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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
1738
:
老婆心
:2007/09/01(土) 20:23:39
・更生教育中、監獄の長に推薦された者は最高裁判所の設置する委員会の
考査を受けるを得る。
紫煙狼さんは、監獄の長は「推薦」するだけであり、委員会の「審査」を
「受ける」ことが可能になるだけで、最高裁や、設置の委員会に対して
「審査の決定」について強制力をもつものではないのではないでしょうか。
≫はぁ?監獄は行政作用だろ?いったん司法権で死刑判決されたのに、行政権の
力(推薦だってww)で最高裁判所まで動かせるようになるのか。
のアノニさんの発言は、司法権(の独立)に対し、行政作用が干渉すること
を危惧されているように読めますが、確かに、司法権の独立は侵されるべき
ではないですが、権力分離と牽制、司法権といえども「国家権力」であり、
すべての国家権力は「民意」の反映とまったく無関係な存在とはならない
ことの要請もあると思います。
実際、司法権が判断した死刑判決の「執行」は「法務大臣」の判断に
依拠することになります。
また、判決による「宣告刑」に関しても、「仮釈放制度」により、
矯正施設の長の申請、地方委員会の判断により、実際の「刑期」が左右
されます。そして、実施が予定される「裁判委員制度」などは、まさに、
職業裁判官の判断に、民意を反映しようとするものにほかならないと
思われます。
このように、司法権といえども、他の権力作用、民意から、まったく
切り離された存在ではありえないことになります。
1739
:
紫煙狼
:2007/09/02(日) 02:06:48
>>1753
KENさんの仮定に基づけば、冗長化につながらない、と思います。
この改正案に従った場合、今より冗長化するのは
「殺すには惜しいほど、改心した死刑囚が現れた場合」ですよね?
更生する可能性のある凶悪犯罪者は既に死刑確定までの間に更生して
いるだろうというのですから、冗長化する要因が発生しない事になります。
むしろ、宗教的信条等を理由に、死刑執行命令書に法務大臣が署名しない、
という事態を解消するという意味では、円滑にすらなりはしませんかね。
>>1738
仰るとおりです。
>>1736
前にも控えめな表現でお伝えしたつもりでしたが、
正しく伝わっていなかったようなので、明確にしますね。
批判・反論は謹んで承りますが、クチのきき方1つ知らない
人を小馬鹿にしたような発現しか出来ない人と議論するツモリは
毛頭ありません。自覚症状がないなら、はっきり言いますが、
あなたと話をするツモリはありませんのであしからず(^^)
1740
:
Ken
:2007/09/05(水) 22:42:49
紫煙狼さんの提案は死刑囚に生き残る可能性を制度として確立すれば、一生懸命
更生するかもしれないというふうに受け止めているのですが、ただ、やっぱり
更生するんだったら最高裁判決までに更生しますよねえ。アニノさんが何を言いたいのか
はっきりしないのですが、審査するのが裁判所というのは私も少し変な気がしました。
というのは恩赦とか減刑というのは行政の裁量として認められていますよね。
最近の例だとブッシュ大統領が政府高官のスクーター・リビーを減刑して話題に
なりましたし、あとトゥーキー・ウィリアムズの死刑を巡ってシュワルツネッガー・
カリフォルニア州知事がオーストリア名誉市民を剥奪されたとかありましたよね。
米国の場合は死刑執行書にサインするのは州知事で(連邦死刑の場合は大統領)、
シュワちゃんは恩赦を与える権限があったにも関わらずそれを行使しなかったから
批判されました。死刑が再開されてから1000人目になるはずだった死刑囚がどこの
州だか忘れたのですが、手続き的な不備(検察・警察が再審に必要な証拠を保全して
いなかった)を知事が認めて死刑から確か終身刑に減刑されて、それでノース・
カロライナ州に記念すべきお鉢が回ってきました。日本の恩赦・減刑は私はよく
知らないのですが。裁判所に対しては再審請求が制度として現行でも活用されてますよね。
紫煙狼さんの提案にはいくつかの問題がごっちゃになってるような気がします
(というか一挙両得を狙ってるのかもしれないですが)。
1.殺すには惜しい死刑囚がいる
2.現行では死刑が円滑に執行されないことがある
1と2は視点が逆なんですよね。1は反対派、2は推進派の視点でしょう。1は2の
理由かというとそうじゃないですよね。法相がサインしないのは宗教上の理由とかです。
死刑の犯罪抑止的効果から見ると逆説的ですが
・死刑は確定後○○年の更生教育を経た翌朝、監獄内で執行されるものとする。
というのも推進派からすればまずいんですよ。というのは米国でこれだけ反対
運動が盛り上がるのはあらかじめ死刑予定日が公表されるからです。日本だと
おそらく法務省内部では設定されているのでしょうが、国民につまびらかにされる
ことはないですよね。行政には死刑をいつでも執行することも執行しないことも
できるというフリーハンドがあるわけで、制度を維持する上では非常に都合が
よい。死刑にとって一番打撃となるのは処刑した後で実は冤罪でした、という
やつで、これも冤罪くさければ政府はいつまでも執行しなければいいわけで、
実際そんな感じが伺えますよね。
1741
:
Ken
:2007/09/07(金) 21:25:43
へええ、ラスプーチン佐藤も死刑廃止論者なんですね。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20070717/129954/
佐藤優と伊東乾(地下鉄サリン事件の実行犯を同級生に持つ作家)の対談
ちょっと、議論が拡散しているようですが。
1742
:
Ken
:2007/09/07(金) 21:26:34
補足:全部読むには登録が必要ですが、無料です。
1743
:
老婆心
:2007/09/09(日) 07:57:05
Kenさんと紫煙狼さんという看板論客のあいだに割り込む形で申し訳ありません
が、Kenさんのコメントに関し、疑問に思った点があります。
≫ただ、やっぱり更生するんだったら最高裁判決までに更生しますよねえ。
・多くの死刑囚を管理し、死刑囚の執行までの様子を観察している
元刑務官が書かれた本で読んだ記憶がありますが、死刑囚の場合、
その「更生、改悛」は、死刑執行を待つまでの間に、宗教家の
教誨などを体験することで、おどろくほど、人間性が変化し、
更生するケースが多々ある、ということでした。したがいまして、
死刑の受刑者の「更生」は、必ずしも「最高裁判決」までではなく、
死刑囚としてのその後の生活においても十分起こりうるのでは
ないのでしょうか。
ただ、死刑判決確定後における「更生」の有無が斟酌され、
死刑判決後も死刑の執行を免れうる、というのが制度化された場合、
以下の問題点があると思います。
1点目としましては、
最初から、その「更生による救済」をあてにして、犯罪を犯し、
死刑判決後も、「更生」を装って、死刑執行を回避しようとする
「意図的な犯罪者」を生むおそれはあるかと思います。
2点目として、1点目以上に問題と思えるのが、
「冤罪者」は、「再審制度」によって自己の救済を図るのが通常
かと思いますが、「再審」で争っている場合、「更生、改悛」が
ないものとして、「更生による死刑執行の免除制度」の対象外と
されてしまうことが考えられることです。
狭山事件の石川さんは、「無期判決」の例ではありますが、
刑務所において、石川さんがどんなに生活態度がよくても、
自己の冤罪を「再審請求」で争っている者として、仮釈放をなかなか
認めてもらえませんでした。
死刑廃止論の中核的は根拠は、「冤罪のおそれ」と思われます
(法学者の重鎮、団藤重光氏も、「冤罪のおそれ」を究極の根拠として、
最高裁判事を退任後、死刑廃止論者に立たれています)
したがいまして、冤罪者こそ、死刑判決の執行をもっとも回避される
べき存在であるにもかかわらず、冤罪者が「再審」等で無罪を争って
いればいるほど、「更生、改悛」がないとして、死刑執行の免除の
対象とされない、という事態となることが考えられます。
このような事態となることを回避するために、
「再審請求中」は、絶対的に、死刑執行が延期されることを保障した場合、
再審請求の乱発、という別の問題もありうるので、どうしたらよいので
しょうか。
1744
:
紫煙狼
:2007/09/09(日) 11:39:24
>>1740
私は死刑廃止派と死刑推進派の両面を内包しているんですよ。
つまり、死刑制度が認められている現行法制では円滑に執行すべし。
ただし、死刑制度を認めない法制度への転換を早急に実現すべし。
なんですね。だから、先日3人の死刑囚が処刑された件に関しては、
正しく法が機能したとして、ある面で高く評価しています。
>>1743
冤罪問題と死刑存廃は混同させると方向を誤りませんか?
確かに冤罪で死刑になる人が存在したとしたら非常に恐ろしいことです。
でも、それならば「冤罪で無期懲役になる人」や「冤罪で有期懲役になる人」
「冤罪で(日本にはありませんが)終身刑になる人」ってのは、一般的に
受忍限度の範囲内と考えられるのでしょうか?????
そう考えると、死刑存廃問題は「冤罪ではない」ことを前提にしなければ
死刑に限らず全ての刑事罰について見直さなければならなくなりますし、
この両問題は、それぞれ別々に解決するべき問題だと思うんですね。
確かに冤罪問題を解決するのは死刑存廃問題を語るよりずっと難しいでしょう。
私自身、冤罪をゼロに近づける不断の努力は必要だと思いますが、それでも
「いずれ冤罪をゼロに出来るだろう」とは思えません。
でも、それを理由に「死刑を廃止するべき」というのは短絡的過ぎませんか?
「せめて死刑を廃止するだけでも随分違うでしょう?」的な考えは危険に感じます。
ただ、世論と言うのは短絡的なもので、英国は処刑後発覚した冤罪死刑の事実
から死刑廃止の動きが現実化したという経緯は確かに有りますね。
1745
:
アノニウォッチャー
:2007/09/09(日) 12:47:15
議論というのはどちらかの立場に立って自分の主張のメリット、相手の
主張のデメリットを指摘して争うものだろ
両面内包って何?・・・・(泣
突込みが入りだした途端
「いや、実は廃止でも存続でもどっちでもいいんですよ。あんまり
突っ込まないでくださいよ。黙って僕の話だけ聞いといてくださいよ」
っていってるww
何を言いたいのか?まったくわからん。
1746
:
Ken
:2007/09/10(月) 22:25:55
老婆心さん
「最高裁判決」の部分は書いた後に自分で間違いに気付いたのですが、そのままに
しておいたところ、突っ込まれたので恥ずかしいです。その間違いとはご指摘とは
少し違います。最高裁は下級審判決に法令違反があるかどうか基本的に書類審査
するだけなので、被告が自分が更生したことをアピールすることはできないです。
被告にとって反省の弁を述べるチャンスは一、二審ですね。
>>死刑囚の場合、その「更生、改悛」は、死刑執行を待つまでの間に、宗教家の
教誨などを体験することで、おどろくほど、人間性が変化し、
この場合の「更生、改悛」とは死刑が前提になっているのではないですかね。
つまり自分の処刑を目前にして悔い改めると。逆に言うと、この手の改悛は死刑に
なるかどうかが決まっていないと起こらなさそうですよね。ひょっとすると、
死刑というのは極悪人に最後に人間らしさを取り戻させるためにあるのかもしれない
ですね。
話は変わりますが、最近「悪魔の代弁者(Devil's advocate)」という言葉を
覚えました。もともとはバチカンが列福・列聖の審査をする際に、候補者に穴を
見つけるために自由奔放に批判を加えるために設定された役回りを指します(ヨハネ・
パウロ二世前法王によって廃止された)。聖人になるくらいの人は立派な人ですから、
それを批判するのは気後れしますよね。なかなかうまい手を考えたものです。
それから転じて議論の際に、全員が同調して健全な議論が機能しなくなるのを
防ぐ辛辣な批判者、という意味になったそうです。山口母子殺害事件の弁護団が
まさにその役割を担ってますよね。この掲示板では誰がその役をやっているのかと
考えてみたり...。
1747
:
flower
:2007/09/11(火) 12:54:10
ぜんぜん脈絡のない書き込みをしてしまうようで申し訳ありませんが、
日本人が日本の法律を守り、守るという合意の下においてお互いが日本人であると
認識する場合、ニュースや歴史資料で判明している事実から、日本の法律を
侵して平気な顔をしている外国人が国籍を問わず国内外にいるようだ、ということを
どう理解したらよいのか、理解するために何を知っていなければならないのか、
と、ふと思いました。
犯罪に対する懲罰や重さは、何を基準に考えればよいのだろう、と思いました。
1748
:
老婆心
:2007/09/15(土) 06:51:58
≫犯罪に対する懲罰や重さは、何を基準に考えればよいのだろう、と思いました。
死刑という刑罰(悪・負の行為へのリアクション・サンクション)を
考えるにあたって、flowerさんが提起された問題は、刑法に関し
古来より追究されたきた、重要で根本的な命題かと思います。
1.人間の行為の中で、何をもって「犯罪」とするのか。
2.その「犯罪」の成立要件は何か。
自由意思(自由な判断)にもとづかない(たとえば精神上の問題など
で心神喪失・心神耕弱等)による行為に対し、刑罰なのか保安処分等
の別の処分なのか
3.その「犯罪」への制裁として「刑罰」を課す場合、その「刑罰」の
内容・軽重をどうするか。
4.刑法の適用範囲・処罰条件をどうするか(日本人であれば、場所を
問わず適用・処罰する「属人主義」か、犯罪の実行行為の場所を
問題にする「属地主義」か、誰がどこで実行しても処罰する「世界主義」
かなど)
また、国家統治権が及ぶ範囲に関し、治外法権を認めるかどうか
など、人が人に制裁を加える以上、人は「神」ではない以上、
慎重で賢明な考慮をこころがけなければ、刑罰は不当な抑圧の手段と
なってしまいます。
だからといって、刑法(刑と罰の規範)は、社会をコントロールする
インフラとしての必要性は否定できないと考えるので、
「刑法」らなびに、その手続きとなる「刑事裁判」制度を否定することは
できないと思います。
しかし、その刑事裁判による事実認定には、常に、「誤判」のおそれが
あることは認識すべきです。
その「誤判」による「取り返しのつかない状態」に関し、
冤罪による「有期懲役、無期懲役」により、「自由な行動を制約され、奪われた
自由時間」と、冤罪による「死刑」により、「奪われた生命」との比較で、
どちらも、「取り返しのつかない」ことにかわりない、とするのか、
そうではあっても、「生命」を奪ってしまう「死刑」については、特別な
配慮が必要で、同じ「刑罰」の中でも、「別格」と考えるかにより、
死刑制度に肯定的となるか否定的となるかの立場の違いが生じる、という
側面はあるかと思います。
1749
:
flower
:2007/09/16(日) 08:41:32
老婆心さん
法律について考える、死刑について考える、ということはとても難しい問題なのですね。
専門家の方々は、様々な要素を鑑みて、起こってしまったことをきちんと場合分けした上で、
そして対応・対処していらっしゃるのだなと思いました。
それとともに、このことをみんなでいっしょに考えてみるということも大切だなと
思いました。
1750
:
Ken
:2007/09/21(金) 14:20:16
>>1748
冤罪による「有期懲役、無期懲役」により、「自由な行動を制約され、奪われた
自由時間」と、冤罪による「死刑」により、「奪われた生命」との比較で、
どちらも、「取り返しのつかない」ことにかわりない、とするのか、
そうではあっても、「生命」を奪ってしまう「死刑」については、特別な
配慮が必要で、同じ「刑罰」の中でも、「別格」と考えるか
冤罪は一般に名誉回復や損害賠償(金銭)によって補償されますよね。処刑された
後では一切の救済は本人にとって意味がないので、死刑と懲役刑では冤罪の意味に
質的な違いがあると思いますが。
1751
:
Ken
:2007/09/21(金) 14:38:11
面白い記事を見つけました。米国の死刑の最近の動向。米国では今死刑が下火に
なりつつあるんですね(テキサス州を除く)。図を見てもらえばよく分かると
思います。
http://economist.com/PrinterFriendly.cfm?story_id=9719806
それで、死刑を支える三つの理由というのがあって、それに反論が試みられています。
①極悪人を税金で養うのはバカらしい
・ノース・カロライナ州の場合、死刑囚一人当たり終身刑よりも200万ドル余計にかかる。
これは、長期間にわたる様々な司法手続きや冤罪を防ぐための厳格な手続きが
必要だから。
・メリーランド州の場合、死刑がなければ1978年以来2240万ドルが節約された
計算になる。これは毎年、警察官500人分、あるいは一万人の麻薬中毒患者の更生
プログラム費用に当たる。「死刑と違って、これらは命を守り凶悪犯罪を防ぐ
ための投資である」(マーティン・オマリー州知事)
1752
:
Ken
:2007/09/21(金) 15:06:34
②死刑は犯罪を抑止するのか?
