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現代人が納得できる日蓮教学

235犀角独歩:2005/10/04(火) 10:30:21

【215の訂正】

誤)深いな表現
正)不快な表現

【221の訂正】

誤)経題の説明だけ前科雷から通じて
正)経題の説明だけで前回から通じて

236犀角独歩:2005/10/04(火) 13:18:58

【235の訂正】

誤)「sabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)
正)「rsabha-『牝牛』…vrsa-『牝、男』…」(P410)

237犀角独歩:2005/10/04(火) 17:14:38

Pohさん

さて、先に法華経題に関する松山師の講義をやや紹介し、まあ、答えとしたわけで、逐一レスは長文になるからやめようという提案も賛成なのですが、何点か、コメントをしないと齟齬が生じることもあるので、最低限の部分だけ、レスさせていただきます。
まあ、書かないつもりでしたが、お互い一種の職業病でしょうか(笑)

> もし余計なお世話だったら、お詫びに今度ビールでもおごります(笑)

いえ、余計なお世話ということはなく、また、この前、ご馳走になりましたから、むしろ、お返しをするのはわたしのほうでしょう(笑)

> 3)……むしろインドから見れば、異文化・異民族の地であり人々

これは、そのとおりだと思います。
法華経制作者は、インドというか、実際に話題にしている場所を知らないのだろうと思います。その第一が霊鷲山の記述で、「万2千人」の弟子と一緒だったというわけです。
実際、わたしもインドに行っていないので偉そうなことは言えませんが、インドに四半世紀いた行明師に聞けば、本当に小さな山…、というより高台、丘のような場所で、そんな人数がいられるはずもないとのことでした。つまり、法華経創作者は、実際の霊鷲山ではなく、たとえば日蓮が「霊山浄土」などというのと同じような神秘化された別天地をイメージできる距離を置いた場所でイメージしたのでしょう。

> 6)…後代の加筆修正

この点は、一字三礼さんも触れられている点ですね。
むずかしい。まず梵語に関していえば、まったくこの点ではわたしはお手上げで、学者諸姉の研究を参考にするしかありません。けれど、可能性はあるだろうと思います。

では、漢訳はとなりますが、翻訳終わり次第梵本を捨て去る中華方式は驚く以外ありませんが、反面、そのため、以降の再翻訳・考証はできずテキストは固定化したというのが実際のようですね。ただし、日本で流通する妙法華も諸本ありで、端的な例を挙げれば、版を買って「大石寺版」とする妙法華(信者を馬鹿にするにも程がある!)は平楽寺版だと思いますが、実はこれは日蓮が使ったものとは違うとのことでした。

また、Pohさんもご指摘のとおり、27品が途中から28品になったわけですから、これは加筆というか、編集ありということになります。

> 商工業者の支持を得ていた

これは長者窮子の譬えなどからも法華経と貨幣制度=商工業の関係は窺えるでしょうね。今さらいうことではありませんが、シャキャムニの時代は貨幣制度は、発達していませんでした。お坊さんには嫌な顔をされるでしょうが、初期教団は、そもそも金銀財宝で供養を受け取ることを禁止していましたし、なにより、財産どころか、食物すら貯蓄することを禁止していました。それは原始釈迦教団の偽らざる実像でしょう。

> 法華経制作者集団の境遇に関しては、いまだ謎

まったくそのとおりですね。

238犀角独歩:2005/10/04(火) 17:15:24

―237からつづく―

> 崇高な精神、そして迫害に対するあの毅然たる姿勢、忍耐への決意、孤高なる殉教精神――それらはいったいどこからきた

ここは実に興味深い点だと思います。やはり西方の影響としか思えないのですが、この点では、しかし、根拠がありません。描写から読み取るほかありません。しかし原本から読み解きはあるのでしょう。

そのテーマはまさに救世主思想であり、終末思想であり、そして、殉教精神です。こんな考えは、旧来の仏教には見られないわけで、糸を手繰れば、菩薩から弥勒(マイトレーヤ)、ミトラ。このことは、ここでも議論されてきたことです。ところが、この弥勒を漢訳でいえば求名、岩本訳では「ヤシャス=カーマ(名声を欲しがる者)」(上 P51)というわけです。まあ、この名前は、弥勒に対してかなり辛辣であり、この弥勒信仰に対抗心を感じさせながら、しかも、摂取するという構えです。となれば、直接の流れであるとは言い難いことになります。はて、いったい、この創作者集団とは?と考えさせられます。実際のところ、法華経に出てくる菩薩のように、活躍した人々など、まったく存在せず、1から10まで完全の物語という可能性もあるのかもしれません。わからないところです。

> 「仏教の漸衰滅亡を示す言葉とそれを使ったロジック」は、少なくとも法華経の専売特許とまではいえない

これはもちろん、そうでしょう。第一、『大集経』があります。
正像末を考える基礎理論は、後天的な年限指定(50年、100年、500年、1000年)のほかに、もう一つ要素があります。いうまでもない教・行・証です。まあ、この点は追って記そうと思います。

> 習合に習合を重ね、また「ええとこ取り」することなど当たり前で、要は「何でもあり」

これまた、しかり。ごもっともです。

> 法華経梵本に見られる「仏教の漸衰滅亡を示す言葉…時代の流行……「憂い」「鬱憤」…上座部の優位…干渉・排除に対抗する大乗教団共通の論法

ここのところは実に難しいところですね。
いずれにしても、先行勢力に対する抗いを感じます。
非常に穿った言い方なのですが、このようなロジックを使う集団にとって、それ以前の教え(法)と集団は滅んでくれないと自分たちの優位がないという仕組みもあるのではないでしょうか。

これは、特に富士門系教学でも同様な点です。「白法隠没」とか、像法の仏に代わって、久遠本仏=日蓮が現れるとかいう論法は、要はそれまでのものは滅んだ、だから自分たちだという極端なご都合主義で一貫されています。わたしはこのような姿勢にはまったく反対で、法華経のなかでも法滅尽で一貫しているのではなく、独り寿量品では、五百塵点劫のさらに今後2倍の寿命を有する仏がここ娑婆世界で「常住此説法」するというのであって、末法どころの騒ぎではないわけです。ところが寿量品が肝心だと言いながら、法滅尽だというわけです。いったい、何を言っているのだというのがわたしの思いです。この極端な矛盾が平然と無視されて、やれ末法だというのは、どうにもわたしは納得がいかないわけです。

239犀角独歩:2005/10/04(火) 17:17:04

―238からつづく―

しかし、わたしなりにこの点を読み解けば、ここで末法と仏の霊山常住と地涌菩薩の娑婆弘教を整合させるのは、何かといえば、肉体が滅びたように見せかけた如来が永遠に住み続ける場所は娑婆は娑婆でも、霊山限定であり、ここばかりは、何が起きても絶対に壊れない限定地域、何故ならば如来がいるから。しかし、他の娑婆は違う、そこで菩薩は法を弘めろという、教えは模倣を通り越して、もはや潰えている、陸続きの神秘の聖地・霊鷲山とは違ういうコンセプトに基づいているのだろうと、考えます。

これは岩本師がよく指摘していたことですが、古来の楽園というのは、それがエデンであっても、桃源郷であっても、いま踏みしめている大地の延長にあったというのです。原形の極楽も同様で、西方極楽十万億土といっても例外ではないということです。「霊山浄土」といったところで、他次元のどこかとか、宇宙の最果てとか、にあるなんて考えていたのではなく、中国を越え、インドにある霊山をイメージしていたのでしょう。しかし、それは、現代のわたしたちが交通機関を使って気軽に行けるイメージではなく、たとえば、『西遊記』に登場する天竺のイメージです。大地が方(四角)でその四つの角・方角が東西南北だと信じられていたとき、その中央に聳える霊鷲山は、五百由旬の宝塔(いったい、どれほど巨大なのか?)が東方に立っても、西方の端に釈尊が結跏趺坐し、その前に1万2000人の弟子が悠々と控えられる立地条件のイメージです。足踏む大地の延長にあっても、そこを「ガンダーラ」(ゴダイゴ)と歌われたようなマジカル・ワールドとして、想像されたのでしょう。いや、それ以上であったでしょう。
(この歌を主題歌にした連続ドラマの西遊記は孫悟空を若き堺正章が演じ、夏目雅子が玄奘三蔵というものでした。Pohさんは、これを記憶している世代でしたか? 議論とは関係ないですが)

いまだ霊鷲山を見たこともなく、イメージを膨らませた創作者が、決して行くことのできない霊山を夢想し、自分の踏みしめるあまりに理想と違った大地=娑婆弘教を考えたという現実が、創作に当たってあったのではないでしょうか。

しかし、地域差、時代差意識は、釈尊の謦咳にかかった弟子が正しく教えを仏自身から拝受(正法)できたのとは違い、滅後伝えられた段階では模倣(像法)に過ぎず、(法華経を作っている段階ですから)経典も存在していない時点で、法滅尽の嘆き(末法)です。それでも、お釈迦様ははるか遠くのマジカルワールド(=仏国土)霊鷲山で法を説いているのだという夢想がパラレルに交叉しているように思えます。

> …如来の滅後、後の五百歳…女人…是の経典を聞いて、説の如く修行…命終…安楽世界…阿弥陀仏…蓮華の中の宝座の上に生ぜん…薬王菩薩本事品第二十三

安楽とは極楽の旧い漢訳語で意味は、もちろん、極楽と同じですね。
この件を説明する日蓮門下教学は苦肉で、「いや、これは浄土宗、念仏宗が言うのとは違うんだ」とかなんとか言いますが、何も違わないでしょう。要は法華経と浄土教は近親関係にあることは動かない事実です。この経典が成立した時点で、法華宗、浄土宗もなかったわけです。いま、これは区別するのは宗派を分かち、争う愚かさの延長以上の意味はありません。

240犀角独歩:2005/10/04(火) 17:17:30

―239からつづく―

> でも「五百歳」……「500」という数字…インド人にしては…具体的かつ短すぎる

ところが原文では

「偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサットヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間」

と、500年どころか50年となっています。もっと短いわけです。この点は、あとでPohさんも指摘されていますね。わたしがこのことに気付いたのは、もう5年も前のことでした。500年説に拘る人はこの点に猛烈に反発しますが、50年だろうが、500年だろうが、仮に1000年、2000年だろうが、Pohさんが仰るとおりで、寿量品で五百塵点劫已来の結縁をいうスケールからすれば、ほんとにちっぽけな話ということになります。

何故なんでしょうか。この時間のリアリティは?
やはり、わたしには、経典創作者が自分たちの時代を特定するために、斯くなったのだろうと思わざるをえないわけです。

しかし、もう一つ、理由が考えられます。それは、岩本師が指摘するインド人の完全数信仰です。現代でもラッキーセブンといった数への信仰がありますが、法華経のなかで「五百」という数字は何故か乱発されています。ざっと検索で拾うと以下のとおりです。

五百人、五百由旬、其数五百皆当授記、五百万億諸仏世界、五百万億諸国土中、五百万億国土、五百万億諸梵天王、南方五百万億国土、五百弟子受記品、五百阿羅漢、五百比丘、五百自在、五百阿羅漢五百千万億那由他、五百菩薩、五百比丘、五百之衆、後五百歳

なんで「五百」なのでしょうか。現時点では決していません。

…以上、Pohさんの書かれた長文から抽出して出来る限り、短くコメントしましたが、やはり長くなってしまいました(笑)

わたしは法華経の解読というのはPohさんも試みられたように、その文中のキーワードから背景を探り、書き手の心象風景を追体験することからはじめたほうが、天台釈より、よほど正確だと思います。一念三千は止観禅の時のイメージトレーニングに過ぎません。心が3000ばかりカテゴライズできるはずもないことは当たり前のことです。まして、それが生命の実相ではあるわけもありません。だいたい、『sddharma-pundarika』にはそんなことは説かれていないわけです。

この現実から直視しなければ、法華経は現代に生きるわけもありませんし、日蓮の精神も「天動説」の類の非科学性と共に、それこそ隠没してオシャカになってしまいます。
これは日蓮法華を担ぐ集団に対する揶揄ではなく、現実を直視なければ、本当に終わってしまうという警鐘です。

まあ、そんなわけで、時にはビールを酌み交わし議論もするのは大賛成なのですが、言語音声はその場で即座に消え去ってしまいます。ですから、ここに書き留めておくことが必要かと思うのです。共に書き残していただければ、有り難く存じます。

241古池:2005/10/04(火) 23:39:00

独歩さん

大変有難うございます。

「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べているということでしょうか。
また「アグラ・ダルマ」というのは「最高の法」ということでしょうか。
そして、寿量(無量か?)の白蓮華である釈尊の説かれるアグラ・ダルマが「妙法蓮華経」ということでしょうか。

詳しく記して頂いた内容が十分に理解できておらず、間違っていましたら訂正致します。

242犀角独歩:2005/10/05(水) 10:52:31

*先の投稿の訂正
霊山参集の弟子を、わたしは「万二千」と記しましたが、これは、なんとも基本的な間違いでした。実際は「…与大比丘衆。万二千人倶。皆是阿羅漢…学無学二千人…与眷属六千人…菩薩摩訶薩。八万人…菩薩摩訶薩。八万人倶。爾時釈提桓因。与其眷属二万天子倶…万二千天子倶…若干百千眷属倶…王。各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶…各与若干百千眷属倶。韋提希子阿闍世王。与若干百千眷属倶…」(序品)という総数でした。


小池さん

232〜236には、松山俊太郎師の講義を紹介したもので、いわば師のお考えということです。その点を押さえて、以下ご質問にお答えします。

> 「サダルマ・プンダリーカ」(妙法白蓮華)というのは「釈尊」自身のことを比喩的に述べている

毎回、松山師が仰ることなのですが、『Saddharmapundarika』という経典の最たる特徴は、この経題の意味が本文中に何ら説明されないということだと言います。
しかし、その前提で、見宝塔品にいう saddharma-pundarika は釈尊を指しているというのです。現段階で、講義は同章(品)に及んでいませんので、師が言う詳しい意味はここにご紹介できません。

わたしの個人的な意見を述べれば、果たして、そう言えるのだろうかという疑問があります。故に該当部分の講義を待っています。

岩本師直訳で読み限り、「正しい教えの白蓮」はあくまで、経典そのものを指すように思えます。そして、全編を通じて、言えることは、では「正しい教えの白蓮」という経題がどのような意味なのかという点は本文中には結局、記述されていません。

なお、小池さんが「白蓮華」と記されたのは、当を得たことで、松山師自身、「白蓮華」としたほうが適切であるけれど、音韻の調子の関係で敢えて、羅什は「蓮華」としたのだろうと語っていました。

釈尊自身を比喩的に語るのは、やはり、方便品に羅什が「慧日大聖尊」と訳した naraditya 、岩本訳「人間の太陽」のほうと思えます。

> 「アグラ・ダルマ」…「最高の法」

まあ、そのような意味となるかと思います。先に紹介したとおりです。

> 寿量(無量か?)

