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Web誌友会 板/2

1180あさひ:2013/05/13(月) 16:43:49 ID:/3nxKE2Q
母のいいとこ3つ
① 私の才能を伸ばそうと努力してくれた
② 生長の家を伝えてくれた
③ 孫を育ててくれた

夫の母ののいいとこ3つ
① がみがみ言わない
② 夫を優良児に育ててくれた
③ 我々を信頼してくれた

こうして書き出してみるとよいものですね。

1181ユタカ:2013/05/16(木) 11:21:19 ID:R1D4Jmeg
ありがとうございます。
トキさま、楽しい嬉しい、有難いWEB誌友会をさせて頂いて有難うございます。地味な自主勉強をこれからも継続させて下さい。よろしくお願いします。

a hopeさま、 毎回大変、お世話になりました、そして今回もお付き合いを頂いて有難うございます。 自主勉強会を地味に地道にこれからも継続していきたいです、出来ましたら、これからもご協力をよろしくお願いいたします。継続は力なり!!ですので、がんばりましょう!! 内なる光を常に継続して磨いていきましょう!! 自分の内なる実相は美しいーー!ピッカピカだー!!(軽いですか?ごめんなさい)よろしくお願いします。

志恩さま、 いつもの見守りご参加に心より感謝申し上げます。これからも、暖かいご支援、ご指導を賜りますようお願い申し上げます。志恩さんの3つの感謝は深くて勉強になります。また、いろいろなことを沢山教わるのが楽しみになりました。 よろしくお願いいたします。

あさひさま、はじめまして、よろしくお願いします。 3つの素晴らしい感謝を2つも書き出してくれて有難うございます!! 書き出すと、感謝したい事が自分の周りに沢山あることに気づきますね。有難いですね。これからもよろしくお願いいたします。

1182ユタカ:2013/05/16(木) 11:37:29 ID:R1D4Jmeg
トキさまへ
ユタカが自主勉強をこれからも(本番中は休止)続けますので、先日の許可の下、継続させて下さい。よろしくお願いします。
これから、通読型の自主勉強をします、本の内容はアップしないで、本の巻数とページで勉強して行く形です。よろしくお願いいたします。

通読自主勉強会にご参加される方は、第3巻の第2章を26日までに自分で読みましょう。時間を合わせてWEB上で読み会はしません。
次は第3巻の3・4章を6月1日までに読みましょう。その間、感想や質問などを書いてみるのも良いかも知れません。 範囲の大小も実践の後どんどん変化させていきましょう。
これで取り合えず、出発してみよう。。。。

1183ユタカ:2013/05/16(木) 12:04:59 ID:R1D4Jmeg
訂正 あわてて日にちを間違えました。

26日 → 18日 と 6月1日 → 5月25日に訂正します。 

通読自主勉強会にご参加される方は、第3巻の第2章を5月18日までに自分で読みましょう。今回は、時間を合わせてWEB上で読み会はしません。
次は第3巻の3・4章を5月25日までに読みましょう。その間、感想や質問などを書いてみるのも良いかも知れません。 範囲の大小も進め方も実践後に、より良い方向にどんどん変化させていきましょう。
これで取り合えず、出発してみよう。。。。

1186トキ:2013/05/16(木) 17:25:53 ID:.SImQOXw
>>1182

 ご投稿、ありがとうございました。よい事だと思うので、私個人は賛成です。
 ただ、他の方のご意見も拝聴したいと思います。

合掌 ありがとうございます

1187復興G:2013/05/16(木) 17:51:12 ID:AB6RqYXc

ユタカさま、皆さま

web自主勉強会にエールを送ります。

私は今夜もこれからリアルの行事があり出かけます。
今夜のためにずっと準備の仕事をしてきたのです。
明日は朝一番の飛行機で少し遠くへ旅立ちます。5時には家を出なければなりませんから、忙しいです。
帰ってきたらすぐ、19日(日)にもリアル誌友会です。
……という状態なので、お約束の聖典謹写も、まだ数日遅れます。
聖典謹写は、写経のつもりで心をこめてさせていただこうと思っていますから、>>1093「訊け」管理人殿のお申し出には、
「No; thank you.」です。

では、「神様の天降るweb誌友会、自主勉強会」になりますように、祈りつつ。
(私は、自主勉強会に参加は難しいと思います)

合掌

1188志恩:2013/05/16(木) 18:18:24 ID:.QY5jUA6
私も、トキ様、復興G様同様、
ユタカ様のWEB自主勉強会に大賛成です。
世界、日本全国の 閲覧者の皆様も、啓蒙されていらっしゃると存じます。
ユタカ様は、WEBの会の 運びも 慣れていらっしゃってうまいし、
楽しいし、教えられることばかりです。

1189トキ:2013/05/16(木) 19:12:21 ID:.SImQOXw
 他の方も特にご異論はないみたいですから、頑張って下さい。
応援しています。可能な限り、参加します。

合掌 ありがとうございます

1190a hope:2013/05/16(木) 21:31:35 ID:edEDolt2
>>1181 ユタカさま

<<自主勉強会を地味に地道にこれからも継続していきたいです、出来ましたら、これからもご協力をよろしくお願いいたします。
継続は力なり!!ですので、がんばりましょう!! 内なる光を常に継続して磨いていきましょう!! 
自分の内なる実相は美しいーー!ピッカピカだー!!(軽いですか?ごめんなさい)よろしくお願いします。>>

わたし、ユタカさんの「軽い乗り」大好きですよ。でも、内容はとてもまじめですからね。
ちょっと見、難しく感じられる「生命の實相」もその乗りなら若い人にも興味をもってもらえるかもしれませんね!

レベルの高い復興Gさまのご講話と、(おそらく)とてもユニークな訊け管理人さまの誌友会と、軽い乗りのユタカさまの自主勉強会と、
なんだかこの誌友会板すごいですね! ワクワクしてきました。

わたしも、の自主勉強会に自分のペースで参加させていただきます。

まずは、<<第3巻の第2章を5月18日までに自分で読みましょう。>>ということですね。
了解しました!
とてもありがたいです。

また、赤線引いたところや感想などを、紹介させていただきます。

感謝、合掌。

1191a hope:2013/05/17(金) 19:07:58 ID:edEDolt2
<< a hopeの自主勉強その1>>

第二章のタイトルは『「生長の家」は大和精神の源泉』となっています。
わたしは、この「大和精神」という言葉がとても気になりました。

わたしは、「大和精神」もしくは「大和魂」と聞くと、日本国のために自分の命を顧みず、敵陣に体当たりして突っ込んでいった、
特攻隊の精神をイメージしてしまうからです。
そういう、日本国を守るためには自分の命をも惜しまない真っ直ぐな忠誠心が大和精神なのかと今まで思っていました。

ところが、「生命の實相」の頭注には、

『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。
日本の建国は、この精神によっている。大和魂(やまとだましい)』

とあります。
そして、第二章のタイトルには『「生長の家」は大和精神の源泉』とあります。

このわたしの「大和精神とは、日本国を守るために自分の命をも惜しまない真っ直ぐな国への忠誠心」という認識は、
間違っていたのでしょうか?
どなたか、ご指導をしていただけないでしょうか?

1192トキ:2013/05/17(金) 20:14:12 ID:gLnHKbBE
>>1191

 戦争中よく歌われた軍歌に「海ゆかば」という曲があります。「大和魂」を
象徴した歌ともいえます。

http://www.youtube.com/watch?v=FpUd4Wdo9uA

 きれいなメロディーなので、戦争中は好んで歌われたものです。しかし、
谷口雅春先生は、「死ぬ事を賛美する歌です」「こんな歌を歌っていると
言葉の力で負けます」と言われていました。そうすると、生長の家で言う
「大和魂」と、世間で言われている「大和魂」とは、少し違うと思います。

 それで思い出したのが、生長の家の先達で従軍をした先達がよく言われて
いたのが、軍隊勤務だったのに、戦闘をした事があまりなかった、と
いう話です。中には、最前線にいたのに、自分がいる間は戦闘がなく、ために
実戦では1発も弾を撃っていないという人もいました。つまり、自分も撃たれて
いないし、反対に誰も敵兵を殺していないのです。しかも、勇敢な人で、
偵察任務なども志願してしたような人ですから、これは不思議な事です。

 これ、即ち、大調和の世界に入ると、戦争中ですら、人を殺したり、自分
が殺されるような事がない本来の実相の姿が現れるという事でしょう。

 「無私」という点では、共通する部分はありますが、やはり、生長の家の
「大和魂」は、現象界の事をさすのではなくて、実相の大調和の世界をとく
点に違いがあるのかと思います。

合掌 ありがとうございます

1193a hope:2013/05/17(金) 23:18:16 ID:edEDolt2
>>1192トキさま

ご指導をありがとうございます。
その「海ゆかば」のお話は、以前も聞いたことがあります。
結局、日本は、そのことばどおり、たくさんの戦死者をだして戦争に負けてしまったのですから、
やはり、言葉の力というのは確実に働いてしまうのですね。
本当にわたしたちは、良い言葉を使っていかなければいけませんね。


ところでそうなると、、

<<これ、即ち、大調和の世界に入ると、戦争中ですら、人を殺したり、自分
が殺されるような事がない本来の実相の姿が現れるという事でしょう。>>

とトキさまがおっしゃるように「生長の家」でいう大和精神というのは「大調和の精神」ということなのですよね。
それは、『武装したり、攻撃したりする』ことではなく、
『戦争反対運動や平和運動をする』とかの現象に働きかける運動をすることではありませんよね?
それは、自分の心の中を大調和さることなのでしょう?
そうすることで、現象がどんなに悲惨な状態であっても、完全円満な自己の「生命」の実相が顕現されて、自分が守られたり、
また、相手とも大調和して、周りも守られていくということなのではないですか?

テキストp38後ろから4行目には、
<<われわれの「本質」は無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、
その完全な発現を大和精神(やまとだましい)というのであります。
完全にわれわれが自己「生命」の実相(ほんとのすがた)を自覚し、大和精神(だいわせいしん)が発揮されますと、
いろいろ多方面において自分の生活が自由自在になってくるのであります。
病気が治るのはむろんのこと、経済的にも不如意が如意になってきます。
子どもがなくて子供が欲しい人には子供が授かります。
砲弾弾雨の下にいても妙に弾丸がそれて当たらなくなります。
相手に大調和するからであります。>>

それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?

質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。

1195「訊け」管理人:2013/05/18(土) 09:44:28 ID:???

 

>>a hopeさん

――――――――――――――
>>1193
それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?

質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。
――――――――――――――


 ここは我々部外者は、疑問を感じますよね。なんで「現象無しの生長の家」が、なんで「現象に『悪』を見て、運動をしたんですか?」という疑問、当然ながら湧いてくるワケです。

 ところで榎本惠吾先生も、同様の設問に挑まれておられたご様子です。愛国運動の思想的背景ですが、やはり当時も曖昧だったのかもしれません。榎本先生も相当に悩まれて(大学を休んで仕舞う程)、多々文を寄稿されてますね。


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『試論・波状光明化への道』342頁より謹写――

概観するに、生長の家人の中には、それぞれの自覚により、運動の展開に二つの姿があるのではなかろうか。仮りに、現象に悪の状態が出て来たとき、どのように対しているかによってそれは分岐れる。即ち、

(一)現象に悪が現れて来るのは、それは余りに「唯神實相論」に傾き過ぎた為である。「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と云う實相現象の二元論に進む。

(二)現象に思わしからぬものが現れるのは、それは唯一つ『實相一元、唯神實相論』への徹し切り方が足りなかったからである。飽く迄も『唯神實相論』を貫ぬかなければならない。

吾々はあくまでも、(二)の立場を貫かなければならない。(一)の道を選ぶか、(二)の道を選ぶか。これは真の「生長の家」人となるか、迷える人となるかの天下分け目である。
(つづき全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65587714.html

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 これはよほど、重要な設問だと思います。おもしろいやり取りに発展しそうで、期待大です。




追伸

 さて、「大和魂」に関しても私見を。

 結論から申せば、かつ、簡潔に申すならば「大喜びすること=大和魂」だと、思います。

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 この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。(『私の日本国憲法論』91頁より――)
(全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html

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 記事ご確認願いたいのですが、この千鈞(せんきん)の重みがあると雅春先生が申された語ですが、要約すれば「喜ぶこと」になります。「喜んで」のちに、實相が顕れるとハッキリ、雅春先生は書かれておられます。そしてこれぞ、「正統の大和魂」だと思う次第です。

1196ユタカ:2013/05/18(土) 17:32:55 ID:???
 結論から申せば、かつ、簡潔に申すならば「大喜びすること=大和魂」だと、思います。

∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽

 この「然して後に」の語には千鈞(せんきん)の重みがあるのである。こういう八紘為宇の本当の神武精神がわかっていたならば、戦争も起らなかったにちがいないのであるが、それを軍閥が曲解したために、あの戦争は起ったと言い得るのである。(『私の日本国憲法論』91頁より――)
(全文:http://blog.livedoor.jp/con5151/archives/65717053.html

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訊けさんのブログを見に行ったけど、真っ黒で画面が表示出来なかった。

訊けさん、ユタカを画面アク禁にしただんだろ??

見えねぇ〜〜〜〜。。。。

1197トキ:2013/05/18(土) 18:06:28 ID:sWbuwuBA
山ちゃん1952様が、a hope様のご投稿に関して、ご意見を述べられています。


http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201305180004/

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自ずから勤勉意欲なしでは大和精神はわからない
カテゴリ:カテゴリ未分類
1191 :a hope:2013/05/17(金) 19:07:58 ID:edEDolt2
<< a hopeの自主勉強その1>>

第二章のタイトルは『「生長の家」は大和精神の源泉』となっています。
わたしは、この「大和精神」という言葉がとても気になりました。

わたしは、「大和精神」もしくは「大和魂」と聞くと、日本国のために自分の命を顧みず、敵陣に体当たりして突っ込んでいった、
特攻隊の精神をイメージしてしまうからです。
そういう、日本国を守るためには自分の命をも惜しまない真っ直ぐな忠誠心が大和精神なのかと今まで思っていました。

ところが、「生命の實相」の頭注には、

『大和精神 すべての人・物・事は常に調和の中にあり、互にあらそったりしない世界である。という日本古来の精神。
日本の建国は、この精神によっている。大和魂(やまとだましい)』

とあります。
そして、第二章のタイトルには『「生長の家」は大和精神の源泉』とあります。

このわたしの「大和精神とは、日本国を守るために自分の命をも惜しまない真っ直ぐな国への忠誠心」という認識は、
間違っていたのでしょうか?
どなたか、ご指導をしていただけないでしょうか?<
こういう質問がある場合は回答する側は雅春先生や諸先輩の言葉を引用するのはまだ「大和精神」がわかっていない証拠でもある。

山口悌治先生はそうした精神の把握のために「万葉集」を自ら勉強され「中(みなか)の精神」を把握された。

それは言葉で顕そうとしても表現出来ないものなんです。

大和精神といってもなかなかわからない。私が天皇陵や皇族関連の御陵に参拝するのは何故か?それは天皇信仰を知りたいためだけなのです。

それで何がわかるのかというと「縦の精神」というか「歴史の流れ」なのです。その歴史の流れが「大和精神」なのです。

仮に「吉田松陰」の人物像を知りたいと思えばどうされますか?

松下村塾などに行きますね。そしてその雰囲気を知る為にその地域の空気に触れるでしょう。それは非常に大切なのであります。

次にそうした松陰の本やその書かれた書物を読みますね。それにより人物像を知りますね。

それでもなかなか日本精神とまでいきません。そこから松陰の「和歌」を勉強します。

次には松下村塾で読まれた書物を読みます。時代背景や交流した人物像を探ります。

そうして「吉田松陰」の辞世の句である”身はたとひ 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし 大和魂”

そこに何故 大和魂があるかを研究すれば自然とわかります。

それが日本精神なのです。自分からわかろうとしないで、日本精神を教えてくださいといってもわかりません。

自分から勉強していかなければ到底知ることは出来ません。

私は日本国の為なら死んでもいいという考えは常に持っております。それが大和魂でも精神でもすべてではありません。だがそうした気持ちの大切さを教えられて生活しております。

一旦緩急あらばの精神でおります。

1198ユタカ:2013/05/18(土) 18:20:25 ID:???
a hopeさん

>>1193
それでは雅春先生は、この大和精神を一体どのような形で、
「生長の家」の日本国実相顕現運動や愛国運動につなげられたのでしょうか?

質問ばかりして申し訳ありませんが、わたしには生長の家のこの二つの運動が、どうしても理解できないのです。
どうぞよろしくお願いいたします。

a hopeさま

大和の精神と天皇国日本実相顕現運動を対立して見ていると思うので、そういう質問で、分からないのだと思います。

え〜と・・まず、神様が人として現れていらっしゃるのが、現人神の天皇様です。
これは、志恩さんが前にも説明してくれています。 a hopeさまは天皇=軍国主義(特攻隊の事をおっしゃていたので)と考えているのでは??

