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ホラーテラー作品群保管庫

1ほら:2014/06/03(火) 14:13:56 ID:j2Iwz4NM0
名作の宝庫だったので残したいと思います

2名無しさん:2014/06/03(火) 14:15:13 ID:j2Iwz4NM0
雪山とビデオテープ

テレビ番組の制作会社でバイトしてた時に聞いた話。

俺がその会社に入る前に仕事中に死んだ人がいるって噂を聞いたんだけど、
普段はタブーで絶対誰も教えてくれなかった。
で、結局俺が会社やめる事になって送別会開いてくれた時、ようやく話してくれたんだ。

当時もその会社、たいした仕事が取れなくてぱっとしなかったんだけど、
その事件があった年は、社長が投資でハマッて会社の金とかも使い込んだらしく、
会社が潰れるかもしれないって状況だったらしい。
2ヶ月くらいまともな仕事取れてない。
そんな中、営業の人がやっと取ってこれたのが『雪山の観測ビデオ』の仕事。
普段だったら、そういうのは予算もかかるし、ギャラ払って専門のチーム呼ばなきゃいけないから当然断る。
ノウハウとかないしね。
でも、その時はどうしても現金が欲しかったのもあって、受けちゃったんだって。
みんな会社が潰れるかもって必死だったから、
学生時代に山岳部だったY田さんとM岡さんが、
「大丈夫ですよ。冬のアルプスにだって登ったことあるんですから」
って社長にOK出させて、ろくに準備もせずに現地に入った。

でも、山に入った予定の日から現地の天気は最悪で連絡も取れない、
帰って来る予定の日になっても連絡は途絶えたまま。
当然大騒ぎになって、警察に連絡したり現地まで行って捜索隊に依頼したりしてたとき、
急に東京のオフィスにM岡さんだけが帰ってきたんだって。
当然「Y田は?」って聞いたらしいんだけど、M岡さんは全然要領を得ない。
っていうか何か様子がおかしくて、病院に連れてったらしい。

その時いた先輩が、M岡さんを病院に連れて行って帰ってきた時、
上着とか色々預かってたものの中に撮影済みのビデオテープを見つけて、数人で会社のモニターで見たんだって。
それにはこんな内容が映ってたらしい。
「今、××山脈のどこかの山小屋にいます。もう4日もここにいることになります。
 私は×××制作のM岡と言います。バディのY田は、ここに着くまでの怪我で昨日死にました。
 おかしな事がおこっています。
 私は昨日、Y田をこの小屋の外に埋葬しました。
 ところが今朝浅い眠りから眼が覚めると、隣にY田の死体がありました。
 何を言っているのかお分かりでしょうか?私にもよく分かっていません。
 さっき、私はまたY田を埋めてきました。
 何かおかしな事がおこっています」
そして、M岡さんはそう言ったあと、カメラをいじって小屋の隅でうずくまってしまったそうだ。
カメラはよく植物の成長を撮る時に使うコマ送り録画にされたみたいで、淡々と1分置の映像が映されてたらしい。
そのままずっと映像が変わらなかったんで、みんなは早送りして見てたらしいんだけど、
M岡さんが完全に寝きってから2時間たったころ、そこに映ってたのは、
Y田さんの死体を掘り起こしてたM岡さんだった。

その映像を警察に届けて、Y田さんの死体は発見されたんだけど、死後かなりの損傷があったみたいで、
一緒に小屋で発見されたノートには、
『何度もよみがえって俺を呪い殺そうとしてる。今度こそ絶対戻ってくれなくしてやる。』って書いてあったらしい。

M岡さんは心身喪失で逮捕はされず、今も入院している。

3名無しさん:2014/06/03(火) 14:15:57 ID:j2Iwz4NM0
「終電にて」

去年の調度今頃、忘年会シーズンのときです。
その日は私の会社の忘年会で、終電に乗った時でした。
帰宅ラッシュとは逆方向だったんで、車内はガラガラ。
しばらくしたら、車両に私とくたびれたサラリーマンの二人だけになった。
そのサラリーマンは、私から一番離れた両端のシートに座って居眠りしていた。相当疲れてるか、酔っ払ってたんだろう。
私もちょっと眠かったから目を閉じた。
5〜6秒経ってふと目を開けると、サラリーマンがシート一列分だけ私のほうに移動してるように思えた。
特に気になることもなかったので、私はまた目を閉じた。
数秒後、なにか嫌な感じがして、目を開いた。
今度はさらに一列こっちの方へ移動してた。
スリでもやらかしたらとっ捕まえて駅員に引き渡してやろうと思い、俺は半目を開けて寝たフリをしてみた。
案の定、サラリーマンは俺が目を閉じたのを確認して立ち上がった。
こっちへ来るか?と思ったが、そうじゃなかった。
サラリーマンは、そのまま車両の真ん中でクルクル回り始めたんだ。
そして、回りながら、
「騙されないぞ〜騙されないぞ〜狸寝入りなんかに騙されないぞ〜」ってつぶやき始めた。
さすがに怖くなって、そのまま寝たフリをし続けて、次の停車駅で逃げるように電車を降りた。
サラリーマンは追っては来なかった。

それ以来、終電には乗らないようにしてます。

4墓荒らし1:2014/06/03(火) 14:16:50 ID:j2Iwz4NM0
ある田舎でのお話。

マサオはいつだってニコニコしていた。すこし頭が弱いところもあった。その為、いつもいじめられていた。
中でも特にガキ大将のタロウは、おもちゃのようにマサオをいたぶって弄んだ。
時々、見かねてかばってくれる人もいたが、
マサオは殴られて赤黒くに腫上がった顔で、ニコニコしながら「えへへ」と笑うだけだった。

ある夏の夜。村中の悪ガキを集めてタロウが言った。
「先週死んだ山田のジィさんを掘り起こして、死体を背負ってここまで持ってこい。
 それできたら、お前ぇの事、もういじめねえよ」
「勘弁してくれ。オラ、怖いの苦手だ」
「うるせぇ!今夜夕飯食ったら、山の入り口に集まれ。マサオ、逃げんじゃねぇぞ・・・」
タロウには考えがあった。
先回りして自分が山田のジィさんの墓に入り死体に成り済ます。何も知らないマサオが自分を背負う。
その時にお化けのふりをして脅かしてやろう。
そんで、山から出たら皆で大笑いしてやろう。

日が落ちて山の入り口。
悪ガキどもが集まった。マサオもいた。いつもの様にニコニコして、でも明らかに怯えきっていた。
そして、皆にせかされマサオが一人山に見えなくなると、タロウも急いで山の中へ消えていった。

真っ暗な山の中。明かりは手に持ったろうそくの炎だけ。
マサオは山々の出す音に肩をふるわせながら半刻ばかり歩き、
つい最近掘り起こされたような真新しい土盛りの前に辿り着いた。山田のジィさんの墓だ。
「ホントにすまねえが、今夜ばっかりは、俺におぶられてくれぇ」
独り言を言いながらマサオが墓を掘り始めると、先回りして墓の中にいたタロウは笑いが止まらなかった。
『マサオのやつ、びびっておっ死んじまうんじゃねぇか』

ようやく墓を掘り起こす頃には、ろうそくの炎はとうに燃え尽き、墨汁で染めたような暗闇。
「ジィさん、オラ、こわくてたまらんけぇ、これから村まで走っていくからよ。
 ジィさんを落とすような事があったら、それこそ申し訳ないからな、くくらせてもらうよぅ」
そう言いながら背中にタロウを背負い、真っ赤な帯でしっかり自分と結びつけたマサオは、
山の入り口に向かって一気に走り出した。
タロウは笑いをかみ殺すのが精一杯だった。
こいつは本当に間抜けの大バカもんだ。
どんな顔をしてるんだろう。きっとこれまで見た事もない間抜けな顔をしているぞ。小便も漏らしるんじゃねぇのか。
マサオの背中の上でほくそ笑んだ。

5墓荒らし2:2014/06/03(火) 14:17:22 ID:j2Iwz4NM0
帰り道も半分にさしかかった頃。ようし、そろそろ脅かしてやれ。タロウはマサオの耳元で囁いた。
「おろせ〜」
一瞬、マサオの方がビクッと固まったが、足が止まる事はなかった。
「おろさんと、祟るぞ〜」
「じぃさん、勘弁してくれぇ、勘弁してくれぇ」
マサオの足はそう言いながらも山の入り口へ向かう。
タロウは思った。これはまずい。
このまま村まで帰られると、マサオを笑い者にしようと墓荒らしをしたことが、村の大人達にもバレてしまう。
「おろさんと耳を食いちぎるぞ〜」
タロウも必死だった。村はもうすぐそこだ。このままマサオを返すわけにはいかない。
タロウが耳に齧りついてもマサオは走り続けた。顔を涙と鼻水でグチャグチャにしながら。
「じぃさん、勘弁してくれぇ、勘弁してくれぇぇぇぇぇ」と叫び続けながら。
そして、ついにマサオの耳は、根元からブチッと鈍い音を立ててとれた。
その時、マサオの足が止まり呟いた。その声は妙に冷ややかだった。
「ようぅ・・・オラが、こんなにお願いしてもだめか・・・?」
・・・?
「オラが、ずっと虐められればいいと思ってるんだな」
・・・こいつは何を言っているんだ。
「だったらもうお願いしねぇ・・・。無理矢理黙らせてやる」
そう言ってマサオは、懐から大きな出刃包丁を取り出した。
タロウは度肝を抜かれた。
慌ててマサオの背中から飛び降りようとしたが、帯で縛り付けられた体はビクともしない。
マサオが自分の背中に向けて、出刃包丁を振りかざした。
タロウは叫んだ。
「ま、待て、マサオ!俺だよ、タロウだ、タロウだ!」
こいつはやっぱりアホだ。死人を刺し殺そうとしている。あやうく間違って殺されるところだ・・・。
しかしマサオは言った。冷たく小さな声で。
「そんな事、最初から分かっているわい」

6逃げる理由1:2014/06/03(火) 14:23:20 ID:j2Iwz4NM0
あるスレからコピペした話(都市伝説らしい)です。

修学旅行で 肝試しが行われた。
メンバーは 男子2人女子2人の計4人。
全てはくじで行われた。
クラスの人数は27人。一つのグループが3人となってしまう計算だった。が、俺のグループは4人だった。
メンバーは、仲の良い高野に少し気になる女子の合川さん、そしてクラスで浮いてる女子の天野だった。
肝試しの場所は本物の墓地。本物の霊を見てもおかしくも無い場所。
俺たちは順番待ちをしている時もドキドキしていた。

そして ついに順番がやって来た。
元々怖いものが苦手な俺は先頭を高野に任し、高野の後ろに俺と合川さん。俺の後ろに天野がいた。

しばらく歩いていると墓地が見えた。
「ここに入るのかよ〜」と俺たちは足を止めた。
墓地にはかなり気味の悪い霧が立ち、静寂に包まれた森の中にあった。
意を決してみんなで足を進める。
墓地の中に入った。
こんな場所に仕掛け人がいるのかよと思うくらい怖かった。
が、進んでいると明らかに笑いを狙ったような霊や、変装した先生が出てきた。
怖いと言うよりも面白かったので、気が付いた頃には緊張感も和らぎ、墓地の中も少しは慣れてきた。

しばらくすると、ようやく墓地の出口が見えてきた。
「あんまり怖くなかったな〜」
笑いながら言い、俺の顔を見た高野は突然。
「うぁぁぁああああ!!!!」
俺たちをおいて叫びながら一人で逃げる。
俺たちも訳も分からずに高野の後を追う。
ここで走りながら後ろを見たのか、合川さんが俺に「やばい!後ろっ」。
それを聞いた俺と天野は、反射的に後ろを見た。
一瞬しか振り返ってないので、“それ”を確認することが出来なかった。

ひたすら走っていると、ゴール付近で息を切らしてしゃがみ込んでいる高野が見えた。
高野の周りには、既にゴールしたクラスメイトが高野の周りに集まっていた。
俺たちが「お〜い!」と手を振ると、高野もその場にいたクラスメイトも悲鳴を上げ逃げ出した。
何で逃げるんだよ!そう口にしたかった俺だが、疲れに圧倒され声が出なかった。
足を止めて休憩しようにも、後ろから迫ってくる“それ”が怖く、
俺と合川さんと天野は、息を切らしながらも必死に逃げる。

7逃げる理由2:2014/06/03(火) 14:23:55 ID:j2Iwz4NM0
訳も分からない道を走っていると、俺たちの宿舎が見えてきた。
先に逃げるみんなが宿舎の中に入る。
宿舎の入り口のドアを高野が閉めようとする。
「待って!待ってよ!」
泣きながら合川が叫ぶ。
「早くしろ!やばい!」
高野が今にも閉めようとする体勢で俺たちに叫ぶ。
何とか俺たちは宿舎の中へ入った。
急いでドアを閉める高野。
その場にいたみんながホッとした。
ここで俺は高野に問う。
「何で逃げてたの!?マジ焦ったわ〜 」
高野が俺に怒鳴り返してきた。
「お前気付かなかったの!?」
頷く俺。
ここで宿舎に待機していた担任の先生が慌てて走ってきた。
「お前らに何があったかは後でじっくり聞く。グループのメンバーはちゃんと揃っているのか?」
先生が言うと、高野が俺たちを見る。
「ちゃんとみんないます・・・」
疲れた声で高野が答えた。
辺りを見た俺。
ここであることに気が付いた。
「あれ、天野は!?」
俺が口にすると、その場にいたみんなが顔を真っ白にした。
「お前何いってんの・・」
震えながら高野が言い返してきた。
「天野は一昨日飛び降りたじゃねぇか!
 死んだはずなのに・・・笑いながら追いかけてきたから逃げてたんだよ!俺たちは!」
俺はその事実を告白された昨日、丁度学校を休んでいた。

8リゾートバイト1:2014/06/03(火) 14:25:49 ID:j2Iwz4NM0
まずはじめに言っておくが、こいつは驚くほど長い。
そしてあろうことか、たいした話ではない。
死ぬほど暇なやつだけ読んでくれ。

忠告はしたので、はじめる。


これは俺が大学3年の時の話。

夏休みも間近にせまり、大学の仲間5人で海に旅行に行こうって計画を立てたんだ。
計画段階で、仲間の一人がどうせなら海でバイトしないかって言い出して、
俺も夏休みの予定なんて特になかったから、二つ返事でOKを出した。
そのうち2人は、なにやらゼミの合宿があるらしいとかで、バイトはNGってことに。
結局、5人のうち3人が海でバイトすることにして、
残り2人は旅行として俺達の働く旅館に泊まりに来ればいいべって話になった。

それで、まずは肝心の働き場所を見つけるべく、3人で手分けして色々探してまわることにした。
ネットで探してたんだが、結構募集してるもんで、友達同士歓迎っていう文字も多かった。
俺達はそこから、ひとつの旅館を選択した。
もちろんナンパの名所といわれる海の近く。そこはぬかりない。
電話でバイトの申し込みをした訳だが、それはもうトントン拍子に話は進み、
途中で友達と2日間くらい合流したいという申し出も、
『その分いっぱい働いてもらうわよ』という女将さんの一言で難なく決まった
計画も大筋決まり、テンションの上がった俺達は、そのまま何故か健康ランドへ直行し、
その後友達の住むアパートに集まって、風呂上りのツルピカンの顔で、ナンパ成功時の行動などを綿密に打ち合わせた。

そして仲間うち3人(俺含む)が旅館へと旅立つ日がやってきた。
初めてのリゾートバイトな訳で、緊張と期待で結構わくわくしてる僕的な俺がいた。

旅館に到着すると、2階建ての結構広めの民宿だった。
一言で言うなら、田舎のばーちゃんち。
『○○旅館』とは書いてあるけど、まあ民宿だった。○○荘のほうがしっくりくるかんじ。
入り口から声をかけると、中から若い女の子が笑顔で出迎えてくれた。
ここでグッとテンションが上がる俺。
旅館の中は、客室が4部屋、みんなで食事する広間が1つ、
従業員住み込み用の部屋が2つで計7つの部屋があると説明され、俺達ははじめ広間に通された。
しばらく待っていると、若い女の子が麦茶を持ってきてくれた。
名前は「美咲ちゃん」といって、この近くで育った女の子だった。
それと一緒に入ってきたのが、女将さんの「真樹子さん」。
恰幅が良くて笑い声の大きな、すげーいい人。もう少し若かったら俺惚れてた。
あと旦那さんもいて、計6人でこの民宿を切り盛りしていくことになった。

9リゾートバイト2:2014/06/03(火) 14:26:38 ID:j2Iwz4NM0
ある程度自己紹介とかが済んで、女将さんが言った。
「客室は、そこの右の廊下を突き当たって左右にあるからね。
 そんであんたたちの寝泊りする部屋は、左の廊下の突き当たり。
 あとは荷物置いてから説明するから、ひとまずゆっくりしてきな」
ふと友達が疑問に思ったことを聞いた。(友達をA・Bってことにしとく)
A「2階じゃないんですか?客室って」
すると女将さんは、笑顔で答えた。
「違うよ。2階は今使ってないんだよ」
俺達は、今はまだシーズンじゃないからかな?って思って、特に気に留めてなかった。
そのうち開放するんだろ、くらいに思って。

部屋について荷物を下ろして、部屋から見える景色とか見てると、本当に気が安らいだ。
これからバイトで大変かもしれないけど、こんないい場所でひと夏過ごせるのなら全然いいと思った。
ひと夏のあばんちゅーるも期待してたしね。
そうして俺達のバイト生活が始まった。

大変なことも大量にあったが、みんな良い人だから全然苦にならなかった。
やっぱ職場は人間関係ですな。

1週間が過ぎたころ、友達の一人がこう言った。
A「なあ、俺達良いバイト先見つけたよな」
B「ああ、しかもたんまり金はいるしな」
友達二人が話す中俺も、
俺「そーだな。でももーすぐシーズンだろ?忙しくなるな」
A「そういえば、シーズンになったら2階は開放すんのか?」
B「しねーだろ。2階って女将さんたち住んでるんじゃないのか?」
俺とAは「え、そうなの?」と声を揃える。
B「いやわかんねーけど。でも最近女将さん、よく2階に飯持ってってないか?」
A「知らん」
俺「知らん」
Bは夕時、玄関前の掃き掃除を担当しているため、2階に上がる女将さんの姿をよく見かけるのだという。
女将さんはお盆に飯を乗っけて、そそくさと2階へ続く階段に消えていくらしい。
その話を聞いた俺達は「へ〜」「ふ〜ん」みたいな感じで、別になんの違和感も抱いていなかった。

10リゾートバイト3:2014/06/03(火) 14:27:11 ID:j2Iwz4NM0
それから何日かしたある日、いつもどおり廊下の掃除をしていた俺なんだが、
見ちゃったんだ。客室からこっそり出てくる女将さんを。
女将さんは基本、部屋の掃除とかしないんだ。そうゆうのするのは全部美咲ちゃん。
だから余計に怪しかったのかもしれないけど。
はじめは目を疑ったんだが、やっぱり女将さんで、
その日一日もんもんしたものを抱えていた俺は、結局黙っていられなくて友達に話したんだ。
すると、Aが言ったんだよ、
A「それ、俺も見たことあるわ」
俺「おい、マジか。なんで言わなかったんだよ」
B「それ、俺ないわ」
俺「じゃー黙れ」
A「だってなんか用あるんだと思ってたし、それに、疑ってギクシャクすんの嫌じゃん」
俺「確かに」
俺達はそのとき、残り1ヶ月近くバイト期間があった訳で。
3人で見てみぬふりをするか否かで話し合ったんだ。
そしたらBが「じゃあ、女将さんの後ろつけりゃいいじゃん」ていう提案をした。
A「つけるってなんだよ。この狭い旅館でつけるって、現実的に考えてバレるだろ」
B「まーね」
俺「なんで言ったんだよ」
AB俺「・・・」
3人で考えても埒があかなかった。
来週には残りの2人がここに来ることになってるし、何事もなく過ごせば楽しく過ごせるんじゃないかって思った。
だけど俺ら男だし。3人組みだし?
ちょっと冒険心が働いて、「なにか不審なものを見たら報告する」ってことで、その晩は大人しく寝たわけ。

11リゾートバイト4:2014/06/03(火) 14:28:48 ID:j2Iwz4NM0
そしたら次の日の晩、Bがひとつ同じ部屋の中にいる俺達をわざとらしく招集。
お前が来いや!!と思ったが、渋々Bのもとに集まる。
B「おれさ、女将さんがよく2階に上がるっていったじゃん?あれ、最後まで見届けたんだよ。
 いつも女将さんが、階段に入っていくところまでしか見てなかったんだけど、
 昨日はそのあと出てくるまで待ってたんだよ。
 そしたらさ、5分くらいで降りてきたんだ」
A「そんで?」
B「女将さんていつも俺らと飯くってるよな?
 それなのに盆に飯のっけて2階に上がるってことは、誰かが上に住んでるってことだろ?」
俺「まあ、そうなるよな・・・」
B「でも俺らは、そんな人見たこともないし、話すら聞いてない」
A「確かに怪しいけど、病人かなんかっていう線もあるよな」
B「そそ。俺もそれは思った。でも5分で飯完食するって、結構元気だよな?」
A「そこで決めるのはどうかと思うけどな」
B「でも怪しくないか?お前ら怪しいことは報告しろっていったじゃん?だから報告した」
語尾がちょっと得意げになっていたので俺とAはイラっとしたが、そこは置いておいて、
確かに少し不気味だなって思った。
2階にはなにがあるんだろう?
みんなそんな思いでいっぱいだったんだ。

12リゾートバイト5:2014/06/03(火) 14:29:40 ID:j2Iwz4NM0
次の日、いつもの仕事を早めに済ませ、俺とAはBのいる玄関先へ集合した。
そして女将さんが出てくるのを待った。
しばらくすると女将さんは盆に飯を載せて出てきて、2階に上がる階段のドアを開くと、奥のほうに消えていった。
ここで説明しておくと、2階へ続く階段は玄関を出て外にある。
1階の室内から2階へ行く階段は、俺達の見たところでは確認できなかった。
玄関を出て壁伝いに進み角を曲がると、そこの壁にドアがある。
そこを開けると階段がある。わかりずらかったらごめん。

とりあえずそこに消えてった女将さんは、Bの言ったとおり5分ほど経つと戻ってきて、お盆の上の飯は空だった。
そして俺達に気づかないまま1階に入っていった。
B「な?早いだろ?」
俺「ああ、確かに早いな」
A「なにがあるんだ?上」
B「知らない。見に行く?」
A「ぶっちゃけ俺、今ちょーびびってるけど?」
B「俺もですけど?」
俺「とりあえず行ってみるべ」
そう言って、3人で2階に続く階段のドアの前に行ったんだ。
A「鍵とか閉まってないの?」
というAの心配をよそに、俺がドアノブを回すとすんなり開いた。
「カチャ」
ドアが数センチ開き、左端にいたBの位置からならかろうじて中が見えるようになったとき、
B「うっ」
Bが顔を歪めて手で鼻をつまんだ。
A「どした?」
B「なんか臭くない?」
俺とAにはなにもわからなかったんだが、Bは激しく匂いに反応していた。
A「おまえ、ふざけてるのか?」
Aはびびってるから、Bのその動作に腹が立ったらしく、
でもBはすごい真剣で「いやマジで。匂わないの?ドアもっと開ければわかるよ」と言った。
俺は意を決してドアを一気に開けた。
モアっと暖かい空気が中から溢れ、それと同時に埃が舞った。
俺「この埃の匂い?」
B「あれ?匂わなくなった」
A「こんな時にふざけんなよ。俺、なにかあったら絶対お前置いてくからな。今心に決めたわ」
と、びびるAは悪態をつく。
B「いやごめんって。でも本当に匂ったんだよ。なんていうか・・生ゴミの匂いっぽくてさ」
A「もういいって。気のせいだろ」
そんな二人を横目に、俺はあることに気づいた。
廊下がすごい狭い。人が一人通れるくらいだった。
そして電気らしきものが見当たらない。外の光でかろうじて階段の突き当たりが見える。
突き当たりにはもうひとつドアがあった。
俺「これ、上るとなるとひとりだな」
A「いやいやいや、上らないでしょ」
B「上らないの?」
A「上りたいならお前行けよ。俺は行かない」
B「おれも、むりだな」
AがBをどつく。
俺「結局行かねーのかよ。んじゃー、俺行ってみる」
AB「本気?」
俺「俺こういうの、気になったら寝れないタイプ。寝れなくて真夜中一人で来ちゃうタイプ。
 それ完全に死亡フラグだろ?だから、今行っとく。」
訳のわからない理由だったが、
俺の好奇心を考慮すれば、今AとBがいるこのタイミングで確認するほうがいいと思ったんだ。
でも、その好奇心に引けを取らずして恐怖心はあったわけで。
とりあえず俺一人行くことになったが、なにか非常事態が起きた場合は、
絶対に(俺を置いて)逃げたりせず、真っ先に教えてくれっていう話になったんだ。
ただし、何事もないときは、急に大声を出したりするなと。
もしそうしてしまったときは、命の保障はできないとも伝えた。俺のね。

13リゾートバイト6:2014/06/03(火) 14:30:25 ID:j2Iwz4NM0
そんでソロソロと階段を上りだす俺。
階段の中は外からの光が差し込み、薄暗い感じだった。
慎重に一段ずつ階段を上り始めたが、途中から「パキっ・・・パキっ」と音がするようになった。
何事かと思い、怖くなって後ろを振り返り、二人を確認する。
二人は音に気づいていないのか、じっとこちらを見て親指を立てる。『異常なし』の意味を込めて。
俺は微かに頷き、再度2階に向き直る。
古い家によくある、床の鳴る現象だと思い込んだ。
下の入り口からの光があまり届かないところまで上ると、好奇心と恐怖心の均衡が怪しくなってきて、
今にも逃げ帰りたい気分になった。
暗闇で目を凝らすと、突き当たりのドアの前に何かが立っている・・・かもしれないとか、
そういう『かもしれない思考』が本領を発揮しだした。
「パキパキパキっ・・」
この音も段々激しくなり、どうも自分が何かを踏んでいる感触があった。
虫か?と思った。背筋がゾクゾクした。
でも何かが動いている様子はなく、暗くて確認もできなかった。
何度振り返ったかわからないが、途中から下の二人の姿が逆光のせいか、薄暗い影に見えるようになった。
ただ親指はしっかり立てていてくれた。

そしてとうとう突き当たりに差し掛かったとき、強烈な異臭が俺の鼻を突いた。
俺はBとまったく同じ反応をした。
俺「うっ」
異様に臭い。生ゴミと下水の匂いが入り混じったような感じだった。
なんだ?なんだなんだなんだ?そう思って当たりを見回す。
その時、俺の目に飛び込んできたのは、突き当たり踊り場の角に大量に積み重ねられた飯だった。
まさにそれが異臭の元となっていて、何故気づかなかったのかってくらいに蝿が飛びかっていた。
そして俺は半狂乱の中、もうひとつあることを発見してしまう。
2階の突き当たりのドアの淵には、ベニヤ板みたいなのが無数の釘で打ち付けられていて、
その上から大量のお札が貼られていたんだ。
さらに、打ち付けた釘になんか細長いロープが巻きつけられてて、くもの巣みたいになってた。
俺、正直お札を見たのは初めてだった。
だからあれがお札だったと言い切れる自信もないんだが、大量のステッカーでもないだろうと思うんだ。
明らかに、なにか閉じ込めてますっていう雰囲気全開だった。
俺はそこで初めて、自分のしたことは間違いだったんだと思った。
帰ろう。そう思って踵を返して行こうとしたとき、
突然背後から「ガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリガリ」という音がしたんだ。
ドアの向こう側でなにか引っかいているような音だった。
そしてその後に、「ひゅー・・ひゅっひゅー」と不規則な呼吸音が聞こえてきた。
このときは本当に心臓が止まるかと思った。
そこに誰かいるの?誰?誰なの?
あの時の俺は、ホラー映画の脇役の演技を遥かに逸脱していたんじゃないかと思う。
そのまま後ろを見ずに行けばいいんだけど、あれって実際できないぞ。
そのまま行く勇気もなければ、振り返る勇気もないんだ。
そこに立ちすくむしかできなかった。
眼球だけがキョロキョロ動いて、冷や汗で背中はビッショリだった。
その間も「ガリガリガリガリガリガリ」「ひゅー・・ひゅっひゅー」って音は続き、
緊張で硬くなった俺の脚をどうにか動かそうと必死になった。
すると背後から聞こえていた音が一瞬やんで、シンっとなったんだ。
ほんとに一瞬だった。瞬きする間もなかったくらい。
すぐに「バンっ!」って聞こえて、「ガリガリガリガリガリガリ」って始まった。
信じられなかったんだけど、それはおれの頭の真上、天井裏聞こえてきたんだ。
さっきまでドアの向こう側で鳴っていたはずなのに、ソレが一瞬で頭上に移動したんだ。
足がブルブル震えだして、もうどうにもできないと思った。
心の中で、助けてって何度も叫んだ。
そんな中、本当にこれも一瞬なんだけど、視界の片隅に動くものが見えた。
あのときの俺は動くものすべてが恐怖で、見ようか見まいかかなり躊躇したんだが、
意を決して目をやると、それはAとBだった。
下から何か叫びながら手招きしている。
そこでやっとAとBの声が聞こえてきた。
A「おい!早く降りてこい!!」
B「大丈夫か?」
この瞬間一気に体が自由になり、我に返った俺は一目散に階段を駆け下りた。
あとで二人に聞いたんだが、俺はこの時目を瞑ったまま、一段抜かししながらものすごい勢いで降りてきたらしい。
駆け下りた俺は、とにかく安全な場所に行きたくて、そのままAとBの横を通りすぎ部屋に走っていったらしい。
この辺はあまり記憶がない。恐怖の記憶で埋め尽くされてるからかな。

14リゾートバイト7:2014/06/03(火) 14:31:24 ID:j2Iwz4NM0
部屋に戻ってしばらくすると、AとBが戻ってきた。
A「おい、大丈夫か?」
B「なにがあったんだ?あそこになにかあったのか?」
答えられなかった。というか、耳にあの音たちが残っていて、思い出すのが怖かった。
するとAが慎重な面持ちで、こう聞いてきた。
A「お前、上で何食ってたんだ?」
質問の意味がわからず聞き返した。
するとAはとんでもないことを言い出した。
A「お前さ、上についてすぐしゃがみこんだろ?
 俺とBで何してんだろって目を凝らしてたんだけど、なにかを必死に食ってたぞ。というか、口に詰め込んでた」
B「うん・・。しかもさ、それ・・」
AとBは揃って俺の胸元を見つめる。
なにかと思って自分の胸元を見ると、大量の汚物がくっついていた。
そこから、食物の腐ったような匂いがぷんぷんして、俺は一目散にトイレに駆け込み、胃袋の中身を全部吐き出した。
なにが起きているのかわからなかった。
俺は上に行ってからの記憶はあるし、あの恐怖の体験も鮮明に覚えている。
ただの一度もしゃがみこんでいないし、ましてやあの腐った残飯を口に入れるはずがない。
それなのに、確かに俺の服には腐った残飯がこびりついていて、よく見れば手にもソレを掴んだ形跡があった。
気が狂いそうになった。

俺を心配して見に来たAとB。
A「何があったのか話してくれないか?ちょっとお前尋常じゃない」
俺は恐怖に負けそうになりながらも、一人で抱え込むよりはいくらかましだと思い、
さっき自分が階段の突き当たりで体験したことをひとつひとつ話した。
AとBは、何度も頷きながら真剣に話を聞いていた。
二人が見た俺の姿と、俺自身が体験した話が完全に食い違っていても、最後までちゃんと聞いてくれたんだ。
それだけで安心感に包まれて泣きそうになった。
少しホッとしていると、足がヒリヒリすることに気づいた。
なんだ?と思って見てみると、細かい切り傷が足の裏や膝に大量にあった。
不思議に思って目を凝らすと、なにやら細かいプラスチックの破片ようなものが所々に付着していることに気づいた。
赤いものと、ちょっと黒みのかかった白いものがあった。
俺がマジマジと見ていると、
Bは「何それ?」と言ってその破片を手にとって眺めた。
途端、「ひっ」と言ってそれを床に投げ出した。
その動作につられてAと俺も体がビクってなる。
A「なんなんだよ?」
B「それ、よく見てみろよ」
A「なんだよ?言えよ恐いから!」
B「つ、爪じゃないか?」
瞬間、三人共完全に固まった。
AB俺「・・・」
俺はそのとき、ものすごい恐怖のそばで、何故か冷静にさっきまでの音を思い返していた。
ああ、あれ爪で引っかいてた音なんだ・・・
どうしてそう思ったかわからない。
だけど、思い返してみれば繋がらないこともないんだ。
階段を上るときに鳴っていた「パキパキ」っていう音も、何かを踏みつけていた感触も、
床に大量に散らばった爪のせいだったんじゃないか?って。
そしてその爪は、壁の向こうから必死に引っかいている何かのものなんじゃないか?って。
きっと、膝をついて残飯を食ったとき、恐怖のせいで階段を無茶に駆け下りたとき、
床に散らばる爪の破片のせいでケガをしたんだろう。
でも、そんなことはもうどうでもいい。
確かなことは、ここにはもういられないってことだった。
俺はAとBに言った。
俺「このまま働けるはずがない」
A「わかってる」
B「俺もそう思ってた」
俺「明日、女将さんに言おう」
A「言っていくのか?」
俺「仕方ないよ。世話になったのは事実だし、謝らなきゃいけないことだ」
B「でも、今回のことで女将さん怪しさナンバーワンだよ?
 もしあそこに行ったって言ったら、どんな顔するのか俺見たくない」
俺「バカ。言うはずないだろ。普通にやめるんだよ」
A「うん、そっちのほうがいいな」

そんなこんなで、俺たちはその晩のうちに荷物をまとめ、
男なのにむさくるしくて申し訳ないが、あまりの恐怖のため、布団を2枚くっつけてそこに3人で無理やり寝た。
めざしのように寄り添って寝た。
誰一人、寝息を立てるやつはいなかったけど。
そうして明日を迎えることになるんだ。

15リゾートバイト8:2014/06/03(火) 14:33:18 ID:j2Iwz4NM0

次の日、誰もほとんど口をきかないまま朝を迎えた。
沈黙の中、急に携帯のアラームが鳴った。いつも俺達が起きる時間だった。
Bの体がビクンってなって、相当怯えているのが伺えた。
Bは根がすごく優しいヤツだから、前の晩俺に言ったんだ。
B「ごめんな。俺なんかより、お前のほうが全然怖い思いしたよな。
 それなのに俺がこんなんでごめん。助けに行かなくて本当ごめん」
俺はそれだけで本当に嬉しくて目頭が熱くなった。
でもよくよく考えてみると、『俺なんかより怖い思い』ってなんだ?
実際に恐怖の体験をしたのは俺だし、AもBも下から眺めていただけだ。
もしかしてあれか?俺の階段を駆け下りる姿がマズかったか?
普通に考えて、俺の体験談が恐ろしかったってことか?
少し考えて、俺も大概、恐怖に呑まれて相手の言葉に過敏になりすぎてると思った。
こんな時だからこそ、早く帰ってみんなで残りの夏休みを楽しくゆっくり過ごそうと、そればかりを考えるようにした。