寿量と無量(寿)は近親関係にありますが、違います。寿量品に説かれる如来の寿命は五百塵点劫已来の時間にその倍した長さであると限定されています。日蓮・門下教学ではこれを無始無終と解釈しますが、原文を忠実に読めば、釈尊の如来としての寿命は有始有終です。まあ、こう書けば門派教学に拘泥する方は反論するかも知れません。しかし、そのようなことは梵本原典とは関係ありません。わたしは、岩本師が

「翻訳の結果が、宗教的にどのような問題を惹起するかという点も、訳者(岩本)は考慮しなかった。直裁に言って、現在の日蓮教学も天台教学も『法華経』のサンスクリット語原典とは直接の関係がないのであり、また宗教的に自由な立場に立つ訳者としては、これらの教学の依拠する羅什訳のみを重視することはできない…特定の立場からの批判に耳を籍す考えもない」(上『あとがき』P441)

という態度に全面的に賛同します。しかしながら、岩本師が「訳文に不満な人があるならば、みずから全文を平易に口語訳して江湖に訴えられるとともに、訳者に無言の教示を垂れていただきたい」(同 P442)という点に就き、現在、松山師が、福神研究室・上杉師、渋澤師の全面バックアップの元、その偉業を為しつつあることに深い敬意を表するものです。惜しむらくは岩本師が既に鬼籍に入ってしまったことです。

243犀角独歩:2005/10/05(水) 10:53:06

―242からつづく―

> 白蓮華である釈尊

白蓮=(地上の)太陽=釈尊 という図式は、松山師の講義の基本を為しているように、わたしは感じます。ただし、pundarika は saddharma なので、これを直ちに釈尊としてしまうのはどうなのだろうかという思いがわたしにはあります。

> アグラ・ダルマが「妙法蓮華経」

このご質問に応える前に、やや細かい点なのですが、よく見聞する一つの誤解を記します。妙法蓮華経、もしくは正法華経は、サダルマ・プンダリーカ・スートラを訳したもので、

サダルマ=妙法、正法:プンダリーカ=蓮華:スートラ=経

という考えが流通しています。しかし、『法華経』の岩本師の解説を読めば直ちに了解されることですが、「『法華経』のサンスクリット語原典の題名は Saddharmapundarika」(上『解題』P408)であって、スートラに該当する語はここに見えません。

法と経の同一視は、日蓮教学においても深刻な誤謬であるとわたしは考えています。
法は法に違いありませんが、経は経典以外の何ものでもないからです。

また、「agradharma 、また、saddharma が妙法か」と問われれば、わたしはもちろん「違う」と答えます。
確認していませんが、松山師は「妙法」という漢語は、法華経以前に漢訳された増一阿含に既に使用されており、それを羅什が転用したもの。ただし、増一阿含における「妙法」には agra という「択一された最高の」というような意味合いはない、羅什はこの「妙法」を転用するに当たり、換骨奪胎して、agra の意をはらむ sat に相当する意味を持たせたといいます。

先行して出来上がった詩偈の部分に用いられる agradharma が、では、なぜ、散文を付加した次の制作者は saddharma さらに saddharma-pundarika としたのかという点について、答える能力をわたしは有しません。また、松山師の講義でもその言及は今のところありません。

agradharma の用法は、パーりー語文献の古層に既に見られるといい、agrabodhi という用法も挙げていました。法華経に、この agrabodhi が使用されているのかどうかは、聞き漏らしましたが、当然の対応として、agradharma によってもたらされる悟りは agrabodhi ということになると思うのですが、実際のところ、法華経では annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)が使用されているわけです。この点の意味を理解することもわたしの課題となっています。

あと、釈尊は法華経で「正しい教えの白蓮」を説いたというのが、最終的な編集の落着ですが、では、この「正しい教えの白蓮」が、法なのか、経なのかというのは、実に悩ましい問題であるとわたしは考えます。

先に eka-pundarika の例を松山師が挙げたことを引きましたが、これは白象に付けられた名前であったわけです。
では、Saddharmapundarika とは何かと言えば、これはこのお経(経典)に付けられた題名だということです。題名は法でありません、名前です。

法華経の一つの特徴は、舎利信仰、または仏像信仰というものを肯定しながらも、それを超える経典信仰、さらには経典塔(経典を祀る仏塔)信仰を鼓舞している点にあります。つまり、聖典信仰という文字で書かれた書物そのものを崇拝する信仰という特徴をもっているわけです。このことを考慮すると、、本文中、繰り返し言われる Saddharmapundarika は正しい教え(法)というより、経典を指すとも思えるわけです。そして、経典=釈尊というコンセプトによって、それが肯定され、さらに経典塔も仏塔であり釈尊そのものという理論展開がここにあるのではないのかと思えるわけです。こう考えると松山師が saddharma-pundarika は Sakya-muni である、すなわち、経典(塔)=釈尊という図式で、謎が解けます。

まあ、出版書籍の宣伝行為のような話と書けば、不謹慎に響くかも知れませんが、わたしはこの線は考えている一つの側面です。

答えにならず、却って疑問を増すようなレスで恐縮です。

244犀角独歩:2005/10/05(水) 12:24:28

自己レスです。243に

> 『法華経』のサンスクリット語原典の題名は Saddharmapundarika

という岩本師の記述を引用したのですが、いま顕正居士さんのサイトから梵本法華経にジャンプしてみたところ、ここでは saddharmapuṇḍarikasūtram となっていました。
梵語が読めないわたしには、どちらが正解なのかわかりません。
この件は保留とします。どなたかご教示いただければと思います。

245犀角独歩:2005/10/05(水) 17:57:56

羅什というのは、一体、何を基準に数字を翻訳したのでしょうか。
それとも羅什が見た梵本と Saddharmapundarika,ed.by H. Eern and B. Nanjio, St.-Petersbourg 1912(Bibliotheca Buddica X)(『法華経』上・岩波文庫 P5)とは、記載が違っていたのでしょうか。

もっとも納得がいかないのは冒頭の数字で、羅什訳では「与大比丘衆。万二千人倶」で、岩本訳では「千二百人の僧と一緒にいた」(同 P9)で、いちおう Kern 訳を見ると「with a numerous assemblage of monks, twelve hundred monks」となっています。

http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot01.htm

以下、羅什訳の妙法華と「正しい教えの白蓮」の数字訳の比較です。

衆生………………………………………………序品………いわれ
比丘/僧……………………………………………12,000/_1,200
学・無学/学習中・学習完了……………………_2,000/_2,000
比丘尼眷属/尼僧…………………………………_6,000/_6,000
菩薩/求法者………………………………………80,000/80,000
諸仏供養/仕え…………………………………無量百千/幾十万
菩薩/求法者………………………………………80,000/80,000
釈帝眷属/シャクラ従者…………………………20,000/20,000
天子/天子…………………………………………20,000/20,000
四大天王眷属/従者………………………………30,000/30,000
梵/天子衆…………………………………………12,000/12,000
竜王眷属/従者………………………………………百千/幾十万億
緊那羅眷属/キンナラ従者…………………………百千/幾十万億
乾闥婆眷属/ガンダルヴァー=カーイカ従者……百千/幾十万
阿修羅王眷属/アスラ王従者………………………百千/幾千万億
迦楼羅王眷属/ガルダ王従者………………………百千/幾千万億
阿闍世王眷属/<記載なし>…………………………百千/<記載なし>

(上記の表形式のカタチが崩れる際は、Ineternet Explorer の[ツール(T)]、[インターネット オプション(O)]、[フォント(N)]、[Web ページ フォント(W)] のフォント種類を‘MS P〜’を‘MS〜’に変更すると、崩れずに閲覧できます)

246Poh:2005/10/05(水) 21:56:26
一字三礼さん
犀角独歩さん

ご丁寧なご返答ありがとうございます。
ところが私、実は今ちょっと仕事が立て込んでおりまして、書き込みの時間がとれません。
追って、改めてじっくり再読の末、返レス等させて頂きますので、
どうか私に構わず(構ってないか?……笑)ご議論を先におすすめ下さいませ。
私は後から遅れて、マイペースでやらせて頂きます。ご面倒おかけして、まことに申し訳ありません。

今日のところは、お礼のみにて失礼させて頂きます。どうもありがとうございました。
それではまた。

24701:2005/10/05(水) 23:07:18
うーん、独歩さんはまたかっとんでいますね。

248一字三礼:2005/10/06(木) 00:06:28

犀角独歩さん

松山師の「蓮と法華経」私も拝読しました。

師は伝統的解釈から離れて、インド文化や言語から大変自由に、本当に原典から法華経を読み解いておられ、とても刺激を受けました。

ご紹介くださった、松山師の法華経成立説、saddharma-pundarikaについての解説、とても興味深く読ませていただきました。もちろん一読ではとても理解できませんが。

松山師が「蓮と法華経」の中で、「釈迦如来=太陽・白蓮華・ヴィシュヌ」に対比させて「多宝如来=大地・紅蓮華・ラクシュミー(シュリー)」と考える発想はとても面白いのですが、些か疑問も残ります。それについては、少し考えをまとめてみたいとおもいます。

松山師の法華経講義、私もぜひ拝聴してみたいです。


仏弟子の数について

ウルヴェーラ・カッサパとその弟子500人+ナディー・カッサパとその弟子250人+ガヤー・カッサパとその弟子200人+サーリプッタとモッガラーナとその弟子250人(サンジャヤの弟子)で計1200人とするのが一般的です。

他にもウパセーナとその弟子250人とかシャカ族の500人とか盗賊さん達500人とかいるんですけど、それらは割愛されるんですね。

さて、次に少し気になっていた薬王品について書かせていただきます。

249一字三礼:2005/10/06(木) 00:07:31

薬王品の焼身供養について

薬王品に説かれる、薬王菩薩の前身である一切衆生喜見菩薩の焼身供養の件は、法華経中でもっとも異質で不

可解なものである。
これは明らかに仏教外文化の影響あろうと推測される。

法華経で尊ばれる行為は、五種法師(+六度)、法華経崇拝などで、さほど奇抜なものではない。
しかし、薬王品では、焼身自殺を絶賛するのである。

菩薩が身を焼いた後に八十億恒河沙世界の諸仏が同時に、

 「善哉善哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名く。若し華・香・瓔珞・

  焼香・抹香・塗香・天・・幡蓋及び海此岸の栴檀の香、是の如き等の種々の諸物を以て供養すとも、及ぶ

  こと能わざる所なり。仮使国城・妻子をもって布施すとも、亦及ばざる所なり。善男子、是れを第一の施

  と名く。諸の施の中に於て最尊最上なり、法を以て諸の如来を供養するが故にと。」

一切衆生喜見菩薩は、このように身を焼く行為により、「解一切衆生語言陀羅尼」と言いう法門を得たのであ

る。これら一連の記述は法華経の中では浮いている。

我身を焼く事に重要なものを得るという発想は、他のインド宗教文化にもある。
「マハーバーラタ」にある羅刹王の息子・ラーヴァナ(十の頭を持つ者)が自らの願いを叶える為に千年の修

行をし、頭を次々に切って火にくべる。その苦行を嘉し、世界の主・梵天はラーヴァナの望みを叶えてやると

いうものである。
しかし、この説話ではラーヴァナは火中にくべた頭を全て元に戻してもらっているし、焼身で死んでいるわけ

ではないので、この話はどちらかといえば一切衆生喜見菩薩が両肘を焼く話のほうに類似をみるかもしれない



では、焼け死ぬ事に意義を見出す、もしくは焼け死ぬことによって何かを得るという発想は何処にその淵源が

あるのかと言えば、私はギリシア教ではないかと思う。

250一字三礼:2005/10/06(木) 00:08:26
つづきです。

ギリシア教のヘーラクレース(ヘラによる栄光)は、その名の示す通り女神ヘラのダクテュロス(専属崇拝者・信仰者)的な存在であった。
彼の死期が、その妻デイアネイラの嫉妬により決定されたものであったとしても、オイテ山上に築いた火葬壇には、自らすすんで望んだ。ヘーラクレースは火葬により母・アルクメネから貰った死すべき人間の身体だけを焼いて、父ゼウスからの肉体だけが残り、若返り、ほとんど子供のようになってオリュンポスの神々の中で復活を遂げる。

「ヘーラクレースの骨探しの光景は、ある陶器画の巨匠や、それ以前にはサテュロス劇詩人が不朽の作品を残している」(ギリシアの神話―英雄の時代)

ヘーラクレースは焼身自殺をすることによって、ほとんど子供のようになり、死すべき定めの英雄であったのがオリュンポスの神々に迎えられ不死を得た。

この伝説はギリシアのみならず、広くユダヤ文化圏にまで伝播している。

ヘーラクレース崇拝が初期キリスト教に与えた影響は極めて大きく、いかに評価しても評価しすぎることはないと言われる。
聖パウロの生地タルススでは、火に焼かれて死ぬヘーラクレースを扱った奉納劇が、再三再四定期的に上演されたのであり、したがってパウロは、ヘーラクレース流の殉教者のように、わが身を捧げて火で焼かれるという行為には、人間を救済する力があると考えていた(『コリント人への第一の手紙』第13章 3節)。

アフガニスタンで、ヘーラクレースとデメテルを脇持とする釈尊のレリーフが見つかっているし、ヘーラクレースのシンボルであるネメアの黒獅子を頭から被る意匠は、「獅噛(しかみ)」と呼ばれ、愛染明王像や12神将像に使われている。

これらの事から、ヘーラクレースのダクテュロス的な焼身という殉教行為と一切衆生喜見菩薩の焼身供養には類似点が見出されるのではないか。

251犀角独歩:2005/10/06(木) 11:30:51

一字三礼さん

焼身に関するご論考、たいへんに興味深く拝読させていただきました。また、非常に説得性を感じました。

焼身というと、わたしはいつも二つのことを思い出します。一つはサティーであり、一つはベトナム僧の焼身供養です。両方ともわたしは批判する気にはなれない反面、しかし、肯定するには痛ましすぎるという感情が先行してしまいます。

以上は余談となりますが、この焼身と言うことが、インド共に「再生」を意味していることに目が惹かれました。荼毘という習慣が、一体、どこにそのルーツがあるのかという点で、わたしはまるで知識がありません。たしかに法華経に該当記述は、異文化を感じさせるものだと思いました。

なお、松山師の講義について、もしお聞きになりたいとお考えでしたら、よろしければ、メールをお寄せください。お力になれるかも知れません。

252乾闥婆:2005/10/06(木) 16:40:56
焼身供養されたベトナム僧クアン・ドゥック師について、最近、宮内勝典『焼身』(集英社)という本が出版されております。小説ともルポルタージュともつかない、風変わりな作品ですが、私は面白いと思いました。私はメール・マガジンで書評を書いていまして、取り上げたことがあります。http://back.honmaga.net/?eid=222591やはり焼身供養の根拠として薬王菩薩本事品が示されています。宮内氏は仏教者ではなく小説家ではありますが、オウムの問題に取り組んだ『善悪の彼岸へ』(集英社)なども出しております。

253古池:2005/10/06(木) 22:57:44
独歩さん

242−243
大変有難うございました。
まだ十分に理解できないところが多く難しいです。

243で
>agradharma によってもたらされる悟りは agrabodhi ……法華経では annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)が使用…。この意味の理解が…課題
と記されていますが、「サッダルマ・プンダリーカ(妙法白蓮華)」を信受すれば、annuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)という悟りが得られるのだと思いますが、
独歩さんがannuttara-samyaksambdhi(阿耨多羅三藐三菩提)の意味の理解と言われるのは、通常の語句の理解というような意味合いではないと存じますので、どのような問題意識
なのか教えて頂けますでしょうか。

254犀角独歩:2005/10/07(金) 01:14:28

乾闥婆さん、書評、たいへんに素晴らしいものでした。『焼身』を是非読んでみたい欲求に駆られました。有り難うございました。

255犀角独歩:2005/10/07(金) 01:33:43

小池さん

わたしは表現が違えば、それは意味も微妙に違うという、そのわずかな差に拘ります。
たとえば、「綺麗」と「美しい」は似た言葉ですが、その意味には差があります。

ですから、羅什がどこまで訳分けているかは、その実際を示せませんが、saddharma と padma を同じ蓮華と訳してしまうのは納得がいきません。

同じように、agradharma と saddharma の違いはどのようなものであるのかを正しく理解したいと思います。また、単独でいう saddharma と saddharmapundarika という場合の、punadarika 差を知りたいと思います。

同じように、annuttara-samyaksambdhi と agradbodhi の差も明確に知りたいと考えています。

しかし、残念ながら、今のところ、その差異を明確に論じられる能力を有しません。これは今後のわたしの課題です。

なお、法華経にいう阿耨多羅三藐三菩提と無量義経のそれとの相違、また、乃能究尽諸法実相という際の差異も、よく考えてみたいと思っています。

ただし、以上のことは、現段階では「こうである」と即断することは取り敢えず、保留としたいと思っています。

256古池:2005/10/08(土) 06:58:12
独歩さん

おはようございます。
255 大変有難うございます。

独歩さんのプログ(2005.6.8)の松山先生の講義メモ拝見致しました。
その中で、
>・南無妙法蓮華経は中国でも言ったが、後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。
>・元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。
>・シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった。
につきまして、出版も予定されているので、可能な範囲でよろしいですが、もう少し教えて頂ければありがたいです。
特に、南無般若波羅密というのは、お題目のような意味合いなのでしょうか。

257犀角独歩:2005/10/08(土) 07:48:59

小池さん

松山師の講義を当日書き留めたメモをアップしているもので、その詳細はご本人にお聞きしないとわからないという前提で、ですが。

>後期般若経にも「南無般若波羅密」とある。…お題目

「題目」というのは、現代で言えば、題名ということです。もっと正確に言えば、お経の題名=経題です。その妙法蓮華經という経典の題名に「南無」を関して唱えたことから、やがて、唱題、お題目という語が定着していったのだと思います。
特に、阿弥陀仏の名前を称えることを称名というのが、本来は称名念仏というセットだったのが、頭だけ取れて、「お念仏」と言っても、実際には口で称えることを意味するようになったように、語彙使用の変遷があるのだと思います。


南無は帰命、般若は智慧、波羅密は漢字度文字で書けば「度」で、日本に定着した言葉で言えば彼岸、より正確に言えば到彼岸で、此岸に対する語でした。要は迷いのこちらの岸から、覚り(度)の彼(向こう)岸に到るということですから、覚りに至れる智慧に帰命するほどの意味で、現在、行われる唱題(=お題目行)のようなものとは、違うのではないのかとも思えます。しかし、正確なところは、調べておりません。

>元来、仏教では複数仏が想定されていたが、ニカーヤ以降、一仏となっていった。

どこから説明してよいか悩みますが、釈迦仏(陀)、釈迦牟尼世尊、釈迦如来、などの尊称、buddha(仏陀)、bhagavat(世尊)、如来(tathagata)等は、特に仏教固有の尊称ではないわけで、また、釈尊自身、新宗教の教祖という自覚はなく、バラモンという精神風土のなかで自分を自覚していたわけでした。つまり、バラモン教という範疇のなかで Buddha(目覚めた、覚った)という自己認識であったと思います。そんなことから、初期の段階では、仏というのは釈迦一仏に限っていたわけではなかったのが、時代を経るごとに一仏統一の方向に動き、そこから、また、複数の仏が生じ、また一仏統一という方向に動くという経緯があったわけです。その過程で既にニカーヤ(阿含)の段階で一仏の方向が見られるということを松山師が仰ったのだろうと思います。

