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素朴な疑問
259
:
アネモネ
:2002/08/11(日) 05:01
今はどうなのか知りませんが、かつて自衛隊員に学会員がとても多かったと聞きました。自衛隊と学会はどちらも組織なわけですが、自衛隊組織での上下関係が、一方の学会組織では逆転していることが多かったということを聞いたことがあります。
ワラシナさんの256)のレスを拝見しまして、そんな話を思い出しました。
職場では、仕事の出来る人が尊敬され、法華講や学会では、活動に熱心な人が尊敬されるんですね。仕事の出来る人とは、一概には言えませんが、とりあえず会社に利益を上げる人ということで、これは数字で顕されるものといえます。一方、信心活動の場合はどうかというと、お寺によく来る人、唱題をたくさんする人、折伏をよくする人、そして御供養をたくさんする人といった具合で、どうやらこちらも数字で顕されるもののようです。
数字で顕されるということは、その優劣が目で見てわかりやすく、誰もが認めてしまうところですが、でもここが錯覚というか落とし穴なのでは‥と思ってしまいます。
他のお寺はどうか知りませんが、私のお寺には、いたるところに折れ線グラフや棒グラフの大きな紙が張られていて、まるで営業所のようです。
仕事の場合、これはどうしたって、利益追求からは完全に逃れられませんから、数字がつきまとうのが現実ですね。それから逃げることは出来ないと思います。
だけど、信心の場合は本当に数字なんだろうかって、私はいつも疑問に思ってました。数字で、人のことが判断できるものなのだろうかって。むしろ数字が邪魔をして、人間性を考えることが出来なくなり、数字によって、盲信させられているんじゃないかって思うくらいです。
実際のところ、数字に煩わされるのは、会社だけでウンザリと言いたいところではないでしょうか。あっちの数字もこっちの数字もとそんなに背負えるものではないですから、結局はどっちかに傾いてしまうんですね。好きなほうに傾くものかと思いますが、信心で数字を背負ってしまうと大変なことになるかもしれません。お寺の中の人間関係に競争原理が働きますから、往々にして人間性を阻害させてしまう場合が多いです。また、仕事で数字が背負えなくなるので、生活が破綻する危険もあります。しかし、そのことを誰にも相談することが出来なくて、そうなってくると精神面さえ壊れてしまうかもしれません。何のための信心だったのかということになってしまいます。
私なんかは、信徒は数字を背負ってはならないと思うんですね。私も信心歴は短いものの、かなり危険領域にいたと思います。
結局、仕事の場合もそうかもしれませんが、数字って負うものではなくて、追ってくるものかもしれない、つまり後からついてくるものじゃないかなと思います。
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