だが、その後のBの怯えようは半端なかった。
俺達がたてる音一つ一つに反応したり、俺の足の傷を食い入るようにじっと見つめたり、明らかに様子がおかしかった。
Aも普段と違うBを見て、多少びびりながらも心配したんだろう、
A「おい、大丈夫か?寝てないから頭おかしくなってんのか?」と問いかけながらBの肩を掴んだ。
するとBは急に「うるさいっ!!」と叫び、Aの腕をすごい勢いで振り払ったんだ。
Aと俺は一瞬沈黙した。
俺「おい、どうしたんだよ?」
Aは急のできごとに驚いて声を出せずにいた。
B「大丈夫かだって?大丈夫なわけねーだろ?俺も○○(俺の名前)も死ぬような思いしてんだよ。
 何にもわかってねーくせに心配したふりすんな!!」
Aを睨み付けながらそう叫んだ。
何を言ってるんだろうと思った。
Bの死ぬ思いってなんだ?俺の話を聞いて恐怖してたわけじゃないのか?
AとBは仲間内でも特に仲が良かったんだが、
その関係もAがBをいじる感じで、どんな悪ふざけにもBは怒らず調子を合わせていた。
だからBがAに声を荒げる場面なんか見たことなかったし、もちろん当の本人Aもそんな経験なかったんだと思う。
Aはこれも見たことないくらいにオロオロしていた。
俺は疑問に思ったことをBに問いかけた。
俺「死ぬ思いってなんだ?お前ずっと下にいたろ?」
B「いたよ。ずっと下から見てた」
そして少し黙ってから下を向いて言った。
B「今も見てる」
俺「・・・」
今も?え、何を?俺は訳がわからない。
全然わからないんだが、よくある話で、Bの気が狂ったんだと思った。何かに取り憑かれたんだと。
そんな思いをよそに、Bは震える口調で、でもしっかりと喋りだした。
B「あの時、俺は下にいたけど、でもずっと見てたんだ」
俺「上っていく俺だよな?」
B「違うんだ・・・いや、始めはそうだったんだけど。お前が階段を上りきったくらいから、見え出したんだ」
俺「・・・うん」
本当はこのとき俺の心の中は、聞きたくないという気持ちが大半を占めていた。
でもBは、もうこれ以上一人で抱えきれないという表情で、まるで前の日の自分を見ているようだったんだ。
あのとき、俺の話を最後までちゃんと聞いてくれたAとB、
あれで自分がどれだけ救われたかを考えると、俺には聞かなくちゃならない義務があるように思えた。
俺「何が、見えたんだ?」
B「・・・」
Bはまた少し黙りこみ、覚悟したように言った。
B「影・・・だと思う」
俺「影?」
B「うん。初めはお前の影だと思ってたんだ。
 けど、お前がしゃがみこんで残飯を食っている間にも、ずっと影は動いてたんだ。
 お前の影が小さくなるのはちゃんと見えたし、自分らの影も足元にあった。
 それで、それ以外に動き回る影が・・・3つ・・・いや、4つくらいあった」
俺は全身にぶわっと鳥肌が立つのを感じた。
どうかこれがBの冗談であってくれと思った。

16リゾートバイト9:2014/06/03(火) 14:33:53 ID:j2Iwz4NM0
しかし、今目の前にいるBは、とてもじゃないが冗談を言っているように見えなかった。
むしろ、冗談という言葉を口に出したとたんに殴りかかってくるんじゃないかってくらいに真剣だった。
俺「あそこには、俺しかいなかった」
B「わかってる」
俺「そもそも、あのスペースに人が4,5人も入って動き回れるはずない」
あの階段は人が一人通れる位のスペースだったんだ。
B「あれは人じゃない。それ位わかるだろ」
俺「・・・」
B「それに、どう考えても人じゃ無理だ」
Bはポツリと言った。
俺「どういうことだ?」
B「全部、壁に張り付いてた」
俺「え?」
B「蜘蛛みたいに、全部壁の横とか上に張り付いてたんだ。
 それで、もぞもぞ動いてて、それで、それで・・・」
自分の見た光景を思い出したのか、Bの呼吸が荒くなる。
俺「落ち着け!深呼吸しろ。な?大丈夫だみんないる」
Bはしばらく興奮状態だったが、落ち着きを取り戻してまた話しだした。
B「あれは人じゃない。いや、元から人じゃないんだけど、形も人じゃない。
 いや、人の形はしてるんだけど、違うんだ」
Bが何を言いたいのかなんとなくわかった俺は、
俺「人間の形をしたなにかが、壁に張り付いてたってことか?」と聞いた。
Bは黙って頷いた。
口から飛び出そうなくらいに心臓の鼓動が激しくなった。
とっさに、Bが見たのは影じゃないと思った。
影が横や上の天井を動き回るのは不自然だ。
仮にそれが影だったとしても、確実にそこに何かがいたから影ができたんだ。
それくらいバカの俺でもわかる。
ということは、俺は自分の周りで這い回る何かに気づかず、しかも腐った残飯をモリモリと食べていたってことなのか?
あの音は・・?
あのガリガリと壁を引っかく音は、壁やドアの向こう側からじゃなくて、俺のいる側のすぐそばで鳴っていたということか?
あの呼吸音も?
恐怖のあまり頭がクラクラした。
そんな俺の様子を知ってか知らずか、Bは傍に立っていたAに向き直り、
B「ごめん、さっきは取り乱して。悪かった」と謝った。
A「いや、大丈夫・・こっちこそごめんな」
Aもすかさず謝った。

17リゾートバイト10:2014/06/03(火) 14:44:13 ID:j2Iwz4NM0
その後なんとなく気まずい雰囲気だったが、俺は平静を保つのに必死だった。無意味に深呼吸を繰り返した。
そんな中Aが口を開いた。
A「お前さ、さっき今も見てるっていったけど」
BはAが言い終わらないうちに答えた。
B「ああ、ごめん。あれはちょっと、錯乱してたんだわ。ははっごめん、今は大丈夫」
そういったBの笑顔は、完全に作り笑いだった。
明らかに無理した笑顔で、目はどこか違うところを見ているようだった。

関係ないんだが、このとき何故かものすごい印象的だったのは、Bの目の下がピクピクいってたことだ。
こんなん何人かに一人はよくあることだよな?
だけど無理して笑う人の目の下ピクピクは、結構くるものがあるぞ。

話を戻すと、Aと俺はそれ以上聞かなかった。
臆病者だと思われても仕方ない。だけど怖くて聞けなかったんだ。
ちょっと考えてみろ、ここまで話したBが敢えて何かを隠すんだぞ。
絶対無理だろ。聞いたら、俺の心臓砕け散るだろ。それこそ俺が発狂するわ。

少しの沈黙のあと、広間のほうから美咲ちゃんが朝飯の時間だと俺達を呼んだ。
3人で話している間に結構な時間が過ぎていたらしい。
正直、食欲などあるはずもなく。だが不審に思われるのは嫌だったし、行くしかないと思った。
俺はのっそりと立ち上がり、二人に言った。
俺「なるべく早いほうがいいよな。朝飯食い終わったら言おう」
A「そうだな」
B「俺、飯いいや。Aさ、ノートPCもってきてたよな?ちょっと貸してくれないか?」
A「いいけど、朝飯食えよ」
B「ちょっと調べたいことがあるんだ。あんまり時間もないし、悪いけど二人でいってきて」
俺「了解。美咲ちゃんに頼んで、おにぎり作ってもらってきてやるよ」
B「うん、ありがと」
A「パソコンは俺のカバンの中に入ってる。勝手に使っていいよ。ネットも繋がるから」
そう言って俺達はそのまま広間に行った。
後から考えると、辞めるその日の朝飯食うってどうなの?
他人がやってたら絶対突っ込むくせして、俺らふっつーに食べたんだが。

広間に着くと、女将さんが俺らを見て、更には俺の足元をみて、満面の笑顔で聞いてきたんだ。
「おはよう、よく眠れた?」って。
そんな言葉、初日以来だったし、昨日のこともあったからすごい不気味だった。
びびった俺は直立不動になってしまったわけだが、
Aが「はい。すみません遅れて」と返事をしながら、俺のケツをパンと叩いた。
体がスっと動いた。
いつも人一倍びびってたAに、助け舟を出してもらうとは思わなかったから、正直驚いた。
そしてBが体調不良のためまだ部屋で寝ていることを伝え、美咲ちゃんにおにぎりを作ってもらえるよう頼んだ。
「あ、いいですよ。それよりBくん、今日は寝てたほうがいいんじゃ」
美咲ちゃんは心配そうにそう言った。
Aと俺は特に何も言わず席についた。
『もう辞めるから大丈夫』とは言えないからな。

18リゾートバイト11:2014/06/03(火) 14:46:01 ID:j2Iwz4NM0
朝飯を食っている間、女将さんはずっとニコニコしながら俺を見てた。
箸が完全に止まってるんだ。俺ときどき飯、みたいな。
美咲ちゃんも旦那さんもその異様な光景に気づいたのか、チラチラ俺と女将さんを見てた。
Aは言うまでもなく凝固。
凄まじく気分の悪くなった俺達は朝飯を早々に切り上げて、女将さん達に話をするため部屋にBを呼びに行った。

部屋に戻る途中、Bの話し声が聞こえてきた。
どうやらどこかに電話をしているようだった。
俺達は電話中に声をかけるわけにもいかなかったので、部屋に入り座って電話が終わるのを待った。
B「はい、どうしても今日がいいんです。・・・・はい、ありがとうございます!
 はい、はい、必ず伺いますのでよろしくお願いします」
そう言って電話を切った。
どうやらBは、ここから帰ってすぐどこかへ行く予定を立てたらしい。
俺もAも別に詮索するつもりはなかったんで何も聞かず、すぐにBを連れて広間に向かった。

広間に戻ると、美咲ちゃんが朝飯の片付けをしていた。女将さんはいなかった。
俺はふと思った。
あそこに行ってるんじゃないか?って。
盆に飯のっけて、2階への階段に消えていったあの女将さんの後姿がフラッシュバックした。
きっとあの時持って行った飯は、あの残飯の上に積み重ねてあったんだろう。
そうして何日も何日も繰り返して、あの山ができたんだろうな。
一体あれは何のためなんだ?
俺の頭に疑問がよぎった。
けど、そんなこと考えるまでもないとすぐに思い直した。
俺は今日で辞めるんだ。ここともおさらばするんだ。すぐに忘れられる。忘れなきゃいけない。
心の中で自分に言い聞かせた。
Aが女将さんの居場所を美咲ちゃんに尋ねた。
「女将さんならきっと、お花に水やりですね。すぐ戻ってきますよ」
そう言って美咲ちゃんはBの方を見て、「Bくん、すぐおにぎり作るからまっててね」と笑顔で台所に引っ込んだ。
ああ、美咲ちゃん・・・何もなければきっと俺は美咲ちゃんとひと夏のあばん(ry
俺達は女将さんが戻ってくるのを待った。

しばらくすると女将さんは戻ってきて、仕事もせずに広間に座り込む俺達を見て、
「どうしたのあんたたち?」とキョトンとした顔をしながら言った。
俺は覚悟を決めて切り出した。
俺「女将さん、お話があるんですけど、ちょっといいですか?」
女将さんは「なんだい?深刻な顔して」と俺達の前に座った。
俺「勝手を承知で言います。俺達、今日でここを辞めさせてもらいたいんです」
AとBもすぐ後に「お願いします」と言って頭を下げた。
女将さんは表情ひとつ変えずにしばらく黙っていた。
俺はそれがすごく不気味だった。
眉ひとつ動かさないんだ。まるで予想していたかのような表情で。
そして沈黙の後、「そうかい。わかった、ほんとにもうしょうがない子たちだよ〜」と言って笑った。

そして給料の話、引き上げる際の部屋の掃除などの話を一方的に喋り、
用意ができたら声をかけるようにと俺達に言ったんだ。
拍子抜けするくらいにすんなり話が通ったことに、三人とも安堵していた。
だけど、心のどこかでなんかおかしいと思う気持ちもあったはずだ。

話が決まったからには俺達は即行動した。
荷物は前の晩のうちにまとめてある。あとは部屋の掃除をするだけで良かった。
バイトを始めてから、仕事が終われば近くの海で遊んだり、疲れてる日には戻ってすぐに爆睡だったんで、
部屋にいる時間はあまりなかったように思う。
だから男3人の部屋といえど、元からそんなに汚れているわけでもなかった。
そんなこんなで、一時間ほどの掃除をすれば部屋も大分綺麗になった。

準備ができたということで、俺達は広間に戻り女将さんたちに挨拶をすることにした。

19リゾートバイト12:2014/06/03(火) 14:46:43 ID:j2Iwz4NM0
広間に着くと女将さんと旦那さん、そして悲しそうな顔をした美咲ちゃんが座っていた。
俺達は3人並んで正座し、
俺「短い間ですが、お世話になりました。勝手言ってすみません」
俺AB「ありがとうございました」と言って頭を下げた。
すると女将さんが腰を上げて、俺達に近寄りこう言った。
「こっちこそ、短い間だったけどありがとうね。これ、少ないけど・・・」
そう言って茶封筒を3つ、そして小さな巾着袋を3つ手渡してきた。
茶封筒は思ったよりズッシリしてて、巾着袋はすごく軽かった。
そして後ろから美咲ちゃんが「元気でね」と、ちょっと泣きそうな顔しながら言うんだ。
そして、「みんなの分も作ったから」って、3人分のおにぎりを渡してくれた。
おいおい止めてくれ。泣いちゃうよ俺!
そう思ってあんまり美咲ちゃんの顔を見れなかった。
前日で死にそうな思いしたのにまさかのセンチって思うだろ?
だけど、実際すげー世話になった人との別れって、その時はそういうの無しになるものなんだわ。

挨拶も済んで、俺達は帰ることになった。
行きは近くのバス停までバスを使って来たんだが、帰りはタクシーにした。
旦那さんが車で駅まで送ってくれるって話も出たんだが、Bが断った。
そして美咲ちゃんに頼んでタクシーを呼んでもらった。

タクシーが到着すると、女将さんたちは車まで見送りに来てくれた。
周りから見ればなんとなく感動的な別れに見えただろうが、実際俺達は逃げ出す真っ最中だったんだよな。
タクシーに乗り込む前に、俺は振り返った。
かろうじて見えた2階への階段のドア。目を凝らすと、ほんの少し開いてるような気がして思わず顔を背けた。
そして3人とも乗り込み、行き先を告げた後すぐ車が動き出した。

旅館から少し離れると、急にBが運転手に行き先を変更するよう言ったんだ。
運転手になにかメモみたいなものを渡して、「ここに行ってくれ」と。
運転手はメモを見て怪訝な顔をして聞いてきた。
「大丈夫?結構かかるよ?」
B「大丈夫です」
Bはそう答えると、後部座席でキョトンとしているAと俺に向かって、
B「行かなきゃいけないとこがある。お前らも一緒に」と言った。
俺とAは顔を見合わせた。考えてることは一緒だったと思う。
どこへ行くんだ・・?
だが、朝のBの様子を見た後だったんで、正直気が引けて何も聞けなかった。
またキレ出すんじゃないかとびびってたんだ。

20リゾートバイト13:2014/06/03(火) 14:47:34 ID:j2Iwz4NM0
しばらく走っていると、運転手さんが聞いてきた。
「後ろ走ってる車、お客さんたちの知り合いじゃない?」
え?と思って振り返ると、軽トラックが一台後ろにぴったりくっついて走っていた。
そして中から手を振っていたのは旦那さんだった。
俺達は何か忘れ物でもしたのかと思い、車を止めてもらえるよう頼んだ。
道の端に車が止まると、旦那さんもそのまますぐ後ろに軽トラを止めた。
そして出てくると俺達のところに来て、「そのまま帰ったら駄目だ」と言った。
B「帰りませんよ。こんな状態で帰れるはずないですから」
Bと旦那さんはやけに話が通じあっていて、Aと俺は完全に置いてけぼりを食らった。
俺「え、どういうこと?」
なにがなにやらわからんかったので、素直に質問した。
すると旦那さんは俺のほうを向き、まっすぐ目を見つめて言った。
旦「おめぇ、あそこ行ったな?」
心臓がドクンって鳴った。
なんで知ってんの?
この時は本気で怖かった。
霊的なものじゃなくて、なんていうか、大変なことをしてしまったっていう思いがすごくて。
俺は「はい」と答えるだけで精一杯だった。
すると旦那さんは、ため息をひとつ吐くと言った。
旦「このまま帰ったら完全に持ってかれちまう。なぁんであんなとこ行ったんだかな。
 まあ、元はと言えば、俺がちゃんと言わんかったのが悪いんだけどよ」
おい、『持ってかれる』ってなんだ。勘弁してくれよ。
ここから帰ったら楽しい夏休みが待ってるはずだろ?
不安になってAを見た。Aは驚くような目で俺を見ていた。
さらに不安になってBを見た。
するとBは言うんだ。
B「大丈夫。これから御祓いに行こう。そのためにもう向こうに話してあるから」
信じられなかった。
憑かれていたってことか?
何だよ俺死ぬのか?この流れは死ぬんだよな?
なんであんなとこ行ったんだって?行くなと思うなら始めから言ってくれ。
あまりの恐怖で、自分の責任を誰か他の人に転嫁しようとしていた。
呆然としている俺を横目に、旦那さんは話を進めた。
旦「御祓いだって?」
B「はい」
旦「おめぇ、見えてんのか」
B「・・・」
A「おい、見えてるって・・・」
B「ごめん。今はまだ聞かないでくれ」
俺は思わずBに掴みかかった。
俺「いい加減にしろよ。さっきから何なんだよ!」
旦那さんが割って入る。
旦「おいおい止めとけ。おめぇら、逆にBに感謝しなきゃならねぇぞ」
A「でも、言えないってことないんじゃないすか?」
旦「おめぇらはまだ見えてないんだ。一番危ないのはBなんだよ」
俺とAは揃ってBを見た。
Bは困ったような顔をしてそこにいた。
俺「どうしてBなんですか?実際にあそこに行ったのは俺です」
旦「わかってるさ。でもおめぇは見えてないんだろ?」
俺「さっきから見えてるとか見えてないとか、なんなんですか?」
旦「知らん」
俺「はぁ!?」
トンチンカンなことを言う旦那さんに対して俺はイラっとした。
旦「真っ黒だってことだけだな、俺の知ってる情報は。だがなぁ・・」
そう言って旦那さんはBを見る。
旦「御祓いに行ったところで、なんもなりゃせんと思うぞ」
Bは疑いの目を旦那さんに向けて聞いた。
B「どうしてですか?」
旦「前にもそういうことがあったからだな。でも、詳しくは言えん」
B「行ってみなくちゃわからないですよね?」
旦「それは、そうだな」
B「だったら」
旦「それで駄目だったら、どうするつもりなんだ?」
B「・・・」
旦「見えてからは、とんでもなく早いぞ」

21リゾートバイト14:2014/06/03(火) 14:48:16 ID:j2Iwz4NM0
『早い』という言葉が何のことを言っているのか、俺にはさっぱりわからなかった。
だが、旦那さんがそういった後、Bは崩れ落ちるようにして泣き出したんだ。
声にならない泣き声だった。
俺とAは傍で立ち尽くすだけで何もできなかった。
俺達の異様な雰囲気を感じ取ったのか、タクシーの窓を開けて中から運転手が話しかけてきた。
「お客さんたち大丈夫ですか?」
俺達3人は何も答えられない。Bに限っては道路に伏せて泣いてる始末だ。
すると旦那さんが、運転手に向かってこう言った。
旦「あぁ、すまんね。呼び出しておいて申し訳ないんだが、こいつらはここで降ろしてもらえるか?」
運転手は「え?でも・・」と言って、俺達を交互に見た。
その場を無視して旦那さんはBに話しかける。
旦「俺がなんでおめぇらを追いかけてきたかわかるか?
 事の発端を知る人がいる。その人のとこに連れてってやる。
 もう話はしてある。すぐ来いとのことだ」
 時間がねぇ。俺を信じろ」
肩を震わせ泣いていたBは精一杯だったんだろうな、顔をしわくちゃにして声を詰まらせながら言った。
B「おねが・・っ・・します・・・」
呼吸ができていなかった。
男泣きでもなんでもない、泣きじゃくる赤ん坊を見ているようだった。
昨日の今日だが、Bは一人で何かものすごい大きなものを抱え込んでいたんだと思った。
あんなに泣いたBを見たのは、後にも先にもこの時だけだ。
Bのその声を聞いた俺は、運転手に言った。
俺「すいません。ここで降ります。いくらですか?」

その後、俺達は旦那さんの軽トラに乗り込んだ。
といっても、俺とAは後の荷台なわけで。乗り心地は史上最悪だった。
旦那さんは俺達が荷台に乗っているにも関わらず、有り得んほどにスピードを出した。
Aから軽く女々しい悲鳴を聞いたがスルーした。

どれくらい走ったのか分からない。あんまり長くなかったんじゃないかな。
まあ正直、それどころじゃないほど尾てい骨が痛くて覚えていないだけなんだが。
着いた場所は普通の一軒家だった。
横に小さな鳥居が立っていて、石段が奥の方に続いていた。
俺達の通されたのはその家の方で、
旦那さんは呼び鈴を鳴らして待っている間、俺達に「聞かれたことにだけ答えろ」と言った。
旦「おめぇら、口が悪いからな。変なこと言うんじゃねぇぞ」
俺は思った。この人にだけは言われる筋合いがないと。
少し待つと、家から一人の女の人が出てきた。
年は20代くらいの普通の人なんだけど、額の真ん中にでっかいホクロがあったのがすごく印象的だった。

22リゾートバイト15:2014/06/03(火) 14:48:55 ID:j2Iwz4NM0
その女の人に案内されて通されたのは、家の一角にある座敷だった。
そこには一人の坊さん(僧って言うのか?)と、一人のおっさん、一人のじいさんが座っていた。
俺達が部屋に入るなり、おっさんが「禍々しい」と呟いたのが聞こえた。
旦「座れ」
旦那さんの掛け声で俺達は、坊さんたちが並んで座っている丁度向かい側に3人並んで座った。
そして旦那さんがその隣に座った。
するとじいさんは口を開いた。
「○○(旅館の名前)の旦那、この子ら全部で3人かね?」
旦「えぇ、そうなんですわ。このBって奴は、もう見えてしまってるんですわ」
旦那さんがそう言った瞬間、おっさんとじいさんは顔を見合わせた。
すると坊さんが口を開いた。
坊「旦那さん、堂に行ったというのは彼ですか?」
旦「いえ。実際行ったのはこの○○(俺の名前)って奴で」
坊「ふむ」
旦「Bは下から覗いていただけらしいんです」
坊「そうですか」
そして少し黙ったあと、坊さんはBに聞いたんだ。
坊「あなたは、この様な経験は初めてですか?」
Bが聞き返す。
B「この様な経験?」
坊「そうです。この様に、霊を見たりする体験です」
B「え・・ないです」
坊「そうですか。不思議なこともあるものです」
B「・・俺」
Bが何か喋ろうとしていた。
そこにいた全員がBを見た。
坊「はい」
B「俺・・・死ぬんでしょうか?」
そう言ったBの腕は、正座した膝の上で突っ張っているのにガクガクと震えていた。
すると坊さんは静かに答えた。
坊「そうですね。このままいけば、確実に」
Bは言葉を失った様子だった。震えが急に止まって、畳を一点食い入るように見つめだした。
それを見たAが口を挟んだ。
A「死ぬって」
坊「持って行かれるという意味です」
意味を説明されたところで俺達はわからない。何に何を持って行かれるのか。
更に坊さんは続けた。
坊「話がわからないのは当然です。○○くんは、堂へ行った時に何か違和感を感じませんでしたか?」
坊さんが堂といっているのは、どうやらあの旅館の2階の場所らしかった。
それで俺は答えた。
俺「音が聞こえました。あと、変な呼吸音が。2階のドアには、お札の様なものが沢山貼ってありました」
坊「そうですか。気づいているかも知れませんが、あそこには人ではないものがおります」
あまり驚かなかった。事実、俺もそう思っていたからだ。
坊「恐らくあなたは、その人ではないものの存在を耳で感じた。
 本来ならば、人には感じられないものなのです。誰にも気づかれず、ひっそりとそこにいるものなのです」
そう言うと、坊さんはゆっくりと立ち上がった。
坊「Bくん、今は見えていますか?」
B「いえ。ただ音が、さっきから壁を引っかく音がすごくて」
坊「ここには入れないということです。幾重にも結界を張っておきました。その結界を必死に破ろうとしているのですね」
 しかし、皆がいつまでもここに留まることは出来ないのです。
 今からここを出て、おんどう(ごめん音でしかわからない)へ行きます。
 Bくん、ここから出れば、またあのものたちが現れます」
 また苦しい思いをすると思います。
 でも必ず助けますから、気をしっかり持って付いて来てくださいね」
Bはカクカクと首を縦に振っていた。

23リゾートバイト16:2014/06/03(火) 14:49:42 ID:j2Iwz4NM0
そうして坊さんに連れられて俺達は、その家を出てすぐ隣の鳥居をくぐり、石段を登った。
旦那さんは家を出るまで一緒だったが、おっさんたちと何やら話をした後、坊さんに頭を下げて行ってしまった。
知ってる人がいなくなって一気に心細くなった俺達は、3人で寄り添うように歩いた。
特にBは目を左右に動かしながら背中を丸めて歩いていて、明らかに憔悴しきっていた。
だから俺達は、できる限りBを真ん中にして二人で守るように歩いた。

石段を上り終わる頃、大きな寺が見えてきた。
だが坊さんはそこには向かわず、俺達を連れて寺を右に回り奥へと進んだ。
そこにはもう一つ鳥居があり、更に石段が続いていた。
鳥居をくぐる前に坊さんがBに聞いた。
坊「Bくん、今はどんな感じですか?」
B「二本足で立っています。ずっとこっちを見ながら、付いてきてます」
坊「そうか、もう立ちましたか。よっぽどBくんに見つけてもらえたのが嬉しかったんですね。
 ではもう時間がない。急がなくてはなりませんね」

そして石段を上り終えると、さっきの寺とは比べ物にならない位小さな小屋がそこにあり、
坊さんはその小屋の裏へ回ると、俺達を呼んだ。
俺達も裏へ回ると坊さんは、ここに一晩入り憑きモノを祓うのだと言った。
そして、中には明りが一切ないこと、夜が明けるまでは言葉を発っしてはならないことを伝えてきた。
坊「もちろん、携帯電話も駄目です。明りを発するものは全て。食ったり寝たりすることもなりません」
どうしても用を足したくなった場合はこの袋を使用するようにと、変な布の袋を渡された。
俺は目を疑った。布って・・・
だが坊さん曰く、中から液体が漏れないようになっているらしい。
信じ難かったが、そこに食いついてもしょうがないので大人しくしといた。

その後、俺達に竹の筒みたいなものに入った水を一口ずつ飲ませ、自分も口に含むと俺達に吹きかけてきた。
そして、小さな小屋の中に入るように言った。
俺達は順番に入ろうとしたんだが、Bが入る瞬間、口元を押さえて外に飛び出して吐いたんだ。
突然のことで驚いた俺達だったが、坊さんが慌てた様子で聞いてきた。
坊「あなたたち、堂に行ったのは今日ではないですよね?」
俺「え?昨日ですけど」
坊「おかしい、一時的ではあるが身を清めたはずなのに、おんどうに入れないとは」
言ってる意味がよく分からなかった。
すると坊さんはBのヒップバッグに目をつけ、
坊「こちらに滞在する間、誰かから何かを受け取りましたか?」と聞いてきた。
俺は特に思い浮かばず、だがAが言ったんだ。
A「今日給料もらいましたけど」
当たり前すぎて忘れてた。
そういえば給料も貰いものだなって妙に感心したりして。
俺「あ、あと巾着袋も」
A「おにぎりも。もらい物に入るなら」
給料を貰った時に、女将さんにもらった小さな袋を思い出した。
そして美咲ちゃんには、朝おにぎりを作って貰ったんだった。
坊さんはそれを聞くと、Bに話しかけた。
坊「Bくん、それのどれか一つを今、持っていますか?」
B「おにぎりはデカイ鞄の方に入れてありますけど、給料と袋は今持ってます」
Bはそう言って、バッグからその二つを取り出した。
坊さんはまず巾着袋を開けた。
すると「これは・・」と言って、俺達に見えるように袋の口を広げた。
中を覗き込んで俺達は息を呑んだ。
そこには、大量の爪の欠片が詰まっていたんだ。
俺の足に張り付いていたものと一緒だった。見覚えのある、赤と黒ずんだものだった。
Bはその場ですぐまた吐いた。俺もそれに釣られて吐いた。
周辺が汚物の匂いでいっぱいになり、坊さんも顔を歪めていた。
坊さんはBの持ち物を全て預かると言い、俺達2人も持ち物を全て出すように言った。
俺は携帯と財布を坊さんに手渡し、旅行鞄の方に入っている巾着袋を処分してもらえるよう頼んだ。
坊さんは頷き、再度Bに竹筒の水を飲ませ、吹きかけた。

そして俺達3人がおんどうの中に入ると、
坊「この扉を開けてはなりません。皆、本堂のほうにおります。明日の朝まで、誰もここに来ることはありません。
 そして、壁の向こうのものと会話をしてはなりません。このおんどうの中でも言葉を発してはなりません。
 居場所を教えてはなりません。
 これらをくれぐれもお守りいただけますよう、お願いします」
そう言って俺達の顔を見渡した。
俺達は頷くしかなかった。
この時既に言葉を発してはならない気がして、怖くて何も言えなかったんだ。
坊さんは俺達の様子を確認すると、扉を閉め、そのまま何も言わず行ってしまった。

24リゾートバイト17:2014/06/03(火) 14:50:31 ID:j2Iwz4NM0
おんどうの中はひんやりしていた。
実際ここで飲まず食わずでやっていけるのかと不安だったが、これなら一晩くらいは持ちそうだと思った。
建物自体はかなり古く、壁には所々に隙間があった。といっても結構小さいものだけど。
まだ昼時ということもあり、外の光がその隙間から入り、AとBの顔もしっかり確認できた。
顔を見合わせても何も喋ることができないという状況は、生まれて初めてだった。
『大丈夫だ』という意味を込めて俺が頷くと、AもBも頷き返してくれた。

しばらくすると顔を見合わせる回数も少なくなり、終いにはお互い別々の方向を向いていた。
喋りたくても喋れないもどかしさの中、後どれくらいの時間が残っているのか見当も付かない俺達は、
ただただ呆然とその場にいることしかできなかったんだ。
途方もない時間が過ぎていると感じているのに、まだ外は明るかった。
するとAがゴソゴソと音を立て出した。
何をしているのかと思い、あまり大きな音を出す前に止めさせようと思ってAの方に向き直ると、
Aは手に持った紙とペンを俺達に見せた。
こいつは坊さんの言うことを聞かずに、密かにペンを隠し持っていたのだ。
そして紙は、板ガムの包み紙だった。
まあメモ用紙なんて持っているはずない俺達なので、きっとそれしか思い浮かばなかったんだろう。
こいつ何やってんだよ・・・
一瞬そう思った俺だが、意思の疎通ができないこの状況で極限に心細くなっていた所為もあり、
Aの取った行動に何も言う事が出来なかった。
むしろ、ひとつの光というか、上手く説明できないんだが、とにかくすごく安心したのを覚えてる。
Aはまず自分で紙に文字を書き、俺に渡してきた。
『みんな大丈夫か?』
俺はAからペンを受け取り、なるべく小さく、スペースを空けるようにして書き込んだ。
『俺は今のところ大丈夫、Bは?』
そしてBに紙とペンを一緒に手渡した。
『俺も今は平気。何も見えないし聞こえない。』
そしてAに紙とペンが戻った。
こんな感じで、俺達の筆談が始まったんだ。
A『ガム残り4枚。外紙と銀紙で8枚。小さく文字書こう』
俺『OK。夜になったらできなくなるから今のうちに喋る』
B『わかった』
A『今何時くらい?』
俺『わからん』
B『5時くらい?』
A『ここ来たの1時くらいだった』
俺『なら4時くらいか』
B『まだ3時間か』
A『長いな』
こんな感じで他愛もない話をして、1枚目が終わった。
するとAが書いてきた。
A『○○文字でかい』
俺は謝る仕草を見せた。
するとAは俺にペンを渡してきたので、『腹減った』と書き込みBに渡した。
そしてBが何も書かずにAに紙を渡した。
するとAは『俺も』と書いて俺に渡してきた。
あれだけ心細かったのに、いざ話すとなるとみんな何も出てこなかった。
俺は日が沈む前に言っておかなければならないことを書いた。
俺『何があっても、最後までがんばろうな』
B『うん』
A『俺、叫んだらどうしよう』
俺『なにか口に突っ込んどけ』
B『突っ込むものなんてないよ』
A『服脱いでおくか』
俺『てか、何も起きない、そう信じよう』
Bは俺の書いた言葉にはノーコメントだった。
俺も書いたあと、自分で何を言ってるんだろうと思った。
坊さんは、何も起きないとは一言も言っていなかった。
むしろ、これから何が起こるのかを予想しているような口ぶりで、俺達にいくつも忠告をしたんだ。
そう考えると俺達は、一刻も早く時間が過ぎてくれることを願っている一方で、
本当の本当は、夜を迎えるのがすごく怖かったんだ。
夜だけじゃない、あの時ああしてる時間も、本当は怖くてしょうがなかった。
唯一の救いが、互いの存在を目視できるということだっただけで。
俺の一言で空気が一気に重くなった。
俺はこの空気をどうにかしようと、Bの持っていた紙とペンをもらい、
俺『何か喋れ時間もったいない』と書いてAに渡した。他人任せもいいとこ。
Aは一瞬困惑したが、少し考えて書き出し、俺に渡してきた。
A『じゃあ、帰ったら何するか』
俺『いいね。俺はまずツタヤだな』
B『なんでツタヤ?』
俺『DVD返すの忘れてた』
A『どんだけ延泊!?』
まあ嘘だった。どうにかして気を紛らわせたかったから、なんでもいいやって適当に書いた。
結果、雰囲気はほんの少しだが和み、AもBもそれぞれ帰ったら何をするかを書いた。

25リゾートバイト18:2014/06/03(火) 14:51:49 ID:j2Iwz4NM0
少しずつだが、ゆっくりと俺達は静かな時間を過ごした。
そして残りの紙も少なくなった頃、Bはある言葉を紙に書いた。
B『俺は坊さんに言われたことを必ず守る。死にたくない』
俺もAも、最後の言葉を見つめてた。
俺は『死にたくない』なんて言葉、生まれてこの方本気で言ったことなんかない。きっとAもそうだろう。
死ぬなんて考えていなかったからだ。
死を間近に感じたことがないからだ。
それを今目の前で心の底から言うヤツがいる。その事実がすごく衝撃的だった。
俺はBの目をしっかりと見つめ、頷いた。
その後は特に何も話さなかったが、不思議と孤独感はなかった。
お互いの存在を感じながら、俺達は日が暮れるのを感じていた。

何もせずにいると蝉の鳴き声がうるさくて、でも徐々に耳が慣れて気にならなくなった。
でも、なんか違和感なんだ。よく耳を凝らすと、なにか他の音が聞こえるんだ。
さらに耳を凝らすと、段々その音がクリアに聞こえるようになった。
俺は考えるより先に確信した。あの呼吸音だって。
Bを見た。薄暗くて分かりづらかったが、Bに気づいている気配はなかった。
Bには聞こえないのか?
そういえばBって呼吸音について言ってたっけ?
もしかしてあれは聞いたことがないのか?
それとも単に気づいていないだけか?
頭の中で色々な考えが浮かんだ。
すると硬直する俺の様子に気づいたBが、周りをキョロキョロと見回し始めた。
この状況の中で、神経が過敏にならないはずがなかった。俺の異変にすぐ気づいたんだ。
するとBの視線が一点に止まった。俺の肩越しをまっすぐ見つめていた。
白目が一気にデカくなり、大きく見開いているのがわかった。
AもBの様子に気が付き、Bの見ている方を見ていたが、何も見つけられないようだった。
俺は怖くて振り返れなかった。
それでも、あの呼吸音だけは耳に入ってくる。
ソレがすぐそこにいることがわかった。動かず、ただそこで「ひゅーっひゅーっ」といっていた。
しばらく硬直状態が続くと、今度は俺達のいるおんどうの周りを、ズリズリとなにか引きずるような音が聞こえ始めたんだ。
Aはこの音が聞こえたらしく、急に俺の腕を掴んできた。
その音はおんどうの周りをぐるぐると回り、
次第に呼吸音が「きゅっ・・・・きゅえっ・・」っていう、何か得体の知れない音を挟むようになった。
俺には音だけしか聞こえないが、ソレがゆっくりとおんどうの周りを徘徊していることは分かった。
Aの腕から心臓の音が伝わってくるのを感じた。
Bを確認する余裕がなかったが、固まってたんだと思う。
全員微動だにしなかった。
俺は恐怖から逃れるために、耳を塞いで目を瞑っていた。
頼むから消えてくれと、心の中でずっと願っていた。