>シャキャムニが「町の中で説いたかどうかわからない」ということがわかった

いったい、釈尊の説法とはどのように行われていたのかという疑問に発したものであったと記憶します。
法華経で言えば、霊鷲山で説法したなどというわけですが、では、実際のところ、釈尊が説法するというのは、どんなふうであったのか。今で言えば、寺院があって、その中で、聴衆を前にして、坊さんが語るわけですが、あんな感じではないでしょう。要するに、こんな基本的なことがわかっていないということです。また、釈尊は弟子に語ったのか、王族、長者に弟子共に食事に呼ばれて、そのあとに、そのように供養した特定の人に語ったのか、弟子に語ったのか、また、不特定多数の人がいる町中で語ったのか、そのようなことは、改めて考えてみると、まるでわかっていないではないか…、ということを、改めて、梵本を読み直してわかったと松山師が語ったことでした。

258古池:2005/10/08(土) 10:02:23
独歩さん

257大変有難う御座いました。

>「講座・大乗仏教4ーー法華思想」(春秋社、1983年)に収められた「大乗仏教における法華経の位置」のなかで、平川彰氏は…「仏教思想を空の系統と有の系統に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう」(同論文)…。「法華経が有の立場に立っていることは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度」(同論文)なのであり、それは、「法華経が「信」を重視することにも関係がある」(同論文)という。…
とネットで引用されている部分を見て、法華経は空を前提にしていると思っていたものですから少し驚きました。

259犀角独歩:2005/10/08(土) 12:07:17

古池さん

平川説のご紹介、有り難うございました。
わたしは法華経の最大の利点は、著名な法師品の「会座室の三軌」と言われる整理だと思っています。

如来室者。一切衆生中。大慈悲心。是如来衣者。柔和忍辱心是。如来座者。一切法空是。
(如来の居室とは何か。すべての人々を憐れむ心の状態が如来の住居である。そこに良家の息子は入るべきである。…如来の衣とは何か。非常な忍耐をする心の穏やかさが如来の衣である。かの良家の息子あるいは娘は、それを身にまとうべきである。…如来の座とは何か。すべてのものは「空」であるという考えに入ることが如来の教えの座である。かの良家の息子はそこに坐るべきである『法華経』中・岩波文庫 P159)

以上のことから、法華経は空の思想を重要視していると思います。
平川師がいう「有」とは何を指すのかよくわかりませんが、仏教学の見地であるとすれば、「有部」の流れという意味なのでしょうか。それとも「無我」に対して「有我」のことをいうのでしょうか。ご紹介の部分だけでは、解しかねます。

先のご紹介した講義の折、松山師は「法華経でも頻繁に経典名を挙げるが100回程度。ところが般若経では「波羅密」が1700回も出てくる」('05.6月度講義)と話されていました。メモだけに不正確なのですが、言うところの般若経とは、大乗経典の最初に成立した『八千頌般若経』で次が『法華経』であるというのが、松浜師の考えなので、それを指すのだろうと思います。「波羅密」は般若波羅密のことと思え、ならば如来智・空が1700回も繰り返し論じられているという意味になるのでしょうか。以上の点は経典を捲り確認したことではありませんが、もしそうであれば、空を強調する頻度は、法華経を遙かに上回るということになります。しかし、だからといって、法華経が「有」に属するとするのは、どうも合点が生きません。

いずれにしても各師の諸説は学術的な現代進行形のものですから、それが確定であると見れば、すぐに時代遅れになります。常に最新の確実な資料を求め、自分の固定観念を書き換える作業が必須です。また、諸説はしかし、時系列で見て、最新のものが常に正しいとは限らず、後退もあります。さて、平川師の指摘は、どちらに該当するのか、慎重に考えてみたいと思います。

いずれにしても、資料のご呈示、有り難うございました。

260犀角独歩:2005/10/08(土) 12:39:31

【259の訂正】

誤)松浜師
正)松山師

261古池:2005/10/08(土) 13:28:14
独歩さん

259 大変有難う御座います。
おっしゃる通りと思います。平川師の説は抜粋部分だけなので、一度よく師の書籍にあたってみます。
更に最近の資料にも目を通してみます。

262乾闥婆:2005/10/09(日) 00:44:02
古池さん、犀角独歩さん。該当箇所を以下に引用します。

引用開始
仏教思想を空の系統と有の系統に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。法華経の前半の「一乗」の思想にしても、後半の「仏心常住」の思想にしても、「実在」に立脚する思想である。そこにはまだ「仏性」が明確に打ち出されてはいないが、発展すればこの思想になっていくものと考える。(中略)
 法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。法華経には随処に「信」について説いているから、それらを検討することによって、法華経の信の性格を明らかにする必要がある。
 法華経が有の立場に立っていることは、法華経に「空」の教理がきわめて少ないことからも考えられる。法華経には、空の思想は断片的に見られる程度である。たとえば信解品に、四大声聞が声聞としての自己の悟りを述べる一節に「但だ空・無相・無願を念じ」とあるが、ここに深い意味は認められない。つぎに「薬草喩品」に、如来が「一相一味の法」を知ることを説明する一節に「終に空に帰す」とあり、さらに偈頌の中に「諸法の空を聞いて、心大いに歓喜す」とあるが、両者ともにその空の説に特に重要な意味は認められない。さらに「法師品」に法華経を法師が、「如来の室に入り、如来の衣を着し、如来の座に坐して」説くことを言うが、つぎに、如来の室とは一切衆生の大慈悲心のことであり、如来の衣とは柔和忍辱の心のことであり、如来の座とは「一切法空是れなり」とある。ここには空に安住することを如来の座となしているのであり、空に重要な意味を認めている。さらに「安楽行品」に第二の親近処を説くうちに、菩薩は「一切法を観ずるに空なり、如実相なり、顛倒せず、動ぜず、退せず、……」と観ずることを説き、さらに「一切諸法は空にして所有なし。常住あることなく、亦た起滅なし」等と説いている。
 法華経において、「空」を説く教説は大体以上で尽きるのである。これらは、法華経全体から見るならばわずかな教説である。しかも他の教説に附随して説かれている場合が多い。しかしもちろん「空」は大乗仏教の基本的な教理であるから、法華経においても肯定的に取り扱われている。しかし空を基調にして、教理を展開しているとまでは言えない。そのことは般若経や維摩経等の空の取り扱いと、法華経とを比較してみれば明らかである。ただし本田義英博士は、その『法華経論』に「地涌の菩薩を以って蓮華に譬えるということは、法華経の立場が般若空観であることを示す、云々」と述べて、法華経の立場が般若空観にあると見ておられる。しかし地涌の菩薩を蓮華に譬えることだけで、このように結論することは無理であると思う。蓮華が泥に染まない点に無執着の意味はあるであろうが、しかしそのことは空思想に限るものではない。如来蔵思想にも「自性清浄心、客塵煩悩」の思想があるが、これも自性清浄心が煩悩に染しないことを示している。しかも『小品般若経』や『大品般若経』には、とくに蓮華を重視する思想は見当たらない。さらに蓮華を空思想や他の教理に譬えているところも見当らない。したがって蓮華の譬を般若経に結びつけることは困難であろう。
 すなわち法華経は、空系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典と考えるべきである。
引用終了
『講座・大乗仏教4法華思想』(春秋社)平川彰「大乗仏教における法華経の位置」(P41-43)

法華経を空の系列と有の系列のどちらかに振り分けるということ自体にはあまり意味はないと思いますが、大乗仏教が展開してゆく過程に法華経を位置づけるとどう見えるのか、といったことを提示してみた、といったところでしょうか。

263古池:2005/10/09(日) 08:11:22

乾闥婆さん

262 
貴重な内容を教えて頂き、大変有難うございました。

264犀角独歩:2005/10/09(日) 09:05:38

乾闥婆さん

読む限り、平川師の説は説得性があります。

西暦前後、仏教の教理は如何に生まれ、また、如何に伝承されたのでしょうか。
メディアがあるわけではありませんから、生み出す集団があり、そこに所属し学ぶという形であったろうと思われます。空の思想を生み出した集団、もしくは地域があり、そこから、般若経は生じたということになるのでしょうか。

この集団と、法華経を生み出した集団は別のものである。般若経創作集団から、独立した、もしくは別の集団である法華経創作集団が、空を肯定的に捉えながら、自分達の教理を作り上げた、しかし、その元来の在り方は「有」であった…。

以上のような仮定は成り立つのでしょうか。

平川説で興味深いのは「信は有に拠る」という件でした。
空観というのは無限の追究連鎖のようなところがあります。最終的には「空」が教理として実体化すれば、それ自体がまた空である…、と延々と続くわけです。信も何もあったものではありません。あるとすれば、空であるという論証を信じることですが、これ自身もまた空であるとなっていくわけです。教理上の空は四句分別止まりでいちおう、その辺でうち切られますが、その気になれば、この己心観察は無限の追究連鎖となりますね。

たしかに法華経寿量品にいう、漢訳仏典に依拠する教理でいう久遠本仏を「空」と見れば、もはや、信仰は成り立たないわけです。平川師が指し示していることとは、別意でしょうが、ここ数年のわたし自身の信仰に対するメランコリックの正体を見た思いがあります。まあ、この正体もまた、空ならば…となりますか。一つの法華経を見る客観的な視点を提供したものと評価できると思えました。

資料のご呈示、有り難うございます。

265古池:2005/10/10(月) 12:01:21
独歩さん

おはようございます。
妙法蓮華経観音品第25に「一心称名…称其名号…称観世音菩薩名者…一心称観世音菩薩名号……倶に声を発して・南無観世音菩薩と言わん・其の名を称するが故に・即ち解脱することを得ん…皆応に観世音菩薩の名号を受持すべし…」とありますが、「南無観世音菩薩」と唱えることと、「南無妙法蓮華経」と唱えることとの違い・異同などについて教えて頂ければありがたいです。

266犀角独歩:2005/10/10(月) 14:28:58

小池さん

なかなか勉強なさっていますね。

「南無観世音菩薩」に該当する岩本師の梵本直訳は

「われらに安心を授けたもう偉大な志を持つ求法者アヴァローキテーシュヴァラを、崇め奉る、崇め奉る」(下 P246)

となっています。

観世音菩薩は Bodhisattva Mahasattva Avalokitesvara が正確なところでしょうが、Avalokitesvara 通称とされる如くです。。

南無妙法蓮華経という訳語成句より、当然のこととして、「南無観世音菩薩」のほうが先行するわけですね。その称名の功徳は同品に記される如くですが、南無妙法蓮華経は臨終正念に属する秘伝であるというのが、真偽未決書などで引用されるところで、その意味は異なります。

「此等の大師等も南無妙法蓮華経と唱ふる事を自行真実の内証と思食されしなり。南岳大師の法華懺法に云く「南無妙法蓮華経」文。天台大師云く「南無平等大慧一乗妙法蓮華経」文。又云く「稽首妙法蓮華経」云云。又帰命妙法蓮華経」云云(当体義鈔)

また、前者は菩薩信仰であるのに対して、後者は経典(経題)信仰である際があります。

観音信仰は、法華経に習合された独立した信仰であったというのが一般的な見方であったと記憶します。岩本師は観音にはかなり興味を懐いていたようでいくつか論文を発表しており、仏教界に一顧だにもされなかったのに、美術史家が絵画彫塑像の視点から岩本師の観音説に注目したということがあったようでした。(『観音の表情』淡交社に対する書評など)

また、その考察において、

「この菩薩の起源はなお明確ではないが、西アジア方面の宗教思想の影響を受けていることは疑いえない。例えば、葉枝観音に関する宗教儀礼に葉のついた枝でたたくことが知られているが、これは西アジアにおける母神ナナイアのそれである。現在、その影響はイスラエルにおけるユダヤ教の儀礼にも見られるところで、葉のついた枝は繁殖のシンボルであるという。この事実を考えると、敦煌に見られる楊柳観音・水月観音が右手に楊柳の小枝を持っているのは、ナナイアと関係のあることを疑いえないであろう。特に、観音像のあるものが女性的に描かれている事実は、この菩薩の本質ないし始源型が女性であった子とを示していると考えられる。それと同時に敦煌の楊柳観音が髭をつけているのは、変成男子のシンボルと考えられ、その菩薩の本質を明らかにしているものとして興味深い。わが国で名高い慈母観音も子どもを抱いている点から考えて、あるいはマリヤ像の変化したものであるかもしれない」(『佛教入門』中公新書 P156)

といいます。

267犀角独歩:2005/10/10(月) 14:29:21

―267からつづく―

さらに岩本師はまた、漢訳の「観」の字について、

「『観』の字をかむらせた経典……注目されることはこれらの訳者はすべて西域の出身者、また経典の構成ならびに発想法がインド的でない点である。とくに、『観経』の場合、その点が指摘される」(『極楽と地獄−日本人の浄土思想』三一新書 P51)

といいます。もちろん、同品をこれに直ちに該当するかどうかは一考を要するでしょうが、しかし、この漢訳『観世音菩薩普門品』は重大な削除が為されています。

岩波文庫『法華経』でいえば下巻 P268〜269 です。
お持ちであれば開いてみてください。なければ、真読でいえば同品の「福聚海無量。是故頂礼」と「爾時持地菩薩。即従座起」の間が大きく欠落しています。いま、その欠落部分を挙げます。

「ローケーシュヴァラ=ラージャ(世自在王)を指導者とした僧のダルマカーラ(法蔵)は、世間から供養されて、幾百劫という多年のあいだ修行して、汚れない最上の「さとり」に到してアミターバ(無量光)如来となった。(28)
アヴァーローキテーシュヴァラはアミターバ仏の右側あるいは左側に立ち、
かの仏を扇ぎつつ、幻にひとしい一切の国土において、仏に香を供養した(29)
西方に、幸福の鉱脈のある汚れないスカーヴァティ(極楽)世界がある。
そこに、いま、アミターバ仏は人間の御者と住む。(30)
そして、そこには女性が生まれることなく、性交の慣習は全くない。
汚れない仏の実子たちはそこに自然に生まれて、蓮華の体内に坐る。(31)
かのアミターバ仏は、汚れない心地よい蓮華の胎内にて、
獅子座に腰をおろして、シャーラ王のように輝く。(32)
彼はまたこの世の指導者として三界に匹敵する者はない。わたしはかの仏を賛嘆して、『速やかに福徳を積んで汝のように最も優れた人間(仏)になりたい』と祈念する。(33)」
以上はまた、以下の Kern 訳と対応するのでしょう。

28. This universal Lord, chief of kings, who is a (rich) mine of monastic virtues, he, universally worshipped, has reached pure, supreme enlightenment, after plying his course (of duty) during many hundreds of &AElig;ons.
29. At one time standing to the right, at another to the left of the Chief Amitabha, whom he is fanning, he, by dint of meditation, like a phantom, in all regions honours the Gina.
30. In the west, where the pure world Sukhakara is situated, there the Chief Amitabha, the tamer of men, has his fixed abode.
31. There no women are to be found; there sexual intercourse is absolutely unknown; there the sons of Gina, on springing into existence by apparitional birth, are sitting in the undefiled cups of lotuses.
32. And the Chief Amitabha himself is seated on a throne in the pure and nice cup of a lotus, and shines as the Sala-king.
33. The Leader of the world, whose store of merit has been praised, has no equal in the triple world. O supreme of men, let us soon become like thee!

