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国際政治・世界事情

2065チバQ:2011/02/13(日) 12:02:58
http://mainichi.jp/select/world/europe/news/20110213k0000m030029000c.html
ムバラク前大統領:「孤独なファラオ」国民に向き合わず

政府系紙「アルアハラム」(中央と右)は、「若者がムバラクを追いだした」と異例の扱いで伝えた=2011年2月12日、鵜塚健撮影 「孤独なファラオ」は、最後まで国民に直接向き合おうとしなかった。古代エジプトの王に擬せられる絶大な権力を約30年にわたりふるったムバラク前大統領(82)。圧制への若者らの怒りがインターネットを触媒に起爆したわずか18日間の「指導者なき革命」に、「王位」を追われた。

 ◇「救国の英雄」から「孤独なファラオ」に
 「ムバラク大統領は辞任する」。衝撃の発表を11日夜に行ったのは右腕のスレイマン副大統領だった。前夜に本人が2度目の辞任拒否演説を行ってからわずか19時間後だった。

 第4次中東戦争(73年)で空軍司令官として活躍し「救国の英雄」となり、最高権力者への道筋をつかんだムバラク氏。軍歴を含め60年を超える公務の主目的だったという「国民と国土の保護」の看板は、即時退陣を求める全国的な反政府デモのうねりの前に放棄した形だ。9月の任期切れで「尊厳ある退出」を行うとの希望は、あまりにも民意と乖離(かいり)していた。

 ムバラク氏は81年のサダト元大統領暗殺後、副大統領から第4代大統領に選ばれた。中東最大の世俗国家の指導者として基本的に親米路線を維持。91年の湾岸戦争では多国籍軍に参加した。一方、03年のイラク戦争では国内外の反戦論の高まりで米英主導の進攻を批判、サウジアラビアと共同和平提案を行った。

 対アラブ世界では、前政権下の79年にイスラエルと和平条約を調印して孤立したエジプトのアラブ連盟への復帰を89年に実現。中東和平では分裂したパレスチナ各派の仲介などを通じ、米主導の和平交渉を支援した。

 内政面ではサダト氏暗殺に伴い発令した国家非常事態宣言を約30年にわたり維持し、独裁的な統治体制を強化。95年には訪問先のエチオピアでエジプトのイスラム過激派の暗殺未遂事件に遭遇した。

 01年の米同時多発テロ後、ブッシュ米政権の圧力で民主化要求が強まり、05年の大統領選挙では複数候補制を導入したが、圧倒的多数の票を得て5選した。

 同年の人民議会選挙では非合法の穏健派イスラム原理主義組織「ムスリム同胞団」が議席を伸ばしたため、民主化要求勢力の抑え込みに転じた。

 近年は高齢による健康の衰えから後継問題が浮上しており、次男ガマル氏が今年9月に予定されていた大統領選挙に出馬して「権力世襲」するとの観測も流れていた。(カイロ支局長・和田浩明)

毎日新聞 2011年2月12日 19時38分(最終更新 2月12日 20時40分)


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