・死刑のあるなしと犯罪率に相関関係はない。死刑のある州のほうがない州よりも
46%も殺人率が高い(2005年)。米国の殺人率はとっくの昔に死刑が廃止された
欧州よりもずっと高い。
ただし、記事にもある通り、相関関係がないからといって死刑に抑止効果がないと
するのは早計です。犯罪は様々な要因で起きますから。あるいは、凶悪犯罪が
増えてくると(あるいはそう知覚されると)、逆に死刑が熱心に支持されると
いうこともありますよね(今の日本とか)。
・1977年と1999年の間で、処刑一件につき三件の殺人を防いだ計算になる。即刻
処刑されれば防げる殺人の数はさらに増える(エモリー大学Joanna Shepherdの研究)。
・処刑一件につき18件の殺人を防いだ計算(エモリー大学の別の研究)。
・処刑一件につき5件の殺人を防ぎ、死刑の減刑一件につき5件の殺人が余計に
起きる計算(コロラド大学のNaci Mocanとコーネル大学のKaj Gittingsの研究)。
反論
・処刑件数は年平均で40件弱でしかないのに対して、殺人件数は1991年には24,703件、
1999年には15,522件、2005年には16,692件というように激しく増減し、抑止効果では
説明できない。
・全米の半分近くの処刑件数を占めるテキサス州とそれ以外を比較しているだけ。
(Skeptical Enquirer誌のTed Goertzel)
・殺人を犯しても死刑囚になるのは1%未満の確率(この部分、訳にやや自信なし)。
なおかつ、死刑囚になっても処刑される確率は年に2%だけ。これに対してヤクの
売人が殺される確率は年7%。彼らにとって死刑囚になるほうが街中にいるよりも
よっぽど安全(シカゴ大学のSteven Levittらの研究)。
1753
:
Ken
:2007/09/21(金) 15:38:28
③遺族感情の慰撫、あるいは宗教的理由(目には目を)、感情論
・義理の父が殺されたときには死刑はあまりよくないかも、と考えたが、犯人が
処刑された今では死刑を強く支持するようになった(Colleen Shaffer)
・「遺族は誰だって罪を犯したクソッタレ野郎に死んでもらいたいと思うものだが、
その前に、そのクソッタレ野郎を捕まえるのが先決。そっちのほうが大事。」
(Howard Morton。熱烈な死刑廃止論者。1975年に息子がアリゾナの砂漠でヒッチハイクの
途中で失踪し、1987年になって実は失踪した年に発見された白骨死体が自分の
息子であることが分かった。全米の殺人事件のうち三割は彼の息子と同じで未解決。)
1754
:
スーミー
:2007/10/20(土) 06:26:28
>Kenさん
アメリカの死刑の現状等がそうであるとは知りませんでした。
死刑になるような犯罪者は犯罪傾向が強いケースが
多いと思います。
犯罪を二度と起こさないように刑務所の中で教育しようにも、
すでにそういう段階を通り越していることって少ないとは
いえないでえしょう。
再犯を確実に防ぐには
刑務所から絶対に出さないとか、死刑を執行して抹殺するし
かなくなります。
日本の場合は仮釈放なしの終身刑のような刑は
ないわけで、なるべく早く作るべきと考えます。
死刑そのものは強いて廃止すべきではないと
思いますよ。
死刑という刑罰には抑止効果がないという人も
いますが、そのデータの出所を探ると日本の
ものではなかったりします。
執行までに時間をかける現行のやり方も問題は
ありますが、結果として誤って執行する危険性を低くしていると
思います。
1755
:
柏木
:2008/04/30(水) 01:02:32
百聞は一見にしかず。日本の死刑が実際に執行されて、人が吊るされている
壮絶な場面を見たこともないくせに、その場に立ち会ったこともないくせに、
知ってるような口調で、まるでアニメを見ているかのように意見を交わして
いますが、全て根拠が無い想像だけの、「机上の空論」です。意見に価値も無けれ
ば重みも伝わって来ません。「オタク」の世界と同質のものと言えます。
賛成・反対を言う前に、死刑の内容(議論の対象)について「知る」必要が
あるのではないでしょうか。重要な情報が欠落した状態で、どうやって中身の
ある価値ある話合いが出来るでしょうか。
死刑を受ける囚人は、地下高架式によって2メートル前後の高さから、地下へ
落されますが、実際それはどのように執行されるのか、罪を償うと言う意識が
ちゃんとあるのか、死刑囚の心情は、首が折れるのか折れないのか、
死刑囚の体や意識にはどんなことが起こるのか、など、誰かが言ったことや、
自分の貧弱な想像に頼らず、しっかり国民一人ひとりが、その内容を実存的に
知る必要があると思います。
出来る限りの方法で、国民は死刑執行に「立ち会う」ことで、立法した責任を
完結することが出来ると思います。テレビで(中継または録画)放映して、
最初の情報開示できると思います。裁判員制度が来年始まる今、その時期に
きています。死刑制度の存置・廃止について、賛成・反対は、それからの問題
です。先ず「見てから」です!
1756
:
zero
:2008/04/30(水) 06:46:24
死刑の場面を見た上で議論すべき・・・???
そんなこと言うんだったら、殺害の場面も見た上で議論すべき、ということになりませんか?
1757
:
Ken
:2008/04/30(水) 13:31:13
確かに。
政府の死刑制度に関する情報公開が遅れているというのは正論だとは思いますが、
直接見聞きしたことしか議論しちゃならん、というのは暴論じゃないですかね。
1758
:
老婆心
:2008/04/30(水) 22:23:58
死刑執行の方法は、電気イス、薬物注入、ギロチンなど、多種多様のものが
あると思いますが、そういった「具体的な方法」を論じるのではなく、
「人間の生命を奪う刑罰」としての「死刑制度」を論じることもできるし、
必要なのではないのでしょうか。
ただし、刑法が定める「絞首」による死刑執行方法が、憲法の「残虐な刑罰」
にあたらない、といっていいのかどうかは、おっしゃる通り、「見てから」
でないと判断できないとも思われます。ちなみに、最高裁判所の判例に
よりますと、「火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆで」については、
「残虐な刑罰」で憲法違反となるが、現行法の「絞首刑」は、「特に人道上
残虐であるとはいえないので、憲法に違反しない」としています。
「裁判員制度」がスタートしたら、こういった論点についても、国民が
判断していく、ということなのでしょうか。
1759
:
紫煙狼
:2008/05/01(木) 14:24:57
暴論には暴論でご返答するのが礼儀かと思いますので反論させていただくなら、
「死刑がいかに残酷であるか」を論議するには死刑の実際を目にする必要が
あると思うのですが、極端な話、死刑賛成の方々だって、正直、死刑が残酷では
ない、なんて思っていなくて、むしろ凶悪な犯罪者なのだから多少残酷な刑罰も
許容されて然るべしである、と思っている方々もいらっしゃると思うのですね。
その方が、一般予防の側面もいっそう強まるというもので。
また、死刑が残酷であるなら…現在の死刑囚は漏れなく殺人犯ですから、
少なくともそれと同等程度に残酷な仕打ちを被害者にしてのけた死刑囚に対する
怒りも、また同様にいっそう強いものになることも考慮されます。現実を見て
死刑賛成派から死刑反対派に論旨変えする人がどれほどいるか知りたいですね。
逆に、死刑に反対する人々は、死刑が残酷な刑罰であろうとなかろうと、
そもそも刑罰として命を奪うということが許容されるべきか否かが問題であり、
死刑が残酷だから廃止すべきという旨の主張をしている人でも「死刑がほんの
一瞬にして苦痛もなく命を奪うものであれば許容する」という意見の方は非常に少数、
ほぼゼロに近いと思われ、また別の理由を元に反対するだけのことです。
死刑反対派から死刑賛成派に論旨変えする人は…ほとんどいないと思いますよ。
従って、死刑の実態そのものを衆人の目に晒す事で何が変わるかといえば、
死刑に携わってしまう刑務官などの人々の心痛に思いを馳せる事ができるくらいで、
本質的な変化は望めないと思うのですがいかがでしょう?
1760
:
loveless
:2008/05/11(日) 22:32:56
国連の人権理事会が、日本の死刑制度に対して改善の申し入れをしたそうです。
(ついでに北朝鮮などが戦時中の従軍慰安婦問題について注文をつけたとのこと)
日本の政治家の中には「国連至上主義」の人が多数いるので、
旧来の死刑廃止派と連携して、今後、死刑に対する議論が巻き起こるかもしれません。
1761
:
行きずりの男
:2008/06/12(木) 16:22:51
アキバ事件を前にして、死刑は「復讐」なんだと痛感。
具体的事件において、死刑が抑止力として働いた
という実例は、ほとんど見当たらないと言われている。
一方で、今回のアキバ通り魔の容疑者、
7年前の附属池田小の宅間守も、
少なくとも言葉の上では、共通して
「たくさん人を殺せば、死刑になると思った」
と述べており、むしろ死刑の存在とその執行が、
「大量」殺人を助長した可能性さえあるわけだ。
結局、テロ→報告→テロの「連鎖」と同じ構造なのか。
死刑は「復讐」なのだから、新たな暴力を生むきっかけに
なるだけなのかも。
1762
:
Ken
:2008/06/13(金) 02:24:25
それは極論じゃないですかね。こういう手合いの輩には死刑が抑止力にはならないかも
知れませんが、犯罪はこういうのばかりじゃないですからね。厳罰が抑止力になる
場合もあるとは思いますよ。ただ、こういう事件を受けて「人を殺せば死刑」という
人類古来の自然法に則る「応報主義」でこの殺人に臨め、なんて主張するのは
ナンセンスですよね。佐々淳行さんがそういうこと言ってるのですが...。
http://sankei.jp.msn.com:80/affairs/crime/080611/crm0806110256003-n1.htm
1763
:
行きずりの男
:2008/06/16(月) 11:07:08
私が言っているのは、
「具体的」抑止力(特定の犯罪を止める)のこと。
死刑になるかもしれないと思って
殺人等の重要犯罪を思い止まったという例が
ほんど指摘されていないのに、一方で、
本件のように、積極的に死刑を望んで多数人を殺した
という例はかなり報告されているし、最近増えてきている
と感じるのです。
一般的抑止力(死刑制度の存在が犯罪一般を抑制する)
はもともと論証不能ですから。
1764
:
行きずりの男
:2008/06/16(月) 16:07:31
佐々氏の言説は正直意味がわかりません。
これだけの被害者が発生したというのに、
洞爺湖サミットを前にして何たることかとか、
外国人がいなくてよかったとか、
不謹慎すぎやしませんか。憤りさえ覚えました。
少年の刑罰の問題は論点が大きく違います。
「たくさん殺せば死刑になると思った」と述べている犯人を前に、
「刑が軽すぎるんだ」とは的外れもいいところなんじゃないですか。
治安を担当する人として、こうした事件を前に無力感を感じ、
動揺するのはよくわかりますが、それならそれで、
あらたな対策が必要だという認識を示したほうがまだましです。
1765
:
アッキー
:2008/06/16(月) 17:04:58
>>1764
同感!
>かつて日本赤軍の岡本公三らが敢行したイスラエルのテルアビブ・ロッド空港乱射事件に次ぐ凶悪犯罪である。
↑佐々氏の言説ですが、大阪池田小での殺傷事件は? というか凶悪事件でこれが一番凶悪とかこれがそれに次ぐ凶悪事件と言っていること自体おかしいでしょう。
加藤は死刑を意識しているとは思いますが、「死刑になりたい」とは言っていないのでは???
1766
:
行きずりの男
:2008/06/16(月) 18:04:49
ネットの記事では確かに、
「たくさん殺せば・・・」は書いてないですね。
民法テレビのニュースで聞いて、
宅間と同じだと思ったんです。
多分間違いないと思いますよ。
1767
:
無精髭
:2008/06/17(火) 22:58:59
はてさて、今回の宮崎勤死刑囚を含む3人への死刑執行によって、何らかの一般予防効果は働くのかどうか...
