36:34 ID:1d4drIFg0
↑今迷っている心が悟りへの入り口ということじゃな。
 迷うことが出来る心に気付けば悟りが起こるというのじゃ。
 それもまた今ここにある心の働きであるからのう。


 そんな感じなのじゃ。

 迷悟なのじゃ。

 始まりも終わりもない我が一つの心なのじゃ。
 仏には成るのではなく本来の心に戻るだけなのじゃ。
 衆生も本来仏であり、仏に成るというのは妄語なのじゃ。
 衆生の本来迷う心が道心なのじゃ。

806避難民のマジレスさん:2021/09/26(日) 23:57:39 ID:Vo1wDGXs0
541
示延壽堂僧   延壽堂の僧に示す
無常殺鬼現前時 無常の殺鬼現前の時
末期牢關説向誰 末期の牢關誰にか説向せん
百事難休五欲閙 百事休し難うして五欲いそがし
六窓欲鎮八風吹 りく窓とざさんと欲すれば八風吹く

くま訳
延壽堂(涅槃堂)の僧に示す
今際の際(いまわのきわ)の、
修行の最終局面で、誰に対して説くか
多方面にわたり忙しく、五欲にまみれている
六つの感官能力を閉ざそうとすると、八つの修行を妨げる出来事が起こるのである。、

*無常殺鬼現前時:臨命終に到るの時なり(大成脚注)
*六窓欲鎮八風吹:六窓は根にして、八風は人の心を動かす風の如き、八種の法、曰く、利、衰、毀、 
 譽、稱、識、苦、樂の八を云ふ。
 八風(はっぷう)とは、仏の教えに基づいた修行を妨げる8つの出来事の事。
 人間が求める4つの出来事 四順(しじゅん)と、
 人間が避ける4つの出来事 四違(しい)とからなる。
 四順: 利い(うるおい)‐目先の利益
     誉れ(ほまれ)‐名誉をうける
     称え(たたえ)‐称賛される
     楽しみ(たのしみ)‐様々な楽しみ
 四違: 衰え(おとろえ)‐肉体的な衰え、金銭・物の損失
     毀れ(やぶれ)‐不名誉をうける
     譏り(そしり)‐中傷される
     苦しみ(くるしみ)‐様々な苦しみ
*延壽堂:武田鏡村先生解説「盲女森侍者、情愛はなはだ厚し、まさに食を断って命を殞(おと)さんとす。
愁苦のあまり、偈を作りてこるを云う」
この「情愛はなはだ厚し」は、肉欲の情というものではなく、一休がしばしば病気になっていたことから
して、森女が食断ちをして回復を祈ったものであろう。この前書きにつづく二首には「一日作ざれば一日
食わず」の百丈和尚が生涯作務をやめなかったのに、自分は働くこともせずに涅槃堂で禅をしているとう
たっている。涅槃堂は延寿堂ともいわれて、病気になった僧が養生する部屋のことである。
一休と森女の出会いを文明三年とすれば、一休は七十八歳である。それから十年、一休は存命するが、た
びたび重い病にかかったことは一休の詩や『年譜』でもうかがえる。一休は目が不自由でありながらも献
身的に自分の世話をする森女に深く感謝した。そして、そうした森女を理想的な女性として偶像にまで高
め、それを詩とした。
*末後の牢関:特定の公案があるわけではなく、修行者に宗旨の最後を尽くさせるという意味のものです。
「末後の牢関」のさらに後に、「最後の一訣」を置く場合もあります。具体的には、「臨済一句白状底」、
「白雲未在」、「百丈野鴨子」などの公案がこの段階の公案として使われることがあるようです。「末後の   
牢関」は、「布施位」と呼ばれることもあります。
(´・(ェ)・`)つ

807避難民のマジレスさん:2021/09/27(月) 00:08:57 ID:v1y86gyc0
>>805
くま訳
鬼和尚、くまにも分かる解説をいつもありがとうであります。
↑今迷っている心が悟りへの入り口。
 迷うことが出来る心に気付けば悟りが起こる。
 それもまた今ここにある心の働きである。
で、ありますね。
(´・(ェ)・`)b

808鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/27(月) 23:14:05 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、今ここにある心の働きが見られれば悟りもやってくるのじゃ。
 それが迷いの心であっても迷いの心と見られればよいのじゃ。

809鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/27(月) 23:17:42 ID:1d4drIFg0
 
 それでよいのじゃ。

 延壽堂の僧に示すのじゃ。

 無常の殺鬼が目の前に現われた時
 末期の牢で誰に何を説こうというのか。
 百の仕事は休むのが難しく、五欲も忙しいものじゃ。
 六根の窓は欲を鎮めようとしても、八風が吹いて困難なのじゃ。

810避難民のマジレスさん:2021/09/27(月) 23:49:39 ID:Dkperbv60
542
戒参玄僧名利  参玄僧の名利を戒む
迷道衆生劫外愚 迷道の衆生劫外の愚
人人涙不識窮途 にんにんなんだ窮途をしらず
諛官只願佳名發 官にへつらって只だ願ふ佳名の發するを
眞菩提心一點無 眞の菩提心一點も無し

京都はんなり旅HP訳
禅の玄奥に参ずる僧(禅の奥深さに入ろうとする僧)が名利を追うことを戒める
道を見失い迷いつづける人々(僧)は、何と愚かなことか、
人々(僧)は涙を流して道を探すが、解決のためのてだてに行き詰まることを知らぬ。
(なぜなら)役人にへつらって、ただ自分の名声が上がることだけを願っている(からだ)、
本当に悟りを求めようとする心などひとかけらもない。

くま訳
玄妙な仏法を求める僧に対して名利を追う事を戒める
道に迷う僧は、窮めつけのバカである。
僧は涙するが、道が行き詰まることを知らない。
役人にへつらって、ただ名利を得る事だけを求めているようでは、
本当に悟りを求める心など少しも無いのである。

*参玄:玄妙な仏法に参ずること
*劫外:この世界の、発生・安定・変化・消滅という、四つの劫の期間、原理を、超越した、
*窮途(きゅうと)① 行きづまりになった道。② せっぱつまって、どうにもならない困難な状態、または立 
 場。困窮している境遇。
(´・(ェ)・`)つ

811鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/28(火) 23:36:27 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 参玄僧が名利を求めるのを戒めるのじゃ。

 迷い道の衆生は永久に愚かなのじゃ。
 人々が涙する困窮の道を知らないのじゃ。
 官に諂いただ名声を願うのみなのじゃ。
 真の菩提心は一点も無いのじゃ。

812避難民のマジレスさん:2021/09/28(火) 23:57:24 ID:yUGrJKF.0
くま訳改
第二句:人々が涙する困窮の道を知らないのだ。

くま質問
「迷い道の衆生は永久に愚か」この衆生とは、修行者のことでありましょうか?
「人々が涙する困窮の道」とは、その修行者が、大衆の生活困窮の状況を知らない、知ろうとしないことを
言ってるのでありましょうか?

543
大慧禪師焚碧巖集 大慧禪じ碧巖集をやく
妙喜老人千歳名 妙喜老人千歳の名
宗門潤色太高生 宗門の潤色太高生
子胥曾受呉王戮 子しょかつて呉王のりくを受く
可惜髑髏無眼睛 惜しむべし髑髏の眼睛無し

くま訳
大惠禪師碧巖集を焼く
大慧妙喜禪師の芳名は永遠に語り継がれるでありましょうが、
衆門は上辺を取り繕い、お高く止っているだけである。 
子胥はかつて呉王に自害を命じられて死んだ。
惜しむべきは、その恨みにより、頭蓋骨に目玉が無い事である。

*大惠禪師:南嶽夏大十五世の祖、園悟克勤に嗣ぐ
*妙喜老人:大慧禪師をいふ
*太高生:高く止って居る意、向上一色邊に止り居る者を評する語なり。
*子胥曾受呉王戮:楚人なり、名は員、呉王に仕ふ、呉王齋を伐たんとす、子胥之を極諫す、王遂に之に劍
を給ふ、自ら剄れ死す、舎人に告げて曰く、「我が眼を抉り、呉の東門の上に懸け以て越寇の入りて呉を滅
すを観せしめよ」と
(以上4*大成脚注)
*大慧宗杲(だいえ そうこう、だいえ しゅうこう、1089 – 1163年、宋代の臨済宗楊岐派第5代の僧。諡号
は普覚禅師ふかくぜんじ、賜号は仏日大師、大慧禅師。公案を用いて悟りに至る「看話禅」(公案禅)の大
成者として知られる
*極諫(きょっかん):言葉を尽くして厳しくいさめること
*潤色:うわべや表現を(面白く)つくろい飾ること
(´・(ェ)・`)つ

813鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/29(水) 23:37:31 ID:1d4drIFg0
↑名利を求める僧じゃな。
 せっかく僧になれたのに名利を求めるのは迷い道に入っているのじゃ。

 それは現世では名利を得るかもしれんが、後には地獄行きの道なのじゃ。
 誰もが涙する困窮の道なのじゃ。
 人を欺いているのであるからのう。
 それを知らないのは愚かな者なのじゃ。

814鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/29(水) 23:42:23 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 大慧禪師の碧巖集を焼いてしまったというのじゃ。

 妙喜老人の名は千歳も伝えられるじゃろう。
 宗門では甚だ高く止まっていると潤色しているのじゃ。
 子胥はかつて呉王に死を賜ったのじゃ。
 その髑髏に眼が無かったのは惜しかったのじゃ。

815避難民のマジレスさん:2021/09/29(水) 23:55:41 ID:4pZ7Co5c0
544
看妙荘嚴王品  妙荘嚴王ぼんを看る  
妙荘嚴昔日因縁 妙荘嚴昔日の因縁
瞎禿道光輝我前 かつとくの道光我が前に輝く
閻老不吟玉堦月 閻老は吟ぜず玉堦の月
黄泉後悔碧雲天 くわうせんは後悔碧雲の天

くま訳
異教徒だった王が息子達の諌めを受け入れて仏法に帰依して菩薩になるという法華経の一節を見る。
妙荘嚴には昔の因縁があったのだ。
盲目の禿げ坊主を仏道へ導く光がわしの目の前に見えるのだ
閻魔大王は宮中の女官が月を眺めて感じる満たされぬ思いみたいなものは吟じたりはしない。
死後に晴れ渡る青空を思っても後悔するだけなのだ。死んでからでは遅いのだ。

*妙荘厳:『法華経・妙荘厳品』に出る菩薩の名。もと国王でバラモン教徒だったが、夫人および浄蔵・浄
 眼二子の諫めにより法華経を聞いて仏法に帰依したという。浄蔵も浄眼も仏道修行して神通力を得ていた 
 という
*「玉階」は白玉(大理石)の階。階は宮中で、庭から室内へ上がる短い階段。
(´・(ェ)・`)つ

816鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/09/30(木) 23:36:01 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 妙荘嚴王品を看たのじゃ。

 妙荘嚴は昔の因縁があったのじゃ。
 盲目禿頭の道光がわが前に輝いているのじゃ。
 閻魔も月への玉階を吟詠しなかったのじゃ。
 黄泉の国で碧雲の天を後悔しても遅いのじゃ。

817避難民のマジレスさん:2021/09/30(木) 23:57:33 ID:5pA3np3w0
545
佛涅槃
滅度西天老釈迦 滅度す西天の老釈迦
他生出世到誰家 たしょうに出世してたが家にか到る
二千三百年前涙 二千三百年ぜんの涙
猶洒扶桑二月花 なほふそう二月の花にそそぐ

くま訳
入滅した、インドのお釈迦様、
どこかの家に生れ変ってきてほしいものであります。
二千三百年前の涙は
今もなほ、日本の二月(涅槃忌)の花にそそがれるのであります。
(´・(ェ)・`)つ

818鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/01(金) 23:08:37 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 仏の涅槃なのじゃ。

 インドのお釈迦様が滅度したのじゃ。
 他生に出世すれば誰の家に至るじゃろうか。
 二千三百年前の涙なのじゃ。
 なお日本では二月の花にそそぐのじゃ。

819避難民のマジレスさん:2021/10/01(金) 23:55:08 ID:t5BjxHsk0
546
約彌勒下生 1/2 弥勒の下生を約す
盲森夜々伴吟身 盲森夜々吟身を伴う、
被底鴛鴦私語新 被底のえんのう 私語新たなり。  
新約慈尊三会暁 新たに約す慈尊三会の暁、
本居古仏万般春 本居の古仏万般の春。

茶の湯に親しむHPの先生訳
盲目の森女が夜な夜な歌い身に相伴し、
掛け布団の下のおしどりのようにひそひそ話を繰り返す。
未来仏の弥勒菩薩が衆生救済の三回の大法会の暁を新たに約し、
本来の古仏は万楽の春を約す

仁訳
目の見えない森公は、夜々、唱うように体をときめかせて身を寄せてくる、
鴛鴦のように寄り添い合ってぼくらは愛を語らい合うんだよ。
朝になるとまた新しく約束し合うんだ、弥勒さんのように蘇って、何度も何度も愛し合おうね、と、
森公は、ほんとうにぼくにとって、いつでも春をもたらしてくれる弥勒菩薩さんなんだよ。

くま訳
弥勒の下生を約す
盲目の森は毎夜詩を吟じるわしの側にいるのだ。
布団の中でおしどりのように、囁き合うのだ 
二人は約束するのである。弥勒下生を約したように、
仏陀が、万般の春を約したように。

*弥勒下生:弥勒菩薩は、五十六億七千万年の後に、地上に降り来り、成仏し、釈尊の後を継いで人々に法 
 を施すとされる。
*被底(ひてい):布団の中。
*鴛鴦(えんのう・おしどり)
*慈尊三会=弥勒菩薩が衆生救済の為に開く三度の集会のこと。
(´・(ェ)・`)つ

820鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/02(土) 23:24:53 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 弥勒下生に約束するのじゃ。

 盲目の森女が吟詠するのに夜夜付き合うのじゃ。
 布団の下で鴛鴦の私語を新たにするのじゃ。
 新たに弥勒の三会の暁に会うと約するのじゃ。
 本居の古仏が万般の春を経たようにのう。

821避難民のマジレスさん:2021/10/02(土) 23:52:39 ID:qFMCRaWg0
94 約彌勒下生2/2 
木凋葉落更回春 木凋み 葉落ちて更に春を回らす
長緑生花旧約新 緑を長じ 花を生じて旧約新たなり
森也深恩若忘却 森也が深恩 若し忘却せば
無量億劫畜生身 無量むりょう億劫おくごう畜生の身 

木の葉が枯れるように、朽ちかけてていた我が身に、春が廻ってきたのだ。
青葉茂り花咲く春が。昔の約束が、新たに果たされるのだ。
森や。君から受けたこの深い恩を、もし忘れるようなことがあれば、
わしは、永遠に畜生の身のままとなろう。
(´・(ェ)・`)つ

822鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/03(日) 23:38:28 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 弥勒下生の約束なのじゃ。

 木は凋み葉は落ちても又春は回ってくるのじゃ。
 緑を長じ、花は生じて古い約束も新たになるのじゃ。
 森女の深い恩をもし忘却すれば
 わしは無量億劫も畜生の身になるじゃろう。

823避難民のマジレスさん:2021/10/03(日) 23:58:57 ID:UBsisTfc0
547
陋居      ろうきょ
目前境界似吾癯 目前の境界わがやせたるに似たり
地老天荒百草枯 地老い天荒れて百草枯る
三月春風沒春意 三げつ春風春意なし
寒雲深鎖一茅盧 寒雲深くとざす一ばうろ

碇豊長先生(イカリ トヨナガ)訳・解説抜粋
わびずまい
眼前の境遇はわたしのやつれたさまのようである。
地上の光景は(冬枯れで)老いさらばえたさまで、天上の空模様は、荒れすさぶっており、諸々(もろもろ)の草は、冬枯れである。
春も終わりの月の)三月であるというのに、春風には(全然)春の気配がない。 
寒々とした冬の雲が(わたしの)粗末な庵(いおり)に深く立ち籠めて閉ざしている。

*陋居:狭くて穢(きたな)い住居。わびずまい。自分の住まいを遜(へりくだ)っていうことば。
*似る。…のようである。ごとし。 
*癯:やせる。やつれる。減る。
*地老:地上の光景は(冬枯れで)老いさらばえたさまで。
*天荒:天上の空模様は、荒れすさぶっている。 
*三月:陰暦では、春の終わりの時期。
*沒:〔ぼつ〕無い。「有」の対義語。「無」(打ち消しの意)が相応。
*春意:春の気配。
*一:とるにたらない。とある。一つの。
*茅廬:〔ばうろ〕萱(かや)や藁(わら)などで葺(ふ)いた粗末な庵(いおり)。自宅を遜(へりくだ)っていう。前出・「陋居」のことと同 義。

くま訳
わび住い
目前の境界は、私の痩せ細った姿そのままである。
地上は枯れはて、天候は荒れすさんでいる。 
三月だというのに、春の気配は感じない。
冷たい雲が、わしのちっぽけなあばら家にたちこめて閉ざしている
(´・(ェ)・`)つ

824鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/04(月) 21:45:23 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 ぼろ家なのじゃ。

 目の前の世界はわがやせた姿に似ているのじゃ。
 地は老い、天は荒れて百草枯れるのじゃ。
 三月でも春風はなく、春の感じもしないのじゃ。
 寒雲が日の光を深く閉ざすわが一つのぼろ家なのじゃ。

825避難民のマジレスさん:2021/10/04(月) 22:18:11 ID:G8vTfqjc0
548 
盡梅      尽梅
目前春樹屬孤山 目前の春樹孤山に属す  
上苑一枝無客攀 上苑の一枝客のよづる無し
七寶青黄𤾡紅白 七寶の青黄はな紅白
淡烟疎雨祖師關 淡えん疎雨祖師の關

くま訳
梅尽くし
目前の一枝は、 林逋が住んだ孤山の梅の木の枝のように、風流だ
神々しさに、苑の花見客にも枝を折るものはいない。
七宝焼きなら青黄、花なら紅白の梅が好ましい。
けむるように小雨ふる祖師の関である

*孤山:[1]一つだけぽつんとある山。また、人里はなれたさびしい山。[2]浙江省杭州の西湖の中にある島
の名。梅を愛した隠者林逋(りんぽ)が住んでいた。
*林 逋(りんぽ、967-1028)北宋の詩人。刻苦して独学する。恬淡な性格で衣食の不足もいっこうに気にと
めず、西湖の孤山に廬を結び杭州の街に足を踏み入れぬこと20年におよんだ。妻子をもたず、庭に梅を植え
鶴を飼い、「梅が妻、鶴が子」といって笑っていた。
(´・(ェ)・`)つ

826鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/05(火) 23:59:42 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 梅尽くしなのじゃ。

 目の前の春の樹は狐山に属するのじゃ。
 上苑の一枝によじ登る客も居ないのじゃ。
 七宝の黄青は金銀にも値するのじゃ。 
 微かな煙に疎らな雨は祖師の関なのじゃ。

827避難民のマジレスさん:2021/10/06(水) 00:00:04 ID:34whNYSA0
549
踈壁齋     そ壁齋
楊岐天下老禪翁 楊岐は天下の老禪翁
從此大興臨濟宗 此れより大いに興る臨濟の宗
紅塵紫陌我乍住 紅塵紫はく我れたちまち住す
山舎半吹黄葉風 山舎半ばは吹くくわうえふの風

くま訳 
踈壁齋 
楊岐方會は天下の老禪翁である。
楊岐により臨濟宗は大いに隆盛を誇ったのだ。
栄光ある活気に満ちた都の大通りのような臨濟宗門の我等は今まさに門徒なのである。
しかし山小屋の辺りでは既に秋風が吹き始めているのである。

*踈:うとむ/うとい/人を遠ざけるなどの意味をもつ漢字
*楊岐方會(ようぎ ほうえ)992-1049:宋代の臨済宗の僧。後世五家七宗の一つに数えられる楊岐派の祖と
して知られる。日本に伝えられた臨済禅のうち、栄西によるものを除く全てがこの楊岐派に属する。
石霜楚円の門下となる。石霜山へと移り大悟した。
*紅塵紫陌(紅塵しはく);中国語;幻想的な栄光の比喩を意味する。「紫」とは、道路の両側の植生の色を 
指す。「陌」はもともと畑の小さな道を指し、ここでは道を指します。紫陌:皇帝の道; 紅塵:ほこり。 
北京路の活気に満ちたほこりっぽいエリアを指します。幻想的な栄光の比喩。
(´・(ェ)・`)つ

828避難民のマジレスさん:2021/10/06(水) 00:17:36 ID:34whNYSA0
くま質問
『盡梅』は、林 逋のことを詠んだ詩でありましょうか?
 「微かな煙に疎らな雨は祖師の関」とは、どのような意味でありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

829鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/06(水) 23:35:01 ID:1d4drIFg0
↑ 林 逋ではないじゃろう。
 寂しい山じゃな。
 
 何かそのような公案があるのかもしれん。
 あるいはただ目の前の光景がそのまま公案ではないかと、言いたいのかもしれん。
 自ら解釈するのじゃ。

830鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/06(水) 23:39:09 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 踈壁齋なのじゃ。

 楊岐は天下の老禪翁なのじゃ。
 この人に拠って臨濟宗は大いに盛んになったのじゃ。
 その繁栄の上にわしも住んでいるのじゃ。
 山の家は半ば黄葉の風が吹いているがのう。

831避難民のマジレスさん:2021/10/06(水) 23:45:24 ID:gGjuz4Ec0
550
菊 羅漢楊妃同瓶 菊 羅漢楊妃同びゃう
楊妃爛醉一籬秋 楊妃らん醉一籬の秋
茶褐相交爲好仇 茶かつ相交りて好仇を為す
失卻神通居下界 神通を失卻し下界に居す
應身天寶辟陽公 應身は天寶の辟陽公

柳田聖山先生 訳
赤い楊妃菊は垣根で酔いつぶれる
黒い羅漢菊と相まみえる姿は夫婦
神通力を失った羅漢が下界に来た
まるで漢の辟陽侯といったところ

くま訳
菊 羅漢と楊妃が同じ瓶に挿してある 
楊貴妃が爛醉したような真赤な菊が垣根に一輪
茶褐色の羅漢菊に交ってあるのは、似つかわしいつれあいといるようだ。
神通力を失って、下界に下りてきたのか、
天寶の辟陽公(后妃と大臣が私通していた 審 食其(しん いき))と言ったところか。

*瓶(びょう):仏教で法具として用いられる主として真鍮製の水や香水を入れる器。もとはインド人一般が 
 水,油,塩などを入れ日常生活に用いたもので,梵天や千手観音などの持物とされている。
*爛酔・乱酔:正体がなくなるほど酒に酔うこと。泥酔。
*酔楊妃(すいようひ): 菊の一種か。花は淡紅色という。
*籬:まがき。ませがき。竹や柴(しば)などをあらく編んだ垣根。「籬垣(リエン)」
*好仇:好對といふに同じ(大成脚注)。よい相手。よい仲間。また、似つかわしいつれあい。。
*茶褐:羅漢菊 451の詩参
*応身:仏の三身の一。世の人を救うため、それぞれの素質に応じてこの世に姿を現した仏。釈迦など。
*天宝:唐の玄宗の治世後半に使用された元号。742-756年。
*天寶辟陽公:審 食其(しん いき、? - 紀元前177年)
辟陽の寵:后妃と大臣が私通する事。(苟太后のwiki)
(´・(ェ)・`)つ

832鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/07(木) 23:41:41 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 菊の羅漢と楊貴妃が同じ瓶に入っているのじゃ。

 楊貴妃は酔って垣根にもたれる秋なのじゃ。
 茶褐色の菊は相交わり、好仇になっているのじゃ。
 まるで羅漢が神通力をなくして下界に落ちたようじゃ。
 応身は天宝の辟陽公の如くなのじゃ。

833避難民のマジレスさん:2021/10/08(金) 00:18:52 ID:aBAvqbq.0
551
覧松源和尚塔名 松源和尚の塔名を見る
冶父住持功不空 やほ住持功むなしからず
抜貧作富甚家風 貧を払ひて富となすなんの家風ぞ
看來省數錢猶在 看來たり数を省すればせんなほ在り
不識脚跟絲線紅 識らず脚跟し線の紅

くま訳
松源和尚の業績を見る 
冶父山住持としての功績は素晴らしい
貧を除いて富となすとはどんな家風であろうか
見てきたところによれば、運命を省みれば、銭はまだあるのである。
どんな赤い糸で結ばれているのか分からないのである。 

*松源崇嶽(しょうげんすうがく)1132-1202年 南宋時代、臨済宗虎丘派。松源派。
*数:はかりごと。世のさまの動き。運命。
(´・(ェ)・`)つ

834鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/08(金) 22:51:46 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 松源和尚の塔名をみたのじゃ。

 冶父住持の功績は空しくないのじゃ。
 貧乏を抜いて、富を成すとはどのような家風であろうか。
 看来たれば数を減らせば銭もなお余りあるほどなのじゃ。
 脚跟の糸の赤いのもしらないのじゃ。

835避難民のマジレスさん:2021/10/09(土) 00:01:48 ID:kMDUEK2.0
くま質問
「数を減らせば銭もなお余りあるほど」とは、無料奉仕と寄付とかしてたのでありましょうか?
「脚跟の糸の赤いのもしらないのじゃ。」とは、お金持ちのご婦人に惚れられたりしてたのでありましょう
 か?

552
認譬作實    たとへをとめて實となす
野老劫來日用今 野老劫來日用こん
私車公案誤睛陰 私車の公案睛陰を誤る  
昨夜打窓零落葉 昨夜窓を打つ零落の葉
蕭蕭聴作雨聲吟 蕭蕭として聴いて雨聲の吟をなす

くま訳
比喩をしっかりと見分けて、実際のことを理解する。
わしは長年野にあって、日常生活の中で活用してるのだ。
初めて車を作った 奚仲の公案について、その意味するところの微妙な違いは誤解されやすい。
昨夜窓に当たっていた落ち葉の音、
それを聞いて、雨の降る音を聞いたと吟じるようなものである。

*晴陰:晴れと曇り。晴天と曇天。
*私車公案:?・・無門関『奚仲(けいちゅう)造車』奚仲という車造りの名人がいた。その奚仲があるとき、
 車の車輪を外し、芯棒を外し、あれを外しこれを外し、バラバラにして考え込んでいた。奚仲は何をやっ 
 ていたのだろうという公案。この場合車というのは自分のこと。
*蕭蕭:物寂しく風が吹く、または雨が降るさま。
(´・(ェ)・`)つ

836鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/09(土) 23:28:36 ID:1d4drIFg0

 買うものの数を少なくしたのじゃな。
 節約なのじゃ。
 節約すれば金も余るというのじゃ。

 このような表現は公案にもあり、一休の詩にも時々出てくるのじゃ。
 結局婦人との縁を断ちきっていたというのであるから、もはや淫欲もなくなっていたという意味じゃな。

837鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/09(土) 23:38:21 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 譬えを認めて宝とするのじゃ。

 野老は大昔から日用を今とするのじゃ。
 私車の公案は晴陰を誤っていたのじゃ。
 昨夜は零落する葉っぱが窓を打っていたのじゃ。
 蕭蕭として聴けば雨音も詩吟のようなのじゃ。

838避難民のマジレスさん:2021/10/09(土) 23:54:37 ID:v15d1gT20
くま質問
「日用を今とす」「私車の公案は晴陰を誤っていた」とは、どのような意味でありましょうか?