先の観経との脈絡を大いに感じさせます。なお、33 の Sala-king とは Visnu のことで、234 に挙げた点とも一致します。

以上の点が、流通する妙法華では削除されています。この原因は、羅什が翻訳に充てた本と Kern 師・南条師が用いたテキストが違うのか、羅什は訳した後世削除されたのか、わたしはその点は落着しておりません。しかし、英訳では入っている以上、こちらが世界水準です。

「アミターバ(無量光)仏」とはことわるまでもなく阿弥陀仏のことです。
観音世菩薩の起源がマリアであり、ナナイアを経て、阿弥陀仏と関係する菩薩信仰を生み、やがて、法華経に摂取され、それを羅什は「南無観世音菩薩」と訳したという‘削除’された経緯を見なければならないということです。

268犀角独歩:2005/10/10(月) 17:27:10

【267の訂正】

誤)始源型が女性であった子と
正)始源型が女性であったこと

誤)後者は経典(経題)信仰である際があります
正)後者は経典(経題)信仰である差異があります

269古池:2005/10/10(月) 17:37:07
独歩さん
266-267 大変有難うございました。

>真読…同品の「福聚海無量。是故頂礼」と「爾時持地菩薩。即従座起」の間が大きく欠落

おっしゃる欠落しています。
法華経の中に記されているということは、アミターバ仏並びにその脇士である観世音菩薩(アヴァーローキテーシュヴァラ)に対する親和性があったと想像されます。
そして、観世音菩薩への信仰を認めていると想像すると寿量品の久遠実成仏・釈尊に対する信仰との関係はどうなんだろうと思いました。

270古池:2005/10/10(月) 17:46:55
真偽未決の「御講聞書」では、「…観音とは法華の異名なり、観音と法華とは眼目の異名と釈する間・法華経の異名なり…」とあり、
真偽未決である「御義口伝」では、「…この品は甚深の秘品なり・息災延命の品なり・当途王経と名づく…観音・法華・眼目異名と云いて観音即ち法華の体なり…」とありますが、「眼目異名」という意味が分かりませんでした。

271犀角独歩:2005/10/10(月) 17:54:01

小池さん

> 「眼目異名」

これは、そんなむつかしい意味ではありません。
眼も目も、意味するところは同じで、名(字)の異なりである、という意味です。
つまり、その程度の差であるということでしょう。

わたしはこの言葉を、『大日蓮』に載った『皆目抄』説法で聞いたのをいまでも覚えています。

272犀角独歩:2005/10/10(月) 17:55:44

また、打ち間違えてしまいました。

誤)『皆目抄』
正)『開目抄』

273犀角独歩:2005/10/10(月) 22:23:49

ざっと検索してみる限り「眼目(之)異名」は

『俱舍論記 (卷18) 』
http://www.buddhist-canon.com/ABHIDARMA/pitan/T410289a.htm

『大乘玄論』
http://humanum.arts.cuhk.edu.hk/~hkshp/cclassic/suitang/jicang2.txt

に見られ、その他、主要な疏には法華、般若、浄土を問わず、使用されていますね。

法華義疏
http://w3.cbeta.org/result/normal/T34/1721_005.htm ほか

意味は、法華般若を眼目異名とする、もしくは報応二身を眼目異名とするといった用法が主だったものと見えます。

274一字三礼:2005/10/10(月) 23:15:54
横レス失礼します。

阿弥陀仏と観音菩薩

無量寿仏(アミターユス)の成立は古く、大乗仏典の中でも最初期に成立した経典のひとつ「般舟三昧経」からすでに登場します。

「妙法蓮華経」の化城喩品第七では「阿弥陀」、薬王菩薩本事品第二十三では「阿弥陀仏」とだけ記されておりますので、アミターユスかアミターパか分かりかねますが、「正法華経」の往古品第七では「無量壽超度因縁如來」、藥王菩薩品第二十一では「無量壽佛」と書かれていることからアミターユスとしての仏格で登場していることがわかります。

岩波文庫「法華経」の該当箇所では七の’前世の因縁’では「西の方角には、(九)アミターユス(無量寿)という如来と、」、二二の’バイシャジヤ=ラージャの前世の因縁’では「かの尊きアミターユス如来」とされます。

そこで妙法華は梵文が未だ発見されていないので正確には分かりませんが、正法華、岩波版現代語訳の二種類に共通していることから、法華経で阿弥陀仏が登場する時の仏格はアミターユスだったのではないかと考えられます。

また、華厳経(六十華厳)でも小品般若経でも登場する阿弥陀仏はアミターユス(無量寿)仏。
無量光仏(アミターパ)は、浄土三部経では「大経」に、「小経」では無量寿仏(アミターユス)です。

経典からはアミターユス(無量寿)とアミターパ(無量光)では、アミターユスの方が仏格成立が古いように感じられますが、もしかしたらその発生場所自体が異なるのかもしれません。

岩波文庫「法華経」二四の’あらゆる方角に顔を向けたほとけ’では「アミターパ仏」として登場しておりますが、同テキスト内で他の場面ではアミターユスですし、正法華経でも同様なので、ここだけアミターパとあるのは不自然です。(一)


阿弥陀仏と観音菩薩と勢至菩薩は常にセットのように考えられておりますが、「般舟三昧経」に登場するアミターユスは観音菩薩を伴ないません。「小品般若経」でも、アミターユスと観音菩薩は違う場面で現れます。法華経テキストも同様にアミターユスが登場する場面では観音菩薩は出てきません。

「般舟三昧経」「小品般若経」「法華経」から言えることは阿弥陀仏は少なくともアミターユスの段階ではまだ観音菩薩と密接に結び付いていなかったという事実です。(二)


(一)と(二)から岩波文庫「法華経」の下巻 P268〜269 のアミターパと観音菩薩が共に登場する部分は、他の法華経テキスト(正法華経・妙法蓮華経)に欠落していたのではなく、後代に付加されたとみるべきではないでしょうか。つまり、岩本師の採用したテキストがかなり新しいものだったのではないでしょうか。

275犀角独歩:2005/10/11(火) 06:53:42

一字三礼さん

274のご投稿、たいへんに興味深く拝読しました。

> 化城喩品第七…薬王菩薩本事品第二十三

Kern 訳では以下のとおりで、仰るように無量寿仏です。

Tath&acirc;gata named Amit&acirc;yus(CHAPTER VII.ANCIENT DEVOTION.)
Amit&acirc;yus(CHAPTER XXII.ANCIENT DEVOTION OF BHAISHAGYAR&Acirc;GA.)

それに対して、たしかに観音経のみ、無量光仏となっています。

the Chief Amitabha,(CHAPTER XXIV.CHAPTER CALLED THAT OF THE ALL-SIDED ONE, CONTAINING A DESCRIPTION OF THE TRANSFORMATIONS OF AVALOKITESVARA.)

> アミターユスの方が仏格成立が古い…その発生場所自体が異なる…

なるほど。そして、観音を伴うのは無量光仏であるということですね。
一字三礼さんに申し上げるまでもありませんが、法華経に現れる観音は、「観自在」とするほうが正しく、「観世音」は合成語理解の混同から生じた訳だというのが岩本師の解説でした。「あらゆる方角に顔を向けたほとけ」とは、 Samantamukha という別名を充てたということでした。この点は岩本師は Kern/Nanjiou の英訳を踏襲しているのだろうと見えます。

> 「正法華経」
こちらの漢訳は実に難読で、対照するのに骨が折れますが、観音に相当する菩薩は「光世音」と訳されているわけですね。ここでも、無量光仏に該当する箇所はないようでした。

いちおう、『添品妙法蓮華經』でも当たってみましたが、無量光如来(Amitabha)に該当する章句は、やはり、ありません。

> 欠落していたのではなく、後代に付加

なるほど。たしかにこの見方は説得性があります。

> 岩本師の採用したテキストがかなり新しいもの

岩本師が、というより、Kern 師・南条師本が、ということですね。

Saddharmapundarika,ed.by H. Kern and B. Nanjio, St.-Petersbourg 1912(Bibliotheca Buddica X)

実際のところ、羅什が翻訳した梵本法華経と、Kern/Nanjiou 本、特に観音・陀羅尼のあたりでは、相違が著しいわけです。元より、違うテキストによる二つの訳を並べて編集するという岩波文庫『法華経』の編集方針というのは、感心しません。

話が横道に逸れましたが、一字三礼さんのご指摘からすると、

Amit&acirc;yus > 羅什翻訳梵本成立 > 羅什訳 > Avalokitesvara(Samantamukha)/Amitabha > Kern/Nanjiou 本

という成立推移があるということになるのでしょうか。

276犀角独歩:2005/10/11(火) 07:58:32

重ねて一字三礼さん

『法華経』上(岩波文庫)の『解題』では

24.Samankamukha. ― <正法華> 光世普門品第23 ― <妙法華> 妙音菩薩品第23(同 P423)

となっていますが、対応する妙法華の章は、観世音菩薩普門品第25だと思うのです。
この対照表、間違っていると思いませんか。

277犀角独歩:2005/10/11(火) 13:52:43

古池さん

ただいま、Pohさんから、お電話を頂戴し、わたしが、ずっと古池さんのお名前を間違えているとのご指摘を受けました。いやはや、たいへんに申し訳ありませんでした。
謹んでお詫び申し上げます。

278一字三礼:2005/10/11(火) 21:27:19

犀角独歩さん

レスありがとうございます。

> 法華経に現れる観音は、「観自在」とするほうが正しく、「観世音」は合成語理解の混同から生じた訳だというのが岩本師の解説

 岩本師説は以下の論考について考慮いないように思います。少し長い引用になりますが、

 「観自在―原語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokitesvara)を玄奘は「観自在」と訳した。この語は「観」(Avalokita)+「自在」 (isvara)と分解し得るのでそのように訳した。チベット訳語(spyan ras gzigs dban phyug)も同様の解釈に立っている。しかしクマ  ラジーヴァ(Kumarajiva 鳩摩羅什、略して羅什という)は『法華経』を漢訳したときにこの語を観世音または観音と訳した。
  何故そのように訳したか?第一の見解によると、クマラジーヴァが『観音経』の趣意をとってそのように美しく訳したというのである  。『観音経』すなわち『法華経』の普門品には      
      『若有無量百千万億衆生、受諸苦悩、聞是観世音菩薩、一心称名、観世音菩薩、即時観其音声、皆得解脱』
  とある。(柳博士『梵語学』二四一頁以下)第二の見解によると、観音の原名は古い時代にはAvalokitesvaraではなくて       Avalokitasvaraであったと推定され、またそのことは『法華経』西域本によっても確かめられる。(例えば本田義英博士『法華経論』  弘文堂、昭和十九年、一九五頁以下、同氏「観音の古名について」『竜谷大学論』第二九六号、昭和六年二月)その場合には、衆生に  音声を観ぜしめるという仏菩薩の慈悲行を、ついに人格化してここに観音という菩薩を表現したのであると解せられている。」(岩波  文庫 般若心経・金剛般若経)

第二の見解での、いわゆる’観音’は古名であるというのも事実のようです。(中村元説)


> Amit&acirc;yus > 羅什翻訳梵本成立 > 羅什訳 > Avalokitesvara(Samantamukha)/Amitabha > Kern/Nanjiou 本

先に挙げた中村師説を考慮に入れれば、

Amit&acirc;yus/Avalokitasvara > 羅什翻訳梵本成立 > 羅什訳 > Avalokitesvara(Samantamukha)/Amitabha > Kern/Nanjiou 本

となりますでしょうか。


> この対照表、間違っていると思いませんか。

イージーミスとは言えませんね、完全に誤りですね。

279小池:2005/10/11(火) 22:45:17

独歩さん、一字三礼さん

大変有難うございます。

上記のすばらしい解説で尽きていますが、あくまでひとつの参考までとしてですが、

「大乗仏典・法華経」(中央公論社、昭和51年刊)の訳注では、ちなみに次のように記されています。

観世音菩薩について
173 「自在に観察する」Avalokitesvaraに相当する漢訳としては、「観世音」よりも「観自在」のほうがふさわしい。ただし、中央アジアで発見された写本の断片にはAvalokitasvaraとなっていることから、これが観世音と訳されたとも考えられている。…

普門品偈について
177 「普門品偈」と呼ばれる詩頌は、「法華経」のなかで最も遅く成立した部分と考えられている。「妙法華」のなかのそれは羅什の訳ではなく、「添品」からのちになってとれいりられたものと推定されている。しかも、「添品」のばあいも、それ以前に訳されていた先賢の訳をそのまま編入したと考えるのが最も妥当な解釈かと思われる。

普門品偈の28から33の欠について
181 詩頌27から33は漢訳に欠く。これらは詩頌26までよりもさらに遅く成立したもので、おそらく「無量寿経」などに見える観世音菩薩を阿弥陀如来の脇侍とする思想になじんだものが加えたものであろう。
(注:詩頌27は28と思われます)

無量光如来について
182 「世間の主の王」は、「量り知れない光明(無量光)」如来、すなわち阿弥陀如来がまださとりをひらく前、「法の源泉(法蔵)」菩薩であったとき指導した本師の如来のこと。

アミターバかアミターユスについて
7化城喩品 無量の寿命(阿弥陀)という名の、正しいさとりを得た尊敬さるべき如来
22薬王品 無量の寿命(阿弥陀)如来
24観音品 無量光如来、量り知れない光明(無量光) 

と使い分けられていますね。なぜ(阿弥陀)となっているかは不明です。

280犀角独歩:2005/10/12(水) 07:11:01

> 一字三礼さん

観音の古名のこと、参考になりました。


> 古池さん

引用の書籍、長尾雅人師のものですか。
だとしたら、わたしは30年前に読みました。


> Pohさん

昨日はお電話有り難うございました。
以下、お二方へのレスも含めて、やや記します。

■法華経の成立は西暦前後200年という大枠で、わたしが考えすぎているとのご指摘

以下は『法華経』上 (岩波文庫)P428 に載る図を写し。

原型┬中央アジア本┬┬─正法華
  │      │└─コータン本
  │      └──妙法華
  └カシミール本┬──ギルギット本
         └┬─添本法華
          └┬チベット語本
           └ネパール本

(上記の表形式が崩れて見える場合は、Ineternet Explorer の[ツール(T)]、[インターネット オプション(O)]、[フォント(N)]、[Web ページ フォント(W)] のフォント種類を‘MS P〜’を‘MS〜’に変更すると、崩れずに表示されます)

■法華経の成立を西暦150年までに、とする点。

「たしか、『法華経』(田村芳朗・中公新書)に…」と仰った本、手許にありましたので、めくりました。

「…西暦150年ごろと見なしたのは、200年前後の出身であるナーガールージュナ(竜樹)の『大智度論』に『法華経』の最後の章まで引用されているからである」(P44)

とのことでした。なるほど、そうだったかと思い出しました。

仰るように‘この時点の法華経’として、立論するのは短絡でした。
なお、同論と竜樹、成立年代などには、その後、種々、検討されてもきましたが、いまは繁くなるので、ここまで。

281犀角独歩:2005/10/12(水) 07:11:46

―280からつづく―

■Kern の法華経はネパール本を校訂

田村師によれば、「オランダのケルン(H. Kern)と日本の南条文雄師が、デーヴァ・ナーガリー文字でもって法華原典を出版した。これは、ネパール系諸本に中央アジア系のペトロフスキー本などで校訂…英訳を試み、1884年にオックスフォードから“The Saddharmapundarika; or, The Lotus of the True Law”」(同P58)

ということでした。

岩本師は『法華経』上で「『添本法華経』は…現行のネパール所伝のサンスクリット語原典と一致している…従って現行原典の祖型はその訳出年次(世紀601年)より以前に遡れることが知られよう」といいます。

しかしながら、わたしが問題にした普門品の「阿弥陀」(Amit&acirc;bha)の記載に当たる文は『添本法華経』にはありません。7世紀の段階ではなかったわけです。この点で、岩本師の訳文と『解題』は整合性がありません。

ところが、この点について、『極楽と地獄』には、ちゃんと書いていました。

「3世紀と5世紀の初めに訳された『正法華経』にも『妙法蓮華経』にも見当たらない。すなわち、この二つの漢訳の原本にはこの箇所はなく、現在の梵本の祖先に後に添加された…アミダ信仰は後世の附加物といわねばならないだろう」(三一書房 P80)

一字三礼さんの274に「後代に付加」とのご指摘は的確な問題提議であったわけです。
よって、古池さん、謹んで訂正します。

■この法華経梵本テキストはいつ頃のものか

岩本師は「ペトロフスキー本…7・8世紀の書写といわれる」(上 P416)、また、大谷本…ギルギット…5・6世紀の書写とされ」(同 P421)といいます。

田村芳朗師は「ネパール系は11世紀、中央アジア系はそれ以前…7、8世紀の筆者と推定されるもの(ペトロフスキー本)もある。ただし、最近になって一部、新説が出てきた。7、8世紀の筆者と推定されたものを含め、2、3の中央アジア系写本はむしろネパール系より新しいという」(『法華経』中公新書、昭和44年7月25日 P58)

11世紀!、Pohさんの記憶は合っていました。「日蓮の100年前」という指摘もまさにそのとおりでした。

皆さん、有り難うございました。
今後とも、有意義なご投稿をお願いいたします。

282Poh:2005/10/12(水) 14:26:53
独歩さん

すっかりお手間とらせてしまい申し訳ありませんでした。
とにかく私が、手持ちの学会&仏教関係書籍と資料を人に貸してしまっているため、
自分で調べることができないのが悪いのです。

掲示板への投稿を休むにあたり、「資料や書籍がなければ、書き込みもできまい」などと浅慮を働かし、
元々少ない蔵書の大半を知人の求めに応じて貸し出してしまったのが、かえってあだとなってしまいました。
といって、しばらくは図書館等で調べ直す時間もなく……ということで、昨日の電話と相成った次第です。

私は仏教に関してはほとんどが『読み学問』のため、人名、経典名ほか、なにかと間違った発音をすることが多く、
電話での聞き取りにはご苦労をおかけしますことも、加えてお詫び申し上げておきます。
私の頓珍漢な考察や解読不能の発音にも、いつも笑いもせず真剣に耳を傾けてくださる独歩さんには、本当に頭が下がるばかり。

事の関係で、このような気軽な書き込みなら打ち込む時間はなんとか作れるのですが、
この掲示板へのマジレスの場合はそういうわけにもいかず、
しかと種々の資料を精読し、しっかり裏付けをとるための時間がどうしてもとれません。
(その上、ここ3年ほど学会や仏教にはとんとご無沙汰だったですし……)

その点、ご迷惑をおかけしますが、今しばらくわがままをお許し下さいませ。
今度とも何卒宜しくお願いいたします。(土下座!)

