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死刑制度についてひと言お願いします
2785
:
無精髭
:2010/05/12(水) 01:10:43
>他人の発言内容を如何に解釈し判断なさるかは人其々かと思います。/恐らく100人が居れば100通りの解釈や判断になる事もあろうかと存じます。
確かに仰る通りです。しかしながら、議論を行うからにはそんな一般論がとても通るものではないということはご存知なのでしょう?
議論でそれを正当化してしまうと、議論のルールや論理学などは全く必要がなくなるでしょうね。過去ログをお読みになれば分かるかと
思いますが、已む無しさんと私の違いを価値判断の問題に還元することはとてもではありませんが、できないです。
>死刑囚の反省悔悟を求める意味について、/例えば萬谷義幸氏は死刑に際し、自己の精神と真摯に向き合い死ぬ事が出来たのではないかと私は推測するのですが、/果たして彼はそれを過酷、残虐であると感じたのでしょうか。
どうなのでしょうね。仮に教育によって更正したのであれば、萬谷元死刑囚にとって死刑は厳粛で過酷なものに変じた、
というかそのように思い込めるようになるまで必死に努力したと私なんかは思いますけどね。自己欺瞞というんですかね。
どうせ殺されると決まっていたわけですし、無為なる拘禁状態が続く日々において、おそらくそうでもしなきゃやって
られなかったのでしょう。譲歩した言い方に変えるなら、更正した死刑囚からすれば、厳粛でもなければ過酷でもない
死刑に望むことは、自己の精神と真摯に向き合うことの意味を薄めてしまうことになるでしょうから、絶対に避けたい
ところだったのでしょう。ちなみに「残虐であるかどうか」という疑問は、死刑囚視点で発せられるべきものではなくて、
死刑を科する者の側において発せられるべきものですね。たとえ死刑囚にとって死刑が屁の河童だったとしても、
そのように死刑囚を鍛え上げたのちに死刑を執行する行為そのものが残虐であるかどうかは依然問うことができるのですから。
死刑囚が更正すれば自己の精神と真摯に向き合うことで死刑を受け入れる気持ちが生ずるというのは、凶悪犯が更正すれば
自らが犯した罪の重さに耐えかねて自殺するはずだという考えの派生形だとしか私には思えないんですね。
ところで、一つ確認しておきたいことがあります。私は
>>2767
で「死刑囚を教育することで今以上に悔悟の念を喚起する
ような制度に変えろ」というふうにQさんが仰っていると書きましたが、これに対しQさんは
>>2771
で「(上略)現状に
於いても既に為されている様な事を申しているだけです」と仰いました。私が>2767のようにお書きしたのは、Qさんが
>>2763
で「囚人に対し教育を施す上で、囚人の希望を問う必要性は無い」とか「罪を犯した事で人権を制限されるべく
刑務所に収監されている者に対し、その精神を変革させる為の教育とは強制的に行われる必要がある」と書いておられたから
というのもあるのですが、さて、Qさんは現在法務省矯正局が行っている更正教育の内容はそのままに、強制力を上げろと
主張されているという理解でよろしいでしょうか? 実際のところ、死刑囚の更正教育(?)にいかほどの強制力があるのかは、
当方、不勉強なものでよく分からないのですが。
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