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死刑制度についてひと言お願いします

1boro:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。

2703已む無し:2010/05/01(土) 02:35:29
>>2699
いちおうレス指定しておきますね

>何度も言うようですが、>2694-2695のテーマで議論したいのであれば

あなたがそのテーマで議論をしたくないというのであれば、それはそれで構わないですよ
ただ、第3者がその書きこみを見たとき、どう判断するのかは分かりませんがね
更に付け加えると、>>2694を「テーマ」という時点でおかしいですけどね・・・・
これは単なる、他国の例ですし
更に更に付け加えるなら、>>2695も、別にテーマでも何でもないですよね
これは単なる日本の死刑制度の現状です
それを、「議論に取り上げて欲しいならこちらの言うことを聞け」 ともとれる発言・・・・
勘違いでなくて何なのかと

2704無精髭:2010/05/01(土) 02:47:31
プッ

どうやら已む無しさんは私と議論する気がないようですね。
いな、議論したくても議論の仕方が分からないのでしょう。
それでいて、いっちょまえに私は議論ができるんだーとか
勘違いされているわけですね。

あとは、死刑についてお一人で珍妙奇天烈な妄想をご披露
するなり、現実から逃避するなり、ご自由にドウゾ。
boroさんのおかげで、ここは已む無しさんのような御仁に
とっては楽園みたいなところでしょうから。

シェンさんやユーさんやKenさんも、もっと早くから已む無しさんが
議論のできない人だと分かっていれば、あんなに厳しいことは
言わなかったと思いますよ(笑)。

ではでは、今後ともお互いスルースキルを磨いていきましょうね♪

2705ufloat:2010/05/01(土) 03:40:08
>>2697
>どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが、それは少し傲慢かなと

>>2702
>自分のことを審判と言ったり、少し、自分達のことを特別視しすぎなのでは?

そんなこと言っている人がいるのですか。ひどい話です。しかし、私が見る限りでは
そのようなことを言った人はいなかったはずですが、勘違いですかな。
最近物忘れがひどいので、忘れているだけでしょうか。
とりあえず議論が開始した>>2654から、已む無しさんが>>2697
「どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが」
と初めて指摘されたところまで、「審判」で全文検索をかけてみますか。

結果、4件の一致。いずれも紫煙狼さんの記事ですね。
>>2688(3件の一致)
私の推測では、已む無しさんは最初から「死刑廃止論者」や「死刑反対論者」だけをターゲットに
疑いをかけており、死刑賛成論者や死刑存置論者のハラをさぐる意図はない、という事ではないで
しょうか?言い方を変えるなら、死刑賛成論者や死刑存置論者を疑うことはなく、あくまで自分に
相反する意見の持ち主だけ「疑い」の対象とする、という事ですよね?これは非常にアンフェアな
審判であるという事に気づきませんでしょうか?サッカーの審判が片方のチームだけ「反則をする
のではないか」と目を光らせ、もう片方のチームには「いや、大丈夫」とばかり注意を払わないと
すれば、審判資格を剥奪されかねない暴挙であると思います。

>>2689(1件の一致)
では、どこまで行けば已む無しさんが死刑廃止論者・死刑反対論者に対して、死刑賛成論者や
死刑存置論者に対するのと同じ程度の信頼を払うようになるのか…。言い方を変えるなら、
どこまで行けば已む無しさんは不公平な審判を諦めるのか。2010/01/27から1シーズン、300以上の
レスを経てなお疑いの目は晴れぬようです。

ふむふむ。
「已む無しさんは廃止論者の行動にのみ目を光らせていて、存置論者の行動はスルー。
已む無しさんの審判は不公平でおかしいのではないか」
というご指摘ですか。
確かに紫煙狼さん、「審判」とかおっしゃっていますね。
なるほど、納得納得。
最近物忘れがひどくていけません。年は取りたくないモノですねえ。

・・・あれ?
>どなたかが、自分たちのことを、『審判』 などと称していましたが、それは少し傲慢かなと
>自分のことを審判と言ったり、少し、自分達のことを特別視しすぎなのでは?
!?
誰が、いつ、どこで、そんなことを?

>ただ、第3者がその書きこみを見たとき、どう判断するのかは分かりませんがね
第三者はこれをどう判断すると思います?

2706主婦A@休暇はパラダイス:2010/05/01(土) 18:40:39
何か・・・・(自分自身の力量を)勘違いをなされているようですね

誰の目から見ても已む無しさんは不誠実に見えるので、私はその真意の裏を探ろうと
思います
これが世の常です

何かがあるのでは・・・・?と勘ぐって見ましたら、已む無しさんは悪意を根底に死
刑存置を
主張しようとしている偽善者で、論理的思考力も読解力も表現力も客観性も持ってい
ない無能者
だとわかりました
私には『已む無しさんが卑劣漢なのでは!?』 ということが、理屈抜きにして『わ
かる』のです
それを後から、世の中に証明する方法を模索していくのです

>>2382
>「私の考えは間違っている可能性があるぞ」と自分に言い聞かせ、考えの見直しを
繰り返して
やっていないことを、やっているかのように扱うのはいかがなものでしょうか?
実際にやっていないのですから

ご本人が違うと仰っても、これはまぁ、ただただ、私というちっぽけな一個人の主観
を述べさせて
頂いたに過ぎませんでも私の心の中では矛盾はないですよ
繊細なことなので説明するのにも
時間がかかりすぎるしなかなか自覚させるのは難しいですよね

もう一度繰り返しますこれが私の考え方であって、これが間違いであるとお思いなら
ばそれで仕方が
無いですしそんなのはただの主観だと思われるのでも結構です
私自身の、已む無しさんに対するただの感想に過ぎないです
だが、これだけは、已む無しさんには知っていて頂きたい
貴方のように基本的な日本語文法も理解していない人は発言しないほうが良いと思い
ます
已む無しさん以外の人が貴方の発言をみたら、誤解では済まされないと思いますから
この掲示板を見る不特定多数の人間にとっては、それはとても繊細で敏感な問題だと
思いますよ

(近々戻ってきますけど)では、これで本当のさようならです
駄文、失礼いたしました

2707已む無し:2010/05/01(土) 21:14:12
>>2706
>何か・・・・(自分自身の力量を)勘違いをなされているようですね

分かり易く、括弧で追記ありがとうございます
が、それと、私が使った勘違いという意味は少し違いますね
(自分自身の権限を)というような意味ですね
以前にも、いかにも自分達に従わないこと=ここの管理人さんに従わないこと
のように仰っていましたからね

あとですね、単に、私自身の個人的な意見を申し上げているだけなのに、力量もクソも無いと思いますがね?
そう思うほどに鼻にもかけないようなレスであるならば、普通にスルーして頂ければいいのでは?
私は何も、私の書き込みに対して意見を強要しているわけでもないですから

意見して欲しかったらコレに答えろ!等の考えは私にはありませんよ

自分たちのことを審判と称している との私の書き込みにも突っ込みが入りましたね
部分的にレスを抽出すると、審判=私 となっていますね

審判 という単語は使っていませんが、自分達は特別な存在だと匂わすようなレスはところどころでみられていましたしね
通りすがりさんを交えて
ダブハン棄てハンについて疑いがかかったときも、そのような発言がみられましたよね

まぁ、ここらへんは私にとってはスルー対象になりつつありますがね

2708已む無し:2010/05/01(土) 21:55:52
下書きしろと言われたので、少しだけ下書きした意見を書き込んでみますね


死刑存置派は、死刑制度には抑止力があると主張する
死刑廃止派は、死刑制度には抑止力は無いと主張する
抑止力があることは(明確には)証明されていないし、無いことも証明されていないのが現状である
そこで
抑止力を証明する方策をひとつ提案する(同時に、抑止力が無いことが証明される可能性もある)
これは、2ちゃんねる掲示板において、死刑廃止論者を名乗る者から実際に出た案であるし
このスレッドでもいくつか似たような案がでてきていた(ここではスルーされていたが)
そしてこれは、死刑制度廃止するにあたっての第一歩とも云えると思います

具体的には
本人が死刑制度に反対する旨、司法に申請登録し
死刑制度反対意思表示カードを発行してもらう
(ドナーカードみたいなもの)
そして公に誰の目からもそれが確認できるようにする
そのカードを持つものが殺害された場合には、遺族がどう主張しようとも、死刑が適用されることは無いものとする

現状で死刑存置国(州)と廃止国(州)の治安を比べても、そもそもの民度も文化も生活圏も違うので比較対象にはなりにくいが
これだと、同じ国の同じ生活圏のなかに、死刑存置状態と廃止状態が同居することになる
この状態で、何十年か統計を取る
これにより、如実に死刑反対派(カード所持者)が殺害される人数 ※ が多くなった場合には、カードは廃止、死刑の抑止力は証明される(そもそもカード申請者が減っていくだろうが)
また、カード所持する者よりも所持しない者(死刑に賛同する者)が殺害される人数 ※ が多いという結果になれば、死刑制度廃止に向けての大きな根拠となりえるし
どちらも変わらない場合には、少しずつでも、カード所持者(死刑廃止派)が増えていくことにも繋がるだろうから
このまま進めば死刑制度廃止に向かっていく可能性が高まるのではないかとも思える


※廃止派:存置派を同比率で計算する。つまり、総数で廃止派10人存置派100人だった場合、廃止派1人の殺害数は、存置派10人分の殺害数と同じとして比較する

2709無精髭:2010/05/01(土) 22:37:20
病むさん! いいぞもっとやれw

>※廃止派:存置派を同比率で計算する。(下略)

( ゚д゚)ポカーン

2710loveless:2010/05/01(土) 22:46:26
>>2708
>具体的には
>本人が死刑制度に反対する旨、司法に申請登録し
>死刑制度反対意思表示カードを発行してもらう
>(ドナーカードみたいなもの)

ありゃ、昔、私が2chとかで提案した「運動」に近いなあw
(まあ、よくあるアイデアですが。。)

私が提案したのは、単なる運動で、法的な意味はないものですが、、
「私が殺害されても、加害者が死刑にならないよう裁判官には配慮を求めます」
というようなカードを作って、街行く人たちに配って啓発してみては?
というもの。。
(今なら、「裁判官」=「裁判員」なので、前よりは「配慮」が働きそう)

2711已む無し:2010/05/01(土) 22:58:43
>>2709
やっぱりスルーはしないんですねw
そんなことしか言わないのならばスルーでいいのでは??

>>2710
それを、死刑の抑止力の証明という形で応用が利かないかなと思いました^^;

2712紫煙狼:2010/05/01(土) 23:26:08
私にゃどうしても理解できないことがあった。あらゆる仮説を立ててみても、どれも矛盾の
生じる説しか浮かばなくて、自分の想像力の限界を感じて仕方が無かった。一時は已む無し
さんの読解力を本当に疑わなければならないのかと思ったほどだ。

主婦Aさんね、貴方の>>2706は一歩間違えると不規則発言だよ。已む無しさんと同じ手法、
同じ言葉を多用してみても、これじゃあ、已む無しさんを愚弄することを目的としていると
しか受け取りようがありゃぁしないからね。そういう意図があったのであれば話ぁ別だが、
そういう意図が無かったのであれば、もう少し言い様や、やり様があったのじゃないかね。
少なくとも私ぁ、手放しで「よくぞ言ってくれた!」たぁ思えないね。

だが、実際問題として私ぁ貴方に礼を言わざるを得ない。これも貴方の意図かどうかは
分からない話だが、>>2707の已む無しさんの応答で、ようやく私ぁ已む無しさんの目的、
いや、少なくとも私ん中で矛盾が生じない「已む無しさん像」を思いつくことができた
からね。言い換えると、貴方に悪者を演じてもらって初めて、私ぁ已む無しさんの言動に
一歩近づけたわけだ。これは本当なら私がやるべき悪役だったかもしれないね。だから、
礼を言うとともに、申し訳ないと謝罪せねばならん。

いや、取って付けたようだが已む無しさんにも謝罪せねばならんね。これは本当に申し訳
ないことをした。私ぁ貴方を把握することができないで居た。結果論で言うならみくびって
いたということになるだろうね。これは私の未熟さだ。私が気づかなかったせいで、已む無
しさんは延々と「困った人」を演じ続けなければならなくなった。貴方の意図は自分から
バラしてしまっては意味が無い。おそらく私なり誰かなりが気づくのを信じて演じ続けるより
他に手は残されていなかったんだろうね。結果として已む無しさんからの信頼を裏切り続ける
事になってしまった。これは詫びて済むような問題ではないだろうね。

だが、遅きに失した感はあれど、ようやく理解できた。貴方ぁ既にハラの探りあいなんてのは
とっくに止めていたわけだ。たぶん、今度こそ間違いないと思うが、こうじゃないかな。

2713紫煙狼:2010/05/01(土) 23:26:43
已む無しさん、貴方ぁ、この私(おそらく今回の標的は私だけではないかと思うね)に
物理的な力なしに人を生まれ変わらせることの難しさを訴えようとしていたわけだ。
いやいや、あっさりと「はい、そうでした」と返ってくるとも思ってはおらんがね。

つまり、貴方ぁ「言葉で言っても分からぬ奴」と相互理解を生み出す。そういう輩と
共存することを可能にすることの難しさ、限界を体現して見せたわけだ。

なるほど、貴方がやってみせたように、独善的な論理、日本語と似て非なる独自の言語、
生理的嫌悪感を抱かずには居られないような態度の凶悪犯が居たとして、物理的な力な
しに説得だけで更生させられるかと言うと、これは難しいことなのではなかろうかね。
そして、一時貴方が「理解を示したように見せかけた」のも更生の度合いを知る術の
無さを現実に見せ付けるより他になかったのではないかね。そして、あっさりと、私は
貴方の掌の上で遊ばれてしまったわけだ。無理やり曲解に曲解を重ねるのは…これは
大変だったろう。頭の下がる思いだ。殴らにゃぁ分からん奴、殺しても分からん奴を
演じ続けるのは、演じる側としても不愉快極まりないことだったろうね。

だがね、それでも私ぁ説得を試みること、更生教育を充実させることで多くの凶悪犯を
更生させられるだろうと思う気持ちに変わりはない。そこを諦めることは人類の進歩を
否定することに他ならないとさえ思っている。間違いなく言えることは、私の限界と
人類の限界はイコールではないということだ。私はね、人を信じてみようと思う気持ち
の強さに関しては決して人後に劣るとは思っていない。だが同時に、自分に限界が無い
とも思ってはいない。人任せに思われると困るのだが、私に説得できない相手でも、
きっとこの世のどこかには、そいつを説得できる人が居ると信じているんだ。苦痛を
用いなければ自分の行いの悪さに気づかぬ奴など居ないと信じているんだ。

そりゃあ、甘いかもしれんがね。でも、やはり安易に苦痛を用いることを肯定することは
できやしないね。前にも言ったとおり、そこで張られるのは「苦痛を避けようとする」
リンクだけで、苦痛を与えられないならやっても構わないと思うリンクだよ。それこそ、
死をも恐れぬ輩には意味を成さないリンクではないか。それは今現在では止むを得ない
ことであったとしても、やはり、善悪の判断基準を苦痛に求めない道徳教育が必要だとは
思うことはできないだろうか?

2714紫煙狼:2010/05/01(土) 23:27:16
たとえば、だ。たとえば、私一人を除いて全人類が死滅したとしても、
つまり誰かが私に苦痛を与えるという可能性が極限までそぎ取られても、
私はむやみに動物を殺し、あるいは植物を摘むようなことはしないよ。
それは、私には「不必要な殺生が良いものを生み出すことは無い」という
教育を受けてきたから、それが私に根付いたからだ。

いや、もし、誰か幼く非力な女性とただ二人地球に取り残されたとして、
私とその女性がアダムとイブにならなければ人類は絶滅すると分かっていても、
やはり、その女性の同意を得ることなく性交を試みることはないだろうし、
私にだって選ぶ権利ぐらいは残していただきたい。相手によって、相手の
出方次第によって、私は喜んで人類の滅亡を選ぶだろうよ。
「無理やり犯しても罪に問われない、苦痛を与えられない」と分かっていてもね。

人の心を縛るのが苦痛であってはいけないよ。人の心を縛るのは良心であるべきだ。
もし、かけらも良心を持ち合わせない奴が居たとして、我々人類が目指すべきは、
それを殺して我々から未来永劫遠ざけることではなく、我々から一定の距離を置いた
ところで、良心が芽生え、共存が可能になる日を待つこと、そのためにあらゆる
努力を惜しまないことではないかね。

私はね、少なくとも私は、その努力を諦めるほど自分の力を過信しては居ないよ。

2715已む無し:2010/05/02(日) 00:02:50
うーん・・・・紫煙狼さんがどこまで本気なのかが私には分からないな・・・・
本気で言っているのだとしたら、誤解や擦れ違いが多いなと思うし
意図的に私を貶めようとしているだけなのだったらスルー対象になるのですが・・・・どっちなのだろう
悪人か善人かを見極めるとかいうのは、かなり大それたことだとは思うのですが
少なくともそれくらいは見極めないと時間と労力の無駄になるばかりでなく
要らぬ議論でスレが埋め尽くされて、論点がわかりにくくなるだけだと思うのですよね

まぁいくつか抽出します
>貴方ぁ既にハラの探りあいなんてのはとっくに止めていたわけだ。

これについては、半分Yesかな?
探る目的でのレスは止めていますが、やはり分からない部分はあるので

>「言葉で言っても分からぬ奴」と相互理解を生み出す。そういう輩と
>共存することを可能にすることの難しさ、限界を体現して見せたわけだ。

難しいとは思うが不可能だとは思っていないし、体現したつもりは無い

>なるほど、貴方がやってみせたように、独善的な論理〜

これはアナタがそう思うならば否定はしませんが、そのあとの凶悪犯は酷いな^^;

>一時貴方が「理解を示したように見せかけた」

理解した。そう思っていただけたのならば、それはそのまま正しく伝わったのだと思いますよ
見せかけた・・・・というよりも、見せかけなければいけない理由が無いです
また、一つのことを理解したからといって、その人の言う総てを理解することにはならないと思いますしね
私は、存置派を名乗る人間相手であっても、言いたいことは遠慮なく言わせていただきますよ
ただ、前に、guestさんが言ったような、最終的には多数決なのだからというような意見
(ここで廃止派さん達には数の暴挙などとも言われていましたね)
これは、議論の研鑽という点にはそぐわなくとも、否定することも出来ないと感じましたので
これに触れる必要性は感じませんでした

>無理やり曲解に曲解を重ねるのは

これはやったつもりが全く無い
むしろこれを多くやっているのは無精髭さんかと(ハッキリと目的をもってそれをやったと認める発言もありましたし)

>善悪の判断基準を苦痛に求めない道徳教育が必要だとは思うことはできないだろうか?

身体的に苦痛である必要は無いと思うが、身体的な刺激は必要ではなかろうかと考えています


結果的に、たとえ私が曲解をしていたのだとしても、それはお互い様でしょうし
そう感じたのならば、その部分については、曲解をしてる旨だけ伝えるなり、スルーでもいいのでは?

