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素朴な疑問
331
:
犀角独歩
:2002/08/20(火) 20:58
329 あ さん:
あさんが考えているのが正解でしょう。
「人師に於ては用ふべからず。依法不依人の金言を仰ぐが故」という如く、
石山風にいえば、法によって顕師によらざれ。
創価学会風にいえば、法によって池田さんによらざれ。
顕正会風にいえば、法によって浅井さんによらざれ。
でしょう。だから、私は人法一箇は言葉として破綻している、仏法一箇ならば、まだわかるというのです。
> 人間的に問題があるメンバーがいくら多くても、「法」は正しいのだから、疑ってはいけない…
法が正しくて、メンバーは全員ダメはそりゃそうでしょうが、依法不依人は、こんな意味じゃありませんね。自分ところのダメメンバーの肯定論に使うとは驚きです。まあ、言っていることは合っているでしょう、メンバーがみんなダメは合っているわけですから(笑)
冗談はともかく、依法不依人は、依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義経と合わせて四依とされるのです。
もし、あさんにいった人が石山系であれば、よほど不勉強でしょう。『百六箇抄』に
法自(おの)づから弘まらず、人、法を弘むるが故に人法ともに尊し
は誰しも想起するところで、さらに寛師は依義判文抄に
依義判文抄明者は其の理を貴び闇者は其の文を守る、苟くも糟糠を執し橋を問う、何の益かある。而も亦謂えること有り、文証無くんば悉く是れ邪偽なり、縦い等覚の大士法を説くと雖も経を手に把らずんば之れを用ゆべからざるなり
も想起するでしょう。メンバーがダメでも法が正しいと言うのではなくて、経巻その他の文証によらない人の言は用いないと言うところに主眼があります。それを真跡はないけれど、重要視される『如説修行抄』に
所詮仏法を修行せんには人の言を用ふべからず、只仰いで仏の金言をまぼ(守)るべきなり
というのが、日蓮門下の大元と言うことです。
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