そうすると、分からないのかも知れません。でも、WEB誌友会を続けていって、神様の内容を分かってくると、だんだんと理解できて来ると思いますので、ゆっくり勉強していきましょう!!

そして、ここで、今、「生命の実相」の御本で勉強中ですから、生命の実相の御本の範囲内で答えると・・・

第3巻の第2章では、大和の精神とは・・P、38の後ろから4行目 われわれの「本質」は無限の知恵であり、無限の愛であり、無限の生命であっていろいろ多方面のハタラキをするものであって、

その完全な発現を 大 和 精 神(やまとだましい) というのであります。

と書かれてあります。 神の子人間の無限の知恵、愛生命の発現を大和精神ならば、日本国の実相顕現と一致する。と言うことですよね。

1199ユタカ:2013/05/18(土) 18:34:30 ID:???
a hopeさま

いろいろなことを知ろうとして、意欲的に質問している姿が素晴らしい!!

応援します!!  一緒に勉強を続けていきましょう!! 

どんどんいろいろな事を積極的に質問したり、意見を書き込もう!! それによって、いろいろな意見が出て、周囲の方も皆さんも共に、とても勉強になるからです!!

よろしくお願いします!

1200a hope:2013/05/18(土) 19:20:16 ID:edEDolt2

>>1195訊け管理人さま

わたしの言わんとするところを、わかりやすく言い換えてくださりありがとうございます。

やはり、訊け管理人さまも、聖典「生命の實相」に感動されて、「生長の家の教え」に興味を持たれたわけですから、
わたしと同じような疑問を持たれているのですよね。

せっかく、生長の家の大真理「人間神の子 唯神實相」に触れて、魂を震わせての感動している新人に、
愛国・政治運動や環境保護運動なんかをするように言われたら ???になって、本当に混乱してしまいますよね。

また、榎本恵吾先生の記事もご紹介くださりありがとうございます。
これは、2011.9.13となっていますから、今から2年くらい前の訊けブログの記事ですね。
わたしも拝読したのでしょうが、その当時は、ほとんど理解できていませんでしたね(笑)。

ここで榎本恵吾先生も、「実相しかない」と考える『実相一元論』に対して、
「現象を現象としてはあるのであるから、現象をもその意味では認めて行かなければならない」と考える
『実相現象二元論』について説明くださり、「生長の家」は、『実相一元論』でいかなければ迷ってしまう。
とおっしゃっていますよね。

また、生命の實相のどこかで、『二元論=「現象ありの考え」は「虚説」である』
と雅春先生もはっきりおっしゃっておられますよね。

ただ、そういう雅春先生自身も、現象問題を扱われているのですよね。
わたしは、まだまだお勉強不足なので、それがなぜなのかの正しい理解まで進んでいませんが、
今、なんとなく思うことを述べさせていただきます。

( a hope の個人的見解)

雅春先生が現象問題を扱われたのは、「人間神の子・唯神實相」の真理を世の中に広めるための方便であった。
そして、その方便を時代によって変えていくようにと、雅春先生はおっしゃていらっしゃる。

だから、この「人間神の子・唯神實相」の真理を広めることのみが「生長の家」の使命である。

なせなら、その真理さえ広まれば、自然に日本国の実相も顕現するし、それが世界平和にもつながるし、
人間と自然との調和もすべてが無理のない形で実現していくからである。

そして、それをする使命を住吉の大神さまから与えられたのが、わたしたち生長の家の信徒である。

以上。



これはあくまでも、現在のa hopeの個人的見解です。
ご意見、ご指導をお待ちしています。
特に、「靖国見真会」参加者さまなどの本流の先輩方のご指導をお願い出来ればありがたいです。


そして、まだ、>>1196以降のユタカさま、トキさま(山ちゃん1952さま)等のご意見ご指導はしっかり拝見していません。
これから拝見させていただきます。

感謝 合掌。

1201SAKURA:2013/05/18(土) 19:27:45 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

横スレにて…失礼ながら? 昨日・本日の“投稿内容…”を、閲覧しながら〜〜〜
■■【 大和魂 】に関しましては〜〜〜下記にて投稿させて頂いております。−−>【部室 板/ 4】にての投稿です。

目にとまりましたので…“投稿…”させて頂きました。「部外者なのですが〜〜〜」

http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/972
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/973

                              
                           再合掌

1202トキ:2013/05/18(土) 19:45:44 ID:sWbuwuBA
>>1201

SAKURA様は部外者ではないので、どんどん投稿をお願いします。

丁度、返事を書こうと思っていたのですが、こちらへ書きます。

生長の家高校生連盟の歌ですか。懐かしいですね。あの歌を武道館の前で歌うと、
盛り上がったのです。

 さて、有名な本居宣長の歌に

 「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」


 というのがあります。ちなみに、神風特別攻撃隊が始まった時に、
「敷島隊」「朝日隊」等、この歌から隊名がとられたのです。

 しかし、この神風特別攻撃隊ですが、最近の研究で、発案者の大西滝治郎中将の真意は、なんとか
これで戦争を終結させたい、というものであったと言われます。そうすると、大西滝治郎中将が
この歌を選んだ意味には、SAKURA様の意図する点もあったとは感じます。

1203SAKURA:2013/05/18(土) 20:54:57 ID:BEUD3XFA
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1202 「管理人 トキ様」 の 投稿内容 から思いました事なのですが〜〜〜
(少しだけ“おじゃま”させて頂きます…。でも?何かありましたら投稿させて頂きます。…が?)

❤〜素敵な!素敵な! 「本居宣長 名言」ありがとうございました。

■ >> 有名な本居宣長の歌に <<
 
「敷島の 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」
.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:._.:*^*:

個人的に?勉強不足にて、知りませんでしたのです。…が?(更に「神風特別攻撃隊」の名前も、
此の「和歌…」から由来とか。教えて頂きました事に、感謝申し上げます。)

そして、日本人の「山桜…サクラ」に対しての心情……【 永遠に日本人−−> サクラ(さくら) 】
当に!日本人の心情を現わしていますのでしょうかと。このような“イメージ感”でしょうか?ボンヤリ!ボンヤリ!……

「管理人 トキ様」へ……
思い出しましたが〜〜〜此の事から来るのでしょうか?「特攻隊の歌ですかと」?

■ 〜♫  貴様とおれとは 同期の桜 〜♫  此処でも“ サクラ ”なのですかしら〜〜〜ン?

1204a hope:2013/05/18(土) 20:57:06 ID:edEDolt2
>>1197山ちゃん1952さま >>1198ユタカさま

わたしは自分自身の、愛国・天皇信仰に関する勉強不足は自覚しています。

ですが、そのことに関しては復興Gさまのこのweb誌友会でのご指導により、以前よりもはるかに知識としては入っています。
ですから、ユタカさまが

<<え〜と・・まず、神様が人として現れていらっしゃるのが、現人神の天皇様です。
これは、志恩さんが前にも説明してくれています。 a hopeさまは天皇=軍国主義(特攻隊の事をおっしゃていたので)と考えているのでは??>>

と問いかけて下さっていますが、わたしは、天皇=軍国主義だとは、けっして思っていません。
実相の天皇さまがわたしたち神の子がが中心帰一すべき御親さま(神さま)であることは、十分理解しています。

わたしは、その信仰のあり方が、現象的な運動となってしまうことに疑問をもっているのです。

復興Gさま謹写の「名古屋公会堂に於ける講演の速記」を拝読すると、

>>1087<<「生長の家」の団体では、心に宇宙大生命(おおみやのかみ)を祭るのであります。>>
>>1088<<次に宇宙大生命(みおやのかみ)即ち宇宙大生命の道を現わし、日本国威を発揚し、国体を明徴にするところの導き
の神様として心に幽斎する副斎神として生長の家大神を礼拝すると云うことをハッキリ本尊の項目にあらわして置きました。>>

という、『心に祭る』とか、『心に幽斎する』という表現がたくさんでてきます。
でしたら、その現神人である天皇さまも、同じで、心に幽斎させていただくのが、
本来の生長の家の信仰のあり方なのではないのでしょうか?


そんなことを、わたしは今、思っています。

ユタカさまがおっしゃるように、このweb誌友会や、雅春先生の愛国書なども拝読したりして、
天皇信仰や愛国心に関しても、わたしはさらに理解を深めてまいりますので、
みなさま、これからもご指導どうぞよろしくお願いいたします。

1206さくら:2013/05/18(土) 21:29:28 ID:9XrtgGgA
それから、度々おじゃましてすみませんが、
>>1193
訊けさま

わたしは、実際、生長の家の活動の「現象処理」的なことに、色々疑問や自分の引っ掛かりが、過去にもずいぶんありましたが、
ご文章を拝読しまして、改めて、生長の家の人類光明化運動は、現象をみて対処する運動でなく、
神の子を喜ぶ、すでにある実相を喜ぶ運動だということを、自分の中で、矛盾なく受け取れました。

また、現象ありの考えは、「自分の中からこそ」、排除すべき考えだということも、確認できそのことを心したいと思います。

以下のご文章感動しました。

ありがとうございます。


>「生長の家人類光明化運動」とは、實相がそのまま、今此処に自性を没せず、自発的に顕われることでなければならないのである。實相独在なるいのちが立つところに、真の創造ということが生れる。このときにこそ、大いなる情熱は湧き上がるのである。實相と現象とが先づあって、その相対二元の世界にあって、心を媒介として、心に扶けられて投影して来るという意味での實相顕現では、正しくは、それは實相が顕現したのではなく、心のレンズを媒介として現われたところの心の影なのであり、現象が現われたにすぎないのである。
 實相は実在なのであり、實相は心や現象とは関係の無いものであり、それ自身で独在する。實相が顕現するとは、實相が裸のまま、そのまま実在の顔を出すと云うことなのである。<

>實相のみが独在なのであるから、運動という運動も實相の運動のほかはあり得ないのである。あくまでも、他物、(即ち、實相がその顕現にあたって現象の力を借りなければならないと云う迷いの考え)が混ってはならない。純粋に實相が實相する姿でなければならない。純一無雑である。これが自発と云うことに価値の認められる唯一の根拠である。それは實相独在の光明が純粋に持続されているのである。これが生命が生命するはたらきである。<

>「生長の家人類光明化運動」は現象の運動ではなく、また、實相と現象との関係裡に存在の意義を保つ中有的な存在でもなく、実在そのものであり、實相そのものである。それは生命の純粋持続としての永遠の価値創造そのものである。それは絶対自由の絶対主体たる實相自ら発する自発的創造である。
「生長の家人類光明化運動」が実在そのものの運動であり、純一無雑に『實相独在』『唯神實相』を生きており、従って神そのものの動く姿であってこそ、はじめて私達は『最早や、吾れ生くるに非ず、神のいのちここにありて生くるなり』という最初にして最後最大の命題に到達するのである。<

1207志恩:2013/05/18(土) 22:46:34 ID:.QY5jUA6
遅くなりました。今日は、ユタカ様がスタートして下さった自主勉強会に、大勢の方々が参加されて、
私も、わくわくしながら皆様の投稿文を、拝見しました。

生高連の懐かしい歌を、SAKURA様、載せて下さって、ありがとうございました。

山ちゃん1952様、トキ様、SAKURA 様、皆様、
過去に生高連にも関わっていらした方々でいらっしゃるのですよね。

私は、大昔のことになりますが、生高連は、私は
昭和35年(1960年)にスタートした東京都生高連の初代・副委員長を拝命してましたが、、

「愛国運動」を、青年会活動とともに青年会の皆様と手をとりあって、
やっていた時代でした。でも、今思えば、そのころの私は、まだ心が幼くて、

なぜ、生長の家は、愛国運動をするのか、ということは、私は、幹部ではなかったし、、自然体で、やるもんだ、と
思って やっていましたので、はずかしながら、当時は、そんなに深くは考えていなかったかもしれません。

で、このたびは、
ahope様が、また、いい質問をして下さいましたので、皆様とご一緒に、あらためて、
愛国運動、大和精神のことを、勉強する機会が与えられ、有り難いです。

振り返りますと、
当時の、昭和35年(1960年)という年は、丁度、その年の10月に、日比谷公会堂に於いて、立ち会い演説中だった
社会党委員長・浅沼稲次郎が、17歳の右翼の山口ニ矢少年に、腹部を刃物で刺され、非業の死を
とげた年でもありました。

というような、恐ろしい事件が起きたということは、それほど、
共産党、社会党などの、左翼思想が、日本全国を またにかけ 幅をきかせ、寒々とした嵐が
全国中に吹き荒れていた時代だったのです。

山口少年は、谷口雅春先生の本を読んだことがあるということで、マスコミが、生長の家を疑いましたが、
生長の家は、関係ないことは、はっきりと、判明され、それも報道されて、ほっとしました。

だって、刺された浅沼稲次郎も、実は、谷口先生の本を読んでおり、谷口先生を支持していたそうですから、
分らないものです。

浅沼は、生前、「谷口雅春氏は、社会党に反対でもなく、自民党に賛同もしていないと言ってた」
ということが、ネットにも載っています。

                    (これは、長い前置きです… 笑)つづく

1208志恩:2013/05/18(土) 22:49:16 ID:.QY5jUA6
皆様、遅くなりましたから、お先に寝て下さいね、私、打つの、遅いですから、
つづきは、明日、読んで下さいね (笑)

1209志恩:2013/05/18(土) 22:53:55 ID:.QY5jUA6
>>浅沼は、生前、「谷口雅春氏は、社会党に反対でもなく、自民党に賛同もしていないと言ってた」
<<という情報は、間違っています。そんなこと雅春先生は、一度もおっしゃった事、ありませんから。

1210ユタカ:2013/05/18(土) 22:58:48 ID:???
志恩さま、ありがとうございます。

夜遅いので、お体を大切に! 次号?楽しみにしていますーーーーー!!

ユタカは、生高連に縁が無かったので、ワクワク!! 先輩たちから沢山学べてありがたーーーーい!!

1211志恩:2013/05/18(土) 23:40:36 ID:.QY5jUA6
なぜ、谷口雅春先生が、愛国運動、そして、山ちゃん1952様がいつも言われますように
生長の家の教えの中心が「御中の心(精神)」であるのかを
辿るには、
やはり、人間というものは、本の処女作に、自分の想いの固まりのようなものを記すものだと、どこかで読んだ気がしまして、
私は私なりに、調べさせて頂きました。。

山ちゃん1952様のブログをです。

処女作は、「皇道霊学講話」(332頁)でした。

これは、谷口雅春先生が、なんと、驚くなかれ、【27歳】のとき書かれた本でした。。(旧姓・谷口正治氏の時)

雅春先生は、1893年生まれ、この本は、1920年(大正9年)出版。
http://plaza.rakuten.co.jp/tecnopla/diary/201110120000/

もう1つ、調べたところは、
アクエリアン様の2008年6月のブログ。

そこには、「愛国運動と人類光明化運動」をテーマとした書き込みがあり、「皇道霊学講話」はじめ、
貴重な情報が,いろいろと載っていました。雅春先生が、
生長の家をスタートさせるにあたり、礎にされた思想が、垣間見えます。

(私等が、調べるより、幹部でおられる、復興G様、トキ様にお伺いしたほうが、
 早いのですが、一応、自主勉強会ですので、出しゃばって、しゃべっています。
 先輩の皆様、おゆるしください。そして、間違っていたら、教えてください)


「皇道霊学講話」について〜

「それは宗教と科学を霊学を基軸として統合しようとするじつに野心的な著作であり、
この時代の霊学概論として、のちに記す友清歓真の「霊学せん蹄」とならんでもっともまとまった内容のものであろう。」
(鎌田東二著「神界のフィールドワーク」青弓社より)

ここに述べられている、「宗教と科学を霊学を基軸として統合しようとする」という箇所は、その後の「生命の実相」を予感させますね。

この「神界のフィールドワーク」という本は、霊学とはどのようなものであったのかを詳述しているなかなか勉強になる本ですが、
その中に、この時代の霊学の特徴として、

「日本が太古からの霊「日本が太古からの霊性を純粋に保持し継承してきたとする「霊的根源としての日本」という考え方がある点でも共通している」

という考え方がある。
…谷口先生もこの時代の霊学の影響を大きく受けておられた。

だから当然、愛国運動としての日本国実相顕現運動も出てくる。   つづく

1212志恩:2013/05/18(土) 23:51:06 ID:.QY5jUA6
〜 人類=愛国であった〜

>>それは雅春先生が生きられた歴史が物語っています。
中学時代から古事記を読み『維摩経』を読まれる天才である。
だから身土不二など理解されていたに違いありません。

そういう観点から見ると人類すなわち愛国運動でもあった。処女版である『皇道霊学講話』を読むと理解できます。

ある面では光明化運動を目指して運動されたことも間違いありません。
だからといって愛国運動で なかったのではありません。<<

1213志恩:2013/05/18(土) 23:56:28 ID:.QY5jUA6
その根拠

「明窓浄机」昭和12年p257

○ 私は『生長の家』と云ふ大いなる団体を作って、その主宰者となり、自分の団体の勢力を拡大したいとは思っていない。
唯私の心の中には国家あるのみであり、人類あるのみである。

ここに私は『国家』と『人類』との二つを同格に平列せしめて語ったが、私にとっては『日本国家』と『人類』とは同格なのである。

日本国家が栄えることによってのみ、人類は栄えるのである。

『生長の家』で説く『実相』は既往の仏教者の大多数が誤って『実相即ち空なり』と説いたような『空』ではない。

『実相』とは空気のような、エ−テルのような空しき無常の存在ではない。実相とは無限荘厳の組織体である。

だから実相が顕現するとは、無限荘厳の組織体がこの世界に顕現しなければならない。

そしてヘ−ゲルも云ったように『国家は最高の組織体である』が故に、完全なる国家の顕現が、実相の顕現であるのである。

而して世界にありとあらゆる国家組織体のうち、日本国家のみが最高完全の組織体である(その理由はその中心(すめろぎ)が万古不易永遠に続いているからである。

外国の国家のように中心に定まらず、時々交代するようでは最高完全の組織体とは云い難い)。

それ故『日本国家』は神の理念の最高顕現であり、無限荘厳の実相の顕現であるのである。而して『日本国家』が拡がり行くこととなる。

『日本国家』のために尽くすことは『人類』のために尽くすことになる。

人動(ひとやや)もすれば『国家』的立場は一つの民族的執着」の立場であり、人類的立場は人類的立場と完全に一致するのである。

国家的立場と人類的立場と、家族的立場と、個人的立場とは悉く『まこと』(実相)の一つに於て一致する、これが生長の家の光明思想である。

------------------

谷口雅春先生は、
明確に愛国運動と人類光明化運動とは、同一の立場であり完全に一致するのであると表明されています。

1214ありがとう:2013/05/19(日) 00:19:39 ID:???

