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仙台・宮城・陸奥

1182荷主研究者:2011/04/24(日) 15:16:19
>一時期、佐大商店の敷地が仙台市の都市計画道路予定地に組み込まれた
これは「川内南小泉線」のことだろうか。

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/04/20110416t12039.htm
2011年04月16日土曜日 河北新報
仙台「堤焼」登り窯無残 損傷激しく修復困難

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登り窯の被害状況を確認する佐藤さん=6日、仙台市青葉区

 東日本大震災では、300年以上の歴史を持つ仙台の伝統工芸「堤焼」の登り窯も損傷した。仙台市青葉区堤町に唯一現存する窯は、6基のうち3基が倒壊。旧仙台城下の庶民の暮らしを伝える貴重な遺産だけに、関係者は胸を痛めている。

 登り窯は1918(大正7)年築造。トンネルの形をした間口1.6メートル、奥行き5メートルの窯が階段状に連なる。上部の3基が崩れ落ち、残る3基にもひびが入った。窯の中に残されていた焼き物のかめや花びんも壊れた。

 窯元の佐大商店4代目佐藤はつみさん(80)は「崩れたれんがが脇の道路にまで散乱した。(1978年の)宮城県沖地震でも壊れなかったのに本当に残念だ」と肩を落とす。損壊が激しく、修復は技術的にも資金的にも難しいという。

 堤焼は、江戸時代に足軽たちの副業として始まり、最盛期の明治から昭和初期にかけて約60戸が携わっていた。

 戦後は都市化に伴って衰退。最後まで残った佐大商店の登り窯も78年に火を落としたが、はつみさんの夫で堤焼職人だった故達夫さんが「堤焼の文化を後世に伝えたい」として保存してきた。

 足軽町の歴史を伝える遺産として親しまれてきたが、一時期、佐大商店の敷地が仙台市の都市計画道路予定地に組み込まれた経緯もあり、文化財には指定されていない。

 市文化財課によると、指定文化財が損壊した場合は一定割合で修復費用の補助を受けられるが、佐大商店の登り窯は対象外だ。

 登り窯の保存や、堤町の歴史の伝承に取り組んできた市民団体「建築と子供たちネットワーク仙台」代表の渋谷セツコさん(59)は「旧城下町の暮らしを伝える市内では数少ない遺産だった」と惜しみ、「今後、地域の心のよりどころになるよう、少しでも修復して保存できる方法を模索したい」と話している。(菊池春子)


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