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素朴な疑問

317犀角独歩:2002/08/19(月) 23:37

315 五月雨さん:

> 「本弟子6人」の中で、血脈を受けられたのは日興上人なのは、「常随給仕」をされていたから

これは勝手な石山の言い分ですね。聖人の真跡を調べると「血脈」という言葉は一度たりとも使われていません。けれど、下記の図を見てみてください。

相承略系譜
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Library/6963/honkakukeihu.html

この天台宗の相承譜から聖人は出られたわけです。そして、釈尊・天台・伝教・日蓮をして三国四師と宣言されたのでしょう。聖人に意識は血脈ではなく、相承にあったのでしょう。しかし、本弟子六人に相承したかと言えば、その点は必ずしも闡明ではありません。

> 他の5人の方は何をしておられたのでしょう。

私はそれぞれの上人方も富士で悪し様に言うような方々ではなかったと考えています。
聖人より一つ年上であった昭師は人生を尽くした深みがあり、穏健な朗師には人間性を感じます。聖人遷化の時、興師は壮年まっただ中、その行動力は群を抜いていたのでしょう。頂師は常師の影にあり、時師は中国を目指された、向師に取るべきところはあったからこそ、身延に快く興師は向かい容れたのでしょう。詳細に知ることはできませんが、一概に五老方を否定すべきではないと私は考えています。

> 大聖人様の眼から見られて決められたお弟子さんが「退転」した

上述したとおりです。

> 日興上人…仏像の建立を理由にして、身延山を出て行ってしまった

私は興師という方は代替品を認めない方であったのであろうと考えています。
聖人が所持されていた釈尊像はなくなってしまった。だからといって、新しい仏像を造ったとしても、それは聖人が所持されていた仏像ではならない。聖人のぬくもりも思いでも何もない代替品に過ぎないではないか、故になくなったという現実を受け入れて対処する、そのように考えられる方であったのであろうと思います。しかし、円師(波木井師)は、仏像がなくなったから、新しいものを、と考えられる人であった、興師の文書を読むとそのような様が彷彿と読み取れるのです。

> 大聖人様のお墓もほっといてどうしてという思いです。

そうですね。興師は、聖人の三回忌も過ぎないうちに五老方が墓所番を懈怠したことを嘆いているわけです。(原書)それが、身延離山をしたあとは、墓所を顧みることはなかった。私はこの点では興師に自語矛盾があると思います。

この点について、興師在生の時、既に五老門からも非難を受けていたようです。その様子が『五人所破抄』から窺えます。

一、 身延の群徒猥(みだ)りに疑難して云はく、富山の重科は専ら当所の離散に有り。縦(たと)ひ地頭非例を致すとも先師の遺跡を忍ぶべきに、既に御墓に参詣せず、争でか向背の過罪を遁(のが)れんや云云。

墓参もしない聖人に背いているではないかというわけです。それに対して、


 日興が云はく…汝等将(まさ)に砕身の舎利を信ぜんとす

と反論を企てています。「砕身の舎利」とは「全身の舎利」に対する言葉で、前者が遺骨、後者を法門であると言うのです。つまり、興師は聖人の教え(法門)を持って出ているのであるから遺骨を信じる必要はないというわけです。しかし、私はこの考えには納得できません。

また、もう一点、この『五人所破抄』では聖人の遺骨が身延にあることを認めているのに、今は石山に遺骨があることになっています。ここでも、まったく矛盾しているわけです。この点については『大聖人のお墓(ご遺骨)はどこにある?』スレッドでも、やや記してあります。

大聖人のお墓(ご遺骨)はどこにある?
http://jbbs.shitaraba.com/study/bbs/read.cgi?BBS=364&KEY=1015574506


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