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仙台・宮城・陸奥

1とはずがたり:2008/06/05(木) 12:05:28
地区別スレ,遂に仙台も登場。陸奥とは勿論多賀城を首府とする明治以前の陸奥だ♪
本来はにぬけんが立てるべきだが何時迄俟っても立てやがらないので俺がたつヽ(`Д´)ノ

1147とはずがたり:2011/04/04(月) 19:08:37

福島県、校庭1428か所で放射線量測定
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110404-OYT1T00726.htm

 東京電力福島第一原子力発電所の放射能漏れ事故を受け、福島県は4日、避難指示が出ている同原発の半径20キロ・メートル圏内を除く県内すべての小中学校などの校庭1428か所で放射線量の測定を実施すると発表した。

 新学期を控え、保護者や学校関係者から「子供を屋外で遊ばせても大丈夫か」などの問い合わせが相次いでいるのを受けた措置。

 測定は5〜7日、各校庭で高さ1メートル前後と地表近くの空間放射線量を測定する。高い放射線量が測定された場合は、土壌を採取して詳細な調査を行う予定。

 県は測定結果を基に、体育の授業など屋外活動の可否を判断する。子供の屋外活動について安全とされる放射線量の規定がないため、県は国に基準を示すよう求めている。
(2011年4月4日17時13分 読売新聞)

1148とはずがたり:2011/04/04(月) 21:15:19

飯館村に屋内退避を提言 京大助教ら、現地で放射線量調査
http://www.chunichi.co.jp/s/article/2011040490161402.html
2011年4月4日 16時14分

 福島第1原発事故で、屋内退避地域外にありながら高レベルの放射性物質が検出されている福島県飯館村で、支援にあたる糸長浩司日本大教授らが、子どもや妊婦を汚染の低い地域のコンクリート家屋に避難させることや、道路や建物を除染することなどを村に提言した。

 京都大の今中哲二助教や広島大の遠藤暁准教授ら研究チームが3月28、29の両日、現地で放射線量を調べたところ、大気中で1時間当たり30マイクロシーベルトの高い値を示す地点があった。村は原発から30〜50キロ離れている。

 調査では村南部の比曽川沿いで毎時10マイクロシーベルトを超える放射線量が観測され、最も高い地点では道路上で毎時24マイクロシーベルト、隣接する牧草地で毎時30マイクロシーベルト。この地点で1カ月間屋外にいた村民は、避難すべきだとされる計50ミリシーベルトの外部被ばくを受ける計算になる。

 周辺で採取した土壌からは、放射性のヨウ素やセシウムを検出。セシウム137は1平方メートルあたり218万8000ベクレルという高濃度だった。放射線量は、木造家屋の中では40%、車内で80%、コンクリートの建物の中では10%にまで遮蔽(しゃへい)されることも分かった。

 今中助教は「毎時10マイクロシーベルト以上の地点で生活している人もおり、驚いた。被災者への対策に役立ててもらいたい」と話した。

 飯館村では、国際原子力機関(IAEA)が1日、日本側が土壌から検出した放射性物質の数値を独自に分析し、政府に「平均値は避難基準を下回ったが、状況を注視してほしい」と伝えていた。

(中日新聞)

1149とはずがたり:2011/04/06(水) 14:59:56

ボランティア団体「相馬救援隊」立ち上げ 旧藩主子孫の兄弟
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110406-00000022-khk-l07
河北新報 4月6日(水)14時31分配信

 東日本大震災に伴う津波で沿岸部が壊滅的な被害を受けた福島県相馬市で、旧相馬藩主の子孫が地元のためにボランティア団体「相馬救援隊」を立ち上げ、食料や衣類を被災住民に届けている。

 救援隊は、北海道大樹町で牧場を経営する相馬行胤(みちたね)さん(36)と、陽胤(きよたね)さん(35)の兄弟が東京都内の友人らと結成した。インターネットなどで物資の提供や運搬協力を呼び掛け、トラック数台で東京都内の倉庫から相馬市まで運んだ。
 福岡市で会社を経営する陽胤さんは「震災報道を見て居ても立ってもいられず、相馬に戻った。何かできることはないかと救援隊を結成した」と話す。
 兄、行胤さんは34代目に当たる。毎年7月に開かれる国の重要無形民俗文化財「相馬野馬追」の総大将を務める家柄で、兄弟ともに地元で「若殿」と呼ばれ、親しまれている。
 北海道と相馬を行き来しながら、これまでに東京から4度、支援物資を集めた。事務所代わりの相馬中村神社に運び込んだ物資は、市内の避難所や隣の新地町や南相馬市にも配られた。
 物資不足はある程度解消されたものの、現在も相馬市内では、約1900人が避難生活を送る。救援隊は今後、沿岸部の復興など長期的な支援を視野に入れる。
 今年は相馬藩の居城、相馬中村城開城から400年。相馬野馬追は週末開催に変更されるなど、転機の年だ。「野馬追は飢饉(ききん)や太平洋戦争の時も中止しなかった。災害になんか負けない」と、陽胤さんは力強く前を見る。(加藤敦)

最終更新:4月6日(水)14時31分

麻生元首相が相馬市慰問 相馬家の縁で
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1067007932/7466

東日本大震災:麻生元首相、相馬市で地元産野菜を味わう /福島
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165378/1191-1195

1150とはずがたり:2011/04/06(水) 20:40:18
>>1147-1148

福島県の校庭放射線、浪江町と飯舘村で高測定値
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110406-OYT1T00904.htm

 東京電力福島第一原子力発電所の事故を受け、県内の小中学校などの校庭で放射線量を測定している福島県は6日、調査済みの結果を発表した。

 5日に測定した31市町村計537か所の速報値をまとめた。

 それによると、測定値が高かったのは浪江町と飯舘村。地面から高さ1メートルの地点では、浪江町で毎時23・0マイクロ・シーベルト、飯舘村で同14・0マイクロ・シーベルトが最高値だった。一般の人が自然界以外で浴びてもよいとされる年間許容量は1000マイクロ・シーベルト。

 測定は7日まで、県内55市町村1652か所で実施。県は、結果を基に子供たちの屋外活動の可否を判断する方針だが、現状では基準がないため、国に基準を示すよう求めている。
(2011年4月6日19時22分 読売新聞)

1151荷主研究者:2011/04/09(土) 17:16:51

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110401t75046.htm
2011年04月01日金曜日 河北新報
山形新幹線の運転再開 奥羽線、東北線一部区間も

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/tetsu/20110331028jd.jpg
福島―新庄間で運転を再開した山形新幹線つばさ。鉄路の復旧が進んでいる=31日、JR福島駅

 東日本大震災で運転を見合わせていた山形新幹線が31日、20日ぶりに福島―新庄間で運転を再開した。同区間の奥羽線も復旧した。4月中旬に全面再開を予定する東北線も同日、仙台―岩切間で運転を始めるなど、鉄路の復旧が進んでいる。

 山形新幹線の一番列車となった山形発のつばさ332号は午前10時16分、約20人を乗せて福島駅に到着。新幹線ホームがタイルなどが落下して使えないため、奥羽線のホームに滑り込んだ。

 暫定ダイヤだが、新幹線と奥羽線の復旧で福島から山形経由で青森までつながった。自宅のある山形市から、震災後初めて福島市に入った福島学院大短期大学部教授の沢井昭男さん(75)は「交通手段が復旧し安心した。学校の復興に頑張る職員や学生をねぎらいたい」と話した。

 宮城県内では、東北線の仙台―岩切間が、仙石線あおば通―小鶴新田間に続いて運転を再開。年度末とあって仙台駅は、久しぶりに改札を通る通勤客らで混雑した。

 普段は一駅先の陸前山王駅を利用するが、未通のため岩切駅から乗り込んだという多賀城市の会社員加藤ゆりさん(32)は「自宅から仙台市内の会社まで自転車で1時間かけていたので、くたくただった。部分的な開通でも助かる」と喜んだ。

 JR東日本によると、8日に一ノ関―盛岡間で運転を再開する東北新幹線は、4月下旬までに全面再開の予定で、仙山線も4月中旬に全線で運行を始める。常磐線岩沼―亘理間は4月中旬の再開を見込んでいる。

1152荷主研究者:2011/04/09(土) 17:17:40

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110402t75039.htm
2011年04月02日土曜日 河北新報
生活情報/鉄道・バス

 JR東日本は1日、東北線福島―岩沼間を7日に再開すると発表した。岩沼―仙台間が2日に再開し、いずれも暫定ダイヤでの運行になる。また、3日に全線復旧する陸羽東線はほぼ通常ダイヤでの運行。4日に再開する仙山線仙台―愛子間の運行本数は通常の7割程度になる。
   ◇
 宮城交通(仙台市)は4日、仙台―気仙沼間の臨時バスを1往復から6往復に増便する。運賃は片道1800円。仙台―釜石線も同日、岩手県交通との共同運行で再開する。2往復の通常運行で片道3200円。JR利府駅―岩切駅間の臨時バスはJR線の運転再開に伴って4日いっぱいで運行を終える。

 仙南交通(仙台市)とタケヤ交通(宮城県川崎町)は4日、JRの亘理駅西口(同県亘理町)と岩沼駅東口(岩沼市)間を結ぶ臨時バスの運行を始める。JR常磐線の運休が続いているのに伴う対応。岩沼方面行きは13便(土日・祝日6便)、亘理方面行きは16便(同6便)。JR東北線の復旧に伴い、名取駅(名取市)―仙台市地下鉄長町南駅(太白区)間で運行していたバスは1日で終了した。
   ◇
 三陸鉄道(盛岡市)は1日、臨時で3往復運行していた北リアス線の久慈―陸中野田間を5往復に増便した。無料運行は3月31日で終了し、当面は1〜2割引きの料金で運行する。

1153荷主研究者:2011/04/09(土) 17:18:51

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110402t72037.htm
2011年04月02日土曜日 河北新報
東北、製造業再興へ一歩 パナ仙台・旭化成石巻・関自工岩手

 東北の製造現場で、震災で停止していた生産を再開する動きが加速してきた。パナソニックは1日、宮城、福島両県の工場で生産を一部開始。東芝も同日、半導体製造子会社の岩手東芝エレクトロニクス(北上市)で、11日から生産を始める方針を発表した。

 パナソニックが再開したのは、デジタルカメラを組み立てる福島工場(福島市)と、ブルーレイディスクレコーダーの部品を製造する仙台工場(名取市)。

 震災で一部設備が壊れ、点検などをしていた。全面再開の見通しについて同社は「節電への協力もあり、まだめどは立っていない」と説明する。

 岩手東芝はシステムLSIの生産を開始する。建屋が震災で一部損壊、修復や製造設備の点検などを進めてきた。3月28日にはラインを動かし、最終チェックに入った。

 旭化成も4月5日から、携帯電話など搭載の集積回路の組み立てを担う子会社、旭化成パワーデバイス石巻事業所(石巻市)を部分的に稼働させる。

 停電、断水が一定程度解消され、破断した生産設備の配管の修理が終わったため。一部製品から手掛け「インフラの回復状況などを見ながら稼働範囲を広げていく」としている。

 トヨタ自動車グループの関東自動車工業岩手工場(岩手県金ケ崎町)も1日までに、交換用バンパーなどの製造を再開した。セントラル自動車も宮城県大衡村の本社工場で既にプレス部品の生産を始めている。

 いずれの企業も全面再開には取引先の被災による部品不足解消などが不可欠で「調達に向けて東北各地を回っている」(あるメーカー)などとしている。

1154荷主研究者:2011/04/09(土) 17:20:04

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110402t12053.htm
2011年04月02日土曜日 河北新報
仙台・塩釜・石巻の3港 一般船舶入港可能に

 宮城県は1日、東日本大震災で被災した仙台、塩釜、石巻3港で一般船舶の利用を再開したと発表した。震災後、3港の岸壁利用は緊急物資輸送船に限定されていた。仙台港では8日、自動車運搬船が入港する予定で、復興に向けた物流の活性化が期待される。

 県港湾課によると、仙台港は全12岸壁のうち高松、中野、雷神の各埠頭(ふとう)の計8岸壁で接岸可能になった。海上保安庁が1日、航路と停泊地の水深を確認した。

 同港の復旧作業で、県は海底に沈んだコンテナ154個を回収した。依然として330個が残っているとみられ、今月中旬までに撤去し、さらに深い水深を確保する。

 震災後第1号の一般船舶は、名古屋から入港する自動車運搬船となる見込み。メーカー各社の完成自動車を積み、8日午後2時に中野埠頭3号岸壁に接岸する。

 石巻港は、全17岸壁のうち13岸壁の利用を再開した。港内の海底では一部に隆起した場所があり、今後しゅんせつして水深を確保する。塩釜港は全21岸壁で一般船舶が入港可能になった。

 県港湾課は「海上物流網の再開は復興を後押しし、地元の経済を元気づけるはず。今後は一日も早いコンテナ船の再開が大きな課題になる」と指摘した。

1156荷主研究者:2011/04/09(土) 17:32:49

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110402t13054.htm
2011年04月02日土曜日 河北新報
コンテナ回収本格化 仙台港高砂埠頭の復旧急ぐ

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110402001jd.jpg
コンテナの回収が進められている仙台港高砂コンテナターミナル=3月31日、仙台市宮城野区

 東日本大震災で使用が停止されている仙台市宮城野区の仙台港高砂埠頭(ふとう)の復旧作業が本格化している。津波の直撃で打ち上げられたり、海底に沈んだりしたコンテナの回収が急ピッチで進む。埠頭は自動車部品などのコンテナ輸送拠点で、東北の企業活動の復興を左右する。宮城県は「2、3カ月で暫定利用の開始にこぎ着けたい」としている。

 長さ12メートル、高さ3メートルほどのコンテナが無秩序に転がる。広さ約21万6000平方メートルの高砂コンテナターミナルでは、重機によるコンテナ回収作業が行われている。

 港湾輸送大手の三陸運輸(塩釜市)の担当者は「自社扱い分だけで5000〜6000個が津波に見舞われた。他社も含めると、1万個以上が影響を受けた」と言う。

 作業は比較的順調だ。海中に沈んだ200個以上のコンテナの引き揚げは今月上旬には終わるとみられる。

 埠頭は1、2号の二つがあり、県によると積載能力5万トン級の大型船が入港できる2号は一部で陥没するなど激しく損傷したが、3万トン級までの1号埠頭は比較的軽微な被害で済んだ。

 県は荷物の陸揚げ用大型クレーンの一部が稼働すれば、1号埠頭での港湾機能を確保できるとみて、クレーンの電源設備の復活を急ぐ考えだ。

 東北の企業は震災で生産を停止したものの、再開の動きが目立ち始めている。高砂埠頭は部品輸送などの拠点で、早期復旧への期待は大きい。

 県港湾課は「本格的な物流回復に向けて整備に力を入れたい」と話す。

1157荷主研究者:2011/04/09(土) 17:39:12

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110402t11050.htm
2011年04月02日土曜日 河北新報
新次元の防災都市構築 仙台市が復興方針

 仙台市は1日、「震災復興基本方針」を策定した。「絆」と「協働」を基礎に日常生活の「安心」、経済と地域、仙台と東北の「再生」を目指し、暮らしや仕事の在り方を含めた新しい次元の防災・環境都市を再構築するとしている。

 避難所生活を送る被災者の支援策として今月上旬に避難所を集約し、プライバシーの確保など住環境を改善。職員や医療関係者が巡回して総合的な支援に当たり、5月上旬に始まる応急仮設住宅の入居につなげる。失業した被災者の緊急的な雇用確保にも努める。

 ライフラインや公共交通の早期回復を図り、都市ガスは4月中、地下鉄と市バスは5月中の全面復旧を目指す。

 津波の被害を受けた東部沿岸地域では、がれきの撤去や農業支援、防災面を重視した農地や集落の再生に力を注ぐ。住宅や地盤の損壊が目立つ丘陵住宅地域は地質調査を行い、安全性の確保策を検討する。

 復興を加速させるため、市長を本部長とする「震災復興推進本部」を設け、実務を担う専門組織を5月に新設。仙台と東北の再生に向け、各分野の具体策を網羅した「復興計画」を速やかにつくり、骨組みとなる「復興ビジョン」を5月中に、本計画を年度内に策定する。

 財政面では事業の延期や中止を念頭に、本年度予算を再編成する。東北一丸となって財政措置を伴う強力な支援制度の創設を国に求める。

1158荷主研究者:2011/04/09(土) 18:00:41

http://www.minyu-net.com/news/news/0401/news7.html
2011年4月1日 福島民友ニュース
山形新幹線が再開 東北線は中旬までに全線開通

在来線ホームから出発する山形新幹線=31日午前10時40分ごろ、JR福島駅

 山形新幹線は31日、震災から約3週間ぶりに運転を再開した。震災の影響で新幹線ホームの施設の一部が壊れ復旧作業が進められていることから、在来線ホームが使われた。作業は4月中旬に終わる見込み。

 JR東日本は31日、東日本大震災の影響で止まっていた東北線が4月中旬までに全線で再開すると発表した。全線開通により、支援物資や燃料など輸送網が大幅に改善されることになる。

 県内の東北線は郡山―本宮間が運転を始めている。本宮―福島間は4月5日再開の予定。郡山以南は安積永盛―郡山間が同2日、黒磯(栃木)―安積永盛間が同中旬までに復旧する。

阿武急、上旬から一部再開

 東日本大震災の影響で全線運休中の阿武隈急行(伊達市)は31日、4月上旬から被害の少なかった駅間での運転を再開することを発表した。福島―瀬上駅間など再開の見通しが立っていない区間もあり、バスなどの公共交通機関に乗り継ぎやすい臨時ダイヤで対応する予定。

 同社によると、4月上旬に保原―梁川駅間、中旬に瀬上―保原駅間、角田―槻木駅間が再開する見通し。

1159荷主研究者:2011/04/09(土) 18:22:22

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110403t13016.htm
2011年04月03日日曜日 河北新報
仙台―岩沼、再開見合わせ JR東北線 沿線ビルに危険箇所

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110402022jd.jpg
JR東北線岩沼―仙台間の運転見合わせを受け、南仙台駅に向かう代替バスに列をつくる乗客=2日午前7時25分ごろ、岩沼市の岩沼駅

 JR東日本は2日、暫定ダイヤで運行再開を予定したJR東北線岩沼―仙台間の運転を始発から見合わせ、一部区間をバスの代替輸送に切り替えた。線路脇の建物に危険箇所が見つかったのが原因。JR東日本仙台支社は撤去工事を始めたが、3日も同区間の運転再開の見通しは立っていない。

 同区間は午前5時30分仙台発の始発列車から運行を再開する予定だった。名取市の館腰駅の南約200メートルの線路脇にあるビルの一部が、線路側に落ち掛かっているのを社員が発見。午前6時すぎに南仙台―仙台間の折り返し運転に切り替え、岩沼―南仙台間はバス輸送で代行した。午後には折り返し区間が名取―仙台になった。

 仙台支社は「1日の点検では安全と判断したが、崩落が進み、運転を取りやめた」としている。

 館腰駅から仙台市の勤務先に向かう途中だった名取市の派遣社員女性(52)は「3月はほとんど仕事に行けなかった。やっと職場に行けるようになると思ったのに」と語り、代替バスを待った。

 亘理町の避難所で暮らす両親に会うため、深夜バスで訪れた横浜市の細田明さん(49)は「仙台駅で電車に乗ったが、南仙台駅で降ろされ、タクシーで岩沼まで来た。こんなに混乱しているとは思わなかった」と話した。

1160荷主研究者:2011/04/09(土) 18:26:33

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110404t12072.htm
2011年04月04日月曜日 河北新報
仙山線、仙台―愛子間再開 JR通勤網が徐々に回復

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110404038jd.jpg
一部で運転が再開されたJR仙山線。愛子駅のホームには久しぶりに乗客の姿が戻った=4日午前8時ごろ、仙台市青葉区愛子

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110404-y1.jpg

 JR仙山線が4日、仙台―愛子間(15.2キロ)で運転を再開した。仙台駅を通る在来線は既に東北線が岩沼―岩切間で、仙石線があおば通―小鶴新田間で、それぞれ部分再開している。仙台圏の通勤通学網となっている在来線3線は、いずれも一部区間ながら機能が復活しつつある。

 久しぶりに乗客を迎え入れた仙山線愛子駅。いつもの平日より乗客は少なかったものの、窓口には運転休止期間中の定期券の払い戻しを受ける人の列ができ、駅員4人が対応に追われた。

 仙台三桜高3年の柴田純伶さん(17)=仙台市太白区秋保=は1日から、新入生歓迎式典の準備のために登校している。「ガソリン不足で家の車で送ってもらえず、バス停まで30分歩き、バスに1時間乗って登校していた。授業が始まる前に運転が再開されてよかった」と喜んだ。

 北仙台駅まで利用する会社員の岩渕孝司さん(39)=青葉区錦ケ丘=は「震災後は臨時バスを使っていたが、混雑で2時間かかることもあった。時間が読めるので電車は助かる」と話した。

 愛子駅では、臨時バスに分散したこともあってか、まだ乗客は平常時の半分以下。愛子駅の矢口康夫駅長は「学校が始まれば以前の状態に近づくのではないか」と話している。

 仙山線の運転再開で、仙台駅を通る在来線3線は、それぞれ一部区間ながらもネットワーク機能を回復しつつある。台原駅(青葉区)以北が不通で混雑が続く市地下鉄南北線も「(路線が重なる)在来線の復旧の影響で一部に若干の混雑緩和がみられる」(市交通局)という。

1161荷主研究者:2011/04/09(土) 18:30:55

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110405t75015.htm
2011年04月05日火曜日 河北新報
生活情報/鉄道・バス

 JR東日本は4日、常磐線岩沼―亘理間の運転を12日に再開すると発表した。合わせて亘理―相馬間で代行バスを走らせる。また、仙山線の全面再開予定を今月中旬から同下旬に変更した。盛り土流失に伴う復旧工事が難航しているため。東北線は福島―岩沼間が7日、松島―小牛田間が9日に再開する。

