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素朴な疑問

323犀角独歩:2002/08/20(火) 13:29

五月雨さん:

> 日興上人は、大聖人様ご入滅後三年間も久遠寺にいなかったと書かれていましたが、一体どこに居られたのでしょう。

折伏をされながら、各地を歩かれていたのでしょうね。
身延山の別当だからずっと身延にいた“はずだ”は石山の希望的な観測でしょう。
もし、いたのであれば、墓所が荒れているの登山して気付くというのはおかしなことです。(この点については石山関係者は、おかしな解釈をつけて、なんとか肯定しようとしていますが、文字通り読むべきです)

身延の沢の御墓の荒はて候て、鹿(かせき)の蹄に親り懸らせ給候事、目も当てられぬ事に候(美作公御坊御返事)

ただ、円師は興師の弟子ですから、六老僧のなかでもっとも密接な関係にあったのは事実であろうと思います。

> 日興上人も時と場合によって、ものの言い方が変わるのでしょうか

もちろん、変遷は認められます。
また、寂仙澄師の帰伏、また継承の三位順師、さらに重須檀所派の教学において、興師の義とされるものは次々に整理されていきますから、逐一、変遷を見ることができます。しかし、それでも日蓮本仏義はもちろん見ることも、戒壇之漫荼羅、二箇相承に類することは見られません。

> 墓の輪番に日興上人は入っていなかったのはどうしてでしょうか。

いや、入っていますでしょう。


墓所守る可き番帳の事(次第不同)
正月      弁阿闍梨
二月      大国阿闍梨
三月      越前公 淡路公
四月      伊予公
五月      蓮華阿闍梨
六月      越後公 下野公
七月      伊賀公 筑前公
八月      和泉公 治部公
九月      白蓮阿闍梨
十月      但馬公 郷公
十一月     佐渡公
十二月     丹波公 寂日房

9月の「白蓮阿闍梨」が興師のことです。


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