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素朴な疑問

263いちりん:2002/08/11(日) 15:13
わたしなりに「危険領域」ということを考えてみましたが、
「選択肢・オプションがない生き方」という状態かなあとも思います。

オウムの出家信徒が言っていたことで印象深かったのは、
「ここを離れたら、どこに行ったらいいのかわからない。ここしか、人生はあり得ない」
ということばでした。

で、これは、オウムのみならず、ほとんどの人にもいえることで「サラリーマンの人生しかありえない」「この会社以外の人生はありえない」という人も多いですし、
そして、宗教になったら、まさにこの「教団以外に、行くところがない。この組織以外には、人生はあり得ない」という人は、とても多いと思います。

組織を離れたら、路頭に迷うとか、地獄に堕ちるとか、罰に当たるとい恐怖もありますし、それまでの人生において、絶対に正しいと信じ込んでいますから、それ以外の選択肢がないんですね。

で、これは「依存」ですね。「執着」ですね。とても「不自由な生き方」です。

どんなときにも、どこにあっても、いろんな選択肢がある。
まあ、なんとでもなる、どうにでもなる、という生き方、それが自由な生き方だと思いますね。
もちろん、組織で生きるのも、選択の一つですね。

要は、「それしかない」という選択の狭さ、そこに落ち込むと、危険領域ですね。
どこにも縛られないし、依存しない生き方を、ブッダは説いているのだと思います。

ダンマパダに、こんなことばもありました。

ひとり坐し、ひとり臥し、ひとり歩み、なおざりになることなく、わが身をととのえて、林のなかでひとり楽しめ。305

愚かな者を道伴れとするな。独りで行くほうがいい。孤独で歩め。悪いことをするな。求めるところは少なくあれ。――林の中にいる象のように。30

旅に出て、もしも自分よりもすぐれた者か、または自分にひとしい者に出会わなかったら、むしろきっぱりと独りで行け。愚かな者を道伴れにしてはならぬ。61


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