小生個人の意見と致しましては、「働く」とは思うのですが、それは確かめようがないと言うのが正直な所。
確かめようがない、というのが重要で、実際にそれが働こうが働くまいが、その事実とは関係なく、何らかの効果
を主張できてしまうのが、小生には不思議な感じが致します。
事実と関係なく主張できると申しましたが、それは推論の域を出ないと言う事です。
その推論に信憑性を与えるのは言うまでもなく、死刑確定から執行までの期間の短さと
鳩山法相の歴代最多執行数から来るある種の厳格さに違いありません。
実際、死刑という刑罰が存在する事よりも、それが執行される事の方にこそ、一般予防効果は期待されるようですね。
勿論、刑罰の存在とその執行の二つを込みで考えるのが、普通でしょうけど。
死刑の犯罪抑止力の有無が不鮮明である事は、もはや死刑廃止論者が槍玉に挙げる際の常套句なのかも知れませんが、
やはり死刑の存在を国民に再度確かめさせる為の刑執行には、一時的ではあれども威嚇効果は期待できそうな気も致します。
ですが、飽く迄もそれは「威嚇」効果...刑罰の残酷性が際立ってこそなんぼのもの。
それで犯罪者及び犯罪予備群を黙らせられるにしても、それに止まらず国民全体にさえ余計なとばちりを食わせて、
政府に対する不信感、社会への不穏感、個人的には恐怖感までも抱かせるなんて破目になるのだとしたら、
「ちょっと待てよ」と言いたくもなります。
厳罰と刑罰が残酷であると言う事は、後者が前者に内包され得る関係にあるというだけで、決してイコールではないでしょう。
否、法律と言うものを定義する上で、同じであってはならない事ではないかな〜と、小生は思います(法律に全然詳しくないですが)。
小生なりの言葉で申せば、残酷さにまつわる諸事象である苦痛やストレスなどは、所詮主観・意識にのみ関わるものなので、
たとえ極刑に限ろうとも、それを客観的な法体系が秩序維持の為に必要だとして謳い上げるのは如何なものでしょうかね。
刑罰の残酷さは国民各々の主観にのみ起こり得るので確かめようがない、もし確かめられたらそれは残酷だと
「その人にとっても(国家にとっても)」分かってしまうのですから、逆に申せば、絶対に確かめられてはならない。
権力によってひた隠しに隠されなければならない。なぜならば、国民の皆が刑罰を本当の意味(自らの立場・主観)で
残酷なものだと認識してしまえば、刑罰の執行者(客観的立場)の不在を招くのは必定となり、刑罰存続の意味がなくなりますから。
小生個人と致しましては、刑罰の実態が上手い事、権力によって不可視的なものに変じられるのだとするならば、
死刑制存置でもOKなのですが(小生が自分の主観とか意識に拘るが為)、それが本当に可能なのかと言うと心許ない。
小生は死刑制存置派の言い分も良く分からないし、同じく廃止派のそれも良く呑み込めません。
ですが、人間魚雷氏の仰る「死刑囚仏説」の様に、たとえ犯罪被害者遺族の為とはいえ、主観的に意味のある様な、
事件当事者(正確にはその関係者)にとって価値のある様な、それだけに限定される効果が期待されるのであれば、
小生の浮ついた心はそちらの方に靡いてしまう。つまり、死刑制存続でも良いのではないかとも思えてしまう。
・・・モチロン、他者への同情抜きで、でございます。
1768
:
無精髭
:2008/06/17(火) 23:45:22
因みに終身刑を極刑とする懲役刑にすら、身体刑としての残酷性は
容易には拭えないものとして存すると思うのですが。
妄想でございますかね。ですが、主観的には察知できるのです。
終身刑も体罰だとしたら、仮に目的を達した後の死刑制廃止論者は
死刑に替わるものとして新たな刑罰を持って来るのに、一体何を
拠り所とすれば良いのでしょうか。彼等は多分、刑罰廃止論者では
ありませんから、刑罰全般の残酷性は否定し得ないでしょう。
と言う事は、彼等が死刑制度を廃すべきだとする理由に、それが残酷
であるからという主張は入っていないと考えられます。入っていたとしても
死刑が、およそ考えられる刑罰の中でも最も残酷な刑罰なのだという認識の下に、
それを除く為に死刑を廃止すべきだという様な譲歩が見られる筈です。
しかしながら、死刑廃止論(者)にも様々な支流・傍流がございましょうから、
実の処、上記のように一概には申せません。
死刑制廃止論者の多くは、反権力・反体制主義の立場とも重なっている
ようですから(左翼系運動家に多いとか何とか)、そもそも死刑に替わる刑罰を
模索するという観点に不備があるのかも知れませんね。
死刑(制度)効果の代替云々などは、その多くの者にとっては瑣末な議論に
思えるのかも知れません。「問題はそこじゃないんだ」と。
1769
:
Ken
:2008/06/17(火) 23:50:27
>>1763
>>1767
死刑の犯罪抑止力を実証的に検証した研究は存在しますよ。私の
>>1752
の投稿を
見るべし。日本で同種の研究が行われていないのは、日本の研究者がさぼっているのか
私が調べるのをさぼっているのか、どちらかですね。
1770
:
無精髭
:2008/06/17(火) 23:50:48
連投申し訳ございません。
>>1768
終身刑の刑種には、懲役の他に禁錮もございますね。
またそれぞれ、有期と無期の区別もございますようで。
と申しましても、小生の言い分に大した影響は無いかと思われますけれど。
1771
:
無精髭
:2008/06/18(水) 00:15:11
>>1769
ご指摘、どうも有難うございます。
>>1752
に於かれましては、既に拝見致しておりますので、
そちらを念頭に置いた上での
>>1767
を書き込みました。
ですが、こちらにも少々認識不足があろうかと思われます。
お許し下さいませ。
一応お断りしておきたいのですが、Ken様の
>>1752
の研究は実証性の強いものと言うより、何だか
蓋然性の濃いもののような印象を受けます(記事が簡略化されているので不正確な言い方ですが)。
例えば、
>1977年と1999年の間で、処刑一件につき三件の殺人を防いだ計算になる。
20年以上も開きがある調査対象では、そこにおける犯罪傾向の若干の変化や社会構造の動きを考慮に入れてまで、
データを扱えるのでしょうか。かなり慎重にならなければならないと思いますけれど。
「処刑一件につき三件の殺人を防いだ計算になる」とは、統計学的にどうやって信頼するに足る答えを
導き出すのでしょう? まぁ、勿論小生の疑問点などは軽くクリアした上で、
Joanna Shepherdさんは研究しているのでしょうが。
>即刻処刑されれば防げる殺人の数はさらに増える
正論でございます。ただ納得するのみにございます。
いずれに致しましても、小生は死刑の犯罪抑止効果については、
客観的に見ればかなり疑問ですが、主観的にはあり得る・可能だと言う立場です。
1772
:
mayuminh
:2008/06/18(水) 02:27:44
やっぱりよくわからないです。
>>1763
死刑になるかもしれないと思って
殺人等の重要犯罪を思い止まったという例が
ほんど指摘されていないのに、
指摘できないと思うんです。いてもね。
死刑になるかもしれないと思って、思いとどまった人は発言しないし。
「妻と娘が邪魔になって綿密な殺人計画をたてたんだけど、死刑になるのが嫌
なのでやめたんですよ」と人は発言しない。
また、「オレを馬鹿にしやがって、会社ごと爆破しようと思ったけど、死刑になりた
くないんでね」と、仮に発言する人がいても(仮にどころか、飲み屋に行けば
いっぱい見つかると思うんですが)、誰もまともに聞きませんし。
思いとどまった人のことは、わかりようがないんです。
1773
:
行きずりの男
:2008/06/18(水) 12:08:34
mayuminhさんのご指摘は基本的に正しいと思います。
私の「例」はどこから出ているかということですが、
刑事政策の学者のウケウリですが、
所詮サンプルは限定されたものです。
日本の司法は「精密司法」といわれていて
犯罪に至るまでの経過を含めて詳細な捜査が行われ、
被疑者の取り調べでは、それこそ生れてからこのかたの
経歴が調べられますし、重大事件の場合には、
犯罪に至る心理、動機については、小説でもここまでは
と思うほど克明に再現されます。
プライバシーが今ほど重視されていなかった時代には、
研究目的であれば、重大事件の捜査経過を知ることは
比較的容易であったそうです。
研究対象となった複数の殺人を含む重大事件のなかには、
当然途中で断念された、あるいは未遂に終わった事件もあるわけで、
なぜ中断されたか、未遂に終わったのかも
克明に調書に述べられているわけです。
また、実際に中断、未遂に終わらなくても、
途中で「死刑」を意識して「躊躇」をしたというなら、
その心理過程も調書に再現されることになるでしょう。
これは法に対する恐れをまだ持っているということですから、
凶悪犯罪の「情状」としてはむしろ被疑者に有利に働く事情です。
「多数人を殺すと死刑になる」というのは
常識化していると思われるので、
もし、死刑に特定の犯罪を防ぐ「具体的抑止力」があるならば、
その実例が何件か含まれていてもいいのではないか、
しかし、「自分が知っている限りでは、もしかしてと思う
ケースが一例だけあるだけだ」というのが
某刑事政策の先生がおっしゃったことです。
「いても指摘できない」可能性はたしかに無限にありますね。
ただ、本当にそういうことがあるなら、
そこここに、その形跡くらい現れるもんじゃないですかね。
歴代の法務大臣のなかには、積極的に死刑「署名」をした人
全くしなかった人といろいろですが、
凶悪犯罪の発生と統計的に有意な差が現れた例はないとか。
鳩山法相は異例とも言える「署名」件数ですので、
今後の「凶悪犯罪」の推移は注目すべきでしょう。
ただ、死刑廃止をした欧州各国でも、
死刑廃止が凶悪犯罪の発生件数にプラスにもマイナスにも
影響を与えたという研究成果は見られていないようです。
1774
:
あま
:2008/06/18(水) 14:56:58
死刑に抑止力はあると思うのですけどね。
最高刑が終身刑だったら生活苦の人がどんどん犯罪を犯して一生
刑務所生活するようになるんじゃないでしょうか。
どっちみち一度罪をおかせば社会復帰は難しいですし、刑務所に
いる方が楽だと再犯する人も多くなると思います。
死刑がなくなれば殺される恐怖もないですしね。
1775
:
行きずりの男
:2008/06/18(水) 16:55:54
死刑にそれほどの「抑止力」があるというなら、
欧州各国で死刑が廃止または停止され、
死刑廃止がEU加盟の条件とされている、
などという現実をどう評価したらいいのでしょう。
これらの国々の「世論」は、日本と同様に、
死刑廃止反対が圧倒的であるのに、
各国の行政、立法府は、死刑制度は
人道に反するとともに、「不必要」で、
死刑制度を支える立法事実がないことを理由に
次々死刑を廃止したのです。
そして、廃止から30年近く経過した国でも、死刑廃止直後から
凶悪犯罪の著しい増加をみたという評価はなされていません。
これらの国々の死刑の「必要性」に関する判断は、
これまでのところ特に間違っていたとは言えないでしょう。
死刑に抑止力があるとの証明はない
ことは国際的には共通の認識で、あとは「報復」を認めるか
どうかの認識の違いがあるだけなのではないかというのが私の感想です。
アメリカのうち、ごく限定された州で死刑が行われているのは、
アメリカが「報復」の正当性を認める国だからだと思います。
その意味で前にテロ−報復戦争と似た構造だと書きました。
ただ、「だから死刑は廃止すべきだ」と声高にいうつもりはありません。
死刑廃止論者でも、まして、廃止運動家もないので。、
死刑=報復と割り切ったうえで是非を論じるのが正しいと思うだけです。
1776
:
無精髭
:2008/06/18(水) 19:47:43
>>1767-1773
までの流れを見ていたら、何だか可笑しくってw
いやいや、そちらでの諸賢の皆様のレスを嘲っている訳ではございません。
小生が
>>1767-1768
を書き込んだ後、Ken氏が行きずりの男氏と小生なんぞとを一括りにして、
レスをお付けになったのが、小生にとっては青天の霹靂と申しても好い程、意外な事でしたから。
Ken氏のレスの意図が読めず、正直申してかなり動揺致しました。
>>1771
のレスが文意も何も不明瞭なのは、夜更かしのせいもございますが、
その時の戸惑いが残ったまま、筆を走らせざるを得なかったからでしょう。
変なレスを付けてしまったものだと、今は深く反省致しております。どうぞお忘れになって下さいませ。
それに致しましても、自分の慌てっぷりが可笑しくって堪らないですw
それだけではございません。
mayuminh氏の
>>1772
のレスに、行きずりの男氏が
>>1773
のレスをお返しになっている
一連のやりとりの内容が上手く掴めないのが、何だかもどかしいやら情けないやらで、
終いには訳も分からず、面白可笑しくなって参りました。
お二方とのコメントの趣旨は、別々には良く分かるのですが、どうして行きずりのの男氏が、
多少なりとも弁明的な意味合いを込めてレスを返さなければならなかったのかが、
小生には全然理解出来ないのでございます(誰かご親切な方がいらっしゃいましたら、馬鹿な小生に
この一連の経緯をご説明下さいましたら幸いでございます)。
しかもKen氏が
>>1769
で行きずりの男氏と小生を並べていらっしゃるから、
小生の立場が無い事と言ったらもう...(苦笑)
行きずりの男氏の
>>1773
や
>>1775
をお読み致しましたけれど、
小生なんぞと比べてしまってはもったいのう存じますよ。
とても骨のあるご主張だと存じ上げます。
ですが、小生の勝手な考えとは重ならない部分もございますよ。と申しますより、
根本的に出発点が相違しているのに、不思議と表面的には似通っているようで。
それは兎も角、氏の仰る「具体的抑止力」の実例欠如及び「一般的抑止力」の実証不可能性などには、
小生は違った(偏った?)角度から賛同致しても宜しいですし、その真偽を論う事で
死刑制の是非を問う(判断材料とする事も含めて)のに反対だとされるご意見にも、
概ね賛成でございます。
>死刑廃止論者でも、まして、廃止運動家もないので。
同感ですよ、ホント。立場以前の(切り捨てられるべき?)問題って所ですかナ。
上記の文面、とっても無礼千万なものでございますね。
余り、真にお受けにならないで下さいませ。
1777
:
無精髭
:2008/06/18(水) 22:03:23
>>1776
では物足りないと存じますので、追記。
>>1769
>>1771
で不器用な疑問を呈さずとも宜しかった様です。要するに、
アメリカ(でなくとも構わないのですが)の研究者が研究対象とする社会に自ら所属する以上、
何らかの立場(階級・地位)に立たざるを得ませんし、拘束された環境にも左右されるでしょうから、
その制約によって公平・客観的な観察態度を保つ事は困難になるのではないか、
或いはデータ算出や統計解釈などの研究成果に何らかの人為的(偏見・主義主張による)影響が
及ぶ事は不可避ではないか、と思われるのです。そして、その研究の方法及び成果の客観性や
公平性が(第三者に)保証されているのかどうか、といった事も気になる所でございます。
覚えていらっしゃるかと存じますが、これは「犯罪に対する態度〜」スレでの議論(?)を
敷衍致しましたものでございます。
>日本で同種の研究が行われていないのは、日本の研究者がさぼっているのか
>私が調べるのをさぼっているのか、どちらかですね。
日本は連邦制ではございませんから、死刑制廃止と存置の州相互の比較から得られるが如き確証的な
データは見込めないのではないでしょうか。死刑の犯罪抑止効果の実態を確かめるには、日本でも
一度死刑を廃して見る必要があるようですね(その分、復活させる際のリスクも高まりますが)。
勿論、日本国民が死刑に対して抱く意味、死刑を肯定する感情には、他国の人々のそれには無いものが
含まれるでしょうから、手放しで他国の死刑制廃止による数値を信用し・参考にする訳には参りません。
死刑が廃止になったとしても、それから50年以上、まあ少なくとも30年の期間は様子を見てみなければ、
死刑と犯罪抑止との因果関係は(あったとしても)見えて来ないのではないかと思われます。
日本では死刑執行が凍結されていた時期がございますから、その頃には犯罪抑止に関する研究は
多少なされていたのではないかと思います(小生の憶測ですけど)。
話は変わりますが、行きずりの男様には是非とも、
紫煙狼氏の
>>1733
にございます、
>例外の存在を理由に「死刑に犯罪抑止効果はない」とは結論するならば、
>犯罪の発生を根拠に「全ての刑罰に犯罪抑止効果はない」と結論できます。
について、何かご意見を伺いたいものでございます。
1778
:
Ken
:2008/06/19(木) 06:31:46
最初に私のスタンスを説明しますけど、私は個人の主観ほど当てにならないものは
ないと思ってます。「俺はこう思う」「いや俺はこう思う」などという言い合いほど
不毛なことはない。あらゆる議論の前提として、意見には必ず根拠が伴わなければ
ならない。そして、その根拠は誰でもその気になれば実証的に検証することが
可能な客観的事実であることが望ましい、と思っています。私がURLを貼り付けたり
新聞記事に基づいて自論を展開するのは、自分の意見にできるだけ客観性をもたせようと
する姿勢のあらわれです。
専門家の仕事に対して素人が意見を口はさむ場合、しばしば洞察力にあふれている
場合もある一方で、てんで的外れで害悪でしかない場合も多い。副島隆彦という
一応英語が専門の学者がいるのですが、この人『人類の月面着陸は無かったろう論』という
本をものしています。いわゆるムーン・ホークス(アポロは月になど行っていない)の
本なのですが、基礎的な科学知識もないくせに自分の思い込みだけで一冊まるごと
自然科学批判を書いちゃうわけで、本人は大真面目でしょうが、はたから見れば
壮大なギャグにしか見えない。これは非常に極端な例ですけど、素人意見はしばしば
こういう陥穽に陥ることがある。
1779
:
Ken
:2008/06/19(木) 06:45:41
私の説明が不足してましたけど、私は無精髭さんと行きずりさんの投稿を一まとめに