2716已む無し:2010/05/02(日) 00:14:06
>>2708は、廃止論者にとっては落とし処にはなりえないのでしょうか?
細かいところを手直ししたとしても全く話にならない意見なのでしょうか?

また、>>2710のような、啓発という形であっても話にならないのでしょうか?

2717紫煙狼:2010/05/02(日) 00:17:46
>>2708
>死刑存置派は、死刑制度には抑止力があると主張する
>死刑廃止派は、死刑制度には抑止力は無いと主張する
>抑止力があることは(明確には)証明されていないし、無いことも証明されていないのが現状である
どうだろう、これで抑止力の有無が証明されたところで宗旨替えをするのは極めて一部なのではないだろうか?

実際は
死刑存置派は、死刑制度には抑止力が無いとしても存置を唱える
死刑廃止派は、死刑制度には抑止力が有るとしても廃止を唱える
これが現実なのではないだろうか?というのも、私は死刑には犯罪抑止効果があると認める廃止派だからね。
自分が廃止派の中での多数派であるというつもりは無いが、抑止力だけをそこまで重大事として扱うような
廃止論にも存置論にも出会ったことは無いのですよ。それはまるで「再犯の可能性の大小で死刑存廃を語る
べきではない」というのと同じでね。だから、抑止論の有無の証明が必要であると考える意見の本質は
「死刑による抑止力は最も強烈なもので、他の方法で代用できるものではない」と証明するか、
「死刑による抑止力は実は思ったほどのものではなくて、他の方法で代用可能である」と証明するか、
このどちらかなのではないかと思うのですよ。

だから、已む無しさんの言う実験は試みとしては面白いものであるかもしれないが、本質に迫る類のものでは
ないと思うし、逆にこの実験を実施したとして、カードを持つ者と持たない者が同じレベルのリスクを抱える
と本気で思うのですか?いや、これは犯罪者の心理をまるで無視した提案に思えますね。

犯罪者は可能な限りリスクの低い方法で犯罪を行うと思うのですよ。つまり弱者を標的に選ぶのは、犯罪を成功
させ、失敗するリスクを減らすためではないですか?殺害する相手が誰でもいいなら弱い者を標的にする。
同じく、失敗したときのリスクを考えれば、カードを持つものを標的と選ぶでしょう。と、すれば、ここで得られる
データも死刑廃止時の抑止効果と死刑存置時の抑止効果を意味するものではないと思いますよ?そこで得られるデータ
は、犯罪者は自分の保身を最優先に標的を選ぶ、という至極あたりまえの結論ではないでしょうか?危険ですよ。

ならば逆に、犯罪者(犯罪予備軍)にはリスクがわからない状態で実験したほうが効果的なのでは?
つまり、最初に全日本人の50%を任意に抽出し、これに該当するか否か、本人にも分からないようにする。
何らかの犯罪が発生した際に、被害者がこの抽出された50%に該当した場合は、被害の大小にかかわらず
犯人を死刑に処す。簡単に言えば、犯罪2件に1件は死刑ですね。死刑になる確率が被害者一人当たり50%ですから、
2人の被害者が出た場合死刑になる確率は75%、3人の被害者が出た場合は87.5%、4人被害者が出た場合は、
およそ95%死刑ですね。これであらゆる犯罪が減少すれば死刑には抑止効果がある、と結論できるのでは?

どちらにしても、犯罪が増えるかもしれない方法で実験するよりは、犯罪が経るかもしれない方法で実験したほうが
より危険性は少ないと思いますがいかがでしょう?

もちろん、死刑廃止を訴えるなら、身の危険というリスクを甘受せよ!という脅しであるのは理解していますがね。

2718紫煙狼:2010/05/02(日) 00:33:51
かくいう私、自分が犯罪に巻きこまれた際にも、犯人には死刑を適応しないでほしい旨の
遺書をいつも内ポケットに忍ばせて歩いている変人でございますから、別に已む無しさん
ご提案の実験に参加することは吝かではありません。

たんに、その実験で得られるデータが、已む無しさんが欲するデータ(抑止力の有無を示す
データ)であるか?という部分に大きな疑問を抱いているわけでして。

それと、私の逆提案も実際に運用してみた場合、不確定要素が大きいかもしれないという
不安自体は持っています。つまり、被害の大小にかかわらず、なのですから、過失で何らかの
罪を犯してしまった場合、犯人が「死刑にならない可能性」よりも「死刑になる可能性」の
恐怖に負けて「一人殺っちまったら、もう何人殺っても同じなんだよ!」となる可能性も
ありますものね。こうなると、犯罪者の数は減少しても被害者の数は増えるかもしれないので、
「過失の際は被害者が50%に該当しても死刑にはせず、通常の刑罰で処断する」という但し書きか
「およそ過失では起こりえない罪にのみ、この実験を適応する」のどちらかの条件が加算されれば
より、目的にかなった実験に近づくかもしれませんね。

2719已む無し:2010/05/02(日) 00:44:26
そうですか、紫煙狼さんはそう考えるわけですか
ですが、死刑の抑止力が、『証明』 されるかどうかについては重要ではないでしょうか?
紫煙狼さんは、死刑に抑止力があると「思う」
私も、死刑に抑止力があると「思う」 わけですが、証明されていないものを制度の根拠に取り入れるべきではない
という考えに、真っ向から反論できるとも思ってはいないので、こういう提案をしてみたわけです
抑止力云々だけではなく、死刑制度廃止にそのまま向かう可能性もあるわけですしね

まぁ。死刑廃止派の方々からは、死刑制度に抑止力は無いとする意見が多く見受けられるようですがね

2720已む無し:2010/05/02(日) 01:08:20
また脊椎反射して書き込みしてしまったので、改めて落ち着いてレスします^^;
まず
>抑止力だけをそこまで重大事として扱うような

私にとっては、これと、応報感情が占める部分が大きいですね
(来世への云々っていうとまた怒られるので自粛)
なので、再犯防止については大きく捉えてません
以前にも言いましたが、死刑制度には建前として幅を利かせていただいて、実際には終身刑でもいいと考えています

>ならば逆に、犯罪者(犯罪予備軍)には
から
>と結論できるのでは?
まで
プラス
>「過失の際は被害者が50%に該当しても死刑にはせず、通常の刑罰で処断する」という但し書きか
>「およそ過失では起こりえない罪にのみ、この実験を適応する」のどちらかの条件が加算されれば

ですかね

恐ろしいですねw
あらゆる犯罪組織が日本から逃げていくのではないでしょうかw
故意におこなった犯罪であるならば、確率で死刑が適用される・・・・・
応報原理はまったく無視していますが、抑止力という点に絞れば、これはかなり強力だと思いますね

>死刑廃止を訴えるなら、身の危険というリスクを甘受せよ!という脅し

これは違いますね
死刑に抑止力が無いと断言して死刑廃止を訴えている人ならば、そこにリスクも身の危険も感じないはずですよ
リスクを感じるのは、死刑に抑止力があると感じる人だけだと思います
そういう意味も含めて、自分が主張する意見、『死刑制度には抑止力が無い』 を自身で証明して頂くということ
紫煙狼さんの逆提案と一番違う部分は、『自分自身にどちらを選ぶかの選択権がある』 ということだと思うのです

2721紫煙狼:2010/05/02(日) 02:20:27
>これは違いますね(中略)死刑に抑止力があると感じる人だけだと思います
そうですか?それをそのまま咀嚼して良いものか、私は迷いますね。

たとえば、已む無しさんの仰るとおりに実験した結果として
「犯罪発生率には変化が見られなかったが、被害者の大半はカードの持ち主だった」
とした場合、已む無しさんはそのデータからどんな結論を導き出すのでしょうか?

已む無しさん的には当たり前のことを私は質問しているのでしょうが、
お手数ですが、このデータの読み解き方をご教授いただけますでしょうか?

2722紫煙狼:2010/05/02(日) 10:26:05
「好き」の逆は「好きではない」なのでしょうか???

「死刑には犯罪抑止効果がある」の真逆は「死刑には犯罪推進効果がある」でしょう。

では「死刑には犯罪抑止効果が無い」とする人は全て「死刑には犯罪推進効果がある」
と考える人たちなのでしょうか?

已む無しさんの実験に自らすすんでカードを保持するという選択して恐怖を感じない人は
「死刑なんてものがあるから犯罪が起きるのだ」と考える人だけでしょう。

「逆」と「否定」を混同している限り、実験データを正しく読み取ることはできないし、
実験そのものの設定も誤ったものになると思います。この「逆」と「否定」の混同を
意図的に起こしているのであれば、それは意地の悪い脅しにしかならないでしょうね。

2723已む無し:2010/05/02(日) 13:00:13
>>2722
これに答えることによって、直ぐ上のレスの答えにも繋がりそうですね

好きの逆は当然、「嫌い」でしょう
なので
>「死刑には犯罪抑止効果がある」の真逆は「死刑には犯罪推進効果がある」でしょう。

これも全くその通りだと思いますし
>「逆」と「否定」を混同している限り

混同したつもりもありません
それに、死刑に抑止力が無いと主張する廃止論者の中には更に、死刑に殺人推進効果があるとも主張される方もみえます

ですが
>已む無しさんの実験に自らすすんでカードを保持するという選択して恐怖を感じない人は
>「死刑なんてものがあるから犯罪が起きるのだ」と考える人だけでしょう。

これはおかしいのでは?
死刑に抑止力がないのならば、カード所持することによって殺人被害者になるリスクはないはずです
死刑に殺人推進効果があるならば、カード所持することによって、殺人被害から守られるというメリットが得られるということになります
ですが、そもそも他の理由で死刑を廃止したいと願っている方々からしたら
殺人被害に遭うという特別なリスクがない限り、それの証明になりうる他、死刑廃止に向かう大きな道標になりうるのだから
これだけで大きなメリットとなりうるのではなかろうかと思うのですがどうでしょう

もちろん私にとって(多くの死刑存置派にとって)は、カード所持することによって殺人被害のリスクを感じますし
特別に、死刑廃止を急ぐ意志ももちあわせてはいないので、メリットもないことになります

余談ですが、私は、ドナーカードを保持するという選択をするだけで多少の恐怖を感じます
なので、私自身も、家族にも保持させていません
そういった意味でもドナーカードを例に出しました

2724已む無し:2010/05/02(日) 13:08:36
>>2723
>もちろん私にとって(多くの死刑存置派にとって)は、カード所持することによって殺人被害のリスクを感じますし
>特別に、死刑廃止を急ぐ意志ももちあわせてはいないので、メリットもないことになります

追記ですが、死刑の抑止力が『無い』と証明(そう感じさせる材料が増えるだけでもいい)されていけば
現在存置派で、カード所持による身の危険を感じている人たちの考えも徐々に変わっていくのでは?
と考えるわけです (今は大きな抑止力があると感じている私の考えも当然変わるでしょう)
死刑の抑止力の有無(殺人推進効果の有無も含め)の統計的な証明が可能且つ
それがそのまま大きな死刑廃止運動になりうると考えるわけです

2725無精髭:2010/05/02(日) 13:27:45
どうせ徒労になるだろうとは思いつつ色々と書き溜めてはいますが、それはひとまず脇において、
現在進行している議論を見て気になったことを書き込ませてもらいます。

>死刑に殺人推進効果があるならば、カード所持することによって、殺人被害から守られるというメリットが得られるということになります
もし死刑に殺人推進効果があったら、カードを所持することで殺人被害から守られるということはないのでは?

>もちろん私にとって(多くの死刑存置派にとって)は、カード所持することによって殺人被害のリスクを感じますし
でも、死刑に抑止力があると考えているのでしょうから、カード所持することによって殺人被害者になるリスクが少ないというメリットは
感じることができなければおかしいですよね?

と、ここまで書いてようやく已む無しさんが前に仰っていたことを思い出しました。

>カード所持による身の危険
この場合、カード所持者を殺そうとするのは、死刑廃止運動を繰り広げている犯罪組織ということでよろしいのですね?

2726無精髭:2010/05/02(日) 13:59:15
少し話を遡りますが、已む無しさんの提案では、たとえば秋葉原無差別殺傷事件において死刑の抑止力が働いたかを
検証するのは不可能かと思われます。ああいう犯行形態では、実行者がカードを所持する者と所持しない者とを区別
することはおそらくできないでしょうから。つまり、「ただ人を殺したかった」という動機から場当たり的に対象を
選んだようなケースは除外する必要があるかと。紫煙狼さんの疑問と被りますが。

ただ、秋葉原の通り魔は、どこまで本気か分かりませんが「死刑になりたい」という動機から人を殺したようですから、
已む無しさんの提案を採用した場合、そういう殺人者にとっては、カード所持者をカード非所持者から選り分けて殺す
という遠回りをしなければ目的を成就することはできないわけです。したがって、「死刑になりたくて人を殺」そうと
本気で考えている人間が、殺しても意味がない人(カード非所持者)を殺すことを防ぐことはできるかも知れませんね。

2727無精髭:2010/05/02(日) 15:44:30
訂正します(苦笑)。>2726ではカード所持者とカード非所持者の意味を取り違えております。

已む無しさんが考える「殺人推進効果」というのは、死刑になりたいと思う人間を犯行に走ら
せる効果として定義されているわけですね。これなら確かにカードを所持する者は、犯人が
死刑になりたくて犯すような犯罪からは守られますね。

私は、犯罪者の人格形成に死刑が及ぼす影響として「殺人推進効果」を捉えておりました。

それと、

>カード所持することによって殺人被害者になるリスクが少ないというメリットは
>感じることができなければおかしいですよね?

と書きましたが、これは、カードを所持していると言う点で、カードを所持しない者よりも
殺人被害者になるリスクが少なくならなければおかしいのではないか、という意味です。

ですが、

>もちろん私にとって(多くの死刑存置派にとって)は、カード所持することによって殺人被害のリスクを感じますし
>特別に、死刑廃止を急ぐ意志ももちあわせてはいないので、メリットもないことになります

この発言が死刑に殺人推進効果があるとした場合を前提としているのであれば、納得です。

ところで、已む無しさんは実際に死刑には殺人推進効果もあるとお考えなのかが気になりました。

2728無精髭:2010/05/02(日) 15:51:29
あっ、また取り違えた。スマソ。

誤>と書きましたが、これは、カードを所持していると言う点で、カードを所持しない者よりも
正>と書きましたが、これは、カードを所持していないと言う点で、カードを所持する者よりも

もっと正確に書きますと以下になります。

>と書きましたが、これは、カードを所持していないと言う点で、カードを所持する者よりも
>殺人被害者になるリスクが少ないと感じることができなければおかしいのではないか、という意味です。

2729無精髭:2010/05/02(日) 16:06:04
>もちろん私にとって(多くの死刑存置派にとって)は、カード所持することによって殺人被害のリスクを感じますし

ああ、なるほど。死刑に抑止力があると考える人にとってみれば、自分が殺されても犯人が死刑にならないという
カードを所持しなければならないとしたら、常に恐怖を感じなければ確かに変ですね。

已む無しさんの提案については思いっきり勘違いしてましたw

2730已む無し:2010/05/02(日) 16:12:28
>>2725
もっと整理してから書き込んで頂ければ幸いですが

>已む無しさんが考える「殺人推進効果」というのは、死刑になりたいと思う人間を犯行に走ら
>せる効果として定義されているわけですね

そもそも私個人としては、死刑には殺人推進効果があるとは思っていないので、『私が考え定義する』
ということはおかしいですよ
廃止論者の方で、そう主張されている方をお見受けするという意味であって
そういう方々の主張では、もちろんそれも含まれますが、もっと広い意味だと捉えられているようですね

2731無精髭:2010/05/02(日) 16:40:53
>2730
ご回答ありがとうございます。
では、「定義」ではなく「仮定」という言葉でよろしいでしょうか?

今議論になっていることとは関係ないですが、私の中では已む無しさんについての印象が
徐々に変わりつつあります。昨日までは違いましたが、今は已む無しさんの仰っていることが
よく分からないからこそ、もっとよく知りたいと思うようになりました。つまり、標準的な文法
だとか論理的だとか第三者による客観的な評価だとかいったことはとりあえず脇に置いて、
できる限り已む無しさんの考え方に沿って一緒に思索していく、というのもアリだなと思うよう
になりました。

>もっと整理してから書き込んで頂ければ幸いですが

すみません。今、なかなか思索に集中できなくって。

2732無精髭:2010/05/02(日) 16:45:35
つまり、『私が考え定義する』ではなく『私が想像し仮定する』であると。

誰かと議論を成立させるには、その人の言葉遣いを理解するというのが
前提かも知れませんね。

2733ufloat:2010/05/02(日) 17:08:25
(それにしても、無精髭さん、紫煙狼さんは懐深い方ですね。本気で尊敬いたします。
また途中で理解不能な曲解をされて議論が紛糾するのは確実なので、私はとても・・・)

>>2707
やはり無駄ですか。せめて「第三者に読んでもらうべき」という言葉だけでも受け入れて
くだされば、ご自分が第三者からどのように見えるかをご理解いただけたでしょうに、
ご自分でご自分の論を貶めていることに気づいていただけないのは残念です。
あなたの論が信用されなくなっても、それはあなたの問題ですから、仕方ありますまい。

ただ、これで「存置論」の信用まで揺らいでは困るので、
釈迦に説法とは思いますが、せめて主婦Aさん(>>2706)など「第三者」の方々にお願いを。
確かに已む無しさんは目を覆いたくなるような態度の方ではありますが、死刑存置論者の中には
誠実な方などいくらでも存在します。それに、已む無しさん自身が実は不誠実な廃止論者で、
存置論のイメージダウンのため、意味不明な誤読を繰り返しているのかもしれません
(ここまでのやりとりはあまりに異常なので、この可能性は考えられる)。
私自身の存置派としての部分からも、こんなことで存置派に疑念を持たれたりは
されないよう、どうか強くお願いいたします。

もうしばらく考えをまとめたら、私は存置を肯定する資料を持っていないので、Kenさんとの
議論は困難そうですが、存置派の立場から紫煙狼さんや無精髭さんとの議論でもやってみますかな
(このような意思不明瞭な人間に、お2方がお付き合いくださるならばの話ですが)。
私自身が必ずしも廃止派の立場ではないということもありますし、已む無しさんの
悪質な審判ぶりを見るにつけ、「人の振り見て我が振り直せ」、そういうのも必要かなと。

>死刑反対意思表示カード
例えば私自身が事件に巻き込まれて大怪我をして、日本にはそれに対する
死刑・終身刑の定めがある。そして、犯人を死刑にするか終身刑にするか
自分自身が決めてよく、しかもその選択によって社会に特段の影響はない
(「社会への影響」とは必ずしも抑止効果や推進効果に限ったことではなく、
義憤に駆られた暴走者(女子高生コンクリ詰め殺人スレッド参照)が出るとか、
自分や家族が強硬な存置派から脅迫あるいは中傷されるといったことも考えられる)。
そのような場合でしたら、私は「終身刑」を選択することも否定しません。
ただ、自分自身が殺された場合については、私は「残された人々や社会に一任します」
としかいえません。死人はもはや、社会から何の恩恵も損害も受けないので。
私は死後の世界など信じておりませんが、仮に死後にも意識が存続したとして、
それで犯人が死刑になっても、廃止論者としての自分は納得しなくてはなりませんし、
犯人が終身刑になっても、存置論者としての自分は納得しなくてはなりません。
これはもう、死人である自分が関与できることではないと、私は考えています。

2734紫煙狼:2010/05/02(日) 17:41:02
>死刑に抑止力がないのならば、カード所持することによって殺人被害者になるリスクはないはずです
「犯罪抑止効果は無い=犯罪発生率に変化は無い」けれども
「犯罪が発生した場合カードを持っている人のほうが被害に遭いやすい」
という想定を許さない、という事でしょうか?

