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国際政治・世界事情

2048チバQ:2011/02/08(火) 23:08:15
http://sankei.jp.msn.com/world/news/110208/mds11020800110004-n1.htm
ムスリム同胞団 拭えぬ秘密結社のイメージ
2011.2.8 00:09 (1/2ページ)

6日、カイロで行われたムスリム同胞団を含む野党勢力などとスレイマン副大統領(右端)の協議(AP)
 【カイロ=黒沢潤】エジプトのスレイマン副大統領との対話を始めた穏健派イスラム原理主義組織ムスリム同胞団は、今後も反政府デモを継続する姿勢を崩していない。政権との“駆け引き”のほか、政治が変革期に入る中で、政権側との距離の取り方を模索している面もありそうだ。エジプトに根を張る同胞団とは、どんな組織なのか。

 同胞団は1928年、イスラム復興を目指す中学教師、ハサン・バンナーによって創設された。教育や医療、福祉などに力を注ぎ、40年代後半にはエジプト最大の政治結社に成長。52年の自由将校団クーデターに至る社会情勢を醸成したが、ナセル大統領への「暗殺未遂事件」を機に54年に非合法化された。

 後継のサダト大統領は非合法のまま、政敵の左派に対抗させるため、同胞団の活動を事実上、解禁。ムバラク大統領も踏襲した。インテリや貧困層を中心に広く浸透しているとされ、2005年の人民議会(下院に相当)選では無所属候補を擁立し88人が当選、事実上の最大野党となった。

 ただ昨年の前回選では、米国からの民主化圧力が低下したこともあり、政権側は同胞団関係者を大量拘束。これを受け同胞団は決選投票をボイコットした。

 「公正な大統領選実施に向けた憲法改正が必要だ」。最高指導者ムハンマド・バディーア氏が今月1日の声明で、自組織の存在感を国民に対して自信を持って訴えたのは、選挙で躍進した05年、結社の自由や、選挙を通じた立憲議会制度実現などの方針を発表、現実路線への転換を内外に強調していたからだ。

 同胞団は1950年代までの一時期に行った武装闘争と完全に縁を切ったとしている。ただ、「秘密結社のイメージ」(専門家)が拭えないことや、パレスチナ自治区ガザ地区のイスラム原理主義組織ハマスなど多くの過激派組織の源流であることなどは、今も庶民の「同胞団アレルギー」につながっているのは間違いない。

 2007年には、政策綱領案がリークされ、そこに「キリスト教徒や女性は大統領と首相に就任できない」などとする文言があったことが問題視された。同胞団はその後、綱領案を“お蔵入り”させ、昨年の人民議会選ではより穏健さを際立たせた公約集を発表した。

 それでも政権側にはなお、綱領案で示された思想が、同胞団の伸長に伴って社会に浸透していくことへの警戒感が強いのが実情だ。


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