したつもりはなくて、私が気になったのはお二人に共通している
>>1769
一般的抑止力(死刑制度の存在が犯罪一般を抑制する)はもともと論証不能です
>>1767
死刑執行によって、何らかの一般予防効果は働くのかどうか...は確かめようがない
という部分です。繰り返しになりますが、死刑には殺人を防ぐ抑止力がある、
と結論した実証的研究は存在します。ですから、死刑の抑止力は「論証不能」
「確かめようがない」というお二人の意見は、客観的事実に反しています。もちろん、
これらの研究が妥当であるかどうか、いかほどの普遍性があるのか、それを根拠に
死刑制度を支持することができるのかどうか、といった議論は続けることはできますが、
それは別な問題です。
1780
:
Ken
:2008/06/19(木) 07:18:11
>>1777
この手の研究の客観性
は気にしなくていいと思います。体制側に都合のよい研究結果を出す御用学者と
いうのは存在するでしょうし、エモリー大学のあるジョージア州は米国では死刑制度を
支持する保守的な土地柄なのでひょっとするとその影響もあるかもしれないですが、
記事にはこれらの研究に批判的な専門家の意見も紹介されています(私も一部
要約しましたが)。つまり、社会的立場、社会的風潮がどうであろうと、そんな
こととは関係なく意見を述べたり研究を行う自由が米国では保障されています。
この米国人による記事自体、両論併記ではあるものの、全体的には死刑に批判的な
トーンとなっています。
元の研究にあたらずに書いてますが、常識的に考えてこれらの研究は専門誌に
発表されているはずです。そして、専門誌には査読制度というのがあります(例外も
ありますが)。これはその道の専門家が研究内容に関して論理に矛盾はないか、
手法に問題がないか、それが新奇な発見であるかどうかを匿名で批判的にチェックする
制度です。ですから、専門誌に発表された時点で第三者である別の専門家による
チェックが入っています。これらの研究は死刑には抑止力があるという研究と
ないという研究を踏まえたうえで行われていることも想像に難くないです。
>>1771
1977年と1999年の間で、処刑一件につき三件の殺人を防いだ計算になる。
書き方が悪かったですが、1977年と1999年という二つの年の比較ではなくて、
この期間を平均すれば、という意味です。社会的な要因というのは時代によって
移ろうものですが、長期にわたる平均的な観察によってその影響を除外しようと
しているのでしょう。ちなみに、米国では連邦裁判決によって一時期、死刑が
停止されてましたが、1977年というのは死刑が再開された翌年ですね。
無精髭さんも述べられているとおり、日本でも同様の研究は可能だと思いますよ。
法務大臣によっては死刑の執行を拒否していた人もいますし、それとの比較とか
鳩山大臣は二カ月おきに死刑執行しているというのであれば、死刑執行直後の
一ヶ月間とその次の一ヶ月間で凶悪犯罪の発生率を比べるとか。
1781
:
Ken
:2008/06/19(木) 07:29:15
刑罰一般には抑止力があるのは確実じゃないですかね。普通の殺人犯は証拠隠滅を
図ったり逃亡したりしますけど、捕まればどうなるかを知ってるからじゃないですかね。
同じ理由で犯行を思いとどまる人も多いのは想像に難くないです。殺人事件の
発生件数が低くとどまっているのは厳しい罰が待っているせいでしょうが、この
厳しい罰に死刑が含まれていることにさらなるプラスの効果があるのかどうか
といったことなんでしょうね。
1782
:
Ken
:2008/06/19(木) 07:38:05
>>1774
最高刑が終身刑だったら生活苦の人がどんどん犯罪を犯して一生刑務所生活するようになるんじゃないでしょうか。
その心配はしなくていいと思います。というか終身刑が存在していない今でも
生活苦からどんどん犯罪を犯して刑務所に入り続けようとする人はいます。例外的だとは
思いますが。昔、別のスレッドに書き込みましたが、刑務所暮らしが長くて娑婆に
出てもどうやって生きていけば分からず、放火してまた刑務所に舞い戻ったという
はた迷惑なおじいさんがいます。終身刑があろうがなかろうが刑務所に居続けたい人は
また再犯に手を染めることでしょう。むしろ、そういう人が終身刑になれば再犯されずに
済むのでよいと思います。
1783
:
行きずりの男
:2008/06/19(木) 11:07:21
無精髭様、Ken様はいずれも研究者系の優秀な頭脳をお持ちのようで、
実務系の乏しい理解力しかない私にはたちうちできないところがあります。
死刑の実証的研究に関する諸論文には接したことがありません。
おそらく私が考えているような「泥臭い」実証とは
次元の違うものと拝察しますが、
アウトラインでも教えていただければと思います。
一般刑の抑止力は、実務家レベルでは「公知の事実」と思います。
通常の事件の被疑者調書などをみても、
被疑者は警察を恐れ、処罰を恐れ、なんとか捕まらないように
努力している様子がうかがえますし、
薬物関係の再犯者の供述調書をみても、
少なくとも前の判決後相当期間は、逮捕→処罰の過程を恐れて
相当長期にわたって薬物に手を出さないでいた
という経過がうかがわれます。
別にこんなことを持ち出すまでもなく、
誰の心のなかにも、刑事罰をうけることへの恐れはあるでしょう。
犯罪に手を染めようとしたとき、刑罰への恐れを感じ
それが抑制として機能するということは、
誰でもリアルに想像できるのではないでしょうか。
万引き、不正乗車の経験ある人なら、
自分の心のなかにその痕跡を見出すことさえできるでしょう。
この点は立証不要の顕著な事実と思います。
ちなみに、私は終身刑には賛成できないのです。
行刑にあたる人の困難が目に見えるからです。
死刑廃止論にたてない理由もここにあります。
1784
:
行きずりの男
:2008/06/19(木) 11:31:19
刑罰が抑止として機能する場面はリアルに「想像できる」と書きました。
一方で、「死刑」という刑罰が、これから殺人を犯そうとしている人に
抑止力として働く場面を想像することはできません。
多数の人をこれから殺そうと具体的計画を練った人間が、
「無期懲役までならいいが、死刑になるのは怖いからやめよう」
と思うでしょうか。シュール過ぎると思うのは私だけでしょうか。
自分が捕まった後のことまで冷静に考える人は、
始めから殺人鬼予備軍になったりしません。
彼らは逮捕され、公判に引きずり出される段階になって、
はじめて死刑におびえ、さまざまな弁解を考え出したりするのです。
1785
:
行きずりの男
:2008/06/19(木) 17:42:12
閑話休題。
昨年の殺人認知件数は戦後最低を記録しました。
意外にも日本の治安は確実によくなっているわけです。
こんなときに、死刑執行の数が増えるというのは、
ややセンスにかける感じがしてなりません。
ところで、昨年までの殺人認知件数戦後最低の年は、
平成3年でした。この年は、「3年4か月」にわたる空前の死刑執行
空白期間の真っ最中でした。だからどうというわけではありませんが、
死刑執行の長期停止が凶悪犯罪の悪化に直接繋がった
ということはなかったようです。
1786
:
無精髭
:2008/06/19(木) 22:28:27
Ken氏に倣って、小生も自身のスタンスを述べますと、個人の実感に欠いた研究ほど、
無味乾燥で刺激の少ないものはないと思っております。ある客観的事実に対して異なる学説同士の
叩き合いなどには、そこで事実とされている当の事象をまずは疑って見せよ、と申したくもなります。
不毛といえば人文科学が自らの手法についてフィジカルな客観性を偽る事位、不毛な事は無いと存じます。
ですがKen氏の
>>1778
のスタンスには心底感服致します。そういうある面頑固な所がなければ、議論なんぞ
続けては行けないでしょうから。Ken氏ご提供の情報も、小生には邪魔であるどころか、一人合点な持論展開の
急所を突くものとして、小生自身も重宝致しております次第。とても助かります。
副島隆彦は知らないのですが、ムーン・ホークスというのは聞いた事がございます。確かにギャクでございますよね。
ですが、基礎的な科学知識を持つどころか専門の物理学者である大槻 義彦なんて人も、同様の発言をして問題視された
との事でございます。、ある(専門性の強い?)言説に対して突拍子もない意見を飛ばす人物というのは何処にでも
いる様ですし、あながち素人・玄人や専門家・門外漢に関係ないのではございませんかね。
無論、素人の方が間違いを犯しやすいという傾向は認めざるを得ませんが。しかしながら、
>専門家の仕事に対して素人が意見を口はさむ場合、しばしば洞察力にあふれている
>場合もある一方で、てんで的外れで害悪でしかない場合も多い。
こればかりを恐れて、まずは客観的データありき、実証的研究ありきで、個人の主張や生活実感を二の次三の次にして、
結局は取り扱わないで等閑にする、研究対象と見做さないとは、ちょっと学知の権威による横暴って感じが
過ぎるのではあるまいかとも思うのです。
どんな学問もアカデミックな世界で自足していればやがて腐臭を放ちますから、そこにド素人の直感という新鮮な風を
入れてやらねばなりますまい。ともすれば形骸化しやすい専門学に活を入れるのは、そのパラダイムに囚われない・
自由な発想の源泉である個人の主観ではございませんかな?
Ken氏も、よもや専門家がそれを無視して良いと言うことを主張なさっていらっしゃる訳ではございませんでしょう。
寧ろ、個々人の主観による議論を総括し得ない非は、(個々人各々にではなく)その専門家にこそ認められるべき
ではないかと思われます。
1787
:
無精髭
:2008/06/19(木) 22:28:48
>無精髭さんと行きずりさんの投稿を一まとめに
>したつもりはなくて、
小生の方こそ、おふざけ半分の気分でレス致しましたので、大変申し訳なく存じ上げます。
Ken氏は本来、小生にレスなさるより行きずりの男氏にレスなさる方が適切かと思われましたので、
それを無礼にもご指摘致したまででございます。小生の書き込みは相手にするまでも無く可笑しいものだと言う事は、
Ken氏も「犯罪に対する態度〜」スレで既にご存知かと思われます。
>ですから、死刑の抑止力は「論証不能」「確かめようがない」というお二人の意見は、客観的事実に反しています。
何を以って「客観的事実」とするのかが問題でございますよね。
死刑(法改正があれば、他の刑罰に関しても問う事は可能ですが、)と犯罪発生率の相関関係を
調べ、後者の高低によって前者の有無を結論付けるという手法は、確かに可能であり意味がございます。
ですが犯罪発生率が客観性をもつデータとして算出されるのは分かるのですが(この際、警察による検挙率への考察は
抜きにしても)、それを犯罪抑止効果の別の現れとしてイコールさせる事がどうして客観的なのか(実証的なのか)が
良く分かりません。否、その意義は良く分かりますし、蓋然性のある事も分かるのですが、そういった研究は
実証科学の言う厳密な意味での客観性は持ち得ないものとしか思えないのです(だからと言って、社会科学が実証方法
の客観性において自然科学と同等であると自ら騙っている、とまでは申しません)。
とは申したものの、確かに死刑の犯罪抑止力に関する研究が(あるのは既知でございましたが)曲りなりにも論証力
(説得力)を持つものとして存在することは認めなければなりますまい。「確かめようがない」と申しましたのは
軽率でございましたね。確かに、現時点では「確かめる方法があるともないともいえない」のが現状で、その研究も
まだまだ未成熟と言うか発展途上のようで、その真価が問われるのももっと先の話のようでございますので、研究自体が
無駄だとは今ここで簡単に断言できるものではございませんよ。否、この手の研究は実証性はともかくとして、説得力
さえあれば良いのだと小生個人は思いますけれどね。
>「この手の研究の客観性」は気にしなくていいと思います。
と仰るように、小生も細かい事を一々気にし過ぎなのは認めます。これは「髭の病気」の一つでございます懐疑癖の現れ
でございます。Ken氏はこの手の考えに肌が合わぬものとお察し致しますから、何事も無くスルーなさって下さっても
構いませんよ。ですけれども、本心では反論・批判のレスは嬉しゅうございます。
そうそう、「査読制度」に関しましては、有益な情報の程、誠に助かります。
これもある種アカデミックな内輪のみの、論文盥回し的なオートメーションに堕していなければ良いのですけれど。
1788
:
無精髭
:2008/06/19(木) 23:03:35
犯罪抑止効果の存在を何処に認めるのかが
Ken氏はデータの中に認められると仰る。
ならば小生は、微弱でも良いからその効果とやらが
主観的に働いている事を自覚して見たいと切り返す。
何と申すか、小生自身に限りますと、
犯罪抑止力は良心には不文律が、実際には他人の目が
かなり強く働いております。それと、警察の存在。
国に定められている法律に従って生きているという、
実感が無い以上、そこに抑止力を認める訳にはちょっと
参らない。況してやその先の刑罰にまで、それを
認めようなどとは、思いも寄りません。
若しかすると、何も考えずに平和に生きている一般市民
には余り働かず(?)、反社会的言動の多い輩や現に
罪を犯している者などにしか、効果が出ないものなのかも
知れませんね。犯罪を本当に犯してみようと思い立った場合や、
既に犯している罪よりも重い罪を犯そうとする場合に、
ちょっと踏みとどまる、一瞬躊躇する、これこそ刑罰の
抑止効果なのかも知れませんね(ちょっと可笑しいのですけど)。
抑止効果があり方について主観的に理想なのは、
現在の生活と犯行後の生活を秤にかけて、
犯行に伴うリスクが犯行による生活の向上の見込みを上回ったとき、
その全体を覆う不穏な雰囲気として、刑罰の犯罪抑止効果が
初めて到来する。
これでございますね。
上記のような抑止力では、小生に感知できないのも無理はございません。
小生個人と致しましては、犯罪を抑止するのは良心からの方が理想で、
刑罰のそればかりに頼りたくはないなぁ、と存じ上げるのですが。
1789
:
無精髭
:2008/06/19(木) 23:06:18
>>1788
()内の文を書き足すのを忘れて投稿してしまいました。
犯罪抑止効果の存在を何処に認めるのかが(意見の分かれ目。)
1790
:
無精髭
:2008/06/19(木) 23:47:17
度々の連投、本当に申し訳ございません。
行きずりの男様へ
>>1783-1785
>無精髭様、Ken様はいずれも研究者系の優秀な頭脳をお持ちのようで、
>実務系の乏しい理解力しかない私にはたちうちできないところがあります。
全然。Ken氏はそれで宜しいとしても、小生の方は言わば「妄想系」でございます。
ゆきずりの男様の方が、そのレス内容の濃密さと有益性に於いて、小生よりずっと上。
小生、そもそも情報源とやらが枯渇しておりますので(苦笑)
貴殿のレスが来るのは小生の楽しみでございます。
これからも宜しくお願い致します。
>刑罰が抑止として機能する場面はリアルに「想像できる」
この部分は賛同致します。と申しますより、別のスレで同様の事を書いた
記憶がございます。ですが、そこでの小生の意見は少し変調されていて、
貴殿のご主張では大体の人が刑罰を意識するのに少なからず積極的であると
説かれるのに対し、
小生のそれは、刑罰の存在が社会生活においても現前としていればいる程、
個人の主観に於いては自らの取り得る或る行為の末路に刑罰を措定し易い
のではないか、つまり己の損失を主観的に構成し易いのではないか、と言った
仮定に過ぎないのですけれど。これには、権力機構が刑罰を目的・手段とする事
への捉え直しの意図がございます。ですから、激しくスレ違いなのですw
>昨年の殺人認知件数は戦後最低を記録しました。
>意外にも日本の治安は確実によくなっているわけです
これはさすがの小生も存じておりました。こちらの以下のご意見も
拝読致しました。色々と示唆に富む内容でございます。
他の諸賢のご意見もお聞き致したい所存。
1791
:
無精髭
:2008/06/20(金) 00:00:10
連投申し訳ございません。
最後にKen様へ
以下引用
繰り返しになりますが、死刑には殺人を防ぐ抑止力がある、
と結論した実証的研究は存在します。ですから、死刑の抑止力は「論証不能」
「確かめようがない」というお二人の意見は、客観的事実に反しています。もちろん、
これらの研究が妥当であるかどうか、いかほどの普遍性があるのか、それを根拠に
死刑制度を支持することができるのかどうか、といった議論は続けることはできますが、
それは別な問題です。
(
>>1779
より)
「客観的事実」とは、ただこの手の研究が存在するという事を指していらっしゃったのですね。
小生はこの手の研究が存在するのは知っておりましたが、
「これらの研究が妥当であるかどうか、いかほどの普遍性があるのか」と疑っておりましたので、
この手の研究(による成果)は無きに等しいものと見做しておりました。
ですが、Ken様によればそれは「別な問題」との事。
まぁ、小生はこの手の議論には興味が持てないので、一先ず退散致したく存じ上げます。
1792
:
紫煙狼
:2008/06/20(金) 00:18:48
行きずりサンの投稿を読んで、非常に興味深い事を書くなぁ…と思いました。
以下、別に揚げ足を取りたいわけではないのでその点ご了承ください。
>>1784
>多数の人をこれから殺そうと具体的計画を練った人間が、
>「無期懲役までならいいが、死刑になるのは怖いからやめよう」
>と思うでしょうか。
この書き込みは刑199を想定して書かれたように感じました。
しかし刑240を想定すると状況が変わるように思うのです。
強盗致傷は有期懲役で、強盗致死は無期もしくは死刑ですよね。
こうなると、無期もしくは死刑になりたくないが故に殺さない程度に
手加減する強盗犯の存在が想像できませんか?もしくは運悪く相手が
死んでしまうことを想定して単純強盗で済まそうとする強盗犯も想像するに
難くないと思うのです。実際に、武器を所持して強盗に入ったが、
家人に騒がれたため犯行を諦め逃走するという事件は珍しくないですよね?
