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仙台・宮城・陸奥

1225荷主研究者:2011/06/11(土) 19:43:48

http://www.kahoku.co.jp/news/2011/05/20110528t13043.htm
2011年05月28日土曜日 河北新報
老舗の鹿落旅館が廃業 震災で解体余儀なく 仙台・向山

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解体された鹿落旅館の跡地

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震災前の旅館は眺望の良さなどで多くの人に愛された=仙台市太白区向山1丁目

 杜の都を一望できる眺めの良さなどから、多くの人に愛された仙台市太白区向山1丁目の鹿落(ししおち)旅館が東日本大震災で被災し、解体された。趣向を凝らした客室や鉄鉱泉の風呂を備えた旅館は、幾度となく時代の荒波を乗り越えてきたが、被害のダメージは大きく、長年の歴史に終止符を打たざるを得なかった。

 震災が起きた3月11日、崩れた崖の岩が旅館を襲った。ドーンという音と同時に砂煙が立ち、建物の3分の1が壊滅。残った建物は1階から2階にかけて、「く」の字に曲がる大きなダメージを受けたが、巻き込まれた客は間もなく救出され、大事には至らなかった。

 旅館名は「身ごもったシカが清水を飲みに行く途中、誤って崖から滑り落ち、鉄鉱泉で傷を癒やした」という伝説に由来する。旅館前の市道は鹿落坂と呼ばれ、言い伝えが示すように旅館は断崖を背に建っていた。

 館主の遠藤光春さん(47)は「解体の起工式で、初めに自分がのみを打った。この時はさすがにつらかった」と明かす。立ち会った母敞子さん(71)は、無言で涙していたという。

 旅館は、光春さんの祖父母が1939年に経営を引き継いだ。裏にある石碑には、延宝8(1680)年の文字が刻まれている。敞子さんは「戦前は公衆浴場。戦後、旅館にした。延宝の時代から何かの施設があったんでしょう」と説明する。

 旅館は1945年7月に仙台空襲で焼失し、その後、再建した。54年には市の都市計画決定で、旅館の敷地が都市計画道路の予定地になり、移転を迫られそうになったこともあった。

 敞子さんは「71年9月には台風23号で土砂崩れの被害にも遭った」と、当時の様子を伝える新聞を開いてみせた。

 苦難を乗り越えてきた旅館には、敞子さんの父宗吉さんの「本物志向」と「遊び心」が凝縮されていた。

 「木材にこだわり、宮城県内外のあちこちを回って材料を集めた」と敞子さん。大広間の天井には、大きな船底をあしらった。「よくも(夜クモ)いらっしゃいました」との気持ちを込め、天井全体をクモの巣のように細工した客室も作った。

 「月見サロンとして利用されたり、花見ライブが開催されたり」「『鹿落杯』という名のマージャン大会を開いていたお客さんもいましたよ」

 光春さんと敞子さんの思い出話が弾む。

 放浪の画家として知られる山下清、いわき市出身の詩人草野心平も宿泊し、大相撲仙台準場所の宿舎にもなった。

 光春さんは「やっぱり、お相撲さんは印象深いですね。(元小結)青葉山とキャッチボールもしました」と懐かしむ。解体が始まった翌日の4月5日、所属する旅館組合に廃業届を出した。(末永秀明)


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