553
婬水
夢迷上苑美人森 夢に上苑美人のしんに迷ふて  
枕上梅花花信心 ちん上の梅花花信の心
滿口淸香淸淺水 満くの清香 清浅の水 
黄昏月色奈新吟 黄昏の月色新吟をいかんせん

碇豊長(イカリ トヨナガ)先生訳・解説抜粋
婬水
夢で上苑の美人の森に迷ってしまい。
枕辺の梅の花(女性)は、はや、花が咲いたと知らせたい思いのようである。
口いっぱいの(梅の花の)清らかなにおいの、清くあわい水で。
たそがれの月の色よ、新たな吟声をどのようにしたらよいのだろうか。

くま訳
婬水
夢で上苑の美人森に迷ってしまい 
枕元で、既に花が咲いたと知らせたいようである。
口いっぱいの清い香の清水
黄昏月の光よ、次の一句・・森の声を、ははてどうしたらいいものやら。

*婬水:川のあふれた水。氾濫する水。・婬:みだら。ほしいまま。=淫。
*夢迷:心が迷う。夢中になる。
*上苑:天子の庭園。宮中の庭園。
*花信:花が咲いたという知らせ。花だより。
*月色:月の色。月のさま。女性の頬をも謂う。
*奈:どうしよう。処置を問う。いかん。いかんせん。
*新吟:あらたな詩歌。新たなうめき声。

(´・(ェ)・`)つ

839鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/10(日) 23:45:45 ID:1d4drIFg0
↑日常の一つ一つに集中していることじゃな。
 今ここにあることなのじゃ。

 晴れと曇りとは裏表であり、主客といえるじゃろう。
 車と奚仲のどちらが主であり、客であるのか誤ってはいかんというのじゃな。
 なかなか難しいがのう。

840鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/10(日) 23:48:19 ID:1d4drIFg0
 それでよいのじゃ。

 淫水なのじゃ。

 夢に上苑美人の森に迷うのじゃ。
 枕上の梅花は花信の心のようじゃ。
 滿口の清い香りは清浅の水のようじゃ。
 黄昏の月色新吟をいかにせんと思うのじゃ。

841避難民のマジレスさん:2021/10/10(日) 23:59:37 ID:RwbytKqk0
554
爲悪知識警策  悪知識の為に警策す
因憶玄都千樹桃 因って憶ふ玄都千樹の桃
劉郎醉語許多豪 劉郎醉語許多の豪
利名知識極驕功 利みょうの知識極めて功に驕る
堯帝土堦三尺高 堯帝の土堦三尺高し

くま訳
邪法を説く悪知識の為を思い、警告するのである。
そこで思うのであるが、劉禹錫は、何故都の千本の桃の木の詩を詠んだのか。  
劉さんは、酔っ払って暴言を吐きまくる見掛け倒しの豪の者だったのである。
名利のために知識を得たものは、その知識をひけらかしたくなるものなのだ。
堯帝の宮殿の階段は土で作られ、高さ三尺。聖者は慎ましくあるべきなのだ。

*悪知識:悪法、邪法を説いて人を悪に誘い入れる邪悪な人、また、悪い師友
 警策の意味
*警策:禅堂内で警策は文殊菩薩の手の代わりであると考えられている。警策で打つという行為は、坐禅修 
 行が円滑に進むようにという「文殊菩薩による励まし」という意味を持つ。
*玄都千樹桃:武陵の桃源を云ふ、晋の大元中、武陵の人、魚を捕るに縁つて行けば、桃花両岸を挟み、落英 
 繽紛たり、其の林を窮めんと欲すれば水源盡く、便ち一山あり、小口を入れば土地平廣良田美地あり、男 
 女皆外人の如し、秦の嵐を避けて妻子を率いて来ると、漁人帰って太守に説く、人をして更に行かしむれ
 ば、迷ふて道を得ず、南陽の劉子驥高尚の士なり。これを聞いて行かんとしていまだ果たさず、尋で、病
 んで終ふ、後遂に之れを問ふものなしと。劉郎醉語云々は又晋書に『劉伶嘗つて醉ひ俗人と相忤(さから)
 ふ、其の人袂を攘ひ拳を奪ひて行く、伶徐に曰く、「鶏肋以て尊拳を安んずるに足らず」と。其の人笑ひ
 て止む』と。(大成脚注)
*玄都千樹桃:劉禹錫[りゅううしゃく]が政争で失脚し、十年後に都に戻った際に、詠んだ絶句の一節。
*尭階三尺(ぎょうかいさんじゃく):君主がつつましい生活をすることのたとえ。古代中国の伝説の聖天子 
 の宮殿は、土を固めただけの階段があり、高さは三尺ほどしかなかったということから。君主の生活の理
 想とされている。

*おまけ:玄都千樹桃:中唐の詩人劉禹錫[りゅううしゃく]は新進官僚となって間もないうちに政争で失脚
し、
十年後に都に戻った際に、「元和十年(八一五)、朗州より召を承けて京に至り、戯れに花を看し諸君子
に贈る」という長い詩題をもつ絶句の一節。
 紫陌紅塵払面来  紫陌[しはく]の紅塵 面を払いて来たる
 無人不道看花回  人の花を看て回[かえ]ると道[い]わざる無し
 玄都観裏桃千樹  玄都観裏[げんとかんり] 桃千樹
 尽是劉郎去後栽  尽[ことごと]く是れ劉郎の去りし後に栽[う]う

 帝都の大通り、にぎわいの粉塵が顔にふりかかる。
 誰も彼も花を見ての帰り道だと言う。
 玄都観のなかには桃の木が千本。
 すべてこれは劉さんが都を去ったのちに植えられたもの。

 長安にあった道教寺院の玄都観、そこは今や爛漫と咲き誇る桃の花に埋め尽くされている。自分の知る十
年前とは一変した光景であった。桃は仙界の果実なので、道観に植えるにふさわしい。「劉郎」は六朝の志
怪小説などで漢の武帝劉徹を指す語だが、ここでは劉禹錫は同姓の「劉」を使って自分をまるで物語の登場
人物のように言う。
 その劉郎は花の名所ができたことを喜んでいるわけではない。この詩は明らかに寓意を含んでいる。かつ
て劉禹錫が加わった二王(王伾[おうひ]と王叔文)を中心とする改革派は政争に敗れ、一斉に放逐された。
政治犯として十年を地方に追いやられたのは異例に長い冷遇であった。やっと呼び戻された今、朝廷の人間
模様はまったく様変わりしていた。埋め尽くす桃の花が、栄華を誇る新たな権力者たちを皮肉っていること
は明らかだ。そのために朝廷を誹謗したとみなされて、劉禹錫は再び遠くに追いやられる。
(´・(ェ)・`)つ

842鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/11(月) 23:10:52 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 悪知識のための警策なのじゃ。

 因って思うに玄都の千樹の桃なのじゃ。
 劉郎は醉語を多く許す豪のものだったのじゃ。
 それは利名のための知識であり極めて功名に驕ったものだつたのじゃ。
 堯帝の真の功業には遠く及ばないものだったのじゃ。

843避難民のマジレスさん:2021/10/12(火) 14:41:20 ID:zbbxxrJ60
くま訳改
第四句:堯帝の真の功業には遠く及ばないものだったのだ。

555
鸞輿盲女屡春遊 らんよの盲女しばしば春遊す  
鬱鬱胸襟好慰愁 鬱鬱たる胸襟愁を慰むるに好し
遮莫衆生之軽賤 さもあらばあれ衆生の軽賤することを   
愛看森也美風流 愛し看る森や美風流  

水上勉先生訳・解説(プラネットワーク ブログより)
美しい車にのって 盲女しばしば春遊び
鬱したる気分にはいい 愁いが慰む
どうでもいいよ 人々が下にみるとも
わが愛し看る森よ はんなりしてるよ

くま訳
天子の乗るような輿に乗り、しばしば盲女が春遊にでかける
鬱々とした思いは、かえって、愁いを慰めてくれる。
どうでもよいことであるよ、世間から軽蔑されることなどは。
愛おしくてたまらず見つめてしまうのである、美しくて風流な森を

*鸞輿(らんよ):天子の乗る輿(こし)。
(´・(ェ)・`)つ

844鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/12(火) 23:41:54 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 盲女は天子の使うような輿に乗ってしばしば春遊するのじゃ。
 鬱々とした胸襟を開き愁いを慰めるのによいのじゃ。
 衆生の軽蔑があるなにばあるとよいのじゃ。
 森女の美風流を愛し看るのじゃ。

845避難民のマジレスさん:2021/10/12(火) 23:46:16 ID:xNu8Iv460
556
重題靈山和尚  重ねて靈山和尚
示榮衒徒法語後 榮衒の徒に示す法語の後に題す

李下従来不整冠 李下従来冠を整へず    
奔馳世上豈諛官 世上に奔馳してあに官にへつらはん 
江山風月我茶飯 江山風月我がさはん、   
自咲一生吟味寒 自ら咲う一生吟味さむし 
 
くま訳
李下に冠を正さずは、言うまでも無い。
あわてて役人にへつらう事はすべきではない。
山河風月を愛でるのは我が日常のことなれど、
自嘲する、万事を厳しく吟味してしまうこと。

*奔馳(ほんち):走ること。奔走
*吟味:1 物事を念入りに調べること。また、念入りに調べて選ぶこと。2 罪状を調べただすこと。詮議
 3 詩歌を吟じてその趣を味わうこと。
(´・(ェ)・`)つ

846鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/13(水) 23:22:18 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 重ねて靈山和尚なのじゃ。
 法語の後に題して榮衒の徒に示すのじゃ。

 李の木の下で冠を正さないのは従来疑われないための用心なのじゃ。
 世の中を走り回れば官にへつらう疑いをうむじゃろう。
 江山風月を楽しむのはわが日常なのじゃ。
 一生厳しく吟味することを自ら笑うのじゃ。

847避難民のマジレスさん:2021/10/13(水) 23:42:57 ID:nIKmXuXQ0

くま訳改
第二句:世の中を走り回れば官にへつらう疑いをうむであろう。5

557
不殺生戒
李廣将軍一片心 李廣将軍一片の心
多年石虎識情深 多年の石虎識情深し
殺人端的不眨眼 人を殺す端的眼をさつせず
敢忍燈前夜雨吟 敢て忍ばんや燈前夜雨の吟

くま訳
不殺生戒
李廣将軍は一本気な心の持ち主であった。
長年、虎と信じて射れば石をも貫く精神力をもっていた
人を殺すときには瞬きをしない。
無理矢理にでも忍ぶ心を、夜分灯りの前で歴史書から学ぶのである。

*李廣将軍:李黄は漢の武帝の時、右北平の太守に拜す、匈奴號して飛将軍といひ、之れを避く、景帝の時、
驍騎将軍となる、後匈奴を撃ち道に迷ひて、長吏の責に遇ふ、廣遂に自殺す、孝壮ために皆涙す(大成脚注)
*石虎識情深:漢書に李廣人と為り、猨臂長く、其の善く射る亦天性なり、廣、出獵して艸中の石を見、以
て虎と為し、而して之れを射る、石に中り、矢を沒す、之を見れば石なり、他日之を射、終に入る能はずと。
又楚の雄渠子、出でて寝石を見る、以て伏虎となし、将に去らんとして之を射る、矢其の衛に沒す。或曰く、
養由基寝石を見、以て兕となし、之を射れば矢、羽を飲むとあるに類す。心に依りて境の變ずるをいふ(大成脚注)
*識:意識、生命力、心、洞察力との意味。認識対象を区別して知覚する精神作用を言う。
*七情:喜・怒・哀・楽・愛・悪(お)・欲をいう。
*一片心:ひとつの心。
一片氷心:俗塵ぞくじんに染まらず清く澄みきった心、また心境のこと。名利を求めず、汚れなく清らかな
品行のたとえ。ひとかけらの氷のように清く澄んだ心の意から。
*眨(さつ)す。:瞬き
*敢えて:1 やりにくいことを押しきってするさま。無理に。2 (あとに打消しの語を伴って)
㋐特に取り立てるほどの状態ではないことを表す。必ずしも。㋑打消しを強める。少しも。全く。
(´・(ェ)・`)つ

848鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/14(木) 23:30:23 ID:1d4drIFg0
大体そんな感じじゃな。

 不殺生戒なのじゃ。

 李廣将軍は一片の慈悲心を持っていたのじゃ。
 多年の石虎は深い識情をもっていたのじゃ。
 殺人虎であると目付けしなければ矢を刺さなかったのじゃ。
 わしも燈前夜雨の吟をあえて忍ぶのじゃ。

849避難民のマジレスさん:2021/10/14(木) 23:52:17 ID:k8Ljyz3.0
くま質問
 「多年の石虎は深い識情をもっていた」とはどのような意味でありましょうか?
 「殺人虎であると目付けしなければ矢を刺さなかった」とは、ただ虎であると言うだけで、殺すことはな
 かったと言う意味で在りましょうか?
 「燈前夜雨の吟」とはどのような意味でありましょうか?

558
虚堂和尚三轉語 虚堂和尚の三轉語
龍門萬仭碧波高 龍門萬じん碧は高し
天澤面前誰畫牢 天澤面前誰か牢を画す
生鐵鑄成三轉語 しょう鉄い成す三轉語
作家爐鞴煆吹毛 作家のろはいすい毛をきたふ

くま訳
禪門修行の目的地への航路は遠く波は高い。
虚堂の面前で誰が地面を区切って、牢となすような事をするというのだ
生鉄を鍛えるのが、この三転語である。
禪師のふいごは生鉄を 吹毛の剣に鍛え上げるのだ

*虚堂和尚三轉語 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>972
*仭(じん):はかる/深さをはかる/ひろ/高さや深さをあらわす単位
*炉鞴(ろはい):鍛冶が用いるふいごのこと。転じて禅門では師家が弟子を鍛練する道場のことをいう。
*吹毛(の剣):吹きかけた毛も断ち切るほどの、よく切れる剣。
(´・(ェ)・`)つ

850鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/15(金) 23:20:17 ID:1d4drIFg0
↑それは石の虎が多年を経て命が宿っていたというのじゃ。
 もののけじゃな。

 そのような意味なのじゃ。
 李廣将軍が石の虎に矢を刺さなかったのは、石と気付いたからではなく、人を殺さぬ虎と気付いたからというのじゃな。
 
 
 誰かが雨の夜に詩吟していたのじゃな。
 李廣将軍のように一休もそれを忍ぼうというのじゃ。

851鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/15(金) 23:28:50 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 虚堂和尚の三轉語なのじゃ。

 龍門は万仭の高さにあり、碧い波も高いのじゃ。
 天沢の面前で誰が牢を画すことができるじゃろうか。
 生鉄を鋳成する三轉語なのじゃ。
 作家のふいごが吹毛の剣を鍛えるが如しなのじゃ。

852避難民のマジレスさん:2021/10/15(金) 23:42:59 ID:aBAvqbq.0
559
賛華叟和尚   華叟和尚を賛す
靈山孫言外的伝 りょうぜんのそんごん外の的伝
蜜潰茘攴四十年 蜜しの茘攴四十年
兒孫有箇瞎禿漢 児孫に箇のかつとく漢有り
頤得老婆新婦禪 やしなひ得たり老婆新婦の禪

くま訳
華叟和尚を賛す
霊山徹翁義亨の孫弟子、言外宗忠の直伝。
四十年物の蜜漬けの茘子のような師である。
子孫にこの盲目のロバ坊主がいるのである。
手取り足取り、育て上げてくれたのである。

*華叟衆曇(かそうそうどん、1352-1428):8歳にして京都大徳寺の徹翁義亨に投じ、14歳で出家。のち徳 
 禅寺の言外宗忠に参じ、印可を得る。近江堅田に祥瑞寺をひらき、住持した。門弟にはのちに大徳寺派の
 主流派となる一休宗純や養叟宗頤など
*霊山:徹翁義亨(てっとう ぎこう):1295―1369宗峰(しゅうほう)妙超の法をつぐ。延元3年大徳寺1世 
 となり,法度(はっと)を制定する。のち徳禅寺をひらき隠居。南の地に霊山徳禅寺を開創し,寺域内には石
 を配し,池を掘り船が浮かぶ庭園を築き,また寿塔の正伝庵を設けている。足利義詮 や花山院覚円などの
 外護者を得ている。大徳寺法度・徳禅寺法度・正伝庵法度などを制し,寺院経営,門徒の掌握と徹翁一派に 
 よる大徳寺とその教団運営の基礎確立にすぐれた才能を発揮した。
(´・(ェ)・`)つ

853鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/16(土) 23:27:14 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 華叟和尚の賛なのじゃ。

 霊山和尚の孫であり、言外和尚の伝統を継ぐ者なのじゃ。
 レイシを四十年蜜付けにしたような人生じゃった。
 その子孫にはこのわしもいるのじゃ。
 老婆が新婦の褌を養い得たようなものじゃ。

854避難民のマジレスさん:2021/10/16(土) 23:55:55 ID:VcZQFi9E0
560
九月朔。         九月ついたち。
森侍者借紙衣於村僧禦寒。 しん侍者借紙こをそん僧に借りて寒を防ぐ。
瀟酒可愛作偈言之     しょうしゃ愛すべし、偈を作って之を言ふ

良宵風月亂心頭 良せうの風月心頭を乱る
何奈相思身上秋 いかんせん相思身上の秋
秋霧朝雲獨瀟酒 秋霧朝雲獨り瀟酒たり
野僧紙袖也風流 や僧が紙しうまた風流

青柳仁先生訳・注釈
心地好い秋の宵の風月を眺めていると、いつも心を乱してしまうよ、
どうにもならないものだね、お互いに愛し合っているこの心とこの身のほとめきは。
秋の霧のように、朝の雲のように寄り添う艶っぽい森公のこの瀟洒な姿態に、ぼくは蕩けてしまう。
村の僧が作ってくれた紙の衣も、色っぽくてまた風流そのものだよ。

※ 秋の霧、朝の雲=楚の懐王と一夜を過ごした巫山の神女が、別れに「私は朝には雲になり、夕暮れには
雨となります」と云った故事による。

くま訳
九月一日。
森侍者、村の僧から紙衣を借りて寒さを防いだ。
あかぬけて、お洒落である事は愛すべきである。偈を作って之を詠うのである。

月良き夜、心乱れる。
どうしたものか、相思う二人の身上の秋の愁い
雲雨を約した巫山の女神より、君は瀟酒だ。 
野僧に借りた紙袖というのが風流で素晴らしい。

*瀟洒・瀟灑:すっきりとあか抜けしているさま。俗っぽくなくしゃれているさま
*良宵(りょう‐しょう〔リヤウセウ〕):よい晩。晴れて気持ちのよい夜。月良き夜のことで、季語では多
 く十五夜
(´・(ェ)・`)つ

855鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/17(日) 23:23:37 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 九月一日なのじゃ。

 森侍者が紙衣を村の僧に借りて寒さを防いだのじゃ。
 おしゃれでかわいいから偈を作って之を言うのじゃ。

 良宵の風月は心頭を乱すのじゃ。
 愛し合う身上の秋はどうすればよいのかわからんほどなのじゃ。
 秋霧朝雲のような獨りはおしゃれなのじゃ。
 野僧の紙袖はまた風流なのじゃ。

856避難民のマジレスさん:2021/10/17(日) 23:52:05 ID:xp4dYwns0
561
關東御上洛
慮軍萬騎已東來 慮軍萬騎すでにひんがしより來る
京洛凱歌一曲催 京洛の凱歌一曲催ほす
相坂關門征駒路 あふ坂の關門征くのみち
胡兒性命馬蹄埃 胡兒の性命馬蹄のちり

くま訳
關東勢が御上洛   
戦略軍萬騎すでに東より上洛
京の都で凱歌が奏でられている
相坂の關門は軍馬の道となり
敵軍の若者達の命は蹄の塵となった。

*上洛:主に京都に入ることを意味する言葉である。入洛とも言った。
 由来・上洛の「洛」は「洛陽」を意味する。平安時代、平安京を指して中国の都の名を借りて「洛陽」と 
 呼ぶことがあった。
 室町時代においては、多くの守護大名は在京義務が課せられ京都に常駐していた。応仁の乱により幕府に 
 守護大名の動きを制御する力が無い事が明白となり、在京の意味は薄れていた。上洛は稀なものとなった。
 関東については室町幕府の支配は、1454年の享徳の乱の収拾に失敗し、既に頓挫していた。
*軍慮(ぐんりょ): 戦術などを考えめぐらすこと。また、そのはかりごと。軍略。戦略。
*逢坂関(おうさかのせき、あふさかのせき):山城国と近江国の国境となっていた関所。相坂関や合坂関、 
会坂関などとも書く。東海道と東山道(後の中山道)の2本が逢坂関を越えるため、交通の要となる重要 
 な関であった。
*胡児 … 北方の遊牧民族のこども。えびすの若者。
(´・(ェ)・`)つ

857鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/18(月) 23:09:52 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 関東御上洛じゃな。

 慮軍が万騎も既に東よりきたのじゃ。
 京洛で凱歌を一曲催おしたのじゃ。
 相坂の關門も征軍の馬の道となったのじゃ。
 胡兒の性命などは馬の蹄鉄の埃の如くなったのじゃ。

858避難民のマジレスさん:2021/10/18(月) 23:35:42 ID:.9jQ8Mx60
562
隠渓 齋名 
呂公子陵眞面目 りょ公子陵眞の面目
受用風飡又水宿 受用風さん又水宿
江湖今有贋漁舟 がう湖いまがん漁しゅう有り
我無一竿湘楚竹 我れに一かん湘楚の竹無し

くま訳
隠渓 齋名 
太公望や嚴子陵は本來のあるべきありようである。
風を食い水辺に眠る生活を受用して味わっているのである。
世間には今いるのは、偽の隠者である。
わしは、一竿の釣竿すら持ってないのである。

*呂公子陵:太公望及び嚴子陵を云ふ、太公望は、渭水の滸に釣し、子陵は又羊の裘を被りて澤中に釣る、
其の時に応じて清貧に甘んずるは分の宜しきなり。(大成脚注)
・子陵:厳子陵(げんしりょう):後漢の高士。本名厳光。子陵は字(あざな)。光武帝の学友で諫議大夫に 
 除されたが、仕官をことわり、釣りなどをして隠士で一生を終わったという。
・呂公:太公望 周王朝の建国伝説の名将。周の文王が渭 (い) 水のほとりで出会い,これが先君太公の待 
 ち望んだ賢人であるといったところから太公望といわれた。文王に召されて周に仕え,武王のとき,殷周
 革命に際しての武功により斉侯に封じられた。
*贋漁舟:表面漁船らしいが、中々さうでないものがある、卽ち隠者を装ふて却って現るる者が多い。
*真面目:人や物事の本来のありさまや姿。真価。
*受用:受け入れて用いること。また、受け入れて味わい楽しむこと。
*風飡又水宿:風を食い、水辺に寝ること。野宿すること。
(´・(ェ)・`)つ

859鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/19(火) 21:53:04 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 隠渓 齋名なのじゃ。

 呂公や子陵の眞面目とは
 風を受用し、水に宿る生き方なのじゃ。
 世間には今偽の漁舟も多いのじゃ。
 わしは一竿の湘楚の竹も無いのじゃ。

860避難民のマジレスさん:2021/10/19(火) 23:28:26 ID:qKTvf8jU0
563
弟子癖     でいし癖
從参臨濟大人禪 臨濟大にんの禪に参じてより
元字脚頭心念前 元字脚頭心念の前
即今若作我門客 即こん若し我が門のかくとならば、
野老風流美少年 野老の風流美少年

くま訳
弟子癖
臨濟宗の師の禅に参じたからには、
思考、心、精神を云々する其の前に、
我が宗門の弟子になったなら、、
野老が風流な美少年になれるのだ。

*元字脚①「元」の字の脚の部分「儿」のこと。これは、「人」を意味する。②「乙」の字のこと。「元」 
 の下半分が「乙」となり、これが「一」に通ずることから、「一」を意味する。③脚とは、墨跡・字画の 
 意味であり、元字脚とは、「元」字の画の意味である。つまり「元」字は上は横の二画、下は縦の二画を 
 示し、これで文字の総名にするという。④全苗月湛?が著した五位参究の『五位顕訣元字脚』のこと。 
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/  >>669 >>815
*會裡徒募集のキャッチコピーでありましょうか?
(´・(ェ)・`)つ

861鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/20(水) 23:25:04 ID:1d4drIFg0
↑そうかもしれん。
 わが門に入って修行すれば老人も不死の境地に入れるというのじゃな。

 それでよいのじゃ。

 弟子癖なのじゃ。

 臨濟大人の禅に参入すれば、
 全身全霊が心に集中するのじゃ。
 もしわが門の客となれば即今
 野老も風流美少年の如き不死の境地に入れるのじゃ。

862避難民のマジレスさん:2021/10/20(水) 23:30:23 ID:8IWVAlpU0
564
癖       へき
臨濟徳山棒喝禪 臨濟徳山棒喝の禪
睦州蒲葉奯公船 睦州のほえふくわつ公の船
左傳蠟屐一時忘 左傳らふき一時に忘じて
不是和嶠我愛錢 是れ和けうにあらず我れはせんを愛す

くま訳

臨濟徳山棒喝の禪
睦州道明禅師や岩頭全豁禅師の船上での晩年の逸話
歴史書で伝わる、行脚の際に履物に蝋をぬる話など一時忘れてしまいましょう。
これらの人達は和嶠のように声望あり、倹約家だったのであるが、わしは単に、銭を愛すのだ。

*睦州(ぼくじゅう):黄檗希運禅師の法嗣睦州道明禅師(780?〜877?)臨済を策励したり、雲門 
 の脚を折ってまでして接得した人。陳蒲鞋(213〜)のことである。
*奯公(かつ公):岩頭全豁禅師:、828- 887年)会昌の廃仏により還俗して船頭をやりながら修行。最 
 後は賊に襲われて首を斬られて死んだ。95の詩  
 https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/931
 @210 https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ で 奯公を、鄂隠慧奯(が 
 くいん えかつと解したのは間違いでありました。
*春秋左氏伝:孔子の編纂と伝えられている歴史書『春秋』の代表的な注釈書の1つで、紀元前700年頃か 
 ら約250年間の魯国の歴史が書かれている。通称『左伝』。
*蠟屐、蠟をゲタの底に塗りる(←歩きやすくなると考えられていたらしい)
*三国列伝―晋・和嶠  銭癖
 和嶠(かきょう 生没年不詳)晋の臣。慎み深く典雅な重々しさがあり、若い頃から声望高かった。
 名家で王公にも擬せられるほど豊かだったが、倹約家を通り越し吝嗇で、「銭癖」と呼ばれた。
 歯に衣着せない物言いで知られた。
(´・(ェ)・`)つ

863鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/21(木) 23:39:32 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 癖なのじゃ。

 臨濟徳山の棒と喝の禪
 睦州岩頭の船
 左伝の踏み歩きを一時忘れる。
 これは和?誌にあらず、我は銭を愛する癖なのじゃ。

864避難民のマジレスさん:2021/10/21(木) 23:44:47 ID:mDaJMeUQ0
565
對臨濟畫像   臨濟の画像に対す
臨濟宗門誰正傳 臨濟の宗門誰か正傳
三玄三要瞎驢邊 三玄三要瞎驢辺
夢閨老衲閨中月 夢閨の老衲閨中の月
夜夜風流爛醉前 夜夜の風流爛醉の前

くま訳
臨濟の画像に対面する
臨濟宗門における正統な後継者は誰か
三玄三要は瞎驢一休が受継いだ
夢うつつの一休爺がねまから月を拝むのだ
夜毎の風流乱醉の前じゃい

*夢閨:一休さんの「号」の一つ。夢うつつのままに精神の閨房をたのしむことを意味した。
*閨房:① 寝室。ねや。ねま。また、とくに夫婦の寝室。② 夫婦の間柄。また、家庭内の男女の風儀。
(´・(ェ)・`)つ

865鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/22(金) 22:58:35 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 臨濟の画像に対してなのじゃ。

 臨濟の宗門は誰か正傳なのじゃろうか。
 三玄三要はこのわしの身辺に在るのじゃ。
 夢幻の老僧は夢中の月の如しなのじゃ。
 夜夜の風流は爛酔の前なのじゃ。

866避難民のマジレスさん:2021/10/22(金) 23:25:15 ID:uy8415KA0
くま訳改
第三句:夢幻の老僧は夢中の月の如しなのだ。

566
偶作
臨濟門派誰正傳 臨済の門派誰か正伝、
風流可愛少年前 風流愛す可し少年の前。
濁醪一盞詩千首 だくろう一盞さん詩千首、
自笑禪僧禅識禪 自ら笑ふ禅僧禅を識らず。