 『日韓条約締結祝賀会』における挨拶 
            昭和40年12月21日 (於:東京ヒルトン・ホテル)


 まず私は今回日韓条約の批准に当りまして、これによりまして日本の新しい歴史がここに始まろうとすることを心より御祝い申上げます。


 私、大体生長の家が自民党に応援しているのは、決して自民党の一つ一つの政策に賛成してやっているのではないのであります。 いま日本の政党のうちで、天皇制を護持しようとしているところの政党は自民党しかないのでありますので、自民党それ自身に欠陥もあり、汚職もあるけれども、われわれは自民党を応援しなければならないという、こういうふうに私は考えているのであります。・・・・(略)・・・

1215志恩:2013/05/19(日) 00:28:07 ID:.QY5jUA6
雅春先生時代は、このように
「愛国運動=人類光明化運動」を推進されてましたが、
今は、
生長の家は、「愛国運動」は、一切やめてます。

なぜかというと、昔の時代のような共産主義、社会主義の時代は、終焉し、
「愛国運動」をやったら「右翼」と間違えられるから、というような、なんか、こう、
勘違いされた、それこそ自虐的な考え方をされてるからでは、ないでしょうか?

日教組により、そのような考え方に、どっぷり浸かって洗脳されてきた日本人。
じわじわ じわじわと自虐思想にまみれた日本人。

ですが、だんだん、日本国の使命や素晴らしさ、大和精神の世界に類をみない素晴らしさを
見直す運動が、日本の若者の間で見直され、あちらこちらで、わき起っているというニュースも
耳にしています。

生長の家は、その点、今では、世の中に遅れをとっていると思います。

「愛国運動」という名がきらいなら「日本を見直す運動」でもいいですのに。
その運動をやめたら、
生長の家は、栄えたでしょうか。

かえって、ほろびるばかりじゃありませんか?

国を愛するという人間としての自然な精神である基礎を抜いてしまったからだと思います。

1216志恩:2013/05/19(日) 00:41:20 ID:.QY5jUA6
そうでした。そうでした。

今、生長の家は、愛国運動だけでなく、人類光明化運動という「個人救済」もやめたわ!!

今の生長の家教団は、「自然を愛する運動」と「肉は食べない運動」だけに、なりました。

1217志恩:2013/05/19(日) 00:44:47 ID:.QY5jUA6
1210:ユタカ様

いたわりのお言葉、感謝致します。
長くなりますので、このこの辺で、、、。

1218ユタカ:2013/05/19(日) 00:54:18 ID:???
>>1215

同感です。日本の若者は日本のルーツを知ろうとしていませんか?

伊勢女、出雲ガールなどやパワースポットなどと言って、また今年は、式年遷宮で伊勢参りは特に若い女性に人気がでているようです。

竹田恒泰先生の頻繁なテレビ出演での影響もかなりの効果と思います。

1219志恩:2013/05/19(日) 01:19:23 ID:.QY5jUA6
「愛国運動」とは、具体的に何をしていたか、を書き忘れました。
私達は、高校生でしたから、全学連と戦ったり、論戦を繰り広げたりはしていません。

日の丸の小旗を手にもって、歩いたのは、正月の皇居参拝のときと、2月の紀元節のときと、
天皇誕生日のとき、くらいで、あとは、青年会の集会があるたびに、

古事記や雅春先生の愛国書をテキストにして、日本国や天皇陛下の、いいお話を聞いたり、
話し合ったりしたことぐらいです。そんなに変わったことはしていないのです。

もう、ネットの時代ですから、小旗を手にして歩く必要はないと思いますが、
自国のいいところを伝え合うことは、たいせつだと思います。

自国を、批判するのも、自国に関心を持つことで、いいことであると思います。

1220rei:2013/05/19(日) 08:24:06 ID:S8XW4Pco
志恩さま
貴重なお話をありがとうございます。
とても参考になりました。

1222志恩:2013/05/19(日) 09:52:53 ID:.QY5jUA6
rei様

コメント、ありがとうございます。
生長の家の教えは、昔は、個人のみならず、日本国だけでなく、外国をも救う原動力の教えであったことが、
様々な事を、調べれば調べる程、
星屑の星のかけらのように、あまねく散らばり ひろがっていることを再認識しているところです。
誠に、貴いことです。

しかし、「愛国運動」「世界平和運動」ということも大事ですけれど、

訊け様や、さくら様が、おっしゃいますように、
個人の生活において、極身近な人達に、愛を行じたり、
よろんでよろこんで生活する事は、

信仰者としての基本中の基本である重要な生き方ですから、
私も日々、実践中です。

私は、口だけは、生意気なので、立派そうなことを言ってますが、
結構、そそっかしいところが、ありますし、

年下の、口達者な男の子?には、泣かされるし、

そして、
失敗もたくさんあるんですよ。
生涯が、学びの場ですよね。(笑)

また、いらしてくださいね。

1223復興G:2013/05/19(日) 10:12:33 ID:AB6RqYXc

 皆様、おはようございます。しばらくでした。

 私は一昨日、羽田発朝一番の飛行機で1時間半あまりのところへ飛び、傘寿(80歳)記念の高校同期生会に出てきました。115人集まりました! その年齢を合計すると1万歳になんなんとするすごい同期会。(同じ一つの高校の卒業生ですよ。)

 盛大な同期会でしたが、その司会をしたのは同期会メンバーで、ラジオ局のアナウンサーをしていた、芯は強くてしゃべるのが大好きな男。
 彼が、司会者権限で、こんな話をしました。

 同期生の一人、I君の話――

 I君の父は当地42連隊の兵士として中国大陸に派遣され、山東省徐州の南 臨沂(りんい)市で中国軍と激戦を展開、壮烈な戦士を遂げた。それはI君が小学校就学前のことで、I君は母親の手一つで育てられたのである。

 十数年前、会社を定年退職したI君は、その父の戦場をたしかめ、慰霊の香煙を手向けるべく中国へ渡る。
臨沂(りんい)での激戦ではわが42連隊も多くの戦死者を出したが、中国軍の死傷者は更に甚大であったときく。
現地を訪問したI君に対し、中国人の眼は冷たく光っていた。
 父が戦死したと思われる場所には、学校らしき建物の骨組が建設途中のまま放置されていた。とりたてて産業のないこの地、金がないとの話。

 帰国したI君は、その光景を思い浮かべ、ひとつの決意を固めた。自家用車を更新しようと準備していた200万円で、なんとか学校が完成しないものか――と、彼は「迷うことなく」中国に送金した。

 まもなく学校の校舎が完成したと、竣工式の日取りを添えて現地から知らせが届いた。
 I君の姿を見た現地の人々は歓声と大きな拍手で迎えた。あの冷たい眼は、そこには一つもなかった。

 ――よかった! I君は今も新車は買わず中古車から中古車に乗りかえながら、同期会に明るい顔を見せ、得意のハーモニカで校歌や応援歌を演奏してくれている。

 (われわれ同期生は中学入学の時は県立の旧制中学であった。それが後に高校となる)
 中学の時の教科書に、以下のような心を打たれた一文があった。そのタイトルは仮に「本当の日本人」としておく。フランスはパリでの話。その書き出しは

 「何だ何だ、どうしたんだ」――口々に叫びながら人々はバスティーユ広場へ駆けだした。
 見ると一頭の馬が倒れ、口から泡を吹き出している。馭者は手綱をとってなんとか馬を起こそうとするが、石畳にすべって馬はもがくばかりだ――。
 そのとき、一人の背の低い紳士が馬のところへ出てきた。日本人である。紳士は自分の上着を脱ぎ、それを丸めて馬の蹄鉄をくるんだ。彼は手綱をとると、「ハイヨーッ」と日本語で馬に声をかけた。馬が立ち上がった。鼻から息を吐き、ヒヒヒーンと啼いた。みんなが拍手した。口笛が鳴る。馭者は「メルシー(ありがとう)、メルシー」と涙を流さんばかりに礼を述べた。だが紳士は「ノン、ノン」と上着をとり、よごれを払って人の中へ消えていった。

 大使でもない、公使でもない 一人の日本人。
 こういう人こそが、本当の日本人である。

 心からの一人の善意が積み重なって、大きな平和への力となる。

 国際交流、政府援助も地位も名誉もかかわりない一人の男、I君。 こういう日本人が同期生わが○○高校に席を並べていたという事実に、大きな誇りを抱くのである。I君こそ真の民間大使と思う。ありがとうI君。I君に盛大な拍手を送ろう!

 ――と司会者のS君はいうのでした。
<つづく>

1224復興G:2013/05/19(日) 10:13:24 ID:AB6RqYXc

<つづき>
 私はS君の話に共感、感銘を受け、
 「こういう話を後世に、子孫にちゃんと伝えるのが吾々の役目ではないか。原稿があったらコピーさせてほしい」
 と頼んで、コピーをもらってきました。それをキーボードで打ち込んだのが上記です。

 大和魂(やまとだましい)、日本のこころとは、本来、前記のような大和(だいわ)の心である。一旦緩急あれば(国家非常の時が来れば)特攻隊精神となることもあるかも知れないけれども、本来そんな自爆精神が大和魂ではない。

 明治天皇の御製に

あさみどり すみわたりたる 大空の
  広きをおのが 心ともがな

 (「あさみどり澄みわたりたる」は、清浄、正直の心を表し、大空の広さは度量の大きさ、睦び和む精神に当たる)

さしのぼる 朝日の如く さわやかに
  もたまほしきは 心なりけり

 (赤々と一直線に昇ってくる朝日のように、さわやかな心を常に持ちたいものである)

 と歌われた大御心にこそ、大和魂はいかんなく現れているような気がします。

 『光明道中記』(新選谷口雅春法話集5)の、「一月二十二日〜一月三十一日」のところに、生長の家出現の使命・日本の使命について、端的に書かれたすばらしいご文章がありますので、謹写掲示させていただきます。

     ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆

 (谷口雅春先生著『光明道中記』より)

 一月二十二日 九族生天踊躍(しょうてんゆやく)の日

  吾らは初めから如来であり、成仏している。(『生命の實相』第一巻)

 金の純分のみが金となるのであって瓦を磨いて金とするのではない。凡夫が仏になるのではなく、凡夫が消えて仏があらわれるのである。凡夫のはからいが「雑行雑修」と言って真宗で排斥せられるのも、凡夫が如来になるのではない証拠である。仏と仏とに伝えてよこしまなることなきが禅であると道元は『正法眼蔵』で喝破している。たとい吾等が汚れたように見えようとも、人間は本来汚れているものではあり得ないのである。

 発止として自覚の灼熱状態に於て打たれるとき、人間はその仏なる実相を露呈する。

 そのままが仏であり、打っても打たなくとも仏であるが、打てばそれがあらわれる。

 打つのに色々な打ち方がある。

 昔は「お前は悪い奴じゃ。もっと修行せよ」と言って打った。

 生長の家は「お前は善い本性を無尽蔵に有っている。励めば励むほど、出せば出すほど力が出る」と言って打つ。どちらが効果があるかは既に実証済である。
<つづく>

1225復興G:2013/05/19(日) 10:14:16 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日

  十六方位の世界を一つの常住性ある永遠滅びぬ世界とするが日本の使命である。(『秘められたる神示―神示講義〈秘の巻〉』「久遠天上理想国実現の神示」)

 全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

 理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に相争うのである。

 全世界は天皇に於て一宇(ひとつのいえ)である。万国の民にそれを告げ知らせる東道(みちしるべ)の役目を以て出現したのが吾々の団体である。病気が治り運命がよくなり、万事に成功すると云うが如きはただ副作用に過ぎない。天地の真理、すべてが生長する真理に随順して生きる時、真理の中には病気不幸は存在しないが故に、病気不幸が消えるのは当然のことである。病気不幸が起るには何か真理に離れたことがある。省みて真理に載(の)るものは幸である。

     ○

 一月二十四日 妙音囀(てん)ずる日

  「汝(な)と我(あ)と天(あめ)の御柱(みはしら)を行きめぐりて国生みなさんと思うは如何に?」と如何にも天地のいのちの交流の厳かさが見えるようではありませんか。これを誰も卑猥に感ずる者はない。(『生命の實相』第二十巻)

 鶯(うぐいす)が啼(な)いている。実に澄んだ声で啼いている。玲朧(れいろう)たる声だ。どこにも汚れの感じられない声である。それは雌雄呼び交す声であるのに何の卑猥も感じない。天地そのものの讃歌のように聞えるのは何故であろう。それは鶯には我が無いからだ。天地の生命と一枚になっているからだ。

 梅の花が香っている。清浄そのものの匂いよ! その一輪一輪の浄潔とでも、浄厳とでも言いたいような花びら、雌蕊雄蕊(めしべおしべ)の美しきには何らの卑猥の影もとどめない。

 それだのに植物学者はその花はやはり雌雄呼び交すための装(よそおい)でしかないと教える。

 人間ひとり、男女呼び交すことを卑猥に感ずると云うのは、人間には我があって、天地の生命と一枚にならないからである。エデンの楽園を追放せられたのは、アダムとイヴとが智慧の樹の果を食べたからだと云う。

 天地の生命と一枚になり切らないで、色々と人間の理窟で考える、打算で考える、欲で考える。そこに純潔であるべき筈の恋愛が不浄なものとして感じられて来る。
<つづく>

1226復興G:2013/05/19(日) 10:15:23 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十五日 光明充満する日

  自分の利益のために楽しもうと思って性欲を扱いますと、性欲が汚れたものに見えて来るのです。(『生命の實相』第二十巻)

 「高天原(たかあまはら)に神詰ります」と実に朗々とした声で祝詞が響いて来る。朝の空気を動かし、霧を動かし、「高天原なる大宇宙に神が充満している」と云う観念が天地を動かす、実に荘厳だ。それを古代日本人は知っていた。常に古代日本人は「大宇宙に神遍在す」と誦(とな)え念じ、邪気を祓(はら)っていたのである。

 神が充満しているから、悪の存在はあり得ない。尽天尽地ただ神のみである。神光遍満、邪気不在である。その大宇宙を「家」と見たのが古代日本人である。吾々はそれを生長の家と名附けた。「生」の縦に生びる神漏伎(かむロギー)と、「長」の横に長びる神漏美(かむロミー)と、一つの中心普遍的神漏皇(かむロゴス)が陽陰の対偶と分化しあらわれて、陽陰の偉大な素晴しき交流となった家が「生長の家」である。