もちろん、騒がれたことで犯行が難しくなり捕まっては元も子もないと
ばかりに逃げ出すという心理なのでしょうが、騒がれる前に殺すとか、
騒がれたら永遠に口を封じるという選択肢もあるわけで、この分かれ道は
「殺してまでして奪いたいとは思わない」という微かながらの道徳心か、
「殺人なんて怖くてできない」という被害者としては幸運な度胸の無さか、
それこそ「懲役は我慢できても死刑はさすがに…」どれかでしょう。
そういう意味では、最初から殺すつもりでいる人間に対して死刑が抑止効果を
持つとは思えませんが、死刑の抑止効果ゆえに、できれば殺したくないという
考えに至る犯罪者は少なくないと思いますよ?
1793
:
Ken
:2008/06/20(金) 13:26:42
無精髭さん、私が主張した違いを理解していただけたようで何よりです。しかしながら
まだ誤解が残っているようです。さんざんっぱらこれらの研究を擁護してきた
後で言うのもなんですが、私はこれらの研究から導かれた結論が客観的事実である、
とは言ってません。むしろ日本の死刑制度にも当てはまるほどの普遍性はないのでは
なかろうかと疑っています(後述)。
日本を基準にして人文系、社会科学を見くびるのは止めたほうがいいですよ。
日本はとにかくこの分野は絶望的なほど立ち遅れてますから。自然科学の分野では
世界で伍している研究者は山ほどいますけど。私見ですけど、日本の人文系・
社会科学者は英語で論文を書く習慣がないので、井の中の蛙に成り下がっちゃったん
じゃないですかね。世界のレベルは違いますよ。犯罪統計学なんて犯罪の多い
米国はデータも豊富。山ほど行われていて、中には象牙の塔に引きこもるだけじゃなく
テレビでやってたんですけど、危ないダウンタウンを歩き回るフィールドワークと
犯罪統計学を組み合わせて斬新な新説を提出してる犯罪学者もいましたね。
懐疑論者の無精髭さんにとっては余計なお世話でしょうが、日本のテレビで学者が
言ってることは眉につば付けといたほうがいいですよ。大槻教授とか。特に専門外の
発言は絶対に信用しないほうがいいです。テレビ局は変わった発言で受けるから
トンデモ学者を使うんでしょう。学者もそれに迎合・売名しちゃうんでしょう。
まじめな学者はどうせテレビ局にトリムされて都合のいいところだけ使われるのを
知ってるからはじめから出ない。
1794
:
Ken
:2008/06/20(金) 15:03:28
それで行きずりさんのご要望にお答えして元の論文に当たってみたんですけどね。
DETERRENCE VERSUS BRUTALIZATION: CAPITAL PUNISHMENT'S DIFFERING IMPACTS AMONG STATES
Joanna M Shepherd. Michigan Law Review. Ann Arbor: Nov 2005. Vol. 104, Iss. 2
pg. 203, 53 pgs
50ページ以上という超大作ですよ。しかもたった一人で。この分野では当たり前かも
知れないですけど。内容は...私の手には負えません;-(
結論は直感的ですが、それにいたる手法がちんぷんかんぷん。なにやら回帰モデル、
数式を立ててこれに様々な統計値を代入して死刑の抑止力を定量化する、といった
感じです。それじゃ仕方がないんで彼女が自分の研究を素人向けに解説した記事を
クリスチャンサイエンスモニター紙に見つけたのでそれとあわせてすこしだけ
解説してみたいと思います。
http://www.csmonitor.com/2005/1214/p09s01-coop.html
まずこのエモリー大学法学部ジョアン・シェパード助教授は美人で(関係ないけど)
http://www.law.emory.edu/home/news-article/article/the-christian-science-monitor-features-prof-shepherds-death-penalty-op-ed.html?tx_ttnews%5BbackPid%5D=1218&cHash=90c130b754
まだ若いのにCSモニター、ウォールストリートジャーナルに寄稿したり、NYタイムズの
社説で研究が紹介されたりと、新進気鋭の学者のようです。それで彼女が扱ったのが
1977年から1996年にいたる全米全州全郡の統計データですね。このサンプル期間で
死刑が一度でも執行されたのは約半数の27州に上るのですが、死刑に抑止力が
認められたのはさらにその約5分の1、たったの6州(テキサス、ネバダ、南カロライナなど)。
死刑の執行された州のうち約5割、13州(ユタ、オレゴン、オクラホマなど)では
なんと逆に死刑の結果殺人率が上がるという結果が出ました。残りの8州は死刑で
殺人は増えも減りもしないという結果です。
それで、先生の立てた仮説というのはこうです。死刑には抑止力と残虐化(brutalization)
という拮抗する二つの作用があるのではなかろうかと。残虐化というのは死刑によって
社会に残虐で暴力的な空気が蔓延する、という意味だそうです。それで、州によって
処刑によってこの二つの作用の按配が変わって、相対的に抑止力が強い場合には
殺人が減り、逆に残虐化が強い場合には死刑によって殺人が増えると。正味で
釣り合っているときにはなんら効果なし。
それで、なぜ州によって二つの作用のバランスが異なるのか、先生が注目したのは
処刑の絶対数ですね。抑止力が認められた州は処刑数が多い。逆に残虐化が認められた
州は処刑数が少ない。死刑が抑止力として機能するためにはそれが犯罪予備軍にとって
精神的圧迫とならなければならないわけですよ。どかどかと処刑されていくテキサス州には
そういう圧力がある。ところが死刑の数が少ないと、たとえばカリフォルニア州は
死刑判決を出すばっかりで処刑が滞っているため2005年の時点で650人もの死刑囚が
いるのに対して1977年以来たったの12人しか処刑されていない。こういうところでは
死刑が抑止力を発揮することはなく、逆にネガティブな残虐化によって殺人を
誘発してしまうと。そういう解釈をしています。
全米で平均してしまうと圧倒的処刑数を誇るテキサス州が他州を凌駕してしまい
死刑には抑止力あり、という結論が導かれるそうです。
1795
:
Ken
:2008/06/20(金) 15:18:08
この論文は私が睨んだとおり、査読制度(Peer review)のある雑誌に掲載されてました。
査読制度もいろいろと問題があるのですが(匿名をかさに気に食わない同業者の
論文に難癖を付けて不採用にしたりとか)、使われ続けているのは専門的な論文を
評価するのにそれ以外によい手段がないからなんですね。ただ、例外もあると
私以前書きましたけど、とにかく査読は純粋な技術的な間違いの指摘だけにとどめて
とにかく誰でもなんでも発表できちゃう。批判するのはその後で、みたいな編集方針を
とっている実験的な雑誌もあります。
1796
:
Ken
:2008/06/20(金) 15:45:36
行きずりさんのコメントは私にとっても非常に興味深いです。私も以前似たような
こと書いたことがあります。普通死刑になるのは二人以上殺した場合ですけど、
一人殺した後で、も一人殺せば死刑になるからここいらでやめとくか、なんてこと
絶対にないでしょう。殺人者は殺すときには一人でも二人でも何人でも殺します。
自分は絶対に捕まらないという自信があるからなのでしょう。逆にひょっとすると
捕まるかもと考えれば殺害を思いとどまるかもしれない。だから死刑ではなくて
警察力のほうが殺人の抑止には大事なのではないかと。日本では殺人の検挙率は
めちゃくちゃ高いですよね(ここ最近下がっているようですが)。ここいらあたりに
日本の殺人率が低い理由があるのではなかろうかと。紫煙狼さんの意見は今まで
私になかった視点ですけど、それはそれで非常に理にかなっていると思いました。
ところでせっかくですから私も
>>1783
に反論してみようと思います。
>>ちなみに、私は終身刑には賛成できないのです。
>>行刑にあたる人の困難が目に見えるからです。
>>死刑廃止論にたてない理由もここにあります。
実務にあたる人の立場で考えれば、死刑存続に賛成、終身刑導入に反対とのことですが、
むしろ逆じゃないのかと思いました。理由は以下のとおり。
1.厳罰化のあおりで有期刑は最高で30年、無期懲役は仮釈放が基本的に認められないなど
実質的に終身刑はすでに導入されている。
2.司法当局には死刑は執行してもしなくてもよいというフリーハンドがあり、
死刑判決を受けながら終身刑で処遇されている死刑囚が多数いる。95歳で老衰で
亡くなった帝銀事件の平沢貞通元死刑囚が代表例。
3.死刑執行のほうがどう考えても実務としてきつい。想像ですけど、処刑の実務に
携わっている人なんて日本には両手で数えられるくらいしかいないのと違いますか?
二ヶ月に一回召集されて何人かをいっぺんに「処理」するんですよね。めちゃくちゃ
えげつない仕事だと思いますけど。
4.米国の刑務所元所長で90名の処刑に立ち会ったClinton Duffyはリタイア後に
死刑廃止論者に転向している。絞首刑はしばしばとんでもないことになるんだそうです。
http://www.amazon.com/Eighty-Eight-Men-Two-Women/dp/040462412X
1797
:
Ken
:2008/06/20(金) 15:52:59
すいません、書き忘れていましたけど、紹介した論文を日本に当てはめると、
日本は加州型ではなかろうかと。死刑判決はしばしば出されますけど、処刑が
滞っていて死刑囚がずいぶんとたまっている。こういう場合、処刑すると抑止力ではなく
残虐化の作用が出る。死刑執行が停止されていた時期に逆説的に殺人率が下がった
との事ですが、これは残虐化の作用が止んだことによって相対的に殺人率が低下した
結果なのでしょう。今のところ、鳩山法相は処刑を頻発してますが、こうなると
今度は抑止力が強まることになります。ということは殺人率はやはり低下する
ことになるでしょう。
処刑を停止させようが頻発させようがどのみち殺人率が下がるというのは、体制側に
とってなんとも虫のいい、無敵の理論ですね。
1798
:
無精髭
:2008/06/20(金) 22:59:27
Ken様へ
>無精髭さん、私が主張した違いを理解していただけたようで何よりです。しかしながら
>まだ誤解が残っているようです。(後略)
否、貴殿が死刑の犯罪抑止力についての研究成果が「客観的事実」であると主張なさって
いらっしゃるとまでは、申し上げた心算はございませんのでご安心(?)下さい。
>>1791
に、
>「客観的事実」とは、ただこの手の研究が存在するという事を指していらっしゃったのですね。
>ですが、Ken様によればそれは「別な問題」との事。
と、書きました通りでございます。1786-1787までは、Ken様が仰る通りの誤解を致しておりました
が、後々思い返し・読み返してみて気が付きましたので、この様に訂正致した心算でございました。
>日本を基準にして人文系、社会科学を見くびるのは止めたほうがいいですよ。(後略)
これだけ引用すると不穏な感じが致しますが(笑)、まぁそれは兎も角と致しまして、
上記については全く以って同感にございます。確かに日本での一般的言説をやや鵜呑みにしていた
感がございます。
>日本の人文系・社会科学者は(中略)井の中の蛙に成り下がっちゃったんじゃないですかね。
ちょっと乱暴な言い方かな、とも思われますが頷けます。小生の私見では、外国語で論文を書く習慣
の有無と言うより、外国語の文献を日本語に翻訳する事にばかり感けている・つまり外国の先端的な
研究を日本の学界に紹介する事を研究だと思い込んでいる、これに起因しているのではないかと思う
のですがね。そもそも学問に対して懐疑や反省がない学者が多すぎる気が致します。
>犯罪統計学なんて犯罪の多い米国はデータも豊富。
異論はございません。とすると、日本には芽が出ない学問、出ても雨が降らずにすぐ萎れてしまう
ものなのかも知れません。日本には、日本の風土に合った研究方法が模索されて然るべきでござい
ますね。TVに出てくる評論家や学者がよく言う事に、「(例を出して)総じて日本は遅れている。
それに比べてアメリカは・・・」の様な常套句がございますが、小生はあれが大っ嫌いでござい
ます(日本にいる人間が何を抜かすwとね、勿論Ken様は当のアメリカに御住まいとの事ですから
この様に仰っても、まぁ、事情が逆ですからね...とりあえず棚上げに)。
(何処の国の場合でも同じですが)日本に他国の長所を移植するのに、自国の特殊性を無視できると
考えているからこそ、こんな常套句も簡単に口をついて出るのでしょう(ん?そうだとは限らぬか)。
>危ないダウンタウンを歩き回るフィールドワーク(後略)
これは日本ではさすがに無理でございましょうw
ですが、つくづく日本が平和であって良かったと思いますよ。この様な研究が出来る素地が日本の
社会環境に生まれてしまったら、日本の社会科学もちっとは増しになるなんて、小心者の小生に致し
ましたら怖くて怖くて敵いませんのでね、思いも及ばぬ次第でございますよ。
>懐疑論者の無精髭さんにとっては余計なお世話でしょうが(後略)
否、全然。
1799
:
無精髭
:2008/06/20(金) 23:18:10
小生がレスを付けるのは立場違いなのですけれど、
>それで行きずりさんのご要望にお答えして元の論文に当たってみたんですけどね。
(中略)
>結論は直感的ですが、それにいたる手法がちんぷんかんぷん。なにやら回帰モデル、
>数式を立ててこれに様々な統計値を代入して死刑の抑止力を定量化する、といった
>感じです。
ソーカル事件の教訓は活かされているのでしょうかね?
これと同じ轍を踏んでいない事を、その研究にも願いますよ。
総じて、小生が社会学全般・社会科学に懐疑的なのはこれがあるからでございます。
しかし、それはさて置き
>それで彼女が扱ったのが
>1977年から1996年にいたる全米全州全郡の統計データですね。このサンプル期間で
>死刑が一度でも執行されたのは約半数の27州に上るのですが、死刑に抑止力が
>認められたのはさらにその約5分の1、たったの6州(テキサス、ネバダ、南カロライナなど)。
>死刑の執行された州のうち約5割、13州(ユタ、オレゴン、オクラホマなど)では
>なんと逆に死刑の結果殺人率が上がるという結果が出ました。残りの8州は死刑で
>殺人は増えも減りもしないという結果です。
これは大変に有益なデータかも知れません。若しかすると、ジョアン・シェパード先生が
立てた仮説とは別の見方だって、私たちには出来るのかも知れませんよ!?
>処刑を停止させようが頻発させようがどのみち殺人率が下がるというのは、体制側に
>とってなんとも虫のいい、無敵の理論ですね。
ここが懐疑派の小生には臭い所なのです。
1800
:
無精髭
:2008/06/21(土) 00:12:48
どうしようもなく眠いので短文レスにさせて戴きます。
絞首刑・電気椅子・薬殺・・・ですか?