283小池:2005/10/12(水) 20:20:19
独歩さん

大変有難うございます。大変勉強になります。

ささいなことですみませんが、
10月9日の独歩さんのブログを拝見していたところ
>「本尊説を確立されたのは望月歓厚師。立正教学の基盤を確立したといっても過言ではない」
と記されていますが、法華経の題目観についての考えなども望月師の考えは拝聴すべきものがあるのでしょうか。もしもご存知でしたら教えて頂ければありがたいです。

284小池:2005/10/12(水) 23:45:50
独歩さん


不軽品20で、「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。」
(我深く汝らを敬う。あえて軽慢せず。ゆえんはいかん。汝らみな菩薩の道を行じて、まさに作仏することを得べし)
の24文字の略法華経をもとに仏となったというものだと思うのですが、間違っているかもしれませんが、敬う心で仏になるという理屈なのでしょうか。
単に敬う心が大切ならば、人に瞋恚を生じさせるような振る舞いをしなくてもいいと思うのですが。この品の文脈も私の浅薄な頭ではよく把握できませんでした。

御義口伝では「この24字と妙法の5字は替われども・其の意はこれ同じ・24字は略法華経なり」とありますが「其の意」が妙法5字と24字で同じというのはどういう訳でなのでしょうか。
いつも幼稚な質問ですみません。教えて頂ければありがたいです。

285犀角独歩:2005/10/13(木) 08:30:25

Pohさん

また、お気付きの点がございましたら、ご一報ください。
有り難うございました。

286犀角独歩:2005/10/13(木) 09:26:28

小池さん(こちらの字でよろしいのでしょうか)

> …法華経の題目観…望月師の考えは拝聴すべき

ブログは、一種の備忘録で、該当記載も片岡邦男師の講義内容を記すばかりです。
望月師の題目観を、不勉強なわたしには直ちに簡潔に思い出せませんが、参考にすべき内容があれば、資することは大いにけっこうなことであろうと考えます。

> 不軽品…敬う心で仏になるという理屈

そのように言えないこともありませんが、より正確に記せば、ここのコンセプトは、礼拝行であり、「其罪畢已」ということでしょう。その礼拝は「敬い」「堪忍」に基づくという順位でしょう。そのような不軽の心身は「浄い」=罪を積まない=過去から蓄積された罪が消える=結果、仏果を得るということであろうと思います。

> 人に瞋恚を生じさせるような振る舞い

「瞋恚」するかどうかは、礼拝された相手の心の問題です。
敬われ、敬いの心、信順の心が生じれば順縁、瞋恚が生じれば逆縁、順逆共に仏縁、瞋恚の人有って・敬礼する側が心にただ礼拝の順のみあれば、罪を滅するというのが教学的な態度であろうかと存じます。

「不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて、其罪畢已ととかれて候は、不軽菩薩の難に値ゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり」(転重軽受法門)

> 御義口伝…「其の意」が妙法5字と24字で同じ

御義口伝を日蓮の直接の説とすることはできません。この点については、わたしのサイトに執行海秀師の『日蓮教学上に於ける御義口伝の地位』という秀でた論文を置いているので資してください

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/kaishu_002.html

該当の箇所は

「第五 我深敬汝等 不敢軽慢所以者何汝等皆行菩薩道当得作仏の事
 御義口伝に云はく、此の二十四字と妙法の五字は替はれども其の意は之同じ。二十四字は略法華経なり」

と二十四文字についての御義口伝という体裁を取っています。その意が同じというのは、この二十四文字が示す、敬い、軽慢しない、一切衆生が菩薩道によってやがて仏を得るとする点が、法華経典全編であれ、二十四文字であれ、題目の五字であれ、同じである、故にこの二十四文字は簡略に示された法華経といえるということでしょう。

この解釈は当を得ています。ですから、いま、法華経を信仰する、日蓮を信仰するといい、経巻、遺文を読み、口に題目を唱えても、相手が不信、謗法であるなどと理由を付けて、敬わず、軽慢すれば、そのような信仰者は法華経、日蓮の意に外れるということを、この文は示しているのです。信仰者、行者の心の置き方を示した簡潔な説明です。

なお、真跡で、この「二十四文字」を示すのは、やはり、以下の文でしょう。

「本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て、閻浮提に広宣流布せしめんか。例せば威音王仏の像法之時、不軽菩薩、我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し、一国の杖木等の大難を招きしが如き也。彼の二十四字と此の五字と、其の語は殊なりと雖も、其の意、之同じ。彼の像法の末と、是の末法の初めと全く同じ。彼の不軽菩薩は初随喜の人、日蓮は名字の凡夫也」(顕仏未来記)

言うまでもありませんが、「不軽菩薩は今の教主釈尊なり」(日妙聖人御書)で、この点は不軽菩薩品に「豈異人乎 則我身是」で菩薩行の釈尊です。比して日蓮は、その初発心の弟子・上行の自覚で名字凡夫を言うのでしょう。ただし、これは名字凡夫=示同凡夫=自受用という日蓮のあずかり知らない『秘密荘厳論』の諸説とは関係のないことです。生仏(衆生・仏)の配立に基づくのであろうと考えます。

「天台大師の云く ̄是我弟子応弘我法〔是れ我が弟子なり、応に我が法を弘むべし〕。妙楽の云く ̄子弘父法有世界益〔子、父の法を弘む。世界の益有り〕。輔正記に云く ̄以法是久成法故付久成人〔法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す〕等云云」(本尊抄)

という教学的態度です。

287犀角独歩:2005/10/13(木) 10:07:36

一字三礼さん

観音についてですが、「自在(isvara)」ということがキーワードになっているわけですね。

『あらゆる方角に顔を向けたほとけ(CHAPTER CALLED THAT OF THE ALL-SIDED ONE, CONTAINING A DESCRIPTION OF THE TRANSFORMATIONS OF AVALOKITESVARA.)でも登場する世自在王(Lokeshvararaja)は Siva に起源を求める説もあるわけです。

オウム真理教がシバ大神をサティアンに祀ったとき、「オウムが仏教だというけれど、シバなんか祀るのは仏教はない」と言って失笑を買った識者がいたと記憶します。それもそのはずで、Siva は日本名で他化自在天、第六天の魔王として日蓮漫荼羅にも勧請されているからでした。。

この世自在王の自在、観自在菩薩の自在、共に「自在」で共通していることになります。これは偶然ではないと思えます。

ただ、自在(isvara)にどのような思想性があるのかは、わたしにはわかりません。ただ、この脈絡から『御義口伝』の「自受用身(ほしいままにうけもちいるみ)とは一念三千なり」という一節が思い起こされました。説明するのは容易なことではないのですが、何らかの脈絡を感じなくもありません。

もう一点。世自在王(Lokeshvararaja)が Siva であり、シャーラ王(Sala)が Visnu であるということは、要は、ここの記述はヒンドゥー教の二大神を意識した構成になっているわけなのですね。その延長にある Amitabha という位置づけが窺えます。

今さら気付きました。

288一字三礼:2005/10/13(木) 21:11:52
小池さん

「大乗仏典・法華経」(中央公論社、昭和51年刊)の紹介、ありがとうございます。

無量寿(アミターユス)の方が、無量光(アミターバ)よりも成立が古いという推測は成り立つのかもしれませんね。

無量寿(アミターユス)は、’尽きない寿命’から仏の、もしくは仏法の永遠性を表現したもの。

無量光(アミターバ)は、’太陽光’から仏の、仏法の普遍性を表現したもの。

’永遠性’の方が’普遍性’よりも先に成立した理由は何でしょうか。

法華経の「如来寿量品」でも「慧光照すこと無量に 寿命無数劫」と表現しながらもその仏の性質は光ではなく、寿量ですね。これに対して華厳経の教主は廬遮那仏(毘廬遮那仏)です。

法華経の方が華厳経よりも成立が古いという説も成り立つかもしれませんね。

289一字三礼:2005/10/13(木) 21:13:12
犀角独歩さん

観世音菩薩(観自在菩薩)の起源を何処に求めるか、は難しい問題です。

犀角独歩さんが指摘されていたナナイアをはじめ、アナーヒター、アナテ、シヴァの伴侶ウマーなどが観音の起源として挙げられますが、いずれも女神、しかも’大地母神’なんですよね。

それこそ犀角独歩さんに今さら申し上げるまでもありませんが、’大地’を女神、特に’母神’と結び付ける理由は、大地に草木が種を落とし、草木が枯れ果てても、また新しい芽が出るという現象を、母が子を産むという母性原理と同一視するからであり、同時に動植物が土に還る(大地に還っていく)という側面から’大地母神’は’死’を司る側面も併せ持つものわけです。

ところが観音の原語アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokitesvara)は男性名詞であるとのこと。

子を孕めない男性である神(観音)が、先に挙げた女神達(ナナイア、ウマー等)の根本原理である’母性’を受け継ぐことはできないのではないでしょうか。

はたして’大地母神’の性質が男性に変更されても維持できるのか、というのが私のもっとも肯けないところです。

余談ですが、松山師の多宝如来を’大地母神’に見立てる説も同様の理由で首を傾げざるを得ません。

現実に目にする観音菩薩像は、仰るように大概はヒンドゥー教の諸神、特にシヴァ神、ヴィシュヌ神の別名ばかりです。

観音菩薩は、「阿弥陀経」(小経)では会座にも侍っていなかったのに、「無量寿経」(大経)では、勢至菩薩と共に阿弥陀仏の傍らに移り、後に阿弥陀仏の救済と浄土の性質を吸収して、「不空羂索神変真言経」の成立に至ってついに阿弥陀仏からも独立し、菩薩でありながら南方に自分の浄土を持つまでになります。その間に吸収していった仏格、神格は膨大なものであったと推測されます。

290小池:2005/10/13(木) 21:28:25
286 独歩さん

大変有難うございました。よく拝読致したいと存じます。

291小池:2005/10/13(木) 21:54:28
288 一字三礼さん

大変有難うございます。

>無量寿(アミターユス)の方が、無量光(アミターバ)よりも成立が古いという推測は成り立つのかもしれませんね。
’永遠性’の方が’普遍性’よりも先に成立した理由は何でしょうか。

私自身はこのへんの知識を有していませんので、渡辺照宏師「お経の話」岩波新書P194から引用します。
「浄土信仰の発生
東アジアで浄土教といえばアミダ仏の極楽世界の信仰にきまっているようだが、アミダ教の成立までには次のような予備段階があった。
第一、シャーキャムニが生まれた地方には古くから過去仏の信仰があり、彼は比較的近い系列のうちの第七番目と信じられていた。
第二、シャーキャムニ仏陀の弟子のうちで若くして世を去った天才マイトレーヤがつぎに出現する未来仏として期待された。
第三、他方の諸世界にもそれぞれ仏陀が出現するという信仰が発生した。それらの世界の構成は民間信仰の神話的世界観に準じて構想された。
第四、多くの仏国土のうちで、はじめは東方のアクショービヤ(阿しゅく)が優勢であったが、やがて西方のアミターバがそれに代った。
第五、アミターバ(無量光)仏陀はやがてアミターユス(無量寿)となり、その不死性が強調されるようになった。」

と記されています。1967年の著書ですので、最近ではもっと新しい見解が出ているのかもしれませんし、アミターバ→アミターユスとなった詳細が記されていないと思います。
確かに、普遍性(太陽の光)と永遠性(仏の寿命の長遠)という観点も重要だと思います。

292小池:2005/10/13(木) 22:16:29
観音について、御議論の邪魔になったらお詫びしますが、
平川彰・望月良晃「法華経を読みとく」(下、春秋社2000年)P195には
「観音さまはAvalokitesvaraと言いまして、観自在菩薩と訳します。avalokitaは「観られた」、isvaraは「自在」という意味で、あわせて「観自在菩薩」です。般若心経の中で、玄奘は「観自在菩薩」と訳しています。
羅什は「観世音」と訳しています。古形のAvalokitasvaraのsvaraというのは「音」という意味で、「観られた音」と訳せるのです。苦しんでいる衆生の言葉を観て観音さまがそれを済度されるというのが、Avalokitasvaraなのです。
つまり、「観自在菩薩」と言えば一切世間のものを自由自在に観られる菩薩という意味になり、「観世音」と言えば「世間の音」すなわち苦しんでいる衆生の音、その姿を観て済度される、という意味です。」

293小池:2005/10/13(木) 22:39:14
一字三礼さん

すみません。アミターバとアミターユスについて、渡辺師の本の続きを書き漏らしていました。

P196-197「無量寿経
東アジアのアミダ経では、いわゆる「浄土三部経」を根本聖典とする。「無量寿経」(通称「大経」)、「阿弥陀経」(通称「小経)および「観無量寿経」の三であり、年代的にみてこの順に成立したものと考えられる。厳密にいうと、この三つの経典の内容には少しずつ差があり、それぞれ別の環境において成立したものと思われる。 中略

むかし世自在王如来のとき、法蔵(ダルマカーラ)という出家修行者が将来、仏陀になろうとして多数の仏国土の状態を学び知り、それらのうちから長所をえらびとり、それによって自分の理想の浄土を建設する誓願をたてた。その誓願が成就して、現在、西方にスカーヴァティー(安楽、極楽)とよばれる仏国土があり、そこにアミターバという名の仏陀となっている。中略

つぎに、アミターバ仏陀の寿命について述べる。古い二訳によると、寿命がきわめて永いというのみであって、ついには入滅し、そののちは観世音が仏陀となって後を継ぎ、さらにそのあとには大勢至が続くことになっているが、このことは魏訳以下には省いてある。この変更に伴って誓願の項(漢訳第14、呉訳第19、魏訳第13)もまた変更されることになった。すなわち古い二訳では「人人が一所懸命になって計算してもきわめつくせない」ということであったのに対して、魏訳以下ではただ「きわめつくせない」ということにしてしまったために、ついに「無量寿」(アミターユス)という観念が生じた。 以下略」

294犀角独歩:2005/10/13(木) 23:45:51

一字三礼さん

観音像が両性具有である理由はどのようにお考えになりますか。

295犀角独歩:2005/10/13(木) 23:48:00

なお、わたしが問題にしたのは、「自在」という点です。
この点は興味深いと思います。

296小池:2005/10/14(金) 00:06:37
引用ばかりで気が引けますが、御議論の一助としてお役に立てばと思い、
前述の平川師の「法華経を読みとく」(上)P39によりますと
「(平川師)文殊菩薩が大乗仏教のオーソドックスな正系なのです。弥勒菩薩は前の原始仏教からずっと来た人で、つまり大乗仏教の興る前から有った人ですから、大乗仏教に入ってきても正系に入れないんです。観音さまなどは余所から来た仏さまです。ヒンズー教から入ってきたのです。…
「三十三身に身を現じる」という言葉があるでしょう。あれはシヴァ神なのです。シヴァ神に三十三の名前があるのです。ですから観音さまの元をだとっていくとシヴァ神になってしまうのです。弥勒菩薩は余所から入ってきた菩薩で、生え抜きの菩薩は文殊菩薩なのです。弥勒菩薩は初めは大乗にいれなれなかったのです。般若経にも弥勒菩薩が出てきますが、法華経と弥勒菩薩の関係はもう少し研究する余地が有ります。
(望月師)先生、どういう菩薩にどういうことを説いたか、ということはあるのですか。
(平川師)それは、あまりないようです。ただ、観音さまはどういう菩薩か、お地蔵さまはどういう菩薩か、ということ、そういう場合に弥勒は将来仏ですから、阿含経にも出てくるのです。大乗仏教は弥勒から来たものではないのです。大乗仏教というのはやはり文殊菩薩です。大乗で一番古い菩薩は文殊菩薩です。文殊菩薩に関して、阿じゃせ王経とかいろいろな経典が有りまして、やはり大乗を開いた菩薩は文殊菩薩です。ただ結局、仏さまの教えを祖述しているわけです。それはやはり見仏の体験です。それが大切です。」

同書下P138「大乗仏典には必ず出てきますが、観音さまなどは他教から来た仏です。つまり、観音・勢至という菩薩は必ずしも仏教での名前ではないのです。観世音は観自在とも訳し、梵語はAvalokitesvaraと言い、avalokitaは「観られた」、isvaraは「自在」で、当時尊崇されていた神さまが仏教に入ってきて観音さまになっているのです。……大乗仏教というものがどうしてできたかというようなことは、ある一つの見方を掴むと分かってくるということがあるでしょう。文殊菩薩は大乗仏教を興した菩薩の一人です。お釈迦さまも文殊に導かれて大乗仏教に入った、ということが出てくる経典もありますから。…」
同書下P171「浄土教はもとは法華経とわりあい仲が良かったのですね。…」

297犀角独歩:2005/10/14(金) 01:08:29

ちょっと、今日は少し酒が入って帰ったので、簡単に記しますが、要は33に変幻“自在”というところに、ポイントがあり、また、観音、阿弥陀、法華経を考えるとき、重要なキーワードは「変成男子」ということです。