2735已む無し:2010/05/02(日) 17:53:54
許す、許さないではなく、想定するならば、危険を冒してまでカードを所持すべきではないだろうし
危険ではない(あるいは、より安全である)と判断できるならば、所持すればいいというだけだと思うのですが・・・・
そもそも、この試みが仮に実践されたとしても、誰一人としてカードを申請するものがいないのならば
そこで終了となるだけの話でしょう

2736無精髭:2010/05/02(日) 17:57:40
>2733
ユーさん。私も已む無しさんに対する批判を昨日から書き溜めていて、
でも今はまた違った考えも持っていると已む無しさんに断った上で
投稿しようかと思っていたところなんです。一応、これまでの私自身の
言葉遣いを十分把握してもらった方が、これからも引き続き已む無しさんと
議論させて頂く上で、要らぬ警戒心を取り除くことになるかと思われますから。

自分の言っていることが正しいかどうかを確かめるために已む無しさんに
書くべきところを、変な義憤を起こしてしまったせいで、文章に夾雑物が
紛れ込んでしまい、結果已む無しさんにはまともに扱ってもらえず、それに
対しさらにムキになって文章を練り上げるのも、底の見えぬ深淵に一人礫を
投げ続けているようで、虚しいばかりで。

今現在、私は已む無しさんに対する矛盾した考えに引き裂かれていて、
とてもまともに思索できるようなコンディションじゃないのですが、
ユーさんが私と議論したいと仰るのであれば、そのような恩恵に与れる
のは感涙の極みですよ。

2737紫煙狼:2010/05/02(日) 17:57:50
已む無しさんのご提案に対する私の最大の疑問は

・死刑の有無に関係なく犯罪を起こす人間は、殺害する相手を選ばないはずだ

という仮定の根拠がわからない、ということなんです。

世の中に死刑があるとしても犯罪を犯したいという衝動には抗えない。
でも「同じ殺すなら少しでも安全な対象を選びたい」という心理があるから、
女性や子供や老人が凶悪な犯罪に巻き込まれやすいのではないでしょうか?

そもそも「犯罪抑止効果」の定義が違うのかもしれませんね。

2738已む無し:2010/05/02(日) 17:58:17
そもそも、カードを所持したらリスクが増すという想定は、死刑存置派が主張することですし・・・
死刑廃止派の多くは、死刑廃止した後も治安が悪化することはない、あるいは、むしろ良くなるという主張が殆どですし
死刑廃止したら治安は悪くなる可能性は想定できるが、冤罪が起こる可能性も0ではないので死刑廃止という考えでは
存置派の誰であっても賛同するのは難しいのではと思います

2739已む無し:2010/05/02(日) 18:14:00
改めて言いますが、この死刑反対意思表示カードという提案は
私自身が望むものではないです
ですが、いきなり死刑廃止するよりはリスクが少なく、選択権が自分自身にあるという点に於いて
廃止派の方々に対しての歩み寄り、(双方の現時点での落としどころになりえるかも?)
との想いで提案したものです

私自身の中で死刑存廃の決め手となるのは

死刑に抑止力があるか無いか(あるならば、冤罪被害以前に、殺人被害を抑えられる)
故意におこなった犯罪にたいしての応報理念(取り返しがつくものとつかないものがある)
冤罪は無くすことが出来るのか出来ないのか(これは死刑存廃にかかわらず消えることは無いでしょうが)

これが柱です
他にも細かいところはあるでしょうが、現時点で大きく心動かす根拠となりえるのはこのあたりでしょうか・・・

2740ufloat:2010/05/02(日) 18:29:54
>>2735
>>2738
また曲解されるオチが待っていそうですが・・・。
曲解されたならされたで、他の議論参加者や第三者の方に向けて
書き込んだということにしておきましょうか。

正しいかどうかは別として、世の中には様々な考えがあります。
そして、カードは「個人の考え」によって個人が所持するかどうかを決めるものです。
ただし、各個人の考えが正しいかどうかは分からない。ここがポイント。
その上で、

Q1:仮に今から死刑を廃止したら、どうなると思いますか?
・犯罪が増えると思う
・犯罪が減ると思う
・変わらないと思う

Q2:もし犯人が死刑と終身刑のいずれかを選択できるなら、過半数の犯人はどちらを選ぶと思いますか?
・死刑
・終身刑

紫煙狼さんがおっしゃっているのは、Q1で「変わらない」を選びつつ、Q2で「死刑」を選ぶ人が
いたとしても矛盾はない。そして、そのような人が「死刑がなくても犯罪の件数は変わらないが、
カードを持つと事件に巻き込まれるリスクが増える」と考えることはあり得るということ
(「各個人の考えが正しいかどうかは分からない」というのがミソ。この場合、
真実はどうあれ、そのように考える人がいるかどうかが問題となります)。
実際にQ1で「変わらない」、Q2で「死刑」と答える人が世の中に存在するであろうことは、
おそらくほとんどの人にご同意いただけるところでしょう。

2741已む無し:2010/05/02(日) 18:49:18
>>2740
>おそらくほとんどの人にご同意いただけるところでしょう。

Q1にだけ少し質問ですが、なぜ「私利私欲による殺人」 ではなく、「犯罪」 で括るのでしょう?

そこが理解できないことをのぞけば、他は同意しますよ
もちろん、Q1を「死刑相当の犯罪」で括った場合は、話が違ってきますよね?

2742無精髭:2010/05/02(日) 18:53:18
(ご忠告どおり、已む無しさんの提案について私なりに考えを整理してみました。でも、
已む無しさんはご自身の提案において、犯罪抑止力についてそれがどの程度のものなのか、ではなく、
その有無のみをひとまず問題とされているようですから、以下の問題提起は已む無しさんにとって
あまり価値がないかも知れません。)

私も死刑に犯罪抑止力があるとは思いますが、犯罪を抑止するほど強力ではないと思います。
同時に多くの殺人者(予備軍)にとっては殺害対象として選ぶ相手の特質と殺害動機は不可分な
ものではないかと考えておりますから、已む無しさんの提案を採用したとしても、殺人者(予備軍)
自身の判断でそれらを切り離させるようなことは不可能ではないかと考えております。

また、已む無しさんの提案を採用しない現時点でも、死刑よりも確実に犯罪を防いでいると思われるもの、
正当防衛や緊急避難による被害者側からの反撃や、警察の捜査力、生命倫理や道徳教育、共同体のモラルや
個々人の社会性・良心などがありますので、已む無しさんの提案を採用するとした場合、以後これらを一切
排した上でなければ死刑自体の抑止力がどの程度のものであるのかは測れない、しかし一切を排することは
そもそも不可能であるというジレンマに陥るでしょう。

已む無しさんの提案を採用してカード所持者がカード不所持者よりも多く殺された場合でも、その結果のみを
以って「死刑に抑止力がある」と結論できないというのは紫煙狼さんが仰るとおりで、調査期間の間は死刑制度
が現行のままで、しかも社会情勢も人の心も今と同一不変でなければならないかと。ですが、已む無しさんが
挙げられているご提案におけるメリットとリスクそれ自体に、実は両派に課された試練といった道徳的な意味合い
や各人において犯罪被害に対する事前の覚悟を生じさせる効果があるでしょうから、抑止力とは別の要素による
犯罪抑止・誘発が働く可能性が否定できません。ですから、もし死刑の犯罪抑止力のみをデータとして抽出したい
のであれば、カード所持・不所持に関わるメリットやリスクといった要素を排除する必要があると思います。

この他にも、市民の意識を変革する政策であるからこそ警察の捜査力も今より強化されるかも知れませんし、
社会における各組織・共同体の結束も強まることから、凶悪犯罪が減じるかも知れません。でも、そうなって
しまうと当の死刑の犯罪抑止力による影響は、そういった犯罪予防のための施策による影響と比較して、
相対的に減じてしまわざるをえません。つまり社会のありようが大きく変わってしまえば、その中に位置する
死刑という特定の一事象の影響力も当然変わってしまわざるを得ず、したがってそのように具体的な社会政策に
埋もれた犯罪抑止力のみを取り出すことはできないのではないかと私は思うんです。

以上の点を考慮せずとも、私が一市民として漠然と感じている抑止力程度では、おそらく多くの殺人者
(予備軍)の行動を律することなど不可能だとも思えます。この点は通りすがりさんとのやり取りでも
お話させて頂いたことなので割愛しますが、ただ、犯罪者の心理についてKenさんの>>2545には同調
せざるを得ないとだけ書いておきます。

2743已む無し:2010/05/02(日) 18:56:29
どうかな・・・・同意とは言ったが、そもそもQ1の質問が少しズレているし
Q2でも、過半数といっているからなぁ・・・
死刑を選択する犯人が、中にはいるかもしれないと答える人はいても不思議ではないが
過半数となると難しいと思うがなぁ

2744已む無し:2010/05/02(日) 19:06:50
>>2742
どうしても、殺人ではなく犯罪全体の抑止力で語るのですね
それはそれとして
>死刑よりも確実に犯罪を防いでいると思われるもの、
>正当防衛や緊急避難による被害者側からの反撃や、警察の捜査力、生命倫理や道徳教育、共同体のモラルや
>個々人の社会性・良心などがありますので

これはその通りだと思います
犯罪で括るならですけどね
これが、故意による私利私欲を満たすための殺人に限定すると、そうも言えなくなるとは思いますけどね

>その有無のみをひとまず問題とされているようですから

私は問題視してはいませんと何度申し上げたらいいのか・・・・
当然あると思っていますが、無いと主張する方に対して、証明が必要と主張する方に対して証明する為の方策を提案しただけです

また
>>2710で言われているような、啓発という形でもいいのではないかとも思いますよ

抑止力を認める人に対して、この提案は全く意味が無いことを強く主張致します
(無駄な議論になるので)

2745無精髭:2010/05/02(日) 19:31:23
>どうしても、殺人ではなく犯罪全体の抑止力で語るのですね

いや、そう読めるところは言葉の綾みたいなもので、私としては一応殺人を念頭において書いたつもりです。

>これが、故意による私利私欲を満たすための殺人に限定すると、そうも言えなくなるとは思いますけどね

「故意による私利私欲」で人を殺すような輩は大抵、「私利私欲を満たす」ことで
得られるメリットが、自分が死刑になるかも知れないことのリスクではなく、
自分が捕まるかも知れないことのリスクと比較して大きい場合に犯行に及ぶのでは
ないでしょうか。

>私は問題視してはいませんと何度申し上げたらいいのか・・・・(下略)

「ひとまず問題とされている」と書いた通りです。
普通に読めば私の文章から、已む無しさん個人の考えを特定して述べた部分を
見つけるのは無理ではないかと。私としては、あくまで已む無しさんの提案に
ついて感想を述べさせて頂いただけで、已む無しさん個人がその提案について
どんな考えをお持ちであるかを述べたつもりは私には全くなかったです。

2746已む無し:2010/05/02(日) 19:38:48
>>2745
>「故意による私利私欲」で人を殺すような輩は大抵、「私利私欲を満たす」ことで
>得られるメリットが、自分が死刑になるかも知れないことのリスクではなく、
>自分が捕まるかも知れないことのリスクと比較して大きい場合に犯行に及ぶのでは
>ないでしょうか。

廃止論者の方々からよく聞いた意見です
そういう方は、であるからして、死刑には、故意且つ私利私欲による殺人の抑止力は無い。と主張されますね
そうであるとしたらカード所持によるリスクは無いと主張するに等しいのでは?
それ以外の犯罪にはそもそも死刑などは直接関係も無いことですし
死刑反対カード所持によって、窃盗や詐欺等の犯罪の影響がでるとも思えませんが

2747已む無し:2010/05/02(日) 19:45:00
いや、現時点では、少数派であって、且つ(存置派から見れば)自己犠牲とも取れる崇高な精神で
カード所持している者が、殺人以外の被害にあったならば、感情論として、同情が大きくなると思われます
そうなれば、これは定かではないですが、(これは私個人の見解) 凶悪殺人のリスクは増えると感じるが、それ以外の犯罪を画策する者にとっては
たやすく手を出し辛い存在にもなりえるのではないかと思われます(注目度が高くなるため)
少なくとも、通常犯罪被害のリスクが増大するとは思えません

2748ufloat:2010/05/02(日) 20:53:39
何なら、「Q1:変わらない」「Q2:終身刑」でも構いませんよ?
ここで私が言いたいのは、「死刑の有無で犯罪(死刑相当の犯罪と言い換えても結構)数は
変化しなくても、死刑になるか終身刑になるかでターゲットを変える犯人がいる、
と考える人は存在するはずで(これは個人の思考なので、真実である必要はない)、
そういう人は死刑の犯罪抑止効果あるいは推進効果を否定していても、
護身目的でカードを所持するかどうか決める可能性がある」ということ。
カードを所持するか否かを決めるのは個人の主観なので、実際の効果は関係ありません。

>>2736
また「馴れ合い」とかばかげたことを書かれると不愉快なので、このような書き方は
控えておりましたが、無精髭さんのスタンスには感服しておりますよ。
むしろ、存置派の無精髭さんがいたら面白い議論ができるだろうと考えるほどです。

私の方は、已む無しさんとの議論には、そろそろ色々な面で限界を感じております。
私は無精髭さんほど人間ができていないので、今のままの已む無しさんと
論をぶつけ合う気力も寛容さも、ほとんど残っていないというのが本音です。
さらに、已む無しさんがそのような行為を善意で繰り返しているのか、探りを入れるためか、
悪意があるのか、実は「悪意ある廃止派」なのかさえ分からないので、なおさらです。
これから議論が深まってきても、他の方と枝葉の話を行う程度が限界そうです。

ちなみに私の場合、存置派としての自分が已む無しさんに強い義憤を覚え、廃止派としての自分が
それを何とか抑制している、という部分が強いので、存置派として議論をしてみたい、思索を進めよう、
というのは、存置派としてのガス抜きといいますか、そのような側面もあるかもしれません。
言うなれば、
>已む無しさんに対する矛盾した考えに引き裂かれて
このような症例に対する一種の劇薬ですね。

2749已む無し:2010/05/02(日) 21:21:09
少し前に、紫煙狼さんが、自分だけが私の標的になっているのではとの考えを示しましたね
敢えてこのタイミングで答えますが、特別に誰か個人を標的という意図は私にはありませんよ
ただ、ここにいる廃止論者のなかでは、紫煙狼さんが一番真っ直ぐ曲解少なく意見を述べていただけるとは思っています
だから必然的に、紫煙狼さんに対するレスが増えていることは否定しないです
無精髭さんはとても論理的な意見を整然と述べていただけますが、曲解が多いと感じます
中には感心されられる意見も多いです
ufloatさんからは、そもそもここでの意見交換が始まった時点から、私の人柄や、議論に望むスタンスのようなものについてしか
意見は頂けてはいないと思います
私が、荒らし行為をしてる等、掲示板利用についてのルールを破っているとかならともかく
それ以外の思想その他の部分で、好き嫌いを言われても、答えようがないです
もちろん、嫌いである考えそのものを否定するつもりはありませんが

2750已む無し:2010/05/02(日) 21:42:40
私のGWはこれで終わるので、また暫くの間は姿を見せなくなるかと思います
文句を言いながらでも、意見交換にお付き合い頂きありがとう御座いましたw
でも、時々はROMったりして、暇があったら書き込みもしたいと思います
(じっくり吟味して原稿書いてコピペっていうのは難しいかもですが)
今回は、Kenさんの姿があまりみられませんでしたね、忙しいのかな?
では、また

2751無精髭:2010/05/02(日) 22:58:11
>ufloatさんからは、そもそもここでの意見交換が始まった時点から、私の人柄や、議論に望むスタンスのようなものについてしか
>意見は頂けてはいないと思います

そうかな? 私見では、そこで言われている私とufloatさんの評価は全く逆なんじゃないかと思うのですが。
私の方が已む無しさん的に大した事は言っていないと思うし、ufloatさんの方はといえば、>>2733の後半、
>>2740>>2748の冒頭は今行われている議論に関係していますからね(私見では、紫煙狼さんの意見を
正しく解説するだけにとどまらず、敷衍させてみた結果、現時点で一番鋭い見解に達しておられると
思われるのですが)。今日の五連投の件もあるし(已む無しさんの書き込みを評価するに当たって、
私の頭が混乱しているということを差し引けば、あれは単純な取り違えと誤読と文脈を理解して
いなかったことから起きた負の連鎖だったので、私も已む無しさんのことは言えないなぁと反省します)、
私は明らかに問題の本質を掴み損ねている気がします(単に皆さんに周回遅れにされているだけなのかも知れませんが)。

ところでさきに申し上げましたように、議論に望む已む無しさんのスタンスに対する批判について今もぽつぽつと
書き溜めている分がありますので、その分については近々、恥を承知で投稿したいと思います。私がどのように
已む無しさんを「曲解」している(していた)のかを更に詳しく知ることができるでしょう。

2752紫煙狼:2010/05/02(日) 23:14:18
あいや、待たれよ!
>>2721の質問だけ答えてから行かれたし。>已む無しさん

2753ufloat:2010/05/02(日) 23:32:17
>>2749
>少し前に、紫煙狼さんが、自分だけが私の標的になっているのではとの考えを示しましたね
>敢えてこのタイミングで答えますが、特別に誰か個人を標的という意図は私にはありませんよ
立つ鳥跡を濁さず・・・ですぞ。
「自分だけ」ではなく「死刑廃止派を」不公平な目で見ているとおっしゃった、というのが正解。
さて、私に関しては何とでもおっしゃって結構ですし、已む無しさんには私が敵だかハエのように
見えたかもしれませんが、少なくともごく最近までは、私は老婆心から指摘をしておりましたよ。
さすがに失礼とは思いつつも、今ではもはや「已む無しさんは不誠実な死刑廃止派ではないか」
という疑念さえ、私の中に発生してくることを抑えられませんがね。
私は他の方ほど誠実でも我慢強くも思慮深くもありませんので。
しかし、ただ1つ言っておきます。
「私は已む無しさんの議論に対する姿勢は批判していますし、実際に最悪だと思いますが、
已む無しさんの人格に関して否定はしていませんし、否定するつもりもありません」。

