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国際政治・世界事情

1とはずがたり:2005/05/23(月) 02:47:11
世界情勢・世界史ネタなど
軍事問題は安全保障論http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1043205301/l10を国際経済問題は国際経済学http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2246/1060165061/l10を参照の事

1998チバQ:2011/02/02(水) 22:31:30
http://www.asahi.com/special/meastdemo/TKY201102010593.html
カイロ行進、盛り上がれない コプト教徒の町・死者の町2011年2月2日0時50分

 【カイロ=北川学、玉川透】エジプトの野党勢力が呼びかけた「100万人行進」で沸いた1日の首都カイロ。その騒がしさをよそに、少数派のコプト教徒や、極貧層が暮らす「死者の町」は静まりかえっていた。30年にわたるムバラク大統領の在任中、ひっそりと暮らしてきた人々は、固唾(かたず)をのんで政変の行方を見守っていた。

 ■コプトの町

 カイロの下町、ショブラ地区。原始キリスト教の名残を伝えるコプト教の中心地は異様な静けさに包まれた。

 我々にはデモではなく、時間が必要だ――。前日の1月31日、地元の若者たちが、デモへの参加自制を呼びかけるビラを同地区にまいた。28日のデモに参加したコプト教徒が多数負傷、略奪や放火が横行し、ゼネストで銀行や病院などが閉鎖するなど人びとの暮らしを脅かしたことに憤りを感じたからだという。

 コプト教徒の警備員レダさん(36)もビラを読んで、デモ参加を見送った。「ムバラク政権は打倒すべきだが、平和的に問題を解決してこそ、真の革命だ。政府も、秋の大統領選までに何らかの変化を打ち出すだろう。それまで見守りたい」と話す。

 同地区の教会関係者も「教会が指示したわけではないが、住民同士の連帯が強いためデモに参加する人はほとんどないだろう」と言う。

 民衆デモが起きた当初、十分な安全を確保してくれない治安・警察当局に対するコプト教徒の不満が、野党系のイスラム教徒や民主化を求める市民と結びつき、政権打倒の一翼を担うと期待された。

 だが、ムバラク政権が倒れれば、最大野党勢力のムスリム同胞団などイスラム勢力が政治の中心に躍り出る可能性が高まる。そうなれば、少数派のコプト教徒は、新たな試練に直面する――。そんなジレンマが、彼らに慎重な姿勢を余儀なくさせている。

 60代のコプト教徒の男性は「ムスリム同胞団は信用できない。彼らが政権に就いて生活がむちゃくちゃになるぐらいなら、ムバラク政権のままの方がマシだ」と漏らす。

 コプト教徒の元軍人ファイズさん(60)も「イスラム教徒とは今もうまくやっている。急ぎすぎては何も良いことはない」と話した。

 ■死者の町

 路上に放置された生ゴミが異臭を放ち、野良犬がうろつく。カイロ東部イマーム・シャファイ地区は、市内で最も貧しい場所のひとつだ。50万人もの住民が、13世紀以降に造られた墓地に暮らす。別名「死者の町」とも呼ばれる。

 「何しに来たんだ!」。自警団を組織して道路を封鎖していた10人ほどの若者が、鋭い目つきで記者が乗った車をにらみつけた。ナイフや刀を持った者もいる。

 無職レファトさん(50)の「家」を訪ねた。外壁の扉を開けると、中庭の奥に大理石の墓石が11基あった。墓地の所有者に頼まれ、25年前から墓守をしながら暮らす。

 扉の脇にある3畳ほどの部屋の壁に、ジャンパーが2枚掛けてある。電気、ガス、水道はなく、唯一の家電製品の14型テレビは、拾ってきた車用のバッテリーで見る。

 12年前に足の手術が失敗し、石工職人の仕事ができなくなった。松葉づえが手放せず、社会保障省から支給される月額70エジプトポンド(約975円)の年金が頼りだ。「独身だから何とか食えるけど、年をとったら不安。政府には増額をお願いしたい。もしも体が丈夫ならデモに駆けつけるのだが……」

 反政府デモが始まったのは1月25日。地区ではこれまで一度も抗議活動は起きていない。無職アフマドさん(55)は、「みんな日々を生きるだけで精いっぱい。ムバラク政権は貧困対策を何もしなかったが、我々にはデモに行く余裕もないんだよ」と嘆いた。

     ◇

 〈エジプトのコプト教徒〉コプト教は、紀元1世紀ごろからエジプトで独自の教義を発展させた東方教会系のキリスト教の一派。信者はエジプト人口(約8千万人)の約1割を占めるとされる。豚肉食や飲酒が許され、菜食だけが認められる断食などイスラム教徒とは異なる生活習慣を持つ。エジプト国民の大半を占めるイスラム教徒との間には教義の違いや少数派の権利などをめぐり潜在的なあつれきがあり、散発的な衝突が続いてきた。

 2000年1月には、南部の町で焼き打ちなどがありコプト教徒約20人が死亡。昨年1月には、コプト教徒を狙った銃の乱射事件で7人が死亡。今年1月1日には北部アレクサンドリアのコプト教会前で自爆テロがあり、20人以上が犠牲になった。

1999チバQ:2011/02/02(水) 22:31:51
http://www.asahi.com/international/update/0202/TKY201102020432.html
投石・こん棒 エジプトの大規模デモ隊と大統領派衝突2011年2月2日22時3分
  
 【カイロ=貫洞欣寛】反ムバラク政権デモの続いていたカイロ中心部タハリール広場周辺で、反ムバラク派とムバラク支持者のデモ隊の間で2日午後2時(日本時間午後9時)すぎ、衝突があった。私服の警官らが反ムバラク派を襲っているとの情報がある。衛星テレビアルジャジーラなどによると、投石やこん棒を使った乱闘が広がり、多数の負傷者が出ている模様だ。

 広場周辺に展開しているエジプト軍は、午後2時半現在、衝突を制止していない。

 タハリール広場やカイロ西部モハンデシーン地区などではこの日、ムバラク支持者らが続々と集まり、デモを始めていた。モハンデシーン地区からは数千人のムバラク支持のデモ隊が徒歩で衝突が起きている中心部方面に向かっており、騒乱がさらに拡大する可能性もある。

 午後2時半すぎにはカイロ中心部のにある朝日新聞中東アフリカ総局からも、複数の銃声らしき音が聞こえた。

 エジプトの治安状況を巡っては、こうした騒乱の発生が懸念されており、米国政府は1日、緊急要員を除く駐エジプト大使館全員の国外待避を決めている。

2000チバQ:2011/02/02(水) 22:33:28
http://www.asahi.com/international/update/0201/TKY201102010561.html
ロシア語の歌、演奏に罰金 グルジア政権、ひっそり警告2011年2月2日5時41分
 【モスクワ=副島英樹】ロシア語の歌は罰金。インタファクス通信によると、2008年夏にロシアと軍事衝突したグルジアのサアカシュビリ政権が、レストランでロシア語の歌の演奏をひそかに禁止したと、グルジアの独立系テレビが報じた。

 有名レストランの経営者たちが財務省に呼び出され、ロシア語の歌を演奏すると500ラリ(約2万3千円)の罰金を科すと警告された。「政権からの指示」であることを口外しないよう念を押されたという。

 音楽関係者らは反発。「もし法律のレベルで禁止すれば、グルジアは世界中の笑いものになる。そうでなくてもナンセンスだ」と、グルジアの著名な歌手は同テレビ局に語ったという。

2001チバQ:2011/02/02(水) 22:33:47
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110202k0000m030049000c.html
カザフスタン:大統領選繰り上げ提案 民主化アピールか
 【モスクワ田中洋之】ソ連時代末期から権力を維持するカザフスタンのナザルバエフ大統領(70)が、12年末の任期満了前に繰り上げ大統領選を実施する考えを示した。支持者から出ていた国民投票による任期延長を拒否し、選挙の洗礼を受けることで「非民主的な政権」とする欧米諸国の批判をかわす狙いがあるとみられる。

 ナザルバエフ大統領を巡っては、国民投票により任期を2020年まで延長する動きが昨年末から浮上。支持団体が500万人以上の署名を集め、国会は1月14日、国民投票実施のための憲法改正案を採択した。これに対し大統領は31日、同案を違憲とする憲法評議会の判断を受け、国民投票の取りやめと、繰り上げ大統領選の実施を表明した。

 カザフでは95年の国民投票でナザルバエフ大統領の任期が00年まで延長された経緯がある。大統領は今回、選挙を回避しないことで対外的に「民主主義」をアピールする狙いがあるとみられる。繰り上げ大統領選は今春に行われる見通しで、ナザルバエフ氏の当選が確実視されている。

 ナザルバエフ氏は95年の新憲法下で99年と05年の大統領選で当選。憲法は3選を禁止しているが、07年の改憲で同氏に限り3選禁止が除外され、事実上の「終身大統領」に道を開いたとして欧米から批判されていた。

 カザフ大統領の任期は現在7年だが、次期から5年に短縮される。

毎日新聞 2011年2月1日 19時16分

2002チバQ:2011/02/02(水) 22:34:49
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110202/erp11020222230007-n1.htm
独裁、貧困、過激主義…エジプト注視する中央アジア
2011.2.2 22:22 (1/2ページ)
 【モスクワ=佐藤貴生】エジプトの反政府デモが勢いを増すなか、国内人口の大多数がイスラム教徒である中央アジア5カ国の政権は、事態の推移を注視している。長期化する独裁や貧困が蔓(まん)延(えん)している点でエジプトと類似点もあり、反政府運動の飛び火を阻止するかのような動きも現れた。

 カザフスタンで1990年から大統領の座にあるナザルバエフ氏は先月31日、来年末の任期切れを前に、大統領選を繰り上げ実施する方針を表明した。

 同国議会はこの約2週間前、同氏の任期を2020年まで延長することの可否を問う国民投票を行う法案を可決したばかりだった。大統領自らが複数の候補者による選挙実施にかじを切る姿勢を強調し、独裁への批判を回避する狙いがうかがえる。

 同国の大統領補佐官は2日、「エジプトは人口の半数が1日2ドルで暮らしている。私たちの90年代中盤の状況だ」とし、反政府運動が波及することは「あり得ない」と強調した。

 地下資源が豊富なカザフスタンは、貧困層が1割にとどまる中央アジアの“優等生”で、タジキスタンでは6割、キルギスでは4割が貧困にあえいでいる(米中央情報局=CIA=調べ)。

 さらに、両国とウズベキスタンの3カ国の国境が入り組んでいるフェルガナ盆地にはイスラム過激派の武装勢力の拠点があり、アフガニスタンの麻薬密売を資金源に勢力を拡大しているとも伝えられる。

 ウズベキスタン、タジキスタンでは90年代前半から大統領が居座る独裁体制が続き、キルギスでは昨年、大統領が反政府暴動で国外に亡命するなど政情不安が続いている。

 モスクワ国立大のシズディコワ教授は中央アジアの情勢について、「権力側と社会との関係は危機的状況にあり、エジプト情勢は即座に波及しないとしても、長期的には影響を与えるのではないか」とし、どの国に“民主化ドミノ”が波及しても不思議ではない、との見方を示した。

2003チバQ:2011/02/02(水) 23:56:25
http://www.newsweekjapan.jp/newsroom/2011/01/post-197.php
首脳の給与明細
2011年01月24日(月)14時13分
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 イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が今月、フェースブックに自分の給与明細をアップして話題になっている。経費などは当然、政府によって負担されているはずだが、月給は手取りで4200ドル(約35万円)だった。イスラエルでは現在、国会議員と政府高官などが給料アップを求めており、ネタニヤフは公表の理由を、「完全な透明性を示すことに決めた」と説明している。

 報道では、ネタニヤフは世界のリーダーたちに比べて薄給だという。では世界のリーダーたちはどれくらいの給料をもらっているのか。

 英エコノミスト誌などを参考に見ると、世界でもっとも給料をもらっているリーダーは、シンガポールのリー・シェンロン首相だ。その額は、218万ドル(約1億8000万円)。シンガポールでは、政府の汚職を防止するために公務員の給料は非常に高く設定されていて、首相の給料も高い。また「総選挙がある度に公務員の給料が増加する」と、知人のあるシンガポール人教師は言う。とにかく、これが一党独裁が続くシンガポールのやり方だ。

 アメリカのバラク・オバマ大統領が年収40万ドル(約3300万円)であることを考えると、リー首相の給料は半端なく高い。それ以外で高い順で見ると、フランスのニコラ・サルコジ大統領が約34万ドル(約2600万円)、ドイツのアンゲラ・メルケル首相は約30万ドル(約2500万円)、イギリスのデービッド・キャメロン首相は約23万ドル(約1900万円)、ロシアのプーチン首相が約12万ドル(約1000万)となっているようだ。ちなみにアフガニスタンのハミド・カルザイ大統領が約6300ドル(約50万円)、インドのマンモハン・シン首相が約4100ドル(約34万円)ほど。インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領は年収が約12万ドル(約1000万円)で、警察などの賃上げに関して行なった23日の記者会見で、「私の給料はここ6、7年上がっていない」と語った。

 国によって物価が違うので単純に順位を付けることはできない。ただシンガポールのリー首相が世界の政治指導者の中でもっとも高給取りであることと、イスラエルのネタニヤフ首相が給料を上げてほしいと切望していることだけは間違いない。

ーー編集部・山田敏弘

2004チバQ:2011/02/02(水) 23:57:19
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/02/post-1942.php
エジプト危機に震え上がるイスラエル
Israel Worried As Mubarak Teeters

アラブ世界との橋渡し役であるエジプトが政権崩壊すれば、中東でユダヤ国家の孤立が深まる

2011年02月01日(火)18時17分
ベン・リンフィールド

崖っぷち イスラエルのネタニヤフ首相にとってエジプトは頼れる味方だったが Ammar Awad-Reuters

 エジプトのホスニ・ムバラク大統領の退陣を求める抗議デモの様子を、イスラエル人は固唾をのんで見守っている。ユダヤ国家であるイスラエルにとって平和条約を交わしたエジプトは、アラブ世界における頼れる盟友と言っていい。

 ムバラク政権の崩壊は「イスラエル、ヨルダン、サウジアラビア、湾岸諸国、ヨーロッパやアメリカにとって大惨事になる」と、イスラエルの元駐エジプト大使エリ・シャケドは言う。「我々の友人の中で、この最悪のシナリオで得をする者などいない」

 イスラエル政府が事態を深刻に考えていることは、デモについてのコメントを控えるよう閣僚らに指示していたことからもうかがえる。1月31日になって初めて、ベンヤミン・ネタニヤフ首相が「イスラム主義組織による支配への懸念」を示した。

 イスラエルにとってムバラクはアラブ世界における穏健派の要となる存在で、アラブ諸国への橋渡し役だった。「79年に平和条約を結んでからずっとエジプトは戦略的な同盟国だ」と、イスラエル当局者は語る。「我々には共有の利益が多い。隣国同士であり、同じ中東地域にあって、同じ課題に直面している」

 エジプトとイスラエルは79年以来、どんな戦争や危機が起きても平和条約を遵守してきた。両国はともに、パレスチナ自治区ガザを実効支配しているイスラム過激派ハマスや、イランが支援するレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラを憎悪している。中東におけるイランの影響力拡大も懸念している。

「ムバラク政権の基盤は崩れていないと、我々は考えている。政権が倒されることはないだろう。それでも今後の展開には不確かな要素が多い」と、前述のイスラエル当局者は言う。

アメリカの中東政策は見当違いだった
 有識者らが心配するのは、事実上の最大野党であるイスラム原理主義勢力「ムスリム同砲団」など、平和条約に反対する勢力がムバラクの後を継ぐことだ。「反体制派が政権に就いたら最悪だ」と、シャケドは言う。「彼らは真っ先にイスラエルとの関係を断つだろう。労働組合や学生、イスラム過激派からの支持を拡大し、反政府勢力を団結させるためだ」

 それでも、ムバラク政権の終わりが必ずしも平和条約の終わりを意味する訳ではないと、イスラエル当局者らは言う。「今のところありそうにもないが、ムバラク政権が倒れた場合でも、政権に就くのがイスラム過激派だとは限らない。アメリカの協力やイスラエルとの平和条約が、エジプトにとって戦略的価値があると理解している勢力になるかもしれない」

 多くのイスラエル人は、エジプト国民がムバラクに反旗を翻すことはないだろうと思っていた。ネタニヤフの元側近であるザルマン・ショバルによれば「エジプト国民は総じて、暴力行為を働こうとは思わない平和的な人々だ。それでもアメリカは不安に思っているはずだ。中東に対する自分たちの態度や理解が全体的に間違っていたのではないか、と」

 中でも、中東地域の不安定さを解決するにはパレスチナ問題が鍵だと信じ、そこに労力を注ぎ過ぎたことがアメリカの間違いだったとショバルは指摘する。「パレスチナとイスラエルの問題は、中東安定化要因の1つでさえないことが改めて証明された。チュニジアやエジプト、アルジェリアで起きていることは中東和平とは何の関係もない」

 今回の騒乱はイスラエルにとって盟友エジプトを失う危険性だけでなく、アメリカ外交の過ちという二重の不安をかき立てるものになった。

2005チバQ:2011/02/02(水) 23:58:02
http://www.newsweekjapan.jp/column/sakai/2011/02/post-282.php
エジプト:軍とイスラム勢力にまつわる「誤解」
2011年02月02日(水)12時03分
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 一週間前、エジプトの反ムバーラク勢力が「怒りの日」に結集したときには、こうも急速に事態が展開するとは予想できなかった。3日ごとに組織される数十万規模のデモ、外出禁止にも従わず終日ムバーラク退陣を叫ぶ若者。米政権も現政権を見限り、30年間のムバーラク大統領の治世は終焉を迎えつつある。

 「ムバーラク政権の独裁に反対する民衆に、軍も共感し、反政府勢力のムバーラク下ろしが勢いを増しているが、野党のなかで最も強力なイスラーム主義のムスリム同胞団が新体制下で支配的になり、イランのようになるから危険だ」――。これまでの報道振りをまとめると、こんな感じだろう。だが、このロジックに強い違和感を覚える。

 第一は、軍に対する認識である。ムバーラク政権は、52年以来続いてきた紛うことなき軍事政権である。52年の共和制革命を担った主役として、以来軍は支配層の中核にあった。ムバーラク批判が強まるにつれて、軍が真っ先に考えたことは、ムバーラクとともに心中はするものか、ということだっただろう。特に、近年ムバーラクが息子ガマールを後継者として重用してきたことから、支配層の間で、ビジネス界を中心とするガマールの支持基盤と、過去半世紀以上支配エリートの座に君臨してきた軍との間で、相克が生まれていた。

 ムバーラクとガマールが去ったとしても、支配エリートとしての軍の特権を失わないように、どう振舞うべきか。それが、民衆の反感を買わないデモ対応につながった。そう考えると、結局のところ、今のエジプトで起きていることは、支配層が「しっぽ」ならぬ「頭」だけ切って、生き延びていこうとしているように見える。軍や警察が姿を消すと略奪が起きるよ、というのも、存在意義をアピールする材料だ。

 政権交替にまつわる妥協と調整が、旧態依然としたエリート間調整の域を出ないように見えるのに対して、今回の動乱で新しいのは、反政府デモのあり方だ。イスラエルや米政治家の一部は、「ムバーラクが倒れたらムスリム同胞団が出てきて、反米・反イスラエルに転ずる」と危機感を煽っているが、今、デモで掲げられるスローガンに反米、反イスラエルは一切出てこない。イスラーム色よりも世俗的、左派的色彩が前面に打ち出されている。

 逆にこの反政府運動は、ムスリム同胞団を含めた既存の野党、政治勢力と距離を置いているようだ。デモ中心となる「4月6日運動」とは、2008年に始まった、緩やかな無党派反政府ネットワークだが、彼らは昨年の人民議会選挙で既存野党に共闘を呼びかけられたが、どことも共闘せず、選挙にも参加しなかった。反ムバーラクであると同時に、既存の政党のあり方にも疑義を投げかけているところが、この運動の新しいところである。なので、反政府運動の拡大=ムスリム同胞団の強さ、ということには、決してならない。
 
 政権打倒を求める民衆パワーは、東欧の民主化革命や一年半前に民主化を求めたイランの緑の運動にように、これまでのアラブ世界にはまれな新しい市民運動である。だが、転覆後の政権作りには、これまでと変わらず、国内政治エリートの特権維持と、地政学上の利害関係を第一に考える欧米諸国の外交政策が、決定要因として機能している。この動乱と熱狂、興奮は、新しいワインを古い袋に入れて収拾されるのだろうか

2006チバQ:2011/02/02(水) 23:59:28
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2011/02/post-1943.php
独裁の悪夢を覚ますエジプトの怒り
Rage Against the Regime

ネット世代の怒りと新手の抗議が30年間にわたる堕落と抑圧を続けてきたムバラクの独裁体制を追い詰める

2011年02月02日(水)10時51分
ババク・デガンピシェ(ベイルート支局長)、クリストファー・ディッキー(中東総局長)、マイク・ジリオ

燃え広がる怒り 抗議活動に加わった市民は罵声と投石、さらには火炎瓶で治安部隊に立ち向かった Reuters
[2011年2月 9日号掲載]

 エジプトと21世紀の世界をつなぐ通信インフラが1つ、また1つとダウンした。ツイッター、フェースブック、そして最後はすべてのインターネット接続が遮断された。ショートメールも使えなくなり、エジプト全土で無数の携帯電話が不通になった。

 それでも、先週初めから続く抗議行動と暴動は止まらなかった。高齢のホスニ・ムバラク大統領の退陣を求める無数の若者たちは、1月28日を「怒りの日」に定め、国中から支援者を集めた。その中には、政府から非合法化された後も強力な組織を維持する穏健派勢力のムスリム同胞団も含まれる。

 デモの予定時刻が近づくと、政府はあらゆる手段を使って民衆の分断を図り、外部の世界とのつながりを断とうとした。

 そしてデモ決行の時が来た。昼の金曜礼拝の直後、数万人がエジプト全土の街頭に繰り出した。当局は警棒とゴム弾で鎮圧にかかり、通りにはナイル川の朝もやよりも厚い催涙ガスの煙が立ち込めた。

 だが抗議の嵐はやまなかった。カイロでは、05年のノーベル平和賞受賞者で平和的な民主化を呼び掛けていたモハメド・エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長に治安部隊が放水を浴びせ掛けた。警官隊に包囲されたエルバラダイは支持者と共に1時間以上モスクに押し込められた後、当局の手で自宅に軟禁されたもようだ。

 カイロの他のデモ隊は警官隊の追跡を逃れながら、罵声と投石、時には火炎瓶を投げ込んで応戦した。これに対して警官隊は大量の催涙ガス弾を乱射。その一部はデモ隊の真ん中に着弾し、一部は川に沈んであぶくと煙を吐き出した。

 夕方になると2つの大人数のデモ隊がカイロ中心部のタハリール広場で合流。近くにはエジプト考古学博物館やインターコンチネンタル・ホテル、アメリカ大使館がある場所だ。

 ここで突然、警官隊が引き揚げ、代わりに軍隊が現れた。エジプト全土に午後6時以降の夜間外出禁止令が敷かれたのだ。

 実際のところ、軍の兵士は警官や治安部隊に比べ、民衆からの信頼がずっと厚い。だが、お目付け役が軍に交代した後も、デモが終わることはなかった。

2007チバQ:2011/02/03(木) 23:07:54
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19380520110203
エジプトの大統領支持派と反体制派の対立深刻化、欧州が懸念表明
2011年 02月 3日 22:21 JST
 [カイロ/パリ 3日 ロイター] 混乱の続くエジプトでは3日、首都カイロのタハリール広場で大統領支持派が反体制派に向けて発砲、少なくとも5人が死亡した。反体制派は、あらためて大統領退陣を要求した。
 英、独、仏、伊、スペインの5カ国首脳が共同声明を発表し、エジプト情勢悪化に懸念を表明した。

 3日の衝突は、現地時間午前4時(0200GMT、日本時間午前11時)ごろ始まった。

 現場から生中継された映像では、激しい銃撃が1時間以上にわたって続き、倒れた人が引きずられる姿が映し出された。大統領派・反体制派の双方が投石し、周辺には黒煙が立ち込めた。

 ムバラク大統領は1日のテレビ演説で9月に辞任する意向を表明。その後、軍はデモ隊に撤収を呼びかけているが、大統領の即時辞任を求める反体制派の多くは、抗議活動を継続していた。

 エジプト保健相は、大統領支持派と反体制派の衝突での死者は5人、負傷者836人と発表した。

 反体制派は、大統領支持派との衝突を受け態度を硬化。ムバラク大統領が退陣するまで抗議を続ける姿勢をあらためて示した。

 ある反体制派の草の根運動グループのスポークスマンは、アルジャジーラに対し「きのう(2日)の出来事は、われわれのムバラク打倒の決意をますます固くした」としたうえで「きのう、そしていまもタハリール広場で続いている事を受け、体制側の誰とも交渉するつもりはない」と述べた。

<政府は関与否定>

 エジプト内閣は3日、大統領支持派の反体制派への攻撃を扇動したとの説を否定し、攻撃の背後にある事実を調査する方針を示した。 内閣の報道官はロイターに「政府扇動説はまったくの作り話。そんなことをすれば、鎮静化というわれわれの目標は台無しになる」と語り、政府は大統領支持派の攻撃に驚いていると述べた。国営テレビも、シャフィック首相が調査する方針を示したと伝えた。

 <エルバラダイ氏とムスリム同胞団、政府の協議に応じず>

 反体制派の非合法組織、ムスリム同胞団は3日、アルジャジーラを通じて声明を発表し、ムバラク大統領とその政府の退陣を要求。

 「われわれは、この体制の退陣を要求し、すべての会派のための挙国一致政府の設立を求める」と表明した。

 シャフィック首相は、反体制派に協議を申し出た。アルジャジーラとその他メディアの報道では、合法政党の新ワフド党など、一部会派が同意したもよう。

 しかし、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長とムスリム同胞団は、ロイターに対し、政府の呼びかけを拒否したことを明らかにした。

 エルバラダイ氏は、ロイターの電話取材に対し「われわれは協議を拒否した。いかなる協議も、ムバラク大統領の退任とタハリール広場の安全確保が条件だ」と述べた。 非合法組織ムスリム同胞団の元議員、モハメド・アルベルタギ氏は、ムスリム同胞団はエルバラダイ氏が示した条件を支持する、としたうえで「それに加えて、われわれは協議の結果をいっさい拒否する」と述べた。

 <欧州5カ国首脳が懸念表明>

 こうしたなか、フランス、ドイツ、英国、イタリア、スペインの5カ国首脳が共同声明を発表し、エジプトの状況に懸念を示すとともに早急な権力移行を求めた。 フランス大統領府が発表した声明で5カ国首脳は「エジプト情勢が悪化していることを非常に懸念している。移行プロセスを今始める必要がある」と述べた。

2008チバQ:2011/02/03(木) 23:08:30
http://mainichi.jp/select/world/news/20110204k0000m030095000c.html
エジプトデモ:「革命」高揚感消え 市民に新たな分断

タハリール広場の入り口を守る反政府派の人々。2日に発生した親ムバラク派との投石の応酬で数百人もの人々が負傷した=2011年2月3日午前10時、樋口直樹撮影 【カイロ樋口直樹】エジプトのムバラク大統領の即時辞任を求める抗議デモ隊の牙城、カイロ中心部のタハリール(解放)広場は3日、大統領支持派と繰り広げた激しい衝突の結果、戦場の様相を示していた。わずか2日前に広場を包んでいた「革命」への高揚感は消え、怒りと憎悪と疑心に支配されていた。ムバラク氏の事実上の引退宣言で収束に向かうともみられた混乱は、市民の間に新たな分断を生み出している。

 広場に向かう道は、こぶし大の石やレンガの切れ端、火炎瓶の残骸で埋まっていた。こん棒を持って広場の入り口に立ちふさがる教師、ムハンマドさん(35)と土木労働者、アシュラフさん(33)はいずれも、大統領支持派の投石で頭にけがをしながら、広場に向かう人々に厳しい視線を向けていた。

 「おかしなやつらが入り込むのを防いでいる。彼ら(大統領支持派)は故意に混乱を起こそうとしている」。ムハンマドさんがこう語ると、仲間は「ムバラク(大統領)が辞めるまで、タハリールを守り抜く」と悲壮な表情で語った。

 一口に親ムバラク派と言っても内実はさまざまだ。現政権下で甘い汁を吸ってきた取り巻きから、空軍司令官だったムバラク氏と共に中東戦争を戦った退役軍人、政治手腕を評価する人々まで幅広い。だが、その背後に、巻き返しを図ろうとする政権側の意向が隠されていることは間違いない。

 「この身分証明書を見ろ。やっぱり私服警官だったんだ」。血まみれの中年男を取り囲む人の輪から怒りの声が上がる。リンチに遭って顔を真っ赤に腫らせた男は、うつむいたまま何も言わない。「いや、おれは関係ない。身分証を見てくれ」。疑いをかけられた別の男が必死で「ぬれぎぬ」を訴える。誰の目もギラギラしている。

 広場にこもる地元ジャーナリスト、ナハスさん(41)は衝突が始まった2日午後、20代とみられるムバラク派の若者が、反政府派に捕まるところを目撃した。「なぜ我々を攻撃するのか」との問いに、男は「50エジプトポンド(約800円)を渡され、メシを食わせてもらってデモに参加した」と語り、政権側からカネで釣られたことを認めたという。