また、たとえば観音でも准胝観音などはシバの后が原形といわれ、そうなれば女性形ということになります。

ですから、一字三礼さんのご指摘はもっともですが、女性形・変成男子・男性形という男女二性のほかに、もう一つ、考えないとこの辺りの思想風土は解けないと、わたしは考えています。

298犀角独歩:2005/10/14(金) 01:25:19

あと、華厳経は法華経より古い?というのが一般的な見解なのでしょうか。松山師は般若、法華経の順位ということでした。

また、一つ、法華経では寿量(=無量寿)思想が見られ、実際のところ、編入されている阿弥陀は Amit&acirc;yus (無量寿)で整合性があります。その後、添加されたのが Amitabha で、この場合、無量光(Amitabha)という順番です。

岩本師は、まず Amit&acirc;yus が西暦1世紀頃、ついで、Amitabha が西暦2世紀という説です。Amitabha の法華経編入が後代に属することと整合性があるとわたしには思えます。

…、やや説明不足で記しましたが、単に斥けるのではなく、まあ少し、わたしが書き込んだことを考えてみてください。

299Poh:2005/10/14(金) 08:53:29
1)
独歩さん

華厳経関係の書籍・資料は貸し出しておりませんので、幸いなことに多少は手元にありますし、また先にお話ししたように、ちょうど現在必要に迫られて再読をしはじめたところでもあります。
先だってお手数をおかけしたお詫びに、せめて引用だけでもさせて頂きましょう。(笑)

「インドにおいては、『華厳経』を構成している各品である『十地経』や「入法界品」などは流布していたが、これらの小さなお経を集めて編纂された大華厳経は、まだ存在していなかった。中央アジアの于■【門+眞】[うてん]において初めて現存する『華厳経』が編纂されたのである。」(鎌田茂雄『華厳の思想』講談社学術文庫。P24)

「『華厳経』、詳しくいえば『大方広仏華厳経』とよばれるものが漢訳に三本あり、巻数にしたがってそれぞれ『六十華厳』『八十華厳』『四十華厳』とよばれるが、このうちの第三は前の二の最後の大きな章『入法界品』のみに相当する。
 『華厳経』のうちでサンスクリット語原典が現存するのは『十地品』『入法界品』の二章のみで、いずれも独立の経典としてネパールでは“九の法”のうちに数えられている(*)。
          *そのほか『普賢品』の大半と『十廻向品』の一部とが『シクシャーサムッチャヤ』
           (漢訳『大乗集菩薩学論』)の中に引用されていて、その原文をみることができる。
 また『華厳経』のうちのいろいろな部分はそれぞれ独立の経典として漢訳されているものがある。翻訳は古くは二世紀後半から新しいものは八世紀末までにわたり、同じ本が何度も訳されているのを比較すると変遷の跡もわかるが、また異本が同時に並行して行われたと思われる例もある。さまざまの漢訳の単行本があるところをみると、もともと別別の経典であったものを次第に集成して『華厳経』という一大集成ができたものと推定される」(渡辺照宏『お経の話』岩波新書。P149)

「華厳経は『大方広仏華厳経』の略で、方広(ヴァイプリヤ)は大乗を示し、仏華厳は仏が完備する深遠なさとりを花環(アヴァタンサカ)で飾りたてる。その原典は『十地経』と『入法界品』という別の二部であり、それぞれは古く、サンスクリット本も漢訳もある。現存する華厳経は、漢訳が五世紀はじめの六十巻本と、七世紀末の八十巻本とあり、別に『入法界品』の八世紀訳である四十巻本もあって、各々は六十華厳・八十華厳・四十華厳と通称され、そのうち六十華厳が古くから読まれる。」(三枝直悳『仏教入門』岩波新書。P153)


「華厳経として現在あるものはひじょうに厖大なものですが、最初からこのような大きな経典がまとまったものとしてあったわけではありません。はじめは各章(品といいます)が、それぞれ独立した経典として少しずつつくられました。もっとも古いものは「十地品」で、『十地経』(サンスクリット語で「ダシャブーミカ(Dasabhumika)」)として編纂されたのがだいたい西暦紀元一世紀から二世紀ごろです。そして『華厳経』全体が集大成されたのは、、四世紀ごろではないかと推定されます。
          (中略)
「入法界品」の原名はガンダヴューハ(Gandavyuha)であったことが知られていますが、ナーガールジュナ(竜樹)の著作に『不可思議解脱経』として引用されていることもありますから、古くはこの名でよばれていたこともあったのでしょう。Gandavyuhaとは「雑華の飾り」という意味です。そうしてまた『華厳経』の原名もGandavyuhaと称していたようです。『華厳経』はまた、『雑華経』とか『百千経』とかよばれていたこともあったようです。
          (中略)
『華厳経』はいろいろな人が手を加えたらしいので、訳によってかなり相違がありますが、古い訳である六十巻本によると、この経典は七処八会、三十四品(章)からなっています。七処とは、説法の場所が七つあることを示しています。八会というのは、集まった会座の数が八つあるということです。」(中村元『華厳経・楞伽経』東京書籍。P16〜P21)

300Poh:2005/10/14(金) 08:55:07
2)
「九十九偈半の詩句(Poh註:六十巻本「入法界品」の最後――すなわち『華厳経』終結部、善財童子が普賢菩薩に会って教えを請うた際、普賢菩薩が、「求道の末に到達する究極の仏の境地=仏徳、あるいは仏のはたらき=果用」を説くために唱えたとも解釈される九十九の詩句[韻文]のこと)は、自由奔放ではありますが、内容が単純で、体系的に教えが述べられていませんから、原本(サンスクリット語のもの)はかなり古い時代の成立だと思われます。この六十巻本(Poh註:東晋の仏陀跋陀羅訳)は418年から420年に漢訳されましたから、原本は四世紀にはまとまっていたはずです。
 ところが、遅れて成立した八十巻本(唐の実叉難陀訳)や四十巻本(唐の般若訳)では、その一連の詩句がすっかり異なっています。そしてまた、この一連の詩句に対応するものが、『普賢菩薩行願讃』(不空訳)として独立に伝えられていますし、さらに独立のサンスクリット原文も今日に伝えられ、刊行されています。
 また、六十巻本では九十九偈半の詩句でしたが、四十巻本に近いサンスクリット原文では六十二の詩句になっています。そして、そのうち第一から第四十八偈は、普賢菩薩があらゆる仏を讃歎し、人々に奉仕することを誓うという内容ですが、第四十九から第六十二偈には、阿弥陀(アミターバ、無量光)仏にたいする讃歎のことばが出てきます。釈尊に言及している一説に阿弥陀仏が突然出てくるのは奇異ですし、趣旨が矛盾しているようにも思われるのですが、アミターバ信仰がようやくさかんにおこりつつあった時代に、この部分がつけ加えられたのではないかと考えられます。
 このように、いわゆる「普賢行願讃」といわれるこの一連の詩句は、華厳思想を奉ずる人々のあいだでもそうとう複雑な変遷あるいは発展があったことが知られていますが、それは大きく三つの段階に分けられると思います。
 第一段階。(一)毛の尖端や微塵の中にも全宇宙を見出し、過去・現在・未来のすべてを現在の一刹那のうちに見出す原始華厳思想をいただいていた人がいました。その名は不明ですが、かれは普賢菩薩を崇拝していました。(二)そして、その実践は「すばらしい行い」(bhadra-cari)とよばれ、それがまたこの一連の詩句の題名となって、この題名のもとに後世に伝えられました(bhadra-cariとは「良い、すばらしい、めでたい」などの意味合いがあり、漢訳者はこれを「賢」と訳しました。しかし、今日「あの人は賢い人だ」などというときの「賢い」とは少し意味合いがちがいます)。(三)ここではすべての仏を礼拝しています。とくに一人の仏に限ることはありません。
 第二段階。阿弥陀仏の信仰がさかんになるにつれて、この仏を讃歎する詩句があとでつけ加えられました。
 以上一連の詩句がつくられたのは、おそらくクシャーナ王朝時代、つまり西暦三世紀以前です。全体が崩れた仏教サンスクリット語で書かれていて、美文体(kavya,ornate style)の影響を受けている入法界品の散文とは様式を異にしています。そうしてこれらの詩句の文法は、クシャーナ時代の諸碑文の文法と類似している点があるのです。
 第三段階。これら一連の詩句が後代に、四十巻本の『華厳経』の末尾に付加されました。八十巻本『華厳経』が漢訳されたのが695年から699年であり、四十巻本が漢訳されたのが795年から798年ですから、現存のサンスクリット原典には、その中間の、八世紀初頭から中葉にかけて付加されたのでしょう(八十巻本にふくまれている行願讃は四十巻本のそれとはかなり異なっています)。
          (中略)
(Poh註:四十巻本中の「普賢菩薩行願讃」(般若訳)と、サンスクリット原文(鈴木大拙・泉芳蓂校訂)を対照すると)第四十六から第四十八詩は、サンスクリット原文と般若三蔵との漢訳がかなり異なっています。おそらく、第四十九詩以下はアミターバ(阿弥陀)仏を讃えている部分で、あとでつけ加えられたのでしょうから、古い部分に接合するときに、加筆する人の手が異なっていたためでしょう。
(Poh註:また四十巻本のうちの「普賢菩薩行願讃」よりも、現存のサンスクリット文はかなり長くなっていて、これを中村氏は「きっと後世の増広でしょう」と推察している)」(中村元『華厳経・楞伽経』東京書籍。P129〜P167)

301Poh:2005/10/14(金) 08:55:49
3)
ことに最後のアミターバ(阿弥陀)信仰と普賢菩薩行願讃の、中村元氏の考察は興味深いですね。
普賢菩薩に関しては、なにやら法華経・普賢菩薩勧発品第二十八との関連性も匂ってくるような?(笑)

しかし、経典の根本思想を探り、その変遷を追うためには、なるほどサンスクリット&漢訳の後代による部分的加筆修正の跡をたどってゆくのは絶対不可欠とはいえ、どうもパンドラの箱を開けてしまうかのような危険な香りも漂ってくるような気がしてしようがないのは、はて私の錯覚でしょうかしら?(笑)

ということで、長い引用になりましたが、ご参考まで。

302Poh:2005/10/14(金) 09:09:04
ついでといっては何ですが、先だっての長文レス(>>216>>230)中の訂正を。

>>224
>崑崙山脈北縁沿いに西行した
     ↓
崑崙山脈北縁沿いに東行した

>>228
>キルギット
   ↓
ギルギット

他にも、「教典→経典」とか「退去→大挙」とか、わんさかあるのですが、致命傷と思われるものだけピックアップいたしますこと、ご容赦下さいませ。

いやそれにしても……どうもすっかり記憶力が退化して、地名などをうろ覚えで書くといけないようです。
その上、大好きな高杉晋作(東行)まで西行法師と間違ってるし……。(涙)

あ、ちなみにすでに何度かお話ししていると思いますが(年寄り同士のやりとりの典型ですな……笑)、私は独歩さんよりほんの少しだけ年下――ただし四捨五入すれば、もはや五十でありますよ。

303Poh:2005/10/14(金) 10:28:09
独歩さん

ついでのついで、ですが……
先般、霊鷲山のビデオをお貸しする約束をしましたが、それまでの「つなぎ」に、とりあえずこんなHPなどどうぞ。

http://www32.ocn.ne.jp/~mrhiro/india/rajgir2.htm
http://www.saray.co.jp/osaka/city-info/rajigir.htm

これも電話でお話ししましたが、霊鷲山で釈尊が説法するという場面設定は、無量寿経も同様です。
――ご承知のように、釈尊が一万二千人の比丘と無数の菩薩などに向かい、阿弥陀仏について説法するというストーリー仕立てになっておりますようで。

304犀角独歩:2005/10/14(金) 11:10:19

Pohさん

有り難うございます。
このスレで、というより、当掲示板で、話が華厳経に及ぶとは思いませんでした。
この経典は量が多すぎて、絞って語るのがむつかしいですよね。
天台は法華経というより、華厳経に重があると書いていたのは、たしか坂本幸男師であったと記憶します。こうなると、天台の法華経理解の、どこに華厳理解の影響が反映しているのかは重大なテーマになり、となれば、華厳の理解は必須となりますが、もはや、現段階では手に負えない気分になります。

全体にレスをすると長くなってしまうので、ピックアップして。

華厳経の古名が入法界品の原名 Gandavyuha であるという点です。 vyuha はPohさんの引用では‘飾り’となっていましたが、荘厳と訳されることもあるわけでしょう。

阿弥陀経の原名が Sukhaavatiivyuuha で‘極楽の荘厳’でした。華厳経にも阿弥陀の影響があるとのことでしたが、原名で、キーワードが同じとなっている点が興味が惹かれますね。

華厳の華とはどんな華を指すのでしょうか。原名であるという Ganda は‘雑華’ということなのですね。花と言えば、法華経、pundarika, padma(lotaus)が彷彿とします。この起源がどこに求められるのか、これもまた、たいへんな話になるので、取り敢えず議論は置きますが、花がキーワードで法華経とコンセプトを同じにしているように思えました。

漢訳の‘方広’(vaipulya 毘仏略)が初期の大乗の漢訳語であったことはいまさらことわるまでもありませんが、この漢訳は興味深いと思いました。‘方’とは四角ということで、古代の世界観では大地が方形(四角)をしており、その一つひとつの角が東西南北に当たるということでした。要は、この方形が広いというのが‘方広’ということでしょうか。それとも方は方形(四角)というばかりではなく、四角い箱(=入れ物)といった意味合いもあるのでしょうか。そうなると、これは乗り物にも通じるわけで、大乗・小乗といった言葉と、意味合いが俄然近くなってきます。大乗は Mahāyāna の訳語ですから、まあ、‘方広’とは違うという意見もあるかも知れません。Pohさんも引用された大方広仏華厳経は Buddhavatamsakanama-maha-vaipulya-sutra で maha-vaipulya が対照語となりましょうか。この辺まで来ると話が法華経から離れるので、取り敢えずやめにしますが、インド文化を「文明のるつぼ」と称した学者がいましたが、まさにその様相を呈しています。

追っての霊鷲山紹介ページのご紹介、有り難うございました。
二つめのサイトの説明文、

「霊鷲山山頂の香室跡。ここで法華経や観無量寿経の他、たくさんのみ教えが説かれた」
これはちょっと笑えました。

なお、打ち間違いは、変な突っ込みなしで「判読」をお願いするしかありません。
ブログと違って、投稿は修正できないのはつらいですね。

305Poh:2005/10/14(金) 12:04:45
独歩さん

華厳経の経名については、吉田叡禮氏による、教学いやさ驚愕のHPサイト『華厳無盡海』によれば、
http://homepage3.nifty.com/huayan/eirei.htm

「中国の華厳学者たちは、これを「偉大(大)で、正しく(方)、広大(広)な、仏(仏)〔の世界〕を〔菩薩の様々な実践の〕花(華)によって飾る(厳)〔ことを説く〕経」という意味に解釈する。」
とあり、その後、氏の興味深い考察が続いています。
http://homepage3.nifty.com/huayan/doctrine/sutra01.htm

とにかくこのHP、その量といい質といい、私のような者には読みこなすのがあまりに大変なので、ご紹介のみさせて頂きます。(苦笑)

>「霊鷲山山頂の香室跡。ここで法華経や観無量寿経の他、たくさんのみ教えが説かれた」
>これはちょっと笑えました。
これ書いた人、大真面目に書いているのでしょうかね?……それとも、やむなくか?(笑)。

あと蛇足ですが、私も個人的に、天台系の思想・解釈を語るに、歴史的にみても、華厳(ことに縁起思想)抜きにはできないと考えておりますが……。

306Poh:2005/10/14(金) 12:54:54
>>305 自己レス補足
>私も個人的に、天台系の思想・解釈を語るに、歴史的にみても、
>華厳(ことに縁起思想)抜きにはできないと考えておりますが
これは言葉足らずでした。
私は坂本幸男氏の記述に乗っかった発言ではなく(氏の記述の主旨がよく分かっていないので)、
少なくとも昭和以前の日本における大乗仏教研究が、常に天台系「実相論」と華厳系「縁起論」の対比の中で語られ、
また発展してきたという歴史的経緯を踏まえての発言です。

307小池:2005/10/15(土) 08:39:24
独歩さん

おはようございます。

297についてですが、教えて頂けますでしょうか。
>要は33に変幻“自在”というところに、ポイントがあり、また、観音、阿弥陀、法華経を考えるとき、重要なキーワードは「変成男子」ということです。
また、たとえば観音でも准胝観音などはシバの后が原形といわれ、そうなれば女性形ということになります。
…女性形・変成男子・男性形という男女二性のほかに、もう一つ、考えないとこの辺りの思想風土は解けないと、わたしは考えています。

について、もう少し解説頂ければありがたいです。

「もう一つ考えないとこのあたりの思想風土は解けない」というのは、「空」ということでしょうか。空であれば男女にこだわることはないと思うのですが。
あるいは、ガンダーラ地域の西暦1、2世紀あたりの思想風土がどのようなものだったのか私にはわかりませんが、現代で言う性転換みたいな形で男性になってしまうということでしょうか。
あるいは、仏の梵語は男性名詞とかいうらしいですが、仏の場合は男女を超えているという見方なのでしょうか。