 私の家が生長の家ではない。大宇宙が「家」であり、生長の家の理で充たされている。生長の家の理を隠蔽することなく生きた時に、其の人が生長の人となり、其の人の家が生長の家となり、国家が生長の国家(いえ)となる。組合(クミ)と云う意味での国々は世界到るところにあるが、国家すなわち国がそのまま家族であるのは日本のみである。全世界を家族となし全世界動乱の因を断つのが日本の使命である。

     ○

 一月二十六日 万事和する日

  生長の家とは建物の名ではない、「和」の名であり、「愛」の名である。(『一流の人・妻・子を作るには』)

 生長の家は、「生長の人」と称さなかったところに深い意味が蔵されているのである。生長の家は個人主義ではないのである。「肉体本来無し」との宣言(よびかけ)は徹底的に個人主義を粉砕する。肉体のないところに個人はあり得ないからである。

 個人は無いが全体は有る! 今までの医学は個人医学であったゆえに此の世界から病人を少くすることが出来なかったのである。過去の政治は個人を目標とする政治、又は対立国家を目標とする政治であったが故に全世界を永久平和に置くことが出来なかったのである。今迄の経済は個人経済又は一国の経済を基礎としていたが故に循環流通無限供給と云うことが不可能だったのである。

 肉体無の真理を知り、ただ全体のみの存在する真理を知り、その全体とは神に在(ま)しますことを知り、その神の全徳の御表現が天皇(すめらみこと)に在らせられ吾らがその股肱(ここう)にして赤子(せきし)であると知る。一君万民、全世界の人類がただ上御一人(かみごいちにん)を大御親(おおみおや)として仰ぎまつるには、肉体を見、肉体の差別を見、皮膚の色、眼の色などを見ていないで、生命のひとつ流れを把握すべきである。
<つづく>

1227復興G:2013/05/19(日) 10:16:06 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月二十七日 久遠皇位を胆(きも)に銘ずる日

  火にも焼けざる皇位の久遠無窮性を立証せんが為に、火を着けて皇子をお生みになったのです。(『驀進日本の心と力』)

 生命(いのち)のひとつ流れの実相を把握するとき、眼の色は異り、皮膚の色は異るとも、八紘は一宇であり、一家庭であり、すべての人種ことごとく天皇の徳に帰一し奉ることが出来るのである。

 ナチスの血の哲学、民族の哲学はゲルマン民族の栄えのために把握されたる哲学であった。日本の哲学はそんな狭い精神でないのである。東洋民族よ聯合せよ! と云う東洋民族の哲学でもないのである。それはまだ血を見ている。血を見るのは皮膚の色を見ることであり、骨格を見ることであり、人種の差別を見ることである。人と人とを分割することである。

 外国の哲学はどんなに優れていても結局は分割に落着く。日本の哲学は包容帰一である。ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、何人種と言えども既に日本人である。「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。

     ○

 一月二十八日 一切人間を礼拝する日

  既に善があってそれが出て来る。その善と云うものが存在の本体であり、自分の本体なんです。(『驀進日本の心と力』)

 善とは外から縛る囹圄(れいご)ではない。吾々の生命の本性が善なのである。吾々の生命の本性が善であるが故に、善は内から一種の否定すべからざる圧力を以て迫って来、吾々をして善を為すように強制する。この力を倫理学者は当為(Sollen)と名附けた。若し善の内圧を拒むならば、吾々の生命は苦痛を感じ、苦悩を感じ、その苦痛苦悩を表面にあらわして、それは吾々の肉体に色々の具体的病気として表れる。

 病気は抑圧されたる「善」への衝動の悩み苦しむ有様だとも、「善」が実現せんとしてまだ空虚の状態であるとも言い得る。従って、「善」を為すように勧めることによって病気が治った実例は沢山ある。生長の家へ相談に来て病気が治って帰る人々の殆ど全ては善を為すように勧められ、善を為さんと決心し、抑制せられていた「善」への衝動が解放される故に治るのである。

 すべての善のうち最も大なるものは中心に帰一する心をもつことである。子は親に対して、妻は夫に対して素直に随順感謝するとき病気が不思議に治るのである。

     ○

 一月二十九日 心朗かなる日

  病気は自己を顧る好機会だ。顧みて迷を去るものは幸いなるかな。(『生命の實相』第五巻)

 心朗かなれば病はない。他を憎まなければ病はない。悲しまなければ病はない。物思いに沈むことなければ病はない。怒ることなければ病はない。気づつないこと、見栄を飾ることなければ病はない。不平に思うことなければ病はない。呟くことなければ病はない。ひとから同情して貰おうと思うことなければ病はない。病気になって都合よしと思うことなければ病はない。家に争いなければ病はない。仕事を嫌うことなければ病はない。隠す心なければ病はない。羨(うらや)ましく妬(ねた)ましく思うことなければ病はない。

 心暗ければ病生ず。陰気が強くなるはすべての悪の中の悪である。心明るき悪人は、心暗き善人に打ち勝つものである。心暗ければ本当に善の資格はないのである。人を愛すれば病はない。すべての事物を愛すれば病はない。愛するとは深切丁寧に心掛けることであって、執着してその人または事物に巻き込まれて心が顛倒することではない。

 心顛倒するは智慧が欠けているのである。智慧欠けるは深切丁寧が欠けているのである。
<つづく>

1228復興G:2013/05/19(日) 10:16:58 ID:AB6RqYXc

<谷口雅春先生著『光明道中記』より つづき>

     ○

 一月三十日 美点を見る日

  憂欝になって来た時哄笑(こうしょう)を爆発させよ、之(これ)が健康と若さを保つ秘法である。(『生命の實相』第十一巻)

 心朗かになる道は、世の中に悪と云うものが決して存在せぬことを根本に知ることである。一局部だけを見ずに大局を見る。短かい眼を以て見ずに長い眼を以て見ることである。冬のうちに春の兆していることを知ることである。陰極は必ず陽転することを知ることである。

 心朗かになる道はすべての人を赦すことである。憎しみを放ち去ること、憤りを含まぬこと。すべての人の美点を見ること。相手の立場に自分を置いて考えること。気にくわぬことは忘れること。呟(つぶや)かぬこと。罵(ののし)らぬこと。みずから立ちて我れに無限力ありと思い返すこと。他と協力するのは好いが、こちらが弱者的角度から同情を請わぬこと。

 人生の戦いはその人の執る生活の角度で最初にきまるのである。負ける人は常に負ける角度から出発し、既に負けているかの如く呟き、既に負けているかの如く左顧右眄(さこ うべん)し、既に負けているかの如く人に依頼し、依頼心を裏切られたと言って嘆き悲しみ呪い呟く。呟くひまに、呪うひまに、悲しむひまに、嘆くひまに、日に日に進歩する者はついに勝利するものである。

     ○

 一月三十一日 絶対善を悟る日

  善くしてやろうと云う想念は相手を害し、既に善いとの想念は相手をよくする。(『生命の實相』第七巻)

 すべての魂の不安を去る信念は神の創造の世界に悪はないとの信念である。神の造り給うた人間の子に悪はない。病気も無く、不成績もない。病気があるかの如く見え、不成績があるかの如く見えるのはそれは五官が見るのであり、五官は吾が信念の賦彩(ふさい)によって真相が歪められたる相(すがた)を見るに過ぎない。
 されば如何に五官に見える相が悪しかろうとも吾々はその五官の惑(まどわ)しに心を顛倒せしめて了ってはならない。

 吾が親または子を信ずること。吾が夫または妻を信ずること。兄弟姉妹の美しさを信ずること。すべて人の善さを信ずること。形の上で縛ろうとするとき、生命は自由を欲するものであるから、反動的に反対の方向へ動いて行こうとするものである。信じて善念を送りさえしたら其の人は必ずよく成る。「信じていたのに騙(だま)されました」と言う人があるものだが、その人は信じてはいたけれども、屹度(きっと)善念を送らなかった人に違いない。

 阿弥陀仏を信ずるとは「南無阿弥陀仏」と称えることである。子を信ずるとは放って置くことではない。「善い子だ、有りがとう」と念じ称え、感謝の念を送ることである。

<以上で『光明道中記』より謹写おわり>

1229復興G:2013/05/19(日) 10:28:34 ID:AB6RqYXc

今日は午後からリアルの誌友会がありますので、その準備にかかります。また夜以後にお目にかかります。
ありがとうございます。

1230志恩:2013/05/19(日) 10:37:18 ID:.QY5jUA6
復興G様

おかえりなさいませ〜〜え。
ご指導、感謝致します。

只今、来客がありまして、のちほど、ゆっくり拝読させて頂きます。

合掌

1231ユタカ:2013/05/19(日) 11:33:54 ID:???
復興Gさま、お帰りなさい〜〜!! 体験談と沢山の文章をありがとうございます!!ゆっくり、じっくり読ませていただきます。同窓会帰宅後すぐにこのような文章をアップして下さったり、精力的にリアル誌友会と使命邁進される復興G様に励まされ頭が下がります、有難うございます。

a hopeさま、みなさま、 a hopeさまのおかげで、トキ様始め、みなさまの貴重なご意見を頂き、また、訊け様の榎本先生の御文章を読ませていただきながら話が広がったり、体験談ありのにぎやかなところに、復興Gさまに上記のように格調高いお話を頂きました。ここを見ているすべての皆様に神様の祝福が天降りました事を感謝いたします。有難うございます。合掌。

1232a hope:2013/05/19(日) 12:00:13 ID:edEDolt2

みなさま、ありがとうございます。合掌。
そして、復興Gさま、おかえりなさい。


>>1231ユタカさま

わたしは、その時に感じたことをあまり深く考えずに率直に発言してしまうので、後で反省することもありますが、
でもそうすることで、このように、先輩のみなさまから、貴重な体験談を聞かせていただけたり、
ご指導をしていただけるので、本当はわたしが一番の幸せ者なのです。

このような、自主勉強会をという場を提案してくださった、ユタカさま、そしてこの掲示板の管理人さまのトキさま、
そして、すべての投稿者さまに心より感謝しています。

わたしもこれから、みなさまのご投稿をじっくり拝見して、お勉強させていただきます。

1233ユタカ:2013/05/19(日) 12:48:50 ID:???
ありがとうございます。

私もじっくり読み返ししています。2度3度と考えながら読み返ししたりすると、間違えて読み取っていたり、読み落としに気付いたり新しい発見があったりで、WEB誌友会板一番スキです。
また、深夜の書き込みは見落としがちなので、全体を見ることが確認になるので、非常に大切になりますね。志恩さんが謹写下さいました、谷口雅春先生の明窓浄机など、とても分かりやすく、内容も濃く素晴らしかったです、ありがとうございました。

1234NANCY:2013/05/19(日) 14:27:33 ID:7GELNOHk
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

■■ 【大 和 魂】 この“問い掛け…論”にて、個人的なのですが??〜〜〜

―――「 昨日の【SAKURA】 様の投稿内容 再投稿文 」――――――――――――――――――――――
1201  :SAKURA:2013/05/18(土) 19:27:45 ID:BEUD3XFA  
 
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/972
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1356688903/973          (一部抜粋)
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

■昨日の素晴らしい投稿でしたので「観覧者の皆様」の中で、まだ閲覧されていらっしゃらない方も
いらっしゃるのではと思いましたで…【 サイド 投稿 】の形式を上記にて、取らせて頂きました…。

                              つづく

1235NANCY:2013/05/19(日) 14:30:02 ID:7GELNOHk
「管理人 トキ様」へ 「観覧者様」へ  「WEB 誌友会の皆様」 へ
こんにちは……  ロ−マ字(大文字)の【NANCY】です。

>>1234 投稿の続きですので…。
■ 「 SAKURA 」さん へ    私が感じました事を……

【生高連の歌〜♫】
この“歌詞…”の投稿を閲覧しました時…「大和の時代からの“日本語の言葉”の美しさに〜【感銘…】です。
特に!その中の……「第一番目の歌詞」そして最後の「第七番目の歌詞」の処に心に響き打つ“言霊…”が〜〜
これなのですネ!そうのように感じ…正直“涙…”が出てしまいました。

■当に創立者「谷口雅春先生」の“コトバ”は【 真理の一剣 】として心に残りますかと……。そして、
【 日本の精神=神武建国以来の平和論 】この考えが〜〜〜古代からの人々の願いとして今!私どもの
「使命…」として認識を頂きましたのです。
当に【 八紘=世界平和論 】此れを古代からの願いとして抱いていた“日本民族”としての自覚に誇りと
それに必要な“知識・智慧”を、学んでいくべきかと…それが【真理の一剣】なのでしょうかと。

(一、)
日出ずるくに  たぐいなき 
六合を兼ね  連邦の
みやこをひらき  八紘は
兄弟なりと  宣言し
神武建国  三千年

(七、)
こころあかるく  身を清く
悦びを宣べ  世を照らし
光輪卍字(まんじ) 十字架の
万教帰一の  旗のもと
平和の真理を  宣ベンかな
平和の真理を  宣ベンかな
                  ❤ 何と!〜〜〜〜〜〜素晴らしき“コトバ”でしょうか?

1236ユタカ:2013/05/19(日) 15:05:47 ID:???
復興Gさまへ

次回のWEB誌友会までに、謹写などのお手伝いはありませんか? 自分勝手に動きますと、ダブルブッキングになりそうで無駄を避けたく御伺いいたします。

手は遅いですが・・・・ まだ、時間がありそうなので・・・

1237ユタカ:2013/05/19(日) 15:10:03 ID:???
NABCYさんもSAKURAさんも頭が良くて、難しいことを沢山書かれていて、その時代の読者さんたちは、懐かしく読まれていらしゃることでしょうね。。。

生高連の歌を聴いてみたいです。。。

1238SAKURA:2013/05/20(月) 12:33:10 ID:54xnnPoI
「ユタカ 様」 へ
こんにちは……   ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。 

>>1237 の「ユタカ様」の投稿から〜〜〜閲覧させて頂きまして…

はじめまして〜〜〜 実は?お返事を〜〜〜と思いながらも、躊躇しましたのです。

「生高連の歌 〜♫」なのですが……随分と悩みながら ><
私事ですが“オンチ ><”そのものなのです…。それでもめげずにハミング〜♫〜の私です。
但し……「歌詞…その“コトバ…”」が、最大級に好きなのです。…が?「ユタカ様」は如何でしょうかと。

【生高連の歌〜♫】が“懐メロ…”と?なるのでしょうか???エッ〜〜〜!知らなかったワ〜〜〜!処で、
この歌を“ロック調のリズム”に致しますと〜〜〜どのような感じになるのかしらンと、いつも思うのです。
…が?

そういえば「君が代の歌〜♫」を、ロック調で歌われたシンガ−の方がいましたです〜〜〜ョネ??
ご存知ですか〜〜〜?それは「サザンのボ−カル…」もう一人は「亡き清志郎…」でしたかと。?
この二人には、失礼ですが…
やはり【神聖な“コトバ…”】には〜〜〜厳かなる“リズム”が〜〜〜マッチするのかと思ってしまいます。
その後?此のお二人には〜〜〜“不運…”と申しますか?−―>“タタリ”

思うのです〜〜〜ョネ!この「君が代…の歌」も、そして「生高連の歌…」も“奥深いモノ”を感じます。
「日本人…」として生まれた私達は、宇宙の遥かかなたの遠い古から〜〜〜そうですネ!
「日本人の英霊…」が、私達を導いて下さっているかのように、感じてしまうのです…。…が?
そして…【日本の歴史…】を〜〜〜その【歴史のロマン】を〜〜〜!!

それから?頭がいい!この“言葉…”は?【実相の私】として頂きました。今の私ども…NANCYさん共々
【中間因…】としては〜〜〜平均並み?それとも平均以下?と〜〜〜><
モット!皆様の投稿を閲覧させて、頂きまして「真理の勉強を…」この様に思っていま〜〜〜す。

「ユタカ様」の投稿を閲覧しますと……“イキイキ感”を〜〜〜文章から感じております。
今後の…投稿閲覧を、楽しみにさせて頂きま〜〜〜す。宜しくお願い申し上げます…。
                                
再合掌

1239ユタカ:2013/05/20(月) 13:37:09 ID:???
SAKURA様、ありがとうございます。 行間があいて読みやすかったので感謝します。

生高連の歌詞は本当に素晴らしいと思います。そして、昔の昔の高校生はこれを理解できた!と言うことがスゴイ!!事なのです!!

今の高校生では意味が絶対通じないと思います、近所の高校生では、総理大臣の名前が分からない、安倍?誰?誰それ? え?日本って?アメリカと戦争したの?日本て戦争しない国でしょ?まじ?いつ話?ってレベルですよ・・・

育てている親が何も知らないから・・・本当に今自分たちで日本を学ばないと・・・日本が滅んでしまうと危機感をおぼえます。。。

ありがとうございます。。

1240「訊け」管理人:2013/05/20(月) 15:35:10 ID:???