茶の湯に親しむHP
臨済の門派は誰か正しく伝えている者はいるのだろうか。
俗事を離れてかわいらしい少年の前で
盃にどぶろくを注いでいると、詩は千首もできるのだから
笑ってしまうのだ。禅僧は禅を識らずと

くま訳
臨濟宗門の正傳は誰か、
風流を愛すべきである。少年の前で、
盃一杯のドブロクをあおれば、千首の詩が湧いて来るのだ。
笑ってしまうのである。禅僧禅を識らずと。
(´・(ェ)・`)つ

867鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/24(日) 00:17:22 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 偶作なのじゃ。

 臨済の門派は誰が正伝じゃろうか。
 わしは風流で可愛い少年の前で、
 濁り酒を一杯飲むと詩が千首もできるのじゃ。
 そして禅僧は禅を知らずと自ら笑うのじゃ。

868避難民のマジレスさん:2021/10/24(日) 06:00:38 ID:V7K29P4Y0
567
賛淸素首座   淸素首座を賛す
茘子食罷記吾曾 茘子食しやんでわがさうを記す
三十年來一箇僧 三十年來一箇の僧
杜牧平生丈夫志 杜牧の平生丈夫のこころざし
老無気力望昭陵 老いて気力のうして、昭陵を望む

くま訳
賛淸素首座
茘子を食し終えて、わしの最近の事を記すのである。
三十年來一箇の出家修行者である。
杜牧のように常日ごろ丈夫な志を持っていたのだ。
が、しかし、老いて無気力に、太宗の墓陵のことを考えたりしてるのだ。

*淸素首座:>>464 作偈博飯喫 参  >>206 大燈國師三轉語曰 参    
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/
*罷(ヒ・ハイ[訓]やめる まかる)1 仕事を中止する。2 役目をやめさせる。3 疲れてやる気がな
 くなる。
*曾(ゾ、ソウ、ソ、ゾウ、[訓]かさ(なる)かつ(て)すなわ(ち)ま(す)・意味 かつて。これまで。 
以前に。かさなる。幾重にもかさなる。ます。ふえる。ふやす。=増「すなわち」と読み、「ところが」
 「なんと」「いったいぜんたい」などの意を表わす。
*杜牧:唐の京兆萬年の人なり、豪放にして奇節あり、詩をよくし、杜甫に対して小杜と称す、その卒ぜん
とするに当たり、平生作る処の文章をことごとく焼き、自ら墓碑銘を作るといふ。(大成脚注)
*昭陵:唐の太宗の陵なり(大成脚注)
 太宗598-649年、父高祖とともに唐建国。第二代皇帝。
(´・(ェ)・`)つ

869鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/24(日) 23:07:25 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 淸素首座を賛するのじゃ。

 茘子を食べおえて、わしのこれまでのことを記すのじゃ。
 三十年來一箇の僧として生きたのじゃ。
 平生は杜牧の如き丈夫の志をもつていたものじゃ。
 老いて無気力になると昭陵を望むようになったのじゃ。

870避難民のマジレスさん:2021/10/25(月) 14:31:28 ID:0IpG2gCc0
568    2/2 
擧靈山徹翁和尚末後之垂示以示徒。 りゃうぜん徹翁和尚のまつごのすいじをこして、もって徒に示す。
其垂示云。正法眼藏無付人。    其の垂示にいはく、正法眼藏人に付する無し、
自荷擔至彌勒下生噫。       自らかたんして 彌勒下生に至る。い

牢關一句費工夫 牢關一句工夫を費やす
百煉精金再入爐 百錬の精金再び炉に入る  
話到當來來劫曉 わして當來來劫の暁に到る  
只愁枕上夢魂無 ただうれふちん上にむこんなきことを

くま訳
霊山徹翁和尚が最後の教えを弟子たちに説いた。
其の教えにいわく、正法眼蔵は人により言葉で伝えられるものではなく、付け加えることはない。
自ら引き受けて、弥勒菩薩の下生に、今すぐから備えなければならない。ああ〜

最終、最大の難関(末期の牢関)透関のための一句をひねりだすために、工夫精進するのだ。
何度も鍛えぬき練り直し、更に一から鋳直すのである。
話をしているうちに、ひらめいて、悟ったりするのである。
心配なのは、寝ぼけて見た夢ではないかということだ。

119 再掲(2020/07/10(金)) https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/ >>806
擧靈山徹翁和尚末後之垂示以示徒。 りゃうぜん徹翁和尚のまつごのすいじをこして、もって徒に示す。
其垂示云。正法眼藏無付人。    其の垂示にいはく、正法眼藏人に付する無し、
自荷擔至彌勒下生噫。       自らかたんして 彌勒下生に至る。い

1/2
古佛靈山名不虚 古佛霊山名虚しからず
當來彌勒是同居 当来の彌勒是れ同ご
兒孫一箇狂雲子 児孫一個の狂雲し
邪法大興殃有餘 邪法大いに興ってわざわひ余り有り

807: 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM :2020/07/11(土) 23:47:31 ID:1d4drIFg0
一休は宗派には拘らないのじゃ。
正法眼藏に付する無しという遺言もよいものだというのじゃ。
既に弥勒は現われているというのじゃ。
悟りを得た如来は既に世に出て、一休もその一人というのじゃ。
ただ衆生が悟りを求めていなければ何の意味もないのじゃ。
邪法に惑わされて災いを招くのみなのじゃ。
(´・(ェ)・`)つ

871鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/25(月) 23:37:19 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。

 霊山和尚の末後の教えを弟子達に示したのじゃ。
 その教えに曰く、正法眼藏は人に付することは無いのじゃ。
 自ら荷担して弥勒下生に至るのじゃ。

 牢関一句に工夫を費やすのじゃ。
 百回も錬摩した金の精髄を再び炉にいれるようなものじゃ。
 話をして当来、来迎の暁に到った時、
 ただ枕の上に正体をなくして夢見ていないかを愁えるのじゃ。

872避難民のマジレスさん:2021/10/26(火) 08:09:17 ID:S8A5yMpc0
569
俗人淫坊門前詠詩歸 俗人淫坊門前に詩を詠じて歸る
樓子無心彼有心 樓子無心彼れ有心
淫詩詩客色何淫 詩に淫す詩客色何ぞ淫す
宿雨西晴小歌暮 宿雨西に晴る小歌の暮
多情可愛倚門吟 多情愛すべし門によって吟ず

くま訳
俗人坊は遊里の門前で詩を詠ん帰るのである。 
遊女には何の思いも無く、彼にはあるのだ。
詩に熱中する客は、色欲に耽る事はない。
昨夜からの雨が西から晴れてきて、小唄が聞えるる夕暮れである。
情が深いのは愛すべきことである。門に寄りかかって吟じる声が聞える。

*婬(淫)する:1(「…に淫する」の形で)度が過ぎる。度を過ごして熱中する。ふける。2 みだらなことをする。
*宿雨:1 連日降りつづく雨。ながあめ。霖雨(りんう)。2 前夜からの雨。
*倚門之望(いもんの-ぼう):子の帰りを待ちわびる親の情のたとえ。子を思う親の愛情が切実なたとえ。特 
 に母親の愛情についていう。門に寄りかかって望み待つ意から
(´・(ェ)・`)つ

873鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/26(火) 21:28:34 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 俗人の淫坊は門前に詩を吟詠して帰るのじゃ。

 樓子は無心であり、彼は有心なのじゃ。
 詩に淫する詩客が何ゆえ色に淫することがあろうか。
 宿雨は西にさり、晴れた暮れに小唄が聞こえるのじゃ。
 多情は愛すべしと、門に依って吟詠するのじゃ。

874避難民のマジレスさん:2021/10/26(火) 22:58:59 ID:fjWy3EZo0
570
四睡圖     四睡図
老禪饒舌笑中愁 老禪のねう舌笑中の愁
虎尾搦來跨虎頭 虎びぢゃくし來って虎頭にまたがる
月元不識寒山意 月は元しらず寒山の意
夢愕淸光萬里秋 夢はおどろく淸光萬里の秋

くま訳
四睡圖
老禅師の饒舌には、笑いの中に愁いがあるのだ。
時に、虎の尾をからめ取ってきて、虎の頭にまたがるような、大力量を発揮する。
しかし、月は寒山の心など端から知らんことでありましょう。
夢で清光を見て、悟ったと勘違いした秋だったのではありますまいか。

*四睡図:豊干、寒山及び拾得が虎と共に睡る姿が描かれた禅画。禅の真理、妙理、境地を示すとされる。
豊干禅師と寒山、拾得は親しい関係にあったが、この三人と虎を一緒に描くことの根拠となる文献は見つ
かっていない
*くま的には寒山さんたちは、たいへん魅力的だと思うのでありますが、シティーボーイの一休さんとは正 
反対でありますので、一休さんは批判的に見ていたのではないかという視点で、訳してみたであります。

*寒山さんの月の詩の一つ。Taro-恵山のつれづHP先生訳・解説抜粋
吾心似秋月 吾が心秋月に似たり
碧潭清皎潔 碧潭清うして皎潔
無物堪比倫 物の比倫に堪えたるは無し
教我如何説 我をして如何が

自分自身に向き合い、心の奥底に見入るとき、その凛として澄み切った清らかさは、まるで秋の月のよう
だ...
わたしたちの心、碧の水を深く湛える湖、碧に見える湖の水面を覗き込むならば、その湖底は、あくまでも
清らかに澄んでいるのです。・・その清らかに澄み切った湖の底を、秋の月のように皎皎と冴え渡る「吾が
心」が、白く照り輝かせる心とは、本来はそうしたものなのだ...わたしたちの心の本当のあり方は、本
来は、一点の曇りもなく澄みきったものなのだ...その透き通った有り様は、実は秋の名月の比ではない
...はるかに素晴らしいものなのだ...
わたしたちめいめいの心の本当の姿を、この世界の、どのような素晴らしいものにたとえようとしても、と
てもたとえることなどできない...それは比較を絶したものなのだ。ああ、そのありさまを、何と言葉に
すれば良いのだろうか...それは言葉にすらできないのだ.

*昨夜一聲鴈 昨夜一声の雁、
清風萬里秋 清風万里の秋あき。

芳賀幸四郎先生訳・解説
昨夜、月明の空を北から南へ数行こうの雁が鳴きながら渡っていった。もう雁の渡ってくる頃になったのか
と、しみじみ聞きながら、いつか寝入ってしまったが、
今朝起きてみると、すがすがしい風が吹きわたって、見わたす限り秋の気配が充ち満ちている。(中略)悟
りが開けてみると、これまで立ちこめていた一切のもやもやがきれいに消散し、清風万里の秋にも比すべき、
なんとも爽やかですがすがしい境涯が開けた」

*跨虎頭:「碧巌録」第54則  雲門展両手 虎頭虎尾 一時に収む:虎の頭も尾も手中に収める。大力量
を発揮する。
(´・(ェ)・`)つ

875鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/27(水) 22:46:57 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 老禅師の饒舌には笑いの中にも愁いがあるものじゃ。
 虎の尾に耽溺して、虎の頭に跨るのじゃ。
 月は元より寒山の意などしらないのじゃ。
 清い光が万里を照らす秋の夢に愕然とするのじゃ。

876避難民のマジレスさん:2021/10/27(水) 23:20:46 ID:Mq7fRKlY0
くま質問
ここで、「秋の夢に愕然とする」のは寒山であり、寒山が月光をどのように見て受け止めようと、月はあり
のままに在ることに、寒山自身が気付き、悟って愕然としたのでありましょうか?

571
昔有一婆子。供養一庵主剄二十餘年。 昔一婆子有り。一庵を供養して二十餘年をへ。
常令一二八女子送飯給侍。      常にひとりの二八のにょしをして飯を送り給侍せしむ。
一日、令女子抱定云、        一じつ、にょしをして抱ぢゃうせしめて云はしむ、
正恁麼時如何。           「しゃうよもの時いかん」 
庵主云、枯木倚寒巖、三冬無暖気。  庵主云く、「枯木寒がんによる、三冬暖気無し。」
女子帰挙似。            にょし帰ってこじす。
婆子云、我二十年只供養得箇俗漢。  婆子云く、我二十年ただこの俗漢を供養し得たり。
追出焼却庵。            追出して庵を焼却す。

老婆心為賊過梯 老婆心賊の為に梯(かけはし)を過して、
清浄沙門與女妻 清浄の沙門に女妻を与う。
今夜美人若約我 今夜美人、若(も)し我を約せば、
枯楊春老更生稊 枯楊春老いて、更に稗(新芽)を生ぜしめん。

「婆子焼庵」公案・伊井暇幻先生訳・抜粋
あるところに老婆がいた。禅僧に庵を建ててやり、二十年もの間、生活の面倒を見て遣った。
いつも、最も美しく可愛らしい年頃の少女一人を選び、食事を持たせて僧の給仕をさせていた。
・・・ある日、老婆は係の少女に言い含めた。
「禅僧に抱きつき・・『こういう時、アナタは如何な気持になるの』と訊くのぢゃ」。少女が言われた通りに
すると、
庵主は云った。「私は寒岩に拠った枯れ木のようなものだ。この庵内は仏の境、命芽吹き早蕨萌え出ずる春
には遙か遠い凍土である」。
少女は身振り手振りを交えて、事の次第を老婆に報告した。
老婆は云った。「アタシぁそんな俗物を二十年も供養してきたのかい」。
老婆は禅僧を追い出し、庵を燃やしてしまった。

一休の詩・ある男の残日HP 宇野直人先生・訳抜粋
老婆は 泥棒が逃げ易いように梯子を架けた
清く正しい青年僧に 妻を世話をした
今夜 美女が私に抱き付いてくれれば
枯れかけた柳が 春にも萎れていたのが もう一度ひこばえを出すのに

くま訳
老婆は余計なお世話をして、泥棒に梯子を掛けてそそのかしたのだ。
清浄な沙門に女をあてがってみたのである。
今夜美人がもしわしとの逢瀬を約してくるなら、
枯木に春がきて、新芽がふくでありましょう。

*枯楊春老更生稊:「易」に「枯楊稊ひこばえを生ず。老夫 その女妻を得たり。利ならざるなし。→枯れ 
 かけた柳に稊ひこばえが生えるように、年老いた男が若い妻を迎えることはいいことだ」を引用。 
(´・(ェ)・`)つ

877鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/28(木) 23:22:27 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃろう。
 ありのままを観て愕然とするのじゃ。
 誰の心も知らず月はありのままに万里を照らして人を驚かすのじゃ。

878鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/28(木) 23:25:36 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 老婆は心賊の為に梯を過したのじゃ。
 清浄な沙門に女妻を与えたのじゃ。
 今夜美人がもしわしに約したならば、
 枯楊春老いてさらに新芽を生やすのにのう。

879避難民のマジレスさん:2021/10/29(金) 16:50:40 ID:XYCsi2yc0
鬼和尚、いつもくまにも分る解説をありがとうでであります。
寒山をググると、楽しい絵や、森鴎外の『寒山拾得』など、たくさん資料が出てくる弟あります。
これらは、中国仏教、禅が説きたかった、ありのままの観察法の典型的な事例のように思うであります。

くま質問
「老婆は心賊の為に梯を過した〜」とは、老婆は邪心から沙門にわなをかけたが、もし一休(のように悟っ
ていれば)だったら、与えられた女妻を受け入れたであろう、みたいな意味でありましょうか。

572
苦行釋迦    苦行の釋迦
六年飢寒徹骨髄 六年飢寒骨髄に徹す
苦行是佛祖玄旨 苦行は是れ佛祖の玄旨
信道無天然釋迦 いふことを信ず天然の釋迦無しと 
天下衲僧飯袋子 天下の衲僧飯たいす

くま訳
苦行釋迦
六年間、飢寒に耐えて、苦は骨髄に徹した。
苦行とは、物事の奥深い内容、深遠な道理を知るための修行のことであった。
釋迦が生れる前には、修行法の道理を教えてくれる天然釋迦は存在しなかったのだ。
釋迦が修行法を確立して教えてくれたのに、(それを実践しない)今の修行僧は無駄飯喰らいなのである。

*玄旨:物事の奥深い内容。深遠な道理
 玄旨帰命壇(げんしきみょうだん):比叡山で行われた秘法、脚下のようであります。
(´・(ェ)・`)つ

880鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/29(金) 23:47:54 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、一休はわかっていたのじゃ。
 悟りを得て心底色欲から離れていれば、女妻さえ拒む必要は無いのじゃ。
 何でも受け入れたらよいのじゃ。

881鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/30(土) 00:05:04 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 苦行のお釈迦様なのじゃ。

 六年の飢寒の行は骨髄に徹するほどのものだったのじゃ。
 苦行は仏祖の玄旨なのじゃ。
 苦行の道無きを信じ、釈迦は天然に悟ったのだという
 天下の衲僧は飯袋子の如しなのじゃ。

882避難民のマジレスさん:2021/10/30(土) 00:29:11 ID:cFxo0BM20
くま質問
「信道無天然釋迦」は 「いふことを信ず天然の釋迦無しと」と読み下すのではなくて、「道無きを信ず。
釋迦は天然なり」とでも読むべきでありましょうか。 

573
僧無尊卑    僧に尊卑無し
盧能馬箕姓名拙 慮能馬箕(き)姓名せつなり  
教外別傳越佛説 教外(げ)別傳佛説を越ゆ  
杜撰禪流井底尊 杜撰の禪流井(せい)底の尊
可憐皮下元無血 憐れむべし皮下に元血無し

くま訳
僧に尊卑無しである。
家柄など関係ないのである。
慧能は盧氏の出身で樵をやっていたと言う。馬祖の生家は簑や笊籬(ざる)作りであった。拙い出である。
仏の悟りの深奥は、言葉では伝えられないのである。修行法のみが伝えられるのである。
杜撰な禅では、尊さも底が浅いのである。てか、尊くないのである。
憐れむべし。元々邪師は、薄っぺらで皮下に血流が流れてない修行法を喧伝してるのるだけなのだ。正しく
修得できてないので、正しく伝えられていないのである。

* 教外(きょうげ・きょうがい)別伝:禅宗の要諦を示す言葉の一つで、経典などの文字やことばによらずに
 仏のさとりを心から心へと直接伝えること。また、その深奥の教義。転じて、普通では教えられない特別
 なこと。※正法眼蔵「釈迦老漢かつて一代の教典を宣説するほかに、さらに上乗一心の法を摩訶迦葉に正    
 伝す、嫡嫡相承しきたれり〈略〉この正伝する一心を教外別伝(けうげべつでん)といふ"
(´・(ェ)・`)つ

883鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/30(土) 23:42:01 ID:1d4drIFg0
↑そういえるじゃろう。
 座禅も実際にはなかなか苦しいものじゃということじゃな。
 お釈迦様もその苦しみを乗り越えて修業したということじゃな。

884鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/10/30(土) 23:50:04 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。

 僧に尊卑無しなのじゃ。

 慮能や馬箕は出身の姓名が拙かったのじゃ。
 教外別傳は仏説を超えたものじゃ。
 杜撰の禪は流井底の尊なのじゃ。
 皮下に血が流れていない形骸の憐れなものなのじゃ。

885避難民のマジレスさん:2021/10/31(日) 00:02:00 ID:LNzJrDTo0
574
喚我手作森手 我が手をよんでしんしゅとなす
我手何似森手 我が手しんの手にいづれぞ 
自信公風流主 自ら信ず公は風流の主、
發病治玉莖萌 発病玉茎のぼうをぢす
且喜我會裡衆 且つ喜ぶ我がゑりの衆

仁先生訳
ぼくのごつごつしたこの手は、森公の柔らかい手に比べられるものじゃないね、
この妖艶な森公は、本当に風流の主だと、やっぱり信じてしまうよ。
ぼくが病気になれば治癒してくれるし、玉茎が萌え立つと癒してくれる、
これほどの菩薩のような女性を家族の一員にできたことを、弟子たちもみんなただただ喜んでいるんだ。

くま訳
我が手の事を、森の手とよぶ事にするのである。
そのように思い込むと、我が手か森の手か分からなくなるのである。
森公は、風流の主であると、思い込むのだ。
玉茎が萌えて、発病したようになれば、癒す事ができるのである。
更に、この思い込み法を伝授してやったら、會裡の衆も喜んだのだ

*若い修行僧に伝授したイメージ自慰法と解してみたのである。
(´・(ェ)・`)つ

886鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/01(月) 23:52:20 ID:1d4drIFg0
そうかもしれん。
また一休の艶詩じゃな。

 それでよいのじゃ。

 我が手をよんで森の手とするのじゃ。
 我が手はどこが森の手と似ているのか。
 公は風流の主と自ら信じるのじゃ。
 発病した玉茎が萌えるのを治すのじゃ。
 且つ我が会の衆も喜ばすのじゃ。

887避難民のマジレスさん:2021/11/02(火) 05:52:13 ID:K8K3PImw0
575
話頭古則長欺謾 話頭の古則欺謾を長ず、
日用折腰空対官 日用(にちゅう)腰を折って空しく官に対す、 
栄衒世上善知識 栄衒世上の善知識、 
婬坊児女着金襴 婬坊の児女も金襴を着く。

『雑学の世界』HP訳
古則公案は、欺謾を増すばかり、
日常はペコペコ腰を折り、頭を下げて空しく官吏に応対している。
この世間にこびへつらう善知識も、
娼楼の遊女と同じく金襴を着ているという。

くま訳
古則公案を利用して、欺瞞を深め、
日頃は役人に虚しくへつらう。
それが、世間で名利を追う、いわゆる禪師様だ。
遊里の少女のような金ぴか衣装を着ている奴等なのだ。

*話頭:ほとんど公案と同じ意味、
*善知識:正法を説いて人を正しく導く禅師或いは禅師家

2020/05/06(水)  https://fate.5ch.net/test/read.cgi/keihatsu/1528924619/ >>596 から始まった
一休さん講読会、いよいよ次回で終了であります。
当初はネットから集めてきた個別の詩を掲載する予定でありましたが、途中から「狂雲集」の全ての詩の鬼
和尚解説・付きの現代語訳のようになりました。
鬼和尚のお陰で、狂雲集の全ての詩を覚者の日常の言葉という視点で読むことができました。貴重な機会
をありがとうでありました。
今回は原則「あいうえお順」に取上げてまいりましたが、いつか機会があったら、原典の通りに並べ直して
鬼和尚の訳・解説を読めるようにしたいと思うであります。
(´・(ェ)・`)つ

888鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/02(火) 23:44:35 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 古則や公案は欺瞞を大きくするばかりなのじゃ。
 日常では腰を折って空しく官に対する
 栄衒世上の僧は
 婬坊の児女の如く金襴の袈裟を着るのじゃ。

889避難民のマジレスさん:2021/11/02(火) 23:53:12 ID:U3dWOM1M0
576
偶作
我本來迷道衆生 我れ本來迷道の衆生
愚迷深故不知迷 愚迷深き故に迷ふことを知らず
縦雖無悟若有道 たとひ悟る無しといえども若道有らば
佛果天然立地成 佛果天然立地に成らん

くま訳
偶作
我本來迷道の衆生である
愚かで迷いが深い故に迷うことを知らないのである
たとえ悟る事ができなかったとしても、若し方法があるのであれば、
修行を積む上での生きた道標とならん。

*仏果:修行を積んだ結果として得られる、成仏の境。

『狂雲集』を鬼和尚の解説つきで読むという、誠に贅沢な機会に恵まれたことに感謝いたしております。
ありがとうございました。
次回より、2019/09/02(月)に中断したパパジSRI H.W.L.POONJAの「真理のみ」の講読会再
開の予定であります。5ヶ月間ほどかかる予定であります。
(´・(ェ)・`)つ

890鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/03(水) 23:48:49 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 偶作なのじゃ。

 我は本来は迷い道の衆生なのじゃ。
 愚迷が深い故に、迷いがあることも知らないのじゃ。
 それでも悟っていないとしても、もし道があるならば、
 仏果は天然にして立地に成るのじゃ。


 ご苦労さんだったのじゃ。
 整理して出版すると善いのじゃ。

891避難民のマジレスさん:2021/11/03(水) 23:59:51 ID:4EFf5LRA0
2019/09/02(月)に中断したパパジSRI H.W.L.POONJAの「真理のみ」の講読会再開であります。
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1539697204/  >>586>>781 のつづき
1
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-e② 

Q:私を騒がせるものにもっと注意深くあらねばならないと分かっているのですが、この注意深さはマインドのトリックではないのですか?

 あなたに必要なこの注意深さはマインドのトリックではない。マインドのトリックはあなたが注意深くしていないときだ。そのときマインドがトリックを仕掛ける。注意深くしているときはトリックを仕掛けるマインドが存在しない。
 今、あなたは私の前に座っている。この今の瞬間、注意深くしていなければならない。過去を見ないこと。

     現在の状況に注意深くありなさい。
     幸福を得るにはこれで十分だ。
     この瞬間だけ注意深くしていなさい。
     状況が過ぎ去れば、それに執着しないこと。
     過ぎ去った状況に執着することがすべての人の問題だ。
     これが苦しみと悲惨さの原因だ。

     起こったことは元に戻すことはできない。
     だからそれに執着しないことは理に適っている。
     単に過去の状況に執着しないこと。

 あなたに英知があるなら過ぎ去った過去の出来事に執着するのは無駄なことだと理解するだろう。とにかくこのことを理解しなければならない。この理解は自然に与えられた状況を楽しみながら平和で美しい人生を送るのに十分だ。

 障害や思考は平和な家庭に住むねずみのようなものだから、あなたは猫のようにあるべきだ。あなたが猫であることを忘れるとねずみがやってくる。猫がねずみに注意深くしているようにあなたの思考に注意深くありなさい。

 思考に警戒してそれがどこからやってくるか見てみなさい。さて、今どんな思考があるのかいいなさい。

Q:(質問者は何かを理解したように笑っている。)

 これがねずみを食べた後の猫のスマイルだ。思考がないときすべてが消え去る、そのとき笑うことができる。これが起こるのは「今」で過去ではない。あなたの仕事をしなさい

 警戒して注意深くしていて、あなたを騒がせる思考、どんな思考がやって来るか言いなさい。このように注意深くして、あなたの前にやってくるねずみに飛びかかりなさい。

 ただ注意深くしていて、何もしないことだ。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

892避難民のマジレスさん:2021/11/04(木) 22:51:53 ID:p3a9piXM0
鬼和尚、こんばんは。
一休さんの詩は、577首掲載したのでありますが、その内51首、鬼和尚の解説が無いものがあります。
明日以降、パパジの講読会の末尾に、その詩を再掲載して参りますので、解説をお願いしてもよろしいですありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

893鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/04(木) 23:24:11 ID:1d4drIFg0
↑よいのじゃ。
 どんどんのせるとよいのじゃ。

894鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/04(木) 23:27:03 ID:1d4drIFg0
今ここにある心の働きに注意深くあるべきなのじゃ。
過去の出来事も、未来の予測も全て記憶から起こるものじゃ。
それらに囚われていれば今ここには居ないのじゃ。
今ここで働いている心を注意深く観るのじゃ。

それが観察なのじゃ。

895避難民のマジレスさん:2021/11/05(金) 00:35:06 ID:ihBMrWr20
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-e③

Q:真我探求を通して私は平和と幸福を経験しましたが、未知への恐怖がやって来てそれを疑ってし
まいました。

 どのくらいこの平和は続いたのかね?