あと「変成男子」という考えに岩本先生が注目されておられますが、このあたりについてもう少し教えて頂けますでしょうか。

308小池:2005/10/15(土) 11:06:25
Pohさん 独歩さん

Pohさんの218-229を再度拝読し、その豊富な内容に深く感謝申し上げます。
これを踏まえて、教えて頂ければありがたいです。

1.法華経が成立した地域は、西北インド・ガンダーラ地方だろうと想定されており、「法華経製作者」はインド人だとばかり思い込んでいたのですが、もしかしたらインド人以外の民族(イラン人とかギリシャ人とか中央アジアの人とか)ということも考えられるでしょうか。
2.法華経は現代の本にすれば2〜300ページくらいの量だと思うのですが、それを100〜200年間もかけて作成していくというのは法華経製作者たちが何代にもわたり営々と作業していたのでしょうか。気の遠くなるような気がしました。
3.法華経の内容には、ヒンズー教(ヒンズー教の成立時期とバラモンとの違いがよくわかりませんが)、ギリシア・ローマの諸神やミトラ教、救世主思想、ゾロアスター教・ヒンドゥー教の諸神の影響が見られるのかと思いますが、特にヒンズー教あたりの思想(権化思想、シヴァ・観音など)や神々などを取り入れていった考えというものは何なんでありましょうか(いいものなので取り入れるとか…)。

309犀角独歩:2005/10/15(土) 14:10:35

Pohさん

ご紹介、有り難うございます。
読み終えるのにはしばらく時間が掛かりますね(笑)


小池さん

> 変成男子

という思想がどのような背景で定着したのか、わたしはまだ落着していません。

松山師が、法華経講義でよく口にするのは、女性社会から男性社会への以降という点です。原始社会では出産をする女性が中心の社会であり、この頃はまだ性交渉と出産の関係が理解されていなかった。その後、この関係がわかり、男性社会へと移行する…。

いわば、それまで支配されていた男性から女性へのリアクションというか、そのような態度が種々歴史に刻まれているというのです。女性蔑視、その他は、女性社会時代の反動ではないのかという考え方です。

このような視点が適切であるかどうか、わたしはある程度、説得性を感じます。
そのような文化背景による?とも見えるのが「変成男子」という考え方です。また、極楽には女性はいないといった思想も、そんな延長にあるものかどうか。これが一つ。

もう一つ。現代は男女二性のどちらかでなければならないという戸籍上、もしくは宗教の取り決めがあります。しかし生物学的には、両性具有は存在します。わたしはこのような人々が神格化されたという背景は、観音信仰、変成男子といった点を考えるうえで看過できないと考えています。

描かれる観音像はその体刑はしなやかで胸の膨らみを表し女性形です。しかし、その顔面には男性の特徴である髭が添えられます。観音は両性具有の造形になっています。

観音、そして、阿弥陀という思想系譜を考えるうえで、上記の点は看過できないということを申し上げたわけです。ただし、この点は書き出すと、繁くなります。わたし自身資料の整理も終わっていないので、考察のヒント程度に、いまのところは留めさせていただきます。

> 1.法華経…製作者…インド人以外の民族

この点は明確なところはわからないのではないでしょうか。そもそも、インド人とは、どのような人々を指すのかという問題もあります。

> 2.法…100〜200年間…法華経製作者たちが何代にもわたり営々と作業

伝承された写本を時々場所場所に編纂し、添削した繰り返しがったと言うことだと思います。特定集団が継承しするといういまの日本社会に見られるような門派教団的な仕組みとはかなり違うと思えます。

> 3.法華経の内容……特にヒンズー教あたりの思想(権化思想、シヴァ・観音など)や神々などを取り入れ…いいものなので取り入れるとか…

これは当然のことでしょうね。そもそも仏陀、世尊、阿羅漢というもの自体、仏教のオリジナルではないわけです。日蓮漫荼羅に見られる諸仏諸神、その他の衆生もほとんどが採り入れたものでしょう。

地獄は古いインドの伝承、餓鬼も先祖供養されなかった亡霊といったバラモン思想、畜生は万国共通、修羅は対抗思想の善神が仏教で悪神扱いされたもの、人は万国共通、天は仏教以前から仏教以後の外来の神々、二乗は弟子ということと、当時の自由思想家、菩薩はミトラから弥勒、仏陀は目覚めた者という旧来からあった思想に基づくのでしょう。

さらに日蓮漫荼羅で見れば、天照大神は大陸から亘ってきた新支配者信仰、八幡神は韓国の神、梵天帝釈はバラモン教の神、鬼子母神・十羅刹女はインドの食人風習があった部族の神、第六天の魔王はシバ神などなど、みんな採り入れられていったものでしょう。他地域ではまた違う形で摂取されています。

以下、サイトは簡潔にまとめています。

インドの神と日本名対照表
http://www.ffortune.net/symbol/indo/sinwa/nihon.htm

310犀角独歩:2005/10/15(土) 14:37:05

一つ書き落としました。

バラモン教とヒンドゥー教ということですが、バラモン教はインドにアーリア人が侵入定着し、アーリア人信仰と、まあ、極めて雑駁ながらいうことができるかと思います。

後者は、では、ヒンドゥー教という特宗教があるかといえば、そんなものは当地の人々に認識はないのではないでしょうか。ただし、それなりの歴史的研究は当然為されています。

ネット検索すればいくつも出てくると思いますが、いくつか挙げておきます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99
http://www.tcat.ne.jp/~eden/Hst/dic/hinduism.html
http://encyclopedie-ja.snyke.com/articles/%E3%83%92%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%A5%E3%83%BC%E6%95%99.html

311小池:2005/10/15(土) 15:49:20
309-310 独歩さん

大変ありがとうございました。
ヒンドゥー(教?)と仏教にについて、観音が元々はヒンドゥーあたりからと知って驚きましたが、仏教の根幹部分、「法」というのでしょうか。例えば妙法華なら諸法実相ですか、般若なら般若波羅密とか。
そして、その実践は八正道、あるいは六波羅蜜、五種頓行。こういう根幹以外の部分は外来思想を取り入れることはなんら問題ないということなのですね。
特に、法華経の場合は、開会の思想なので、南無観世音菩薩と唱えることもあってよいという寛容性があるということですね。
ただ日蓮になるとやや不寛容になるのでしょうか…。

312犀角独歩:2005/10/15(土) 16:06:47

小池さん

> 仏教の根幹部分、「法」というのでしょうか。例えば妙法華なら諸法実相

この点はかつて顕正居士さんが参加してくださり、議論になったことがありました。
わたしは「諸法実相」というのは羅什の教条的ドグマであって、梵本とは無関係であると考えています。

> 般若なら般若波羅密とか。

般若とは智慧という意味ですから、法を知る智慧であっても法ではありません。

> 法華経の場合は、開会の思想

これは漢訳仏典を起訴にする漢訳教学のドグマであって、法華原典とは関係ありません。

> 南無観世音菩薩と唱えることもあってよいという寛容性

これは何を仰っているのかわかりません。唱えてよいも何も、「南無観世音菩薩」とは明らかに法華経の漢訳仏典に現れる信仰形式です。

> 日蓮になるとやや不寛容

日蓮の場合、不寛容というより、漢訳妙法華からきた当然の帰結ということではないでしょうか。

小池さん、わたしが記すところを、ざっと読み流すのではなく、ちゃんと咀嚼されたほうがよろしいでしょう。大部分が未消化になっていませんか。

313犀角独歩:2005/10/15(土) 16:07:38

【312の訂正】

誤)漢訳仏典を起訴にする
正)漢訳仏典を基礎にする

314小池:2005/10/17(月) 20:49:55
312 独歩さん

大変有難うございます。
いままでの内容を再読しています。
非常に深い内容なのでどこまで咀嚼できるか難しいですが努力していきます。
>要は法華経に書かれていることと、天台が言っていること、まして日蓮が言っていることは「違う」ということです。その違いをしっかりと認識したうえで…
という部分が十分わかっていませんでした。
法華経は法を指し示しているだけで法の内容は明確にしていない、天台は妙法華等から諸法実相を主唱したが梵語法華経には書かれていない(そこに違いあり)、日蓮の題目は法華経の経題ではあっても法の内容そのものとはいえないのではないか(そこに違いあり)…
更に再読してみます。

315犀角独歩:2005/10/17(月) 21:03:12

小池さん、一見、わたしの突き放したようなレスにも真摯にお答えになる真摯な姿勢にわたしは敬意を表します。
いつか、耄碌したわたしをお導きください。

316犀角独歩:2005/10/17(月) 21:29:19

重ねて記します。

314の整理は、そのとおりです。

317小池:2005/10/17(月) 21:38:16
315-316 独歩さん

大変有難うございます。
三読してみます。其の上でまたわからない部分などお教えください。
本当に有難うございます。

318無徳:2005/10/17(月) 22:55:56
皆さんお久しぶりです。
私は皆さんとちょっと違った視点から「現代人が納得できる日蓮教学」なるス
レッドのテーマに即して論じてみたいと思います。

果たして「現代人が納得できる日蓮教学」と言う、当スレッドのテーマに相応
しいかどうかはわかりませんが、遺漏がありましたらご寛恕ください。
いわゆる『現代思想』と『日蓮仏法』との関係性を問うことが可能であるとす
れば、それは如何なる位相に於いて可能であり、なおかつ、現代思想に於いて
は様々な領域に於いて行き詰まり状況にあることがつとに語られる昨今である
とすれば、『仏法』なかんずく『日蓮仏法』というパラダイムから現代思想に
対し逆照射を与えつつ、さらには、現代思想の限界点も突破することすら可能
であるかどうかを、皆さん方と共に探求したいと思います。

しかし、現代思想と言ってもあまりに漠然としていて焦点が定まりませんので、
現在における現代思想に於いての最も中心的課題は『言語論』であり『言語の
謎』と言って過言ではないと思われますので、日蓮仏法に於ける『言語の謎』
という位相から現代思想と関連付けて考察してみたいと思いますので皆さ方の
お知恵を拝借したいと存じます。

まずは、仏教思想というパラダイムに於ける中心的思想つまり言語は『縁起』
であり『空』であることは多くの人が承認する処でありましょう。そして、縁
起とは全ての存在は関係性の中にあり、独存にして常一主宰のものは何一つな
いとすることも承認されることでしょう。したがって、全ての存在の態様は
『空』であることも仏法者(仏教徒)であるなら否定はしないでありましょう。


さて、日蓮仏法における最も中心言語は南無(梵語)という二字と妙法蓮華経
(漢語)という五字の合成語である『南無妙法蓮華経』と言う五字七字ですが、
果たしてこれは如何なる言語なのでありましょうか、仏教思想における『縁起』
と『空』とは如何なる関係にあるのでしょうか?

この謎に迫る前に現代思想における言語の謎とは如何なるものであるかを、確
認しておきたいと思います。とは言ってもあまり言語の謎に拘泥すると、その
言語の密林に迷い込んで出てこれなくなる危険性がありますので、次回に現代
思想の入門的な書として最適な竹田青嗣氏の『近代哲学再考』を借りて現代思
想における言語の謎の一端を確認しておきたいと思います。

それでは皆様方のお考えも是非お聞かせください。

319無徳:2005/10/18(火) 00:42:52
竹田青嗣氏の『近代哲学再考』によれば、まずはギリシャに於いてターレス
やヘラクレイトス等のミレトス学派によって『存在の謎』が提出され、続いて
パルメニデスやゼノンと言ったソフィスト達によってパラドックスと言う『言
語の謎』が自覚的に作り出されたとされています。

つまり、『言語の謎』とはギリシャ哲学発祥の頃から提起されていた古くて
新しい謎と言うことになります。さらに近代哲学においてはその『存在の謎』
や『言語の謎』を人間の厳密な認識の可能性を問うと言う形で『認識論』が
哲学の主流となりますが、現代哲学にいたってそれが『言語論的転回』とな
って、再び『言語の謎』へと姿を変えて再登場することになったとされてい
ます。

つまり、これらの事柄を私なりに解釈すれば、世界の存在や人間の存在さら
には自己の存在と言ったアプリオリな謎は、釈尊が無記として語らなかった
謎であり、人間の認識能力を超えた謎でもあると言えましょう。

しかし、人間は様々な問いを発せずにはおれない存在でもあり、したがってそ
の問いを立てるにしても、その問いに答えるにしても言葉を使用する事が唯一
の方法といえます。(身振り手振りも言葉の一種)しかしながら、アプリオリ
な難問(謎)を言葉によってコミュニケイトすることは原理的に無理がありま
すから、人間は巧みな比喩や物語を屈指して伝えようとしたのが、宗教におけ
る教義でありそれを記述したのが経典でありましょう。

したがって、言語なるものは本来的に限界を有するものであり。パラドックス
を抱えた存在と言って過言ではないといえます。現代思想の領域では言語の分
析を通じてギリシャ哲学以来の形而上学批判を展開していますが、竹田青嗣氏
も指摘しているように、現代哲学の『言語論的転回』はもともとはヨーロッパ
近代哲学の形而上学的「話法」に対する対抗として生じてきたが、カントがは
っきり示したような<答えの出ない問いを果てしなく問い続けること>という
意味で捉えるならば『言語論的転回』も『言語の謎』と言う形而上学的な有り
様と言わざるを得ません。

320乾闥婆:2005/10/18(火) 01:04:27
>>318

無徳さん。お久しぶりです。
覚えていらっしゃらないかも知れませんが、以前「キウ」というHNでniftyなどで議論させていただいた者です。

>仏教思想における『縁起』と『空』とは如何なる関係にあるのでしょうか?

小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典と考えるべきである」といったことは、やはり言えると思うのです。犀角独歩さんとの議論の中で確認しましたが、蓮祖が霊鷲山に常住する釈尊の実在を信じていた、その上での見仏である、といったことも、どのように「空」といった思想と折り合えるのか、関心があります。概念や理念としての「時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としてのそれであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなくなってしまわないでしょうか。

>次回に現代思想の入門的な書として最適な竹田青嗣氏の『近代哲学再考』を借りて現代思想における言語の謎の一端を確認しておきたいと思います。

竹田青嗣氏の『言語的思考へ』(径書房)は非常に刺激の多い本でありました。ちょうど続いて『近代哲学再考』を読んでみようと思っていたところです。仕事が忙しくあまり書き込めませんが、楽しみにしております。

321無徳:2005/10/18(火) 07:50:28
乾闥婆さんお久しぶりです。そうでしたかキウさんでしたか良く覚えています
よ。
私も20年以上も前からniftyの掲示板で、sunyaさんに助けていただきながら様
々な論議に参加していました。北条さんという方の文体が私にとっては理解し
難く難渋していましたら、sunyaさんが見事に読み解きつつ北条さんと論議し
ているのをみて、sunyaさんの読解力に感嘆したことを今も鮮明に覚えていま
す。

その頃の私はすでに40歳を過ぎていましたが、学問とはほとんど無縁に生きて
きましたので論議に参加すること自体冒険でした。それまでと言えば、好きで
科学関連の本と少々訳あって三島由紀夫や吉本隆明の本を読んでいたのみで、
後は創価学会経由の教学と耳学問が大半でした。

しかし、インターネットの普及によって、この掲示板のようにいろいろな方が
参加して、自由に論議できる場がたくさん出来た事はすばらしいの一語に尽き
ます。私も拙いながらいろいろな掲示板に参加することによって、様々に刺激
や示唆を受けながら勉強させていただいております。

私が
>仏教思想における『縁起』と『空』とは如何なる関係にあるのでしょうか?