 また、教育問題に取り組む非政府組織(NGO)メンバーのシュリーンさん(37)によると、労働省で働くいとこの家族(50代女性)は、ムバラク氏の「引退宣言」の直前に上司から電話で、「大統領への忠誠を示すため(親ムバラク派の)デモに参加せよ」と命令された。拒否すると、「あしたから職を失うぞ」と脅され、やむなく参加したという。

 だが、親ムバラク派デモ参加者のすべてが「動員」されたわけではない。

 「私は昨日まであちら側にいた。でも、これ以上の混乱は望まない」。地元紙記者のマフムード・カラハさん(33)は2日、大統領支持派の中に身を置いていた。「大統領は昨夜、今期限りの引退を表明した。混乱を収拾すべき時だ」と言う。

 反政府側には「今すぐ大統領を辞任させなければ、どんな巻き返しと弾圧があるか分からない」との強い不信感がある。「我々の恐れは現実のものになろうとしている」。反対派の一人が太いため息をついた。

2009チバQ:2011/02/03(木) 23:09:14
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020302000023.html
エジプト二分 事態深刻 「解放」の広場 入り乱れ
2011年2月3日 朝刊


 【カイロ=清水俊郎】ムバラク大統領(82)の退陣を求める反政府デモが続くエジプト各地で、二日に一斉蜂起した大統領支持派は、反政府デモの中心地、首都カイロのタハリール広場でデモの排除を試みている。石が飛び交い、激しく棒で殴り合うなど、エジプトの混乱は国民同士の衝突という新たな事態に発展した。

 「私たちは政権の維持を求める」。中東の衛星放送アルジャジーラによると、大統領支持派は同日朝、全国で数万人が同時多発的に行進を開始した。カイロでは複数の集団が、反政府デモの参加者でごった返すタハリール広場を目指した。

 広場に昼すぎに到着し反政府デモとにらみ合いとなったが、一方が投石したのを機に双方入り乱れる乱闘状態に突入。地面に引き倒した相手を数人で取り囲み、殴る蹴るの暴行を加える場面も見られた。

 「もうデモはやめてくれ」。日常生活の回復を求め、ラクダや馬を連れて広場に乗り込んだ集団もいた。カイロ郊外のピラミッド周辺の砂漠で観光客を動物に乗せて歩く業者たちで、デモの長期化による外国人観光客の減少に抗議しているとみられる。

 一方、反政府デモの参加者はアルジャジーラに「政府が広場にギャングを派遣した」と抗議。前日の大規模デモが平和裏に終わっただけに、二日は女性や子どもの参加者も多く、広場は騒然とした雰囲気になった。

 タハリール広場が反政府デモと大統領支持派の攻防の舞台になったのは、政治と経済、文化の重要施設に囲まれたこの国の象徴的な場所だからだ。

 一連の反政府デモでは、二日目の一月二十六日に群衆が広場への突入を目指し、警官隊が催涙弾とゴム弾で応戦。近くの与党国民民主党(NDP)本部が、放火で三日間燃え続ける惨事となった。

 先週末から警察がデモの規制を断念。デモ隊が自分たちで広場に出入りする人の身分証明書と手荷物を確認して、不測の事態に備えていたところだった。

   ×  ×

 タハリールはアラビア語で「解放」の意。十九世紀の指導者の家族の名にちなみイスマエーレーヤ広場と呼ばれていたが、一九五二年のエジプト革命で改名された。

 周囲にはツタンカーメン王の黄金の仮面で知られるエジプト考古学博物館や、財務省、内務省のあるモガンマア(政府総合庁舎)、高級ホテル街がある。

 広場には七七年の政変や二〇〇三年のイラク戦争の際も大勢の市民が集まった。市内の高校の歴史教師オマールさん(45)は「タハリールは国民の自由の象徴」と話しており、今回は国の行方を左右する舞台となっている。

2010チバQ:2011/02/03(木) 23:10:39
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110203/mds11020318520011-n1.htm
外国メディアも続々と被害 親ムバラク派の標的? 
2011.2.3 18:49


3日、カイロ市内でムバラク大統領支持派の市民と衝突、負傷した反政府デモ参加の市民ら(ロイター)
 【カイロ=大内清】エジプトの騒乱の取材にあたっている外国メディア関係者が、親ムバラク派による暴行を受けるケースが相次いでいる。

 報道によると、米CNNテレビの人気キャスター、アンダーソン・クーパーさんが2日、首都カイロ市内で親ムバラク大統領派のデモを取材中に頭を殴られ、同行のクルーらも被害を受けた。中東の衛星テレビ局アルアラビーヤの記者も親ムバラク派を取材中に負傷し、撮影機材を破壊された。

 米国の著名女性ジャーナリスト、クリスティアン・アマンプールさんは、カイロで乗っていた車を群衆に囲まれ、車のガラスが割られる被害に遭った。

 カイロ中心部のタハリール広場付近で、日本の男性フリーカメラマン2人が2日に親ムバラク派から殴られるなどしたとの情報もあり、在カイロ日本大使館が確認を急いでいる。

 エジプト当局は反政府デモが激化した1月28日から今月2日まで、インターネットを遮断して厳しい情報統制を図ってきた。

 だが、カタールの衛星テレビ局アルジャジーラやアルアラビーヤをはじめとする外国メディアは連日、エジプト情勢を詳報。政府は報道に神経をとがらせており、国営テレビを通じ「アルジャジーラは嘘ばかりだ」などと非難している。

 外国人記者が標的になっているのかどうかは不明だが、親ムバラク派の多くが当局の意向をくみ、取材活動を妨害しようとしている可能性は否定できない。

2011チバQ:2011/02/03(木) 23:11:54
http://www.afpbb.com/article/politics/2784379/6768171
イエメン、首都で反政府派と大統領派が数万人ずつデモ
2011年02月03日 20:10 発信地:サヌア/イエメン
【2月3日 AFP】チュニジアの政変をきっかけに中東や北アフリカで政府への抗議行動が広がる中、反政府デモが続くイエメンでも3日、首都サヌア(Sanaa)の大学で「怒りの日」と題し、長期政権を維持してきたアリ・アブドラ・サレハ(Ali Abdullah Saleh)大統領の退陣を求める数万人規模の大きな集会が行われた。

 一方、AFP特派員によると、反政府デモの主催者は当初、市中心部のタハリール(Al-Tahrir)広場での集合を予定していたが、ほぼ同じ数の大統領の支持者たちが、中には武装した者も含めてこの広場を埋め尽くしたため、予定していた場所の変更を急遽余儀なくされた。主催者たちは早朝から車で通りを走り、新たな場所を拡声器で告げながら、変更は「与党と武装した彼らの一派がタハリールを占拠しているためだ」と非難してまわった。

 変更後の場所となった大学には午前中のうちに数万人が集まった。一方、2キロしか離れていないタハリール広場の大統領派も同数程度に膨れ上がった。

 先日から退陣要求を突きつけられているサレハ大統領は2日、次期は続投しないと宣言し、また終身大統領制を可能にする憲法改正案を凍結すると表明した。さらに世襲制にも反対すると述べ、批判派の間で憶測されている息子アフメド・サレハ(Ahmed Saleh)氏への権力継承を行わない意向を明らかにした。現在息子のアフメド氏はイエメン軍のエリート部隊の司令官を務めている。(c)AFP/Hammoud Mounassar and Jamal al-Jaberi

2012チバQ:2011/02/03(木) 23:17:37
http://www.asahi.com/international/update/0203/TKY201102030514.html
イタリア、ホテル滞在税導入を否決 政権崩壊の可能性2011年2月3日23時7分
. 【ローマ=南島信也】イタリア議会の上下院合同委員会は3日、全土のホテルで滞在税を徴収することなどを盛り込んだ税制改革法案を否決した。同法案は連立与党の一角、北部同盟が連立離脱を示唆して成立を強く求めていた。北部同盟が離脱すればベルルスコーニ政権の崩壊は不可避で、早期総選挙の可能性が出てきた。

 滞在税はホテルに宿泊する観光客から1泊につき50セント〜5ユーロ(56〜560円)を徴収するというもの。税額はホテルの格付けによって異なり、税収は各地方自治体の歳入に組み込まれるとしていた。首都ローマ市では1月1日から1泊につき2〜3ユーロの滞在税の徴収を始めている。

 イタリアには年間4200万人の観光客が訪れるだけに、観光業界が法案に強く反発。イタリア統一150周年にあたる3月17日にすべてのホテルを閉鎖し、宿泊予約も受け付けない方針を打ち出していた。

 ベルルスコーニ首相率いる与党「自由の国民」(PDL)と連立を組む地域主義政党「北部同盟」は法案が成立しない場合、連立離脱も辞さない構えを見せていた。ベルルスコーニ政権は下院でかろうじて過半数を維持している状態で、政権の命運は北部同盟の今後の動向に左右されることになった。
.

2013チバQ:2011/02/03(木) 23:38:40
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110203/mds11020300460001-n1.htm
【エジプト騒乱】
“暫定政権”のシナリオは…まとまらぬ反政府勢力 副大統領主体、軍部介入も
2011.2.3 00:45 (1/3ページ)

2日、エジプト・カイロ中心部のタハリール広場で、野党勢力(上)と衝突するラクダや馬に乗った大統領支持派(AP)
 エジプトのムバラク大統領が任期限りでの退陣を表明したが、反ムバラク派と親ムバラク派の衝突が起きるなど、混乱が沈静化するめどは立っていない。今後、選挙までの“暫定政権”の形態としては、(1)エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長などの反政府勢力主体(2)ムバラク大統領かスレイマン副大統領を軸とする現体制の存続(3)国民から信頼されている軍の介入−の3つのシナリオが想定される。

 今秋の退陣を表明したムバラク大統領に対し、野党勢力はムバラク氏が即時に退陣するまでは対話に応じないと強調している。

 反政府勢力の軸になるとの見方があるのがエルバラダイ氏だ。しかし国際的知名度はあっても、外国での活動が長かった同氏の国内での人気はパッとしない。

 当初は反政府勢力側の交渉役を任される方向でまとまりかけたが、主導権争いの中で一部野党が反発、広範な支持を得るには至っていない。2005年の大統領選に出馬し国内では知名度の高い野党、ガッド党代表、ヌール氏を推す声も出てきた。

 さらに、エジプト元外相でアラブ連盟事務局長のムーサ氏も、エジプト政界への復帰に意欲を示す。

 ムバラク氏が即時退陣を拒否した背景には、米欧などの諸外国がエジプトの急速な体制転換は望まないだろうという読みのほか、こうした反政府勢力の足並みの乱れもある。

 2日にはムバラク大統領を支持する集会が国内各地で開かれている。これ以上の混乱を望まない一般市民の声が反映されている可能性もある。さらに一部野党は同日、スレイマン副大統領との対話を受け入れる姿勢を見せ始めた。

 こうした中、(1)ムバラク大統領が演説した通り自らが大統領選まで続投する(2)ムバラク氏が即時退陣に追い込まれても、混乱回避を名目に、側近のスレイマン氏が暫定大統領に就任する−というシナリオもまだ残っている。

 一方で反政府勢力は、イスラム教の金曜礼拝がある4日を「追放の金曜日」と呼び、先週の「怒りの金曜日」同様、大規模デモを呼びかけている。一気にムバラク大統領を辞任、亡命に追い込もうという作戦だ。

 親ムバラク派との衝突激化も懸念される事態に、目下、静観を決め込んでいる軍がどう動くのか。

 軍の制服組トップ、アーナーン参謀総長はマレン米統合参謀本部議長と連絡を取り合っているともいわれる。米国は長年、エジプトへの軍事支援を行っており、双方の軍のパイプは太い。

 軍部は現在のところ中立姿勢を貫いてはいるが、混乱が拡大すれば、自らの手で暫定政権樹立に乗り出す可能性も否定できない。

 こうした中、エルバラダイ氏が(1)軍人と民間人からなる、民主化移行のための委員会を設置する(2)スレイマン副大統領を暫定大統領とする新政権が上下両院を解散して新憲法を準備する−など、折衷案ともいうべき腹案を持っているとも報じられている。(カイロ 大内清)

2014チバQ:2011/02/03(木) 23:39:12
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110203/mds11020300050000-n1.htm
親ムバラク派の怪
2011.2.3 00:04 (1/2ページ)
 【カイロ=黒沢潤】エジプト・カイロのタハリール広場周辺で2日午後、数万人規模の反政府デモ参加者と衝突した親ムバラク派は数千人に達した。同派は与党・国民民主党(NDP)の支持者ら体制派とみられる。同派について、デモを主導する市民グループ「4月6日運動」の幹部はカタールの衛星テレビ局アルジャジーラに対し、「NDP党員や裕福なビジネスマン層が金銭で雇い入れた“荒くれ者”たちだ」などと語った。

 この集団は、反政府デモ参加者との衝突を回避するため広場前で待機していた戦車部隊を迂(う)回(かい)する形で広場に行進。両派は、軍の車両が展開されていない路上で激しく衝突。エジプトメディアによれば、銃声も聞こえ、数十人が負傷したもようだ。

 親ムバラク派の中には、ピラミッドのあるカイロ郊外のギザ周辺から、ラクダやラバ、馬など十数頭に乗って同広場にたどりついた男たちの姿も。エジプトの主な国家収入の1つである観光産業が、連日続く民衆蜂起で打撃を受けていることに憤慨したものとみられる。

 中東の衛星テレビ局アルアラビーヤは、親ムバラク派の規模がカイロ市内だけで、1万人規模に達したと伝えた。エジプト国内では数万人規模となり、各地で反政府デモ参加者らと衝突しているとみられる。全土での負傷者数などは不明。軍の介在なしにこのまま両派の衝突が続けば、社会機能がまひし、市民生活に深刻な影響を及ぼす可能性もある。

 ロイター通信によれば、軍は反政府デモ参加者らに対し、「(ムバラク大統領退陣という)当初の目的は達成されたはずだ。ただちに現場を離れ、自宅に戻れ」などと、繰り返し警告を発している。

2015チバQ:2011/02/03(木) 23:39:41
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110202/mds11020222240021-n1.htm
退陣の裏側で何が…「内」と「外」から“引導”
2011.2.2 22:16

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1日夜、国営テレビで演説し、退陣を表明するエジプトのムバラク大統領(ロイター)
 【カイロ=黒沢潤】エジプトのムバラク大統領は1日夜、約30年にわたる独裁政権に終止符を打つことを表明した。軍がデモ参加者への武力行使を拒絶し中立な立場を取ったことに加え、米政権が大統領に“引退”を勧めたことが背景にあったもようだ。

 「去れ、去れ、ムバラク」「お前は絞首刑の対象だ」−。20万人の市民たちで埋め尽くされたカイロのタハリール広場では、大勢の若者らが大統領の演説直前、口々にこう絶叫した。

 紺色の背広姿、相手の目を射抜くような鋭い視線。広場に設けられた臨時スクリーンに、かつてイスラエルと戦った元空軍司令官の姿が映し出されると、若者たちは思わず息をのんだ。

 「この国で生まれた私は、この地で死ぬ。人は去りゆけど国は残る。エジプトよ、永遠なれ−」

 大統領の退陣決断には、自らの政権基盤だった軍の態度が影響しているとの指摘もある。軍は1日のデモを前に、「平和的な手段による表現の自由はすべての人が持つ権利だ。武力行使はしない」と言明。これを裏付けるように、広場前に陣取った戦車部隊は、「夜間外出禁止令」を無視して広場になだれ込む市民を事実上、“黙認”した。

 英紙サンデー・タイムズは、軍出身のスレイマン副大統領もムバラク氏に騒乱の長期化回避のために退陣を迫ったと報じている。

 一方、AP通信によるとオバマ米大統領が1月31日、ムバラク氏と個人的にも親しいフランク・ワイズナー元駐エジプト米大使をカイロに派遣、「そろそろ“終焉のとき”ではないか」と退陣を促したという。

 軍と米国という「内」と「外」の政権基盤から“引導”を渡されたことで、大統領は30年にもわたる独裁政権への「幕引き」を決断したとみられている。

2016チバQ:2011/02/04(金) 22:09:41
http://mainichi.jp/select/world/news/20110205k0000m030115000c.html
エジプト:野党足並みに乱れ
 【カイロ和田浩明】エジプトでムバラク大統領の退陣要求を強める野党勢力は、一部を除いて政府側の対話提案に慎重な姿勢を取っている。だが反大統領派が結集するカイロ中心部のタハリール広場に姿を見せる幹部も目立たず、デモ隊との共闘姿勢も見えにくい状況だ。

 9月引退を表明したムバラク大統領や、事実上実権を掌握したと見られるスレイマン副大統領は、犬猿の仲だった穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」を含め全政治勢力との対話を提案している。

 これに対し、高い組織力を持ち、昨年11月の総選挙で全議席を失うまでは事実上の最大野党だった「同胞団」や、今回の騒乱前から「同胞団」と共闘姿勢を見せていたエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長は「ムバラク退陣まで対話拒否」の姿勢だ。

 一方、スレイマン副大統領は、一部勢力と3日に対話を行ったと表明。反大統領デモを主導したグループ「4月6日運動」などとみられ、野党側の足並みの乱れも見られる。地元紙によると、既成野党のワフド党は、ムバラク氏の引退表明を「歓迎」し、一時は政府との協議を検討したが、2日に大統領支持派が反大統領派を攻撃した事件を受けて「対話拒否」に戻った。

 タハリール広場のデモ隊の間では「我々はムバラク排除に集中すべきだ」(40代男性)との声が目立ち、野党勢力の動きへの関心は必ずしも強くない。

 エルバラダイ氏は30日に同広場に姿を見せたが、演説を短時間で切り上げた。ワフド党は騒乱開始から10日目の3日になって、ようやく幹部会による広場でのデモ参加を議決した。野党勢力と「現場」との距離が目立っている

2017チバQ:2011/02/04(金) 22:12:34
>>1191
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110204/mds11020421150018-n1.htm
ニジェール大統領選決選へ 民政移管に向け
2011.2.4 21:14
 昨年2月に軍事クーデターが起きた西アフリカ・ニジェールからの報道によると、1月31日に行われた同国大統領選で、選挙管理委員会は4日までに、有力野党候補のイスフ氏とウマル元首相の上位2人の間で決選投票が実施されると発表した。決選投票は3月12日の予定。

 大統領選は民政移管に向けたもので、10人が立候補。選管によると、大半の開票が終了した段階で過半数を得票した候補はいなかった。

 ウマル氏はクーデターで大統領を解任されたタンジャ氏の下で、2007年6月から09年9月まで首相を務めた。今回、第3位だったアマドゥ元首相ら複数の候補がウマル氏支持に回る見通しで、決選投票ではウマル氏有利とみられている。(共同)

2018チバQ:2011/02/04(金) 22:14:15
>>1712>>1989
http://www.asahi.com/international/update/0204/TKY201102040437.htmlヨルダン国王、イスラム組織と会談 強まる政府批判受け2011年2月4日20時4分

 【アンマン=井上道夫】ヨルダンのアブドラ国王は3日、国内のイスラム組織「ムスリム同胞団」や同組織系の政党「イスラム行動戦線」(IAF)の幹部と会談し、政治改革の進め方について意見を交わした。国営ペトラ通信が伝えた。

 チュニジアの政変やエジプトの反政府デモに誘発され、ヨルダンでも政府の腐敗や経済政策を批判する市民デモが続いており、野党勢力の同胞団側も政府批判を強めている。

 これに対し、議会の解散権や首相の任命権を持つ国王は今月に入り、リファイ首相を事実上更迭し、後任のバヒート氏に「目に見える形の政治改革」を断行するよう指示。自らも同胞団と対話することで、国民に改革姿勢をアピールする狙いとみられる。

 国王は、同胞団側との会談で、「一部で個人の利益が公共の利益に優先されてきた」と述べ、これまでの政治改革が成果をあげていないこと認め、今後、官僚や政治家の汚職について、厳正に対処すると断言。さらに、同胞団側が求める選挙法改正についても国民全体の合意が得られるよう議論を始める必要があると述べ、柔軟な姿勢を示した。

2019チバQ:2011/02/04(金) 22:16:56
http://mainichi.jp/select/world/news/20110204dde001030010000c.html
エジプト:混乱、ムバラク大統領強気 「公職うんざり」でも「すぐ辞められぬ」
 ◇「追放の金曜」緊張
 【カイロ樋口直樹】今年9月のエジプト大統領選への不出馬を表明したムバラク大統領(82)は3日、「長年の公職にうんざりしている。すぐに辞任したいが、国家が混乱に陥る恐れがあるため、それはできない」と述べ、改めて即時退陣を拒否した。米ABCテレビに答えた。大統領は亡命の可能性も否定した。4日のイスラム教の金曜礼拝後に「追放の金曜日」と銘打った大規模デモを予定している反大統領派は同日までの辞任を求めており、情勢は緊迫の度を強めている。

 ムバラク氏は、国軍部隊に厳重に守られたカイロの大統領宮殿で取材に応じた。1日深夜の事実上の引退宣言以来、インタビューに応じたのは初めて。

 ABCが報じた要約によると、13人の死者を出した2日からの反大統領派と大統領支持派の衝突を巡り、ムバラク大統領は政府の責任を否定する一方、最大の野党勢力である穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」を非難。「エジプト人同士の戦いを見たくはない」と述べた。

 反大統領派の批判には「気にしない」と語った。

 取材には、後継者と目されていた次男ガマル氏(47)も同席。ムバラク氏は「息子に後継させようとは全く思っていない」と話した。

 「早期の政権移行」を求める最大の同盟国・米国に裏切られたと思うか、との質問にムバラク氏は、オバマ米大統領を「とてもよい人物だ」と表現。早期引退を促された際、オバマ氏に「あなたはエジプトの文化も、私が今辞任したら何が起こるかも理解していない」と話したことを明らかにした。

 ◇副大統領「選挙前倒しも」
 一方、ムバラク氏が息子の代わりに事実上の後継者に選んだスレイマン副大統領(75)は3日、国営テレビのインタビューに答えた。大統領選を「8月か9月に行う」と述べ、選挙を可能な限り早期に実施すると強調した。

 また、ムバラク氏が厳しく批判してきたムスリム同胞団に政府との協議に応じるよう呼びかけたことや、反大統領派デモに実力を行使しないよう軍部に命じたことを明らかにした。非合法化されている同胞団への対話の公式提案は極めて異例。ただ、同胞団はムバラク氏の辞任まで交渉に応じない構えだ。

毎日新聞 2011年2月4日 東京夕刊

2020チバQ:2011/02/04(金) 22:26:51
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110204-OYT1T01020.htm
「決別の金曜」数万人デモ、エジプト緊張山場に

4日、カイロで、タハリール広場に向かう反体制デモ参加者を調べる兵士たち=AP 【カイロ=田尾茂樹】エジプトのムバラク大統領の辞任を求め、反体制派が「決別の金曜日」と銘打って呼び掛けたデモが4日、カイロ中心部で行われ、同日午後までに参加者は数万人に達した。

 同日は、国際原子力機関(IAEA)前事務局長のムハンマド・エルバラダイ氏が大統領に突きつけた辞任期限でもある。反体制派は大統領の即時辞任を政権との対話の条件としており、エジプト政情の緊張は最大の山場を迎えた。

 中心部タハリール広場では、夜間外出禁止令を無視して泊まり込みを続けた数千人に加え、早朝から続々と集まった市民が「ムバラクを倒せ」「今日が最後の日だ」と叫んだ。国営テレビによると、同日午前には広場にタンタウィ副首相兼国防相が姿を見せ、反体制派に対話を呼び掛けた。

 反体制派は広場につながる主要な道路にバリケードを築き、夜通し検問を実施。大統領派の広場への接近を阻止している。これまでデモを静観してきた軍は、兵士が数メートル間隔で広場を取り囲み、反体制派のデモ参加者の身分証をチェックするなど、警戒態勢を敷いている。大統領支持派が攻勢を強める可能性もある。

(2011年2月4日22時17分 読売新聞)

http://mainichi.jp/select/world/news/20110205k0000m030116000c.html
エジプト:軍と内務省の確執浮上
 【カイロ和田浩明】エジプトの治安維持にあたる国軍と内務省の間の確執が浮上している。軍出身のスレイマン副大統領は3日、内務省管轄の治安部隊や警察による反大統領デモへの強硬な対応に不満を表明。空軍司令官だったシャフィク首相もアドリ前内相の処罰の可能性に言及し、ワグディ内相に「平和的なデモは邪魔すべきでない」とクギをさした。

 デモ発生当初、治安維持を担当していた内務省は弾圧したが事態収拾に失敗。その後、大統領命令で国軍が展開した。地元メディアなどによると、アドリ氏はこれに反発し現場から部隊引き揚げを命じた疑惑がある。

 内務省は警察や治安部隊を駆使して野党勢力の暴力的弾圧を長年続けてきた。「軍内部にはこうした手法に嫌悪感がある」と指摘する専門家もいる。ムバラク大統領が1月29日に全閣僚を更迭し、副大統領、首相、副首相が軍出身者で固められ、軍側の政治力が強まった形になった。

 しかし、2日に起きた大統領支持派による反大統領派の攻撃は、治安当局や与党の関係者が扇動した疑いも出ており、国軍と内務省の確執は今後も続く可能性がある。

2021チバQ:2011/02/04(金) 22:27:31
http://mainichi.jp/select/today/news/20110205k0000m030112000c.html
エジプト:米の「後継工作」加速…スレイマン氏軸に
2011年2月4日 21時56分

 【カイロ和田浩明】エジプトの反大統領派は4日、各地で「追放の金曜日」と銘打った大規模デモを実施し、カイロ中心部のタハリール広場には数万人が集結した。デモ隊はムバラク大統領を即時退陣に追い込む構えで、大統領支持派との緊張も高まっている。先月25日のデモに始まった混乱は既に11日目に突入し、「ムバラク後」を見据えた米国の「後継工作」も加速。燃えさかる反大統領運動の背後で、政治的駆け引きが本格化してきた。

 ◇金曜デモ、期待感あふれ
 反大統領派の拠点と化したタハリール広場。4日はイスラム教の金曜礼拝があり、人々の気分は自然と高揚する。突然、国歌を斉唱する声が聞こえてきた。朝から続々と詰めかけ、入り口では手荷物検査などを待つ長蛇の列ができた。

 若者、老人、女性、親子連れ……。あらゆる階層の顔が見える。記者が警備の兵士にパスポートを提示すると、笑顔で肩をたたかれた。数回のチェックを受けて、ようやく広場に入った。2日の大統領支持派による攻撃で負傷したのか、顔や頭に包帯を巻く人がいる。疲れ切ってしまい、芝生の上で眠り込む人も多い。

 「人々は自由のために、ここに集まった。政府は国民の声を聞くべきだ」。礼拝が始まり、イスラム教の宗教指導者が説教を始めると、広場は巨大なモスク(礼拝所)に一変した。人々は聖地メッカ(サウジアラビア)の方角を向き整然と並んで、ただ祈る。感極まり、おえつする男性も。静寂を破るのは、スピーカーから流れる聖典コーランの引用と、上空を旋回する軍ヘリコプターの爆音だけだ。

 反大統領派の要求はムバラク大統領の「即時退陣」。しかし、大統領は3日、国軍に厳重に守られたカイロ市内の大統領宮殿で米メディアと会見し、要求には応じない考えを改めて強調した。

 混乱を早期に収拾したい米国は「ムバラク後」のシナリオについて、エジプト政府高官と調整を進めている。ロイター通信によると、米当局者は3日、ムバラク大統領の即時退陣を含む「複数のシナリオ」をエジプト当局と協議していると明言した。大統領側近のスレイマン副大統領率いる暫定政権に権限を移譲させる案を、エジプト側と検討しているとの報道もある。

 ホワイトハウスはこの報道の正否を確認していないが、米国家安全保障会議(NSC)のビーター報道官は「オバマ大統領は今こそ平和的な権限移譲を始める時だと話している」と語った。

 ムバラク大統領の側近で事実上の後継者と目されるスレイマン副大統領は、イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」に対し、非合法化の解除提案を含む対話や、野党側が要求する憲法改正の受け入れを表明して、事態打開を模索している。

 だが、反大統領派の不信感は根深く、スレイマン副大統領は「(ムバラク大統領と)同じシステムの人間。受け入れられない」(40代女性教員)との見方が大半だ。配管工のアハマド・アブドルアミさん(38)は「子供たちが自由に歩ける国にしたい。それまでここを離れない」と話した。

 午後1時(日本時間午後8時)前。礼拝が終わると、広場は「変化」への期待感に満たされた。人々は「メルハル(去れ)」「バーテル(偽物め)」と叫び、拳を突き上げて、デモが始まった。

 「民衆の力で独裁政権を倒せるとチュニジアから学んだ」。医師のアハメド・ナグラさん(29)はそう言って、「ムバラク大統領は威厳を保つことしか考えていない。国民の尊厳などお構いなしだ」と吐き捨てるように言った。「ムバラクが去らなければ同じことが続く。即時退陣しかない」

 国営テレビによると、タンタウィ国防相がタハリール広場を訪れ、状況を視察した。大統領支持派の姿はみえない。だが投石に備えてヘルメットをかぶる人もいる。広場に展開している国軍部隊は有刺鉄線を設置するなどして、警戒を強めた。

 4日のカイロのデモで主催グループはタハリール広場のほか、国営テレビ局や人民議会(国会)にも参集するよう呼び掛けた。英BBCによると、同広場から約12キロ離れた大統領宮殿まで行進する構えも見せており、エジプトの緊張は最高度に達している。

