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素朴な疑問

335いちりん:2002/08/21(水) 09:39
わたしなりに「依法不依人」というのを考えてる入るのは、

なんとか先生が、こう言われた。日蓮大聖人が、このように仰せである。なんとか上人が、こう言われた。
天台の摩迦止観には、こうあある。妙楽は、こう書いている。
龍樹がこうで、世親がああで。お釈迦さまは、こう言っている。イエスはこうで、孔子はああで。。

つまり、そういう偉大な人、聖者、経典というのは、
──いわば「権威」ですよね──
「権威」というのは「いうことをきかせる力」「いうことをききたくなる力」でもありますね。

だから、「自分の考え」を打ち出さずに、偉い人のことば、聖典を引っ張り出して、「聖典にはこうである」というと、人は納得したりしてしまう。

しかしですね。偉大な人とか聖典とかを、わたしは、ほとんど「疑う」というか「アヤしむ」ことにしているんですね。

だって、お釈迦さまがどう言おうが、日蓮さんがどう言おうが、そんなもの「ほんとにの人が悟っていたかどうか、だれもわからない」ということです。会ったこともないのに。正しいとかすごいと、思いこんでいるだけかも知れない。

大切なのは、それが聖者の言葉であるか、経典にあるか、なんてことは、じつはどうでもよいんじゃなかろうか。
きょう出会った、おばあちゃんが語ってくれた言葉。なにげなく、小学生がつぶやいたことば。死刑囚が書いた日記。

……そういうのだって、深く真実をついているものがありますよね。
逆に、聖典とか聖者の言葉でも、おかしいのはいっぱいあります。

だから、あたりまえのことなんだけど、「自分で考えて」「自分で納得して」「自分でぴんときたもの」を大切にしていけばいい。「権威」に依存しないで、「自分のことば」を語るようでありたい。……とまあ、そんなことを感じております。


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