これらの死刑の違いも考慮に入れて
データを読み込む余地は、尚も残されて
いるかも知れません。
「死刑が執行された」という事実の中には、
そのような個別の事実も入っているのですから。
死刑の残虐化効果ですか。。。
死刑制度の存在がそれを生み、
死刑執行が抑止力を生むのだと言う。
小生はF氏に以前、
死刑の存在が国民に対して
死の意味を一義的に担わせる、
その押し付けこそ国家的暴力である
と申した覚えがございます。
>>1767
でも、死刑の残酷性について触れました。
ですが、まさかそれが犯罪を生む様な
逆効果になるとまでは思い及ばなかったです。
刑罰を全体的に重くすると、反政府分子の
不満が高まる事で、テロまがいの犯罪は
増えるんじゃないかと、これまた以前
申した覚えがございます。
短文・・・ではございませんでしたね。陳謝。
1801
:
Ken
:2008/06/21(土) 04:08:15
ソーカル事件、知らなかったです。なんとも痛快ですね!アイアンマウンテン報告書は
知ってますか?翻訳者が全文を公開しています↓
http://cruel.org/books/ironmountain.pdf
私にも死ぬまでにいっぺん壮大なほらで世間を驚かせたいという夢があります。
以前、この掲示板でちょっと試してみて私の立場がずいぶん危うくなりましたけど...。
冗談が通じないのってやですね。
日本語版と違って英語版Wikipediaには当時ソーシャル・テクスト誌には査読制度は
なかった、と書いてあります。さすがに誰か一人でもまじめに読んでいたらおかしいのに
気づいたのと違いますかね。私もソーカル氏の論文、試しに三行くらい読んでみましたけど、
一瞥して噴飯もののあやしさですね。哲学者たちがマジでこんなナンセンスばかり
書いているとしたら由々しき問題でしょう。
同じ数式を用いていてもシェパード教授(名前はジョアナでした)の論文は自然科学的
手法を用いた、趣が全然違う研究なので心配しなくていいですよ。自然科学が
いいのは「誰もがその気になれば実証的に検証できる」という客観性があるところです。
その気になれば彼女が用いた手法は詳述されているので、彼女が用いたデータ、
あるいは自分で集めたデータを彼女の数式にあてはめて本当に同じ結果が得られるか
どうか(再現性)、確かめることは可能です。彼女は論文の中で他の経済学者たちの
同様の研究を引用してますが、すべからく死刑には抑止力がある、という結果が
得られているそうです。独立した研究者が同じ現象を報告している場合、不正を
疑う必要はありません。複雑な事象に対して数式を複雑にしてモデル化するという
手法が将来廃れるという可能性はありますが...。
1802
:
老婆心
:2008/06/21(土) 09:24:09
横やりを入れるようで、申し訳ないのですが、これまでのところの議論・やりとり、とりわけ
Kenさんと無精髭さんの議論は、専門的な知識をともない、話のないようもむずかしく、正直
わたしの頭ではついていけない思いでした。しかしながら、言葉の概念や、考え方の枠組み等の
点で、気になる点があり、コメントしました。
「刑罰」に関連して、「残酷」と「残虐」という言葉が使用されていると思いますが、
「残酷」と「残虐」の意味の違いなどを含め、両者の「定義」は可能でしょうか。
また、日本国憲法以下の法体系では、「死刑」という「刑罰」は、憲法31条その他の法令で
認められていますが、憲法36条は「残虐」な「刑罰」を禁止し、同じ「死刑」であっても、
その「執行方法」によってや、憲法違反になりうる、という点については、どのように
お考えなのでしょうか。
このことに関連して、特にkenさんにお聞きしたいのですが、
憲法36条の「残虐な」は、元の英文では、「cruel」となっているようですが、
刑罰の社会的効果としての「brutal」との英単語としての違いにつきまして、
ご教示いただけないでしょうか。
よろしくお願いします。
1803
:
老婆心
:2008/06/21(土) 09:27:31
すみません、
上記のコメントで、
「その「執行方法」によってや、〜」と書きましたが、
『その「執行方法」によっては、〜』の誤記でした。
失礼いたしました。
1804
:
flower
:2008/06/21(土) 10:06:42
>>1801
> 私にも死ぬまでにいっぺん壮大なほらで世間を驚かせたいという夢があります。
> 以前、この掲示板でちょっと試してみて私の立場がずいぶん危うくなりましたけど...。
> 冗談が通じないのってやですね。
>
あぁ、やはりそのあたりはお認めになるようですね。
1805
:
Ken
:2008/06/21(土) 13:11:40
自分ではぱっとみて与太と分かるつもりで書いてるんですけどね。
1806
:
Ken
:2008/06/21(土) 13:29:37
ちなみにFlowerさんがいまだに根に持っているモンロー主義は与太じゃないですよ。
もうだめでしたけど共和党の元大統領候補ロン・ポール下院議員は非常に保守的な
人なんですけど、外交政策はジョン・マケイン上院議員とは正反対で、イラクから
撤退するだけでなく、日本や韓国、欧州からも撤兵せよと非常に厳格な不干渉主義
(モンロー主義も不干渉主義の一つ)を唱えています。不干渉主義は保守的な
外交政策として未だに一部人気があります。
http://en.wikipedia.org/wiki/Political_positions_of_Ron_Paul
#Foreign_policy
1807
:
Ken
:2008/06/21(土) 15:36:03
老婆心さん
正直言うとこのBrutalizationという私にとって耳慣れない言葉、どう訳したものかと
悩んだ挙句「残虐化」などと訳してみました。仮訳ということで勘弁してください。
Cruelに関してはいろいろ読んでみましたけど、刑罰が「残虐」かどうかという
文脈ではBrutalではなく必ずCruelを用いるようです。今手元にシェパード教授の
論文がないので確認できないのですが、刑罰の残虐性と混同しないように社会の
状態を表す言葉として彼女はBrutalという言葉を用いたのではなかろうかと。
それで日本国憲法第36条に相当するのが合衆国憲法修正第8条でここでは「Cruel
and unsusual punishment(残酷で異常な刑罰、在日米大使館訳)」を禁止しています。
米国では1972年に死刑が停止されましたが、これは連邦裁で死刑そのものは「残酷で
異常な刑罰」には当たらないが、ジョージア州の死刑制度(執行方法など)が
この条項に違反しているとの疑義が唱えられたからです。ブレナン判事は「残酷で
異常な刑罰」の定義として4つの原則を挙げました(どれか一つでも当てはまったら
アウトです、Ken仮訳)。
・人間としての尊厳を損ねる厳罰。特に拷問。
・明らかに恣意的に科される厳罰。
・社会全般から明白に完全に拒絶されている厳罰。
・明白に不必要な厳罰。
これって、1948年の最高裁判決とそっくりだと思いませんか?
・ただ、死刑といえども他の刑罰の場合におけるのと同様に、その執行の方法などがその時代と環境とにおいて、人道上の見地から一般に残虐性を有するものと認められる場合には、もちろん残虐な刑罰といわねばならぬから、将来、もし死刑について火あぶり、はりつけ、さらし首、釜ゆでの如き残虐な執行方法を定める法律が制定されたとするならば、その法律こそまさに憲法36条に違反するものというべきである。
この連邦裁判決後、各州で死刑制度の見直しが進められ、死刑の評決の仕方、
執行方法などが変更された結果、1976年に連邦裁でお墨付きをもらい(一部の
州はそれでもダメだし)、晴れて死刑再開とあいなったわけです。この際、電気椅子、
絞首刑などは残虐な刑罰ということで下火になり、それ以降処刑はほとんど薬物
注射に移行しています。つまり、宮崎元死刑囚が言っていた「絞首刑は残虐だ、
薬物注射がいい」というのは米国の法学者の間では常識的なことなんですね。
というわけで、いつも私が強調することで、最高裁判所も言ってることですが、
何が残虐(Cruel)に当たるのか、というのは一意に決められることではなくて、
その時代その時代の社会が何を残虐と知覚するのかによって決まるわけですね。
ですから、日本の社会も絞首刑は残虐だ、あるいは死刑自体が残虐だ、と考えるように
なる日がいつか来ないとも限りません。首を絞め殺すなんて死刑じゃなくて殺人事件だったら
「なんて残虐な殺害方法!」なんて、今でもみんな思ってると思うんですけどね。
1808
:
Ken
:2008/06/21(土) 15:57:07
というわけで
1800>>絞首刑・電気椅子・薬殺・・・ですか?これらの死刑の違いも考慮に入れてデータを読み込む余地は、尚も残されているかも知れません。「死刑が執行された」という事実の中には、そのような個別の事実も入っているのですから。
シェパード教授が用いた1977年以降のデータはほとんどが薬殺(注射)ですね。
一部電気椅子も含まれていますが...。絞首刑はほぼゼロです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Methods_of_executions_in_the_United_States.PNG
1809
:
flower
:2008/06/21(土) 16:26:35
>>1806
モンロー主義の原理的な部分は原理的な部分としてあり、
時を経るにしたがってモンロー主義の解釈に変遷が起こっていた、ということがこの件の事実関係だと思います。
1810
:
無精髭
:2008/06/21(土) 21:18:22
Ken様へ
>さすがに誰か一人でもまじめに読んでいたらおかしいのに
>気づいたのと違いますかね。
東浩紀著『郵便的不安たち♯』(朝日文庫)からの引用になりますが、
「(前略)ソーカル事件の背後にはダナ・ハラウェイをめぐる学会政治的な確執があった
と言われており、また、『ソーシアル・テクスト』の編集者であるアンドリュー・ロスは、
実際にはソーカル論文に一度リテイクを出したとも言われている。」
東氏はこの事件に加えて、その後ソーカルがジャン・ブリクモンと共に著した『「知」の欺瞞』
に於ける、所謂ポストモダニズム批判の意義は条件付き(※1)で認めていますが、日本論壇
(学会ではない)がそれを無条件に持て囃す事に対してはそれは鈍感であるとしています。
東氏によれば、「そもそも日本では、アメリカと異なり、ポストモダニズムが人文科学の主要な
勢力となったことなど一度もない。」のだそうです。つまり、日本に限りその受容母胎は
アカデミズムではなくジャーナリズムであったという事です。日本に於ける翻訳知の問題は、
無論学会に帰属するものですが、これを槍玉に挙げる伝統(※2)を有していた文芸評論壇の方が、
今度は足を掬われる格好になった訳です。
※1 かなり以前から批判はあったのと、ソーカルの批判の仕方が不公正である事。
※2 小林秀雄による西田幾多郎批判。
老婆心様
お初にお目にかかります。
>>1802-1803
について、すぐにもお答え致したいのですが、
実は小生が使っているPCは家族共有のものでして、
今は都合により返信ができませんので、どうかご了承下さいませ。
1811
:
無精髭
:2008/06/21(土) 21:23:25
>>1808
>シェパード教授が用いた1977年以降のデータはほとんどが薬殺(注射)ですね。
>一部電気椅子も含まれていますが...。絞首刑はほぼゼロです。
意外でございましたね。より残酷な刑が多いかと思っておりました。
1812
:
無精髭
:2008/06/22(日) 01:11:50
Ken氏ご指摘の研究については、Wikipediaの「死刑存廃問題」の項でも触れられているようですね。
(皆様多分既にご存知の事かと思われますけれども。見事、小生は乗り遅れましたな)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C
特に「2.1.1 統計的観点からの死刑制度の犯罪抑止力 」の箇所には、
「残忍化(brutalization)効果」という言葉も見えます。小生は「野蛮化」でも「野獣化」でも、
或いは意訳して「欲望解放化」でも、この際何でも好いと存じますけれどもね。
しかしまぁ、大部な記事でございますなぁ。身を入れて読もうなどとしたら大変です。
自らの問題意識に関わる所だけに目を留めるよう心がけて、他は真に受けずにさらりと読み流す
のが得策でございましょう。
Wikipediaの日本語版は夙にKen氏もご指摘していらっしゃる様に、記事の内容を全面的に
信用する訳には参りません。煩わしいと思われるかも知れませんが、ノートの部分にも
一応目を通しておいた方が良さそうです。記事の公平性を探るよりも、公平に記事を読む
為に、ですね。
しかし、どれだけ長くなるのでしょう、この項目はw
ところで、Wikipediaは本当に便利でございます。このスレで5年以上も議論を重ねて、
漸く蓄積されて煮詰まった考えが、いとも容易くそこに纏められているのですから。
Wikipediaだけを読んで訳知り顔で議論を仕掛けてくる様な新参者が今後出て来るような事
にでもなれば、このスレで議論を重ねる事で御自分の持論を地道に固めて来られたご常連の
方々にとっては、正に由々しき事態となりましょう(小生が申すのも可笑しいですが)。
ですが、自ら考える事と人から教わる事が、仮に同じ結論を導き出したとしても、
それに至るまでの過程の長さ・苦しみによって、更に先の結論へと論を推し進める原動力に
両者の間で差が出るのは自明かと思われます。前者の方がその逆境に強い事は言わずもがな、です。
冗談抜きに、私たちの敵は死刑廃止論者或いは存置論者ではなく、Wikipediaのような
巨大な雑学体系・大衆知の権化なのかも知れませんよ。
1813
:
無精髭
:2008/06/22(日) 21:29:47
>>1802
老婆心様へ
あちこちのスレに駄文を書き散らしておりましたので、返信が遅れました。
謹んでお詫び申し上げます。
>また、日本国憲法以下の法体系では、「死刑」という「刑罰」は(中略)
>憲法違反になりうる、という点については、どのようにお考えなのでしょうか。
このご質問につきましては、小生は意見がないと申しますか、今の所は興味が全くございません(笑)。
ただ、「残虐」という言葉は憲法の条文に載せるのには、それを読解するのに主観的材料を必須とせざるを
得ませんので、抹消せよとまでは申しませんけれど、もっと客観的な言葉に替えた方が宜しいかと存じます。
一々と事例を挙げるのは、小生の語彙がややお粗末な為に敵いませんが、大雑把に申して例えば医学・科学用語
を駆使して置き換えるとかすれば宜しいかと思われます。無理に置き換えなくとも、「残虐」と言う言葉を
それらの用語で定義し直すのも宜しいですね。それを「野蛮」とも関連付けるのなら、Ken氏も
>>1495
>>1807
等で
仰っていらっしゃる様に、その語の意味は同時代では文化相対的ですし、歴史的にも絶対的な決まりがある訳
ではなく、寧ろ啓蒙主義者が侵略・統治を正当化付ける為に相手側をそう呼んだという、その言明・表出行為
にこそ存するのです。そういう事実が現在に至るまで尾を引いている訳でございますね。余談ですが「啓・蒙」
と言う漢字も随分と差別的な言葉でございますよね。「野蛮」という言葉でさえも、その意味を忌避するのは
正しいのですが、それを現実の(「野蛮」と呼ばれる)事象と対応付ける事で一緒に忌避すると言う行為も、
その言語を使用していると言う正にその事によって、差別・偏見を無意識裡に肯定しなければ出来ない事なのです
から、余り多用すべきではないのかも知れません。
ウィキペディアの情報もご参考になされば、尚ご理解が深まる事かと存じ上げます。
野蛮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%9B%AE
因みに、「犯罪に対する態度について〜」スレでこの件に関するKen氏と小生のやり取りがございますので、
ご参照戴けましたなら光栄至極にございます(小生のレスは72番、73番辺りでその後訂正が続きます。Ken氏のレスは
76番でございます)。
>「刑罰」に関連して、「残酷」と「残虐」という言葉が使用されていると思いますが、
>「残酷」と「残虐」の意味の違いなどを含め、両者の「定義」は可能でしょうか。
上記のご質問につきましては、時間を置いて再度レス致したく存じます。
1814
:
無精髭
:2008/06/23(月) 10:06:24
>>1801
またまたKen様へ
あんまりこの問題に拘泥するとスレ趣旨に反してしまう虞がございますけれど、
面白いので続けさせて頂きます。と申しても、これでラストかも知れません。
ご興味のない方はスルーの程、お願い申し上げます。
ソーカル事件はご存知でなく、アイアンマウンテン報告書をご存知でいらっしゃったのには
正直吃驚致しました。Googleで検索をお掛けになればお分かりのように、Hit件数の違いは
歴然としております。小生はアイアンマウンテン報告書には全く無知でしたし、おそらく
翻訳者の山形浩生氏を知らなければ、日本でそれを知っている者はかなり限られてくるので
はないかと思われます。因みにこの山形氏、とんでもなくユニークな御仁だそうですね。
YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page
http://cruel.org/jindex.html
山形浩生(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E6%B5%A9%E7%94%9F
何だかこの人、Ken氏の毒舌鋒スタイルを更に凝縮させて・無理矢理純度を高めたかの如き文章を
書きますよね(にしても扱う対象に対して軽妙洒脱に過ぎる感も致しますが)。
後、驚く程、知的関心が旺盛で仕事の射程範囲が広い。福田和也や宮崎哲弥と等しく、手当たり
次第に何でも読む人なのでしょう。プロフィールも異色ですし。
『「知」の欺瞞』に関連して浅田彰氏に絡んでます。と言う事は無論ソーカル事件にも言及して
いるでしょう。ご興味がおありでしたら覗いて見て下さい。
P.S 雑談&連絡スレッドで僭越ながらも色々と勧めておりますけど、無視されても構いません。
ただ、「東浩紀」に関しては本当に知って置いても損はないと存じます。
1815
:
無精髭
:2008/06/23(月) 10:15:52
>>1802
ちょっと脇道に逸れますが、老婆心様へ
>Kenさんと無精髭さんの議論は、専門的な知識をともない、話のないようもむずかしく、正直
>わたしの頭ではついていけない思いでした。
大変にご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございませんでした。ですが貴殿が仰るように
別段テクニカルな議論を致しておる訳ではないのは、Ken氏も小生も共通に認識していると思う
のですけれどもね。要は興味の問題なのだと思うのです。Ken氏は例外的に議論の許容範囲が
広いようですが、小生はと申せば「戦争、政治犯罪、国家犯罪などについて」スレでのKen氏の
それを含む一連のお書き込みには全く食指が動きません。老婆心様も雑談&連絡スレッドの
2033番で以下やや厳しい語調で戒めていらっしゃったでしょう?
