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Last Album

280 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:35:31 ID:cxCxhwjA0
私がいなくなったこの一軒家には、父と母、父方の祖母の三人が生活しています。
母方の祖父母もこの近くに住んでおり、私だけが領域外に飛び出したというような案配です。

父方の祖母は祖父が亡くなるまではここより遙か遠くの辺境にある、
ささやかながらも鯉の泳ぐ池があるような割合に良い家で暮らしていたのですが、
祖父が亡くなり、住居を管理するのも容易でなくなったためその家を引き払い、数年前にこの家に移り住みました。

母と諍いを起こすような場面もなく、関係は極めて良好でした。
昼下がりに二人揃って再放送の刑事ドラマを観ることが日々の楽しみであったようです。

私の部屋は二階にありました。
今もまだ、私の残していった漫画本や古いゲーム機がそのまま放置されていることでしょう。
部屋は私が一人で使うには十分な広さで、昔はよく友人たちを招いて遊んでいたものです。

……よく考えてみれば、部屋は些か広すぎたようにも思えます。
少年であるが故の身体事情のせいなのか、過去に誇大妄想を塗布しているのか……
つまり、子ども二人でも優に使えるほどのスペースだったのです。

281 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:38:14 ID:cxCxhwjA0
その時、私は絶叫していました。

叫んだ瞬間の記憶は無く、刹那の後に自分の叫び声に吃驚していました。
それは何に対しての叫びだったのでしょう……。

例えば、思い出したくもない忌々しい過去が奥底から次々に競り上がってくるとき、
思わず声を上げて拒絶したくなります。自作の拙い漫画や、詩歌のことなど……
しかしその時、私は何一つ思い出していなかったのです。それはまったく、虚無から発せられた叫びでした。

ただ、それは私にとって別に珍しいことではありません。
時々、身に迫る巨大な不幸の予兆に対してどうしようもなく緊迫した気持ちになることがあります。

その時も、過去が噴出する時と同様の叫喚を口にしたくなるのですが、よく考えると何のことはない、
その不幸には実態も、そもそも予兆さえ実在していなかったのです。

何かに対して怖ろしい、怖ろしい、逃げたい、いっそ消えてしまいたいと考える感情は、
実のところ一切が妄想であったりするのです。

だから今回もその類だと考えていました。でも、もしそれが何らかの意味を持つ叫びだったとすればどうでしょう。
今になってはその仮定にも若干ながら説得力を持たせることができます。

そう、例えばK君のこと……役者の夢を絶たれたK君に、心のどこかで優越感を抱いている、
馬鹿にしていること……。或いはN君のこと……発達障害を抱えているかのようなN君と縁を切って以降、
私自身が虐められることは殆どなくなりました。私自身、N君の同類であると見做されなくなったためでしょう。

そのため、N君と疎遠になれた結果に諸手をあげて喜んでいること……。
そういった過去の罪悪感に対して、私は人知れず叫んでいたのかもしれません。

しかし昨日、その場で叫び声がもたらした効果は、私に現状を認識させることでした。
揺らいでいた思考回路が観測を経た量子のように固定化し、次の一手を要求してきました。

282 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:41:20 ID:cxCxhwjA0
私は立ち上がり、ともかく母の携帯に連絡を入れてみようと思い立ったのです、
しかしもし既に通夜が始まっているとすれば、電話をしても迷惑なだけだと考え直し、
やはりどうしようもなくなって佇んでしまいました。

それもきっと、都合よく他人に理由を求めた逃避行動に過ぎなかったのです。
 
闇の中でどれだけかの時間が経ちました。
その無為な時間、私は初めて父について本格的に考え始めていました。

とはいえ、父に関して目立った思い出はありません。
幼少期から父は単身赴任で遠い地へ赴いており、顔を合わせる時が殆どなかったのです。
まだ赤ん坊であった私は、覗き込んできた父を見て泣き叫んだのだそうです。

時には映画館に連れて行ってもらったりもしたのですが、そんな時も私はどこか他人行儀であったように思います。
最近では出張も少なくなり、大体は実家にいるらしいのですが、今度は私のほうがいなくなってしまいました。

そんな父が亡くなるということがどういうことなのか……。
考えが袋小路に陥ってしまったとき、不意に背後の扉がガタリと開きました。
私は驚愕のあまり反射的に身体を前屈みに丸めました。

腹部に引き攣った痛みを覚えながら振り返ると、そこに母が立っていました。
母のほうはまるで驚いておらず、無様な格好の私を緘黙の如き表情で見詰めていました。

その時に感じた恐怖に似た心持ち……
まるで、私の見ていない時の母がプログラムとして動作しているのではないかという疑い……

上手く説明できる自信がありません。
ただ、私はその人物が母親であると認識してなお、暴漢と対峙するような警戒心を解けずにいたのです。
 
しかし母は、数度の瞬きの後にはいつもの母に戻っていました。

283 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:44:10 ID:cxCxhwjA0
J( 'ー`)し「ああ、帰ってたんやね」

と彼女は言い、私が応じる前に

J( 'ー`)し「はよ行こ、もうすぐ始まるんやから」

と促してきました。
そして、連れられるままに私は家を出て、母が呼んだらしい、さっきとは別のタクシーに乗り込みました。

(???)「もうみんな、行ってるん」

と私は尋ねました。もっと別に訊くべきことがあったでしょう。しかしその時は最良の質問だと思ったのです。
母は黙って頷きました。

(???)「何で母さんだけ戻ってきたん」

と続けると、

J( 'ー`)し「鍵閉めたか、不安になって」

と返ってきました。

(???)「それだけ」

J( 'ー`)し「そやよ」

母がそんなに用心深い性格だった覚えがないものですから、少々不審がったのですが、
母がそういう以上それを否定する必要もありません。

284 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:47:13 ID:cxCxhwjA0
車は順調に夜を滑っていきます。昔はなかった道路から国道に入り、駅とは逆の方向へ進んでいきます。
流れていく灯りをぼんやりと眺めていると、今度は母のほうから話しかけてきました。

J( 'ー`)し「あんた、大学はどうなん」

(???)「別に、何も変わりあれへんけど」

J( 'ー`)し「試験は」

(???)「もう終わったよ」

J( 'ー`)し「ほな、帰ってきたらええのに」

(???)「色々あるんや、サークルのこととか……それに、就活もせなあかんし」
 
就活、という言葉に母はやや大仰にも見える反応を示しました。
昨今のニュースで散々騒がれているため仕方ないことかもしれませんが、
それにしたってあまりにも深い溜息を吐いたのです。

J( 'ー`)し「そうか、就活な」

母は言いました。

J( 'ー`)し「ああ、ああ。あんたももう社会人なんやね」

言葉を探しながら、思考を垂れ流しているような具合。

285 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:50:14 ID:cxCxhwjA0
J( 'ー`)し「ふん、ふん。そうやな、もうそんなんも考えていかなあかんもんな」

私はちょっと笑って

(???)「何が言いたいんな」

と言いました。

(???)「心配してるんやったら、大丈夫やで。たぶんな」
 
母は不安のような色に染まった声で更に続けました。

J( 'ー`)し「せやな……あんた、今まで殆ど親に心配かけたことなかったもんな」

(???)「そんなことないよ」

J( 'ー`)し「そやよ、浪人もせんかったし、成績も、まあええ方やった。一人暮らしも、ちゃんとやってるみたいやしな」

そこでちょっと区切りを入れてから、母は白い息と共に呟きました。

J( 'ー`)し「ほんま、阿呆な親から生まれたとは考えられへんわ」
 
母とは……絶対的な肯定者なのかもしれません。
確かに、私は周りが敷設したレールから外れたことは殆どありませんでした。
しかしそのことが今や、自分に罪悪感をももたらしているのです。

周囲が見るほど、私は中身を伴った人物ではありません。
それなのに頂ける賞賛が、どうにも哀しく感じられます。人間とはいずれそのようなものなのでしょう。
それに対する私の飽き足らなさは、所詮幼い自意識過剰によるものなのです。

286 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:54:34 ID:cxCxhwjA0
……と、ここまでは私も普段通り、自己保身じみたペシミズムで母の言葉を聞いていられました。
疑わしさを覚えたのはここからです。母はふと、

J( 'ー`)し「あんた、昔のこと憶えてるか」

と言いました。

(???)「昔って、どれぐらい」

J( 'ー`)し「小学校の、三年生ぐらいかな」

(???)「あんまり憶えてないけど、どうして」

幾らかの沈黙があって、母は答えました。

J( 'ー`)し「N君っておったやろ」

私は驚きを隠せずにいました。
他人の口から再度N君の言葉が出てくるなどという事態を想定していなかったのです。

(???)「憶えてる、憶えてるよ……N君が、どうしたん」

J( 'ー`)し「亡くなったんやって」

287 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 22:57:13 ID:cxCxhwjA0
私は思わず眉を顰めました。それは父の訃報を確信した時よりも遥かに現実離れした感覚で、
私はただ餌を待つ鯉のような面持ちで母親の次の言葉を待ちました。その間、何も考えられずにいたのです。

J( 'ー`)し「交通事故に遭ったみたいでな、近所の人に聞いたんやけど……。
      何かの拍子に車道へ飛び出したところを、トラックに轢かれたんやて」

(???)「……そうなんや」

J( 'ー`)し「一応事故、言うことになってるけど、もしかしたら自殺かもしれへんねんて」
 
その時、私は妙な解放感を覚えたのです。
それはこれ以上N君に関して考える意味を失った故のものだったのでしょう。

しかし、通夜に向かうタクシーの中で何故母がその話を持ち出したのか、理解に苦しむところです。
母の語り口は終いになったらしく、私の反応が待たれていました。
適切な言葉も見つからないまま、私は

(???)「そう」

と頷きました。

(???)「そうなんや……まだ若いのにな」

288 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:00:14 ID:cxCxhwjA0
すると母は言いました。

J( 'ー`)し「そやよ、あんたより一つ年下やのに」

(???)「ええ、違うよ。同い年や」

私が否定すると、母は声高に反論するのではなく、むしろきょとんとした顔つきで声を潜めました。

J( 'ー`)し「何言うてんの、あんた。N君は、あんたより後に生まれた子やないの」
 
しかし私の方も常識に自信がありましたので、笑い飛ばす形で

(???)「違うよ、同い年やよ。ほんま、ボケてるんとちゃうの」

と言いました。その時の母の表情はうかがい知れません。
丁度街灯のない道に入って、母の顔はポッカリと空いた黒い穴のように見えました。
やがて穴の中から「そうか」という声が聞こえました。

J( 'ー`)し「そうか、そやったな。確かに、同い年や」

289 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:03:36 ID:cxCxhwjA0
その時には気にならなかったのですが、その声色には気圧されたために仕方なく、
といった色合いが含まれていたのかもしれません。でもその時は

(???)「そうやて、そうやないと、友達になることもあらへんかったやろうし」

と勝利宣言のような言葉を吐いたのでした。
 
車は十数分で目的地に着きました。
そこは極めて典型的な葬儀場であるらしく、喪服に身を包んだ何人かが足繁く出入りしていました。
私は母に数珠を受け取り、タクシーを下りるとやや急ぎ足で中に入りました。

J( 'ー`)し「こっちやから」

という母の案内に従い、ロビーを横切って真っ直ぐ進み、やがて見えたホールに入りました。
入り口に受付として立っていたのは中年の男性で、見覚えがあるような気もしましたが、
誰なのかまでは思い出せませんでした。

その人がこちらに向かい、微笑んでお辞儀をしたので、私も慌てて頭を下げました。

290 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:07:52 ID:cxCxhwjA0
ホールはさほど大きくなく、既に二、三十人程が着席していました。
どこに座ればいいのかも分からず、いつの間にかいなくなっていた母の姿を探し求めました。
すると祭壇のすぐ近く……恐らくは親族席と呼ばれる場所に、父が座っていたのです。

ああ、父がいる、と思いました。
それからようやく驚きました。例えでは無く、風景がぐにゃりと歪んだような気がしました。
その時の衝撃は、常識の崩壊と言っても差し支えないでしょう。

父は沈痛な面持ち、つまりは通夜に参列する遺族として当然の表情でパイプ椅子に座っていました。
医者に糖尿病を指摘された肥満体も白髪の交じり具合も、父以外の何者でもありませんでした。
 
しかしその問題に理論的な説明をつける前に、更なる衝撃が私を襲ったのです。
父の存在に落ち着きを失った私の眼は滑稽なほどに泳ぎました。彷徨った視線は一瞬祭壇に固定されました。
種々の、名前も分からぬ花々と焼香用具、そして一番高い場所に遺影のための額縁がありました。

遺影に写っているのは誰でもありませんでした。
無論、N君でもありません。それどころか、それはまったくの白紙だったのです。

291 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:10:43 ID:cxCxhwjA0
私はただただ呆然と佇みました(それが正常な反応のはずです)。
何かの手違いかとも思いましたが、こんなにも分かりやすいミスを放置しておくわけがありません。
事実として、そこにあるのは空白の遺影で在り、写っているべき故人が存在していなかったのです。
 
……いっそ、その時私は大声で糾弾すべきだったのでしょう。
そうすればそこで不条理の鎖が断ち切られたのかも知れません。それに近いことをしようとはしました。
先ほど存在を確認したばかりの父に、この、あってはならない間違いを報告しようとしたのです。

しかし私が親族席に足を向けようとした直後に葬儀場の職員らしい司会者が通夜の始まりを告げました。
 
たったそれだけで私の正義感は挫けました。
私は慌てて着席しようとし、出来るだけ目立たぬよう右側の最後列に腰を下ろしました。
そして独り、心の中で呟き続けたのです。おかしい、何かがおかしいと。

それを告発するわけでもなく、ただただ自分の内部で処理しようと必死だったのです。
もしかしたら、そうやって自身の内側に溜め込んでいったのが良くなかったのかも知れません。
 
僧侶が入場し、読経が始まりました。
その場にいる全員が、何の疑問も持たずに現状を受け入れているようでした。
そんな周囲に何とか溶け込もうとし、まるでそれを疑いの捌け口にするかのように数珠を強く握りしめました。

