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死刑制度についてひと言お願いします
2756
:
無精髭
:2010/05/04(火) 01:09:37
>2755
やっても無駄だと分かっていることをわざわざやるのは愚かには違いないですが、、、
こんなふうに考えれば、問題への見方が変わるかも知れません。とはいえ、ユーさんの論旨を
忠実に追って回答すると、以前シェンさんが書き込んだことの二番煎じにしかならないと思うので、
仮定をそのまま受け入れずに少しずらした読み方をさせてもらった上で考えを書きますけど。
単なる揚げ足取りにならなければいいのですが(と言っても悪意はないっす)。
さて、私が思うに、
>「教育効果が得られないならバッサリ死刑」
とか
>(上略)100兆円ほど道徳教育に必要な人物は、罪を犯す前に
>死んでいただきましょうか???
とかいった発想は、成果主義を至上理念とした考え方によるものであって、たとえば途中までは
上手くいっていたと思われるのにそれが目的達成の水準に達しなかった場合も、効果がないと
切って捨てることも辞さないわけですよ。こういう考え方は、目的は手段あってのものだという
こと・結果はプロセスの充実に他ならないのだということを失念しているのでして、いわば結果
の時点から因子の連なった過程を遡って見ているのです。これでは、教育の途中では成功していた
かも知れない部分的な更正さえも、最終的にその者が全人格な更正に至れなかったという理由から、
無意味であるとか、その点において更正教育を施したことも無駄であったとかいったふうに見なさ
れかねません。
私は、更正教育の目的が達成されて初めてその価値が認められるといったことから、教育する前
から更正不可能だと分かっている人間を更正する意味などないと結論する考えに異を唱えたいと
言うか、それとは別に、更正教育が途中で失敗するのが前もって分かっていても何がしかの教育
効果が生じるのであれば、それが更正という結果に結びつかないのが事実だとしても、更正の
成否から切り離してそれ自体を評価できる基準を元に、更正とは別な形で教育の成果を生かす
よう尽力することを提案したいです。なぜなら更正とは個人における人間性の構築でもあるので、
そうやって教育によって途中まで積み重ねられた徳は更正以外のことでも役に立つのではないか
と思うからです。凶悪犯でない私たちが試しに更正教育を受けた場合、元々私たちは更正する必要
がないから教育を受ける際に何の能力も用いずに済むなどということはないでしょう。そこで
私たちがわずかに用いる能力(努力でもいいですが)は言うまでもなく人間性・社会性に関わる
ものであるはずです。だから、それを少しでも学べる凶悪犯なら、その点で私たちと共通した
性質を持つと捉えるべきではないかと。ちなみに、ユーさんが例として挙げた凶悪犯には、一時的
にではあれ誠実になったかに見えたこともあるとのことですから、その点、私見では見込みありですね。
更正させるには至らないが、わずかにでも教育効果が見込め、かつその者自身の更正以外でも
それを生かす道が残されているなら、絶対に更正しないと分かっていても教育を施すべきだと
私は思います。では、ユーさんの仮定で言われている通り、全く教育効果が望めないと判定
された凶悪犯の処遇についてはどうするかって? 知りません(笑)。あとは司法の判断なり
国民の判断なりで決めればいいと思います。私個人は殺すべきだと声を上げることに抵抗を
感じますがね。
・・・結局、存置派の立場に立って考えを述べることはかないませんでした(続きはまた今度)。
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