 ◇

 宮城交通(仙台市)は5〜8日、JR松島駅―大崎市鹿島台(鎌田記念ホール)、松山駅間に臨時バスを運行する。JR東北線松島―小牛田間の運転が再開されるまでの対応。鹿島台間は1日7往復で片道500円、松山間は4往復で片道600円。ダイヤなど詳細は同社のホームページに掲載する。連絡先は022(771)5310。 仙台市交通局は5日、折り返し運行していた市バス根白石線を、始発便から全区間で走らせる。根白石線は道路状況が悪く、金森橋―泉岳少年自然の家間の運行を見合わせていた。詳しい運行ダイヤは市交通局のホームページや各バス停の時刻表に掲示している。連絡先は交通局案内センター022(222)2256。

1164荷主研究者:2011/04/20(水) 00:18:07

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110407t13029.htm
2011年04月07日木曜日 河北新報
勝山ボウル10日閉鎖 施設、大きな被害

 飲食・不動産業の勝山企業(仙台市)が仙台市青葉区の勝山ボウリングクラブを10日付で閉鎖することが6日、分かった。東日本大震災で天井や壁など、施設が大きな被害を受けて営業継続を断念した。

 ボウリング場については、隣接するスケート場跡地を含む土地とともに住友不動産への売却が決まっていた。勝山企業によると、営業は2012年3月まで継続予定だったが、復旧に多額の費用と時間を要することから、閉鎖時期を早めたという。

 勝山ボウリングクラブは1972年6月、東北最大規模のボウリング場としてオープン。当初は1、2階合わせて88レーンあった。

 2002年からは1階にスーパーの西友がテナントとして入り、2階の60レーンで営業。震災後は営業を休止している。

1165荷主研究者:2011/04/20(水) 00:19:03

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110407t73037.htm
2011年04月07日木曜日 河北新報
JR東北線・福島―岩沼間再開 新幹線、12日福島に

 JR東北線は7日、東日本大震災で運転を見合わせていた福島―岩沼間が再開した。既に仙台―岩沼間は運行しており、仙台と福島を結ぶ在来線が復旧した。12日にも東北新幹線の那須塩原―福島間が再開する見通しで、仙台と東京が在来線と新幹線による鉄路で結ばれる。

 JR東日本仙台支社によると、東北線福島―岩沼間は快速も復活。福島―白石間は通常ダイヤで、白石―岩沼間は通常の95%の運行本数を確保する。仙台―岩沼間は通常運行。

 9日には仙台―岩沼間が他在来線の運休に伴う旅客増に対応し、一部列車を増便する。同日、松島―小牛田間も再開。4月中旬に黒磯―安積永盛間と小牛田―花泉間がそれぞれ運転を再開し、全線が復旧する見込み。

 東北新幹線も7日午後、運休区間のうち一ノ関―盛岡間で運転を再開。4月下旬の福島―一ノ関間の復旧で、全線再開となる見通しだ。
   ◇
 警察庁の7日午前10時のまとめで、震災の死者は宮城、岩手など12都道県で1万2596人、行方不明者は宮城、岩手、福島など6県で1万4747人となった。死者・不明者は計2万7343人。宮城県警によると、県内の死者は7680人。

 被害が大きい東北3県のうち宮城以外の死者は岩手3687人、福島1168人。

1166荷主研究者:2011/04/20(水) 00:22:50

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110407t11027.htm
2011年04月07日木曜日 河北新報
仙台地下鉄、29日全面再開 台原―泉中央 工事1ヵ月短縮

 仙台市交通局は6日、東日本大震災の影響で運休している地下鉄南北線台原―泉中央駅間の復旧工事を約1カ月間短縮できるめどが立ったとして、29日の始発から全線で運転を再開すると発表した。

 運行ダイヤはラッシュ時を除き、おおむね通常に戻る見通し。市郊外の泉区と都心を結ぶ交通の動脈がようやく正常化。泉中央駅が最寄り駅となるユアテックスタジアム仙台で、29日に行われるサッカーJ1仙台のホーム開幕戦(浦和戦)にも間に合う形となる。

 市交通局によると、地下鉄の被害は泉区の八乙女駅周辺から泉中央駅にかけての高架区間約1キロに集中。七北田川の橋脚と八乙女駅上屋の損壊が特に激しいため、当初は5月末の全線開通を見込んでいた。

 早期復旧を模索する市交通局は、東北運輸局とJR東日本に協力を打診。新幹線高架橋の震災復旧工事でノウハウを持つJR東日本から技術的な助言と業者の仲介も受け、短期間で十分な強度が得られる工法に変更したという。復旧事業費は概算で約11億円。

 全線運転再開に伴い、台原―泉中央駅間と台原―黒松駅間で代替運行する無料バスは28日で終了する。午後8時半発となっている最終バスの運行時間の延長は、乗務員が確保できないため不可能という。

1167荷主研究者:2011/04/20(水) 00:23:42

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110407t12021.htm
2011年04月07日木曜日 河北新報
車運搬船きょう仙台へ 販売店向け まずホンダ

 東日本大震災で被災し、民間の物流機能が停止していた仙台港(仙台市宮城野区)に7日、震災後初めて一般貨物船が入港する。

 入港するのは、ホンダ車約440台を積載した自動車運搬船「さやま2」(2926トン)。四日市港(三重県)から横浜港を経由して、7日正午ごろに仙台港に入る。

 8日にはトヨタ自動車、ダイハツ工業、スズキの完成車など約430台を積んだ自動車運搬船「清和丸」(1万5781トン)が午後2時に入港する予定。

 両船とも中野埠頭(ふとう)3号岸壁に接岸し、販売店向けの完成車を降ろす。

 宮城県港湾課によると、震災発生後、緊急支援物資以外の荷物を積んだ一般船舶が仙台港に入るのは「さやま2」が初めて。3月31日までは支援物資運搬船のみが入港可能だった。

 これまで、仙台港内の航路では、流出したコンテナや自動車などが海中の334カ所で確認された。5日までに322カ所で引き上げなどの作業が完了。14岸壁のうち、中野3号を含む9岸壁で接岸が可能になった。

 県港湾課は「定期航路の自動車運搬船が運航を再開することで、本格的な物流機能、企業活動の回復が期待できる」と見ている。

 松島港(宮城県松島町)では5日、海中に沈んだ養殖いかだや船の撤去作業が始まった。

 県は、航路や停泊水域の水深を早急に確保し、観光客受け入れに向けて、地元観光協会が求める20日までの作業終了を目指す。

1168荷主研究者:2011/04/20(水) 00:24:41

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110407t12020.htm
2011年04月07日木曜日 河北新報
県営工業用水道、月内全通 仙台港は中旬にも

 東日本大震災で被害を受けた宮城県営工業用水道が6日、今月中に企業への送水を全面再開できる見通しになった。操業が再開できない企業も多いが、県は「県経済の復興に向け、企業活動の再開を支援したい」と強調している。

 県は、復旧が遅れている仙台港以北の送水管約10キロの状態確認を急いでいる。広域上水道に比べ破損は少なく、完全復旧は仙台港地区が4月中旬、多賀城・七ケ浜・塩釜港地区で4月下旬となる見込み。県企業局によると、6日現在、契約企業73社中57社(78%)への送水が可能になった。使用を始めたのは態勢が整った43社(59%)。一部では当面、清掃用に使われているとみられる。

 大津波で被災した企業が多い多賀城・七ケ浜・塩釜港地区では契約15社のうち、送水できるのは2社。仙台港地区では、契約企業の8割に当たる14社への送水が可能になったが、既に使用しているのは5社にとどまっている。

 仙台卸商団地・名取地区では、漏水箇所の修復が5日に終わり、全面復旧した。これら以外の地区は既に送水可能になっていた。

 契約企業は、自動車や電子精密機器、飲料など業種が幅広い。伊藤直司公営企業管理者は「工業用水は、電気などと並ぶライフライン。企業活動のいち早い再開は、県経済の復興にもつながる」と全面支援する方針だ。

1169とはずがたり:2011/04/20(水) 17:22:45
被害を受けた野蒜と東名から駅が無くなるので無理とは思うけど野蒜のこの迂回を止めて山側に短絡して貰いたい。出来れば高架+複線で。やれば出来るヽ(`Д´)ノ
http://yj.pn/DiVb91

序でに,仙塩港に次ぎ仙石の中間点に重化学工業地帯を狙って大久保(利通)の野蒜築港を今一度復活させて東名・野蒜はその支線として存続させてもよいぉ(*´ー`*)

JR仙石線・小鶴新田―東塩釜再開 多賀城駅の通勤風景戻る
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110419t13035.htm

 東日本大震災で運転を見合わせていたJR仙石線の小鶴新田―東塩釜間が19日再開し、あおば通―東塩釜間での運行を始めた。沿線の多賀城駅や本塩釜駅も利用できるようになった。
 仙台市内を除いて沿線で最も利用者が多い多賀城駅。早朝から、定期券を払い戻したり、新たに購入したりする客が窓口に列をつくった。
 運行本数は暫定ダイヤで通常の85%程度だが、多賀城市の会社員佐藤真志さん(29)は「昨日までは30〜40分並んで仙台駅までの臨時バスに乗っていたので、やっと楽になった。余震で再び運休にならないことを願う」と話す。同市から通学する仙台白百合学園高2年の山王智世さん(16)と板宮千尋さん(16)も「きのうから学校が始まり、これまで通り一緒に通えるので良かった」と改札口をくぐった。
 仙石線全線50.2キロのうち、運転を再開したのは17.2キロ。残る東塩釜―石巻間33キロについてはレールなどの損傷が激しく「再開のめどは立っていない」(JR東日本仙台支社)という。


2011年04月19日火曜日

1170小説吉田学校読者:2011/04/23(土) 09:59:29
時事通信は「善意もありがたいが、ちょっと多すぎ」という趣旨で報じ、そういう側面もあると思うが、「ランドセルはやや余る程度きてしまったが、ランドセルが結果として必要なくなってしまったので、余りが増えた」という側面もあるのではないかと思いました。辛い記事です。

ランドセル大量に余る=全国から続々、行き場失う−「送る前に連絡を」・東北自治体
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&rel=j7&k=2011042300024

 東日本大震災の被災地で、全国から贈られたランドセルが大量に余っている。食料や衣服と違い、通常1個を使い続けるランドセルは必要な数に限りがあり、自治体の担当者は「気持ちはありがたいが、善意を無駄にしたくないので、送る前に確認の連絡をしてほしい」と呼び掛けている。
 岩手県釜石市には、全国のNGOや小学校を卒業したばかりの個人から、2500個以上が届いた。津波でランドセルを失った児童ら約500人に配り終えたが、受け取りをやめた4月以降も車や宅配便での寄贈が後を絶たず、約2000個が行き場を失っている。
 譲渡を持ち掛けた他の市町村も間に合っており、反対に「譲りたい」と言われたことも。事前の連絡なしに届けられるランドセルもあり、市教育委員会学事総務課長補佐の菊池拓也さん(50)は、「どうしたらいいか」と頭を抱える。
 宮城県にも全国から約5000個が届き、県内市町村の求めに応じて計約4000個を分配。約1000個が余ったため、無償提供を受ける予定だった大手小売店に辞退を伝えた。
 県教育庁スポーツ健康課長補佐の千葉章さん(50)は「せっかく贈ってくれたのに非常に心苦しい」と繰り返し、「1個でも2個でも渡したい。不足している学校などがあれば連絡をほしい」と話している。

1171荷主研究者:2011/04/23(土) 13:56:53

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110409t12034.htm
2011年04月09日土曜日 河北新報
仙台空港34日ぶり再開 羽田と伊丹臨時便

 東日本大震災で被災した仙台空港が、13日に一部国内線で運航を再開することが8日決まった。就航するのは羽田、大阪(伊丹)の臨時便。東北の空の玄関口は、大津波から34日ぶりに民間航空機を迎え入れる。

 市村浩一郎国土交通政務官が8日、宮城県庁内で明らかにした。

 臨時便は羽田4往復、伊丹2往復。日本航空が羽田便1往復、伊丹便2往復、全日空は羽田便3往復を運航する。所要時間は羽田便が1時間、伊丹便が1時間20分。ともにボーイング737―800型機で約170席。

 仙台の出発時刻は羽田便が午前9時半、午後0時半、3時半、5時。伊丹便は午前11時と午後2時。1番機は日航4721便で、羽田を午前6時55分に離陸、仙台には同8時に到着する。

 両社は20日までの臨時便としてダイヤを設定した。21日以降の運航予定は別途発表する。

 空港の運用は日の出から日没まで。大量のがれきが流れ込んだターミナルビルは停電中のため、照明やエックス線検査の電源には小型発電機を使う。従来の1階到着ロビーで乗降手続きをする。断水のため仮設トイレを設置する。

 県バス協会の加盟各社は、仙台駅発のシャトルバスを運行する。仙台空港鉄道は運休中の仙台空港アクセス線の代行バスを名取駅との間で運行している。

 村井嘉浩知事は8日、「東北の拠点空港である仙台空港の再開は、本県復興の象徴として県民を勇気づける。迅速な復興を促す基盤になることを期待したい」と述べた。

 津波にのまれ、広範囲で浸水した滑走路は、米軍と自衛隊が共同でがれきを撤去し、国と県はターミナルビル内のシステム修復などを急いだ。

 仙台―羽田線は休止した1985年以来、26年ぶりの復活となる。

1172荷主研究者:2011/04/23(土) 14:20:18
>>270-271 >>329
http://www.sankeibiz.jp/business/news/110406/bsc1104061924016-n1.htm
2011.4.6 19:22 Fuji Sankei Business i.
仙台の半導体工場を前倒し閉鎖 米フリースケールが震災で

 半導体メーカーの米フリースケール・セミコンダクタは6日、今年12月末で閉鎖する予定だった子会社「東北セミコンダクタ」の仙台工場(仙台市泉区)について、東日本大震災による損傷が深刻なため、復旧作業をせず、前倒しして閉鎖すると明らかにした。

 フリースケール社日本法人によると、工場の従業員は約750人。期間を延長して給与を支払うなどの対応を取るとしている。

 仙台工場は1987年、東芝と米通信機器大手モトローラの合弁で建設された。フリースケール社は2004年にモトローラから分離して誕生。主に自動車や産業機械向けの半導体などを生産していたが、09年に生産拠点再編のため閉鎖が発表されていた。

1173荷主研究者:2011/04/23(土) 14:58:15

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110412t11004.htm
2011年04月12日火曜日 河北新報
県土再構築目指す 宮城県知事、復興基本方針を公表

 村井嘉浩宮城県知事は11日、県議会大震災対策調査特別委員会で、住宅の高所移転、漁港の集約再編などを盛り込んだ復興基本方針(素案)を公表した。知事は「元の姿に戻す原形復旧では到底、復興は果たせない」と指摘し、県土のグランドデザインの再構築を目指す考えを強調した。

 素案によると、2020年度までの10年間で復興を達成する。最初の3年を復旧期、次の4年を再生期、最後の3年を発展期と区分し、再生期までに震災前の姿に戻す。

 知事は「復旧期の3年間が肝心。復興に大きなはずみをつけたい」と強調。「どの季節、時間帯に災害が起きたとしても、命は助かる環境づくりが大前提」と述べ、海岸から離れた山を切り崩し、住宅地を整備する方針を明らかにした。

 水産業再生に関しては、漁港の集約再編や集積拠点の再構築などの検討を表明し、「多くの漁港が地盤沈下し、元に戻すとなると膨大な経費がかかる。復興対象の取捨選択を考えざるを得ない」との認識を示した。

 農業の土地利用や営農計画を抜本的に見直し、稲作から施設園芸への転換、畜産の生産拡大を盛り込んだ。

 県は素案をたたき台に、新設する有識者懇話会、既設の富県宮城推進会議などで議論。被災地の市町長とも意見交換し、8月をめどに復興計画を策定、県議会9月定例会に議案として提出する。

1174荷主研究者:2011/04/23(土) 15:02:04

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110412t12048.htm
2011年04月12日火曜日 河北新報
東京―仙台間、鉄路復活 JR東北線・新幹線が運行を再開

 東日本大震災と余震の影響で運転を見合わせていた東北線の福島―仙台間が12日、運転を始めた。東北新幹線の東京―福島間も同日、運転を再開し、これに伴い山形新幹線も全線で復旧した。福島―仙台間では、東北、山形両新幹線に接続する臨時快速「新幹線リレー号」が運行を始め、東京と仙台を最短約3時間で結ぶ鉄路が復活した。

 宮城県内の在来線は7日深夜の余震以来、全線で運転を見合わせていた。12日は常磐線の仙台―亘理間も再開し、仙台駅には久しぶりに通勤客の姿が戻った。出張で東京に向かう大崎市の会社員南生清一さん(46)は「新幹線が復旧しなければ、山形からの空路を考えていた」と言いながら、新幹線に乗り継ぐためのリレー号に乗りこんだ。

 ただ、この日も午前8時すぎの地震で東北新幹線が一時、運転を停止するなど、余震の影響が心配された。新幹線と在来線を乗り継いで仙台まで来た横浜市の会社経営白木栄次郎さん(59)は「途中、トンネルの中で5分ほど停車した。余震でどうなるか分からないので、まだ時間に余裕を見ていないといけませんね」と話していた。

1175荷主研究者:2011/04/23(土) 16:03:41

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110413t53015.htm
2011年04月13日水曜日 河北新報
「日常戻ってきた感じ」 山形新幹線が全線復旧

上り一番列車のつばさ102号。福島駅からも首都圏へ向かう乗客らが乗り込んだ=12日午前7時30分ごろ

 東北新幹線東京―福島間の運行が再開した12日、山形新幹線も全線復旧し、震災から1カ月を経て福島、山形両駅が新幹線で東京と直結した。仙台駅から東京へ最短3時間でアクセスできるルートも確保され、鉄路の復旧が進んだ。

 上り一番列車となった山形新幹線つばさ102号は午前5時37分、新庄駅を出発。山形、福島を通って東京に向かった。

 法事で山形市を訪れていた茨城県牛久市の無職大宮勇二さん(70)は山形駅から乗車。「来る時はバスで8時間。ほっとした」と帰路に就いた。

 福島市の会社員小桧山英子さん(51)は通勤で郡山に向かうため福島駅から乗り込んだ。「震災後は車で1時間半かかっていた。日常が戻ってきた感じ」と話した。

 同日から東北線の臨時快速「新幹線リレー号」が福島―仙台間で運行を始めたこともあって、福島駅では乗り継ぎ客も目立った。東京に出張する仙台市泉区の会社員男性(34)は「やっと福島まで再開したので、まずは一安心」と先を急いだ。

 7日の余震以降、在来線全線が止まっていた宮城県内では、東北線に加え、常磐線亘理―仙台間も運転を再開。仙台駅に久しぶりに乗客の姿が戻った。岩沼―仙台間を利用した岩沼市の会社員森長力也さん(36)は「バスを利用していたが、通勤時間が3分の1に短縮される」と喜んだ。

1176荷主研究者:2011/04/23(土) 16:04:33

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110414t13040.htm
2011年04月14日木曜日 河北新報
生活情報/JR・バス/陸羽東線、16日全線再開

 陸羽東線は16日に全線再開し、小牛田―新庄間をほぼ通常通り運行する。石巻線小牛田―前谷地間は、17日に暫定ダイヤで運転を再開する予定。

 ◇

 宮城交通(仙台市)は14日、高速バス郡山線(郡山駅前―須賀川間)の運行を再開する。福島交通、JRバス東北もそれぞれ運行し、3社で計26往復の予定。

 宮城交通・ミヤコーバス(仙台市)は15日、JR本塩釜駅アクアゲート口とJR小鶴新田駅前を結ぶ臨時バスの運行を始める。1日6往復。連絡先は宮城交通022(771)5310。

 仙南交通(仙台市)は14日から仙台空港とJR仙台駅東口を結ぶ臨時シャトルバスを運行する。

 13日に運航が始まった20日までの国内線臨時便に合わせたダイヤで、1日6往復。連絡先は仙南交通022(242)1234。

1177荷主研究者:2011/04/23(土) 16:07:08

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110414t12030.htm
2011年04月14日木曜日 河北新報
「1ヵ月で運航とは」 仙台空港再開 社員ら感無量

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110414008jd.jpg
旅客機の運航が再開され、利用客で混み合うターミナルビル=13日午前8時10分ごろ、名取市の仙台空港

 仙台空港が再開した13日、ターミナルビルは航空関係者や利用客の歓喜の声に包まれた。東日本大震災の津波でがれきと泥で埋め尽くされ、誰もが早期復旧を諦めていた。万感の思いを乗せた旅客機が1カ月ぶりに復興の大地に着陸した。

 1番機が到着する15分前、駐機場には「ご搭乗ありがとうございます」の横断幕を掲げる約40人の日本航空社員が並んだ。流れる涙をぬぐいながら着陸を待つ女性スタッフの姿もあった。

 苦しい1カ月間を振り返り、多くの社員がこみ上げる思いをこらえた。日航仙台空港所の柴原雄太所長は早朝、従業員にげきを飛ばした。「お客さまを安心させるためにも笑顔で出迎えよう。泣き笑いでもいいから、にこやかに」。

 日航1番機の尾翼に刻まれたのは赤い鶴の「鶴丸」。JAL再生の象徴に、被災地復興の願いを込めた。機長の大川博之さん(44)は「経営再建中のわれわれも頑張る。東北の皆さんも頑張って」とエールを送った。

 利用客も感無量の様子だった。「1カ月で運航にこぎ着けたことに驚いた。自然は恐ろしいが、人間の力はもっとすごい」と仙台市泉区の無職佐藤松雄さん(69)。中国・瀋陽で国際交流協会顧問を務める吉田登美子さん(64)は「空から地上を見て、言葉もなかった。中国の方からは『日本の復興を信じている』と激励の言葉を受けた」と涙ながらに語った。

 がれきの撤去に携わった在日米軍第35兵站(へいたん)任務部隊司令官のステーシー・タウンゼンド中佐(43)は「1番機の到着は素晴らしい。日米で一丸となって働いたチームワークの結果だ」と声を弾ませた。
(藤本貴裕、神田一道)

1178名無しさん:2011/04/23(土) 22:03:43
>>1170
ランドセルに限らないと思いますが、黙って送りつけるという側は何を考えてるのでしょうかね?