2022チバQ:2011/02/04(金) 22:28:06
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110204/mds11020422030020-n1.htm
次期大統領を狙う注目候補 最有力はスレイマン副大統領
2011.2.4 22:00 (1/2ページ)

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3日、国営テレビのインタビューに答えるエジプトのスレイマン副大統領(ロイター)
 【カイロ=黒沢潤、大内清】エジプトのムバラク大統領が今秋までに予定される大統領選への不出馬を表明したことを受け、次期大統領が誰になるのか注目されている。

 大統領選に向けては今後70日間かけて、独立系候補の出馬を事実上、不可能にしている現憲法の改正手続きを上下両院で実施。選挙実施は8、9月の見通し。

 次期大統領の最有力候補は、現副大統領のオマル・スレイマン氏(74)だ。軍出身で諜報機関の総合情報庁長官を長く務めたほか、対米・イスラエル外交でも要の役割を果たしてきた。国内外の情勢への視野も広く、米国の信頼も厚い。

 スレイマン氏に対抗しうる人物は存在するのか。

 「もし誰かが私に役割を与えるなら、私はできることをする」。元エジプト外相で、アラブ連盟事務局長のアムル・ムーサ氏(74)は2日、中東の衛星テレビ局アルアラビーヤとの会見で、大統領選への野心を隠さなかった。

 外相時代に見せたイスラエルへの毅然とした姿勢や、当意即妙の受け答えで国民からの受けも良く、「オレはムーサが大好き。イスラエルなんか大嫌いだ」との歌が流行したほど。米国とアラブ諸国との橋渡し役を務められるとの期待もあり、2005年の大統領選では“待望論”が出た。

 同様に外交畑を歩んできた国際原子力機関(IAEA)前事務局長のムハンマド・エルバラダイ氏(68)も意欲満々だ。事務局長時代の05年にノーベル平和賞を受賞し、国際的知名度は抜群。米国がムバラク氏と距離を取り始める一方、エルバラダイ氏と接近しつつあるとの見方もある。

 ただ、非合法の穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団と一時、共闘姿勢を示したことなどから米国の警戒感が強まっているとされ、迷走気味でもある。

 前回選で民主化運動グループの後押しを受け、「旋風」を起こしたガッド党党首、アイマン・ヌール氏(46)の名前も取り沙汰される。選挙後に投獄された経験もあるヌール氏は民主化運動のシンボルの一人。若者層の期待は高い。

 さらに、ダークホースとして名前が挙がるのが、1999年にエジプトで3人目のノーベル賞(化学賞)を受賞したアハマド・ズウェイル氏(64)。カリフォルニア工科大で教壇に立った経験を持ち、エジプトの教育改革を訴えるなど、政治・社会問題で積極的に発言している。1日には居住先の米国から急きょ帰国すると発表し、注目された。

 このほか、政局全体のカギを握る人物として、軍参謀総長のサミー・アーナーン氏も注目される。米国防総省とのつながりが深く、フランスやロシアへの留学経験もあり、国際感覚に優れていると指摘される。

2023チバQ:2011/02/05(土) 10:27:48
http://mainichi.jp/select/world/news/20110205ddm003030115000c.html
クローズアップ2011:エジプト安定、高いハードル
 ◇「非合法化」最大野党勢力が反発、憲法問題も
 エジプトのムバラク大統領に対し、国内の反大統領派だけでなく、最大の同盟国・米国からも即時辞任を求める圧力が強まっている。米上院がムバラク氏に対し、暫定政権への権限移譲を求める決議を採択したことで、国軍出身のスレイマン副大統領を暫定大統領に据える構想が現実味を帯びてきた。だが、その実現には憲法上の制約のほか、最大野党勢力のイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」の反発が障害となっており、一足飛びには進みそうもない。【カイロ樋口直樹】

 ◇スレイマン暫定大統領構想
 反大統領派と大統領支持派の多くは、実はムバラク氏の退陣そのもので意見はほぼ一致している。対立点は「いつ」「どのように」退陣させるかだ。混乱を鎮めるため、反大統領派の即時辞任要求に応える必要があるが、事実上の引退宣言までした同氏を力ずくで引きずり降ろすことには、大統領支持派だけでなく一般国民にも抵抗がある。

 「ムバラク大統領はエジプト国民の父であり、兄でもある。自ら引退を決意した大統領を侮辱することは許せない」。支持派の会社員(40)は、家父長を尊重するエジプトの伝統的価値観に触れてこう語る。国民の多くは、強権政治や経済の停滞、政治腐敗の横行に不満を持つ一方、同氏の長年の功績を認めるべきだとの感情も抱いている。暫定政権構想は、ムバラク氏が早期に辞任を表明し、腹心のスレイマン氏率いる暫定政府に権力を移譲、9月に予定される大統領選の準備に入るというシナリオだ。急激な政治変革を望まない大統領支持派にとっての妥協策でもある。

 情報長官だったスレイマン氏は、先月29日の副大統領就任以後、発言力を強め、ムバラク氏の次男ガマル氏の次期大統領選不出馬を言明したり、民主化に欠かせない憲法改正の意向を示すなど、「変化」をアピールし、野党勢力に対話を呼び掛けている。

 だが、野党勢力はまだ呼び掛けに応じていない。特にエジプト全土で影響力を持つ「ムスリム同胞団」の動向がカギになっている。スレイマン氏は原理主義勢力を厳しく監視してきた情報機関のトップだっただけに、政治的に非合法化されてきた同胞団側にアレルギー感情は強い。

 一方、エジプトでは憲法上、大統領が辞任した場合、人民議会(国会)議長が臨時大統領となり、60日以内に新大統領を選出しなければならない(84条)。この場合、副大統領のスレイマン氏に速やかに権力を移譲できない。

 ただ、大統領が在職中、病気など一時的な理由で職務を続けられなくなった場合には、副大統領か首相が職務を引き継ぐことができる(82条)。スレイマン氏への権力移譲は、ムバラク氏が何らかの理由を付けて「職務を続けられなくなった」と事実上の辞任表明を行うことで可能になるとみられている。

 ムバラク氏は「今辞任したら、エジプトが混乱に陥る」として即時辞任を拒否。スレイマン氏や、政権の屋台骨を支える軍部も今のところ、ムバラク氏の意向を尊重する姿勢を崩していない。

2024チバQ:2011/02/05(土) 10:28:02
 ◇「目に見える変化」「関係も良好」 米が後押し
 米国は、エジプト民主化の象徴として「自由で公正な」次期大統領選挙を求め、反大統領デモの拡大と現在の混乱状況を抑えるため、「今、目に見える変化が必要」と考えている。その一つとして検討しているとされるのが、エジプト国軍をバックにした暫定政権の樹立だ。治安の保てる暫定政権に、国民の声を反映する選挙制度改革を敢行させ、大統領選挙へつなげる構想だ。

 「オバマ政権にとって最悪のシナリオは、ソマリア的な状況」。ブルッキングス研究所のスティーブン・グランド氏は指摘する。求心力を失ったムバラク政権が、受け皿がないままに反大統領デモによって崩壊し、さまざまな勢力が暴力で権力を競う状態を指す。

 混乱をエジプトで食い止め、中東地域全体に飛び火させないようにする必要もある。先手を打つようにオバマ大統領は2日にイエメンのサレハ大統領、クリントン国務長官は3日にヨルダンのアブドラ国王とそれぞれ電話で協議し、揺れる両国でも一層の改革を推進するよう求めた。

 オバマ政権の構想を先取りしたのが、米上院で3日に採択された決議と言える。ムバラク氏に速やかな「民主的政治システムへの秩序ある平和的な移行」を求めたもので、それには反ムバラク派を取り込んだ包括的な暫定政権への権限移譲と、選挙制度改革での野党勢力や市民社会、軍との協力が含まれる。暫定政権を率いる役割を期待しているのが、スレイマン副大統領だ。バイデン米副大統領は3日、スレイマン氏に電話し、各勢力との交渉に即座に着手するように要請した。

 エジプト情報機関のトップを長年務め、米国とも良好な関係にあるスレイマン氏について米政権は以前から「ポスト・ムバラク」候補の一人とみなしていた。中東和平交渉で重要な役割を果たしてきた人物でもあり、米国の同盟国イスラエルとの関係を損なうようなことはしないとの考えも働いているようだ。【ワシントン草野和彦】

 ◇前原外相「政権移行慎重に」
 前原誠司外相は4日の記者会見で、米国などがエジプトのムバラク大統領の即時退陣を求めていることについて「新たな元首を選ぶにしても、国民が納得する選挙のあり方を検証しなければならず、そういったものをやらずにトップがいなくなった場合、職務執行代行者で成し遂げられるのか」と述べ、政権移行を慎重に行うべきだとの考えを示した。

 性急な退陣でさらに混乱することへの懸念と過度に介入しない姿勢を強調した形だ。【西田進一郎】

2025チバQ:2011/02/05(土) 10:29:34
http://mainichi.jp/select/world/news/20110202ddm003030052000c.html
クローズアップ2011:エジプトデモ 「革命」への熱狂 女性も声上げ
 ムバラク体制を揺るがす震源地、カイロ中心部のタハリール(解放)広場は1日、その名前が示すように「革命」への熱狂に包まれていた。野党勢力が呼びかける「100万人行進」への参加者であふれかえったが、戦車で広場を取り囲む国軍兵士らは31日の「不干渉」宣言通り、事態の成り行きを見守るだけだ。人々は「今こそ自らの命運を自らの手に」とムバラク政権の打倒を訴えた。【カイロ樋口直樹】

 戦車の脇から広場に入った記者を取り囲んだのは、兵士ではなく、「組織委員会」の名札を付けた大勢の若者だった。「身分証を見せて」「抗議は平和的に」とくぎを刺して身体検査を行う。続々と押し寄せるデモ参加者もすべて身分証明書を掲げて広場に入ってきた。体制側につけ込むすきを与えないための野党勢力側の知恵だ。上空には監視用の軍ヘリが低空で飛び回るが、広場に悲壮感はない。

 「カム、カム、カム……」

 小太鼓を打ち鳴らし、手をたたきながら若者たちがデモ参加を呼びかける。「お前(ムバラク大統領)が去るまで我々は去らない」

 広場には大小無数のプラカードや横断幕が翻りシュプレヒコールが響く。若者だけでなく、民族衣装姿のお年寄りから女性や子供まで幅広い層が思いの丈を声に出す。

 北部マンスーラから車で3時間かけて駆けつけたシェリーフさん(18)は「エジプトのために死にたい」と書いたプラカードを掲げた。2年前、警察から窃盗の疑いをかけられ、手ひどい扱いを受けた。今も頭や首に傷痕が残る。政府には怒りと絶望感を募らせていたという。「今こそ自由で民主的な国をつくるチャンスなんだ」と声をからす。

 ごみを詰め込んだポンコツ車には「NDP(国民民主党)本部」との看板が掛けられていた。ムバラク体制を支えてきた巨大与党の本部を揶揄(やゆ)したものだ。道行く人々がツバを吐き、足で蹴った。

 北部のデルタ地帯から初めてデモに参加した会計士、アハマドさん(50)は「ムバラクが出ていくまで私たちの生活は良くならない」と訴えた。

 同広場には大勢のイスラム聖職者の姿もあった。イスラム教スンニ派最高権威機関アズハルの学生、ムハンマドさん(25)は「イスラムはすべての人々の政治参加を説いている。エジプトには自由で民主的な政治体制が必要」と静かに語った。

 「ムバラクをつるせ」。誰かが叫ぶ。すると「ムバラクは兄弟だ。引退させればそれでいい」と応酬する。政権交代のあり方やムバラク氏の処遇などをめぐっては多様な意見があった。拡大する抗議デモや民衆に好意的な軍部、欧米からの民主化圧力にさらされた政権は「野党勢力との対話」を余儀なくされている。だが、デモ参加者は「ムバラク打倒」の一点で結集しながらも、それぞれが抱くエジプトの将来像は一様ではない。

 午後4時半ごろから多くのデモ参加者が広場を離れ始めた。人々の表情に表現の自由を得た満足感とともに、疲労の色も浮かぶ。「平和的なデモの答えはどう出るのか」。多くの参加者の胸にはこんな思いが浮かんだに違いない。

2026チバQ:2011/02/05(土) 10:29:57
◇失業、低賃金に不満 高率インフレ悲鳴 富の偏在、怨嗟の的
 エジプトで高まる一方のムバラク大統領退陣要求の原動力は、高失業率や低賃金、大統領周辺への富の集中などへの強い不満だ。

 「仕事」「自由」「国民」「尊厳」。カイロ・タハリール広場で、デモ参加者の政府への要求は4項目。筆頭は「仕事」だ。

 「大学を出ても仕事がない」「給料が安い」。3割超ともいわれる高失業率に悩む24歳以下の若年層に話を聞くと、必ず飛び出す話題だ。同広場でデモに参加する大学生、マフムード・サラハディーンさん(23)は「まともな職が見つかる可能性は低い」と肩を落とす。

 公務員の最低賃金は月約300エジプトポンド(約4200円)。賃上げ要求デモは昨春ごろから頻発し、今回の反政府デモの要求にも「最低賃金1200エジプトポンド(約1万6800円)へ引き上げ」が含まれていた。

 仕事のない若者は、結婚資金集めにも苦労する。エジプトでは結婚に際し、男性側が住居や家具を用意する習慣がある。会社員のモハメド・サフワドさん(25)は「最低でも15万エジプトポンド(約210万円)はかかる。とてもためられない」とため息まじりに語った。

 近年の経済成長は5%前後と比較的順調だが、インフレ率は年率10%前後と高い。砂糖やトマトなど国民が好んで口にする品目の値上がりも続く。騒乱が長引けば、生産や物流の混乱で品不足が悪化するのは必至だ。

 日々の生活で苦闘する庶民の怨嗟(えんさ)の的になっているのが、大統領周辺で巨万の富を築いていた実業家たちだ。大統領の長男アラア氏は大実業家として知られる。また、デモ発生後に与党・国民民主党(NDP)から離党した鉄鋼王アハマド・エッズ氏も大統領の次男ガマル氏と近く、コネクションを駆使して国内鉄鋼市場の6割以上を占有するに至った。

 29日には一部実業家の家族が私有ジェット機で大挙して出国したと報じられた。「やつらは国の富を独り占めする盗賊だ」。菓子職人のハニー・バハティーンさん(43)は吐き捨てるように言った。【カイロ和田浩明】

毎日新聞 2011年2月2日 東京朝刊

2027チバQ:2011/02/05(土) 11:03:53
http://www.asahi.com/international/update/0205/TKY201102050124.html
カイロのデモ「退陣まで続ける」 政権側と持久戦(1/2ページ)2011年2月5日10時45分
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. 【カイロ=貫洞欣寛】ムバラク大統領の即時退陣を求める民衆デモ「追放の金曜日」が開かれた4日、カイロ中心部のタハリール広場では真夜中を過ぎても数万人規模の市民が残り、夜を徹してデモを続けた。野党勢力側は退陣までデモ継続の構えで、政権側との持久戦が続きそうだ。

 4日の日中のデモには、ロイター通信の推定で20万人が参加した。軍が緩衝地帯を設けてムバラク支持派と分離し、カイロ西部などで開かれたムバラク支持集会のタハリール広場方面への移動を禁じたため、懸念された衝突は起きなかった。

 タハリール広場は4日夜になっても大勢の市民でごった返し、「政権打倒」「ムバラクやめろ」などとシュプレヒコールを繰り返した。デモを主導する市民団体「4月6日運動」とムスリム同胞団は「デモを大統領退陣まで続ける」としている。

 金・土曜が休日のエジプトでは6日が平日にあたり、政府はこの日からの銀行や企業などの業務再開を検討している。4月6日運動の広報担当者は「6日以降もどれだけデモに残るかが勝負だ」と述べた。治安当局は、午後5時〜午前7時の夜間外出禁止令を5日以降は午後7時〜午前6時に緩和すると発表した。

 ラドワン財務相はロイター通信に「デモによる損失は巨大だ。100万人の外国人観光客が国外脱出し、金融市場は止まっている」と述べ、事態の早期収束を求めた。

 政権側は、デモをタハリール広場に限定する一方、損失を一般大衆にアピールして日常への回帰ムードを高め、デモへの支持の勢いを失わせる戦略とみられる。

 事態収拾に政治協議を模索する動きも出た。民主化運動指導者で元国際原子力機関(IAEA)事務局長のエルバラダイ氏は4日、ムバラク大統領が即時辞任した後であれば、スレイマン副大統領と交渉するのは可能との見方を示した。

 シャフィク首相は4日夜、国営テレビに出演し、腐敗の根絶など市民の要求の多くを受け入れるとしたうえで、「6カ月待ってほしい。政府への信頼を取り戻してみせる」と述べた。

 AFP通信によると、1週間前にデモを取材中、何者かに銃撃されたエジプト人記者が4日、死亡した。一連の反政権デモが始まって以来、報道関係者に死者が出るのは初めて。衛星テレビ局アルジャジーラによると、同局のカイロ支局が4日、暴漢に襲われ、局内を燃やされた上で放送機材も破壊された。ファイヤード支局長ら2人は警察に拘束されたという。

2028チバQ:2011/02/05(土) 13:25:12
http://mainichi.jp/select/world/news/20110205k0000e030005000c.html
ロシア:「美し過ぎるスパイ」狂想曲 次は政界進出?

ロシアの民放テレビ司会者としてデビューした元美人スパイのアンナ・チャップマンさん=AP 昨夏に米国で逮捕された元ロシア情報局員で、「美し過ぎるスパイ」として話題を呼んだアンナ・チャップマンさん(28)。母国に戻った後は、テレビ番組の司会を務めたり、政治組織幹部に就任する“活躍”ぶり。ついに政界進出話まで浮上している。【モスクワ大前仁】

 ロシアの民放「レンTV」が1月21日に放送を始めた謎解きショー番組「世界の秘密」。赤と黒のドレスを着たチャップマンさんは初回の放送で、同国南部ダゲスタン共和国で生まれた男児の肌にコーラン(イスラム教の聖典)の一節が浮かび上がるという謎解きの司会を務めた。また、ロシア国内の報道によると、チャップマンさんは特許庁に自分の名前を商標登録して、ウオツカや服などを販売する計画という。

 昨年7月に強制送還された当初、チャップマンさんは任務に失敗した元スパイとして、人目につかない生活を送るのではないかとみられていた。だが彼女に関するニュースは、途絶えることはなかった。自らも元情報局員だったプーチン首相との面会、投資銀行顧問への就任、男性誌での下着姿モデル、国家勲章の受章……次々と話題を振りまいた。

 さらに、昨年12月にはプーチン首相が党首を務める与党「統一ロシア」の青年組織「若き親衛隊」の幹部に就任し、集会で自らの経験を踏まえて愛国心の尊さを訴えた。「若き親衛隊」広報は「チャップマンさんは我々と協力しながら、実現させたい構想をいくつか持っている」と説明し、近くその内容も明らかにするという。

 また、統一ロシアは、今年12月の下院選候補の一人としてチャップマンさんをリストアップしている模様だ。これまで同党はアテネ五輪の新体操金メダリストのアリーナ・カバエワさん(27)ら「タレント議員」を生んでおり、チャップマンさんが後に続いても不思議はない。出身地の南部ボルゴグラード州当局は、彼女が来週にも同地を訪れて、実質的な選挙運動を始める見通しを示す。

 独立系シンクタンク、政治情報センターのアレクセイ・ムーヒン所長(39)は「チャップマンさんはすでに『ロシア政界の期待の星』。特に統一ロシアの幹部は若年層への影響力の強さを高く買っている」と分析する。プーチン首相は、昨夏、彼女や他の元情報局員たちと面会した際、彼らが国家に貢献した褒賞として、希望する「再就職先」を保証したとも伝えられている。

 一方で、一連の動きについては「チャップマン狂騒曲」だとする批判もある。非政府組織「汚職撲滅委員会」のキリル・カバノフ委員長(42)は、情報機関が自分たちの影響力を維持する戦略として、元情報局員である彼女を使った「狂騒曲」を演出していると指摘。「ソ連時代でもこんなに恥ずかしい事象はなかった。情報機関の質が下がっていることの表れだ」と嘆いてみせた。

2029チバQ:2011/02/05(土) 13:30:46
http://www.asahi.com/international/update/0205/TKY201102040572.html
イタリア首相、議会委の否決無視 税改革の政令提出へ2011年2月5日2時5分

 【ローマ=南島信也】イタリアのベルルスコーニ首相は3日、ホテル滞在税などを盛り込んだ税制改革法案が議会の上下院合同委員会で否決されたことを受け、緊急閣議を開き、委員会の決定を無視して、法案に修正を加えた政令を近く提出することを決めた。これに対し、ナポリターノ大統領は4日、政令に署名しない考えを表明。議会側でも反発が噴出しており、イタリア政界の先行きはさらに不透明になった。

 同法案は連立与党の一角、地域主義政党「北部同盟」が連立離脱を示唆して成立を強く求めていた。北部同盟の離脱は政権崩壊に直結するため、首相は委員会の決定後、北部同盟のボッシ党首らと会談し、引き続き連立の枠組みを維持するよう要請した。

 首相はさらに、委員会の決定が賛成15、反対15の賛否同数で規定により否決となったことから、「法案に異議がないという意味」と解釈できるとして、新たに政令を提出して税制改革を進めることを緊急閣議で決めた。

 政権維持のために議会の決定を無視する首相の強引なやり方に、フィーニ下院議長は「前例がない」と激しく批判。ナポリターノ大統領は4日、首相に「議会の結論を無視できない。私は政令に署名しない」とする書簡を送った。大統領が署名しなければ政令は発効しないため、北部同盟が改めて連立離脱の動きを見せる可能性も出てきた。

2030チバQ:2011/02/05(土) 20:40:57
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110205-OYT1T00655.htm?from=main1
国営テレビ「カイロの街は静かです」…抗議辞任

 【カイロ=末続哲也】エジプトで特に低所得者層に影響力が大きい国営テレビが、ムバラク大統領の肩を持つ「偏向報道」を際立たせているとして、反政府勢力が反発を強めている。抗議して辞めていくテレビ局スタッフも続出している。


 カイロなどでの大規模デモから一夜明けた5日。有力国営テレビ「ナイルテレビ」の報道番組では、同テレビや国営紙の記者が電話出演し「国内情勢」を伝えた。

 国営紙記者「(カイロの反体制派拠点)タハリール広場には外国人も交じり、混乱が続くように陰謀をたくらんでいる」

 テレビ記者「広場で武器をもった人に脅され、帰宅を認められない人がいた」

 画面には「外国人記者の拘束は事実でない」との字幕が現れる――。

 報道は、反体制デモの背後に外国絡みの「陰謀」が存在し、普通の市民はデモに加わっていないことを強調する。

 反体制派の人々は「すべてウソです。視聴者を洗脳しようとしている」(38歳の女性大学教員)と憤る。同国では字を読めない人口が約35%に上る。その主要な情報源は、無料で見られる国営テレビだ。

 ナイルテレビでは、反体制デモ開始後、「カイロの街は静かです」と報道するよう求められた女性キャスター、スハ・エンナカシュ氏が歪曲報道に加担できないと、1月下旬に辞任した。別の国営テレビの報道番組の男性人気キャスター、マフムド・サード氏や、英語ニュースの女性キャスターのシャヒラ・アミン氏も同様の理由で辞任した。

(2011年2月5日20時06分 読売新聞)

http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011020500262
首都広場での抗議継続=長期化の様相、野党足並みに乱れ−エジプト
 【カイロ時事】エジプトのムバラク大統領辞任要求デモは5日で12日目に入り、首都中心部のタハリール広場では大規模集会「追放の金曜日」が開催された4日から5日にかけ、1万人以上が泊まり込みで抗議を続けた。事態沈静化を狙う体制側は、野党との対話を通じて改革を進める決意を示しているが、混乱収拾のめどは立っていない。
 シャフィク首相は4日、広場での非暴力的なデモを容認する姿勢を明確に打ち出した。ただ、改革運動の指導者の一人、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長や、最大のイスラム原理主義勢力ムスリム同胞団は、大統領辞任まで対話を拒否する立場を崩しておらず、デモは長期化の様相を呈している。
 エジプトのメディアによると、合法野党のワフド党や国民進歩統一党(タガンマア党)などが政権との対話に同意、5日にスレイマン副大統領と憲法改正など民主化改革をめぐり、話し合う見通し。野党勢力は、政権対応で足並みの乱れが目立っている。
 当局は一方、カイロなど3都市でこれまで午後5時から翌朝7時までだった外出禁止令を午後7時から翌朝6時に短縮。金融機関が6日に、証券取引所が7日に再開する予定で、経済社会活動の復旧を急いでいるが、デモの展開次第ではこうした計画に支障が出る可能性がある。(2011/02/05-18:31

2031チバQ:2011/02/05(土) 20:42:51
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110205-OYT1T00437.htm
ムバラク氏の権限移譲、象徴化案…米紙
 【ワシントン=山口香子】ニューヨーク・タイムズなど米有力数紙の電子版は4日、大規模反体制デモに揺れるエジプトのスレイマン副大統領と軍首脳部が、ムバラク大統領の権限を副大統領に移譲したうえで、9月の大統領選までは象徴的存在として職にとどまらせる事態打開案を検討していると報じた。

 スレイマン副大統領は5日に、国内の有識者や反体制派を集めた会議を開いて、この打開案を基に協議を行うという。

 ニューヨーク・タイムズによると、検討されている案では、ムバラク氏は辞任せず大統領職にとどまるが、エジプト東部のリゾート地シャルムエルシェイクの別荘か、毎年医療検査を行っているドイツに滞在する。その間にスレイマン副大統領と軍部が中心となって、反体制派と選挙制度改革などについての協議を進め、9月の選挙実施を目指す。

(2011年2月5日13時45分 読売新聞)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020502000038.html
イラン、エジプトのデモ称賛 「解放運動だ」
2011年2月5日 朝刊

 【カイロ=内田康】イランの最高指導者ハメネイ師は四日(金曜日)の集団礼拝で、エジプトの大規模な反政府デモについて「イスラムの教えに基づく解放運動」と称賛した。同師がエジプト情勢について発言したのは初めて。エジプトは米国の同盟国であり、イランとは敵対関係にある。イランはエジプト情勢の混乱に乗じ、中東での影響力拡大を狙っているとみられ、米国が警戒を強めるのは必至だ。

 ハメネイ師は、エジプトの反政府デモに関し「宗教に基づき、大衆による体制ができるまで止めてはならない」と断言し、エジプトもイスラム教聖職者が最終的な政策決定権を握る「イランモデル」の体制に移行すべきだとの認識を示した。

 さらにムバラク大統領(82)をイスラエルや米国への「奉仕者」として非難し、「三十年間、エジプトは自由を追求しない人間の手にあった」と述べた。

 国民の多くがイスラム教スンニ派の親米エジプトと、シーア派大国で反米のイランは、中東での影響力拡大を競い合ってきた。エジプトは最近、原子力発電所の建設計画を本格化させたが、これはイランの核開発に対抗するためで、核関連技術を習得する思惑があるとされている。

 イランは、スンニ派が主導したイラクのサダム・フセイン政権崩壊後、同じくシーア派が多数を占める同国への影響力を強めてきた。さらにレバノンでもイランが支援するシーア派組織ヒズボラを通じ、政局を左右する力を保持。一月にも、ヒズボラ系閣僚の一斉辞任によって、米国やエジプトに近いハリリ前首相率いる連立政権を崩壊させている。

2032チバQ:2011/02/06(日) 23:34:00
>>354
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110206-OYT1T00442.htm
エジプトに触発?…セルビア首都で7万人デモ

. 【ジュネーブ=佐藤昌宏】セルビアからの報道によると、首都ベオグラードで5日、総選挙の早期実施を求める野党支持者ら7万人規模のデモ行進が行われた。

 チュニジアやエジプトでの民衆蜂起に触発された動きとみられる。

 デモを組織した穏健派民族主義政党セルビア進歩党のトミスラブ・ニコリッチ党首は集会で、2012年5月に予定される次期総選挙を、今年4月までに実施するよう求めた。デモ参加者の多くは、物価の高騰に悩む貧困層や失業者らだった。衝突などは発生しなかった模様だ。

(2011年2月6日20時57分 読売新聞)

2033チバQ:2011/02/07(月) 00:12:04
http://www.asahi.com/international/update/0205/TKY201102050351.html
エジプト野党の有力者、即時退陣求めず「挙国一致を」(1/2ページ)2011年2月6日3時5分
 【カイロ=石合力】エジプト野党勢力の大統領候補として有力視されるアムル・ムーサ元外相(アラブ連盟事務局長)が5日、朝日新聞との単独会見に応じた。ムバラク大統領の即時辞任にこだわらず「与野党で政権移行のロードマップ(行程表)を作り、与党を含む挙国一致政権を樹立すべきだ」との立場を示し、大統領選出馬の意欲もみせた。

 ムーサ氏は、野党勢力の有力者で構成する「政権移行賢人委員会」のメンバー。大統領の即時辞任を求めてきた反政権デモにもムバラク氏が動かず、事態が手詰まりになる中での野党勢力有力者の発言として、極めて注目される。