Q:ほんの数分間です。そして思考がやって来ました。

 なぜこの幸福を諦めたのかね。又、何の為に諦めたのかね。幸福から去るという決定はよいもので
はない。平和の中に定住しなさい。何億年もあなたは心を乱され続けて来た。
 一度平和を見つけたのなら、なぜこの混乱の中に戻って行くのかね。これを理解しなさい。何があ
なたに平和を与え、何があなたを動揺させるのか見分けなさい。そして良いほうに従いなさい。

Q:私に平和を与えてくれる「見ている人」を見つけ出すことができません。

 「見ている人」を見つけ出すことができないというのなら、それは良い経験だ。あなたは眼鏡を通
して見るが眼鏡は見ることができない。眼鏡の後にあるものを見なさい。目の後にあるものを見なさ
い。

 誰が見る人に見ることができるようにさせているのか?「見ている人」がもはやそこにいないので
死んだ人の目は見ることができない。もう一度「見ている人」を見ようとしてごらん。

(´・(ェ)・`)
(つづく)

臨済四料簡 1/4  
奪人不奪境   
百丈潙山名未休 百丈潙山名いまだ休せず
野狐身興水牯牛 野狐の身と水牯牛と
前朝古寺無僧住 前朝の古寺僧の住するなし 
黄葉秋風共一楼 黄葉秋風共に一楼  

Didier DAVINダヴァン ディディエ先生訳
百丈の名も、潙山の名も、未だにいき続けている、
「野狐身」と「水牯牛」の公案に。
荒涼とした古い寺に僧は1人も住んでいない。
ただ黄葉に吹く秋風と共に、一件の楼台しか残っていない。

くま訳
百丈や潙山の名いまだによく知られている。
僧(人)ではなくなった野狐の身や、水牯牛に生まれかわった僧(人)の公案で、
寂れた古都の荒れ寺には僧は住んでいない。
黄葉秋風とともに一楼台が残っているだけである 

*奪人不奪境:人を奪って境を奪はず、法の独立を示す語なり。卽ち一法立する時は、万法その内に
接し、人法の別なく主客の両観なし、法法絶対にしてこの間に何物の出頭をも放さず、卽ち人を奪っ
て万法に一如たらしむるの施設なり。(大成脚注)
*百丈懐海(749-814):馬祖道一の弟子 潙山霊祐(771-853)百丈の弟子
(´・(ェ)・`)b

896鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/05(金) 23:31:53 ID:1d4drIFg0

 見る者は常に見る事の裏側に居るものじゃ。
 見る事にも囚われていては見えないのじゃ。
 見ることをも見れば、裏側にいる者も見えるのじゃ。
 困難では有るがのう。

897鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/05(金) 23:35:37 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 奪人不奪境なのじゃ。

 百丈や蕃山の名は未だ休む事無く使われているのじゃ。
 野狐身と牛の考案に拠ってのう。
 例え前朝の古寺に僧も住まなくなっても、
 一つ屋根の下に黄葉と秋風のような師弟が居ればのう。

898避難民のマジレスさん:2021/11/05(金) 23:59:24 ID:RwbytKqk0
3
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-e④

Q:「誰が考えているのか」と真我探求すると思考やセンセーションがもっとやって来ます。どのようにして思考のおしゃべりを静めることができますか。どのようにして私は溶けてしまうことができますか? 小さな思考の切れ目は、私の情熱を解き放してはくれません。

 それは本当ではない。切れ目はあなたを解放する!解放しないといつ言うのか? 切れ目の間に言うのか、思考と思考の間の空間に言うのか、空間の後でいうのか?

Q:空間の後で。

 未来について考えるのは切れ目の後だ。思考と思考の間に過去が、未来が、情熱が見えるのか?

Q:何にも見えません。

 これが私達が話していることだ。

Q:どのようにしてこの空間を大きくすることができますか?

 空間の全ては、この空間からやって来るのだから、空間を無限に大きくすることができる。この空間にいながら「どのようにしてこの空間をより大きくすることができるのか?」と問ねることによってもっと大きくすることができる。

 思考と思考の間の空間にいて、もしこの質問をすることができるなら真我が正しい答えを与えてくれるだろう。今、尋ねなさい!! (思考と思考の間に居るということは無思考を意味する。)

Q:(彼は沈黙の中に完全に吸収されている)

 彼は今、楽しんでいる。彼は甘味をかみしめている。彼は彼の最愛の人と非常に近いところにいる。彼女の口びるから1インチ離れているだけだ。彼は若者だから私はこのような喩えを使わねばならない。(くすくす笑い)。ウパニシャドからの古典的な喩えはこのような若い男性にはうまく働かない。

  飛び込んで全体と一つになりなさい。
  そしてこれさえも終わりになるだろう。
  私はこの同じ甘味をまだ楽しんでいる
  (彼の喉が愛でつまる)
  それは満ち溢れて「ここ」にある。
  それはこのように簡単だが誰もそれを見つめようとしない。
  ただそれを見つめて、近くに行きなさい。
  近くに行きなさい、未来も過去もない、
  欲望もない、存在もない、無存在もない、創造もない、
  そして「それ」が最後にある。

 大変すばらしい。このように若い青年が理解したのは、大変喜しいことだ。

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-e
(´・(ェ)・`)
(おわり)

臨濟四料簡 2/4 奪境不奪人    
臨済児孫誰的傳 臨済児孫誰か的傳
宗風滅却瞎驢辺 宗風滅却す瞎驢辺
芒鞋竹杖風流友 芒あい竹杖風流の友
曲禄木牀名刹禅 曲禄木じょう名刹の禅

Didier DAVINダヴァン ディディエ先生訳
臨済宗には誰が正伝をつたえるのか、
正教私の所で滅びたのだ・
さまようのは風流な人生である、
お寺で偉くなるのは名利を目指している禅に過ぎない。

くま訳
臨済の正統な後継者誰か、
臨濟の宗風は一休までで滅卻してしまうのだ。
わらじに竹杖で行脚する風流を伴とするのである
寺で出世を願うのは名利を追う禅である。
(´・(ェ)・`)b

899避難民のマジレスさん:2021/11/06(土) 00:10:25 ID:eZJNILXk0
くま訳改
 例え前朝の古寺に僧も住まなくなっても、
 一つ屋根の下に黄葉と秋風のような師弟が居ればのう。
(´・(ェ)・`)b

900鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/06(土) 23:06:01 ID:1d4drIFg0
誰でも一時は思考していない瞬間を味わうことができるのじゃ。
そしてそこに止まることもできるじゃろう。
それを意識すれば善いのじゃ。
沈黙の瞬間を持続すれば心も見られるのじゃ。
それが瞑想に拠って目指す境地なのじゃ。

901鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/06(土) 23:08:36 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 奪境不奪人なのじゃ。

  臨済の児孫では誰が正伝じゃろうか。
 それはこのわしの身辺で滅却するのじゃ。
 草鞋に竹杖で風流を友とするのじゃ。
 曲禄木牀は名利を求める禅なのじゃ。

902避難民のマジレスさん:2021/11/07(日) 00:02:18 ID:l.P2S6jk0
「沈黙の瞬間を持続すれば心も見られるのじゃ。
それが瞑想に拠って目指す境地」
OSHOやクリシュナムルティーも同じ事を言ってるでありますね。
思考と思考の間隙を意識的に捉えるようにするのが瞑想のコツでりますね。

4
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-f①
真我探求についての疑問を取り除く

Q:どのようにして、観察者を消すことができますか。私は暗闇を見ているようで、全ての明晰
さを失くしてしまいます。

 暗闇を見るためには光の中にいるに違いない。暗闇の中にいるときは暗闇を見ることはできな
い。あなたは暗闇を見る人で暗闇は対象だ、だからあなたは光であるに違いない。
 光から顔をそらすと、あなたの影、 暗闇だけが見える、光に顔を向けなさい。そうすると影
でなく光だけが見えるだろう。影に背を向けて、光に面しなさい。
 今、これはあなた次第だ。幻想を理解したならあなたは悟ったことになり、あなたが悟ったと
考えるならあなたは幻想の中にいることになる。だから誰が暗闇を見ているか見つけだしなさい。
 誰が暗闇を見ているのか? 誰にとって暗闇なのか? 誰の視覚の対象なのか? 今見つけ出し
なさい。誰が暗闇を見ているのか?
 これを見つける為には、静かにして、努力しないこと、動かないこと。その時、暗闇はない、
暗闇という思考でさえかき立てないことだ。

Q:私が真我探求すると、ひどい頭痛がします、どうか助言して下さい。

 頭痛がするなら、あなたはこの真我探求と戦っているに違いない。自分は誰か知ることと戦
いるに違いない。その時、ストレスがある。 頭痛は努力しようとする結果だ。
 正しい真我探求のやり方は、単に「私は誰か?」「この探求はどこからやって来るのか?」と
尋ねることだ。これをもっと軽く取りなさい、山を乗り越えようとしているのではないのだから。
 ここでは、どこにも行かない、 努力もしない。ただリラックスして何が起こるか見なさい。
「私」がどこに住んでいるか見分けなさい。まずマインドを明晰にして、「私」がどこに居るか
見つけ出しなさい。
 いったんこれが確認されたら、「私」がいるところまで道をたどっていけばよいのだ。そこに
行くのにどんな乗り物が必要か見つけだしなさい、車? 飛行機?
 「私」に到り着くのにどんな乗り物も必要がないといずれ分かるだろう。乗り物のかわりに、
あなたが成すべき事はマインドの動きを止めるだけでよい。「私」を見つける為に、どこにも行
く必要がないと分かるだろう。真我探求は、緊張を取り除く、緊張を与えるのではない。

Q:私の注意の一部分は、静寂を見つめているようですが、他の部分は、思考と戦って緊張を起
こします。

 これはよい練習だ!あなたのダイヤモンドに注意をむけていると、泥棒を遠ざけるのだ! 静か
にして、思考に注意する。あなたが覚めていたらどんな思考もやって来ない。注意深く見ている
ときは思考はやって来ない。これをすると、自然に気づきそのものになる。

Q:私は内なる静寂を見ようとする意図がありましたが、どんな意図も持つべきではないと言うあ
なたの教えが今わかりました。

 緊張なし、意図なし、ただ注意している。内と外の間に戦いなし、リラックスしていなさい。
 これを私は軍隊で学んだ、「気をつけ」の姿勢で同時にリラックスして立っている。又、プラナヤ
マも役に立った。ライフルで的を狙って、私のように、10発撃って10個撃ち落とす為には息を止
めなければならないからだ。

Q:静かにしようとしているのですが、リラックスできません。

 リラックスしたいという欲望を捨てなさい、何が残っているか言ってごらん。

Q:束縛されているという感じがまだ少し残っています。

 束縛されていると知っているならもはや束縛されていない。なぜなら、束縛を知ることによって束
縛からあなた自身を切り離して束縛を対象化しているからだ。この解放で束縛されていた「私」が意
識に注ぎこむ。 川が海に注ぎこむように。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

臨濟四料簡 3/4 人境倶奪  
雉翳龜焦身迍邅 ちえいきしょうみちゅうてん
并汾絶信話頭圓 へいふん信をぜっして話頭まどかなり
夜來滅卻詩人興 夜來滅却す詩人の興
桂折秋風白露前 桂は折る秋風白露の前

Didier DAVINダヴァン ディディエ先生訳
雉の狩も、焼いてしまった亀の甲も、身の前進を妨げる。
「并汾絶信」の話は完成された。
昨夜から完全になくなった詩人の感興
桂は秋風に折られていて、蘭端は白露の前に覆い砕いている。

903避難民のマジレスさん:2021/11/07(日) 00:57:37 ID:m5HzqKX60
くま訳
おとりを使った雉の狩りを楽しんだり、占をしてみたりするようなことは、思い悩むことにしかな
らない。
「并洲」と「汾洲」の反乱のとき城の様子(境)、人びとの安否(人)の一切の消息を絶ってしまっ
た故事のたとえは、よくできた説明である。
昨夜来詩人としての興は冷めてしまった
芳しい桂の枝が秋風の吹中で白露により折られてしまったのだ。
(´・(ェ)・`)b

904鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/07(日) 23:16:10 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、みんな同じことを言っているのじゃ。
 それが瞑想の助けになるのじゃ。
 
 観察者は一度見られれば消えるのじゃ。
 何が観察しているのか、観察している主体は何か。
 真摯に追求することが観察なのじゃ。
 
 ただ見ることだけで全ての観念は消えるのじゃ。

905鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/07(日) 23:19:16 ID:1d4drIFg0
 そんな感じじゃな。

 人境倶奪なのじゃ。
 全て奪うというのじゃ。

 罠にかかった雉も、占いに焼かれる亀もその身は逃れられないのじゃ。
 并汾は便りもなくなってこそ公案も完成したのじゃ。
 詩人の興は夜來滅却してしまったのじゃ。
 秋風は白露の前に桂を折ってしまったのじゃ。

 全て奪われたのじゃ。

906避難民のマジレスさん:2021/11/08(月) 08:49:36 ID:emDkWiPc0
くま訳;改
第一句:かかった雉も、占いに焼かれる亀もその身は逃れられないのだ。
第二句:并汾は便りもなくなってこそ公案も完成したのだ。

思考が生じた時に気付く訓練をすると、その思考が生じる以前は無思考であったと気付けるのであり
ますね。無思考であると意識してしまうと、それが思考でありますね。
思考=闇、気付き=光であり、意識でありますね。


5
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-f②
真我探求についての疑問を取り除く

Q:(彼は理解して、微笑みだして、話すことができない)

 何が残っているか言ってごらん? 32本の歯が私に語っている。あなたの顔全体と目が違ってい
る。それは何かね?

Q:エネルギーですか?

 エネルギーと知性は同じだ、知性がエネルギーだ。思考だ。識別する為の、マインドで考える為の、
感覚で行動する為の、このエネルーがどこからやって来るのか見つけ出して欲しいのだ。感覚の対象
でさえエネルギーにすぎない、このエネルギーの泉はどこか?
 これはアートマン=真我からやって来る。これが静寂の中で見られるものだ。あなたはこの真我そ
のものだ。この真我は、未知なるもの、無なるものだ。全ての波はこの無からやって来る。
 この公式によって無が知性、マインド、感覚、対象になる。人々が幸福で平和でない唯一の理由は
自分がアートマンだと悟らない為だ。一度これを知ったなら海がその波を楽しむように、あなたはこ
のサンサーラを楽しむことができる。

Q:これを経験したと感じますが、一時的です。静寂はやって来て、去って行きます。

 (笑って)これは静寂ではない。あなたがマインドに供給した静寂の概念だ。あなたは何か美しい
ものに注意を与える、ということはマインドが楽しむ為にこの「美しい」という概念をマインドに供
給しているのだ。
 花を見るとそれを美しいと呼ぶ。山羊は、その同じ花を食物と呼び、あなたの目の前でそれを食べ
てしまう。マインドに供給されるものは人によって違う。違いがあるものは「それ」ではない。ダイ
ヤモンドは宝石商にとっては貴重だが、化学者にとっては凝縮されたカーボンにしかすぎない。
 あなたは与えられるものを選び取る。選択があるところに永遠の休息はない。永遠の休息と平和に
は特徴は何もない。それはいつもすでにここにあるので、選ぶことはできない。

  本当の平和を見つけることができないなら、
  それを探そうとしないことだ。
  探求を止めた時、何が残っている?

Q:これは非常に簡単に思えます。

 簡単だ。あなたがそれを複雑にしているのだ。それは簡単だ。

  努力しないで静かにしていなさい。
  そうすると表面の騒々しい対話は止まる。
  その時、基盤が上に浮かび上がって来る。
  それは簡単だ、これに従いなさい。
  それが見えるかね?

Q:何も見えません。

 そうだ、あなたは「何もないそれ」だ。あなたはその「見ている人」即ち意識であって見られるべ
き対象ではない。あなたは証人。活動を見ている証人だ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

臨濟四料簡 4/4 人境倶不奪
人境倶不奪    にんきょうぐふだつ
莫道再來銭半文  いうなかれ 再來銭半文と
淫坊酒肆有功勳  淫坊酒しに功勲あり
祇禄人話相如喝  ただ人のしょうじょが喝をわすによって
膓斷吟臺日暮雲  腸断す吟台にっぽの雲

Didier DAVINダヴァン ディディエ先生訳
また来たら銭半文の価値もないと言うな、
淫売屋にも居酒屋にも手柄がある。
病気で苦しんでいた相如の話で、
悲しく思う、吟台に日暮れの雲。

くま訳
人境倶不奪
また来るのなら、価値は半分だだなどと言うな。
女郎屋や酒場にも悟りに導く効用があるのだ。
ただ人が相如の糖尿病の苦について話すのを聞いて、
悲しく思いつつ、吟臺日暮から雲を眺めているのである。

*人境倶不奪:修行者に、すべてありのままに受け止めさせて、何ものにも束縛されない境地に導く。

(´・(ェ)・`) b

907鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/09(火) 00:14:39 ID:1d4drIFg0
↑そうじゃ、ただひたすらに観るだけでよいのじゃ。
 一度それを経験してしまうと、次からはそれを再現しようと記憶を求めてしまうものが多いのじゃ。
 それで自ら実践を困難にしてしまうのじゃ。
 本当は最も簡単なことなのじゃ。
 何もしようとしないことであるからのう。
 ただ観ている意識だけに全てを委ねるがよいのじゃ。

908鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/09(火) 00:30:19 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 人境を倶に奪わないのじゃ。
 
 道を再来すれば銭半分と言ってはいかんというのじゃ。
 淫坊や酒場にも功勲はあるであろうからのう。
 ただ人が話す相如の喝を聞いて、
 断腸の思いがする吟台の日暮れの雲なのじゃ。

909避難民のマジレスさん:2021/11/09(火) 15:31:33 ID:sQR1BPg.0
6
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-f③
真我探求についての疑問を取り除く

Q:思考の源泉を見つけようと大変努力していますが、マインドが強く抵抗して手に負えません。

 努力するのではない。それにマインドと思考の間には何の違いもない。マインドなしに思考はありえないし、思考なしにマインドはありえない、あなたに起こっていることは、マインドが生き延びようとしている証拠だ。

  魚が死にかかっている時は、もっと活動的になる。
  そのようにマインドの最後の瞬間も
  水から飛び出してもがいている魚のようにもっと活動的になる。
  この魚は長期間あなたを困らせてきたのだから、今、それをご馳走にしなさい。
  あなたが出来ることは考えないこと、努力しないことだ。

 考えることは存在しない過去にあなたを連れて行く。だから、考えないことが、平和でいる唯一の方法だ。夜、眠りの状態の中にいる時、あなたは幸福で平和に満ちている。
 しかし目覚めの状態の中では、マインドが存在するので、あなたは考えて結局は苦しむ事になる。深い眠りの中では、幸福でこの幸せは一体何かでさえ知らない。あなたは、理由なしに「幸せだ」。そして、 眠っている間あなたは幸せであったと知っているはずだ。
 なぜなら、あなたが目覚めて、友達がよく眠れたかどうか尋ねると「私はとてもよく眠れた。夢も見なかった」と答えるだろう。だからあなたは幸せであったが、この幸せがどこからやって来るのか知らない。

  思考がない時、ただ存在している時が幸福だ。
  深い眠りの中で体験する幸福が、
  未知の源泉からやって来る幸福が、
  あなたの真の本質だ。
  しかし、あなたが考えると苦しむことになる。
  だから日中は眠って夜中は静かにしていなさい。
  この意味は単に「考えない」ということだ。

 ほとんどの人が彼らの真の本質については眠っていて、彼らの欲望を満たすのに必要な活動を実行する為に世界に対して目覚めているということだ。
 少数の人が自分自身に目覚めていて、世界には目を閉じて眠っている。欲望を活動によって実現させたい人々は活動して実現させなさい。
 しかし、あなたは眠りなさい。「私はそれだ」が目覚めていることだ。ほとんどの人が「それ」に眠っている。とても簡単だ。分かるかね?

Q:私はマインドだと考えないで「私はそれだ」と考えることですね。

 考えるなと言っただろう。その時のあなたの経験は何か? 1/2秒だけ考えないこと。今やりなさい!!どこにも行かない、そうすると平和になる、試みようとしないことだ。
 この試みることは、マインドがマインドを騒がせるだけだ。平和はすでに存在するのだから、どんな試みも必要ない。平和を見つけようとする試みは、静かな湖に石を投げ入れるようなものだ。
 平和はすでにここにある、外に走って行く事によって、それを騒がせているだけだ。平和を得ようと努力しないで、さて何を感じるかね? どんな試みもしないときは、マインドは働かない。
 しかし、試みようとしたら、あなたを騒がせることになるマインドがやって来る。どんな試みも捨てなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

賛運庵和尚   うんなん和尚を賛す
悪魔境鬼眼睛開 悪魔の境鬼眼せいを開く
五逆元來應聴雷 五逆元來まさにらいを聞くべし
臨済當時焚几案 臨済そのかみきあんをやく
道場覿面却衣來 場てきめんにえをきゃくし来たる

くま訳
運庵和尚(虚堂の師匠)を讃える
雲庵和尚が悪魔になったような心境で、鬼のように目を見開いているぞ。
大罪を犯した者たちは、雷鳴におびえろ。
臨済はもうあきらめたであろうが、
雲庵は道場山からよみがえり、天罰を与えに来るぞ。

(´・(ェ)・`) b

910鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/09(火) 23:16:54 ID:1d4drIFg0

 考えるなと言われると、考えないためにはどうすればよいかとか考えてしまうのが人間なのじゃ。
 何もしないでよいと言われると、どうすれば何もしないで居られるかといろいろしてしまうのじゃ。
 ただひたすら心を鎮めて心も体も空にするのじゃ。
 そうすれば悟道もやってくるのじゃ。

911鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/09(火) 23:23:38 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 運庵和尚の賛なのじゃ。

 悪魔の境で鬼眼が瞳を開くのじゃ。
 五逆は元来正にその雷声を聞くべきなのじゃ。
 臨済は當時その几案を焼いたのじゃ。
 道場のものはてきめんに衣をすてにきたのじゃ。

912避難民のマジレスさん:2021/11/09(火) 23:34:44 ID:FEtM7ig60
7.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-f④
真我探求についての疑問を取り除く

Q:無努力に向って行こうとすると…

 無努力に向って行くというのはどういう意味だ?  この動きは何か?  動かないこと!!

Q :マインドが静かになる過程があるのですか?

 過程はない。マインドを騒がせるには過程が必要だが静かにしていることに過程は必要ない。サッ
トサンガにいなさい、静かにしていなさい。常に真我を愛しなさい。努力や試みで勝ち得るというも
のではない。ただ静かにしていなさい。思考がやってきたらどこからやって来るのか見つけ出しなさ
い。

Q :あなたの時間を無駄にして申し訳ありませんが、真我探求という方法に関して明確にしたいので
す。

 あなたは私が言ったことを繰り返し言っているだけで実行していないのだ。もし私があなたに「レ
ストランに行って昼食を食べなさい。」と言うと、あなたは「レストランに行って昼食を食べなさ
い」と言う。これがいったいなんの役に立つ?これがあなたがしたことだ。
 私は私が言ったことを復唱するようにと言っていない。私は静かにしていなさいと言ったのだ。し
かしあなたはまだ話をして多くのことを書いてよこす。あなたの頭に巨岩をかついでいるように真我
探求の概念をかついでいるだけだ。

Q :でも何も起こってはいないのです。
 繰り返して言っているだけで何が起こると言うのか。私はあなたに静かにしているようにと言った
が、静かにしている代わりに「静かにしているようにと言った。」と繰り返し言っているだけだ。
 何か言いたいのなら静かにした結果を話すべきだ。マインド、エゴ、肉体を手放さないでただ話し
ているだけだ。思考が起こったならそれらに無関心でいなさいと私は言っているのだ。
 努力なしに静かにしていなさい。私が言ったことを繰り返さないで経験しなさい。

Q:真我探求によって全体と一つになるのと、自発的な恩寵で全体と一つになるのと違いは何ですか。

 真我探求はマインドを使う、努力もいるが、自発的な聖なる恩寵は努力なし、マインドなしだ。真
我探求はマインドによって導かれ、時間の中にある。
 恩寵には時間やマインドによる限界はない。努力で又は努力なしで何かをするという必要がない。
それはひとりでに起こる。恩寵は非常に強い力をもち、説明することができないものだ。それはいつ
もそこにあるのにあなたはそれを受け入れないだけだ。
 恩寵とはサットサンガにやって来ることだ。あなたは飛行機や汽車や車でここにやって来たと言う
が、あなたは恩寵のみでここにやって来たのだと私は言おう。これが違いだ。恩寵なしで誰もサット
サンガにやって来ることはできない。

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-f
(´・(ェ)・`)
(おわり)

とっても残念な一休さん。
賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病  1/10  き長老が鷲尾の新造の寺を賀す、以って癩病をとふ
癩病脚跟毒気生 らい病のきゃっこん毒気生ず
殿堂新造勢崢嶸 殿堂新たに造って勢ひそうこう
鋤頭畊破鷲峰頂 じょ頭こうはすしゅうぶのいただき
荒草山前無一莖 こうそうさんぜん一けい無し

くま訳(以下同)
養隻の鷲尾の新造寺の落慶法要に出向いた時。らい病について質問した。
らい病は足に毒気を生じるので、寺院運営を難しいだろう。
鋤で山頂を切り開くようなものだ。
わしには煩悩は一切無いのだ。(わしは、邪魔する気はないよ)

*凞長老:養隻宗願のこと
*鷲尾新造寺:養徳院(大徳寺)のことらしい。
*崢嶸① 山や谷のけわしさ。② 人生のけわしさ。
*一休さん、徹翁義亨禅師の影響で、らい病等の病を罪報と信じていたらしいのである。
それが、医療や病気への理解が乏しい時代の「常識」であったとしても、手段を選ばず、養隻さんを
攻撃したかっただけではありますまいか。
 ちなみに、一休さんより80年くらい前に、忍性良観(真言律宗)という、貧民やハンセン病患者な
ど社会的弱者の救済に尽力した僧がいたそうであります。どうせなら、一休さんにはこういう人とお
友達になって欲しかったものであります。(cfらい予防法が廃止されたのは、1996年)
(´・(ェ)・`) b

913鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/10(水) 23:51:13 ID:1d4drIFg0
何もしないことが悟りを得ていない者には実に難しいのじゃ。
何もしないことについて考えたり、何かの方法をためしたりするのじゃ。
無努力を実現するために努力してしまうのじゃ。
今ここにあるだけでよいのじゃ。

914鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/11(木) 00:07:17 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 ?長老の鷲尾新造寺を賀し、以ってらい病を訪ねるのじゃ。

 癩病の脚跟は毒気を生じるのじゃ。
 殿堂を新造して勢いが激しいのじゃ。
 鋤頭で鷲峰頂を耕すようなものじゃ。
 荒草は山前に一莖もないのじゃ。

915避難民のマジレスさん:2021/11/11(木) 00:14:33 ID:gGjuz4Ec0
8.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-g①
真我探求についての疑問を取り除く

Q: 私の関わっている心理療法に「私は誰か?」を取り入れることは重要でしょうか? 私の中に人々
にメッセージを伝えたいという種が育っています。

 耕す人が土地を耕して、種はまかれた。肥料はまかれたが雨が降るまで芽がでない。これがまさに
あなたの状況だ。もし雨が降らなければ肥料が種を破壊する。
 今あなたは年中雨が降っているところにやって来て芽を出した。雨なしには何も起こらないが、雨
季には肥料の必要さえない。どこにでも種をまけば芽を出す。
 同じようにあなたのクライアントのマインドに精神的な種をまかねばならない。そしてあなたが雨
にならなければならない。

Q: どのようにして雨になるのか分かりません。

 雨になるためには雨と雲がどこからやって来るのか思い出しなさい。海から蒸気が起こって雲にな
る。それらは海からやってくるに違いない。そして山に突き当たって雨となる。
 さて、あなたの母親、海を見なさい。ある日、蒸発して雲になる。海を見るということは雨の源泉
を見ることだ。今雲になり、北に向かってヒマラヤ山脈に突き当たる。そして雨になる。
 非常に簡単だ、難しくはない。源泉に留まりなさい。そうするとひとりでに雨になる。

Q:人が選んだ時に内に入り、マインドを越えて居るのは可能ですか?

 内に入ることもなく、外に出ることもなく、選択もない。あなたが、行ったり来たりする選択をす
るのではない、もし。あなたが選択できないのなら…。

Q:それなら私は終わりです!!

 そうだ、選択はない。「私は自由になりたい」でさえ選択ではない。「私はこれを選んで、あれを
拒絶する」という全ての選択はマインドからやって来る。

Q:それではいつもそれは贈物ですか?

