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素朴な疑問

336犀角独歩:2002/08/21(水) 13:01

> 335

いちりんさんが仰るとおりであろうかと思います。ここがあるべき到達点だと思うのです。

私は虚構インチキは層をなしているといつも考えています。

今回の依法不依人の例で言えば、第1層が自分たちの都合による解釈のねじ曲げ、第2層がでは教祖、経典の絶対化…、そんな層の一々の嘘を丁寧に剥がしながら、では本当は?、に至るべきだろうと思うわけですね。

今の宗教団体は変だ絶対ではない、門下はどうであったか絶対ではなかった、日興はどうだ、日蓮はどうだ、伝教は、天台は、では法華経は…とどんどん積層化した錆というかそんなものを取って見ていく整理をしておく必要があると思います。しかし、全否定は愚かです。いい部分はしっかり取っておくことも必要でしょう。

ま、そんな考えで依法不依人はこんな意味であったと記したのです。しかし、では依法不依人という教えが正しいかどうかは、また別問題なのですね。結局、自分の頭で考えていく作業が必要なのでしょうね。たいへんな労作業ですが、しかし、指標は心を澄まして考えれば案外、簡潔なことかも知れません。初期経典をひいていちりんさんが語られるような心の浄める考えが基準なのであろうと思っています。

> 「権威」に依存しないで、「自分のことば」を語るようでありたい

仏に仮託して人を権威化させないための指標が依法不依人であったろうと私は解釈しています。

自分の言葉で語ることは、善意の人であれば、必ず尊いことなのです。
しかし、なかには「自分が話すことが法律だ!」だなんて言い出す暴君はかならずカリスマ支配にはついて回ります。その時に、依法不依人という指標は活かされるべきであると私は思います。


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