26リゾートバイト19:2014/06/03(火) 14:52:34 ID:j2Iwz4NM0
どれくらい時間が経ったかわからない。ほんの数分だったかも知れないし、そうでないかも知れない。
目を開けて周りを見回すと、おんどうの中は真っ暗で、ほぼ何も見えない状態だった。
そしてさっきまでのあの音は消えていた。
恐怖の波が去ったのか、それともまだ周りにいるのか、判断がつかず動けなかった。
そして目の前に広がる深い闇が、また別の恐怖を連れて来たんだ。
目を凝らすが何も見えない。
『いるか?』『大丈夫か?』の掛け声さえ出せない。
ただAはずっと俺の腕を握ってたので、そこにいるのが分かった。
俺はこの時猛烈にBが心配になった。Bは明らかに何かを見ていた。
暗がりの中でBを必死に探すが見えない。
俺はAに掴まれた腕を自分の左手に持ち直し、Aを連れてBのいた方へソロソロと歩き出した。
なるべく音を立てないように、そしてAを驚かせないように。
暗すぎて意思の疎通ができないんだ。
誰かがパニックになったら終わりだと思った。
どこにいるか全くわからないので、左手にAの腕を持ったまま、右手を手前に伸ばして左右にゆっくり振りながら進んだ。
すると指先が急に固いものに当たり、心臓がボンっと音を立てた。
手に触れたそれは、手触りから壁だということがわかった。
おかしい、Bのいた方角に歩いてきたのにBがいない。
俺は焦った。さらに壁を折り返してゆっくりと進んだ。だがまた壁に行き着いた。
途方に暮れて泣きそうになった。
『Bどこだ』の一言を何度も飲み込んだ。
どうしていいかわからなくなり、その場に立ち尽くしたままAの腕を強く握った。
すると、今度はAが俺の腕を掴み、ソロソロと歩き出したんだ。
まず、Aは壁際まで行くと、掴んだ俺の腕を壁に触らせた。
そしてそのままゆっくりと壁沿いを移動し、角に着いたら進路を変えてまた壁沿いに歩く。
そうやっていくうちに、前を歩くAがぱたりと止まった。そして俺の腕をぐいっと引っ張ると、何か暖かいものに触れさせた。
それは小刻みに震える人の感触だった。
Bを見つけたと思った。
でもすぐ後に、これは本当にBなのか?という疑問が芽生えた。
よく考えたらAもそうだ。ずっと近くにいたが、実際俺の腕を掴んでいるのはAなのか?
俺は暗闇のせいで、完全に疑心暗鬼に陥っていた。
俺が無言でいると、Aはまた俺の腕を掴み、ソロソロと歩き出した。
俺はゆっくりとついていった。
すると、ほんの僅かだが、視界に光が見えるようになった。
不思議に思っていると、部屋にある隙間から少しだけ月の明かりが入ってきているのが目に入った。
Aはそこへ俺達を連れて行こうとしているのだと思った。
何故気づかなかったのか、今思っても不思議なんだ。
暗闇に目が慣れるというのを聞いたことがあったけど、恐怖に呑まれてそれどころじゃなかった。
ほんとに真っ暗だったんだ。
とにかく、その時俺はその光を見て心の底から救われた気持ちになった。
そしてAに感謝した。
後から聞いたんだが、
A「俺は見えもしなかったし、聞こえもしなかった。なんか引きずってる音は聞こえたんだけどな。
 でもそのおかげで、お前達よりは余裕があったのかも」
と言っていた。
大した奴だって思った。
光の下に来ると、Aの反対側の手にBの腕が握られているのが見えた。
月明かりで見えたBの顔は、汗と涙でぐっしょり濡れていた。
何があったのか、何を見たのか、聞くまでもなかった。
夜は昼と違ってすごく静かで、遠くで鈴虫が鳴いていた。
俺達はしばらくそこでじっとしていた。
恥ずかしながら、3人で互いに手を取り合う格好で座った。ちょうど円陣を組む感じで。
あの状態が一番安心できる形だったんだと思う。
そして何より、例え僅かな光でも、相手の姿がそこに確認できるだけで別次元のように感じられたんだ。

27リゾートバイト20:2014/06/03(火) 14:53:31 ID:j2Iwz4NM0
しばらくそうしていると、とうとう予想していたことが起きた。Aが催したのだ。
生理現象だから絶対に避けられないと思っていた。
Aは自分のズボンのポケットから坊さんに貰った布の袋をゴソゴソと取り出すと、立ち上がって俺達から少し離れた。
静寂の中、Aの出す音が響き渡る。
なんか、まぬけな音に若干気が抜けて、俺もBも顔を見合わせてニヤっとした。
その瞬間だった。
「Bくん」
AB俺『・・・』
一瞬にして体に緊張が走る。
するとまた聞こえた。
俺達がおんどうに入った扉のすぐ外側からだった。
「Bくん」
俺達は声の主が誰か一瞬で分かった。
今朝も聞いた美咲ちゃんの声だった。
「Bくんおにぎり作ってきたよ」
こちらの様子を伺うように、少し間を空けながら喋りかけてくる。
抑揚が全くなく、機械のようなトーンだった。
Bの手にぐっと力が入るのが分かった。
「Bくん」
「・・・」
しばらくの沈黙の後、突然関を切ったように、
「Bくんおにぎり作ってきたよ」
「いらっしゃいませ〜」
「おにぎり作ってきたよ」
「Bくん」
「いらっしゃいませ〜」
「おにぎり作ってきたよ」
と、同じ言葉を何度も何度も繰り返すようになった。
尋常じゃないと思った。
恐かった。美咲ちゃんの声なのに、すげー恐かった。
坊さんは、おんどうには誰も来ないと俺達に言っていた。
そしてこの無機質な喋り方だ。
扉の外にいるのは、絶対に美咲ちゃんじゃないと思った。
気づくとAが俺達の側に戻り、俺とBの腕を掴んだ。
力が入ってたから、こいつにも聞こえてるんだと思った。
俺達は3人で、おんどうの扉の方を見つめたまま動けなかった。
その間もその声は繰り返し続く。
「いらっしゃいませ〜」
「Bくん」
「おにぎり作ってきたよ」
そしてとうとう、扉がガタガタと音を出して揺れ始めた。
おい、ちょ、待て。
扉の向こうのヤツは、扉をこじ開けて入ってくるつもりなんだと思った。
俺は扉が開いたらどうするかを咄嗟に考えた。
全速力で逃げる、坊さんたちは本堂にいるって言ってたからそこまで逃げて・・・おい本堂ってどこだ、とか。
もうここからどうやって逃げるかしか考えてなかった。
やがてそいつは、ガンガンと扉に体当たりするような音を立てだした。無機質な声で喋りながら。
そしてそのまま少しずつ、おんどうの壁に沿って左に移動し始めたんだ。
一定時間そうした後にまた左に移動する。その繰り返しだった。
何してるんだ・・?
不思議に思っていると、俺はあることに気づいた。
俺達のいる壁際には隙間が開いている。
そしてそいつは今そこにゆっくりと向かっている。
もし隙間から中が見えたら?
もし中からアイツの姿が見えたら?
そう考えると居ても立ってもいられなくなり、俺は2人を連れて急いで部屋の中央に移動した。
移動している。ゆっくりと、でも確実に。
心臓の音さえ止まれと思った。
ヤツに気づかれたくない。

28リゾートバイト21:2014/06/03(火) 14:54:27 ID:j2Iwz4NM0
いや、ここにいることはもう気づかれているのかもしれないけど。
恐怖で歯がガチガチといい始めた俺は、自分の指を思いっきり噛んだ。
そして俺は、隙間のある場所に差し掛かったそいつを見た。
見えたんだ。月の光に照らされたそいつの顔を、今まで音でしか感じられなかったそいつの姿を。
真っ黒い顔に、細長い白目だけが妙に浮き上がっていた。
そして体当たりだと思っていたあの音は、そいつが頭を壁に打ち付けている音だと知った。
そいつの顔が一瞬壁の隙間から消える。外でのけぞっているんだろう。
そしてその後すぐ、ものすごい勢いで壁にぶち当たるんだ。
壁にぶち当たる瞬間も白目をむき出しにしてるそいつから、俺は目が離せなくなった。
金縛りとは違うんだ、体ブルブル動いてたし。
ただ見たことのない光景に、目を奪われていただけなのかも知れないな。
あの勢いで頭を壁にぶつけながら、それでも淡々と喋り続けるそいつは、完全に生きた人間とはかけ離れていた。
結局、そいつは俺達が見えていなかったのか、
隙間の場所でしばらく頭を打ち付けた後、さらにまた左へ左へと移動していった。
俺の頭の中で残像が音とシンクロし、そいつが外で頭を打ち付けている姿が鮮明に想像できた。
正直なところ、そいつがどれくらいそこに居たのかを俺は全く覚えていない。
残像と現実の区別がつけられない状態だったんだ。
後から聞いた話だと、そいつがいなくなって静まりかえった後、3人ともずっと黙っていたらしい。
Aは警戒したから。
Bは恐怖のため動けなかったから。
そして俺は、残像の中で延長戦が繰り広げられていたから。
そんでAが俺を光の場所へ連れていこうと腕を掴んだ時、体の硬直が半端なくて一瞬死んだと思ったらしい。
本気で死後硬直だと思ったんだって。
BはBで、恐怖で歯を食いしばりすぎて歯茎から血を流してた。
Aだけはやっぱり姿を見ていなかった。
あと、そいつはそこから遠ざかって行く時、カラスのように「ア゛ーっア゛ー」と奇声を発していたらしい。
その声はAだけが聞いていたんだけど。
そいつの2度の襲来によって、その後の俺達の緊張の糸が緩むことはなかった。
ただ、神経を張り巡らせている分、体がついていかなかった。
みんな首を項垂れて、目を合わすことは一切無かった。
Bは催したものをそのまま垂れ流していたが、Aと俺はそれを何とも思わなかった。
あんなに夜が長いと思ったのは生まれて初めてだ。
憔悴しきった顔を見たのも、見せたのも、もちろん人でないものの姿を見たのも。
何もかも鮮明に覚えていて、今も忘れられない。

29リゾートバイト22:2014/06/03(火) 14:55:19 ID:j2Iwz4NM0
おんどうの隙間から光が差し込んできて、夜が明けたと分かっても、俺達は顔を上げられずそこに座っていた。
雀の鳴き声も、遠くから聞こえる民家の生活音も、すべてが俺の心臓に突き刺さる。
ここから出て生きていけるのか、本気でそう思ったくらいだ。
本格的に太陽の光が中に入りこんできた頃、遠くからこっちに近づいてくる足音が聞こえた。
俺達は完全に身構え体制に入った。
足音はすぐ近くまで来ると、おんどうの裏へ回り入り口の前で止まった。
息を呑んでいると、ガタガタっと音がし、「キィーッ」と音を立てて扉が開いた。
そこに立っていたのは、坊さんだった。
坊さんは俺達の姿を見つけると、一瞬泣きそうな顔をして、「よく、頑張ってくれました」と言った。
あの時の坊さんの目は、俺一生忘れないと思う。
本当に本当に優しい目だった。
俺は不覚にも腰を抜かしていた。
そして、いい年こいてわんわん泣いた。
坊さんは、俺達の汗と尿まみれのおんどうの中に迷わず入って来て、そして俺達の肩を一人一人抱いた。
その時坊さんの僧衣?から、なんか懐かしい線香の香りがして、ああ、俺達、生きてるって心の底から思った。
そこでまた俺子供のように泣いた。

しばらくしても立ち上がれない俺を見て、坊さんはおっさんを呼んできてくれた。
そして2人に肩を抱えられながら、前日に居た一軒家に向かった。
途中、行く時に見た大きな寺の横を通ったんだが、その時俺達3人は叫び声を聞いた。
低く、そして急に高くなって叫ぶ人の声だった。
家の玄関に着くと耳元でAが囁いた。
A「さっきのあれ、女将さんの声じゃね?」
まさかと思ったが、確かに女将さんの声に聞こえなくもなかった。
だが俺はそれどころじゃないほど疲れていたわけで。
早く家に上げて欲しかったんだが、玄関に出てきた女の人がすげー不快そうに俺達を見下しながら、
「すぐお風呂入って」って言うんだわ。
まーしょうがない。だって俺達有り得んくらい臭かったしね。
そして俺達は3人仲良く風呂に入った。
まあ怖かった。いきなり一人になる勇気はさすがになかった。

風呂を上がると見覚えのある座敷に通され、そこに3枚の布団が敷いてあった。『まず寝ろ』ということらしかった。

30リゾートバイト23:2014/06/03(火) 14:55:53 ID:j2Iwz4NM0
ここは安全だという気持ちが自分の中にあったし、極限に疲れていたせいもあった。
というか、理屈よりまず先に体が動いて、俺達は布団に顔を埋めてそのまま泥のように眠った。
俺は眠りに入る中で、まったくもってどうでもいいことを思った。
起きたらあいつらに、俺達が帰るって電話しなきゃな。
旅行の準備満タンでスタンバイする友達2人は、俺達が今こうして死にそうな思いをしていたことを知らない。
もちろん、旅行計画がオジャンになることも。
そういえば、おんどうから出る時俺はBに聞いたんだ。
俺「B、もう、見えないよな?」
するとBは確かな口調で答えた。
B「ああ、見えない。助かったんだ。ありがとう」
おれはその最後の一言を聞いて、Bが小便を垂らしたことは内緒にしておいてやろうと思った。
俺達は助かったんだ。その事実だけで十分だった。

その後目を覚ました俺達は、事の真相を坊さんに聞かされることになる。
そして、人間の本当の怖さと、信念の強さがもたらした怪奇的な現実を知るんだ。
Bの見たもの、俺の見たもの、Aの聞いたもの。
それを全て知って、俺達は再び逃げ出す決心をする。


今まで読んでくれた人たち、本当にありがとう。
自分でもこんな長文になるとは思ってもなかった。
沢山の期待がある分、それに沿えない結果だったかもしれないけど、
話を湾曲させたくなかったからそのまま書かせてもらった。
長すぎるのもなんなんで、一応ここで完結にしておく。
これから先は、事の真相を書くんで、本当に気になる人だけ読んでくれ。
ここまでで十分だって人は、またいつか〜

31リゾートバイトその後1:2014/06/03(火) 14:56:51 ID:j2Iwz4NM0
あの後、俺達は死んだように眠り、坊さんの声で目を覚ました。
坊「皆さん、起きれますか?」
特別寝起きが悪いAをいつものように叩き起こし、俺達は坊さんの前に3人正座した。
坊「皆さん、昨日は本当によく頑張ってくれました。無事、憑き祓いを終えることができました」
そう言って坊さんは優しく笑った。
俺達はその言葉に何と言っていいか分からず、曖昧な笑顔を坊さんに向けた。
聞きたいことは山ほどあったのに、何も言い出せなかった。
すると坊さんは俺達の心中を察したのか、
坊「あなたたちには、全てお話しなくてはなりませんね。お見せしたい物があります」と言って立ち上がった。
坊さんは家を出ると、俺達を連れて寺の方に向かった。

石段を上る途中、Bはキョロキョロと辺りを警戒する仕草を見せた。
それにつられて俺も、昨日見たアイツの姿を思い出して同じ行動を取った。
それに気づいた坊さんは俺達に聞いた。
坊「もう大丈夫のはずです。どうですか?」
B「大丈夫・・何も見えません」
俺「俺も平気です」
その返事を聞くと、坊さんはにっこりと笑った。

大きな寺に着くと、ここが本堂だと言われた。
坊さんの後ろに続いて寺の横にある勝手口から中に入り、さっきまで居た座敷とさほど変わらない部屋に通された。
坊さんは俺達にここで少し待つように言うと、部屋を出て行った。
Bは落ち着かないのか貧乏揺すりを始めた。
暫くすると、坊さんは小さな木箱を手に戻って来た。
そして俺達の対面に腰を下ろすと、「今回の事の発端をお見せしますね」と言って箱を開けた。
3人で首を伸ばして箱の中を覗き込んだ。
そこには、キクラゲがカサカサに乾燥したような、黒く小さい物体が綿にくるまれていた。
AB俺「何だこれ?」
よく見てみるが分からない。
だがなんとなく、どっかで見たことのある物だと思った。
俺は暫く考え、咄嗟に思い出した。
昔、俺がまだ小さい頃、母親がタンスの引き出しから、大事そうに木の箱を持ってきたことがあった。
そして箱の中身を俺に見せるんだ。すげー嬉しそうに。
箱の中には綿にくるまれた黒くて小さな物体があって、俺はそれが何か分からないから母親に尋ねたんだ。
そしたら母親は言ったんだ。
「これはねぇ、臍(へそ)の緒って言うんだよ。お母さんと、○○が繋がってた証」
俺は子供心に、なんでこんなの大事そうにしてるんだろ?って思った。
目の前にあるその物体は、あの時に見た臍の緒に似ているんだと思った。
A「これ何ですか?」
坊「これは、臍の緒ですよ」
というか、似てるもなにも臍の緒だった。
A「俺初めて見たかも」
B「おれ見たことある」
俺「俺も」
坊「みなさん親御さんに見せてもらったのでしょう。こういうものは、大切に取っておく方が多いですから」
 この臍の緒も、それはそれは大切に保管されていたものなのです」
俺たちは黙って坊さんの話を聞いていた。
坊「母親の胎内では、親と子は臍の緒で繋がっております。
 今ではその絆や出産の記念にと、それを大切にする方が多いですが、
 臍の緒には色々な言い伝えがあり、昔はそれを信じる者も多かったのです」
B「言い伝え?」
坊「そうです。昔の人はそういう言い伝えを非常に大切にしておりました。今となっては迷信として語られるだけですが」
そう前置きをして、坊さんは臍の緒に関する言い伝えを教えてくれた。

32リゾートバイトその後2:2014/06/03(火) 14:57:46 ID:j2Iwz4NM0
主に『子を守る』という意味を持っているが、解釈は様々。
『子が九死に一生の大病を患った際に煎じて飲ませると命が助かる』とか、
『子に持たせるとその子を命の危険から守る』というのがあって、
親が子供を想う気持ちが込められているところでは共通しているらしい。
俺たちはその話を聞いて、「へぇ〜」なんて間抜けな返事をしていた。
坊さんは一息入れると、微かに口元を上げて言った。
坊「ひとつ、この土地の昔話をしてもよろしいですか?今回の事に関わるお話として聞いいただきたいのです」
俺達は坊さんに頷いた。
ここから坊さんの話が始まる。
結構長くて、正確には覚えてない。所々抜け落ち部分があるかも。

坊「この土地に住む者も、臍の緒に纏わる言い伝えを深く信じておりました。
 土地柄、ここでは昔から、漁を生業として生活する者が多くおりました。
 漁師の家に子が生まれると、その子は物心がつく頃から、親と共に海に出るようになります。
 ここでは、それがごく普通のしきたりだったようです。
 漁は危険との隣り合わせであり、我が子の帰りを待つ母親の気持ちは、私には察するに余りありますが、
 それは深く辛いものだったのでしょう。
 母親達はいつしか、我が子に御守りとして、臍の緒を持たせるようになります。
 海での危険から命を守ってくれるように、
 そして行方のわからなくなったわが子が、自分の元へと帰ってこれるようにと」
俺「帰ってくる?」
俺は思わず口を挟んだ。
坊「そうです。まだ体の小さな子は、波にさらわれることも多かったと聞きます。
 行方の分からなくなった子は、何日もすると死亡したことと見なされます。
 しかし、突然我が子を失った母親は、その現実を受け入れることができず、
 何日も何日もその帰りを待ち続けるのだそうです。
 そうしていつからか、子に持たせる臍の緒には、
 『生前に自分と子が繋がっていたように、子がどこにいようとも自分の元へ帰ってこれるように』と、
 命綱の役割としての意味を孕むようになったのだと言います」
皮肉な話だと思った。
本来海の危険から身を守る御守りとしての役割を成すものが、いざ危険が起きたときの命綱としての意味も持ってる。
母親はどんな気持ちで子どもを送り出してたんだろうな。
坊「実際、臍の緒を持たせていた子が行方不明になり、無事に帰ってくることはなかったそうです。
 しかしある日、『子供が帰ってきた』と涙を流して喜ぶ、1人の母親が現れます。
 これを聞いた周囲の者はその話を信用せず、とうとう気が狂ってしまったかと哀れみさえ抱いたそうです。
 何故なら、その母親が海で子を失ったのは、3年も前のことだったからです」
B「どこかに流れついて、今まで生きてたとかじゃないんですか?」
坊「そうですね。始めはそう思った者もいたようです。
 そして母親に、子供の姿を見せてほしいと言い出した者もいたそうなのです」
B「それで?」
坊「母親はその者に言ったそうです。『もう少ししたら見せられるから待っていてくれ』と」
どういう意味だ?
帰って来たら見せられるはずじゃないのか?
俺はこの時、理由もなく鳥肌が立った。
坊「もちろん、その話を聞いて村の者は不振に思ったそうですが、
 子を亡くしてからずっと伏せっていた母親を見てきた手前、強く言うことができず、
 そのまま引き下がるしかできなかったそうです。
 しかし次の日、同じ事を言って喜ぶ別の母親が現れるのです。
 そしてその母親も、子の姿を見せることはまだできないという旨の話をする。
 村の者達は困惑し始めます。

33リゾートバイトその後3:2014/06/03(火) 14:58:18 ID:j2Iwz4NM0
前日の母親は既に夫が他界し、本当のところを確かめる術が無かったのですが、この別の母親には夫がおりました。
 そこで村の者達は、この夫に真相を確かめるべく、話を聞くことになったそうです。
 するとその夫は言ったそうです。『そんな話は知らない』と。
 母親の喜びとは反対に、父親はその事実を全く知らなかったのです。
 村人達が更に追求しようとすると、『人の家のことに首を突っ込むな』と、ついには怒りだしてしまったそうです」
まあ、そうだよな。
何にせよ周りの人に家の中のことをごちゃごちゃ聞かれたら、いい気はしないだろうななんて思ったりもした。
坊「その後何日かすると、ある村の者が、
 最初に子が戻ってきたと言い出した母親が、昨晩子共を連れて海辺を歩く姿を見たと言い出します。
 暗くてあまり良く見えなかったが、手を繋ぎ隣にいる子供に話しかけるその姿は、本当に幸せそうだったと。
 この話を聞いた村の者達は皆、これまでの非を詫びようと、そして子が戻ってきたことを心から祝福しようと、
 母親の家に訪ねに行くことにしたそうです。
 家に着くと、中から満面の笑顔で母親が顔を出したそうです。
 村の者達はその日来た理由を告げ、何人かは頭を下げたそうです。
 すると母親は、『何も気にしていません。この子が戻って来た、それだけで幸せです』と言いながら、
 扉に隠れてしまっていた我が子の手を引き寄せ、皆の前に見せたそうです。
 その瞬間、村の者達はその場で凍りついたそうです」
AB俺「・・・」
坊「その子の肌は、全身が青紫色だったそうです。
 そして体はあり得ない程に膨らみ、腫れ上がった瞼の隙間から白目が覗き、
 辛うじて見える黒目は、左右別々の方向を向いていたそうです。
 そして口から何か泡のようなものを吹きながら、母親の話しかける声に寄生を発していたそうです。
 それはまるで、カラスの鳴き声のようだったと聞きます。
 村の者達は、子供の奇声に優しく笑いかけ、髪の抜け落ちた頭を愛おしそうに撫でる母親の姿を見て、
 恐怖で皆その場から逃げ出してしまったのだそうです。
 散り散りに逃げた村の者達はその晩、村の長の家に集まり出します。
 何か得体の知れないものを見た恐怖は誰一人収まらず、それを聞いた村の長は自分の手には負えないと判断し、
 皆を連れてある住職の元へ行くことにします。
 その住職というのが、私のご先祖に当たる人物らしいのですが・・・
 相談を受けた住職は事の重大さを悟り、すぐさま母親の元に向かいます。
 そして母親の横に連れられた子を見るや、母親を家から引きずり出し、寺へと連れて帰ったそうです。
 その間も、その子は住職と母親の後をずっと付いてきて、奇声を発していたのだとか。
 寺に着くと、まず結界を強く張った一室に母親を入れ、話を聞こうとします。
 しかし、一瞬でも子と離れた母親は、その不安からかまともに話をできる状態ではなかったと聞きます。
 ついには子供を返せと、住職に向かってものすごい剣幕で怒鳴り散らしたのだそうです」
A「それでどうなったんですか?」
坊「子を想う母は強い。
 住職が本気で押さえ込もうとしたその力を跳ね飛ばし、そのまま寺を飛び出してしまったのだそうです」
坊さんは少し情けなそうな顔をしてそう言った。
坊「その後、村の者と従者を何人か連れて、母親の家に行きましたが、そこに母と子の姿はなかったそうです。
 そして家の中には、どこのものかわからない札が至る所に貼り付けられ、
 部屋の片隅には、腐った残飯が盛られ異臭が立ち込めていのだとか」
この時俺は思った。あの旅館の2階で見たものと同じだと。
坊「そこに居た皆は同じことを思いました。母親は子を失った悲しみから、ここで何かしらの儀を行っていたのだと。

34リゾートバイトその後4:2014/06/03(火) 14:58:56 ID:j2Iwz4NM0
そして信じ難いことだが、その産物としてあのようなモノが生まれたのだと。
 その想いを悟った村の者達は、母親の行方を村一丸になって捜索します。
 住職はすぐさま従者を連れ、もう一人の母親の家に向かいますが、こちらも時既に遅しの状態だったそうです。
 得体の知れないモノに語りかけ、子の名前を呼ぶ母親に恐怖する父親。
 その光景を見た住職は、経を唱えながらそのモノに近づこうとしますが、
 子を守る母親は住職に白目を向き、奇声を発しながら威嚇してきたのだそうです」
現実味のない話だったのに、なぜかすごく汗ばんだ。
坊「村の者は恐れ、一歩も近寄れなかったと言います。
 しかし住職とその従者は、臆することなくその母親とそのモノに近づき、興奮する母親を取り押さえ寺へ連れ帰ります。
 暴れる母親を抱えながら、背後から付いて来るモノに経を唱え、道に塩を盛りながら少しずつ進んだのだそうです。
 寺に着くと、住職は母親をおんどうへ連れて行き、体を縛りその中に閉じ込めたのだそうです」
A「そんなことを・・・」
Aが哀れみの声を出した。
坊「仕方がなかったのです。親と子を離すのが先決だった、そうしなければ何もできなかったのでしょう」
坊さんがしたことではないが、Aは坊さんから顔を背けた。
少しの沈黙の後、坊さんは続けた。
坊「母親の体には自害を防ぐための処置が施されたようですが、その詳細は分かりません。
 その後、おんどうの周りに注連縄を巻きつけ、住職達はその周りを取り囲むようにして座り、経を唱え始めたそうです。
 中から母親の呻き声が聞こえましたが、その声が子に気づかれぬよう、全員で大声を張り上げながら経を唱えたそうです」
 住職達が必死に経を唱える中、いよいよ子の姿が現れます。
 子は親を探し、おんどうの周りをぐるぐると回り始めます。
 何を以って親の場所を捜すのか、果たして経が役目を成すのかもわからない状態で、
 とにかく住職達は必死に経を唱えたのです」
そこで坊さんは一息ついた。
B「それで、どうなったんですか?」
Bの声は恐る恐るといった感じだった。
坊「おんどうの周りを回っていたそのモノは、次第に歩くことを困難とし、四足歩行を始めたそうです。
 その後、四肢の関節を大きく曲げ、蜘蛛のように地を這い回ったそうです。
 それはまるで、人間の退化を見ているようだったと。
 その後、なにやら呻き声を上げたかと思うと、
 そのモノの四肢は失われ、芋虫のような形態でそこに転がっていたのだとか。
 そしてそのモノは、夜が明けるにつれて小さくすぼみ、最終的に残ったのが、臍の緒だったのです」

35リゾートバイトその後5:2014/06/03(火) 14:59:30 ID:j2Iwz4NM0
俺は坊さんの話に聞き入っていた。
まるで自分達の話に毛が生えて、昔話として語られているような感覚だった。
するとAが聞いたんだ。
A「え、もしかしてその臍の緒って・・・」
すると坊さんは静かに答えた。
坊「今朝、おんどう奥の岩の上に転がっていたものです」
B「マジかよ・・」
Bは呆然として呟いた。
俺「なんで?なんで俺達なんですか?」
坊「詳しくはわかりません。
 この寺には、代々の住職達の手記が残されていますが、
 母親でない者にこのような現象が起きた事例は、見当たりませんでした。
 何より、肝心の母親の行った儀式について、これがまだ謎に包まれたままなのです」
B「母親に聞かなかったんですか?」
坊「聞かなかったのではなく、聞けなかったのです」
ポカンとしていると坊さんはまた話し始めた。
坊「住職達がおんどうを開け中を確認すると、疲れ果ててぐったりした母親がいたそうです。
 子を求めて一晩中叫んでいたのでしょう。
 すぐさま母親を外に運びだし手当てをしましたが、目を覚ました時には、母親は完全に正気を失っておりました。
 二度も子を失った悲しみからなのか、はたまた何か禍々しいモノの所為なのか、それも分かりかねますが。
 そして村の者が捜索していたもう一人の母親ですが、
 一晩経を読み上げ疲れ果てた住職達の元に、発見の知らせが届いたそうです。
 近海の岸辺に、遺体となって打ち上げられていたと。
 母親は体中を何かに食い破られており、それでいて顔はとても幸せそうだったとあります。
 何が起きたのかはわかりませんが、住職の手記にはこうありました。
 『子に食われる母親の最後は、完全な笑顔だった』と」
信じられないような話なんだが、俺達は坊さんの話す言葉一つ一つをそのまま飲み込んだ。
坊「遺体となって見つかった母親の家は、村の者達による話し合いで取り壊されることとなり、
 その際に家の中から、母親の書いたものらしいメモが見つかったそうです」
そう言って坊さんは、そのメモの内容を俺達に説明してくれた。
簡単に言うと、儀式を始めてからの我が子を記録した、成長記録のようなものだったそうだ。
どんな風に書かれていたのかは憶測でしかないんだが、内容は覚えているので以下に書く。わかりづらいかも。

○月?日 堂の作成を開始する
×月?日 変化なし

・・・

△月?日 △△(子の名前)が帰ってくる
△月?日 移動が困難な状態
△月?日 手足が生える
△月?日 はいはいを始める
△月?日 四つ足で動き回る
△月?日 言葉を発する
△月?日 立つ

36リゾートバイトその後6:2014/06/03(火) 15:01:40 ID:j2Iwz4NM0
この成長記録に、母親の心情がビッシリと書き連ねてあったらしい。
ちなみに、もう一人の母親は、屋根裏に堂を作っていたらしく、父親はその存在に全く気づいていなかったのだそうだ。

坊「私もすべてを理解しているとは言えませんが、この母親の成長記録と住職の手記を見比べると、
 そのモノは、自分の成長した過程を遡るようにして、退化していったと考えられませんか?」
確かにその通りだと思った。
そして坊さんは、それ以上の言及を避けるように話を続けた。
坊「これ以降手記には非常に稀ですが、同じような事象の記述が見られます。
 だがその全てに、母親達がいつどのようにしてこの儀を知るのかが、明記されていないのです。
 それは全ての母親が、命を落とす、若しくは、話すこともままならない状態になってしまったことを、意味しているのです」
坊さんは、早期に発見できないことを悔やんでいると言った。
坊「今回の現象は初めてのことで、私自身もとても戸惑っているのです。
 何故母親ではないあなたが、そのモノを見つけてしまったのか。
 子の成長は母親にしか分からず、共に生活する者にも、それを確認することはできないはずなのです」
そんなデタラメな話有りなのか?と思った。
そしてBが、話の核心を知ろうと恐る恐る質問した。
B「あの、母親って、・・・もしかして女将さんなんですか?」
坊さんは少し黙り、答えた。
坊「その通りです。
 真樹子さんは、この村出身の者ではありません。○○さん(旦那さんの名前)に嫁ぎこの村にやってきました。
 息子を一人儲け、非常に仲の良い家族でした」
そう言って話してくれた坊さんの話の内容は、大方予想が付いていたものだった。
女将さんの一人息子は、数年前のある日海で行方不明になったそうだ。
大規模な捜索もされたが、結局行方は分からなかったらしい。
悲しみに暮れた女将さんは、周囲から慰めを受け、少しずつだが元気を取り戻していったそうだ。
旅館もそれなりに繁盛し、周囲も事件のことを忘れかけた頃、急に旅館が2階部分を閉鎖することになったんだって。
周りは不振に思ったが、そこまで首を突っ込むことでもないと、別段気にすることはなかったそうだ。
そしてこの結果だ。

37リゾートバイトその後7:2014/06/03(火) 15:02:11 ID:j2Iwz4NM0
女将さんはどこから情報を得たのか不明だが、あの2階へ続く階段に堂を作り上げ、そこで儀式を行っていた。
そしてその産物が俺達に憑いてきたという訳だが、ここがこれまでの事例と違うのだと坊さんは言った。
本来儀式を行った女将さんに憑くはずの子が、第3者の俺達に憑いたんだ。
考えられる違いは、女将さんは息子に臍の緒を持たせていなかったということ。
そこの村の人達は、昔からの風習で未だに続けている人もいるらしいが、女将さんはその風習すら知らなかった。
これは旦那さんが証言していたらしい。
そして妙な話だが、旅館の2階を閉鎖したというのに、バイトを3人も雇った。
旦那さんも初めは反対したそうだが、
女将さんに「息子が恋しい。同年代くらいの子達がいれば、息子が帰ってきたように思える」と泣きつかれ、
渋々承知したそうなんだ。
これは坊さんの憶測なんだが、
女将さんは初めから、帰ってきた息子が俺達を親として憑いていくことを知っていたんではないか、ということだった。
結局これらのことを俺達に話した後、坊さんはこう言った。
坊「あなた達をあのおんどうに残したこと、本当に申し訳なく思います。
 しかし私は、真樹子さんとあなた達の両方を救わなければならなかった。
 あなた達がここにいる間、私達は真樹子さんを本堂で縛り、先代が行ったように経を読み上げました。
 あのモノがおんどうへ行くのか、本堂へ来るのか分からなかったのです」
つまり、俺達に憑いてきてはいるが、これまでの事例からいくと母親の女将さんにも危険が及ぶと、
坊さんはそう読んでいたってことだ。
俺は別に坊さんが謝ることじゃないと思った。
それにこの人は命の恩人だろ?と思ってBを見ると、肩を震わせながら坊さんを睨み付けて言ったんだ。
B「納得いかない。自分の息子が帰ってくりゃ人の命なんてどーでもいいのか?」
坊「・・・」
B「全部吐かせろよ!なんでこんな目に遭わせたのか、それができないなら俺が直接会って聞いてやる」
 旦那さんだって知ってたんだろ?それなのに何で言わなかったんだ?」
坊「○○さんは知らなかったのです」
B「嘘つくな。知ってるようなこと言ってたんだ」
坊「この話は、この土地には深く根付いています。○○さんが知っていたのは伝承としてでしょう」
坊さんが嘘を吐いているようには見えなかった。
だがBの興奮は収まりきらなかったんだ。
B「ふざけんじゃねーぞ。早く会わせろ。あいつらに会わせろよ!」
俺達はBを取り押さえるのに必死だった。
坊さんは微動だにせず、Bの怒鳴り声を静かに聞いていた。
そして、
坊「この話をすると決めた時点で、あなた達には全てをお見せしようと思っておりました。
 真樹子さんのいる場所へ案内します」
と言って立ち上がったんだ。