 それは全く本当だ。それはいつも贈物だ。しかし贈物には与える人と受けとる人が必要だ、同じ人
ではない。しかし、与える人も受取る人もいないとき、どんな贈物があるかね? しかも、それは贈
物だ。
 この意味は、それはいつもそこにあるので、贈ることができないということだ。あなたの首にか
かっているネックレスをどのようにして、あなた自身に与えることができるのか?
それは腰にかついでいる赤ん坊に気づかずに、赤ん坊を探している母親のようだ。ついに彼女は子
供を見つけたと言うが、子供はすでに母親といたのだから、これを「見つけた」と言えるだろうか?
これと同じように、あなたの真我を見つけたという現れ方をする。
 あなたが探しているものをどこで見つけることができるのか教えてくれる、権威を持った信頼でき
る人が必要だ。そうすると探求は終わる。このようにしてそれは既にあったということを知る。この
知っていることがそれ自身でそれに気づいている気づきだ。
 全ての疑いを晴らすことは、絶対に必要なので質問するのはよいことだ、あなたはよくやっている。
成功するだろうが、初めに全ての疑いを取り除くことだ。疑いとは「それをどこで探すのか?」「ど
れ位遠く行かねばならないのか?」
 現実には、どこにも行く必要がないし、何も理解する必要はない。

だから「それはここにある」と示してくれる教師を見つけたら、探求は終わりになるだろう。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病  2/10
栴檀佛寺利名禪 せんだんのぶつじりみょうの禅
公案纒腰十萬銭 公案腰にまとふ十万せん
滿目青山法眼境 満目青山ほうげんの境
鷲峰樵客踏通玄 しゅうぶのしょうかく通玄を踏む

もともと、名利のある禅宗である。
公案を腰に巻いて売り歩き金儲けをして、
自ら墓穴を掘るのは、法眼宗の末路のようだ。
鷲峰の樵(きこり)の客(養雙)は、通玄寺長老尼竺英のもとに通っているのだ。

*栴檀(せんだん))は双葉より芳(かんば)し:双葉の頃から香気を放つように、大成する人は幼い頃か
 らすぐれていること
*法眼の境:法眼宗がまだ隆盛だった頃、禅に他の大乗仏教も取り入れようとしたが、結局滅びてし
 まったことをふまえてるのか?
*玄:江戸時代の遊里では、医者のこと。また、医者を装ったところから、僧侶の客をいう。玄様。 
 (時代がちょぴっとずれているが・・ご参考
*通玄を踏む:本朝高僧伝に曰く、「源の満詮、妙雲院を洛東に建て、其の女通玄寺長老尼竺英、釣 
 旨を承け、額を養徳と革む、以て考妣(ひ)の香を奉ず、凞を請ふて之をに主たらしむ、凞後之を 
 城北に移す」とある、蓋し之を謂へるものか。大成脚注
 踏通: 踏んで通う。歩いて往来する。
(´・(ェ)・`) b

916鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/11(木) 23:32:33 ID:1d4drIFg0

 自分が見えないというものはそれが近すぎて見えないのじゃ。
 観ようとするものこそが自分であるからのう。
 それはどこか遠くにあるものではなく、自分の中核にあるものじゃ。
 そこから観ているから近すぎて見えないのじゃ。
 観ようとする全ての努力が止んだときにそれは不意に見えるのじゃ。

917鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/11(木) 23:37:14 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。

 昨日と同じ題なのじゃ。
 
 栴檀の仏寺などは名利の禅寺なのじゃ。
 公案を腰に纏い、十万銭稼ぐのじゃ。
 滿目の青山は正に法眼の境地なのじゃ。
 鷲峰の樵客は通玄を踏むのじゃ。

918避難民のマジレスさん:2021/11/12(金) 00:34:04 ID:QLxV94oI0
9.「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-g②
真我探求についての疑問を取り除く

Q:どのようにして真我の内に完全に留まっていることができますか?

 真我は全てのものの住み家だ、そしてあなたはすでに真我の中に住んでいる。いつも真我の中にいる。しかしそれを忘れて、何か修業をしなければならないと考える。
 しかし、どんな修業も必要ない。修業によって獲得する真我は本当の真我ではない。真我はどこにでも、いつも存在し、獲得するというものではない。どのようにしてそれから離れることができるのか?
 まだ経験したことがない人にこの種の疑いが起こってくる。 「あなたはいつも真我そのものとしてあり続けた」といずれ分かるだろう。あなたは他の場所で忙しく、対象を探し求めているから、これを知ることができないのだ。経験することができないのだ。
真我はいつも今、ここに存在しているので、あなたを真我に連れて行くための修行を探す必要はない。真我を離れてどこに行けるというのか? 
 あなたは誰か見つけなさい。毎日私達はこの質問をここサットサンガで取り扱っている。あなた自身であなたは誰か見つけなさい。この質問をあなた自身で解決しなさい。
 さもないと全てが知的な理解に終わるだろう。これを理解するのに知性もマインドも必要ない。ただ一瞬静かにしているだけでよい。そうすると、あなたは誰か知るだろう。

Q:何かの近くに居るという感じですが、それを手に入れることができません。

 何を手に入れたいのだ?

Q:いつもここで起こっていることです。

   あなたは決してそれを手に入れることは出来ない。
  「それ」は手に入れる対象物ではない。
  「それ」を対象化することはできない、それは主体だ。

 どんな努力をしても主体を見ることはできない、獲得することもできない、達成することもできない。主体は主人だ。あなたはその主人で何が不足か? 何を見逃しているのか?
あなたが見る人で、見られるものでも見ることでもない。あなたは「見る人」、家の主人、存在の主人、軸、存在の中心、それが究極の真理だ。
 あなたはどこにも進んで行かないし、どこにも到着しないのだ。もしこの進行と到着、この意図と概念の全てを取り除いたら、何が見えるかね?
あなたは誰か? 何を感じるかね? 「私は沈黙していなければならない」という意図でさえあなたを沈黙から遠ざける。どこかに滞まるという考えを捨てなさい。
 さて、今何を考えているのかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

3/10
鷲峯建立大伽藍 しうぶこんりゅうす大伽藍
普請崩山又碎岩 ふしんして山を崩し又岩をくだく
五臓敗壊成膿血 五臓はいゑしてのう血をなす
黄衣癩肉臭汗衫 くわうえのらい肉しゅうかんさん

くま訳
鷲峯の大伽藍を建立
山を崩し岩を砕いて普請した。
五臓は壊疽し、血の膿を流す
僧衣はらい肉臭につつまれる
(´・(ェ)・`) b

919鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/12(金) 23:56:43 ID:1d4drIFg0
全ての努力は主体を取り逃がす実践になるのじゃ。
だれもがそれであるのに何かをすれば取り逃がすのじや。
ただひたすらに自分の根本に還るのじゃ。
無垢であった自分自身の根源に戻るのじゃ。
それには何の努力も要らないのじゃ。

920鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/12(金) 23:59:15 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじ゜ゃ。

 鷲峯の大伽藍を建立したのじゃ。
 普請は山を崩し又岩を砕いたのじゃ。
 それで五は臓敗壊して膿血となったのじゃ。
  黄衣の癩肉は汗の上着の臭いなのじゃ。

921避難民のマジレスさん:2021/11/13(土) 09:33:13 ID:YdBs/Nv60
10.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-g③
真我探求についての疑問を取り除く

Q:時々私はそれを理解できないということを考えています。

 時々とはなにか? 二つの時々がある。どちらを採るべきか? 「時々ここ」か「時々あそこ」か?

Q:私が「ここ」にいる時です。

 それでは「今ここ」にある時々について話そう、しかし「今ここ」に居る時、それは無時間だ、だ
から「時々」という問題はない。このまさにこの瞬間には時間がない。それを過去と言えるかね?
それを未来と言えるかね? 現在と言えるかね? 未来と過去がない時、現在も又、意味がなく消え
てしまう、分かるかね?
 「時々」はあなたがどこかで手に入れた観念に属する。それはあなたの経験ではない。この瞬間に
飛び込んで経験しなさい。私が瞬間という言葉を使うとき、それは過去、現在、未来に属する瞬間で
はないということだ。他にどんな言葉を使ったらよいか私にはわからないがあなたは理解していると
信じている。
 この「瞬間」は現在にも属さない何かを指差しているのだ。もしあなたが理解するなら「それ」を
手に入れる、もし理解しないなら「それ」を見逃す。それがこの「瞬間」について話すことができる
全てだ。
 今ここであなた自身の内を見なさい。この平和に飛びこんで、この平和そのものから話しなさい。
さざ波のない湖の内から話しをしなさい。さざ波は思考だ、さざ波はマインドだ、さざ波のない湖が
あなたの真我の本質だ。
 この真我の本質に飛びこんで、どのように感じるか言ってごらん。何を感じるか言ってごらん? 
時間はどこにある? 観念はどこにある? 教えはどこにある?

Q:観念がありません!!

 そこがあなたが言っていた「時々とNO時々」がない所だ。時間は全く存在しない。ただそのよう
に滞まりなさい。これがあなたの住み家だ。あなたがいつも住んでいる所だ。これが意識そのもの、
知恵そのものだ。
 これらの惑星や世界が宙に浮かんでいるところ、それは意識の巨大な容量だ。思考がやつて来ると、
いつでもそれは顕現する。 この無の中にこれらの非常に多くの思考が宙に浮かんでいる。
 そのままにしておきなさい。あなたには限界がないので何億もの惑星をただそこにあらしめなさい。
それらはこの宇宙の片すみにあるだけだ。あなたは創造の創造者、あなたは全て、あなたは総体、あ
なたは幸福だ。
 あなたが今いるようにここにいなさい。これを言葉で説明できるかね?

Q:私の身体はエネルギーそのもののようです。見方が大変違って来ました。
 見方は、多様性から一体性へと、部分から総体へと変わる。これがあなただ。あなたは全部で統一
体、美しくて、愛情深い。ここで「時々」が消えて、あなたが考えていたあなたという観念は消え去
る。それら全てが消えた後に残るものが永遠の愛、平和。ここに創造は不法に入ってこれない。

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-g
(´・(ェ)・`)
(おわり)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 4/10
54(4/10)
妄参佛祖旧因縁 みだりに仏祖に参ず旧因縁
天道豈饒逢着膻 天道あにせんにぶちゃくすることをゆるさんや
食淡志潔吾自業 じき淡く志潔しわが自業
志姦食美汝家傳 志あしくじき美なる汝が家伝

くま訳(以下同)
無分別に昔の因縁があるからといって仏祖にお参りする
天の道理として、罪無くしてどうして生臭くなる(らい病にかかる)ことがありえようか。
粗食で志の高い私の業(だから私はらい病にかからない)
志いやしく、食通であるのは汝の家伝、(その罪業の報いなのだ)
(´・(ェ)・`) b

922鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/13(土) 23:48:39 ID:1d4drIFg0

 今ここには時間が無いというのじゃ。
 時間とは記憶による観念であるからのう。
 記憶に拠って過去があるとか、未来を想像するという観念も起こるのじゃ。
 今だけならばそこには時間は無いのじゃ。
 その無時間に止まるのじゃ。

923避難民のマジレスさん:2021/11/13(土) 23:59:47 ID:rB5l0mWM0
11.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-h①
真我探求についての疑問を取り除く
 
Q:目を閉じるとすばらしい快感と美しさを感じます。私は執着すべきでない何かに執着しかかって
いるのですか? もっと深く行くべきですか?

 目を閉じると、それぞれの感覚の対象物に対する接触が切断されて平和を盗む多くのものを投げ棄
てることができる。これが眠りに入る時、起こることだ。眠っている間、あなたは平和に満ちている。
 ある種の平和を与える外側の対象物に対する執着と主観の投影を止めることだ。目覚めの状態、外
側の対象物の世界は実は眠りの状態だ。なぜなら真の平和に気づかず対象に気づいているからだ。
 目を閉じて、あなたは平和がほしいと決めなさい。そうすると、この平和が時間に全く属さない他
の状態にあなたを連れていく。この状態はあなたに十分な喜びを与えるだろう。これがトリヤ、意識
の4番目の状態だ。
 これは目覚め、眠り、夢の状態を超越したものだ。ここから喜びを得る。概念や、考えや、意図や、
執着で満ちた状態を全て拒絶することはすばらしい喜びだ。この状態はいつも「ここ」にある。
 この状態では目を閉じているか、開けているかは問題ではない。他の目、内なる目が開くのだ。そ
の時、内なる世界が見えるのだ。目を閉じることは内なる目が開くのを助ける。最初は両方の目が同
時に働くことはない。(肉体の目と内なる目)
 あなたの真我に目覚めて、喜びを得なさい。努力してそこに到着しようとすると、そこに滞まるこ
とはできない。努力を始めたところにまた戻って来るからだ。ただ静かに座ってリラックスしていな
さい。どんな思考も起こらないとき、あなたの本質はあなたが言っている喜びだと分かる。
 マインドはいつも自分を満足させる対象に執着するが、決してそれに満足しないものだ。だからマ
インドは持って行かないこと。
 あなたは今、「その」中にいるのが私には分かる。私が話してきたように、あなたは落ちて行った。
(くすくす笑い)あなたは今わかった。この「今」を手に入れた。今、目を閉じるでもなく、開ける
でもなく、ただ見なさい。

Q: 真理は私の把握をはるかに超えたところにあるようです。

 真理を把握することはできない。それがあるところのすべてだからだ。この自由への欲望は自由そ
のものとひとつになる。この欲望が満たされたときには満足したか、しないかを知る人はそこに存在
しないし、すべてが瞑想になるのであなたの瞑想はありえない。
 あなたの真我の愛だけがそこにある。自由への欲望がおこる以前に、あなたが誕生する以前に存在
する「それ」を信頼すべきだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 5/10
猢猻無尾出人前 こそん尾無くしてじんぜんに出ず
乃祖弄嘲天下徧 ない祖ちょうを弄して天下あまねし
拈棒下喝送一送 棒をねんじて喝を下してそう一そう
始看勾欄歌舞禪 始めてみるこうらん歌舞の禅

猿は、尾をかくして、人前に出てきやがる。
汝の祖父は、天下をあまねく愚弄して嘲った。(養隻さん藤原家のでなので、祖父が何かやったのか?)
棒を打ち下ろし喝を入れてやる。何度でも。
肘掛いすに坐ったり、歌ったり舞ったりする禅など初めてみるわい。

*胡孫(こそん):「さる(猿)」の異名
*乃祖(ないそ):汝 (なんじ) の祖父
*勾欄(こうらん):椅子のひじかけ。
(´・(ェ)・`) b

924鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/14(日) 00:03:36 ID:1d4drIFg0
 そんな感じじやな。

 また同じ題なのじゃ。

 旧因縁により妄りに仏祖に参じる。
 それが銭に執着するためならば天道が許すことがあるじゃろうか。
 食に淡白で志が潔のはわが自業なのじゃ。
 志が姦悪で食に美を求めるのか汝の家伝なのじゃ。

925避難民のマジレスさん:2021/11/14(日) 00:08:30 ID:rB5l0mWM0
くま訳改
第2句:それが銭に執着するためならば天道が許すことがあるだろうか。
(´・(ェ)・`) b

926避難民のマジレスさん:2021/11/14(日) 01:19:23 ID:JYPf02XQ0
訂正
>>912
*凞長老:養雙宗願のこと× → 春浦宗煕のこと〇
>>915
鷲峰の樵(きこり)の客(養雙)× → (春浦)〇
>>923
(養隻さん藤原家のでなので、祖父が何かやったのか?)× → 削除

ここで槍玉にあがっている、凞長老とは、養叟宗頤(ようそう そうい )さんではなくて、春浦宗煕(しゅ
んぽそうき)のことでありました。春浦さんは、養叟さんの後を継いだ人であります。
春浦宗煕(1409-1496):大徳寺40世住持。密参録(公案のアンチョコ)を作るなどして、一休さんに
批判されていたとのことである。
(´・(ェ)・`) b
1376-1458養叟

927鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/15(月) 00:16:35 ID:1d4drIFg0
真理を把握するとか、それを利用するとかは誰にもできないじゃろう。
たたそれであることに気づくだけなのじゃ。
波が海を把握するとか、利用することが出来ないようにのう。
自分という観念が幻であるからなのじゃ。

928鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/15(月) 00:20:51 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 お猿は尻尾をなくすと人前に出ないというのじゃ。
 汝の祖は天下の衆を嘲弄したのじゃ。
 棒を捻って喝を何度も下してやるのじゃ。
 勾欄での歌舞の禪など始めて看るのじゃ。

929避難民のマジレスさん:2021/11/15(月) 08:04:10 ID:mPXTyadk0
くま訳改
第一句:お猿は尻尾をなくすと人前に出ないというのだ
第四句:勾欄での歌舞の禪など始めて看るのだ

*勾欄:①唐代、大寺院の境内や周辺に集中した各種の芸能の演ぜられた戯場 ② 椅子のひじかけ

真理を把握するとか、それを利用するとかは誰にもできない
波が海を把握するとか、利用することが出来ないように
自分という観念が幻であるから
(´・(ェ)・`) b

12.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-h②
真我探求についての疑問を取り除く

Q:あなたといると、私のハートはますます愛情深くなっていきますが、時々気づかずに、ロマン
ティックになったり、感傷的になったり、感情的になったりします。多くの人がハートに瞑想する
とについて話しています。あなたが教えていることはこのことですか?
 あなたが言っているハートは 肉体のハートだ、心臓だ。しかし、私達がここで言っているのはそ
のハートについてではない。私達が言っているハートは身体の中にはない。他の言葉がみつからない
のでハートと呼んでいるだけだ。
 このハートは肉体の内側にも外側にもない。それは唯一、現在にあり、永遠だ。境界はない。この
ハートに集中しなさい。 しかし、このハートの内には、瞑想する「それ」以外に誰がいるのか?

     「それ」には限界がない
     思考やマインドよりももっと捕らえがたい。
     このハートは現存としていたるところに存在するが、 
     これについて考察することはできない。
     いたるところに存在するものに誰が瞑想するだろうか?
     「それ」は無条件で限界がない。

 瞑想は限界そのものだ。あなたが瞑想者になり、ある特定の対象を瞑想したい。それならそれは全
て条件づけだ。主体は条件づけられ、対象も条件づけられている。
 瞑想のサンスクリット語はDhyana、それが中国に行ってChanとなり、日本ではZenになった。
 Dhyanaの意味は主格と対格の関係が存在しない場所という意味だ、これが瞑想だ 本当の瞑想に
は瞑想者と瞑想する対象は存在しない。だから瞑想を捨てなさい。瞑想する対象と瞑想者という概念
がなくなった時、本当の瞑想が起こるかもしれない。
 実際にはあなたはいつもこの瞑想の中にいる。これは、あなたの膝が痛くなって2-3時間ごとに
ストップする瞑想ではない。「一時間後に会社に行かなくてはいけない」「今15分間だけ瞑想しよ
う」。このようにあなたの瞑想はロープであらゆる所に結びついている。
 ただ一秒間、瞑想や瞑想者や他のことについて考えないその時、何かが浮かびあがって来る、何か
がそれ自体で現われる。そして「それ」と一つになるのだ。これが真の瞑想だ。これがハートの瞑想
に対する私の理解だ。

第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part3-h
(´・(ェ)・`)
(おわり)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 6/10
大燈門下單干境 大燈門下ぜんうの境
姦賊此時開法筵 姦賊此の時ほうえんを開く
厚面無慚唯畜類 こうめんむざんただちくるい
古今無若此邪師 古今かくのごとくなる邪師無し

くま訳
大燈国師から受け継がれた偉大なる禅。
それを今や邪悪な奴らが説法をしている
厚顔無恥な奴らは畜生に等しい
いまだかつて、こんな邪悪な師家は見たことがない

*單干(ぜんう):①匈奴モンゴル帝国の君主の号。広大な様 ②単独で、一人でやること
(´・(ェ)・`) b

930鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/15(月) 23:32:13 ID:1d4drIFg0
瞑想する自分を忘れた時、サマーディが起こるのじゃ。
更に自分がなくなれば無我にもなるのじや。
それが真の瞑想といえるのじゃ。
それがディヤーナであり、禅の本当の意味なのじゃ。

931鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/15(月) 23:34:59 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 さらに同じ題なのじゃ。

 大燈門下の單干のような境地なのじゃ。
 姦賊はこの時に法筵を開いたのじゃ。
 厚顔無恥は畜生に等しいのじゃ。
 古今にこのような邪師はいなかったのじゃ。

932避難民のマジレスさん:2021/11/15(月) 23:59:31 ID:nourXajA0
13.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-a①
真理に対する疑いと恐れを取り除く

  悟りについて疑うことは、苦しみと束縛にしがみついていることだ。
  だから、疑いが消えない限り、苦しみも消えないだろう。
  疑いと否定は、すべてに毒を与える。
  マインドに、食物に、そして世界に。
  あなたの疑いは雲のようなもので
  どれ位、雲は太陽の前で存在し続けることができるのか?
  しかし、「自由」は疑いには無頓着だ。
  疑いがやって来る、やってこさせない。
  去っていく、去っていかせない。
  起こって来る疑いに、「私は誰か知っている」と断言しなさい。
  あなたは、あなたの一部が疑っていると言うが
  部分が存在しない「その全体」があなただから、
  疑っているあなたの一部はありえない。
  あなたが真我探求しないとき、あなたは部分になり、
  破壊されるものになる。
  あなたが「知っていること」が落ちたとき、
  疑いが生き残ることはない。
  「私は知らない」が知識だ。
  知らない「私」は一体誰か?
  憶えておかねばならない大切な事は、
  眠っている習癖が思考の形をとって、起こって来るということだ。
  神でさえあなたを誘惑する。 仏陀のみ生き残る。
  だから天国とこの地球の快楽を拒絶しなさい。
  「ここ」にないものは、決して「自由」であるはずがない。
「自由」はいつも今、ここにある。

すべての疑いを捨てなさい。

Q:真我探求すると、深い沈黙、完全な平和に落ちて行きますが、その時、質問が起こって来ます。これが「それ」なのか? この質問が起こって来る限りこれは「それ」ではないという感じがします。パパジ、私は何を見失っているのでしょうか?

 この質問が起こって来るという事実は、あなたには疑いがあるということだ。頼みもしないで、努力なしで手に入れるものは本当であるはずがないと疑っている。
 手の中にダイヤモンドを持っていて、貝がらかもしれないと疑って、海に投げ返してしまう。まさにこの通りだ。これはダイヤモンドだ、疑わないこと! 疑うと、あとで幸運を失くしたと後悔することになる。
 マインドは何度もあなたを騙そうとするが、それを気にしないことだ。岩のように存在しなさい。その時初めてあなたはうまくやったことになる。波よこい、風よ吹け、雨よ降れ、岩はこれらに 影響されることはない。
 だから「私は岩だ」これで終わりだ。私は風や雨ではない。雨はしばらく降って又やむ。台風でさえやって来ては去っていく。何が来ようとも問題はない、何が去って行ことうも問題はない。「私は岩だ」ということを知ると、嵐が去ってもあなたはそこにいる。
「私はあるがまま、これが私だ」と知ることは、岩が海に沈んでも岩として残るようなものだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 7/10
風流入室苾蒭尼 風流しつにいるびくに
因憶慈明狹路時 よっておもふじみょうきょうろの時
腸断繊々呈露手 はらわたはたつせんせんていろの手
暗吟小艶一章詩 暗にしょうえん一章の詩を吟ず

くま訳
風流に入室する比丘尼
当然、いい事してるのだろう。
秘め事がばれて、ひそひそと笑われてるのだ
かくれて小艶詩でも吟じるか。

*腸を断つ:① 悲しみに激しく心が痛む。断腸の思いをする。 ② おかしくて大笑いする。*繊繊:細くてしなやかなさま。また、弱々しいさま。かぼそいさま   
*入室苾蒭尼:竺英聖瑞(じくえいせいずい)が、養叟に院を寄進して住持を請うた。1464年
春浦さんは当時、55歳一休さん71歳、竺英聖瑞 さん42歳。みんなお元気さんである。
(´・(ェ)・`) b

933鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/17(水) 00:00:57 ID:1d4drIFg0

 心に疑いがあれば日々の修行もやめてしまうじゃろう。
 自分を見つめる苦しい修行も悟りに向かっているという確信から耐えられるのであるからのう。
 悟りに至ればもはや疑うことも無いのじゃ。
 疑う自分も、疑うという観念も無いからなのじゃ。

934鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/17(水) 00:04:31 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 又同じ題なのじゃ。

 風流入室する悳蒭尼なのじゃ。
 それに因って慈明の路が狭いことを時に想うのじゃ。
 腸は細切れになり、手には汗なのじゃ。
 暗に小艶一章詩を吟詠するのじゃ。

935避難民のマジレスさん:2021/11/17(水) 05:14:33 ID:uGqg2GsA0
くま訳改
第2句:それに因って慈明の路が狭いことを時に想うのだ
第3句:腸は細切れになり、手には汗なのだ
http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1600684575/ >>60 >>61

14.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-a②
真理に対する疑いと恐れを取り除く


Q:私は自由でありたいのでここにいますが、トータルに自由を望んでいないから恐れや疑いがある
のですか? もし、それがそんなに簡単ならどうしてこんなに難しいのですか?

 簡単なことが難しい。難しいことは、難しくない。もし私が何か難しいこと、たとえば、逆立ちし
なさいというと、あなたはそれをすることができる。 しかし、静かにしていることの何が難しいの
か?
静かにしているという意味は、何も考えないということだ。あなたは既に考えることから生じる結
果を知っている。混乱、トラブル、苦しみ、疑い、死。 両親や近隣や国家は決してこのことについて
言わなかった。
「静かにしていることは簡単だ。それは、あなたの基本的な本質だから。」というのを聞くのはここ
で初めてだ。あなたが現れる以前は静かであったし、あなたが消え去った後も静かだ。あなたが話す
以前は、あなたは静かであったし、あなたが話すことは静けさの中で終わる。
 すべてが静けさの中からやって来て静けさの中へと消えていく。だから「それ」は静けさの中にあ
るに違いない。話している間も静かにしていることができる。これを学ぶことができないのなら待た
なければならない。
 しかし、多くの人がこれをやり遂げたし、これからもやり遂げるだろう。これは何かをすることで
はないのだから。この聞き慣れない言葉使いを、ゆっくりと理解していくだろう。

Q:静けさから隔離されて思考に飲み込まれたような気がします。この悪魔が私の人生を所有してい
るのです。

 マインドと悪魔の間には、何の違いもない。それらは同じものだ。

  悟った後でさえ、悪魔は攻撃して来るだろう。
  あなたは疑って、あなたの自由はニセモノだと考え出す。
  決して悪魔を恐れるな!!

