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素朴な疑問
260
:
ワラシナ
:2002/08/11(日) 12:02
「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題 14」
−リベラル中間層の存在ー
0、前回13−5で、「組織活動にさめた態度で臨んでいた人々の価値があることをきっかけに分かりかけてきた」と書いたがそのきっかけを書く。
1、学会を自分から飛び出して妙信講に移ったわけが正本堂問題にあったから、御供養勧募の事情には前から興味があって私は知りたがっていた。ある日学会経由で顕正会に入った人から40年秋頃の体験を聞いてみたが、意外な感想に驚いた。一部マスコミで強調された狂気じみた募金獲得騒動をその人は「体験していない」というのである。何でも中堅担当幹部がの供養金獲得目標を無視して「配下の会員に決して無理をさせない」という自分流の基準で処した為無理をした金額ではなかったから「いくら出したのか覚えていない」というのである。だから、顕正会員として正本堂募金のあくどさをつい強調してしまいがちな自分は拍子抜けしてしまったのであった。
その後この種の事例はほかにも聞いたことがあった。
2、大げさに言えば、学会では40年代に入ると旧リトアニア領事の杉原氏を小さくしたような英雄が組織の中に育っていたようなのである。こう考えてみて初めてつぶれるつぶれるといわれつづけてきた学会が今もって崩壊しない理由がわかると思う。表題の、自分の頭で判断するリベラル中間層がかなりいるからである、と考えられるのである。言い換えれば、組織体制べったりそうに見えて、普段は目立たない,低評価されている彼らではあったが、隠れたところでは立派な自己主張を貫き、長い目で見た時には組織の存続、世代間情報資産の継承といった課題に於いては、彼らこそが目立たないところで大きな貢献をしていた事になるのである。
3、このような見方は私たちと同時代に隣国共産中国で起きた権力闘争紛争である、「文化大革命」に乗せられてしまった事への反省が背景になっている。権力者が人生体験なき若者を政治権力闘争にあおり彼らから真の青春の楽しさ素晴らしさを奪ってしまった事への反省である。建前だけの急進革命派に長い間圧殺されてきた実権派の価値に気がついたからであった。
私には「正本堂問題」と「文化大革命」が重なって見えるからつい言ってしまうのである。
4、結局、どの集団,教団でもよいがリベラル中間層が育っているかどうかが大事なのだと思う。
(h14/8/11)
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