何度見直しても遺影は空白のままでした。
祭壇の前にはシンプルな棺が置かれていましたが、もしそこに何かが納められているとして、
その存在とは何者だったのでしょう。私以外の参列者達は、一体何者の死を弔っていたのでしょうか。

292 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:13:22 ID:cxCxhwjA0
やがて司会者の指示で焼香が始まりました。
先ず父が席を立ったため、今回の葬儀の喪主が父であると言うことが分かりました。
そのため、父方の祖母が亡くなった可能性を探ったのですが、よく見渡せば最前列に祖母は座っていました。

このときようやく、自分が座っているのが親族側の席だと悟って安堵したのですが、
そのような落ち着きは些少なものに過ぎません。
私の親戚であるらしい人々が次々と立って焼香を済ませていきます。

その顔を順々に見比べてみても、一体誰が誰なのかまるで分かりませんでした。
そもそも私の家族は親戚付き合いの薄い方であり、母方には親族自体が殆どおらず父方の親族には、
母曰く父が不精者であるがために数年に一度の年末年始に、帰郷するぐらいの交わりでした。

そのため、今目の前にいる親族は恐らく父方の誰かなのでしょうが、一人として認識できないのです。
それがどうにも恥ずかしく感じられ、私はじっと俯くことにしました。
 
それでもその内私も焼香しなければなりません。前列の人が席を立ち始めたのを見計らい、私は顔を上げました。
ちょうど、私と同い年ぐらいの若い男性が手を合わせているところでした。
彼は幾分長めに拝んでから振り返り、こちらへ戻ってきました。

中肉中背のその男性は、私を見つけると足を止めました。そして、少し首を傾げてこちらを見つめてきたのです。
喜怒哀楽のいずれにも彩られていない、木乃伊のような表情。
特徴的な三白眼には憶えがあるような気もしましたが、やはり思い出せませんでした。

時間にすれば数秒にも満たなかったでしょう、男性は頻りに首を捻らせながら席に戻りました。

293 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:16:37 ID:cxCxhwjA0
私が立ち上がると同時、左側の……友人、知人が座ると思しき席の先頭にいた男性も立ち上がったので、
私は小走りをしながら「すいません」と小さく言い、その人の前に割り込みました。
儀礼的に焼香を上げ、合掌……しかし、一体何を想えば良かったのでしょう。

目の前の死者は見ず知らずの他人であるどころか、そもそも存在すら怪しい者だったのです。
そう言えば、司会者でさえ故人の名前を一度として口にしていませんでした。
踵を返す際、ちらと父を見ると、彼はすっと私から視線を外しました。

それまでずっと、私を眺めていたようなのです。その態度は癪に障ると言うよりも甚だ不気味でした。
一体父が何を考えていたのか、いや、参列者全員が何を考えていたのか……。
 
その後も滞りなく焼香が進み、それが済むとやがて読経も終わりました。
司会者が前に立ち、弔問客への感謝の言葉を述べていました。
そしてその後、喪主である父から挨拶があるというような旨を口にしたのです。
 
私はここで何らかの情報が得られるのを期待しました。父はきっと故人に対する思いを述べるでしょうし、
その際亡くなった人が誰であるか、そして何故遺影が空白であるのかなどを解明できるはずでした。

そしてそこで一切が解決されてしまえば、
最早私は少しの疎外感も抱かずにこの葬儀に加わることが出来たのです。
 
しかし、父は私の望みを当たり前のようにして裏切りました。
記憶している限り、父の挨拶は司会者が行ったような弔問客への感謝に終始し、
この後に通夜振る舞いがあるので参列者の皆様はそちらの方にもご参加下さい、というような案内をしただけでした。

294 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:19:33 ID:cxCxhwjA0
そして通夜は終了しました。何一つ疑問が解消されないまま、
しかしそれらを疑問に感じていたのは自分だけだったのでしょう、参列者は次々にホールを退出していきました。

流石に我慢の限界だった私は、司会者の男性と何か話し込んでいる父の傍に寄りました。
隣に立って見ても、父は父のままでした。父は死者でなく、生者なのでした。
そんな当たり前の事でさえ、その時十分に理解出来ていた気がしません。
 
話を終えて振り向いた父は、私の姿に少々面食らっていたようです。
そして父の癖である、好意とも嫌悪とも取れない苦笑を浮べました。

しかしそんな父の反応を気にしている暇は無く、私は「ねえ、父さん」と、祭壇と父を見比べながら言葉を探しました。
そしてようやくまとまりのついたところで、父に

( ´∀`)「お前、そのネクタイどないしたんや」

と言われてしまったのです。

295 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:22:13 ID:cxCxhwjA0
その時初めて私は、自分の締めているネクタイが葬儀の席には相応しくない色味を帯びていることに気付きました。
就活用に買いそろえたものですから当然の話です。
それでも、他人に指摘されると必要以上に屈辱的であるように感じました。

私が黙り込むと父は皮肉っぽく笑い、

( ´∀`)「しっかりせえよ、お前ももうすぐ社会人やねんから」

と言いました。完全に出鼻を挫かれた私が小さく頷くと、
父は近くに待機していた参列者と話すためにさっさと離れていきました。
 
手持ち無沙汰になった私は再び遺影を見遣りました。
相変わらずの空白……しかしこの時、私はある程度合理的な理由をもって説明してみようと試みていました。
即ち、故人が自分の写真を一枚も所持していなかった可能性が考えられたのです。

そんなことが実際にあり得るのかどうかはともかく、またそんな状態で額縁だけを飾る不自然さも関係なしに、
私にとってはそれが説明できる事態であると判ぜられたのが大きな救いでした。

その説明を誰かにするわけでもありませんから合理性など二の次で構わず、
自らのざわついた心境に平静を取り戻すことが最優先だったのです。
そして一旦そう考えてしまえば全てに納得出来た気分になれました。

その時、私は祭壇前の棺には当然、
一度も写真を撮らなかった同情すべき誰かしらの遺体が納められていると信じて疑わなかったのです。

296 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:25:09 ID:cxCxhwjA0
真相を手に入れた思いの私は躁病的な気分を味わいながら、
ホールを出て通夜振る舞いが行われるという和室に向かいました。

そこにはすでに十数人が集まっており、それぞれがやがやと世間話に花を咲かせていました。
ホールでの粛々とした雰囲気からは打って変わって賑々しい空気です。

それだけで私は何だか嬉しくなれたのですが、
その場には私の知り合いが一人もいないことに気付いてほんの少し落ち込みました。

しかしその落胆も、テーブルに並べられた簡素な食事を見て今朝から何も食べていない空腹を思い出すと、
すっかり雲散霧消したのです。
 
そこかしこの会話の邪魔にならぬよう、私は出来るだけ隅に座りました。
何人かが私に視線を向けましたが、大して気にされずそれぞれの話題に戻っていきました。

やがて父が入ってきて、改めて感謝の言葉と歓談の合図が出ると、
ようやく私は目の前の食事にありつけたのでした。
 
この時が、直近の最も幸福な時間であったことは紛れもない事実です。
喧噪から乖離した独りの空間でひたすらに食欲を満たすことが、
これほどまでに愉悦であるとは思っていませんでした。

私自身、精神的に昂揚していたせいもあるのでしょう、
何を食べても美味いと思える体験はもう二度と訪れないはずです。

297 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:28:14 ID:cxCxhwjA0
しかし、私の喜びは潰されて然るべきであるようなのです。
そうやって食べ進め、充足感に浸っているとき、不意に真横で気配を感じました。
何の気なしに首を向けると、件の三白眼の男がこちらをじっと見ていたのです。

私はぎょっとして手を止めました。
周りの賑わいがぼやけて遠のき、その男だけが妙に浮き出てくっきりと見えました。
男はしばらく、相変わらず恍けたような双眸で私と相対していました。

ただそうしているだけで、噎せ返るような息苦しさを覚え私は我慢できずに自ら話しかけることにしました。
まず「何」と言い、そこで内臓から込み上げてきた塊のようなものを嚥下させて、
「僕に何か用ですか」と独りごちるように言ったのです。

すると男は言いました。

( ∵)「分からん」

首を傾げ、だらしない口元、声変わりに失敗したかのようなノイズじみた声……。

( ∵)「何も分からんねん」

それを聞いて私が漏らした吐息は、まるで刑の宣告を受けた囚人のようでした。
しかし合致する鍵を見つけた記憶の引き出しを完全に開ききる前に、
男は矢継ぎ早に奇妙な台詞を送り込んできました。

298 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:31:20 ID:cxCxhwjA0
( ∵)「久しぶりやな……ロックマン、またしよな。そやけど、ごめんな。もう僕ら友達やないよな。
    あんなことして……あのな、確かに僕、あの時は頭がおかしかってん。
    始終色んなところが痒かって……昔おったやろ、ありんこ。あれ、よう二人で虫眼鏡使て焼き殺してたよな。

    動かへんように、手足をもいでからな……。
    多分な、あの時殺したアリが幽霊なって頭の中這い回ってたんと思うんや。

    弟には悪いことしたなあ、けど、あの時君も止めへんかったやろ。
    そやから僕、苦しがってるのに遠慮もせず……でも、違う。僕は君に責任を押しつけに来たわけやない。
 
    けどな、しんどうて……分からん、何も分からんねん。
    今日また会えて嬉しいよ。もうでも、会うことも無いんやろうな……」
 
ガタン、と激しい衝突音が頭の中で響きました。記憶の引き出しを無理矢理押し戻した音です。
目の前の男が苦しげに告白する過去を、そして男そのものを受容するにはあらゆるものが足りていませんでした。
正直なところ、その時点で私は彼を狂人だと断じていたのです。話している間も男は無表情のままでした。

そして語り終えると立ち上がり、そそくさと部屋を出て行ってしまったのです。

299 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:34:06 ID:cxCxhwjA0
私には追いかける気力もなく、ただ呆けていました。
男の声は幾度も頭蓋の壁にぶつかって反響していましたが、いくら経っても全く飲み込めませんでした。
引き出しがカタカタと震えているのを押さえながら、私は思考を空白にする作業に追われていました。

それは逼迫した自己承認のようなもので、
つまり男の言葉を全て妄言として片付けるための消極的手段だったのです。
 
眼球が自ずから動き、その視界に母の姿を捉えました。母はいつの間にか私の傍に正座していたのです。
私は皮肉っぽい笑いを浮べながらその表情に視線を固定しました。
言うまでもなく、私は母が加勢してくれるものだと信じていました。

だから最初、母の沈痛の極みに至ったような面持ちに気付かなくても仕方なかったはずです。

J( 'ー`)し「気にせんでええんやからね」

噛みしめるように、自分に言い聞かせるようにして母は言ったのです。

J( 'ー`)し「気にせんでええんよ、あんたは、何も悪くないんやから」

しかしそれは、私の私自身に対する疑いをより加速させました。

300 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:37:18 ID:cxCxhwjA0
信頼とは、相互的に結ばれるものです。
それを得るには勿論相手の振る舞いに真実味や説得力があらねばならないのですが、それともう一つ、
信頼の糸の片方を握る自分自身にも真実性が求められるのではないでしょうか。

そして自身の真実性というものは、殊の外容易に崩落するものであるらしいのです。

例えば相手側が予想外に巨大な存在であったとき、
或いは自分の存在があまりにも矮小であると認識させられたときに、
自らを律している常識や習慣は途端にその実態を失います。

そしてそれは、結果的に信頼関係の瓦解を生み出してしまうのです。
 
私自身の真実味は、その両方によって形をなくしました。
男の語った台詞は決して彼一人の説得力を構築しているわけではなく、それを凌駕する存在……
現実、というような抽象的な観念の足場にさえ影響を及ぼしているのです。

そしてそれと相対する私は、
何者にも擁護されないただただ脆弱な小動物的常識を持ち合わせているだけに過ぎませんでした。
 
そうすると、先ほどとは真逆の心情変化が起こります。
私は状況を合理化して認識しようとするのではなく、むしろ率先して事態を不合理的に理解しようとしました。
三白眼の男がN君であるという可能性……しかしN君は母の言に因れば既に亡くなっています。

そして彼が示唆した私の「弟」という存在。私は今日まで一人っ子であると確信して生きてきました。
しかし不合理的に解釈すれば、私には弟がいたということになります。
あまつさえ、その弟はN君によって何らかの暴虐を受けたらしいのです。

301 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:40:11 ID:cxCxhwjA0
躁から鬱への揺り戻しが思いの外早く訪れていたのかも知れません。

その時の私は今でさえ考えられないほど気が滅入っていました。
その証拠に、私は顔を上げてその場に弟がいないか探し求めたのです。
当然、それらしき人物は見当たりませんでした。

しかし私の思考はどうしようもなく不合理化していたわけで、
ですから現在の私がこんな事になってしまっているんですけれども、
ともかく信頼を築いてきた現実の失踪がこれほど悲壮であるとは思いませんでした。

何せ、私の周りには現実以外何もなかったのですから。
そしてそれに依拠していた私自身の真実味も、次第にネガティヴな妄想に上書きされて影を潜めていったのです。

虚妄は時として事実さえ殺してしまいます。
私が私以外の何者でもない以上、即ち私が自分自身の精神と共に歩んでいる限り、
それはどうしようもない運命なのです。

あれほど旺盛だった食欲は一片も残らず喪失し、食べ物を見ることにすら生理的嫌悪を催しました。
気付けば、私の傍に居たはずの母がいなくなっていました。
そう言えば、母は通夜の間どこにいたのでしょうか。父の傍にも、弔問客の中にも居なかったはずです。

考えるよりも先に嘔吐の衝動が全身に染み渡りました。
周りが自分に注目していないか確認するために眼だけキョトキョトと動かしながら立ち上がりトイレに向かいました。

そして便器に跪いて上半身を蠕動させても、出てくるのは恨み言のような呻きと唾液ばかり。
どうやら吐瀉物など存在しないらしく、吐き気のみが私の臓腑を蹂躙しているようでした。
全部吐いてしまい、楽になることも私には許されないらしいのです。

302 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:43:26 ID:cxCxhwjA0
和室に戻ると、世話役を担っているらしい男性が解散の言葉を述べていました。
私は気取られぬよう後ろ側からこっそりと入り、男の姿を探しましたが、彼はもうどこにもいませんでした。
私は縮こまって座り込み、N君が三白眼であったかを思い出そうとしました。

