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死刑制度についてひと言お願いします
2799
:
Q
:2010/05/13(木) 12:33:47
>>2796
その部分に関しましては、自由刑と死刑について申した事(
>>2764
)ではありますが、
とりあえずは刑の満期という論旨について述べさせて頂きます。
裁判で審理が為された結果、その犯罪の内容を鑑みて応報的に量刑は決定されます。
私が認識する刑期の基準とはそれしかないと言う事です。
犯罪者の反省悔悟とはあくまでも期待する物でしかなく、絶対的にそれを為し得たという確認は誰にも出来ない筈です。
刑罰の意義としての教育の効果とは即ち将来的な更生であると申しましたが、
犯罪者が将来的に更生を為し得るかどうかはその時点に至らない限りは判らない事なのです。
そうであるならば、刑罰を執行し続ける判断基準が更生の有無となった場合、
将来的に再犯をするかもしれない、という予測によってのみその判断が為されると言う事になります。
私は、その時点ではまだ犯してはいない将来的な罪によって刑罰が科される事があってはならないと考えます。
犯罪者に対する更生教育とは、其の者が犯した罪に対し効果的に行わなければならないと思います。
私の死刑囚に対する教育のイメージとは
>>2771
、
>>2772
で示した程度の物でありますが、
研究者や聖職者による指導の元で行えば費用は然程掛らないのではないでしょうか。
>死刑囚は反省なり後悔なりするまで処刑してはならないのではないでしょうか?
その基準では、凶悪犯罪者は反省の意さえ示さなければ延々と刑の執行を免れ得る制度となってしまいます。
刑の執行基準は法規定されているので、理由なく変更される事があってはならないと考えます。
また、応報的に刑罰を科される事で自身の罪と向き合える者も存在すると同時に、
決してそうでない者も存在するとも考えていますので、
敢えてどちらかの基準に併せる事は、その事によって不条理を生むであろうと考えます。
私達が為し得る事は、犯罪に対し相応の量刑を科す事によってその更生を期待する事しかないと思うのです。
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