 ムーサ氏は、ムバラク氏の去就について「次期大統領選に不出馬を表明した。すでに辞任を決断しており、移行期間は始まった」と指摘。スレイマン副大統領が野党勢力側に呼びかけている対話に「もちろん応じる。やるべきことは大統領選などの実施に向けて国民的な合意をつくることだ」と述べた。次期政権には「全政治勢力が参加すべきだ。与党を排除するのは望ましくない」と指摘した。

 大統領候補については、「与野党対話による政治的合意」が必要と指摘したうえで、自身が要請されれば「当然出馬する」と語った。

 移行期間中には、与党側に極めて有利な形になっている大統領出馬規定の改正や、公正とは言えない選挙で与党が多数を占めてきた人民議会について、選挙の実施などを進めるべきだと主張した。

 「デモに加わった人々と軍との関係は極めて良好だ」と述べ、軍との連携にも自信を示した。

 次期政権の外交方針については、「エジプトは自国だけでなく、地域の安定に大きな責任がある。これまでの路線を堅持すべきだ」と語った。

 ムーサ氏は一連のデモ開始後、野党勢力支持を表明。抗議行動にも加わった。外交手腕に加えて、国民的な人気も高い。

 5日付の米紙ワシントン・ポストは、ムーサ氏が大統領候補として、エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長を上回る支持を得る可能性があると伝えた。最大の野党勢力でイスラム主義を掲げるムスリム同胞団はムーサ氏に否定的とされるが、ムーサ氏自身は「同胞団とも接触している」と述べた。

 アラブ連盟事務局長として1月中旬、エジプト・シャルムエルシェイクで開かれたアラブ首脳会議に出席。地域で高まる若者の不満に触れ、「このままでは地域全体が大混乱に陥る。改革を急速に進めるべきだ」と、ムバラク大統領を含む各国首脳らに進言したという。

2034チバQ:2011/02/07(月) 00:12:49
http://www.asahi.com/international/update/0206/TKY201102060273.html
最大野党勢力、政権側と対話 エジプト、改憲委設置へ(1/2ページ)2011年2月6日23時58分
 反政権デモが続くエジプトで、最大の野党勢力ムスリム同胞団が6日、スレイマン副大統領ら政権側との対話に初めて応じた。一方、ムバラク大統領の即時退陣を求める声はやまず、カイロ中心部タハリール広場には同日も1万人を超える人々が集まった。

 【カイロ=貫洞欣寛、前川浩之】スレイマン副大統領は6日、ムスリム同胞団などの野党や、財界人、知識人らを招き、対話を始めた。国営テレビによると、大統領選の立候補資格の見直しなど憲法改正に関する委員会の設置で合意した。ムスリム同胞団幹部のカタトニ氏は同日、朝日新聞に「危機的状況からの出口を見つけるため、若者たちの声を届けることが必要と判断した。政権側に誠実さが見られなければ対話を打ち切る」と述べた。

 同胞団は穏健派イスラム勢力で、非合法化されているが、草の根のネットワークを通じた動員力を誇る。一連の反政権デモは、途中から同胞団が加わったことで規模が拡大した。合法化などを見返りとして、同胞団がデモへの動員をやめれば、事態の行方に大きな変化が出る可能性がある。

 対話にはスレイマン副大統領に実権を委譲し、ムバラク大統領は名誉職としてとどまることを提案する財界人や知識人らによる「政権移行賢人委員会」のメンバーや、民主化運動指導者のエルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長のグループも加わっている。

 これに対し、ネットでデモを呼びかける若者主体のグループ「4月6日運動」の広報担当者は「私たちはムバラク退陣まで政権と交渉はしない。ほかの団体がいなくなっても、私たちはデモを続ける」と述べた。

 一方、与党・国民民主党は5日、ムバラク大統領次男のガマル政策委員長やシェリフ幹事長ら党幹部の辞任を発表した。


6日、カイロ中心部のタハリール広場ではムバラク大統領の退陣を求めて路上に寝そべる男性の姿が見られた=越田省吾撮影
 ガマル氏は、大統領を「世襲」するのではないかとみられていたうえ、政策委員長として進めた急進的な経済開放政策が「貧富の差を拡大して社会の腐敗を広げた」との批判を受けていた。

 シャフィク首相は4日夜、国営テレビのトークショーに出演して「与党の改革が必要だ」と述べており政権側が「改革」姿勢を見せるための措置の一つとみられる。

 この日も1万人以上が集まったタハリール広場には先月25日の大規模な抗議行動開始以来、泊まり込みの人も。人々はこれまで同様、ムバラク氏の即時退陣を訴えた。

 デモに参加し、広場で5日目の朝を迎えた公務員ムスタファ・シャラビさん(35)は「仕事に行く気はない。自由には犠牲が必要だ」と話した。5日はカイロでは珍しく雨が降り、大勢がビニールシートの下で一夜を明かしたという。
.

2035チバQ:2011/02/07(月) 00:14:12
http://mainichi.jp/select/world/mideast/news/20110207k0000m030074000c.html
エジプト:野党勢力、政府側と対話 エルバラダイ氏も

カイロ中心部のタハリール広場で、新聞を読んだり休息を取る反大統領派の人々。疲労の色も見えている=2011年2月5日、AP エジプトの反政府デモに参加するイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」や、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長ら野党勢力は6日、政府側の呼び掛けに応じてスレイマン副大統領との対話に応じた。ロイター通信が伝えた。ムバラク大統領退陣前の対話を拒否してきた従来の方針から転換した。一方、かつてはムバラク大統領の後継者と見られていた次男ガマル氏は5日に政界を事実上引退した。デモ発生から13日目に突入したエジプト国内は6日、これまで閉鎖されていた銀行や多くの商店が営業を再開して「日常」を取り戻しつつある。デモを巡る情勢が膠着(こうちゃく)化の様相を強める中、事態収拾へ向けた模索が始まった。

 ◇存在感増す「ムスリム同胞団」 影響力拡大に警戒感も
 【カイロ鵜塚健】政情不安の続くエジプトで、穏健派のイスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」の存在感が増している。大統領支持派、反大統領派とも「ムバラク後」のかぎを握る同胞団の影響力を利用しようとしているのだが、一方でイスラム主義の過剰な台頭は双方とも望んでおらず、警戒感も広がっている。

 反大統領派の抗議デモは当初、若者を中心とする「4月6日運動」が先導したとされ、次第に幅広い層にデモへの支持が拡大した。ムバラク政権に反対する既存政党・組織がこの流れに乗り、先月27日には最大の野党勢力とされるムスリム同胞団がデモへの支持を表明した。

 同胞団は手厚い医療や福祉でエジプト国内の貧困層に支持を広げてきたが、54年に非合法化され、世俗的な政策を取るムバラク政権も抑圧を続けてきた。政権側の対話呼び掛けは、同胞団を取り込んで「国民和解」を演出するのが狙いだ。

 同胞団は当初、大統領退陣前の対話を拒否する姿勢を示していたが、6日にスレイマン副大統領との対話に応じた。政権側の求めに応じて「貸し」を作り、存在感を誇示する考えとみられる。ただ、AP通信によると、同胞団は副大統領との対話で、ムバラク大統領の即時退陣▽副大統領への権限移譲反対−−といった従来の主張は変えなかった。

 ロイター通信によると、スレイマン副大統領との対話にはムスリム同胞団のほか、その他の世俗派野党や法律の専門家らも出席。次期大統領選の有力候補とされるエルバラダイ前IAEA事務局長のグループも参加した。

 一方、大統領支持派、反対派とも同胞団の影響力拡大への警戒感では一致する。同胞団が合法化されて大きな政治的発言力を持つようになれば、イスラエルとの平和条約や対米関係の見直しなど、外交・安全保障面で大きな政策変更を余儀なくされかねないからだ。厳格なイスラム主義の導入で市民生活に大きな影響が出るのではないかという懸念もある。

 大統領支持派の観光船運航会社勤務、サミルさん(25)は「デモに乗じて、イランやハマス(パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム原理主義組織)とつながる同胞団が力を増すのは間違いない。デモを続ける市民もその危険性に気づくべきだ」と指摘。反大統領派の旅行会社勤務、アレーさん(24)も「同胞団の狙いは明らかに権力の掌握だ。彼らが権力を握ったら観光やメディアなどに悪影響が出る。彼らの勢力拡大は望んでいない」と話した。

2036チバQ:2011/02/07(月) 00:14:29
◇国内に徐々に活気 銀行再開、商店街も息吹き返す
 【カイロ樋口直樹】反政府デモの本格化で業務を停止していた銀行が再開し、エジプト国内は6日、徐々に活気を取り戻しつつある。カイロ中心部のタハリール広場では数千人が大統領の即時退陣を要求するデモを続けたが、市民の疲弊感は深まっている。

 ナイル川の中州にある繁華街ザマレクの国営銀行支店前には、午前10時の開店を前に数百人が並んだ。会社を経営するモアズさん(23)は整理券を握りしめ、「ようやく従業員に給料を渡せる。みんな困っていたんだ」とうれしそうな表情を見せた。団体職員のワフビさん(31)も「家賃を払えずにいた。オーナーも安心するだろう」と顔をほころばせた。

 シャッターを下ろしていた商店街も息を吹き返し、野菜やパンなどを売る露店も開店。道路は朝から通勤の車で渋滞した。

 市民の多くは生活の「正常化」を歓迎している。しかし、反政府デモに対する意見はさまざまだ。ムバラク大統領の今期限りの引退宣言を受け、「普段の生活に戻るべきだ」(モアズさん)との意見が勢いを増す一方、「強力な抗議デモが続かなければ、政府は民衆の声に耳を貸さなくなる」(会社員・29歳)との声も聞かれた。

 ◇ガマル氏が政界引退へ ムバラク大統領次男
 イスラム教の金曜礼拝に合わせた4日の大規模デモが「平穏」に終わり、事態が膠着化の様相を強める中、収拾を図る政治的な駆け引きも活発化してきた。

 AFP通信によると、与党・国民民主党(NDP)の執行委員会メンバー6人が5日、一斉に幹部職を辞任した。この中にはムバラク大統領の次男で同党ナンバー2のガマル氏も含まれている。今回の政変以前は次期大統領の有力候補とも見られたガマル氏だが、これで政界からの引退は確実で、「世襲」に反発する民衆感情に配慮した形だ。

 一方、メディアへの弾圧は続いており、中東の衛星テレビ・アルジャジーラのカイロ支局長が4日、警察に一時拘束された。

2037チバQ:2011/02/07(月) 00:15:09
http://www.asahi.com/international/update/0205/TKY201102050314.html
「異動イヤ」スーダン軍内部で銃撃戦 南部出身兵が抵抗2011年2月5日22時41分

. 【ナイロビ=古谷祐伸】スーダンから分離・独立するのが確実な南部で、兵隊同士の銃撃戦があり、4日までに20人が死亡した。北部への異動を命じられた南部出身兵が嫌がったのが、原因だという。

 スーダンには、2005年まで続いた南北内戦の名残で、北部中央政府軍と、かつて反政府勢力だった南部自治政府軍とがいる。今回の戦闘は北部軍内部で起きた。

 AP通信などによると、南北境界に近い上ナイル州マラカルで3日夜から4日朝にかけて、迫撃砲弾も飛び交う激しい銃撃戦が続いた。子ども2人や国連に勤める運転手も、巻き添えで死亡した。

 北部兵らは、和平後に組織された南北合同部隊のメンバーとして、マラカルへ派遣されていた。南部独立がほぼ確実な情勢を受けて、近く北部へ異動して、武装解除されることが決まった。ところが、異動対象者の中に南部出身者がいた。数年前までマラカル周辺で活動してきた民兵組織から、北部軍に編入された者たちだ。

 事件の報告を受けた南部軍のアグエル報道官は「彼ら(南部出身の北部兵)は、南部独立後の北部では自分の権利が脅かされると恐れて異動を嫌がり、異動の際に武器を持っていくかで口論が始まり、銃撃戦になった」と説明している。

 和平プロセスの仕上げとして実施された、南部独立をめぐる住民投票は、暫定集計の結果、98.8%が独立に賛成した。最終結果は早ければ7日に確定する。和平プロセスに基づく暫定統治期間の終わる7月に、新国家になる見通しだ。

 表向き、南北関係は良好なものになりそうだが、市民権の定義や南北境界など、南北間の交渉がもつれて解決していない問題が多い。南部出身者の間には、南部を迫害し続けた北部への不信感が根強く残っている。
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2038チバQ:2011/02/07(月) 00:20:16
http://www.afpbb.com/article/life-culture/life/2784509/6764368?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics
南アフリカ黒人新エリート層の「成金ぶり」に批判
2011年02月06日 18:28 発信地:ヨハネスブルク/南アフリカ
【2月6日 AFP】ビキニ姿のモデルの体から寿司をつまみ、シャンパンを一晩中酌み交わす─。南アフリカに新たに登場した黒人エリート層の「富の見せつけぶり」が、同国で大多数を占める貧困層のひんしゅくを買っている。

 成金文化の台頭が顕著なのは、与党アフリカ民族会議(African National Congress、ANC)などと政治的コネクションを持つ大物たちだ。

 冒頭の場面は実業家、ケニー・クネーネ(Kenny Kunene)氏が催したケープタウン(Cape Town)のクラブのオープニング・パーティーだが、この写真が週末の各紙一面を飾ると論争が巻き起こった。娯楽産業と鉱山業で身を立てたクネーネ氏は、このクラブに絡んだ詐欺で有罪を言い渡されているが、ヨハネスブルク(Johannesburg)でも同様のパーティーを何度も開いていた。

 40歳の誕生パーティーで70万ランド(約800万円)を散財したクネーネ氏に対し、ANCの支持母体である南アフリカ労働組合会議(Cosatu)のZwelinzima Vavi事務局長は、「新エリートはいかがわしい手段で財産を作ったことも多い。彼らがパーティーで富をひけらかすのを見るとむかむかする。貧困層の顔につばを吐くようなものだ」と激しく批判した。

 クネーネ被告は最初、成功した黒人男性として、自分が稼いだお金を自由に使う権利があると主張し、Vavi事務局長への公開書簡で「アパルトヘイト時代を思い出させる。黒人はこれはしてもいいが、これはしてはいけないといった具合だ。あなたは心が狭く、いまだ黒人がスポーツカーを乗り回したり、若いうちに富豪になることは罪だと思っている。そちらこそ、わたしをむかつかせる」と反論した。

 しかしそうしたパーティーに党内の有力者も参加しているANCが「中傷的で無神経、女性の品位を傷つける行為だ。こうした行為に関わっている全員に今すぐこのような行為を止めるよう求める」と声明を発表すると、クネーネ氏は謝罪を発表せざるをえなくなった。

■「黒人にも浪費する権利はある」と叫ぶ成金層

 クネーネ被告のような浪費生活と、大半の南アの黒人たちの生活はまったく対照的だ。政府は黒人の経済力強化を目指す法律を作ったが、南アの黒人の多くはいまだ貧困の中で暮らしている。

 非公式な数字だが、同国の失業率は40%という高さ。さらに南ア人種関係研究所(South African Institute for Race Relations)」が前週発表した調査結果によると、黒人の平均個人所得は白人のおよそ8分の1だ。
 
 ここへ来て南アの黒人の成金層をめぐる論争には、人種的ひねりが加わっている。派手なライフスタイルを支持する人びとは、なぜ黒人ばかりが非難されて、白人の浪費は見過ごされるのかと問う。

 例えば米国の大富豪、プレストン・ハスケル(Preston Haskell)氏は、ケープタウンの邸宅で1200万ランド(約1億4000万円)を費やして大みそかのパーティーを開いたが、世論の反発など受けてないと、クネーネ被告の事業の片腕であるゲートン・マッケンジー(Gayton McKenzie)氏は言う。「70万ランドのパーティーが貧困層の顔につばをかけていると言うのならば、1200万ランドのパーティーは頭上に爆弾だ。われわれ黒人はいまだ身の程を知れと言われているようだ」

 南アの黒人層の富の蓄積には、アパルトヘイト時代に不利な境遇に置かれていた黒人の事業を優遇する法律が一役買っている。その一方で、アパルトヘイト廃止から17年経った今も活力ある黒人中流層が生まれていないことから、ANCは批判を受けている。(c)AFP/Charlotte Plantive

2039チバQ:2011/02/07(月) 21:57:22
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110207/mds11020709040006-n1.htm
同胞団、ストを継続 銀行、商店は営業再開
2011.2.7 09:02
 【カイロ=黒沢潤】エジプトのスレイマン副大統領と改憲準備委員会設置などで合意した穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団の幹部、マフムード・エッザト氏は6日、フランス通信(AFP)に対し、カイロの中心部タハリール広場などで行っている反政府デモを今後も継続する方針を示した。

 エッザト氏は「政権側は要求の正当性を認めた。ただ(デモは)続ける必要がある」と述べた。この発言は、政権側との対話に応じながらも、批判姿勢を維持することで、政権からさらなる譲歩を引き出すのが狙いとみられる。

 一方、反政府デモを主導する市民グループ「4月6日運動」や、エルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長の支持グループなど計5つの若者グループは同日、新グループ「若者の怒りの革命連合」を結成したことを明らかにした。

 同連合は、(1)ムバラク大統領の即時退陣(2)1981年に発令されたままの非常事態令の即時解除(3)上下両院の解散と選挙日の早期決定−など、計7項目を実現するよう政権側に求めた。

 エジプト国内では同日、銀行の一部支店が約1週間ぶりに営業を始めた。警官多数が警戒にあたるなか、大勢の預金者がお金を引き出そうと長蛇の列をなした。

 カイロ市内では、レストランや商店など騒乱時に閉まっていた店舗が営業を再開しはじめ、1月25日の騒乱前の日常生活が徐々に戻りつつある。

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110205/mds11020523370020-n1.htm
エジプト国民に“厭戦気分”も
2011.2.5 23:32

5日、エジプト・カイロのタハリール広場で眠る反政府デモ参加者(AP=共同)
 【カイロ=黒沢潤】エジプトの首都カイロのタハリール広場で4日行われた大規模デモ「追放の金曜日」で、ムバラク大統領を「即時辞任」に追い込むことができなかった反ムバラク派は5日も数千人を動員し、気勢を上げた。エジプト国民は自国の民主化実現を望むとはいえ、麻痺(まひ)した日常生活を早く取り戻したい事情に加え、大統領がいずれは退陣すると表明しており、“厭戦(えんせん)気分”も漂い始めている。

 「ファラオ(大統領)はなかなかしぶとい。辞めるまで最低2、3カ月はかかるだろう」。反政府デモに参加したアブドル・エルワハブさん(24)はそう語り、長期戦への覚悟を見せた。

 ただ、「平穏な日常」を渇望する庶民の間では、早期の事態収拾を望む声も静かに広まりつつある。

 「脱獄囚3千人が市内を徘徊(はいかい)している」「短銃やナイフ、鉄棒、ヌンチャクで身を固めた自警団ですら一般市民に襲い掛かる」。こんな真偽不明の情報が飛び交い、外国人記者さえも襲撃対象となるカイロでは、「平和時の治安が欲しい」=アフマド・アルアルマン医師(25)=というのが庶民一般に共通する思いだ。

 観光地ピラミッドのある母国への旅行者が激減し、ホテルには「閉鎖に追い込まれた所もある」(旅行業者)。夜間外出禁止令の開始間際にあわててタクシーに乗れば、「2倍の料金を請求される」=警備員(40)ことも頻発するだけに、庶民は民主化要求には共鳴しつつも早く異常生活から逃れたいと思っているようだ。

 大統領は今秋までの退陣を表明していることもあり、雑貨店勤務のイスマイルさん(35)は「6カ月待てば辞めると言ってるのに。政治混乱を招くだけ…」と、デモが続くことに懐疑的だ。

 ムバラク大統領は2日、これまで遮断していたインターネットを復旧させた。ネット上では今、大統領批判もわき起こるが、大統領は意に介さず逆に自信を示すかのように、こうした批判を放置している。

 広場に陣取る反ムバラク派はなおも大統領を追い込むことに必死だが、その背後で疲労感を募らせている庶民との距離が広がる可能性も否めない。

2040チバQ:2011/02/07(月) 22:00:41
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020702000033.html
セルビアで反政府デモ 首都に7万人
2011年2月7日 朝刊

 【ロンドン=松井学】セルビアの首都ベオグラードで五日、野党で穏健派民族主義のセルビア進歩党支持者ら約七万人が国会前で反政府デモを繰り広げ、来年五月に予定する総選挙を二カ月以内に前倒しで実施するよう求めた。失業者の増加や物価の高騰による貧困が背景にあり、チュニジアやエジプトの反政府デモに突き動かされ、過去数年で最大規模のデモに発展した。ロイター通信などが伝えた。

 デモを呼び掛けたニコリッチ党首は「エジプトやチュニジアの国民は自分たちの声を政府にぶつけた。セルビアも失政への我慢は限界だ」と強調。さらに別の野党の指導者は「選挙で政権を交代させよう」と訴えた。

 政府側は約一万人の警官隊を動員して警備に当たったが、目立った衝突はなかった。

 セルビアは親欧州のタディッチ大統領が欧州連合(EU)加盟を目指し経済改革を掲げたが、二〇〇八年の金融危機などで経済は低迷したままだ。この日のデモには、失業者や賃上げを求める公務員らが多数加わった。

2041チバQ:2011/02/07(月) 22:01:02
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020702000034.html
ピラミッド、土産店、博物館… 観光スポット 閑散
2011年2月7日 朝刊

6日、門が閉じられたエジプト・ギザのピラミッド前で、観光客が来ないことを嘆くラクダの客引きら=弓削雅人撮影


 【カイロ=弓削雅人、清水俊郎】混乱が続くエジプトで、ムバラク大統領(82)の即刻退陣を求めるデモは6日も続いたが、事態の収拾を切に願う人も多く、特に主要産業の観光に携わる人たちにはその思いが強い。騒乱の巻き添えになるのを恐れ外国人旅行者が続々と出国した今、閑散とした観光スポットで悲鳴を上げている。

 「商売あがったりだよ」。首都カイロから車で約三十分。ふだんなら朝からごった返すギザのピラミッドの門前広場は六日昼、静まり返っていた。観光客を乗せるラクダを連れて立っていたハッサンさん(19)は「客が来ない」と、記者に強い口調で訴えた。

 デモが激化した先月下旬からピラミッドに通じる道は閉鎖。兵士と装甲車が不審者を警戒している。知らずにリュックサックを背負ってやって来たドイツ人男性(24)が、固く閉じた鉄格子の門とその先のピラミッドを恨めしげに見つめていた。

 ツタンカーメン王の黄金のマスクで知られるカイロ中心部のエジプト考古学博物館も閉じたまま。宗教財産省の広報担当ネビンさんは「再び開館できる時期は未定」と話す。先月二十八日にデモに乗じた暴徒約千人が侵入、黄金のマスクは無事だったが、古代の彫刻やつぼなど七十点が破壊された。

 翌日から軍が門前に戦車を配置。デモ中心地タハリール広場の間近にあり、観光客が近寄るのは難しい。

 「広場に居座る連中は神を畏れよ。(社会の混乱で)人々が家族を養えなくなっている」と訴えるのは、カイロの観光市場ハーン・ハリーリの土産物店で働くアシュラフさん(39)。スフィンクスの置物や古代エジプトの神々の絵などを売る店がずらりと並ぶ市場だが、デモが始まって以来、ほぼすべての店がシャッターを下ろした。

 「店の家賃だけでも毎月五万エジプトポンド(約七十万円)かかる。このままだと店をたたむしかない」と話すのは、同じ市場の高級貴金属店主アイマンさん(33)。「デモが終わったら戻ってくるよう日本人に伝えておくれよ。安くするからさ」

 スレイマン副大統領は四日、混乱による経済的損失は「観光業だけで十億ドル(約八百二十一億円)に上る」と国営テレビで説明。デモ隊に自宅に戻るよう呼び掛けた。

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2043チバQ:2011/02/08(火) 22:55:01
http://mainichi.jp/select/world/news/20110208ddm007030128000c.html
スーダン:南部、7月独立 親米非イスラム国家誕生 地域不安定化も
 圧倒的賛成で分離独立を確定させた南部スーダン。7月の独立は周辺地域や国際社会にどんな影響を与えるのか、分析した。【服部正法】

 ◇「親イスラエル」
 イスラム原理主義的な北部・中央政府のバシル政権は90年代、国際テロ組織アルカイダによる国内の拠点化を容認したとされ、米国はスーダンをテロ支援国家に指定し経済制裁も科してきた。バシル政権と対立を深める中、米国はキリスト教徒などが主体の南部寄りの姿勢を強化した。

 バシル大統領は昨年12月、南部独立の場合、北部でシャリア(イスラム法)に基づく憲法改正を行う意向を明言した。栗田禎子・千葉大教授(中東・アフリカ現代史)は「米国は数年後、イスラム原理主義を強める北部に『テロとの戦い』を名目に締め付けを強め、対立が鮮明になるかもしれない」と指摘する。

 また、南部独立後の国家運営も担う政治組織「スーダン人民解放運動」(SPLM)は、主にアラブ側からイスラエルとの協力関係が指摘されていた。「この地域に親米・親イスラエル国家が誕生し、アラブ諸国を挟み撃ちする構図ができることも考えられ、地域の不安定化をもたらす可能性はある」と分析する。

 ◇軍事国家の懸念
 SPLMは、北部・中央政府と戦ってきた武装組織「スーダン人民解放軍」(SPLA)が母体。「軍事的な色彩が強く、権威主義的な体質がある」(SPLMに詳しい情報筋)と言われ、行政手腕を疑問視し、軍事独裁化の危険性を指摘する声も少なくない。「エリトリアのようにならないか」。中央政府に近いある関係者は憂慮する。エリトリアは約30年の独立闘争の末、住民投票を経て93年にエチオピアから独立したが、ゲリラ組織が改組した政党の主導の下、国政選挙を行わないまま領土紛争などで周辺国とのあつれきを起こしている。

 ◇分離独立加速か
 国内に多民族を抱え、植民地支配の線引きで同民族が国境で分断される事例も少なくないアフリカでは、各国は分離の動きが波及することを恐れている。一方、ソマリア北西部で独立宣言し、事実上民主的統治を続けるソマリランド共和国では、シランヨ大統領が英誌に「スーダン南部ができるなら、ソマリランド独立(承認)への扉も開かれるべきだ」と述べた。各国で分離独立を求める声が顕在化する可能性もある。


http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19440620110208
スーダン南部の独立確定、石油利権の分配がカギに
2011年 02月 8日 11:21 JST
 [ハルツーム 7日 ロイター] スーダン南部の分離独立の是非を問う住民投票の最終結果が7日発表され、98.83%という圧倒的大多数による賛成で独立が確定した。これにより、アフリカで54番目の国家が生まれることになった。
 スーダン南部の中心都市ジュバでは、広場に並んだテレビの列を前に、独立確定が発表されると住民らがダンスを踊り、旗を振るなどして喜びを爆発させた。当局者によると正式な国名は未定だが、「南スーダン」になる可能性があるという。

 豊富な原油埋蔵量を抱える南部が独立すれば、南北間の対立が再燃するとの懸念もあったが、スーダンのバシル大統領は、住民投票の結果を受け入れると表明。また、南部自治政府のキール大統領も、国際社会からの制裁解除や対外債務支払い免除に向けて北部と協力する意向を明らかにし、融和ムードを強調した。

 しかし、南北スーダン間には依然、石油利権の分配をめぐる協議など未解決の問題も多く、地域の経済的・政治的な安定に向かうかどうかは不透明な要素も残されている。

2044チバQ:2011/02/08(火) 22:55:28
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110209k0000m030062000c.html
仏外相:チュニジアで休暇…前大統領一族が便宜 辞任危機
 【パリ福原直樹】フランスのアリヨマリ外相が昨年末、民主化デモで揺れるチュニジアで休暇を取った際、ベンアリ前大統領=サウジアラビアへ亡命=の一族が経営する航空会社の豪華小型ジェット機で旅行をしていたことが判明、仏野党が辞任を求める事態になっている。外相は当初「乗ったのは1回、20分だけ」と弁明したが、その後、同機で観光地と首都を2往復したことがわかり、批判が加速している。外相は7日、謝罪した。

 仏政府高官によると、外相は年末、両親や恋人と休暇を過ごした際、小型ジェット機を無料で使用。反政府デモが行われたチュニジア上空を飛び、同国の2観光地に赴いた。同機の使用はベンアリ前大統領に近い実業家が提案した。仏紙によると、同機は前大統領の一族が経営する航空会社の所属だったともいう。

 複数の閣僚関係者は毎日新聞に「対応がまずい」と述べており、「外相の辞任は時間の問題」(社会党幹部)との見方も出始めている。

2045チバQ:2011/02/08(火) 23:04:27
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020802000176.html
催涙弾対策にオレンジ
2011年2月8日 夕刊

7日、カイロのタハリール広場で、オレンジを手に反大統領派デモに参加する男性=清水俊郎撮影


 【カイロ=清水俊郎】エジプトの反大統領派のデモの中心地となっているカイロのタハリール広場で、果物のオレンジがひそかな人気だ。警官隊の催涙弾に見舞われた際、皮を鼻にあててかぐと、目と鼻の激しい痛みを和らげるとの情報が広まっている。

 「オレンジの皮のアルカリ成分が催涙ガスの酸性を中和する」と保証するのは、エジプト国立調査センターの化学者ユーセフさん。「タマネギの方が効果は大きいが、オレンジも役立つ」という。