ですが脳裏に浮かぶ幼いN君は曖昧な絵の具で彩られており、細部までは見分けきれません。
結局彼をN君と同定する証拠は「分からん、何も分からんねん」という台詞ただそれだけなのでした。
しかしそれでも、彼がN君であるという確信は最早如何様にも揺るがぬものになっていました。

そう思い込まねば、今度こそ一切の現実が知れなくなってしまうような気がしたのです。
私の心情は幼児のそれに近く、構われたくて必死に相手に迎合しようと努めていたのでした。

他方で記憶の風景は過去に遡上し、N君との思い出をパノラマ式に映し出そうとしていました。
まだ私が室内でのみ遊び続ける才覚を両親に与えられていなかった頃、
N君を含めた陰気な友人達と見よう見まねで外遊びに興じることがよくありました。

大抵は日なたにいるようなクラスメイトの遊びを適当に複製して遊ぶのですが、
中でも一番夢中になったのが小学校の校内全体を使った鬼ごっこでした。

303 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:46:08 ID:cxCxhwjA0
私達の通っていた小学校には校舎が二つあり、
松の並木や雑木林など自然も充実していましたから隠れる場所は山ほどありました。
振り返ってみると異常であると思えるほどに、私達は一時期大いに熱中しました。

その遊びはある時を境に唐突に途絶えました。
それが一体何故だったか……きっと、誰からともなく飽きたのでしょう。しかし他の可能性があるとすれば……。

一度だけ、誰かがルールを破って校外に逃げたことがありました。それにどうやって気付いたのか分かりません。
もしかしたら私自身も規則破りの一員だったのでしょうか。

ともかくそうして、昼休みの最中に、興奮した子ども達は校門を乗り越えて解放されたのです。
それだけで、隠れ場所の選択肢は無限に広がりました。

しかしながらあまりにも小学校から離れるのは怖かったので、
せいぜい近辺をほっつき歩いていた程度だったはずです。

確か私は、自分の通学路をうろうろしていたように思います。
普段利用する道なら安全であると信じ込んでいたからでしょう。

その道には昼頃、タクシーで通りかかりました。
様変わりした風景……今ほど背丈も知識もなかった当時の自分には、
もっと巨大で広々とした世界に見えていたでしょう。

304 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:49:15 ID:cxCxhwjA0
小学校の傍にはフェンスで区切られた一画がありました。
よくそこに出入りしていました。何故出入りしていたのでしょう。

そう、そうです。そこには、こじんまりした池がありました。
立ち入りは禁止されていましたが、私も含めて子ども達がよくフェンスを乗り越え、
中でザリガニなどの水棲動物を捕っていました。

タクシーの中でどうしても思い出せなかった風景はそれだったのです。
深緑に濁った池は今や影も形もなく、その跡地には素知らぬ顔をした住宅が建っていたのでした。

鬼の手から逃れるため、幼い私は池に侵入しました。なぜそのような暴挙に及んだのでしょう。
確か、池の方から物音が聞こえていたのです。当時から誰よりも怖がりだった私でしたが、
まさか昼下がりからお化けなど出ないだろうと独り合点して突き進んでしまったわけです。

しかし実際にそこで繰り広げられていたのはお化けよりも遙かに残酷な光景でした。

池と言っても一周五十メートル程度で然程深くもない、大きな水たまり程度のものです。
全景を見渡すのは難しくありませんでした。
私が息せき切って池に辿り着くと、ちょうど真正面の水際にN君が身をこごめているのが見えました。

305 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:52:48 ID:cxCxhwjA0
無論N君は同じ鬼から逃げる仲間でしたから、
私は規則破りの同志として密やかににやつきながら彼に近づきました。

数歩前まで迫ったとき、N君が右腕で何かを掴んでいるのが分かりました。
その真っ黒い球形の塊が人の頭だと気付くまでに数秒かかりました。私は恐怖以前に唖然として立ち止まりました。

それに気付いたN君は事も無げに私のほうへ振り向きました。
頭は耳から前が水に浸っており、もう少しも動いていませんでした。
私が発見した際には、殺人は既に完了していたのです。

(●●●)「ごめんな」

とN君が言った気がします。

(●●●)「鬱陶しかってん」

とも言った気がします。
はっきりはしませんが、まだ私は彼の掴んでいる頭が弟のものだと気付いていませんでした。

人を殺す重要性について九歳の私が承知していたとも考えられないのですが、
N君の行為がテストで0点を取る以上にとんでもないことであるのには薄々感づいていました。
だから僕は「あかんで」と言ったはずです。「あかんでN、そんなことしたら……」

N君は未だ現実に帰ってきていない顔でずずっと掴んでいるものを引き上げました。
独特の生臭さが鼻腔に広がり、私は思わず瞬きました。

そして直後、何かの拍子でその物体が自分の弟であることを深く認識したのです。
私は何かに押し出されたようにして駆け寄りましたが、それ以上何をすればいいのか全く分かりませんでした。

するとN君は他人に目の前の状況を押し付けるようにして弟の顎を持ち、
ぐいと首をねじらせてその顔を私に直面させたのです。
その顔面には目鼻がなく、代わりに一輪の紅い花が咲いていました。

306 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:55:20 ID:cxCxhwjA0
そこで頭上から「何してんねん」という野太い声が降ってきました。
顔を上げると、父が心底意味が分からないといった顔で私を見下ろしていました。
いつの間にか、その場には私と父しかいなくなっていました。

( ´∀`)「聴いてたか、話」

その言葉に漠然と首を振ると、父は私の頭を軽く叩きました。

( ´∀`)「ちゃんと聴いとけよ、いつもいつもぼーっとしやがって」

叱咤というよりは苦笑の響き。

( ´∀`)「今日、俺らはここに泊まるからな。お前もさっさと、控室に行け」

別に何を考えているわけでもなかったのですが、父の言葉に集中できませんでした。
ただ呆けて父のやや草臥れた顔を見ていると「どないしてん」と問われたので反射的に立ち上がりました。

(???)「いや、別に、大丈夫」

( ´∀`)「まだネクタイのこと、気にしてんのか」

(???)「ああ、そうだった……」

( ´∀`)「予備のやつ持ってきてたはずやから、荷物の中見てこい」

(???)「うん、そうするよ」

307 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/08(水) 23:59:13 ID:cxCxhwjA0
正直なところネクタイのことなど完全に頭から飛んでいたのですが、
私は父の言葉に従って素直に部屋を出ようとしました。その時私はふと「そう言えば」と声を出しました。

(???)「母さん、どこにいるかな」

口に出してから、その問いが核心的であることに気付きました。
無意識的に真相への接触を試みたらしいのですが、その時は後悔しました。

そういった発言が空気の読めないものに思われ、全体から見れば余計なものなのだという、
誰に対してでもない怖気があったのです。

しかし利己的に考えればその質問が極めて効果的であったことは間違いありません。
それなのに、私は何と愚かなのでしょうか。父は確かに無視せず答えをくれました。
その回答を、今どうしても思い出すことが出来ないのです。
 
所々にある案内図を見ながら控室に向かう途中、私は先ほど湧き出た記憶の整理に明け暮れていました。
芋づる式に引き出された記憶は、後で見直すと凄惨な事実を含んでいる場合があります。
その時がまさにそうで、発掘に熱中して自分がどのような過去を取り出してしまったのかも自覚していませんでした。

それを後から順々に精査していき、ああ思い出さねば楽であっただろうにと、
お決まりの悔恨に駆られて見せるのです。

しかし何より怖ろしいのは、そうやって掘り起こされた記憶に、
実のところ本当の出来事が一つとして含有されていない可能性が多分にあると言うことです。

自分を痛めつけてまで持ち帰ってきたと思い込んでいる印象の、何もかもが無意識的な創作である……
そんな疑惑を、今の私にはどうしても捨てきれないのです。

308 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:02:17 ID:ft4TltCY0
そもそも今の回想が事実であったとしても、
先ほど三白眼の男が言った「あの時君も止めへんかったやろ」という言葉に矛盾します。
私には止める機会さえなかったのですから。

加えて、比喩でもないのに弟の顔面が花弁に変わっていることなど有り得ません。
そのため仮に私に弟がいて、その弟が夭折したというのが真実であったとしても、
そこまで私を導いた男の証言や引き出された自分の記憶に符合するわけではないのです。

何が本当で何が嘘か分からない……そしてその錯雑を自分自身の内側で処理している場合、
真偽の決定権すら己の手に握らされてしまっているのです。
当然、私には弟がいない、だから死んでいないと結論づけることも可能でしょう。

しかしそれをするにはどうにも罪悪感がまとわりつくのです。
虚構の存在さえ否定してはならないという思い……結局、それだって私益のために過ぎません。
私たちは、マッチポンプ式にどこまでも不幸になれます。

普通はそれを誰かに手を差し伸べさせるために公開するのですが、
過去を不当に解釈してまで自分を追い詰めていく自慰行為は、秘められているが故の快楽を喚起してくれます。
そうなれば、それは最早破滅願望と同一であると言えるでしょう。

しかし、破滅願望には主役の存在が必要不可欠なのではないでしょうか。
崩落していく舞台で最後まで踊り続ける自分がいるからこそ、
願望はそれに沿った物語の体を成して充足するのです。

309 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:07:53 ID:ft4TltCY0
しかしここには主役が不在です。在るのは、現実との契約を解消された自分ばかり……。
私が確固たる私でないために、舞台は相応の価値を持って崩れられないのです。

だから今の私が抱いている不幸への憧憬は、手首に刃物で線を引く高校生のようなものでしかありません。
軽率といってかまわないでしょう。ただしその感情は、軽率であり、普遍でもあるのです。
多数決の論理として、その憧憬を抱いたところで真の自殺志願者に責任を感じる必要はないでしょう。

ですが、死にたいけど本当には死にたくないという開き直りの理屈が、
どうやら今の私には許されていないらしいのです。

私が知覚できるこの世界においては、何をするにも現実の後ろ盾が必要だからで、
例えば弟への罪意識や母親、N君そのものの存在性の真贋さえ客観的に見出せない不条理の下で、
一体誰が私に実在を進呈してくれるのでしょう。そしてそれを告発する術さえ、悉く潰えてしまっているのです。

310 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:14:05 ID:ft4TltCY0
控室として通された小さな部屋で、ずっとその事について考えていました。
宿泊といっても斎場の設備は最低限のものだけで入浴などは出来ず、
ただ貸布団が用意されているだけといった具合でした。

私は上着とネクタイを脱いでハンガーに引っ掛け、畳に寝そべりました。
強い吐き気は感じませんでしたが、ただ猛烈に気だるく、用意されていた布団を敷くのも億劫でした。

心の中で現状に対して諦観を抱きつつも、一方では未だ事態を誠実に解明しようともしていました。
あまりにも複雑に絡み合った記憶のコード。どれを引っ張っても正解に辿り着ける気がしません。
ですが本当の意味で私に欠落していたのは真実よりも決断力だったのです。

客体的な正解が存在していないのであれば、せめて主体的な正解を自分だけで決めてしまえばよかった。
それさえ出来ず、私はなおも信頼の保証された解を見つけ出そうとしていたのです。
しかし、自分さえ信じられない者がどうして他者を信用出来ましょう。

途端に想像が幻視を映しました。見ていても意味の無い風景に飽いたらしく、
そこに広がったのは大学近くの駅前にあるショッピングモールの場面でした。
私は休憩用のベンチに座り、片腕に衣服の詰められた紙袋を抱えていました。

もう片方の腕で携帯を操作し、どうやら今夜の食事処を決めあぐねているようです。
服飾にあまり興味を持てない私は、
彼女の服選びに付き合っていながらやがて疲れて一人休憩しているらしいのでした。

そのうち、立ち並ぶ洋服店の一つから恋人が出てきて私を連れ込み、どれが似合うかと問うてきました。
私がその中で一番好みの服を選ぶと、彼女はちょっと悩んでみせた上でそれをレジに持って行きました。

311 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:17:13 ID:ft4TltCY0
……何と紋切型で、語るべくも無い風景でしょう。それでも、目の前の世界よりはましだったようです。
幻視は長々と続きました。それは全て恋人に関連した景色で、しかも新鮮味の無い、
良くいえば穏やかな光景ばかりが映されたのです。

しかしそのために、私はそれらの光景が実際に自身の体験した昔日であるかどうかを判別出来ずにいました。
それらが当たり前のように日常に組み込まれていたようで、そうではなかったような気もするのです。
私のような人間を慕ってくれた恋人……何の取り柄も無い下らない人間に、彼女として属してくれた恋人……。

そうやって自虐することが彼女に対する重大な背反であることは重々承知していたつもりです。
しかし、止まりませんでした。遂には、私自身に恋人が存在していたという可能性さえ、
虚ろであるような疑惑が膨れてきたのです。
 
誰かが私をシャットダウンしてくれることを切に願いました。
このまま考え続けていると頭がおかしくなりそうでしたし、実際おかしくなってしまったのです。

その時はまだ間に合うと思っていました。
ですが本当のところ、最初に母からの電話を取った時点で私の末路は決定付けられていたのです。
それは誰のせいでもありません。全て、何一つ積み重ねてこなかった自分の存在の不確かさが悪いのです。

312名も無きAAのようです:2014/10/09(木) 00:22:51 ID:b77nQ8rE0
支援

313 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:27:39 ID:ft4TltCY0
意識が遮断されることは無かったはずですが、認識が形而上に大きく偏っていたことは確かです。

気付けば私は貸布団の中にいました。既に消灯されており、時刻も分かりません。
携帯の在り処を探りましたが、何処かに放り出してしまったのか手に届きませんでした。
一体どこからが夢だったのでしょう。むしろここはまだ空洞の半ばでしょうか。

目を見開いて虚実を確かめようにも、見えるのは真っ黒な天井ばかりです。
空中に手を伸ばすと、ひょいと悪夢の尻尾に指が触れました。慌ててそれを追いやり、浅く息をつきました。
 
