したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

鬼和尚の仏教講読会 別館2

708避難民のマジレスさん:2021/08/17(火) 23:37:27 ID:ts4ClNsk0
502
大惠宏智揖讓圖 大ゑわんしいう讓の図
眉毛相結眼睛同 眉毛相結んで眼睛同じ
兩箇老禪機境融 兩箇の老禪機境融ず
力士鐵槌子房策 力士の鐵槌子房がはかりごと
憤心在博浪沙中 憤心は博浪しゃ中に在り

くま訳
大慧宏智恭しい挨拶の図
面と向って見詰め合っているのである。
二人の老師は、お互いに力量を認め合っていたのだ。
(宏智は、)張良が力士を暗殺者として雇い、始皇帝の車列に重さ30キロのトンカチを投げつけたような作
戦を実施したのである。
始皇帝の(ような大慧の)怒りの原因は、博浪沙でのこの一件にあるのである。

*大惠⇒大慧
*大惠宏智揖讓圖(胡建明先生解説抜粋):大慧が16年間の流罪を終え、1156年、勅命を受け、大刹阿育王 
 山広利禅寺に住持した。・・大慧は・・宏智へ挨拶のため、天童山に拝登しようとした。そのとき宏智が 
 大慧の上山を知り、弟子たちを連れて・・山道の途中で大慧を迎え、礼を尽した。という美談。
  (もともと2人は大親友だったらしい。)
*揖譲:1 拱手(きょうしゅ)して、へりくだること。古代中国の作法。2 天子の位を譲ること。禅譲。
*大慧宗杲(だいえ そうこう)1089-1163:宋代の臨済宗の僧。普覚禅師。仏日大師。
 曹洞宗に属した宏智正覚と、真の禅法をめぐって激しく対立した。宗杲は、公案を用いることによって言 
 語による思考を限界に追い詰め、そこに大きな疑問を抱えつつ坐禅して言語を超越した悟りへと向かうと 
 いう禅法を正しいものと認めた。公案を用いることによって言語による思考に大きな疑問を抱えつつ坐禅 
 し、その疑問を打ち破ることにより悟りへと向かうという、臨済宗の禅法を正しいものと認めた。宗杲は 
 曹洞宗の禪を「黙照禅」と呼んで批判した。
*宏智正覚(わんし しょうがく)1091-1157宋代の、曹洞宗の禪僧。
 正覚は、悟りという目標を設定することによって無明と悟りという二元論的構造が生じることを避けるた 
 めに、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自己完結的な禅法の中で本来具有している仏性が顕れ 
 るとした。仏性は本来的にすべての者に具有されており、坐禅すること自体が坐禅の目的であるような自 
 己完結的な禅法の中でその事実に気付くことこそが悟りの要であるとして、公案を用いない曹洞宗の禅法 
 を擁護した。
 宏智は臨済宗の禪を「看話禅」と呼んで批判した。
*機境:行者の根機こんき (素質能力) と観察(かんざつ)の対象のこと。
*子房(張良の字)(? - 紀元前186年)は秦末期から前漢初期の政治家・謀将。軍師として劉邦に仕えて 
 、劉邦の覇業を大きく助けた。
 始皇帝暗殺未遂
 秦に亡ぼされた韓の公族であり、祖国を滅ぼされた張良は復讐を誓い、屈強な力士を借り受け、紀元前 
 218年頃に始皇帝が巡幸の途中で博狼沙を通った所を狙った。方法は重さ120斤(約30kg)と言う鉄槌を投 
 げつけ、始皇帝が乗った車を潰すというものであった。しかし・・暗殺は失敗に終わった。

*くま質問
 大慧が始皇帝で、宏智が張良と譬えてると想定して解釈してみたのであります。実際に宏智が弟子を
 使って大慧に対して論戦を仕掛けたようなことはあったのでありましょうか?
 一休さんは面白がってる様であります。
(´・(ェ)・`)つ


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板