>何か、最近、無限回廊で、頻繁にやりとりあるコメントは、
>「差別」「国家」「戦争」などといった「個別の事件」とは関係性のない
>テーマについてであったり、「事件」がらみのコメントでも、「犯人の
>人間性」がどうたらこうたら、というものが多すぎるような気がしますね。
>「無限回廊」の本来の趣旨にそって、純粋に、「未解決事件」の解明を
>試みるものや、刑事捜査の手法を考えるテーマなどについて、才智ある
>人たちの考察を望みます。
貴殿の過去を穿り出してしまい恐縮です。上記のように仰る貴殿に於かれましては、この度の
Ken氏と小生のやり取りは詰まらないものだったとお察し致します。逆に小生においても、貴殿
のご関心の的である「未解決事件の解明」や「刑事捜査の手法を考える」といった一連のテーマ
にすら余り食指が動きません次第。しかもそれを取るのだったら「犯人の人間性どうたら」を
テーマに論じた方が未だ増しだと思ってしまう性分ですので(笑)、この度の一件はこれはもう
致し方なく存じ上げます。ですが貴殿のお書き込みに全く興味がないという訳でもなく、例えば
雑談スレでのよう子氏とのやり取り(特に2073番)などは興味深い内容かと思われるのです。
実は小生、こちらのスレッドでの話題、死刑制についての議論なども正直余り本質的な問題だと
思われません。現実問題に絡める議論の進め方は、それぞれ現実とは何かと言う定義を順次的に
問うて行けば、何も法解釈や判例だけを中心にして論じるものと規定する必要は無い訳ですが。
小生が死刑について考える事に小生なりの意義を見出せるのは、それが刑罰の一部でありまた
それとは異質・若しくは刑罰と復讐(報復)との臨界点に位置するという見方も出来、それが
裸一貫・観念のみで以って考えて行けもするからです。
貴殿の
>>1748
のレスはその方面に全くの無知である小生にも大変に興味深く感じられます。
1816
:
行きずりの男
:2008/06/23(月) 13:23:19
ここのスレは凄いですね。
外国文献を読むのに四苦八苦していた大学時代を思い出して、
ちょっとブルーにさえなってしまいます。
紫煙狼様から、強盗致死(殺人)と死刑の抑止力についての
レスをいただきました。
ご承知のとおり、少し前までは死刑判決は
強盗致死(殺人)関係に集中していたので、この罪に沿って
抑止力を考えるのはたしかに当然のことだと思います。
強盗は割にあわない犯罪だと言われます。
強盗犯の利得は極めて少ないと言われていますし、
一方で刑罰は、被害者を殺傷した場合は「無期懲役」が原則
(全くの初犯などの場合は重い有期懲役)場合によっては死刑となります。
つまり、冷徹に利害の考量をするプロの犯罪者なら、
捕まって刑罰をうけることは絶対に避けることを最優先に考える。
もし被害者家族が複数いて、ひとりを殺害してしまったら、
無期懲役はほぼ確実。この場合、冷徹なプロの犯罪者は
1 もうひとり殺したら死刑だからここで止めよう
2 ひとり殺しているから捕まったら無期。いつ出て来れるか判らない。
隠蔽のため家族全員殺害しよう
のどちらの思考を働かせるでしょうか。2の例は高名な
カポーティ「冷血」のように、数限りなく例がありますが、
1の例は聞いたことがありません。
思いがけずに強盗現場で人を殺害してしまい、
動転して逃げ出すという例は散見しますが、それは「動転」であり、
死刑を意識したわけではありませんね。
死刑ではなく、無期懲役までだったら逃げなかったとは言えないでしょう。
この犯罪についても死刑が抑止として働く場面は
全く想像しにくいと思います。
一言で言えば、犯罪者にとって、無期懲役刑は大変な「抑止力」であり、
「無期懲役ならいい」と思えるような刑罰ではおよそないからです。
以前の日本の判決は、強盗殺人事件で、被害者1人は無期、
2人は死刑の可能性が出てきて、3人なら死刑確実と明確だったので、
複数の殺人を抑止する可能性が理論上はまだあったかもしれません。
「たった一例」と言われる死刑の抑止力の例は、たしかに
このケースに関するものだったと記憶しています。
ただ、厳罰化の傾向が進み、今では強盗殺人は被害者一人でも
死刑になる可能性が高くなりましたので、
むしろ、前述した2の方向に働く可能性が高くなり、
この種の抑止力も完全に消失することになるでしょう。
1817
:
無精髭
:2008/06/23(月) 19:17:39
>ここのスレは凄いですね。
>外国文献を読むのに四苦八苦していた大学時代を思い出して、
>ちょっとブルーにさえなってしまいます。
元々このスレは議論の高さは別にしても、諸賢の皆様方全員が、非常に
良く調べ・良く考え、そして良く練った文章をご投稿されていらっしゃる
様な場所ですからね。中々こういう議論掲示板は他にありませんよね。
ただ貴殿が上の様にお感じになる原因の半分は、多分小生の一人のせい
だと存じます(苦笑) 小生の懐疑癖にお付き合い戴けているのがKen氏
一人なのを見れば、自ずと知れるでしょう。単にスレ違いな議論を
しているだけですよ。
後、小生がどうしても横道に入る或いは議論を複雑化してしまうのには、
無限回廊的な知識・教養に欠けると言う点を補う為に、小生の畑違いな
雑学体系を総動員(?)しようと企てているからです。そうやって皆様の
知識・教養を議論を通して実践的に覚え込む為に、搦め手から攻める
みたいな愚行を繰り返している訳です。皆様の知識なり論法を無理矢理
引き出している訳ですね。小生は記憶力が本当に悪いので困り者です。
ただ議論の為に議論している訳ではないと言う事は、どうか誤解なさら
ないで戴きたく存じ上げます。小生は小生自身の為にここに書き込んで
おりますが、その利益は皆様にとって無益であっても有害にはならない
筈です。その利益は自分だけの価値にしかならないような性質なので。
小生は誰も論破なんかしたくないのです。ただ構って欲しいだけですよ。
皆様、今後とも宜しくお願い致します。
1818
:
行きずりの男
:2008/06/23(月) 19:21:10
あとで確認したら、紫煙狼さんのレスと
微妙にずれてることに気づきました。すみません。
ただ、答えとしては、以上述べたことで
結果的には意を尽くしているかと思います。
ところで、ここ10年の日本の殺人発生率は
著しい都市化にもかかわらず、1200件前後で安定しています。
多少感覚的にものをいって恐縮ですが、
歴史的にみても、国際比較の点からみても、
現在日本の殺人発生率は極端に低く、
これ以下はなかなか想定できないほどであり、
いわば「底値安定」というとこではないでしょうか。
死刑実施の数は戦前は著しく多く、戦後もしばらくは多かった。
その間は犯罪発生率はそこそこ高かったわけです。
したがって、死刑制度の存在、その実施が、
現在日本の例外的とも言える犯罪発生件数の低さの
決定的理由でないことはたしかでしょう。
一方、アメリカの犯罪発生率の高さは群を抜いて凄いです。
で、何がいいたいかというと、
率直にいって、そうした実情にあるアメリカの研究を、
例外的とも言える犯罪状況の日本に当てはめるのは、
ちょっと違うように思うのですが、どうなんでしょう。
また、欧州では依然として「死刑の抑止力の根拠なし」は
一般的見解でもあります。アメリカの研究は
無視されているようにも思えますが、なぜなんでしょう。
1819
:
行きずりの男
:2008/06/23(月) 19:36:31
無精髭様と前後して無関係なことを書いてました。
冷静に死刑の議論をしているスレなんて、
ホントここだけじゃないかと思います。
数年前のことですが、同業者団体で死刑問題の議論をして、
あとで酒宴になったら、罵り合いの喧嘩になってしまったのを
思い出しました。
1820
:
無精髭
:2008/06/23(月) 19:53:33
>>1818
Ken氏の詳細なる回答を待った方が宜しいかと思われますけど、
それに関連して小生なりの意見を。
犯罪抑止力の実証というのは、その研究与件として犯罪発生率を
絶対必須としなければ、そもそも成り立たない方法なのだと思います。
つまり簡単に申してしまうと、「アメリカの犯罪発生率の高さは群を
抜いて凄い」から、犯罪抑止力についても実態あるものとして言説可能
なのです。これは国民側から研究者側からも優れて相互補完的な環境
ですよね。
欧州が貴殿の仰る様な状態なのは、おそらくアメリカとの犯罪発生率の違い
が原因として考えられますが、違うかも。アメリカは連邦制ですから、
中々欧州にそれを当て嵌められないというのは? 無視されていると言うのは
ちょっと信じられません。
本当の所は、死刑制廃止の先進国ですから、そこから更に独自の研究を進める
必要性を感じている為、アメリカの研究を過去のものと見做しているのかも。
死刑を廃止する位の国ですから、犯罪発生率に問題が無ければおそらく研究は
余り進展しないのじゃないかと思いますけど。既に研究が熟していたからこそ
国民の多くの反対を押し切って(?)死刑を廃止できたともいえるのかも知れ
ません。でも移民問題も深刻ですから、アメリカを参考にしても良さそうです
けどね。アメリカなんて・・・と言うプライドもあるのかも知れません。
雑な意見で面目ありません。
>>1819
困ったものですね。
1821
:
無精髭
:2008/06/23(月) 20:02:31
>>1816
>思いがけずに強盗現場で人を殺害してしまい、
>動転して逃げ出すという例は散見しますが、それは「動転」であり、
>死刑を意識したわけではありませんね。
>死刑ではなく、無期懲役までだったら逃げなかったとは言えないでしょう。
鋭い切り返しですね。それをも死刑の抑止効果とまで言えるか否かと言う議論も
続ける事は可能ですが、それですと多分抑止効果は威嚇効果ではなく、心理的抑止効果
(先頃知りました)とかいうもっと主観的で訳の分からないものになってしまいますね。
その効果までも例外的効果として扱われる危険(?)はございますが、それでは本末転倒
というもの。なぜなら、同時に宅間死刑囚のような犯罪者を抑止力の働かぬ例外者という
存在を認めてしまうのなら、犯罪抑止力自体に具体的な程度の差があるという一方の仮説が
宅間死刑囚のような例外者を、「抑止力が働かぬ人間」ではなく「何故か犯行時の情況に
限って抑止力が効きにくかった際の事例の一つ」として一般化してしまう虞がございます
から。否、別にそれでも好いだろうと皆様から突っ込まれるかも分かりませぬが、小生
にはまだまだ突き詰めて考える余地がある問題だと思われてなりません。
何はともあれそこでは犯罪抑止効果は万人に万遍なく波及すると考えられている訳です
から、それが及ぶ対象である人間の方に個人差があるとされるのはさもありなんと頷け
ますが、当の効果の方にも欠陥が存するとまで付け加えるとなると、犯罪抑止効果が実態
的として存するという一時的仮定は成立困難なものになりましょう。
何度繰り返しても惜しくはないので繰り返させて戴きますが、犯罪抑止効果と刑罰制度
を実態としてイコールさせる事は、法文がしている事ではなく、人間の認識による誤認
であると言った方がスマートなのだと言うことですかな。人間は常に利害を念頭に生き
ていますから、犯罪についても同じ事が言える訳でして、犯行を自分の意志で思い止ま
ったのか、無意識下に於ける何らかの刷り込みで思い止まったのかは、その人間の利害
に関わる個人的な問題なので、情況とか供述によって予想は立てられるけど、中々確か
な事を言うのは難しい。犯行時でさえ観念的に刑法・具体的に刑罰が念頭にあったとし
ても、その犯人の内なる損得勘定ではなく、外的な抑止力を冷静になって想像するのは、
今正に犯行をするって時にですよ! ちょっと無理なのではありませんかね。
死刑でも何でも犯罪抑止効果について底の底まで考え続けると、どうしても個人の心の
問題にまで降りて行ってしまうのですよね。そうなると不思議な事に、犯罪抑止効果の
有無を最終的・究極的に確かめようとする方法領域は、死刑判決と執行までの期間に於ける
改心・更正問題と考察の次元と非常に似通って来ます。後者に関しては懐疑的・否定的
な人たちが、前者に対しては刑罰と心の次元を客観的事象として一緒に取り扱ってしまう
のには、小生はとても疑問なんです。しかし、「同情」というキーワードを徹底的に考え
れば、もしかしたら客観的立証云々ではない確かめ方が、犯罪抑止力(効果)にも更正・
改悛の事実にも有効なのではないかと、小生は一人思い込んでいる訳です。小生が心とか
主観に拘るのもこのような事情が理由の一つになっています。
1822
:
無精髭
:2008/06/23(月) 20:11:27
>>1821
助詞の使い方が不味い所が多々ございますがご了承下さい。
後々、もうちょっと平明に解説致したく存じ上げます。
1823
:
無精髭
:2008/06/23(月) 20:14:55
>>1821
心理的抑止効果→心理的抑圧効果
1824
:
無精髭
:2008/06/23(月) 21:07:03
>>1191
紫煙狼氏のお考えはとても参考になります。
>>1821
は別段反論でもなんでもなく、とりあえず急ぎ滅茶苦茶な順番で雑感を書き連ねて
後々、論理的文章に偽装させたものなので、ホント今では後悔しております。
まぁ、文法的に可笑しな所を何とか我慢してお読み戴ければ、小生の申し上げたい事も
自ずとお分かりになるかと存じます。
ちょっと小生は今、老婆心氏へのレスの事や他のスレでのレスの事で頭が一杯で、少し
仕事の配分に対する集中に欠けておりますので、文章が雑でもいいや、なんていい加減に
投稿しているようです。自分で申すのも何ですが、睡眠も上手く取れておりませんので、
へんちきりんな文章を読み返すのも億劫でございます次第。ご容赦下さいませ。
>>1190
についてもレス致したかったのですけど(今更レスされても紫煙狼氏もさぞお困り
になるかと思われますけど)。あえて詳しい理由に言及せず小生の意見を申し上げますと、
>死刑廃止論者の端くれなら、それを実現させる方法を考えてください。
というお言葉がございましたよね? この前後の文もとても重要なのですが、
まぁそれはともかくと致しまして、案外死刑を廃止させるのに最も効果ある手段は、
しげる氏が
>>1345
で仰ってる如き、プロパガンダ(紫煙狼氏の仰る感情抜きの論理
的弁説でなく)によって国民を扇動する事なのかも、と不用意にも思ってしまいました。
建設的議論よりもソフィスト的手段による議論解体(無論体制側の)の方が余程実現性が
あるのかも、と。まぁ小生はどちらかと申しますと、死刑制存廃の結論を先に主張に
持って来るよりも、紫煙狼氏が瑣末だと仰る問題の一つ一つに反省を加えて、その後
そのバラバラの考えを体系化する努力をした方が宜しいかと存じます。その努力の果てに
自ずと結論が浮かび上がっても参りましょうし、そうやって厭になるまで考え続けた事
というのは容易には捨てられない持論となりますから、結論も確固たる物となるでしょう。
自分の考えに自信を持つと言う事でございますね。自身は、良く考えた後に持つべきもの
ですから議論を始める前には持ってはならぬもの、小生なんか現時点では全然自信ないです。
あと、Ken氏が「野蛮」について触れていらっしゃるレスについてですが、
先に挙げたものより以前のものがございました。
>>1227
頭が疲れているのに、過去レス探るのはしんどかったです。。。(何せあの展開ですから)
1825
:
無精髭
:2008/06/23(月) 21:15:51
>>1825
本当は冒頭の部分に
>>1821
で申したい事が書かれてあったのですが、
見事にコピペをミス致してしまいました。
しかも、その原稿(メモ帳)も捨ててしまいましたので、
後から投稿することもできません。
まぁ大した事も書いておりませんでしたし、このままでも
読むのに支障はないかと思われますので、訂正は致しません。
とりあえず、この日・月の二日間、小生の仕事休みでしたが
色々と調べ・考えて、且つ睡眠も余りとっておりませんので
とても疲れました。もう寝ます。
1826
:
Ken
:2008/06/24(火) 05:15:35
無精髭さん、お疲れ様です。以前の投稿も読んでもらえてうれしいです。でも...