>>1223復興Gさま


 素晴しいお話を頂戴致しました。誠にありがとうございます。戦死された父、その父が戦死した地に学校を建設する ―― 道徳の教科書に載せたいくらいのエピソードですね。

 知り合いの小説家にもこのエピソードを知らせました。本文内で類似のエピソードとして挿入されるやもしれません。いや本当に、「大和魂」とは、こういう行為を指すものと思う次第です。感動致しました。





追伸

 フィリピン戦線では「将兵ひとりひとりが宣撫班たれ」なる下知が、なされた模様です。(祖父談)そして現在も、我々ひとりひとりは宣撫班なのだと思います。ところで昨今、日本に来た支那人のほとんどが「反日になって」帰国する現象があります。これはやはり、もったいないことです。

 話は逸れますが、我が家周辺の話です。ここは田園地帯でありまして、なかには農業法人がありますがそこには、15,6歳の支那女性が働いております。彼女たちはひとりあたり100万円を貯金して国に帰るのですけれども、非常に礼儀正しいです。私も片言の中国語で彼女たちに話しかけるのですが、笑顔が実に素晴しい・・・・話が逸れてますので元に戻しますが、私の役目としては「彼女たちを全員、親日家として帰国させること」に、なろうかと・・・・我々ひとりひとりは、日本国家の宣撫班なのだと思います。貴殿同級生Iさんのお話を聞き、思いを新たに致しました。

1241神の子さん:2013/05/20(月) 15:48:03 ID:R1D4Jmeg
>1240

中国人に!! ニッポンをスキになってもらう!! スゴイなぁ〜!
でも、九州人はみな素直で暖かく心豊かで人情厚いから、もうすでにスキだと思うよ。皇室の事もよろしくーーー。

1242復興G:2013/05/20(月) 15:52:28 ID:AB6RqYXc

SAKURAさま

「生高連の歌」がパッと出てくるSAKURAさんは、すばらしい。
「生高連の歌」は本当の「大和魂」、そして生長の家の使命を、ずばり表現された素晴らしい歌であると思い、私も昨年、「トーキングスティック板」1896
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/11346/1311691486/1896
にアップしていたのでした。

SAKURAさん、私の>>1027投稿文、読んで下さいましたか? 前のことは、ゆるしてくださいね。

「生高連の歌」の歌詞のように、みんな、擁護派も分派もない、
「兄弟なりと 宣言し」
「みことの自覚を 祖神(みおや)より
  承け嗣ぎ来りし 悦びを
  宣(の)べ伝うべき 選士たち」
として、仲よく手をつないで行きましょうよ。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。


ユタカさま、>>1231>>1236 ありがとうございます。

がんばります。

聖典謹写は、お約束の『神の真義とその理解』については、ユタカさんの手許にはないのではないかと思いますし、これは自分でやりましょう。そのほか、今のところお願いしたいものはないので、また何かあったら改めてお願いします。


皆々様、ありがとうございます。

『神の真義とその理解』から、谷口雅春先生ご講演記録の謹写は、これから心をこめてさせていただき、全文謹写を終えてからアップさせていただきます。

「本流対策室/5 板」「部室 /4板」なども見ています。

「大和精神(日本の心)」については、志恩様が紹介してくださった総統閣下の「語り」も、ヒントになりますね。

それから、「こんにちは」様が「本流対策室/5 板」に書かれている投稿文は、説得力があり、私が生長の家の現状について、これは「生長の家教団80年(特に戦後の60年)の運動における業の結果だと考えられる」と書いていたことを、具体的に教えてくださっているようで、考えさせられています。

「こんにちは」様は、「生長の家は一つの役割を終えたと思う」というように書かれていて、その通りだと思いますが、すべての役割を終えたわけではない。

 「こころあかるく 身を清く
  悦びを宣べ 世を照らし
  光輪卍字(こうりんまんじ) 十字架の
  万教帰一の 旗のもと
  平和の真理を 宣べんかな」

という大切な使命の実現は、まだまだこれからだと思います。
それについて、このweb誌友会で一層深く聖典を学び、皆様とともに考えてまいりたいと思います。

よろしくお願いします。
合掌

1243トキ:2013/05/20(月) 16:20:39 ID:KVAgk9YU
復興G様、素晴らしいご指導をありがとうございました。

実に感激しました。本当に、心から感謝もうしあげます。

合掌 ありがとうございます

1244復興G:2013/05/20(月) 18:42:22 ID:AB6RqYXc

>>1240 :「訊け」管理人殿

>>1223に対して初めての具体的なうれしいレス、多謝。

同期会当日、司会をしたS君は、「尖閣とか日中関係の問題でも、一方的に中国が悪いと責めるだけじゃなくて、こっちに非はなかったか反省することも必要じゃないか」と言うんです。ふり返ってみれば、戦争当時われわれは小学生だったが、支那人のことを「チャンコロ」と言って、犬ころのように侮蔑していた――そんな雰囲気があったことが思い出される。日本人だけが優れた民族だと優越感をもって他民族を差別していた。それは本当の日本人の心、大和魂から外れていた。そのような時代があったから、中国人は日本人を嫌い、憎んでいるところがある。
南京大虐殺事件というのはなかったと言う人もあるが、当時現地に行っていて、日本兵が中国女性を強姦し、それを告げられないように殺したりするのを見たという知人がいると、S君はいう。戦争となればそのようなことが避けがたい。自国の行為を正当化するだけでなく、反省すべきことは心から反省し詫びて出直すことが必要だと、彼S君は言うのでした。

反省は小懺悔であり、そこにとどまってお詫びを繰り返すだけではいけない。「本来の大和精神はそうではなかった」とミコトなる本物を顕す、大懺悔に立ち還ることが大切ですが、まずは小懺悔も必要なわけですね。

「国民総宣撫班」ね。「国民総民間大使」と言ってもいいでしょう。みんながそんな気持になって大和精神・大和魂があらわれれば、日本の国威は発揚し、同時に世界が平和になっていくんでしょうね。

1245復興G:2013/05/20(月) 18:47:25 ID:AB6RqYXc

>>1243 :トキ様

ありがとうございます。合掌

1246SAKURA:2013/05/20(月) 20:49:05 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」 ヘ 「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

■□ >>1242 「復興G 様」へ
大変と無沙汰しております…。投稿を閲覧させて頂きながら〜〜〜(遅くなりましたのですが?)
先程…「ト−キング・ボ−ド」での「復興G様」の投稿を〜〜〜さかのぼって閲覧させて頂きました。感激!
「復興G様」も「生高連〜♫」活動をなされていらっしゃいましたのでしょうと……思いつつ

■   「高 校 生 同 期 会」……

いつまでも!どこまでも!“友…”との語らい!!出来ます“すばらしい人間関係”であります事に、
“良いです〜〜〜ネ!”とNANCYさんと二人で、語らいし合っています。私どもも、いつまでも…
その様な“人間関係…”を作っていきたいと…その様に思いました次第です…。素晴らしい!讃嘆そのものです!そして……

■   【 日 本 の 国 家 観 ?】

個人的ですが?日本は「霊的文化」と申しますか? やはり私の年代でも「イザナギ文化」と言う事で
「神の生命が我が魂にも宿っている〜〜〜」この様に、この頃では、“目覚めの自覚…遅い?”私ですが?

■□ >>1225 「復興G様」の投稿されました中から〜〜〜

−−−−−【 一月二十三日 寒菊競(きそ)い開く日 】−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

全世界を宇(いえ)と為す神武天皇の八紘為宇(はっこういう)の建国の理想は決して侵略精神ではない。
八方の国々が家族となって人類全体が睦み合う理念である。此の理念を「生長の家」と言う。

理念は普遍的なものであるから、これは私の家ではない。何故そう云う名称を附したかと言えば、生は縦に
無限に生(の)びることを現し、長は横に長(の)びることを現すからである。縦の無限連続は時間であり、
横の無限連続が空間であり、縦と横と、時間と空間との交叉する万象発現の枢機を握るものが、内に一切を
蔵する無字であり、一切を統一する天皇の御天職である。此の真理に世界の万民が目覚めないから万国互に
相争うのである。   (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

本当に「復興G様」が抜粋して頂きました「雅春先生のコトバ」から、改めて
「日本人ならば〜〜〜」と言う意識感強く目覚めまして、「雅春先生」も御指導されています「御教え・・・」の中に、イザナギ文化…とは?

−−−「一部抜粋 谷口 雅春 著」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

イザナギ文化は……中略……
それは宗教文化であり、宗教は人間の霊性がすべて一つの神に貫かれてあることを観て、万人同根の
自覚を通して、安定の人間関係をつくり、国際的には平和の基礎原理となるのである。…中略…(一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

痛切に、此処最近の我が国を取り巻くアジア圏での国家間の政治動向を見ながら〜〜〜特に、私事ですが?
如何しても、九州という位置からでしょうか【北朝鮮問題…】に関しましては、その動向に目が離せない
状況です。以前、「恩師のコトバ」の中に〜〜〜【今度〜〜〜世界第三次大戦〜〜〜が起きるとしたら】
それは「地球の存在すら…云々…」とおっしゃいました“コトバ…”が、脳裏をかすめてしまいます。
やはり「地球も一つの生命体」として、その存在形態そのものを“次世代…”に残す使命感を「復興G様」の
“テキストとして抜粋投稿”して頂きました文章から?感じました。今後とも、よろしくお願い申し上げます…。

そして……
❤〜今回も…この“気づき…”に感謝申し上げます…。                               
                                  再合掌

1247トキ:2013/05/20(月) 20:54:40 ID:KVAgk9YU
 生命の実相第2巻に、浅野和三郎先生の次男様の霊界通信が紹介されています。生命の実相に
紹介されていない部分ですが、乃木希典将軍が、霊界で言われた言葉に、「日本は戦争に勝って
きたので、負けた国からは恨みをかっていて、その念がたまっている」という意味の言葉があり
ました。霊界通信がなされた時には、まだ、満州事変以前で、戦争など誰も考えていない時期な
ので、不思議な内容だと思います。

 すると、戦争というのは、負けても悲惨ですが、勝っても、相手から恨みをかうので、これは
これで困ったものかと思います。もちろん、軍備には抑止力がありますから、自衛のための戦力
は必要だと思いますが、本当の日本精神はそういうものではないと思います。

 開戦時の在ワシントン 日本大使館で海軍の駐在武官をしていた横山一朗少将は、戦後、
「海にかえる」という回顧録を書き、これは専門家から高い評価を得ています。

その中で、「戦争から学んだ事」として、

*日本は海洋国であるから、海洋国と手を結ぶべきであり、大陸国と手を結ぶべきではない。

*武力進出は覇道である。武力で制圧したら、負けた民族は恨む。皇道は、共存共栄である。

*軍備制限は、弱者立国の道である。

 など、多数の教訓を書いています。

(戦後、横山さんは、クリスチャンで、戦後、聖職者になっています。)

 やはり、谷口雅春先生の言われる大和魂とは、大調和の精神かと思う次第であります。

1248SAKURA:2013/05/20(月) 21:23:24 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」 ヘ 「トキ様」 ヘ  「観覧者の皆様」へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1246 の投稿の続きです。…が?

■□ >>1223 の「復興G様」の投稿されています“投稿内容の中”から……なのですが?

−−−「一部抜粋 復興G様の投稿から 」−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
…中略…
>> 国際交流、政府援助も地位も名誉もかかわりない一人の男、I君。こういう日本人が同期生わが
○○高校に席を並べていたという事実に、大きな誇りを抱くのである。I君こそ真の民間大使と思う。
ありがとうI君。I君に盛大な拍手を送ろう!<<  (一部抜粋)
◆−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−◆

この頃? 個人的なのですが〜〜〜「国際交流??」此の事に関しましてつまり「国際化…」に関しての
「復興G様」のお考えをいつか?お聞き出来ます機会を〜〜〜その様に思いました次第です。…が?

例えば?
【自然体での国際交流…】ならば〜〜〜理解できますが?お膳立てした【国際交流??】に関しては、
少しこの頃「疑問視?」する事が、多々なのです。…が?例えばなのですが〜〜〜

私の記憶の中では?「雅春先生」が「ジェ−ムスが来日」の際に、その宿泊…云々…に関し、あの有名な
【ヤオハン…「和田一夫氏」】に任されまして、それに対して「そのような高級な宿泊施設は〜〜必要ない!」
このような事を「和田一夫氏」におっしゃつていらつしゃいましたとか…?その記憶があるのです…。
かなり“怒られたとの事”を……その記憶があります。…が?(参考までに?確か“大統領…なみ”の扱い方?
このような事の記憶があります。それで「雅春先生」が、普通でいいのです。このような事を〜〜〜その本を
探しているのです。…が?どこかに?埋もれているのカモ…と思います。)

※( 個人的な質問をさせて頂きました事…申し訳ありません。 )        再合掌

PS:「復興G様」・「トキ様」・「観覧者の皆様」 へ

上記の件に関しまして〜〜〜この頃“日常生活面…”で?困ったことが?多々目に付くようになり、
質問をさせていただいた次第です。(申し訳ございません。)

此処最近ですが【FUK空港…】航空路線として“国際便…路線”が、多々開設されています…。
今では?「大阪」「成田」経由ではなく〜〜〜当然ながら「アジア圏」は言うまでもなく、
「ヨ−ロッパ(先日はオランダ線…)…云々…」又「アメリカ路線(ハワイ)」「オ−ストラリア」本当に、
私自身、時代について行ってないのかしら〜〜〜ンと〜〜〜自覚しながらも〜〜〜><
「日本人として〜〜〜その民族性として〜〜〜」考えさせられてしまいます此処昨今の社会情勢なのです。
…が?(具体的には??投稿をしようと思います。)

                                 再合掌

1249ユタカ:2013/05/20(月) 21:43:14 ID:R1D4Jmeg
う〜〜〜ん、訊け様、始め皆様のコメント素晴らしいなぁ〜。これからも続々と出てくるでしょう、皆様レスよろしくです。

ユタカはちょっと違う視線です、200万円!! 最近は詐欺が多いから本当に中国に送金されるかな?と思うので、今回の復興Gさまの同窓会お話では騙されなくて良かったなぁ〜〜〜。と言うのが初一念でした。
あと、最近の中国人の秋葉原での買い物の仕方を見ると・・・・金持ちが多いので、自力で自国を何とかできないものか?といろいろと考えました。

戦争は当の昔に終わっていますから、態度をハッキリすることが大事だと思います。 日本の政治家もはっきりと戦争は今は『無い』と態度を明確にしてほしいと思います。戦争を始めた人はすでに責任をとって亡くなって、賠償も終わっているから、あとは、精神で負け続けている日本を何とかしたい・・・・

ユタカはそのように思って、皆さんの意見を聞いて勉強中。

1250ユタカ:2013/05/20(月) 22:09:42 ID:R1D4Jmeg
セキュリティダイアモンド構想〜安倍首相の外交戦略 (5853)

光明掲示板 素晴らしいです!!

1251復興G:2013/05/20(月) 22:20:23 ID:AB6RqYXc

>>1248 :SAKURA様

私にご質問ですか?

ご質問の趣旨がよくわからないのですが、端的に、具体的にわかりやすくおっしゃっていただけませんか?

1252SAKURA:2013/05/20(月) 23:24:06 ID:BEUD3XFA
「復興G 様」 へ 「トキ様」 へ  「観覧者の皆様」 へ
こんばんは……  ロ−マ字(大文字)の【SAKURA】で〜〜〜す。

>>1246>>1248 の投稿の続きです。…が?

■□ >>1251 「復興 G様」の頂きました…投稿からですが〜〜〜♫

実は?【国際化……】あるいは【国際交流……】漠然とした私の質問に捉えられましたかと思います。
大変失礼しました。私事の推測ですが〜〜〜
「復興G様」のお立場でしたら…海外へもよく行かれまして【真理の伝導】をなされていらっしゃいます
のではないのでしょうか〜〜〜と思う次第です。…が?

■□【国際化…】・【国際交流そのもの…】どのような観点で御覧になっていらっしゃいますのでしょうか?
全体的な観点からでも〜〜〜宜しいのですが?