 「食料にもなるからね」。七日夕、十数個入りの袋を抱えて広場に入ったのは、徹夜組の通訳業アフマッドさん(33)。

 大学生サードさん(24)は「いざという時のために」とポケットに一個入れている。

 一連のデモが始まった先月下旬、警官隊が無差別に撃ち込んでくる催涙弾とそのガスから連日逃げ回った。走りながらオレンジの皮をちぎり、周囲の人たちと分け合った。先週末から当局や大統領派との衝突が治まっているが、ツーンとした痛みの記憶が生々しい。

 「おそらく紛争の多いパレスチナからインターネットで若者に広まった情報だ」と推測するのは、広場にいた別の男性(37)。カイロ市内の眼科医シリーフさん(45)は「コーラを染み込ませた布も効く」と知人に勧めている。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020802000177.html
エジプト当局 「デモ隊の象徴」解放
2011年2月8日 夕刊

 【カイロ=内田康】エジプトで続く大規模な反大統領派デモで、AFP通信は七日、当局に拘束されていたインターネット検索最大手の米グーグル現地責任者のエジプト人男性が解放されたと伝えた。男性は一月二十八日、カイロ中心部タハリール広場で反政府デモに参加中に拘束され、米紙ウォールストリート・ジャーナル(電子版)によると「デモ隊の象徴的存在になっていた」という。

 AFPによると、男性は中東・北アフリカ地区営業責任者ワエル・ゴニム氏。解放後、ムバラク大統領(82)の即時退陣を求めるデモが続くタハリール広場へ再び向かった。

 本紙の取材に応じたゴニム氏の知人によると、同氏はネットを通じて、一月二十五日に始まった大規模デモへの参加を呼び掛けていた。北部アレクサンドリアで昨年起きた、警察官の一般市民に対する暴行疑惑事件を批判するウェブサイトも運営。米紙はネットを活用した反政府活動で重要な役割を担った可能性を指摘している。

 ゴニム氏が一月下旬に行方不明になった際には、グーグルが捜索への協力を求めたほか、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルも、拷問を受けている可能性があると警告していた。

 一方、エジプト政府は七日に開いた新内閣の初閣議で、公務員給与を四月から15%引き上げることを決めた。

 年金拡充のため、約六十五億エジプトポンド(約九百億円)も新たに投入する。エジプトの公務員は労働人口の一割だが、現業部門の給与は民間に比べて著しく低い。貧富の格差への不満を和らげる狙いがある。

2046チバQ:2011/02/08(火) 23:05:04
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011020802000028.html
エジプト 即時辞任に憲法の壁
2011年2月8日 朝刊

 【カイロ=内田康】エジプトの野党勢力が六日、スレイマン副大統領(75)との協議を始めたのは、ムバラク大統領(82)が辞任すると、憲法の制約により次期大統領選までに憲法改正ができず、民主的な選挙が実現しないことも理由だ。政府と野党の協議の争点は事実上、ムバラク大統領本人に憲法改正を発議させるかどうかに移りつつある。

 憲法八四条は、辞職や死亡で大統領職が空席になった場合、人民議会(国会)議長が代行し、二カ月以内に新大統領を選ぶと規定。

 一方で一八九条は、憲法改正には国会での議論に二カ月を超す期間を求め、国民投票も必要。立候補要件などの規定を改正した上で民主的な大統領選を実施するのは日程上、不可能だ。

 憲法改正案を発議できるのは大統領か、与党国民民主党(NDP)が圧倒的多数を占める人民議会。野党からは、発議をスレイマン副大統領に委ねる案が出ている。デモ隊が憎む大統領とNDPから発議権を奪えば、「旧体制は事実上、死んだ」とデモ隊を説得できる、と考えているからだ。

 野党側は「大統領は、副大統領の権限を定めることができる」と規定した一三九条を根拠に発議権の副大統領への移譲を訴えるが、ムバラク大統領に民主化を主導する花道を飾らせたい政府は、これを拒否。大統領が病気などで一時的に職務遂行が不可能になった場合に職務を代行する副大統領の権限を定めた八二条が「憲法改正発議はできない」と規定していることが論拠だ。

 一方、デモ隊が訴えるムバラク大統領の国外追放によっても、憲法改正を経た民主的な選挙は法的に可能だ。

 大統領が身の危険を感じ、辞表を提出しないまま国外脱出した場合、「正式な辞職ではなく一時的な職務不能状態と解される」(カイロ大のダルウィシュ教授=憲法学)。八四条の「二カ月以内の選挙」は必要なく、憲法を改正して九月の任期切れを待てばいい。

 ただ憲法改正の発議は、八二条によって副大統領には禁じられている。反大統領派には、信用の置けないNDPが多数を占める議会に発議を委ねざるを得ないジレンマが残る。

2047チバQ:2011/02/08(火) 23:07:10
http://mainichi.jp/select/world/news/20110208ddm007030193000c.html
エジプト:政府・野党、残る火種 暫定合意、思惑に隔たり
 【カイロ樋口直樹】エジプト政府は6日、事実上の最大野党・穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」を含む野党勢力との初協議を受け、暫定的な「合意点」を発表した。憲法改正委員会の設置など平和的な政権移行に向けた枠組みは決まったものの、政府、野党側それぞれが求める具体像には大きな隔たりがある。

 ◇憲法改正
 憲法改正の最大の焦点は、9月の次期大統領選に向けた立候補条件の見直しだ。

 これまでは(1)人民議会(国会、定数518)と諮問評議会(大統領の助言機関、同264)でそれぞれ3%以上の議席を持つ、結党5年以上の政党に所属し、党幹部を1年以上経験した者(2)人民議会、諮問評議会、県議会の議員250人以上の推薦を得た者−−に限られていた。

 (1)の条件を満たす政党は、ムバラク大統領率いる巨大与党・国民民主党のみ。無所属の候補希望者が議会でこれほど多数の推薦人を集めることは事実上不可能だ。

 こうした立候補要件がムバラク氏の5選を支えてきた。

 07年に政党からの立候補条件は緩和されたが、野党側は一層の緩和を求めている。政権側も見直しに応じる姿勢だが、具体的な内容は示されなかった。

 大統領への一方的な議会解散権の付与▽裁判官による選挙監視制度の制限▽令状なしでの盗聴などを可能にする反テロ規定−−などの見直しも今後の議論の対象になり得る。

 ◇非常事態令
 81年のサダト大統領暗殺事件で発令され、人権侵害の強権政治を支えた非常事態令について、政権側は「治安状況に応じて解除する」ことを確認した。いわば条件付きの解除で、無条件廃止を求める野党側の要求とは依然隔たりがある。

 54年に非合法化されたムスリム同胞団の扱いも注目される。宗教政党の活動は憲法で禁じられているが、政権側は同胞団を無視できない状況に追い込まれているからだ。

 政権側から同胞団に対し、政府との協議に応じることを条件に、合法化の可能性が示されたとの情報がある。ただ、米国や他の野党勢力の中にもイスラム勢力の伸長を懸念する声は少なくない。

 05年の人民議会選挙で88人の系列候補を当選させながら、昨年の総選挙で惨敗した同胞団は、選挙に不正があったとして裁判所に不服を申し立てている。政権側は裁判所の判断を待って結果の見直しなどに応じる姿勢だが、同胞団側は議会の解散と再選挙の実施を求めている。

 ◇政権移行
 最大の対立点は大統領の処遇。政権側は「ムバラク氏が次期大統領選に出馬しない」ことで合意したと発表したが、野党側は即時辞任を求める構えだ。

 次期大統領選までの政権移行を巡っても、スレイマン副大統領を軸に憲法改正などを進めたい政権側に対し、野党側は公正な移行を疑問視。エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長は、1年の移行期間を設け、委員3人の中立的機関で大統領選に備えるよう提案している。

2048チバQ:2011/02/08(火) 23:08:15
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110208/mds11020800110004-n1.htm
ムスリム同胞団 拭えぬ秘密結社のイメージ
2011.2.8 00:09 (1/2ページ)

6日、カイロで行われたムスリム同胞団を含む野党勢力などとスレイマン副大統領(右端)の協議(AP)
 【カイロ=黒沢潤】エジプトのスレイマン副大統領との対話を始めた穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団は、今後も反政府デモを継続する姿勢を崩していない。政権との“駆け引き”のほか、政治が変革期に入る中で、政権側との距離の取り方を模索している面もありそうだ。エジプトに根を張る同胞団とは、どんな組織なのか。

 同胞団は1928年、イスラム復興を目指す中学教師、ハサン・バンナーによって創設された。教育や医療、福祉などに力を注ぎ、40年代後半にはエジプト最大の政治結社に成長。52年の自由将校団クーデターに至る社会情勢を醸成したが、ナセル大統領への「暗殺未遂事件」を機に54年に非合法化された。

 後継のサダト大統領は非合法のまま、政敵の左派に対抗させるため、同胞団の活動を事実上、解禁。ムバラク大統領も踏襲した。インテリや貧困層を中心に広く浸透しているとされ、2005年の人民議会(下院に相当)選では無所属候補を擁立し88人が当選、事実上の最大野党となった。

 ただ昨年の前回選では、米国からの民主化圧力が低下したこともあり、政権側は同胞団関係者を大量拘束。これを受け同胞団は決選投票をボイコットした。

 「公正な大統領選実施に向けた憲法改正が必要だ」。最高指導者ムハンマド・バディーア氏が今月1日の声明で、自組織の存在感を国民に対して自信を持って訴えたのは、選挙で躍進した05年、結社の自由や、選挙を通じた立憲議会制度実現などの方針を発表、現実路線への転換を内外に強調していたからだ。

 同胞団は1950年代までの一時期に行った武装闘争と完全に縁を切ったとしている。ただ、「秘密結社のイメージ」(専門家)が拭えないことや、パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム原理主義組織ハマスなど多くの過激派組織の源流であることなどは、今も庶民の「同胞団アレルギー」につながっているのは間違いない。

 2007年には、政策綱領案がリークされ、そこに「キリスト教徒や女性は大統領と首相に就任できない」などとする文言があったことが問題視された。同胞団はその後、綱領案を“お蔵入り”させ、昨年の人民議会選ではより穏健さを際立たせた公約集を発表した。

 それでも政権側にはなお、綱領案で示された思想が、同胞団の伸長に伴って社会に浸透していくことへの警戒感が強いのが実情だ。

2049チバQ:2011/02/08(火) 23:12:35
http://www.asahi.com/international/reuters/RTR201102080084.html
焦点:エジプト政局に潮流変化、ムバラク政権は当面延命か2011年2月8日

. [カイロ 7日 ロイター] エジプトのムバラク大統領は、少なくとも当面は窮地を脱したのかもしれない。即時辞任を求めるデモ行動は続いており、今後もさまざまな展開が予想されるエジプト政局だが、とりあえずは威厳ある存在感を何とか保った格好だ。

 現在82歳のムバラク大統領は、国民向け演説を2回行ったり新内閣の閣議を開催したりと絶え間なく国営テレビに登場し、権力を掌握している大統領像を繰り返し示している。政府が行ったムスリム同胞団など野党勢力との協議も、ムバラク大統領の巨大な肖像画が見守る中で行われた。

 ムバラク大統領は、自身の功績に疑問を持つそぶりさえ見せず自信に満ちあふれており、エジプトの治安と安定を守り国民のために尽くす、優しく疲れ知らずの指導者としてふるまっている。自身が辞任すれば国は大混乱に陥るとも語っている。

 過去2週間続く反政府デモは、ムバラク大統領の30年にわたる独裁体制を動かし、前例のない妥協案を引き出させた。しかし、反体制派が根強く要求するムバラク大統領の即時辞任の実現は、まだ先のことになりそうだ。

 政府は差し当たり、再び優勢に立っているように見える。変化のペースをコントロールし、エジプトの将来を話し合う協議に野党勢力を招き入れている。政府は、スレイマン副大統領の主導で6日に行った野党勢力との1回目の協議後に声明を発表し、ムバラク大統領の退陣の日程を政府がコントロールする意向をはっきりと示した。

 中東問題アナリストのラミ・コウリ氏は「ムバラク大統領は差し迫った嵐をやり過ごした。しかし深い痛手を負っている」と指摘。「依然として権力の座にあるが、弱まっている。政権は倒れてはいないが、間違いなく揺らいだ」とし、向こう数カ月のうちに退陣圧力が抵抗できないほど強まれば、表舞台を去る口実として健康問題が使われる可能性があるとの見方を示した。

 <深い傷>

 協議にも携わったアルアハラム政治戦略研究所のAmr Elchoubaki氏は「政権は生き残りと存続を図るための措置を講じているが、政治体制の中では大統領がもっと弱い部分だ」と語る。

 専門家らは、辞任に追い込まれたチュニジアのベンアリ前大統領とムバラク大統領の違いは、大統領自身の能力ではなく、軍部からの強い支持を確保していることだと指摘する。

 ムバラク大統領は9月の次期大統領選への不出馬を明らかにし、30年に及ぶ在任期間中で初めて副大統領を指名。次男のガマル・ムバラク氏も後継候補から外れた。

 こうした動きは、これまで反体制派の要求をほぼ黙殺してきた政府の大きな譲歩と言える。強硬的な反体制派はムバラク大統領の居座りを拒んでいるが、一部の現実路線派からは、せめてスレイマン副大統領に権限を委譲するよう求める声も出始めている。

 コウリ氏は「反政府デモは体制に重要なメッセージを送り、政権は大幅な譲歩を見せたが、それも統制の範囲内だった。当局は、自分たちが運転席にいられる限り譲歩に前向きであることを示した」としている。

 <潮流の変化>

 「ナイル革命」ともよばれる今回のエジプト騒乱で情勢に変化が現れたのは、野党勢力が一枚岩ではなく、共通の基盤を持っていないことが一因。ムバラク大統領に対する辞任要求さえ、もはや以前ほど足並みはそろっていない。

 また野党勢力の一部からは、硬直化した政治システムを変えるために必要な複雑な憲法改正には、ムバラク大統領の存在が不可欠だとの声も聞かれる。政府との協議は、スレイマン副大統領のもとで自由で公正な選挙ができるかという点で、憲法上すぐに行き詰まる可能性がある。副大統領は権限を委譲されたとしても議会を解散できないなど制限があるからだ。

 政府との協議にも関係した政治専門家は、匿名を条件に「今われわれの前にあるのは、1月25日以後のエジプトの新たな現実だ。問題はどれだけ早く選挙に向けて動けるかだ」と指摘。「全員が合意できる大統領選挙を行うため、選挙のためのプロセスとして憲法改正か新憲法が必要だ」と述べた。

 しかし、こうした議論は何カ月もかかる可能性があるため、政府側の思うつぼで、ムバラク大統領の9月までの任期を確かなものとする。ムバラク政権が延命すれば、変化を求めるエジプト市民の間には不穏な空気が再び強まり、反政府デモに戻る者が大勢出てくるかもしれない。

 (ロイターニュース 原文:Samia Nakhoul、翻訳:宮井 伸明、編集:植竹 知子)

2050チバQ:2011/02/08(火) 23:15:59
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110208/mds11020813470014-n1.htm
ベドウィン系部族、ヨルダン国王に改革要求
2011.2.8 13:44
 AP通信によると、ヨルダンの主要なベドウィン系部族の36人が7日、アブドラ国王に書簡を送り、下院の解散や新内閣の任命などを要求、放置しておくと「遅かれ早かれチュニジアやエジプトのような洪水に直面する」と警告した。

 ベドウィン系部族は伝統的に国王支持派。イスラム勢力だけでなく、国民の幅広い層が政権に不満を抱いている実態が浮き彫りになった形だ。

 書簡は他に、国王派に有利な選挙法を改正することや、国王が首相任免権を放棄することなどの政治改革を要求。また、官僚の間にはびこる汚職に加え、ラニア王妃の浪費癖や政治への口出しにも苦言を呈した。(共同)

2051チバQ:2011/02/09(水) 22:19:28
>>2044
http://mainichi.jp/select/world/news/20110209dde007030012000c.html
フランス:首相はエジプトから便宜 年末年始に「丸抱え」ナイル観光 野党は辞任要求
 【パリ福原直樹】フランスのフィヨン首相がエジプトで年末年始の休暇を取った際、同国政府丸抱えの接待を受けたことが8日分かった。仏では外相も年末にチュニジアで休暇を取った際、1月の政変で国を追われたベンアリ前大統領の関係会社から便宜供与を受けていたことが判明したばかり。アラブ諸国の強権的な体制との「癒着」ともとれる閣僚の行動に、サルコジ政権は大きな打撃を受けている。野党は首相、外相の辞任を求めている。

 仏首相府によると、首相とその家族は12月26日〜1月2日、ナイル川沿いの観光地に滞在。宿泊費のほか、付近への小旅行で使った航空機や船舶の代金もエジプト側が負担した。この間、首相はムバラク大統領とも会談している。エジプトまでの往復航空賃は首相が負担したという。

 野党第1党・社会党幹部は毎日新聞に「(首相と外相の行動は)政府が腐敗している証拠だ」と批判した。


毎日新聞 2011年2月9日 東京夕刊

2052チバQ:2011/02/09(水) 22:45:17
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110209-OYT1T00945.htm
エジプト大規模デモ「顔」はグーグル地域幹部




. 【カイロ=新居益】ムバラク大統領の辞任要求デモが続くエジプトで、インターネット検索大手グーグル社の中東・北アフリカ地域幹部ワエル・ゴニム氏(30)が、デモの新しい「顔」として注目されている。

 カイロのタハリール広場では8日、デモ参加者が数十万人規模に達したが、息切れしつつあるかに見えたデモが再び膨れ上がったのもゴニム氏のテレビインタビューがきっかけだった。

 ゴニム氏は1月25日に始まったデモをネット上で呼びかけた一人。27日に当局に拘束され、2月7日に釈放された。釈放直後、エジプトの民間テレビ局の人気報道番組に出演し、約15分間のインタビューに応じた。

 ゴニム氏は、デモについて「インターネット世代の若者による革命だ」と言い切り、デモで犠牲になった若者の写真が映し出されると、「息子を失った父や母一人ひとりに言いたい。とても残念だ。しかし、これは我々ではなく、権力にいる者の責任だ」と話し、机に突っ伏して泣いた。

 番組は視聴者の共感を呼び、ユーチューブに転載され、数十万人が視聴した。タハリール広場の集会では、参加者の多くがテレビやネットで見たゴニム氏に触発されたと話した。

(2011年2月9日21時54分 読売新聞)

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPJAPAN-19467520110209
再送:エジプトで解放のグーグル幹部、TVインタビューで涙
2011年 02月 9日 16:26 JST
 [カイロ 8日 ロイター] エジプト当局に12日間にわたり身柄を拘束されていた米グーグル(GOOG.O: 株価, 企業情報, レポート)幹部のワエル・ゴニム氏が7日、エジプトでテレビのインタビューに応じた。反政府デモで多数の若者が死亡したことに涙を見せ、デモ参加者は「良心に従って行動しているだけだ」と強調した。
 グーグルで中東・北アフリカ地域担当マーケティング部門責任者を務める同氏は、1月27日にカイロで私服姿の男3人によって当局の取り調べを受けるため連行され、7日に解放された。拘束中は目隠しをされており、反政府デモに関する報道の確認や家族への連絡は禁じられていたという。

 ゴニム氏は生中継されたインタビューで、拘束中にデモで約300人が死亡したことを聞くと涙を流し、「われわれは何も間違ったことはしていない」と強調。また、言論の自由がない現在のシステムを壊すべきだと語った。活動家らは、ゴニム氏がインタビューで泣く姿は、反省の意を見せないムバラク大統領と対照的だと指摘している。

 同氏は8日にタハリール広場で行われた反政府デモに参加した後、ロイターに対し「エジプトでは若者が命を落としている。大統領は市民の要求を受け入れる責任がある」と述べた。

 ゴニム氏のインタビュー放映から2時間後、エジプトのウェブサイトMasrawy.comには、「ゴニム氏の涙は何百万人もの国民の心を動かし、彼らの政府に対する考え方を変えた」とのコメントが掲載された。

 また、会員制交流サイト「フェイスブック」では、ゴニム氏を支持するユーザーが瞬く間に7万人規模にまで拡大。あるユーザーは「ムバラク支持派も200人ほど知っているが、ワエル・ゴニムのインタビューを見て、国内メディアのうそを知ってしまった今はタハリールに向かうだろう」と書き込んだ。

 一方、エジプトの国営メディアは反政府デモ参加者について、首都カイロ中心部のタハリール広場を封鎖し、国内経済に悪影響を与えていると報道。政府側も、一連のデモは経済回復を停滞させていると非難している。

2053チバQ:2011/02/09(水) 22:47:51
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110209/mds11020920520008-n1.htm
改革進めればデモ拡大 ムバラクのジレンマ
2011.2.9 20:51

8日、カイロ市中心部のタハリール広場で、お面をかぶりながらデモに参加する反ムバラク派の市民ら。政権がデモ隊に一定の理解を示したことで、参加自体を楽しむ雰囲気も漂っている(AP)
 【カイロ=大内清】エジプトの首都カイロ中心部タハリール広場のデモは8日夕から夜にかけて数十万人が集まり、過去最大規模となった。大きな混乱はなく、今のところ政権へのダメージは小さいとみられるが、数十万人が集結した事実を重くみる米欧などがムバラク大統領への辞任圧力を強める可能性もある。政権側が一定の範囲内でデモを許容する融和姿勢をみせたことが、多くの市民の参加を促した側面もあり、政権はジレンマに陥っている。

 なおも夜間外出禁止令が続くカイロ。それでも市民はいま、かつてない「自由」を謳歌(おうか)している。

 「タハリールなら好きなことが言えるでしょう」。市内に住む会社員女性(36)はこう声を弾ませる。

 8日にスレイマン副大統領自身がテレビ演説で、デモ隊を「犯罪者として扱うことはない」などと述べたことも市民の安心感を後押しし、多くが仕事帰りにタハリール広場に立ち寄っている。

 混乱の影響で経済活動がストップした1週間前に比べ、現在のデモが平和的なのは、多くの市民に日常生活を犠牲にはできないとの思いがあるからだ。

 一方、デモの“核”となる広場中央には、若者中心のグループ「4月6日運動」や、非合法のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団が設置したテントが並び、同胞団の医師による臨時診療所もできた。広場にはデモ隊メンバーが次々と食料を運び込んでいる。

 デモを主導する「正義と自由の若者運動」のハーリド・サイエド氏(27)は「ムバラクが辞任しても、(憲法改正や公正な選挙の実現など)すべての要求が受け入れられるまで何カ月でも座り込む」と息巻く。日常生活の合間にデモに参加する市民とは明らかに温度差がある。

 だが、こうした「強硬派」の意見はメディアを通じて増幅され、デモ全体を代弁しているかのような印象を作り出しているのも事実だ。

 政府が公務員給与引き上げを発表したのを受け、広場では民間労働者による賃上げ要求デモも相次ぎ始めた。

 従来の強権的な対応をとることは火に油を注ぐ結果となりかねないだけに、ムバラク氏は現在、徐々にながらも改革を打ち出す姿勢を示してはいる。だが、それによって政府がさらに追い詰められる可能性があることも否定できない。

2054チバQ:2011/02/09(水) 22:49:30
http://mainichi.jp/select/world/news/20110210k0000m030046000c.html
エジプト:大統領候補は立てず ムスリム同胞団幹部語る

【カイロ和田浩明】エジプトの穏健派イスラム原理主義組織で、非合法ながら事実上の最大野党勢力である「ムスリム同胞団」の幹部ムハンマド・カタニ氏(58)は9日、毎日新聞の電話取材に応じ、次期大統領選挙に候補者を立てず、将来的にも政権に参加しないことを同胞団が組織決定したと明らかにした。6日に始まった政府との対話についても、継続するかどうかを検討中だと述べた。

 カタニ氏は同胞団執行部メンバーで、与党国民民主党(NDP)が圧勝し、同胞団が事実上全議席を失った昨年11月の人民議会(国会)選挙まで、議員団の代表を務めた。

 大統領選に候補を出さず政権参加しない理由についてカタニ氏は「我々の目的は(選挙で)与党側と戦うことではなく、危機にあるエジプトを改革することだ」と説明した。権力奪取を図っている姿勢を控えることで、政権側の批判をかわす意図もあるとみられる。

 立候補要件が厳しい現行の憲法規定では、NDP以外に候補者を出すのは困難とみられる。ただ、政権側は反政府デモ参加者らの強い要求を受けて、要件緩和を含めた改正を受け入れる姿勢を提案。8日に設置された改憲委員会は、3月第1週にも草案を提示する予定だ。

 カタニ氏は同委について「我々にも参加する権利がある」と主張し、政権側が一方的に人選を行ったことに不満を表明した。

 政権側との対話に参加した理由については、「我々と国民の要求を伝えることが主目的だった」と説明。対話継続の是非について「今後数日間で誠意ある対応が見られるかだ」と述べ、検討中であることを示唆した。

 ムバラク大統領に関しては「即時退陣すべきだ」と、これまでの主張を繰り返した。

 野党勢力の中で最も高い組織力を持つムスリム同胞団が、大統領選や政権参加に現時点で距離を置くのは、同胞団を弾圧してきた与党の主導で政治プロセスが進むことへの警戒感があり、組織防衛に配慮しているためとみられる。

2055チバQ:2011/02/10(木) 21:31:17
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110210-OYT1T00963.htm
改革迫る米国、「押しつけ」とエジプト反発

中東
 【ワシントン支局】ギブス米大統領報道官は9日の記者会見で、エジプトの政権移行に向けた改革努力は「国民が求める最低限に達していない」と批判した。


 これに先立ち、エジプトのアブルゲイト外相は同日、米公共放送(PBS)とのインタビューで、米国の改革要求に対し、「押しつけだ」と反発しており、双方の応酬が激しくなっている。

 エジプトに対しては8日、バイデン米副大統領が、非常事態の即時解除など4項目の実施を求めていた。アブルゲイト外相はこの後、インタビューに出演し、「我々は既に改革を始めている。徐々に順序を追って行う」と主張、米政権へのいらだちをあらわにした。

 一方、ギブス報道官は、改革に進展がなければ「カイロなどで起きている(反体制デモなどの)光景が続くだろう」と指摘した。

(2011年2月10日20時56分 読売新聞)

2056チバQ:2011/02/11(金) 01:31:11
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011021001000980.html
ムバラク大統領、近く辞任か エジプト軍が最高首脳会議
2011年2月11日 00時58分

 【カイロ共同】エジプトの与党、国民民主党の幹事長は10日、共同通信に対して、ムバラク大統領が辞任を表明する可能性があると述べた。AP通信は10日、軍や与党幹部の話として、ムバラク大統領が間もなく国民向け演説をすると報じた。中東の衛星テレビ、アルジャジーラによると、エジプト軍は同日、反政府デモへの対応を協議する最高首脳会議を緊急開催した。エジプト情勢は重大局面を迎えた。

 エジプト各地で10日、国営企業やバス、医療など幅広い業種で賃金引き上げや待遇改善を求めるストライキやデモが拡大した。首都カイロ中心部のタハリール広場の反政府デモには同日も数万人が結集。11日にはイスラム教の金曜礼拝後に大規模なデモが再び予定されており、緊迫している。

 ストが広がれば、社会全体がまひ状態に陥る恐れもある。スレイマン副大統領はこうした動きについて「非常に危険で、容認できない」と強調。政権側は、これまで中立を維持してきた軍が介入し戒厳令を布告、デモを強制排除するなど強硬手段に訴える可能性を警告している。

 8日ごろから始まった労働者のストやデモにはこれまで、国際海運の大動脈であるスエズ運河関連企業の労働者も参加。鉄道や国営の電話会社、繊維、鉄鋼会社などに広がってきた。

2057チバQ:2011/02/13(日) 11:30:37
>>2051
http://mainichi.jp/select/world/news/20110212ddm007030025000c.html
サルコジ仏大統領:「閣僚は海外バカンス禁止」 自分のモロッコ接待棚上げ
 【パリ福原直樹】フランスのサルコジ大統領=似顔絵=は9日の閣議で、閣僚に「今後、バカンスは国内で過ごすべきだ」と指示した。昨年末から新年にかけ、フィヨン首相やアリヨマリ外相が、その後政変などに見舞われるエジプトやチュニジアで厚遇を受けたとして、野党から辞任を求める声が強まっていた。

 大統領は「今後、外国政府からバカンスで招待を受ける際には、大統領側が精査し、その是非を決める」とも発言した。

 フィヨン首相は年末から新年にかけ、エジプトのリゾート地で休暇を過ごした。この際、ムバラク政権が宿舎や航空機、船を提供。またアリヨマリ外相も、年末にチュニジアに滞在した際、今年1月に亡命したベンアリ大統領(当時)と親しい富豪の航空会社からジェット機の無料提供を受けた。サルコジ大統領は、2閣僚への野党の辞任要求をかわす狙いで、閣僚をたしなめた格好だ。

 だが、大統領自身も年末のバカンスで、カーラ・ブルーニ夫人と北アフリカのモロッコで、モハメド6世から豪邸の提供を受けた。仏の野党第1党・社会党幹部は毎日新聞に「大統領は自分の行為を棚に上げており、綱紀粛正になっていない」と批判した。

毎日新聞 2011年2月12日 東京朝刊

2058チバQ:2011/02/13(日) 11:39:58
http://www.cnn.co.jp/world/30001789.html
パキスタン前大統領に逮捕状 ブット元首相暗殺事件めぐり
2011.02.13 Sun posted at: 10:09 JST
(CNN) 2007年12月にパキスタンで起きたブット元首相暗殺事件をめぐり、同国パンジャブ州ラワルピンディの対テロ法廷は12日、ムシャラフ前大統領が事件に関与していた可能性があるとして、同氏に逮捕状を出した。検察当局者が明らかにした。