Q:どのようにして、疑い深い人を永遠に確信させることができますか。どうか指導して下さい。

 すべての人が疑いを持っているので、サットサンガにやって来るのだ。疑いがないのなら、なぜグ
ルの所にやって来るのか? 疑いを取り除く為にはサットグルの所に行く必要がある。疑いのない
人々はサットグルの所に行く必要はない。真理を見つけたいのなら、真理を探したいのなら、サット
グルの所に行くべきだ。
 そして、指導を仰ぎなさい。自分が真理そのものだと知っている人は行く必要はない。私は知らな
いということを知らない人、この人も又助けの必要はない。
 しかし、あなたは疑い深いというのだからグルの所に行って疑いを取り除きなさい。マインドが
疑っていると知ったら、その疑いを見て私に言ってごらん。ただ聞いているだけではだめだ。それを
やりなさい!! 疑いは何か言ってごらん。疑いを見なさい。理解しているのかね?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 8/10
頤凞禪話太新鮮  いきが禪話はなはだ新鮮
呈露開拳又出拳  ていろして拳を開き又拳を出す
龍寶山悪中知識  龍寶山中のあく知識
言詮古則盡虚傳  ごんせんの古則ことごとく虚伝

くま訳
春浦の禅の話はとても新鮮である。
身振り手振りの熱演である。
龍宝山大徳寺の悪知識である。
古則の解説はことごとく、嘘である。

* 悪知識:悪法・邪法を説いて悪に誘い込む人 *古則:すぐれた古徳が示した語句のこと。
(´・(ェ)・`) b

936鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/17(水) 23:46:24 ID:1d4drIFg0

 ただ静かにしていることが、悟っていない者には難しいのじゃ。
 思考は常に動いているじゃろう。
 耳や目は常に刺激を受けているじゃろう。
 それによって刹那の時も静かにしていられないのじゃ。
 師を信じて瞑想をすることで心も止めることができるのじゃ。

937鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/17(水) 23:49:16 ID:1d4drIFg0

 それ゛てよいのじゃ。

 また同じ題なのじゃ。

 長老の禅話はとても斬新なのじゃ。
 こぶしを開いて見せるかと思えば拳を出して見せたりするのじゃ。
 龍宝山の中の悪知識なのじゃ。
 古則の解説は全部嘘なのじゃ。

938避難民のマジレスさん:2021/11/18(木) 08:56:51 ID:6LOGGbsc0
15.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-a③
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:疑いを見つめたら、それは見つかりません。

 ああ! そうだ! 疑いを見つめると、疑いはない。疑いを見つめないと、疑いがある。このよう
に、サットグルがあなたに「疑いを見なさい」というと、疑いを見つけることができない。非常に簡
単だ。サーダナや練習をする必要はないし、ヒマラヤに行く必要もない。
 疑いはやって来るべきだ。さもないと、疑いのために来世に戻ってこなければならない。疑いの一
つ一つがあなたの次の誕生をもたらすのだ。だから、今、ここで、疑問を解きなさい。
 それは非常に簡単だ。疑いを見ると疑いはやって来ない。醒めていなさい!目覚めていたら、盗人
が家に入って物を盗むことができない。
 しかし、あなたが眠っていると物を盗まれる。何生にも渡ってあなたはすべてを失ったが、今覚め
てこの盗人を監視しなさい。この盗人はマインド、マインドのある所に疑いがある。
 いつも醒めていなさい。いつも疑いを見つめなさい。これは非常に簡単だ。あなたがアメリカに行
こうがここに長く居ようが問題ではない。これは、簡単な授業だ。

Q:私は自分自身を知っていますが、まだ疑っています。

 これは矛盾する陳述だ。あなた「自身」を知っているのなら疑いはありえない。あなた「自身」を
知らない時に、疑いや恐れがあるのだ。だから、訂正しなさい!「私は、私自身を知っている」これ
で終りだ。もし疑いがあるなら、訂正することはできない。

  炎のある所には光がある。
  疑いのない所には、恩寵がある。
  それを忘れないことだ。

Q:私にはとても強い疑いがあって、決して自由になれないという恐れがあります。思考をやってこ
させないように試みています。

 これは非常に強固な試みであらねばならない。思考が起こるのを許さない強固な試みをしているの
にどうして思考がやって来るのか?あなたの部屋のドアーを見知らぬ人に開けるかね?
 事実はドアーはないのだが、すべての人がドアーを開けてやって来るすべての人を中に入れる。だ
からあなたは安全ではない。見知らぬ人をあなたのマインドに連れ込まないことだ。しかしあなたが
知っている人は部屋に入って来させなさい。
 気をつけなさい。見知らぬ人はあなたを困らせる泥棒かもしれない。部屋に入って物を盗んでいく
かもしれない。まず誰か見極めなさい。それが愛、平和、美のような友好的な思考ならドアーを開け
なさい。
 すべての人にドアーを開けると困ったことになる。気をつけなさい。まず見極めて行動しなさい。

Q:これが私が探しているものかどうかという疑いが起こります。

 あなたが平和で幸福ならどうして疑いがやって来るのか? もし疑いがあるなら平和の中にいるこ
とはできない。あなたが平和なら疑いが起ころうとしても起こらない。あなたは疑いを超えたところ
にいるのだから。
 疑いはあなたの人生を食いちぎるねずみのようなものだ。だから静かにしていなさい。努力しない
こと、この努力もまた疑いだ。休みなさい、誰にも邪魔をさせないこと。
 疑いを見つめなさい、そうすると疑いはあなたに近づけない。疑いがどこからやって来るのか見つ
めなさい。この何もないことを見つめなさい。このようにして疑いを困らせなさい。疑いにあなたを
困らせないことだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 9/10
得果投機多教人 果を得機に投じて多く人に教ふ
青銅定價兩三緡 青銅定価両三みん
休歌亡國伊州曲 歌うをやめよ亡国伊州の曲
榮衒乾坤天寶春 栄衒のけんこんてんぽうの春 

評判を得ようと、事あるごとに、多くの人に教えを説こうとする。
定価は青銅両三束(高いか安いか?)
亡国の歌など歌うな。
名聞利養に邁進する輩が、わが世の春を謳歌している。

*伊州曲:翻訳サイトによりますと、唐代の詩人バイ・ジュイの「永遠の悲しみの歌」
(´・(ェ)・`) b

939鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/18(木) 23:35:27 ID:1d4drIFg0

 自分自身を知っているに疑い出かあるのは矛盾しているのじゃ。
 自分自身を本当に知ったならばもはや疑う自分もなく、疑いも無いからのう。
 全てはありのままにあるだけなのじゃ。
 そこに疑いはなく、智慧があるのじゃ。

940鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/18(木) 23:52:03 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 またまた同じ題なのじゃ。

 金を得ようとして多くの人に教えるのじゃ。
 青銅の定價は三緡の両なのじゃ。
 そんな亡国の伊州曲はやめるがよいのじゃ。 
 名利の寺が天宝の春を迎えているのじゃ。

941避難民のマジレスさん:2021/11/18(木) 23:58:14 ID:fC1QuDoY0
くま訳改
第一句;金を得ようとして多くの人に教えるのだ

16.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-a④
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:私はいつも鬱病に罹っています。罠に掛けられたようで疑いと失意でいっぱいです。あなたが
言っていることを知性では理解していますが、本当のところはわかりません。この幻想の中で生き続

 この質問は知恵と光を手に入れる可能性がある人がする質問だ。幻想の中で生きることは役に立た
ないと知っている人たちだけがここにやって来る。
 まず最初に、誰があなたをここに連れて来たかを見つけだしなさい。あなたを助けてくれる「そ
れ」の慈悲から、内なるプッシュがあったに違いない。
 あなたは幸福になる為にここにいる。不安感を持たないことだ。あなたは多くの功徳を備えている。
サットサンガに来るには功徳が必要だ。岩のように強い決心が必要だ。
 「私はそれを勝ちとるのだ。今生で、今年、今日」これを決心しなければならない。今やりなさい。
それをやるつもりならそれは今だ。なぜこの今を来年に延期するのか? 今があなたを助けるのだ。
 幸福である為には、どこへも行く必要がない。それは「ここ」にある。内を見たら幸福だ。しかし、
外を見たらトラブルだ。それを決めなければならない。
 内を見て幸福になる。もしあなたのマインドがどこかに行くのなら、連れて戻りなさい。これを二、
三日やりなさい。マインドを見つめて静かにしていなさい。
 マインドはいつも静かではない。それは外に走るものだ。だから、それがどこへ行こうともそれを
連れ戻しなさい。この過程をあなたがどこにいようとも続けなさい。歩いている時、話している時、
家の内でも外でも続けなさい。
 マインドがしていることを内側から見る。マインドを連れ戻しなさい。何年来とマインドの好きな
ようにやらせてきた。「今」、あなたがマインドをコントロールする時だ。しかし、非常に強い決心
がない限り誰もそれをコントロールすることができない。決心したら、その猿をコントロールするこ
とができる。

Q:私は何か月も、至福を感じていません。いつも至福の中に居ることは可能ですか? これを超え
た何かがあるのですか?

 至福は来て去って行くという疑いはどこからやって来るのかね? あなたは意識、至福そのもので
至福の経験者ではない!! あなたは「その」至福そのもので、それを見る人ではない。
 「私は至福だ」ということを知りなさい。そうするとそれは行ったり来たりしない。太陽は24時
間輝いている。太陽には夜はない。しかし、地球が太陽に背を向けると夜になる。それは地球のせい
で、永遠に輝いている太陽のせいではない。あなたが太陽だということを知らねばならない。
 その時、この教えを理解することができる。何が暗やみで何が光か見分けなさい。何が真理で何が
真理でないか。現れて消えるものは真理ではない。やって来て去っていく幸福には触れないことだ。
むしろ、意識の貯水池、源泉に行きなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

賀凞長老鷲尾新造寺以訪癩病 10/10
引伴集徒幾癩児 伴を引き徒を集むいくらい児ぞ
面門眼上総無眉 面門げんじょうすべてまゆ無し
法中姦黨自了漢 ほっちゅの姦当自了の漢
傳授無師話有私 伝授師のうして話わたくし有り

茶の湯に親しむHP訳
伴を引きつれ徒党を組むのはどれほどの重病の面々なのか。
口ひげや眉が全て欠落している。
悟りを乱す者たち、自己満足の者たちは
その印可に師がなく、話に私心がある

くま訳
供を引き連れ、徒党を組むらい児どもよ!
おまえら、眉毛がないのは天罰か!
僧侶の中でも邪悪な輩、独りよがりに了している(三世了達している)と思いこんでいる奴。
お前に法を伝授した師などはいないから、話すことに業の深さがあらわれているのだ。

*禅門では、公案等に付き詳しく過ぎる説明は、罰が当り眉も髭も抜け落ちるといわれているそうである。
*法中(ほっちゅう):僧侶の社会。
*三世了達:一切を明らかに悟っていること。
(´・(ェ)・`) b

942避難民のマジレスさん:2021/11/19(金) 20:41:40 ID:r4tD3qbs0
補筆修正:本文2行目の末尾、「この幻想の中で生き続」の後に、
ける欲望はありません。どうか助けてください。
(´・(ェ)・`) b

943鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/19(金) 23:28:18 ID:1d4drIFg0

 至福はどこかにあるとか、消えて行くというものではないというのじゃ。
 至福そのものが自分であり、それを見るものではないというのじゃ。
 太陽が夜を知らず永遠に輝いているように衆生は至福そのものなのじゃ。
 どこまでも自分を追求すれば至福に到達できるのじゃ。

944鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/19(金) 23:54:37 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 またまたまた同じ題なのじゃ。

 幾人もの伴を引きつれ、徒を集めるらい児なのじや。
 面前の眼の上には全て眉なしなのじゃ。
 法中の姦人であり、自慢男なのじゃ。
 師の伝授はなく、話は自慢ばかりなのじゃ。

945避難民のマジレスさん:2021/11/19(金) 23:59:14 ID:lK5Bq4IQ0
17.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-b①
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:疑い、欲望、マインドと呼ばれるこの機械にうんざりしています。たぶん私は恩寵がやって来る
のを待たねばならないのでしょう。私に何かすることができますか?

 恩寵なしには何もうまくいかない。あなたには恩寵が必要だ。そして、あなたの人生に恩寵がない
とどうして言えるのかね?
ラクナウにやって来たことをどう思うのかね。恩寵があなたをここに呼んだに違いない。
 さもなければ、あなたの国にいる友達のようにここにやってこなかっただろう。恩寵がないと言う
のはマインドだ。なぜならマインドは努力して初めて手にいれることができると信じたいからだ。
 しかし、何千年も努力し続けて来て「今」真我の恩寵で努力から自由になる時がやって来たのだ。
この恩寵があなたの活動を指導してどこに行くべきか、どこに居るべきか教えてくれるだろう。
 もし、内なる指令によってあなたはここにいるのだという事実を受けいれるなら、これがこの恩寵
に対する降伏だ。一度降伏したら、道は簡単だ。ただ何もしないこと、考えることさえしないこと。
ただ恩寵が湧き上がるのを待ちなさい。

Q:私はあなたの恩寵にとても圧倒されています。私のハートはあなたの足元にひれ伏し、私のすべ
ての恐れは消えてしまいました。感謝に値する言葉はありません。そして、私の最後の疑いをどのよ
うにして完全に取り除くことができますか?
(´・(ェ)・`)
(つづく)

題頤來的々付児孫 いらい的々児孫に付すを題す

頤卦題名貧食來 いか(け)名を題してじきをむさぼり来たる
會中膾灸寵如梅 え中のかいしゃちょう梅の如し
攫金手段機輪轉 きんをつかむ手段機輪転す
君子果然多愛財 君子果然多く財を愛す

くま訳
あからさまに、占いで子や孫に名前をつけることについて

姓名判断で荒稼ぎをする、
街中での評判が高い易者は、花のように大人気だ。
金儲けの手段、機会を逃すまいと大忙しである。
「君子財を愛す。これを取るに道あり」人は誰でも財を愛するが、間違った方法で蓄財してはいかん
のだ。とは言え、予想を当てて大儲けしたいと思ってしまうのでありますね。やれやれ

*膾炙( かい‐しゃ):「膾」はなます、「炙」はあぶり肉の意で、いずれも味がよく、多くの人の
口に喜ばれるところから、世の人々の評判になって知れ渡ること。
*果然(かぜん):予想していた通りになるさま
*的的:①仏法の内容の明らかで正しいこと。その正しさ。
    ②明らかなさま ここでは②と解した
*君子財を愛す。これを取るに道あり:唐洒州僧伽(とうししゅうさんが・則天武后の時代の伝説の
僧)誤った蓄財についての逸話あり。(白隠による論語説あり)
(´・(ェ)・`) b

946鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/20(土) 23:50:32 ID:1d4drIFg0

 恩寵とは求めるものにやってくるものじゃ。
 必要な時に師匠はあらわれると格言でもいうのじゃ。
 既に恩寵を得ていながら気付かないものもいるのじゃ。
 ただひたすら受け容れることが大事なのじゃ。

947鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/20(土) 23:56:55 ID:1d4drIFg0

 そんな感じじゃな。

 占いに注意じゃな。

 頤卦の題名は来る食を貪ることなのじゃ。
 会中にて評判のよいことは梅を愛する如しなのじゃ。
 金を掴む手段には悪知恵が働くのじゃ。
 君子は果然多く財を愛するものであるからのう。

948避難民のマジレスさん:2021/11/21(日) 02:55:27 ID:b.qiqBV.0
18.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-b②
真理に対する疑いと恐れを取り除く

 どんな疑いがまだ残っているのかね? あなたが私を愛しているならどんな疑いがまだ残っている
のかね? 疑いは愚かな人を愛するとき起こって来る。その時、疑いと恐れがある。
 私を愛しているなら、あなたは「それ」を信頼すべきだ。私があなたを愛していることを疑わない
ことだ。他の人を愛する場合は、あなたが愛しているその人は他の誰かを愛している。あなたはこれ
を世界で経験したに違いない。
ある話を思い出した。
 ある男が宮殿の門前にあらわれて、宮廷に入ることを許された。この男は王に言った。
「私は、ヒマラヤからやって来たヨギです。私の苦行と信頼の結果、天人によって天国にだけ育つ聖
なる果物を与えられました。
 この果実を食べると若さを保つことができます。私は350歳です。ずっと以前にこれを食べてあ
なたにも分かるように私は25歳ぐらいにしか見えません。私にはもうこの果実を持っている必要が
ありません。
 あなたは非常にりっぱな寛大な王だときいたので、あなたが民衆を長期間助けることができるよう
に、あなたにこの果物をあげたい。」 
 さて、王はこの果物を受け取ったあと、彼の若いクィーンにこれを与えることに決めた。彼女がい
つも25歳の若さを保っていられるなら、彼は彼女をもっと楽しんでいられると思ったからだ。
 彼女はそれを受取った。彼女は年老いた王に満足していなかったので、馬屋で働いている若い愛人
を持っていた。それで彼女は彼の若さをいつまでも楽しめるようにと、彼にその果物を与えた。
 さて、この果物は宮廷の召し使いの手に落ちた。しかし、この青年はクィーンと一緒にいるのを見
つけられるのを恐れている。たぶん見つかれば縛り首になるだろう。
 その恐れからただの娼婦と関係を持ち始めていた。彼女となら疑いも恐れもないので、彼女がいつ
も若くいられるようにと彼女にその果物を与えた。
 さて、この娼婦はもし彼女がいつまでも若くいると、いつまでも娼婦でトラブルに巻き込まれる、
自然に年をとっていった方が彼女の人生はよくなるだろうと考えた。
 それで彼女は若さを保つことによって多くの人が本当に利益を蒙る誰かにその果物をあげようと決
心した。それは王だ!
 王はそれがヨギが持って来たのと同じ果物だと知った。しかし、娼婦がこの果物を持っていたとは。
王はこの果物をどのように利用したらよいものかと答えを見つけ出す為にヨギを呼んだ。
 「これはあなたが私にくれた果物と同じものか?」と王は尋ねた。
 「はい、確かに同じものです」とヨギは答えた。
 「しかし、娼婦でさえこれを持っていた」
 「いいえ、それは信じられません。それは、確かですか? 私があなたにあげた果物を食べまし 
  たか?」
 「いや、私のクィーンに手渡した」
 「クィーンをお呼びになり、果物を食べたかどうかお尋ねなさい」
とヨギは命令した。
 王はクィーンにそれを食べたかどうか尋ねた。彼女は正直に答えて、王が彼女に若くいてほしいと
望んだように彼女も又彼女の愛人、馬屋の青年に若くいてほしいと望んだ。彼女は年老いた王よりこ
の愛人をもっと楽しんだからだと。
 この馬屋の青年は呼ばれて、クイーンの愛人であることを恐れて彼の愛する娼婦にその果物を手渡
したことを認めた。娼婦は呼ばれて、彼女は彼女の話を告げた。
 「この果物は何人もの人の手を渡って行ったことか。しかし、誰もそれを食べる功徳がなかった。
あなたがた誰もそれを役立てなかったのだから私がそれを持って帰るとしましょう」

その果物はヨギと一緒に宮殿から去っていった。
 さて、王はある事を教えられた。この世の中、誰も信頼することはできないと学んで、宝石、大臣、
象、国家を二人のクイーンに分け与え平和を探す為に宮殿を去って森に入った。
 この話は、世間によくある話だ。これは全宇宙の話だ。何人かはこれを早く理解するだろうし、何
人かは後で理解するだろう。だから、あなたがしなければならないことは、今日やりなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

949避難民のマジレスさん:2021/11/21(日) 02:56:01 ID:b.qiqBV.0
 
画 三首1/3

参禪九到又三登 参禪九(ここ)のたび到り又みたび登る
明白洞然無愛憎 明白どうねんあいぞうなし
橋上不通名利路 橋上名利の路に通ぜず
羡看一錫一閑僧 うらみみるいっしゃくいっかんの僧

くま訳
画(考え廻らすこと)3首  

かつて、師を求めて、九回参禪して、三回山に登った。
はっきりとしたのは、憎愛の思い、分別心がなければ、全てのことは明白になると言うことだ。(信心
銘の一節)
この橋は、名利へつづく路ではない。
のぞましいことがあるとすれば、一本の杖(仏法のことかな)だけをもち、静寂の内に修行者として
あることである。

洞然;奥深く静寂な様
錫(シャク):僧の杖
(´・(ェ)・`) b

950鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/21(日) 23:33:53 ID:1d4drIFg0
世間においては確かなものなどないものじゃ。
人の心も物質も移り変わっていくからのう。
世間からは疑いがなくならないのじゃ。
本当に疑い得ないものは自らの心の中にのみあるものじゃ。

951鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/21(日) 23:37:52 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。

 画なのじゃ。

 参禅に九回到り、山に三度登ったのじゃ。
 愛憎無ければどこまでも突き抜けて明白なのじゃ。
 その橋の上は名利の道に通じていないのじゃ。
 願わくは一錫一閑の僧となりたいものじゃ。

952避難民のマジレスさん:2021/11/22(月) 07:26:00 ID:E.CBLgGI0
19.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-b③
真理に対する疑いと恐れを取り除く

  真我探求に伴って起こってくる「消えさること」への恐怖は、
  「私は肉体」という古い感覚からやって来る。
  これは、未知への恐れではなく過去を離れる時に起こる恐れだ。
  恐れなしにあなたの存在に飛びこみなさい。
  「あなた」が消えてなくなると、すべての恐れも又消えてなくなる。
  静かにしていなさい。「ここ」にいなさい。
  あなたのハートの中で存在としていなさい。
  真我に出会うのを恐れないこと。
  真我がいつもあなたであったものだ。
  失うべきものは何もない。恐れないことだ。
  「それをなくすこと」への恐れも存在する。
  何かを所有すると、失くすことへの恐れが起こって来る。
  真我は所有されえないので、失くすこともない。
  恐れをさける唯一の方法は内なる美に戻っていくことだ。
  マインドなしでは気が狂うという恐れを持つかもしれない。
  しかし、マインドがあるところに二元性がある。
  二元性があるところには、欲望、怒り、憎しみ、恐れ、つまり狂気が  ある。
  だから、マインドを失うのを恐れることはない。
  ノーマインドが正常なのだから。
  ノーマインドにはやり手はいない、批判もせず、怒りもない、
  これが至高の知恵と平和だ。
  すべての恐れは、「存・在・し・な・い『他人』」に基づいているので、
  すべての恐れは、基盤なしだ。
  目覚めと夢の二元性の中に恐れは住んでいる。
  恐れがある所には偽りがある。
  それを克服するには毎日瞑想することだ。
 真我探求の過程で起こって来る恐れは、「これやあれ」が欲しいという眠っている欲望が現れる為だ

 それは抑圧されて、平穏になる。潜在意識の中で抑圧されてもそれは再び湧き上がって来るだろう。
それらを抑圧しないこと。ただそれらは存在しないと理解しなさい。
 あなたはまだ「これ」も「あれ」も手にいれることができるが、それらは存在しないということを
ただ知っていなさい。
 浜辺での子供と砂の城のようなものだ。子供は一日中遊んで、終わりに砂をポケットに入れて持ち
帰ろうとはしない。彼らは海にそれを蹴り返すのを楽しむか、潮が満ちてそれを崩し去るのをただ見
ているだけだ。
  
  何もあなたに属さない!それはすべてそよ風のようだ。
  何にも執着しないでマインドをそよ風のように自由にさせなさい。
  これが幸福への秘密だ。庭を楽しみなさい。
  しかし、何にも執着しないこと。
  真理を知るには恐れのない清純な知性が必要だ。
  ヴァーサナや混乱や恐れを背負っていては真我探求はできない。
  マインドは習癖と恐れから自由であらねばならない。
  これはあなたがどの程度、真理を熱望しているかにかかっている。
  利己的な「私」を無視しなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)
  
画 三首2/3

老漢知従何處來 老漢知んぬいずれの処(ところ)より来る
高山境與塔崔嵬 こうざんのきょうととうのさいかいと
水草心頭痩牛体 すいそう心頭そうぎゅうのたい
應身行脚出天台 おうじんあんぎゃてんだいをいづ

爺は自分がどこから来たのか知っとるのだ。
生駒高山と、比叡山の境からきたのだ。
頭心は水草のように定まらないが、体は瘦せとるが、牛のように頑丈なのだ。
衆生を済度するために歩いて、天のお山からおりてきたのだ。

*応身(おうじん)〔梵 nirmāna-kāya〕仏の三身の一。人人を救済するため、救済する対象の宗教的
能力に応じた姿をとってこの世に姿を現した仏
* 痩牛:釈迦の叔母さんの名前。ここでは単なる瘦せた牛と解した。
(´・(ェ)・`) b

953鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/22(月) 23:42:10 ID:1d4drIFg0
修業していると自分が無くなるという恐れが起こるものじゃ。
それは自我が自分であるという認識から起こるものじゃ。
パパジは利己的な私を無視しなさいというのじゃ。
それが恐れのもとであるからなのじゃ。
恐れもまた自分のものではなく、自分ではないのじゃ。
無視しているとそれはそよ風のように消えて行くのじゃ。
そして進むことが出来るのじゃ。

954鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/22(月) 23:48:39 ID:1d4drIFg0
そんな感じじゃな。



 また画なのじゃ。

 老漢はどこから来たのか知っているのじゃ。
 高山の境で高い塔からなのじゃ。
 水草のような心頭であり、痩せ牛のような体なのじゃ。
 応身は行脚して天台を出たのじゃ。

955避難民のマジレスさん:2021/11/23(火) 12:38:20 ID:swiyYHOM0
20.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-c①
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:瞑想が深くなるにつれて、死の恐怖が度々やってきます。

 この恐れは名前、形、意図、自己証明から離れて行く過程で起こって来る。
 河が海に合流するとき、その河の性質が失くなるように。崩壊することは、突然のジャンプだ。そ
の時点では、恐れは恐れなしに変容する。恐れは障害だ。河の両岸という限界性の産物だ。この限界
性がマインドだ。
 恐れはすべての過去の観念や自己証明を無くすときにやって来る。海と出会うときに恐れはあり、
海になると恐れは消え去る。恐れは海から離れているという思考にすぎない。恐れというのは傲慢さ
の、エゴの、分離感の変形だ。これらの概念を捨てて自由でありなさい。
 すべての人が死を迎えなければならないのですべての人がこの恐れを持っている。恐れというのは、
あなたが「ここ」に居ないとき、何かを無くすだろうという考えにすぎない。
 「私は死んで行くものではない」と知ることによって、この恐れを取り除きなさい。死ぬのは肉体
だ。死は肉体の為にだけあって、あなたの為ではない。肉体が死ぬとき、あなたは死なない。肉体の
内にある「それ」は決して死なない。ゆっくりこれを理解し死の恐怖を取り除きなさい。
 「私は肉体ではない」と知るだけでよい。時間は掛かるかもしれないが何度も何度も「私は肉体で
はない、感覚でも、感覚の対象に対する活動でもない」とマインドに言い聞かせなさい。これを、マ
ントラのように繰り返して唱えることでうまく行くだろう。
 肉体からあなたを分離させなさい。足から始めて、あなたは足ではないと認識しなさい。そこから
順次あがって行って確かめなさい。「これらのすべては私ではない」と認識したら、「私は誰か」と
真我探求しなさい。
 ゆっくりとあなたは真理に導かれてすべての恐れが失くなるだろう。

Q:あなたと居ると強烈に平和を感じて時々恐ろしくなります。

 何を恐れているのかね?