例えば…私の場合は、女性の視点からの捉え方ですので…多少は異なりますでしょうとおもいます。
…が?此処で、一例を申し上げますが……

■「治療」と「癒し」の違いとは   
足つぼやリフレはマッサージではない?  その違いは
http://news.goo.ne.jp/topstories/life/334/3b13c1294373c8aaab8b2e61d0082af6.html

ご存じのように、ここ数年前から?特に「香港返還…前後」からでしょうか?何時しか〜〜〜
よく街角?商店街?などで【マッサ−ジ】が、若い男女も含めてその関連業者が増えております。
ところが、私の年代と申しますか〜〜〜個人的によく“ボランティア”の関連になりますのです。…が?
この【マッサ−ジ】から連想してしまいますのが、一個人の連想なのですが「目の悪い方…職種」として、
その生計が成り立つという“イメ−ジ感”が従来の私・パ−トナ−に在りました。そして、その現状を見
て来ておりますのも、事実なのです。本当に、お気の毒な“ハンディ−”ですから…仕事の職種は、制限
されてしまいます。(私も含め…)

現在の【国際交流…】として「マッサ−ジ関連」は、今では〜〜〜社会通念として
「キチンとした場所…」でのある程度の設備投資の場所にて…健常者のイメ−ジが出来つつありますで
しょうかと。?しかも?色々な海外の方々も…似たような【アロマ…マッサ−ジ】とか?【足つぼ…】とか?
更には〜〜〜【リラクゼ−ション店】……多々なるモノが出来ましたでしょうか?
ストレスから体調を崩した方々に取りましては?気楽に治療出来る!このメリットも考えますが〜〜〜?

この方々を、第三者的に見ておりますと、どうしてもある時は、同じ民族…を中心に雇用とか?その様な感じ
も見受けられます。…が?それでは?【日本人の…雇用問題は?】この様に考えてしまいます。
更に、ハンディ−のある人に取りましては、益々とその雇用問題は、厳しいものがありますかと。

この様に「復興G様」は、その付き合い関連された方々が…ある一定の人々でしたならば、この様に
≪職種…≫を奪われたりと云うと…語弊になりますでしょうが〜〜〜「お客様」も制限されまして、しかも
行動範囲も如何しても制限さますのが現状でしたが??

話は少し“ズレ”ますかと〜〜〜
私の記憶では〜〜〜【フランス…】の対策として…一時海外からの色々な民族の方々を受け入れ体制…!
最終的には?雇用問題(その多々なる民族の方々もフランスで成功され…会社を設立…それにて、自然に
雇用するとなると…同じ民族を雇う事に……それは?ある面では当然の流れかとは思います。…が?)

その後、「当のフランス国民…雇用問題」になり、確か?フランス人をその○○%雇用するような政策を…
取られた記憶があります。…が?
この様に私の周辺部では「雇用…」一つにしても〜〜〜疑問が生じております。これは?あく目でも、
一例として…投稿させて頂きました。(途中にての投稿で…申し訳ありませんが…)

従いまして…【アバウト的でも…仮に国際化・国際交流…】どのようなお考えをお持ちでしょういかと…
その様に思った次第です。…が?
                                再合掌
PS:
日本人の場合いは『中産階級…意識』…というものがありますでしょか?どうしても…私共の
見方とした場合…この「中流前後階級〜〜??」に関しての【公的機関も含め…視点】が〜〜〜余り
なされていない感が致します。この事は?失礼ながら「宗教内での救済」にもある面では?言えますのでは?
この様に客観的に見ております。

1253ユタカ:2013/05/21(火) 05:56:03 ID:R1D4Jmeg
過去の日本の貢献も正しく認識してほしい 2013/5/9(木) 午前 8:54世の中を考えるアジア情勢 案の定というか、常識知らずと言うべきか、渡米中の韓国の朴大統領がオバマ大統領との会談でも、さらに米国議会でも日本の歴史認識を取り上げ、日本を非難しました。まがりなりにも友好国をこんな形で批判するのは異例であり、無礼です。

過去の日本の貢献も正しく認識してほしい
 韓国は、1965年に日本と日韓基本条約を結んだことにより、無償金3億ドル・有償金2億ドル・民間借款3億ドル以上の日本からの資金供与及び貸付けを受け、「漢江の奇跡」とも言われる高度経済成長を遂げました。京釜高速道路をはじめとした各種インフラの開発や浦項総合製鉄をはじめ、日本の企業の投資による成長が政府援助と併せて、韓国の成長や国民生活向上に大きく寄与した事実は、一般には知らされていないため、多くの韓国人は自国が独力で経済成長を達成したと思っているのが現状です。

 中国についても同様です。1991年から94年まで北京の地下鉄開発や、93年から96年にかけての北京首都空港整備計画、97年の上海国際空港事業計画など、大都市の航空開発、橋梁などの整備に、日本からの多額のODA(政府開発援助)が使われました。また、98年度、99年度の有償資金協力で最大の援助となっているのは高速道路建設でした。しかし、日本の多大な貢献に対して返ってきた答は尖閣への侵略的行為であり、反日暴動であり、昨今の「沖縄統治権は日本が奪ったもの」という厚顔無恥な主張です。

他のアジア諸国は日本の貢献を評価している
今年の日本・ベトナム外交樹立40周年を記念するデザイン列車「日越友好列車」が、北部のハノイと南部のホーチミンまで約1600キロを片道30時間かけ、9月まで約30往復するそうで、ベトナムではこのような企画は過去になかったとか。
 ベトナムの南北鉄道は、南北ベトナム統一の象徴とされ、日本のODAでメンテナンスなどを行ってきたことから、日越友好のシンボル的存在です。ベトナムでは鉄道の他に、道路や空港の整備も日本の貢献で実施されてきました。
 
ベトナム以外にも、たとえばASEAN諸国を結ぶ道路網の整備が現在進行中ですし、フィリピンやインドネシアなどにも海保の巡視船供与がされつつあります。このように、インドなどの南アジアへの支援や東南アジアへの日本の貢献は、高く評価されているのです。記憶されている方も多いでしょうが、カンボジア内戦後の支援では2名の警察官殉職者も出ています。

正しい歴史認識と何だろうか?
私は元社会科教師ですので、理由はあったとは言え過去の日本の戦争を全面的に肯定する気は毛頭ありません。少なくとも日本という外国に占領された地域が幸せだったという強弁に与する気はありません。しかし、「功罪」の「罪」のみを強調し日本を卑しめる行為や、歴史的検証も定かではない行為を声高に叫んで日本を貶める行為などには強い反発を感じます。また、日本国内にある自虐的過ぎる論調にも同意できません。
韓国や中国への反論として、科学的歴史的根拠や、戦後の日本が果たしてきた国債貢献を正しく世界に知ってもらう努力が必要です。正しい歴史認識とは、世界がそれを知ってなお日本に求める反省点があるとしたら、真摯に受け止めるものではないでしょうか。

上記は生長の家信徒で無い人のブログから抜書きです。
日本は中国に充分すぎるほどの事はやっていると思う、中国は自立せず、過去の戦争をいつまでも恨んでさえいれば、日本から何かを頂けるという中国の姿勢を感じて・・・いやだな、やっぱり。。。

わが国は、大戦で原爆を2発も落とされたのに、見事に立ち上がり世界に貢献している素晴らしい国だな。これらは戦前の教育を受けた人たちがリードして成し遂げたことなんじゃないのか??
今は、ニートが多いし、夢を持っていないのが多いね。早く国内の教育を正していかないと、もうこの先に世界への貢献なんて無理かも・・・
今、日本の教育を捨ててインド人学校へ入学させている親もいると報道していたし・・・ 地球が滅びる前に日本が中国になって森のオフィスも中国人に盗られたらどうするんだ??

すみません・・・暗黒思想ですか???

1254復興G:2013/05/21(火) 06:16:48 ID:AB6RqYXc

>>1252 :SAKURAさん

>>私事の推測ですが〜〜〜「復興G様」のお立場でしたら…海外へもよく行かれまして【真理の伝導】をなされていらっしゃいますのではないのでしょうか〜〜〜と思う次第です。…が?<<

 ――私は、生長の家本部から派遣されて海外へ伝道に行ったことはありません。

 インドで生長の家をひろめたいから、指導に来てほしいとインド人の方から頼まれ、有志の同志と一緒に自費でインドへ行ったことはあります。

 そのときは、インド(ムンバイから北へ数十キロの郊外の町)に1週間ほどの滞在で、一度もホテルには泊まらず、ホームステイだけでした。その家は、インドでは中流の上ぐらいの家だったかと思いますが、近くにはいわゆるスラム街とか、悪臭が鼻を突くようなどぶ川があり、息を止めずには渡れないような橋を渡って行けば、大雨洪水が来たらたちまち流されてしまうような、木の葉で屋根を葺いた、家とも言えないようなぼろ小屋に住んでいる人たちの集落もある。でも、そんな人たちも意外に明るい顔をしていました。

 そんなところで神想観、笑いの練習、実相円満誦行なんかやって、現地の人たちと約1週間、親しく交流しました。一般の通用語はヒンズー語ですが、公用語は英語になっていて、学歴のある人には英語が通じるという状況なんです。

 マザー・テレサが設立した貧民のための病院なども訪問して、礼拝堂の十字架の前で招神歌を唱え、神想観をしました。入院患者の手を握り、励ましました。祈りが通じたのか、涙を流さんばかりに喜んでくれました。

 いろんなハプニングがありましたが、忘れられない体験で、またそのインドを訪問したい気持ちがあります。

 私たちを招いてくれたインド人のKさんは、以前数年前に日本を訪れたとき、成田空港に着いたとたんに、「この国は神様の国だ」と感じたそうです。そして数年間日本で働き、そのとき生長の家に触れて感動し入信した。帰国してから私たちを招んでくれ、その後もインドで英文生長の家誌“Truth of Life”を縁のある人たちに配ったりして、生長の家の教えを伝える活動をしているそうですよ。

 国際交流は、中産階級だけを対象にした上っ面だけの交流、公的機関や経済活動のための交流だけでなく、インドならマザー・テレサのようにその地に文字通り骨を埋めるような愛行活動こそが真の力になると思います。

>>1227に謹写させていただいた、『光明道中記』の

≪日本の哲学は包容帰一である。ヒトとは霊止(ひと)であり「理念止まる」である。全世界が一家庭たる理念降下し、義に於て君臣、理念に於て陛下の赤子である実相を知るとき、何人種と言えども既に日本人である。「日本を守る会」は他国と対立して、小さい現象日本国を守るのではない。天皇を中心に全世界が一家庭となる包容帰一の日本の理想を守る有志の懇談会である。≫

というお言葉を肝に銘じながら、本当に地上天国・神の国を建設するには、マザー・テレサのような、己を捨てての愛行が必要だと思います。

1255復興G:2013/05/21(火) 07:08:44 ID:AB6RqYXc

>>1253 :ユタカさん

あなたは本当にすばらしい、大和魂を持った愛国者ですね。

>>地球が滅びる前に日本が中国になって森のオフィスも中国人に盗られたらどうするんだ??<<

――ご心配は、もっともです。

日本は、世界平和の鍵を握る神の国です。

>>正しい歴史認識と何だろうか?
私は元社会科教師ですので、理由はあったとは言え過去の日本の戦争を全面的に肯定する気は毛頭ありません。少なくとも日本という外国に占領された地域が幸せだったという強弁に与する気はありません。しかし、「功罪」の「罪」のみを強調し日本を卑しめる行為や、歴史的検証も定かではない行為を声高に叫んで日本を貶める行為などには強い反発を感じます。また、日本国内にある自虐的過ぎる論調にも同意できません。<<

という「生長の家信徒でない人のブログ」引用のお言葉も、全くその通りだと思います。

正しい日本人として国の誇りを失ってはならない。
そして、それは同時に>>1223で書きました、「本当の日本人」の精神を高揚することと相伴って行くことが大切ではないかと、私は思いますが、いかがですか。

>>1218を読んでも、あなたは日本男児の魂を持った痛快な女性ですね。共感していますよ。

「生高連の歌」を高らかに歌って(口ずさんで)元気に行きましょう!

1256志恩:2013/05/21(火) 07:51:33 ID:.QY5jUA6
復興G様

復興G様の高校の同期生の一人、I君のお話、すごくいいお話で、感動しました。
これは、なかなか出来ない事ですよね。

いいお話をありがとうございました。
訊けさんの地元のお話も、心温まるいいお話ですね。

個人としての在日中国人も、いいひとたちは、居ると思いますが、いざ、国対国となりますと、国民性がもろに出て、
中国人も韓国人も、ひどい野蛮人になります。

知り合いの中国人と韓国人とは、仲良く、そして、国対国の外交は、相手は、したたかですから、
騙されないように、毅然とした態度で、のぞまないと、いけないと思います。

-----------------------------------------

>>1223:復興G様の、高校の同級生の一人、I 君の話

 >>I君の父は当地42連隊の兵士として中国大陸に派遣され、山東省徐州の南 臨沂(りんい)市で中国軍と激戦を展開、壮烈な戦士を遂げた。それはI君が小学校就学前のことで、I君は母親の手一つで育てられたのである。

 十数年前、会社を定年退職したI君は、その父の戦場をたしかめ、慰霊の香煙を手向けるべく中国へ渡る。
臨沂(りんい)での激戦ではわが42連隊も多くの戦死者を出したが、中国軍の死傷者は更に甚大であったときく。
現地を訪問したI君に対し、中国人の眼は冷たく光っていた。
 父が戦死したと思われる場所には、学校らしき建物の骨組が建設途中のまま放置されていた。とりたてて産業のないこの地、金がないとの話。

 帰国したI君は、その光景を思い浮かべ、ひとつの決意を固めた。自家用車を更新しようと準備していた200万円で、なんとか学校が完成しないものか――と、彼は「迷うことなく」中国に送金した。

 まもなく学校の校舎が完成したと、竣工式の日取りを添えて現地から知らせが届いた。
 I君の姿を見た現地の人々は歓声と大きな拍手で迎えた。あの冷たい眼は、そこには一つもなかった。

 ――よかった! I君は今も新車は買わず中古車から中古車に乗りかえながら、
同期会に明るい顔を見せ、得意のハーモニカで校歌や応援歌を演奏してくれている。<<

1259復興G:2013/05/21(火) 09:48:56 ID:AB6RqYXc

>>1246
SAKURAさま

>>「復興G様」も「生高連〜♫」活動をなされていらっしゃいましたのでしょうと……思いつつ<<

私の高校時代は、生高連(生長の家高校生連盟)ができる十年ほど前のことで、生高連が結成された昭和35年には、それを育成する青年会幹部になっていました。

日本に共産革命の嵐が吹き荒れ、日本丸は沈没しそうな大変な時代でした。

1260復興G:2013/05/21(火) 10:00:04 ID:AB6RqYXc

>>1256 :志恩さま

あたたかいレス、ありがとうございます。

>>国対国の外交は、相手は、したたかですから、
騙されないように、毅然とした態度で、のぞまないと、いけないと思います。<<

それはその通りだと思います。
合掌

1262志恩:2013/05/21(火) 10:29:43 ID:.QY5jUA6
復興G様

それから>>1244:で、復興G様は、昔なつかしい「チャンコロ」という支那人に対する侮蔑用語を
使っておられましたが、その言葉は、じつは、私の実家の父も昔、使っていました。

で、チャンコロなんて、いつから言うようになったのかしらと、調べてみましたら、
「ねずさんのひとりごと」に載っていました。

あの言葉は、実際は、侮辱する言葉でないそうなんです。
-------------------------------------------------------------

〜 チャンコロについて〜

真の近代史観」を書かれたOさんから、たいへん面白いメールをいただきました。
「支那」も「チャンコロ」も、蔑称などではなく、彼ら自身の言葉にすぎないというものです。

おもしろいのは「チャンコロ」です。
これは支那人の支那語発音が「チャンゴレン」であることからきている、という点です。
 (中略)
戦前、多くの日本人が支那に渡り、そこでえ生活しましたが、やってくる支那人たち自身が、自分たちのことを「チャンコロ(=中国人)」と自称するので、チャンコロと呼んだのです。
蔑称でもなんでもない。
「チャンコロ」は、単に支那人自身の現地発音にすぎないのです。

ではなぜ支那人が「チャンコロ」を蔑称と決めつけるようになったのか。
これまた理由は明快です。

支那人が通州大虐殺など、日本に悪いことばかりしたからです。
その結果、イメージの悪い言葉になったのです。
これを日本語で、「自業自得」といいます。

私たちは、もう「中国」と呼ぶのは止めましょう。
万国共通「支那」でいいのです。

そして「支那人」には、丁寧に「チャンコロ」と呼んであげましょう。

なぜならそれが彼ら自身に通じる、丁寧なことばだからです。

英語圏の人が、日本人をジャパニーズと呼ばず、「ニホンジン」と呼んでくれるのと同じです。

 http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1475.html

--------------------------------------------------------------------
私の感想ですが、ねずさんは、そう言われてますけれど、
復興G様がおっしゃるように「チャンコロ」という言葉の響きは、

やはり、相手を侮蔑している響きが、ありますから、先方が、差別用語だと思って
いやがってる言葉なのですから、そういう場合は、

どんなに間違っていなくとも、この言葉は、相手に使ってはいけない言葉だと思います。

1263志恩:2013/05/21(火) 11:09:25 ID:.QY5jUA6
復興G様

ものすごく古い時代のことなので、私の記憶も定かではありませんが、
あのとき、生高連の練成会を
企画して下さったのは、東京都連ではなかったと思います。
東京都で、青年会光明実践委員をされてた堀江敬八さんというお方が、企画された練成会だったと思います。
その練成会の写真,残っています。

堀江さんのこと、ご記憶でしょうか?