その時初めて父のものと思しき鼾が聞こえました。

その堅固な存在感に安堵する一方、私は発作的に母の気配を確かめようとしました。
しかし必要な空気は鼾にかき消され、闇に慣れ始めた眼で母の姿を求めましたが、
それでも見つけられませんでした。

しかし隣に空の布団が敷いてあり、母はトイレにでも立っているのだと自分に言い聞かせることが出来ました。
 
そのままもう一度寝こけてしまえばよかったのです。
しかし悪夢の中で夢を見ることは叶わないらしく、私はいつまでも薄い闇の中に留まり続けていました。
そして、母は一向に帰ってきませんでした。いずれ帰ってくると確信するのは不可能でした。

むしろ、母を捜しにいかねばならないという義務感めいたものが次第次第に重圧となって圧し掛かってきたのです。
私の行動によって母の存在確率が変動するわけがありません。

しかしあくまでも個人的な問題として、
今自分が捜しに行かなければ母が死んでしまうというような酷く極端な動機が、
揺るがぬ信条となって競りあがったのです。

314 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:30:58 ID:ft4TltCY0
私は半身を起こし、ちょっと停止してから立ち上がりました。
そして父を踏まぬよう細心の注意を払いながら控室の外に出てしまったのです。
 
遥か彼方に薄ぼんやりとした電灯が見えました。
足元も覚束ないほどの暗黒には空間的広がりが感じられず、しかし進まなければならないという思いに虐げられ、
私はより醜く顔を歪ませながら一歩一歩前進しました。

シンプルな構造であるはずの斎場が迷宮に見え、もう二度と帰れないのではないかという恐怖が湧きました。
 
どこまで歩いたかも分からない地点で、「母さん」と自分にしか聞こえない程度の小さな声で暗闇に呼びかけました。
答えが返ってくるはずもありません。その場で何もかもを諦め、
地団太を踏んで泣き叫びたくなるのを何とか抑えて先に先に進みました。

とどのつまり、全部定められた道筋通りだったのでしょう。
普通に考えて、宿泊できる斎場がこうも暗いわけがないのです。
しかし例によってその時は考えも及ばず、ただただ歩き続けたのでした。
 
そのうち、不意に明るくなりました。
何かに照らし出されたわけではなく、またしても記憶の情景が視界を遮ったのです。

目の前に母の姿がありました。
どこか私に似ているような気がする母……そこで私の脳裏が描いた物語は、最も受け入れ難い世界観でした。
 
つまり母がとうの昔に死んでいた可能性です。

315 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:39:03 ID:ft4TltCY0
……可能性は十分に思い当たるでしょう。
例えば、私がN君の母親のものとして参列した葬儀が、自身の母を葬るためのものであったのではないか。
そう考えると、今どこにも母が存在しない理由を十二分に説明できます。

そこから更に発展させると、私は自分の母親とN君の母親を同一視していたことになります。
何故そんなことになったか。要するに、私とN君は血が繋がっている、
つまりN君こそが私の弟なのではないでしょうか。

母が「あんたより一つ年下や」と言っていたのは、自然の摂理として当然の話なのです。
分かっています、分かっています。おかしいことは分かっているんです。
それでもそのまま思考が進みました。

じゃあ、結局その弟を殺したのは、私ということになる……
発達障害気味の弟を鬱陶しいと思い、殺したのは私だったのです。

知っての通り、もう滅茶苦茶です。
私のしていることは、後付された新事実、それも空想の産物に、過去を死に物狂いで適応させる行為でした。
筋立ての都合良さは、むしろ私の方から虚構に接近しているのですから当然であると言えます。

私はその虚構に沿ったものの考え方、ものの見方しか出来なくなってしまったのでしょう。
ありそうもない状況に取り込まれた時、取り込まれた側の人間もまた、
ありそうもない過去を歩んできたような錯覚に陥るらしいのです。

もしもここで私が合理的な解釈と常識を武器に立ち向かっていたとしたら、
多分もう少し早めに発狂していたでしょう。

荒唐無稽への緩やかな同化は防衛機制のようなものであり、
この結果も耐えられる最大限の譲歩と妥協の産物なのです。
どちらが幸せだったかなど計り知れるものではありません。と言うより、幸せなど何処にもなかったのです。

316 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:42:36 ID:ft4TltCY0
私はまた、何でもない罪を回顧して叫びました。残念ながら、返事はありませんでした。
飢えた子供のように儘ならぬ足取りで前へ歩き続けました。そのうち、眼前に橙っぽい灯りが見えました。
私は羽虫の如き低能さでその光へ吸い寄せられていきました。

灯りはやはり精神を純化させる効能を持つのでしょう。
その光の傍まで歩み寄ったとき、私はあらゆる非現実から解き放たれたような気がしました。
そこは先ほど通夜が行われたホールで、灯りは蝋燭を模した電飾によるものでした。

防火対策と夜伽を一身に引き受けたその装置に、私は心を落ち着かせる現代の合理的な空気を感じたのでした。
その一瞬、私は何もかもを忘れてその灯りに自分の全存在を委ねていました。
安堵どころか、自我の救済と復権をも感じ受けたのです。

甘美でした。そしてその恍惚は当たり前のようにして打ち毀されました。
視界に、例の空白の遺影が入っていることに気付いたのです。私はぎょっとして後ずさりました。

下らない思い込みのようですが、私はそこで確かに自尊心を阻喪したのです。
それは、未だ私が逃れ得ぬ創作じみた宇宙に縛られている証左でした。

茶目っ気たっぷりな思考回路が再び、それで最後となる暴走を始めました。
私はこの額縁に入れられるべき死者は誰なのかと考えず、
ここに入れられるべき生者は誰なのかを、虱潰しに探し始めたのです。

相応しい人物はすぐに見つかりました。当然、この私です。
御丁寧に中立の評価を与えてくれるこの脳髄は生存本能などまるで無視して私に死ねと宣告したのです。

317 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 00:57:24 ID:ft4TltCY0
これは悲喜劇か、そうでなければ純粋な喜劇です。
幾ら鬱病を拗らせたからと言って自ら棺に納まろうとする人間がいるものでしょうか。

流石の私もそう考えました。
だから些か魅力的に感じる自分を振り払い、ホールから離脱しようと思い立ったわけです。

ですが、私はもっとよく考えるべきでした。何故この葬儀がお膳立てされ、何故棺が用意されているのか。
冷静に考えれば逃れられない事態なのは明らかだったのです。振り向いた私の背後に男が立っていました。
光が届かず、誰かも分からないその人物は、姿形だけ見ればN君に似ている気がしました。

しかしもしかしたら父か母だったのかも知れない。今更真相に到達できる問題ではありません。
その人物はじっと私を睨んでいました。表情も分からずそう感じたのですから、恐らく錯覚だったのでしょう。
しかしそのせいで私はその場からまるで動けなくなってしまいました。

無言で責め立てられているような気がし、私の頭にかつての罪状が駆け抜けました。
小学生か中学生の頃に、一度だけ校舎の窓ガラスを割ってしまったことがあります。
確か少人数でドッジボールか何かをしていたことによる事故だったのですが、直接の原因は私ではなく友人でした。

318 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:00:11 ID:ft4TltCY0
元来大人の逆鱗に触れぬようびくびくして生きていた私は、その時咄嗟に逃げ出してしまおうとしました。
「お前が悪いんだからな、謝っておけよ」などと捨て台詞を吐いて他の友人と立ち去るつもりでしたが、
その時に当てられた友人の眼の色に私は思わず立ち止まったのです。

友人の眼は、あまりにも多くの感情を吸い込んでいました。
裏切った人間への絶望、怨嗟、自責の念、訪れる近い未来への悲観、そして後悔……
私の同類であったその友人もきっと怒られ慣れていなかったのでしょう。

そのためにあんな、過剰に彩られた表情を浮べたに違いありません。
そしてそれは、目の当たりにした私たちにも様々な情念を呼び起こさせました。

何より強く恐怖を感じました。自分のしようとしていることが死にも値する罪悪であるように思われ、
それは未来永劫償いきれないもののようでした。

そもそも人に見られることが苦手だったこともあってすぐに眼を逸らしたのですが、
結局逃走出来ず、一緒に説教されたわけです。しかし後々になってその時逃げなくて良かったと思えましたし、
次に同じようなことがあったら決して良からぬ事を考えないようにしようという決心にも役立ったのです。

そんな過去が実際にあったかどうかに自信は持てませんが、今はまさに、その時と同じ心境でした。
彼は私から目を離さないでしょう、そして絶対に逃亡を認めないでしょう。
それを思うと、みるみるうちに内なる罪悪感が巨大化していきました。

私のような人間は、葬られるより他、承認される方法はないのだ。私は自分で自分を棺に納めなければならない。
私は自分で自分を、処刑しなくてはならない。

洗脳にも似た錯誤でしたが、誰も解いてくれないのだからどうしようもありません。

「わかってるよ」と囁きました。
「わかってるから」そして私は棺に手を掛けました。

319名も無きAAのようです:2014/10/09(木) 01:02:05 ID:Bljte9qg0
相変わらずの胸を抉って神経を撫でるような文、好きだ
支援

320 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:07:12 ID:ft4TltCY0
残された回避の可能性は棺に遺体が横たわっていることでしたが無論そんなわけもなく、
随分重たい蓋をどけてみると中には誰にもいませんでした。
既に花などは鏤められており、後は私がそこへ入り込めばちょうど良いようです。

靴を脱ぎ、半身を中に入れるまでは良かったものの蓋を閉めるのには相当手間取りました。
彼はまだ私を監視しているようでしたが、手伝ってはくれませんでした。
自力で蓋を持ち上げて角度を調整しながら、私はボロボロと涙を零していました。

何が哀しかったわけでもありません。
ただ、真夜中に独りぼっちでこんな作業をしている自分が酷く空しい存在に感じられたのです。
そしてようやく型通りに嵌め込んで真っ暗闇と再会したとき、私は殆ど噎び泣きを泣いていました。

泣き続ける体力を失ってもなお、水滴が頬を濡らし続けました。
通過儀礼として考えるならば、それが私の死化粧だったのかもしれません。

自殺教唆程度の罪でなら彼を告訴出来ると思います。しかしそれすら笑いものでしょう。
監視する彼が去った後、私はこの蓋を押し上げての脱出も出来たかも知れません。
しかし出涸らしの気力ではそんな発想など出てこず、その代わり一刻も早い安眠を求めていました。

ともかく私は、休みたかったのです。それ以外、何も考えられませんでした。
その時ばかりは、肉体の疲労が精神のそれを上回っていました。
そのため私は、後悔してもしきれない、しかし最も素晴らしい安らぎを伴った眠りについたのです。

321 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:15:48 ID:ft4TltCY0
以上が、私をこの場所に至らしめた顛末です。
それなのに、話は終わりません。まだ全ての儀式が済んだわけではないからです。
語れることなどもう殆ど残っていないというのに、私はまだ時間を押し進めなければなりません。

言うまでもないことですが、私が私自身を納棺した時点で、その死は覆らないのです。
棺に入った段階で私は死者であり、誰に対しても利害を及ぼさない存在と化したのです。

死人が語らないのは決して物理的な意味に留まらず、
語れば語るほど自らの空虚さが際立ち、恥辱を覚えるからではないでしょうか。

これが普通の死者であるなら、遺言という置き土産に執心することでしょう。
しかし私には言いのこせることなど何もありません。自分の過去も身分も分からない、
ましてや生者に向かって何の情動も遺さなかった人間の言葉に、一体誰が耳を傾けるのでしょう。

家族や恋人など、卑近な者への言葉……しかしそれにもさしたる意味は持たせられないでしょう。
私は彼らのことを曖昧にしか想起出来ないし、
向こうも私程度の死では半端な悲哀しか得られていないのではないでしょうか。

最も名残惜しいのは自ら関係を望んで契約した恋人ですが、私よりまともな人間はごまんといるし、
それでなくとも安易に彼女の心に私を刻みつけるような影響を及ぼしてはならないはずです。
そう言えば、結局彼女からメールの返信はこなかったのでした……。

322 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:18:10 ID:ft4TltCY0
翌日、私は近しい声によって目覚めました。
と言っても目の前は暗闇で周りには狭い隙間しかなく、二度寝しようと思えるほどの味気なさでしたが。

しかし聞こえているのが読経であることに気付いて昨夜の記憶が一挙に展開されました。
そのエネルギーは思わず蓋を撥ねのけて外へ飛び出してしまいそうな勢いでした。
しかし結論として、それは果たされなかったのです。ここで私が無意味に抵抗したところで何になるでしょう。

シュレディンガーのパラドクスでは、猫が自ら箱を破壊して飛び出してくる可能性が完全に排除されています。
そんな空気の読めない猫は、元々実験台として採用されないでしょう。
同様に、私が生き返ったところで遺族も弔問客も、冷たい視線で私を罵倒するだけでしょう。

そうなれば、私はまたすごすごと棺の中に自ら納まらなければならないのです。
そうやって恥をかくことを怖れ、私は少しも身体を動かしませんでした。そうしてぼんやりと読経を聞いていました。
意味の分からない宗教語に耳を傾けながら、そう言えば自分は死人に最も近しい存在なのだと認識しました。

しかし、実際のところ死とは一体何なのでしょうか。
多くの人々がこの問題を多方面から解明しようとしていますが、未だ明確な答えは出ていないようです。

ある物理学者は死を「機械と同じで、壊れればその機能を失う」と表現していました。
無論、宗教者はそれに反駁するでしょう。
議論の行き着く先はどうしても不可知であり、数多の賢人と同じく今の私にも死については何も分かりません。

しかし私は、おおよそ自らが望んでこの状況に至ったわけですから、
死後にもまだ何かを思考せねばならないとすれば、
それこそ昨夕の吐き気みたいにいつまでも苦い不条理を舐め続けなければならないのでしょうか。

そうなればいよいよ為す術がありません。それは、死よりも怖ろしい未来です。

323 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:23:01 ID:ft4TltCY0
やがて読経が終わると、司会者らしき男の、弔辞の合図が聞こえました。
そして最初に述べる人として、恋人の名が呼ばれたのです。一抹の良心が仄かに揺らぎました。