1179荷主研究者:2011/04/24(日) 15:05:13

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110416t13011.htm
2011年04月16日土曜日 河北新報
知の拠点爪痕深く 東北大、理科系学部中心に甚大被害

 東日本大震災では、東北大も多くの建物や研究設備が損壊した。国内外の大学や研究機関が、設備の開放や留学生の受け入れを申し出るなど、支援の輪が広がっている。だが、被害規模があまりにも大きく、今後の研究活動に影響が出るのは避けられそうにない。

■火災またも
 なぎ倒された書棚、1メートル以上もずれ動き、横倒しになった実験設備や器具。東日本大震災で受けた東北大の被害は、実験設備を抱える理科系学部で特に大きかった。「地震のダメージは大学にとっても、学生にとっても計り知れない」と、東北大大学院理学研究科の福村裕史研究科長(理学部長)は言う。内部がぐちゃぐちゃになり、火災も発生した理学研究科の化学棟(1972年落成)に大震災の爪痕を見る。

 最上階の8階。そこで地震に遭遇した飛田博実教授(無機化学)は水素ボンベが倒れ、「シュー、シュー」と音を出して漏れるのを耳にしながら避難した。幸い爆発は免れたものの、身の毛のよだつ思いだった。

 78年の宮城県沖地震の際、化学棟では4階と7階の研究室から出火した。今回の震災でも7階が火事になった。

 「危険な薬品類を扱う化学の研究施設は低層階の建物にすべきだ」。それが、2度の大地震を経験した飛田教授が導き出した結論だ。

 1階や2階の低い階が火事になると、上の階は逃げられなくなる。そのため、危険物を扱う研究室ほど上層階に配置されがちだが、上層階ほど揺れは大きく、出火の可能性が高まるからだ。

■再開見えず
 火事になった7階西側、機能分子化学研究室の薬品室に足を踏み入れた。広さ20平方メートル余りの部屋は全体が黒こげになり、割れた瓶が散乱する。

 化学消火剤のものと思われる異臭は、地震から1カ月たっても残る。出火原因ははっきりしていないが、排気設備付近の燃え方が激しかった。

 「室内には1000種類ぐらいの試薬があったが、果たしてどれだけ使えるかは分からない」と清水宗治講師。5月になったら研究を再開する予定だったが、「今月7日の余震で振り出しに戻り、見通しが付かなくなった」と肩を落とす。

■2億5000万円
 「研究への影響という点では、停電で実験サンプルが壊滅した研究室や、測定機器が壊れた研究室の方が大変」と清水講師が連れて行ってくれたのは、有機分析化学研究室の5階にある装置室。

 「見てください。定価で言えば、あの核磁気共鳴装置(NMR)が5000万円ぐらい、こっちの質量分析計は8000万円ぐらいかな」と山下修治助教。研究室の被害はざっと2億5000万円に上るという。

 「抗がん剤の候補になる化合物を研究しているが、分子構造がきちんとできているかどうかを調べるのにはどちらの装置も欠かせない」と言う。

 NMRは化学棟に計8台あるが、1台は完全に壊れ、廃棄が決定。修理で数カ月以内に使える見通しなのが3台、半年ほどかかるのが4台だという。

■補助金暗雲
 山下助教は「この先、測定機器の使用が制約を受けるのだから、研究の質は3分の2でも妥協せざるを得ないかもしれない」と考え始めている。

 さらに、やりたい研究よりもやれる研究テーマ、あるいはお金の掛からない機器で実験できる研究テーマに修正することも、現実問題として必要になりそうだ。

 大震災が研究に与える影響は中長期的にも想定される。

 「研究成果を上げなければ、新たな科学研究費補助金の獲得が難しくなりかねない」と語るのは、理学研究科化学専攻長の美齊津(みさいづ)文典教授(理論化学)。被災地の大学には、大学設備の復興予算だけでなく、研究費配分の上でも配慮が求められる。(長谷川武裕)

1180荷主研究者:2011/04/24(日) 15:05:48
>>1179 続き

◎施設提供、共同研究 国内外支援の輪

 大震災による研究設備の破損や研究中断を心配して、東北大には国内外からさまざまな支援の申し出が寄せられている。

 国立大学協会(浜田純一会長)は3月30日、各大学に対し、被災した学生や大学院生が避難先の大学で履修した科目について、所属する大学の単位として認定するよう要請。さらに研究スペースの提供や機器の共用なども呼び掛けている。

 東北大大学院理学研究科の花輪公雄教授(地球物理学)は「避難のため宮城県外の実家などに帰った学生が勉強できるよう、全国の多くの大学が図書館などの施設を開放してくれている。この先、実験設備が壊れた研究室は、他の大学施設を借りたり、共同研究の形で支援を受けたりすることもあるだろう」と、広がる支援の輪に感謝する。

 海外の大学や研究機関からも数多くの支援が寄せられている。

 「研究室の被害で研究への影響を避けるため、急きょ、大学院博士課程2年の学生を米国の大学に留学させる方向で話を進めている」と言うのは理学研究科の寺田眞浩教授(反応有機化学)。「学費などの経費は米国側が負担してくれる。欧米の大学や研究機関は、災害支援に加え、この際、日本の優秀な研究者を招きたいという考えもあるようだ」とみる。

 工学研究科では、人間・環境系実験研究棟など3棟が立ち入り禁止となっている。大学側はプレハブの建設などで対応することにしているが、やはり研究へのダメージは避けられそうにない。

 大震災の余波は、東北大の問題だけではない。計画停電に象徴される電力不足で、膨大な電力を使う物理系の測定施設は稼働できない状態に陥っており、海外への「研究疎開」や「頭脳流出」は今後、他の大学にも広がり、かなりの規模で進む可能性がある。

1181荷主研究者:2011/04/24(日) 15:06:38

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110416t13020.htm
2011年04月16日土曜日 河北新報
東北大、770億円被害 28棟・7000機器損壊

 東北大は15日までに、東日本大震災による被害状況をまとめた。学生2人、入学予定者1人が津波で死亡、宮城県女川町の農学研究科付属施設など28棟が、建て替えが必要な状態となった。実験機器約7000台も損壊。被害総額は計770億円に及び、研究活動に大きな支障が出そうだ。

 亡くなったのは発生当時、名取市内にいた農学部4年と経済学部1年の女子学生。農学部に入学予定だった陸前高田市の女子高校生も死亡した。学生約500人が家屋流失の被害に遭った。

 研究施設など建物の被害額は約440億円。建て替えが必要な28棟のうち、女川町の農学研究科付属複合生態フィールド教育研究センターなど16棟は津波で全半壊した。

 仙台市青葉区の青葉山キャンパスの工学研究科人間・環境系実験研究棟、川内キャンパスの東北アジア研究センターなど12棟は応急危険度判定で危険と判定され、立ち入り禁止となった。ほかにも多くの施設で全面改修が必要になっている。

 研究機材では、仙台市太白区の電子光理学研究センターで、高速の電子線を発生させる粒子加速装置(約13億円相当)が損壊し使用不能となったほか、各研究科の電子顕微鏡や、大学病院の診療機器なども破損し、計330億円の被害が出た。

 調査を終えていない施設や7日の余震の被害が明らかになれば、被害額はさらに膨らむ可能性がある。今後、文部科学省の調査を経た上で、4月中にも建て替えや改修に着手する方針だが、復旧までには3年近くかかる見込み。

 研究活動を継続できるよう、仮設の実験棟を早期に整備するほか、他大学の施設の使用などに向けた調整を進めている。

 講義は被害を免れた施設を活用し、4月下旬から順次再開する。遅れた分は夏休みを短縮する形で対応する方針だ。

 東北大は「早急に復興計画をまとめ、施設の再建を進めたい。被災した学生への経済的支援や自宅を流された学生への寮のあっせんなどの対応も急ぎたい」としている。

1182荷主研究者:2011/04/24(日) 15:16:19
>一時期、佐大商店の敷地が仙台市の都市計画道路予定地に組み込まれた
これは「川内南小泉線」のことだろうか。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110416t12039.htm
2011年04月16日土曜日 河北新報
仙台「堤焼」登り窯無残 損傷激しく修復困難

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登り窯の被害状況を確認する佐藤さん=6日、仙台市青葉区

 東日本大震災では、300年以上の歴史を持つ仙台の伝統工芸「堤焼」の登り窯も損傷した。仙台市青葉区堤町に唯一現存する窯は、6基のうち3基が倒壊。旧仙台城下の庶民の暮らしを伝える貴重な遺産だけに、関係者は胸を痛めている。

 登り窯は1918(大正7)年築造。トンネルの形をした間口1.6メートル、奥行き5メートルの窯が階段状に連なる。上部の3基が崩れ落ち、残る3基にもひびが入った。窯の中に残されていた焼き物のかめや花びんも壊れた。

 窯元の佐大商店4代目佐藤はつみさん(80)は「崩れたれんがが脇の道路にまで散乱した。(1978年の)宮城県沖地震でも壊れなかったのに本当に残念だ」と肩を落とす。損壊が激しく、修復は技術的にも資金的にも難しいという。

 堤焼は、江戸時代に足軽たちの副業として始まり、最盛期の明治から昭和初期にかけて約60戸が携わっていた。

 戦後は都市化に伴って衰退。最後まで残った佐大商店の登り窯も78年に火を落としたが、はつみさんの夫で堤焼職人だった故達夫さんが「堤焼の文化を後世に伝えたい」として保存してきた。

 足軽町の歴史を伝える遺産として親しまれてきたが、一時期、佐大商店の敷地が仙台市の都市計画道路予定地に組み込まれた経緯もあり、文化財には指定されていない。

 市文化財課によると、指定文化財が損壊した場合は一定割合で修復費用の補助を受けられるが、佐大商店の登り窯は対象外だ。

 登り窯の保存や、堤町の歴史の伝承に取り組んできた市民団体「建築と子供たちネットワーク仙台」代表の渋谷セツコさん(59)は「旧城下町の暮らしを伝える市内では数少ない遺産だった」と惜しみ、「今後、地域の心のよりどころになるよう、少しでも修復して保存できる方法を模索したい」と話している。(菊池春子)

1183荷主研究者:2011/05/03(火) 01:18:55

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110419t12015.htm
2011年04月19日火曜日 河北新報
宮城に来月中全面集約 セントラル自が方針

セントラル新本社工場の敷地内で行われた朝礼。葛原社長らが製造再開への決意を語った=18日午前8時ごろ、宮城県大衡村

「品質の良い車の製造が宮城、東北復興の足掛かりの一つになる」と語るセントラルの葛原社長=18日午前、セントラル新本社工場

 セントラル自動車の葛原徹社長は18日、拠点だった相模原工場(相模原市)から宮城県大衡村の新本社工場への生産機能の全面集約を5月中に行う方針を明らかにし「(部品調達の回復を待ち)6月からフル生産体制に入りたい」と述べた。震災が東北の自動車産業に与える影響については「集積が加速することはあっても、後退はない」と強調した。同日、生産を再開した新本社工場で報道各社の取材に答えた。

 葛原社長によると、相模原工場で製造する小型2車種のうち「カローラアクシオ」は18日で製造を終え、19日に本社工場で生産準備に入る。従業員の勤務シフトの組み替えなどもあり、移管車種の生産開始は5月中旬となる見込み。

 残り1車種は4月いっぱいで生産自体を停止。同時に相模原工場を閉鎖し、同工場勤務の従業員400人の大半が大型連休中に宮城に異動する。

 葛原社長は工場の稼働状況について「5月中は5割程度」と説明。早期のフル稼働に関しては「部品供給の回復が前提となる」と語った。

 新本社工場の再稼働の意義について「品質の良い車を製造することが宮城、東北復興の足掛かりの一つになると思う」と話した。

 セントラルは震災後、トヨタ自動車から送られた大量の生活物資を被災地に届けてきた。18日からは社員10人以上をボランティアとして被災地に派遣しており「継続的に地域に貢献したい」としている。

◎「経済復興の希望」/部品メーカーも始動

 宮城県大衡村のセントラル自動車新本社工場と関東自動車工業岩手工場(岩手県金ケ崎町)が完成車の生産を18日再開したのに合わせ、トヨタ自動車系をはじめ東北の部品メーカーも動きだした。各社は「裾野の広い自動車産業の再開は、東北の経済復興につながる。二つの完成車工場が早くフル生産体制に入ってほしい」と期待を寄せる。

 ブレーキ関連部品などを製造するトヨタ東北(宮城県大和町)はこの日、愛知県のトヨタの工場で代替生産されていた部品を含め、全面的に生産を再開した。

 桜井幸三常務は「東北の経済復興という希望になると信じ、ラインの正常化に取り組んできた。震災により素材や部品工場が集まる東北の重要性が、世界に認識された。東北の関連産業は今後、さらに発展できるはずだ」とみる。

 完成車工場の生産再開を「待ちに待っていた」とシート製造のトヨタ紡織東北(北上市)。大衡村の同社宮城工場も18日に再稼働し、幹部は「動ける事業所などが経済を回し、被災地の復興を支援したい」と話す。

 地元企業の喜びも大きい。金属部品メーカーの岩機ダイカスト工業(宮城県山元町)は震災後の停電で操業を停止。自家発電で電力を確保し復旧を急ぐ一方、金型を取引先に預けて他社に生産を任せてまで供給責任を果たしてきた。

 横山広人常務は「完成車工場の再開で何百もの部品が動く。インパクトは大きい。東北への自動車産業集積の機運が再び高まる」と期待する。

 今後は5割にとどまる完成車工場の稼働率アップが鍵となる。車体部品などを手掛けるアイシン東北(金ケ崎町)の丹羽芳明常務は「まだ先は見えず、厳しい経営が続く。早くフル生産に戻ってほしい」と語る。

◎明るいニュース/宮城知事

 宮城県の村井嘉浩知事は18日の記者会見で、大衡村のセントラル自動車新本社工場の生産再開について「大変明るいニュースで、うれしく思う。一台でも多く車を造り、一人でも多く雇用してもらえるようにお願いしたい」と述べた。

 製造業振興を軸とした富県戦略の見通しに関しては「スピードが鈍る可能性はあるが、変更はない」と語り、企業誘致などに引き続き力を入れる考えを示した。

 岩手県の達増拓也知事も同日の記者会見で、関東自動車工業岩手工場(金ケ崎町)の操業再開について「待ちに待った再開で、非常に喜ばしい」と歓迎。達増知事は「地震の被害が岩手内陸部は小さくて済んだ。もっと部品工場を関自工の周辺に造ってもらえればいい」と強調した。

1185荷主研究者:2011/05/03(火) 01:24:19

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110421t73043.htm
2011年04月21日木曜日 河北新報
JR東北線が全線復旧 貨物の仙台―盛岡も再開

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全線で運転を再開したJR東北線。岩切駅にも通勤風景が久しぶりに戻った=21日午前8時40分ごろ

 東日本大震災と余震で運転を見合わせていたJR東北線は21日、仙台―一ノ関間と岩切―利府間が再開し、全線が復旧した。仙台駅に乗り入れる在来線の全線再開は震災後初。沿線の各駅は朝から通勤、通学客らで混雑した。

 ほぼ通常ダイヤで再開したが、復旧直後のため徐行運転を終日の予定で実施。JR東日本仙台支社によると、午前11時現在で上下線とも通常ダイヤより最大で約40分遅れ、計6本が運休した。

 利用客は身近な足の復活を歓迎した。岩切駅(仙台市宮城野区)から乗り込んだ同区の高校2年菊池成津美さん(16)は「きょうから新学期。再開はうれしい」と笑顔を見せた。

 東北線は震災後、安積永盛―松島間まで運転区間を広げたが、7日深夜の余震で再び運休。仙台まで通勤する宮城県利府町の会社員東條舞さん(37)は「2度目の運休はがっかりした。バス通勤は時間がかかり、再開は助かる。日常がだいぶ戻ってきた」と喜んだ。

 ほぼ同じ線路を使う貨物列車も21日、仙台貨物ターミナル―盛岡貨物ターミナル間が復旧。関東から北海道まで結ばれ、日本海側を迂回(うかい)していた貨物の輸送時間が大幅に短縮された。

 仙台圏では23日、仙山線が愛子―山寺間の運転を再開し、全線復旧する予定。

1186荷主研究者:2011/05/03(火) 01:25:30

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110421t13018.htm
2011年04月21日木曜日 河北新報
仙台空港アクセス線 名取―美田園7月に再開

 東日本大震災で大きな被害を受け、運休している仙台空港アクセス線について、宮城県は20日、7月末をめどに名取―美田園駅間で運行を再開させる方針を決めた。名取駅でJR東北線に乗り入れ、仙台まで直通運転する見込み。9月末までに仙台空港駅までの全線開通を目指す。

 県によると、仙台空港駅1階の運行司令室は、機械類が津波で壊滅的な被害を受けており、運営会社の仙台空港鉄道は美田園駅に運行管理設備を仮設する。

 海水が流れ込んだ空港敷地内のトンネルでは、がれき撤去が完了。21日には排水作業も終わる見通しになった。

 アクセス鉄道の復旧事業費をめぐり、宮城県は鉄道事業者の負担をゼロにし、国がほぼ全額負担するよう国土交通省に要望している。

 県土木部は「アクセス線は空港利用者のみならず、地域住民の足を担っている。空港鉄道会社の復旧作業を全面的に支援し、一日も早い運行再開を目指す」としている。

 仙台―仙台空港間では現在、代行バスが運行されている。

1187荷主研究者:2011/05/03(火) 01:26:24

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110421t13033.htm
2011年04月21日木曜日 河北新報
生活情報/鉄道・バス

 JR東北線は、乗り心地向上を図る線路整備のため23、24、28日に一部区間で運休する。23、24日は小牛田―瀬峰間で午後0時20分ごろから同5時20分ごろまで、28日は白石―大河原間で午前9時15分ごろから午後2時15分ごろまで。運休中はバスで代行輸送する。

 ◇

 仙台空港鉄道は21日、運行を見合わせている仙台空港アクセス線のバス代行のダイヤを変更する。JR名取駅―仙台空港駅間を1日9.5往復から13往復に増便。名取駅―美田園駅間は、1.5往復減らし29.5往復にする。期間は21日〜28日。

1188荷主研究者:2011/05/03(火) 17:57:15

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110422t11021.htm
2011年04月22日金曜日 河北新報
仙石線でも「トモダチ作戦」 日米合同復旧作業始まる

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自衛隊とともにがれき撤去作業を行う在日米軍の隊員=21日、東松島市のJR野蒜駅

 津波で甚大な被害を受けた東松島市のJR仙石線野蒜駅で21日、日米合同のがれき撤去が始まった。仙石線東塩釜―石巻間は膨大ながれきが残され、復旧のめどが立っていない。宮城県などが自衛隊に作業を要請し、米軍も加わった。

 初日は自衛隊の16人と在日米軍の約40人が作業に当たった。重機を用い人海戦術で、なぎ倒された樹木や電柱、がれきや泥を撤去していった。駅舎内では、作業開始時に1階天井近くまであったがれきが、1日でほとんど片付けられた。

 作業は10日間の予定で、野蒜駅と陸前小野駅の周辺で行われる。米軍側は魂を込めて作業を行おうと、今回の活動を「ソウル トレイン」作戦と命名した。

 作業を見守っていた宮城県松島町の会社員堺和敏さん(40)は「母の実家が野蒜駅近くにあったが、流されてしまった。仙石線は地域になくてはならない存在で、早く復旧してもらいたい」と話した。

 仙石線は、あおば通―東塩釜間で運行を再開している。

1189荷主研究者:2011/05/03(火) 17:57:52

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110422t11024.htm
2011年04月22日金曜日 河北新報
仙台市議会臨時会 300事業停止、復興へ充当

 仙台市議会は21日、臨時会を開き、奥山恵美子市長が東日本大震災の復旧復興費219億8500万円を増額する2011年度一般会計補正予算など12議案を提出し、質疑を行った。

 奥山市長は、津波で甚大な被害を受けた東部沿岸地区の復興を「仙台の新しい出発を象徴し、杜の都を全国に発信するもの」と強調。「防災機能をより高めた復旧、道路や緑地帯の整備のほか、安全な地域への集団的な移転を含め、総合的な見地から防災都市づくりを検討する」と述べた。

 福島第1原発事故への対応については「多くの市民が大きな関心を持っている。できる限りの情報を集めて迅速に提供し必要に応じて独自に検査したい」と言及した。

 中鉢裕財政局長は、11年度当初予算を見直した結果、現時点で約300事業、総額約177億円の執行を停止し、復興事業の財源に充てる考えを示した。

 地下鉄旭ケ丘駅前に整備する複合型公共施設に温水プールを設置する計画に関し、佐藤均市民局長は「震災で多くの施設に被害が生じた状況を考えると、極めて困難な状況にある」と述べ、プールの設置を中止し、施設自体の整備も再検討する方針を表明した。

1191小説吉田学校読者:2011/05/05(木) 19:24:35
港町の現実でもあるのですが、外国人研修生がいないと水産会社は経営がやっていけないという現状もあるのです。そして、東日本大震災はたしかに想定外だったかもしれませんが、我が国は台風もある。言葉の壁や災害に対する考えの壁を乗り越えて、災害時、避難させたり集団行動させるのが結構、大変なのだそうです。
この佐藤専務をはじめ、被災地ではこういう話がたくさんある。私が同じ立場になったら、同じ行動を取れただろうか。

東日本大震災 中国人研修生を誘導後、津波にのまれ死亡した水産会社専務の葬儀営まれる
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00198822.html