1264ユタカ:2013/05/21(火) 11:18:40 ID:R1D4Jmeg
復興G様、ありがとうございます。
復興Gさまの戦略的書き込みでおかげさまで、最初にビックリしたので、大切なことを集中して読めました。理想世界そのものの世界で、なかなか普通の人には体験できませんようなことでしたが。。。
最初は、同期生のお父様の供養の話で、中国の学校を建設する費用の寄付の話でした。私は「反日教育」させるためになってしまうのだから、なんで?? とコメントも書けずにいて、意味が分かりませんでした。なので、復興G様の文章を集中力を高めて読んでいました。

あとから、SAKURA様との会話の中で、インドご訪問での御愛行を読ませていただいて私も共感、感動、安心しました、>国際交流は、中産階級だけを対象にした上っ面だけの交流、公的機関や経済活動のための交流だけでなく、インドならマザー・テレサのようにその地に文字通り骨を埋めるような愛行活動こそが真の力になると思います。 と言うところを読みまして

ホッと安心しました。モノ、金でなく、宗教家の真の愛行は失意の人を励まし、自らの力で再び立ち上がろうと勇気を与える素晴らしい生きた神力がありますね。それがモノやお金を与えただけのものと全然違う価値のある行為ですし、その行動のたゆまぬ努力の継続が地上天国建設につながっていくということなのですね、口でいうのは簡単ですが、使命のある方は復興Gさまの体験談やマザーテレサさまのように実際には血のにじむ想像も出来ないような苦労があると思います。私達はその場その場でもっと深く愛行を!!と考える機会を頂きました。有難うございます、素晴らしい素晴らしい御愛行を自ら進んでなさる立派な復興G様。本当に通常ではなかなか縁もなく、出来ない体験談と共に、WEB誌友会に相応しい素晴らしいお話になりました事と、復興Gさまの真意が良く分かりましたこと、有難うございました。

誤字脱字、意味不明な漢字の使い方など、お詫びいたします。

1265ユタカ:2013/05/21(火) 11:20:42 ID:R1D4Jmeg
志恩さま、

横切ってしまったようです!!すみません!!!

1267志恩:2013/05/21(火) 11:25:20 ID:.QY5jUA6
ユタカ様が、復興G様が、インドへご訪問されて、愛行されたことのお話を改めて
書いて下さいましたので、よかったです。

私も、復興G様へのますますの尊敬の念を深めました。

それから、
復興G様に昔の事で、いろいろと質問させて頂いていますが、
個人的な事柄ですので、お返事くださらなくても、大丈夫です。

私は、今から、ちょっと 出かけます…。

1269志恩:2013/05/21(火) 11:43:09 ID:.QY5jUA6
ユタカ様

いえいえ、とんでもありません。
昭和35 年(1960年)は、今から 53年前のことになります。
当時は私は、まだ日記をつけていなかったので、
記憶がごっちゃになってるところがあり、今後は、
間違えるといけませんので、あまり詳細については、
しゃべらないことにします。(汗)

どうも、すみません。

1270志恩:2013/05/21(火) 11:54:56 ID:.QY5jUA6
生高連の練成会のことは、アルバムに写真がありますので、
間違いではないと思います。
東山半之助先生も、われわれとご一緒に写真に写っておられますので。

1271復興G:2013/05/21(火) 11:57:16 ID:AB6RqYXc

ユタカ様 はじめ、皆々様。
ありがとうございます。

>>1091
<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>
のつづき(『神の真義とその理解』より)、全文謹写が終わりましたので、アップロードさせていただこうと思います。

これは、>>1052で ユタカ様が 「a hopeさまへ」 として貼付された生長の家の『教義の大綱について』という文章――昭和15年、当時の文部省当局から強い指導があり、昭和15年4月1日、それまでの教化団体から宗教結社生長の家として出発することになった時の届出文の一部――に関して、

これが作られたときの経緯、谷口雅春先生の真意が明らかにわかる貴重な資料として、表記の<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演>速記録というのが、

『生長の家三拾年史』に掲載されており、それは正漢字・旧仮名遣いで表記されていましたが、『神の真義とその理解』にはそれが新かな・新漢字にして収録されているので、後者を底本にして謹写させていただいたものです。

これを拝読しますと、谷口雅春先生は「万教帰一の真理」によって究極の世界平和 ―― 一君万民・中心歸一の地上天国、神の国を実現するのが日本の使命であり生長の家出現の目的であること、その神意実現の使命感に燃えていらっしゃったことがよくわかります。

私はこれを「写経」のつもりで心をこめて謹写したい、だから「訊け」様がPDFファイルにしたのを公開しようかとの申し出をお断りしました。

「写経」については、かつて谷口輝子先生が随想に書かれたご文章が思い出されます。資料は今手許にありませんが……

かつて日本国中に疫病が流行って死屍累々と多くの国民が亡くなっていったときに、時の天皇様が鎮静平癒を熱烈祈願され、身を浄め心を浄め一字書く毎に三拜して写経奉納を続けられたところ、疫病の流行はおさまり国民は安堵したというようなお話であったと思います。

スキャナーでPDFファイルにしたものをリンクで公開するのは効率的かも知れないが、効率優先でなく、面倒くさいことを心をこめて実践することに意義があると私は思いますので、皆様、どうぞ心してご拝読ください。

長文なので、十数回にわけてのアップロードになります。

しばらくお待ち下さい。

1272復興G:2013/05/21(火) 12:30:27 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 11>
 (>>1091のつづき。『神の真義とその理解』より)

 生長の家大神様のお姿

 嘗て私の『法悦の力』と云う本が出ました時、あの第三篇のところに「法悦の実証」と題して、法

の悦び即ち真理を悟った悦びで、飲酒癖が廃(や)んだとか、喫煙癖が無くなったとかいう実例が無数に載

っておりますが、あの最初の体験談に載っている海野(うんの)こうじさんという人の体験をお読みになっただ

ろうと存じます。――或る時尾谷さんと云われる和歌山の或る小学校の先生の家では何時(いつ)も子供の病

気が絶えないので、栄養剤や強壮剤を沢山買って並べておられた。それも一本や二本買ったのでは高

価につくからと云うので、ビタミンAを一ダース買ったり、或はポリタミンを一ダース買ったり、わ

かもとを一ダース買ったりしてまるで家を薬局の様な状態にしておられた。併し始終病気しておって

健康にならない。その時にこの海野こうじさんという人が尾谷先生にこの『生命の實相』を読みなさ

いと云ってお貸ししたのでありますが、まだその本を貸して貰った事を少しも知らない尾谷先生の奥

様が、朝御飯をお櫃(ひつ)に移しておられた、御飯をお櫃に移して、見るともなしに其のお櫃から立ち騰(のぼ)る

湯気を見ておられると、その湯気の中に、一尺位の大きさでもありましょうか、白髪白髯(はくはつはくぜん)のお爺さん

で、裾まで垂れたる白い衣を着た方の立姿があらわれて、威厳と慈愛とに満ちた眼をしてじっと尾谷

さんの奥さんの顔を見詰めている。変なことがあるものだな、こう思って見ていると、すっと消えて

しまった。それからその晩に夫の尾谷先生が小学校から帰って来られて「お前にいいものを借りてき

てやった」こう言って見せられた。「何ですか」と言ってハトロン紙を開いてみると、『生命の實相』

と云う本である。それからその本をパラパラと披(ひら)いて、まぐれ当りに開けたところを一頁読んで見る

と、そこに、生長の家の神様はこういう風なお姿に現われられるということがある。こう書いてある

のです。白髪白髯のお姿で裾まで白い衣を垂れたところの姿で現われられる、と云うことが書いてある。

「ああこれである、私が今朝あの御飯を移した際、御飯から立騰る湯気の中から現われてぐっと私を

慈愛深い眼で見詰めていらっしゃった神様が、あの方が生長の家の神様だったのか」こういう風にわ

かったと云うことが書いてあるのです。この尾谷先生の奥様は現に誌友で生きていられるのでウソは

ないのであります。生長の家の神様のお姿は斯う云うお姿だと先に読んで置いて、それから後に湯気

の中で神様の幻を見たのだったら、読んだ印象が頭に残っておって、湯気のことだから、ぼんやりと

してどんな形にも見えるからいい加減にそういう風な姿を勝手に幻覚として見ることになったかも知

れませんけれども、その『生命の實相』を読まない前に、御飯から立騰る湯気の中に立っていられる

白髪白髯の神様をごらんになって、あとから「生長の家の神様は、こういう風な姿である」と云う説

明が出て来たのですから、まことに神秘的であります。このように生長の家の神様は、お姿の上から

云っても塩椎神様の白髪白髯のお姿で現われ給うのであります。
<つづく>

1273復興G:2013/05/21(火) 12:31:38 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 12>

 此の白髪白髯の神様のお姿は、一番最初に私の家内が見たのであります。『生命の實相』の中の一篇

に「生長の家の歌」と題する部分があります。『甘露の法雨』も其の一篇でありますが、その中に

「光明の国」と云う題の詩があります。此の「光明の国」の詩の校正刷が来た時に、それを校正をし

ておりました時に、空中にそういう白髪の裾まで神々(こうごう)しい衣を垂れたところの神様が出て来られたの

であります。この時私はこの神様と問答したのでありますが、この神様は「橘の小門(おど)の盡十方無礙

光、光明遍照の実相世界にいる神」と仰せられました。橘の小門の実相世界で伊邪那岐命が禊(みそぎ)せられ

たときにお生れになったのが住吉大神であります。

 一人だけで見たのでは、幻覚だか、白日夢だか判りませぬから、これだけでは価値がありませぬ。

ところがその次に、その同じ白髪白髯の神様のお姿を私の家内の同窓で高岡高等女学校出身ですが、

家内よりはずっと後に卒業した人で、当時、尼崎にいらっしゃいました長尾初枝さんと云われる人

が、昭和五年『生長の家』の発刊当時非常に熱心な誌友でありまして、頻々と私の宅へいらっしゃい

ましたのであります。ある日、私と対坐して神想観をいたしましょうと言って、対坐して瞑目合掌、

招神歌を歌ったのであります。ところが、その長尾初枝さんと云われる御婦人は、霊視の出来る人

で、肉眼には見えないところの霊魂の姿とか神様のお姿とかを見ることが出来るのでありましたが、

その時一緒に合掌対坐して神想観いたしますと、神想観を終ってから、長尾初枝さんが「先生の後の

ところにこんなお姿の神様がいらっしゃいました」と言われるのであります。その時家内は丁度階下

におりましたが、二階へ上ってきて、その話を聞いて、「その神様はこんなお姿の神様と違いますか。

私の拝したのは斯う斯う云うお姿でした」こう家内が言うと、「ああそれです。此処の顔の恰好はこ

うで、着物の素地(きじ)、恰好はこうで、こういう風な年齢で、髯(ひげ)はこうでした」と両方から互いに言い合

って見ると、別のところで、別の時間に、別の人が見たのですけれども、それが両人(ふたり)の見た姿が同じ

にピタリと符合するのであります。若しもそれが、あちらで見たお姿とこちらで見たお姿とが別のお

姿だったらそれは別の神様かも知れませんし、或は出鱈目(でたらめ)かも知れませんけれども、併し別の時に別

別の人が見たのを互いに言い合って見ると同じ相(すがた)だと云うのですから、それはやはり同じ神様だった

と云う事に断定して好いと思うのであります。
<つづく>

1274復興G:2013/05/21(火) 12:34:07 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 13>

 幻覚でない神姿

 心理学では斯う云うのを「事実に符合する幻覚」と言っております。併し事実に符合したら既に幻

覚ではありません。それから、昭和五年八月、或る誌友が大阪の寺町に大善寺という寺があるのです

が、その寺に集まって心霊学の実験をやっていたのです。此のグループの人は心霊研究にいずれも熱

心で、精神統一を熱心に修行した人で、霊視能力が発達して、霊魂とか神様の姿が見える人たちが多

かったのでありますが、その時に、そのうちの生長の家誌友が「今日は生長の家で神想観を習って来

たから、皆と一緒にやってみよう」と言って、教えられたホヤホヤの神想観を此のグループで実修な

さったのであります。そうすると、その時、空中に白髪白髯で裾まで白い衣を垂れたところのその神

様が現われられまして、その時五、六人の霊視能力ある人が同時に同じお姿の白髪の老翁の神姿を拝

したのであります。「今日は、荘厳な今まで此の会に来られたことのない神様の相(すがた)が見えた」と言っ

てその五、六人の方が互いに話し合ったのであります。これは、当時その席に列した誌友から聞いた

のであります。これは「多人数同時に見る幻視」と云って確実なものとされているのであります。そ

の他たびたび別の時に生長の家の講演会とか、神想観中にそう云う風な白髪の老翁の姿を見たと云う

人はあるのでありまして、それは当時携帯版で出ました『弁道聴き書』の中にもその事実が沢山載っ

ております。こうなるとこの神姿は単なる幻ではないのであって、あちらにも見た、こちらにも見

た、別の処でも見た、別の人が見た、併しそれは同じお姿であったと云うことになると神様のお姿に

一定の客観性を認めねばならないのであります。

 こんな訳で生長の家を機縁として各人各人に顕われられた生長の家の神様は架空の神様ではなく実

在性のある神様であり、お働きお役目の上から『古事記』にある塩椎神、『日本書紀』に書いてある

塩椎翁(しおつちのおじ)であるということがわかるのでありますが、此の生長の家の教に入ると、大抵の誌友が無痛分

娩であると云う点からも、この生長の家の神様が塩椎神であることが判るのであります。


 塩釜神社の御神徳と生長の家

 住吉大神は泉州堺にもお祀りされており、塩椎神は塩釜神社として和歌山にもお祀りしてあります

が、有名なのは陸前の塩釜神社であります。塩釜神社には塩椎神、経津主神(ふつぬしのかみ)、建御雷神(たけみかづちのかみ)、三柱が一緒

にお祀りしてあるのであります。いずれも軍神であられますが、塩椎神も、宇宙浄化の神であると共

に東道(みちびき)の神であり、同時に神功皇后様の三韓征伐の時には軍神として軍の先頭に立ってお出でになり

ましたことは既に申上げた通りであります。ところが普通塩釜様と云うとお産の神様とせられており

ます。一つには住吉大神は天照大御神様のお生れたまう前に宇宙を浄めてその準備をなさいましたか

らでもあり、神功皇后様の三韓征伐の際には皇子を御懐妊遊ばされてい給うたのを住吉大神が御守護

せられましたからでもありますが、海の神と云うことは産(うみ)の神と語源を同じゅうし、潮の満干にお産

は関係しておりますので、海の神は潮の満干を司るからお産をも司る訳で、塩釜様と云うとお産の

神様と云うことになったのであります。
<つづく>

1275復興G:2013/05/21(火) 12:35:35 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 14>