としたのは、あくまで南無妙法蓮華経と縁起・空の関係を問うたものです。
私の書き方がまずかった為に縁起と空の関係を問うたような印象になってしま
いすみませんでした。しかし、縁起と空の関係と言うことも論ずべき立派なテ
ーマとなり得ますね。

>小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空
>系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典
>と考えるべきである」といったことは、やはり言えると思うのです。犀角独
>歩さんとの議論の中で確認しましたが、蓮祖が霊鷲山に常住する釈尊の実在
>を信じていた、その上での見仏である、といったことも、どのように「空」
>といった思想と折り合えるのか、関心があります。概念や理念としての「時
>我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としての
>それであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなく
>なってしまわないでしょうか。

とのキウさんからの問題提起に対しては次回において私なりにお答えしたいと
存じます。

それから、私も最近竹田青嗣氏の『言語的思考へ』を読みました非常に刺激的
で示唆に富む内容でしたね、今後とも様々な論議通じて共に研鑽してまいりま
しょうよろしくお願いします。

322犀角独歩:2005/10/18(火) 14:54:46

無徳さん

お久しぶりです。
先の経過がありますから、特に争論とはしたくない。その前提で記します。
ただし、当スレには当スレの脈絡がありますから、記すべきことはしっかりと記さなければなりません。

宗教哲学の問題が、9割方が言語の問題であるという指摘は、ご承知のとおり、『現代書学と仏教』で石田次男氏が行っていました。

彼が、無徳さんと論法的に違うのは、西洋哲学における弁証法を斥け、仏教教団における伝統的な古因明によるべきだとしたことでした。つまり、西洋哲学が仏教を破壊したというのが、その主張でした。より具体的に記せば、彼が言う現代諸学とは、つまり、言語論も含む西洋哲学であり、それを、外なる道、すなわち外道=現代諸学といったのでしょう。日蓮の教えは内外相対からはじまるわけだから、外道を簡んで、内道に採るという立場です。ですから、いま、無徳さんが仰るような形で、日蓮を解題するとすれば、まずこのハードルを越える必要があるでしょう。

> 答えの出ない問いを果てしなく問い続けること

宗教には、こういった問題は着いてい回ります。しかし、この言葉が逃げ口上になれば、その宗教は卑屈なだけです。

いままでの議論で、法華経が釈尊の直説ではないこと、どのように成立してきたかという点で継続しています。それ以前に末法についても、論じ合いました。これらは別段、答のでないことではありません。答は出ていることです。

また、宗教といわず、大石寺について言えば、答が出ることがあります。

先ず、所謂「本門戒壇の大御本尊」についてです。これは、既に論証してきたように日禅授与漫荼羅を原本として臨模・作為された彫刻であることは明白です。答が出ないことではありません。また、歯にくっついた肉が700年はおろか、1日とて生きていたり、ましてや成長したりするはずはありません。このようなものを本物であるというのは、答が出る出ない以前にペテンという言います。

以上のような、インチキ、ペテンのまがい物によっている集団において、無徳さんが呈示くださった言語の問題は、当てはまりません。

殊に日寛の教学を現在、担ぐことにおいて、この彫刻の無謬性が根幹とするわけですから、その教義は既に瓦解しています。

以上のような事態を、言語=教義の問題は形而上の問題であるから、「答えの出ない問いを果てしなく問い続けること」とは、言えません。はっきりと答が出ていることです。

ですから、当スレのテーマで言えば、現代人に通用する日蓮とは、そのようなインチキ、ペテン、まがい物を排除したところから出発するものであることは言うまでもないことでしょう。

もちろん、無徳さんが仰ろうとされていることは、以上の前提に基づくことであると、わたしは信じます。しかしながら、ロムする人々のなかで、信仰を言語での論証不能であるから、信じることがすべてだなどという逃げ道を与えることは、いままの議論が水の泡になりますので、いちおう、記させていただきました。

当然のこととして、ご呈示いただいたテーマは、21世紀の日蓮を考えるうえで避けては通れないところです。故に、引き続く、ご投稿を楽しみにしております。

323無徳:2005/10/18(火) 16:14:38
>小池さんの引用された平川氏の説にもあるように、「すなわち法華経は、空
>系列の経典であるよりも、真如や如来蔵思想に発展してゆく有の系列の経典
>と考えるべきである」
>中略
>「時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅」ではなく、実在としての
>それであるならば、法華経は、なかんずく蓮祖は「空」思想と折り合えなく
>なってしまわないでしょうか。

と、小池さんや乾闥婆さんが示された平川彰氏による当該箇所は私も、かなり
以前に読んでなかなか理解し難い文意に戸惑ったことを思い出しました。

ただ、乾闥婆さんが独歩さんとの論議の中で引用された講座・大乗仏教第四巻
『法華思想』(41p)の中にある当該箇所は、平川彰著作集第六巻の『初期大乗
仏教と法華経』(356p)の中にもほぼ同文が載っていますが、若干内容に違いが
あります。

それは、『初期大乗仏教と法華経』の中では、「仏教思想を空の系統と有の系統
に分けるとすれば、法華経は有の系統に属するというべきであろう。」の後に
「しかしその有は、空を離れた有ではない。この点が誤解されやすいが仏教で
は、空と有とは矛盾するものではない。同じことを、空をおもてと見るか、有
をおもてと見るかの違いである。空は論理で理解できるものではないのであり、
教理の思索から長年月の間に自然に体得せられるものである」となっています。

それにしても、<法華経が「有」の立場に立つことは、法華経が「信」を重視
することにも関係がある。信仰は実在を対象とするからである。>との論点に
は少々驚きます。私の考えでは有である実在を対象とするのであれば信を強調
する必要はなく、そもそも仏教を実在論的に理解することは現在では迷妄とさ
れているように思われますが如何なものでしょうか?

324犀角独歩:2005/10/18(火) 17:28:05

> 有である実在を対象とする

板漫荼羅信仰というのは、まさにその有の最たる万年不朽の楠板の彫刻を信仰しているのではないでしょうか。

325無徳:2005/10/18(火) 18:55:01
楠板の彫刻その物を信仰しているのではありません。御本仏たる日蓮大聖人が
書き表された御本尊として信仰しているのです。

貴方は現在の大石寺にある板曼荼羅を偽としていますが、私は今のところ偽と
は断定していません、しかし、貴方の考察や河辺メモ等を考慮に入れると偽の
可能性も否定できません。

私は「三大秘法抄」は宗祖のご真筆と信じておりますので、いわゆる本門戒壇
に安置されるべき御本尊を表されたであろうことも信じております。

しかし、もし何がしかの理由でその御本尊が失われたと仮定したとき、その御
本尊に代わるべき御本尊が再興されても不思議はないであろうと思います。

石田次男さんも私がもし焼失なりなんらかの理由で戒壇の御本尊が失われたと
きはどうなるのでしょうと質問したところ、日蓮正宗の宗務院と信徒の総意で
再興すればよいといわれ、御本尊そのものは決して物体ではなく宗祖のおん魂
であられると申されておりました。

326犀角独歩:2005/10/18(火) 19:12:41

では、無徳さん、お尋ねします。

325にあなたが記されたことは、大石寺に通用しますか。
しないでしょう。しないことをもって反論することが何の意味がありますか。
また、

> 私は今のところ偽とは断定していません

ならば、真であることを、ここに証明されればよいだけです。

> 本尊に代わるべき御本尊が再興

ですから、ここでも、まだ、再興されるモノ(有)に拘っているでしょう。
そんなものは空などとはいえないのでしょう。どうですか。

> 書き表された御本尊

とは、何でしょうか。具体的に記してください。
空たる本尊ですか。言語には限界があれば、南無妙法蓮華經という言語にも限界があり、さらにそれを書き表したものにも限界がある、ともに有ではないでしょうか。
それが有でないというのであれば、ここにちゃんと説明してください。

要は、無徳さんの論法は引用する哲学、言語論と著しい齟齬を来しているとしか思えませんが如何でしょうか。

327無徳:2005/10/18(火) 19:57:22
独歩さん相変わらずですね。

大石寺に通用しますかとのことですが、現在時点で通用するとは思いませんが
もしも、万が一にも戒壇の御本尊が失われるようなことがあれば、おそらく通
用することになることでしょうとしか申し上げようがありません。

また、御本尊たる板曼荼羅が単なる物体でなく宗祖が法華経を身口意の三業で
読みきられて、末法の衆生に残された曼荼羅であり、その曼荼羅を御本尊とし
て尊崇し御題目を唱え感応同交することによって成仏が可能になるであろうこ
とも大石寺の教学から学んだことです。

>ですから、ここでも、まだ、再興されるモノ(有)に拘っているでしょう。
>そんなものは空などとはいえないのでしょう。どうですか。

とのことは、私は御本尊は単なる物ではないと申し上げておりますよ。

>言語には限界があれば、南無妙法蓮華經という言語にも限界があり、さらに
>それを書き表したものにも限界がある、ともに有ではないでしょうか

とのことについては後日私の試論を述べてみたいと思います。

まあ貴方自身の215のご意見に齟齬を来たさぬよう期待します。

328犀角独歩:2005/10/18(火) 20:30:34

無徳さん

> …相変わらずですね。

それはあなたのことでしょう。議論の流れを無視して、突然書き込みをする、まあ、それはよいとしましょう。次に、こちらから「お久しぶり」と挨拶をしても、返答もせず、持論をごり押し、遂に頭に来れば、反論だけ書く。そんな態度は、大人げないでしょう。ですから、あなたはここでは議論ができないのです。215を云々していますが、敬うことを人に強要する前にまずは自分が手本を示されるべきでしょう。
年齢に見合った見本となってもらいたいということです。

あなたのやり方は、議論のエチケットに反していますよ。

> 大石寺に通用…戒壇の御本尊が失われる…通用する

何を言っているのだか、わかりません。

> 曼荼羅を御本尊…御題目を唱え感応同交…成仏が可能

ですから、その漫荼羅を弘安2年10月12日本門戒壇の大御本尊と規定することは実在かではないのかという質問です。

> …御本尊は単なる物ではない

では、単なる物でなければ何でしょうか。

漫荼羅の魂というのであれば、それを、では是としましょうか。
ならば、弘安3年5月9日の、それも真筆と認められない日禅授与漫荼羅を臨模・作為して弘安2年10月12日の本門戒壇の大御本尊に仕立てられた本尊の魂とは何でしょうか。それに魂があれば、嘘、偽りと言うことでしょう。

> 貴方自身の215のご意見に齟齬

まあ、こんな嫌みしか言えず、問われたことに何も答えない、相変わらずのやり方では、個人の信仰のからは守れても、社会一般には通用しません。
この言葉については、冒頭に記したとおりです。


さて、ついでに書いておきましょう。

この漫荼羅と魂の問題を突き詰めると、ついには弘安2年10月12日・本門戒壇の大御本尊のみとすることはできなくなります。

なぜならば、その信仰者は、遠目でしかそれを見られず、何が書かれているのかもわからないからです。また、弘安2年10月12日という日付に拘っても、そこに何らこの本尊が唯一であるとする裏付けはありません。つまり、この日付に魂はありません。

漫荼羅ではなく、その魂と言うことであれば、日蓮の、どの漫荼羅と断定することはできません。すべての漫荼羅は等しく日蓮の魂が宿るのであり、また、その日蓮を崇拝し、書写された漫荼羅も等しく魂を有するでしょう。

以上のように考えていけば、漫荼羅・魂論とは弘安2年10月12日楠板彫刻本尊という特定漫荼羅本尊を斥ける結果になるのは理路整然としたところです。

329小池:2005/10/18(火) 21:11:06
独歩さん

独歩さんのお考えを理解するために整理してみたメモです(まだまだよくわからない部分が多く未消化ですが…)。

【Ⅰ.法華経でいう「法」とは何か】
1.「法」と言えるのは「妙法」と羅什が訳した言葉が指したもの。
2.「妙法蓮華經」は「経典」の「名」であり、「南無妙法蓮華經」はその「経典」に「南無」するという以上の意味はないところを「経題」そのものを「法」とした教学的な姿勢を直視する必要がある。
3.法華経全編を見ると、諸仏はこの経典によって成仏した、経典自体が遠い過去から存在していたとはあるが、経典自体が「法」であるという記述はない。
4.その「法」が何であるのかという点で明確に記述される句を探すと「教菩薩法」に尽きる。この漢訳に該当する梵本直訳を見ると「菩薩をいましめ」る(岩波文庫『法華経』上 P45)という以上の意味はない。法華経とは菩薩を教え(いましめ)、成仏記別を与える教えという内容になっている。
5.この「法」は「理法」ではなく、間違いなく「教法」(もしくは「行法」)である。教えは教(菩薩)法、行は菩薩行(六波羅蜜)である。これは実際の実践の行を教えること。それにも拘わらず、その教えを書いた本の名前を「法」と捉え違いするとき、実践行はそこで廃れてしまう。まさに「お題目だけ」ということになる。行法としては、六度(また八正道)といった実践行を忘却したところに後退があったと主張したい。
6.「妙法蓮華經は経題である」、なんでそれが「法」なのだという当たり前の疑問であり、このような当たり前の疑問は、古来からいわれていたようで、台釈にしても、日蓮教説にしても、その弁明に終始していると強く感じる。
7.私は、「題目」(五字七字)が「法」であるという教理解釈には反対の立場。

330小池:2005/10/18(火) 21:12:40
【Ⅱ.教の違い】
梵本法華経
梵本法華経は菩薩の戒めから計り知れない寿命を持つ如来になるために、法華経典を弘める「菩薩行」を督励するもので、この経典は古代の東西を凌駕した「聖典信仰の系譜」にあるように思える。
経典は誰かが作ったものであるというより、神秘な存在として永遠の過去から存在しているというもの。
経典は仏が説いたというのが旧来の在り方だが、法華経ではむしろ経典が仏にしたというコンセプトが散見できる。
その経典は誰が作ったのかということには言及せず、神秘の存在というコンセプト。
舎利信仰、仏塔信仰、仏像信仰も肯定はされているが、その骨子は「経典信仰」にある。
ここでいわれる「法」は「教法」であり、宇宙の真理であるとか、心の有り様であるといったことを問題にしていない。
この法華経が教える菩薩の戒めこそ、唯一の教え(法)であり最高のものである、菩薩以下の衆生も菩薩道を行じて仏になるという。この菩薩は徹底した無抵抗、非暴力、不怒の菩薩。

天台
しかし天台はこの「法」を什訳方便品の「諸法実相」から心から整理していく。「説己心所行法門」(己の心に行ずる訪問を説く)という解説はそれを端的に物語る。天台が法という場合、それは心法であり、その観察を十界、十如、三世間から三千の止観禅として結実したという点で、梵本法華経のコンセプトと大きく異なる。天台の時点では一念三千という成句化はない。「言語道・断、心行・処滅」をモットーとした天台が、このように三千分類観察する心法をしかし、三千であるとするわけがなく、三千はまた一心として、非三千にして、しかも非一、亦三千にして、亦一とするのは、実に勝れた観点である。
ところが妙楽は、天台の言う一心を一念とし、三千という定数化を天台が簡んだにも拘わらず、一念三千とした。個人的にこの妙楽解釈は、天台から大きく後退したものと思う。

日蓮
日蓮に至っては、この妙法蓮華経という経題を末法付属の正体として、法華経典への南無ではなく、この五字への南無として、「南無妙法蓮華経」とし、漫荼羅という独自な境地を展開していった。

331小池:2005/10/18(火) 21:13:15
【Ⅲ.行の違い】
梵本法華経
法華経は、菩薩を教えるといい、その成仏の結果は寿量(量り知れない寿命)であるという。ここで重点となっているのは「菩薩行」。

天台
羅什は、五何法と言われる箇所を九如是と約して恣意的な方向性を定めてしまった。
慧師を通じて天台はこの九如是を十如是として、唯識思想、また老荘思想、華厳思想、涅槃思想等と総合して三千不可思議境という座禅(止観)の方法を論じる。
妙楽はこれを一念三千とし、妙楽解釈の天台が天台として日本に伝わる。
ここで重点になっているのは止観という禅。

日蓮
日蓮は、伝教以降、真言密教の影響を受けた天台学と念仏の影響下で純天台を目指す意識を持ちながら、南無妙法蓮華経の唱題行を立てるという独自な展開をすることに。

332小池:2005/10/18(火) 21:13:53
【Ⅳ.末法】
今回の末法についての呈示は、末法思想を鼓舞する人々が、自分達が生きている時代こそ末法であるという認識に立っているという点である。

梵本法華経の制作者といえども、この例外ではないと考える。彼らが経典を創作し、釈迦滅後の時代を描写するのは、自分達こそ、その「末法」の弘法者であるという認識を、紀元前後の段階で既に持っていたからと考える。創作者たちがいう末法とは梵本法華経成立時点、さらにそこに登場する釈迦を担う主人公・地涌菩薩の出現もまた、創作者とその集団を指した西暦前後その時代を想定したものであったろうと考える。

重要な点は法華経制作者も、天台教派も、そして、日蓮も、通じて、自分達の時代が末法であるという自覚に基づいているという点である。

末法認識とは、現実社会が乱れ、滅亡に向かう様相を呈し、さらに人心が退廃している理由を、正しい教えの滅尽したことに理由を求める構造で古今一貫しているという点である。

法華経は、末法(教説が絶える=法滅)という時代に、釈尊を仰ぎ、「この世をどうするのか、衆生をどうするのかを考えた」経典であったという点(厳密に言えば「」で括った部分)が評価できる。

末法‘思想’は、この世をどうするのか、どう変えたかによって意味をなす‘思想’であるという点を再認識し、実際に活かされれば今日的な意義を持つに至るのではないか、その可能性があるのかが議論したい点。

333無徳:2005/10/18(火) 21:22:16
独歩さん貴方がおしゃられる様に私は大人気ない人間です、そのことは否定し
ようが有りません。

>あなたはここでは議論ができないのです

との事ですのでこれにてこの掲示板から去ります。
なにせ、貴方が中心の掲示板でありましょうからね、他の皆さんには私のレス
が中途半端になってしまった事をお詫びします。

もしも、他の掲示板にてお会いすることがありましたらその時はよろしくお願
いします。それでは失礼します。

334無徳:2005/10/18(火) 21:56:41
管理人さん、どこに書き込んでよいのか解りませんでしたのでここに書き込ま
せていただきます。

長らくお世話になりました私も管理者メニューにアクセスでき得る立場に居り
ましたので、後々のため管理者パスワードの変更をお願いします。

それでは失礼します。


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