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死刑制度についてひと言お願いします
2762
:
無精髭
:2010/05/09(日) 06:24:50
>2759
死刑廃止派は年を追うごとにどんどん数が減っているようですが、内部においても看過できない変化が見られるようですよ。
http://www.jca.apc.org/stop-shikei/news/81/3.html
http://www8.cao.go.jp/survey/h21/h21-houseido/2-2.html
死刑制度を廃止した方が良いとする人々においても、人道的な理由から厳罰化を反映した理由へと関心がシフトしつつ
あるのかも知れません。
>2760
いや、更正教育が「結局その効果や結果については犯罪者個々の精神にただ期待するしか無い物」だったとしても、
なお「方法論を工夫し、教育によって出来得る限り犯罪者の精神を変える効果を高める努力は必要」であることに
変わりはないのでしょう? ならば更正教育の内容を充実させていくことで、犯罪者個々の精神が変化する可能性も
増していくというふうに捉えるべきではありませんかね。宗教教育という点に限っていえば、キリスト教なり仏教なりの
教義のほうがアーレフの教義よりも権威があるし内容が充実しているから、前者で説教するほうが後者で説教するよりも
悔悛が期待できるのは、犯罪者の更正をただ期待するしかないという情況が同じであっても疑いの余地がないでしょう。
前者のように私たち市民が更正教育に対して何やかやと期待をかけることと、後者のように更正教育の内容を充実させて
いくこととは分けて考えるべきではないでしょうか。Qさんは、犯罪者個々の更正に対する期待と、更正教育に対する期待
とをご自身の中で混同されてはいませんか?
「犯罪者についてその反省や更生を促」すことと「犯罪者を社会に出すか否かを判断する事」は
仰るとおり別ですが、前者の効果なり結果なりが判断材料として揃っていなければ後者を行うことなど
不可能なわけですので、その点、決して無視できない関連性が両者にはあります。再犯しないとか、社会に
適応できる人間に変えていくのが更正教育の目的ですから、そのため教育者は常に、犯罪者を今の状態で
社会に出すべきかどうかを判断する視点(評価基準)を確保しておかなければならないと私は思うので、
Qさんのようにことさら両者を区別する必要は感じられません。それよりもむしろ「犯罪者についてその反省
や更生」を促すことと期待することを切り離して考えた方が良いように思えます。
もしも更正教育が被害者(遺族)のためにあるのだとすれば、そもそも再犯を防止するために犯罪者個人に
働きかけることなどまったく必要がなくなります。被害者(遺族)に対して謝罪する犯罪者はいるようですが、
それを以ってきっと再犯しないだろうと高を括って凶悪犯を牢屋から出してしまうとすれば愚の骨頂でしょう。
断るまでもないでしょうが、被害者(遺族)と社会とでは更正教育に期待するものが根本的に異なるのです。
逆に社会からすれば、ある凶悪犯が、被害者(遺族)に対して一切謝罪をしないが、自らの犯した罪については
後悔している場合、そのぶん社会復帰への期待度は高まるということです。
一応、参考までに。
http://osaka.yomiuri.co.jp/tokusyu/seiboryoku/20100417-OYO8T00209.htm
閑話休題。
「更正教育が不可能」とか「絶対に更正しない」とか「確実に再犯する」とか判断された凶悪犯って
考えてみればかなり特異な人間じゃないかと思うんですが。。。特に、その理由が凶悪犯個人の遺伝的
または器質的要因に基づく場合、そういう人間って、見方を変えれば、事件を起こすまでは(生れ落ちて後、
犯行に至るまでのどの時点においても)「将来犯罪を犯すように運命付けられた人間」として存在していた
と思うんですけどねぇ。ならこういう人間に罪を問うたことはそもそも正しかったのでしょうか?
裁判が終わって、いざ更正教育を施そうという段階で、その凶悪犯の刑事責任能力に欠陥が認められた
とすれば、それは由々しき事態ではないかと。
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