その時彼女が読んだ弔辞を、未だ一字一句違えずに暗記しています。
彼女はこう述べました。

(゚、゚トソン「あまりに突然の悲報に接して、信じることができませんでした。
     今、ご霊前に立っても、元気な姿と笑い声が思い出されるばかりです。
     あなたが長いお考えの末、決められたことについて、私たちが何を言えましょうか。

     自分なりに選ばれた人生の終止符に、他者が口を挟むことはできません。
     短くも純粋であった人生を送られたまるまるさ……。……どうか安らかにお眠りください」

……即ち、彼女はどこからか引っ張ってきた弔辞のためのテンプレートをそのままコピーして印刷し、
「○○」の部分を省きながら読もうとして最後の最後にミスを犯したのです。

失望よりも何よりも、私は笑いを堪えるのに必死でした。
私の自虐は概ね間違っていなかったわけです。むしろ、自虐の効能と言えましょうか。

それまで流れるように読み上げていた彼女が言葉に詰まったとき一体どのような顔をしたのか、
出来れば直に拝みたかったものです。

324 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:32:38 ID:ft4TltCY0
滑稽さが尾を引いて、その後に読まれた父の弔辞を私はまともに聴けませんでした。
恐らく父は真面目なことを述べていましたし、ボロを出したりもしていなかったでしょう。

しかしそんな心ある言葉に限って私に届かないというのは、
私自身のこれまでの人生を体現しているように思えました。

いずれ、何に対しても真剣ではなかったと言うことなのです。
己の記憶にすら心から向き合えない私にはぴったりの末期であるのでしょう。

弔辞が済むと焼香が始まったようで、厳かな足音が聞こえました。
持てあますほどに暇だったのですがこの時はまだ余計なことを考えずに済み、
馬鹿みたいにひたすら思い出し笑いをしていました。

そして母やN君がこの葬儀に参列しているのか検討しましたが、これはまったく無意味でした。
人間が猫の状態を知れないように、猫もまた外界を覗えないのです。

それが終わると閉式となり、残るは出棺だけとなったようでした。
この時には流石に私も気を引き締めました。
事務手続きとしては既に死んでいる私ですが、本当の意味での死はこの後にやって来ます。

無宗教である私も、火葬場で焼かれて灰となるのです。
生きたまま燃やされること自体には不安を感じなかったのですが、魂の消失には忸怩たる思いがありました。

ですが現世……何をもってそう定義すれば良いのか分かりませんが……
への諦めはついていたので、後は少々の勇気だけで乗り越えられるものと考えていました。

325 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:35:11 ID:ft4TltCY0
ですが出棺の前に、最後のお別れというものが案内されたのです。
そして何人かの手によって棺の蓋が一旦取り去られてしまいました。
馬鹿げた私のこの姿が、衆目に晒される羽目に遭ったのです。

私はこの上ない羞恥を覚えました。
それと共に、今までに明らかになった非合理な真実が次々と脳裏に去来しました。

暗黒に光が差した瞬間に私は目を閉じていたものですから、
そのままの姿勢を余儀なくされて誰の顔も確認できませんでした。
しかしやはり、冷酷にさえ高まった鋭利な視線が突き刺さっているような気がしてならないのです。

それに私の罪悪感は刺戟され、精神外傷が再びじくじくと痛み出しました。
悶える思いを抱きつつ、昂る呼吸を辛抱するさまは、マゾヒズムにも似た従順さであったのかもしれません。
少なくとも、私との最期を惜しむ彼らがサディスト的であったことは間違いないでしょう。

真実弟を殺したならばこんなところでのうのうと臥している場合でないのは明らかです。
ですが誰一人、私の海馬でさえも絶対的真相を教示してくれなかったのです。

本当に私だけが悪いのでしょうか。
そうだとして、何故法廷には検事も弁護士も、判事さえおらず、
被告人と聴衆だけで裁判が進められているのでしょうか。誰が私に刑罰を下すのでしょうか。

326名も無きAAのようです:2014/10/09(木) 01:37:51 ID:D0hpyqio0
支援

327 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:43:19 ID:ft4TltCY0
その時包まれた息苦しさは初めての体験ではなかったような気がします。
いずれ解消されようのない虚無的な罪悪感……加害と被害が入り混じった妄想に囚われ、
直向きな自尊心を抱えて生きていると、関係性においてはどうしても壁に衝突してしまうものです。

だから私は敢えて自らの価値を底辺まで落とし込もうとし、歩んできた形跡を掻き消してしまおうとするのでしょう。
どちらも、想定以上に自分が愚かであると気づかないようにするための予防線にすぎないのです。
そしてそれを暴こうとする他人の視線に……息苦しさや吐き気などの心身の不調を訴えてまで哀愁を誘うのでした。

棺の中の私には他人の同情を引く行為が制限されています。
しかし自分自身どうしようもないと思えるのは、そのような状況に陥って自らの卑しさを悟るのではなく、
この場合は仕方がないのだと例外化して考えることです。

仕方がない、今回は特別だったんだ。私はまだ大丈夫だ、人間として正常なのだ、と……。
 
再び蓋が閉じられたとき、私は心底安らげました。淀んだ空気を目一杯吸い込み、焦燥とともに吐き出しました。
直後に不気味な浮遊感がありました。どうやらいよいよ葬儀場から運び出され、火葬場へ向かうようです。

この時、私は妙な感覚に包まれたのです。その正体はまだ分かりませんでした。
不自然な揺らぎに堪えながら、私はもう一度死について考え始めましたが、
骨にへばり付いている粘液のような異物感をどうしても拭い去れませんでした。

そのうち響いた重低音……私は、死地へ運送されるために霊柩車へ格納されました。

328 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:46:31 ID:ft4TltCY0
霊柩車……死が幾重にも折り合わさった特異点、その中は思っていたよりも遙かに騒々しい場所でした。
絶えず何らかの音が鳴っていました。例えるならば鉄くずが歩いているような、
カシャン、カシャンという耳障りな音……私には、それが何を意味するのか今もって分かりません。

しかし思い出したことがあります。
それはやはり私の架空の弟についての、遠い昔に存在もしなかったはずの情景でした。

私は金属の擦れる音が何よりも苦手でした。
何だか口の中いっぱいにアルミホイルを含まされたような気分になるのです。

しかしその日弟は、どこからか拾ってきた金属のボウルと鋼色の破片を、
鬼ごっこの間中ずっと触れ合わせていたのです。

「やめろや」と私は不快感をあらわにして要求しました。
しかし弟はにへらにへらと笑いながら、より激しくその二つを擦りつけるのです。
そしてずっと同じ逃げ道をついてくるのでした。

日ごろから私はこの弟が嫌いでした。
その時には既に、自分の母親が弟を出産したせいで死んだことを理解していたのでしょう。
大人の手前良い顔をし続け、可愛がっている振りをしていたものの、私にとって弟は明確な敵でした。

それも真っ当な人間としての敵ではなく、コミュニケーション困難な怪物としての敵でした。

329 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:52:33 ID:ft4TltCY0
私は鬼よりもむしろ弟から逃れるためにあの日立入禁止の池に侵入しました。
しかし運動神経だけは私より良かった弟も遊び道具を持ったまま軽々とフェンスを乗り越えて纏わりついてきました。

殺意はありませんでした。ただ、黙ってほしいと思ってそれに見合う行動をとっただけです。
頭をつかんで懸命に水中へ沈めました。

当然弟は激しく抵抗し、一瞬持ち上がった顔面から泥土と咆哮を吐いたのですが、
こちらも徐々に本気になり、敵を沈黙させなければならないという思いで二十分ばかり格闘していたように思います。

そしてどうにか勝利を獲得したとき、弟はピクリとも動かず死んでいました。
その後、事態を知った大人の誰かに動機を訊かれ、
私は大して悪びれもせず一言「鬱陶しかってん」と呟いたのでした。

例によって本当とも嘘とも言い難いエピソードです。
いずれ本質的な解決へ前進する要素ではありません。しかしそれを産出することで、
私は先ほどの違和感の正体を暴いてしまったのです。

それはエピローグが長すぎる、という私にとって危機的な事態でした。
すでに死んでいる私が斯くも長々と思考してしまうとどうなるか……。
意識に上った時には既に遅く、私は死にたくないと本能的に主張していました。

私のタナトスは、もう完全に萎え切ってしまったのです。

330 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 01:56:44 ID:ft4TltCY0
当然の過程であると言えましょう。自殺者は衝動以外の手段で自殺し得ません。
早朝のプラットホームから通過する列車に飛び込んだ人も、
そのエピローグには散乱した神経細胞で「生きたい」と綴りたかったはずなのです。

一度通り過ぎた死への欲動の後に来る生への渇望は狂気じみた力で私の理性的判断を責め立てるのです。
すると、今までに行ってきた不合理な解釈やエピソード創作の全てが馬鹿馬鹿しく思えてくるのです。

そんなわけがない、そんなことはあり得ないという、
科学的世界に生きる者として当たり前の心情が内部に充ちるのでした。

そういった全てのロジックを投げ捨てて、私はさっさと思考ごと死んでしまうべきだったのでしょう。
しかし余りにも緩慢とした幕引きのせいで不条理への反抗心を持ってしまったのです。

こうなると、一切の状況は拷問的と呼べます。最後に常識を取り戻させて一体何がしたかったのか。
この身に降りかかった艱難辛苦を取り除く方策に至るには現状はあまりにも遅すぎます。

それでも、多くは身から出た錆なのです。

例え私の不合理でない記憶が全て真実で、本当は弟など存在もしていないのだとしても、
今まで合理化へのチャンスをみすみす逃し続けていたのは他ならぬ私自身ですし、
この監獄とも称すべき棺にも自ら志願して足を踏み入れたのです。

331 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 02:01:04 ID:ft4TltCY0
今でも胸を張って、自分には何の罪もないと主張できる私がいます。
しかしその存在に意味などなく、ただ漫然とした終幕にこれまでの自分を悔いながら、
表舞台を立ち去るしかないのです。虚ろな者が虚ろな罪で虚ろに人生を閉ざすことに、何の疑問がありましょう。

それが、私が最後に辿り着いた理論でした。一言で言えば、私は自分を憐れみたくて仕方がなかったのです。
そしてそのために仕立て上げた装置に自身を陥れ、
後は内部の歯車が回転する通りにシステムの道筋を進んだだけの話なのです。

突発的に自殺したのでは己の葬儀を体感することも弔辞に耳を傾けることも不可能でした
。私が自身の死や誇大な自意識を伴う無為な存在感を最大化させるためには、
多少の懊悩を抱えるにしてもこの方法しかなかったのです。

そして今、私は火葬場の重厚な鉄扉の内側にいます。
もう既に焼かれているのかもしれませんが熱は感じられません。何やら、非常に晴れ晴れとした気分です。
私は私の立てた目標を達成できた。それだけで、自己憐憫に片が付いたような心持ちであるのです。
 
しかし、本当にこれで良かったのでしょうか。

自作自演のはた迷惑な自殺劇を成功に終えてなお、心のどこかで死にたくないという思いが燻っているのです。
それは卑小な自尊心への反抗であるとともに、遺伝子レベルでの願望でもあるようなのです。
結局私は一所に定まることが出来ませんでした。

私の想いは今なお揺らぎ、それは何一つ責任を持ちたくないという本心の表れでもあって、
このまま焼かれるのが一番楽でもあろうと考えつつ、何故私がこんな目にという被害者意識に囚われ続け、
そんな自分が可哀想で愛しくてたまらないのです。
 
いったい、何がどう捻じれて私はこのような人間になってしまったのでしょうか。





332 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/09(木) 02:02:28 ID:ft4TltCY0
訂正
>>260
10.葬送→11.葬送

次は10月10日の夜に投下します。
次回でラストです。

では。

333名も無きAAのようです:2014/10/09(木) 06:56:51 ID:PQNXQ/x60


334名も無きAAのようです:2014/10/09(木) 22:44:39 ID:EQpOkKHU0
おつ

335名も無きAAのようです:2014/10/09(木) 23:24:25 ID:tQTXwo1s0
京極夏彦+闇芝居

336 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 20:44:23 ID:bKltLt3M0
12.一度きりの物語(interlude 4) 20130403KB

事故で亡くなる二日前、Kは私をいつもの秘密基地に呼び出した。
 
Kはひ弱な体質だったためか、小学校ではよくいじめられる少年だった。
それは四年生になった当時も変わらず、スポーツマンタイプの番長格の男が率先して彼をいじめていた。4
その内容は単純な暴力から陰険な噂話まで多岐にわたり、Kはもう殆ど慣れっこのようだった。
 
それでもたまにどうしても我慢できなくなったとき、
Kは決まって幼なじみである私を自宅近くにある鬱蒼とした森林の小さな洞穴に呼び出すのだった。

彼はその場所を秘密基地だと称していたが、今思い返せばそんな立派なものではない、藪蚊の群生地帯だった。
彼はその秘密基地で、日頃積もり積もった鬱憤を私に向かって泣きながら思い切り吐き散らすのだった。
 
その日も、Kはそういった名目で私を呼び出した。
私がそこへ駆けつけた時、Kは既に目を腫らしていた。
そして何枚かの原稿用紙をぐいと私へ突きだしたのだ。

337 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 20:47:35 ID:bKltLt3M0
嗤われたんだ、とKは言った。
おれがいつも図書室にいて、貸し出しカードに俺の名前がたくさんあるって、嗤われたんだ、と。

ひ弱な彼の趣味は必然的にインドア系に偏り、中でも読書に関しては児童文学に飽き足らず、
明治時代の純文学にも手を出すような具合だった。
私にも時々、よく分からない作家や作品について話しかけてくることがあった。
 
そんなKが私に突きだした原稿用紙の右端には大きく『いちばんめ』と書かれていた。
そしてそこから続いているのは、いわば、彼が目一杯苦心して書いたと思われる小説的な文章だったのだ。
 
これ、どうしたの、と私が言うとKは、小説、とぶっきらぼうに言った。おれが書いたんだ。
短めに書いたつもりだから、ちょっと読んでみてくれよ。それで、感想が欲しいんだ。
 