>>1812
Ken氏ご指摘の研究については、Wikipediaの「死刑存廃問題」の項でも触れられているようですね。
もっと早く言ってよ!「残忍化」という訳語がすでに定着してるようですね。
私、日本語版は読む価値がないと思い込んでましたけど、この項目は英語版よりも
充実してますね。なおかつ、典拠も充実していて日本語版にありえないクオリティ。
やはり先入観は戒めねば。英語版ではシェパード教授の議会での証言が典拠に
挙げられています。
1827
:
行きずりの男
:2008/06/24(火) 13:20:50
無精髭さまのレスを読んで、自分の立っている場所に
気付かされました。
実は私、何の躊躇も疑問もなく、「動転」と書いたのです。
考えてみれば、死刑制度単体で抑止力を考える
という私の思考自体がすでに一定の傾向を示している。
犯罪を犯そうとしている人間の意識に働きかけるものは、
広く言えば、その人のそれまでの人生のすべてであり、
刑罰制度の抑止力もそのひとつで、それは、
特定の個人の精神に投影されたトータルな刑罰制度の幻想と
それに対する個人の意識であると思われます。
死刑単体の抑止力を考えること自体、しょせん無い物ねだり。
それを要求する段階で、すでに否定にむけたベクトルが
はっきり立ち上がっているのでしょう。
私の言説の隠された核心部分は、
「死刑判決、死刑執行をこれまで以上に拡大しようと言うなら、
『死刑があったからこの殺人(強殺)が防げた』という明確な
実例のひとつでも欲しいものだ」ということにあるようです。
「明確」「はっきりとした」を要求する時点で、
「実例」はすべて否定されることがあらかじめ予定されている。
「動転に過ぎない」などという
半ば決めつけ的な「切り返し」が出てきたのもそのためですね。
無精髭さまのレスを読んでいて、それに気がつきました。
客観的になるというのはホント難しいことです。
1828
:
無精髭
:2008/06/25(水) 23:30:34
まだ少し精神的に参っておりますので、短文になりますが、レスを。
「刑法の知識と判例=刑罰の犯罪抑止効果」とは簡単に参らないのが、難しい所です。
言わばこの「」内を認識した上でも、まだ人間には自由意志によって犯罪を犯すか・犯さぬか
という二者択一の権利(?)が保たれていますから。
犯行を発想する事・犯行計画・犯行直前・犯行時(犯行最中)・犯行の最終段階・犯行の成就
犯行の推移とは、大まかに申して上に書いた様なものでございましょう。この段階を逐一精査し、
犯罪抑止効果がどの段階でどう心理的に現れるのか、また客観的に犯罪抑止力がどの段階でどう
行動規制として現象すると言えるのか、これが難問なのです。これを言葉でどう表現できるのか。
犯罪主体を記述すると言う事は、本当に困難な事でございますね。
・・・老婆心様へのレスは、精神がもう少し癒えましてから。
1829
:
無精髭
:2008/06/26(木) 00:02:08
犯罪を犯した人間は、「刑法の知識と判例」を認識できなかった、
或いは、その認識が不足していたのであると、半ば自動的に事後決定されてしまう。
こういった言説が存在するのです。
そこでは犯罪者における、刑罰に関する知識・情報の多寡、その認識力の強度こそが問われます。
但し、問題なのは行きずりの男様が仰った、「刑法の知識と判例」に詳しい様なプロの犯罪者は、
どうやって犯罪抑止力を免れるのか、と言う事です。
犯行を実行する事によるリスクと犯行から得られる利得を計算する、
それらを天秤にかける、と言うのは話が別です。これらは自由意志の問題で、犯罪抑止力はそもそも
自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。
発覚の危険性を認識する、「ばれる」「ばれない」も犯罪抑止の問題とは違いますよね。
これはもっと情況的な・犯罪空間的な問題です。犯行をし得るのかどうかという問題は、
その犯罪が(外部からの)何かによって抑止されるのかどうか、という問題とは異なります。
かと申して、犯罪がその行動主体の内側から規制される場合を抑止力の実例とする為には、
どんな客観的な実証方法がございますでしょうか? そこからは蓋然性・信憑性しか得られないのでは
ないでしょうか。つまり心理的規制の実例はそもそも実例足り得るのでしょうか?
・・・続けられれば良いのですが。
1830
:
無精髭
:2008/06/26(木) 00:33:58
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。
ここで、また循環論法が浮上しそうです。
つまり、刑罰を認識すると言う事、判例や刑法を知るという事は、
私達が意識的に勉学に励めば出来る事で、それは自ずと明確に
認識されて(示されて)来るものなのだ、と。ですが、
そうお思いになった方は
>>1829
の冒頭をもう一度お読み下さい。
刑罰を初めて知った時点で、より正確には刑罰の意味を初めて知った時に、
犯罪抑止効果は、ある種人間のタブーとして潜在意識に刻まれると致しましたら、
その後、事ある毎に、刑罰を意識する事自体、刑法をおぼろげにも思慮する事自体に、
犯罪抑止の兆候を、外側にある(潜在意識にあるものではなく)刑罰の
犯罪抑止力の効果を、認められるのでしょうか? それはどの次元で認められる
のでしょうか?
・・・分からない事が多過ぎます。
1831
:
老婆心
:2008/06/26(木) 22:28:29
kenさんと無精髭さんには、だいぶ前のコメントで、わたしの質問にご丁寧にお答えいただきまして、ありがとうございました。
お礼のコメントもなしに、申し訳ありませんでした。
無限回廊内の各スレッドのおける応酬の速度は速く、いつの間にか、間があいてしまいました。
今回、不精髭さんのコメントの中に書かれていました、「刑法」「自由意志」といった言葉に反応し、コメントさせていただきます。
「自由意思」は、「事前の意思決定」における「選択可能性」を意味するとも思えますが、
刑法上の原則である「罪刑法定主義」は、ある刑法が法律として成立していても、その刑法について「知らない」人もいるはずですので、「罪刑法定主義」は、その刑法についての「認識可能性」さえあればよい、という、ある意味「フィクション」の上にあると思えます(もちろん、「殺人、強盗、強姦」といった、「倫理的に許されない行為」は、法律としての刑法の有無にかかわらず、「やってはいけない」ということは、通常人ならわかるはずだ、という前提はあるとは思いますが)。
さらに、仮に、「刑法」が法律として存在し、「六法全書」に書かれていて、その条文を読んだ人がいたとして、その人は、その「刑法」により、どのような「行為」が「犯罪」となり、「自分が考えている(内心の)行為の計画」を「現実に実行」したとき、「刑法上」罰せられるのか、ということが、本当に「わかる」のか、という点もあると思います。
「殺人」と「傷害」を例に、具体例でいいますと、
Aという人が、ある動機で(動機なしでもいいのですが)、Bという人を「ナイフで刺す」ことを「内心で思い」、その通り、「現実に実行」し、「Bが死亡した」とします。
この場合、「殺人罪」や「傷害罪」の成立と「Aの内心」との関係はどうなるのでしょうか。
殺人罪が認められるためには、「Bの死の結果」に対する「Aの殺意(=殺人の故意)」が必要となりますが、そのときの「Aの内心」として、
①Bをナイフで刺せば、Bは「死ぬかもしれない」という「死の結果」に対する「認識」
があった。
②Bが「死んでもかまわない」という、Bの「死の結果」を「認容していた」(受け入れていた)
③Bに「死んで欲しかった(殺したかった)」という、「Bの死の結果」を「意欲していた」(積極的に望んでいた)
という①〜③の状態が考えられますが、
「Aの内心」が、
①のみの場合、Aは「過失致死罪」となることはあっても、「殺人罪」は不成立となり、Aに「殺人罪」が成立するためには、③の「意欲」まではいらないが、少なくとも②の「認容」までは必要とされます(いわゆる「未必の故意」)。
そして、「AがBをナイフで刺す行為」が、正当防衛や緊急避難等にあたらず、「
違法性」があるとしても、Aに「殺人罪」が成立するためには、さらに、Aの「責任」が問題となります。具体的には、刑法上「心神喪失者の行為は、罰しない」とありますので、Aが「心神喪失の状態」になかったかなどの「Aの責任能力」の有無が問題となります。
「責任能力」が認められるには、行為者に「事物(物事)の是非・善悪を判断でき、その判断にしたがって自分の行動をコントロールできること」が必要とされます。
Aは、「Bをナイフで刺す行為」が、「悪いこと」であることを知っていて、「刺すことを止めようと思えば、やめられたのに、『あえて』それをしてしまった」という「内面(内心の状態)」が必要となると思います。
その根拠は、「近代刑法」の「責任主義」により、「道義的」に「非難」できない「行為」については、「反規範的な人格態度」を認められず、そのような「人格・内面」の人間に、刑法を適用しても、「刑法によるコントロール」は無意味となり、「抑止力」も働きようがない、という考え方があると思われます。
上記のように、刑法における「人間の自由意思」に関し、「認識」「認容」「意欲」「善悪の識別と制御」という問題がからむと思われます。
最近の疑問は、上記の「近代刑法」の「責任主義」を国民感情が否定して、「責任能力のない人」(心神喪失にある責任無能力の人)の「行為」も「犯罪」となるような「刑法改正」を行った場合、「責任主義」は「ドグマ」であるとして、多数決の前に、撤退しなければならないのか、ということです。
1832
:
老婆心
:2008/06/26(木) 22:32:54
すみません、上記の1831で、
≫①のみの場合、Aは「過失致死罪」となることはあっても、〜
と書きましたが、
『①のみの場合、Aは「傷害(致死)罪」「過失致死罪」となることはあっても、〜
と訂正いたします。
1833
:
無精髭
:2008/06/26(木) 23:04:22
>>1831
まだ、老婆心様のご質問に完全にお答え致した訳ではございませんので、
それよりも先に小生がレスを戴くのは大変に恐れ多い事でございます。
次の休みを使ってお答え致す心算でございます。小生自身にとっても忽せに
出来ぬ問題ですので。
ところで、一日経ってから今更訂正致すのも気が引けるのですが、
>>1829-1830
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。
この部分を前後の文脈と照らし合わせると、明らかにおかしいと分かりますので、
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみれば自ずと分かる筈です。
と訂正させて戴きたく存じます。
文意が逆になってしまいましたが、これが本来の形でございます。
御見苦しい所を晒してしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。
1834
:
紫煙狼
:2008/06/27(金) 01:54:44
>>1831
責任主義というのは近代刑法の根幹的重要な概念であると思いますが…。
実は私は刑39の2と併合してかつ刑42条のように司法裁量とするべきでは
ないかと思います。つまり「心神喪失者または心神耗弱者の行為は、
その刑を軽減することができる。」が妥当かな、と思うのです。
現状の刑39は言い換えると
1.心神喪失者は無罪としなければならない。
2.心神耗弱者は罪を減じなければならない。
という意味になり、1に関しては司法裁量は認められていません。
しかし、実際は鑑定人によって鑑定結果がかなり変わってきますよね?
無罪になるのと、軽くても罰を受けるのでは大違いなので、もっと明確に
科学的数値データとして喪失度、耗弱度が算出できなければ、鑑定人の
あたりはずれができてしまう。これは大きく正義に反すると思うのです。
ならば、いっそのこと、心神喪失者も心神耗弱者も一律、罪を減じる
ことができるとし(逆に、一律、刑罰を受けてもらうとし)、その軽減の
度合いを司法判断に委ねるのが良いのではないかと思うのです。
逆に…鑑定結果が必ずしも軽減の根拠となり得ないとする事で、
「俺は精神病だから罪にはならない」とタカをくくって凶悪犯罪を引き起こし、
結局、厳罰に処される馬鹿も減るだろうし、少しでも刑罰を軽くしたいがために、
精神を病んでいる状態を詐病する被告も減るのではないでしょうか?
(まぁ軽減される可能性がある限り詐病も減らないかもしれませんが。)
1835
:
無精髭
:2008/08/01(金) 22:38:47
先刻、お断りいたしましたように「秋葉原通り魔事件」スレッドの議論を
こちらに接続させて戴きます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1212904531/99-102
何か、勝手に仕切っているようで恐縮なんですが、私には余りにも
興味津々な内容なので、つい。ですが、これ以上、仕切るつもりは
ございませんので、私のことなど一向に構わず、諸賢におかれましては、
どうか活発な議論をなさって下さい。この時間が、誰にとっても有意義な
ものとなりますことを、切に願っております。
1836
:
Ken
:2008/08/01(金) 23:57:29
髭さん、冴えてますねえ。突き詰めると死刑を支持する理由は同害報復しかないのかなあ、
とかちょうど考えていました。
それで、最初に紫煙狼さんに答えておきますけど、米国の薬殺刑はチオペンタール(麻酔薬)→
パンクロニウム(筋弛緩剤、麻痺薬)→塩化カリウム(心臓停止)というふうに
進みます。
それで、私ちょっと前にチオペンタールによる全身麻酔を受けたのですが、ああ
腕に入ってきたなと思った瞬間にすとんと意識がなくなりました。手術が終わって
ガーゼをとってはじめて傷を確認したときすんごく切ってあって「おい、切りすぎ
ちゃうんか!」と思ったのですが、手術中はとにかく意識がなくて苦痛どころか
自分の体に何が起きたのかまったく覚えてないです。あのとき何かの手違いで
死んでいたらおそらくこれ以上ないくらい安らかに逝っちゃってたんだろうな、
と思いました。
1837
:
Ken
:2008/08/02(土) 00:06:14
>>であるならば、「死刑になれば安楽に死ねる」という前例は誰のためになりますか?
>>やりたい放題やって死にたい人間にとってはこの上ない福音です。
>>これって社会のためになりますかね?
理屈としてはありえるとは思いますが、米国で主要な処刑法がすんなりと薬殺刑に
切り替わったことから考えると、そういう心配はしなくてもいいのと違いますかね。
紫煙狼さんがいつも言うように死刑判決を受ける人のうち「やりたい放題やって
死にたい人間」というのは例外的じゃないですかね。死刑にとって本質的な問題だとは
思えないです。あと、髭さんが言うように、薬殺刑が実現するとしたらその前提として
安楽死がすでに合法化されてるでしょうね。
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