 東日本大震災による大津波で死亡し、「女川の誇り」とたたえられた水産会社の専務の葬儀が5日、しめやかに営まれた。
 5日、宮城・女川町で水産会社の専務をしていた佐藤 充さんの葬儀がしめやかに行われた。
 葬儀に参列した人は、「(最期は)充さんらしいっていうか。本当に女川のために一生懸命尽くしてくれた方」、「自分を捨てて人助けしたのは、誇りでもある」などと語った。
 「女川の誇り」とたたえられた佐藤さんの行動への感謝の思いは、海の向こう、中国からも聞かれた。
 中国人は「(佐藤さんの)英雄としての魂は、永遠にわれわれの心の中に生き続けると思います」と語った。
 水産業の町・女川を瞬く間にのみつくした大津波。
 ウニの加工などを行う、佐藤さんの工場も被災した。
 そして震災当時、ここにはおよそ20人の中国人研修生がいたが、全員避難することができた。
 この時、佐藤さんは寮に住んでいた中国人留学生たちを高台に避難させた。
 佐藤さんに「もっと高台へ」と促された中国人研修生たちが、その後見た光景は、屋根の上で行き場をなくした佐藤さんだった。
 佐藤さんは、研修生たちを高台に避難させたあと、家族を捜しに戻っていた。
 その後、研修生たちは全員無事が確認され、帰国した。
 帰国した研修生は「佐藤さんがいなければ、わたしたちも今どうなっているのか、まったくわからない。死んでいたかもしれません」と語った。
 佐藤さんの行動はその後、中国メディアによって、「佐藤 充さんは中国人の心の中の英雄である」などと大きく報じられた。
 大連にある派遣元の会社では、祭壇が設けられ、佐藤さんの遺影が飾られている。
 さらにおよそ1,000万円の義援金が集まり、4月下旬、水産会社の社長を務める佐藤さんの兄たちに直接手渡された。
 葬儀に参列した人は「(佐藤さんに)見守っていただいて、よくやったなと将来いわれるような町にしていけるよう、みんなで頑張っていきたい」と語った。

1192荷主研究者:2011/05/07(土) 16:44:13

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110423t11003.htm
2011年04月23日土曜日 河北新報
道路・鉄道に堤防機能 復興まちづくり方針 宮城県

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 宮城県は東日本大震災の復興まちづくりで、沿岸部の道路や鉄道を全て盛り土構造とし、堤防機能を持たせる方針を固めた。津波の再来を前提とした対策で住宅地は内陸側に移転する。堤防に囲まれた集落「輪中」に似た市街地を形成し、津波の防御効果を高める。(1面に関連記事)

 道路や鉄道を盛り土構造にするイメージは図(1)の通り。海側から防潮堤、国道・県道クラスの道路、高速道路、鉄道と幾重にも「堤防」を設け、市街地の手前で津波を食い止める。

 県は今回の津波で、盛り土構造だった仙台東部道路、常磐自動車道が堤防機能を発揮し、道路より内陸側の浸水が軽微だったことに注目。平野が広がる県南部を中心に輪中の形成が減災に効果があると判断した。

 まちづくりでは津波で浸水した区域は原則、住宅地としない方針も固めた。住宅地や病院、役所などの市街地機能は丘陵地などに移転。被災した鉄道はルートを見直し、新市街地への新駅設置も視野に入れる。

 住宅地を移転するイメージは図(2)の通り。水産地域は漁港近くに加工場を設けざるを得ないが、職場と住まいを可能な限り分ける「職住分離」を進める。被災鉄道のルート見直しは22日からJR東日本と協議に入った。

 農地は浸水や地盤沈下で復旧が困難で、国による土地の買い上げを提案し、緑地公園などの緩衝地帯にする。農業は稲作から施設園芸への転換のほか、畜産の生産拡大を図る。

 水産業は県内に大小約140カ所ある漁港を3分の1から5分の1に集約して再編し、新しい経営方式を導入する。

 「エコタウン」の形成も意識。家庭用蓄電池や燃料電池の普及を図り、環境配慮型のまちづくりを推進する。太陽光発電やバイオマスエネルギーを活用し、災害時の非常電源を確保する。

 村井嘉浩知事は23日、政府の復興構想会議に出席し、方針を説明する。

1193荷主研究者:2011/05/07(土) 16:53:43

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110426t13037.htm
2011年04月26日火曜日 河北新報
東北新幹線東京―仙台再開 復興へ期待広がる

JR仙台駅の新幹線ホーム。震災後初めて、乗客の姿が戻った=25日午前8時30分ごろ

 東北新幹線福島―仙台間が再開した25日、1カ月半ぶりに東京―仙台間が新幹線で直結した。震災で被害を受けた仙台駅の新幹線ホームも復旧し、乗客の姿が戻った。首都圏と結ぶ大動脈の復活に地元では震災復興への期待感も広がった。

 仙台駅の新幹線ホームには、朝から列車を待つ人の列ができた。静岡県に出張する名取市の会社員山本輝幸さん(32)は「運転再開が早まって新幹線を使える」と喜んだ。福島まで通勤する仙台市宮城野区の地方公務員山崎麻知子さん(30)は「不便だった生活が元に戻りつつある感じ」と、上り列車に乗り込んだ。下りの一番列車の乗車率は始発の東京駅で40%。出張で仙台を訪れた東京都港区の会社員関洋二郎さん(26)は「震災後は夜行バスで仙台まで2往復した。これからは日帰りできる」と再開を歓迎した。

 この日、上りの一番列車をホームから見送ったJR東日本の里見雅行仙台支社長は「震災後、仙台駅にとって一番うれしい日だ」と語った。

 東北新幹線は昨年12月4日に東京―新青森間が全線開業、3月5日に新型車両「はやぶさ」が投入された。交流人口の増加など経済効果への期待が膨らむ中、同11日の震災で出はなをくじかれただけに、地元経済界も再開を歓迎した。仙台商工会議所の間庭洋専務理事は「待望の再開だ。復興の原動力はヒト。ヒトが動けばモノ、カネも動く。経済的に大いにプラスで復興に弾みがつく」と全線復旧に期待した。

◎運休や遅れ/1万3000人に影響

 東北新幹線は25日、新白河―白石蔵王間で午後1時半ごろから断続的に停電が発生し、東京―仙台間で運転を停止。午後6時10分に運転を再開したが、運休や遅れが相次いだ。

 区間運休を含め上下線計21本が運休し、22本が最大3時間36分遅れ、約1万3000人に影響が出た。同区間では点検作業で、再開後の午後7時20分すぎにも約30分間、運転を一時休止した。

 JR東日本によると、福島駅北側で架線の一種の保護線がたるみ、通常の架線と接触し、ショートしたとみられる。震災で切れ、補修した箇所だったという。保護線は過電流などが流れた場合に逃がす役目がある。

 仙台駅では、駅員に事情説明を求める乗客の姿が見られた。横浜市の自宅に戻るという主婦野村貴子さん(48)は「飼い犬と一緒なので、車内に持ち込める新幹線で帰るしかない」と、うんざりした表情。大宮に出張する仙台市若林区の会社員吉田幸弘さん(31)は「再開初日なのでトラブルは仕方ない」と話した。

1194荷主研究者:2011/05/07(土) 16:56:09

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110426t13049.htm
2011年04月26日火曜日 河北新報
“震閑”仙台・国分町正念場 スナック・高級店直撃

人通りが戻り始めた国分町。スナックや高級店は震災の影響で苦戦を強いられている=25日午後10時30分ごろ、仙台市青葉区

 東日本大震災は、東北一の歓楽街・国分町(仙台市青葉区)にも打撃を与えた。スナックやバーは利用客の激減などで、閉店に追い込まれるケースが出ている。居酒屋といった一部店舗で食事をする復旧事業関係者が増えるなど、回復傾向も表れてきており、関係者は「ここ数カ月が踏ん張りどころ」とみている。

 3月末に営業を再開した国分町2丁目のスナック「ふらっと」は、来店客が震災前の2割程度にとどまる。

 オーナーの屋代恵子さん(56)は「常連客は震災後の仕事に奔走し、ほとんど来ない。賃料や光熱費はこれまでの蓄えで何とか不足分を補っている」と嘆く。

 入居するビル内では経営を諦めた店もある。屋代さんは「うちも閉めようかと悩むが、それではお客さんに申し訳ない」と必死だ。

 酒類卸売・不動産業のカネサ藤原屋(仙台市)も影響の大きさを痛感する。自社所有や管理を担うビル20棟に入るテナント約500軒のうち、10軒が閉店や半年後の解約を決めた。4月分家賃の全額免除など支援策を打ち出したが、「他にも約20軒が解約を視野に対応を検討している」という。

 自粛ムードや余震への不安、公共交通機関の復旧の遅れなどが客足に響いているとの見方が関係者には多い。バーなどのほか高級料理店も厳しいとされ、国分町で複数店を経営する銀たなべが25日、約5億円の負債を抱えて事業を停止した。

 地震の揺れで店内に大きなダメージを受け、再開できない店もあると言われる。

 先行きが全く見通せないわけでない。地元町内会関係者らでつくる一般社団法人「国分町街づくりプロジェクト」の荒川雅光副理事長は「(復興に携わる)応援組が食事には来ている。スナックや高級店はしばらく厳しいが、人通りは少なくない」と説明する。

 藤原屋も酒類など国分町向けの売り上げが震災前の7割程度まで回復した。佐藤裕司社長は「復興の本格化で建設関係者をはじめ大勢の人が宮城、仙台に流入する。今後2、3カ月で元に戻り、その後は震災前より良くなるだろう」と期待を込める。

1195荷主研究者:2011/05/07(土) 17:00:57

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110429t12025.htm
2011年04月29日金曜日 河北新報
仙台市地下鉄、きょう全線開通 通常ダイヤで運行

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28日まで運行していた無料代替バス。地下鉄に乗り継ぐ利用客で長蛇の列ができていた=仙台市青葉区の台原駅

 仙台市地下鉄南北線(14.8キロ)は29日、東日本大震災の影響で運休している台原―泉中央駅間4.3キロの運転を再開し、全線開通する。

 市の南北を貫く大動脈はようやく復活し、泉中央駅が最寄り駅となるユアテックスタジアム仙台で同日行われるサッカーJ1仙台のホーム開幕戦にも間に合った。

 27日未明に台原―泉中央駅間で試験運転を行い、安全を確認した。再開後は平日168本、休日145本の通常ダイヤで運行する。

 南北線は震災3日後の3月14日、富沢―台原駅間で運転を再開した。残る区間のうち、泉区の八乙女駅周辺から泉中央駅にかけての高架区間約1キロで高架橋の橋脚部分にひびが入ったり、八乙女駅の上屋を支える柱のボルトが損傷したりしたため、復旧に時間がかかっていた。

 当初は5月末の全線開通を目指していたが、JR東日本の技術協力を得て短期間で強度を得られる工法に変更したため、工期を大幅に短縮することができた。

 市交通局は28日まで、台原―泉中央駅間と台原―黒松駅間で代行輸送する無料バスを運行。宮城交通や愛子観光バス、みちのく観光の協力を得て、平日600便、休日300便を走らせた。

 市交通局の保科学交通事業管理者は「多くのお客さまにご迷惑を掛けたが、何とか早期復旧にこぎ着けた。JRや民間バス事業者の協力に感謝したい」と語った。

1196荷主研究者:2011/05/07(土) 17:04:52

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110429t13024.htm
2011年04月29日金曜日 河北新報
命懸け33台のバス守る 業務受託の宮交社員

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救出したバスを見つめる山家さん(右)ら=28日、仙台市若林区の霞の目営業所

 東日本大震災後に津波の直撃を受けた仙台市交通局岡田出張所(宮城野区)で、33台のバスが奇跡的に被災を免れた。運行業務を受託している宮城交通社員の所長らが、決死の覚悟でバスを内陸部に移動させたことが功を奏した。

 海岸から約3.5キロの距離にある岡田出張所は市東部路線の運行を担う。激しい揺れに襲われた3月11日、山家洋二所長(50)がまず命じたのは、バスを津波から守ることだった。

 運行中の27台は、霞の目営業所(若林区)に向かうよう指示。出張所にあった7台も内陸部へと走らせた。全てのバスが出張所を出たのは午後3時40分ごろ。その8分後、高さ約3メートルの濁流が平屋の出張所を襲った。

 中にいた山家さんら5人は首まで海水に漬かり、十数時間後に全員屋外へ脱出した。

 避難中のバス1台が津波に巻き込まれたものの、33台は助かった。代償として、出張所にあった社員の車44台は津波に流された。

 心を痛めた市交通局の保科学交通事業管理者は今月28日、霞の目営業所を訪れ、職員からカンパした200万円と感謝状を山家さんに手渡した。

 保科管理者は「命懸けで車両を守っていただいた。感謝の気持ちでいっぱいだ」と述べた。

 宮城交通は2008年度に市から運行業務を受託。出張所を起点とする10路線25系統の運転業務を請け負っている。

 山家さんは「公共交通を担う者として、どうしてもバスを流されたくなかった」と話した。(神田一道)

1197荷主研究者:2011/05/07(土) 17:07:15

http://www.sankeibiz.jp/business/news/110429/bsc1104290503005-n1.htm
2011.4.29 05:00 Fuji Sankei Business i.
空港復旧、熊谷組の献身 慎重な作業、早期再開へ奮闘

仙台空港のがれき撤去は米軍や自衛隊も大きく貢献した=3月24日

 東日本大震災でターミナルビルや滑走路に甚大な被害を受けた仙台空港が今月13日、わずか1カ月あまりで国内線の就航再開にこぎ着けた。きょう29日からは就航時間が夜間にも拡大する。「復興のシンボルにしたい」。異例ともいえるスピード復旧の裏には、こうした思いで作業に打ち込んだゼネコンや空港関係者らの姿があった。

 就航再開まもない今月中旬、宮城県名取市と岩沼市にまたがる仙台空港に飛んだ。到着直前に窓から地上を見渡すと、家屋や自動車、がれきの山が目に飛び込んできた。予想以上の惨状だった。しかし降り立った滑走路と仮設のロビーは、1カ月前に大津波が襲ったとは思えないほど、整然としていた。

 「復旧をお願いしたい」

 3月12日未明、熊谷組東北支店に一本の電話がかかってきた。電話の主は仙台空港ビルの担当者。熊谷組は1997年に開業した空港ビルの施工を担当していた。被災状況が気がかりだった営業担当の水野賢司・お客様相談室長ら2人は、急いで空港に車を走らせた。

 夜明けとともに空港の惨状が明らかになった。滑走路と空港ビルの1階部分が水に没し、空港は完全な「陸の孤島」と化していた。

 水野室長らが空港内に入れたのは、ある程度水が引いた14日になってからだった。

 1階には大木や自動車、家屋が大量に流れ込んでいた。いつもの空港とあまりにもかけ離れた光景。われに返った2人は必要な資材の確認作業に取りかかった。

 「1日でも早く」。熊谷組と協力企業は、がれきなどの撤去と同時に、被害が大きくなかった国内線の到着口に臨時の発着ロビーを設置する作業に精力を注いだ。

 その作業は、照明がなく作業は日中に限られるなど、普段とは勝手が違った。現場責任者は作業者の士気の高さを頼もしく思いながらも「力みすぎると危険だ。2次被害があっては元も子もない」と繰り返した。作業は慎重かつ迅速に進められた。

 仙台空港は東北地方の拠点空港で、国内線と国際線を合わせた年間の利用客は約279万9000人、貨物取扱量は約1万3500トン(いずれも2009年)。名実ともに東北の要だ。

 それだけに滑走路などを管理する国の動きも速かった。緊急物資の輸送拠点にするため、自衛隊や米軍などが急ピッチでがれきなどの撤去にあたった。3月末には3000メートルの滑走路全体が使用可能になった。

                   ◇

 ■経済拠点 9月の全面復旧へ全力

 国土交通省東京航空局仙台空港事務所の大坪守仙台空港長は「米軍の力は大きかった」と振り返る。こうした尽力もあって民間機就航への道も大きく開ける。国交省は、空港ビルの復旧状況もみて、就航再開日を4月13日に決めた。

 「これならいけるぞ」

 全日本空輸仙台空港所の猪木康正所長は、がれきの山が撤去され、日に日に変わる空港の風景に、胸が高ぶった。

 猪木所長は3月下旬、本社から早期復旧の特命を帯びて現地入りした。「(復旧に)何が足りないか。わからなければ、新しい空港を作るつもりで対応しろ」。旅客、貨物、運航、整備などの各部門に指示を飛ばして回った。

 そして4月13日、国内線の一部で民間航空機の就航が再開した。全日空の旅客担当、佐口香奈さんは「やっと青い飛行機(全日空機)が仙台空港に来た」と熱くなる目頭を押さえつつ利用客を迎えた。

 現在、仙台空港は日本航空と全日空合わせて東京・羽田、大阪・伊丹間の計8往復の就航。国内線1日40往復と国際線週40往復という震災前の水準にはほど遠い。しかし、仙台空港ビルの伊藤克彦社長は「東北の復興のシンボルとして、一定の役割は果たせた」と、張りつめた顔を一瞬緩めた。

 発着ロビーで利用客に話を聞いた。鹿児島に単身赴任中の仙台市泉区の会社員、坂口憲人さん(58)は「あんなに被害が出たのに、1カ月間で復旧したのはすごい。がんばってくれている」と笑った。思いは通じていた。

 仙台空港では9月の完全復旧を目指し、懸命の作業が進められている。29日からは発着可能な時間帯が午後9時半まで拡大。就航便も計9往復に増える。

 現在、最優先なのは冠水した電源系統の復旧。同時に、今後の津波対策の検討も重ねられているところで、作業は着々と進められている。

 「空港は経済活動の拠点になる。1カ月間で暫定復旧できたことを糧に、半年といわず早期の全面復旧を目指す」(伊藤社長)。東北の戦いはまだ続く。(中村智隆)

1198荷主研究者:2011/05/07(土) 17:22:30

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110430t73017.htm
2011年04月30日土曜日 河北新報
大動脈 待望の復旧 一番列車エールで出迎え

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震災から50日目に全線復旧した東北新幹線。「はやぶさ」も運転を再開した=29日午前10時50分、JR仙台駅

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仙台市地下鉄の全線で運転が再開され、泉中央駅はサッカーの観戦客や買い物客らで混雑した=29日午後0時30分ごろ、仙台市泉区

 春の大型連休に合わせて東北の大動脈が帰ってきた。29日、東日本大震災で分断されたJR東北新幹線が全線復旧。乗客は歓迎し、沿線の観光地はにぎわいの復活に期待を膨らませた。

 新青森駅に午前11時9分、東京発の一番列車が到着。青森高の生徒がエールで出迎えた。東京から弘前市に帰省した横浜市の会社員須藤貴子さん(29)は「休日と全線再開が合って良かった」と語った。観光で来た東京都文京区の会社員鈴木達朗さん(29)は「弘前の桜が楽しみ」と笑顔を見せた。

 青森県では、大型観光宣伝活動「青森デスティネーションキャンペーン(DC)」が23日に始まった。青森DC推進委員会の林光男会長は「全線復旧でDCに弾みがつく」と期待をかけた。

 はやぶさも運転を再開し、仙台駅では親子連れらがカメラを構え、到着を待った。

 東京都杉並区の主婦山下香代子さん(50)は夫が仙台に単身赴任している。「震災後初めて仙台に来た。はやぶさに乗ったのも初めて。徐行の時もあったが、快適だ」と述べた。

 さいたま市の会社員男性(42)はサッカー観戦で訪れた。「観戦するかどうかは新幹線次第だったのでうれしい。宮城県松島町の友人宅もお見舞いに訪ねたい」と会場に向かった。

 東北新幹線は本震と余震で1750カ所の設備に被害が出た。JR東日本の清野智社長は運休区間として最後に残った仙台―一ノ関間を視察するため、仙台発の下り一番列車に乗った。「復旧作業に当たった人に感謝する。東北、日本を元気にしたい」と話した。

◎仙台市地下鉄も全線再開 始発ホーム乗客戻る

 仙台市地下鉄南北線が全線再開した29日、泉区の泉中央駅には49日ぶりに利用客の姿が戻った。市民は市北部と中心部とを結ぶ動脈の復活を喜び、地下鉄関係者はさまざまな思いを胸に始発列車を見送った。(1面に関連記事)

 同駅は午前5時すぎにシャッターが開き、十数人の利用客が切符を買ってホームに向かった。千葉県の実家に帰省する泉区の会社員大竹一也さん(51)は「大型連休に間に合って良かった。定時運行する鉄道の再開は助かる」と話した。

 29日はサッカーJ1仙台のホーム初戦があり、昼すぎの駅では黄色いユニホームを着たサポーターの姿が見られた。

 青葉区の会社員砂越貴之さん(37)は「車窓から(チーム本拠地の)ユアテックスタジアム仙台が見えた時、涙が出そうになった。地下鉄とサッカーがこんなに早く元に戻るとは思わなかった。うれしい」と感激した様子だった。

 勾当台管区駅長の桜田宏さん(53)は70人の駅務員とこの日を待ち望んだ。泉中央駅で午前5時35分の一番列車を見送り、「感慨無量だ。運休中、代替バスに我慢して乗っていただいたお客さま全員に感謝したい」と語った。

 始発列車は市交通局運転課の佐々木剛さん(50)が運転した。「身が引き締まる思いで運転した。地下鉄の再開で市民が元気づけられ、復興が早まってほしい」と述べた。

1199荷主研究者:2011/05/07(土) 17:24:12

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110430t13016.htm
2011年04月30日土曜日 河北新報
仙台地下鉄が全通 台原―泉中央の工事完了

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仙台市地下鉄が全線復旧し、J1仙台が本拠地開幕戦を迎えたユアテックスタジアム仙台の横を車両が行き交った=29日午前10時ごろ、仙台市泉区

 東日本大震災で被害を受け、区間運行していた仙台市地下鉄南北線は29日、台原―泉中央間で復旧工事が完了し、運転を再開した。地下鉄の運行再開で通勤・通学の手段は震災前の状態に戻り、市中心部と泉中央とを結ぶ幹線道路の渋滞緩和も期待される。

 この日は、休日の通常ダイヤで運行。昼すぎには、ユアテックスタジアム仙台(泉区)で行われたサッカーJ1仙台の本拠地開幕戦を観戦する大勢のサポーターや親子連れらで混雑した。