38リゾートバイトその後8:2014/06/03(火) 15:02:48 ID:j2Iwz4NM0
坊さんの後を付いてしばらく歩いた。
本堂の中にいるかと思っていたんだが、渡り廊下みたいなのを渡って離れのような場所に通された。
近づくにつれて、なにやら呻き声と何人かの経を唱える声が聞こえてきた。
そしてその声と一緒に、バタンッバタンという音が聞こえた。かなりでかかった。
離れの扉の前に立つと、その音はもうすぐそこで鳴っていて、中で何が起きているのかと俺は内心びくびくしていた。
そして坊さんが離れの扉を開けると、そこには女将さん一人と、それを取り囲む坊さん達が居た。
俺達は全員、言葉を発することができなかった。
女将さんはそこに居たというか・・・なんか跳ねてた。エビみたいに。うまく説明できないんだが。
寝た状態で、畳の上で、はんぺんみたいに体をしならせて、ビタンビタンと跳ねていたんだ。
人間のあんな動きを俺は初めてみた。
そして時折、苦しそうにうめき声を上げるんだ。
俺は怖くて女将さんの顔が見れなかった。
正直、前の晩とは違う、でもそれと同等の恐怖を感じた。
呆然とする俺達に坊さんは言った。
坊「この状態が、今朝から収まらないのです」
するとAが耐え切れなくなり、「俺、ここにいるのキツイです」と言ったので、一旦外に出ることになった。
音を聞くことさえ辛かった。
つい昨日の朝に見た女将さんの姿とは、まるで別人の様になっていた。

そこから少し離れたところで、俺達は坊さんに尋ねた。憑き物の祓いは成功したのではないかと。
坊「確かに、あなた達を親と思い憑いてきたものは、祓うことができたのだと思います。
 現にあなた達がいて、ここに臍の緒がある。しかし・・・」
すると急にBが言ったんだ。
B「そうか・・・俺が見たのは、1つじゃなかったんだ」
初めは何のことを言ってるのかわからなかったんだが、そのうちに俺もピンときた。
Bはあの時、2階の階段で複数の影を見たと言っていなかったか?
坊「1つではないのですか?」
坊さんは驚いたように聞き返し、Bがそうだと答えるのを見ると、また少し黙った。
そして暫く考え込んでいたかと思うと、急に何かを思い出したような顔をして、俺達に言ったんだ。
坊「あなた達は鳥居の家に行ってください。そしてあの部屋を一歩も出ないでください。後で人を行かせます」
ポカンとする俺達を置いて、坊さんはそのまま女将さんのいる離れの方に走って行った。
俺達は急に置いてけぼりを食らい、暫く無言で突っ立っていた。
すると離れの方から、複数の坊さんが大きな布に包まった物体を運び出しているのが見えた。
その布の中身がうねうねと動いて、時折痙攣しているように見えた。
あの中にいるのは女将さんだと全員が思った。
そのままおんどうの方に運ばれていく様を、俺達は呆然と見ていたんだ。
ふとお互い顔を見合わせると、途端に怖くなり、俺たちは早足で家に向かった。
そこからは、説明することが何も無いほど普通だった。
家に行って暫くすると、別の坊さんがやって来て「ここで一晩過ごすように」と言われた。
そしてその坊さんは俺たちの部屋に残り、微妙な雰囲気の中4人で朝を迎えたというわけ。

39リゾートバイトその後9:2014/06/03(火) 15:04:13 ID:j2Iwz4NM0
次の朝、早めに目が覚めた俺達がのん気にめざにゅ〜を見ていると、坊さんがやって来た。
俺達は坊さんの前に並んで話を聞いた。
坊さんは俺達の憑き祓いは完全に終わったと言った。
昨日言っていた通り、俺達に憑いてきたモノは一匹で、それは退化を遂げて消滅したのを確認したんだと。
俺達はそれを聞いて安堵した。
しかし坊さんはこう続けた。
女将さんを救うことができなかったと。
泣きそうなのか怒っているのか、なんとも言えない表情を浮かべてそう言った。
死んだのかと聞くと、そうではないと言うんだ。
俺はその言葉から、女将さんが跳ね回っている姿を思い出した。
ずっとあの状態なのか・・?
恐る恐るそれを聞くと、坊さんは苦い顔をしただけで、肯定も否定もしなかった。
女将さんの今の状態は、憑きものを祓うとかそういう次元の話ではなく、何かもっと別のものに起因してるんだって。
詳しくは話してくれなかったんだが、女将さんが行った儀式は、この地に伝わる『子を呼び戻す儀』と似て非なるものらしい。
どこかでこの儀の存在と方法を知った女将さんは、息子を失った悲しみからこれを実行しようと試みる。
だが肝心の臍の緒は自分の手元にあったわけだ。
こっからは坊さんの憶測なんだが、女将さんはこれを試行錯誤しながら、完成系に繋げたんじゃないかということだった。
自分の信念の元に。
そしてそこから得た結果は、本来のものとは別のものだった。
堂には複数のモノがおり、そこに息子さんがいたかは分からないと。
坊さんが言ってた。
この儀の結末は、非常に残酷なものでしかないんだと。
それを重々承知の上で、母親達は時にその禁断の領域に足を踏み入れてしまう。
子を失う悲しみがどれ程のものなのか、我々には推し量ることしかできないが、
心に穴の開いた母親がそこを拠り所としてしまうのは、いつの時代にもあり得ることなのではないかと。
Bは女将さんのこれからを執拗に聞いていたが、坊さんは何も分からないの一点張りで、
俺たちは完全に煙に巻かれた状態だった。

俺達が坊さんと話終えると、部屋に旦那さんが入ってきた。
俺は正直ぎょっとした。
顔が土色になって、明らかにやつれ切った顔をしてたんだ。
そして、俺達の前に来ると泣きながら謝って来た。
泣きすぎて何を言ってるのかは全部聞き取れなかったんだけど、俺達は旦那さんのその姿を見て誰も何も言えなかった。
俺達に申し訳ないことをしたと泣いているのか、それとも女将さんの招いた結果を思って泣いているのか、
どっちだったんだろうな。今となってはわかんねーな。
その後、俺達は何度も坊さんに確認した。
これ以降俺達の身には何も起きないのか?と。
すると坊さんは、困ったような顔をしながら「大丈夫」だと言った。

その後、坊さんの所にタクシーを呼んでもらって俺達は帰ることになった。
一応、昨日の朝俺を家まで運んでくれたおっさんが、駅まで同乗してくれることになったんだが。
このおっさんがやたら喋る人で、それまでの出来事で気が沈んでる俺達の空気を一切読まずに、一人で喋くりまくるんだ。
そんでこのおっさんは、「それにしても、子が親を食うなんて、蜘蛛みたいな話だよなぁ」と言ったんだ。
俺達は胸糞悪くなって黙ってたんだけど、おっさんは一人で続けた。
「お前達、ここで聞いた儀法は試すんじゃねーぞ。自己責任だぞ」
そう言って笑うんだ。
俺達の気持ちを和らげようとして言ってるのか、本気でアホなのかわかんなかったけど、一つ確かなことがあった。
俺達は、坊さんに真実を隠されて教えられたんだ。
儀の方法は、その結果と一緒にこの地に伝わってるんだ。
このおっさんが知ってて坊さんが知らないはずないだろ?
そう思うと、これだけの体験をさせといて、結局は大事なところを隠して話されたことにすげーショックを受けた。
坊さんを信用していた分、なんか怒りにも似たものが湧き上がってきたんだ。
タクシーが駅に着くと、おっさんが金を払うと言ったが俺達は断った。
早くこの場所から逃げ出したい、その一心だった。
坊さんが「大丈夫」と言った一言も、全部嘘に思えてきた。
それでも俺達には、あの寺に戻る勇気はなくて、帰りの電車をただただ無言で待つことしかできなかったんだ。

40リゾートバイトその後10:2014/06/03(火) 15:05:14 ID:j2Iwz4NM0
その後、帰って来てからはなんともない。
まあ、なんともないからここに書き込めてるわけだけど。
「もう2度とあの場所へは行かない」
3人で話してると必ず1回はその言葉が出てくるくらい、俺達にとってトラウマになった出来事だったんだ。
あと、Bはあれから蜘蛛を見るのがどうもダメらしい。成長過程のアイツの姿を見てるからね。
俺はと言うと、今は普通に社会人やってます。若干暗闇が苦手になったくらい。
人間のど元過ぎれば熱さ忘れるって、あながち間違いじゃないかもしれないな。

本当の本当に後日談なんだが、その話を残りの友達2人に話したんだ。
2人とも俺達3人の様子を見て、一応信じてはくれたんだけど。
でもそいつらその後に、興味半分で旅館に電話を掛けてみたんだって。(最低だろ)
そしたら、電話に出たのは普通のおばさんだったらしい。
そいつら俺達に言うんだよ。女将さんか確認しろって。そんで、後ろでカラスが異様に鳴いてるって言うんだ。
絶対無理だと思った。女将さんが無事でも無事じゃなくても、俺にはその後を知る勇気なんか出なかった。


タラタラ書いて正直すまなかった。
真相といっても的を得ない内容だったかもしれないが、ご勘弁願います。
これがありのままっす。オチなしですが。
長々読んでくれてどうもありがとう。

41名無しさん:2014/06/03(火) 16:30:25 ID:zbwPyadoO
何処からコピってきたのか知らんし全然読んで無いが、大抵の話はまとめに載ってるから不要だぞ。

42臨時の用務員:2014/06/03(火) 17:27:44 ID:j2Iwz4NM0
小学校のとき、用務員さんが急病で、1度だけ代理の人が来た。
あまり長くは居なかったけど、まあ普通のおじさん。
ただ妙だったのは、すべての女子に「ヨリコちゃん」と話しかける。
「ああヨリコちゃん、気をつけてね、じゃあね」
「違うよー、あたしカナ」
「ヨリコちゃん、元気ないね」
「あたしはメグミ」
気になってまわりの友達や兄弟に聞いたが、どの学年にもどのクラスにもヨリコなんて女子はいなかった。

まあいいやといい加減慣れだしたころ、あの用務員さんがプールの掃除をしていた。
様子が変だった。プールの排水溝に顔をくっつけて何か喋っている。
そして風向きが変わった瞬間、おじさんが喋っていた言葉が聞こえた。
「ああ、ヨリコちゃんヨリコちゃん、代わりがいれば出られるよ。ヨリコちゃん」
俺は走って逃げた。

それからしばらくして元の用務員さんが学校に戻って、その人はいなくなった。
その後は知らない。

43金魚:2014/06/03(火) 17:28:34 ID:j2Iwz4NM0
当時まだ1才だった娘を連れて夏祭りに行った時の話です。

屋台を見ていると金魚すくいがありました。
娘にも何か生き物に触れて欲しいと思い、何回か失敗しながら1匹の金魚を取って帰ったのです。

金魚鉢に入れて部屋に置くと、娘は珍しいのか近寄っていって中を眺めています。
まだ言葉を話せないのに金魚と合わせて口をパクパクさせて、まるで会話している様でした。
かわいいなと思っていた途端、何故か娘が火がついたように泣き出したのです。
赤ん坊ですからよくあることなんですが、いくらあやしてもなかなか泣き止まず、理由もわかりません。
その日から娘は、絶対に金魚に近づかなくなりました。
無理に近くに連れて行っても、泣き出して離れてしまうのです。

特に気にも留めていなかったのですが、ある午後、
娘の昼寝中に部屋で一人ぼーっとしていた時、ふと金魚と娘のことが気にとまりました。
この金魚、何か変なところでもあるのかしら?
そう思って、金魚鉢を覗き込んだんですが、金魚はただ口をパクパクさせるだけ。
かわいいものだと見つめていたその時、何気なく部屋の電気で反射して金魚鉢に映ったものを見て、
私は全身の毛が総毛だつのがわかりました。
そこには私の顔と部屋の景色と、それから、私の右肩から覗く知らない男の人の顔が映っていたのです。
そして何より驚いたのは、
鉢の中の金魚のパクパクという口の動きと、その男の人の口の動きがまったく同じだったこと。

あの金魚は一体なんだったのか。
金魚鉢に映った男の人は誰だったのか。
近くの川に金魚を放してからもう5年たちますが、未だに金魚を見るとあの男性の顔を思い出します。

44K市で起こった連続通り魔事件:2014/06/03(火) 17:29:20 ID:j2Iwz4NM0
幼なじみ(女性)から遊びの誘いの電話がかかってきました。
彼女の結婚を境に疎遠になっていたのですが、他の友達とも疎遠になってしまったらしく、
『地元には友達と呼べる人がいなくて寂しい』と嘆いていました。
専業主婦で家にこもりきりのため、人との出会いが無いのが寂しさに拍車をかけていたようです。

久しぶりに会い、彼女の運転でドライブに出かけました。
昔からそうなんですが、車中では私が愚痴をこぼすばかりで、彼女は微笑んで聞き役に徹していました。
ただ気になったのは、今日会ってから一言も旦那さんのことを口にしていないことでした。
周りに友達がいない彼女にとって、旦那さんは唯一の心のより所だったはずで、
旦那さんと何かがあったから、こうして急に誘ってきたのかな?と思いました。

方々を遊びまわって夜も更けたころ、私が「今日はお疲れ!」とねぎらって、そろそろ帰ろうという雰囲気を出すと、
彼女は『わかった』という顔をして車の方向を変えました。
しかし、私の家(実家)とは逆の方向へ走り出しました。
まだ遊び足りないのかな?と思い、しかたない、付き合ってやるかと諦めました。

車はあるトンネルの信号の前で止まりました。
トンネル内部はやたらと明るく照らされて、パトランプも回っており、奇妙な感じがしました。
「事件でもあったのかな?」と私が言うと、
彼女は「最近このへんで通り魔があったの」と、何でもないことのように言いました。
私が驚いて、
「そういえばそんなのあったね!若い女の子ばっかり。
 犯人まだ捕まってないんじゃなかったっけ?あんたも夜道は気をつけなよ!」
と言うと、彼女は言いました。
「もう捕まったよ」
地元で起こった事件だったので、ニュースを追いかけていたものの、
事件が解決済みであったことを私は忘れかけていました。
確かまだ容疑者は犯行を否認していて、だからいまだに現場付近は警戒中なんだ、と思いました。
自分の記憶力のいい加減さに呆れて、「なんだよかった。一応解決したん…」と言いかけて、
ふと彼女の今の苗字が頭に浮かび、ハッとしました。
「犯人、あたしの旦那だったの」

45樹海の仲間達:2014/06/03(火) 17:30:05 ID:j2Iwz4NM0
事業に失敗し、負債を抱えてしまった。
決して返せない額ではなかったが、すっかり気力を無くし、死に場所を求めて富士の樹海をさ迷っていた。

何時間も歩き続けて、いつの間にか夜になっていた。
ふと、人の声が聞こえた。
周りを見ると、ぼんやりとした人影達がそこかしこにいた。
不思議と怖いとは思わなかった。
ただ漠然と『こんなに居るのか…』とは思った。

相変わらず周りからはボソボソと声が聞こえる。
最初は何を言っているのか分からなかったが、徐々にはっきりと聞こえるようになった。
「止めておけ」「引き返した方がいい」「何もこんな所で死ぬことはない」
すると足元に違和感を感じた。
見てみると、腐敗した死体を踏んでいた。
死体の頭がこちらの方を振り向いた。
「分かるでしょう?ここは人の死ぬ場所じゃない。
 死んだ所で何処にもいけない。ずっと此処から出られない。
 正直、後悔しているわ…」
もはや性別すら分からなくなった死体は、女性の声でそう言った。

その後の事はよく覚えていない。
気がついたら樹海の外にいた。
あれが現実だったのかは判らない。

「ただあの後、もう一度やり直す事は出来た」
そう言って、父は私の頭を撫でてくれました。

46マンションのエレベーター:2014/06/03(火) 17:30:49 ID:j2Iwz4NM0
2週間前に、実際に体験した友人(W)から聞いた話です。

Wは9階建のマンションの6階に住んでいます。
Wが飲み会で遅くなり、マンションに帰宅する頃には深夜1時過ぎになっていました。
1階ロビーでオートロックを解除し、エレベーターに乗りました。
Wの部屋がある6階に着き、これから帰ってくるマンションの他の住人のために、1階へのボタンを押してから降りました。
そして玄関の前でカギを鞄の中から探していると、
どうやら1階で人が乗ったらしく、2階、3階とエレベーターが上昇してきました。
そのエレベーターは小窓が付いており、エレベーター内をマンションの通路から確認出来るタイプでした。
Wはカギをなかなか探せずに、ふとエレベーターを見ると、4階、5階と近づいてきます。
『同じ6階だったら挨拶とか面倒だな』と思いながら、カギを探しつつエレベーターを見てると、
6階、7階と通過していきました。
ただ…Wは見てしまいました……
身長が2m以上ある黒いコートを着た女が、鬼のような形相でWを睨んでた事を…
Wは「ぎゃ!」っと叫び、急いでカギを探し玄関のドアを開け中に入りました。
エレベーターは8階で止まったようです。
『あんな気味悪い女が住んでるのかよ!』と思い、トイレで用を足していると…
Wの家の玄関を、バンッ!バンッ!ババンッ!バンッ!ドンッ!ドンッ!と、思いっきり叩く音がし、
『何だ!』と思いドアスコープから覗くと、さっき睨んだ女がドアスコープを覗き込んでWを睨んでるのです!
急いでリビングに逃げ、朝開けたカーテンを急いで閉めようと窓際へ行くと…
ベランダにさっきの黒いコートの女が立っていて、
Wを睨みつけ、窓ガラスを必死に叩いて、今にも入ってきそうな勢いです。
Wは混乱と恐怖、驚きで気を失い、そのまま朝を迎えました…
部屋はいつも通りだったのですが、
ベランダの窓はカギが開いており、さらに玄関のドアは傷だらけになっていたそうです…

Wは引っ越しをするお金も無く、現在もそのマンションに暮らしていますが、
あれ以来家には帰っておらず、私や友人の部屋を転々としています…
2日前に両親に話し、ようやく引っ越しをするそうですが、あのマンションに戻らなければなりません…
今度私を含めた3人で手伝いに行きますが、今私は鳥肌が立っております…

47なつのさんシリーズ「ウサギ穴」1:2014/06/03(火) 17:34:27 ID:j2Iwz4NM0
小学校の頃、僕の通っていた学校の裏には小さな山があって、みんなからは普通に裏山と呼ばれていた。
小学校は三階建てだったのだけれど、裏山はその小学校の二倍程度の高さしか無かった。
学校側から裏山を上って反対側に降りると、細い県道に出る。
学校の規則で、裏山には休み時間は上っちゃいけなかった。
それでも僕は、友達と一緒によく裏山に上った。大体昼休みに。
まばらに木が生えてるだけの何も無い山だったけど、子どもにとっては十分な遊び場だった。それで良く先生に叱られた。
「ごめんなさい。もう裏山には行きません」って100回は言った気がする。
今からするのは、そんな裏山の話だ。

さっきはまばらに生えた木以外は何も無い山だって言ったけど、実はあった。一つ。子供心をくすぐる様なモノが。
僕と友達数人がみつけたのだ。僕らはそれを『ウサギ穴』と名付けた。
三階の廊下の窓から見える裏山の斜面に穴はあった。

勢いを付けて斜面を駆け降りる、と言う遊びをやっていた時のことだ。
友達の一人が何かに躓いて転がった。だいぶ転がった。
膝から血が出てたけど、田舎だったから、そんくらい唾付けときゃ直るということで、僕らは別のことに興味をひかれていた。
友達は穴に躓いたのだった。
斜面の一部が草ごとえぐれていて、おそらく友達が踏み抜いたのだろう、その部分から穴が露出していた。
縦穴じゃなくて横穴。今までは草と土に隠れて見えなかったらしい。
穴は小さくて、人は絶対入れない。
でもウサギなら入れそうだと言うことで、決まった名前が『ウサギ穴』。
屈みこんで覗いてみると、中は真っ暗だった。
まっすぐ伸びている様に見えたけど、いかんせん暗過ぎて良く分からなかった。

その穴はそれからしばらくの間、好奇心旺盛な子供たちの心をとらえて離さなかった。
まず、「何がこの中にいるのか」という話になった。
モグラという意見と、ヘビだという意見と、やっぱりウサギだという意見に分かれた。
僕はウサギ派だった。山に住むじじいから、ウサギはこんな巣を掘ると聞かされていたから。
「ウサギの巣なら、出口は一つじゃない。もっとあるはずだ」と僕が言ったことがきっかけで、
僕らは裏山を、他の穴は無いかと探し始めた。
その日は、探している内に昼休みが終わってしまい、結局見つけることは出来なかった。

別の穴が見つかったのは、それから三日くらい後のことだった。
丁度学校とは反対の県道側の斜面に穴はあった。同じような穴だった。
見つけたのは僕だった。かくれんぼをしていて偶然見つけたのだ。
「穴ー。あなー!」と叫ぶと、みんなが集まって来た。
「ほら見ろやっぱりウサギだった」「いや、へびだ。違うモグラだ」
そんな不毛な言い争いのあとだった。
誰が言ったのかは忘れた。僕だったのかもしれない。まあ、とにかく誰かが言った。
「じゃあさ。この穴によ、ウサギ入れてみん?」
よし、やってみようぜ。面白いかは二の次だぜ。何てたって僕ら小学生だぜ。でも今は少し後悔している。

48なつのさんシリーズ「ウサギ穴」2:2014/06/03(火) 17:37:25 ID:j2Iwz4NM0
僕の通っていた学校では、ウサギを飼育していた。
そして学年には一人ずつ(※クラスは無いよ。全校生徒八十人くらいだったから)飼育委員というのがいて、
昼休みになるとウサギに餌をやったりするのだ。
そして何と、その時の五年生の飼育委員が、僕だったのだ。

決行されたのは次の日だった。
昼休み、僕は『チャーボー』と名札の貼られた檻を開けて、茶色い毛がボーボーの可愛い兎を一匹抱えて、
『ウサギ穴』へと向かった。
到着すると、もう友達の一人は穴で待機していて、反対の県道側の穴の方にも数人スタンバっているらしい。
友達が運動場の倉庫から持ってきた五十メートルの巻き尺の紐を、チャーボーの身体に結んだ。命綱のつもりだ。
「チャーボー。ほれ、いけ」
穴の中にチャーボーの頭を突っ込む。チャーボーは嫌がって足をパタパタさせた。無理やり押し込む。
それほどきつくはなさそうだけど、無理しないと方向転換は出来ないだろうな。
「はよういけ。帰ってきたら餌やるから」
棒で尻をつつくと、チャーボーは嫌々そうに穴の奥へと進んで行った。
途中で途切れているだなんて考えはなかった。二つの穴は、当然つながっているものだと思っていたのだ。
「よんメートル」
隣で友達が、チャーボーが進む動きに合わせて巻き尺を引っ張り出しながら、一メートルごとにいちいち報告する。
「はちメートル」
当時は、小さな山だったので、学校側の穴から県道側の穴まで五十メートルも無いだろうと思っていた。
今考えると、もう少し距離はあっただろうけど。

僕がふと疑問を覚えたのは、十メートルを過ぎてからだった。
友達が数えるメーター表示の速度がおかしい。
「じゅうさん、……じゅうよん。じゅう……、ああもう早いよちょっと待って!」
ものすごい速さで巻き尺を回す取っ手が回転して、しゅごおおお、と音がしていた。僕は友達と顔を見合わせた。
「うわ」と友達が叫んだ。
その手から巻き尺が離れて、穴の縁にぶつかった。
巻き尺は穴より大きかったので、持っていかれることは無かったけど、
一度二度びくんびくんとのたうってから、巻き尺は力尽きた様にその場に崩れ落ちた。
呆気にとられるという言葉があるけれど、僕はそれまでの人生でたぶん初めてだった。本当に呆気にとられたのは。
友達は無言のうちに、再び手にした巻き尺を巻き戻していた。

そのうち「うがにゃああ!」と猫の様な情けない悲鳴が聞こえた。
そうして、しばらくもしないうちに県道側の穴でスタンバってた友達数人が走って来て、
一人は足が絡まってこけて転んで転がっていった。僕の横を。
もう一人降りてきた奴の服の袖を掴んで僕は訊いた。
「チャーボーは!?」
「知らん!放せ!」
「話せば放す」
「だあもう!穴がものすごい勢いで骨吹いた!」
それだけ言うと、そいつは校舎に向かって駆け降りて行った。
何が何だか分からなかった僕は、とりあえず巻き尺の友達と一緒に県道側の穴まで行ってみた。

確かにそこには、何らかの動物の骨が穴を起点に放射状に散らばっていた。
小動物の骨だろうか。何もこびりついていない。白くて綺麗な、百点満点文句なしの骨だった。
チャーボーのかなと僕は思った。それなら悪いことをしたなあとも思った。

その日は当然、先生に怒られたけれど、僕はいつもと違って幾分本気で謝った。
「ごめんなさい。もうしません」
もちろん、チャーボーに対して。

49なつのさんシリーズ「ウサギ穴」3:2014/06/03(火) 17:42:22 ID:j2Iwz4NM0
後日、僕は山に住んでいるじじいを訪ねて、その話をした。
もちろん孫へのこづかいが目当てだったのだけれど、じじいなら何か知っているかもと思ったのだ。
「そりゃ、ヤマノクチやの」とじじいは言った。
「やまのくち、って何や?」
「おまんの口と一緒や。山の、口」
じじいはそう言って、僕の下唇を掴んでびろんと伸ばす。
口と聞いて、想像力豊かな僕はすぐにピンと来た。
「じゃあ、もう一つの穴は、ケツなん?」
「ケツやな。ヤマノシリ」
僕は気付いた。だとしたら、チャーボーは山に食われたのだ。
「なあなあ、じじい」
「なん?」
「ウサギってよ、美味いん?」
「うまい。くいたいんか?」
僕は首を振る。
それにしても、山だとしても、『いただきます』くらいは言うべきだろうと、その時の僕が思ったのかどうかは定かではない。

黙っていると、じじいは僕の肩をバシバシと何度も叩いた。
「まあ、気にせんでええ。おまんは山にお供えもんをしただけや。そのうちええことがあるかもしれん」
「じじい……」
「おう、なんぞ?」
「じゃあこづかいくれ」

その日はじじいの家の軒先に干してあった干し芋を勝手に取って、齧りながら家まで帰った。
じじいは結局こづかいをくれなかった。けれど、その内良いことがあると言うじじいの話は、当たってなくもなかった。

僕は飼育委員をクビになった。理由は、皆で飼っていたウサギをうっかり『逃がしてしまった』からだと言う。
世話は面倒くさいし、ウサギ小屋は臭いから、僕は普通にラッキーと思った。

ちなみに『ウサギ穴』は、あの出来事以来、子供たちの間で『ウサギ喰いの穴』にグレードアップした。
そうして、あの日県道側から走って逃げて転んで転がった奴がえらい怪我を負ったので、
それから裏山禁止の規制が厳しくなった。

だから一度だけだ。下校時間になって、僕はそっと県道側の穴に向かった。
途中で落ちていた手頃な木の枝を拾う。
穴に着く。
「くらえ!」
僕は手にした棒を穴に突っ込んだ。そして逃げた。
男の子なら誰しもやったことのあるあのワザだ。ささやかな仕返しのつもりだった。
その後、山に仕返しされたとかそんな体験はない。

今現在、僕の通っていた小学校は廃校になっている。
じじいの家に行く際にはあの県道を通るので、その時はついでに穴はあるかと確認したりする。
少なくともヤマノシリは未だにあって。周りには何の骨か分からない小さな骨が散らばっていたりもする。

50なつのさんシリーズ「夜泣き峠」1:2014/06/03(火) 17:43:46 ID:j2Iwz4NM0
その峠は『夜泣き峠』と呼ばれていた。
僕の住んでいる地域では有名な心霊スポットで、
この峠の正式な名称は知らなくても、『夜泣き峠』と言えば地元の人間なら誰でも知っているようだ。

その日の夜、十一時ごろ。僕は友人のKとSと三人で、その問題の峠に向かって車を走らせていた。
「県道って言うから覚悟してのにさー、中々いい道じゃねーか」
そう言ったのはKだ。
確かに、元々は地元民でない僕はこの道を使ったことが無かったのだが、
アスファルトも比較的新しく、ずっと二車線の道路は、心霊スポットに続く山道としては拍子抜けするものだった。
「ユウレイ出るって聞いたから、どんだけ寂れた道なのか!ってドキドキワクワクしちゃってたのにさコッチはよ〜。
 あー残念だ。ザンネン。ザ・ン・ネ・ンだあ!」
「うわっ、馬鹿。やめろ」
横を見れば、Kが後部座席から運転席のシートを掴んで揺らしている。
運転しているのはSだった。助手席には僕が座っている。
Sの父親の車だという軽自動車が、フラフラ対向車線にはみ出す。対向車は無い。あったら死んでたかもしれない。
「ここで事故ったら、僕らも幽霊になって化けて出ような。そしたらここ、全国的な心霊スポットになるかもしれんし」
と僕が言うと、「そらいいな」とKが笑う。
騒ぐ僕らの横でSは大きく溜息をついていた。
ちなみにその時のKは酔っていた。僕も酔っていた。
そもそも、宅飲みで酔っぱらった僕とKが、酒の勢いで『何処か怖いとこ行こうぜ!』となり、
運転役として急遽呼ばれたのがSだったのだ。
「……っていうか、道路整備は当たり前だ。そんだけ需要があるんだよ、この道には。
 うちの街から○○(街の地名)に行くのにも、この道使えば早いしな」
この車内で一人だけ酔ってないSは冷静だ。というかぶすっとしてる。
その表情からは、早くこの馬鹿二人から解放されたいと言う気持ちがにじみ出ていた。ごめんなS。
それでも、嫌々ながらも付き合ってくれるのが、こいつの良いところなのだが。
「おれの携帯さ、録音できっから。これで赤ん坊の声取れねーかな?」
「携帯の音質じゃ無理だって。よほど近くで泣いてもらわんと。ってかそんな声録音して何に使うんだよ」
僕がそう言うと、Kはニヤリと笑い、
「んなもん……」
「うん?」
「んなもん、女の子驚かすために使うに決まってんじゃねえかお前ぇ!」
Kのシャウトが車内に響く。
「……お前が子供泣かしたと思われて終いだボケ」
隣でSがぽつりと呟いた。Kはガハハと笑って聞いてなかった。

ところで、Kが言う『赤ん坊の声』とは、僕らがこれから行く予定の廃車峠にまつわる話だ。
『深夜、夜泣き峠を通ると、赤ん坊の泣き声が聞こえる』とは結構有名な話。
周りにも聞いたという人間はちらほらいる。嘘かまことか、聞き違いか幻聴かは置いといて。

峠まではすぐそこだった。僕らの会話は自然と、昔峠で起こったとされる事件が話題の焦点になっていた。
僕が聞いた話によると、ある日、家族が乗った一台の車がこの峠を越えようとした。
そして峠に差し掛かった時、エンジンの故障かなにかで車が炎上した。
男と女は車から逃げたのだが、一人だけ赤ん坊が車内に残された。
その事故以降この峠を通ると、赤ん坊の声を聞こえるようになったという。
しかも、その声が聞こえた者は、絶対に車関連の事故に遭うという。

「おいおいおい!だってよS、帰りは気をつけろよ」
Kの言葉にSが大きなあくびで返した。
そう言えば、電話でSを呼び出した時、彼の声は幾分寝ボケていたのだが、眠たいのだろうか。
「怪談ってのは……、尾ひれしか残ってないもんだ」
あくびの後でSが言う。Sの方を見て「何だソレ?」とKと僕。
「ここで事故が起きれば、ユウレイのせい。あれもユウレイのせい。これもユウレイのせい」
そこで切って、Sはもう一度あくびをする。
「尾ひれだけ……。つまり、身のない話ってことだ。覚えとけ。てかさっきからうるさいよお前ら」
僕とKは顔を見合わせた。二人とも酔いの残った頭ではイマイチ理解できなかったようだ。

51なつのさんシリーズ「夜泣き峠」2:2014/06/03(火) 17:44:41 ID:j2Iwz4NM0
「ほら、着いたぞ」
そうこうしているうちに、僕らの車は目的の峠に着いた。
道路脇に車を停めて、三人で外に出る。
外灯が遠く、思いのほか暗い。Sが一度車内に戻って、懐中電灯を持って出てきた。
豆電球の白い光が『夜泣き峠』の周囲を照らす。
何と言うか、心霊スポットと言うだけあって、独特の雰囲気は感じ取れた。
道の両脇はどちらも木が茂っていて、ザワザワと風に揺れる音がする。
いつの間にか、おしゃべりのKも静かになっていた。
「どうする?」とSが言った。
その口はおそらく『早く帰ろうぜ、てか帰らせろ』と言いたいのだ。
僕としても、夜風とこの峠の雰囲気に当たった瞬間、酔いが醒めてしまった様で、実際怖くて帰りたくなっていた。
「うーん。そうだな。何もなさそうだし」
帰るか、とチキンな僕が言おうとした時、
「やべ……」
Kが言った。
「俺、聞こえた」
何が?と言いかけた僕の耳にも、それは入って来た。
掠れた猫の様な、でも猫じゃない。猫は『おぎゃあ、おぎゃあ』とは鳴かない。
これは人間の声だ。赤ん坊の泣き声だ。
「おいおい、嘘だろ」
Kがうろたえていた。僕はもっとうろたえていた。
Sにも聞こえたようだった。
「ん……、あっちからだな」
Sはそう言って、懐中電灯の光をその方向に向けた。
僕らが車を停めた道路脇の反対側に、車一台が通れるくらいの横道があった。
Sが照らしているのは、その細い道だった。
「よし、行くか」と一言。
Sがその横道に向かって行くので、僕とKは顔を見合わせた。Sは果たして正気なのかと思った。
しかし、車のキーも懐中電灯もSが持っているので、僕らは慌ててSの後を追った。

横道の先には、小さな広場があった。
Sが持つ懐中電灯の光が、広場をくるりと照らした。
草がぼうぼうに生えていて、広場を囲むように廃車が数台あった。
古びて赤錆びにまみれたトラックもあれば、比較的新しい車もある。
赤ん坊の泣き声が大きくなっていた。
Sの後ろで僕も泣きそうだった。Kは「やっべー、やっべーよ」をさっきから繰り返している。
Sが一台の車を照らした。その車は黒ずんでいた。外も、中も。ガラスは残っていない。
Sが懐中電灯の光を、車から僅かに下に向ける。
チャイルドシート。
その車の横には、地面に直接チャイルドシートが置いてあった。
隣の車とは不吊り合いな程綺麗で、新品同様と言っても良かった。
泣き声はそのチャイルドシートから聞こえてきた。誰も座っていないはずなのに。
Sがそのチャイルドシートに一歩近づいた。
「おいSやべー。やべーって!」
Kが止めるのも聞かず、Sはチャイルドシートの前まで行くと、その後ろの草むらに向かって手を伸ばした。
僕はその時、泣き声の主にSが喰われるんじゃないかと本気で思った。
「……あった」
僕らの方に向き直ったSが手にしていたのは、一台の機械だった。
ただ立ち尽くす僕らの前で、Sは手にした機械の上にあるスイッチを押した。
その瞬間、赤ん坊の泣き声はピタリとやんだ。
「CDラジカセだ」
Sが言った。
「最初は俺も驚いたけど、泣き声に規則性があったからな。こんなことだろうと思った。
 まあ、イタズラだな。電池が切れるまでは、赤ん坊の声がリピートするようにな」
僕は茫然としていた。Kはぽかんとしていた。
Sよ。お前は何処まで冷静なのだ……。
「……うおおマジかよバカらしー!」
Kが両手で自分の頭を抱え、身体全体でぐねぐねと意味不明な動きをした。彼なりに恥ずかしがっているのだ。
「俺バカじゃん。やべーやべーとか俺バカじゃん!」
それからKはチャイルドーシートに近づくと、一発蹴りを入れた。
そうしてから何を思ったか、倒れたチャイルドシートをまた元通りに立たせると、
「お前ら、写メれ!」
その上にどかりと腰を下ろした。