 皆様の中にも沢山体験があると思いますが、生長の家の神様を信じると実に素晴しい無痛分娩が所

所方々で行われておるのです。このあいだも生長の家本部で、こんな体験談を被仰(おっしゃ)った人がありまし

た。――双生児(ふたご)の無痛分娩の話であります。双生児が一方の胎児はまともに、もう一方の胎児は逆様

を向いて足を骨盤に突っこんでいる。こんなのはどうも医学上からは自然分娩は頗る難しいとせられ

ています。一方の胎児はまともで他方はあべこべであります。グルリと一回転させると逆児の方はま

ともになる代りに、まともの方が逆児になる。どうも不便であります。普通は帝王切開をして腹部か

ら子宮を切って出さなければならない。医学上からはそう診断されておったのですが、その良人は誌

友であり「神様のなさることに間違いはない」と云う固い信念を有(も)っていられて、「人間には出来なく

とも、神様ならどうしてでも出せるのだ」と信じて神想観をなさいましたら、その生れる前に、逆児

の方だけがくるりと一回転したのであります。全体が一緒に回転したら、一方の胎児はまともになる

代りに、他方の胎児が又逆さになって了うのだったのですけれども、その逆児の方だけが回転してま

ともを向いてしまったそうであります。しかも最初の胎児が生れてから、何でも十分間以内の中(うち)にそ

の次の胎児が出てしまったのであります。まことに素晴しい安産で、「国策の線に副(そ)うて一遍に二人

も産んだ」と喜ばれましたが、而も、これが無痛分娩だったそうです。このような顕著な例からも、

生長の家の神様は塩釜大神でお産の神様だと云う傍証が得られるのであります。


 龍宮の大神の御威徳

 併し、お産と云えば誰でも子供を産むだけのことをお考えになり易いのでありますけれども、「新

しき生命」を産み出し、導き出すのが塩椎大神のお役目で、国運を賭して国家の新しき運命を生み出

す時に塩椎大神が出現しているのは前述の通り『古事記』、『日本書紀』の示すところであります。ウ

ミの神は龍宮の大神であり、すべての資生産業(たから)を産出す働きであります。ですから、生長の家の神の

啓示通り人生を生きて行けば産業も盛んになる、生長の家の人は商売繁昌して何をやってもよく栄え

るという実例も時々聞くことがありますが、それもやはり塩釜大神の御威徳であると考える事も出来

るのでありまして、塩椎の「シ」と云うのは「水」であります。「ホ」と云うのは「火」であります。

「シ」が水であると云うのはおしっこさせる時に「シー」と云う、そうするとおしっこがシーと出

る。「シー」の言霊(ことだま)は「水滴(したた)る」作用であります。搾(しぼ)る、したたる、汁、湿る、時化(しけ)などみな水に連

関している言葉に「シ」が附いておりますのは、「シ」の言霊は「水」であるからであります。「ホ」

と云う言霊は上へ燃え上る相(すがた)です。焔(ほのお)、或は蒲(がま)の「穂」、稲の「穂」なども上へ萌え上る相、焔と云

うのも火(ほ)の火(ほ)であって火の縦に燃え上る相であります。火は縦であります。水は横に水平になるので

あります。横と縦と、水と火とが結び合されているのが水火津霊(しほつち)又は水火土(しほつち)であります。「土」と云

うのはその水と火とが結び合って固成したものであります。
<つづく>

1276復興G:2013/05/21(火) 12:36:30 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 15>

 宇宙一切のものは、水の御恩と火の御恩、土の御恩、即ち水火土(シホツチ)で出来ているのであります。皆さ

ん御飯をお喫(あが)りになる事が出来るのも太陽(おひさま)の温めて下さる働き、お水の潤おして下きる働き、そして

お土の固成(かた)めて下さる働きと云うものが働いてお米が醸成したからであります。そうしてその水火土

と云うものは隠れているのです。「私がこんなに功徳を現わしたぞ」と言って別に太陽も水も土も威

張っては被仰らないのであって、黙々として皆なを生かして下さっているのであります。皆さんを生

かしているのは、皆な水火土の御恩であります。水火土は縁の下の力持をして、そうして皆を生かし

ていらっしゃる――この神様が塩椎神様であって、塩釜大神、住吉大神なのであります。生長の家の

近畿綜轄教化部の棟上(むねあげ)式には態々(わざわざ)本住吉神社の宮司に来て戴き、式を挙行して頂いたのであります。

生長の家は空っぽであって他を顕わそうとしていると云うのは此の縁の下の力持の働きであります。


 キリスト教における生長の家大神

 次にキリスト教の方では、生長の家の神様はどう顕われているかと云いますと、「黙示録」と云う

のが、『新約聖書』の一番終のところに附いておりますが、その第一章に、「七つの燈台の間を歩む

人の子の如きもの」と云う白髪白髯の神様があらわれていられますが、それであります。『生命の實

相』全集の第一巻をお開きになると一番最初に何が書いてあるかと云うと、「黙示録」の第一章のう

ちの「白い衣を裾まで垂れたところの白い髯の神様がこの七つの燈台の間を歩いている」と云うとこ

ろが、引用して載せてある章(ところ)であります。併してその直後に「七つの燈台の点燈者の神示」と題して、

「汝ら天地一切のものと和解せよ。……皇恩に感謝せよ。汝の父母に感謝せよ、汝の夫又は妻に感謝

せよ。汝の子に感謝せよ。汝の召使に感謝せよ。一切の人々に感謝せよ。天地の万物(すべてのもの)に感謝せよ」

と云う神示が載っております。あの神示は誰方(どなた)から啓示されたかと申しますと「七つの燈台の点燈

者」であります。「七つの燈台の点燈者」と云うのみで神名は示されておりませぬ。この神様はみず

から顕われるのではなくて隠れたる働きであります。自分が光るのではなく、凡ての者に燈(ひかり)を点ずる

役目をすると仰せられているのであります。

 而(しか)してこの白髪老翁の神が、「黙示録」の第十九章十一節から二十一節迄「王の王」が世界を統一

遊ばされると云うことをお示しになっているのであります。「黙示録」というのはキリストの弟子の

ヨハネと云う人が、その当時キリストが死んでから迫害されてそうして小アジアのパトモスというと

ころへ流されていらっしゃいました時に、霊能力が開いて、白髪の老翁の神姿を見た。白髪の老翁が

仰せられるのに、これから後速(すみや)かに起るべきことを汝に黙示し、汝の霊眼に見せるからそれを書き誌(しる)

して置け、このことは必ず起るのである、もう既に起り済みである、「事既に畢(おわ)れり」とこう仰せら

れまして、見せられた黙示の中に斯(こ)う書かれているのであります。
<つづく>

1277復興G:2013/05/21(火) 12:37:36 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 16>

 「われまた天の開けたるを見しに、視(み)よ白き馬あり、之に乗りたまう者は『王の王、主の主』であっ

て、その方がこの地上をさばき給う。その時血なまぐさい戦いが起って、そうして到頭(とうとう)世界は一君に

統一せられる。その時旧(ふる)き天と地は過ぎ去って、新しき天と地とが現われて来る。新しき神都(かみのみやこ)が、

夫のために飾りたる新婦(はなよめ)の如き準備(そなえ)して地上に、この地上に天降って来る。即ち地上に天国浄土が実

現しまして、神人と偕(とも)に住み、人、神の民となり、神みずから人と偕に在(いま)して、かれらの目の涙をこ

とごとく拭い去りたまう。そうして今より後は一切の悲しみも、苦しみも、歎きもなくなって了う」

 と云うように書かれておりますが、これこそ、生長の家の善一元の人類光明化運動が全世界に滲透

する最後の段階であるのであります。この事実を指し示し給うた神様が白髪の老翁であります。是(これ)こ

そ日子穂々手見命(ひこほほでみのみこと)様に龍宮界を指し示し、神武天皇様に大和の国に都つくるべきことを指し示したま

うたと同じお働きでありまして、お働きの上から云いましても、聖書にあらわれたる「七つの燈台の

点燈者」なる老翁の神様と、『古事記』及び『日本書紀』にあらわれたる塩椎神又は塩土翁とはその

御役目に於て一致するのであります。


 天皇信仰に帰一せしめる生長の家

 更に生長の家の神様とは「仏典に顕われたる釈迦観世音菩薩及びその応化仏」として届書に書いて

あるのですが、何故そう書いたのであるか、その根拠は何処にあるかと申しますと、先ず釈迦牟尼

仏が生長の家大神と同体の神であると云うことは、一仏一切仏の原理の方からも判るのであります

が、ここには現に生きている人の体験談を根拠にして申し上げたいと思うのであります。どうも仏教

の方は「神」という語をお嫌いになります。普通仏教学者に言わせますと、「仏」と云うのは「衆生」

という迷っている凡夫が修養向上して悟を開いたものであって神とは違う、神というのは、天地を御

創造になったのであるが、仏は未だ嘗(かつ)て天地を創造(つく)ったことはないという風に被仰るのであります。

斯う云っている限りは、どうしても仏教を信じている人と日本の神道を信じている人と、或はキリス

ト教を信じている人とは、日本人同士でありながらその宗派的異教的立場に於てなかなか仲が好(よ)くな

れないのであります。

 今や日本は本来の実相を顕現して世界連邦の柱とならねばなりません。世界連邦は神武建国の「八

紘一宇」の理念に他ならないのです。先ず手近のところで全亜細亜(アジア)民族と心の世界に於て和解しなけ

ればならない。それには宗教的異教の立場を捨てて、仏教も、キリスト教も、その他の宗教も、本来

日本神道と一つのものであると云う真理を知らせて、信仰的に東亜民族が手をつながなければならな

いのであります。それだのに仏教の仏と、日本の神とは別々じゃと日本人同士の中でも、互いに異教

徒扱いして争っているようでは、どうして異宗教の他民族を包容して、神武建国の理想に合致せしめ

ることが出来ましょう。吾々は他宗教の神仏と雖も、真理は一つであるから宇宙の真理の具体的顕現

である全人類一家族となる世界連邦の理想・八紘一宇の理念の成就をこそ庶幾(こいねが)うべきものだと説いて

いるのである。この「八紘一宇」の真理を成就し給うべく出御せられたのが塩椎大神即ち住吉大神で

あります。
<つづく>

1278復興G:2013/05/21(火) 12:38:38 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 17>

 日本主義は結構でありますが、本当の日本主義は「八紘一宇」主義ですから、一切を包容する精神

でなければなりません。狭く凝り固まった日本主義の人達の中には、天照大御神様を日本特有の神様

であって外国の宗教の神仏と一緒にしてはならない、それは天照大御神の尊厳の冒瀆になるとお考え

になっている方もあるらしいのであります。特有とか特別とか申しますと何だか豪(えら)そうですけれども

普遍性がないと云う事であり、地方的だと云う事であり、どの民族からも共通的に礼拝せられる宇宙

的本尊とはなれないと云う事になり、神武天皇様の八紘一宇の理想から遠いと云う事になるのであり

ます。八紘が「一宇」となったら、「日本特有」などと云うものはありませぬ。だから「日本特有」

等と云う言葉を私は取除きたいのであります。天照大御神様はそんな小さい神でなしに、宇宙の大神

であられる。他の宗教の神はことごとく、宇宙の大神の垂迹(すいじゃく)あそばされたものであるから、一切宗教

の本当の本尊を拝むには天照大御神を礼拝すべきであると私たちは信じているのであります。そうす

ると、仏というもの、キリストと云うものも日本の神と同体の神であらせられるということになるの

であります。

 名古屋、北陸、広島地方は真宗の盛んなところでありますが真宗の人の中には、日本国に生れながら

日本の神様をお嫌いな人が多いようであります。そうして「私は阿弥陀仏一仏を信ずるのである、阿

弥陀仏さえ拝んだら好い、他の神様を拝んだら罰が当る」斯う云って、中には天照大御神様の御璽(みしるし)さ

えもお祭りにならない方もあります。日本神国に生れながら、お釈迦さんが印度で説いた阿弥陀仏だ

けが本当であって、日本の神は特別のものであるから信ぜられないと云っているようでは誠に寒心す

べきであって、日本一国でさえも、信仰的に一つにまとまらないことになると思うのであります。茲(ここ)

に宗教的にも他民族の神様さえも一つに包容して八紘一宇即ち“人類皆同胞”の理想に帰一せしめな

ければならないのであります。その働きを以て出現あそばされた神が塩椎神であり、「生長の家」な

る教化運動出現の使命も其処にあるのであります。ですから日本の神様も特別扱いしないで、普遍性、

八紘一宇性を以て大きく解釈しなければならないのでありまして、日本主義の方も、仏教の方々も、

仏様と神様とは異るなどと云う宗教的批判に捉われないで、神の実相、仏の実相を見て、「神々はみ

んな御一体」と八紘一宇的度量を以て解釈して頂きたいのであります。


 釈迦牟尼仏と生長の家

 『生命の實相』の何処かに説いてあるから皆さんは知っていらっしゃるかも知れませんが、富山県の

砺波(となみ)郡と云うところに梶喜一郎という人があった。その人は元来真宗の熱心な信者であります。三十

年程前、安吉先生といって真宗の偉い坊さんが富山県にあったそうであります。非常な傑僧で「念仏

一道」を説いていられた。附近の町村民は甚だしくこの安吉先生を随喜渇仰してその先生のお寺へ行

ったものだそうであります。特に御婦人の方々のうちには随喜渇仰して家を空けて夫のことさえ忘れ

て寺へ籠って法悦に浸っていると云うような狂信状態さえ惹起し、家庭争議が到る処に起ったと云う

程に魅力のある坊さんだったそうであります。ところがそのお坊さんがお亡くなりになる時に、自分

が死んでから長きのちに、自分の教と同じ教をする人が出て来ると被仰ったそうであります。その

「自分が死んでから長き後」と云えば何年後のことか知りませんけれども、梶喜一郎さんはその安吉

先生の信者だったそうです。
<つづく>

1279復興G:2013/05/21(火) 12:39:33 ID:AB6RqYXc

<昭和15年4月9日 名古屋公会堂に於ける谷口雅春先生ご講演 つづき 18>

 それで安吉先生の亡くなったことを歎いて、後にそういう人が出て来て教を説くのを心待ちにして

おられたのでありますが、或る時、『生命の實相』を求めてお読みになったのであります。すると

『生命の實相』の教が真宗の安吉先生の言われた教と同じように書いてあるのであります。而もそれ

が一層詳しく『生命の實相』に理論的に書いてあります。ああこれで真宗の教が本当によくわかっ

た、こう思ってその梶喜一郎さんは大変お悦びになりましたが、ただ一つ気にかかるのは何であるか

と云うと、それは『生命の實相』には「神」と云う語が諸方に使ってあると云うことであります。ど

うも自分は阿弥陀さんを信じている、それだのに『生命の實相』を読んだら、神という字が到る処に

書いてあって、自然に天照大御神を信仰する様になる様に書いてある。併し自分は今迄神様と仏さん

と別のものだと思っていた。「此の生長の家の教に随(したが)ったら阿弥陀さんに叱られやしないか」こう考

えて何となしに恐しいような矛盾を感ずるのであったそうです。そこで一度上京の機会があったら

「生長の家本部」へ行って親しく私に会って、話を聴いて見たい――こう思っていられたそうであり

ます。そして或る日、富山県からやって来られて東京渋谷穏田の「お山」と云われているところへ来

られた。此処は少々小高い山の坂道を上って行くので、宮崎さんの祖父(おじい)さんの代から「山の家」と云

われていたので、「お山」と云い出したのであります。この「お山」の私の家に梶さんは午後六時頃

にやって来られたのであります。

 その日丁度午後六時から講演会が九段の軍人会館で始まっておったので私は留守であったのであり

ます。留守居の人が梶喜一郎さんに「先生はいま軍人会館へお出でになって御講演中であるからあ

そこへ行って聴きなきい」と言われましたので、梶さんは追っかけて行って九段の軍人会館へ行った

ら、もう軍人会館内は聴衆で一杯に充満しているのです。やっと後ろの方に一つ席があったので、そ

こへ掛けて聴いておられたのであります。その時は何事もなかったのであります。翌日、梶さんは私

の宅へ訪問して来られました。その時分は私の宅は三間ぶっ通しにして二十一畳位敷ける、そこに廊

下が二方に附いているので廊下共で三十畳位になりますが、そこに五、六十人の誌友が並んで私の話

を聴いておられた。そうすると私の坐るところがないのです。私は座敷の縁側の方へ押し出されてい

ましたが、縁側に坐り込んでは後ろの人に顔が見えないから、私は縁側の上に椅子を置いて腰掛けて

そうして皆さんの顔の見える位の高さになって話しておったのであります。その時、私の座から三番

目位のところに梶喜一郎さんがいらっしゃいました。私は縁側で腰掛けていたのですが、縁になっ

ている板の間と畳との間に敷居がある、その敷居の上には鴨居がある、その鴨居の上に釈迦の石仏の

写真が掛っていました。これは何でも支那事変のとき「大同の石仏」と云って日本軍が占領して石仏

を保護しているとか新聞に出ていましたあの「大同の石仏」の中で一番相(すがた)の良い釈迦牟尼仏像を、当

時、青山五丁目、その後吉祥寺に開業していらした写真師山本明さんが写真に撮って来られて其の原

版を持っていられた。この山本明さんが生長の家の誌友で、或る日「お山」にやって来られましたら、

私は家にはその頃壁間に、ラファエルのマドンナ像――キリストを抱いている絵とか、「黙示録」に

現われている太陽を頭に戴いて三日月を足で踏んでいる女神の像など西洋の基督教関係の名画の複製

が掲げてあったのであります。山本明さんが思われるのに「生長の家は万教帰一だのに、こんなにキ

リスト教関係の絵ばかり壁間に掲げて置いたら、生長の家はキリスト教の一派だと思って来訪者が誤

解すると可(い)かんから私が仏教関係の写真を持って来て調和させて上げましょう」と言って、先刻(さっき)言い

出しました大同の石仏の中で一番端麗(たんれい)な顔の釈迦牟尼仏像を引伸して持って来て下さった。――尤も

その現物の釈迦牟尼仏像は今はもう砕けてないのだそうですが――それを引伸して来られまして、額

にまで入れて、丁度私が腰掛ける椅子の前に当る鴨居の上に掛けて下さったのであります。
<つづく>


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