「人を救うということ、慈悲の心である」
いちりんさんが、お書きになられていましたが、私は疑問に思うのです。
確かに大聖人様は折伏の大事を仰せになられていますが、私みたいなくだらない人間が、人を救う事なぞ出来るのかと。「折伏は御本尊様がするのよ」とはよく聞いたフレーズですが、御本尊様は言葉をお話しになられません。結局は“人”がするのだと思うのです。学会は折伏をして来ました。結果は皆様ご存知の通りです。
信心した人もいますが、返って反発を抱いた人はその何倍になるのでしょう。
一般の人が「創価学会」の言葉を発する時に笑顔で言いません。
桃梨さんが、この掲示板の人たちは人を救うという点がないと仰っていましたが、
それほど大事な事なのかと思ってます。「慈悲の心」はなにも人を救う事だけではなくて、現実生活の中で困っている人に「May I help you?」という気持ちで、接してあげる事が、本当は大切な事なのではないのかしらと思うのです。他者に対する優しさです。かくいう私はご存知の通りに“弱者”の立場です。だからこそ人のあたたかい振る舞いがとても有り難く、深い感謝の気持ちを持っています。でもその温かさが当たり前にならないようにとは、“自戒”していますが。