 南北線は、震災3日後の3月14日に富沢―台原間で運転を再開した。運休区間のうち、特に泉区の八乙女駅周辺から泉中央駅にかけての約1キロの被害が大きく、橋脚にひびが入ったり駅舎の柱のボルトが損傷したりしたため、復旧が手間取っていた。

 当初は5月末の全線開通を目指したが、JR東日本の技術協力を得て工期を大幅に短縮した。

 地下鉄で、J1仙台の観戦に訪れた奥山恵美子市長は「大型連休前の再開は難しいと思っただけにとてもうれしい。市民に不自由をかけ、バスの乗り換えに協力してもらったことに感謝している」と語った。

1200荷主研究者:2011/05/07(土) 17:24:56

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110430t13014.htm
2011年04月30日土曜日 河北新報
JR気仙沼線が一部再開 前谷地―柳津間

 東日本大震災で運転を見合わせていたJR気仙沼線の前谷地―柳津間(17.5キロ)が29日、3月11日の本震発生から49日ぶりに運転を再開した。

 当面は暫定ダイヤの運行で、午前6時台〜午後8時台に1日7往復する。通常の8割程度の運行本数となる。同区間の運転再開に伴い、涌谷―柳津間を走っていた代行バスは28日で運行を取りやめた。

 残る柳津―気仙沼間(55.3キロ)については、駅舎や線路が流失するなど被害が大きく、「再開のめどは立っていない」(JR東日本仙台支社)という。

1201荷主研究者:2011/05/07(土) 17:27:57
ほほぉ。どのような区間に走らせるつもりなのだろうか…。
>次世代型路面電車(LRT)を走らせるアイデア

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110430t11028.htm
2011年04月30日土曜日 河北新報
石巻、3ゾーンで被災地整備 宅地は堤防・盛り土で防御

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 宮城県石巻市は29日、市街地再整備の指針となる「新都市構想」を明らかにした。津波が直撃した海岸部や旧北上川河口付近に「公園」「工業」「水産加工」の3ゾーンを設定。宅地は移転した上で、堤防と盛り土した道路の二重の防御で被災を防ぐ考えを示した。

 復興基本計画作成に当たっての参考案として示した。市は5月中に被災者を対象にしたアンケートを実施し、転居希望など住民の意向を把握し、構想に反映させる。

 構想は石巻工業港周辺に「工業ゾーン」、石巻、渡波両漁港の背後地に「水産加工ゾーン」、旧北上川河口付近の南浜町・門脇町などに「公園ゾーン」を設けた。

 既存の中心商店街や蛇田地区は「商業ゾーン」、開成地区の総合運動公園周辺は「防災拠点」に位置付けた。海岸周辺は原則的に人が住まないエリアとし、防波堤と盛り土した道路を造って住宅や病院、学校がある「住居ゾーン」に津波が流れ込むのを防ぐ。

 各ゾーンを結ぶ避難路と緊急輸送路を整備し、太陽光発電など自家発電装置を備えた避難ビルを建設する。

 市街地には幼稚園と老人介護施設を併設する複合施設や、店舗と公共施設も兼ねた中層住宅などを整備し、地域コミュニティーの形成を促進する。次世代型路面電車(LRT)を走らせるアイデアも盛り込んだ。

1203荷主研究者:2011/05/07(土) 18:29:14

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110430t13037.htm
2011年04月30日土曜日 河北新報
仙台市地下鉄南北線 駅上の道陥没、渋滞深刻

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陥没で中央の車線を規制している地下鉄南北線五橋駅上の愛宕上杉通。歩道側の車線は、仙台市立病院の駐車場に入る車でふさがっている=27日午前10時、仙台市青葉区五橋

 東日本大震災によって、仙台市では中心部のあちこちで幹線道路が陥没した。とりわけ被害が大きかったのは、仙台市地下鉄南北線の駅や線路の上にある道路。震災から50日を過ぎて、今も交通規制が続く区間もある。

 大規模な陥没が発生したのは南北線の12の地下駅のうち勾当台公園、五橋(青葉区)、長町一丁目、長町、長町南(太白区)の5駅の地上。長町一丁目―長町間上の市道(旧国道4号)の被害も大きかった。

 五橋駅上の片側3車線の県道愛宕上杉通では、上下線とも中央車線に亀裂が入っている。この区間は上下線とも約100メートルが通行規制され、渋滞も深刻化。市交通局などはバスの運行ルートと停留所を規制区間から移動させたが、渋滞は解消していない。

 27日は午前9時すぎから仙台市立病院の駐車場利用者の車で歩道側車線が埋まり、1車線しか通行できず、渋滞は仙台駅まで1キロ近く続いた。

 宮城野区の特別養護老人ホームの女性職員(27)は「普段は30分かからないのに、1時間以上並んでいる。診察の予約時間を過ぎてしまった」といらだちを募らせた。

 仙台市は同区間の補修工事を25日から始め、工期は5月下旬までを予定しているという。

 長町一丁目―長町間上の市道は、100メートル以上にわたり道路が陥没した。応急的な補修は終わったが、道路は今もゆがんでおり混雑が続く。

 他に長町一丁目、長町両駅の地上にある歩道と車道の分離柵が、それぞれ50メートル以上陥没。勾当台公園駅の上でも、歩道の点字ブロックや勾当台公園の一部が陥没した。

 市交通局によると、1987年に開業した南北線の地下駅は、全て地表から掘り下げる工法で建設。長町一丁目―長町間なども同様の工法を採用した。他の区域は横穴を掘り進める工法だったという。

 道路の陥没について周辺住民からは「地下鉄工事で道路を掘っていた。(78年の)宮城県沖地震では被害がなく、地下鉄工事の影響ではないか」(長町の自営業者)と推測する声も上がる。

 市交通局は「建設から20年以上になるが、過去に大きな陥没があったという報告は聞いていない。共同溝などの埋設構造物もある。地下鉄建設との因果関係は現段階では分からない」と話している。(神田一道、門田一徳)

1204荷主研究者:2011/05/07(土) 18:31:22

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110430t12046.htm
2011年04月30日土曜日 河北新報
仙台・壱弐参横丁が苦境 震災から50日、都市ガス不通

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都市ガスの不通で多くの飲食店が苦境に陥っている壱弐参横丁=28日午後0時20分ごろ

 昭和のレトロな雰囲気をとどめる仙台市青葉区一番町2丁目の「壱弐参(いろは)横丁」の飲食店が、苦境に陥っている。東日本大震災から50日以上たっても都市ガスの供給が再開せず、営業に深刻な影響を及ぼしているからだ。廃業を決めた店もあり、「このままでは横丁が滅びる」との声も出ている。

 横丁を管理する中央市場商業協同組合(荒井美和子組合長)によると、営業する飲食店62店のうち、57店が都市ガスを使用。震災で地下のガス管が寸断され、東西入り口付近の計4店を除き、供給再開のめどは立っていない。

 鉄板料理が看板の居酒屋を経営する種沢和五郎さん(55)は「火力の弱いカセット式コンロでは料理の味が落ち、値段を下げざるを得ない。客足も遠のき、経営は限界」と頭を抱える。

 親の代から60年以上もラーメン店を経営してきた長谷川荘治さん(72)は「1978年の宮城県沖地震の時は石油バーナーで営業を続けたが、今は消防法の規定で許可が下りず、休業を余儀なくされている」と嘆く。古い建物が入り組む横丁では、プロパンガスも使えないという。

 壱弐参横丁の建物は礎石の上に載っているだけの簡素な造り。「いわば原始的な免震構造」(パソコン店主)のおかげで地震による建物被害はほとんどなかった。その一方で規模の小さな店が多く、日々の営業が命の綱。天ぷらを揚げることができず、廃業を決めた専門店もある。「ガスさえ通れば」との声が渦巻く。

 店主らは市ガス局に仮設管の設置を陳情しているが、ガス局は慎重。壱弐参横丁ではガス管と水道管を市、下水管を組合が担当して一度に更新する計画がある。しかし、組合執行部が提案した下水道工事の施工業者や施工方法について、震災前にあった総会で「工事金額が高すぎる」などと異論が噴出し、未着手のままだ。

 市ガス局の担当者は「仮設管は露出管のため、保安上、長期間の使用はできない。いずれは地下埋設を考えなければならないが、下水道の工期がはっきりしない限り、仮設管の工事にも取り掛かれない」と説明する。

 荒井組合長は「下水道工事に関しては誤解を受けている部分も多い。組合員にきちんと説明し、ガスの早期再開につなげたい」と話している。(野村哲郎)

1205荷主研究者:2011/05/15(日) 13:31:43

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110501t15022.htm
2011年05月01日日曜日 河北新報
東北大、留学生国外避難の余波(上)荷物残し戻らぬ人も

福島第1原発の事故後、避難帰国したまま戻ってこない留学生の荷物。各部屋から会議室に移して保管している=4月26日、仙台市青葉区の東北大国際交流会館

 福島第1原発の事故を機に、東北大の外国人研究者や留学生の多くが帰国した。原発事故の長期化で、いまだに大学に戻らない人も少なくない。母国に落ち着いてしまった人もいるため、アパートなどに置き去りにしたままの荷物の処分を大学側が迫られるケースも出ている。外国人研究者の帰国による研究活動への影響も懸念されており、東日本大震災と原発事故が国内大学の国際研究交流に与えた打撃は大きい。(長谷川武裕)

<教授が費用負担>
 「致し方ない事態。でも、荷物を処分するのには苦労した」。東北大大学院理学研究科の谷垣勝己教授(電子物理学)はこう振り返る。

 谷垣教授は4月上旬、研究室に所属していた中国人の研究者家族(3人)が住んでいた公団住宅と、単身の女性のポスドク(ポストドクター、大学院博士課程を修了した研究者)が借りていたアパートの後片付けをした。

 両者とも滞在予定期間が残りわずかだったため、「もう仙台には戻らない」と電子メールで伝えてきた。

 家族連れの研究者の荷物は、大学の車で運ぼうとしたところ、処理業者が見つかったために頼んだ。単身女性の方はアパートが大学の近くだったこともあり、研究室のスタッフが荷物を大学まで運んで一時保管し、その後、廃棄した。

 荷物の処理費用などは谷垣教授が立て替えた。未払い分の家賃も含めて約20万円になった。

 谷垣研究室は所属メンバー23人のうち、外国人は11人。内訳は中国7人、ベトナム2人、デンマークとインドが各1人。4月中旬以降、中国人、インド人各1人と、ベトナム人2人が大学に戻った。

 だが、谷垣教授は「放射能汚染を気にして様子を見ている人が多く、戻ってこない人がいるかもしれない」と心配する。

<300人から7人に>
 帰国後の荷物整理などに追われたのは、東北大の外国人研究者や留学生らが暮らす国際交流会館やユニバーシティ・ハウス三条(ともに仙台市青葉区)も同じだ。

 原発事故の後、多くの国が自国民に国外への避難を勧告。一部の国はバスや飛行機の臨時便を手配し、国外脱出を支援した。

 「地震には比較的冷静だったものの、放射能は怖いと、皆浮足立っていた」と国際交流会館で事務を担当する福田一朗さん(62)は話す。

 3月11日の地震発生当時、国際交流会館とユニバーシティ・ハウス三条には合わせて約300人の外国人がいたが、事故後は一時、3家族7人にまで減った。

 年度替わりの時期に当たることから、新年度の入居予定者のために部屋を空ける必要に迫られ、留学生課の職員が荷物を会議室に保管した。

 4月に入ってから、仙台に戻ってくる人は徐々に増えたが、大学が本格的に動きだしていないこともあり、4月28日現在、2施設合わせて111人と、本来の約4割にとどまっている。

 所属研究室などを通じて9割程度の人は帰ってくると連絡してきた。だが、福島第1原発事故の国際的な事故評価尺度が、旧ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」と評価されたことによる影響が懸念されている。

 東北大の留学生数は1500人前後に上る。このうち、年度をまたいで在籍する予定だった学生は1000人弱。「その8割以上が原発事故後に帰国した」と角田賢次留学生課長は言う。

 国際交流会館、ユニバーシティ・ハウス三条はどちらも大学の施設。そのため、入居費の未納が発生するなどしても、荷物は施設内に保管していることもあって、大学側が負担する費用は大きくはない。

 しかし、民間のアパートの場合、未払い家賃や原状回復費用に加え、荷物の移動や保管にも手間と金がかかる。

 東北大留学生後援会は、留学生がアパートを借りる際に保証人となることもあり、その数は約600件(うち3月末が入居期限だったのは90件)。今後、未払い家賃や荷物整理などで費用負担を迫られることもあり得る。

1206荷主研究者:2011/05/15(日) 13:32:12

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110501t15021.htm
2011年05月01日日曜日 河北新報
東北大、留学生国外避難の余波(下)国際水準維持に黄信号

東日本大震災、福島第1原発事故について語り合う東北大の外国人留学生たち。原発事故が彼らに与えた影響は小さくない=4月26日、仙台市青葉区の東北大国際交流会館

<教員27人帰らず>
 世界的な研究実績を誇る東北大にとって、外国人の研究者や留学生は研究成果を上げる大きな推進力であり、研究室に活力を与える存在でもある。

 東北大が雇用している外国人の教授や准教授らの教員は322人(非常勤含む)。このうち、144人が原発事故後に国外へ避難し、4月28日現在、27人がまだ戻っていない。

 東北大人事課の植垣健一課長は「無断で欠勤しているわけではないため、現段階では服務規程には違反していない」と判断する。

 ただ、長期間の指導教員の不在が、研究や教育に与える影響は決して小さくはない。

 大学院理学研究科の福村裕史研究科長(理学部長)は「海外との交流が、研究成果の原動力になっている。交流が生み出す研究水準の高さが魅力となり、さらに多くの優秀な外国人研究者や留学生がやってくるという循環を維持することが、震災後の大学の復興には必要不可欠だ」と強調する。

<正しい情報発信>
 外国人教員や留学生の帰国は、東北大だけでなく、東日本の大学を中心に起きた。

 筑波大では、帰国したままの人がいるものの、「4月13日から新学期が始まっていることもあり、大半の外国人教員、留学生は戻ってきた」(広報室)と説明する。

 福島大は175人の留学生のうち、半数以上が海外に避難したままだが、「連絡を取り合った手応えとして、12日の講義開始の前後には大半が帰ってくると思っている」と今井賢司学生課長は語る。

 福島大の場合、原発と同じ「Fukushima」の名称から、今後、海外の研究者や学生から敬遠されるのではないか、と懸念する声もある。

 今井課長は「正しい情報を世界に発信し、大学の活力でもある外国人留学生を従来通り呼び集めたい」と気を引き締める。

◎日本信じている、大丈夫
ミャンマー出身仙台残留
東北大大学院国際文化研究科研究員・ソーシュエさん(41)

 ミャンマーには大きな地震はないので、とてもびっくりした。4月7日の余震では妻が逃げる際、足を骨折した。

 原発事故が起きてからは、国際交流会館にいた人はほとんどが避難した。でも、私は日本を信じているし、仙台の人たちも皆逃げていないので、大丈夫だと考えて会館に残った。

 地震から2週間ほどして、大学の研究室を片付けた。研究は多少遅れたが、既にデータ解析を終えていたので、影響はあまり大きくはない。

 外国人は放射能の問題にとても神経質になっているが、まだ戻ってきていない人もいずれは戻って来ると思う。東北大は研究水準が高く、先生方も素晴らしいから。

 これからは食べ物の汚染が心配だ。早く、原発事故が収束してほしいと願っている。

◎早く研究をしたかった
マレーシア出身一時帰国
東北大大学院理学研究科博士課程3年・ハニス・モハメド・ユソフさん(29)

 地震の時は、一緒に留学している夫と東京にいた。原発事故が怖くて、仙台にいた研究室の友人らに相談したが、「危ない」というアドバイスだったので、3月15日、仙台には戻らず、東京からマレーシアに帰国した。服2枚、本1冊だけという状態だった。

 日本が好きで、研究もしたかった。だから、早く戻りたかったが、原発事故はマレーシアでも連日大きく報道され、親は随分と心配していた。研究室から「もう大丈夫」との連絡があり、4月26日に仙台に戻った。

 大学の被害は大きかったようだが、私の実験設備は使えるようなので、この間の研究の遅れを挽回したい。

 放射能汚染の問題もあり、この先、食べ物には気を付けたい。シーフードは食べないようにしようと思う。

1207荷主研究者:2011/05/15(日) 13:37:38

http://www.47news.jp/CN/201105/CN2011050701000102.html
2011/05/07 08:38 共同通信
震災で大学の被害900億円超 最大級の加速器も破損

 東日本大震災で被害を受けた東北大工学部棟の屋上の設備=仙台市青葉区(東北大提供)

 東日本大震災で岩手、宮城、福島、茨城にある主要国公立大学が受けた研究設備などの被害額が900億円を超えたことが7日、分かった。世界トップ水準の競争を繰り広げている先端研究を支える装置も多く、復旧が遅れれば、日本の国際競争力の低下を招く恐れがある。学生の教育にも影響が出そうだ。

 文部科学省は「本格復旧に向け改修改築を急ぎたいが、災害範囲が広く、情報収集に時間がかかっている」としている。

 金属工学など先端技術の国内有数の研究拠点である東北大の被害額が突出した。研究設備の被害額が約352億円、建物の被害額が約440億円に上った。

 研究設備では、「電子光理学研究センター」にある国内の大学で最大規模の加速器が壊れた。電子ビームを使って陽子や中間子の構造を解析し、米国やドイツの研究チームと世界最先端を争っていたが、復旧の見通しは立っていない。

 同センター所属の須田利美教授(原子核物理学)は「全国の大学との共同研究の拠点になっており、各チームの研究に深刻な影響が出ている」と話す。

 東北大では、応急危険度判定で危険とされる建物が計28棟に上った。中でも被害が大きかったのは、工学系や理学系の拠点が集まる仙台市青葉区の青葉山キャンパス。情報通信の基盤技術を研究する電子情報系など工学研究科の3棟や、理学研究科の化学棟が損壊するなど、大きな被害を受けた。このほか宮城県女川町にある水産系の研究実験施設も津波でほぼ全壊した。

 東北大に次ぐ被害規模の筑波大(茨城県)は建物と研究設備の被害額が計約70億円。筑波大でも加速器装置が壊れたほか、図書館や体育館をはじめ多くの建物で内壁が崩落するなど被害が出た。大学側は「慎重に調査を進めているが、被害額は今後さらに拡大する可能性が高い」としている。このほか茨城大や宮城教育大も被害を受けた。

1208荷主研究者:2011/05/15(日) 14:35:34

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2011/05/09 建設新聞
エンドーチェーン 仙台駅前のイービーンズ フジタで解体・改修
解体は今夏、リニューアルは今秋の完成めざす

 東日本大震災によってJR仙台駅前に建つ商業施設「イービーンズ」に大きな建物被害を受けたエンドーチェーン(仙台市青葉区中央4丁目1の1)は、イービーンズの一部解体と残る施設の耐震補強改修の施工をフジタに決め、近く着工する。震災後、フジタなど2社程度から施工計画提案を求めていた。

 解体するのは、ペデストリアンデッキでJR仙台駅と直結する青葉区中央4丁目のイービーンズのうち、表側(東側)約1、300平方㍍部分に建つ1964年3月開業の旧館部分。西側約2、000平方㍍部分に1972年に竣工し、旧館とつながっている新館は残し、耐震改修を行って安全を確保する。今夏までに解体を完了させ、今秋の新館リニューアルオープンを目指している。イービーンズは震災後、全館休館状態が続いていた。

 イービーンズを含む「仙台駅中央南地区」は数年前まで再開発の実施を目指して、勉強会の開催を重ねてきたがリーマンショック以降は状況が一変し、昨春には計画の早期具体化は困難な状況を地権者の一部が相互に確認しあったという話も出ていた。このため、元々の計画区域内では地権者各々の違った動きが見え始め、南町通沿いに建つタイムズ弘進パーキングは解体更地化し、当面は平面時間貸駐車場としての利用が見込まれている。また、南町通沿いで2015年度に開業予定の地下鉄東西線の新駅設置を予定している仙台市は、地下鉄通風口の確保を目指して周辺地権者と協議を進めた結果、弘進パーキングと東側隣接のエンタツパーキングビルとの間に用地を確保する方針を固めたものと見られている。イービーンズも建物の老朽化に伴って施設の耐震改修設計に着手しようと金融機関などと協議を進めてきた矢先に震災に見舞われたもよう。

 イービーンズの旧館解体後の用地は当面、イベント開催などで利用される見通しだが、仙台のまさに玄関口とも言える場所だけに、震災復興がいち早く実現し、賑わいが取り戻されることを周辺商店街も期待している。

2011/05/09付1面に掲載

1209とはずがたり:2011/05/25(水) 17:04:38

苦戦が続く仙台空港アクセス線の需要喚起にもなりそうな美田園駅隣接立地だけに無事,竣工・開設されて欲しいところであるが。。

名取に建設中の県教育・福祉複合施設 津波被災で工事中断
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110525t11021.htm

 宮城県名取市下増田に建設中の県教育・福祉複合施設が大津波で被災し、工事が中断したままになっていることが24日、分かった。県教委は本格的な被害調査に近く着手し、復旧方針の検討に入る。予定していた来年4月の開設は、半年以上遅れることが確実になった。
 複合施設は昨年12月、仙台空港アクセス線美田園駅近くの区画整理事業地(面積約2万8000平方メートル)で着工した。震災当時は本体施設(鉄筋一部5階)の基礎工事が終わった段階。津波は一時、建設現場の高さ1メートル地点まで達した。
 その後、基礎部分の鉄筋にさびが出るなどの被害が見つかった。県教委は「安全性の確認を徹底する」として、工事を中断。詳細な調査を7月中旬にかけて実施することを決めた。被災状況によっては、開設時期に最大1年程度の遅れが出る可能性もあるという。
 複合施設には、既存の教員研修施設を統合して発足する「県総合教育センター」(仮称)や仙台一高通信制が通信制独立校として開校する「美田園高」(仮称)、県中央児童相談所(仙台市青葉区)など県の5機関が入居する予定となっている。