52なつのさんシリーズ「夜泣き峠」3:2014/06/03(火) 17:45:29 ID:j2Iwz4NM0
チャイルドシートに大の男が座っている。真夜中のこんな場所で。
その滑稽な光景に、先程までの恐怖の感情も消えうせ、僕は声に出して笑った。
「アホらし」と言いながらも、Sが自分の携帯を取りだして、カメラで撮った。
フラッシュ。Kはふんぞり返っていた。僕も笑いながら、その姿を携帯で撮った。
「……おぎゃあ、おぎゃあ!」とKが叫びだした。さらに座った状態で手足をバタつかせる。
僕はまた笑った。Sも笑っていたと思う。
「おぎゃあ、んぎゃああ、んぎゃああ」
僕が、おや、と思い始めたのはそのあたりからだった。
「んぎゃあ、ん、んぎゃああ、おぎゃああああ!」
「おーい、K、もういいよ。十分撮ったから」
しかし僕がそう言っても、Kは泣きやまない。それどころか、Kの泣き声はいっそう激しくなった。
「……お、おぎゃあ、おぎゃあ……ぐ、おぎゃああ、おぎゃああああ!んぎゃああ」
「おいK?」
「ぎゃああああ、おおぎゃあああ!んっく、っく、ぎゅっ……、おぎゃああああああ!んっく、ん」
いつの間にかKの泣き声は尋常ではなくなっていた。Kは本当に涙を流して泣いていたのだ。
顔が歪んでいた。手足をバタつかせ大声で泣く。
その声も、Kの声から、まるで本物の赤ん坊の声に変わっていた。
「おぎゃああおぎゃああおぎゃああおぎゃああああおぎぎゃああああああ」
「お、おい、……け、K」
僕がKに向かって手を伸ばそうとしたその瞬間、
Sが横からチャイルドシートごとKの身体を蹴飛ばした。
「……おい!Kを持て。逃げるぞ!」
Sが叫ぶ。地面に倒れたKは気を失っていた。
僕はSと一緒にKを担ぎあげると、車に向かって一直線に走った。
「S、S!どういうこと?」
「俺に聞くな!」
後部座席にKを押し込んで、Sが車のキーを差し込む。
「お、おい、S。ちょっと待て!」
車のエンジンが掛かる。しかし僕は思いだしていた。夜泣き峠に関する話。
赤ん坊の声を聞いたものは必ず……。
Sもそこに気がついた様だった。サイドブレーキを下ろそうとしていた手が止まる。しかし、躊躇は一瞬だけだった。
「……そりゃ、尾ひれだ」
Sは車を発進させた。
Sの額に浮かぶ大粒の汗とは裏腹に、車は非常にゆっくりとした安全運転で山を降りた。

Kは山を降りる際に意識を取り戻した。
また泣き声をあげられたらどうしようと心配だったのだが、幸い起きたKはちゃんとKだった。
「え……?何コレ。ってか、わき腹ちょーいてえんだけど……」
それはSが蹴り飛ばしたからだ。でもその事実は無かったことになり、全ては赤ん坊の霊の仕業ということで落ち着いた。
Kのわき腹にユウレイが噛みついていたのだと。

そうして、少なくともその日は、僕らは事故に遭うこともなく、山を降りることが出来た。

後日三人で集まり、知り合いの知り合いの知り合いという風に、
か細いつてを頼って、遠くの街の神社でお祓いをしてもらった。
その際、神主らしき人に「一応三人とも大丈夫だが、もうあの峠には行かない方が良い」と言われた。

お祓いが効いたのか、そもそも何も憑いてなかったのか。
あの夜の体験から数年たったが、今のところ三人とも何の事故もなく過ごしている。

『夜泣き峠』を通ってて、赤ん坊を見た、声を聞いたという話は、今でもたまに聞くことがある。
この前も、職場の後輩が彼女と行って、泣き声を聞いたそうだ。
後輩はその時の話を詳しく語ってくれた。
「事故とかは大丈夫だったんすけどね?……やっぱり、ほら。わき腹、噛まれたんすよ、ほら」
確かに、真剣に語る彼のわき腹には、噛まれた様な跡があった。
そりゃ、尾ひれだ。
笑って流していいものかどうか、少し迷った。

53なつのさんシリーズ「首あり地蔵」1:2014/06/06(金) 11:30:56 ID:bXavpRb60
「なあ、お前ら『首あり地蔵』って知ってるか?」
数年前の話になる。僕らは当時大学三年生だった。季節は夏。大学の食堂で三人、昼飯を食べていた時だ。
怪談好きなKが、雑談のふとした合間に話しだしたのが、そもそもの始まりだった。
「首あり地蔵ってお前、そりゃ普通のお地蔵様だろ」
僕の隣に座って味噌汁を飲んでいたSが、馬鹿にしたように言う。
KとSと僕。Kはカレーの大盛りで、Sはシャケ定食で、僕は醤油ラーメン。いつものメニュー、いつものメンバーだった。
でも確かに『首なし地蔵』だったならば、はっきりとは思い出せないが、何かの怪談話で聞いたことがあるかもしれない。
話のネタにもなるだろう。
しかし、Kは『首あり地蔵』と言ったのだ。
Sの言う通り、それは首のある普通のお地蔵様だ。
「ちげぇんだよ。あのな、その地蔵の周りには、もう五体地蔵があってな。
 『首あり地蔵』の一体以外は、全部頭がねえんだってよ」
なるほど。だから『首あり地蔵』か。
僕はその様子を想像してみた。六体の地蔵の内、一体だけにしか首が無い。
「ねえ、何でそうなってんの?」
「それがな、その一体だけ首のある地蔵が、他の地蔵の首をチョンパしたっつう話なんだよ。これが」
そう言ってKは舌を出し、スプーンで自分の首を掻っ切る仕草をした。
「でも、そんなことして、地蔵に何の得があるんだよ」
「さあ?知らねえよ。お供えモン独り占めしたかったとかじゃね?」
Kがそう答えると、Sが、ごほっごほっ、と咳をした。
それからポケットティッシュを取り出し口元を拭うと、
「……馬鹿野郎。喉につかえたじゃねーか」
「何だよ、俺のせいかよ」
不満げなKに「お前のせいだよ」とSが言う。
僕はというと、その地蔵に少し興味を抱き始めていた。
「で、Kさあ。その首あり地蔵については、他になんかないの?」
「ああ、あるぞ。なんてったって、『首あり地蔵』は人を襲う」
その瞬間、再びSが咳き込んだ。
「夜な夜な動き出してさ、人の首を刈り取って来るらしいぜ?
 『要らん首無いか……要らん首無いか』ってぶつぶつ言いながら。寺の回りを徘徊してんだとよ」
「……もうやめてくれ、今の俺は呼吸困難だ」
Sは咳き込んだせいか涙目になっていた。
「何だよS。ロマンがねーな。俺の話が信じられねーのかよ」
「何がロマンだボケ。K、お前、すぐにでもその地蔵に謝ってこい」
「それだって!」とKが大声を出したので、
僕は驚いた拍子にむせたら、ラーメンの切れ端が鼻から出てきた。久しぶりだこんなこと。
「今日の夜、行こうぜ?確かめるんだよ、俺たちで。噂が嘘なら、何ぼでも謝ってやるからよ」とKが言う。
Sは呆れたように天井を見上げた。また始まった、と思ってるんだろう。
Kはそういうスポットに行くことを好む、所謂肝試し好きなのだ。
今までだって、Kが発案し、僕が賛成し、Sが引っ張られる形で、そういういわく付きの場所に足を運んだことが何度もある。
「んじゃあ、今日の夜は、首あり地蔵で肝試しってことで、決まりな」
Kが強引に話を進める。
Sが救いを求めるように僕の方を見た。僕はラーメンをすすりながら、Sに向けてニンマリ笑って見せる。
Sは半笑いのまま力なく項垂れ、黙って首を横に振った。
「……というか、その地蔵近くにあるのかよ」
「おう。○○寺ってとこ」
その名前を聞いた時、うなだれていたSの首が少し上がり、眉毛がピクリと動いた。
そうしてから、隣に居た僕くらいにしか聞こえない程の声で、
「そうか。○○寺か……」と呟いた。
僕は一体何だろうと思ったのだが、
あいにくその時は口の中一杯にラーメンが詰まっていたので、それを聞くことは出来なかった。
その後は聞くタイミングを掴めぬまま、あれよあれよと言う間に具体的な集合場所と時間が決定した。
こういうときのKの手際の良さはすさまじいものがある。但し、普段はまるで発揮されないのが痛いところだ。

54なつのさんシリーズ「首あり地蔵」2:2014/06/06(金) 11:31:33 ID:bXavpRb60
こうして僕らはその日、○○寺の首あり地蔵の元へと足を運ぶことになったのだ。

夜中、僕らはそれぞれ個別に、○○寺がある山のふもとで集合ということになっていた。
○○寺は僕ら住む街を一望できる小高い山のてっぺんに、展望台と隣接する形で建っている。
寺までは数百段の石段が続いており、僕は知らなかったのだが、目的の地蔵はその道中にあるそうだ。

集合時間は十一時。時間を守って来たのは僕だけだった。
十五分待って、バイトで遅れたと言うKと、寝坊したと言うSがほぼ同時にやって来た。
熱帯夜だと言う蒸し暑い夏の夜、僕らは三人は懐中電灯を片手に汗だくになりながら、地蔵があるという場所に向かった。
特に僕は日ごろの運動不足がたたってか、
前を行く二人を追いかける形で、ひーこらひーこら言いながら石段を上っていた。

山の中腹を少し過ぎた頃だっただろうか、
「おーい、早く来いよ。あったぞー」というKの声が、大分上から響いてきた。
僕が二人に追いつくと、そこは石段の脇が休憩のためのちょっとした広場になっており、
地蔵はその広場の端に六体、横一列に並んでいた。
僕は乱れた息を整えてから、地蔵をライトで照らす。
確かに、僕の腰よりちょっと背の低い地蔵たちは、右から二番目の一体を除いて、残りは全部首が無い。
「これで、一つはっきりしたな。少なくとも、この地蔵は夜な夜な徘徊はしていない」
SがKに向けて、からかい半分の口調で言う。
「ごめーんちゃい!」
「くたばれ」
漫才コンビは今日も冴えている。
「っていうか何だ何だー。つまんねーな。夜は地蔵さん、鎌でも持ってんのかと思って期待してたのによー」
そりゃどこの死神だ、と思わず僕も突っ込みそうになった。
「でもよ、ホントに他の地蔵は首がねーんだな」
「何、K。お前ここ来たこと無かったの?」
今日の話しぶりからして、僕はKがここに何度も来たことがあるものだと思っていた。
「いんや。噂で聞いてただけ、面白そーだからさ。見に来てーなーとは思ってたけどよ。ちょっと拍子抜けだなー」
「……この地蔵はな、正式には『撫で地蔵』っつうんだよ」
ふと、Sが呟くように言った。
「なんだよ。お前この地蔵に詳しいの?」
「ん、ちょっとな。見ろ、この地蔵、頭テカってるだろ」
Sが懐中電灯の光で地蔵の頭を照らす。
そう言われれば、この地蔵の古ぼけた身体に対して、頭だけは比較的小奇麗だった。
「触ってみりゃもっと良く分かるんだけどな。
 元々願掛けしながら撫でると、その願いが叶うって言われの地蔵だから、撫でられすぎてそうなったんだ」
そうなのかと思った僕は、そっと首あり地蔵のつるつる頭を撫でてみた。
何だかボーリングの玉を撫でている感じだ。撫で心地は中々いい。
「今でも、知ってる人は知ってるんだけどな。昔はもっと有名だったらしいな。○○寺の撫で地蔵って言えばな。
 けど、そのせいなんだよ」
Kも僕もSの話を黙って聞いていた。
何だか昔話を語る様な話しぶりは、普段のSとは少しだけ違っている様な気がしたのだ。
「三十年くらい前の話らしい。六体全部の首だけが盗まれるって事件があった。綺麗に首だけ取られてたんだってよ。
 犯人は分かってない。ただの愉快犯か、それとも、撫で地蔵のご利益を独占したい輩でもいたんだろうな」
「……おいおいおい、ちょっと待てよ。じゃあ、この首は何なんだ」
Kが言う。それは僕も思った。当然の疑問だ。
「職人に頼んで、地蔵の首だけすげ替えたんだとよ」
僕は改めて地蔵を見てみた。言われてみれば、首の辺りに多少のヒビがある様にも見える。
頭だけ小奇麗なのも、人々に撫でられるだけが理由じゃないということか。
「でも、修復したっていっても、首の部分はやっぱり弱くなってたんだろうな。
 それ以降も、皆に撫でられ続けた地蔵の首は、一体ずつ取れていったんだ。二度目は寺の方も直す気が起きなかった。

55なつのさんシリーズ「首あり地蔵」3:2014/06/06(金) 11:32:11 ID:bXavpRb60
 ……それにしても、まさに身を呈して民衆を救うか、地蔵の本懐だな」
そこまで聞いて、僕は少し不思議に思った。Sのこの地蔵に関する知識に対してだ。
予め予習してきたにしても、知り過ぎてはいないだろうか。隣の鈍いKだって、そう思ってたに違いない。
そんな僕らの疑問を察したらしく。Sは若干バツが悪そうに頭を掻いた。
「俺が小さい頃はな、まだ二体は残ってたんだよ。首」とSは言った。
「実はな。五体目の首もいだのって、俺なんだ」
意外な展開と言えばそうだったかもしれない。
でもSの語り口からは、そんなに罪の告白だとか、そう言った重々しいものは感じられず、
ただ単に昔の失敗談を語っている様な、そんな口調だった。
「昔、家族とこの寺に来た時にな、地蔵の頭撫でたんだよ。
 願いながら撫でると、その願いが叶うっていう地蔵だろ?俺はひねくれたガキだったから、撫でながら言ったんだ」
「何て言ったんだ?」
Kが訊くと、Sは肩を竦めて、
「もげろ」
「……は?」
「『もげろ!』って叫んだんだ。撫でながら。そしたら、もげた。本当に」
Sの話によると、ごり、と音がして、手前のSの方に地蔵の首が落ちてきたのだそうだ。
その時はまるで地蔵が頷いた様に見えたとSは言った。
「まあ、たまたま俺が撫でた時と、限界が重なっただけだろうけど。
 それでもあの時は本気で驚いた。これがご利益か、とか思ったよ。
 そのあと、上の寺から坊さんが来てさ。すげえ怒られたな」
と言いながらSは地蔵の前にしゃがみこみ、その頭に手を置いた。
そうしてゆっくりと地蔵の頭を撫でながら、叫ぶでもなく、呟くでもなく、全く自然にその言葉を口にした。
「こう……、『もげろ』ってな」
ぼり。
鈍い音がした。
次の瞬間には、地蔵の頭はあるべき場所に収まっていなかった。どさり、と地面に重量のある物体が落ちる音。
「うわ」とは僕の声。
Sは手を前に差し出したままの状態で地蔵を見つめていた。
「おおう!マジでもげやがった」
Kが感嘆の声を上げる。
「とまあ……、こんなこともある」
Sはあくまで冷静を保っていた。
Kが落ちた首に近寄って「どーなってんだ?」とつついている。
僕はこの目の前で起きた現象をどうとらえればいいのか、イマイチ判断がつかずにいた。
今日という日の夜、S撫でられ限界を突破してしまったのか。それとも、地蔵がSの願いを聞き入れたのか。

「……帰るか」
ゆっくりとその場に立ち上がりながら、Sが唐突に呟いた。
「え、地蔵は、どうすんのさ?」
「どうにもならん」
「え、ええー……?」
Sは本当にこのまま帰るつもりだった。
かといって僕にもどうすることもできない。
弁償の件が頭をよぎるが、
「触れただけでああだ。風が吹いただけでもげてたよ」と、Sがこちらの心理を見透かしたような発言をする。
しかし、となれば、このまますごすごと帰る以外の選択肢が僕にはない。
帰るか。

56なつのさんシリーズ「首あり地蔵」4:2014/06/06(金) 11:32:53 ID:bXavpRb60
こうして首あり地蔵は、首なし地蔵になったのだった。めでたし、めでたし。
とは、いかなかった。
僕とSが戻ろうとしたとき、Kだけはまだ地蔵の首のところに居た。僕らはそれに気付かず、先に帰ろうとしていたのだが。
「……要らん首、無いか?」
声が聞こえた。
振り向くと、Kが先ほど落ちた地蔵の首を両手に抱えて、無表情で立っていた。
「え、何?」
僕が聞き返すと、Kはまた言った。
「要らん首、無いかえ?」
その時のKの様子をどう表現すればいいのか。
そんなハイレベルな冗談を言えるKではないし、それにいつものKで無いことだけは分かった。
「あったら、もらうぞ?」
「え、いや、ってか……」
「おんしの首でも、ええぞ?」
「無い」
答えたのはSだった。
「少なくとも、俺らは要らん首は持ってない」
「……ほうか」
Kが地蔵の首を地面に落した。どずん、と音がした。
その瞬間、Kの体が電気が走ったかのように、びくん、と震えた。
「……あれ……、何?んっ?え?俺、寝てた!?」
Kは先ほどの自分の言動を覚えてないのか。
「知るか。帰るぞ」
Sはそう言って、さっさと広場を抜け、階段を降りようとする。
「え、ちょっ、待てって!何?説明しろよ!」
Sの後を、慌ててKが付いていく。
僕はしばらくその場にとどまって、ぼんやりと地面に落ちた地蔵の首を見つめていた。
不思議と怖いという感情はこれっぽっちも沸いてはこなかった。
地蔵はまだ働くつもりだったのだろうか。人々の願いを叶えるために。
そう言えばさっき地蔵を撫でた時に、僕は何も願いを思い描いてなかった。
僕はふと思いいたって、地蔵の首を持ち上げた。重い。すげー重い。
切断面を確認し、僕は地蔵の首を元通りの位置に置いた。そして撫でた。
「く、くっつけよ〜、くっつけよ〜」
そっと手を離す。首はまた落ちたりはしなかった。
そろそろと後ずさり、僕は二人を追いかけてその場を後にした。

その後しばらく経って、
「○○寺の地蔵が、首のない地蔵が取り壊されたらしいぞ」とKから聞かされた。
それって何体?とは聞かないことにしておいた。

57なつのさんシリーズ「くもの糸」:2014/06/06(金) 11:34:06 ID:bXavpRb60
僕が小学校低学年の頃の話だ。

学校も終わり、僕は一人帰り道を歩いていた。
そして、ふとした何気ない思い付きから、今日は別のルートで家まで帰ろうと決めた。
いつもは使わない、人通りの少ない山沿いの道。
家までは大分遠回りだけど、僕は随分楽しげに歩いていた記憶がある。
昔はそういう無意味なことに楽しさを見い出す子供だったのだ。

さて、そんないつもと違う帰り道。僕はふと、ある不思議なものを見つけた。
車一台分の幅しかない道、進行方向に対して左は林で、右は小さな池だったのだけど、
その右の池から、何やら白く細いものが空に向かって伸びていた。
その時の僕が『空に向かって伸びている』と思ったのは、単純な話、空に何にもなかったからだ。
木々の枝が伸びているわけじゃない。飛行機が、鳥が飛んでいるわけでもない。
最初、僕は煙かなと思った。でも水のある池から煙というのもおかしい。
別に水面に浮かぶ水草が燃えているわけでもないようだった。
ガードレールに腕を乗せ、僕はその白い細い物体をじっと見つめた。
それはどうやら、糸の様だった。白い糸だ。
僕は白い糸を辿って空を見上げた。
白い糸は上空に行けばいくほど、空に点在していた雲と同化して見えなくなる。
天へと伸びる糸。
当然、不思議だなあと思った。
けれど、その時の僕には、でもそこにあって見えるんだから仕方ないだろう、という確固たる諦めがあった。
見上げていると、上空で、チカ、と何か光った気がした。
時間がたつにつれ、光ははっきり見えるようになった。
糸を辿って空から光が降りてきていた。太陽の光を鏡で反射させた時の様な、目に刺さる光だった。
光は点滅していて、目の上に手をかざしてよくよく見ると、その上に糸は無かった。
僕は身を乗り出し、その光を良く見ようとした。
ランドセルが重かったのが原因だと思う。僕はその瞬間バランスを崩して、頭から池に落ちた。
でもそこで不思議なことが起こった。
僕は頭から池に落ちた。でも、水面に顔が触れた瞬間、僕は『水の中から顔を出していた』。
タイムラグは無い。記憶違いでもないと思う。
惰性で僕はいったんお腹のあたりまで水面から飛び出すと、また重力で頭まで沈んだ。今度は普通に水の中だった。
ここは当然、パニックに陥り溺れかけるべきなのだろうけれど、僕は割と冷静だった。
池は背伸びすれば足がそこに届くくらいの深さだった。
ランドセルが背になかったので、目をぬぐいながら手探りで見つけて、また背負った。
不思議な体験だったなあ。と思いながら、僕は池から道路に上がった。
最後にもう一度池を振り返ったけれど。糸はもう伸びてはいなかった。

そしてその帰り道、僕は何故か帰り道を間違え、家に帰るのがだいぶん遅くなった。

家に帰ると、母はびしょ濡れで帰ってきた息子に驚いた様子で、「あらまあ……、なんぞね、そら」と訊いてきた。
僕は「つられた」とだけ答えた。
その日からだった。僕が文字の読み書きが出来なくなったのは。
先生も困り顔だったが、僕はあの時池に落ちたせいで頭が悪くなったのだと、勝手に思うことにした。
文字の問題は、その後普通にできるようになった。

その後、僕が池に落ちてから一週間くらい経ったある日のこと、あの池から子供の水死体が見つかった。
不思議だったのは、その一週間の間、街の近辺で行方不明となった子供がいなかったこと。だから発見も遅れた。
持ち物は持っておらず、何処の、誰の子供かも分からず。
その身元不明の死体は、一時期話のタネになった。

そして僕はと言うと、今でも健康診断の際は、聴診器を持った先生に「?」という顔をさせている。
心臓の位置が少しだけおかしいのだそうだ。

58なつのさんシリーズ「吊る這う轢かれる」1:2014/06/06(金) 12:02:19 ID:bXavpRb60
それは蛙とコオロギの鳴き声が響く、夏もおわりかけたある夜の出来事だった。
「……この家だってよ。出るって有名な家」
僕とKはその二階建ての一軒家を、周りをぐるりと囲む塀の外から眺めていた。
風は存外に冷たく、そういう季節はもう過ぎたのだと感じる。
なのに、僕らはまた肝試しに来てしまっていた。僕とKとS、いつものメンバーだ。
発案者はKだ。奴のオカルト熱は季節に関係なく、いつでも夏真っ盛りらしい。
「二階あたりに女の霊が出るって噂。今はー……見えねえけどな。窓に映るらしいぜ」
Kの言葉に、僕は二階の窓を懐中電灯で照らした。
Sはというと、道の脇に停めた車から出てこず、運転席側の窓から右肩と頭だけを出して、つまらなそうに家を眺めていた。
「おいS、出てこいよ。なに一人だけ車乗ってんだよおめーはよ」とKが言う。
Sは大きなあくびで返す。
「……さみーんだよ。それに、誰がここまでずっと運転してきたと思ってんだ。……俺は寝るぞ」
Sはそう言って、車の中に引っ込み窓を閉めてしまった。
「Tシャツ一枚で来た奴がわりーんだよ」と Kが、かかか、と笑う。
でも確かに今日の夜は存外冷える。
おそらく朝から曇っていたことが原因だと思うが……。お天気おねいさんは何と言っていただろうか。
そんなことを考えながら、僕はもう一度窓を見上げた。
ちなみに、僕とKがいる位置とSが乗る車の間には、この家の門がある。門は内側に開いていた。
でも、今日は不法侵入はしない。外から眺めるだけだ。理由は、ここがそういうスポットだから。
「噂じゃ女……っていうかここの家の娘な、事故で下半身が動かなくなったんだってよ。
 それから女はショックで段々頭がおかしくなって、そのせいで両親はその女を、自宅にずっと閉じ込めてたんだと。
 ビョーキ家族だな」
と隣でKが言う。
いつもならここらでSの鋭いツッコミが入るのだが、上がTシャツ一枚の人間にとっては、この寒さは多少分が悪い。
「で、事件は起きるわけだ。その女が夜、寝ている両親の首をナイフで掻っ切って、自分も自殺したんだな」
「……自殺?」
と問い返しながら、僕は何だか周りがさっきよりも寒くなった気がした。背筋がぞわぞわする。
「首吊りだってよ。首つり自殺。こう、ロープにぶら下がって、ぶらんぶらん揺れてたんだと」
Kが舌をべろんと出し、身体を揺らす。
しかし、僕はその時Kの話に違和感を覚えた。女は両親を殺して首吊り自殺をした。けれど、その女は確か……。
「……でもさ、それって、おかしくないか?」
「あ、何が?」
「足も動かないのに、どうやって首吊るんだよ」
「どうやってって。そりゃお前……」とKが何か言おうとしていたその口が止まる。
ぞわり、と冷たいものが僕の首筋を撫でた。
それはまるで、大きなつららを直接背中に当てられた様な感覚だった。足から頭まで、全身に鳥肌が立つのが分かった。
僕とKはほぼ同時に二階の窓を見上げた。
二階の一室の窓が徐々に開いていた。ゆっくり、音も無く。
隙間に女の顔が見えた。
髪がぼさぼさ。大きく見開いた目が、僕ら二人を見据えていた。
窓は開く。隙間が広がり、その首にロープが見えたその時、女は一気に窓の僅かな隙間から外へと身を乗り出した。
女が頭から落ちる。途中で、その首に巻いてあったロープが落下を食い止めた。
がくんと女の身体が上下に反転し、二階の窓を支点に振り子運動を始める。
ぶらん、ぶらん。
枯木のように細い足。その手にはナイフらしきものが握られている。一つ、二つ、三つ。
その身体が痙攣した。ナイフが手から落ちる。その手が宙を掻く。音は何も無い。
その内、女の両手がだらりと下に垂れさがった。口が開き、真っ赤な舌がその中に覗いていた。
死んだのか、死んでいるのか。しかし女の目だけは、未だこちらをぎょろりと見据えていた。
僕の口から何か悲鳴のようなものが出ようとしていた。
と、僕の首筋に冷たいものが当たった。

59なつのさんシリーズ「吊る這う轢かれる」2:2014/06/06(金) 12:03:26 ID:bXavpRb60
「ふひゃっ」
僕はついに悲鳴を上げて、実際飛び上がった。
雨だった。
しかし、雨のおかげで一瞬だけだが気がそれた。
それから、はっとしてまた二階を見上げたが、そこにはもう何も無かった。首を吊った女の姿も、窓も、閉まったままだった。
「……ああやって、首を吊ったんだとよ」
隣を見るとKは笑っていたが、無理をしている笑いだと一目で分かる。でもその時は僕も同じ笑いを返していたに違いない。
なるほど、確かにあの方法なら足が不自由でも首が吊れる。
すごいものを見たな。と僕がKに言おうとした時、
――どさり――
僕とKはまた、ほぼ同時に反応した。
何かが落ちた。塀の向こう側。それから、ズル、ズルと布が擦れる音。
先程見た首吊りには音は無かった。しかし、今度は音だけがある。
僕とK、それとSが乗る車の間にある門。門は開いていたのだが、そこから手が出てきた。
さっきの女の手だ。ナイフを握っている。もう片方の腕も出てきた。
次いで頭。首にはロープ。白い服。見開いた眼。垂れた舌は地面を舐める。
僕はSに助けを求めようとした。しかし声が出ない。身体が動かない。金縛り。Kも同じらしかった。
どうしよう。こっちにゆっくり這い寄って来る。足は動いてない。手だけで地面をずるずると。
怖い。それに近い。怖い近いこわい近っ。
這い寄る女と僕らの距離はもう二メートルも離れてなかった。あ、もう駄目かも。本気でそう思う。
突然、光に目が眩んだ。
エンジン音とブレーキ音。
気がつくと、僕らが乗ってきた車が目の前にあった。金縛りが解け、身体が動く。
身体は動いたが、僕はしばらくその場を動けなかった。
ウィームと運転席側の窓が開き、Sの眠たそうな声が聞こえる。
「……おいお前ら、もういいだろ。雨が降ってきたから帰ろうぜ」
僕とKは顔を見合わせた。
おそるおそる車の下を覗くが、そこには何もいない。
「こいつ……」
Kが呟く。
「……轢きやがった」
「あん?ああ、そういや妙な手ごたえがあったな。でかいカエルでもつぶしたか?」
僕は何も言えないでいた。KもSをまじまじ見つめるだけだった。
そんな僕らにSは怪訝そうな顔を見せ、
「どうしたお前ら。なんかあったか?……ま、何を見ても聞いてもだ。そりゃ幻覚に幻聴だ。ほら、乗れ。もう帰るぞ」
僕とKはもう一度顔を見合わせ、お互い何も言わずに車に乗り込んだ。
それは蛙とコオロギの鳴き声が響く、夏も終わりかけたある夜の出来事だった。

60なつのさんシリーズ「あんたがたどこさ」1:2014/06/06(金) 12:04:55 ID:bXavpRb60
深夜十一時。僕と友人のKは、今はもう使われていないとある山奥の小学校にいた。
校庭。グランドには雑草が生え、赤錆びた鉄棒やジャングルジム、シーソー。
現在は危険というレッテルを貼られた回転塔もあった。
僕とKはこの小学校に肝試しに来たのだった。
本当はもう一人、Sという友人も来る予定だったのだが、あいにく急な用事が入ってしまった様で、二人で行くことになった。
野郎二人で肝試しとは別の意味でぞっとするが、
このKと言う奴は、幽霊を見るためなら他の条件が何だろうとお構いなしなのだ。ただ一つの条件を除いて。
「……だってよー。一人じゃ『見た』っつっても誰も信じてくれねえじゃん?」
もっともらしい理由だが、僕は知っている。こいつは実は怖がりなのだ。
それでもって熱狂的なオカルトマニアで、心霊スポット巡りが趣味なのだ。
しかしそんなKのおかげで、僕は普通なら見ることの出来ないものもいくつか見てきた。
「Sのヤロウ正解だったなー、ここハズレだわ」
「うーん……、確かにね。物音ひとつしなかったしなあ」
ハズレならハズレでそれは有難いのだが、僕だって怖いものは怖い。でも興味はすごくある。
6・4で見たいけど見たくない。分かるだろうかこの心理。

というわけで、僕らはさっきまで学校内をウロウロしていたのだが、
あいにくここで自殺したと言う生徒の幽霊は見ることが出来なかった。
懐中電灯を消したり、わざと別々に行動したり、音楽室も理科室も怖々覗いたのだけれど、結局、何も出なかった。
時間が悪かったのか、それともKが「くおらー、幽霊でてこいやーっ!」などと怒鳴りながら探索してたせいだろうか。
そうして、僕らは幾分がっかりしながら、小学校のグランドに出たのだった。

「で、どうすんの?帰る?」と僕はKに訊いた。
Kは明らかに不満そうな顔をして、いつの間にか拾ったらしい木の枝で、地面にガリガリ線をひいていた。
黙ってその様子を眺めていると、Kは地面に二メートル四方ぐらいの正方形を描いた。
次いで、その図の中に十字線がひかれる。田んぼの『田』だ。
Kが顔を上げて僕の方を見た。その顔から不満そうな表情は消えて、ににん、と笑う。
「なあなあ、お前、『あんたがたどこさ』って知ってっか?」
いきなり尋ねられ、僕は少しあたふたしながら、脳内の箪笥からその単語の情報を引っ張り出した。
「知ってる。手まり唄だろ。毬つきながら、ええと……あんたがったどこさ、ひごさ、ひごどこさ、くまもとさ」
「分かった分かった。……じゃあよ、『あんどこ』って知ってるか?」
「あんどこ?」
『それは知らない』と僕が首を振ると、Kは手にした木の棒で、今しがた地面に描いた図形、田んぼの田を指した。
「『あんどこ』ってのは、この四つの四角の枠の中でな、リズムに合わせて飛ぶんだよ。
 右、左と基本は左右交互に飛んで、あんたがったどっこさっ、の『さ』の部分だけ一瞬前に飛んで、戻る。
 いいか?よく見てろよ」
どうやら手本を見せてくれるらしい。
せーの。
「あんたがったどっこさあっ!ひっごさ。ひっごどっこさ!?くまもっとさ!くまもっとどっこさ?せんっばさあっ!!」
大声を張り上げながら、Kは自分で作った図の中を前後左右にぴょんぴょん飛び跳ねた。
「……とまあ、大体こんな感じだな。分かったろ?」
と言われても、僕としては首を傾げるしかない。こいつは一体何がしたいんだろうか。
分かったのは、やはりKはとてつもなく音痴ということだけだ。
「今のが『あんどこ』 ……まっ、遊びだ。遊び」
「へえ……で?」
もしかして、それを僕にもやれと言うのだろうか。しかしKの顔にはまさにそう書いてある。
「で、じゃねえよ。お前もやんだよ。二人で『あんどこ』」
「やだよ。なんで僕がそんなこと」
「何でってお前……しらねえの?
 ま、噂だけどよ。これ二人で目えつぶってやったら、なんか『別の世界』に行けるんだとよ」
およ、と思った。せっかく小学校に来たのだから、ただ単に昔を懐かしんで子供の遊びをやろう、と言うわけでもないらしい。
それなら面白そうだということで、僕はその『あんどこ』をやることにした。

61なつのさんシリーズ「あんたがたどこさ」2:2014/06/06(金) 12:05:30 ID:bXavpRb60
Kの説明によると、田んぼの田の形に区切られた四つのスペースの内、
まず二人がそれぞれ左ナナメに相手が居る様にして立つ。
それから目を瞑り、暗闇の中で『あんたがたどこさ』を唄いながら飛ぶ。スタートは左に。
全てを唄い終わり、『ちょいとかーくーす』の『す』で前に飛んで終了、そこで目を開ける。
何が起こるかはお楽しみ。
注意事項として、歌を間違える、飛び方を誤る、相手にぶつかる、目を開けた時に田んぼの田からはみ出したら失敗。

「んじゃ。行くぞ」
「ちょっと待って」
「何だよ?」
「いや、ちょっと気になったんだけど。
 『あんどこ』が成功してさ。その、Kが言う妙な世界にもし行けたら、……帰ってこれんの?」
するとKは「うはは」と笑い、「シラネ」と言った。
「おいおい……」
「まあいいじゃねーか。さ、はじめっか……。目を瞑れーっ!」
まあいいのか?と思いつつも、僕は目を瞑った。
せーの。
あんたがったどっこさ……。
「イテっ!」「あたっ」
いきなり間違えた。慣れないと意外に難しいのかもしれない。
「おいおいお前、ちゃんとやれって!」
「あははのは。ごめんごめん。次は、さ?」
「ったくよー」

頭の中でシュミレーションする。交互に交互に……さ、で飛ぶ。

いっせーの。
「……いてっ」
正面衝突。一瞬間違えたのかと思って謝りかけたが、よく考えてみると、僕は間違っていない。
目を開けて見ると、Kが手刀をかざして「わりーわりー」。
「次は本気で行くからよ」
僕は何だか急に馬鹿らしくなってきたが、あと一回くらいはやってみようかと思う。

