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素朴な疑問
278
:
ワラシナ
:2002/08/14(水) 16:30
275 いちりん さんへ。
>日蓮主義というのは、「幻想を抱きやすい」ことが特徴といえましょうか。
*上の一行は全く日蓮主義の欠点を突いていて痛く感じられます。何故そうなってしまうのか以下に色々考えてみました
0、御書をよめば、本当に知らねばならない範囲が自己の煩悩以外のもの迄広がっているように見えます。これは、特に佛国土建立を言った立正安国論の影響が大きいと思う。これは自己の外側、社会への関心を促したものだから、それにこだわる姿勢の反動で自己の煩悩滅却という出発点への執着が薄れてしまった、と考えられます。
1、宗祖の本来の唱題行にも心のあり方を見詰めるビパッサナー的要素があるのだが、これが忘れられてしまって、宗祖の使った「事の」という単語が「佛国土実現」の意味を含んでいる(ここでは含んでいると仮定して言う)からと言って、題目がいつでも何かの闘争目標実現の為の修行のようにその仏法的意義範囲が狭められてしまっている感を受けます。
だから、ご指摘の日蓮主義の思想傾向の非仏教性という欠点が出てきているのだと思います。
2、大体、日蓮主義が注目される時と言うのはその思想価値が直に評価されると言うのでは無しに、何か社会を騒がせた、事件を引き起こす、から注目されて来たのです。
決して、一般的な人間自体の心理、真理に関して日蓮主義、日蓮教学が何か新知見を齎す、と言う形で他の人文学がしているような形での社会に対する寄与が見られない、これが自分には哀しく感じられるのです。これがもともと実現不可能ならばこれからの人類的な課題に対して日蓮教学は無縁のものとなってしまうと思う。
3、では、宗祖は人類全体に通底した何かの人間学的真理を何も残されていなかったのか、といえば、私は「これからの人類にとって必要になる大事な思想を残された」と思っています。それは何かと言えば「人類にとって一体家族とは何なのか、それに対する回答が宗祖仏法であった。だから宗祖仏法の本質は「家族教」として括れる」とする考えで、この点では伊藤瑞叡氏の「聖人が人類的規範としたのは菩薩誓願行」という大構想に少しは似ています。(h14/8/14)
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