>>2751
今考えると、>>2740のQ2の想定はまずかったですね。
結局どちらを選んでも、私が訴えたかった結論は同じなので、あまり考えず書いていましたが、
已む無しさんの立場からすれば、「終身刑」を想定していた方が通りがよかったはずです。
ここは完全にミスでした。
もしかしたら紫煙狼さんも「おや?」と感じられたのでは。

2754已む無し:2010/05/03(月) 00:03:54
>>2721
PCを落とす前に何気にリロードしてみたら待ったのお声・・・・

お答えします
私の見解では、この実験をした場合、カード所持者が通常犯罪に巻き込まれる率が下がり
全体的な犯罪発生率には影響しない
又、カード所持者が凶悪犯罪に巻き込まれる率が僅かに上がるか変わらず、全体的な殺人発生率は、下がってくれるのでは?
と期待しています


>「犯罪発生率には変化が見られなかったが、被害者の大半はカードの持ち主だった」

こうなった場合ですか・・・・・およそ想定外の結果だと思うのが第一印象です
カード所持者が被害にあった分、殺人発生件数が増加するというのならば
想定内での最悪のケースと考えていますが・・・・・
この場合においての加害者は、全員が予め犯行前から終身刑になると把握して犯行に及んでいると考えられます
もともと、社会生活が苦しくて、刑務所に入りたいからと、カード所持者を狙ったのだとすれば、その分犯罪発生率が増えると考えられますから・・・・

熟考したとは言い切れませんが、こう考えます
全体としての殺人事件発生率としては、良い効果が出たのかもと
それとは別に、カード所持者が狙われたことによって、全体の発生件数が相殺されたのかもと

これは、実際に、カード所持者を狙って犯行に及んだ犯人の動機を詳しく調べてみないことにはハッキリとした結論は出ないでしょう

今のところはこんな感じでしょうか

2755ufloat:2010/05/03(月) 12:21:29
さて、公約通りに「廃止派に限らない立場」から思索を進めておりますが
(以下、紫煙狼さんの書き込みを用いていますが、
必ずしも議論相手を紫煙狼さんに限るものではありません)。

>>2712-2714
>>2717
これらの書き込みのうち、特に
>私に説得できない相手でも、
>きっとこの世のどこかには、そいつを説得できる人が居ると信じているんだ。苦痛を
>用いなければ自分の行いの悪さに気づかぬ奴など居ないと信じているんだ。
この付近の部分は、紫煙狼さんの更生教育観が凝縮された部分かと考えています。

ただ、仮に何らかの方法で「教育」の効果が現れるかを完璧に予測できるようになり、
まさに>>2656-2657のようなことが可能になったとしましょう。
さて、ある凶悪犯は不誠実な態度を取り続け、誠実になったかと思えば手のひらを返し、
挙句の果てには被害者に暴言。この犯人を分析したところ、「教育は100%不可能」という
結論が出されたとします(すなわち、「更生教育」が不可能という仮定)。
この犯人にはいかなる方法をもって当たるべきでしょう。
「教育効果が得られないならバッサリ死刑」でしょうか。
「死刑にはしないが、再犯予防のためにただ閉じ込めておく」べきでしょうか。
「絶対に不可能と分かっていても、教育を試みる」べきでしょうか。

2756無精髭:2010/05/04(火) 01:09:37
>2755
やっても無駄だと分かっていることをわざわざやるのは愚かには違いないですが、、、
こんなふうに考えれば、問題への見方が変わるかも知れません。とはいえ、ユーさんの論旨を
忠実に追って回答すると、以前シェンさんが書き込んだことの二番煎じにしかならないと思うので、
仮定をそのまま受け入れずに少しずらした読み方をさせてもらった上で考えを書きますけど。
単なる揚げ足取りにならなければいいのですが(と言っても悪意はないっす)。

さて、私が思うに、
>「教育効果が得られないならバッサリ死刑」
とか
>(上略)100兆円ほど道徳教育に必要な人物は、罪を犯す前に
>死んでいただきましょうか???
とかいった発想は、成果主義を至上理念とした考え方によるものであって、たとえば途中までは
上手くいっていたと思われるのにそれが目的達成の水準に達しなかった場合も、効果がないと
切って捨てることも辞さないわけですよ。こういう考え方は、目的は手段あってのものだという
こと・結果はプロセスの充実に他ならないのだということを失念しているのでして、いわば結果
の時点から因子の連なった過程を遡って見ているのです。これでは、教育の途中では成功していた
かも知れない部分的な更正さえも、最終的にその者が全人格な更正に至れなかったという理由から、
無意味であるとか、その点において更正教育を施したことも無駄であったとかいったふうに見なさ
れかねません。

私は、更正教育の目的が達成されて初めてその価値が認められるといったことから、教育する前
から更正不可能だと分かっている人間を更正する意味などないと結論する考えに異を唱えたいと
言うか、それとは別に、更正教育が途中で失敗するのが前もって分かっていても何がしかの教育
効果が生じるのであれば、それが更正という結果に結びつかないのが事実だとしても、更正の
成否から切り離してそれ自体を評価できる基準を元に、更正とは別な形で教育の成果を生かす
よう尽力することを提案したいです。なぜなら更正とは個人における人間性の構築でもあるので、
そうやって教育によって途中まで積み重ねられた徳は更正以外のことでも役に立つのではないか
と思うからです。凶悪犯でない私たちが試しに更正教育を受けた場合、元々私たちは更正する必要
がないから教育を受ける際に何の能力も用いずに済むなどということはないでしょう。そこで
私たちがわずかに用いる能力(努力でもいいですが)は言うまでもなく人間性・社会性に関わる
ものであるはずです。だから、それを少しでも学べる凶悪犯なら、その点で私たちと共通した
性質を持つと捉えるべきではないかと。ちなみに、ユーさんが例として挙げた凶悪犯には、一時的
にではあれ誠実になったかに見えたこともあるとのことですから、その点、私見では見込みありですね。

更正させるには至らないが、わずかにでも教育効果が見込め、かつその者自身の更正以外でも
それを生かす道が残されているなら、絶対に更正しないと分かっていても教育を施すべきだと
私は思います。では、ユーさんの仮定で言われている通り、全く教育効果が望めないと判定
された凶悪犯の処遇についてはどうするかって? 知りません(笑)。あとは司法の判断なり
国民の判断なりで決めればいいと思います。私個人は殺すべきだと声を上げることに抵抗を
感じますがね。

・・・結局、存置派の立場に立って考えを述べることはかないませんでした(続きはまた今度)。

2757ufloat:2010/05/04(火) 21:53:43
>>2749
>>2756への反応を執筆する上での前提となるので、あえて已む無しさんの記事に
触れておきますが(ただし、必ずしも已む無しさんに返答しているわけではない)、
あの方と私のやり取りの中で「実」のある話が少なかったというのは、
私自身から肯定こそいたしませんが、無理に否定もいたしません。
理由の1つは、私はあの方を当初「"未"論理的」であると評価したため。
非常に大事な論理が頭の中にはあるのだけれど、それを出力する方法がない。
それなら、もし出力することができれば、素晴らしい議論ができるに違いない。
私はそう考えておりましたよ。しかし、「審判」の一件の前まではわずかな望みを
持っていたものの、あれによってあの方には悪意があるか、そうでないならば
100ダースの論理的・科学的・客観的証拠すら1つの主観で覆せるような
"非"論理的な方なのだろうと確信いたしましたが。
ただ、>>2753での露骨な「手口の逆用」は、最後の老婆心ではあったとはいえ、少しばかり
意地悪な手法であったかと、ここは少し反省しています(結局は黙秘されましたが)。
そしてもう1つは、これは再三書いたはずですが、私自身が死刑に対して中立の考えであって、
それなのに反対を称している理由は、
・もし死刑に抑止効果その他の十分なメリットが認められないならば(前提)
・冤罪の危険を犯してでも人の命を奪うべきではないし
・権力はより抑制的に運用すべきである
から。要するに、私は紫煙狼さんやKenさんほど確固たる信念のある人間ではなく、
前提条件さえ十二分に覆す証明がなされれば、死刑存置派に鞍替えする
(というより、中立派から存置派になる)ことも私は否定いたしませんよ。
その上で、私は信念が薄いから、あるいは態度がはっきりしないから、
存置派との議論が他の方よりも低調なのだと解釈していただいて結構です。

さて、以上を踏まえて。
>>2756
私、存置派として思索を進めるうち、一部の人が多数決の手法を持ち出す意味が、
ようやく少しずつ分かってまいりました。
私は多数決について、これまでは「甲乙つけるのが困難であるが、とにかく結論が
必要な事柄について、結論を定めるための妥協的な手法」のように考えていまして、
とにかく結論を出すための手法を「その論が採用されるべき理由」として議論の中で
用いるのには、大変な違和感を覚えておりました。
ただ、存置派として思索を進めた効果に加え、>>2733で私が
>ただ、自分自身が殺された場合については、私は「残された人々や社会に一任します」
>としかいえません。
と述べ、>>2756では無精髭さんが
>あとは司法の判断なり国民の判断なりで決めればいいと思います。
とおっしゃっているのもヒントに、「誠実な多数決論」もあり得るのではないかと思い至りました。
すなわち、私が「死刑について存置と廃止のどちらが正しいとは、今の材料では確定できない。
だから中立の立場だが、冤罪や権力抑制の関係から廃止派として議論する」意見であるように、
自分自身が「中立」や「決定不能」であるがゆえに、「世間様に判断を一任する」
という存置派がいても、その論者は誠実であり得るのではないかと。
ただしその場合、私が「前提さえ崩れれば存置派になることも否定しない」と宣言しているのと同様、
そうした方も「自分自身がどちらが正しいかを決定できない間は、社会なり国民なり司法なりが
死刑を否定したならば、その判断を肯定する」ことになるでしょう。
無論、これは「存置論を補強するために、議論において妥協の産物であるはずの多数決を持ち出す」
意見とはまた異なった性質のものであり、guestさんのような「矛盾した言い分は多数派にのみ許される」
といった主張に関しては、残念ながら理解することができませんでした。

2758無精髭:2010/05/06(木) 00:32:14
>2757
仰せの通り、多数決の結果を評価するのと、その時多数決という手段を取ったことを評価するのとは
違います。多数決という手段を取ったことを評価するには、その時その手段を取らざるを得なかったか
どうかといった、手段の必然性の有無を問う必要があり、それがすなわち多数決を取ったことへの評価に
つながるのではないかと。しかし、言うまでもなくその多数決で出された結論を、結論直後の時点で
評価することはできないんですね。だって、そもそも多数決という手段を採用したのは、評価の分かれた
事柄について、その場で結論を導き出せるような更に高次な評価のための基準となるものを、議論する者
たちが自分たちの議論において設定できなかったからですよ。こういう事情があってこそ、多数決は
不可避的に選ばれるわけでしょう。多数決で出された結論が本当に正しいものであるかどうかは、
評価の分かれた事柄に対してきちんと客観的に評価できる基準が、私たちの認識に生まれたときに初めて
はっきりすることで、つまりそのためにはそれなりに長い期間を要します。おそらくこれを政治の進歩主義
とか言うんでしょう。

2759ufloat:2010/05/07(金) 00:09:10
存置派として思索してみるというからには、本来なら実務的・具体的な事例を考えてみたい
のではありますが、私はもともとが中立派ゆえに「自分の意見を裏返しにして考えてみる」ことが
難しく(中立を裏返しても中立なので)、またも抽象的な論に終始することをご容赦くださいませ。

それで、先の「再教育」についてなのですが、二度とシャバに出られない受刑者への
再教育に関しては、特に存置派から否定の声が出そうですね。
「どうせ死刑 or 獄死するのだから、教育などしても無駄だ」と。
確かにごもっとも。紫煙狼さんは「死刑にしない場合の再教育」を肯定されていますが、
社会復帰の可能性がないならば、無駄とする声も分からないではありません。

さて、死刑を肯定する主要な理由の1つとして、「被害者感情」があります。
必ずしも死刑を望まない被害者も一部には存在しますが、日本全体を通して見れば、
もし自分や関係者が被害者となった場合、加害者に死刑を望む人は過半数を占めるでしょう。
そうなると当然、「だから死刑は存置すべきである」という結論が出てきますし、
抑止力がどうこう言う以前に、実際にこれを理由とする人はかなり多いのではないでしょうか。

再教育に話を戻しますが、世の中には自暴自棄になった上での捨て身の大量殺人事件だとか、
自分の命にも他人の命にも無頓着な快楽大量殺人鬼だとかが存在します。
まさに「こんなヤツは死刑にしてしまえ!」とか「こういうヤツのために死刑は必要だ」と
世間から罵声を浴びせられるような犯人です。
しかし、仮にこれから再教育についての研究が進み、これらのような犯人にも
自身の罪深さを認識させられるようになったとします。
そうなると、犯人は自身の罪を悔い、あがき苦しみ、罪の十字架に押しつぶされて
のた打ち回ることになるはずです。これはおそらく死ぬほど、または死ぬよりも辛く、
私なら(というより大抵の人は)死刑になどならずとも、自殺を考えるほど苦悩するはずです。
つまり、自他の命について何とも考えていない犯人を、本人の望みに応え、たった数秒の
縊首で始末し、「犯人は死んだ、事件はこれでおしまい」とするよりも、こちらの方が
より強い苦しみ、自身が起こした結果への苦悩に直面させることができるでしょう。

そうなると、今度は世論において「自分や関係者が被害にあっても、犯人を死刑になぞしない」
という主張が過半数を占め、「被害者感情のため、犯人を死刑にせず再教育すべき」
とする被害者感情論が主流になってくるかもしれません(当面は考えられませんが)。
この方面から考えてみたところ、ようやく紫煙狼さんの再教育論と被害者感情による存置論、
あるいは多数決論のつながりが少しずつ見えてきました。

2760Q:2010/05/09(日) 01:00:32
更生教育って、それを実施さえすれば効果が顕われるという性質の物では無いと思います。
方法論を工夫し、教育によって出来得る限り犯罪者の精神を変える効果を高める努力は必要だとは思いますが、
結局その効果や結果については犯罪者個々の精神にただ期待するしか無い物なのではないでしょうか。
故に、犯罪者についてその反省や更生を促し期待する事と、犯罪者を社会に出すか否かを判断する事は別なのではないかと考えます。
私は刑罰の意義とは、犯した罪に対し応報的に量刑を科す事で後悔や反省を促す事だと思います。
それならば死刑の様に絶対的に社会復帰を認めない科刑を処す場合に於いても、施すべき教育は為された方が良いかと思います。
少なくとも、自己の行いを悔い反省し更生し得るだけの精神を以て刑に服して欲しいと期待するからです。

2761紫煙狼:2010/05/09(日) 02:00:46
>>2760
>私は刑罰の意義とは、犯した罪に対し応報的に量刑を科す事で後悔や反省を促す事だと思います。
もう一歩進んで、後悔や反省を促す目的(意義)とは何でしょう?私はそれを「社会に復帰させ、
貢献させること」と捉えているので、社会復帰の可能性を認めない刑罰自体に大いに疑問があり、
また、絶対的に社会復帰を認められない囚人に本人の希望を問わず更生教育を施すことには
(基本的に)疑問の立場をとっています。

ちなみにufloatさんの質問に関してですが…。
絶対に更生しないことが分かっている囚人を世に出すことは出来ませんよね?
言い方を変えるなら、再犯することが確実な囚人を世に放つというのは危険ですよね?

私は再犯することが確実な囚人は終身拘禁するしかないと思っています。
では、そういう囚人への更生教育ですが、これは「本人の希望により自弁で教育することが出来る」
と考えており、必ずしも積極的に更生教育を施す必要は無いと思います。これは更生効果の見込める
囚人に関しても同じで、あくまで本人の希望が最優先と考えます。また、絶対的に社会復帰が認め
られない囚人に関しては刑罰としてではなく、あくまで本人の権利として安楽死を選択する余地を
認めるべきだと考えます。

2762無精髭:2010/05/09(日) 06:24:50
>2759
死刑廃止派は年を追うごとにどんどん数が減っているようですが、内部においても看過できない変化が見られるようですよ。
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/81/3.html
http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/2-2.html
死刑制度を廃止した方が良いとする人々においても、人道的な理由から厳罰化を反映した理由へと関心がシフトしつつ
あるのかも知れません。

>2760
いや、更正教育が「結局その効果や結果については犯罪者個々の精神にただ期待するしか無い物」だったとしても、
なお「方法論を工夫し、教育によって出来得る限り犯罪者の精神を変える効果を高める努力は必要」であることに
変わりはないのでしょう? ならば更正教育の内容を充実させていくことで、犯罪者個々の精神が変化する可能性も
増していくというふうに捉えるべきではありませんかね。宗教教育という点に限っていえば、キリスト教なり仏教なりの
教義のほうがアーレフの教義よりも権威があるし内容が充実しているから、前者で説教するほうが後者で説教するよりも
悔悛が期待できるのは、犯罪者の更正をただ期待するしかないという情況が同じであっても疑いの余地がないでしょう。

前者のように私たち市民が更正教育に対して何やかやと期待をかけることと、後者のように更正教育の内容を充実させて
いくこととは分けて考えるべきではないでしょうか。Qさんは、犯罪者個々の更正に対する期待と、更正教育に対する期待
とをご自身の中で混同されてはいませんか?

「犯罪者についてその反省や更生を促」すことと「犯罪者を社会に出すか否かを判断する事」は
仰るとおり別ですが、前者の効果なり結果なりが判断材料として揃っていなければ後者を行うことなど
不可能なわけですので、その点、決して無視できない関連性が両者にはあります。再犯しないとか、社会に
適応できる人間に変えていくのが更正教育の目的ですから、そのため教育者は常に、犯罪者を今の状態で
社会に出すべきかどうかを判断する視点(評価基準)を確保しておかなければならないと私は思うので、
Qさんのようにことさら両者を区別する必要は感じられません。それよりもむしろ「犯罪者についてその反省
や更生」を促すことと期待することを切り離して考えた方が良いように思えます。

もしも更正教育が被害者(遺族)のためにあるのだとすれば、そもそも再犯を防止するために犯罪者個人に
働きかけることなどまったく必要がなくなります。被害者(遺族)に対して謝罪する犯罪者はいるようですが、
それを以ってきっと再犯しないだろうと高を括って凶悪犯を牢屋から出してしまうとすれば愚の骨頂でしょう。
断るまでもないでしょうが、被害者(遺族)と社会とでは更正教育に期待するものが根本的に異なるのです。
逆に社会からすれば、ある凶悪犯が、被害者(遺族)に対して一切謝罪をしないが、自らの犯した罪については
後悔している場合、そのぶん社会復帰への期待度は高まるということです。

一応、参考までに。
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/seiboryoku/20100417-OYO8T00209.htm

閑話休題。

「更正教育が不可能」とか「絶対に更正しない」とか「確実に再犯する」とか判断された凶悪犯って
考えてみればかなり特異な人間じゃないかと思うんですが。。。特に、その理由が凶悪犯個人の遺伝的
または器質的要因に基づく場合、そういう人間って、見方を変えれば、事件を起こすまでは(生れ落ちて後、
犯行に至るまでのどの時点においても)「将来犯罪を犯すように運命付けられた人間」として存在していた
と思うんですけどねぇ。ならこういう人間に罪を問うたことはそもそも正しかったのでしょうか?
裁判が終わって、いざ更正教育を施そうという段階で、その凶悪犯の刑事責任能力に欠陥が認められた
とすれば、それは由々しき事態ではないかと。

2763Q:2010/05/09(日) 13:24:50
>>2761
>もう一歩進んで、後悔や反省を促す目的(意義)とは何でしょう?