Q:強烈さです。しかし今はもう恐れていません。

 初めてマインドの平和を感じたので恐れたのだ。誰もかって平和を感じた人はいない。しかしそれ
を続けて感じているので恐れを感じたのだ。恐れる必要はない。
 友達や家族、誰もかつてこの経験をしたことがない。誰もこの美味を味わったことがない。エゴな
しで人生を楽しみなさい。さもないとエゴはいつも蠍のようにあなたに噛みつくものだ。これがいつ
もあなたの経験だ。

  エゴの口づけは
  蠍の刺のようだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

画 三首3/3

潙山來也目前牛 潙山らいや目前のぎゅう
戴角披毛僧一頭 たいかくひもうそう一頭
異類如甘一身静 異類あまんずるがごとく一身静かなり 
三家村裡也風流 さんかそんりまた風流       

潙山が生まれ変わってきたのだろうか、目の前にいるこの牛は。
角を生やし。薄毛の生えた牛一頭
獣であるのも悪くないと、受け入れてるような静かなたたずまいである
家三軒の村も、また風流でよいものだ
(´・(ェ)・`) b

956鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/24(水) 00:19:58 ID:1d4drIFg0
実践している時に恐れが起こるのは、進歩している証拠なのじゃ。
何も進歩がなければ恐れも無いのじゃ。

自分という観念がいらないものと気付けば恐れも無くなるのじゃ。
そのようにして自分が無くなる恐れを乗り越えれば悟りもやってくるのじゃ。

957鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/24(水) 00:29:37 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 また画なのじゃ。

 目の前の牛は?山禅師が来たのじゃろうか。
 角を戴き、皮毛を被る僧が一頭なのじゃ。
 異類であることに甘んじるが如く一身は静かなのじゃ。
 三家村もまた風流なのじゃ。

958避難民のマジレスさん:2021/11/24(水) 11:10:17 ID:GxTqNWRs0
21.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-c②
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:私は気づき以外に何もないのを経験しました。しかし、恐れの為にこの存在の平地に落ちて戻っ
てきました。

 この経験で十分だ。あなたは考えた。その思考は過去からやって来たのであなたは過去に連れ戻さ
れた。何が起こったのか、あなたが得たものは何であったのかと考え始めた。誰もそれについては教
えたことがないので、それを価値づけすることができなかった。
 「それ」はどこにでもあるけれども、「それ」を見つけることができる人は全くめずらしい。ポ
ケットの中のダイヤモンドを見なければならない。そうすると浜辺で手に入れた貝殻ではないと分か
る。それはダイヤモンドで貝殻ではないと知りなさい。それがダイヤモンドであると知ったら考える
必要は何もない。あなたはこの宇宙で最も裕福な人になる。
 ある男がロバの背中にレンガをつんで建築場へ運んでいた。インドでは特に村ではまだこのように
して物を運ぶものだ。彼は丸一日働いても25パイサ(3セント)稼ぐだけ。
 ある日、ダイヤモンド商人が通り掛かってレンガの運び屋にロバの首を指さして、いくらほしいか
と尋ねた。この貧しい男は「1ドル」といった。その当時で1ドルは20ルピーで、新しいロバは5
ルピーで買えたので彼はよい取引だと思った。
 しかし、ダイヤモンド商人はロバの首からぶらさがって輝いているものを取って、ロバを残して
去っていった。貧しい男は彼は気狂いだと思って訊ねた。「旦那、ロバはどうするのかね」
「私は馬鹿ではない。私はダイヤモンド商人だ。私はロバにお金を払ったのではない、このダイヤモ
ンドに払ったのだ。お前はそれを知らなかったが、お前は一生働かずに暮らしていけるだけのお金を
持っていたのだ。3代の家族に渡ってさえ働く必要はなかった。しかし、私はお前の愚かさに対し5
000ルピーあげよう」
 そして、彼は地方のディーラーにそれを10,000ドルで売った。ディーラーは、カルカッタで
その10倍の価格で売り払い、それがガルフシークのもとに来ると、その又10倍のねだんで取引き
された。その内に貧しい男は増々貧しくなり、彼の愚かさを悔やむばかりであった。
 だから、ダイヤモンドがあなたの所にやって来たら数ケ所に持って行って、一番高い値段を選びな
さい。あなたはダイヤモンド商人ではないので、ダイヤモンドのことは分からない。その為にこのダ
イヤモンドに感謝することはない。
 ダイヤモンド商人にそれを見せなさい。ここに持って来なさい。私が鑑定しよう。そして、私は何
カラットか言って、誰も払うことができないまさにその値段を支払おう。
 だから、間違いを起こさないこと。光るものを見つけたらラクナウに持って来なさい。ここには、
正直なダイヤモンド商人がいる。彼は正しい値段を支払う。
 確かな値段はお金や宝石やドルではなく、誰も支払うことができない平和で支払われる。あなたは
それを10倍以上の価格で売るかもしれないがこの平和は他のどこにも見つけることはできないだろ
う。
 このマインドの平和のためにあなたがたはここに居るのだ。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

看森美人午睡
一代風流之美人 一代風流の美人
艶歌清宴曲尤新 艶歌清宴曲もっとも新たなり 
口吟膓斷花顔顰 新吟腸は断つ花顔の靨
天宝海棠森樹春 天宝のかいどう森樹の春

仁先生訳  
なんといってもこんな風流な美人はもうどこにもいないよ、  
仲間との宴の席で森公が艶歌を唱うと、情感が籠もっていつも新鮮なんだ。  
唱う度に、森公の顔の靨が悩ましくて、たまらなく愛おしくなる、  
その美しさは海棠と讃えられた楊貴妃とは比べることもできない別格の美しさだよ。

くま訳
森よ!美人の午睡する姿を看ながら詠む
一代風流の美人。君のことだよ。
艶のある清らかな歌声は、なによりも若返らせてくれる。
君の歌声を聴くたびに、胸が張り裂けそうだ。
ほころぶ笑顔、たまに見せる影。
海棠と讃えられた楊貴妃よりも美しい天の宝だ。花曇りする春の森のように美しい。
(´・(ェ)・`) b

959鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/25(木) 00:15:21 ID:1d4drIFg0
まだ悟りは得られなくても修業に拠って真実の世界を垣間見ることが出来た位でも、この世の全ての金よりも価値があるものじゃ。
それは金では買えないものであるからのう。
永遠への道を歩んでいる尊さは悟りを得たものだけが知っているのじゃ。
それだけが真の死を超える道であるからのう。

960鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/25(木) 00:19:39 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 森美人の午睡を看るのじゃな。

 一代風流の美人なのじゃ。
 艶歌清宴の曲はもっとも斬新なのじゃ。
 口に吟するは詩は断腸の美であり、顔は花のひそみなのじゃ。
 天宝の海棠は森樹の春なのじゃ。

961避難民のマジレスさん:2021/11/25(木) 08:14:18 ID:E1BUQSis0
くま訳改
第2句:艶歌清宴の曲はもっとも斬新である。

22.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-c③
真理に対する疑いと恐れを取り除く

Q:時々静寂がひとりでに私の前に現われますがそれを保持しようとすると消えてしまいます。

 この静寂を恐れているのか、それともこの静寂に困らされているのかね?

Q:いいえ。

 それなら、なぜ平和の代わりに混乱を選ぶのか? あなたは平和を望むと言っているが、それなら
なぜあなたのマインドを騒がせる場所に束縛されるのを許すのかね。
 たとえば、ラクナウは夏はとても暑くて気温が48Cまで上がるときがある。ここに留まることが難
しいのならどうして他の場所に行かないのかね?
 一晩の夜行列車に乗ればアルモラ、ムスリ、ナイニタールに行ける。次の朝には震え上がる。状況
や環境をどのように利用するかはあなたしだいだ。あなたはここに留まるように束縛されていない。
あなたにとって快適なところに行くことができる。
 これは天候に関してだがマインドに関しても同じことだ。もしマインドの平和を望むなら、なぜあ
る事情に関わってマインドを騒がせるのかね? マインドを何か美しい思考に切り替えなさい。これ
をするのに何が問題なのか? 考えなければならないときはあなたを騒がせるものを考えるのではな
く、マインドにとって何か良いことを考えなさい。
 たとえば「私はいつも問題を引起す肉体ではない、私は真我、私は魂、私自身が神だ」と。マイン
ドを利用しなければならないときはこのようにして役立てなさい。「私が死ぬ前に平和であらねばな
らない。」と固い決心をしなさい。そうすると成功するだろう。

Q:すべてを手放そうとしたら、恐ろしくなりました。

 すべてを手放すのは難しい。その理由はすべての人が彼ら自身の選択によって事が起こるように望
むからだ。しかし、世界中でこのダイヤモンドより価値のあるものが他にあるだろうか? 永遠に、
決して去っていかないものがこの世の中にあるだろうか? この肉体でさえ去って行く。だから手放
しなさい。

  不安定で永遠でないものは手放しなさい。
  そうすると、たった一つだけ残るものがある。
  世界や神は消えてしまうが、これは消え去らない。
  いつもこれを思い出して、それから目を離さないことだ。
  それを手に入れようとする意図なしで、ただ存在するということだ。
  あなたがほしいと思うものはすべて「手放し」の範疇に入る。
  家、妻、肉体、両親、神、手放しなさい。
  何が残っているか? 何を手放すことができないのか?
  あなたであるもの。あなたである「それ」!
  あなたは決してやって来なかったのだから去ることはできない。
  やって来るものは行かねばならない。
  やって来なかった「それ」は何か見つけ出しなさい。
(´・(ェ)・`)
(つづく)

慧日有憎愛   えにち憎愛あり
一段多情栗棘愁 一段多情りっきょくの愁ひ   
囘光返照晦心頭 廻光(えこう)返照しんとうをくらます
工夫長養不徳怠 工夫長養怠ることを得ず
動静起居春又秋 どうじょうききょ春又秋

慧日には分別心が残っていた。
一挙に何もかも取り入れてしまおうとして、移り気に見えるのが、栗の棘のようで残念だ。
自己の心のうちに光をあてて見るこにより。言葉で考えることなど晦(くらま)ましてしまえ。
修行に励み、養い育てることを怠ってはならない。
一日中いつでも、一年中いつでも、(常に怠ってはならない。)

*慧日:インドで修行、719年帰唐後、禅浄戒合行思想を主張し、実践

クリシュナムルティが言ってる、「見ること」「常に注意していること」と言うのは、まさにこの
「廻光返照」のことでありましょうか?
光を廻らし、照らし返して、心のあり様を見よと言ってるのでありましょうか?
鬼和尚が本心を見ろと言うのが、これでありましょうか?
(´・(ェ)・`)b

962鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/26(金) 00:08:38 ID:1d4drIFg0
全てを手放せば、全てが手にはいるのじゃ。
それを恐れる必要は無いのじゃ。
いずれは全てを捨てることになるのであるからのう。
死に拠って人は全てを捨てて独りゆかなければならないのじゃ。
そうであるから今ここで全てを捨てるのが賢い選択といえるのじゃ。

963鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/26(金) 00:10:27 ID:1d4drIFg0
↑廻光返照とはそう言えるじゃろう。
 外に向いていた注意、注目を自分の心の中に向けるのじゃ。
 それが修業の全てなのじゃ。
 実践あるのみなのじゃ。

964鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/26(金) 00:14:49 ID:1d4drIFg0

 それで善いのじゃ。

 慧日には憎愛が有ったのじゃ。
 一段と多情であるのは栗のとげのように愁いあるものじゃ。
 廻光返照によって心頭をくらますのじゃ。
 工夫長養を怠らなかったのじゃ。
 春であろうと又秋であろうと、動静起居実践していたのじゃ。

965避難民のマジレスさん:2021/11/26(金) 00:21:05 ID:6.H8mjYQ0
23.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part4-c④
真理に対する疑いと恐れを取り除く

 妻や家族ではなくエゴを手放しなさい。エゴと恐れは母と息子だ。エゴは恐れの母で、恐れはエゴ
の息子だ。この家族は手放すべきだ。妻や子供ではなく、エゴ、マインド、人々、関係、この古い家
族を手放しなさい。
 もし幸福でありたいのなら、絶対これらと離婚しなさい。しかし、あなたの家族にはサットサンガ
について話し、健康な人生を生きることを教えなさい。

Q:子供の時から恐れが問題で、恐れはただの思考だとはっきり解っていてもそれは定期的に私を支
配します。ある思考は他の思考よりも強いということがあり得るのですか?

 あなたは正しい!ある思考は他の思考より弱くて、ある思考は他の思考より強い。「私はこれが欲
しい、あれが欲しい」は弱い思考だ。「私は何も欲しくない」が強い思考だ。
 このようにして、どれが強い思考か分析しなさい。ある人と一緒に居たいと考えるなら、その人は
明日去って行くかもしれない。その結果、トラブルに巻き込まれる。このような弱い思考はトラブル
になる。現実にはどんな交際もトラブルを生み出す。これは世間でみんなが経験していることだ。
 交際があるところには苦しみがある。全く一人で眠りの中にいるときは幸福だ。しかし次の朝、
人々と一緒に居たいので再びトラブルだ。だから、強い意志と弱い意志の間でどちらかを選ばなけれ
ばならない。

Q:私はすべての恐れをあなたの足元に差し出したい。

 夢の中であなたは夢のタイガーに直面する、そして夢の恐怖に襲われる。あなたが目覚めたときタ
イガーも恐怖も存在しない。
 すべての状況に直面することがあなたの恐れを取り除く、それが神への奉仕だ。あなたの前にやっ
て来るものは何でも受けいれなさい。
 風が吹いて行くように生きなさい。これが神の意志だ。風のように執着なしに生きなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)


一句欲披吾欝襟  一句ひらかんとほっす わがうつきん
舌頭拄齶笑吟吟  ぜっとうあぎとをささへてわらひぎんぎんたり
霊雲不答長慶問  霊雲答えず長慶の問
誰識金言猶在心  たれかしらず金言なお心(むね)にあり

くま訳

わが胸の内を一句したためたい。
(悟ってしまえば)大笑いなのである。
桃の花を見て悟ったという霊雲志勤は長慶慧稜(えりょう)の「如何なるかなこれ仏法の大意とは」
という問には、答えなかった。
しかし、悟った当初に、玄沙師備から悟りの様子を聞かれたことに対して、桃の花を見て悟ったと
話し、それは「外ものにあらず」、外からのものではないと話している。
そう。金言を外に、言葉の中に探しても見つからないのだ。
心のうちにあるのだ。そのことを悟った人は皆知ってるのだ

この詩は、祖堂集(唐代801年成立)記載のエピソードをネタにした作品のようでありました。
ここまで辿り着くのに、まる一日かかってしまったのである。
謎解きは、楽しいのである。
(´(ェ)`)b

966鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/26(金) 21:48:24 ID:1d4drIFg0
心に苦しみがあれば他の思考を圧倒して苦しいだけになるじゃろう。
それが強い反応であるからなのじゃ。
しかしそれも全体が観察できたならば消せるのじゃ。
パパジはそれを分析というのじゃ。

967鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/26(金) 21:51:20 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 唖なのじゃ。

 一句にてわが欝襟を開こうと欲するのじゃ。
 舌の頭があごを支えて笑いが止まらないのじゃ。
 霊雲が長慶の問いにこたえなかったことなのじゃ。
 その回答である金言はなおわが胸にあるのを誰が知るであろうか。

968避難民のマジレスさん:2021/11/26(金) 22:51:39 ID:epptWbr20
24.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a①
神の対象化の中止

  なぜ神を対象化するのか?
「それ」を主体化しなさい。
光に向かって真っ直ぐに進みなさい。「それ」の中にまっ先に飛び込むのだ。
  旅の途中でそれについて記事を書いたりしないことだ。
  静かにして、疑いをもて遊ばないこと、欲望を起こさないこと。
すべての対象を取り除き、「それ」として滞まりなさい。
すべての苦痛は対象化することからやって来る。
エゴに自由を所有させないこと。
  だから、真理を対象化しないこと。
それを獲得とか取得と呼ばないこと。
  ただそれと一つになりなさい。
顔を鏡で見るとき起こるようにそれにただ合一化しなさい。
マインドと呼ばれる訪問者を忘れて、ただ「それ」と一体になりなさい。

  あなたでないものだけを経験することができる。
一時的なものだけが経験される、
なぜなら、経験者そのものが一時的な存在だからだ。
  経験、名前、そして形態の概念を捨てなさい。
名前や形態に触れないで、ただ見ていなさい。
「私」と口走ると、すべての対象があらわれる。
「私」を見つめるとすべてが消え去る。
「私」に「私」を見つけさせなさい。
真我探求は最初に「私」、経験者を対象化し
「私」を対象化した「主体」を見つめることだ。
主体を対象化する更なる「主体」は誰かと自問しなさい。
この「主体」が「見ている人」だ。

  私のマスター、ラマナ・マハルシは私に言った、
  「神は見られる対象ではない。神は主体だ。
  神を見ることはできない。神は『見ている人』だ。
  この『見ている人』を見つけなさい。」
その時、私のハートは開いた。
「『見ている人』を見つけなさい。」
  これが教訓である。

  真我は主体よりも以前に存在する。
  それ故、誰が何に集中するのか?
  主体の「私」は夢を見ているに違いない、
  夢を真実だと受け入れないことだ。
  一瞬、一つの思考でさえ起こさずにいることで目覚めなさい。
  一つの思考でさえ「それ」を汚してしまうほど
  「それ」は潔癖だ。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)
  
尺八
一枝尺八恨難任  いっしの尺八恨みたえがたし
吹入胡笳寒上吟  吹いてこかさいじょうの吟にいる
十字街頭誰氏曲  十字街頭たが氏の曲ぞ
松林門下少知音  松林門下知いんまれなり

くま訳
尺八の悲哀のこもった音色は堪えがたい。
私も胡笳(こか)の曲を奏でる
街中で聞こえるのは誰の曲だろうか
禅宗には音楽が分かる人が少ない

くま超訳
仏法の話が聞こえる
私も、達磨さん、禪の話をする。
街中から聞こえるのは、誰の話だ。
禅宗門下には仏法を心から理解できる人は、少ない。

*達磨さんは 波斯国(ササン朝ペルシア)の胡人だったらしい) 少林寺で修行した。
*胡笳(こか):胡人が芦の葉を巻いて作った笛 木管ともいう
*知音:①心から理解すること。②心から理解し合っ友人のこと。心の通じ合った親友のこと。
*『胡笳の曲』はyoutyubeで聴けるのである。しみじみとするのである。
 蓮如さんとかと、仏法談義をしてたのでありましょうかね。蓮如さんは一休より21歳年下の友であ 
 りました。
(´・(ェ)・`)b

969鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/28(日) 00:13:44 ID:1d4drIFg0
神というものがいるとするならば、それは人の心の中だけなのじゃ。
それは対象としてではなく、主体として存在するとパパジはいうのじゃ。
真理もまた主体であると言うのじゃ。
全ては神や真理であると感得するまで自分の心を観つづけるのじゃ。

970鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/28(日) 00:18:22 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 尺八なのじゃ。

 一枝から作られた尺八も耐え難い恨みがあるじゃろう。
 胡笳を吹きあげて吟詠するのじゃ。
 十字街頭で詠うのは誰氏の曲じゃろうか。
 松林門下では知音も少ないのじゃ。

971避難民のマジレスさん:2021/11/28(日) 09:44:03 ID:F0UeHLDI0
くま質問
「真理もまた主体である」とは、真我=真理という意味でありますか?

25.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a②
神の対象化の中止

  心の習癖は対象化すること、二元性を投影することだ。
  自問で心の動きを支配しなさい。
  私は「ここ」にいると悟りなさい、
  これが心の動きを止める。
  
  心が静かになればすべてが真我だ。
  心が動くと世界が現われる。
  だから静かにしてすべてを投げ捨てて自由になりなさい。
  そのとき心は潔癖で、あらゆる存在に真我を見るだろう。
  肉体の目で見ることをやめると聖なる目が開く。
  
  心を静めるためには「私」の源泉を尋ねなさい。
  来ることもないし、去ることもない「それ」を見つけだして 
  「それ」として在りなさい。
  心が動くのは何かに執着しているときだけだ。
  だから心にとって親密なものを避けなさい。
  執着を引き離して、静寂を保つことで
  気づきー在ることー幸福に戻ると決心しなさい。
  心が存在に触れると存在になる。
  自由の観念が束縛の観念を取り除く。
  その時、古い習癖の観念に呼び戻されないように全力を尽くしなさい。
  そして「自由」そのものに溶け込みなさい。
  
  考えることが世界を創り出す。
  思考と思考のギャップが「今」、これが「自由」だ。
  考えないということは心を活動させないということだ。
  考えないこと、思考からの自由が「自由」だ。
  思考がやってくるなら、こさせなさい。
  思考が行くなら行かせなさい。
  自由という観念がないことが「自由」だ。
  自由への意図がないのが「自由」だ。
  本当の真我探求は考えることで心を活動させることではない。
  考えたいのなら真我のことだけ考えなさい。
  これが最良の修練だ。
  これは海として留まって波を起こさせるようなものだ。
  目覚めの状態の最初と最後の思考は「私は誰か」であらねばならない。
  単に静かにしていて何が起こるか見てごらん。
  この見ていることが在ることだ。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

習心
一晝夜八億四千 一昼夜八億四千
念々不断自現前 念々自ずから現前す
閻王不許詩風味 閻王は許さず詩の風味
夜々吟魂雪月天 夜々の吟魂せつげつの天

くま訳
煩悩の残りもの
一昼夜に八億四千の念(思い)があるそうだ
いろんな念、思いが自然と湧き出る
閻魔様は詩の味わいなど許さない。
されど、夜毎、雪月の天より、詩情があふれ出してしまうのだ

*習気:煩悩の体が断ぜられてもなお習慣となって残る煩悩のはたらきのこと。習ともいう

くま質問
心の内側を、ありのまま言葉にするのが、一休さんの修行だったのでありましょうか? 
(´・(ェ)・`)b

972鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/28(日) 23:51:41 ID:1d4drIFg0
↑ そうじゃ、真理と真我を同じと説いているのじゃ。
 全ては主体を求めさせるためにあるのじゃ。
 真理を求める者には主体としての真理を教えるのじゃ。
 真我を求める者には主体としての真我を教えるのじゃ。


 

 一休にとってはもはや詩は修行でもないのじゃ。
 既に悟り終えて修業は終えているからのう。
 ただありのままに浮かんでくるだけのものだったじゃろう。

973鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/28(日) 23:54:24 ID:1d4drIFg0

 思考が世界を作り出すとパパジはいうのじゃ。
 心が静かであれば世界も無いのじゃ。
 心を静めるために私の源泉を尋ねるのじゃ。
 そうすれば全てを主客にわける心の二元性の働きが止まるのじゃ。

974鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/28(日) 23:57:36 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 習い心なのじゃ。

 一昼夜で八億四千の思考があると言うのじゃ。
 その雑念の数々は絶えず自ら前に現われるのじゃ。
 閻魔王は詩の風味など許さないじゃろう。
 それでも夜毎に雪月の天を吟詠する詩魂が在るのじゃ。

975避難民のマジレスさん:2021/11/29(月) 04:18:56 ID:Ky9gXzIs0
26.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a③
神の対象化の中止

  心を使わねばならないとき、心は眠りに陥る。
  これを避けなさい、眠りは罠だ。
  あなたが深く海にもぐって探している真珠に、努力せず意識を集中し続けなさい。

  理解することは、対象化することだ。
理解を捨て去ることによって真我を顕にしなさい。
すべての質問や答えはエゴからやって来るのだから
努力することや理解することによってその源泉を見つけることはできない。
エゴがどこからやって来るのか見つけなさい。
そうするとそれは消え去るだろう。
エゴは破壊されねばならない。
考えることをスットプしなければならない。
今、それをやりなさい、
  説明できない「それ」を、理解、視覚、触覚を超えた「それ」を切望しなさい、
  「私は存在しない」という観念を投げ捨ててそれをやりなさい。
  観念という観念も取り除きなさい。 
  知識の最終目的地は言葉も含めてすべての知識を忘れることだ。
書物を持ち歩くのは、ロバがスートラを持ち運ぶようなものだ。
多くの聖者は文盲だ。
絵の中の炎が茶を湧かすことができないように知的な理解は十分ではない。
知的な理解はメニューを読んでいるようなもので
  本当に体験することは、食べ物を食べることだ。
理解のすべては「それ」の美味に比べたら、ひからびた残り物だ。

  存在-意識-至福。
エゴ-マインド-知性がこの言葉を聞く。
それらに邪魔をさせないことだ、あなたが聞いたことを分析しないことだ。
無について考えることは、無から抜け出すことだ。
自由について話すのは牢獄者だけ、
いつも自由でいる人は自由については語らない。
話される自由はそれから自由になる為の束縛が必要だ。
あなたの自身の真我を探求して自由になりなさい。
  
  この自由は言葉では言い表すことができない。
最良の表現は 真我の至福に酔っぱらった
  その人の目の中に、歩き方の中に現われている。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

同門老宿誡余淫犯肉食。   同門の老宿、余が淫ぱんにくじきを戒む。
曾裡僧嗔之因作此偈示衆僧云 会裡の僧、これをいかる。因ってこの偈を作り衆僧に示すという

爲人説法是虚名 ゐ人説法是れ虚名
俗漢僧形何似生 俗漢僧ぎょうかじせい
老宿忠言若逆耳 老宿の忠言若し耳に逆らはば
昨非今是我凡情 昨ひこん是我凡情

くま訳
同門の老僧に淫犯肉食を諌められた。
これに、弟子たちが怒ったので、其の返事の偈を作り示した。

法を説く人などと言っても、その内実を伴っていない。
チンピラが僧衣をまとってる様なものではないかい。
老僧の忠告が耳障りに思うのは、
昨日悪いと思われたことが今日はよいと思われるからであり、
全ては、わが凡情のなせる業なのである。

*今是昨非-昨非今是 こんぜ-さくひ 今、昨日までの過ちに気づくこと。今までの過ちを悟って悔いる語
(´・(ェ)・`)b

976鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/29(月) 21:55:05 ID:1d4drIFg0
全ての観念を取り除くというのじゃ。
そうすれば思考もなくなるのじゃ。
そして真我もあらわれるのじゃ。
客体である観念が無ければ真我だけが残るのじゃ。
それが自由への道なのじゃ。

977鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/29(月) 22:58:28 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。
 よくできたのじゃ。

 同門の老僧に淫犯肉食をいさめられたのじゃ。
 会裡の僧がこれを怒ったからためにこの偈を作って衆僧に示すのじゃ。

 人のために説法をするのは是虚名なのじゃ。
 俗人が僧形になっただけで何を生むのか。
 老僧の忠言もし耳に逆らうのであれば、
 昨日の非が今は是となる我が凡情のせいなのじゃ。

978避難民のマジレスさん:2021/11/29(月) 23:04:57 ID:reBHfpN20
27.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a④
神の対象化の中止

Q:私は神に近づきたい。

 あなたは、女性徒が教科書に書かれた神について話すように話している。神を興味深い対象に祭り
上げている。神を対象化することはできない。神は主体そのものだ。
「私は存在だ」というのは「私は神だ」という意味だ。これを知ったなら、あなたの自己証明は失わ
れる。これをサンスクリットで“Aham Brahmasmi”と言う。
「私は、神=Brahman=Atman=私自身」という意味だ。あなたが神に近づきたいのなら、
分裂を生みだす神の対象化を止めることだ。「私は神だ」と言える位の強さを持ちなさい。

Q:それでは神は、この幻想を「見ている人」ですか?