検察当局によれば、捜査の結果、ムシャラフ氏は当時、適切な警備体制を敷かなかったことに対する責任があることが判明。ムシャラフ氏に事情聴取を求めたが応じなかったため、裁判所が同氏の逮捕状を出したという。

ブット元首相は07年、ムシャラフ氏が対立候補として出馬していた総選挙の選挙活動中、自爆テロにより暗殺された。一部では、ムシャラフ氏の関与を指摘する声も上がっていたが、同氏はこれを否定している。

国連の調査委員会は昨年4月に発表した報告書で、暗殺当日、ムシャラフ政権がブット氏に対する安全対策を怠っていたと指摘。適切な警備体制が取られていれば暗殺を防ぐことができたと結論付けている。また、同国の警察当局が事件の調査を妨害したとも述べている。

ムシャラフ氏の顧問弁護士がCNNに語ったところによれば、逮捕状は根拠のないもので政治的動機によって出されたものであるため、同氏は法廷に出頭しない意向だという。

ムシャラフ氏は08年に大統領を辞任し、以後は英国ロンドンに渡り国外生活を送っている。昨年には政界復帰を目指し、新政党の設立を決定。2013年の総選挙に出馬する考えを示していた。

2059チバQ:2011/02/13(日) 11:57:56
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021301000067.html
エジプト、前首相らの出国を禁止 市民生活正常化へ

 【カイロ共同】ムバラク前大統領の強権的政権が崩壊したエジプトの国営テレビは12日、多数の死傷者を出した反政府デモ鎮圧や汚職などの捜査のため、検察当局がナジフ前首相、アドリ前内相らの出国を禁止したと報じた。

 権力を掌握した軍最高評議会による旧体制側の責任追及が進む一方、評議会を主宰するタンタウィ国防相は同日、シャフィク首相らと市民生活の速やかな正常化に向けた措置を協議。エジプトを含む多くのイスラム教国にとって週明けで最初の就業日となる13日は、デモで大きく混乱した市民生活の復旧がさらに本格化する見通し。

 軍最高評議会は11日、シャフィク内閣が、暫定的に政権移行期間の国政運営に当たると発表。夜間外出禁止令を4時間短縮するなど、市民生活の正常化を促す措置を取っていた。

2011/02/13 09:44 【共同通信

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011021302000047.html
指導者なき「革命」 無名の若者 ネット駆使
2011年2月13日 朝刊

 「エジプトの土に眠りたい」

 そう語っていたムバラク大統領が十一日、辞任した。彼に対する国民の憎悪を考えれば母国で永遠の眠りにつく願いも、果たしてかなうのか怪しい。最初のデモ発生から十八日目。ついに「革命」は成就したと、言っていいのだろう。

 九月までの任期まっとうに固執し、野党勢力との協議で事態を打開しようとしたムバラク氏。最後となった十日のテレビ演説でも「対話を通じて−」と強調していた。

 だが、対話など、どだい無理な相談だった。チュニジアのベンアリ前大統領を追放したデモと同様に、エジプトでも、時に百万人を超えたデモ隊を統括し、政権側と妥協点を探れる指導者など存在しなかったのだから。

 国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ前事務局長(68)も、イスラム原理主義組織ムスリム同胞団も、指揮できるのはカイロ・タハリール広場に陣取るデモ隊のごく一部。多くは、インターネット空間を通じて、政権への怒りを共有した無党派の若者である。

 デモの発端の一つになった警察官による若者虐殺疑惑の現場は、北部アレクサンドリアのネットカフェだった。死んだ若者はネット上で、警官の麻薬密売を告発していた。虐殺疑惑を世に伝え、最初のデモを一月二十五日の「警察の日」にやろうと訴えたのも、ネットを駆使する無名の若者たちである。

 一九七九年のイラン革命では、宗教界の権威ホメイニ師が亡命先で説教を録音し、側近がテープをイランに運び、音声が大衆を鼓舞したが、昔日の感がある。今の時代、カリスマでなくてもインターネットでメッセージ送信ボタンは押せるのだ。

 戦火の絶えない中東。歴史をつくるのは、いつも大国だった。

 パレスチナの地で争いが収まらないのは、かつて英国が、ユダヤ人とアラブ人の双方に「ここは、あなた方の土地だ」と二枚舌を使ったことに起因する。今もバグダッドで、子どもの体が爆音とともに吹き飛ばされるのは、米国が根拠もないままに「イラクに大量破壊兵器がある」と、兵士を送ったからだ。大衆はいつも受け身で、損な役回りだった。

 エジプトでデモが始まった時、同盟国の米国は「政府、デモ隊双方に自制を求める」と、当たり障りのない言葉しか発しなかった。イスラエルとの関係も良いムバラク体制の崩壊など、望んではいなかった。

 政敵を排除して独裁体制を築き、時の大国に追従しても、政権は倒れる。チュニジアとエジプトがそれを証明し、歴史は変わった。 (カイロ・内田康)

2060チバQ:2011/02/13(日) 11:58:21
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011021390071258.html
民主化なお不透明 軍「現内閣が当面存続」
2011年2月13日 07時12分

 【カイロ=清水俊郎】エジプトのムバラク政権の崩壊を受け、大統領権限を委譲された軍最高評議会は十二日、「すべての国際条約を順守する」とする声明を出し、隣国イスラエルと一九七九年に結んだ平和条約などを維持する方針を明らかにした。また「平穏な政権移行を目指す」と強調し、次期政権が発足するまでシャフィク首相率いる現内閣が職務を続行すると表明した。

 タンタウィ国防相が主宰する最高評議会は十一日の声明で「軍が人々の望む政権に代わることはない」とし、軍政は暫定的な措置と表明していた。ただ今後の具体的な日程は示されておらず、民政移行がスムーズに進むかどうかは不透明だ。

 国営テレビによると、最高評議会は十二日、夜間外出禁止令を四時間短縮し、午前零時から午前六時までに緩和した。十八日間の大規模デモと騒乱でまひした社会機能の正常化を目指す。

 一方、反大統領派のデモの拠点であるカイロのタハリール広場では十二日、軍が人の流れを制限していたバリケードと有刺鉄線の撤去作業を始めた。広場には同日午後も千人以上がとどまっている。

 またAFP通信によると、北部イスマエーレーヤで同日、警官数百人が「デモ隊に発砲を重ねたのは上司たちに強制されたため」と訴えてデモ行進した。一月二十五日に始まった一連のデモでは全国で約三百人の死者が出ており、市民の憎悪や報復を恐れてのアピールとみられる。

 AP通信は空港当局者の話として、政府の元高官らが司法当局や軍の許可を得ずに出国することが禁じられたと報じた。

(東京新聞)

2061チバQ:2011/02/13(日) 11:59:14
http://mainichi.jp/select/world/news/20110213ddm003030119000c.html
クローズアップ2011:エジプト・ムバラク政権崩壊(その1) 辞任拒否が裏目
 エジプトのムバラク前大統領は11日、前夜の「退陣拒否」演説から一転、首都カイロを家族と共に脱出し、30年にわたった権力を手放した。この急転直下の辞任劇の舞台裏で、一体何が起きていたのだろうか。そして、誰がムバラク氏の後継としてこの国を率いていくことになるのか。カリスマ指導者なき市民革命がこの国をどこに導くかは、今後の展開次第だ。【カイロ樋口直樹】

 ◇思惑外れ軍に権力 後継・スレイマン氏、不透明
 ムバラク政権崩壊の最後の秒読みは10日夜、ムバラク氏の「不可解」な辞任拒否演説から始まった。

 「大統領は辞任するかもしれない」。10日夕、シャフィク首相のこの発言が報じられると、最大与党・国民民主党幹部からも「辞任しても驚かない」との感想が飛び出した。首都カイロのタハリール広場を埋める反大統領派の人々は狂喜乱舞した。だがこの夜、大統領の「辞任表明」を確信し、広場に押しかけた人々を待っていたのは、期待を裏切る「辞任拒否」表明だった。反大統領派の怒りは頂点に達した。人々は靴を脱ぎ、手で振り回しながら叫んだ。「あしたを見ていろ。決着をつけてやる」

 アラブで、靴で人をたたくのは最大の侮辱を意味する。難攻不落に見えたムバラク城は、広場からもあふれ出すほどの民衆の熱気と興奮の波に、のみ込まれてしまった。政権崩壊を確実にした辞任拒否演説には、不可解な点も多い。政府高官や与党幹部が相次いで「辞任の可能性」に触れ、それを追認するかのように急きょ同夜、大統領演説が設定されながら、結局、ムバラク氏はスレイマン副大統領への権限移譲を発表するにとどまった。

 大統領の側近も最大の同盟国・米国も、大統領の即時辞任は不可避だろうとみていた。大統領が名誉を保ったまま表舞台を去る機会(演説)を大統領周辺が設けたのではないか、との観測もあった。だが、大統領は改めて「即時辞任」を拒否。このため、「大統領は直前に演説内容を変えたのでは」との見方も出た。

 ムバラク氏の辞任表明の遅れは、後継者と目されてきたスレイマン副大統領への権力移譲さえもご破算にした可能性がある。11日夜、国営テレビで大統領の辞任を発表する副大統領の顔はこわばっていた。大統領権限は軍部へ渡ったからだ。

 ムバラク氏は今年9月の次期大統領選まで、自分の息のかかったスレイマン氏を暫定大統領に据え、憲法改正などを体制側に有利に進める考えだったとみられている。同氏は野党勢力との政治対話を始めたが、抗議行動を続ける民衆は権力の「欺まん」を見抜き、同氏主導の政治プロセスさえも拒絶していた。

 他方、草の根的な民衆の抗議運動の中に、「ムバラク後」の政治的混乱を収拾し、民主的な大統領選の実施を導けるだけのリーダーは育っていない。国家機能がまひ状態に陥る中、暫定政権の受け皿になり得たのは、国民の信頼が厚い軍部しかなかった。

 ムバラク氏の「1日遅れの辞任表明」は、民衆パワーを侮った読み違えだったのか。または、同氏の進退を巡り内部で見解が分かれていたと言われる軍部の干渉があったのか。真相はやぶの中だが、結果的にムバラク政権早期崩壊につながり、ムバラク氏の思惑に反し軍部へ権力が渡るという皮肉を招いた。

2062チバQ:2011/02/13(日) 11:59:38
◇民主化プロセス、なお時間 軍も一枚岩とはいえず
 ムバラク政権崩壊に伴う混乱の収拾はひとまず軍部に委ねられることになった。当面、軍最高評議会を率いるタンタウィ副首相兼国防相が主導権を握る見通しだが、事実上の軍政の復活を懸念する声もあり、民主化に向けた政治プロセスが動き出すにはまだ時間がかかりそうだ。

 政権側が当初描いていた「ムバラク後」の構想は、大統領の辞任表明を受け、腹心のスレイマン副大統領率いる暫定政権に権力を移譲し、次期大統領選の準備に入るというシナリオだった。政権のスムーズな移行や継続性といった観点から、米欧にも受け入れられやすいとみられてきた。

 このシナリオがつぶれた今、ムバラク政権で国防相を長年務めた軍最高評議会議長のタンタウィ氏が取って代わった。大統領選の候補者になりうる。

 だが、軍部は一枚岩でないと言われる。軍を実質的に差配するアナン参謀総長は、政権に対する民衆の不満に同情的で、デモ隊への実力行使を完全に拒否してきたと言われる。両者の微妙な緊張関係は、今後の民主化プロセスに影響を与える可能性がある。

 次期大統領候補には他に、ムバラク氏の最大の「好敵手」と見られてきたアラブ連盟のムーサ事務局長の名前が挙がる。ムバラク政権の外相時代に、イスラエルに対し批判を浴びせ、反イスラエル感情が根強い国民の人気を博した経緯がある。

 今回、反大統領派に加わったノーベル平和賞受賞者、エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長や、野党ガッド党の創設者ヌール氏らの名前も挙がる。事実上の最大野党・穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」の動向も無視できない。公正な選挙が行われれば、最大政党に躍進する可能性があるとの見方が強いからだ。

 ムバラク政権を打倒した草の根的な民衆パワーの中には、若者を中心に既存の政治の枠組みを嫌う傾向も強い。このため、今後、反政府勢力の中から新たなリーダーが出現する可能性もある。

==============

 ◆エジプト政権崩壊に至った経緯◆

1月14日 チュニジアでベンアリ政権崩壊

  25日 カイロやスエズなどで数万人規模の反政府デモ

  28日 金曜礼拝後大規模デモ

  29日 ムバラク大統領がスレイマン氏を副大統領に任命

2月 1日 「100万人」デモ。ムバラク大統領が次期選挙不出馬を表明

   3日 ムバラク大統領、米テレビに対し即時辞任を拒否

  10日 ムバラク大統領、テレビ演説で即時辞任を拒否

  11日 スレイマン副大統領がムバラク大統領辞任を発表

毎日新聞 2011年2月13日 東京朝刊

2063チバQ:2011/02/13(日) 12:00:35
http://mainichi.jp/select/world/archive/news/2011/02/13/20110213ddm002030137000c.html
クローズアップ2011:エジプト・ムバラク政権崩壊(その2止) 米も最後に決別
 ◇市民の反発恐れ 同盟国の抵抗振り切り
 【ワシントン草野和彦】オバマ米大統領は11日、「民主的なエジプトは、中東だけでなく世界中で責任ある指導的役割を果たせる」と述べ、新生エジプトへの期待を表明した。アラブの親米独裁国家や同盟国イスラエルの抵抗を受けながらも、“ムバラクのエジプト”との決別を明確に宣言した。

 ギブス大統領報道官によると大統領は11日午前、ホワイトハウスで会議中に渡されたメモでムバラク氏辞任を知った。それから約1時間にわたって練られた声明で、ムバラク氏に触れたのは「辞職でエジプト国民の変革への渇望に応えた」の部分だけだった。

 米メディアによると、「民主化ドミノ」を恐れるサウジアラビアなど親米国家がムバラク氏との連帯を強め、米国に圧力をかけていただけでなく、イスラエルは、ムバラク氏が退陣すれば自国内の右派勢力が強くなり、中東和平に影響が出ると警告していた。

 だが、エジプト国内で退陣への期待がこれまでになく高まった10日、ムバラク氏が演説でなおも大統領の座に固執したことで、米国は完全に見切りをつけたようだ。反米感情が高まらないようにするためにも、国民の側に立つしかないと判断したとみられる。

 報道官によると、演説には「誰もが驚いた」という。演説後にオバマ大統領は文書の声明を出したが、ムバラク氏の名前さえ出さず「(改革の)機会をまだとらえていない」と不満をあらわにした。

 また大統領は11日の声明で、反政府デモを通じて「創造性やテクノロジーを使いこなせる新世代の出現を見た」と述べ、デモの中心となった若者との今後の連帯を訴えた。

 ◇日本は不安定化を警戒 「非米欧路線」活用の機会も
 エジプトのムバラク大統領辞任を受け、日本政府は「(速やかに)憲法からの逸脱状態が回復されることを期待する」(12日、前原誠司外相談話)として、米国などと連携しながら、安定的な新政権の早期樹立を促していく考えだ。ただ、米国の中東での影響力は今後、低下していくことも予想される。これまで米欧とは異なるスタンスで中東と向き合ってきた経験がある日本だけに、国際社会で新たな役割を求められる可能性もある。

 日本の中東政策は必ずしも米欧追随ではなかった。1981年に初来日したパレスチナ自治政府のアラファト議長は、西側先進国の首脳として初めて日本の首相(鈴木善幸氏)と会談した。米同時多発テロ前の01年1月には、河野洋平外相(当時)が「河野イニシアチブ」を発表し、イスラム世界との対話促進を掲げるなど、独自の距離感を取ってきた。

 中東地域研究者の板垣雄三・東大名誉教授は「チュニジアのあおりで突然、エジプトで動きが起きたのではなく、30年間の独裁の深まりや、さまざまな市民の運動が前提にある」と指摘。「サウジアラビアでも火種がないわけではなく、これらが連結して中東全体が大きな政治変動に入っている」と見る。そのうえで「非欧米の潜在力を評価し、世界全体の調和を図っていくのが日本の使命ではないか」と強調した。

 政府が警戒するのが、エジプト新政権内でイスラム原理主義勢力が台頭すること。外務省幹部は「幅広い支持層や勢力による『一色ではない政府』を期待している」と語った。

 また、中東・アフリカ諸国にはエジプト同様、独裁的長期政権や若者の高い失業率など、不安定要素が共通している国が多く、ヨルダンやイエメンでは体制への不満が表面化している。中東全体が不安定化すれば、原油の供給に影響が出ることも懸念され、外務省幹部は「若者の失業率が高いなど要素が共通している国が多い。いつ、どこで、どう火を噴くか、日本としても注目しないといけない」と語った。

 外務省によると、エジプトへの邦人観光客はほぼ全員が出国し、現地に残っているのはエジプト人の配偶者や報道関係者ら約450人という。【犬飼直幸】

毎日新聞 2011年2月13日 東京朝刊

2064チバQ:2011/02/13(日) 12:01:36
http://www.asahi.com/international/update/0213/TKY201102120260.html
エジプト軍、現内閣を暫定維持 対イスラエルは友好路線(1/2ページ)2011年2月13日5時2分
カイロで12日、野宿用の毛布を担いでタハリール広場を去る男性=越田省吾撮影
 【カイロ=貫洞欣寛、北川学】ムバラク大統領の辞任に伴い、全権を受け継いだエジプト軍最高評議会は12日、声明を出し、現内閣を暫定内閣として機能させ、すべての国際条約を順守すると発表した。イスラエルなどとの友好関係はこれまで通り維持することを示し、国際社会が抱く中東地域の不安定化への懸念を払拭(ふっしょく)する狙いがあるとみられる。

 「第4号」と題した声明で、「現在の内閣と知事は新政府発足まで任務を続ける」とし、シャフィク首相(空軍出身)らを暫定内閣として維持させる考えを示した。ムバラク氏は市民からの辞任要求をかわすため1月末、全閣僚をいったん更迭し現内閣を発足させていた。

 ただ、声明は、ムバラク氏から大統領権限を移譲されたスレイマン副大統領の処遇については触れていない。スレイマン氏は軍が全権を掌握したことで、事実上すべての権限を失ったとの見方が出ている。

 声明はさらに、「これまでのすべての声明を順守する」とも述べている。軍最高評議会はムバラク氏が辞任した11日夜、「国民が選挙で選ぶ正統な政府の代わりとなるつもりはない」と声明を出し、軍による全権掌握は選挙で選ばれた新政府発足までの一時的な措置との考えを示している。その姿勢を改めて強調することで、軍が政権に居座る考えがないことを国内外に強調する狙いがあるとみられる。

 また、治安維持のため、市民に対して警察への信頼回復と協力を求めている。

 さらに、声明はすべての国際条約の順守を確約。具体的な言及はないものの、エジプトが1979年にイスラエルと締結した平和条約も含まれるとみられる。親米路線のムバラク政権の崩壊に伴い、米国などはエジプトとイスラエルの関係悪化を懸念していた。

 一方、家族とともにシナイ半島の海洋リゾート地シャルムエルシェイクに入ったムバラク氏の動向は、その後伝えられていない。

 デモの拠点となったカイロ中心部タハリール広場では12日、参加者が撤収作業を始めた。ムバラク派との衝突の際に使われた石やれんがの破片、泊まり込みのために使った毛布などが運び出され、清掃も行われた。

 国営テレビによると、これまで午後8時〜翌朝6時の外出禁止令は、同日から午前0時〜同6時に緩和された。

2065チバQ:2011/02/13(日) 12:02:58
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110213k0000m030029000c.html
ムバラク前大統領:「孤独なファラオ」国民に向き合わず

政府系紙「アルアハラム」(中央と右)は、「若者がムバラクを追いだした」と異例の扱いで伝えた=2011年2月12日、鵜塚健撮影 「孤独なファラオ」は、最後まで国民に直接向き合おうとしなかった。古代エジプトの王に擬せられる絶大な権力を約30年にわたりふるったムバラク前大統領(82)。圧制への若者らの怒りがインターネットを触媒に起爆したわずか18日間の「指導者なき革命」に、「王位」を追われた。

 ◇「救国の英雄」から「孤独なファラオ」に
 「ムバラク大統領は辞任する」。衝撃の発表を11日夜に行ったのは右腕のスレイマン副大統領だった。前夜に本人が2度目の辞任拒否演説を行ってからわずか19時間後だった。

 第4次中東戦争(73年)で空軍司令官として活躍し「救国の英雄」となり、最高権力者への道筋をつかんだムバラク氏。軍歴を含め60年を超える公務の主目的だったという「国民と国土の保護」の看板は、即時退陣を求める全国的な反政府デモのうねりの前に放棄した形だ。9月の任期切れで「尊厳ある退出」を行うとの希望は、あまりにも民意と乖離(かいり)していた。

 ムバラク氏は81年のサダト元大統領暗殺後、副大統領から第4代大統領に選ばれた。中東最大の世俗国家の指導者として基本的に親米路線を維持。91年の湾岸戦争では多国籍軍に参加した。一方、03年のイラク戦争では国内外の反戦論の高まりで米英主導の進攻を批判、サウジアラビアと共同和平提案を行った。

 対アラブ世界では、前政権下の79年にイスラエルと和平条約を調印して孤立したエジプトのアラブ連盟への復帰を89年に実現。中東和平では分裂したパレスチナ各派の仲介などを通じ、米主導の和平交渉を支援した。

 内政面ではサダト氏暗殺に伴い発令した国家非常事態宣言を約30年にわたり維持し、独裁的な統治体制を強化。95年には訪問先のエチオピアでエジプトのイスラム過激派の暗殺未遂事件に遭遇した。

 01年の米同時多発テロ後、ブッシュ米政権の圧力で民主化要求が強まり、05年の大統領選挙では複数候補制を導入したが、圧倒的多数の票を得て5選した。

 同年の人民議会選挙では非合法の穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」が議席を伸ばしたため、民主化要求勢力の抑え込みに転じた。

 近年は高齢による健康の衰えから後継問題が浮上しており、次男ガマル氏が今年9月に予定されていた大統領選挙に出馬して「権力世襲」するとの観測も流れていた。(カイロ支局長・和田浩明)

毎日新聞 2011年2月12日 19時38分(最終更新 2月12日 20時40分)

2066チバQ:2011/02/13(日) 12:04:24
http://www.asahi.com/international/update/0212/TKY201102120088.html
エジプト軍「選挙で新政権」 一時的な権限掌握を強調(1/2ページ)2011年2月12日15時0分
 【カイロ=貫洞欣寛】エジプトのムバラク大統領の辞任に伴い、大統領の全権を受け継いだ軍最高評議会は11日夜(日本時間12日未明)、「評議会は国民が選挙で選ぶ正統な政府の代わりとなるつもりはない」とする声明を出した。軍の権限掌握は民主化に向けた一時的な措置との考えを強調しており、新たな政権づくりへの道筋を示せるかが今後の焦点となる。

 「声明第3号」と名付けられた声明は、「国民の要望を達成するための諸方策を検討している」として、民政移行のために具体的にどのようなシナリオを描いているのか示していない。また、デモを主導した野党勢力への対応などについても触れていない。

 ただ、評議会はムバラク氏の退陣が明らかになる前の11日午前に発表した「声明第2号」で、(1)混乱収束後の非常事態令の解除(2)総選挙の結果に関する不服申し立ての受理(3)憲法改正(4)自由で公正な大統領選挙の実施――を保証。さらに、権力移行が完結するまでは市民の要求に真剣に向き合うとしており、軍が民主化プロセスの後見役を担うとの姿勢を示している。

 エジプト憲法では、大統領が辞任した場合は人民議会議長が権限を代行し、議会も解散した場合は憲法裁判所長官が代行する規定となっている。人民議会のスルール議長はムバラク氏の側近で、大統領選の立候補資格制限を発案した一人として国民の批判が強く、暫定大統領となればデモがさらに激しくなりかねない。また、スレイマン副大統領に対しても即時辞任を求める声が強く、ムバラク体制を支えた側近らをどう処遇し、関与させるのかも大きな課題となる。

 退役軍人の軍事アナリスト、サフワト・ザイヤード氏は「軍は、スレイマン氏を続投させてデモを続ける国民に銃を向けるか、スレイマン氏らを使わず独自に移行政府をつくるかのどちらかを選ぶことになる。後者を選ぶだろう」との見方を示した。

 一方、野党勢力はムバラク氏退陣と軍への全権移譲を歓迎している。最大野党のイスラム組織ムスリム同胞団は「独裁者を取り除いたことを神に感謝したい。軍の権限掌握は、市民社会づくりのための一時的な措置であると確信している」とコメントした。

 民主化運動指導者エルバラダイ前国際原子力機関(IAEA)事務局長は「この日を何十年も待っていた。軍と市民が協力し、自由で公正な選挙を準備したい」と話している。

2067チバQ:2011/02/13(日) 23:02:12
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110213/mds11021322160016-n1.htm
政変のチュニジアからイタリア南部の島に大量
 AP通信によると、北アフリカのチュニジアの政変を逃れた大量の難民がイタリア南部ランペドゥーザ島にボートで押し寄せ、12日までの3日間で計約3千人となった。イタリア政府は「人道的非常事態」を宣言し、欧州連合(EU)欧州委員会に支援を求めた。

 イタリア当局は難民を南部シチリア島などの収容施設に送り、亡命を認めるか強制送還するかを判断する。国連難民高等弁務官事務所によると、チュニジアでベンアリ政権が崩壊した先月半ば以降、漁船などに乗ってイタリアに到着する難民が増加。イタリア政府はテロリストが紛れ込んでいる可能性もあるとして警戒を強めている。(共同)

2068チバQ:2011/02/13(日) 23:11:25
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110213-00000139-reu-int
アルジェリアでも反政府デモ、当局が多数拘束との情報も
ロイター 2月13日(日)15時10分配信

 2月12日、アルジェリアの首都アルジェで、ブーテフリカ大統領の退陣などを求める反政府デモが行われ、多数が拘束されたとの情報も。写真は警官に連行される男性(2011年 ロイター/Zohra Bensemra)

 [アルジェ 12日 ロイター] アルジェリアの首都アルジェで12日、ブーテフリカ大統領の退陣などを求める反政府デモが行われた。これに対し、警察は数千人規模の機動隊を動員してデモ隊を鎮圧。約1000人が拘束されたという野党側の情報もある。

 市内中心部の広場には反体制派の小規模なグループが集まり、エジプトのムバラク大統領辞任を報じる新聞を手に、「ブーテフリカは退陣しろ」などと叫んだ。その後は市内をデモ行進する予定だったが、機動隊が取り囲んで阻止。一部が警官に物を投げる姿も見られた。

 この日のデモは、主要な労働組合や最大野党が支援するものではなく、1990年代に違法化されながら現在も影響力を持つイスラム過激派グループもほとんどが距離を置いている。

 ただ、野党からの圧力を受けて、政府はこれまでに雇用創出や住宅改善を約束したほか、19年間続く非常事態宣言の解除を含む民主的改革を進める方針を明らかにしている。

 抗議活動を支援した野党の関係者は、デモには7000人から1万人が参加し、約1000人が拘束されたとしているが、内務省は、広場に集まったデモ隊が約250人で、14人を拘束したものの直ちに釈放したとの声明を発表している。

2069チバQ:2011/02/14(月) 21:37:02
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011021402000030.html?ref=rank
エジプト 憲法停止、議会を解散
2011年2月14日 夕刊

 【カイロ=内田康】ムバラク大統領(82)が退陣したエジプトで、大統領権限を委譲された軍最高評議会は十三日、憲法を停止し、人民議会(国会)も解散したと国営テレビを通じて発表した。自由な選挙実現のための憲法改正を検討する専門委員会を設置し、国民投票にはかる方針も表明。今後半年間あるいは大統領選など各選挙を実施するまで、同評議会が大統領権限を維持する意向を示した。 

 軍最高評議会が民主化に向けたプロセスを発表したのは初めて。ただ、大統領選の具体的な実施時期などは明らかにしていない。

 憲法改正は委員会が草案を示し、国民投票によって承認するかどうかを決める。民主化の障害になっていた大統領選立候補要件の緩和などが改正の焦点になる。

 人民議会は解散前、ムバラク大統領が率いた与党、国民民主党(NDP)が議席の圧倒的多数を占めていたが、選挙のたびに不正疑惑が浮上していた。

 ロイター通信によると、二〇〇五年の大統領選に出馬した野党指導者アイマン・ヌール氏は、軍最高評議会の発表について「革命の勝利だ。反大統領デモ隊を満足させるだろう」と評価した。

 また、暫定的な続投が決まったシャフィク首相らは十三日、ムバラク氏退陣後としては初めての閣議を行った。

2070チバQ:2011/02/14(月) 21:38:20
http://www.asahi.com/international/update/0214/TKY201102130158.html
エジプト、憲法停止 6カ月以内に大統領選と議会選
2011年2月14日10時27分


 【カイロ=古谷祐伸】エジプトのムバラク前大統領(82)の退陣で全権を握った軍の最高評議会は13日、評議会による統治期間を今後6カ月か、新政権の発足までとする声明を発表した。この間に憲法改正に関する委員会を設置。憲法改正の国民投票を行った上で大統領選や議会選を実施するなど、民主化に向けた今後の見通しも示した。