犯罪者が社会復帰し社会貢献する事が即ち更生であろうかと認識しています。
その上で、自由刑であっても死刑であっても、個々の犯罪者に対し刑罰を科す側が期待する精神の在り様は同一である筈であり、
死刑の場合はその犯罪の悪質性や重大性等を鑑み、最早応報的に死刑を科すしかないと判断された場合において認められる物だと思います。
私は死刑以外の選択肢は無いと結論されるべき凶悪な罪悪を行う精神が現実的に存在すると考えていますが、
それでも、死刑を科される事によって命と向き合い、真摯に向き合う事で後悔と反省に至り、その精神を以て刑に服し死ぬ事を期待します。

また、囚人に対し教育を施す上で、囚人の希望を問う必要性は無いと考えます。
罪を犯した事で人権を制限されるべく刑務所に収監されている者に対し、その精神を変革させる為の教育とは強制的に行われる必要があると思うからです。
刑罰の一環として、全ての犯罪者の後悔や反省を促し、それが更生に向かう為の端緒とならなければ意味が無いのであり、
能動的にその教育を受け入れる者は当然として、そうではない者達にこそ教育が必要となる筈ではないかと思います。

2764Q:2010/05/09(日) 13:26:41
>>2762
私は、「方法論を工夫し、教育によって出来得る限り犯罪者の精神を変える効果を高める努力は必要」であるという事を前提に、
しかし、「結局その効果や結果については犯罪者個々の精神にただ期待するしか無い物」である筈だと申しました。
これは更生教育の内容を充実させていく事で犯罪者の精神に変化をもたらす可能性の幅が広がる事を否定している訳ではありません。
教育が為せる効果とは囚人を自覚させ後悔や反省を促す事です。
結果とは即ち更生の事です。
其々の効果や結果に対し期待をする事はあくまでも別の事として認識しています。

「犯罪者を社会に出すか否かを判断する事」について、
私の言葉が足りなかった所為だと思いますが、これは自由刑と死刑の区別を言っています。
そもそもは>>2759を読んだ上で意見をさせて頂いたので、
絶対的に社会復帰の可能性の無い者に対する教育は必要かについて述べさせて頂いています。
犯罪者に対し教育を施す事はあくまでも刑罰の一環ですが、
その刑罰の持つ意義と自由刑か死刑かの量刑の違いの判断を行う事とは別ではないかと言っている訳です。
その量刑判断の差に捉われる事無く、全ての囚人に対し刑罰としての教育は必要なのではないでしょうか。

2765ufloat:2010/05/09(日) 13:57:56
>>2763-2764
1つ確認しておきたいのですが、死刑囚に対して刑罰として教育を施す場合、
死刑囚はいかなるタイミングで処刑すべきでしょうか。
更生教育が未だに効果を表さず、死刑囚が被害者に悪態をつき、「とっとと殺せ」と
いきまいていても、あるいは更生の成果が見え始めてはいるが、もう少し時間が
かかりそうでも、時期がきたら無関係に(刑罰としての再教育を切り上げて)
黄泉の国へとご招待すべきでしょうか。
それとも、教育が実ったと判断し、反省を確認してから、あえて処刑すべきでしょうか。
「死刑囚への更生教育の是非」自体は以前から存在している命題だけに、
私もどうすべきか考えてみてはいますが、どうも私の手には余るようで、
未だに整合性のある答えを発見できないでいます。

2766Q:2010/05/09(日) 15:11:40
>>2765
死刑執行のタイミングとは本来的には確定している筈です。
私は審理の結果に冤罪の可能性等の重大な過失が無い限りは法規に則った期間内で執行されるべきだと思います。
囚人に対する教育もその期間内に於いてし得る事をすれば良いと考えます。
ただ、執行に際し行政的な見直しは慎重に行うべきとし、その期間中少なくとも2年間は教育を施し、反省を促す期間とすべきだ

という様な意見があった場合、私個人は敢えて反対は致しません。

その際の教育効果が如何程の物であるかについては、囚人本人にしか判り得ない事なので、
それ以外の者にとっては、ある程度の期間を定め、執行を判断する際には効果がある物とし期待するだけではないでしょうか。
この論点に整合性を求めて居られると仰いますが、自由刑の場合に於いても一定の期間を以てこれが正当だとする様な基準など無

く、
その刑期とはあくまでも行った犯罪に対し応報的に求められ定められている筈です。
教育効果の度合いは個人の性質によって異なる筈であり、一定の結果を求めて一定の基準を想定する事は無意味ではないかと考え

ます。
行政として、現状で個々の囚人の更生に向けて何がし得るのかを常に最大限として考えれば良いのではないでしょうか。

2767無精髭:2010/05/09(日) 20:51:42
>2764
応報刑主義によって死刑ならまだしも死刑囚の更正教育まで正当化するのは無理な気がします。
司法は、特に犯行の悪質性や重大性が争点となっているような案件では、更正への最後の手段
であると期待して死刑を言い渡すというよりは、被告の更正など度外視した上で(つまり被告に
何も期待できないからこそ)死刑を言い渡しているのではありませんかね。取り返しの付かない
ことを仕出かしたのだから応報的に死刑を科すしかないという判決理由において、被告の心境
(それ以後の更正)も考慮されているはずだと考える必要が私には感じられません。
それはともかく、、、

Qさんの仰っていることは、もはや避けることができない自らの死に向き合うことでしか
更正しえない人間がいる、ということではどうやらなさそうですね。もしそうなら、
死刑囚を教育することで今以上に悔悟の念を喚起するような制度に変えろとは主張されない
でしょうから。Qさんが具体的にどのような更正教育を想定されているのかは存じませんが、
更正が非常に難しいと判断された人間にも自らの死と向き合って沈思黙考、煩悶することが
あるのだとすれば、そんな最中に入る他人の手助けなど、かえって邪魔になるおそれがあるのは
言うまでもありませんよね。更正教育によって死に望む者に幾ばくかの心の安らぎを与えたい
というのならまだしも。

自分が絶対に社会復帰できない、あるいは死刑が避けられないことを知っている者本人にとって
自分の犯したことを罪として自覚することの意味、次いで後悔や反省をすることの意味、そして
被害者(遺族)に対して謝罪することの意味はあるのでしょうか。赦されえない者自らにとっても
こうした悔悟全般の行為に意味が感じられないのだとすれば、真の悔悟など到底ありえないことに
なるでしょう。また、以上の意味があったとして、赦されえない者がそれをどのように自ら引き
受けて現在の境遇と結びつけ、死刑に望もうと欲するのでしょうか。どんな刑罰や教育でも更正し
得ないと判断された人間に対して、もしや死刑ならばと期待すること自体は別に悪いことではないと
思いますけど、期待する以上はそれなりのお考えあってのことでしょうから、ぜひお聞かせいただきたいです。
裁判において被告の人間性の奥深くにまで透徹した分析のメスが入れられたと信じるなら、死刑を科す
しかないと判断された人間に対しては更正を期待すること自体が無意味な気がして仕方がないので。

2768無精髭:2010/05/09(日) 20:52:11
仮に反省や後悔を促すことのみでも更正教育だと言えるのであれば、Qさんの提案に反対する人は
少ないかと。これをまた、本当の意味で反省させるだとか、心の底から謝罪の念を起こさせるとか
言っちゃうと、話がややこしくなるのですが。>2766で仰った例について意見を述べさせていただきますと、
更正教育のために刑執行を2年間も延期するからには何らかの効果を見込んでのことだと思いますが、
その効果は囚人本人にしか分からないとか、個人の性質によって異なるとかいった理由だけで死刑囚教育に
マニュアルを作成することが無意味(意味あるマニュアルを作ることが不可能?)になるとかいったことが
事実だとすれば、教育者は下手をすると死刑囚の気まぐれに振り回されてしまい、つねに用意も何もする暇も
ないままに、出たとこ勝負のやっつけ仕事で対応せざるをえないことになりそうですよ。そんな結果も
効果もはっきりしない教育法しか行政に持ち合わせがないなら、それこそそんな教育やるだけ無意味では
ありませんか。そんな教育のために刑執行を延ばすくらいなら、何もやらずにとっとと刑執行期限内に始末
してしまったほうがマシだと思います。Qさんの主張をお聴きする限りでは、更正教育も死刑囚という
教育対象もとても期待できそうなものではないのに、当のQさんはそういうものに期待すると仰っていて、
私としてはそれが腑に落ちません。犯罪者の更正についてQさんの仰っていることが事実なら、上記に
ついても当面はすっぱりと諦める方が吉だと思いますけど。

ところで、これはQさんだけに向けた疑問じゃないですが、反省とか後悔とかって、そんなに
(世間で言われているほど?)犯罪者における更正の完結やら社会復帰・社会適応にとって必要
不可欠なものなんでしょうか? まったく要らないとまではさすがに言わないですが、Qさんが
仰るほどに重要なものなのか、あるいは強烈で深刻なものでなければならないのか、私にはその点が
よく分かりません。むしろ重要だと私が思うのは、結局のところ犯罪行為は割に合わないとか、
社会性を身につけた方が娑婆で暮らしていく上ではずっと得であるというふうに考えるための知恵を
身につけさせることではなかろうかと思うんですがね。反省しない自信過剰家とか謝罪しない無責任者・
身の程知らずとかって何も犯罪者に限ったことではないのですよね。でも、そういう輩は現に犯罪を
犯さずに(犯す必要を感じずに)社会生活を送っているわけでしょう。同様に、犯罪者にとってこの
社会でうまく生きることと再犯しないことは同義だと思われます。犯罪者の反省の念は、せいぜい
社会において功利的に生きられなかった(価値判断を誤った)自分に向けられるだけで十分で、
被害者や社会にまで届かなくてもよいのではないでしょうか。だとすれば、犯罪者の更正を
促す要素として反省とか後悔といった改心の価値はその分減じるかと。

今のところ私は、犯罪者の更正とその反省・謝罪とについてマシな関連性を見出せずにいます。

2769紫煙狼:2010/05/09(日) 23:35:24
Qさんのご意見は良くも悪くも私の死刑に対する疑問をピックアップしたような感じですね。
なので、もしかしたら25年にもわたる疑問が解けるかも、と期待してお伺いします。

「その犯罪の悪質性や重大性等を鑑み、最早応報的に死刑を科すしかないと判断された場合において認められる」
この場合において死刑によって得られるものは何なのか?が私にとっては大きな疑問でして。
まず、反省しようと後悔しようと反省しなかろうと後悔しなかろうと、とにかく死刑にはするのですよね?
そこで私が躓いているのは、反省し後悔している者を処刑するのと、反省も後悔もしていない者を処刑する
のでは、どのような違いがあるのでしょう?という部分です。

処刑を釈放に置き換えると、さすがの私でも分かります。つまり囚人の社会復帰を前提にするなら、
反省や後悔の必要性、それを引き出す更生教育に全く矛盾は生じません。しかし、処刑となるとまるで
意味合いが違ってきます。つまり「何のために反省や後悔を引き出すのか」が鍵ですよね。
また「応報的に死刑を科す」ことには単に「囚人を永久に社会から隔離する」のと根本的に異なりますよね?
つまりQさんが死刑を許容する理由は「社会の安全」には留まらないと理解してよろしいでしょうか?

ただ、精神のあり方を重視し、より高次の存在と昇華させる為に命を奪う、なんてのはオウムのポアと
大差が無いように思えて仕方がありません。そのあたり、もう少しご説明くださると幸いです。

2770已む無し:2010/05/10(月) 13:52:34
ふむ・・・・待ったをかけられたので律儀にレスした>>2754は華麗にスルーされてますねw

>>2767
>応報刑主義によって死刑ならまだしも死刑囚の更正教育まで正当化するのは無理な気がします。

応報主義によって死刑囚の更正教育をしようなどとはどこにも書いていないと思うのですが・・・・
なぜ、一つの制度は一つの思想によってのみ判断を下さなければいけないのかが私には理解できないです

これではまるで、どうせ殺すのならばさっさと殺せばいいという風にもとれますよ・・・・
それでは、死刑というより・・・・・下手したら処理・・・駆除ですよ

死刑囚の更正教育を正当化できないと仰いますが
逆に、死刑囚には更正教育をすべきではないことは正当化できるのかを是非伺いたいですね

>>2768
なるほど
ルールを守るのは、得するからだと・・・・
自分にとって割に合わないルールは守る必要が無いと。こう仰るわけですか^^;
いや、曲解とか言わないでくださいよ?
>結局のところ犯罪行為は割に合わないとか、
>社会性を身につけた方が娑婆で暮らしていく上ではずっと得であるというふうに考えるための知恵を
>身につけさせることではなかろうかと思うんですがね。

こういう知恵をつけるということは
社会のルールを破ったほうが自分にとって得だと(本人が)感じる状況に陥った場合には
犯罪に走る閾を低くするだけだと思うのですが・・・・・

というよりも・・・・まんま犯罪者の心理じゃないかと^^;

2771Q:2010/05/10(月) 13:53:32
>>2767
私にとって、個々の犯罪者に対し刑罰を科す側が期待する精神の在り様は同一である筈だと考えているだけの事です。
刑罰を科す際に、その意義を放棄した上で判決を行う事には不条理を感じるのではないでしょうか。
更生教育とは個々の犯罪者に対し其々対応し得る物でなくてはならず、
死刑囚に対する場合でも、自ら死と向き合う事で自身の行いを考え直す事が可能な者には教誨師等の手助けが反省の一助となり得るかと思いますし、
それが出来ない者に対しては、文章を書かせる事やカウンセル等によって先ずはその心境を探り、
出来得る限り自身に向き合う事の土壌作りから教えれば良いのでは無いでしょうか。
その程度の、現状に於いても既に為されている様な事を申しているだけです。
その様な死刑囚の反省に意味を感じる者もいれば感じない者もいると言う事で宜しいかと思います。

2772Q:2010/05/10(月) 13:56:41
>>2768
先ずは、>>2766で申した事は、死刑の執行に際し行政的に慎重になるならばという前提で、
重大な過失が無いかを精査する為に2年か3年程度の期間を取る事を法規定するならば、
その期間を以て教育を施す事をすれば良いのではないかと申しています。
具体的な教育の手法に関してをここで話をする意味はあまり感じないのですが、
個々の囚人に対しカルテを作成し、心療内科で行われる様な手法になるのではないかと考えます。

次に、私が度々申している反省悔悟とは社会復帰に際し必要不可欠な物であるとは考えていません。
故にあくまでも犯罪者個人の精神に対し期待する物だと表現しています。
犯罪は割に合わないと思わせる事や、社会復帰に向けての懲役も刑罰の意義であると考えます。
ただ、少々のリスクであれば、自己の欲望を満足させる為に簡単にリスクを乗り越えてしまう者が往々にして犯罪者になるのだと思います。
更生に至ると言う事は、その様な自己の葛藤と戦い続ける意思を一生持ち続ける事だとすれば、
より継続可能な意思を持ち続ける為には、反省悔悟の念は無いよりもあった方が良いのではないでしょうか。
再犯率の多さを見れば、喉元過ぎれば熱さ忘れる的な状況は往々にしてあるとは思いますが。

2773Q:2010/05/10(月) 13:58:02
>>2769
前提として、あくまでも犯罪者が行った罪に対し刑罰を科すのだと思います。
科された刑罰の執行内容が理由なく変更される様な事こそ、あってはならないのではないでしょうか。
死刑であろうと自由刑であろうと、犯罪者の反省悔悟の有無は其々に期待するしかない物であり、
反省悔悟の度合いと刑の執行については殊更に死刑にのみ求められる疑問では無い様に感じます。
また、死刑という刑罰によって得られる物が何なのかを紫煙狼さんが求めるならば、
先ずは、死刑以外の刑罰によって得られる物とは何なのかも定義してみれば如何でしょうか。

死刑によって反省や後悔を引き出す理由を私に問われて居られますが、刑罰を科す事其の物によって本来的に犯罪者の反省悔悟は求めらる筈なのではないでしょうか。
また、科刑する事の意味として、必ず将来的な更生が求められなければ矛盾が生じるのであれば、自由刑であっても絶対的な更生が為し得なかった場合、そこには矛盾が生じる事になる筈だと思います。
私は社会の安全の為に死刑はあると認識しています。
あくまでも、刑罰として社会的安全に関与する物であり、死刑と自由刑を量刑に於ける選択肢として殊更に区別する事をしないというだけだと思います。

私は私の期待として、凶悪犯罪者がそのままの精神で存在する事を嫌い、自らの反省を以て死んで欲しいと述べているだけです。
元より、犯罪者に対し絶対的に反省悔悟を強いる事は出来ないと認識しています。
紫煙狼さんの言うオウムの宗教的世界観については興味が無く何かを説明する事は出来ません。

2774已む無し:2010/05/10(月) 14:04:59
>>2769
釈放されないならば、社会復帰できないならば更正教育は必要ないなどと・・・・・
退院できないのならばリハビリは必要ないと言っているようなものです・・・・・
たとえ死刑囚であろうとも、いずれは死刑が執行されるとわかっていても
それがなされるその瞬間までが人生なのですよ
ガンで余命半年と告知されたら、その間は人の評価を受けることなど気にしても仕方が無い
どうせ死ぬのだから自分の欲望のままに振舞えばいい・・・・果たしてそうなのでしょうかね
私には理解できませんね

>「その犯罪の悪質性や重大性等を鑑み、最早応報的に死刑を科すしかないと判断された場合において認められる」
>この場合において死刑によって得られるものは何なのか?

応報的に死刑を科している場合においてと前置きしているのに
死刑によって何かを得るという考え方は理解できないのですが・・・・?
殺人者が無辜の命を奪ったという罪に報いるために殺人者自身の命も奪われる・・・・「奪われる」ですね

ああ・・・こういう考え方も出来るか
応報的に、死刑によって得られるものとは何か
それは、犯人が被害者を殺害したということの業・・・・・
犯人が終身刑になり、人権を保護され、手厚い更正教育を、自分の判断によって得られる状況においては
その業を背負うのは殺された被害者であり遺族であり、税金を支払う国民ひとりひとりですが
死刑にするということは、犯人自身にその 『業』 を得ていただくように処するということですかね
つまり、自業自得というわけです

それにしても・・・・
>精神のあり方を重視し、より高次の存在と昇華させる為に命を奪う

なるほど・・・・オウムのポアにはそんな目的があったのですか・・・・知らなかった
私は総て建前だと思っていましたよ
貴方はオウムのその言い分を信じているわけですか??