言われるがままに私はKの小説を読み始めた。
その小説には小学生には読めないような漢字も多く含まれ、ところどころ判読不能だったが、
それでも全体のストーリーは何となく理解できるような内容だった。
 
それを踏まえた上で、読了した私は目の前で期待を輝かせているKに向かって、面白くない、といった。
だよな、とKは応答した。まるで私の答えを予想しているようでもあった。

彼は手に戻った小説を眺めながら、でも、いいんだ、と言った。
これ、おれが初めて書いた小説なんだ。おれ、小説家になりたいんだよ。
だから、これからたくさん書きまくるんだ。まだ面白くなくたって、そんなの当たり前のことなんだ。
 
『いちばんめ』というのはタイトルではなく、文字通りKがこれから書き連ねていくであろう作品の中での、
『いちばんめ』という意味なのだと、説明された。彼の表情からは悲哀が消えていた。
その目には、未だかつて無い未来への展望が映っているようだった。

338 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 20:50:23 ID:bKltLt3M0
13.どうせ、生きてる。 20140933KB

……あなたが恋人と熱く心を交わしている間、僕はずっと時計の針を見つめていた。
そうして、何もせずにぼうっと怠けていたくせに、時間が先へ進んでいくのを怖がっていたというわけだ。
 
旧き知人も、大勢の他人も、何処かへ消えてしまった。
彼らは順当に成長し、順当に居場所を変えていった。

そういうものだ。物思いに溺れ、ひたすら架空の人形を捏ね続けている僕が、
何にもなれなかったのと同じぐらい、当たり前のことなのだ。
 
……そういう具合で、今日もまた、無様に言葉を紡いでみせる。
独りっきりで壁の隅。Do not disturb.の掛札を忘れずに。

※ ※ ※

339 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 20:53:32 ID:bKltLt3M0
暑さの沁みた山道を、十字架を担いだ男が歩いてゆく。
十字架は自己を激しく主張する大仰なつくりだが、そのくせ発泡スチロールで組み立てられたかのように軽い。
足早に登る若い男の顎からは大量の汗粒がしたたり落ち、しかしその表情は笑みで塗りたくられている。

誰もいない、失踪には打ってつけに見える林藪の合間を、彼はぐんぐんと進んでゆく。
夏の終わりの太陽が、人の殺意を呼び覚まそうとキリキリ照り輝いている。
遠くの方からセミの断末魔が聞こえる……足下には、別のセミがひっくり返り、足の先まで硬くして少しも動かない。

やがて男は少し開けた平野に出た。
森の中にポッカリと浮かび上がる、植物の剥ぎ取られたその場所には、
男の背中にある十字架と同じようなものが数十と林立している。

男は立ち止まって、その見窄らしい光景を眺め、満足げに何度も何度も頷いた。

('、`*川「……なんだ、また来たのかい」

入り組んだ十字架の群れの中から一人の老婆が顔をあげた。
彼女は古びた竹箒にプラスチックの青いちり取りを持って男を不審そうに見やっている。

幾重にも皺の刻まれた肌には無数の黒いシミが浮かんでいて、
その全身は若い男の方よりも随分と日に焼け、引き締まっているようにさえ見える。

340 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 20:56:35 ID:bKltLt3M0
( ・∀・)「やあやあ、毎日毎日ご苦労様です。
      今日も一本持ってきたんだけれど、ええと、どの辺りが適当かな……」

('、`*川「そんなもんは、勝手にするがいいさ。あたしは墓守のババアだけど、
     墓を建てる場所には関与しないからね……。
     それに、何処にどんな風に置いたところで、何かの呪いがあるわけでもあるまい」

( ・∀・)「そりゃあそうだ。じゃあ、よっと、この辺に差しておきますよ。
      ……やれやれ、しかし蒸し暑い日が続きますね。
      貴女も、注意しておかないとあっという間に熱射病に罹ってしまいますよ」

('、`*川「ふん、どうせ幾許もせんうちにくたばる身なんだ。さっさとお迎えに来てほしいぐらいだよ。
     こんな乞食みたいな老婆が、墓守を全うして死ねるならそれを本望と言うんだろうさ」

( ・∀・)「困りますよ。貴女には、この墓場をまだまだ守っていっていただかないと……」

('、`*川「よく言うよ。どうせ、この前建てた墓標のことなんざとうに忘れちまってるくせに……
     それで、今回はどんだけ大げさな墓碑銘を穿ったんだい」

( ・∀・)「さあ。きっと、他人が見たら同じようなものなんですよ」

341 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 20:59:37 ID:bKltLt3M0
男は老婆から視線を外し、今し方建てたばかりの十字架を見つめた。

( ・∀・)「どうせ、何と言うことはないんですよ。墓碑銘なんてゴミ捨て場のようなものだから。
      内面をかなぐり捨てるためだけに存在しているようなものだから」

('、`*川「ああ、ああ。きっとそうなんだろうね。
     頭の悪いババアには、あんたの目的も意味もさっぱり分かりやしないよ。
     けれど、どうだい、同じ年頃の娘なんざは、まだ耳を傾けてくれるんじゃないかい」

( ・∀・)「どうでしょうね……そういうのも、一切合切にいい加減飽き飽きしているところなんですよ」

('、`*川「その割に、あんたは変わることなく十字架を建てに来るね。
     なんだい、こいつはあんたの先祖からの習わしなのかい」

( ・∀・)「さあ。けれど、私の知っている限り、みんな方法は違えど、
      何らかの形で自分の言葉を破棄していってるんですよ。
      全部が全部、頭の中にとどまっているはずもなく……。

      ただし私は人よりほんの少し、名残を追いかけてしまいやすいだけなんです。
      だからこう、こんな風景を作りあげるんですよ」

※ ※ ※

342 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:02:19 ID:bKltLt3M0
ここにある全ての十字架は男が持ち込んだものであり、そしてその全てに男の名前が刻まれている。
百近い十字架の全部が男のための墓であり、この墓場は男のためにあるものだ。
 
全ての十字架に墓碑銘がある。その字面は少しずつ内容が異なっているが、巨視的に見れば大した差はない。
一切は男が殺した自分の言葉であり、そして男は言葉を殺すたびに墓を建てるのだ。
それは、手首に並んだ無数のリストカット痕によく似ている。
 
あらゆる行為の、最低限の致死量や死の可能性については熟知している。

それはつまり、ギリギリ死なない程度についても把握しているということだ。
だからこそ、それを繰り返していても痛くも痒くも何ともない。
たとえ周りを無為に心配させたとて、それさえも織り込み済みでどこまでも生きてゆくことが出来るのだ。
 
アパートの部屋の中に散らばった、余り物の薬を、適当にまとめて服用する。
そして強烈な眠気とともに、夢にさえそっぽを向かれた眠りに落ちる。夜が落ちて、太陽がのぼる。
 
どうせ、生きてる。

※ ※ ※

343 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:05:53 ID:bKltLt3M0
忙殺人鬼ブーンを紹介しよう。

彼は人の心の隙間に忍び込み、そいつをジワリジワリと殺すのだ。
コイツによる被害者は意外と多くて、死んでいく人の半分くらいはコイツの仕業だって噂もある。

例えば好きでもない仕事のために人生の八割方を捧げてしまうような人間は大抵、忙殺人鬼ブーンの餌食だ。
気付かぬうちに、君も忙殺されかかっているのかもしれない。
 
たとえ人生が予定に埋め尽くされていなくても油断は禁物だ。

君がふとした瞬間に自らの歩んできた道を振り返り、そこに一抹の後悔や不安を覚えて、
それが雪崩式に膨れ上がっていってしまったならば、ブーンはヒョイと君の頭に入り込む。
そして人生への悲嘆を凶器にして徐々に徐々に君の寿命を削っていくんだ。

その姿は誰にも見ることは出来ず、また自分が殺されかかっているという危機にもなかなか気付くことができない。
それでも死ぬ瞬間、暗く寂しい独りぼっちの空間へ向かうその瀬戸際に、
その脳裏へフッとブーンの顔が浮かぶだろう。
 
ヤツは黙ったまま心の中の君を見て憎たらしい笑いを笑っているだろう。
もしかしたら何か言葉を呟くかもしれない。それはきっと、君を死に追いやった直接的な原因だ。

けれども勘違いをしてはいけない。ブーンは、君を殺すために予め刃物を用意しているわけではない。
君を殺すのがブーンであっても、彼の武器は君自身の心根なのだ。

※ ※ ※

344 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:08:13 ID:bKltLt3M0
本音と建前という常套句は、日毎不治の二重人格者を作り続けている……。
コミュニティは、一つの上等な精神病棟に過ぎないのだ。

※ ※ ※

345 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:11:12 ID:bKltLt3M0
僕の為のコロスが謳う……。

('A`)『誰かが僕の書いたものを読んで自殺してくれればいいと思っていた。
    たった一人だけでも構わない、自分で選んだ死の形見に僕の小説を持って行ってくれればいいと思っていた。
    
    そうしたら、心の中で大きな墓を建てて弔うつもりだった。
    不謹慎かもしれないけれど、それはたぶん、僕にとって至上の喜びとなっただろう。

    小説を読んで落涙させても、心を揺り動かしても、所詮その後の現実に物語は負けてしまう。
    けれど、死ぬことだけはどうしたって取り返しがつかない。
    そういう、致命傷を与えるようなものを書くために、僕は一所懸命に努力をしてきた。

    だって、死後には天国も地獄もない。
    人は死ねばみんな、独り独り離ればなれになって、それぞれが暗くて寂しい場所に送り込まれるだけだから。
 
    けれども、愈々それが不可能であるということに気付いてしまった。
    意図をしようがするまいが、僕の小説が呼ぶのは病んだ人だ。

    病んだ人は病んだ物語を読み、病んだ歌を聴き、病んだ絵を見て人生を過ごす。
    それこそ、古今東西のありとあらゆる病んだ物達を体験していくんだ。

    そうやって彼らは成長する。本当に追い詰められてしまうことなんて早々ない。
    病んだ人たちは次第次第に病を消化して、免疫をつくる。そうしてより力強く人生を歩くんだ。

    僕の書く物語は、そこに殺意を込めれば込めるほど、むしろ全く逆の作用を働かせてしまうんだ。
    それは、免疫を形作る一塊のブロックか、
    或いはもう既に出来上がってしまっている免疫への哀れな特攻隊に過ぎない。
 
    だってほら、見てごらんよ。みんなみんな、こんなにも元気じゃないか……』

※ ※ ※

346 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:14:18 ID:bKltLt3M0
(´・_ゝ・`)『僕たちは、もっと実利的なものだけを追求していくべきだ。
      それは、まるでボンベロがグリドルでつくるパティみたいに、分厚くて、ジューシーで、
      香ばしい匂いに満ちていて……そして何よりも、根本的にとびっきり旨くなくちゃならない。

      現実世界においてそれを食べるには何が必要だ? 金か、女か、志か、嘘か。
      きっとどれも正解だろう。でも物語だけは間違いだ。
      幾らアイロニーにほくそ笑んでも、ちっとも現実には反映されないよ。

      義務教育で習う国語は、現実に飛び交う言葉とひどく乖離してしまっている。
      小説なんてどこかの妄想癖が考えた嘘っぱちに過ぎないんだからね。
      そんな嘘っぱちから作者の本音を拾うなんて、まったく滑稽な話じゃないか。

      現実は、現実なのだよ。
      その現実を巧みに調理して、なるたけ旨い食い方をするべきだ。

      さあ、そんな物語なんて捨てちまって、上等な調味料を買いに出かけよう。
      そうすればきっと幸せになれる。まるで怪しい新興宗教にお布施するぐらいの気持ちで信じてみよう。

      だってそうしないと、世の中なんてものはとてもじゃないけどやりきれないじゃないか』

※ ※ ※

347 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:17:29 ID:bKltLt3M0
(´・ω・`)『僕らの紡ぐ幾星霜の妄言なんていうものはね、
      所詮はLINEのスタンプ一つで表現できてしまうものなんだよ。
      それを、個性がないだの愛情がないだのというのは、全くもって非合理的なことでしかない。

      だいたい、愛情の表現っていうのは何なんだ? 
      それは、本当に相手に伝わって、尚且つ特別な言葉で表さなければならないのだろうか? 

      この世の中には情欲に塗れた俗物的な愛が遍く存在しているのに、
      どうして人は『愛してる』という最も合理的な一言を特別ではないから、
      という理由で唾棄してしまうのだろう。

      それを無意味に飾りつけるのは、それこそ卑屈で、本能的な虚飾に過ぎないよ。
      つまり、どうやったら己の言葉が相手を陥れられるか、そんなことに必死になっているんだね。
      そんな活力から生産される言葉なぞが、特別だなんて言えるだろうか? 

      きっとそういうものは、ゲームの攻略サイトにでもごまんと掲載されているだろうよ。
      しかも、しかもだ、その言葉は本当の意味で特別であってはならないんだよ。
      何せ相手に伝わらなくてはならないんだから。

      伝える側が俗物ならば、伝えられる側だって俗物さ。
      いずれ、普遍的な、辞書で引いて出てくるような言葉でないと納得してくれない。

      かつて夏目漱石はアイ・ラブ・ユーを『月が綺麗ですね』なんて小洒落た訳しかたをしたそうだね。
      僕に言わせれば、まあまあよく出来た按配だと思うよ。
      けれどそれは文豪が残したからこそ付加価値の生まれた言葉だ。

      たとえば、今の時代の冬の星空の下、澄んだ空気の向こうで数多の星々が煌びやかに踊っているさなか、
      一際目立つ月を二人で見上げながら、『月が綺麗ですね』なんて呟いたら何とする? 
      『ええ、そうね』ぐらいの言葉が返ってきて、それで終いさ。

      まあ、随分と有名になった言い回しだから、それなりに知識があれば相手も感づいてくれるかも知れない。
      そうだとしてさえ、パクりだと認定されるだけだろう。どっちにしてもバッドエンドだよ。

      だからといって、そこで今までに見たこともないような、愛の言葉を生み出せる? 
      きっと彼女はこういうだろう。『全然意味が分からない』。

      そう、だからつまり、愛の言葉はそれなりに現代っぽくで、それなりに顔面偏差値に沿っていて、
      それなりに普遍的で、それでいてそれなりに特別でなくちゃならないんだ。
      結局行き着く先は同じだと言うのに……恋物語はまったく余計で、どうでもいい言い回しを強要するんだ。

      これは一種の強迫性障害の病理にもなろうね。
      そうやって無闇矢鱈と遠回りした言葉より、ハートマーク一つの絵文字や、
      誰もが知っているキャラクターのスタンプ、またそれに類するシンプルな一言の方がよほど合理的だよ。

      何せ、あらゆる物事がマニュアル化されている時代なんだ。
      どうして恋にだけクリエイティビティを求める?
      
