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素朴な疑問
284
:
犀角独歩
:2002/08/15(木) 12:23
ワラシナさん:
別段、私は批判したつもりはありませんし、また、板曼荼羅を拝みきってもいません。
> 先輩同輩の方々の信心の姿勢の美点に触れる楽しみ…感動…「成功」
> 自分も他人のお世話をよくする…もっと凄い人が一杯…その人のいのちに感動
このような点は別段、批判しませんが、これは何も法華講という狭い井中に係るばかりではなく、外にはさらに多くの善意の人たちがいます。また、法華講が善意の団体であるという感動はけっこうなことですが、残念ながら、こんな認識をしている一般人はいません。石山は単に学会といがみ合って、日蓮に泥を塗っている、憎悪によって動く以上集団だというのが大方の見方でしょう。こんな現況にあって「成功」を享受するとは、ワラシナさんらしからぬという感想を述べたものです。
ただし、これは私に対する「残りの四分の一程度が成功(或いはもっと失敗率が大きい)」という分析において、法華講の井中でご自身を成功と言いながら、一般社会の善意の知識人・実践家と連なって10年足らずの基礎を固めてきた私のほうが「或いはもっと失敗率が大きい」などとする理解の仕方に対する疑問でもあります。
私は脱派後の自分の歩みを一度たりとも「失敗率が大きい」と考えたことはありません。むしろ、法華講に寄生するほうがリスクははるかに高いであろうと、己の法華講経験から思う故、係るワラシナさんの、無徳さん・私との比較は、当を得ていないと思った次第です。しかしながら、これは「信者にとっての信仰と経済に横たわる深い問題」全体に係る疑問ではありません。
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