この前の貴方方とのやりとりから、紫煙狼さんの「待たれよ!」に対しての私の返答と・・・・
Qさんのレスとそれに対する貴方方のレス・・・・
私はハッキリ理解しました
現時点で、少なくとも、紫煙狼さん無精髭さんufloatさんと、私が分かり合えることは有り得ないことなのだと

紫煙狼さんは言いましたね
>>2713
たとえどんな相手であっても、必ず説得する方法はあると
これ、自分の方が説得される可能性は考えないのでしょうか?
自分の考えは必ず正しいことが前提なのでしょうか?


さてさて、例によって必死な曲解と煽りのレスがつくのか
はたまた、一切触れずにログ流しの如くスレを埋めにかかるのかを拝見させていただきます
出来ることならば、真っ直ぐ曲解(意図的であろうと無かろうと)なく意見していただきたいものですが

2775已む無し:2010/05/10(月) 15:15:22
個人的には
生死が絡むことについて議論する場合において、哲学やら宗教観は必要不可欠だと思うのですがね
死を理解しようともしないで、その是非を問うことは出来ないと思います
そして、是非を問うまでも無く、人はいつか必ず死ぬのです
命とは何か、これは人類の永遠のテーマだと思います

廃止論者の方々は、介護施設で生活するお年寄りを実際に見たことがあるでしょうか
私は、死刑に相当する罪を犯した凶悪殺人犯を施設で一生介護しなければいけない意義を見出せないのが本音です
(それでも、建前として死刑制度があるなら終身刑も已む無しと考えます)
仮に、死刑完全廃止の上終身刑が導入されたならば
現在の死刑囚達→終身刑服役囚となり、介護施設のお年寄りのように(お年寄りでも自立して生活できる方もいる)
刑務所で生活するわけです
そして、いつかは年をとり、自分で歩くことも出来ないようになります、病気にもかかります
その囚人を一生面倒みる人が必要になってくるわけです
その囚人に食事介助し、オムツを交換する人が必要になるわけです
汗水たらして、その凶悪殺人犯のお世話をする人が必要になるわけです
終身刑を考えている方は、このあたりをどう考えているのかも出来ればお聞きしたいです


ここの廃止論者の方々、(恐らくは紫煙狼さんだけかと思われますが)
双方の落とし処をと仰いますが
私の発している意見は、既にかなりの妥協案だということを付け加えておきます

2776已む無し:2010/05/10(月) 16:31:12
一人で食事をとることもできない、排泄をすることもできなくなった凶悪殺人犯
そして、社会に出る必要が無いのならば反省の必要もないという
(いや、たとえ釈放させたとしても、反省させる必要などなく知恵さえつけさせれば良いという人もいる)

凶悪な殺人を犯し、反省の意志もなく悪態をつきながらオムツを交換してもらう、食事を食べさせてもらう
こういう人たちの世話をしなければいけない人は言葉では言い表せないくらいに大変でしょうね
人の良いお年寄りの世話をするのも大変なのにね
犯罪などは犯してもいない、少し我侭なだけのお年寄りのお世話はもっと大変なのにね

理不尽だと・・・・不条理だと感じることが世の中に多ければ多いほど
人の心の闇を増幅し、犯罪の起き易い社会へと向かっていくのだと思えて仕方がありません

今回はここまで

2777無精髭:2010/05/11(火) 00:54:04
>ふむ・・・・待ったをかけられたので律儀にレスした>>2754は華麗にスルーされてますねw
議論のきっかけとなる発言をしておきながら、内容について突っ込みを入れられても、答えたくなくて
スルーしていたのか、ちゃんと相手のレスを読んでいなかったのか、何も答えずにご自身の都合で議論を
打ち切ったのちに、「PCを落とす前に何気にリロードしてみたら」などと前置きをしてようやく返答を
書き込んだことを、ご自分で「律儀」とか仰っているのでは世話がないと思いますが。だいたい、あの内容で
レスを期待するのもどうかと。というより、已む無しさんは一体どんなレスを期待してアレを書いたのかと。
紫煙狼さんに対して「華麗に」と仰っていますが、あの場合氏の取った行動(行動しなかったこと)は
スルーの見本みたいなものですよ。

>応報主義によって死刑囚の更正教育をしようなどとはどこにも書いていないと思うのですが・・・・
人のレスをきちんと読まない癖は直らないようですね。しかしながら、今回はご自分と同じ存置派の人に
対してですから、かなり重篤ですよ。不遜ながら、まずその癖をどうにかなさってから議論に参加することを
ご忠言させていただきます(已む無しさんがこれに似た発言を向けられるのは、今回で何度目になるのでしょうか?)。
>>2760私は刑罰の意義とは、犯した罪に対し応報的に量刑を科す事で後悔や反省を促す事だと思います。

>なぜ、一つの制度は一つの思想によってのみ判断を下さなければいけないのかが私には理解できないです
廃止論者が目的刑主義を否定しているという事実はありますか? それこそ曲解ではないでしょうか?
ただ、目的刑主義も一つの思想じゃないかと言われてしまえば言葉に窮しますが(笑)。

已む無しさんはお気づきでないようですが、その疑問の射程には廃止派のみならず、存置派であるQさんの
主張も入っていますね。已む無しさんの>2770の後のQさんのレス(下記参照)でそれが明確になりました。
実は、その疑問は存廃議論には収まらない(したがって的外れな)問題提起でもあるのですよ。

>>2773死刑によって反省や後悔を引き出す理由を私に問われて居られますが、刑罰を科す事其の物によって本来的に犯罪者の反省悔悟は求めらる筈なのではないでしょうか。/また、科刑する事の意味として、必ず将来的な更生が求められなければ矛盾が生じるのであれば、自由刑であっても絶対的な更生が為し得なかった場合、そこには矛盾が生じる事になる筈だと思います。/私は社会の安全の為に死刑はあると認識しています。/あくまでも、刑罰として社会的安全に関与する物であり、死刑と自由刑を量刑に於ける選択肢として殊更に区別する事をしないというだけだと思います。

刑罰の意義とは何かというのは本質的な事柄を求める問いですし、それに答えるには論理的でなければ
ならないと思います。この種の本質的な問いというのは初めから複数の答えを目指したものではなく、
まずは単一の答えがあるかどうかを確認し、なければもう一つ加える、それでも足りないようならまた
一つ、、、といった段階を踏む思考に私たちを誘導するものではありませんかね。その問いは、問題と
なっているものを成り立たせているような、それよりもさらに本性的・基底的なものを求めているわけ
ですから、まずは多元的な真理よりも一元的な真理、複雑な構造よりも単純な構造から思考が始まらざる
を得ないのは致し方ないかと。万が一刑罰の意義という本質的事項が、刑罰という概念の外延における
具体的事物よりも実は数が多かったなんてことが発見された日には、おそらくそれまで構築されてきた
刑法理論は全て用無しとなるでしょう(新たな刑法理論を構築することが不可能になるというわけでは
ないでしょうが)。私の説明が信用ならないのであれば、「オッカムのかみそり」でググって見てください。

2778無精髭:2010/05/11(火) 00:55:09
>これではまるで、どうせ殺すのならばさっさと殺せばいいという風にもとれますよ・・・・/それでは、死刑というより・・・・・下手したら処理・・・駆除ですよ
では、死刑囚に反省悔悟を求めるのは何のためなのですか? 己の罪の深さ、命の重さ、死刑の意義を
教えることで、死刑囚にとって死刑をより厳粛で過酷なものにしたいからですよね。私はそういうことを
しないほうがまだ死刑は人道理念に適うと考えております。死刑は法的に最も重い刑なのだし、命を奪う
というだけでも十分残虐であるのに、殊更それをさらに残虐にする必要はないと思うのです。ひょっとして
已む無しさんは死刑囚を更正教育しても死刑が残虐になるどころか、かえって人道に適うと考えておられる
のではありませんか? 

他方で、たぶんQさんは、更正するかどうかは最後は死刑囚次第なのだからそれを死刑にしたところで
必ずしも残虐にはならないとは思うが、仮に残虐であるという判断が妥当だったとしても、人の命を奪うという
残虐行為を働いた者に対して応報的に死刑を科すことが認められるなら、その程度の残虐性は当然許容される
はずだ、とお考えのことでありましょう。刑罰の別なく、刑罰を科することそのものに更正への期待が必然的
に附帯するはずだというQさんの主張に従えば、残虐な犯罪に応報的に残虐な刑罰を返すのはもちろん、
残虐に更正を期待するのもおかしくはないということになります。こういうふうに書いては語弊があるでしょうが、
この件に関しては大体の部分でQさんの考えを私は誤解していないと思いますよ。

>(上略)逆に、死刑囚には更正教育をすべきではないことは正当化できるのかを是非伺いたいですね
あくまで「応報刑主義によって(中略)死刑囚の更正教育まで正当化するのは無理」だと思うと書いたわけで、
死刑囚に対して更正教育を施すべきであるにしてもないにしても、どちらかを正当化できる理論があるので
あれば、逆に、私がお聞きしたいくらいです。

>いや、曲解とか言わないでくださいよ?
曲解以前の問題です。その引用箇所をお読みになって「なるほど/ルールを守るのは、得するからだと・・・・」と
感じるのは別に構わないでしょうが、次に「自分にとって割に合わないルールは守る必要が無いと。こう仰るわけですか」
と飛躍的に解釈してしまう悪癖は、本当にどうにかならないものでしょうか? もしその間に省略された前提がある
のでしたら、当方としては責任を以って判定させていただく所存ですので、どうぞ遠慮なさらずにお書きになってくださいませ。

>こういう知恵をつけるということは/社会のルールを破ったほうが自分にとって得だと(本人が)感じる状況に陥った場合には/犯罪に走る閾を低くするだけだと思うのですが・・・・
いや、ですから、社会のルールを破ったほうが自分にとって得だなどと思わせないようにする―――つまり、
社会のルールを守ったほうが長期的に見れば得なのだという視点を養うための知恵を付けさせたほうが、
単に反省悔悟を促すよりもよっぽど効果があるのではないかと申しております。それを踏まえた上で、
反省悔悟を促すような取り組みがそのまま社会のルールに則した功利主義的思考の伝授にどう繋がるのか
が不明瞭だというのが私の主張です。私は犯罪者の更正についてそれを内心とか犯罪者個人の問題から
できるだけ切り離して、実際に目に見え効果が分かる形である、道徳的実践の問題として扱いたいわけです。

私としては、犯罪者の内心については決定的なことは何も言えないというQさんの主張を意識した上で
>2768の該当箇所を書き込んだつもりでしたが。ちなみに、話がややこしくならないよう対象を限定するため、
已む無しさんが想定されているような、非合法な手段によって巧妙に利益を得るプロの犯罪者、及び犯罪組織
についてはあえて考慮の外に置きました。

2779無精髭:2010/05/11(火) 00:55:38
>Qさんへ
已む無しさんへのレスを書くのに時間を取られてしまったので、すぐにお返事いたすことは適いません。
とは言え、>2771-2772についてはおおむね賛成―――より正確に申し上げるなら、反対する理由が
特にありません。ただ私とQさんとでは、更正教育に対する認識に違いがあるなとは感じました。ただ、
その点については大体が>2768で申し上げたような疑問に関わることであり、どうやら紫煙狼さんとも
認識に違いがあると思うので、存置派・廃止派といった立場の違いはおそらくあまり関係がないかと思われます。


>現時点で、少なくとも、紫煙狼さん無精髭さんufloatさんと、私が分かり合えることは有り得ないことなのだと
結論部分を抜きにすれば、同じ存置派であるQさんとすら分かり合えることがないのではないでしょうか。賛否は
ともかく、一方が論旨明快かつ物腰丁寧でしかも譲るべきところは譲るのに、もう一方が論旨不明瞭で理由もなく
誤読・曲解を繰り返すわりにその点について全く謝罪しないという不遜さを発揮している場合、両者の結論が同じ
という理由だけで分かり合えるとはとても思えません。

>さてさて、例によって必死な曲解と煽りのレスがつくのか
>はたまた、一切触れずにログ流しの如くスレを埋めにかかるのかを拝見させていただきます
>出来ることならば、真っ直ぐ曲解(意図的であろうと無かろうと)なく意見していただきたいものですが
誤読や曲解を必然的に呼び込むような「未論理」的記述は即刻改めていただきたく存じ上げます。

Qさんからすれば、私もかなり誤読なり曲解なりをしているように見られるかも知れませんが、
>2760を読んだだけでは、>2771-2772はおろか、>2764におけるような考えをQさんが
抱いていると推測することは不可能かと。私が真意を問い質したり批判したりしたからこそ、
Qさんの方も密度の濃い、より正確な記述によって応答されたわけでしょう。やや同じ表現(論旨)
の繰り返しが目立つのが不満ではありますが。それはともかく、議論では今度のような紆余曲折を
経ることは珍しくないかと思いますが、已む無しさんはそれを我慢できないようだから心性的にも
議論に不向きだと皆さんに言われてしまうわけです。

>私の発している意見は、既にかなりの妥協案だということを付け加えておきます
2774-2776のどこに妥協案が示されているのでしょうか? 妥協案を提示なさっているおつもりでしたら、
ちゃんと妥協案だと他人にも分かるような形で書いていただきたいものです。

2780Q:2010/05/11(火) 17:10:39
他人の発言内容を如何に解釈し判断なさるかは人其々かと思います。
恐らく100人が居れば100通りの解釈や判断になる事もあろうかと存じます。
自身の発言に際しては、拙劣ながらもなるべく要らぬ誤解を与えぬよう簡潔に纏める事を心掛けて居りますが、
それ故に言葉が足りない事でこちらの意図を理解をして頂けていないと感じる事もあります。
大変に心苦しい限りではありますが、私的に必要と思える部分を補足的に説明させて頂くという事でご容赦願いたいと思います。

ここで私が刑罰の意義としての更生教育を言う前提とは、目的刑の概念に沿う物として発言しています。
敢えて応報的にと付け加えるのは、あくまでも相対的応報の概念として申している事です。
そういう意味では、私の信念の根底に応報主義と表現されるべく意図は確かにあるかと思います。

死刑囚の反省悔悟を求める意味について、
例えば萬谷義幸氏は死刑に際し、自己の精神と真摯に向き合い死ぬ事が出来たのではないかと私は推測するのですが、
果たして彼はそれを過酷、残虐であると感じたのでしょうか。
その真意は他人である私や已む無しさん、無精髭さんには各々で感じ取る事しか出来ませんが、
一概に、一つの結論を以て断じる事ではない様に思います。

2781已む無し:2010/05/11(火) 19:21:06
>>2777
>人のレスをきちんと読まない癖は直らないようですね

貴方の方こそ直らないようですね

>>応報主義によって死刑囚の更正教育をしようなどとはどこにも書いていないと思うのですが・・・・

に対して、

>>2760私は刑罰の意義とは、犯した罪に対し応報的に量刑を科す事で後悔や反省を促す事だと思います。

Qさんが刑罰の意義として挙げた、応報的な量刑によって後悔や反省を促すことと
更正教育とは別のこととハッキリ仰っていたはずですがね・・・・私の勘違いだったかな?

>>ふむ・・・・待ったをかけられたので律儀にレスした>>2754は華麗にスルーされてますねw

別に貴方に待ったをかけられたわけでもないし
そもそも貴方には笑い飛ばされた意見についての返答ですから、今更回答を期待してもおりません
ですから貴方こそスルーしていただいて結構ですよ

2782已む無し:2010/05/11(火) 19:40:07
無精髭さんに一言だけ
反省してから死刑になるのは反省せず死刑になることよりも残虐

これは、私としては
自らの死の運命を真摯に受け入れてその日を迎えることは
自分に全く非がないと思うままに何者かに殺されると思いながら死んでいくことよりも残虐
と同義だと感じます

2783紫煙狼:2010/05/12(水) 00:03:14
>>2754
ああ、已む無しさんお帰りなさい。別にスルーしようと思ったわけではないですよ。
ただ…そうですね。貴方が提示した答えを私が理解できていないのと、どうにも私には
気になる表現があって、私が言葉尻を捕らえた発言をしてしまうことを恐れて、
注意に注意を重ねた結果、返答が遅くなっているのは事実です。一言でも触れておけば
よかったですね。すみません。

科学的に実験をするならば、その実験で変化するであろうパラメータの組み合わせは全て
想定しなければならないと私は思うのですね。已む無しさんの仰る実験の場合で考えれば

<犯罪発生率が>
あがるorさがるorかわらない(誤差の範囲内に収まる)
<カード所持者の凶悪犯罪遭遇率が非所持者と比較して>
たかくなるorひくくなるorかわらない(誤差の範囲内に収まる)

この2つを組み合わせて9種類の結果は「想定外」と表現してはいけないと思うのですね。
これは貴方の予想外の結果であっても想定はされていなければならない。こういう状況で
想定外という表現が許されるのは「結果として失業率が減った」のように影響を与えないと
考えられていたパラメータに明らかな影響が発生した場合だけですよ。

従って、已む無しさんは実験を提唱する以上、少なくとも上記9種類の結果を想定して
それぞれの場合でどのような情報が読み取れるかを理路整然と述べられる程度に用意して
あるのだろうと考えていました。が、>>2754のお答えはいまひとつハッキリしないものですよね。

>全体としての殺人事件発生率としては、良い効果が出たのかもと
これは「増えなくて良かった…」程度の話ですか?ちょっと違う事を言おうとしているようですね。
その後の発言を見る限り、犯罪発生率に変化が無かったとしても、犯罪を犯した者の層に変化が
生じている可能性があると言うことを仰りたいのでしょうか?つまり、それまでの状況が続いていれば
本来犯罪を犯したであろう層の一部が犯罪を犯さなくなり、逆に、本来犯罪を犯さなかっただろう層の
犯罪者が増えたことで、結果相殺された可能性があり、ここは犯人の動機を調べなければ分からない、
と言うことですね?でも、それはどのような結果になったところで、犯人の動機を調べる必要はある
はずですよね?