      どうせ双方ともマニュアル化された脳みそしか持ち合わせていないし、
      最終的な結論は金銭や世間体に委ねられるのに、
      どうして一から創り出したように見せかける芝居をしなければならないんだ……?』

348 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:20:27 ID:bKltLt3M0
ミセ*゚ー゚)リ『何それ、下らない。まるで入れ込んでた女にワケもなくフラれたみたい』

(´・ω・`)『愛の言葉は、それこそ少女漫画にも、テレビ番組にも、エロ本にも氾濫しているんだ。
      だからもっとも分かりやすい例えだと思ってね。
      仮に僕が愛を伝えるなら、きっと誰にも分からない物語に仕上がると思うよ。

      それは相手に伝えるためじゃなく、自分の想いを率直に発露させるためのものだ。
      だって、愛してるって直球を受けてくれないなら、思いつく限りの変化球を投じるほかないじゃないか。
      それで相手が納得しないんなら、、もうどうしようもない。詰んだも同然さ』

ミセ*゚ー゚)リ『馬鹿馬鹿しい。結局、ただ単に愛情に飢えているだけじゃないの。
       それを、もっともらしい言い方で我慢してみたりして……。
       所詮、何かを食べないとおなか一杯にならないのと、おんなじようなものなのにね』

※ ※ ※

349 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:23:18 ID:bKltLt3M0
(-@∀@)『君の顔は不細工で、それがあらゆる性格の根本となってコンプレックスを抱いているのだろう? 
      なのにどうして、自殺や孤独を歌う、
      共感できるアーティストはヴィジュアル系のイケメンやチョイ美人ばかりなんだ? 

      彼らがイケメンである以上、君はどうやったって共鳴できないのだよ。
      百万人のためのラブソングを嫌う君が、
      百万人のための鬱ソングに熱狂すると言うのはどうにもおかしな話だね』

※ ※ ※

350 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:26:21 ID:bKltLt3M0
――いつまでも、敗れた物語を書き続けたかった。

僕には出来ると思っていたが、それは大きな間違いだった。
先人たちに出来なかったことを、僕なんかに出来る筈もない。
いつまでも敗者の気持ちで、敗者の物語を書き続けるなんて、とてもじゃないが精神がもたない。

頭を憂鬱に沈めて書き続け、そのためのアイデアを都度捻り出し、
いつまでも憂鬱と友達でいたら、立派な病気にカテゴライズされてしまう。

それに耐えられれば万々歳だが、生活を考えるとそういうわけにもいかない。
だからといって、今更希望に充ち満ちた物語に取り掛かれるわけでもないのだ。

そうやって心と現実のバランスばかりを気にしていたら、半端なものばかりが出来上がってしまっていた。
けれども、一握りの才能人以外はそんなもんなんだろう。
質が悪いのは、人という生き物が自分の才能というやつを過信しがちに出来上がっていることだけれど。
 
もしもこの精神が鋼で出来ていて、あと、幾らでもお金を貢いでくれる女の子がいたら、
僕はいつまでも敗れた小説を書き続けられただろうに。

世の中っていうものは、なかなか上手くいかないものだなあ。

※ ※ ※

351 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:29:16 ID:bKltLt3M0
しかし、本当にどうしようもなく不幸な人々は、このようなものを読む余裕も暇も無いのだろう。
そして、本当にどうしようもなく不幸な人々は、考えているよりもずっとずっと、多いのだろう。
彼らの頭に礼儀のマニュアルは入っていても、物語を詰め込む隙間などどこにもない。
 
結局、多くの人々は忙殺人鬼ブーンの凶刃に倒れるものであり、後にはひとひらの空想さえも遺らない。
 
この辺りで忙殺人鬼ブーンの活躍ぶりを情感たっぷりに描写したいところだがその必要は無いだろう。
だってその凄まじい凶行を、誰もが身近で知っている筈だから。

※ ※ ※

352 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:32:37 ID:bKltLt3M0
よし、ならば逃げよう。ここから何処まででも逃げるんだ。
確かにこの国は海に囲まれた小さな島でしかないのかもしれない。
それ以前に、僕たちは重力の向こう側へ行けないしがない地球人でしかないのかもしれない。

けれども、そんなちっぽけな僕たちだからこそ、逃げられる場所なんて幾らでもある筈だ。
ブーンの足音が聞こえてくる前に、スタコラサッサと旅に出よう。
二度と訪れぬ生まれた街に、心ばかりの名残を惜しんで僕らは見知らぬ聞き慣れぬ土地へと脱出するのだ。

もう生活に苦しむこともなく、着信音に苛まれることもなく、イヤなニュースを傾聴する必要もない。
僕たちはただ僕たちのためだけに、誰にも知れぬ場所へ行方不明になりにゆこう。

もしかしたら失踪届が役所へ出されるかもしれない。
いつの間にやら僕たちは、それまで羽虫のような扱いだったのが嘘みたいに、
たくさんの人に行方を探され、案じられる立場になっているのかもしれない。けれどそんなことは全く関係ないんだ。

その縋り付く泣き声に足を止めてしまったら元の木阿弥なんだ。
どうせまた苦しい生活が待っている。

人生の天秤にのせられている幸福と不幸はどう見たって釣り合わない。
けれども天秤自体がテキトーに作られているものだから、いつの間にかプラマイゼロだなんて錯覚してしまうし、
また周りからもそう揶揄され続けるんだ。そんな誤摩化された人生に、生活にどれ程の意味があるだろう。

最終的にベッドの上で幸せに永眠したところで、行き着く先は天国でも地獄でもない。
そこは真っ暗で何もなくて、初恋のあの子の面影すらも見当たらない独りぼっちの空間だ。
誰に会うわけでもなく、誰と話せるわけでもない。ソーシャルネットワークにも繋がれない。

考えただけで夜泣きしてしまいそうな空間に、意識だけが漂う。それが死ぬと云うことなんだ。
末期の幸せに意味などないよ、どうせ皆同じことなんだから。

353 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:35:54 ID:bKltLt3M0
ならば生きているうちに僕たちは不幸から逃れるために最大限の努力を注ぐべきだ。
その努力と自らの人格を組み合わせれば、自ずと答えは見えてくる。

さあ、逃げよう。手に手を取って、どこまでも。
今取りかかっている仕事や作業なんか放り出して、
誰のしがらみを構うこともなく不幸や苦労から出来る限り距離を取ろう。

誰に迷惑をかけたって構うものか。誰かが犠牲になったって構うものか。
僕が生きてゆくには、満足に生きてゆくにはこれ以外に手段がない。
誰だって自分の生活のために気付かぬうちに多くの人の幸福を削ぎながら歩いている筈だ。それと同じことさ。

僕たちが生きていくためには不幸から逃れ、人並みの苦労から逃れ、生活から逃れ、何もかもから逃れ……
嗚呼、でも、生活が無くなってしまったら命も無くなってしまう。
 
それならば畢竟、僕が生きていく方法は死ぬということに他ならないじゃないか!

※ ※ ※

354 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:38:11 ID:bKltLt3M0
( <●><●>)『現実を忌避し、憎悪した物書きが、その鬱憤をぶちまけて客から金をとる。
        その金で財を成した物書きは、案外この世の中も悪くないななどと思い始める。
        
        そして、相変わらず現実から逃げ続けていて、あまつさえ彼のように財を成せない者たちへ、
        希望と応援の物語を書き始める。
        小説だけでなく、音楽でも、漫画でも、同じようなサイクルが多発している。
 
        ……こ、こ、この、この裏切り者どもが。

        お前たちだって嘗ては世間の価値なき応援に嫌気が差していたのではないのか。
        そ、それがたまたまさ、さ、才能があって儲けられたからといって、
        どうして我々の気持ちを忘れてしまうんだ! 

        そういう心変わりが一番傷つくということに、どうして気付いてくれないんだ。
        どうして我々を、切り捨てるような真似をしてしまうんだ! 

        分かったら早く昔に戻ってくれ。あの頃のように暗く、深い哀しみに満ちた物語を書いてくれ。
        早く鬱病になれえーっ――!』

※ ※ ※

355 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:41:22 ID:bKltLt3M0
(,,゚Д゚)『何にもねえよ。みんな流行りの風に乗っていっちまった。
     何にもいねえよ。どうせ好きになったってのも風のモノさ。
     どうしようもねえな。言葉なんて文字なんて、そもそも人間なんて、全然空虚なものなのさ。

    だからその、どうせ飽きるシロモノをいつまでもリツイートすんじゃねえ、ぶっ飛ばすぞ』

※ ※ ※

356 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:44:46 ID:bKltLt3M0
( ФωФ)『さあ、此処より以下の文章は、どうかヘッドバンギングをしながら読んでいただきたい。
        叫びながらでも構わない。思いの儘にのたうち回っても構わない。
        ともかく何らかの諸賢の感情を露わにする機会としていただきたいのだ。

        何故ならば私たちは歳を重ねるにつれて建前の海に溺れてしまい、
        何時しか本音を表す術を失ってしまう。
        真実の感情はあらゆる事物から解き放たれた時に初めて発露するものではないだろうか。

        音楽を聴きながら、独りで不器用な踊りをコッソリ披露したような経験が、殆どの人にあるだろう。
        ならば物語を読む際に、何も椅子に座って机に向き合い、
        ジッと沈黙して読み込む必要などどこにあろう。

        物語の世界に没入しておく時ぐらい、周りの環境を気にするべきではない。
        そこが公共の図書館でもない限り。

        その物語に抱いた激情を、
        高々叫んでいるように見せかけているツイートで終わらせてしまうのはあまりにも勿体ないではないか。

        だから私はヘドバンを推奨する。
        その行為は、私の知る限り最も直情的で、尚かつ自分の匙加減で行える感情再生の技法なのだから。
        
        紙面やディスプレイに刻まれた文字と自らの想像を繋ぎ合わせて、
        誰の知るものでもない独自の世界観に浸るべきだ。
        そうすれば自ずと、頭脳と肉体が躍動していくものであろう。

        その欲求を抑制する必要が何処にある。
        いずれ現実では世間を気にして縮こまっていなければならないのだから、
        せめて妄想の中でだけでも私たちは自由であるべきだ。

        さあ、頭を振るうのだ。独自の感覚で、独自のリズムで振るうのだ。
        そうして文字とイメージをシェイクすれば、きっと諸賢は幸福を得られる。

        さあ、振るえ、もっともっと振るうのだ。そうだ、それでいい。
        脳髄が物思う間もなく振るい続けろ。そうだ、それでいい。
        それでいいというのに、嗚呼、何ということだろう。

        『頭を振っていたら文字が読めないじゃないか!』』

※ ※ ※

357 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:47:34 ID:bKltLt3M0
……別に何が言いたいわけでもない。何を伝えたいわけでもない。
深い意味なんてどこにもないし、そんなものを詮索されたってどうしようもない。
作者の気持ちを考えられても、個人的に照れるだけで終わってしまう。

誰かのために何かを書くなんて、考えただけで目眩がする。
けれどこうやって文字が次々と吐き出されてゆくのは、こうしていないと僕自身が不安で不安で仕方がないからだ。

そしてそれが、例えばオフラインのチラシの上に書きなぐられているだけというのも、やっぱり不安になってしまう。
だって独りのための文章をしたためている時ほど、後悔に襲われる瞬間は無いのだから。

もし僕にセルフィーの才能があったなら、リストカットを綺麗にデコレーションして、
死にたいと呟くだけで終わってしまうようなものなのかもしれない。

けれどもこの希死念慮がもたらす人生の終わりのイメージは環状線を不眠不休でグルグル巡り、
ブレーキのかかる気配もない。終わりが終わらず、続きが続かない。

ならば立ち止まっているのかと問われればそういうわけでもなく、自転公転とともに確実に老け込んでいるし、
必要の無い四季が去来している。これはいったい何だろう。ここはいったい何処だろう。
誰に問いかけても明確な答えは返ってこないのだ。

人間は人生の本義について、運命という言葉で片して思考放棄してしまっている。
だって、どうやったってその意味を客観的に定義づけることなどできないのだから。
 
物語とは、ある種の答えを導きだす道筋であると云う人もいる。
それは、教訓とかその手の意味合いを持つのだろう。何よりも、
物語はその受け手に分かるように描かねばならない。そうしなければ第一義を失ってしまうのかもしれない。

けれども本当にそうだろうか。
脈絡のない、獣道さえも見当たらないような言葉の連続が人に何らかの印象や衝撃を与えはしないだろうか。

少なくとも僕はそういう類いのものがあるような気がしてならない。
意味が分かると怖い話より、意味は分からないけれど怖い話のほうが余程恐ろしい。
例えば、この人生のように。

※ ※ ※

358 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:50:16 ID:bKltLt3M0
沈黙と共に過ぎていく午後の空間。彼方に夕景、並んだ十字架。
風に舞い、何処からともなくやって来た慕情が、一筋の線を描いて何処へともなく吹き去った。
男は草叢に腰を下ろし、掃除を終えて一息ついている老婆の姿を何ともなく見遣っていた。

( ・∀・)「まるで、世界が終わっていく風ですね」
 
と、呟く。冗談でも本望でもなく、ただただ流れていってしまうだけの、社交辞令のような言葉。

('、`*川「そんな簡単にいくものかね。あたしはあんたの何倍もこの世でメシを食ってるけれども、
     世界が終わったというような話は一度も聞かないよ」

( ・∀・)「そんなことは分かっていますよ。何がどうなろうとも、明日はやってくるものです。
      火葬場にどんな色の煙がのぼったって、それは変わることのない。

