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仙台・宮城・陸奥

1191小説吉田学校読者:2011/05/05(木) 19:24:35
港町の現実でもあるのですが、外国人研修生がいないと水産会社は経営がやっていけないという現状もあるのです。そして、東日本大震災はたしかに想定外だったかもしれませんが、我が国は台風もある。言葉の壁や災害に対する考えの壁を乗り越えて、災害時、避難させたり集団行動させるのが結構、大変なのだそうです。
この佐藤専務をはじめ、被災地ではこういう話がたくさんある。私が同じ立場になったら、同じ行動を取れただろうか。

東日本大震災 中国人研修生を誘導後、津波にのまれ死亡した水産会社専務の葬儀営まれる
http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00198822.html

 東日本大震災による大津波で死亡し、「女川の誇り」とたたえられた水産会社の専務の葬儀が5日、しめやかに営まれた。
 5日、宮城・女川町で水産会社の専務をしていた佐藤 充さんの葬儀がしめやかに行われた。
 葬儀に参列した人は、「(最期は)充さんらしいっていうか。本当に女川のために一生懸命尽くしてくれた方」、「自分を捨てて人助けしたのは、誇りでもある」などと語った。
 「女川の誇り」とたたえられた佐藤さんの行動への感謝の思いは、海の向こう、中国からも聞かれた。
 中国人は「(佐藤さんの)英雄としての魂は、永遠にわれわれの心の中に生き続けると思います」と語った。
 水産業の町・女川を瞬く間にのみつくした大津波。
 ウニの加工などを行う、佐藤さんの工場も被災した。
 そして震災当時、ここにはおよそ20人の中国人研修生がいたが、全員避難することができた。
 この時、佐藤さんは寮に住んでいた中国人留学生たちを高台に避難させた。
 佐藤さんに「もっと高台へ」と促された中国人研修生たちが、その後見た光景は、屋根の上で行き場をなくした佐藤さんだった。
 佐藤さんは、研修生たちを高台に避難させたあと、家族を捜しに戻っていた。
 その後、研修生たちは全員無事が確認され、帰国した。
 帰国した研修生は「佐藤さんがいなければ、わたしたちも今どうなっているのか、まったくわからない。死んでいたかもしれません」と語った。
 佐藤さんの行動はその後、中国メディアによって、「佐藤 充さんは中国人の心の中の英雄である」などと大きく報じられた。
 大連にある派遣元の会社では、祭壇が設けられ、佐藤さんの遺影が飾られている。
 さらにおよそ1,000万円の義援金が集まり、4月下旬、水産会社の社長を務める佐藤さんの兄たちに直接手渡された。
 葬儀に参列した人は「(佐藤さんに)見守っていただいて、よくやったなと将来いわれるような町にしていけるよう、みんなで頑張っていきたい」と語った。


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