 国営テレビが伝えた声明によると、民政復帰に向けたプロセスは、憲法の停止▽議会上下院の解散▽憲法改正に向けた委員会の設置▽憲法改正のための国民投票▽大統領選と議会選の実施、との流れになる。大統領選への立候補資格を限定した現行憲法の停止や議会解散には、「ムバラク色」を一掃し、社会を安定させる狙いがあるとみられる。

 民政復帰までの間、軍最高評議会議長や国防相を務めるムハンマド・タンタウィ元帥(75)が国家元首を務める。現シャフィク内閣は継続し、イスラエルとの平和条約など国際条約は引き続き順守する。

 声明は「我々は民衆の要求を達成する。自由や法の支配、平等、複数政党の参加、社会正義、腐敗の根絶は、今後の国を導く統治の基礎になる」との理念を表明。評議会による統治は民主化のための一時的なものとの立場を改めて示した。

 軍部の方針に対し、野党勢力などは前向きだ。2005年の大統領選に野党から出馬し、のちに逮捕されたアイマン・ヌール氏は「革命の勝利だ」。デモを呼びかけた若者グループの幹部もロイター通信に「軍は我々の要求を満たそうとしている」と述べた。

 デモ隊が残るカイロ中心部のタハリール広場は、13日朝から軍がテントなどの撤去を始め、平穏が戻りつつある。シャフィク首相は13日の記者会見で「すべては平穏に戻った」と強調。治安の回復を急ぐ考えを示した。当初デモ隊に厳しく対処した警察は国民の信頼を失っており、複数の警察署がデモ隊に焼き打ちされるなど、警察はまだ完全には機能していない。

 一方、逮捕された仲間の解放などを求めるデモ隊は、「まだ要求が満たされていない」として、少なくとも毎週金曜日に大集会を開く方針だ。広場に居座りを続ける市民もおり、デモが再燃する可能性もある。

2071チバQ:2011/02/14(月) 22:20:51
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110214-OYT1T00798.htm
デモ激化「お前のせい」ムバラク2世兄弟げんか

 【カイロ=新居益】エジプトのムバラク前大統領(82)の息子二人が、前大統領の辞任前日の10日、反体制デモ激化の責任を巡って大げんかをしていたと、13日付の同国紙アル・アクバルが報じた。


 前大統領が10日、大統領宮殿内でテレビ演説の収録中、別室で長男アラア氏(49)が次男ガマル氏(47)を「お前が自分の友人を登用し過ぎたから、こうなった」となじった。殴り合いに発展する直前、側近が仲裁に入ったという。

 アラア氏は富裕なビジネスマン。一方、ガマル氏は国民民主党で政策委員長を務め、前大統領の後継者とみられていた。ガマル氏は影響力を行使して、多くの友人を同党幹部や内閣に送り込んでいたとされる。

(2011年2月14日19時48分 読売新聞)

2072チバQ:2011/02/15(火) 00:36:23
http://mainichi.jp/select/world/news/20110215k0000m030086000c.html
エジプト:改憲・選挙、具体策示されず 民政移行残る課題

カイロのタハリール広場で、反政府デモの犠牲者を悼む市民たち=2011年2月13日、伊藤智永撮影 【カイロ樋口直樹】ムバラク政権の崩壊でエジプトの実権を握った軍最高評議会が13日、今後の民主化プロセスを明らかにした。旧政権を支えた人民議会(国会)を解散、憲法を停止するとともに、憲法改正や人民議会選挙、大統領選挙への道筋を示した。反政府デモ参加者や野党はおおむね歓迎している。だが、6カ月の民政移行期間中、改憲案などに民意を反映させるための具体策や選挙日程などはまだ示されておらず、課題は残る。

 ◇憲法改正◇
 「革命の勝利だ」。民主化プロセス発表を受け、05年の前回大統領選でムバラク氏と争った野党「ガッド党」創設者、アイマン・ヌール氏は地元メディアに語った。抗議デモの拠点、カイロのタハリール広場でも「軍と国民は一体だ」とのシュプレヒコールが続いた。

 だが、憲法改正の行方を不安視する人は少なくない。連日抗議行動に参加した技術者、エッサムさん(56)は「軍部もムバラク政権の一部だったことに違いはない」と指摘。「憲法改正委のメンバーはまだ分からない。民意は本当に反映されるのか」と不安げな表情を見せた。

 憲法改正は、民主的な選挙を行う上で死活的な意味を持つ。最大野党の穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」は54年に非合法化されたうえ、07年の憲法改正で宗教政党の活動が禁止されたため、憲法や関連法令の改正無しには公正な選挙に臨めない。

 同胞団が合法化されれば、議会選挙で大きな勢力を得る可能性が高いが、合法化されない場合、不満が鬱積し政情不安の要因にもなり得る。

 一方、5期30年に及ぶムバラク政権を制度的に支えた、大統領選の厳しい立候補条件の緩和や、多選規制も重要課題だ。大政党の後ろ盾が無くても、無所属候補が公正な選挙で戦える制度づくりがカギとなる。

 ◇選挙日程◇
 軍最高評議会は民政移管のスケジュールについて「今後6カ月間、または人民議会選挙、諮問評議会(大統領の助言機関)選挙、大統領選挙が行われるまで暫定的に統治する」と明らかにした。だが、憲法改正案の提示▽国民投票による承認▽両議会選挙▽大統領選挙−−の具体的な日程には触れていない。

 こうした民主化プロセスが、ムバラク前大統領時代に発足したシャフィク内閣の下で進められることにも反発がある。タハリール広場に残り続ける人々は「前政権の残滓(ざんし)の一掃」を訴え、「暫定政権」に指名されたシャフィク内閣を拒否している。

 現地ジャーナリストの一人は「軍を賛美する国民の声の裏側には、自分たちを裏切らないでほしい、という思いがある」と言い、国民に軍政への一抹の不安があると解説する。

2073チバQ:2011/02/15(火) 00:41:35
http://www.asahi.com/international/update/0214/TKY201102140342.html
イスラエル参謀総長にガンツ氏就任 軍事戦略見直し急務2011年2月14日21時58分
. 【エルサレム=井上道夫】イスラエル政府は13日、閣議を開き、軍制服組のトップ、アシュケナジ参謀総長の後任としてベニー・ガンツ前副参謀総長(51)の就任を承認した。ガンツ氏は14日に就任した。

 同国は、アラブ諸国の中で数少ない友好国、エジプトのムバラク大統領が反政権デモで辞任を余儀なくされたことを懸念。特にエジプトが管理する海上航行の要所スエズ運河や、シナイ半島方面に関する軍事戦略の見直しが急務になっている。

 ガンツ氏は1979年に軍士官学校を卒業。2002年に北軍管区司令官に就任。武官として米国勤務の経験があり、米軍とのパイプも太い。
.

2074チバQ:2011/02/15(火) 00:43:04
http://www.asahi.com/international/update/0214/TKY201102140065.html
カイロのタハリール広場、デモ隊撤収はじめ「観光地化」2011年2月14日13時42分
カイロで13日、市民らにより清掃され、車の通行が再開されたタハリール広場前の大通り=越田省吾撮影
 【カイロ=北川学】ムバラク前大統領の即時退陣を求める反政府デモが続いたカイロ中心部のタハリール広場で、デモ隊のテントなどが撤去され、13日午後から車の通行が再開された。占拠していたデモ参加者も相次いで撤収しており、広場は以前の姿を取り戻しつつある。

 広場では、デモに参加していた若者たちが率先して路肩のごみを片づけたり、スローガンが書かれた横断幕を取り外したりしていた。革命の「聖地」を見ようと訪れる市民も絶えない。軍の戦車や装甲車をバックに写真を撮る人も多く、まるで新しい観光地のようだ。

 その一方、ロータリーの芝生の上で座り込みを続けようとする人もいた。デモに2週間参加し続けた警備員ウード・ムハンマドさん(32)は、「警察に暴行されて腕の骨が折れ、頭もけがした。警察や内務大臣の責任が明らかになるまで、自分は帰らない」と話した。

http://www.asahi.com/international/update/0213/TKY201102130145.html?ref=reca
ツタンカーメン像など18点盗難 エジプト考古学博物館2011年2月13日22時52分
 【カイロ=古谷祐伸】エジプト考古省は13日、ムバラク前大統領退陣を求める民衆デモで起きた騒乱の最中に、カイロ中心部のエジプト考古学博物館から収蔵品18点が盗まれていたと発表した。中にはツタンカーメン王の像2点も含まれていたという。考古省は警察と協力して捜査を始めている。

 主な盗難品は、博物館2階に展示されていた「女神に運ばれるツタンカーメン王の像」と、「もりをうち込むツタンカーメン王の像」の胴体と腕の部分。いずれの像も金ぱくが施された木製。多神教から一神教へ宗教改革を進めたことで知られるファラオ、アメンホテプ4世(別名アクエンアテン)が供物のトレーを捧げている石灰岩製の立像もなくなっていた。

 治安当局とデモ隊の衝突が激化した1月28日夜、泥棒が博物館の天井の窓から内部に侵入した。考古省のザヒ・ハワス大臣は今月6日、収蔵品70点が傷つけられたものの、修復は可能だと発表していたが、盗難被害の有無については触れていなかった。

 エジプト考古学博物館は、ツタンカーメン王の黄金のマスクなど10万点以上の収蔵品を誇り、ピラミッドと並ぶエジプト観光の目玉。民衆デモの拠点となったタハリール広場に隣接しており、騒乱の影響で閉館している。再開の日程は決まっていない。
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2075テレホンセックスを無料で体験:2011/02/15(火) 06:59:05
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2076チバQ:2011/02/16(水) 00:10:13
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110215/mds11021523450015-n1.htm
軍、若者に結党促す 同胞団“一人勝ち”懸念も
2011.2.15 23:44
 【カイロ=大内清、黒沢潤】ムバラク政権が崩壊したエジプトで反政府デモの中核グループの一人だった米ネット検索大手グーグルの地域幹部ワーエル・ゴネイム氏は15日までに、全権を掌握する軍最高評議会が若者グループに政党結成を促したと明らかにした。半年以内をめどに行われる議会選や大統領選に向けた動きが加速している。

 ほかにも旧与党・国民民主党(NDP)の若手が14日、「新エジプト青年党」の創設を発表し、非合法のイスラム原理主義組織ムスリム同胞団も、政党・結社の自由が保障されれば結党を検討すると表明した。

 軍最高評議会が、若者グループに政党結成を促した背景には、国内外の民主化要求に一定程度応えようという考えのほかに、既存野党が脆弱(ぜいじやく)でNDPも弱体化した現状で選挙を行えば、組織力がある同胞団が“ひとり勝ち”するのではないかとの懸念があるようだ。

 「大統領選に候補は立てない。議会での過半数も求めない」。同胞団幹部からは最近、自信の表れとも、票が伸びなかった場合に備えた予防線とも受け取れる発言が相次いでいる。

 同胞団が実際にどこまで支持を集めるかは未知数だが、現在のエジプト政界で現実に集票力のある組織は、同胞団だけといってよく、軍には警戒感も強い。同胞団幹部らの発言は、そんな「同胞団脅威論」に配慮したものとみられる。

 軍が今回、若者グループに新党結成を呼びかけたのは、デモに大きな役割を果たした若年層を懐柔するとともに、議会選の実施前に若者の不満の受け皿を整備したいとの狙いがある。

 一方、汎アラブ紙アッシャルクルアウサトによると、アラブ連盟のムーサ事務局長は大統領選へ準備を開始。2005年の前回選挙でムバラク氏の「対抗馬」として注目を集めた野党ガッド党党首、アイマン・ヌール氏も出馬表明した。出馬に意欲をみせていたエルバラダイ国際原子力機関(IAEA)前事務局長は、ここにきて出馬を否定、「40〜50歳代の大統領が望ましい」と話す。

 一方、最高評議会は改憲委員会の委員長に、司法の独立性を強く主張してきたターリク・ビシュリ元判事を起用。10日以内に改憲案をまとめるよう指示した。シャフィク首相は14日、英国のヘイグ外相と電話会談し、来週中にも内閣改造を行い、野党代表者を入閣させる方針を示した。

2077チバQ:2011/02/16(水) 00:23:18
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011021502000032.html
イランで数千人デモ 改革派、警官隊と衝突
2011年2月15日 朝刊


 【カイロ=内田康】イランの首都テヘランで十四日、改革派市民による数千人規模の反政府デモが強行された。警官隊はデモ隊に向け催涙弾を使用しており、負傷者が出ている可能性がある。ロイター通信が伝えた。

 テヘランのデモは、独裁政権を大規模デモで崩壊させたチュニジアやエジプトの国民に「連帯」を示すため、二〇〇九年六月の大統領選挙に立候補した改革派のムサビ元首相(68)らが治安当局に許可を求めていた。当局はこれを拒否したが、改革派は無許可のままデモを強行した。

 英BBCによると、大勢のデモ参加者が逮捕され、インターネットなどの通信手段は遮断されたという。

 ロイター通信が伝えた目撃者の情報では、中心部イマーム・ホセイン広場周辺で、治安部隊がデモ隊に向け催涙弾を発射、近くの地下鉄駅の出入り口を閉鎖してデモ参加者の集結を阻止している。ムサビ氏の自宅周辺は当局に封鎖され、デモに参加できない状態だ。また、中部イスファハンでは改革派数百人が街の広場に集まっているとの報道もある。

 イランでは、保守強硬派のアハマディネジャド大統領(54)が再選を果たした〇九年六月の大統領選で不正があったとして、改革派による反政府デモが断続的に行われ、死傷者が出た。デモ隊は治安当局によって封じ込められ、〇九年十二月のデモを最後に反政府活動は影を潜めていた。

2078チバQ:2011/02/16(水) 00:29:40
http://www.asahi.com/international/update/0215/TKY201102150670.html
民主化デモ、飛び火 バーレーンで2人死亡2011年2月15日23時45分
 【カイロ=貫洞欣寛】チュニジアとエジプトで政権を覆した民主化要求デモが、他の中東諸国でも勢いを増している。シーア派のイスラム教徒が多数を占めながら、支配する王家がスンニ派のバーレーンでは、シーア派の権利拡大を求めるデモが拡大。イエメンでは、長期政権のサレハ大統領の退陣を求めるデモが5日にわたって続いている。

 ペルシャ湾岸の産油国バーレーンでは14日、就職差別などを訴えるシーア派の市民が各地で権利拡大や民主化を求めるデモをし、催涙ガス弾やゴム弾を撃つ警官隊と衝突して1人が死亡。15日には、犠牲者の葬儀に集まった群衆と警官隊が衝突し、新たに1人が死亡した。

 この事態を受け、議会(定数40)の最大会派で穏健シーア派のイスラム国民統合協会(18議席)が、議会のボイコットを決めた。

 シーア派住民はチュニジアやエジプトにならってインターネットの交流サイト、フェイスブックなどで若者らがデモを呼びかけている。これに対し政府は11日に、「国民憲章制定10周年」を名目に全世帯に1千バーレーン・ディナール(約22万円)を配ってなだめようとしたが、デモは収まる気配を見せていない。

 イエメンでは、約20年にわたり大統領の座にあり、息子への世襲のうわさもあったサレハ大統領の退陣や民主化を求めるデモが5日にわたり続いている。連日、数千人の反政権デモ隊が出る一方、「政権支持」を主張するグループもデモを行い、緊張した状態が続いている。

2079チバQ:2011/02/16(水) 00:30:24
http://www.asahi.com/international/update/0215/TKY201102150586.html
反米化防げ 米、中東に電話攻勢 エジプト政権崩壊受け(1/2ページ)2011年2月15日22時58分
. 【ワシントン=望月洋嗣】エジプトのムバラク政権崩壊で中東外交の「礎石」を失ったオバマ米政権が、地域の安定化に向けて矢継ぎ早に動いている。関係国の首脳らと精力的に連絡を取る一方、「民主化ドミノ」を恐れる国には高官を派遣。エジプトで「秩序ある民主化」を実現するため、過去の「市民革命」の事例も研究しているという。

 ムバラク大統領辞任から一夜明けた12日、オバマ米大統領は英国のキャメロン首相やトルコのエルドアン首相、ヨルダンのアブドラ国王らと相次いで電話会談。バイデン副大統領も13日までにイラク、クウェート、アラブ首長国連邦の首脳らと電話で会談したという。

 ホワイトハウスによると、オバマ大統領は各国首脳との会談で「民主主義は中東地域にさらなる安定をもたらす」との考えを示し、エジプトの民主化を支援する意向を表明した。だが一方で、米政府は中東が「民主化ドミノ」で混乱したり、反米政権ができたりすることを強く警戒しており、そうした事態を防ぐための外交努力にも力を入れている格好だ。

 エジプトとともに米国の中東外交を支えてきた親米のヨルダンには、バーンズ国務次官と米軍制服組トップのマレン統合参謀本部議長を急きょ派遣。国王や首相、外相らとの会談で、米国がヨルダンの政治、経済改革を支援する意向を伝えたという。反米に傾かないよう、米国が主導権を握りたいとの意思表示だ。

 また、クローリー国務次官補は14日、イエメン、アルジェリア、バーレーンの反政府デモの動きを注視していると明らかにした。

 一方、米紙ワシントン・ポストによると、ドニロン米大統領補佐官(国家安全保障担当)は、親米的な独裁国家が崩壊した過去の事例の研究を指示した。オバマ政権はエジプトが民主化を経て、イランのような反米イスラム国家になることを警戒している。このため、世界最大のイスラム人口を抱え、1990年代末からの民主化移行後も比較的安定しているインドネシアに注目しているという。

 オバマ大統領は小学生時代をインドネシアで過ごした経験があり、ムバラク氏辞任を受けた11日の声明で、エジプトの「市民革命」をインドネシアの民主化運動になぞらえて称賛していた。

2080チバQ:2011/02/16(水) 00:31:00
http://www.asahi.com/international/update/0215/TKY201102150487.html
ベルルスコーニ首相を起訴 未成年者買春罪・職権乱用罪2011年2月15日21時19分
 【ローマ=南島信也】イタリアのベルルスコーニ首相(74)の少女買春疑惑で、ミラノ地裁の予審判事は15日、首相を未成年者買春罪と職権乱用罪で起訴した。初公判も4月6日に決まり、主要国首脳会議(G8)メンバー国の首脳の乱れた私生活が、法廷で問われる前代未聞の事態となった。首相のスキャンダル発覚後、国会は空転しており、解散総選挙への流れが強まりそうだ。

 首相は昨年2〜5月、ミラノ郊外の首相の自宅や別荘で17歳(当時)のモロッコ人少女を買春したとされる。首相は少女に7千ユーロ(約79万円)を支払ったが、首相、少女とも買春の対価ではないとし、性的関係も否定している。

 また首相は、少女が窃盗容疑で逮捕された際に、警察幹部に電話で「少女はエジプトのムバラク大統領の親戚なので、早く釈放するように」と働きかけたとされ、職権乱用の罪にも問われた。

 予審判事は、ミラノ地検が提出した782ページにも及ぶ捜査報告書を検討。予備審問を省略した起訴・即時裁判を行うよう求めていた地検の要請について、予審判事は立件に向けた十分な証拠があると認めたものとみられる。

 首相はこれまで、贈賄罪などで計106回訴追されてきた。しかし、首相在任中は自らを訴追の対象外とする免責法や、出廷を免除される特権法を成立させるなどして裁判を引き延ばし、そのほとんどで犯罪事実そのものは認定されながら、時効によって無罪判決を受けてきた。

 現在も、裁判で偽証する見返りに英国人弁護士に60万ドルの賄賂を渡したとされる贈収賄事件の被告になっている。

 首相は公判には出廷しない見通しだが、地検は「首相は相当な数の若い女性を買春した」と主張。また、地検の主任検事は女性で、地裁の判事も3人とも女性という状況の法廷で、首相のプライバシーが赤裸々に明らかにされることになり、大きな政治的打撃を受けるのは必至だ。

 首相は15日、チュニジアの難民問題について地元と協議するため南部シチリア島を訪れ、記者会見を行う予定だったが、起訴を受けて予定をキャンセルし、急きょローマに戻った。

2081チバQ:2011/02/16(水) 00:39:51
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110215-OYT1T00308.htm
エジプト各地でスト相次ぐ…不満一気に噴出
 【カイロ=田尾茂樹】ムバラク政権が崩壊したエジプト各地で14日、賃上げなどを求める労働者のストライキやデモが相次いだ。

 AFP通信などによると、首都カイロでは、交通局の職員約3000人のほか、一部銀行や政府機関でも職員がストを行った。カイロ郊外では、繊維工場の労働者約5000人が待遇改善を求めて座り込みを実施し、救急隊員約500人もストに参加した。北部アレクサンドリアの銀行や工場、病院でもストがあった。

 デモやストの参加者は、「幹部職員は前政権との癒着で腐敗している」と主張し、辞任や更迭を求めた。

 強権的なムバラク体制下で抑え付けられてきた労働者の不満が政権崩壊を機に噴出した形で、民政移行まで暫定的に国家を統治する軍は、新たな社会不安につながるとして警戒を強めている。軍は14日の声明で、「治安や経済に大きな打撃となる」として、国民に対し、ストをやめて経済復興に協力するよう求めた。

(2011年2月15日11時30分 読売新聞)

2082テレホンセックスしたい人大集合:2011/02/16(水) 10:03:08
z:I%Uj*$, www.telephonesexbox.com, テレホンセックスしたい人大集合, http://www.telephonesexbox.com/

2083チバQ:2011/02/17(木) 00:13:46
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110216/mds11021622110008-n1.htm
改憲案の策定始まる 「ムバラク路線」踏襲に懸念
2011.2.16 22:10 (1/2ページ)

15日、反ムバラク派のデモ隊らが姿を消し、交通機関が動き出したカイロ中心部のタハリール広場(AP)
 【カイロ=大内清】ムバラク政権が崩壊したエジプトの改憲委員会メンバーが15日、全権を掌握する軍最高評議会によって任命され、改憲案の策定作業が始まった。最高評議会は「10日以内」という日程を示し、早期の民政移行に向けた改憲手続きを進める姿勢を示しているが、その半面、審議時間が少ないことから改正は小幅にとどまらざるを得ないとの見方が強い。抜本的な改革を求める民主化勢力からは「表面的な変化で終わってしまう」と懸念する声も出始めている。

 改憲委員会は元判事のビシュリ委員長のほか、7人の法律家で構成され、イスラム原理主義組織、ムスリム同胞団のメンバーも含まれている。最高評議会が指示したのは、(1)大統領選の立候補資格の緩和(2)大統領の再選回数の制限(3)司法による選挙監視(4)非常事態令の解除−などに必要な条文の見直しで、これらは、ムバラク前大統領が辞任前日の10日にテレビ演説で約束したものとほぼ同じだ。

 前政権が設置した改憲委に参加した法律家のヤヒヤ・ガマル氏は「まずは民主選挙を可能にする最小限の改正を行い、さらなる改憲は新政権で実現すればいい」と理解を示す。

 ただ、「ムバラク路線」の踏襲ともいえる最高評議会の方針に対しては異論も多い。民主化勢力に近い弁護士の一人は「憲法で認められている予算配分などに関する大統領の強大な権限をどう制限するかという議論がない」と指摘、最高評議会が独裁的な支配を可能にする仕組みを温存しようとしているのではないか−との疑念を示している。

 委員の人選にも注目が集まる。同胞団幹部のソブヒ・サーレフ弁護士が選出されたほか、ビシュリ委員長も、司法の独立性を主張する硬骨漢として知られる半面、イスラム学者の家系に生まれ「イスラム色が強い」(汎アラブ紙アルハヤート)とされるためだ。

 軍としては同胞団の伸長を警戒する一方、事実上の最大野党、同胞団を政治プロセスから排除することは現実的な選択肢でない。前政権末期から顕著となった同胞団をプロセスに取り込みつつ、出方をうかがう動きの一環とみられる。

2084チバQ:2011/02/17(木) 00:16:45
http://jp.wsj.com/World/Europe/node_184070
ムスリム同胞団が持つ二面性−改革派と守旧派
2011年 2月 16日 20:45 JST
【カイロ】29歳の好青年、モアズ・アブデル・カリムは、カイロで最近のデモを計画した若き活動家の一人だが、ムスリム同胞団の新しい側面の代表と言える。女性の権利、宗教的自由、政治の多元的共存についての彼の考え方は、西側の民主主義的価値と一致する。彼は、エジプトで民主主義と人権を勝ち取ることに取り組んでいる。

 ムスリム同胞団が持つもうひとつの顔は、昨年1月に最高指導者に就任した保守派で66歳の獣医、モハメド・バディだ。バディ氏は最近、ムスリム同胞団がユダヤ人に対して「聖戦の御旗を引き続き掲げる」方針を明らかにするとともに、ユダヤ人は同胞団にとって「第一、かつ最大の敵」だと述べている。彼は米国の「帝国主義」に反対し、イスラム国家建設の必要性を唱えている。

 1979年のイラン革命以来、この地域で最も劇的となった市民蜂起を受けて、ムバラク大統領が今月11日に辞任。ムスリム同胞団はエジプト政治の重要な役割を担おうとしている。そこで多くの人が抱く疑問は、「誰の同胞なのか」ということだ。

 1月25日から始まったデモを組織するうえで重要な役割を演じ、在任期間29年のムバラク大統領を辞任に追い込んだのは、カリム氏と、彼よりもさらに若く寛容な仲間達だ。しかし、依然として、ムスリム同胞団の指導部の大半を占めるのは、保守的で反西側の守旧派だ。

 バディ氏は昨年9月、同胞団のウェブサイトの記事の中で、米国についてこう書いている。「モラルと人間の価値を擁護しない国が人類を導くことは不可能だ。アッラーの思し召しによれば、そのような国に富は根付かない」

 バディ氏の文章はこう続く。「レジスタンスがユダヤ・米国の尊大と専制に対する唯一の解決だ。アラブとイスラムの人々に必要なことは、レジスタンスの支持である。・・・ガザのムジャヒディン(聖戦士)の兄弟に告ぐ。辛抱し、聖戦を貫け。そうすれば、アッラーとともに生きられるということが分かるだろう」

 カリム氏は14日、世俗派数グループの若きリーダーとともに記者会見を行い、エジプトの民主主義移行の進め方について意見を述べ、軍の協力を称賛した。彼らの第一の主張は、広範な野党勢力を含む統一政府の実現だ。

 ムスリム同胞団は、12日に自由公正な選挙を求めた同様のメッセージを発表している。同胞団は、同組織の政権奪取に対する懸念を和らげるために、大統領選挙で候補を擁立せず、議席の過半数取得を目指さない方針も示した。

 しかしながら、エジプト人も海外も慎重な見方を崩していない。ムスリム同胞団が今後、新たに得る政治的利益をどのように利用するのか、また同組織の穏健派が影響力を維持できるのかが不透明なためだ。

 米ケント州立大学の政治学教授で、エジプトで長年ムスリム同胞団の研究を行ったジョシュ・スタシェル氏は、「同胞団の全容は明らかになっていない。大きな集団で、さまざまな意見が存在する。イスラエルを常に非難する者もあれば、イスラエルに関心を示さず、識字率の向上に熱心な向きもある」と述べた。

2085チバQ:2011/02/17(木) 00:17:23
 イスラエルは、ムスリム同胞団に穏健派がいるとするなら(イスラエル政権幹部の多くはこのことに疑問を抱いている)、その穏健派が急進派に駆逐される可能性を懸念している。

 ムスリム同胞団の保守派はここ何年も、反イスラエル的なコメントを出し、イスラム原理主義組織ハマスに資金援助を行ってきた。イラク、アフガニスタンの米兵士に対する攻撃を支持する発言も行っている。

 米国は、静観する構えのようだ。オバマ大統領はフォックス・ニュースのインタビューで、ムスリム同胞団の反米姿勢は認識しているとしながらも、同胞団はエジプトで大多数の支持を得ておらず、政治プロセスに含まれるべきとの見方を示した。大統領は、この問題を「ムスリム同胞団か、エジプト市民の抑圧かの二者択一にしないことが重要だ」述べている。

 非合法のムスリム同胞団は、若年層と年配者、改革派と強硬派の対立を抱えている。エジプト政府が国家の脅威として留意してきたのは強硬派だ。

 しかし近年、同胞団の中でも現実路線の陣営が、世俗的な野党活動家と手を結んだ。彼らがムバラク大統領を辞任に追い込んだことで、守旧派との権力争いに有利に働いたもようだ。

 1990年代にムスリム同胞団を去り、中道党を結成したエッサム・スルタン氏は、「ムスリム同胞団自体に革命の功績はないが、一部派閥にはそれがある。彼らは総じて近代的な考え方を持っている。このことで、同派閥は高い評価を得るべきだ」と述べた。

 一部の派閥が勢いを得たことにより、ムスリム同胞団の穏健派が影響力を不動のものにできるのかどうか、また、彼らの政策は具体的にどのようなものになるのか――はまだわからない。

 ムバラク大統領の辞任がまだ不透明だった9日、ムスリム同胞団の指導評議会(Guidance Council、12人で構成)の改革派のひとり、エッサム・エルエリァン氏は声明を発表、同胞団はイスラム国家の創設を求めておらず、男女平等とキリスト教徒を認め、イスラエルとのキャンプデービッド合意を破棄しない方針だと明らかにした。これとは異なる信条を過去に示した者は誤解されており、ムスリム同胞団を代弁していないとエルエリァン氏は述べた。