いっせーのっせ。
あんたがったどっこさ、ひーごさ、ひーごどっこさ、くーまもっとさ、くーまもっとどっこさ、せんばさ……、
せんーばやーまには、たーぬきーがおってさ、それーをりょーしがてっぽでうってさ、にーてさ、やいてさ、くってさ……、
……それーをこーのはでちょいとかーくー
「――せっ――」
前へとんで、僕は目を開いた。
四角の中に居た。成功だ。
ちょっと誇らしい気持ちになって、僕はKはどうかなと思い振り返った。
そこにKの姿は無かった。
「……え?」
右を見て、左を見て、もう一度右を見て。
僕は、ははあ、と思う。全てはこのためだったのだ。
『目を瞑ったままのあんどこ』などという凝ったことをさせておいて、Kは唄の途中でこっそり抜け出し、
僕がおろおろするのを隠れて見て楽しむつもりなのだ。
Kの奴め。
僕は何とかしてKを見つけてやろうと思い、そこら中を注意深く見渡した。

62なつのさんシリーズ「あんたがたどこさ」3:2014/06/06(金) 12:06:52 ID:bXavpRb60
グランドに身を隠せるような場所は少ない。しかし、Kは見つからなかった。うまく隠れたものだ。
そうして僕は、持っていた懐中電灯で地面を照らした。グランドにKの足跡が残っているかも、と思ったのだ。
しかし、足跡は無かった。
おかしい。
その時だ、違和感を覚えた。
僕らはさっき前後左右に飛び跳ねてたはずだ。
足跡はともかく、その飛んで着地した痕跡までない。地面に見えるのは、Kが描いた図形だけ。
僕は二歩三歩と歩いてみた。足跡はつく。これはおかしくないだろうか。
辺りをもう一度見回す。誰も居ない。
風の音もしない。さっきまでは吹いてたはずだ。そう言えば、虫の声も聞こえなくなった。
「おーい……」
おーい……、おーい、おーい……
僕はその場に飛び上がった。
Kを呼ぼうと叫んだ瞬間だった。まるでトンネルの中に居るかのように、僕の声が周囲にこだましたのだ。
やまびこでは無い。ここは広いグラウンド。後ろに学校はあるが、何度も音が反響するなんて絶対におかしい。
僕は途端に怖くなった。
「なあっ、おーいっ!」
二度目。返事は無い。僕の声だけが辺りにしつこくこだまする。
ふと思い至って、ポケットの中の携帯電話を取りだした。
圏外。確かにさっきまでは使えたのだ。学校の中でSからのメールも受信した。
『別の世界』
Kが言った言葉がふと頭をよぎる。
ここは、もしかして、そうなのか。
あんたがたどこさ。
ここは、どこだ。
小学校の入口に目を向けた僕は、『それ』に気がついてぎょっとする。
発作的に走りだしていた。学校の外には車が停めてあったが、鍵は持っていない。
それよりも、この小学校は山を少し上った位置にある。
ここに来る時、小学校に入るすぐ前の道からは、下の街の夜景が一望できたのだが。
そこは街を見下ろせる場所。
絶句する。
街が無かった。
いや、正確に言えば、遠目ではあったがそこに街はあった。
ただしその街には、明かりがただの一粒も灯っていなかった。街が黒い。いくら深夜でもあり得ない光景だ。
僕はその場にへたり込んでしまった。
ようやく確信する。僕は異世界への扉を開けてしまったのだ。
帰る手段は知らない。
ぞわぞわと、ゆっくり、足元から恐怖が這いあがって来る。
どうしよう。
僕は立ちあがって学校へと戻った。
とりあえず何か考えがあったわけではない。あのままじっとしていて正気が保てるかどうか怪しかったのだ。

63なつのさんシリーズ「あんたがたどこさ」4:2014/06/06(金) 12:07:34 ID:bXavpRb60
学校の校庭。赤錆びた鉄棒、シーソー、回転塔。
グランドの中央あたりに、Kが描いた図形。僕はその中に入って、再びへたり込んだ。
何をしていいか分からない。Kを探そうか。でも無駄な気がする。
「わっ!」
意味も無く叫ぶ。こだまする。一体何なんだこの反響音は。
僕はもっともっと、遮二無二叫びたい衝動を懸命に押し殺した。
駄目だ。冷静になれ。
人は考えに考えた末、壁をよけて通ることを覚える。これはたしか友人のSが気に入っていた言葉だ。
考えなければ、アイデアは生まれない。考えろ、僕。
そこで一つ思い至る。僕が今座りこんでいるこの地面の図形。
僕はこの図形からここに来たのだ。『あんたがたどこさ』によって。
では、同じことを繰り返せば、元の世界に戻れるのではないか。

俄然元気になった僕は、図形の中に立つ。眼を瞑る。
せーの。
飛ぶ。唄う。間違えない様に、慎重に。
「かーくー、……っせ!」
どうだ。目を開く。
風景に変わりは無い。しかし、静かだ。どうだ、僕は戻れたのか?
「……わっ」
……わっ、わ、わ……
こだました。僕は戻れなかったようだ。
それから何度かパターンを変えて試してみた。
スタートの位置を変えてみたり、飛び方を変えてみたり、Kの様に音痴に唄ってみたり。
けれども、いずれも効果は無かった。
もしかして、二人でなくては駄目なのか。一人では駄目なのか。
一人。無音。暗闇。怖い。
いかんいかん、冷静になれ。後頭部を叩く。考えろ考えろ僕の頭。
もしもだ、僕が『あんたがたどこさ』によってここに来たとする。
そうだとしたら、その歌詞に何かヒントが隠されていないだろうか。
僕は『あんたがたどこさ』の歌詞を頭の中でなぞってみた。
肥後……熊本……せんば山。そこで僕はふと思い至る。
あの歌詞の中で隠されたのはタヌキだ。鉄砲で撃たれて、煮られて、焼かれて、木の葉で隠される。
もしかして僕はタヌキ?だったらKは猟師だろうか。
しかし、そんなことに気付いてもどうにもならないのだった。
足元からじわじわ上って来る恐怖が膝を越えた。足が小刻みに震えだす。
まずい、正気の僕に残された時間は割と少ないらしい。
勘弁してくれ。僕だって怖がりなのだ。
一人は怖い。いつもはどんな心霊スポットに行ってもそれほど怖くは無い。何故なら僕の隣にはSとKが居るからだ。
そう言えば今日は三人じゃなかった。それがいけなかったのかもしれない。
Sが今日来れなかった。急にバイトが入ったと言った。
けれど先程、僕とKが学校の探索をしている時にメールが来ていた。
その時の僕は廃校探索に夢中で、Sからだと知っただけでメール自体は見てなかった。
それを思い出した僕は、ポケットから相変わらず圏外で役に立たない携帯を取りだした。
操作してメール受信画面を開く。
『今何処にいる?』
それがSからのメールだった。それが分かれば苦労しない、と僕は思う。
そうして僕は、足の震えと共に少しだけ笑った。
このメール内容。あんたがたどこさ、じゃないか。
「あんたがったどこさ。ひごさ、ひごどこさ……」
僕は無意識の内に唄い出していた。そろそろ正気がやばい。立っていられなくなりそうだった。
唄いながら、この足では毬を跨ぐことも出来ないな、と思った。
「……くま……え?」
足の震えが止まった。
僕は気がついたのだ。その瞬間、堰を切った様に走り出していた。
そうだ。
あんたがたどこさ。
そうだった。
僕は走る。誰も居ない学校に向かって。走りながら呟く。
「あんたがたどこさ。ひごさ、ひごどこさ……」
そうだよ。あの唄は、元々……。
「……手毬唄じゃないか!」
可能性は見当もつかなかった。客観的に見て、まるで高く無いとは思う。何をどうすればいいかも分からなかった。
けれど、何故か確信できた。これが元の世界に戻るやり方だと。

64なつのさんシリーズ「あんたがたどこさ」5:2014/06/06(金) 12:08:45 ID:bXavpRb60
僕は小学校の校舎脇を走り抜け、裏手に回った。目当ての建物は校舎じゃない。
あった。
体育館。
入口に鍵はかかっていたけれど、床近くにある通風孔が一部壊れていたので、そこに身体を滑り込ませて中に入った。
暗い。懐中電灯を付ける。しかし幽霊でもいいから出てほしい気分だった。
体育館倉庫には幸運にも鍵は掛かっていなかった。錆ついて重たい扉をスライドさせる。
中にはここが小学校として機能していたころの名残がそのまま置いてあった。
目当てはバスケットボール。
ほぼ全部のボールが空気が抜けて萎んでいたが、空気入れを見つけ、それを使ってボールに命を吹き込む。
空気の入ったバスケットボールを持って、僕は体育館の中央に立った。
床にボールを落とす。ダム、と音がして勢いよく跳ねる。再び両手にボールを抱え、僕は目を瞑った。
深呼吸。
いっせーのーせいっ!
「……あんたがったどっこさ、ひーごさ、ひーごどっこさ……」
唄い出すと同時にバスケットボールをつく。目を瞑ったまま。『さ』の部分で片足を上げボールの上を通過させる。
ちなみに、僕は元バスケット部だ。
「くーまもっとさ、くーまもっとどっこさ、せんばさ……」
心臓が鳴っていた。また足が震えだした。
唄いながら自分自身を鼓舞する。もう少しだ、頑張れ僕。
「ちょいとかーくー、すっ!」
最後に思いっきり力を込めてボールをついた。
ボールは今までの最高速度で地面にぶつかり、僕の頭より高く上がったはずだ。
そして僕は目を瞑ったまま、その場で足を軸に一回転した。意味は無い。自分でハードルを上げただけ。
両腕を前に出す。この中にボールが落ちて来るのか。

時間にすれば二秒は無かったと思う。でも長かった。
腕の中にボールが落ちる感触はない。
しかしいつまで経っても、ボールが床に落ちる音もない。
しばらくそのまま目をつぶっていた。開けるのが怖かった。でも、足の震えはいつの間にか止まっている。
深呼吸、一回、二回。
僕は目を開けた。
バスケットボールが消えていた。
「……うわー」
……うわー……うわー、うわー……
僕の声がこだまする。
でもそれは体育館だったから当たり前だったのだ。そのことに僕が気がつくまでに相当の時間を要したけれど。
耳を澄ませば、外で鳴く虫の声がかすかに聞こえた。
僕は携帯を取り出す。アンテナが一本立っていた。
信じられないだろうが、携帯のアンテナが一本立っていたことに、僕は本当に飛び上がって喜んだのだ。
その瞬間、僕の手の中の携帯が鳴った。
Sからだった。急いででた。
『……よお。ところでお前さ。いま、小学校にいるのか?』
Sの声。不覚にも泣きそうになりながらも、僕は「うん、うん。そうだよお!」と大声で返事し、若干ひかれた。
がんっ。
体育館にすさまじい音が響く。
何事かと思って音の方を見ると、丁度体育館の裏口が蹴破られて、息を切らしたKが中に入ってきた。
そうしてKは懐中電灯をこちらに向けた。
「お。……おおう。こんなとこに居やがった。……マジでありえねーし。
 目え開けたらいきなり居ねえんだもん……マージーありえねえよまったくよお……」
そう言ってKは「あーうー、だあーもう疲れた……」と、体育館の床にだらんと寝そべった。
電話の向こうでSが何か言っている。
僕は黙っていた。
戻ったら絶対一発ぶん殴ってやろうと思っていたのだけれど、
体育館の床の上で「うーんうーん疲れたよーい」と唸りながら転がるKを見ていると、何だかその気も失せた。
僕は受話器を耳にあて直し、Sに向かって言う。
「とりあえず、帰るよ」
『ん?……おう、そうか』
それから、帰りにSの家に寄る約束をして電話を切った。
そうして、まだ床でごろごろしているKを軽く一発蹴ると、
実はぼろぼろ泣いていた奴を引っ張り起こして、二人で車まで戻った。
運転席に座ったKが鼻をすすりながらエンジンをかける。

小学校から少し降りると、街の夜景が見えた。
助手席の窓から見たそれは、僕にとって今まで見たどんな夜景よりも綺麗で。
それは決して、僕の目が涙で滲んでいたからでは、ない。
しかしながら、自分で言うのもなんだが、
不思議なことに、これだけの経験をしても、もうこりごりだとは思っていない。
あんたがたどこさ。
どこでもいいよ。けれど、次は三人で行きたいなあ、と思う。

65なつのさんシリーズ「道連れ岬」1:2014/06/06(金) 12:27:25 ID:bXavpRb60
深夜十一時。僕とSとKの三人はその夜、地元では有名なとある自殺スポットに来ていた。
僕らの住む町から二時間ほど車を走らせると太平洋に出る。
そこから海岸沿いの道を少し走ると、
ちょうどカーブのところでガードレールが途切れていて、崖が海に向かってぐんとせり出している場所がある。
崖から海面までの高さは、素人目で目測して五十メートルくらい。
ここが問題のスポットだ。
もしもあそこから海に飛び込めば、下にある岩礁にかなりの確立で体を打ち付けて、
すぐに天国に向けてUターンできるだろう。
そしてここは、実際にたびたびUターンラッシュが起きる場所でもあるらしい。
『道連れ岬』
それがこの崖につけられた名前だった。

僕らは近くのトイレと駐車場のある休憩箇所に車を停め、歩いてその場所に向かった。
「そういやさ。何でここ『道連れ岬』って言うんかな?」
僕は崖までのちょっとした上り坂を歩きながら、今日ここに僕とSを連れて来た張本人であるKに訊いてみた。
「シラネ」
Kはそう言ってうははと笑う。Sはその隣であくびをかみ殺していた。
「まあ、でもな。噂だけどよ。ここに来ると、なんか無性に死にたくなるらしいぜ?」
「どういうこと?」
「んー、俺が聞いた話の一つにはさ。
 前に、俺たちみたいに三人で、ここに見物しに来た奴らがいたらしい。
 で、そいつらの中で、一人が突然変になって、崖から飛ぼうとしたんだとよ。
 で、それを止めようとしたもう一人も、巻き添え食らって落ちちまった」
「ふーん」
「……巻き込まれたやつはいい迷惑だな」
Sがかみ殺し損ねたあくびと一緒に小さくつぶやく。眠いのだろう。
ちなみに、ここまで運転してきたのはSだ。
そういうスポットに行くときはいつも、オカルトマニアのKが提案し、僕が賛同し、Sが足に使われるのだった。
「いや、実際いい迷惑どころじゃねーんだよな。実際死んだの、その止めに入ったやつ一人らしいし」
「はい?」と言ったのは僕だ。
だってそれは理不尽と感じるしかない。飛ぼうとした人じゃなくて、止めに入った人だけ死ぬなんて。
「詳しいことはそんなしらねえけどさ。多いらしいぜ、同じような事件」
「ふーん」と僕。
「……その同じような事件ってのは、どこまで同じような事件なんだ?」
興味がわいたのか、Sが訊く。
「うはは、シラネ。あんま詳しく訊かなかったからなあ……お、そこだよ」
話しているうちに、僕らはカーブのガードレールが途切れている箇所まで来ていた。
そこから先は、僕らの乗ってきた軽自動車が横に二台ギリギリ停まれる程のスペースしかない。
近くに外灯があったけれど、電球が切れかけているのか、中途半端な光量が逆に不気味さを演出していた。
ざん、と下のほうで波が岩を打つ音が聞こえる。
「誰もいねーな」
Sは心底つまらなそうだ。
「ま、他の噂だと、崖の下に何人も人が見えるだとか、手が伸びてくるだとか……」
と言いながら、Kがガードレールをまたぐ。
ガードレールの向こう側は安全ロープなども一切張っておらず、確かに『どうぞお飛びください』といった場所ではある。
「ちょ、おい。K、危ないって。いきなり飛びたくなったらどうするんだよ」
僕の忠告を無視し、Kは崖のふちに立って下を覗き込む。
「おー、すげーすげー」
この野郎め、そのまま落ちてしまえばいいのに。
「死にたくなったら一人で飛べよ」
Sはそう言って、崖に背を向ける形でガードレールに腰掛け、車から持ってきたジュースの入ったペットボトルに口をつけた。
僕はというと、どうしようかと迷った挙句、一応ガードレールを乗り越えて、何かあったときにすぐ動けるよう待機しておく。

66なつのさんシリーズ「道連れ岬」2:2014/06/06(金) 12:28:17 ID:bXavpRb60
しばらくして、じろじろと海を覗き込んでいたKが立ち上がった。
「うーん、何もねーなー。なあ、ところでお前らさ、今、死にたくなったりしてるか?」
どんな質問だよと思いながらも、僕は「別に」と首を横に振る。
SはKに背を向けたままで、「死ぬほど帰りてえ」と言った。
Kが自分の右手にしている腕時計で時間を確認する。
「えーでもよー。ここまで来て何も起こらないまま帰るってのもなー。……なあ、もうちょっと粘ってみようぜ」
「一人で粘っとけよ」
「冷たいこと言うなよSー。俺とお前の仲じゃんかー、ほら、暇なら星でも見てろよ」
「死にたくなれ」
漫才コンビは今日も冴えている。
と言うわけで。僕らは二十分という条件付で、もう少しだけここで起きるかもしれない『何か』を待つことになった。

それから僕ら三人は並んでガードレールに腰掛け、崖側に足を伸ばして座っていた。
僕はボケーっと空を見上げ、Sは腕を組んで目を瞑り、Kはせわしなく周りを見回している。

「やべ……、俺ちょっくらトイレ行ってくるわ」
十分くらいたったとき、Kがそう言って立ち上がり、車を停めた休憩所に向かって歩いていった。
隣を見ると、Sは先ほどから目を閉じたままピクリとも動かない。
僕はまた空を見上げた。先ほどKが言っていた、この崖にまつわる話をふと思い出す。
この崖に来ると無性に死にたくなると言うのは本当だろうか。今のところ自分の精神に変わりはない。
「『道連れ岬』って言うんだろ……ここ」
突然隣から声がしたので、Sの声だとはわかっていても僕は驚いて実際腰が浮いた。
「何?いきなりどうしたん?」
「いや、ちょっとな」
近くにある外灯の光が、Sの表情をわずかに照らす。Sはいまだ目を開いてなかった。
「さっきKが言ってたろ。一人が飛ぼうとして、二人が落ちて、一人が死んで……、なんかしっくりこなくてな。考えてた」
「で、分かった?」
「さあ、分からん。
 ただの尾ひれのついた噂話か……。そもそも、全部が超常現象の仕業っつーなら、俺が考えなくとも良いんだがな」
「うん」
Sが何に引っかかっているのか分からなかったので、適当に返事をする。
Sはそれ以降何も言わなくなった。本当に眠ってしまったのかも知れない。

しばらくたって、誰かの足音に僕は振り返った。Kだ。Kが坂の下からこちらに歩いてきていた。
大分長いトイレだったような気がする。僕はKが来たら『もうそろそろ帰ろう?』 と提案する気でいた。
しかし、歩いてくるKの様子に、僕は、おや、と思う。
Kはふらふらとおぼつかない足取りだった。どことなく様子がおかしい。僕は立ち上がった。
「おーい、K、どうした?」
僕の声にもKは反応しない。俯いて、左右に揺れながら歩いてくる。
「お、おい……」
Kは僕らのそばまで来ると、黙ってガードレールを跨ぎ、僕とSの横を通り過ぎた。
表情はうつろで、その目は前しか見ていない。
三角定規の形をした崖の先端。そこから先は何もない。
Kは振り向かない。悪ふざけをしているのか。Kの背中。崖の先に続く暗闇。海。
何かがおかしい。その瞬間、体中から脂汗が吹き出た。
「おいKっ!」
僕はKを引き戻そうと手を伸ばした。けれど、Kに近寄ろうとした僕の肩を誰かが強くつかんだ。
振り返る。Sだった。

67なつのさんシリーズ「道連れ岬」3:2014/06/06(金) 12:28:54 ID:bXavpRb60
「やめろ」
Sの声は冷静だった。
「でもKが!」
「あれはKじゃない」
「……え?」
Sの言葉に、僕は崖の先端に立ちこちらに背を向けている人物を見つめた。
今は後姿だが、あれはどう見たってKだ。先まで一緒にいたKだ。
「今は何時だ?」
Sが僕に向かって言う。その額にも脂汗が浮かんでいた。
「答えろ。今は何時だ?」
Sは真剣な表情だった。僕はわけが分からなかったが、自分の腕時計を見て「……十一時、四十分」と言った。
「だろう。だったら、あれはKじゃない」
僕はSが何を言っているのか分からず、かといって僕の肩をつかむSの腕を振りほどくこともできず、
ただ、目の前のKらしき人間を凝視する。
あれはKじゃない? 
じゃあ、誰だというのだ?
時間がどうした?
あいつがKだと思ったから伸ばした僕の腕。開いていた掌。
迷いと混乱と疑心によって、僕はいったん腕を下ろした。
その時、目の前のそいつが振り向いた。首だけで、180度ぐるりと。
そいつは笑っていた。顔の中で頬だけが歪んだ気持ち悪い笑み。Kの顔で。
その笑みで僕も分かった。あれはKじゃない。
そいつは僕とSに気持ち悪い笑みを見せると、そのまま首だけ振り向いたままの姿勢で……飛んだ。
「あ、」
僕は思わず口に出していた。
頬だけで笑いながら、そいつはあっという間に僕らの視界から消えた。
何かが水面に落ちる音はしなかった。
「……飛んだ」
僕はしばらく唖然としていた。口も開きっぱなしだったと思う。
突っ立ったままの僕の横を抜けて、Sが数十メートル下の海を覗き込んだ。
「何もいねえな。浮かんでもこない」
僕は何も返せない。Sはそんな僕の横をまた通り過ぎて。
「おい、いくぞ。……Kは大丈夫だ」
そう言ってガードレールを跨ぎ、車を停めた休憩所への下り坂を早足で降り始めた。
僕もそこでようやく我に帰り、崖の下を覗くかSについていくか迷った挙句、急いでSの後を追った。
「S、S!警察は?」
「まだいい」
Sは休憩箇所まで降りると、車を通り過ぎ、迷うことなく男子トイレに入った。僕も続く。
トイレに入った瞬間、僕ははっとする。
洗面所の鏡の前で、Kがうつ伏せで倒れていた。
急いで駆け寄る。Kはぐうぐう眠っていた。気絶していたと言ってあげた方がKは喜ぶだろうが。
僕はKがそこにいることがまだ信じられないでいた。
例えKじゃなくても、ついさっきKの形をしたものが確かに崖から飛んだのだ。
「おいこらK」
Sが屈み込み、寝ているKの右側頭部を軽くノックする。三度目でKは目覚めた。
「いて、何。ん……、ってか、うおっ!?ここどこだ!」
Kだ。まぎれもなく、これはKだ。僕は確信する。
急に、どっと安堵の気持ちが押し寄せてきて、僕は上半身だけ起こしたKの背中を一発蹴った。
「いってっ!え、何?俺か?俺が何かした?」
何かしたも何も、僕はKに何と説明したら良いものか考えて、結局そのまま言うことにした。
「Kが、……いや。Kにそっくりなやつが、僕らの目の前で崖から飛んだんだ」
Kは目をパチパチさせ。
「はあ?……うそっ!?マジかよ俺死んだの!?やっべ、すっげー見たかったのにその場面!」
Kだ。こいつはまぎれもなくK過ぎるほどKだ。あきれて笑いが出るほどだった。
「おい、お前ら。帰るぞ」
Sが言った。
「ええ?そんな面白いことあったんだったらまだ居ようぜ。俺だけ見てないの損じゃん!」
「うるせー。二十分は経った。俺は帰る。俺の車で帰るか、ここに残るかはお前ら次第だ」
そう言ってSはトイレから出て行こうとした。
けれど何か思い出したように立ち止まり、「ああ、そうだ。忘れてた」と独り言のように呟くと、
つかつかと洗面台の前に戻ってきた。
「ビシッ」
深夜のトイレ内に異様な音が響いた。
Sが手にしていたペットボトル。Sはその底を持ち、一番硬い蓋の部分を、まっすぐ洗面所の鏡に叩きつけたのだ。
蜘蛛の巣状に白い亀裂の入った鏡は、もう誰の顔も正常に写すことはない。
僕とKは石のように固まっていた。
Sは平然とした顔で鏡からペットボトルを離すと、僕ら二人に向かってもう一度「ほら、帰るぞ」と言った。
僕とKは黙って顔を見合わせ、Sの命令に従って、急いでトイレを出て車に乗り込んだ。

68なつのさんシリーズ「道連れ岬」4:2014/06/06(金) 12:29:30 ID:bXavpRb60
結局警察は呼ばなかった。誰も死んでない。俺らは何も見てない。Sがそう言ったからだ。

帰り道。後部座席で色々と騒いでいたKが、いつの間にか寝ているのに気づいた後、僕はそっとSに訊いてみた。
「なあ。Sは、どうしてあれがKじゃないって分かったん?」
「あれってどれだ」
「僕らの目の前で飛んだ、Kそっくりな奴」
「ああ」
「……顔も、服装も、体格も、絶対あれはKだったと思う。どこで見分けたんかなあ、って思ってさ」
するとSはハンドルを握っている自分の左手首を指差し、
「あいつの時計がな、左手にしてあったんだ」と言った。
「いつもKは右手に時計をつける。今日もそうだった」
「はあ」
「だから、おかしいと思って注意して見てみた。そしたら、文字盤が逆さだった。一時二十分。そんだけだ」
十一時四十分。一時二十分。鏡合わせ。
「そうか。だから鏡を割ったんだ」
「……ん?ああ、いや。ありゃただの鬱憤晴らしだ。やなモン見たしな」
「はああー……」
Sは鬱憤晴らしなどする様な奴ではないが、まあそれはいいとしよう。

しかしまあSよ。お前は一体どんな観察力してんだ、と僕は思う。
普通だったら気づかない。そんなところには目もいかない。絶対に。
その証拠に、僕はあいつがKじゃないと分からなかった。
「でも、本当に警察呼ばなくて良かったんかな?」と僕が言うと、Sは首を横に振った。
「俺らは何も見なかった。Kは死んでない。それでいいだろ」
確かに、それでいいのかもしれない。Sに言われると、そんな気がしてくるから不思議だ。
それに、きっと死体は出ない気がする。あくまで僕のカンだけれど。
「しかしなあ。もしかすると、あのまま手を伸ばしていたら、お前。逆に引っ張り込まれてたかもな」
何気ない口調でSは恐ろしいことを言う。僕は一気に背筋が凍りついた。
「道連れ岬とはよく言ったもんだ」
そう言ってSは大きなあくびをした。
後ろでKが何か意味不明な寝言を言った。僕はぶるっと一回体を震わした。
生きててよかった。
「……そういや、俺今めっちゃ眠いんだけどよ。これ事故って道連れになったらごめんな」とSが言った。
たぶん冗談だろうが、僕はうまく笑えなかった。
Sの運転する車は僕らの住む町を目指して、深夜、人気のない道を少しばかり蛇行しながら走るのだった。

69なつのさんシリーズ「公衆電話の夜」1:2014/06/08(日) 15:51:47 ID:BgaWrcjA0
ことの始まりは、ある夏の夜。深夜十一時を過ぎた頃に突然来た、友人Kからの一通のメールだった。
――これから電話来ると思うけど。それ、俺だから――
僕はその時、自宅のベッドの上で大学の図書館から借りてきた本を読んでいた。
Kがこんな時間に電話してくること自体は、まあそれほど珍しいことではないのだけど、
いちいちメールで事前告知をしてくるのが気になった。一体、何の話だろう?
そんなことをぼんやり考えていたら、ぶうーん、と蜂の飛行音の様な音を立てて携帯が振動した。Kからだな。
しかし携帯の画面には、Kの名前の代わりに『公衆電話』と書かれていた。
はて、と思った。これがKからの電話だとして、どうしてKはわざわざ公衆電話から僕に電話を掛けてきているのだろうか。
先程メールが来たのだから、携帯は持っているはずなのに。
しかしまあ、考えても分からないので、僕は読みかけの本を置いて電話に出た。
「……もしもし?」
『おせえ。早く出ろよおめーよ』
確かにそれはKの声だった。
「こんな夜中にどうしたのさ。それに、そこって電話ボックスの中?」
『ゴメーイトゥ』
「何でそんなとこから掛けてきてんのさ?」と訊いてみるは良いが、実は僕にはその答えが半ば予想できていた。
Kがこういうことをする時は、必ずオカルトがらみのあれこれなのだ。
『実はよー、この電話ボックスがよ。有名な心霊スポットだって噂を聞いてだな。
 昔ここで事故があったようでよ。
 なんか、こうやって電話掛けてると、いつの間にか男が、外からこっちをジーっと、見つめてるんだとよ』
「あーはいはい。そんなことだろうと思ったよ」

…そして、その男の霊はまだ生きていた頃、仕事帰りにいつもそこの公衆電話を使用していた。
携帯のまだ普及してなかった時代。家族に『もうすぐ帰るよ』 と連絡していたのだ。
が、しかし。ある日、仕事が終わって電話を掛ける前に、よそ見運転の車に轢かれて死んでしまった……。

Kの話を聞いた瞬間。そんな悲しいストーリーが、僕の頭の中では展開されていた。
先程まで読んでいた小説の影響だろうか。
けれども、僕は不思議に思う。オカルト好きにして怖がりなKが、よくそんなスポットに一人で行けたものだ。
「で、そこに男の人は居るの?」
『あ、違う違う。男の霊が出るのはこっちじゃなくて。電話かけられた方だとよ』
「……は?」
『窓の方に出るらしいからよ。出たら、実況してくれ』
僕は窓の方を見た。反射的な行動だった。
カーテンがふわりと揺れていた。窓は閉めていたから、今日の暑さに我慢できずにつけたエアコンのせいだろう。
ここはアパートの二階、窓に映るのは闇夜の景色だけのはず。
しかし。
僕の喉から、ひゅっ、と息が漏れた。
そいつは身体全体をガラスに押し付ける様に、ぴったりと窓にはりついていた。
腕も足も九十度近く曲げ、その目は何処を向いているのか分からない。
服は着ておらず全裸。その身体はぞっとする程白かった。
ヤモリだった。

70なつのさんシリーズ「公衆電話の夜」2:2014/06/08(日) 15:52:41 ID:BgaWrcjA0
「……いた」
『マジでっ!?』
「ヤモリが」
『あ?……男の霊は?』
「いない。というか待て。待て。ちょっと遅いけど言わせておくれよ」
『おう』
「ナンダソレ」
『何が?あ、ヤモリ?』
「……違う。僕を餌に使うなよ、ってこと。そういうのは自分で体験して何ぼでしょうが」
しかしだ。なるほど合点がいった。だからKは今回一人でも大丈夫だったのだ。何せ怖い思いをするのは僕一人だから。
『まあ、いいじゃん。お前だって見たいだろ?ユーレイ。ってか、もう一度窓見てみ?今度は居るかもよ』
「さっきから窓見てるけど、誰も居ないよ」
代わりに、僕の視線に気づいてか、ヤモリが素早い動きで視界から消え去った。
『何だよ面白くねーなー。この電話から掛けると、必ず相手の絶叫が聞こえるって話だったのによー』
僕の絶叫が聞きたかったのかコイツ。
「……そんなに絶叫が聞きたいなら、Sにも電話掛けてあげれば?数打てば当たるかも知れないよ」
『そうだな。あ、でもよ、あいつ寝てる途中で起こされると、メッチャ不機嫌じゃん。ユーレイよりこええし』
「はは。まあ、確かにね。でもユーレイより怖いってのは、」
ガチャン。
「ちょっと……あれ?Kー?もしもしー?」
……ツー、ツー、ツー……、
どうやら電話が切れてしまったようだ。Kは二十円くらいしか入れてなかったのだろうか。
どうしよう。Kの携帯に直接掛け直そうか。
そんなことを考えているうちに、僕の手の中で携帯が振動する。
Kからに違いない。僕はそのことに、微塵も疑問を抱いていなかった。
けれども、ふと手が止まる。
携帯の画面。表示されているのは『公衆電話』か、Kの携帯番号だと思っていた。
読めなかった。表示が文字化けしていたのだ。こんなことは初めてだ。
ぶうーん、と携帯は僕の手の中で振動している。
僕は僅かに揺れるカーテンの向こうの窓を見た。何もない。見えない。ヤモリも。もちろん男など居ない。
そのまま窓を凝視しながら、僕は通話ボタンを押した。耳に当てる。
「もしもし?」
何か聞こえる。小さいけれども誰かが話している。
「もしもし?K?」
『……遅く……ごめ……』
Kじゃない?
微かに聞きとれるその声は、TVの砂嵐に似たノイズが混じり、断片しか聞こえなかった。
何だ?誰の声だ?
『……言うな……そ……』
男の声だと言うのは分かった。しかし、一体だれなのか。何を話しているのか。僕に向けられた声では無い。
『……今から帰るよ……』
次の瞬間、耳が壊れるかと思う程の何かがぶつかる様な音。
何かを引っ掻く様な音。何かが壊れる様な音。何かが割れる様な音。
そして何かが、柔らかい何かが潰れる様な音。
思わず僕は携帯を耳から離した。
音が無くなる。
再び携帯を耳に当てる。
『……ツー、ツー、ツー……』
電話は、切れていた。
何だったのだろうか、今のは。間違い電話だろうか。
……今から、帰るよ……。
最後の言葉だけはやけにはっきりと聞こえた。家に帰るつもりだったのだろうか。
その男はいつも仕事帰りにその公衆電話を使用し、ある日、仕事が終わって電話を掛ける前に……。
そこまで考えて僕は首を振る。妄想だ。そんなものは。
その瞬間、また携帯が震えて、僕は身構える。
しかし、今度はちゃんと画面に表示されている。Kの携帯からだった。
「もしもし……?」
『おっせーよ。とっとと出やがれこの野郎が』
Kの声を聞いて僕はほっとする。
そうしてからすぐに、何で僕が怒られなきゃいかんのかという疑問点に気付き、
無性にKのすねを思いっきり蹴ってやりたくなった。

71なつのさんシリーズ「公衆電話の夜」3:2014/06/08(日) 15:53:24 ID:BgaWrcjA0
『男は出たか?』
「出てねー。……あ、でも、変な電話が掛かってきた」
『あ、ナニソレ?』
「今から帰るよ、って」
『男から?』
「たぶん。それから、すごい音がした」
『ふーん。今、窓には?』
僕は窓を見る。もちろん、何も無い。誰も居ない。
「異常なし」
『……じゃ、間違い電話じゃね?そんな噂聞いてねえし』
「うん……。何だか僕もそんな気がしてきた……」
それからKは『ああ、そうだそうだ』と、何か面白いことを思いついた時の声で言った。
『俺、これから、ある実験をしてみようと思ってんだけど。お前、携帯耳から離すなよ』
「……何すんの?」
『ま、それは聞いてからのお楽しみだ』
Kは何をたくらんでいるのだろうか。気になった僕は、じっと耳を澄ます。
その時だった。視界の隅で何かが動いた気がした。顔を上げる。窓。カーテンが僅かに揺れている。
ヤモリだろうか。いや、今のはそんな小さな動きじゃなかった。何だろう。
「……K?おーい、Kー?」
少し不安になった僕はKを呼んでみる。でも返答は無い。
「おーいー。誰かいますかー……」
まただ。窓の向こうで何かが動いた。
僕はベットから立ち上がり、窓の方へと近づいた。
心臓の鼓動が段々と早くなってくるのを感じた。
見間違いじゃない。僕の部屋の外に、何かがいる。
恐る恐る窓に近づく。そして僕は携帯を耳に当てたまま、カーテンを掴んで一気に開いた。
僕はその場に立ちつくす。携帯電話の向こうからKの声が洩れてきた。けれどそれは僕の意識まで上って来なかった。
外には何も無かった。誰も居なかった。窓の向こうには相変わらず黒く塗りつぶされた街の景色が広がっているだけ。
暗闇を背にしたガラスは、鏡の様に僕の部屋の中を映していた。
外じゃない。そいつは部屋の中に居たのだ。
僕の背後。窓とは反対側の玄関へと続くドアの傍に何かがいた。
振り向くことが出来なかった。心臓の鼓動がより早くなる。
服装で男だと分かったが、それ以上は無理だった。そいつにはちゃんとした顔がついていなかった。
まるで、出来の悪いスプラッター映画を見ている様な気分。
鼻から上が無い。そいつは顔の半分が欠如していた。無いのだ。文字通り無。目も無い、耳も無い。
でこも無い。ならば脳も無いのだろう。
そいつの口が動いた。ゆっくりと上下に開く。
『ただいま』
声はそいつの口から聞こえてきたのではなかった。僕の耳に当てた携帯から。もちろんKの声じゃない。
『ただいま』
ガラスに写るそいつの口の動きに合わせて、携帯電話の奥から声がする。
『今、帰ったよ』
ふつふつと脂汗が額に浮き出ているのが分かった。
もし今振り返ったらどうなるのだろう。部屋の中には何もいないのか。それとも……。
悲鳴が、叫び声が、喉の奥までせり上がって来ている。
『ただいま。……今、帰ったよ』
僕が悲鳴を上げようとしたその時だった、
『うるせえな今何時だと思ってんだこのボケが!!』
聞き覚えのある怒声が、僕の携帯を当てていた左の耳から右の耳へと貫通した。
「うわあっ!」
僕は飛び上がって悲鳴を上げた。
けれどそれは恐怖の悲鳴では無かった。
それからKの『うはははは』と言う笑い声が、電話の向こうから聞こえて来る。
気付けば僕は窓の傍に尻もちをついてひっくり返っていた
電話から聞こえてきた怒声はSの声だった。