2011年05月25日水曜日

1210荷主研究者:2011/06/05(日) 22:18:24

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110514t12021.htm
2011年05月14日土曜日 河北新報
ソニー事業縮小「計画見直し県が要請を」県労連など

 宮城県労連などは13日、ソニーが被災した仙台テクノロジーセンター(多賀城市)の事業縮小を打ち出したことについて、計画見直しをソニーに求めるよう県に要請した。

 ソニー労組仙台支部によると、縮小によって正規社員約280人が県外拠点への異動対象になるほか、関連子会社の期間従業員約150人が雇い止めされるという。

 センサー、バッテリーの研究開発機能は神奈川県などの拠点に移転する見通し。

 地元採用が多く、被災した従業員もいるといい、県労連の鈴木新議長は「事業縮小は復興に水を差す行為だ。県から見直しを働き掛けてほしい」と求めた。

 河端章好経済商工観光部長は「事実関係を確認し、できることは早急に対応したい」と答えた。

1211荷主研究者:2011/06/05(日) 22:38:45

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110516t12026.htm
2011年05月16日月曜日 河北新報
カローラ「宮城1号」が完成 大衡・セントラル自動車

新本社工場で完成したカローラアクシオを前に取材に応じるセントラルの葛原社長=16日午前9時45分ごろ、宮城県大衡村

 宮城県大衡村のセントラル自動車新本社工場で16日、拠点だった相模原工場(相模原市)から生産を移管したトヨタ自動車の小型車「カローラアクシオ」の量産1号車が完成した。葛原徹社長は輸出用の「ヤリスセダン」(日本名ベルタ)を含む工場の稼働率について、6月には現行の3割余りから8割以上に上がる見通しを明らかにした。

 工場内で行われた完成を祝う式典で葛原社長は、参加した従業員約100人を前に「良い車を製造することが東北復興の一助になる。新たな気持ちで頑張ろう」と呼び掛けた。

 葛原社長は式典後、完成したばかりの1号車を前に報道各社の取材に応じた。今後の稼働状況に関しては「6月からは昼夜2交代の勤務体制になる。1日約420台の生産を見込んでいる」と説明した。

 同社の生産能力は1日約500台。これに対して5月中は160台ペースにとどまっている。トヨタは部品調達のめどが立ってきたとして、5割程度に抑制してきた国内工場の稼働率を引き上げる方針を示していた。

 新本社工場はことし1月に稼働、ヤリスセダンの製造を開始。4月末の相模原工場閉鎖を受け、今月10日からカローラアクシオの生産にも着手していた。同車種の初出荷は品質面の確認作業を終える19日になる予定。

1212荷主研究者:2011/06/05(日) 22:40:47

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110518t11016.htm
2011年05月18日水曜日
仙台市長、国連防災世界会議15年誘致正式表明

 国連が2015年に開催を予定する「防災世界会議」について、仙台市の奥山恵美子市長は17日の定例記者会見で、東日本大震災の被災地として誘致に乗り出す方針を正式に表明した。福島第1原発事故が起きた福島県や、津波被害が甚大な三陸沿岸地域とも連携し、東北での広域開催を検討する。

 奥山市長は「大震災の経験を基に、世界レベルの防災拠点都市づくりの取り組みを発信することは被災地の責務。復興を世界にアピールし、東北全体の経済活性化に寄与したい」と述べた。

 防災世界会議は国際的な防災戦略を議論するため、1994年に横浜市で初開催。2005年に神戸市であった2回目の会議には168カ国と78の国際機関、161の非政府組織(NGO)から計4000人以上が参加した。

 内閣府の東祥三副大臣が10日、ジュネーブで開かれた国連会議で国内誘致を表明し、仙台市がこれに呼応した形。奥山市長は20日の東北市長会で協力を求めるほか、伊藤敬幹副市長が18日に内閣府や外務省を訪問し、誘致活動を本格化させる。

 奥山市長はまた、1978年の宮城県沖地震が発生した6月12日に例年行っている総合防災訓練について、本年度は中止する考えも示した。

1213荷主研究者:2011/06/05(日) 22:41:45

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110519t73023.htm
2011年05月19日木曜日 河北新報
三陸復興国立公園に再編 青森・種差から宮城・松島まで

陸中海岸国立公園の名所の一つ、浄土ケ浜も震災で大きな被害を受けた=18日、宮古市

 環境省は18日、東日本大震災で被害を受けた陸中海岸国立公園と南三陸金華山国定公園などを、「三陸復興国立公園」(仮称)として再編する方針を明らかにした。範囲は青森県の種差海岸から宮城県の国特別名勝「松島」までを想定する。観光活性化で復興を後押しする一方、海沿いの避難路を兼ねた長距離歩道の整備なども検討している。

 この日の政務三役会議で、震災復興に向けた対応方針の一つとして盛り込まれた。環境省は今後、政府の復興構想会議に提案するとともに、公園化の同意を得るため、地元自治体などと順次協議に入る見通しだ。

 構想は水産業、防災と連携した自然公園づくりを図り、復興に貢献することが大きな目的。キャンプ場や展望スポットなど既存施設の改修、新設に加え、津波被害を記録、継承する場づくりや「鎮魂の森」の整備案なども浮上している。

 被災した農業者、漁業者らに協力の輪を広げながらエコツーリズムを推進するなど、新たな雇用創出も模索する。

 陸中海岸国立公園は、国内に29カ所ある国立公園の一つ。久慈市から気仙沼市までの沿岸約180キロが指定区域で、「陸中」の岩手から「陸前」の宮城まで12市町村にまたがる。

 区域内の自治体では約20年前から、漁場や水産物のブランドとして認知度が高い「三陸」に公園名の変更を求める声が高まっており、「陸奥」に当たる八戸市も種差海岸の編入を要望していた。

 地元の意見を踏まえ、環境省は2012年中にも公園の名称変更と拡張の手続きを行う予定だったが、震災の発生を受けて方針を変更。来月にも被害実態の把握と具体的な再編プランづくりの緊急調査に着手する。

 環境省自然環境局は「被災地域の復興、再生を視野に、ゼロベースで新たな国立公園づくりを進める。ブランド化を支援し、風評被害などの打撃を受ける東北観光の起爆剤にもしたい」(国立公園課)と話している。

[陸中海岸国立公園]
 久慈市から気仙沼市までの総延長約180キロ、面積約1万2212ヘクタールの海岸公園。1955年指定。宮古市を境に北部は隆起性の段丘海岸、南部は沈降性のリアス式海岸が広がる。岩手県田野畑村の北山崎など、大断崖が続く景観は「海のアルプス」と称される。

 南三陸金華山国定公園 気仙沼市と宮城県南三陸町、石巻市など3市2町に広がる面積約1万3902ヘクタールの海岸公園。1979年指定。リアス式海岸特有の地形が特色。神割崎などの岬や牡鹿半島、金華山などの島々で、大規模な海食崖を形成する。金華山は黄金山神社や野生のニホンジカの生息地でも知られる。

 特別名勝「松島」 宮城県松島町や七ケ浜町、塩釜市など2市3町に広がる面積約1万2600ヘクタールの景勝地。1952年指定。日本三景の一つで、アカマツやクロマツなどが生い茂る大小230以上の島々が連なる。景観保護を目的に文化財保護法で建築規制がかけられている。

1214荷主研究者:2011/06/05(日) 22:43:08

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110520t13036.htm
2011年05月20日金曜日 河北新報
仙台港「抜港」相次ぐ 外国船が原発忌避

 福島第1原発事故の影響で、外国船が仙台市の仙台港などへの寄港を取りやめるケースが相次いでいることが分かった。宮城県は急きょ、仙台港で海水の放射性物質測定を実施し、不検出を確認。「風評被害で安全性に問題はない」として国内外にアピールする。

 県によると、一般貨物の荷役の取り扱いを再開した4月1日以降、少なくとも10隻の外国船が仙台港のほか、石巻市の石巻港の寄港を取りやめる抜港(ばっこう)を行い、東京や大阪に行き先を変更した。

 抜港したのは石炭や穀物、製材、冷凍水産物など海外の荷物を積んだ不定期船。一部は他地域の港に荷揚げし、トラックや国内航路で輸送した。

 原発事故が長引く中、輸出する荷物を積んで仙台港を出航した船が、中国やヨーロッパの寄港国で入港を拒否されるケースも出ているという。

 県は18日、6月のコンテナ貨物の取り扱い開始に向けて予定していた放射性物質測定を前倒しして実施。海水から放射性ヨウ素や放射性セシウムは検出されなかった。

 空気中の空間放射線量は毎時0.065マイクロシーベルト。1年間浴びてもエックス線の集団検診1回分と同程度の低さだった。

 県は20日、仙台港や石巻港の安全性を海外諸国に訴えるよう政府に求める方針。来週には外国船の船主団体にもアピールする。

 県土木部は「抜港がこれほど多いとは思わなかった。希望する船に仙台港の放射線量測定値を記した安全証明書を発行するなど、対策を急ぎたい」と話している。

[抜港]本来寄る予定だった港への寄港を取りやめること。福島第1原発事故の影響で外国船が寄港を敬遠する傾向が東京、横浜の両港を含め東日本全体の港に広がっている。中でも宮城、福島、茨城3県の港で著しいという。

1215荷主研究者:2011/06/05(日) 23:07:39

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110520t15024.htm
2011年05月20日金曜日 河北新報
石巻駅69日ぶり乗客 JR石巻線、前谷地間の運転再開

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110519035jd.jpg
69日ぶりに通学の生徒らの姿が戻ったJR石巻駅=19日、石巻市

 東日本大震災で被害を受け、区間運行しているJR石巻線は19日、前谷地―石巻間(15.1キロ)で復旧工事が完了し、運転を再開した。残る不通区間の石巻―女川間(17.0キロ)復旧のめどは立っていないが、石巻駅は69日ぶりに列車の乗降客でにぎわった。

 午前8時ごろ、石巻駅は通学の高校生であふれた。石巻高3年高橋尚文君(17)=宮城県石巻市桃生=は「渋滞で代替バスに1時間近く乗ったこともあった」と振り返り、石巻市女高2年伊藤佳子さん(16)=石巻市桃生=は「道路状態が悪く、乗り物酔いをしていたので復旧はうれしい」と笑顔を見せた。

 石巻駅の秋元達夫駅長(53)は「ホームが久々に雑踏に包まれて、明るさを感じることができた。ようやくここまで来た」と感慨深げに話した。

 石巻線は当面、通常より本数がやや少ない暫定ダイヤで運行される。前谷地―石巻間の復旧により、石巻駅はJR東北線経由で仙台駅まで鉄路でつながった。

1216荷主研究者:2011/06/05(日) 23:09:02

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110521t11022.htm
2011年05月21日土曜日 河北新報
沿岸に「二重防潮堤」 仙台市の復興構想骨子固まる

 仙台市は、東日本大震災の復興計画の素案となる復興ビジョンの骨子を固めた。津波被害を受けた東部沿岸地域の再生策として、県道塩釜亘理線に盛り土を施して仙台東部道路との「二重防潮堤」とし、住民の集団移転や海岸公園の再整備を盛り込んだ。震災直後の燃料不足を教訓に、燃料の備蓄を国や事業者と取り組むほか、復旧復興を円滑に進めるため、港湾部の産業支援などで特区制度の適用を目指す。

 市は5月末に復興ビジョンを決定した後、意見交換会やパブリックコメント、有識者会議を開いて市民の意見を採り入れ、10月末に復興計画を策定する方針。

 ビジョンは市民との絆と協働を重視し、減災を基本に据えた「新次元の防災・環境都市」がコンセプト。計画期間は本年度から2015年度までの5年間で、前期を「復旧・再生期」、後期を「発展・創出期」に設定した。

 東部沿岸地域では、県道塩釜亘理線や公園、避難施設を盛り土構造にするほか、貞山運河や海岸防風林の機能を回復させ、複合的に津波に備える。海岸公園にはスポーツ、レクリエーション施設の整備を検討する。盛り土工事には、震災廃棄物の利用も考える。

 家屋が流失、全壊するなど甚大な被害に遭った海岸線から近い地区(約2600世帯)についてはより安全な西側への集団移転を基本に据える。浸水被害を受けた市街地や集落でも移転や宅地の盛り土による集約化で防災機能を高める。必要に応じて建築制限もする。

 市郊外の丘陵団地で深刻な宅地被害の再建策としては、既存の支援制度の拡充を国に求めるほか、新制度の創設を模索し、所有者の負担軽減を図る。経済政策では、農と食に関連する産業、自然エネルギー産業の集積を目指す。防災教育や訓練施設の役割を担う防災拠点施設を設置する。

1217荷主研究者:2011/06/11(土) 18:05:53
>>921
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110524t12006.htm
2011年05月24日火曜日 河北新報
モリヤ譲渡 伏見屋と基本契約 従業員は新会社が雇用

 民事再生手続き中の食品スーパー、モリヤ(仙台市)は23日、酒類小売店を展開する伏見屋(秋田県仙北市)と事業譲渡に向けた基本契約を結んだ。管財人の吉田幸彦弁護士と東海林稔伏見屋社長らが仙台市内で記者会見して発表した。

 説明によると、伏見屋が19日付で設立した新会社「仙台物産」(仙台市)が、モリヤの宮城県内11店舗と経営権を譲り受ける。6月中旬をめどに正式契約し、仙台地裁の許可を得て、7月末の譲渡実現を目指す。

 「モリヤ」の名称は譲渡後も引き続き使用する。子会社を含めたモリヤの従業員約750人は7月末にいったん退職させ、大半を新会社が再雇用するという。

 債権者にはモリヤが譲渡金と預金などの資産を基に弁済し、会社としてのモリヤは清算する。一連の方針は再生計画案として10月25日の期限までに地裁に提出する。

 伏見屋は秋田県内で「酒のビッグバン」を経営し、宮城県内でスーパーを展開する「サンマリ」(仙台市)などを子会社に持つ。現在の運営店舗数は東北を中心に計48店。350億〜400億円と見込むグループの年間売上高は、モリヤの買収で500億円を超える見通し。

 会見で伏見屋の東海林誠副社長は「仙台に拠点を持ちたいと考えていた。仙台発の地元スーパーを残し、地域に貢献したい」と説明した。

1218荷主研究者:2011/06/11(土) 18:09:32
>>1208
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110524t12007.htm
2011年05月24日火曜日 河北新報
解体は旧館4階以上 仙台・イービーンズ 10月にも開店

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110523024jd.jpg
改装後のイメージ図。3階までを残す旧館(手前)の屋上は緑地になる

 エンドーチェーン(仙台市)は23日、震災で被害を受けたJR仙台駅前のファッションビル「イービーンズ」について、建物東側の解体を、4〜6階部分にとどめ、3階までを残すことを明らかにした。屋上(約990平方メートル)はイベントも可能な緑地として整備する方針で、西側の新館部分とともに耐震化を図り、ことし10月中の新装開店を目指す。

 解体対象は旧エンドーチェーン仙台駅前店に当たる旧館(地上6階、地下2階)。ペデストリアンデッキと2階部分でつながり、市地下鉄仙台駅とも直結する利便性などを確保するため、全面的な解体を避けることにした。被害が上層階中心だったことも理由。

 解体は26日に着工する。その後、西側(地上9階、地下1階)と一体的な改装を進める予定で、総事業費は約7億円。

 従来の入居テナントとの契約は震災後にいったん終了しており、「8月中には(再契約も含めて)新たなテナントを決めたい」としている。「ギャル系」と呼ばれる若い女性向けのカジュアル衣料に力を入れる方向は変えないとみられる。

 遠藤養一社長は河北新報社の取材に「休業期間が長くなるが、完全に安全な施設でお客さまを迎えたい。(屋上の緑地は)憩いとにぎわいの空間にし、復興のシンボルにする」と話した。

 工事期間中は地下鉄仙台駅の南2番出口が使えなくなる。

1219荷主研究者:2011/06/11(土) 18:10:53

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110525t12015.htm
2011年05月25日水曜日 河北新報
JR仙台駅・「すし通り」来月再開 構内利用も全面復旧へ

 東日本大震災以来、営業を見合わせていたJR仙台駅3階の「すし通り」が、6月1日に再開する。すし通りとともに利用できなかった北側の階段1〜3階も通行可能となり、駅構内の利用が全面復旧する。

 すし通りは、すし店5店が並ぶ。同じ通りの南側にある牛タン店が並ぶ「牛たん通り」は4月22日に営業を再開したが、すし通りは休止が続いた。

 北側に接する階段の壁が崩れ落ちるなど被害が比較的大きく復旧工事に時間がかかったほか、すし店の仕入れ先の多くが被災したことが影響した。

 これまで、宮城県産の海産物を多く使い「地産地消」を売りにしてきたが、震災で三陸沿岸が大きな被害を受けたため、当面は北海道や青森、東京などから仕入れたネタが中心になる。

 営業時間は従前通り午前10時〜午後10時半。1〜5日は、再開記念で一部メニューを割引価格で提供するフェアを開催する。

 仙台駅は震災で新幹線ホームの天井板が落ちるなどの被害で、一時構内が全面立ち入り禁止となった。新幹線ホームの利用が再開された4月25日までに、大半の利用が可能になっていた。

1220荷主研究者:2011/06/11(土) 18:15:56

http://www.kensetsu-sinbun.co.jp/menu/きょうの建設情報.htm
2011/05/23 建設新聞
JR仙台駅東口 ヨドバシカメラ
マルチメディア仙台新店舗の建設計画 来年夏以降に現店舗解体し第2期土地利用へ

 ヨドバシカメラ(東京都新宿区北新宿3丁目20の1)が具体化を検討してきたJR仙台駅東口の「マルチメディア仙台」の改築計画が始動する見通しとなった。既存店舗の向かい側にある農協会館跡地を中心に第1期として新店舗を建設し、完成後に現店舗を解体し第2期計画として土地利用を図ることが有力視されている。第1期計画の設計業務は梓設計が担当するもよう。

 新店舗の建設場所は、現店舗の東向かいとなる仙台市宮城野区榴岡1丁目2の10ほか地内にある農協会館跡地。現段階で有力視される施設プランは地上7階建前後の建物を建設し、1階から3階程度までを自社店舗として利用、それより上層階はテナントスペースとするもの。さらに、この東側隣接街区で現在解体中で、昨年12月初めに条件付所有権移転の仮登記を設定した駅東スカイビル跡地には、立体駐車場等を設ける案も併せて検討されているようだ。スカイビルは東日本大震災後に解体に着手、これに伴い1階で営業していたスーパーマーケットの西友は5月上旬に閉店した。

 第1期工事は6〜7月中にも施工者を特定し、今秋にも着工、来年夏以降に機能を移した後、現店舗用地を対象とした延べ7万平方㍍規模が見込まれる第2期計画に着手するものと見られている。

2011/05/23付1面に掲載

1221荷主研究者:2011/06/11(土) 18:19:02

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110526t12004.htm
2011年05月26日木曜日 河北新報
仙台港から震災後初のコンテナ船、6月8日出航

 津波で被災した仙台港のコンテナ専用埠頭(ふとう)「高砂1号埠頭」から6月8日、震災後初のコンテナ船が出航することが25日、分かった。国際物流の要となるコンテナ貨物拠点の復活は、被災地の経済活動の正常化に寄与しそうだ。

 宮城県土木部によると、第1便は県内企業が製造した自動車用タイヤなどを積む内航船。東京港で大型コンテナ船に積み替えられ、米国ロサンゼルス港に輸出される。

 高砂埠頭では、4基あるコンテナ用「ガントリークレーン」が被災したため、自走式クレーン1台を調達し代用する。コンテナ4000個が波に流されて散乱したコンテナ置き場は、西半分のスペースを確保した。

 震災前に7航路、週14便あった仙台港を発着する内航船の定期航路は、ほとんどの路線が運航を再開する見通し。便数は貨物の需要次第という。

 5航路、週5便あった外国と直接結ぶ定期コンテナ船は、一部の船会社が運航再開を希望しているが、具体的な時期や路線は決まっていない。

 ガントリークレーンは2号機が8月末までに修理を終える予定。

 県土木部は「震災の爪痕が残るが、少しでも港が動きだすことが重要。東北の多くの企業が仙台港を使えず、物流コストがかさんでいる。一日も早く改善したい」と話す。

1222荷主研究者:2011/06/11(土) 18:27:11

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110528t12018.htm
2011年05月28日土曜日 河北新報
外国船、仙台港に震災後初の入港、物流正常化へ期待

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110527029jd.jpg
仙台港に震災後初めて入港した外国貨物船=27日午後0時20分ごろ、仙台市宮城野区

 仙台港(仙台市宮城野区)に27日、震災後初の外国貨物船が入港した。これまでは福島第1原発事故の影響で寄港を回避するケースが相次いでいた。地元業者などは初入港を歓迎する一方、国際物流機能の完全復活に向け「安全性の立証が不可欠」と指摘する。

 貨物船はインドネシアを出港した「グローバル スプレンダー号」(パナマ船籍、3万2トン)。午後0時半ごろ、向洋埠頭(ふとう)に接岸し、宮城県内の工場で燃料として使う石炭約1万トンを陸揚げした。

 仙台港は4月に入り、一般貨物の受け入れを再開したが、外国船の利用はなかった。入港手続き代行などを担う三陸運輸(塩釜市)の担当者によると「海水が放射能で汚染されているとの風評で、直前でキャンセルになる例が続いた」という。

 カナダから住宅用資材を輸入する三善材木店(同市)の小泉幸彌社長は「第1便を機に物流が正常化してほしい」と期待。震災後は関東などの港を利用せざるを得ず「コスト増で採算ぎりぎりだ」と現状を説明する。

 岩沼市に仙台工場を持つタイヤ製造の東洋ゴム工業も「現在は工場向け石炭を北陸に陸揚げ後、国内船に積み替えている。コスト高は国際競争にも響く」と訴える。

 ただ外国船入港が震災前の年700隻以上に戻る見通しはない。宮城県は今月18日、海水を検査し、放射性物質は検出されなかったとの結果を公表するなど風評の沈静化に懸命。日本船主協会(東京)は「海外船主らの放射能への警戒感は強い。港利用の促進には客観的データの継続した開示が必要だ」としている。