2784紫煙狼:2010/05/12(水) 00:03:39
已む無しさんの仰る実験は、社会に安全をもたらす可能性があると同時に、危険をもたらす可能性も
少なからず含まれています。「非所持者が犯罪に遭遇する率が上がる」というのも想定されていなければ
ならないということは、カードを持たない人も実験動物にされるということですから、以前仰った
「怖いならカードを持たなければいい」は通用しないはずです。と考えると、非常に思慮が浅いというか、
まず先に実験ありきの検証の仕方には問題を感じます。そして、社会にそれほどまでの危険をもたらして
までして「死刑には犯罪抑止効果があるか」を調べなければならないのか?と思い至るわけです。

と、なると、当然、私が提唱した「犯罪の大きさに関わらず、確率論で死刑になる」実験も、
「実験に参加しない」という選択肢が無いのは已む無しさんの実験と変わりがありませんし、
私の場合は<犯罪発生率>というパラメータだけなのですが、それでも「増える」という結果は
「想定」されていますので、「死刑には犯罪推進効果がある」のであれば社会に大きな危険を
もたらす実験となるでしょう。

いや、実際には「一人やってしまったら二人やっても…」と一人の犯罪者が起こす事件の規模が
大きくなる可能性を考慮すると已む無しさんの実験より数段危険であると思ってよいでしょう。
実際問題として、私も良く考えて言い出した実験ではなく、思いつきで言っただけですから、
考えれば考えるほど難しいものだな、と今更ながら頭を痛めています。

結論から言うと、已む無しさんの実験も、私の実験もロクなものではない!と言うことですね。

ただ…。本当に「安全な実験で死刑の犯罪抑止効果の有無」を確認する手立てはないのでしょうか?
ここらへんはもう「死刑の犯罪抑止効果を調べる」という目的よりは、意地みたいなものですかね。
私は諦めが悪いので、まだそんなことをツラツラと考えていたりします。

2785無精髭:2010/05/12(水) 01:10:43
>他人の発言内容を如何に解釈し判断なさるかは人其々かと思います。/恐らく100人が居れば100通りの解釈や判断になる事もあろうかと存じます。
確かに仰る通りです。しかしながら、議論を行うからにはそんな一般論がとても通るものではないということはご存知なのでしょう?
議論でそれを正当化してしまうと、議論のルールや論理学などは全く必要がなくなるでしょうね。過去ログをお読みになれば分かるかと
思いますが、已む無しさんと私の違いを価値判断の問題に還元することはとてもではありませんが、できないです。

>死刑囚の反省悔悟を求める意味について、/例えば萬谷義幸氏は死刑に際し、自己の精神と真摯に向き合い死ぬ事が出来たのではないかと私は推測するのですが、/果たして彼はそれを過酷、残虐であると感じたのでしょうか。
どうなのでしょうね。仮に教育によって更正したのであれば、萬谷元死刑囚にとって死刑は厳粛で過酷なものに変じた、
というかそのように思い込めるようになるまで必死に努力したと私なんかは思いますけどね。自己欺瞞というんですかね。
どうせ殺されると決まっていたわけですし、無為なる拘禁状態が続く日々において、おそらくそうでもしなきゃやって
られなかったのでしょう。譲歩した言い方に変えるなら、更正した死刑囚からすれば、厳粛でもなければ過酷でもない
死刑に望むことは、自己の精神と真摯に向き合うことの意味を薄めてしまうことになるでしょうから、絶対に避けたい
ところだったのでしょう。ちなみに「残虐であるかどうか」という疑問は、死刑囚視点で発せられるべきものではなくて、
死刑を科する者の側において発せられるべきものですね。たとえ死刑囚にとって死刑が屁の河童だったとしても、
そのように死刑囚を鍛え上げたのちに死刑を執行する行為そのものが残虐であるかどうかは依然問うことができるのですから。

死刑囚が更正すれば自己の精神と真摯に向き合うことで死刑を受け入れる気持ちが生ずるというのは、凶悪犯が更正すれば
自らが犯した罪の重さに耐えかねて自殺するはずだという考えの派生形だとしか私には思えないんですね。

ところで、一つ確認しておきたいことがあります。私は>>2767で「死刑囚を教育することで今以上に悔悟の念を喚起する
ような制度に変えろ」というふうにQさんが仰っていると書きましたが、これに対しQさんは>>2771で「(上略)現状に
於いても既に為されている様な事を申しているだけです」と仰いました。私が>2767のようにお書きしたのは、Qさんが
>>2763で「囚人に対し教育を施す上で、囚人の希望を問う必要性は無い」とか「罪を犯した事で人権を制限されるべく
刑務所に収監されている者に対し、その精神を変革させる為の教育とは強制的に行われる必要がある」と書いておられたから
というのもあるのですが、さて、Qさんは現在法務省矯正局が行っている更正教育の内容はそのままに、強制力を上げろと
主張されているという理解でよろしいでしょうか? 実際のところ、死刑囚の更正教育(?)にいかほどの強制力があるのかは、
当方、不勉強なものでよく分からないのですが。

2786無精髭:2010/05/12(水) 01:12:51
>Qさんが刑罰の意義として挙げた、応報的な量刑によって後悔や反省を促すことと/更正教育とは別のこととハッキリ仰っていたはずですがね・・・・私の勘違いだったかな?
はい、勘違いです。Qさんのレスを読めば分かるかと思いますが、刑罰によって後悔や反省を
促すことと更正教育とをハッキリ区別している記述は見当たりません。Qさんがハッキリ別のことと
仰っているのは、以下に転載させていただきます三箇所においてです。

>>2760犯罪者についてその反省や更生を促し期待する事と、犯罪者を社会に出すか否かを判断する事は別なのではないかと考えます。

>>2764教育が為せる効果とは囚人を自覚させ後悔や反省を促す事です。/結果とは即ち更生の事です。/其々の効果や結果に対し期待をする事はあくまでも別の事として認識しています。

>>2764犯罪者に対し教育を施す事はあくまでも刑罰の一環ですが、/その刑罰の持つ意義と自由刑か死刑かの量刑の違いの判断を行う事とは別ではないかと言っている訳です。

いずれも後悔や反省を促すことと更正教育とを区別する記述ではありませんよね。
ですが、私のチェックが甘い可能性もなきにしもあらずですので、もし後悔や反省を促すことと
更正教育とをバッチリ区別している箇所を、私の>2767以前のQさんのレス>>2760>>2763-2764>>2766
において已む無しさんの霊験あらたかな透視でもって見つけ出したと仰るなら、
もったいぶらずにぜひともご教示ください。

というよりもですねぇ、この議論においては私や紫煙狼さんは更正教育をおそらく
已む無しさんが考えているそれと違ってファジーに捉えています。それを承知で
Qさんも議論に参加されたわけでしょう。Qさん自身、反省悔悟と更正とはハッキリ
と区別されましたが、反省悔悟を促すことと更正教育とについてはあえて同じ事象を
指すものとして取り扱っていらっしゃるようです。察するに、その区別に拘ることは
議論の本筋から外れることだということをよく分かっていらっしゃるからでしょう。

ちなみに、応報刑主義によって死刑囚の更正教育を正当化することができるかどうか
という私の疑問にはQさんは以下の通りに答えてくださってます。

>>2771私にとって、個々の犯罪者に対し刑罰を科す側が期待する精神の在り様は同一である筈だと考えているだけの事です。/刑罰を科す際に、その意義を放棄した上で判決を行う事には不条理を感じるのではないでしょうか。

>2780では応報刑主義との関係を否定できないというふうに仰っていますしね。

大体ですねぇ、今回のことで誤解されたくないのなら、「応報的に量刑を科す事で
後悔や反省を促す」などと書かなければいいだけの話でしょう。Qさんと已む無しさん
の違いは、Qさんは自分の発言に責任を持っているから書き方に問題があればその旨
認めるし、反論があれば答えるし、誤解されればそれを解くように言葉を尽くす一方で、
已む無しさんは書き方に問題があっても読む手の悪意とか読解力のせいにすれば事足りると
思っているみたいだし、反論があっても人格攻撃だと勝手に思い込んでスルーだし、
誤解されれば「どうせ私の主観に過ぎませんので…」と開き直っちゃうところですかね。

ところで、已む無しさんはQさんの以下の文章を本当に理解できているのですか?

>>2763また、囚人に対し教育を施す上で、囚人の希望を問う必要性は無いと考えます。/罪を犯した事で人権を制限されるべく刑務所に収監されている者に対し、その精神を変革させる為の教育とは強制的に行われる必要があると思うからです。/刑罰の一環として、全ての犯罪者の後悔や反省を促し、それが更生に向かう為の端緒とならなければ意味が無いのであり、/能動的にその教育を受け入れる者は当然として、そうではない者達にこそ教育が必要となる筈ではないかと思います。

2787無精髭:2010/05/12(水) 01:13:34
>そもそも貴方には笑い飛ばされた意見についての返答ですから、(下略)
ん? 私は紫煙狼さんの意見を笑い飛ばしてなどいませんよ?
それとも已む無しさんはご自分の意見にご自分で返答したのですか?
なら誰も返答する必要ないですね。万事解決じゃないですか(笑)。

>反省してから死刑になるのは反省せず死刑になることよりも残虐
これが私の主張の要約ですか? いや、正しくはこうです。
「反省させてから死刑にするのは反省させずに死刑にするよりも残虐」
細かい説明をしても已む無しさんの頭が混乱するだけだと思いますので
詳しい解説はしないでおいてあげます。

ところで、凶悪犯に死刑判決が下るまでは加害者の立場に立たないことを
徹底しているような人が、裁判が終わって凶悪犯が死刑囚になるととたんに
受刑者目線に転じるのはなぜですかね? そんなタイミングで転じるくらいなら、
もっと早く転じても良さそうなものなのに、、、と思いますけどね。ま、
それはともかくとして、何の罪もない人を私利私欲のために殺すような、
それこそ犬畜生にも劣るようなヤツに同情する必要なんかあるんですか?

>自らの死の運命を真摯に受け入れてその日を迎えることは/自分に全く非がないと思うままに何者かに殺されると思いながら死んでいくことよりも残虐
罪と向き合えば、罪と向き合わないときよりも精神的に楽になるのですかね。
そうではなくて、その罪が重ければ重いほど、それと向き合う精神にとっては
苦痛の種になるのではありませんかね。これが死刑囚の反省悔悟を促せと主張する
本当の狙いではないかと思っておりましたが、私の勘違いだったのでしょうか?
私が理解できないのは、已む無しさんもQさんも、死刑囚を罪と向き合わせることで
精神的に苦痛を与えてやりたいと仰っているようでありながら、他方で死刑の残虐性を
少しでも減ずるために取り計らおうとしているようにも見受けられるということです。

私は>2767では「更正教育によって死に望む者に幾ばくかの心の安らぎを与えたいという
のならまだしも」と書きましたし、>>2640でも同じようなことを書いてみたことが
ありましたが、已む無しさんもQさんもそういう意図で死刑囚に教育を施すべきだと仰って
いるのですか? 死刑を自ら受け入れさせるためだけに更正を強要する考えにはゾッと
せざるをえませんが、単に死刑の苦痛を精神的にでも減じるという意図があってのこと
でしたら、別に私は反対しません。絞首刑と更正教育をセットとすることで、一種の安楽死
として運用できると解釈できなくもなさそうですので。もし死刑執行方法を改善しようとの
意図があって一連の発言をなされているのでしたら、私としては同調せざるを得ませんね。

2788紫煙狼:2010/05/12(水) 02:14:22
>釈放されないならば、社会復帰できないならば更正教育は必要ないなどと・・・・・
>退院できないのならばリハビリは必要ないと言っているようなものです・・・・・
おりしも、私の祖母が末期のガン患者でして。結論だけ言うと、ガンと向き合い
闘病するほうが寿命を縮める結果になるので抗ガン治療は一切行いません。

もし退院できないとしても、リハビリによって受ける苦痛が、リハビリによって
もたらされる恩恵(一日でも長く元気ハツラツで居られる)より大きいのであれば
リハビリは不要だと考えますし、逆であれば是非リハビリに励んでいただきたい。

同様に、仮出所の栄誉には預かれないとしても、能動的に更生教育を受け、
反省と悔恨の日々を送っている間は処刑しないのであれば是非とも更生教育を
受けていただきたい。それが処刑を免れるための偽りの姿であったとしてもね。
嘘も百篇。人の心をかけらでも持たされている囚人が、嘘だけで何年更生教育を
受け続けられますかね。私の勝手な思い込みですが30歳で死刑判決を受けた者も
30年かけて教育すれば反省くらい引き出せますよ。罪の重さに気づきますよ。

ところが、実際はそうはいかない。日に日に体調が悪くなって毎日死に近づき、
自分の中でも終わりの日が明確にではなくても見えてくる患者とは異なり、
死刑囚と言うのは「ある日突然、確実な死が襲ってくる」のですから、これを
リハビリと同列の論じること自体に無理があるのですから、
>私には理解できませんね
そりゃ理解できないでしょう。私も理解出来ません。

Qさんの言う「死刑囚への更生教育の効果」というのは死刑囚がどのような気持ちで
死を迎えるかという点に集約できるのではないでしょうか?つまり
「自分は大層悪い事をしたのだから、殺されても仕方が無い」という諦め?もしくは
「自分は大層悪い事をしたのだから一命を持って謝罪の意を表したい」という能動的な
処刑?まぁ、それは確かに納得ずくで処刑されてくれたほうが、こちらも後味がマシです。

でもね、応報のために応報的に死刑に処す、ってのは私には未だに疑問でして。

2789紫煙狼:2010/05/12(水) 02:14:48
応報と言うのは目的足りえるのでしょうかね?

私は肥満体型ですので、痩せなければならないのですが、この痩せるということと
応報と言うのが同じレベルに思えるのです。つまり真の目的は、もう一歩進んだ
ところにあるはずではないか?とね。

ダイエットをしますよね?こりゃキツイことですよ。ではどうしてダイエットする
のでしょうか?そりゃ、痩せるためですよ。では、どうして痩せるの?痩せなければ
ならないの?ここですね。なぜ死刑にするの?そりゃ応報原理を完成させるためですよ。
では、どうして応報原理を貫いて完成させなければならないの?とその先にある目的を
知りたいのですね。

痩せるのを目的にしたダイエットなんて続きませんよ。痩せて健康になる!とか
痩せてオシャレな服を着て羨ましがられたい!とか、痩せるというのは方法論の一つで
あって、これを目的にして満足するってのは、どれだけ居るのでしょうね?

肥満体型を脱却すれば…まぁいい事尽くめです。そこで得られる効果は、どれも目的として
十分なものであるし、それぞれが副次的な良い効果を生むでしょう。ですから、同様に
応報によって得られる副次的な効果で構わないから、それがいい事尽くめであるか、
それも「受ける者にとって良いものであるか」がかなり重要だと思うのですね。

私なんてのは「オシャレしたい」とか「モテたい」とか、ないですからね。
もっぱらダイエットをするとすれば「健康のため」ですよ。しかし、もしも、肥満体型の
ままでも健康を維持できる薬があるなら、別にダイエットしません。極端な話、とても
楽に理想的な体型になるけれども健康を害する薬、なんてのは私の場合は意味が無い。
モテるためなら、健康を度外視して薬を使ってでも痩せるでしょうね。

だから、私は「応報によって何が得られるの?」と問うのです。そういう意味では、
已む無しさんってのは要求が控えめなのでしょうね。応報を目的としてなんら疑問を
持たないわけですから。もしくは素晴らしく聡明なのかな?私は「どちて坊や」なので
どこまでも追求したいですね。

どちて健康になるですか?長生きしたいからさ。
どちて長生きするですか?そりゃ、みんなと長く一緒に居たいからさ。
どちてみんなと一緒に居たいですか?そりゃ一人は寂しいからさ。
どちて一人は寂しいですか?人と言うのは完全なものではないからね。埋めあって支えあいたいのさ。
どちて人間は完全ではないですか?神様ではないからさ。
どちて神様でもない人間が人様の生き死にを左右して平然としていられるですか?

まぁ、延々とループですね。

2790已む無し:2010/05/12(水) 03:58:34
>>2783
>>2784
>已む無しさんの仰る実験は、社会に安全をもたらす可能性があると同時に、危険をもたらす可能性も
>少なからず含まれています。「非所持者が犯罪に遭遇する率が上がる」というのも想定されていなければ
>ならないということは、カードを持たない人も実験動物にされるということですから、以前仰った
>「怖いならカードを持たなければいい」は通用しないはずです。と考えると、非常に思慮が浅いというか、
>まず先に実験ありきの検証の仕方には問題を感じます。

うんうん、私とほぼ同じ意見ですね
これと同じ理由において、私は現状で死刑廃止することに危険を感じるわけです
ですが、>「非所持者が犯罪に遭遇する率が上がる」
これは、『凶悪殺人事件の被害者になる率が上がる』という意味でしょうか?
それとも殺人以外の犯罪のことを言っているのでしょうか?
死刑存廃の議論をする場合には、死刑相当の殺人とそうではない殺人、殺人ではない犯罪は
ハッキリ分けて頂かないと、とても分かり辛いと思います

上記非所持者が「殺人被害者になる率が上がる」ということならば
これはどういった理由によって想定されるのでしょうか?
死刑になりたいが為に殺害するのだとしたら、今の現状と全くリスクは変わらないはずですが・・・・
まさか、この実験をすることによって、死刑になりたいと願う人間が増えると想定するのでしょうか?
私は、カード所持しない人間=実験に参加しない人間であると考えますが

>社会にそれほどまでの危険をもたらして
>までして「死刑には犯罪抑止効果があるか」を調べなければならないのか?と思い至るわけです。

何度も言いますが、私としましては必要性は感じません
必要性があるのは廃止論者に対してだけです
廃止論者が、こんな実験をするまでもなく抑止効果はあると認めるのならば問題はないと思いますし
抑止効果がないのならば何度も言うようですが、カード所持によるリスクは無いですし
これが危険だというのならば、死刑廃止はもっと危険だと考えるわけです

>>2787
>ん? 私は紫煙狼さんの意見を笑い飛ばしてなどいませんよ?
>>2709参照


>>2788
>>2789
まぁ、リハビリを例に出したのは適切ではなかったですね
どちらかというとダイエットのほうがしっくり来る感じはします
ですが、暴飲暴食により肥満になることは、そのままで自業自得が成立していますよね
自分の責任により自分の健康が損なわれているだけなのだから
ダイエットに励んで健康を手に入れるなり、オシャレするなり、面倒だから何もしないなりは
自分の勝手で選択して良いわけです

これを生死に当てはめるならば、自殺してあの世に行った人が、自分で自分を殺した罪を反省するもよし
反省しないもよし・・・・ということでしょう
もちろん、死んだ後に反省などはオカルトでいいですがね

実際には・・・・・
何も悪いことをしていない人が、故意に私利私欲により殺された場合が死刑適用基準に関係しているわけです
その犯人が得をしないというだけの理由で、反省は必要ない、更正教育も必要ないというのはやはり理解できません

私も同じくどちて坊やですよ
どちて健康になるですか?生きている限りやれるだけのことを精一杯やりたいからさ
どちて長生きするですか?そりゃ、みんなと長く一緒に頑張りたいし、死ぬのも怖いからさ
どちてみんなと一緒に居たいですか?一人は寂しいし、みんなのことが心配だからさ
どちて一人は寂しいですか?人と言うのは完全なものではないからね。埋めあって支えあいたいのさ。
どちて人間は完全ではないですか?神様ではないからさ。
どちて神様でもない人間が人様の生き死にを左右して平然としていられるですか?普通の人間なら平然とはしていられないさ
どちて何の恨みも落ち度も無い人を好き勝手に殺す人がいるですか?神様ではないどころか、獣や悪魔のような人間もいるからさ
どちて好き勝手に人殺しをした人の命だけは護らなければいけないですか?廃止論者だけがそういってるだけさ

個人的にはループしないんだけどね

2791紫煙狼:2010/05/12(水) 10:39:49
>上記非所持者が「殺人被害者になる率が上がる」(中略)参加しない人間であると考えますが
えっと…ここで小学生レベルの算数の説明をする必要が出てくるとは、まさに想定外でした。

実験1)
ここに、リンゴとナシが50個ずつ合わせて100個あります。
あなたはここから10個を目隠しして選び出してください。
 ※この場合、あるリンゴ1個から見て自分が選ばれる確率は1%です。

実験2)
ここに、リンゴとナシが50個ずつ合わせて100個あります。
あなたはここからリンゴ10個を選び出してください。
 ※この場合、あるリンゴ1個から見て自分が選ばれる確率は2%です。

実験3)
ここにカード所持者と非所持者があわせて、およそ127,768,000人います。
あなたはここから10人を殺害してください。ただし、死刑になりたいなら
カード非所持者を、死刑になりたくないならカード所持者を優先的に
選び出して構いません。

結論)
殺人事件の発生件数(被害者数)が一定であるとした場合、部分集合の被害遭遇率が
下がるということは、それ以外の部分集合の被害遭遇率が上がることを意味します。
つまり「カードを持たない=実験に参加していない」もしくは「カードを持たない=
リスクは現状と変わらない」とは言えません。この程度のことも想定できない人の意見に
真剣に耳を傾けてしまった自分の馬鹿さ加減に情けなくて涙が出そうです。

已む無しさん、今まで長々と益体も無いご意見ありがとうございました。
貴方が「分かり合えることは有り得ないことなのだ」と結論してしまった以上、私も貴方の
相手をする時間が勿体無い・・・いや、もう少し私と同じ言語で同じ文法を操り同じ科学体系に
基づく私とは違うご意見(願わくば最低限中学生レベル以上の方)に耳を傾けたいと思います。

2792Q:2010/05/12(水) 12:34:41
>>2785
>議論を行うからにはそんな一般論がとても通るものではないということはご存知なのでしょう?