72なつのさんシリーズ「公衆電話の夜」4:2014/06/08(日) 16:19:29 ID:BgaWrcjA0
「うあ、うあ、うわわわ……」
恐怖と驚きと混乱で、声にならない声が僕の口から洩れる。
尻もちはついたけれど、携帯はしっかり手に持って放り投げてはいなかった。
『……――あん?お前、○○(僕の名前)か?Kと一緒に居るのか?』
何が何だか分からない。どうしてSの声が電話口から聞こえてくるのか。どうして僕が怒鳴られなきゃいけないのか。
そして、ひっくり返った拍子に後ろを見てしまったわけだが、僕の部屋の中には今、僕意外に誰も居ない。
窓に写っていた顔半分の無い男も居なかった。
『おい、Kに代わってくれ。説教するから』
Kは未だ電話の向こうで『あひゃひゃひゃ』と心底可笑しそうに笑っている。
僕は何度も何度も細かい息を吐いて、ようやく理解した。
つまり今、Kは公衆電話の中で、自分の携帯と公衆電話の受話器を合わせているのだ。
Kを介して僕とSは互いの声が聞こえている。
『うっはっは。あーおもしれー。ってか、こんな風につなげても会話って出来んだなー』
『黙れボケが。何が可笑しいのか知らんが、明日会ったらお前、』
『あーワリーS、十円しか入れてないからよ。もう切れるわあっはっは!』
『テメ俺の安眠を、』
ガッチャン。どうやらKが受話器を戻したらしい。
『あー面白かった。ってかおめーも驚き過ぎだろ。マジで悲鳴あげてたし』
「……うん」
僕は恐る恐る窓ガラスを見てみる。見馴れた僕の部屋。僕一人。他は誰も居ない。
深い安堵の溜息を吐く。怖かったしグロかった。ああいうのは駄目だ。
幽霊というのは、もっとこうスマートで無くてはならないと切に思う。
『んー? どうしたお前、何かあったのか?』
そう言えば、Kがさっきの公衆電話からSに電話を掛けたのだとすれば、
さっきの頭なし男はSの部屋にも行ったのだろうか。
「……いや、ないない」
僕は何故か確信できた。それは無い。僕はSに怒鳴られた言葉を思い出していた。
やっと帰りついて、あんな言葉を言われたら誰だって消えたくなる。
『あ、そ?何もなかった?』
「うん。何も無かったよ。……それよりKさ、今からウチに来ない?目が冴えちゃってさ。何かして遊ぼうよ」
『あー行く行く!んじゃ、二十分くらいでそっち着くわ』
「うん。じゃあまたあとでね」
Kとの電話を切った後、僕はすぐにSに電話を掛けた。Sはもろ不機嫌だった。
『……ああ?』
「あ、S?ねえ、さっきのKの電話で目冴えちゃったんじゃない?」
『……ああ』
「じゃあさ。今からさ、ウチ来ない?」
『ああ?何で』
「Kも来るよ」
『行く。待ってろ』
これでよし。
僕は電話を切ると、ベットの上に倒れこんだ。
まずKが先に来るだろう。後でSがやって来るとも知らずに。僕はそっとほくそ笑む。
でも、それは二人を呼んだ理由の一つにすぎない。
僕は携帯を開けて、着信が来ない様に電源を切った。それから、はっと気づいてカーテンを全部閉める。
その瞬間、ヤモリが一匹窓を横切った。
「うひっ!」
悲鳴を上げて飛び退く。
……ああ怖い怖い。
読みかけていた本もホラーものだったけれど、今日はもう読めない。
これが理由の二つ目。
僕一人じゃ、今夜はどうにも眠れそうになかったから。

73なつのさんシリーズ「河童井戸」1:2014/06/08(日) 16:20:54 ID:BgaWrcjA0
その日、僕は友人Sの運転する車に乗って、県境の山奥にあるという廃村に向かっていた。
メンバーは三人で、いつも通り。運転手がSで助手席に僕。もう一人、後部座席を占領しているのがKだ。
僕らが街を出たのは午前十時頃で、途中で昼食休憩をはさみ今は二時過ぎ。
目的の廃村までは、あと一時間といったところだった。
車は現在、川沿いのなだらかな上り坂を、ゆったりとしたペースで上っている。
僕は開いていた地図に再び目を落とす。
これから行く廃村はもはや地図に載っておらず、赤ペンでぐりぐりと印がつけられている場所が僕らの目的地だ。
等高線の感覚がかなり狭い。それだけ辺鄙な場所にあるということだ。

ふと、後部座席の方から軽いいびきが聞こえる。
「……毎度毎度思うんだが、どうしてこいつは人を足代わりに使っときながら、後ろで一人悠々と寝てられんだ?」
一度バックミラーを覗き込み、不快と言うよりはもはや呆れた口調でSが言う。
今日のこの日帰り廃村ツアーを企画立案したのはKである。
『この廃村にはな、不思議な井戸があるらしいんだとよ』
昨日大学の学食にて、目を少年の様に輝かせ僕とSに語るKは、生粋のオカルトマニアである。
僕とSはこれまでにもう何度も、Kの導きによってそういうスポットに足を踏み入れてきた。
もちろんハズレも多かったが、たまにアタリもあった。
「Kは車酔いしやすいからね。車ん中で吐かれるよりはマシじゃない?」
「……おいおいKの奴ヨダレ垂れてんぞ」
Kの話によると、その廃村には普段は枯れているが、新月の夜にだけ水を満たす井戸があるらしい。
何でも、その井戸の底には河童の死骸が眠っているとされ、
井戸の水を飲むことが出来れば、その人の寿命が五十年は伸びるそうだ。
「河童が眠る井戸かあ……」
僕がぽつりと呟くと、Sがそれに被せる様に欠伸を一つした。
「そう言えば。河童の肉って、食べたら不死になれるんだっけ?」
「……ん?ああ。人魚の肉と混同してるのかは知らんが、そういう言い伝えもあるにはある。
 河童にはまだ色々と言われはあるんだがな。広く分布した物の怪だから、その分話のバリエーションも豊富だ」
「ふーん」
Sの話の後半部分は聞き流して、
その井戸の水には河童のダシが染み込んでいるのかしらん、等と、僕は窓の外に目を向けながら考える。
今回はアタリかハズレか。何にしても、せっかく行くのだから面白そうな土産話くらい持って帰りたいものだ。
ちなみに、今日の夜は月が見えない。

「Sさー。もしその井戸に水があったとして、飲む?」
「飲まん。寿命の件は置いといてだ。
 そもそも管理の行き届いてない井戸水なんぞ、中に何が溶け込んでいるか分かったもんじゃないからな」
「だよねー」
僕もSもその気は無い。但し一人だけ、今後ろで寝ているKだけは、飲む気満々らしかった。
何せ、お気に入りのコーヒーカップとスティックシュガーとインスタントコーヒーまで持参して来ているのだからこの男は。
「ってヨダレがシートに落ちてんぞ。おいこらK!」
Sがバックミラーを見て怒鳴る。それでも当の本人は、シートにもたれて気持ちよさげに眠るばかり。
きっとオカルティストが喜ぶ夢でも見ているのだろう。

74なつのさんシリーズ「河童井戸」2:2014/06/08(日) 16:21:46 ID:BgaWrcjA0
車を停めたSがKを叩き起こし、それから一時間と半。
道は進むにつれ細く荒れてゆき、心配症の僕は少々不安になり、
手持ちのこの地図は本当にあっているのかと疑い始めた頃、
何だか地蔵が沢山並ぶ小さなお堂を通り越して、僕らはようやく目的の廃村に到着した。
「おー、ここだよ。ここ!」
車から降りたKが大声を上げる。
廃村と言っても、その村はまだ村としての形を残していた。
山の斜面にへばりつく様にして、いくつかの廃屋が左右にも上下にも立ち並んでいる。
と言っても木造の家自体は朽ちかけて、蹴り倒せるかと思う程ボロボロなものばかりだ。
辺りには膝より高い草がぼうぼうに生えていて、何処が道だったのかもよくよく見ないと分からない。
村の下方には小さな川が流れていて、その向こうはまた山。生い茂った緑の壁と言った方がしっくりくるかな。
「おーい。お前らこっち、こっちだっつーの!」とKの声がする。
停めた車の傍で辺りをぼんやりと見回していた僕は、ふっと我に帰り、Kの方へと向かった。
一番最後に車から出たSも僕の後からついて来る。
村の端、もうほとんど森の中と言った少しのスペースにKは立っていた。
「河童井戸だ」
Kが指差して言う。Kが井戸というそれは、石造りで、一辺が七十センチほどの正方形の形をしていた。
上に石の蓋がしてある。屋根もつるべもない。
井戸と聞いて、もう少し堂々としたものを想像していた僕は、正直がっかりしていた。
けれども、昔の村の井戸などと言うのは、大概こんなものなのかもしれない。
「おい、ちょっとお前ら、手を貸せ。この蓋あけっからよ」
僕とSは嫌々だったが、力を合わせて三人で蓋を開ける。すんごい重い。
蓋をずらした瞬間、冷蔵庫を開けた時の様な冷たい空気が頬を撫でた。
暗くて深い穴がその口をぽっかりと開ける。地面に垂直に掘られたうろ。覗きこむと、首筋辺りに毛虫が這う感覚を覚えた。
「わっ!」
穴に向かって突然叫んだのはKだ。その声は井戸の内壁に反射して、幾重にも重なって戻って来る。
次にKは地面に落ちてあった石を投げいれた。
……かつっ、
僅かな音。それは、この井戸に水が無いことを示していた。
「枯れてるな」とSが言った。
僕ら三人は、それから無言のまま視線を交わし合う。
Kが背に背負っていたリュックから懐中電灯を取りだした。井戸の中を照らす。
ライトの光は井戸の底を照らしはしなかった。光が弱いのか。しかし相当深くは掘ってあるらしい。
もちろんここに眠るとされる河童の姿など影も形も見えない。
「なーんも見えねー」
「少なく見ても、三十メートルはありそうだな。浅井戸かと思ってたが、そうじゃないのかもな」
そう言って、Sはまた石を投げ込もうと思ったのか地面の石を拾った。
それから、ふと何かに気が付いた様に手にした石を見やり、結局投げ入れずにKの方を向いた。
「で?これからどうすんだ」
Kは「おう」と元気よく返事をしてから、
「決まってんじゃん。話によるとだな、この井戸に水が湧くのは新月の夜、月が出てからだからー。それまで待とうぜ」

75なつのさんシリーズ「河童井戸」3:2014/06/08(日) 16:22:24 ID:BgaWrcjA0
ようするに、待機。
Kの言葉は予想出来ていたものではあったが、僕は「うーん」と唸って辺りを見回した。
廃村。ここで暗くなるのを待つと言うのは、中々ホラーチックで楽しそうではある。
もし一人きりなら、断固として遠慮したいところだ。

それからとりあえず、僕らはいったん車の方に戻ることにする。確認すると時刻は四時半だった。
Kが首尾よくトランプなど持ってきていたので、
極力草の生えていない処を選んで、フロントガラスにひっつけるカーサンシェードを敷き物代わりにして、ポーカーをやった。
結果はKがダントツでトップ。
次にインディアンポーカーをやってみた。結果はSがダントツでトップ。結局ポーカーでは僕は一つも勝てなかった。

「ところで、あの井戸についてなんだが……」
それは、ポーカーは止めて三人で大富豪をしていた時のことだ。Sが口を開いた。
それは何気ない、まるで独り言の様な口調だった。
「河童云々の部分は……、一体どういう話なんだ?」
自分の番でカードを捨ててから、Kが「あ?俺に聞いてんの?」と問い返す。「お前しか知らないだろ」とS。
「あー。そだな」とKは語りだす。
「昔、この村に住んでた一組の夫婦が、そこの川で河童を見つけたそうだ。
 そんで、夫の方が後ろから棒でぶん殴って、ふんじばって村まで持って帰った」
「河童を?何で?」
僕の疑問に、Kは「うはは」と笑った。
「喰うためだとよ」
「マジでか」
「河童の肉には、不老不死の力があると信じられてたからな。
 ま、それとも単に、腹が減ってたからなのかは知らねえけどよ。
 そんで、いざ食おうとした時に、河童が気がついて逃げ出したんだ。
 当然追いかける。河童は逃げる。で、逃げこんだ先が井戸だった、と」
「あれま残念」
「それから、村人は井戸に蓋をするんだけどよ、河童は三日三晩井戸の中で叫び続けたそうだ。
 で、四日目の新月の夜。叫び声は止んだ。河童はお陀仏しちまったってわけだ」
井戸は地下水脈に直接繋がっているわけではない。
いくら泳ぎが達者な河童でも、出口が無ければどうしようも無かっただろう。
「井戸が枯れたのは、その後のことだそうだぜ。水が無くなっちまったんだ。
 でも不思議なことに、新月の時だけは水が湧くんだとよ。河童水だな。
 ……これ、隣の村に住む爺さん情報らしいぜ。又聞きだけどな――ほい、革命!」
「革命返し」
「ぎゃー」
そんなこんなで、僕らはトランプをしたり、雑談したり、寄って来る虫を追い払ったりして、時間を潰していった。

そうして、気がつくと辺りは薄暗くなり始めていた。
こうなると後は早い。数分後にはもうトランプの絵もはっきりとは分からないほど、周囲に夜が浸透していた。
夜の山は暗い。何も見えない。虫、鳥の鳴き声。ガサガサと木の葉がすれている。
空に月は無い。
ぽっと灯がともる。Kがバッグからキャンプ用のガスランタンを取り出して、明かりをつけたのだ。
「行こうぜ」
僕もSも自分用の懐中電灯を持って、村の井戸に向かう。
三人とも無言だった。何となく、陽が射している時とは雰囲気が違う。
暗い。とにかく暗い。こんなに変わるものなのかと、僕は恐怖に近い違和感を覚える。

76なつのさんシリーズ「河童井戸」4:2014/06/08(日) 16:22:58 ID:BgaWrcjA0
ライトの光が照らす。井戸。蓋は開いている。
僕は辺りを見回す。まるで井戸の中の暗闇が、そのまま吹きだして辺りを包んだ様に暗い。
「……さてさて!果たして水はあるのでしょうか!?」
場の雰囲気を盛り上げようとしてか、井戸の傍でKがわざと大きな声を出す。
僕は少し笑う。ちょっとだけ和んだ。
「ではではー。ここに石コロがひとつございまして、今から投げ入れて確かめてみま、しょう、や!」
最後の『や!』でKは井戸の中に石を投げ入れた。
――とぷん――
「……え?」
反射的に声をあげてしまっていた。
音がした。
とぷん。
それは井戸の底にあるものからの返事だった。
今、井戸の中には水がある。昼間は確かに無かった。
水があるのだ。
「……うわ、マジかよ。すげえ!」
僕は固まっていた。石を投げ込んだ本人のKすら驚いてる。
僕ら三人の中で一番冷静なはずのSでは、この結果を受け俯き、何やらぶつぶつと呟き始めた。Sが怖い。
「潮汐は……、関係無いな。いくら新月つっても、地下水面押し上げるほどの影響は無いし、この辺りには海も湖も無い。
 地球の自転が加速したか?……はっ、そんな馬鹿な。しかしだ、となれば……、」
僕はSを見やった。Sが顔を上げる。
「最初から、水は、あった」
ぶつ切りにそういうと、Sは地面に落ちていた石を方手で二つ拾い、その手を井戸の上にかざした。
何をする気か疑問がわくよりも早く、ひとつ石を落す。
――ちゃぽん――
水に落ちる音。Sはすぐに手の位置をずらし、二つ目を落とした。
――かつん――
これは違う。違う音だ。 
何だろう。これはどういうことだ。Sは何をした。
「……おそらく石か何か、硬いものが積りに積もって、水面から顔を出してんだろ」
唖然としている僕に向かってSが言う。
「昼間Kが石を投げた時は、たまたまその硬いものの上に落ちたってことだ。深すぎて中は見えなかったしな。
 先に、もう枯れてるって情報があったもんだから、一度で確認を止めた」
僕はもう何が何だか分からなくて、
頭に浮かぶのは、Sはこんな状況でも馬鹿みたいに冷静なのだなあ、と言う感想くらいだった。
「はあー……、何と言うか。よくまあそこまで考え抜けれるもんだねえ」
それは本当に感心したからこその言葉だった。Kも同じ気持ちだったに違いない。でもSは浮かない顔をしていた。
「当たって欲しくなかった」
「は、え?何が?」
「おい、K」
僕の質問には答えず、SはKを呼ぶ。
「お前、そのバッグの中に色々入ってんだろ?ロープとバケツ、無いか?」
「ん、あ、あー、あるぜ。つるべは無いって、前もって聞いてたからよ。え?出すのか?」
「ああ」

77なつのさんシリーズ「河童井戸」5:2014/06/08(日) 16:23:56 ID:BgaWrcjA0
Kはバッグの中から、小さなプラスチック製のバケツと、細いロープを取りだす。
Sはそれらを受け取り、バケツの取っ手に無言でロープを巻き付け、
ロープの端をしっかり握ると、そのままバケツを井戸の中へと放りこんだ。
バケツが水の上に落ちる音がする。
「おいS何だよ。さっきの『当たって欲しくなかった』っつーのは」
僕の代わりにKがもう一度Sに尋ねる。
しかしSは答えてくれず、手に持つロープを小刻みに操っている。バケツの中に水をすくっているのだ。
そしたら急にSはロープをぐいと大きく引っ張った。その瞬間、井戸の中から何かが音がした。
まるで積み木で作ったお城が崩れるような音。積み重なった何かが下から崩れていく時の音だった。
Sがゆっくりとロープを手繰り寄せる。
「……Kがさっきした河童の話。あれが本当だとしたらな」
「え、え?」
唐突で身構えても無かったので、僕は変な声を出していた。そんなことはお構いなしにSは話を続ける。
「あれは、河童が入ったせいで井戸の水が枯れてしまった、ってな話だ。
 井戸が枯れたのを河童のせいにする。それなら納得できる」
僕はまだSが何を言おうとしているのか分からない。
「でも、実際に井戸はまだ使える。水があって、こうして汲むことが出来るんだからな。
 飲み水に使用できなくても、畑にまく、洗濯、洗い物の水、用途はいくらでもある。
 この村の人間は、わざわざ河童の話を創ってまで、使えるはずの井戸を『枯れている』 ってことにしたかったんだ」
Sがロープを手繰る。僕はその動きだけを目で追う。
「水があっても、使えない。この水は使えないんだ」
バケツが井戸の縁まで上がってきた。Sがそれを掴み上げる。
黄色いバケツの中には透き通った水。それともう一つ。何だろう、細長い石?
「……まさか、こんなものが釣れるとはな」
Sの言葉には苦笑が混じっていた。
「お前ら、これが何だか分かるか?」
分からない。僕もKも首を横に振る。
Sがバケツの中からそれを取りだす。やはり石だ。
人の形をしている様にも見える。但し、頭、顔が無い。まるでボーリングのピンだ。
Sは次いで自分のポケットに手を入れ、何かを出した。
それも石だった。丸い石。
Sは細長い石の上に、丸い石をゆっくりと乗せた。ライトで照らすと、丸い石には表情がある。つまりは顔。
「……河童というものが、昔、貧困ゆえに間引きされた子供の暗喩だ、という話は聞いたことがあるか?」
Sは一体何を言っているのだろうか。
「そうして間引かれた子供のことを、水子と言う」
ぞくり、と生ぬるい風邪で体中を撫でまわされる様な感覚。
視線が井戸の中へと向かう。今にもあの中から何かが這いあがって来ているのではないか。そんな錯覚に陥る。
「お前らには分からないかもしれんが、ここに子供が縋りついている」
Sが手にした地蔵の足の部分。確かに小さく盛り上がってはいるが、あれが子どもなのだろうか。
「こいつは水子地蔵だ。水子を供養するための地蔵なんだよ。それが井戸の中にあったんだ。……分かるか?」
井戸から這いあがって来る。何かが、何が?
水子、間引かれた子どもたち。
たち?どうしてそう思うんだろう僕は。
「こいつは井戸じゃない。墓だ。たぶん、一人じゃないだろう。共同墓地か。
 河童の話でもあったな、食うためにってさ。直接じゃなくて、自分たちが食っていくために、って意味だろうな」
そして、Sはバケツを持ってKに差し出す。
「飲むか?ある意味長寿の水かもしれんぞ。何てたって水子だ。
 あと何十年も生きるはずだった子らのダシが、たっぷり出てるんだからな」
Kは半笑いで、力なく首を振った。
「飲むわけねーだろ」
「……ま、だよな。お前は?飲むか?」
そう言ってSは僕にもバケツを差し出してくる。
「無理無理無理無理無理ムリむり」
「だよな」
そうしてSはくっくと笑うと、バケツの中の水を井戸の中に戻した。
それは試合終了の合図でもあった。
蓋を閉め、首の取れた水子地蔵をその上に置き、僕ら三人は手を合わせた。

78なつのさんシリーズ「河童井戸」6:2014/06/08(日) 16:26:23 ID:BgaWrcjA0
そしてSの車で村を出る時、僕は初めて気づいた。村の入り口近くにある御堂、そこに並んでいた沢山のお地蔵さん。
通り過ぎる際にSがぽつりと言った。
「あれも、全部、水子地蔵だぜ」
その瞬間、粟立った。
怖い。ああ、怖い。
ユウレイよりも妖怪よりも、暗闇よりも、何よりも。
ヒトは、怖いのだ。
しんと静まり返った車内。響くのはSの欠伸の声だけ。Kまでもが何も喋らない。
「ワリー。……ジョークだ」
欠伸の後、Sがぽつりと言った。
「……」
聞こえていたけど、僕は反応しなかった。
「ジョークだよ」
さっきより強めに言われて、僕はようやく反応する。
「……、……は?」
「全部、ジョーク。冗談。ジョーダン。口から出まかせ」
意味が分からない。僕はSを見る。Sは僕にちらと視線をよこし、「くっく」とさも可笑しげに笑っている。
「すまん。あんな簡単に信じるとは思ってなかったんだ。
 井戸からバケツ引っ張り上げた時に、丁度いい形の石が出てきたもんで、つい調子にのってな。
 そしたら引き際が分かんなくなって、ワリー」
「え……、え、でっ、だ」
そんな馬鹿な。
「じょ、ジョークって。……河童とか、水子の話は!?」
「河童が、間引きされた子どもの暗喩だってのはある話だ。でもな、考えてみろ。
 村人が本当にそんなことをしたのなら何故、自分たちの罪、いや恥だな。恥をわざわざを暗喩して人に伝えようとする?」
「だ、誰でも分かるわけじゃあ無いし、後悔の気持ちがあったとか……」
「俺には分かったし、あの河童の話で、私たちは後悔してますと言われてもな……。
 まあ、そんな暗喩があることを当時の村人が知らず、本当に偶然語り継がれた話ってことも考えられるが。
 そうだとしても、だ。あの井戸に、子どもは埋まっていない」
「な、何で分かるのさ!」
「簡単だ。生活に困るからだ」
「は……?」
「山奥の農村で、井戸に頼るというところは少ない。他に色々水源はあるからな。
 それでも、あんなに深い井戸を掘らなくちゃいけなかったってことは、本当にあの井戸が必要だったからだ。
 そんな井戸に、ガキを放りこむ馬鹿は居ない。捨てる場所なら他に沢山ある」
「で、で、でも、あの水子地蔵は……」
「ありゃ嘘だ。あれはただの石。形も全然違うしな。村の入り口にあったのも、ありゃ只の地蔵だ」
「……井戸の水が」
「一度枯れてまた湧き出るなんてことは、ある」
「……」
僕はKに助けを求めようと、後部座席を見る。
Kは寝ていた。どうも静かすぎると思ったんだ。くそう、使えねえ奴め。
「Kには黙っとけ。もう少し静かにさせとこう」とSが言う。
僕は今一度放心状態に陥る。
騙された。騙されたのだ。これ以上ないくらい綺麗に、見事に。
けれども、僕は何だか地の底から救われた気分だった。
もちろん、この野郎と言う気持ちはある。むくむく沸いてきている。
でもそれ以上に心の底から思う。
冗談で良かった。
Sが冗談と言うのだから、きっとそうなのだ。
僕はそう思うことにした。
だから僕は、井戸の蓋が、どうして重い石造りだったのかも気にしないことにした。
だから僕は、Sの表情が、普段よりも優しげなことについて気にしないことにした。
だから僕は、ふと思い出した、あのバケツを差し出された時に見た、水と一緒に入っていた小さな歯のようなものについて、
Sに訊くのは止めておくことにした。
全部、ジョークだから。

「河童井戸」終わり

79なつのさんシリーズ「狐狗狸さん」1:2014/06/08(日) 20:09:22 ID:BgaWrcjA0
季節は秋で、当時僕は大学一回生だった。
長い長い夏休みが終わって数週間が過ぎ、ようやく休みボケも回復してきたとある日のこと。
時刻は昼過ぎ一時前。友人のKから『面白いもん手に入れたから来いよ』 と電話があり、
大学は休みの日でヒマだった僕は、深く考えずに一つ返事で、
のこのこKの住んでいる大学近くの学生寮まで足を運んだのだった。
「よーよー、ま、入れや。Sも呼んであるからよ」
寮の玄関先で待っていたKに促され、中に入る。Kの部屋は二階の一番奥だ。
それにしても、階段を上りながら口笛など吹いて随分と機嫌が良いようだ。
「なあなあ、面白いもんって何なん?」
「まーそう急かすなって。ちゃんと見せてやるからよ」
そんなKの様子を見て僕はピンと来るものがあった。
Kの言う『面白いもの』とは、新作のDVDやゲームの類を想像していたのだけど、どうやらそうじゃないらしい。
Kは生粋のオカルトマニアだ。何か曰く付きのナニカを手に入れたのだな、と僕は当りを付けてみる。
部屋の前まで来ると、Kは僕に向かって「ちょっとここで待ってろ」と言って、自分だけ中に入って戸を閉めた。
僕は素直に指示に従う。

十数秒も待っていると、勢いよく戸が開いた。
すると目の前には一枚の紙。
「じゃんじゃかホイ!」と、僕の顔の前に紙をかざしたKが言う。
紙はB4程のサイズで、パッと見、五十音順にかな文字と、一から十までの数字の羅列。
よくよく見ればその他に、紙の上の方にはそれだけ赤色で描かれた神社の鳥居の様なマークがあり、
鳥居の左には『はい』、 右に『いいえ』 と書かれている。
紙は若干黄ばんでいて、所々に茶色いシミも見えた。
「……何ぞこれ?」
僕の疑問に、Kは掲げた紙の横に、にゅっと顔を出して答える。
「ヴィジャ盤」
「ヴ……ヴィ、何?」
「ヴィー。ジャー。バーン。こっくりさん用のな。もっと言えば、こっくりさんをやる時に必要な下敷きってわけだ。
 そん中でもこれは特別だけどな」
そう言ってKは「うはは」と笑う。
とりあえず僕は部屋の中に入れてもらった。
Kにアダムスキー型の飛行物体を縦につぶした様な座布団を借り、足の短い丸テーブルの前に座って話の続きを聞く。
「こっくりさんって、アレでしょ?十円玉の上に数人が指を置いて、こっくりさんに色々教えてもらう遊び。
 で、これがその下敷きなんね」
丸テーブルの上には、そのヴィジャ盤とやらが広げられている。
あと、テーブルの端にビデオカメラ。どうやら何かしら撮影する気でいるらしい。
「まー、ざっくり言えばそんなとこだな」
「これKが書いたん?」
「ちげえ。とある筋から手に入れた。まー詳しくは言いたかねえけどさ。
 どうせやるなら、とびっきりのオプション付きでやりてえじゃねえか」
僕はそのKの言葉の意味が良く分からなかった。
やりたいって一体何をやるんだろう?オプションって何だ?
僕の頭上には幾つも?マークが浮かんでいたのだろう。
Kはヴィジャ盤を人差し指でトントンと叩き、
「このヴィジャ盤は、昔、ある中学校で女子学生が、こっくりさんをやった時に使ったものだ。有名な事件でよ。
 そのこっくりさんに加わった女生徒、全員がおかしくなって、
 後日、まるごと駅のホームから飛び降りて、集団自殺を図ったんだとよ。
 ほとんどが死んで、生き残った奴も、まともな精神は残って無かった。
 で、これが駅のホームに残されてた」
トントントン、と紙の上からテーブルを叩く音。
話の途中からすでに『みーみーみーみー』と、耳の奥の方で危険を告げるエラー音が鳴っていた。これはマズイ流れだ。

80なつのさんシリーズ「狐狗狸さん」2:2014/06/08(日) 20:10:00 ID:BgaWrcjA0
僕は以前にも、この手の曰く付き物件にKと一緒に手を出して、非常に怖い思いをしたことがある。
それも一度や二度じゃなく。
「やろうぜ。こっくりさん」
それでも、気がつくと僕は頷いていた。
Kほどじゃないけども、僕もこういった類は好きな方だ。
十中八九怖い思いをすることが分かっていても。6・4で怖いけど見てみたい。分かるだろうかこの心理。
「でもこれ、元々女の子の遊びでしょうに。男二人でこっくりさんって言うのも、ぞっとしないねぇ」
「ゴチャゴチャ言うない。ほれ、十円だせよ」
「僕が出すのかよ」と愚痴りつつ、十円をヴィジャ盤の上に置く。
すると、Kがそれを紙の上部に描かれている鳥居の下にスライドさせた。どうやらそこがスタート地点らしい。
「あーそうだ。注意事項だ。最中は指離すなよ。失敗したら死ぬかもしれんしな」
Kが恐ろしいことをさらっと言ってくれる。
それでも幼児並みに好奇心旺盛な僕は、十円玉の端に人差し指をそっと乗せた。Kも同じように指を乗せる。
「……で、何質問する?」
「あー、それ考えて無かったな。まあ手始めに、Sがここにいつ頃来るか訊いてみるか」
Kは適当に思いついたことを言ったのだろうが、それは中々良い質問だなと僕は思う。二人ともに知りえない情報。
こっくりさんは果たしてどう答えるだろうか。
「でーはー、始めますか」
Kはそう言ってビデオカメラのスイッチを入れた。
「んじゃあ……はいっ。こっくりさん、こっくりさーん。Sはあと何分でここに来ますかねー?」
Kの間の抜けた質問の仕方が気になったけども、僕は邪念を振り払い十円玉に触れる指先に意識を集中させる。
と言っても肩の力は抜いて、極力力を込めないように。
十円玉はピクリとも動かない。
ふと、座布団に座る僕の腰に何かが触れた様な気がした。
視線を逸らすと、半開きの窓にかかるカーテンが僅かに揺れている。風だろうか。
「……おい」
Kの声。その真剣な口調に、僕ははっとして視線を戻す。けれども十円玉は赤い鳥居の下から動いていない。
Kを見ると、じっと自分の指先を凝視していた。
「……どうしたん?」
僕はゆっくりと尋ねる。
「なあ、この十円……ギザ十じゃね?」
「あ、ホントだ」
「こっくりさんに使った十円って、処分しなくちゃいけないんだぜ?もったいねー」
ふっ、と安堵の息が漏れる。十円玉は動かない。

それから少しギザ十の話になった。
コインショップに行けば三十円くらいで売れるとか、
昭和33年のものにはプレミアが付いているとか。でも使えば十円だとか。
そんなくだらない話をしている時だった。
部屋の戸が叩かれ、「おーい、来てやったぞ」と声がする。Sの声だ。
そうしてSは、返事も待たずに戸を開けて部屋の中に入って来た。
「よー……って何やってんだ、お前ら?」
僕とKは顔を見合わせる。
「何って、見たら分かるだろうがよ」
「面白いもんがあると聞いてやって来てみれば、だ。お前ら、しょうもないことやってんなよ」
「おいこらSー。こっくりさんのドコがしょうもねえっつーんだよ」
「見る限りの全てだ」
そう言いきると、SはKの部屋にある本棚を一通り物色して一冊抜き出すと、
「相も変わらず、お前んちロクな本がねえな」と言って、一人部屋の隅で読書を始めた。
僕とKはまた顔を見合わせる。Kは肩をすくめて、僕は少し笑う。
そうして僕はふと気付く。
十円玉の位置。さっきまでは、紙の上部の鳥居の下にあった。
数秒間、瞬きすら忘れていたと思う。
五十音順のかな文字の上に並んだ、一から十までの横の数列。その一番左。0の上に十円玉があった。
少しの間言葉が出なかった。Kも状況を察したようだ。
決して僕が故意に手を動かしたのではない。それどころか、何時そこまで動いたのか、僕は全く気付かなかった。
人差し指は変わらず十円玉の上に乗っていると言うのに。
僕はKを見やった。Kはあわてて首を横に振る。今度はKが何か言いたげな顔をしたので、僕も首を横に振った。
このままでは何もはっきりはしない。
僕はもう一度質問をしてみようと口を開いた。