 ムスリム同胞団は、1928年にスエズ運河の町イスマイリアで22歳の学校教師が創設した。同組織は1940年代、英国の占領と闘うために暴力も行使した。

 1952年には、青年将校らと協力して国王を追放。ガマール・アブドゥル・ナセル氏を大統領の座に就けたが、その2年後にはナセル大統領暗殺の企てに関与したとされた。ナセル大統領はムスリム同胞団に対して厳しい弾圧を行い、指導部を投獄、党員は国外追放された。

 ムスリム同胞団は1972年に正式に暴力を放棄したが、一部は武力的な道に進んだ。一部の元党員は、1981年のサダト大統領暗殺に関与したグループを創設、別のメンバーはアルカイダと組んだ。

 1970年代末から1980年代初め、左派の古参メンバーとイスラム学生活動家は、大学を舞台に互いに激しく対立した。この対立などで、エジプトの野党は影響力を失っていった。

 しかし、2005年の議会選挙でムスリム同胞団は大勝利を収め、88議席と過去最高の議席を獲得した。同胞団は公式には非合法組織であるものの、無所属として候補者擁立を許された。

 政治から距離を置く強硬派と比べ、多くのムスリム同胞団の議員は現実主義だ。他のグループとの交渉に積極的で、譲歩も厭わない。議会で非常事態法の延長に注力したことで、世俗主義の野党指導者から賛同を得た。

2086チバQ:2011/02/17(木) 00:17:41
 また、ムスリム同胞団の議員は、司法の独立を主張し、報道の自由を推進。出版規制もせず、女性にイスラム的な服装を強制することもしなかった。

 エジプト政府は、ムスリム同胞団の議会での成功に対して、非情な弾圧で応酬した。強硬派の指導者ではなく、穏健派を弾圧したのである。

 逮捕された数百人には、教育や医療改革法案の作成を手掛けた18人のムスリム同胞団議員が含まれていた。指導評議会のメンバー12人のうち、現実主義者のリーダー格も逮捕された。

 穏健派の逮捕によって生じた力の空白は、守旧派によってすぐに埋められた。守旧派は2007年、穏健派の主張を大部分なぞった政策要綱を発表した。

 要綱は、女性とキリスト教徒に大統領への立候補資格を認めない内容だった。宗教的な評議会が法律の署名を行うことも求めていた。

 同胞団の内部では、守旧派と改革派の対立が表面化し始めた。穏健派は、政策要綱は素案に過ぎず、正式に採用されることはないと批判した。

 関係筋によると、2008年に行われた指導評議会の選挙は強硬派が圧勝し、改革派の当選は1人にとどまった。

 この時期、ネットを通じて他のグループの活動家との関係が構築された、とムスリム同胞団の青年部のカリム氏は言う。「新たなメディアによって、他との連携ができた。人権問題や政治問題など、共通点があるということに気が付いた」とカリム氏は述べた。

 従来、ムスリム同胞団と世俗主義政党の連携は、トップダウン型で、政治的な必要性に迫られた短命の性格を帯びていた。しかし現在、ムスリム同胞団と協力関係にある若い活動家は、直近の連携はもっと有機的なものだとしている。

 守旧派が指導部で影響力を増すなか、カリム氏と若い幹部の不満は膨らんでいった。カリム氏らは、世俗主義活動家のように民主主義を求めて抗議しなければ、国民の支持を失うと年配者に訴え始めた。

 08年11月、ムスリム同胞団の当時の最高指導者マハディ・アキフ氏は、「エジプトでみられる専制」に対抗するため、「全政治勢力および市民社会の結集」を呼びかけた。

 アキフ氏からはコメントは得られていないが、内部関係者によると、指導部が若年幹部の離反を招くリスクを認識したことが転換点となった。

 2010年2月、野党グループの連携を促すため、エルバラダイ氏がエジプトに戻った時、ムスリム同胞団はエルバラダイ氏を支持、正式に連携を決めた。

 1月のチュニジア暴動後、カリム氏を含むムスリム同胞団の青年らは他の青年活動のリーダーと密かに会い、エジプトで同様の蜂起を計画することを決めた。

 カリム氏を含む青年リーダー12人は、治安部隊を出し抜くためにはどのようにデモを実施したらよいか、2週間密談を重ねた。

 当初、ムスリム同胞団の指導部は、青年達の努力にお墨付きを与えなかった。しかし最終的には、個人参加の扱いでデモを許可。また、過去のムスリム同胞団ならやっていそうな、「イスラムこそが解決手段」といった宗教スローガンを掲げることや、コーランをかざすことを控えることでも合意した。

記者: CHARLES LEVINSON

2087チバQ:2011/02/17(木) 00:22:52
>>919とか
http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2011021600486
元主治医、不屈の挑戦=大統領選18日投票−ウガンダ
 【ロンドン時事】18日投票の東アフリカ・ウガンダ大統領選で、25年に及ぶ長期支配を続けるムセベニ大統領(66)に元主治医の野党候補キザ・ベシジェ氏(54)が3度目の戦いを挑んでいる。
 ベシジェ氏は1980年、当時のオボテ独裁政権と戦ったムセベニ氏率いる反政府勢力、国民抵抗運動(NRM)に軍医として参加。ムセベニ氏の主治医を務め、側近となった。86年のムセベニ政権誕生後も要職を歴任したが、次第に大統領と疎遠になり、99年には公然と政権の汚職体質を批判し始めた。
 大統領選にも2001年と06年の2回出馬。28%の得票で69%のムセベニ氏に敗れた01年選挙後には国家反逆容疑で逮捕され、保釈後、南アフリカ共和国などへの亡命を余儀なくされた。
 06年の前回大統領選出馬のため帰国した05年には国家反逆に加え強姦(ごうかん)容疑でも逮捕され、獄中でまともな選挙運動はできなかった。それでも37%を得票し、59%のムセベニ氏を脅かした。(2011/02/16-14:23

2088チバQ:2011/02/17(木) 00:23:33
>>2078
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2011021602000189.html
バーレーン 占拠広場で徹夜抗議
2011年2月16日 夕刊

 【カイロ=内田康】ペルシャ湾に浮かぶ島国バーレーンの首都マナマで、中心部の「真珠広場」を占拠した反政府デモ隊は十五日夜、広場にテントを設営し、徹夜の抗議活動を始めた。エジプトのムバラク大統領(82)が辞任するまでカイロ中心部のタハリール(解放)広場に陣取ったデモ隊にならった手法。バーレーン情勢は緊迫度を増している。

 広場を占拠したデモ隊は十五日夕方(日本時間同日深夜)の段階で数千人規模に膨れあがった。徹夜を始めた人数は明らかでない。現在のところ、広場で治安部隊との衝突は起きていないもようだ。

 ロイター通信などによると、デモ隊はイスラム教シーア派の住民が中心。スンニ派の王室など支配層によるシーア派住民への差別解消のため、憲法改正やハリファ首相の辞任などを訴えている。政府の対応が不十分な場合、王制打倒に動く可能性も否定できない。

 バーレーンは国民の八割を占めるイスラム教徒のうち、七割がシーア派で、三割がスンニ派。ハマド国王ら支配層はスンニ派で、シーア派は軍や警察に就職できないなどの差別を訴えている。

 シーア派は、直接選挙による国民議会の下院(定数四〇)に十八議席を維持するが、首相は国王が任命。諮問評議会(上院、定数四〇)の任命権も国王が握っており、民主化のためには、憲法改正が必要と訴えている。

 バーレーンは親米の外交方針を維持。マナマには米海軍第五艦隊司令部がある。

2089チバQ:2011/02/17(木) 00:28:20
http://www.asahi.com/international/update/0216/TKY201102160487.html
リビアでも反政府デモ、警官隊と衝突 人権派の釈放要求(1/2ページ)2011年2月16日22時58分
 【カイロ=貫洞欣寛、前川浩之】リビアからの報道によると、同国東部ベンガジで15日夜、人権活動家の釈放を求めるデモ隊と私服警官隊が衝突した。AFP通信によると38人が負傷した。

 リビアでは1969年の王制打倒クーデター以後、カダフィ大佐による独裁が続く。ベンガジは、カダフィ大佐への反発が強い地域とされるが、強権的なカダフィ体制下で公然とデモが起きたことは異例だ。

 当局は16日朝までにデモ隊を排除した模様だ。ただし当局は、反政府行動を沈静化させようと、拘束中の活動家ら110人を釈放する方針とも伝えられている。

 一方、バーレーンからの報道によると、同国の多数派であるイスラム教シーア派の市民らによる権利拡大や民主化を求めるデモは、首都マナマ中心部の「真珠広場」で16日も続いている。

 中東の衛星テレビ局アルジャジーラによると、警官隊との衝突で死亡した犠牲者の葬儀が行われ、数千人の市民が参列した。警官隊との衝突はなかった模様だが、広場には「体制打倒」を叫ぶ若者たちが大勢残っており、デモは勢いを失っていない。

 ハマド国王は15日のテレビ演説で、手荒な鎮圧に対しての遺憾の意と社会改革を進める意向を表明し、デモの沈静化を促した。だが、同国の人権活動家ナビール・ラジャブ氏はアルジャジーラに「国王の演説は具体的にどう要求に応えるのか不透明。欲しいのは変革だ」と語り、デモは収束しないとの見方を示した。

 デモ鎮圧に抗議して議会をボイコットした最大会派、イスラム国民統合協会(シーア派)の幹事長を務めるアリ・サルマン師は16日、マナマで記者会見し、「(大統領が任命する)首相を選挙で選ぶべきだ」との考えを示した。

 同協会所属のフセイン議員も、朝日新聞に「葬儀は平和的だった。エジプトもそうだが、中東の国々にはそれぞれ自分たちで解決すべき問題があり、バーレーンも(首相公選や民主化のための)憲法改正などがそれにあたる」と話した。マッタール議員もアルジャジーラに対し「望んでいるのは、大統領側との対話だ」と語った。

 バーレーンは人口約110万人(推定)。シーア派が7割を占めるが、王家はスンニ派で、シーア派住民は差別的待遇の改善などを訴えてきた。石油収入が国家歳入の約7割を占める。湾岸地域の金融センターの役割を果たしているほか、米海軍第5艦隊司令部があり、米国の中東戦略の要でもある。

 イエメンでも、サレハ大統領の退陣を求める反政府デモが続く。大統領は2013年の引退と息子への権力継承をしないと表明したが収まらず、当局側は大統領支持派を動員した官製デモ隊を首都の各所に配置、デモの抑え込みを図っているとみられる。

2090チバQ:2011/02/17(木) 00:28:58
http://www.asahi.com/international/update/0216/TKY201102160165.html
ムバラク前大統領、重体説も 容体悪化と外交筋2011年2月16日15時1分
 【カイロ=石合力】エジプトのホスニ・ムバラク前大統領(82)が滞在先の東部シャルムエルシェイクで体調を崩し、容体が悪化している模様だ。当地の複数の外交筋が明らかにした。生死にかかわる事態になっているとの見方もでている。

 30年にわたって大統領を務めたムバラク氏は、今月11日に民衆デモで退陣に追い込まれ、家族らとともに首都カイロから脱出した。外交筋によると、シャルムエルシェイク到着後、体調が悪化したが、本人は家族らにあくまでも祖国で死にたいとの意向を漏らし、投薬などの治療や国外での本格的な治療を拒否しているという。ロイター通信は16日、エジプト軍筋の話として「ムバラク氏は呼吸をしている」と語ったが、体調についての具体的な説明はなかったと報じた。

 ムバラク氏の動静をめぐっては退陣後、発作を起こして意識不明になったとの重病説やうつ病状態になったとの説が流れ、14日には駐エジプトの米国大使が米NBCテレビに「何らかの健康悪化の可能性」を示唆していた。

 ムバラク氏は昨年3月にドイツで胆嚢(たんのう)の手術を受けたことから、退陣前の段階から、治療目的でドイツに渡航するのではないかとの見方も出ていた。

2091チバQ:2011/02/17(木) 00:38:06
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110216-OYT1T00992.htm
イランで改革派と保守派の支持者が衝突

 【テヘラン=久保健一】イラン国営テレビによると、首都中心部のテヘラン大学で16日、改革派による14日の反政府デモで死亡した大学生(26)の葬儀が行われたが、この際、改革派支持者と保守派支持者の間で衝突が起きた。死傷者があったかは報じられていない。

 この大学生について、保守派系メディアは「革命防衛隊傘下の民兵組織メンバーで、改革派支持者に銃撃された」と報じているが、改革派側は「デモ参加者だ」と主張している。葬儀には、両派の支持者約2000人が出席していた。

 一方、イスラム体制を支配する保守派は16日、中部のシーア派聖地コムで、イスラム法学者を集めた反改革派集会を開くなど、保守派内の引き締めに躍起だ。有力イスラム法学者アハマド・ハタミ師は集会で、「暴動の首謀者は第一に米国だ」と述べ、国民の反米感情をあおってデモ沈静化を図る姿勢を示した。

(2011年2月16日22時41分 読売新聞)

http://www.yomiuri.co.jp/feature/20081229-507405/news/20110216-OYT1T00321.htm
投げた砂は目に入る…イラン大統領デモ弾圧へ

 【テヘラン支局】イランのアフマディネジャド大統領は15日、国営テレビのインタビューで、改革派による反政府デモについて、「目的を達成することはないだろう」と述べ、封じ込めを徹底する考えを示した。

 英BBC放送が伝えた。大統領は「彼らが投げた砂は、彼らの目に入るだろう」とし、改革派指導者のミルホセイン・ムサビ元首相らの処分を示唆した。

 BBC放送などによると、イラン国会では15日、保守派議員らが「ムサビに死を」などと叫びながら議場を行進し、ムサビ元首相らは死刑に処されるべきだとする声明を出した。

(2011年2月16日10時51分 読売新聞)

2092チバQ:2011/02/17(木) 00:38:33
http://www.asahi.com/international/update/0216/TKY201102160198.html
イランの反政府デモを支持 米大統領 中東の民主化促す2011年2月16日19時16分
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 【ワシントン=望月洋嗣】オバマ米大統領は15日、ホワイトハウスで記者会見し、イランで起きた反政府デモに関して「人々がより大きな自由と国民の代表と言える政府を得たいという願いを表現し続けるよう期待する」と述べ、反アフマディネジャド政権の市民への支持を明確に示した。また、中東諸国について「圧政では権力は維持できない」とし、民主化への取り組みを促した。

 イラン当局によるデモの弾圧については「エジプトで起きたことを祝うふりをしながら、平和的に意思表示をした市民に銃撃や殴打で対応したことは皮肉だ」と非難。イランでも表現の自由や民主化要求運動が認められるべきだとし、こうした権利を求める市民に「道徳的な支援を提供する」とした。

 エジプト情勢については、同国軍の最高評議会がイスラエルとの和平条約を維持し、野党勢力と会談した点を評価して「これまでの展開は前向きだ」と述べた。米国の対応への批判に対しては「あらゆる節目で歴史の正しい側にいた」と述べ、過度の介入を控えた米国の判断は正しかった、との考えを強調した。

2093チバQ:2011/02/17(木) 00:39:00
http://mainichi.jp/select/world/news/20110215dde001030008000c.html
反政府デモ:中東、怒りの連鎖 イラン、バーレーン、イエメンで
 ◇数千人規模、死者も
 【カイロ鵜塚健、エルサレム花岡洋二】長期独裁政権を打倒したエジプト政変に触発された反政府デモが14日、周辺の中東諸国に拡大し、現地からの報道によると、イランとバーレーンで参加者1人がそれぞれ死亡した。イランの大規模デモはエジプト政変後初めて。また、イエメンでは4日連続でデモがあり、警官隊と衝突する事態になっている。

 イランの首都テヘランでは14日、アフマディネジャド政権に反発する市民ら数千人がデモ行進。ファルス通信によると「扇動者」の発砲で市民1人が死亡、多数が負傷した。治安部隊が催涙弾などでデモ隊に応酬し数十人を拘束している模様だ。市民の死亡を「扇動者」の発砲とすることで、政府は治安部隊側が撃ったのではないと主張したものとみられる。

 デモは、保守派のアフマディネジャド大統領に反発する改革派のムサビ元首相やカルビ元国会議長が呼びかけていた。若者らが「独裁者に死を」などのスローガンを掲げてテヘラン市内を行進し、治安部隊が催涙弾を発射したり、棒で殴るなどして抑え込んだ。この日、中部イスファハン、南部シラーズでも同様のデモがあった。ムサビ氏らは「(反政府デモを展開した)エジプトやチュニジア国民を支持する」という名目でデモ許可を治安当局に事前申請していた。これに対し、当局は反政府デモに転化するのを恐れ、この数日間でデモ計画の関係者を相次いで逮捕しムサビ氏を自宅軟禁状態にした。

 一方、ペルシャ湾の島国バーレーンの首都マナマと周辺の町村でも大規模な民主化要求デモがあり、1000人以上が参加。警官隊が催涙弾やゴム弾を発砲して強制的に解散させた結果、参加者1人が死亡した。ロイター通信が伝えた。

 デモは02年に改正憲法が公布された記念日に合わせ、インターネット交流サイト「フェースブック」などで呼びかけられた。バーレーンは立憲君主制。ハマド国王ら少数のイスラム教スンニ派による支配に、人口の約7割を占めるシーア派住民は不満を募らせている。今回も主にシーア派住民が宗派間の平等や、議会の権限強化などの民主化を要求した。

 さらに、イエメンの首都サヌアでは、南北イエメン統一(90年)以来、大統領職にあるサレハ氏の即時退陣を求める4日連続のデモが発生し、学生や弁護士ら数千人が参加した。

2094チバQ:2011/02/18(金) 00:25:54
http://mainichi.jp/select/world/news/20110218k0000m030098000c.html
米国:中東に「二重基準」 バーレーン政権批判は慎重
 【ワシントン草野和彦】中東バーレーンの反政府デモで、治安当局がデモ隊を強制排除し死傷者が出た事件について、カーニー米大統領報道官は16日、政権側とデモ隊の双方に暴力停止を求めた。オバマ大統領が前日、イラン政府のデモ弾圧を厳しく批判したのとは対照的だ。反米政権によるデモ封殺を強く批判しながら、親米国の強硬姿勢についてはあいまいな対応しかできないところに、米外交の「ダブルスタンダード(二重基準)」が表れている。

 大統領は15日、「世界は変わっている。立ち遅れてはならない」と語り、中東全域での反政府デモ拡大に懸念を示すと共に、各国指導者に改革促進を求めた。特にイラン政府については「国民を射殺したり、殴ったりしている」と政府の弾圧を明確に批判した。

 だが報道官は16日の記者会見でバーレーン、リビア両政府のデモ隊への対応への見解を聞かれ、「(対応は)国ごとに異なる」「(政府とデモ隊の)両方に非暴力を求める」などと述べ、政府批判は慎重に避けた。イラン政府の対応を「弾圧」と批判したのとは明らかな違いだ。

 米国にとって、バーレーンは戦略的に極めて重要な国だ。同国にある米海軍第5艦隊司令部は中東有事の際に展開するだけでなく、平時もホルムズ海峡やスエズ運河を警戒し、湾岸諸国の原油を欧米に安定供給する役割を果たしている。04年には湾岸諸国で初めて米国と自由貿易協定(FTA)を締結した。

 また人口のうち約6割はイスラム教シーア派で、スンニ派はハマド国王を頂点とする支配層など約3割。政府は90年代から民主化を推進。湾岸諸国で初めて女性の参政権を認めた普通選挙を導入するなど、欧米の評価は高い。

 一方でバーレーンは地政学的には微妙な位置にある。ペルシャ湾を挟む東隣のシーア派国家イランが影響力拡大を狙っており、バーレーン国内でスンニ派とシーア派の宗派間対立が深まり、民主化の「優等生」である同国が混乱することを米国は懸念している。

 さらに同国の混乱は、西隣の「アラブの盟主」サウジアラビアに何らかの影響を与えないとも限らない。スンニ派国家のサウジだが、バーレーンに近い東部にはシーア派住民もいるためだ。米国はバーレーン指導層を批判することで、サウジ国内のシーア派が勢いづくのを恐れているとみられる。

 バーレーンでは1990年代中ごろにもシーア派住民による反政府大規模デモが続発したが、このときも米政府はハマド政権を強く支援し続けた。このため、シーア派住民には米政府への反発もある。

2095チバQ:2011/02/18(金) 00:31:40
http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110217-OYT1T01072.htm
リビア4都市で反体制デモ、死者続出の情報も




. 中東
 【エルサレム=加藤賢治、マナマ=佐藤昌宏】中東の衛星テレビ「アル・ジャジーラ」などによると、リビアの4都市で17日、反体制派デモが行われた。

 反体制派は交流サイト「フェイスブック」などで同日のデモ実施を呼びかけていた。

 反体制デモは北東部ベンガジから他の都市にも拡大。AP通信はスイスで活動する反体制活動家の情報として、北東部ベイダで16日に11人、北西部ゼンタンで17日に2人がそれぞれ死亡、北西部リジバンでも1人が死亡したと伝えた。

 政権側はデモ封じ込めを狙っている模様で、デモの呼びかけ人が逮捕されたとの情報もある。AFP通信によると、首都トリポリでは17日、最高指導者カダフィ氏の支持集会が計画され、学生がバスで動員された。16日には反体制デモの弾圧を予告するメッセージが携帯電話に発信されたという。

(2011年2月17日23時25分 読売新聞)

http://sankei.jp.msn.com/world/news/110217/mds11021723550015-n1.htm
カダフィ大佐のリビアで大規模デモ 「怒りの日」14人死亡 
2011.2.17 23:41 (1/2ページ)
 【カイロ=大内清】 チュニジア、エジプトの政権を転覆させた民衆による反政府デモの波が、中東・北アフリカの産油国を揺るがしている。最高指導者カダフィ大佐(68)による独裁が40年以上続くリビアではこれまでに少なくとも14人が、ペルシャ湾岸のバーレーンでも少なくとも5人が死亡、デモが終息に向かうかは不透明だ。両国の不安定化は原油価格に直結するほか、米国の中東政策にも大きな影響を与えるだけに、米欧各国は両国の情勢に懸念を表明している。

 リビアでは、反政府デモ発生から3日目の17日、「怒りの日」と銘打たれたデモが複数の都市で行われた。首都トリポリなどでは体制支持派も数千人規模で集会を開いた。

 デモの「発火点」となったのは、第2の都市のベンガジ。イスラム主義勢力の地盤で、反政府感情が強いとされる土地だ。

 ベンガジでは15日、2006年に起きたイタリア領事館への襲撃に対する取り締まりで殺害された同勢力メンバーの家族が、メンバーを支援する弁護士の釈放を求め座り込みを始めたのを契機にデモが拡大した。

 当局はこの要求に応じるなどして沈静化を図ったが、AP通信によると、同市東部ベイダなどでは16日、デモ隊と治安部隊の衝突で少なくとも14人が死亡した。トリポリ南部のゼンタンでも同日、数百人が警察署に放火した。

 当局は電話の一部を遮断したり、報道を規制したりしてデモの押さえ込みを図っているもようだ。

 カダフィ氏は1969年、隣国エジプトのナセル大統領(当時)のアラブ社会主義に影響を受け、クーデターで実権を掌握。数々のテロを支援する強硬な反米主義者として知られたが、イラクのフセイン政権崩壊後の2003年に大量破壊兵器放棄を宣言、米欧との関係を改善し外資による石油開発を加速させた。

 国内的には、豊富な石油収入を背景に多くの国民に一定以上の生活を保障する半面、厳しい言論統制と監視社会を構築した。

 一部の国民にはこうした強権姿勢に対する不満も強く、交流サイト「フェースブック」では約1万人が17日のデモに賛同していた。

 リビアとの経済関係が深い欧州連合(EU)は16日、リビア政府に国民の言論の自由を認めるよう促す一方、デモ隊と政府双方に自制を呼びかけた。

2096チバQ:2011/02/18(金) 00:32:36
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110217/mds11021723340014-n1.htm
バーレーンで強制排除 約200人死傷 首都の広場に戦車を配備
2011.2.17 23:32 (1/2ページ)

 【カイロ=黒沢潤】バーレーンの警官隊は16日夜から17日未明にかけて、首都マナマの中心部「真珠広場」を占拠していたイスラム教シーア派住民など数百人に催涙弾を発射し、強制排除した。この際に住民少なくとも3人が死亡、195人が負傷した。約60人が行方不明になっているとの情報もある。同広場周辺には、戦車や装甲車など50台が配備されるなど、厳戒態勢が敷かれている。

 政権側は今回の事態を受けて17日、国会(定数40)を緊急招集する方針。フランス通信(AFP)によれば、シーア派の野党勢力(18議席)は同日、政権に抗議し辞職した。バーレーンやサウジアラビアなど湾岸諸国が加盟する湾岸協力会議(GCC)は同日夜、マナマで緊急外相会議を開き、今後の対応を協議する。

 バーレーンで混乱が広がる背景には、ハリファ王家など少数派のイスラム教スンニ派指導層が国家の実権を握り、全体の7割を占める多数派のシーア派住民が住宅、医療、政府への就職などで差別的待遇を受けてきたことがある。

 政権は、スンニ派の外国人に積極的に市民権を与えて、宗教人口の比率逆転を狙っており、危機感を抱くシーア派住民の間からは「体制転換」を公然と唱える声も上がり始めている。18日の金曜礼拝後に、大規模デモ実施を呼び掛ける団体も複数出てきた。

 バーレーンの動きには、スンニ派王家の隣国、サウジアラビアも神経をとがらせている。同国に住む約15%のシーア派住民を刺激しかねないためだ。

 一方、シーア派が多数を占めるイランの保守層は、バーレーンを“イランの14番目の地方”などと呼び、自国側に引き寄せることを狙っている。

 バーレーンは、ペルシャ湾やアラビア海などを管轄する米海軍第五艦隊の司令部と、米兵約1300人を抱える米軍の重要拠点だ。同艦隊は計約2万8千人の兵力を擁し、1〜2隻の空母部隊を常時運用する。米中央軍の指揮下で、イラクやアフガニスタン作戦を支えるほか、イラン監視や、ペルシャ湾のシーレーン(海上交通路)確保などの役割も担う。

 バーレーンが不安定化した場合、米国の中東戦略に重大な影響を及ぼしかねないため、米国務省のクローリー次官補(広報担当)は声明で「バーレーンのすべての人々は暴力を控えるべきだ」と自制を呼びかけている。

2097チバQ:2011/02/18(金) 00:33:45
http://mainichi.jp/select/world/news/20110213ddm001030050000c.html
衝撃・連鎖崩壊:中東はどこへ行くのか/上 指導者なき民衆革命
 ◇独裁政権、なすすべなく
 「大統領が辞めたなんて、まだ信じられない」。エジプトのムバラク政権が倒れた11日夜、民衆革命の拠点となったカイロ・タハリール広場から外れた路地のカフェで、カイロ大法学部2年のマフムードさん(20)は、沸き立つ群衆を遠目に半ば放心状態だった。

 1月25日に始まった反政府デモに初日から毎日参加。後頭部には警官に警棒で殴られた傷痕が生々しい。動機はいくつもある。生まれる前から大統領が同じで、政府には不正が横行、自由にものが言えず、同世代には失業者があふれている。

 18日間で群衆が変化していくのに驚いた。爆発的に膨れあがっただけでなく、初期の暴力状態が消え、最後は家族連れも交じるお祭り状態になった。

 一人で広場へ通っていた父親たちが、11日夜は「歴史的な日を子供たちにも見せたい」と、家族と一緒に広場へ押し掛けた。

 集まったきっかけは、インターネットや携帯電話など新しい通信手段で得た情報だ。お互い顔も知らず、指導者も政策もない。広場に来てから、標語を掲げるため地面で手書きする人々だ。

 スレイマン副大統領が事態を収拾するため対話の相手に選んだ野党指導者らが、広場で演説する姿はほとんど目立たず、既成の政治手法は、広場から排除されていた。当局に拘束されていたインターネット検索最大手グーグル幹部のエジプト人男性、ワエル・ゴニムさん(30)が「英雄」扱いされたのも、一時の現象に終わった。

 数も質も、独裁政権の弾圧が使えない新しい形の民衆蜂起が革命として姿を現した。

 チュニジア、エジプトと続いた「指導者なき革命」は、周辺国で長期支配を続ける指導者を、戦々恐々とさせているはずだ。

 両国の怒りのもとになった若年層の増大とその高失業率は、他の強権国家に共通の課題となっている。王族に富と権力が集中する世界最大の産油国サウジアラビアは、人口の過半数が25歳未満で、若年層の失業率は3割との推計もある。政府は海外留学制度などを強化し若者の不満そらしを図るが、ネットなどで世界の状況を熟知する若者は将来的な民主化要求運動の核になる可能性もある。

 イエメンやアルジェリアでも「怒れる若者」が頻発しているデモに多数参加。指導者は今期限りの引退や非常事態令の解除を発表してガス抜きに必死だ。

 エジプトなどの革命を、自らが79年に達成した民衆主導のイスラム革命の波及と言いはやすイランでも、「軍事独裁化しつつある」(クリントン米国務長官)強権的体制への若者の不満は根強い。09年6月の大統領選後は反体制派デモが荒れ狂った。これまで置き去りにされてきた民衆を主役に、中東は変革期に入っている。【カイロ伊藤智永、和田浩明】

    ◇

 ムバラク政権崩壊で中東の政治図は大きく塗り替わる可能性がある。周辺国や米国の中東外交への影響を探った。

毎日新聞 2011年2月13日 東京朝刊


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