1223荷主研究者:2011/06/11(土) 18:29:41

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110528t11023.htm
2011年05月28日土曜日 河北新報
次世代エネ産業誘致 宮城県・復興計画第1次原案

 宮城県は27日、東日本大震災復興計画の第1次原案を固めた。災害に強い「宮城モデル」のまちづくりを目指し、環境やエネルギー分野の次世代産業誘致を明記。津波で壊滅的被害を受けた農水産業の再生は、大規模化と集約化を強く打ち出した。原子力防災対策と放射能監視態勢の強化も盛り込み、太陽光発電の積極的な導入も表明した。

 まちづくりでは、幹線道路と鉄道を盛り土構造に変え、防潮堤と併せて津波への「多重防御」を図る。住宅や学校、病院は高台へ移転。沿岸部は港に津波避難タワーを整備し、高台から通勤する「職住分離」を進める。

 復興住宅には太陽光発電システムを全戸完備する。国の電力買収の優遇制度を活用し、ITで電力需給を調整する次世代送電網(スマートグリッド)を採り入れた「エコタウン」を形成する。

 産業の復興は「富県戦略」の核となる自動車関連産業、高度電子機械産業の誘致を継続する一方、エコタウン形成に伴うクリーンエネルギー産業、新しい医療福祉産業の創出や誘致に取り組む。

 津波で浸水した農地は集約化を推し進める。稲作から施設園芸へ転換を図り「野菜団地」「花き団地」「畜産団地」などを形成する。地盤沈下で復旧困難な農地は国が買い上げ、緩衝地帯として国営公園化を提言する。

 水産業は、漁協以外の法人も漁業権が得られる「水産業復興特区」の創設を提案し、民間投資を呼び込む。142カ所ある漁港は統廃合を進め、県営27港を拠点化する。

 環境省が打ち出した三陸沿岸地域を「三陸復興国立公園」(仮称)に再編する方針に対応し、東北6県の広域観光ルートの再構築に乗り出す。

 原子力防災では、東北電力女川原発(女川町、石巻市)の周辺地域で、放射能監視施設や防災拠点施設の再建を急ぐ。

 災害時の首都機能喪失を想定し、東北に代替機能を整備することを求める。震災の経験を学ぶ研修旅行も誘致し、拠点となる「復興祈念公園」の整備を国に提言する。

 県は6月3日に東京で開く県震災復興会議に1次原案を提示。意見を踏まえ内容を修正し、17日の県震災復興本部会議で1次案を決定する。2次案は7月上旬にも固めたい意向で、県民説明会などを経て県議会9月定例会に最終案を提出する。

1224荷主研究者:2011/06/11(土) 18:30:40

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110528t12013.htm
2011年05月28日土曜日 河北新報
豊田通商子会社の新工場30日着工 12年1月操業 仙台

 豊田通商(名古屋市)の金属スクラップ加工子会社、グリーンメタルズ(福井県)は30日、宮城県大和町の仙台北部中核工業団地で新工場建設の安全祈願祭を行う。震災後、同県内でトヨタ自動車グループの新設工場が着工されるのは初めて。

 新工場は同県大衡村のセントラル自動車新本社工場のプレス工程で出る不要な鋼板材を回収し、再利用可能なブロック状に加工。東北のトヨタグループの自動車部品工場に納入する。

 スクラップの加工能力は月間2000〜2500トン。新工場の敷地面積は1万6000平方メートルで、建屋の床面積は約23000平方メートル。投資額は9億円を見込む。

 新工場は12月下旬の完成、2012年1月上旬の操業開始を目指す。30日の安全祈願祭にはグリーンメタルズの近藤和充社長らが出席する予定。

 グリーンメタルズは当初、4月中の着工を目指していたが、東日本大震災の影響で約1カ月遅らせた。

1225荷主研究者:2011/06/11(土) 19:43:48

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110528t13043.htm
2011年05月28日土曜日 河北新報
老舗の鹿落旅館が廃業 震災で解体余儀なく 仙台・向山

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解体された鹿落旅館の跡地

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震災前の旅館は眺望の良さなどで多くの人に愛された=仙台市太白区向山1丁目

 杜の都を一望できる眺めの良さなどから、多くの人に愛された仙台市太白区向山1丁目の鹿落(ししおち)旅館が東日本大震災で被災し、解体された。趣向を凝らした客室や鉄鉱泉の風呂を備えた旅館は、幾度となく時代の荒波を乗り越えてきたが、被害のダメージは大きく、長年の歴史に終止符を打たざるを得なかった。

 震災が起きた3月11日、崩れた崖の岩が旅館を襲った。ドーンという音と同時に砂煙が立ち、建物の3分の1が壊滅。残った建物は1階から2階にかけて、「く」の字に曲がる大きなダメージを受けたが、巻き込まれた客は間もなく救出され、大事には至らなかった。

 旅館名は「身ごもったシカが清水を飲みに行く途中、誤って崖から滑り落ち、鉄鉱泉で傷を癒やした」という伝説に由来する。旅館前の市道は鹿落坂と呼ばれ、言い伝えが示すように旅館は断崖を背に建っていた。

 館主の遠藤光春さん(47)は「解体の起工式で、初めに自分がのみを打った。この時はさすがにつらかった」と明かす。立ち会った母敞子さん(71)は、無言で涙していたという。

 旅館は、光春さんの祖父母が1939年に経営を引き継いだ。裏にある石碑には、延宝8(1680)年の文字が刻まれている。敞子さんは「戦前は公衆浴場。戦後、旅館にした。延宝の時代から何かの施設があったんでしょう」と説明する。

 旅館は1945年7月に仙台空襲で焼失し、その後、再建した。54年には市の都市計画決定で、旅館の敷地が都市計画道路の予定地になり、移転を迫られそうになったこともあった。

 敞子さんは「71年9月には台風23号で土砂崩れの被害にも遭った」と、当時の様子を伝える新聞を開いてみせた。

 苦難を乗り越えてきた旅館には、敞子さんの父宗吉さんの「本物志向」と「遊び心」が凝縮されていた。

 「木材にこだわり、宮城県内外のあちこちを回って材料を集めた」と敞子さん。大広間の天井には、大きな船底をあしらった。「よくも(夜クモ)いらっしゃいました」との気持ちを込め、天井全体をクモの巣のように細工した客室も作った。

 「月見サロンとして利用されたり、花見ライブが開催されたり」「『鹿落杯』という名のマージャン大会を開いていたお客さんもいましたよ」

 光春さんと敞子さんの思い出話が弾む。

 放浪の画家として知られる山下清、いわき市出身の詩人草野心平も宿泊し、大相撲仙台準場所の宿舎にもなった。

 光春さんは「やっぱり、お相撲さんは印象深いですね。(元小結)青葉山とキャッチボールもしました」と懐かしむ。解体が始まった翌日の4月5日、所属する旅館組合に廃業届を出した。(末永秀明)

1226荷主研究者:2011/06/11(土) 19:49:13

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110528t13044.htm
2011年05月28日土曜日 河北新報
仙石線、東塩釜―高城町が再開 松島観光復興に弾み

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JR仙石線の東塩釜―高城町間が再開し、松島海岸駅にも利用者の姿が戻った=28日午前10時35分ごろ、宮城県松島町

 JR東日本は28日、東日本大震災の影響で運転を見合わせていた仙石線東塩釜(宮城県塩釜市)―高城町(宮城県松島町)間の運転を再開した。東塩釜―石巻間で運行していた仙石線の代行バスは、松島海岸―石巻間に短縮した。

 引き込み線を有する高城町駅まで運行区間を延長したことで、あおば通(仙台市青葉区)―高城町間は、ほぼ通常ダイヤに戻った。ただ、高城町―石巻間は施設の損傷が激しく、復旧の見通しは立っていない。

 今回の運行区間の延長で、瑞巌寺などの観光施設にほど近い松島海岸駅も営業を再開した。

 JR東日本によると、震災前の同駅の1日当たりの乗車人数は約1200人(2009年度)。

 松島観光協会は「松島観光の玄関口が鉄路で仙台と結ばれたことで復興にも弾みが付く」としている。

1227荷主研究者:2011/06/11(土) 19:51:14

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110529t12011.htm
2011年05月29日日曜日 河北新報
「生産の8割集約を」東エレク宮城新工場研究・事務棟開所式

東京エレクトロンの新工場。事務棟(写真)と研究開発棟が完成した=28日、宮城県大和町テクノヒルズ

 半導体製造装置大手の東京エレクトロンが宮城県大和町で建設を進めている新工場のうち研究開発棟と事務棟が完成し、28日に現地で開所式が行われた。運営子会社、東京エレクトロン宮城の北山博文社長は記者会見し、生産棟の10月稼働後は山梨県と宮城県松島町の2事業所の生産を集約し「2012年3月には新工場で(2事業所生産分の)8割以上を手掛けたい」と述べた。

 北山社長は開所式後の会見で、山梨と松島の2事業所で行っている装置製造を早期に新工場に集約する考えを表明。従業員は2事業所から異動させ、6月末に約250人とする。生産棟を含めると、10月末に約900人、12年3月には約1300人にするという。

 この日開所した研究開発棟は平屋、事務棟は3階建てで、延べ床面積はそれぞれ約1万7000平方メートル、2万4000平方メートル。生産棟に隣接する。設備を運び込み、7月1日に製品評価などの業務を始める。

 東京エレクトロンは当初、新工場の4月稼働を予定した。建設現場で資材が焼けたトラブルや震災の影響などで開発、事務両棟と生産棟の稼働を延期していた。

 北山社長は「世界一の工場にして地域の雇用と経済、震災復興に貢献したい」と話した。

1228荷主研究者:2011/06/11(土) 20:02:34

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110529t11020.htm
2011年05月29日日曜日 河北新報
居住地集団移転や現地集約 仙台東部3ゾーン化 市が検討

津波で木造家屋が根こそぎ流され、基礎だけが残る仙台市若林区の荒浜中丁地区。多くの住民が移転を希望する

 東日本大震災で津波による浸水被害を受けた仙台市東部沿岸地域の居住対策について、市は海岸からの距離によって三つのゾーンに区分した上で、集団移転や住宅の集約化を検討している。今月中にまとめる復興計画の中間案「復興ビジョン」に盛り込む方向で、詰めの作業を進めている。

 市は被災状況やアンケートの結果などから、仙台東部道路の東側の地域を、海岸から近い順に(1)家屋流出が見込まれる区域(2652世帯)(2)床上1メートル以上の浸水が見込まれる区域(1323世帯)(3)床上浸水が見込まれる区域(2526世帯)―に分類。それぞれ市としての考えを示す方向で調整している。

 現段階で想定される有力な構想は(1)は集団移転(2)は集団移転と現地での住宅の集約化(3)は現地での集約化―をそれぞれ求める案。移転先の一つとして、2015年度の開業を目指す市地下鉄東西線の荒井駅周辺が候補地に挙がっている。

 市は5年以内に集団移転を完了させる方針。だが住民が移転を希望しないケースも予想される。

 奥山恵美子市長は24日の記者会見で「安全ではない場所に住み続けることへの可否は、考えなければならない。場合によっては住んではいけないと判断する可能性は排除できない」と語り、市が転居を勧めたり、建築制限を設けたりすることもあり得るとの認識を示している。

◎「愛着ある」「津波怖い」住民に温度差

 東日本大震災で津波被害を受けた仙台市東部沿岸地域で、住宅移転に対する住民の意向は割れている。被災の程度や土地への愛着心、職業、家族構成など被災者が置かれた環境の違いにより、思いは千差万別。若林区の被災現場を歩き、住民の声を拾った。

<8割現地希望>
 仙台東部道路から、すぐ東側の荒井笹屋敷地区。約120世帯の大半は浸水被害で一時、自宅を離れたが、その後は30世帯ほどが戻った。電気やガスなどのライフラインが復旧している家もあり、より海側に比べれば被害が少ない地区だ。

 住民によると、地区の8割の世帯が現在の場所での生活を希望している。農業の菊地柳秀さん(67)は「11代続く農家で地域には愛着がある。自宅も流されていないので、ここで暮らしたい」と話す。

 さらに東側の県道塩釜亘理線付近に向かうと、風景は様変わりする。県道沿いの井戸地区は津波で多くの住宅が流され、辛うじて残った家もヘドロまみれで、無残な姿をさらす。

 トラック運転手の庄子正美さん(48)は「妻も子どもも津波を怖がっている。もうここには住めない」とうなだれる。震災で両親を失ったこともあり「古里を離れるのは悔しいが、(防潮堤の役割を果たす)東部道路よりも西側に移りたい」と語る。

 同じ場所で再起を誓う人もいた。無職の大友悟さん(75)は自宅が浸水したものの、家屋の骨組みに被害はなかった。「長年住み慣れた場所を離れるのはつらい。津波の不安はあるが、自分たちの代まではここに住まわせてほしい」と言う。

<リスク大きい>
 海岸から約300メートルの荒浜中丁地区に足を踏み入れると、寒々しい光景が広がる。震災で全ての木造家屋が流され、残ったのはコンクリート製の建物だけ。地区再建の見通しは立っていない。

 漁業を営む佐藤政智さん(57)によると、地区の約90世帯の9割以上が別の場所での生活を望んでいるという。

 佐藤さんは「子や孫のことを考えると、ここに住み続けるのはリスクが大きすぎる。早く別の場所で生活を再建したいし、市は早く候補先を示してほしい」と話した。(神田一道)

1229荷主研究者:2011/06/11(土) 20:13:15

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110531t11027.htm
2011年05月31日火曜日 河北新報
東部・丘陵再建に力点 仙台市、復興ビジョン策定

 仙台市は30日、震災復興推進本部会議を開き、復興計画の素案となる復興ビジョンを策定した。津波被害を受けた東部沿岸地域の再生、郊外の丘陵団地で深刻な宅地被害の再建に力点を置いた。計画期間は2015年度までの5年間で、市民の絆や協働を重視し、減災や省エネルギーの考え方を中心にした「新次元の防災・環境都市」をコンセプトに据えた。

 東部沿岸地域は、被害の程度に応じて3ゾーンに区分。今後の居住対策として(1)集団移転(2)宅地の盛り土などによる住宅の集約化(3)現地での市街地再生―を組み合わせ、被災者と協議を進める。移転先の候補として宮城野区田子、若林区荒井の両地区を明記した。

 盛り土構造の仙台東部道路が、防潮堤の機能を果たした事実に着目。海岸と平行する県道塩釜亘理線を盛り土でかさ上げするとともに、海岸に丘を複数築き、防災林を植栽する。復興を後世に伝える憩いと交流をテーマにした拠点を整備する。

 産業面では、東部地域を「農と食のフロンティア」と定義した。農地の再生や、農商工、産学官と連携した技術革新を実現し、新たな1次産業の創出を図る。

 宅地被害では「所有者のみでの復旧は費用負担が大きく、放置すれば二次災害に拡大する懸念がある」と指摘。既存の支援制度の拡充だけでなく、同様の被害を受けた他の自治体と連携し、新制度の創設を国に強く要望する。

 新次元の防災・環境都市に向けた施策として、震災で欠乏した燃料の備蓄に国や事業者と乗り出すほか、広域災害にも対応できる防災センターの建設を検討する。次世代送電網(スマートグリッド)や大規模太陽光発電所(メガソーラー)といった新エネルギー関連産業の集積にも取り組む。

 迅速で確実な推進を担保するため、財政基盤を強化し、特別立法や特区制度を提案して国の支援を求める。市は今後、有識者会議を設けて議論を具体化させるほか、意見交換会やパブリックコメントを通して市民の意見を募り、10月末までに復興計画をまとめる。

<仙台市震災復興ビジョン(抜粋)>
【被災者の生活再建と被災地域の復興】
・仮設住宅の整備を7月末まで、宅地内 のがれき撤去を8月末までに完了
・被災者を臨時職員として雇用
・復興住宅の供給に向けて検討開始
・中小企業の二重ローンへの支援策を国 に要請

【復興に向けた新次元都市づくり】
・災害に強い広域交通ネットワークの整 備
・運営や備蓄、設備など避難所の見直し
・自然エネルギー先進地区の構築
・地域やNPO、企業との協働による復 興支援活動の推進
・「復興」「祈り」をテーマに被災地が連 携した新たな観光商品の開発

1230荷主研究者:2011/06/11(土) 20:18:26

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110601t14014.htm
2011年06月01日水曜日 河北新報
あすとドーム完成 被災小中学校に開放計画 仙台・長町

完成したスポーツパーク内のバスケットドーム

 仙台市太白区の「あすと長町」に建設されたドーム形の運動競技場「エスアールジータカミヤ スポーツパークあすと長町」が完成し、31日、関係者に公開された。

 スポーツパークは1万2600平方メートルの敷地に、テニス(3面)、フットサル(2面)、バスケット(1面)の3棟のドームで構成。バスケットは3日、テニスとフットサルは4日オープンする。

 周辺には飲食店やカルチャーセンターなど14店舗を開設。震災で体育館が損壊した小中学校に施設を開放したり、仮設住宅入居者らを対象に無料レッスンを実施したりする計画もある。

 スポーツパークは4月に完成予定だったが、震災の影響で遅れた。隣接するゼビオあすと長町店は2012年春に、ゼビオアリーナは12年秋に落成する。事業主体の佐藤工業(東京)の山田秀之社長は「地域に愛され、震災復興のシンボルになる施設になればいい」と語った。

1231荷主研究者:2011/06/11(土) 20:23:24

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110602t13021.htm
2011年06月02日木曜日 河北新報
仙台・東部沿岸地域の集団移転先 田子など3地区候補

 仙台市議会は1日、東日本大震災対策特別委員会を開き、市が策定した「復興ビジョン」を中心に議論した。津波で住宅が壊滅した東部沿岸地域の集団移転先について、市は宮城野区田子、若林区荒井に加え、若林区下飯田の計3地区を候補に挙げていることを明らかにした。

 田子、荒井両地区は計画中の土地区画整理事業地を想定し、下飯田地区は地権者らと協議して新たに整備する方針。奥山恵美子市長は「市民は安全な宅地を求めている。地下鉄東西線の荒井駅周辺は有力な候補地で、東西線の意義に役割が加わった」と述べた。

 福島第1原発事故を受け市は来週、大気中の放射線量の測定を始めると表明。測定器10台を導入し、1台で複数の地点を測る。市長は「地域的なバランスを考え、子どもたちが過ごす小中学校や保育所での測定を検討する」と述べた。

 特区制度については山田文雄震災復興本部長が「規制緩和や手続きの簡素化、税の特例など、復興に当たって特区の活用を基本に進める」と述べ、国に制度創設の要望を続ける考えを示した。

1232荷主研究者:2011/06/11(土) 20:28:45

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110602t15002.htm
2011年06月02日木曜日 河北新報
東北大が「片平」一部売却を断念 新キャンパス見直し

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 東北大が、学校法人東北学院と売買交渉を進めていた仙台市青葉区片平2丁目の片平キャンパスの土地の一部について、売却を断念する方針を固めたことが1日、分かった。近く正式決定する。関係者によると、地価低迷に加え、東日本大震災で大学全体の損害が多額に上り、青葉山新キャンパスの計画を一部見直す必要が出てきたことに伴う措置だという。

 東北大が売却を断念したのは、片平キャンパスの南側エリア。面積は5.5ヘクタールで、電気通信研究所がある。

 東北大は同研究所を新キャンパスに移転し、跡地の売却益を移転費用に充てる計画だった。売却断念で、同研究所は現在地で存続する。

 東北大関係者によると、新キャンパスの整備方針を策定した2005年に比べて地価が大幅に下落した。現状では同研究所の移転費用が土地の売却益を上回り、大幅な赤字となる見通しだという。

 加えて、震災で大学の研究施設28棟や実験機器約7000台が損壊。4月中旬時点で被害額は770億円に上り、復旧に多額の費用がかかることも影響した。東北大関係者は「震災で財務上の緊急対応が必要な状況となり、新キャンパスの計画を見直した」と話す。

 同研究所の土地は、隣接する東北学院が取得の意向を示し、両者が交渉を進めてきた。東北大は既に、東北学院側に売却中止の考えを伝えた。

 東北学院総務部は「売却しないという以上、申し入れについては受け入れ、交渉を断念せざるを得ない。土地を取得する前提でキャンパス整備を計画してきたが、今後再検討する必要がある」としている。

 東北大関係者によると、農学部・農学研究科がある雨宮キャンパスの売却と、農学部・農学研究科の新キャンパス移転の方針に変更はないという。

[青葉山新キャンパス]仙台市青葉区荒巻のゴルフ場だった旧宮城県有地を整備、雨宮キャンパスの農学部・農学研究科(青葉区堤通雨宮町)などを移設する。2008年に造成に着手し、11年4月の移転を予定していた。敷地面積は81万平方メートルで、事業費は二百数十億円の見込み。

1233荷主研究者:2011/06/11(土) 20:36:45
>>1220
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110602t12001.htm
2011年06月02日木曜日 河北新報
ヨドバシカメラが仙台駅東口に来春2号館 「復興応援」

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ヨドバシカメラが建設する複合ビルの外観イメージ

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 家電量販大手のヨドバシカメラ(東京)の藤沢昭和社長は1日、河北新報社の取材に応じ、JR仙台駅東口にある「マルチメディア仙台」(仙台市宮城野区)の東側向かいに、「2号館」(仮称)とオフィス用賃貸スペースで構成する複合ビルを建設する方針を明らかにした。

 藤沢社長は「東日本大震災の復興に少しでも役立ちたい」として、来年11月に開店する当初の計画を前倒しし、今秋の着工、来年4月の大型連休前のオープンを目指す。

 建設用地は、仙台市農協会館跡地と駅東スカイビルを含む約5800平方メートル。複合ビルは地上8階の制震構造で、延べ床面積は約3万6200平方メートル。1〜3階を2号館、4〜8階をオフィス用のテナントにする。400台収容の立体駐車場も敷地内に整備する。