      けれど、最近の若者というのは誰だって一度は世界の終わりに思いを馳せるものなのです。
      それは、ある種の憧憬なのですよ」

('、`*川「起こりもしないことに憧れたってどうしようもないさね。
     もうちょっと、現実味のある出来事に望みをかける方がマシだと思うがねえ」

( ・∀・)「勿論、宇宙ごとビッグクランチなんかで終わってしまえと言うわけではないですよ。
      世界の終わりというのは、実際のところ自分自身の終わりと同義なんです」

('、`*川「なんだい、じゃああんたは、自死でも考えているのかい。
      そんならね、此処じゃなくて余所でやってくれ、後始末が大変なもんなんだよ。
      人一人死ぬだけでもね。あんただって、こんなババアを隣にして死にたくもなかろう」

359 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:53:31 ID:bKltLt3M0
( ・∀・)「いえいえ、私なんかが自殺をするなんて、有り得ないことですよ。
      自殺というのは、意義深く、そして尊いことなんです。

      誰もが、重たい事情や心情を抱えて死んでいきます。
      私はそういう彼是を、この墓場に全て擲ってしまいました。
      私には、自殺に足りるほど抱えているものがないんですよ」

('、`*川「けれども、一丁前に憧れているというわけかい」

( ・∀・)「届かないが故に憧れるのですよ。私は自分自身で自殺を企てることはできません。
      だって死ぬというのはとても怖いことだから。
      結婚出来ないと知っていながらもアイドルを追いかけ続けるファン心理に似ているのかもしれません。

      僕はアイドルのCDやグッズを買い集める代わりにこうして十字架を建て続けているのですよ。

      いつの間にか取り残され、独りぼっちになって、
      最早嘗て抱いていた情熱や意志さえも冷え固まろうとしている今、
      自分自身だけでもその末期を悼めるように……」
 
老婆がジッと男を見詰める。男は、気まずそうに視線を外してどこにも焦点の合わない風景を眺めた。

( ・∀・)「結局、今日に至るまで私がやってきたことと言えば、自殺の代替行為だけだったのかも知れない……」

360 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:56:14 ID:bKltLt3M0
その時突然男の耳を、ガラスを粉砕したかのようなけたたましい破裂音が劈いた。
何故か、脳味噌の一部分がひび割れてしまったかのような印象を覚えた。

声もなく驚いて振り返った男の視線の先に老婆はおらず、
代わりに、どこか見覚えのある背高の老爺が笑みを浮かべて立っていた。
 
男はその姿を爪先から頭の天辺まで舐めるように見渡し、それから、安堵の表情で一つ首肯した。

( ・∀・)「何だ……。ずっと、傍にいたんですね」
 
その老爺……忙殺人鬼ブーンは笑みを崩さず、いつの間にか右手に持っていた小さなナイフをクルリと回した。
そのナイフは刃渡りがひどく短くまるで頼りにならない代物だった。

( ^ω^)「これじゃあ人を殺すことはできない……勿論、自殺するにも足りませんお。
      けれども、これこそが貴方の、全身全霊をかけて磨きあげた自慢の凶器だった……というわけですお。
      
      私は貴方をずっと見てきた。その特異な行動には多少なりとも興味を持っていました……
      然しながら、やはり貴方は私の仕事の範疇ではないようですお」

( ・∀・)「ハハハ……随分と、随分と時間を無駄にしてしまいましたね」

( ^ω^)「とんでもない。私は普遍の存在ですお、何時でも、何処からでも世界を眺望できるものですから。
      それにね、貴方がた人の目に映る私などは、所詮姿見を覗き込んでいるだけに過ぎないんですお」

361 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 21:59:37 ID:bKltLt3M0
( ・∀・)「そういうものですか……。
      こう言ってしまえば何ですがね、貴方の姿……つまり、私自身の姿というものは、
      もうすっかり老いさらばえてしまっているんですね」

( ^ω^)「貴方は何も持ち合わせていないお。
      人生の意義も、目的も、夢も希望もあらゆるものを喪ってしまっております。
      意図的であれどうであれ、それが貴方の歩んだ人生の結果なのですお。

      そういう人は、他人より何倍も早く老いぼれてしまいますし疲弊してしまう。
      然し、貴方が私を頼ることはないでしょう。それは貴方の心根や、立ち振る舞いを見てよく分かりましたお。
      
      貴方は捨てるに捨てきれぬ貴方自身の未来を、
      片手で握りしめてボロボロと潰してしまっているような具合ですお。
      
      そしてそれを決して……投げ捨てることができない。
      それこそ、死ねる人と死ねぬ人との明確な格差なのですお」
 
コツと靴音をたて、忙殺人鬼ブーンは男へ歩み寄った。そしておもむろに片手を差し出す。

( ^ω^)「これをお別れの標としましょう。
      この墓場は、どんな恰好であっても貴方の努力の賜物であることには違いありません。
      この墓場と、そして貴方自身と、私はお別れすることにします。

      こんなにも綺麗な夕焼け空の下ですが、決して印象深いものではありません。
      何故ならこの風景も、人々も、この世の原理原則だからです。
      この空は、近いうちにまた同じ色を映すでしょう。

      その空の下で私たちは、誰もが行うお別れと同じように、ごくごく普通の別れを交わしましょう。
      いつまでも変わらず、繰り返される毎日は天国でも地獄でもなく、ただの現実に過ぎないのです。
      その現実から逃れられぬ貴方の思いに、せめて握手の一つでもしようではありませんか」
 
差し出されたその手は老いぼれた相貌とは裏腹に若々しいものだった。
男はその手を握り、何かを言おうとしたが、何も思い浮かばなかった。
自分から湧き上がる一切の感傷が無意味に思え、わざわざ言葉にするのが億劫だった。

( ^ω^)「さようなら。どうか、お元気で。生きながら死んでいるというのも、また一つの生き方なのですから……」

※ ※ ※

362 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 22:03:18 ID:bKltLt3M0
……なんて、下らない空想と現実を重ね合わせていたら、時計の針が僕を置き去りにしてしまっていた。
アパートの一室でただ独り。誰もおらず、何もない。墓を立て続ける男も、それを世話する老婆も、
大勢のコロスも、あまつさえ忙殺人鬼ブーンなど存在するはずもなかった。

ただ、頭の中で粗末な液状の幻想がトプンを音を立てただけ。
まったく、それだけだ。

空虚な想いで脳みそを充たしたところで何も変わらず、何も失われない。
厄介な自己弁護がまたぞろ主張したというわけだ。歪な思弁、机上の空論。箸にも棒にもかからない私小説。
誰からも愛想を尽かされたどうしようもない架空の人形遊びを、惨めな自分が独りで嗤っている。
 
それでも息をするのだった。
夢を抱かず目標を持たず、希望を失い他人との繋がりが途絶えても、僕は呼吸をするのだった。
誰もいなくても、何もなくても、死のうとは思わないものだった。

これが若さを失うということなのかもしれない。
傍に誰かがいなくても、インターネットの知人に愛想をつかされても、この肉体がある限りは頭が働き、
つまり、自分自身が此処にあるのだった。

その実感は、思っていたほど悪くない。
むしろ、ようやく僕は居るべき場所に落ち着くことが出来たのかも知れなかった。

遠くで僕のことを思い出した昔の友人が、アイツは死んでしまったのかなと逡巡していても、
また、誰の脳裏からも消えてしまおうと、僕は確かに生きているのだった。
誰もが僕を忘れても、僕は死んでしまわない。孤独の底で、確かに生き続けるのだ。

今なお、生き続けているのだ。

※ ※ ※

363名も無きAAのようです:2014/10/10(金) 22:03:59 ID:dmXD5.sQ0
支援

364 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 22:06:45 ID:bKltLt3M0
僕が産み出した数多の想像。
それらは無秩序に、不躾に、そして不埒なまでに、言葉となって吐き散らされた。
遠い遠い揺り籠まで遡る僕の言葉たちに、僕はどのように謝罪するべきだろう。

嗚呼、どうか許してほしい。僕は本当に、言葉を産み出さなければ気が狂ってしまいそうだった。
それはたった独りの人間であるこの僕にとって、何よりも救済たり得る方法だったんだ。
そうして君たちのような、不格好で、どうしようもない言葉ばかりが産まれてしまった。

君たちには何の罪もないのに、僕はいつも何某かの罪障ばかりを背負わせてしまっていたんだ。
それはまるで、愛情を盾にした八つ当たりのように……。
 
そしてこれからもきっと、僕は言葉を、文章を、物語を、半永久的に綴り続けてしまうだろう。
何を反省することもなく。ただ僕だけの都合で。ただ僕だけの感情ばかりを乗せて。
 
言葉たちはそこにいる。明日も明後日も、いつまで経ってもそこにいる。
けれど、そこに込められた意味だとか、想いなんていうものは、いつの間にやら移ろって、変化して、
元の形を失ってしまう。僕らは知らず知らず、過去を引き出す手がかりを喪っていく。
 
あまつさえ、物覚えの悪い僕のことだ……。

365 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 22:09:25 ID:bKltLt3M0
言葉よ、本当にありがとう。僕はお前たちを無碍に扱ってばかりだったのに、今までよく耐えてくれた。
誤字脱字も、誤用も、文法の間違いも様々にあっただろう。その矜持は傷だらけに違いない。
それにも関わらず、変わらずついてきてくれたことに、僕は心の底から感謝したい。
 
そしてこれからも、僕は言葉を濫用するだろう。
迷いながら、惑いながら、僕はあらゆる悲観的な言葉を吐き出してしまう筈だ。

治そうと思って治るものじゃない。これは中毒みたいなものなのだ。
言葉の味を知ってしまった以上、僕は言葉を超える何かを見つけることはできないだろう。

だから僕がこの人生を終えるその日まで、言葉には過酷な目に遭ってもらわなければならない。
申し訳ない。申し訳ない。けれども、どうにかついてきてほしい。
言葉こそ、僕が信じることのできる唯一無二のものなのだから。
 
だからせめて墓をつくろう。
下卑た韜晦に充ち満ちた頭の中にそこそこに立派で、そこそこに心を込めた、
不出来でも形になっている墓をつくろう。

そうしてそれぞれに、墓碑銘を刻むのだ。あらゆる言葉に悼む言葉を重ねがけて、それを幾つも並べてみよう。

この脳髄が土に還るまで、言葉を産み出したという罪責を忘れぬように……。

※ ※ ※

366 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 22:12:32 ID:bKltLt3M0
毎日起床するアパート。毎日通る町並み。工事中の建物だって、どうせどこかで見たような景色。

雑多な人混み。その中に、憶えたくもないのに勝手に記憶にしまわれた人の顔がある。
あからさまに脅かしてくる喧噪。イヤホンが無ければ人生はやりきれない。
風の無い空にピッタリと貼り付いたようなうろこ雲を見上げると、何だかひどい不安に襲われる。
 
独りで咲き誇る痩せ細った向日葵。
彼女は、自分が他よりどれほど醜いのか知らぬまま枯れて死んでいくのだろう。
そういう生き方は、きっと美しい。
 
もしいつかこの僕がどこかの大講堂に立ったらこう叫ぶ。

「さあ、物語を始めましょう」

けれど、超満員の聴衆は誰も僕の言葉に耳を傾けていない。みんな、自分の人生に夢中なんだ。
 
そんな世界は、きっと素晴らしいものだと思う。
 
……ああ、まったく、もう。死んでしまいたい気持ちでいっぱいだ。
この夜が過ぎて、朝になったら、自分独りだけ世界から取り残されてしまっていればいいのに。
 
……いや、でも、明日は早起きをしよう。日が昇る頃に、アラームをセットしておこう。
だってその頃にはたぶん、ソーシャルゲームのスタミナが溜まっているだろうから……。
 
それでは、おやすみなさい。ごきげんよう。さようなら。
 
大丈夫。どうせ、いつまでも生きてるんだから。





367 ◆xh7i0CWaMo:2014/10/10(金) 22:13:37 ID:bKltLt3M0
後書きはブログに書きました。
10月12日午前0時に公開されます。
クソ長いのでどうでもいいやつです。投下前に書いたので若干齟齬があるかもしれませんが。

なのでもう、ここに書くべきことは何一つありません。
これで終わりです。
それでは、さようなら。

368名も無きAAのようです:2014/10/10(金) 22:24:03 ID:WEhma5jo0
完全に読みふけって支援とすら書くの忘れてた
すまない
きっとこの作品は何度も読むと思うよ
乙でした

369名も無きAAのようです:2014/10/10(金) 22:28:40 ID:V4rokEN.0
乙。最初から読み返してくるわ。
貴方の文好きだわ。

370名も無きAAのようです:2014/10/10(金) 22:44:29 ID:mMFeRHHs0
読みきりました
うまく言葉がでてきませんが何故か物語にありがとうございますと言いたくなります
乙です!

371名も無きAAのようです:2014/10/11(土) 00:50:29 ID:uIyO2l.k0
2が一番好きだおつ

372名も無きAAのようです:2014/10/11(土) 01:22:40 ID:1WVo36mg0

誰かもレスしてたけどなんか創作意欲が湧くな
人間の内側内側の話だからかなー自分を投影して読んでるとなんか色々湧いてくる
じっくりまた1から読み返そう

373名も無きAAのようです:2014/10/11(土) 11:11:32 ID:VT9Qft3s0
乙でした!!

374名も無きAAのようです:2014/10/11(土) 16:49:04 ID:T9B1Nm2.0
最後が素晴らしかった。ありがとう

375名も無きAAのようです:2014/10/11(土) 23:34:35 ID:ZDIdDmaM0
amazarashi好きそう

376名も無きAAのようです:2014/10/13(月) 16:26:57 ID:FCAFixzg0
ブーン系っていうより普通の小説として面白いな、乙

377名も無きAAのようです:2014/10/13(月) 16:41:20 ID:U8FkJkog0
ボンベロのパティめっちゃうまそうなんだよなあ
おつ
涙を流す日が個人的によかった

378名も無きAAのようです:2014/10/21(火) 00:20:12 ID:Dz8acoRA0
後書きはブログに
ってお前のブログどこだよw

379名も無きAAのようです:2014/10/21(火) 12:43:29 ID:etY0PejE0
ぶんてなも知らんのか


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