 再びあなたは「見る人」と「見られるもの」との間に関係を創り出した。

Q:真我とエゴ、現実と幻想の間には大きな違いがあるように思いますが。

 「これが現実であれが幻想だ」というのはマインドの創造だ。「これがエゴ、それは真我」はマイ
ンドが創り出したものだ。

Q: 何も存在しないということを経験しましたが、突然私自身が大きなブラックホールの中に居るの
を見つけました。

 この経験をどうしたのかね? どれ位その経験が続いたのか?  さて、この経験が再び起こったら、
前の経験と比較して、又それを失ってしまうだろう。この経験をしたなら、なぜそれを分析しようと
するのかね。理解しようとするためにマインドが戻って来て、それをなくしてしまうのだ。

Q:それを保とうと試みました。

 どのようにして無を保つことができるのかね? 決して存在しないものをどうして保つことができる
のかね? どこかで何かが間違っている。分かるかね?
 マインドとこの経験は一緒に存在できない。どちらか一つの友情関係を絶たねばならない。神かマ
インドか、あなたが望む方を取りなさい。これをサットサンに座る前に決めるべきだ。
 「何もかって存在したものはない」これが唯一の体験だということを見なければならない。40年
前あなたはここに居なかったし、今から50年後にもここに居ないだろう。以前と以後にあるものが
「今」も真理であるに違いない。
 次回は注意深くしていなさい。マインドによって押し流されないように。「私は幻想」と「私は
Atman」、それらはマインドの中でどんな違いもあるべきでない。なぜ理解したいのかね?  何もな
いのならどのようにして理解するのかね? あなたが理解することができる何があるのかね?  とに
かくあなたは宿題をしている。私はとても嬉しい。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

閻浮樹 閻ぶ樹
閻浮樹逼塞乾坤 閻浮樹乾坤に逼塞す
葉葉枝枝我脚跟 えふえふしし我が脚跟
太極梅開紙窓外 太極うめ開くしそうのほか
暗香疎影月黄昏 あんかうそえいつきくわうこん

naitoukonan先生HP訳
閻浮樹は天地をふさぎ、
葉も枝もわしの足もとにある
宇宙を象徴する梅花は紙障子の外にあって、
ひそかな香りとまばらな影を黄昏の月が浮かび上がらせている。

naitoukonan先生解説 閻浮樹の根には黄金が埋まっているという。閻浮樹の根は、頭頂サハスラー
ラ・チャクラであり、葉と枝はその下方に位置するから、一休の足の側にあるとはそのとおりである。
さりげない人間の位置と窮極との逆転がこの構図に秘められている。
閻浮樹 閻浮提(えんぶだい)の大森林中にあると伝えられる想像上の大樹。常緑樹で、高さ百由旬(ゆ
じゅん)あるという。
閻浮提:古代インドの宇宙説において世界の中心とされている須弥山 (しゅみせん) の南方に位する大
陸で,四大洲の一つ。 太極:

くま訳
閻浮樹(私の身体)は天地いっぱいに拡がり
葉や枝は、私の脚である。
万物の根源である梅花は、障子の明かり窓のそとにある。
(梅花=悟の)かすかな香りと、黄昏時の月(=悟り)のうつろな影だけが、悟りの痕跡だ。

くま質問
naitoukonan先生は、軍荼利明王に結び付けて説明しようとしてるのでありましょうか?
くまはサマディに入った時の様子の喩え話ではないかと愚考してみたであります。

鬼和尚 ◆qx3.49AOzA 2020/06/30(火) 22:58:50.51
そうじゃろう。  
一つの華に世界があり、それを宿す樹が己なのじゃ。  
三千世界が己の手の中に在るのじゃ。  
それを感じているのじゃ。
(´・(ェ)・`)b

979鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/30(火) 23:31:56 ID:1d4drIFg0
神を主体とするならば、誰も神には近づけないのじゃ。
近づこうとして動けばそれは遠ざかるからのう。
自分の中心が主体なのじゃ。
そこから動かなければ主体が現われるのじゃ。

980鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/30(火) 23:32:55 ID:1d4drIFg0
>>1 それはヨーガのチャクラと結びつけたのじゃな。
 明王ではないのじゃ。

981鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/11/30(火) 23:36:37 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 閻浮樹なのじゃ。

 閻浮樹は天地一杯に枝を伸ばしているのじゃ。
 葉や枝がわしの足なのじゃ。
 太極の梅花が開いた紙窓の外に在るのじゃ。
 暗い中に梅花の香りがあり、まばらな影が黄昏の月で映えているのじゃ。

982避難民のマジレスさん:2021/12/01(水) 04:53:44 ID:n0Nv9qqg0
28.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a⑤
神の対象化の中止

Q:どうか私に神を信じさせて下さい。神を理解できません。私は何かに信仰を持ちたいのです。

 神は人によって理解されることはない。誰が神を理解するのかね?  神を理解できると誰が言った
のかね? あなたは誰かでさえ理解していないのに。神が誰か放っておきなさい。最初にあなた自身
を理解しなさい。

 何も信仰しないことだ、すでにあるものを信頼すべきだ。信仰は宗教の創設者によって創りだされ
た言葉だ。もし信仰を持ったなら、天国に行き、持たないなら地獄に行く。この信仰は正しいもので
はない。
 私はあなたは誰か見つけだすように頼んでいるのだ。この為には、何の信仰も必要ない。
 あなたの衣服から始めなさい。私は衣服ではない。あなたの衣服、時計、指輪、あたなはこれらの
物ではない。これらはあなたに属しているだけであなたはそれらではない。それを知りなさい。
 私は髪の毛ではない、眼鏡ではない、鼻ではない、鼻は私に属するが私は鼻ではない、これは理屈
にかなった理解だ。私は鼻だとは言わないだろう!!皮膚は私に属する。もし傷ついたら、整形外科
でなおすことができる。私は血液ではない、骨ではない、骨髄ではない、体液ではない、これらは私
ではない。私に属するものは私ではない。
 この家は、私のものだが私は家ではない。それでは一体何が残っているのかね? 家の持ち主だ。
持ち物以外に何が残っているかね? それは持ち主だ。
 私はあなたの質問に答えているのだ。さて何が残った? 私はマインドではない。私は肉体ではな
い。私は感覚ではない。何が残っている?

Q:私の魂

 あは!それはよい。しかし、それさえもあなたの持ち物として数えてしまった。私の家、私の手、
私の魂、違いはない!魂が属しているあなたは誰か? 魂が肉体や血液に属しているというのは理屈
にかなわない。理屈にかなった答は何か?
 あなたは神を信じたい。それなら私はまず第一にあなたの「真我」を信じるようにと言いたい。そ
れは「私は神だ」と同じことだ。そうするとあなたは決して失敗することはない。
 神を信じることは神であることだ。神を知ることが神であることだ。神自身を除いて誰が神を理解
することができるのかね? もしあなたが神を理解するのなら神はあなたの対象になり、誰が主体な
のか? 神が主体なのだ。神は対象化される対象物ではない。神は主体そのものだ。
 だから、あなたが神の対象になった方がよい。その時も又うまく行くだろう。しかし、「私は神
だ」というのにどんな問題があるのかね? これが最高の信頼で最高の信仰だ。
 他のものに信仰を持つかわりに、神であるあなたの「真我」を信仰しなさい。これが最も偉大な信
仰だ。その時あなたは普通になる。さもないと、あなたは異常か通常以下だ。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

異類中行     ゐるいちゅうぎゃう
異類馬牛中行途 ゐるいばぎうちゅうぎゃうのみち
洞曹潙仰正工夫 とうさういぎょうしやうくふう
愚昧學者誤領解 ぐまいの学者あやまってりょげす
看來正是畜生徒 みきたればまさに是畜生の徒  

くま訳
異類中行
愚かな奴等を、敢て教え導くのである。
曹洞宗、潙仰宗はよく工夫がされている。
愚昧な修行者は、仏法を誤って理解している。
看てきたところでは、これまさに、畜生の徒である。

*異類中行: 悟りを開いた仏が、解脱した高次の境地を捨てて、衆生救済のために敢えて俗世へと身を
 投げ入れること。
 禅宗の禅僧が『公案・瞑想(座禅)・作務(行住坐臥)』などさまざまな手段を用いて、修行する 
 者を悟りの方向へと導こうとすること。
*馬牛襟裾 の意味・使い方 学識のない者、礼儀知らずな者をののしっていう語。
* 学者:修行者
(´・(ェ)・`)b

983鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/01(水) 23:21:14 ID:1d4drIFg0
認識の主体であり、それ自体は認識されない真我は人には理解することが出来ないのじゃ。
認識できないものを理解することはありえないからのう。
ただそれであるだけなのじゃ。
真我を信仰して辿りつくがよいのじゃ。

984鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/01(水) 23:25:03 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 異類中行なのじゃ。

 異類である馬牛も中行の途にあるのじゃ。
 洞曹、蕃仰もまた正しい工夫で導くのじゃ。
 愚昧な学者は間違って了解するのじゃ。
 それらの者を看来たれば正に畜生の徒なのじゃ。

985避難民のマジレスさん:2021/12/02(木) 12:13:41 ID:O3o.7mag0
29.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a⑥
神の対象化の中止

Q:真我は臍の中心にあると言われていますが…

 周りがあるところにセンターがあるにすぎない、違うかね? センターが臍なら何が周りかね?

Q:肉体。

 真我は条件づけされない。真我は臍の中心にあるということは条件づけされない「それ」を条件づ
けしていることになる。センターはない。しかし、あなたが肉体であるという概念を持ち続けるのな
ら、臍に中心を置くという概念を持ち続けることができる。肉体の中心という概念は意識を集中する
ための対象として使われたのだ。
 しかし、これらの中心からどんな利益をもたらしたのか見たことがない。センターと周りがあると
いう考えを捨てるとおそらくうまくいくだろう。周りがないとき、センターとは何か? 集中すべき
ものはなく、集中する人もいない。違うかね?
 中心を固定しないこと。これはマインドのトリックにすぎない。思考がどこかに着陸するのを許さ
ないこと。思考をどこにも定住させないこと。その時マインドはどこに行くのかね? これらの中心
に時間を掛けないこと。
 多くの人が40年、50年とこれらの「中心」に時間をかけてその結果は束縛を強めるだけだと私
は見ている。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

題點頭石訝虎丘祖師 点頭石に題して くきゅう祖師をいぶかる
不信道石點頭 いふことを信ぜず、石てんとうすと、
若點頭非石流 もしてんとうせば石のたぐいにあらず。
石有霊是妖怪 石霊あらばこれ妖怪
吾祖師老虎丘 わが祖師のろうくきゅう

くま訳
ワシは、石がうなずくなどということは信じないのだ。
もし、石がうなずいたら、それは、もはや、石のたぐいではない。
石に霊があるのなら、それは妖怪である。
けど、わしの祖師が、うなずくと、言うておるのであるよ。

*頑石点頭:意味説得力や影響力が大きいことのたとえ。僧の道生が石を集めて説法すると、その説法を
理解して石はうなずいたという故事から。
*虎丘庵:一休さんが森女と住んだ庵。 二畳の水屋と、六畳、三畳の小部屋だけの、とても簡素なた
たずまいの建物。扁額「虎丘」は一休さん直筆だそうである。
*虎丘紹隆(くきゅう しょうりゅう1077 -1136年)は、北宋時代の僧で臨済宗楊岐派に属する。その法系は
虎丘派として知られる。圜悟克勤の法を嗣ぐ。
(´・(ェ)・`)b

986鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/02(木) 23:12:22 ID:1d4drIFg0
体のとこかに真我があるというのは幻想なのじゃ。
本当に有れば誰もが簡単に見つけられるからのう。
自ら主体を感得しなければならないのじゃ。
体の一部に集中するのは真我の探求には役立たないのじゃ。
集中力を養う止の瞑想にはなるがのう。

987鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/02(木) 23:15:26 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 点頭石の虎丘祖師を訝る題なのじゃ。
 
 石が点頭するなど信じられないのじゃ。
 もし点頭するならば石ではないのじゃ。
 石に霊があるならばこれは妖怪なのじゃ。
 わが祖師の老虎丘につげるのじゃ。

988避難民のマジレスさん:2021/12/03(金) 00:14:09 ID:9YAFpTOY0
30.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part5-a⑦
神の対象化の中止

Q:私の神、真我を悟りたいのですが、私とそれの間には蔽いがあるように思います。

 その蔽いとはこれだ。あなたはある欲望を持っている。より優れた意識に到達したいという欲望を
持っている。これがあなたと「それ」の間の蔽いだ。
 あなたは絶対的に欲望なし、思考なしでいなければならない。欲望は思考だ。欲望があるとき、マ
インドがある。欲望の対象がある。しかし神は対象ではない。神は主体だ。神は見ることも、到達す
ることも、触れることもできない。神は見ている人だ! 神は対象物ではないのだから探そうとしない
ことだ。
 すべての対象物には始まりと終わりがあるが、広大な意識にはそれがない。ほんの瞬間どんな欲望
も持たないでいなさい。そして、どこにより優れた意識がありどこにより劣った意識があるのか言っ
てごらん。
 さて、どこに蔽いがあるのかね? 「これ」や「あれ」を望むことで蔽いをつくっている。欲望が
ないとき、神が彼自身でやって来てあなたのハートの中に座る。
 しかし、ハートの中の椅子が欲望のごみでいっぱいなら、神は一体どこに座るのかね? 神には完
全に清められた席が必要だ。そうすると、神は招待しなくてもやって来てその席を永久に所有するこ
とになる。その時あなたが何をしようとも、それは神が行っていることになる。そうするとあなたに
必要なものは何もない。
 すべての名前と形態を取り除かねばならない。そうすると蔽いはなくなる。蔽いが取れると唯一
残っているのは他の人の蔽いを取り除くための慈愛だけだ。この仕事は蔽いを取り除いた人に割当て
られる。しかしエゴのある人がどうして他の人のエゴを取り除くことができるかね? 今蔽いを取り
除きなさい。
 人間として生まれて、自由への欲望を持っている。自由を熱望しない人間は尻尾のない動物だ。本
当の人間はこの人間の一生で蔽いを取り除いた人だ。疑わないこと。それをやり遂げるのだ。

Q:真理を理解するのを妨げている壁があるようです。この壁は私の人生で学んだすべてのもので作
られているように思われます。

 この壁は観念でそれを壊したら内側も外側もなくなる。思考によってこの観念を取り除くことはで
きないので考えようとしないことだ。この観念は唯一想像に過ぎないので存在したことはない。
 ロープはいつもロープで蛇になることはない。間違った想像力でロープを蛇と呼んだのだ。これは
あなたがあなた自身の創造物の責任者だということを教えている。ロープは蛇を作らない。あなたが
蛇を作り出したのだ。あなたを非常に困らせたこの蛇という観念は何か見つけだしなさい。
 ただ静かにしてそれを見つめなさい。そうすると消えてなくなる。あなたを不幸に陥れるその観念
を見つめなさい。ただ見つめなさい。何の努力も必要ない。あなたを困らせる観念が起こるのをただ
見つめなさい。
 あなたが存在しなかった蛇という観念を創り出したのだ。観念はまったく存在しないのと同じだ。
あなたはいつも平和、愛、幸福、至福の中にいる。これがあなた生来の本質だ。
 これ以外はすべて実在しない観念だ。あなたの両親、牧師、社会が投げ与えた観念や意図や考え方
をすべて取り除きなさい。大量のこれらのごみがあなたに常に投げ捨てられた。
 このごみだめの中であなた自身を見失った。さて、もう一度同じ質問をしてごらん。

Q:できません。質問のすべてがなくなりました。

 すばらしい!!今あなたの中ですべてが変わったのがあなたの顔つきから分かる。
 すばらしい!! これがあなたの本質だ。そこにいなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

989避難民のマジレスさん:2021/12/03(金) 00:16:56 ID:9YAFpTOY0
1/3
洛下昔有紅欄・古洞両所。曰地獄。  洛下に昔、紅欄(らん)・古洞の両所有り、地獄とも曰ひ、
曰加世。又安衆坊之口有西洞院。 加世(せ)とも曰ふ。又安衆坊の口(ほとり)に、西洞院(にしのと
ういん)有り、
諺所謂小路也。歌酒之客、過此処者。 諺(ことわざ)に所謂(いはゆる)小路なり。歌酒の客、此処に過     
                  (よぎ)る者、
皆爲風流之清事也。今街坊之間。  皆風流の清事を為す。今街坊の間、
十家四五娼楼也。淫風之盛幾乎亡国。 十家に四五は娼楼なり。淫風の盛んなること、亡国に幾(ちか)
                  し。
吁関睢之詩、可想乎哉。不足嗟嘆。  吁(ああ)、関睢(かんしょ)の詩を、思ふべきかな。嗟嘆(さたん)
                  するに足らず、
故述二偈一詩。歌之云。 故に二偈一詩を述べ、以て之(これ)を詠歌すと云う。

頌曰。 頌に曰く、
同居牛馬犬兼鶏 同居(す)牛馬犬兼(と)鶏(と)
白晝婚姻十字街 白昼(の)婚姻十字街
人道悉是畜生道 人(は)道(いう)悉是(ことごとくこれ)畜生道
月落長安半夜西 月落(つ)長安半夜(の)西

くま訳
牛、馬、犬、鶏、と変わるところが無い。
白昼堂々と男女が交わる歓楽街
畜生道に落ちたというべき。
暗い世情を照らす月も無い。

*李白の子夜呉歌 参照。
(´・(ェ)・`)b

990鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/03(金) 23:39:30 ID:1d4drIFg0
悟りへの障害は自ら作り出しているものじゃ。
恐れとか欲とかに囚われていれば障害になるのじゃ。
それを取り除けるのも自分しかいないのじゃ。
全ての観念を捨て去れば障害もまたなくなるのじゃ。

991鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/03(金) 23:50:29 ID:1d4drIFg0
それ゛てよいのじゃ。


洛下には昔、紅欄(らん)・古洞というところがあったのじゃ。
地獄とか、加世とかよばれた歓楽街なのじゃ。
安衆坊のほとりに西洞院があり、歓楽街であり酔客が通うところなのじゃ。
10の店のうち、四五軒は売春宿なのじゃ。
淫風盛んにして亡国に近いのじゃ。
関雎の詩を思えば、嘆くに足りないのじゃ。
故に二喝一詩を述べ、これを詠歌するというのじゃ。

頌に曰く。

 牛馬犬兼ねて鶏が同居するのじゃ。
 白昼の婚姻十字街なのじゃ。
 人はこれをことごとく畜生道というのじゃ。
 月落ちる長安の西半夜なのじゃ。

992避難民のマジレスさん:2021/12/03(金) 23:56:10 ID:ZGP2KMxI0
31.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-a①
獲得することで失う啓示

 何かを所有したり、獲得したときに
「失う」という恐れと観念が起こってくる。
真我だけは失うことはできない。
もし平和を獲得したならマインドは再び戻ってくる。
 来させなさい。
 そしてどこからそれが起こってくるのか、ただ見ていなさい。
 マインドが走るのを許しなさい。
しかし、それを今に導きなさい。
過去の墓場に導かないことだ。
過去に執着することは悪い交際を維持しているようなものだ。
瞑想するとすべての過去のパターンは消えてゆく。
そのコツは瞑想したい人を100%警戒していることだ。
家が人であふれているとき、泥棒は入って来ないのだから。
期待しないこと、探さないこと。
そうすると「それ」を見つけることができる。
 しかし「現れるもの」を再び見つけるなら、間違ったものを見つけたことになる。
そして、確実にそれをなくすだろう。
現われるものは消えるためにのみ現われるのだから。
現われてくる思考や経験を抑圧しようとしないことだ。
 ただ注意深くありなさい、そしてそれらをやって来させなさい。
真我探究は蛇が現われるのを奮起させる。
 警戒!警戒!

Q:どうして人々は「それ」を失くすのですか?

 それを得ることによってだ。手に入れたものは何であろうとあなたの真我ではない。何かを失くし
たのなら、それはあなたの本当の真我ではなかったということだ。それが失くなったということはよ
いことだ。
 真我はあなた自身だ。決して失うことはない。真理はあなたであるところのものだ。失うことので
きるすべてのものは真理の邪魔になる。思考や疑い、対象のように消えて行くものはすべて真理を隠
してしまう。
 人々が「手に入れた」と言う時、彼らが手に入れたものは誤解だ。間もなく、もちろん彼らはそれ
を失くしたと言うに決まってる 。それを失くすかもしれないと考えている人がそれを理解していると
したら、どんな理解も誤解にすぎない。
 本質は決して失われない。あなた「自身」を失うことはできない。それはただ「在る」ということ、
往ったり来たりするものではない。それは何かを達成するとか獲得するとかという問題ではない。
 あなたがあるように、あなた「自身」を知ることだ。以前はあなたは誰であるか知らなかった。永
遠でないものと一緒にいたかった。「失くす」という考えはマインドからやって来る。
 だから、何も達成しないこと。全人生であなたに押しつけられたすべての考えをただ取り除きなさ
い。ほんの1秒間でこの考えを取り除きなさい。
 あなた「自身」を真理にむき出しにしたら、真理はそれ自身であなたに姿を現す。そして、あなた
の本質を知ることになる。これが単なる「在ること」だ。
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

2/3
佛交露柱一同途 仏露柱(ろしゅ)に交じって一に途を同じうす
邪法此時難得扶 邪法此の時扶(たす)くること得難し
榮衒徒似作家漢 榮衒の徒作家の漢に似たり
佛法胸襟一點無 仏法胸襟に一点も無し

くま訳
仏は、露柱に交ってその場に居るのだ。
しかし、邪法では、何も助けることはできない。
名利を追うだけの者が、禪の師匠の真似をしているのだ。
奴等の心には仏法など微塵も無いのだ。
(´・(ェ)・`)b

993鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 00:31:45 ID:1d4drIFg0
何かを得れば、それは観念となり真我を見失うというのじゃ。
そして不安が起こるのじゃ。
心の平和でさえ囚われれば障害になるのじゃ。
全てを来て去るがままにしていれば消えて行くのじゃ。

994鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 00:33:41 ID:1d4drIFg0
それでよいのじゃ。

 仏は柱と同じ一つなのじゃ。
 邪法はこれを理解する助けにならないのじゃ。
 榮衒の徒は作家にも似ているのじゃ。
 しかし胸襟には仏法は一点もないのじゃ。

995避難民のマジレスさん:2021/12/05(日) 07:59:49 ID:9l8lNueg0
32.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-a②
獲得することで失う啓示

Q:真我と接触していると、もっとも美しい空間にいられる。それなのになぜ私はこれから抜けだす
ことを選んで、新しい映画を上映するための新しい劇場を創るのでしょうか?

 あなたが美しさの中に一人でいようと決めたときは海に波がないときだ。波のない充満性・完全性
を楽しんでいる。そして海が遊ぼうと決めたとき、この遊びの考えが波の形態をとって現れる。
 あなたが言っている映画はこの波だ。海は「波は海で波が海の上で踊っているにすぎない」という
ことを知っている。海は波によって困らされることもないし、むしろ喜んで楽しんでいる。
 そうすると、あなたの質問は、波のない海と、波のある海との違いは何かということになる。この
質問自体が波で、観念で、海ではない。それは波側の観念だ。この分裂についての質問は波にのみ属
する。
 海は決してこの質問をしないだろう。この観念は海から離れているという波の考えにすぎない。あ
なたは存在でありながら、存在から離れていると考えているにすぎない。
 波としては高さや長さや幅や動きを持っていると考えるが、これらはすべて観念だ。分裂は観念に
すぎない。この分裂を終わりにしたい波が海を探し始める。波が海を探している!?

Q:しかし、どのようにして海が波になろうと決めることができるのですか?

 それは完璧さだ。海は完璧だ。それが遊ぶと決める、その決定が波だ。これが意識だ。これが意識
だ。それがなにを考えようとも、それは意識のままだ。
 意識以外には何もありえない。違いと分裂のゲームは、ゲームがなかったのと同じことだ。何の変
化もない。波があろうがなかろうが海は海だ。意識は意識だ。形態をとって現れようが、現れまいが、
無は無だ。
 無の観点あるいは意識の観点、覚醒の観点からすれば、全く何の違いもない。何の変化もない。あ
なたが「それ」だと知ったなら、違いは消えてしまう。あなたは起こっていることから分離して存在
するものではない。
「それ」は決して無くなることはない!
 形態をとって現れるすべては初めから終わりまであなたの内なる波だ、あなたの真我の内で起こる。
あなたの真我から離れてあるのではない。「分裂」という観念にすぎない障害を拒絶しなさい。これ
やあれでなく総体でありなさい。
 あなたが決心したら、それはすぐに起こるだろう。あなたが決心しなくても、すべては同じであな
ただけが存在する。あなたの質問は「もし私が全体のこれであるなら、なぜ全体のあれがあるの
か?」と同じことだ。(笑っている) ただ、質問に触らないことだ!
  (´・(ェ)・`)
 (つづく)

詩曰  3/3
淫風家國喪亡愁 淫風家国喪亡の愁(うれい)
君看雎鶏在彼洲 君看(み)よ雎鳩(しょきう)彼(か)の洲に在り。
随列宮娥主恩夕 例に随って宮娥主恩の夕
玉盃夜夜幾春秋 玉盃夜々幾春秋ぞ

くま訳
昨今の風俗の乱れはひどい。亡国の憂いを禁じえない。
雌雄別々に暮す鶚(みさご)をみならえ。
宮城の夕暮れ、君主の寵愛を受ける女性が、ちゃんど順番を待っている。
夜毎の美酒に、どれだけの夜々を過ごしてきたことか。
(´・(ェ)・`)b

996鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 22:50:12 ID:1d4drIFg0
真我に接触したならば私はもう無いはずなのじゃ。
私があればそれは観念遊戯をしているだけなのじゃ。
真我と別のものになることはできないのじゃ。
それは海のようなものであるからのう。
波というものが存在するのではなく、ただ海の表面の乱れが波とよばれるだけなのじゃ。
そのように真我の海から独立した自己があるのではなく、心身ともに全ては真我の一部なのじゃ。

997鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/05(日) 22:53:20 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 詩に曰くなのじゃ。

 淫風の国家は亡くなる愁いも在るのじゃ。
 君は見るがよいのじゃ、雎鳩はかの州にあるのじゃ。
 列に随って宮娥は主恩の夕べなのじゃ。
 毎夜玉盃を重ねること幾春秋なのじゃ。

998避難民のマジレスさん:2021/12/05(日) 23:41:12 ID:yJrIMcOY0
33.
「真理のみ」 (原題 「THE TRUTH IS」)〜SRI H.W.L.POONJA
第6章 真我探求:私は誰か? ☆Part6-a③
獲得することで失う啓示

Q:もし「これ」や「それ」を取り除いたら、何もない空間に居ることになります。

 この何もないことを誰が騒がすのかね。この何もないことに入っていくと、何になるのかね?

Q:どのようにして海に留まることができますか?

 「どのようにして」と言う概念を使わないことによってだ。「どのようにして」は波にすぎない。

Q:「どのようにして」がなくなると海に留まるだけです。

 人々を困らせるのが「どのようにして」だ。そしてあなたが考え出すいかなる答えにもあなたは即
座に同一化する。あなたはあなたの考えるものになるのでどんな質問も取り除いたほうが良い。
 あなたは自由だと考えるとあなたは自由だ。あなたが苦しんでいると考えるとあなたは苦しむ。こ
れが意識の美しさだ。考えるとそれになる。どんな考えであろうとあなたが考えるようにそれは現わ
れる。しかもそれは「意識」のままだ。
 「意識」であるがゆえに外側からどんな材質も得る必要がない。それが「意識」というもので、す
べてが「意識」のうちにある。「意識」は完璧で、すべてを含んでいるのでそれが望むものは即座に
存在を顕す。そう、あなたが自由を望むなら即座に自由になることができる。
 この「自由」という思考は「束縛」という観念を取り除くために在る。自由であるためには「自
由」という観念をもてあそぶだけでよい。そうすると二つの観念、自由と束縛が終わりになる。あな
たはあなたのあるがままで何も変わらない。
 「自由」を使って「私はこの肉体、この心」という観念を取り除きなさい。そのときすべてが踊り
だす。これが自由というものだ。自由を味わったその人が踊るのだ。

Q:又、私は「それ」を失って6ヶ月たちます。私はどのようにして「それ」を取り戻すのかわかり
ません。

 しかし、なぜ又なのか? 又それを手に入れるならそれは一時的な何かで、又それを失くしてしま
うだろう。お腹が空いたので又食べるというようなものではない。
 一滴のネクターを味わったら一生涯、食物はもう必要ない。これが「それ」の一瞥だ。一億分の1
秒で十分だ。取り戻したいならそれを掴んでいようと望まないことだ。第一それは掴むことはできな
いのだから。
 それを保持しようと望まないことだ。もう一度それを取り戻したいと望まないことだ。単にそれと
一緒にいなさい。それは逃げ出すことができないのだから、逃げ出すと考えないことだ。
 それが消え去ることはない。それにハートを開いていたら、消えてしまうのはあなただ。あなたが
失われるのだ。蛾が炎に飛んで行くと何が起こるかね。消えてしまう。だから、あなたのハートのこ
の炎に触りなさい。
(´・(ェ)・`)
(おわり)

山居 二首 1/2
婬坊十載興難窮 婬坊じゅっさいきょうきわめ難し
強住空山幽谷中 強ひてくうざんゆうこくの中に住む
好境雲遮三万里 こうきょうくもさえぎる三万里
長松逆耳屋頭風 ちょうしょう耳にさからふおくとうの風

くま訳
遊里に十年通ったが、楽しくって窮めつくせない。
こりゃいかんと、強いて、山奥に住んでみた。
山奥なら、遠くまで見渡せる眺めのよいところでも、雲が眺めをさえぎってくれるだろう。
と、思ったがあまかった。高い松の木の枝を吹き抜ける風の音が、(有里の風の音と同じなのだ。)
気になっててしょうがないぞ。
(´・(ェ)・`)b

999鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/07(火) 00:19:03 ID:1d4drIFg0
悟っていない人は何もするなといわれれば、どのようにしてというのじゃ。
そのどのようにして、という問いがなくなればあるがままでいられるのじゃ。
何の問いもなくただいるだけでよいのじゃ。
全ての観念が消えて行くのに任せるのじゃ。
そのようにして主体が意識に現われてくるのじゃ。

1000鬼和尚 ◆Yj52hBkdLM:2021/12/07(火) 00:26:48 ID:1d4drIFg0

 それでよいのじゃ。

 山居なのじゃ。

 婬坊十年でも興楽は極められないほどなのじゃ。
 それでも強いて空山、幽谷中に住むのじゃ。
 雲が三万里も視界をさえぎるよいところなのじゃ。
 長松の頭を吹き抜ける風は耳に逆らうがのう。

1001避難民のマジレスさん:2021/12/07(火) 07:06:22 ID:VDH662kQ0
(´・(ェ)・`)b つづきは↓に
鬼和尚の仏教勉強会 講読ゼミ 6 - したらば
https://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/8276/1592867699/l50


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