 2号館の売り場面積は約1万4400平方メートルを想定し、東北最大級となる見通し。3階に正面玄関を配置し、市道をまたぎエスカレーターで東口駅前広場と接続するデッキを設ける。

 藤沢社長は「2号館はマルチメディア仙台よりも品ぞろえを充実させるとともに、入荷のスピードと従業員の商品知識で勝負する。震災からの復興に向け、地元経済の活性化や東口のにぎわいに取り組みたい」と話した。

 2号館の開館に伴い、100人程度の新規雇用を予定し、被災者の採用枠を設ける方針。藤沢社長は1日、村井嘉浩宮城県知事、奥山恵美子仙台市長と相次いで会談し、交通対策や行政手続きの面で支援を要請した。

 2号館の建設は、マルチメディア仙台の再開発計画の一環。2号館の開店後にマルチメディア仙台の建物を取り壊し、ヨドバシカメラを核店舗にした大型複合施設に建て替えるプランが有力視されている。

1234荷主研究者:2011/06/25(土) 23:19:52

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110608t12025.htm
2011年06月08日水曜日 河北新報
コンテナ船、仙台出港 震災後初 国際物流が復活

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内航船に積み込まれる国際コンテナ=8日午前11時10分ごろ、仙台市宮城野区の仙台港高砂1号埠頭

 東日本大震災で被災した仙台港のコンテナ専用埠頭(ふとう)「高砂1号埠頭」で取り扱い業務が再開され、震災後初となるコンテナ船が8日午前、出港した。国際物流拠点の復活は、被災地の経済復興に弾みをつけそうだ。

 「国際コンテナ物流復活」と書いた横断幕を張った内航船「はるかぜ」(749トン)が、同日早朝に着岸した。積み荷は岩沼市の工場で生産された自動車用タイヤで、被災したガントリークレーンに代わり自走式クレーンを使い、40フィートコンテナ70個が次々と積み込まれた。

 コンテナ船は午前11時40分に出港し、東京港に向かった。東京港で大型船に積み替えられ、北米向けに輸出される。

 宮城県仙台塩釜港湾事務所の石沢秀春所長は「仙台港には東北全体から国際コンテナが集まってくる。国際貨物の再開は、東北の経済、物流の復興に向けて大きな意味がある」と話した。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110609t12011.htm
2011年06月09日木曜日 河北新報
仙台港・コンテナ船再開 港湾機能、全て回復

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110608020jd.jpg
コンテナの取り扱い業務を再開した仙台港の高砂埠頭ターミナル=8日午前11時40分ごろ、仙台市宮城野区

 仙台港(仙台市宮城野区)は8日、国際コンテナ取り扱い業務の再開で、全ての機能が回復した。東日本大震災後初となるコンテナ船出航には荷主らも立ち会った。ガントリークレーンの修理などが残り、完全復旧には至っていないが、関係者は国際物流拠点の復活に「今後の産業集積の弾みになる」と歓迎した。

 仙台港は津波によって大量のがれきが流入し、多くの港湾施設が損壊した。その後の復旧作業で、一般貨物船とフェリーの定期船の入出港は4月中に再開。しかし、港の南側にあるコンテナ専用の高砂埠頭(ふとう)は敷地内に散乱したコンテナが多く、復旧に時間を要していた。

 出港に立ち会った宮城県仙台塩釜港湾事務所の石沢秀春所長は「当初は復旧まで半年かかると考えていた」と説明する。代用クレーンの能力が限られるため、大型船入港には対応できないものの「予想以上のスピードで再開できた」とほっとした様子で話す。

 第1便の荷主となった東洋ゴム工業の河野博SCM統括部長も「高砂埠頭の一刻も早い復活を待っていた」と強調。これまでは仙台工場(岩沼市)で製造した輸出用タイヤを、大阪などの代替港まで陸送していただけに「これで輸送コストが削減できる」と喜ぶ。

 東北に九つある国際港のコンテナ取扱量のうち、仙台港は昨年実績で6割以上を占める。出荷品別ではタイヤや紙・パルプなどとともに自動車部品も多い。

 定期コンテナ船を運航する近海郵船物流(東京)の山本幹常務は「東北に集積する自動車関連企業からも、待望論が出ていた。東北の完成車工場の稼働率が高まっていることもあり、仙台港の重要性は一段と大きくなる」とみている。

1235荷主研究者:2011/06/25(土) 23:29:53

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110610t11025.htm
2011年06月10日金曜日 河北新報
仙台市、国際会議を積極誘致 12年のWTTC総会狙う

 仙台市は、各国の主要観光産業の経営者が集う2012年の世界旅行ツーリズム協議会(WTTC)総会と、関連会議の誘致に取り組む。東日本大震災からの復興を世界に発信する機会として、ほかにも複数の大規模国際会議の誘致活動を展開する。

 WTTC総会は日本開催が決定しており、併催のグローバルトラベル&ツーリズムサミットは、国際機関や各国政府、経済団体などから1000人以上が参加する大規模会議となる見通し。市は日本組織委員会や観光庁に働き掛け、総会かサミットの一部、視察旅行の誘致獲得を目指す。

 12年10月の東京開催が決まった国際通貨基金(IMF)と世界銀行の総会でも、付随する会議を呼び込みたい考え。15年の国連防災世界会議の候補地としても、既に名乗りを上げている。

 市国際プロモーション課によると、市内では震災以降、国内外の大規模会議・大会が軒並みキャンセル。宿泊施設は現在、損保や建設など震災関連業者らで一定の需要があるものの、業者らが引き揚げた後の需要回復が懸念されるなど、観光をめぐる状況は厳しい。

 同課は「国際会議や視察旅行を機に、復興状況を広く発信するとともに、交流人口を増やすことで地域経済の活性化を図りたい」と誘致強化の意義を語る。

1236荷主研究者:2011/06/25(土) 23:31:10
>>1085
http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110610t12005.htm
2011年06月10日金曜日 河北新報
仙台ホテル跡の複合商業施設EDEN 7月22日オープン

 オリックス不動産(東京)は9日、JR仙台駅前の仙台ホテル跡地に建設中の複合商業施設「EDEN(エデン)」を7月22日にオープンさせると発表した。

 震災の影響で当初予定の4月27日から延期していた。復旧工事が進み、飲食や服飾など16のテナントがそろって開業できる見通しになった。

 テナントは飲食12店、アパレル物販3店、保険関係が1店。このうち飲食店の「東京とんかつ」「伝説のすた丼」などは東北初進出で、アパレル物販では「AVIREX」などが入る。

 EDENは平屋で床面積約1400平方メートル。敷地は約2700平方メートル。約800平方メートルの公開空地に、植栽やベンチも配置した。

1237荷主研究者:2011/06/26(日) 00:10:34

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110616t11020.htm
2011年06月16日木曜日 河北新報
最大161世帯に避難勧告 仙台の丘陵宅地被害

 仙台市は15日、東日本大震災で深刻な宅地被害を受けた青葉区折立5丁目や泉区松森陣ケ原などの最大161世帯に16日以降、順次避難勧告を出す方針を発表した。梅雨入りを控え、地滑りなどの二次災害が発生する恐れがあると判断した。

 避難勧告を出すのは青葉区高野原1〜3丁目や同区折立5、6丁目、太白区緑ケ丘2丁目、泉区南光台6丁目など約30カ所の丘陵住宅地の一部世帯。市の被災宅地危険度判定で「危険」や「要注意」の判定を受けたり、崖下で擁壁が崩れる恐れがあったりする家屋の世帯を対象にした。

 対象区域は大震災やその後の余震で地割れや家屋の傾斜が生じ、地滑りや崖崩れの危険性が高まっている。市は「梅雨で地盤の緩みが広がれば、二次災害に発展する」として、避難を勧めることを決めた。

 市は16日以降、各地で開く会合で避難勧告の趣旨などを説明。その後、対象世帯を巡回して避難勧告を通知し、仮設住宅への入居を呼び掛ける。避難期間は被害によって異なり、都市整備局は「半年から1年かかる場合もある」としている。

 市は当初、避難勧告の地域を十数カ所と想定していたが、その後の調査で被害の拡大を確認し、対象世帯数を増やした。

1238荷主研究者:2011/07/03(日) 13:09:01

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110621t11026.htm
2011年06月21日火曜日 河北新報
仙台・地下鉄東西線工事 3ヵ月ぶりに一部区間再開

3カ月ぶりに再開した市地下鉄東西線の建設工事=20日、仙台市若林区荒井

 東日本大震災の影響で建設が中断していた仙台市地下鉄東西線(動物公園―荒井駅、14.4キロ)の工事が20日、約3カ月ぶりに一部区間で再開された。

 再開したのは、市交通局と鉄道建設・運輸施設整備支援機構が手掛ける新寺や動物公園など8工区。このうち、荒井車庫の一部工区では午前8時から、約40人の作業員が十数台の重機を操縦し、高さ約3メートルの車庫の盛り土を施した。

 大成建設などの共同事業体(JV)の井田正人作業所長は「震災直後は被災地の復興にも携わったが、きょうからは気持ちを切り替えて地下鉄の早期完成を目指したい」と語った。

 東西線の各工区は震災で、トンネル資材や下水道管などが破損した。市交通局は、残る13工区についても8月までに工事を再開する。

 東西線建設本部は「3カ月の中断期間が生じたが、工法を見直すなどして2015年度の開業時期を変えずに取り組みたい」と話している。

1239荷主研究者:2011/07/03(日) 13:10:09

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110621t11010.htm
2011年06月21日火曜日 河北新報
環状高速網 一元管理を 宮城県 国への働き掛け強化

 東日本大震災の被災者を対象とした高速道路の無料化が20日始まり、宮城県は、仙台都市圏高速環状ネットワークの国の一元管理を求める動きを強めている。無料対象となった仙台南部道路(11キロ)の移管を軸に、環状道の機能向上と公社の減収抑制を図る。

 ネットワークは、東日本高速道路と宮城県道路公社の管理区間が混在する。公社管理分の無料対象は仙台南部道路と仙台松島道路(三陸自動車道利府中―鳴瀬奥松島インターチェンジ間、18.3キロ)。県は被災者支援の観点で無料化を了承。公社の減収は数億円を見込んだ。

 今後、無料対象車の増加が見込まれる上、対象車種の拡大や期間が延長されれば、公社の減収幅はさらに広がる。国は減収分の交付金措置を検討しているが、明確な基準を示していない。

 仙台南部道路に関して、県は「高速ネットワークとして東日本高速道路管理分と一体化している」として国への移管を要望してきた。今回の無料化を踏まえ、国への働き掛けを強める方針だ。仙台松島道路は当面、公社が全線4車線化を目指し工事を進める考え。

 県は「震災で一元的な緊急対応の必要性も高まった。一元管理が実現すれば、料金格差が解消し、利用者の利便性も向上する」と説明している。

1240荷主研究者:2011/07/03(日) 13:30:46

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110623t15008.htm
2011年06月23日木曜日 河北新報
JR仙石線・復旧急ピッチ 来月末の再開へ順調

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/20110622021jd.jpg
津波被害で不通となっているJR仙石線の矢本―石巻間の線路復旧工事。通勤通学の足の復活に向け、作業員らが汗を流す=22日午前11時45分ごろ、東松島市赤井

 東日本大震災で不通となっているJR仙石線の矢本―石巻間(8.8キロ)で、津波で被災した線路の復旧工事が急ピッチで進められている。JR東日本は7月末にも運転を再開する方針。暑さが増す中、地域住民の足の確保に向け、作業員らの奮闘が続く。

 宮城県東松島市赤井の陸前赤井駅周辺では22日、約30人の作業員が、津波で土砂をかぶった砂利を入れ替え、枕木を交換した上で、線路を敷設し直す作業に当たった。

 JR東日本仙台支社によると、同区間の工事は約8割まで進んでおり、ほぼ計画通りという。

 変電設備などが被災したため、ディーゼル車を導入しての運転再開となる。冠水した陸前赤井、陸前山下(石巻市)の両駅は仮駅舎で対応する。

 仙石線は、あおば通―高城町間(25.5キロ)が通常運転しているが、高城町―矢本間(15.9キロ)は線路の流失など津波被害が大きく、再開のめどは立っていない。

1241荷主研究者:2011/07/03(日) 13:33:57

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110623t11021.htm
2011年06月23日木曜日 河北新報
東松島市・復興計画土地利用案 津波対策に「三重防潮堤」

ttp://tohazugatali.web.fc2.com/MIYAGI/110623m101.jpg

 宮城県東松島市は22日、市の復興計画に盛り込む土地利用案を公表した。津波対策として、護岸部分に防潮堤を建設し、その内側にかさ上げした道路2本を整備。「三重防潮堤」の機能を持たせる構想を提案した。津波で壊滅状態となった地域の集団移転候補地としては、内陸部の6地区を想定していることを示した。

 市役所で同日あった市議会全員協議会で明らかにした。土地利用のイメージは図の通り。防潮機能は三重の備えを構築。大規模な防潮堤、高さ10メートル以上にかさ上げした道路を2本整備し、内陸部への浸水を防ぐ。

 集団移転の候補地は、内陸部の農地など6カ所を提示。具体的には矢本地区などを念頭に検討が進むとみられる。

 海と運河に挟まれている大曲、野蒜両地区は原則として居住地とせず、自然エネルギー生産施設の拠点などに活用する。壊滅状態となった半島部の宮戸地区は、半島内の高台を移転地とする方針。

 津波で流されたり全壊したりした浜市、野蒜両小と鳴瀬二中は、新設する内陸部に通じる避難路の近くに建設する案を盛り込んだ。

 農漁業者の働き場所として、沿岸部に漁村集落、内陸部に農村集落を設けることも示した。

 協議会で市は、復興施策の方針を説明。防災自立都市や市民協働によるまちづくりなどを基本理念に挙げた。新組織として復興政策部(仮称)を設ける方針を説明した。

 阿部秀保市長は「市民にずっと住み続けたいと思ってもらえるような街を目指す。有識者委員会や住民説明会で意見を聞きながら、柔軟に協議を進めたい」と話した。

1242荷主研究者:2011/07/03(日) 14:10:29

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110625t12005.htm
2011年06月25日土曜日 河北新報
アウトレットきょう再開 商業機能回復進む 仙台港

新規出店の準備に当たるスポーツ関連「ナイキ」のスタッフ=仙台市宮城野区の三井アウトレットパーク仙台港

 三井アウトレットパーク仙台港(仙台市宮城野区)が25日に営業を再開するのを前に、運営する三井不動産は24日、報道関係者向け内覧会を開いた。周辺では複数の大型店が順次営業を再開しており、津波で被害を受けた仙台港の商業機能が回復しつつある。

 説明によると、震災を受けて9店舗が撤退したものの、新たに16店が出店する。テナント数は計約120店舗となり、当初は9割余が営業し、他店も順次再開する。

 新規出店ブランドは、衣料が「アルマーニ」「セシルマクビー」「トミーヒルフィガー」など。スポーツ関連は「ナイキ」「アディダス」「プーマ」の三つが入る。

 25日〜7月10日には復興応援企画「ハートフルセール」を開催し、収益の一部を義援金に充てる。期間中の土、日曜はJR仙台駅西口から無料シャトルバスを運行する。

 2階建ての三井アウトレットパークは津波で1階が浸水。建物の構造に問題はなく、被害を受けた電気設備などを中心に復旧作業を進めていた。

 三井不動産の森永哲郎東北支店長は「仙台は東北全体を元気にする役割を担っており、当施設もその一翼となりたい」と話している。

 周辺の大型店では、東京インテリア家具仙台港本店も25日、一部で営業を再開する。家具量販のニトリ仙台港店は一部営業中で、7月1日に全面オープンの予定。ケーズデンキ仙台港店は、既に震災前とほぼ同じ品ぞろえで営業している。

 仙台市郊外のアウトレットモールでは、地震で配電設備などに被害を受けたチェルシージャパン(東京)運営の仙台泉プレミアム・アウトレットも、17日に再開した。

1243荷主研究者:2011/07/03(日) 14:13:08

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/06/20110625t11027.htm
2011年06月25日土曜日 河北新報
仙台塩釜港・中野1号暫定利用可能に 復興会議

 宮城県は24日、仙台市での第2回仙台塩釜港復興会議で、被災した仙台港の中野1号埠頭(ふとう)の暫定利用が可能になったと報告した。仙台港14埠頭のうち12埠頭で接岸できるようになった。

 中野1号埠頭の海中にあった支障物を取り除き、船舶の航行に必要な水深12メートルを確保した。一方で、被害が大きい高砂2号埠頭の再開時期は示されず、出席者からは「仮復旧でもいいから早く使えるようにすべきだ」と、国や県の対応の遅さを批判する声が上がった。

 仙台港の復旧の工程表も明らかにされ、本年度内に港の復旧工事が終わる見通しが示された。今後、多くの埠頭で地盤沈下分のかさ上げなどの作業を進める。

1244荷主研究者:2011/07/10(日) 22:24:40

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110705t11018.htm
2011年07月05日火曜日 河北新報
仙台市「復興会議」設置へ 大学・財界などから16人

 東日本大震災の復興計画に各分野の専門家の考えを反映させるため、仙台市は学識経験者ら16人で構成する「震災復興検討会議」を設置する方針を決めた。13日に市役所で初会合を開く。

 委員は、東北大大学院工学研究科の今村文彦教授(津波工学)をはじめ、都市計画や地域づくり、社会福祉などを専攻する大学関係者が12人を占める。経済界からは仙台商工会議所の鎌田宏会頭、みやぎ工業会の川田正興会長が参加。仙台で活動する人材で固めた。

 検討会議は市が5月末に策定した「復興ビジョン」をたたき台に、被災者や市民の意見を踏まえ、奥山恵美子市長と復興の在り方について議論を深める。復興計画をまとめる10月末までに、5回程度開催する見通し。

 ほかの委員は次の通り。

 浅野弘毅東北福祉大せんだんホスピタル病院長▽阿部重樹東北学院大経済学部教授▽板橋恵子エフエム仙台執行役員▽風間基樹東北大大学院工学研究科教授▽桜井常矢高崎経済大地域政策学部准教授▽辻一郎東北大大学院医学系研究科教授▽中井裕東北大大学院農学研究科教授▽堀切川一男東北大大学院工学研究科教授▽牧原出東北大大学院法学研究科教授▽増田聡東北大大学院経済学研究科教授▽宮原育子宮城大事業構想学部教授▽宗片恵美子NPO法人イコールネット仙台代表理事▽渡辺浩文東北工大工学部教授

1245荷主研究者:2011/07/10(日) 22:25:40

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110705t11020.htm
2011年07月05日火曜日 河北新報
地下鉄東西線の需要予測見直し、津波で遅れ

 仙台市が建設中の市地下鉄東西線について、本年度中に実施すべき需要予測の見直しが、来年度にずれ込む公算が大きくなった。東日本大震災による津波が市東部地区を襲った影響で、沿線の人口動向が把握できず、予測が立てられなくなった。市は復興計画の策定後に調査に入り、予定している2015年度の開業を目指す方針だ。

 需要予測の見直しは、国土交通省の要領に基づく事業再評価の一環で行う。一定期間を経過しても完成していない事業に関し、費用対効果などを算定した上で市の監視委員会に示すことになっている。

 市は10年度から予測の準備を進めてきたが、震災で状況が一変。需要を見込んだ東部地区の住民が津波で散り散りになり、「現状では適正な需要調査ができない状態」(市交通局)に陥った。

 市は震災直後、国土交通省に事情を説明して再評価の延期を要望。国交省側から早期の再評価を求められなかったこともあり、奥山恵美子市長は「おおむね了解が得られた」と受け止めている。

 市交通局は、復興ビジョンに東西線東端の荒井駅周辺への人口集積が盛り込まれていることを踏まえ、「復興計画が固まる10月末ごろには本格的に需要調査に着手できる。公表は12年度にずれ込む可能性がある」と説明する。

 需要予測の見直しが遅れても、状況が好転するわけではない。現行の予測値(1日当たり11万9000人)は震災前から「過大で実態に合わない」との指摘があった。市幹部の間には「下方修正せざるを得ない」という声さえある。

 震災後は、市民団体などが「復興に東西線の建設費を回すべきだ」「正しい需要予測を行い、現在の見込みの半分程度なら事業を中止してほしい」などと相次いで要望している。

 市交通局東西線建設本部の佐野公司管理課長は「荒井駅への人口集積が進めば、利用人口は確実に増える。地下鉄南北線が震災後すぐに運行を再開したように、市民の足を支える地下鉄東西線の意義が薄らぐことはない」と話している。

1246荷主研究者:2011/07/10(日) 22:36:25

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/07/20110706t11023.htm
2011年07月06日水曜日 河北新報
仙台市の津波シミュレーション IBMが技術協力

奥山市長と合意文書を交わす日本IBMの橋本社長

 仙台市と東北大が共同で進めている市東部沿岸の被災地を再建するための基礎資料「津波シミュレーション」の作成に、米コンピューター大手IBMが技術協力することが5日、決まった。日本IBMの橋本孝之社長が同日、市役所を訪れ、奥山恵美子市長と合意した。

 津波シミュレーションは(1)津波の規模(2)防潮堤の有無(3)かさ上げする県道の位置や高さ―といった条件から浸水地域を演算処理で割り出し、CG(コンピューターグラフィックス)で表示する。

 集団移転先の選定、防潮施設の配置などを検討する際に有効で、市は今後の震災復興計画づくりに役立てる。

 今回の協力は、IBMが世界100都市で5000万ドル(約40億円)相当の技術やサービスを提供する都市運営支援プログラムの一環。国内では札幌市に次いで2例目。津波シミュレーションの作成には、IBMグループの社員数人が加わる見通し。

 橋本社長は「未曽有の震災で生じた課題の解決にITを活用し、得られた新しい知見を世界に発信する責務がある。津波以外の分野でも支援を拡大したい」と述べた。

 奥山市長は「津波シミュレーションの結果を市民に分かりやすい形で示すため、IBMの力を貸していただけるのは大変うれしい。世界で津波被害が想定される地域の安全安心にも貢献できるのではないか」と話した。


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