現状の遣り取りを以て議論を展開する事に如何なる意義を感じて居られるのでしょうか。
私は自己の発言内容について為されている遣り取りを読むにあたって、申し訳なく感じる部分があった為にあのように発言させて頂きました。

>死刑囚の反省悔悟を求める意味について

私が死刑囚の反省悔悟に期待する事は、あくまで悔悟の精神に至って欲しいという私の期待でしかないと申しています。
元より死刑囚が反省し得るのかも反省した結果如何なる心境に至るのかも、その真意は他者には判らない事ですし、
応報的に刑罰を科す事以外に苦しみや安楽を求めている訳ではありません。

死刑が過酷、残虐であるか無いかについては、相応に残虐で無ければ刑罰とはなり得ないと考えています。
そもそも、刑罰の量刑の差とは応報的に残虐性を増す物ではないでしょうか。

>ところで、一つ確認しておきたいことがあります。

私は犯罪者に対し絶対的な反省を強制する様な教育は不可能だと認識しています。
しかし、反省を促し続ける試みとして全ての囚人に対し教育は必要であろうと申しています。
そして、それは刑罰の意義としての強制力を伴う筈であると思います。

2793Q:2010/05/12(水) 12:39:02
>>2789
私は罪に対する応報的概念にそれ以外を求める必要はないと認識しています。
ただ、刑罰としての目的は一般予防及び特別予防として定義される筈ですが、
そこに応報的概念が関与する事は必要不可欠であろうかと考えます。

果たして、刑罰の意義として自由刑と死刑を殊更に区別する理由はあるのでしょうか。
死刑で無くとも、60歳を超えた犯罪者に無期懲役、或いは20年以上の懲役刑を科すと言う事は、
最早獄中で死ぬ事は粗間違いの無い事となるのではないでしょうか。
その場合において犯罪者の更生も粗無いと言う事になります。
だからと言って将来的な更生を理由に罪の内容自体を看過する事が認められるでしょうか。

2794已む無し:2010/05/12(水) 12:59:00
>>2791
これは全くもって揚げ足取りになってしまいますが
相手を貶めるためにあえて、小学生レベルの算数などと付け足したあなたに対してならば仕方が無いでしょう

実験1と2についてですが
せめて、1個を選び出してくださいと書くべきでした
それならば小学生レベルです
10個選べと示して確率を求めるのは中学生レベルです
答えも間違っていますしね

2795紫煙狼:2010/05/12(水) 13:23:25
本当だ(笑)おはずかしぃ

2796紫煙狼:2010/05/13(木) 02:08:20
相当さかのぼりますが…。基本的にQさんのご意見は私の意見の表裏のような感じで、
共通の結論に至ることはできなかったとしても、相互理解は難しくないと考えています。

>>2760
>犯罪者についてその反省や更生を促し期待する事と、犯罪者を社会に出すか否かを判断する事は別なのではないか
ここですけど「反省した後悔している、だからホイホイと出獄させていいというものではない」という文意のみなら
私も納得できるのですが、逆に「満期上等」のような囚人に対しても、応報的刑期を満了したからには、反省や悔恨が
見受けられなかったとしても出獄させるべき、とお考えでしょうか?もしそうであれば、教育の拡充とともに、
厳罰化(収監期間の長期化)を図るとより効果がありそうですね。

>死刑の様に絶対的に社会復帰を認めない科刑を処す場合に於いても、施すべき教育は為された方が良い
に関しては、私も半ば同感ですね。ただ、Qさんとの決定的な差として、私は教育を権利、Qさんは教育を刑罰の
一環として捉えていらっしゃるので、同じ論拠で異なった答えを導き出しているのかもしれません。敢えて言うなら、
私自身は教育を刑罰の一環と捉えることにさほど強い抵抗は感じません。ただ、Qさんも仰っているように、
「犯罪者個々の精神にただ期待するしか無い物」であるから強制的に行う(必ず費用が発生する)ではなく、
権利とするほうが「望まない者に対して教育費用は嵩まない」というところでしょうか。
私個人が犯罪者に対しての教育費用をどのように考えるか?は既にご理解いただけているかと思いますが、
「私の納める税金がそのために増やされるとしても吝かではない」という考え方です。しかし、こと、死刑に関しては
「(教育とか拘置に)お金をかけず、さっさと殺したほうが費用が無駄にならない」という考え方の死刑賛成派も多い
ので、そのような方々との落としどころに苦慮しています。

>>2763
>個々の犯罪者に対し刑罰を科す側が期待する精神の在り様は同一である
つまり、相手が死刑囚であろうが懲役囚であろうが犯した罪に対する反省や後悔はしてもらわなければならない、
という意味ですよね?であれば、死刑囚は反省なり後悔なりするまで処刑してはならないのではないでしょうか?

おそらくQさんも私も囚人に反省や後悔を求める根本に「罪と向き合い、反省や後悔することで、残りの人生を
少しでも有意義に(自分のためにも、他人のためにもなるように)過ごしてほしい」という切なる願いが込められて
いるものと考えます。私はその「有意義に過ごす期間」が長ければ長いほうが良いと考えていて、天寿が尽きる前に
人為的に命を奪うことを良しとしないわけです。そこでお伺いしたいのですが、この反省や後悔を引き出すために
死刑と言う方法を用いなければならない相手がいる、とお考えでしょうか?いや、違うようですよね。あくまで処刑は
応報的な刑罰として…であって、Qさん的には「反省や後悔を引き出す手段の一つ」ではないようですね。

私は「応報」をさして重要視していないので、殊更に応報を強調しなければならない理由が分かりません。
なるほど、刑罰の重軽は応報の重軽なのかもしれませんし、刑罰を制定する際の基準になるものは応報原理であるやも
しれません。しかし、だからと言って応報のために「刑罰を科す側が期待する精神の在り様」を捨てる気にはなれません。
私は刑罰の本質を応報ではなく「刑罰を科す側が期待する精神の在り様」に置くべきではないかとさえ考えます。

2797紫煙狼:2010/05/13(木) 02:08:46
>>2772
>私が度々申している反省悔悟とは社会復帰に際し必要不可欠な物であるとは考えていません。
ああ、やっぱり刑期が終わったら反省していようと無かろうと出すものは出すんですね。これは悲しい。。。

どうなんでしょう?反省や後悔なしに更生はあるのでしょうか?応報と言う枠にとらわれると、どうしたって
満期上等につける薬はありませんよね。前述のように私は反省や後悔なしに更生は無い。更生しない限り
出所させるべきではない、の考え方ですから、極端な話をすれば窃盗を犯した者が殺人を犯した者より
長期にわたって収監されるという状況に抵抗が無いのです。むしろ「またやるぞオーラ」を発している者を
出所させるほうがずっと抵抗があります。

もちろん、じゃぁ殺人を犯しても反省した後悔したからには3日やそこらで出して構わない、とも思いませんがね。
それじゃぁ一般予防効果も何もあったものではない。そこで、ようやく応報的刑期という縛りを利用するのです。
「反省した・後悔した・更生した」でも「刑期が終わるまでは出しません」が正しいのではないでしょうかね?
つまり「反省後悔更生」と「刑期の3分の2以上を経過」の両方を満たさない限り出さない運用ですね。

ああ、なるほど。Qさんは「応報」をとても尊い物のように扱われているようですが、私にとって「応報」なんてのは
ツールの一つでしかないわけですよ。むしろ「人の心・人道徳」のほうが何倍も尊いわけです。その差が全体に
フィルタをかけているのかもしれませんね。だから「応報」のためには死刑もやむをえないとするQさんと、
「人の心・人道徳」のために死刑を許すわけにはいかない私の対極がうまれるのか。
いやいや、もちろん、応報が人の心に反するという意味ではないです。そういう意味で取り上げているのではなく、
どこまで行っても「刑罰を科す側が期待する精神の在り様」を囚人に体現してもらうことを「人道徳」と言っています。

>>2773
>凶悪犯罪者がそのままの精神で存在する事を嫌い、自らの反省を以て死んで欲しい
ここ。なぜ「死んでほしい」のでしょうか?凶悪犯の一部には最終的に死んでいただきたい、と思う理由ですね。
Qさんが死刑と自由刑に境界を求めないと仰るのと全く同じで、私も凶悪犯とありがちな犯罪者に境界を定めず、
一様に「反省と後悔と更生」を求めた結果「死んでいただかなければならない」理由がなくなっているのですが。
まぁ、もちろん、凶悪犯とありがちな犯罪者ってのは「やったことの重大性」が違うといえば違うのですが、
懲役20年と懲役21年の差はそれほど無いと思うのですね。でも懲役25年と無期懲役の間は随分離れています。
無期懲役と死刑の間も随分離れていませんか?完全終身拘禁の終身刑と死刑の差は「命を奪うのが天か人か」の
差ですよね?自由刑と死刑の差は「命を積極的に奪うか奪わないか」の差です。この境界をあいまいにしたまま、
「うーん、これは死刑!」「うーん、これは無期!」ここが私にはちょっと消化しきれない。確かに基準として
判例なるものがありますね。しかし今後とも「死刑か無期か判断が微妙」な事例は出てくるでしょう。ならばむしろ
その囚人のその後の生き方、心のあり方で時間をかけて判断してよいのではないでしょうか?

2798紫煙狼:2010/05/13(木) 02:09:09
>>2773
>死刑以外の刑罰によって得られる物とは何なのかも定義してみれば如何でしょうか。
それは存外簡単なことだと思います。が、現状の刑罰で得られているもの、と限定すると難しいですね。
結局はQさんの仰るとおり「刑罰を課す側が期待する」ですよ。そして、それを以って天がその命を
召すまで、その反省と後悔を社会に還元し続けてほしいわけです。もちろん更生教育がみすぼらしい現状で
それが得られているとは、ちょっと言い過ぎの感じがありますけど。

それゆえに「死刑で無ければならない理由」「天に代わって人が命を奪わなければならない理由」が無いのです。
むしろ「期待する」がゆえ締め切りを、そして悔恨の日々を前倒しにしてしまう死刑には他の刑罰と根本的な
差異をみせつけられるわけです。私はね人の手では止めようが無い「天に召される瞬間」まで「期待に応える」
チャンスを与えたいわけです。信じたいのです。

まぁ、見事に裏切ってくれる人もいるでしょうけどね。

人と言う生き物が人為的に何らかの危害を加えない限り半永久的に生き続ける生き物であるなら、人がそれを
やらなければならないという話は理解できるでしょう。私はそれでも半永久的に信じ続け裏切り続けられるのかも
しれませんがね。でも、人が積極的に命を奪わなくても、人はいずれ死にます。人の命には限りがあるからこそ、
生命に輝きがあるわけで、この輝きは悪行により曇ったとしても、消える瞬間までは輝きを取り戻す可能性があると
信じたいわけです。

ただし、この信じたいという気持ちも、自ら望んで輝きを消してしまおうという囚人に対しては「非常に残念」ですが
そこはご本人の意思を尊重して「安楽死」を選択していただいても構わない、というのが譲歩の結果ですね。

2799Q:2010/05/13(木) 12:33:47
>>2796
その部分に関しましては、自由刑と死刑について申した事(>>2764)ではありますが、
とりあえずは刑の満期という論旨について述べさせて頂きます。

裁判で審理が為された結果、その犯罪の内容を鑑みて応報的に量刑は決定されます。
私が認識する刑期の基準とはそれしかないと言う事です。

犯罪者の反省悔悟とはあくまでも期待する物でしかなく、絶対的にそれを為し得たという確認は誰にも出来ない筈です。
刑罰の意義としての教育の効果とは即ち将来的な更生であると申しましたが、
犯罪者が将来的に更生を為し得るかどうかはその時点に至らない限りは判らない事なのです。
そうであるならば、刑罰を執行し続ける判断基準が更生の有無となった場合、
将来的に再犯をするかもしれない、という予測によってのみその判断が為されると言う事になります。
私は、その時点ではまだ犯してはいない将来的な罪によって刑罰が科される事があってはならないと考えます。

犯罪者に対する更生教育とは、其の者が犯した罪に対し効果的に行わなければならないと思います。
私の死刑囚に対する教育のイメージとは>>2771>>2772で示した程度の物でありますが、
研究者や聖職者による指導の元で行えば費用は然程掛らないのではないでしょうか。

>死刑囚は反省なり後悔なりするまで処刑してはならないのではないでしょうか?

その基準では、凶悪犯罪者は反省の意さえ示さなければ延々と刑の執行を免れ得る制度となってしまいます。
刑の執行基準は法規定されているので、理由なく変更される事があってはならないと考えます。
また、応報的に刑罰を科される事で自身の罪と向き合える者も存在すると同時に、
決してそうでない者も存在するとも考えていますので、
敢えてどちらかの基準に併せる事は、その事によって不条理を生むであろうと考えます。
私達が為し得る事は、犯罪に対し相応の量刑を科す事によってその更生を期待する事しかないと思うのです。

2800Q:2010/05/13(木) 12:36:55
>>2797
>やっぱり刑期が終わったら反省していようと無かろうと出すものは出すんですね。

反省が無くとも、その後の社会生活において犯罪を犯す事無く働いていれば更生したと言える筈です。
私が申した事はそういう意味です。

>Qさんは「応報」をとても尊い物のように扱われているようですが、

私にとっても応報とはただのツール程度の物だと思います。
故に応報の為に人を殺したから死刑を支持する訳ではなく、>>2763で申した様に、
最早死刑以外の選択肢は無い、と感じられる程の凶悪な罪悪が存在し得る事に対し死刑を支持するのです。

>なぜ「死んでほしい」のでしょうか?

すみません、言葉が足りなかったと感じます。
審理の結果としての死刑を科されているからです。
死刑囚にとって、反省を以てしてもそれ以外の結果は存在していない筈ですし、
犯罪者の反省の意を以て、審理の結果である判決内容が覆る事はあってはならないとも考えます。

「やったことの重大性」によって応報的に量刑の差が生じる事は当然かと存じます。
また、犯罪者に対し刑罰を科す事は全て人為であり積極性が無い場合などはあり得ません。
長期間収監した事によって、自由に生きる時間や人権を制限したまま死亡に至った者に対し、
私は其の者の生命に対し、何も手を下してはいないと言う事にはならないかと考えます。

2801Q:2010/05/13(木) 12:39:36
>>2798
社会に対し損失を為す者は、その社会に帰属する者達で裁かないと誰も裁いてはくれないでしょう。
結果として人は人の権利や自由、及び生命等を制限し奪う事を規定しています。
私は殊更に生命を奪う事だけを重視しなければならない理由を感じ得ません。
根本的に、生命を奪われる者は奪われるだけの理由があると認識するからです。

紫煙狼さんが仰る、チャンスを与えたいという気持ちには同意出来ると思いますが、
教育にしろ人道的配慮にしろ、ある程度の制限を設けない事には、
そもそもの刑罰を与える原因だとか、刑罰の意義だとか言った物が希薄になっていくだけなのではないでしょうか。
人の信頼や期待を裏切り続け、その心に些かの呵責も感じ得ない者は、
結局「安楽死」を選択する事は無いのではないかと思います。

2802ufloat:2010/05/13(木) 21:10:24
せっかくQさんと紫煙狼さんの議論が盛り上がっている時に、少し前の話を
持ち出すことをご容赦くださいませ。

これは紫煙狼さんへの反応、あるいは議論の中で意見を述べるものであって、
必ずしも已む無しさんに当てたものではなく、むしろ議論にならないはずなので
已む無しさんにはスルーされることすら望むものであります。
>>2791
これについて少し考えてみたのですが・・・。
現実的な問題として、誰かが死刑否定意思表示カードを持っているか否かを
確認するのはなかなか難しいですね。
それこそ、かつての差別や階級制度で存在したような、外見で判別可能な
目印でもつけさせないことには(なお、今の時代、廃止派どころか中立派と名乗る
だけでも嫌がらせを受けかねないほどなので、目印案はもちろん非現実的)。

さて、私が自暴自棄になった通り魔であるとして、死刑を望んでいたとします。
しかし、一般市民の誰が死刑拒否の意思表示をしているかは分かりません。
複数人を殺害して全員が死刑拒否者ということもたまにはあるはずですし、
そもそも通り魔となると、捕まればそこまでですから、何人を殺害できるか
という点でも不確定要素が大変大きくなります。
つまり、できるだけ確実に、カードを持っていない者を殺害する必要があります。
ただ、自暴自棄で通り魔をやるような人間は、標的を慎重に選択してカードの有無を
調査し、それから改めて殺害しに行く、などという行動はまず取らないでしょう。
したがって、もし私がそういう通り魔であれば、おそらく子どもを狙います。
子どもは意思表示をしていない確率が高い、あるいはそもそも判断能力の観点から
意思表示が認められず、複数人殺せば確実に死刑になるはずなので。

このようなリスクがある以上、紫煙狼さんが「こんな案を認めるわけにはいかん」と
おっしゃるのは、まったく妥当な結論と言うよりありません。


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