81なつのさんシリーズ「狐狗狸さん」3:2014/06/08(日) 20:11:20 ID:BgaWrcjA0
「えーと……こっくりさん、こっくりさん。今十円玉を動かしたのは、あなたですか?」
その瞬間、十円玉が滑った。『はい』 の上。こんなに滑らかに動くものとは思いもしなかった。
「……あなたは、本当にこっくりさんですか?」
すると十円玉は、『はい』の上をぐるぐると円を描く様に動く。
「うおおおおお!SSSー、ちょっと来てみろよおい」
興奮したKが大声で呼んで、本から顔を上げたSが面倒くさそうにこっちに寄って来る。
「何だようるせーな」
「動いた動いた。動いてんだよ今!」
興奮して「動いた」しか言わないKの代わりに、僕が一通り今起きた流れを説明する。
Sは大して驚きもせず、「ふうん」と鼻から声を出した。
「あ、それとさ。このヴィジャ盤って言うの?この紙にもさ、言われがあるそうで。
 何か昔、コレでこっくりさんした中学生が集団自殺したとか」
それを聞いたSは、ふと何かを思い出すような仕草をして。
「ん……?こっくりさんの文字盤は、確か、一度使った後は、燃やすか破るかしないといけないんじゃなかったか?」
「え?」
そんな情報僕は知らない。Kを見やる。しかしKが答える前に、十円玉が『はい』の回りをまた何度も周回する。
それを見てKが「うっはっは」とヤケ気味に笑った。
「その通りらしい。二度同じものを使うとヤバいらしい。
 具体的に言うと、こっくりさんが帰ってくれなくなることがあるらしい」
「えっ、え、……はあ!?」
まさか、先程オプションと言ったのはそれのことか。
こっくりさんが帰ってくれないとどうなるのか。僕は怖々考えてみる。
そのまま取り憑かれるのか?その後は、まさか、話の中で自殺した中学生の様に……。
その思考の間も、十円玉は絶えず『はい』の回りをぐりぐり回っていた。しかも、徐々に動くスピードが速くなる。
それでも僕の人差し指は、十円玉に吸いつけられたように離れない。何なのだこれは。
その内、十円玉は『はい』を離れて、不規則に動き出した。そこら辺を素早く這いまわる害虫の様に。
いや、よく見るとその動きは不規則では無かった。何度も何度も繰り返し。それは言葉だった。
『ど、う、し、て、な、に、も、き、か、な、い、の』
Kの額に脂汗が滲んでいる。たぶん僕の額にも。どうしよう。どうしよう。
その時だった。Sが長い長い溜息を一つ吐いた。
「こっくりさんこっくりさん。365×785は、いくつだ?」
その言葉は、まるで砂漠に咲く一輪の花のように、不自然でかつ井然としていて。
ぴたり、と十円玉の動きが止まった。
「……時間切れだ。正解は286525。ちゃんと答えてくれないと困るな。まあ、いい。じゃあ、次の質問だ」
僕とKは両方ぽかんと口をあけてSを見ていた。
「ああ、その前に、お前ら二人。目え閉じろ。開けるなよ。薄目も駄目だ」
Sは一体何をする気なのか。分からないが、とりあえず僕は言われた通り目を瞑る。
「こっくりさんは、不覚筋動って言葉を知ってるか?」
暗闇の中で腕が動く感覚。
「そうか、じゃあ、その言葉を文字でなぞってみてくれ」
十円玉は動いている。それは分かる。でも、つい先程に比べると、非常にゆっくりとしたペースだった。
「分かった。ああ、お前らも目開けていいぞ」
僕は目を開く。十円玉は、か行の『く』の場所で停まっていた。もう動かない。
見ると、いつの間にかSがテーブルの端に置いてあったビデオカメラを手に持っている。
「見てみろ」
撮影モードを一端止め、Kは今しがたまで撮っていた映像を僕らに見せる。
最初の部分は早送りで、場面はあれよあれよという間に、Sが僕らに目を瞑る様に指示したところまで進んだ。
『そうか、じゃあ、その言葉を文字でなぞってくれ』
ビデオ中のSの指示通り十円玉は動き出す。
けれどもその移動はめちゃくちゃで、『ふかくきんどう』 の中のどの文字の上も通過することは無かった。
「これで分かっただろ」
ビデオカメラを止めてSが言う。

82なつのさんシリーズ「狐狗狸さん」4:2014/06/08(日) 20:12:01 ID:BgaWrcjA0
「こっくりさんなんてものは、人の無意識下における筋肉の運動かつ、無意識化のイメージがそうさせるんだ。
 さっきも言ったが、不覚筋動。もしくはオートマティスム、自動筆記とも言うな。
 つまりは、意識してないだけで、結局自分で動かしてんだ」
「俺は動かしてねーぞ」
「……ひ、と、の、は、な、し、を、聞けボケが。無意識下つったろうが。
 その証拠に、参加者の知りえない、もしくは想像しえない問題に関して、こっくりさんは何も答えられないんだよ。
 ビデオ見ただろ」
今、十円玉は動かない。
けれど、それでも僕とKの二人は指を離せないでいた。
こっくりさんでは指を離すと失敗となり。失敗すればどうなる、万が一……。そんな不安が胸の奥で根をはっているのだ。
そんな二人を見てSは心底呆れたように、もしくは馬鹿にしたように、「あーあーあー」と嘆いた。
「じゃあ訊くが、俺の記憶が正しければ、こっくりさんは漢字では狐に狗に狸と書く。
 その名の通り、こっくりさんで呼びだすのは、キツネやタヌキといった低級霊って話だが……。
 ここで問題だ。どうしてそんな畜生に、人間の文字が読める?
 文字を扱えるのは、死んでからも、人間以上のものでないと無理だと思うがな」
それは予想外の問いだった。と言うより、僕はこっくりさんで呼びだすのがキツネだとすら知らなかった。
「それは……、死んだ化けキツネだからじゃ。ほら、百年生きたキツネは妖怪になるって言うし……」
「お前は百年生きたら、キツネの言葉が完璧に理解できるようになるのか?」
「……無理です」
「それと、だ。こっくりさんの元になったものは、外国のテーブルターニングって言う降霊術らしい。
 が、そいつは完全に人間の勘違いだと、すでに証明されている」
そう言うと、Sは無造作にヴィジャ盤の上の十円玉に指を当てた。
そして、僕とKが『あ』っと言うより先にこう呟いた。
「こっくりさんこっくりさん。
 こっくりさんという現象は全部、馬鹿な人間の思い込み、勘違い、または根も葉もない噂話に過ぎない。
 はい、か、いいえ、か」
すると三人が指差した十円玉が、すっと動き、『はい』の上でピタリと止まった。
Sが僕とKを見やる。その顔は少しだけ笑っている様にも見えた。
「俺は何もしてないぜ?意識上はな」
そして十円玉から指を離し、彼はまた部屋の隅で一人、読書タイムに没頭し始めた。
僕とKは互いに顔を見合わせ、半笑いのままどちらからとも無く指を離した。

その日はこっくりさんに関してはそれでお開きとなり、
三人で夕食を食べた後、僕はK宅からの帰りに自動販売機に立ち寄り、
今日使用した十円玉を使って缶ジュースを一本買った。
それ以降、身体に異変が起きただの、無性に駅のホームに飛び込みたくなっただの、そういった害は今のところ無い。

ちなみに、Sがあれほどオカルトに詳しいのは、
Kの部屋の家主も把握しきれてない程の蔵書を、「つまらん」と言いながらもほとんど読みつくしているからだ。

あと最後に一つ。あの日撮影したビデオカメラには映っていたのだ。
Sが計算問題を出すまでの間、僕とKの他に、もう二本の手が十円玉に触れていたことだけは付け加えておきたい。
Sが問題を出したとたん、朧げな手は、ひゅっと引っ込んだ。
それを見て僕は、やはりオカルトに対抗するのは学問なのだなあ、と思った。

83なつのさんシリーズ「千体坊主1 雨」1:2014/06/11(水) 17:56:43 ID:hD.sYvCs0
その年の夏は、猛暑に加えて全国的に中々雨が降らず、そこらかしこで水不足に悩まされていた。
ダムの水が干上がって底に沈んでいた村役場が姿を見せたとか、地球温暖化に関するコラムだとか、
『このままではカタツムリが絶滅してしまう』と真剣に危惧する小学生の作文とか、
四コマ漫画の『わたる君』の今日のネタは、『アイスクリームとソフトクリームはどちらが溶けるのが早いか』で、
わたる君が目を離した隙に妹のチカちゃんが両方平らげてしまうという、そんなオチとか。
床に広げた今朝の新聞。天気予報の欄に目を移すと、今後いつ雨が降るのかはまだ予想できないと書かれていた。
窓の外に目を向ける。確かに雨の予感は微塵も感じず、今日もうんざりするくらい晴れている。
「……なあなあ、ちょっとさ、休憩せん?」
「でーきーた。ほれよ、八百体目」
友人のKは僕の提案が聞こえなかった様で、数十体のティッシュペーパー人形が僕の目の前にどんと置かれる。
僕の仕事は、この人形たちの腰から下げてる糸の先にセロテープをつけて、一体ずつ天上から吊るすことなのだ。
すでに天上には七百体以上の人形が吊るされていて、まるで……と言っても形容できるようなシロモノではない。
この状況は、昨日の夜から今日の朝にかけて、僕とKが二人がかりで創り上げたのだ。
常識ある人が見ればギョッとするような光景だが、すでに僕の常識はマヒしているのだろう。
「Sも手伝ってくれりゃあ良いのになあ。途中で帰りやがって。冷てーやつだ、全くよぉ」
Sと言うのは僕ら二人の共通の友人だ。彼には常識があるし、間違っても徹夜で紙人形を作る様な人間では無い。
「まあバイトって言っても、この内容聞いたら普通は断るよ」
「おめーはやってんじゃん」
「内容訊かずに『うん』って言っちゃったからね」
もう分かっているかとは思うが、僕が言う人形とは、てるてる坊主のことだ。
しかもこの天上に吊るされている彼らは、皆一様にスカートを上に、頭を地面に向けている。
つまり逆さ。『ふれふれ坊主』だの、地方によっては『るてるて坊主』と呼んだりもするそうで、
Kは『ずうぼるてるて』 と呼んでいる。
普通のてるてる坊主が晴れを願って吊るされるものなら、『ずうぼるてるて』 はその逆、雨を願うものだ。
「さっき新聞で見たけど。今日からの週間天気予報じゃさ、雨が降る気配なんてこれっぽっちも無さそうなんだけど……」
「だから面白れーんじゃねーか。通常じゃありえねーことが起こるから、オカルトなんだよ。ったりめーだろ」
言いながらKは、二百枚入りのティッシュ箱を新たに開けて、一番上のティッシュ抜き出す。
ティッシュは薄い紙が二枚重なっているので、上手く剥がして一枚を二枚に分け、
ちょいと人差し指を舐めてから、その薄い一枚をミートボールくらいに丸める。
その上にもう一枚を被せ、首の部分をねじってタコ糸を添えてセロテープで固定する。
その流れる様な一連の手捌きは、もはや素人の域では無い。
「でもさ。これでもし明日普通に晴れても、バイト代返せなんて言わんでよ」
「言わねーよたぶん」
「いやたぶんじゃなくて」

84なつのさんシリーズ「千体坊主1 雨」2:2014/06/11(水) 17:57:35 ID:hD.sYvCs0
言い忘れていたが、現在僕が居るここはKの部屋だ。
僕がKに呼ばれて、この学生寮の二階の一番奥の部屋にやって来たのは、
今現在から十五時間ほど遡った、昨日の午後四時が若干過ぎた頃だった。
大学でその日一日の講義が終わった後、
「このあと暇ならよー、ウチで簡単なバイトしねーか?」というKの誘いに乗ってしまい、
オカルティックな趣味を持つKの実験に付き合わされることになった。
千体坊主。
全部Kから聞いたことになるけども、千羽鶴にも似たこのまじないは、
千体のティッシュペーパー人形(別に紙なら何でも良い)を吊るすことで、明日の天候を人為的に変えてしまうというものだ。
人形の頭を上にすると晴れ。下にすると雨。
但し、条件が三つあるらしい。
まず一つは、人形を作る時に中に詰める方の紙を、自分の唾液(ホントは血液の方がいいらしいが)でほんの少し湿らせる。
二つ目に、作っている人は千体坊主完成まで絶対に家の外に出ないこと。
この場合はKが作っている人になる。(僕は別に出ても良いらしい)
途中で出たらなんか悪いことが起きる、とのこと。
三つ目は、人形を千体吊り終えたら、とある『うた』 を歌うこと。
千体坊主が完成し、無事うたを歌い終えれば、次の日の天候はその人の望んだものになる、らしい。
K自身も知ったのはネット上のとある掲示板だという話なので、あまり期待はしてないそうだけども。
僕もオカルトが嫌いではないので、興味はある。
給料も出るということなので、だからやってみようと思ったのだが、予想に反して時間が掛かる掛かる。
はっきり言って最後の方はかなり後悔していた。
ちなみに、最後に歌うといううたの内容は、三番まであって、晴れ用と雨用の二種類あると言う。
それ以上は教えてもらってない。
てるてる坊主の歌というと、僕が知るのは童謡くらいだけども、関係あるのだろうか。

そうこうしているうちに、八百体目の人形を天上に吊るし終えた。
もうKは九百体に王手をかけ、カウントダウンが始まるのもそう先のことではないだろう。
但し、ここまで来るのに相当長かった。正確に言えば、食事と休憩も入れて十六時間くらい。
「うーん……、眠たーい寝たーい夢見たーいー」
「さっきからうっせーな。ダイジョーブだって。人間三日くらい寝ずに働いたって、死にゃしねえんだからよ」
「一体三円って、絶対割に合わない気がしてきた……、自給にしたら二百円以下じゃん」
「今頃おせえよ」
しかし、Kだって昨日から寝てないはずなのに、明らかに僕より元気なのが不思議だ。

そうこうしている内に、天井に吊るされた『ずうぼるてるて』の総数が九百五十を越えた。残り五十。
頭上を埋め尽くす逆さに吊るされた白い人形。
下から見上げれば、まるで僕らの方が天井にへばりついているかのような錯覚を覚える。
錯覚してる間に残り十体だ。Kも一緒に天井に貼り付けながら、カウントダウンが始まる。
……997……998……999……、1000。

85なつのさんシリーズ「千体坊主1 雨」3:2014/06/11(水) 17:58:18 ID:hD.sYvCs0
「おおー……!」
その瞬間、僕は思わず感動の声を上げていた。
消費ティッシュペーパー千と六枚(※途中鼻かんだから。最後で『六枚足りねえ』 ってなった)。タコ糸約三百メートル。
セロテープ丸々一個と半分。天上の消費面積、六畳間まんべんなく。総消費時間約十六時間と四十分。
千体坊主。完成。
「うわきめえー」
感動の千体坊主完成を経て、Kがまず発した言葉はそれだった。
僕はかなり本気で、バイト代要らないからぶん殴ってやろうかなこいつ、と思った。
「ま、何にせよ。後はうたを歌うだけってか。
 あー後は一人でやんよ。疲れただろ、ワリーなこんな時間までよ。……ほれ、バイト代」
そういってKはポケットから財布を取り出すと、ちょいと人差し指を舐めて、中から千円札を三枚取り出した。
もはや癖になっているようだが、やめれ。
「ってことで。今日は帰って、良く寝るこった」
「……今日一限目からあってだね。テストも近いから寝れん」
僕の言葉にKは「うはは」と笑う。
「マジかよー。でもまー、人間三日寝ずに働いたって死にゃしねえからさ。だから頑張れ若人よ……
 つーわけで俺は昼まで寝るわ。明日の天気を楽しみにしとけ。そんじゃ、おやすみ」
そう言ってKは部屋の隅に立ててあった折りたたみベットを広げると、その上に、バフン、と身を投げた。
ポーズじゃなくて本当に眠る気だったらしく、Kは十秒で死体の様に静かになった。
僕は最後に何か言ってやろうと思ったけど、結局、溜息だけをついて部屋を出る。
その際に、一度だけ振り返って再度部屋の様子を確認してみた。
千体の『ずうぼるてるて』 の下で気持ちよさげに眠るこの部屋の住人。
不思議と異様だとかは思わなかった。やっぱり、夜なべのせいで常識がどこかに転げ落ちたのだろうか。
僕は一限目の講義を受ける前に、せめてコーヒーを一杯飲んどこうと思った。瞼が重い。
学生寮から外に出ると、刺さる様な陽射しが出迎えてくれた。

この調子で本当に明日雨なんて降るのだろうか。講義中もふとそんなことを考える。
案の定その日の講義は、眠気と相まってさっぱり頭に入って来なかった。
昼からの講義で僕の隣に座ったSが、
「眠たげだな。まさかとは思うが……、一体何してたんだお前」
はい。てるてる坊主作ってました。ゴメンナサイ。

何とかノートを取ることだけに専念し、ようやく全部の講義が終了。
わき目も振らずに家に帰ると、ご飯も食べずシャワーも浴びずに即効でベッドに倒れこんだ。
完全に眠るまでに、三十秒もかかってないと思う。
その時見た夢は、今朝の新聞で見た四コマの『わたる君』 とまるで同じ場面だった。
妹のチカちゃんがアイスに手を伸ばそうとしている。
いけない。それは君のお兄さんが持つ知的好奇心から生まれた、素晴らしい実験装置なんだ。
何とか止めようとしたのだけれど、チカちゃん背に手を伸ばした瞬間に僕は目を覚ました。

86なつのさんシリーズ「千体坊主1 雨」4:2014/06/11(水) 17:59:01 ID:hD.sYvCs0
携帯が鳴っている。
かなり身体がだるい。僕は壁に掛けてある時計に目を向ける。午前零時過ぎ。真夜中だ。
電話なんて無視しようかとも思ったけど、一応相手を確認する。
Kからだ。僕は無視することにした。
……止まない。
観念して電話に出る。文句を言ってやろうと思ったけど、それより相手の声の方が早かった。
『おい、雨が降ってるぞ!』
中途半端に起こされたので、まだ片足が夢の中だった。だから僕は中々Kの言葉の意味を掴むことが出来なかった。
そりゃ雨だって降るだろう、降らなきゃ困る。今年だってそれで困っている人がたくさんいるのだから。
そんなことをたっぷり数秒考えて、僕はやっとその意味に至った。
「え、ホント!?」
僕は慌ててカーテンの隙間から窓の向こうを見やる。
外は晴れていた。僕は目をこすってもう一度星空の下を注意深く見る。比較的明るい夜だ。紛れもなく空は晴れている。
「……晴れてんだけど」
こんなつまらない冗談のために起こされたのかと憤慨しかけるが、
次いで聞こえたKの声は普段と違って割と真剣なものだった。
『すまん、聞こえねえ。もうちょいデカイ声で喋ってくれ』
「晴れてんだけど!」
『ああ、んなこた分かってる。それでも、雨が降ってんだ』
本格的に意味が分からない。晴れてるのに雨が降ってる。どんな状況だそれ。
「それって、キツネ雨ってこと?Kの寮の周りだけ?」
『は、キツネ雨?……違う。雨は降ってない』
少しイラっとくる。僕は眠たいのに。
「あんさあ、ちょっと意味が――」
『音だけなんだよ』
Kははっきりとそう言った。
『雨音だけが聞こえる。今外雨降ってないよな?だろ?なのに聞こえるんだぜ。耳ふさいでもまるで止まんねえし。
 最初は小雨程度だったけど、何かドンドン強くなってる気がするし。たぶんな、ちいとやべえよ、これ』
これは決して僕をからかっているのではない。これまでの付き合いから僕にはそれが分かった。Kは嘘をついていない。
本当に雨が降っているのだ。Kの中で。
『でさー。コレ非常に言いにくいんだけど、まー、頼みがあんだよ』
「……何?」
Kは本当に言い辛いのか、電話の向こうで数秒間を置いた。
『今からさ、バイトしねーか?材料はもう揃えたからよ』
その言葉で僕は全てを承知した。
「分かった……、行くよ」
電話を切り、そのまま家を出る。
そうして愛車のマウンテンバイクに跨る前に、僕は友人のSに電話をした。真夜中だがきっと起きてる。
予想通り電話に出たSに、僕は少し迷った挙句、正直にことの次第を話した。
「Kがバイト代も出すってさ」と言ったのが唯一の嘘だ。
しかしSは興味もなさげに一言、
『てるてる坊主のせいで幻聴が聞こえるとか、俺はそういった類は信じていない。
 あと今はテスト期間中だぞお前。二日も無駄にすんなよ』
僕は「そっか……。うん、分かった」と電話を切った。
僕はSとも付き合いが長いから分かる。そう言ってくるだろうとは思っていたんだ。

87なつのさんシリーズ「千体坊主1 雨」5:2014/06/11(水) 17:59:47 ID:hD.sYvCs0
Kの寮に行く前に、コンビニ寄って食品とコーヒーを買う。
自転車を漕ぐ。大学までの坂道がしんどい。
それでもかなり飛ばして、いつもの通学より大分早い、コンビニから二十分程でKの住む学生寮に到着した。
Kの部屋は二階の一番奥。鍵は掛かっていなかった。僕は二回ノックして、部屋に入る。
入って最初に思ったのは、天井のアレが綺麗に無くなっていて、さっぱりしたなということだった。
部屋の中ではもう、新しいてるてる坊主が山の様に積まれていた。二百はあるだろうか。
Kは僕が部屋に入って来たことに気付いていない様だった。黙々とてるてる坊主を作っている。
Kの顔は酷く青ざめている様に見える。
作業台の前に来ると、Kはやっと僕に気がついた様だった。「よお」と言うKの声が酷く掠れたように聴こえた。
そうしてKは、部屋の棚から一冊のノートとペンを僕に差し出すと、自分の左の耳を二度指で叩いた。
「……さっきから土砂降りでよ。なんか台風見てーだわ。……ワリーけど、何か言う時はそのノートに書いてくれ」
僕は軽く驚きながらも、『了解』 とノートに書いて見せる。

つい最近千体もの数を作った時と同じ様に、Kがてるてる坊主を作り、僕が天井に張り付けていく。
しかし、今回のKの手の動きは鈍かった。
しきりに頭を横に振っている。その額には玉の様な汗が浮かんでいる。
『作るの代わろうか?』 と書いて訊いてみるが、Kは首を横に振る。
どうやらこの千人坊主は、人形自体は自分の手で作らなければならないらしい。しかしまだ人形は二百と少し。
僕は少し焦っていた。もう病院に行った方が良いのでは、という考えが一瞬よぎるが、
この千人坊主のルールで、部屋を出てはいけないとあったのを思い出す。
悪いことが起こる。くそう、悪いことって具体的に何だよ。
その時、僕はふと雨音を聞いた気がした。
そんな馬鹿な。さっきまでは晴れてたのに。咄嗟に窓の外を見る。雨など降っていない。外は晴れている。
気のせいだろうか。いや、今もかすかだけど聞こえる。僕は一瞬、背筋が寒くなるのを感じた。
まさか僕も……?
しかし注意深く音の出ている方を探ると、それは僕の中ではなく、外から聞こえてくるものだと分かった。
Kだった。雨音はKの両耳の奥から洩れてきているのだ。
まるで他人のヘッドホンから音が漏れる様に、外に音が漏れるほどの激しい雨なのだ。
本人にとっては耳鳴りなどという生易しいものではないのかもしれない。
そこに至ったとき、僕は途端にどうすればいいのか分からなくなった。
見ると、Kは額だけでなく腕にも汗をかいている。部屋はクーラーが効いているのに。
僕はノートに『大丈夫?』 と書いて見せた。
Kはしばらくの間、ぼーっとその文字を見てから、「はは」と力なく笑い、「……やっべえ」と一言だけ呟いた。
初めて見るKのそうした姿だった。
僕は何も言うことが出来なくて、まあ例え口に出しても届かないのだけど、
目を瞑って「とりあえず落ち着いて考えろ」と口に出し自身に言い聞かせる。
しかし考えは浮かばず、どうして良いのか分からない。
今、Kの手は動いていない。顔をしかめてじっと俯いている。
どうしよう。どうしたらいい。考えろ考えろ。
自分一人に、何ができる?
部屋のドアが開いた。
「あー、本当にやってんのな」
そこに立っていたのは友人のSだった。
とりあえず僕は長い息を吐いてから、「おっせえ」と言ってやった。
これまでの付き合いから、ぶつぶつ言いながらも来るというのは分かっていたんだけれど。
「仕方ないだろ。そんなことより、バイト代はほんとに出るんだろうな」
金に困ってない癖に、Sはそんなことを言った。

88なつのさんシリーズ「千体坊主2 晴」1:2014/06/11(水) 18:01:23 ID:hD.sYvCs0
「……で?こいつは一体どうしたんだ」
言いながらSが作業台の横に来ても、まだKはSのことに気が付いていない様だった。
僕は今は会話できないKの代わりに、Sに現在の状況を一から説明する。
それに対してのSの感想は「ふうん……」と実に簡素なものだった。
それからKの方に近づいて、「俺には聞こえんな。雨音」と言う。
「――おいコラKっ!」
Kの耳元でSが叫ぶ。僕は驚く。しかしKは反応しなかった。
それを確認して「ふうん」ともう一度Sは言う。しかし、Sその言い方から何か納得はした様だった。
Sがノートを持って何かを書く。そしてKの肩をポンポンと叩いた。
Kが顔を上げた。その目が少しだけ驚いた色の光を放った。
しかし他の感情が見えたのはそこだけだった。Kは歯を食いしばって、暴音という痛みに耐えていた。
僕にはその実際の痛みの程は分からないが、表情だけで十分痛さが想像できる。
Sがノートを指差した。読めと言うことなのだろう。首を伸ばして覗くと、ノートにはこう書かれていた。
『前の雨乞いの時に使ったっていうてるてる坊主はどうした?』
もう喋ることも辛いのだろう、Kは黙ったまま押し入れを指差した。
Sが開けると、透明なビニール袋の中に入ったあの人形達が出てきた。ビニール袋は五つもある。
Sはそれを確認すると、またKの元に戻った。
『これからこの人形を全部捨てて来る。あと、今作ってる奴も一緒にだ』
それを見て僕は驚いた。前に使ったものは良いとしても、何故、今作っている人形まで捨てるというのだろうか。
しかし、Kはその文字をゆっくりと視線を這わすようにして読んだ。そしてSに視線を戻す。
それからきつく目を瞑り、天井を仰いで、Kは掠れた、しかしいつものKの声で言った。
「おーけー、わかった」
理由も聞かずにKはそう言ったのだ。
Sは一つ頷いて立ち上がり、机の上にあった作りかけの人形を集めて、新しくゴミ袋の中に入れた。
そして僕に向かって「半分持てよ」と言った。
混乱していた僕は、はっとして、急いで六つの内の半分を持った。量が多いだけで全く重くはない。

「あーそうだ」
部屋を出る際にSは何か思い出した様に呟き、ゴミ袋を床に置くと、Kの方へ戻って行った。
ノートを手に取って何かを書き、Kに見せる。Kが頷く。
するとSがKの背後に回る。それは一瞬の出来事だった。
Sの腕がKの首に絡みつく。五秒もかからずKは落ちた。
唖然とする僕に、Sは平然と「行くぞ」と言ってまたゴミ袋を手に取った。
「な、なな、なんで?」と訊く僕に、
Sは何でもない口調で「『それじゃ眠れねーだろ』って訊いたら、肯定したからだ」と言った。
「……チョークスリーパー?」
「いや、裸締め」
そう言えば、Sは中学高校と柔道部だったとKから聞いたことがある。
何でも、ものすごく強かったせいで喧嘩を売る輩が絶えず、しかしその全てに勝ったためSはその町の……、
いや、これ以上は言うまい。

近所のゴミ捨て場にでも捨てるのかと思ったら、
Sは自分の車を使って、人形達をどこか遠くへと捨てに行くつもりらしかった。
後部座席に五つゴミ袋を詰め込み、僕は袋を一つ抱いたまま助手席に座る。
車は未だ何処へゆくかも分からないまま発進した。
「なあ、これから、何処行くん?」
「河だ。近所の、汗見川」
Sはそう答える。それは意外な答えだった。
「か、川?」
「そうだ。……ああ、その前に、少しばかり酒屋に寄るぞ」
「さ、酒屋!?」
「酒が要る」
僕にはSの考えがまるでさっぱり分からなかった。
もちろん、夜の河原で酒盛りしようぜ、などと言っているわけではないことは分かる。
しかしなら何故、酒屋に寄って目的地が川なのか、僕の頭では合理的説明を出すことは出来なかった。
どうしてか。何故か。分からない。

89なつのさんシリーズ「千体坊主2 晴」2:2014/06/11(水) 18:02:20 ID:hD.sYvCs0
「……そもそもがおかしいだろ。その千人坊主ってのは」
「え?」
小さな交差点の赤信号で停まった際にSは話し始めた。どうやら僕の混乱を見てとったらしい。
「お前らは、おかしいとか思わなかったのか?」
「いや、思ったけど……。夜なべで千体もつくらなきゃいけないってとことか……」
「そうじゃなくてだな。
 結果からみても明らかだが、あれは天候を変えるまじないなんかじゃない……。人が人を呪う類のものだ」
信号が赤から青に変わって車は走り出し、僕は腹から胸に掛けて、ぐう、と慣性の力を感じる。
「まずやり方からしておかしいだろう。
 人形に自分の血か唾液を染み込ませるなんて方法は、どう考えても占いや呪術の方面だ。
 明日の天気を変えてほしいと願う対象を、自分の形代にしてどうする。自分で自分に願うのか」
「……かたしろ、って?」
「本物の模倣品ってことだ。呪いのわら人形とかもそうだろ。あれも相手の髪の毛や、身体の一部を用いるそうだから」
僕は自分の抱える数百体の人形を見る。この一体一体全てに、Kの身体の一部だったものが付着している。確かにそうだ。
「二つ目に、千体目が出来た時に歌う歌だ。
 ……実はKの家に行く前に、ちょっとネットで調べてみた。お前が電話で言ってた、千人坊主とやらをな。
 検索掛けたらすぐ出てきた。あるオカルト系の掲示板に、一からやり方全部載ってた。全く賑わってはなかったがな。
 最後に歌ううたは、晴れを願う場合は、有名な童謡の『てるてる坊主』 だ。聞いたことぐらいあるだろ」
そう言って、Sはそのうたの歌詞を口ずさんだ。

てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
いつかの夢の 空のよに
晴れたら 金の鈴あげよ

てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
私の願いを 聞いたなら
あまいお酒を たんと飲ましょ

てるてる坊主 てる坊主
あした天気に しておくれ
それでも曇って 泣いてたら
そなたの首を チョン切るぞ

「……これが、晴れを願う場合の歌なんだそうだ。一方で、雨を願う場合は少し違った歌詞になる」
そうしてSはまた口ずさむ。

ずうぼるてるて ずうぼるて
あした雨よ ふっとくれ
いつかの朝の 地のように
降らせば 赤い飴あげよ

ずうぼるてるて ずうぼるて
あした雨よ ふっとくれ
私の願いを 知ったなら
からいお酒を たんと飲ましょ

ずうぼるてるて ずうぼるて
あした雨よ ふっとくれ
それでも笑って 晴れたなら
そなたの足を チョイと?(※も)ぐぞ

90なつのさんシリーズ「千体坊主2 晴」3:2014/06/11(水) 18:02:52 ID:hD.sYvCs0
「これが、雨を願う場合の歌詞。どちらも、大した変りは無い。
 三番目の最後の部分が、どちらも願いが叶えられなかったら危害を与える、という内容だ。
 実際にある童謡でも、ちょん切るとか言ってるしな」
「それが、耳の中に降る雨と、どう関わるん?」
「『そうされないために人形達は一生懸命天気を変えようとするのです』」
「え?」
「ネットの掲示板にあった言葉だ。やり方を説明した部分のな。
……もしも人形につばや血を付ける行為が、人形を限りなく『生きたモノ』 に近づけるためだとする。
そうして吊るされた千体の人形に、もしもほんの少しの意思を持ったとして、その意思は何のために使われる?」
「何のため……」
「天候を変えるためだ。しかし、現実はそんなに貧相なものじゃない。天気は気象にのっとって動く。変わらない。
 だとしたら、首を切られないために、足を?がれないために、千体の人形に変えることが出来るのは、どこだ?」
Sはゆっくりと続けた。
「それは頭だ。人間の脳味噌の中の、僅かな部分」
僕は黙ってSの話を聞いている。腕の中の人形達が何だかざわついている気がする。
「勘違いすんなよ。俺は別に、人形に命や意思が宿るなんて思っちゃいない」
そこでSは少しだけ笑った。何が可笑しかったのかは僕にはわからない。
「……つまりは、『そういう筋道』が、意識下か無意識かは人次第だろうが、
 この千人坊主を行うプロセスの中で、『出来上がって』しまう。
 ……千個も作った後なら、時間もかかって集中力も使ってるだろうしな、暗示に掛かりやすい状態ってわけだ。
 『部屋から出てはいけない』っていう注意文句もここに掛かって来る。
 時間を置いて作らせない、一気に集中的にやらせる」
Sの言葉によって、頭の中に一つの話の道筋が浮かんでくる。けれども、それは決して気持ちのいいものじゃない。
「あそこにアレを書きこんだ奴の気が知れないな。愉快犯って奴か。
 そう言う意味じゃあ、解決策と思しきものを暗に示してる、って点でもタチが悪い。
 雨が降り続ければ、人は晴れ間を望む。ああいう形でセット出だされれば、誰だってもう一方が解決策だと思う」
どくん、と心臓がはずむ。Sの言わんとしていることが理解出来たからだ。
雨を願って、Kの頭の中に雨が降る様になった。だとしたら、晴れを願えば……。
「これは憶測だが……目に関することじゃないかと、俺は思う」
光。光のイメージ。目の前で輝く何か、時を追うごとにそれはどんどん激しく眩しくなっていって、ついには……。
「俺は、幽霊とか超能力とか、基本的に信じていないが、『呪い』はあると思ってる。いや、あってもいい、と思ってる」
車は目的地である汗見川の川沿いに建つ、一軒の個人経営らしい店の前で停まった。
看板には『酒・タバコ』 とあるが、もうシャッターは閉まっている。
「あるプロセスを通して、生きた人間から生きた人間へ。
 その間に意思と脳みそがある以上、ある程度の何かが起こっても不思議じゃない」
そう言って、Sは一人車から降りていった。
そしてシャッターの横の勝手口の前に立ち、ノックした。
しばらく間があってから僅かに扉が開く。
そこでSが二言三言何かを言うと、ドアの隙間が大きくなって、Sは店の中に入って行った。
次にSが出て来た時、その手には一升瓶が抱えられていた。
「これ持ってろ。じゃ、行くぞ」
「……S。ここの人と、知り合いなん?」
「そんなとこだ。一番からいのを選んでもらった」

91なつのさんシリーズ「千体坊主2 晴」4:2014/06/11(水) 18:03:43 ID:hD.sYvCs0
そして車は近くの河原へと降りる道を進んで行く。
タイヤが河原の意思を踏む音がした時、Sは車を停めた。
河原自体はそれほど広くない。停めた車のすぐ近くに川の流れがあった。
「さてと。ここらで良いだろ」とSが言う。ただ、僕には何が良いのかは分からない。
Sが車のライトをつけたまま車を降りる。そして後部座席の戸を開いて、人形入りのゴミ袋を取りだす。
「これからやることだけどな。作業には変わりないぜ。ま、人形作って吊るすよりは楽だろうがな」
そう言って、SはさっきKの部屋でノートに書くために使ったペンを僕に渡した。持ってきていたらしい。
「ざっと説明するぞ。人形に顔を書く。記号的な顔でいい、凝る必要は無いからな。
 そんで、一袋分たまったら、酒をかけて、川に流す。分かったか?」
分かったけど、分かんなかった。実際に何をするかは分かったけど、何でそんなことをするのかは全く分からなかった。
僕は曖昧に頷く。
「……まあいい、ただ顔を書けばいいんだ。時間もアレだしな、さっさと済ますぞ」

夜の河原でティッシュペーパー人形に顔を描いてゆく。
ちょんちょんちょん、すうー。で目と鼻と口の出来上がり。簡単だ。一体十秒もかからない。
それでも千二百体は少なくともあるので、僕らはただ黙々と作業を続けた。
一つのゴミ袋に一杯になったら、その中に直接酒を入れる。
そして川に膝まで入って、中身を水の流れに沿って一気にぶちまける。
夜の川にさらさらと流れてゆく人形達は、どこか幻想的で、でもこれはゴミの不法投棄なわけで。

「……役目の終わったてるてる坊主は、こうして川に流すものなんだそうだ」とSが作業中、何処かの折にぽろりとこぼした。
そうなのか、と思った。確かに首や足を取られるよりかは、こっちの方が随分マシな様な気がする。

全ての作業が終わった時、もう東の空から太陽が上り始めていた。最後の一体を見送って、僕とSは同時に伸びをした。
「Kの奴は大丈夫かねぇ……」
「まあ、大丈夫だろ。呪いには呪いをってやつだ」
「何それ」
「知らん。適当に言ってみただけだ。いずれにせよ戻れば分かる、出すぞ」
Sが車に乗り込む、僕も慌てて助手席のドアを開けた。

日が出たと言っても、大学までの道に人影はほとんど無い。戻って来た学生寮の周辺もそうだった。
ここに戻って来た時、僕はどうしてか、
幼少時、母に怒られて家を飛び出したあと、そろそろと足音を立てないで家の窓から侵入した時のことを思い出していた。
なんだか妙に後ろめたいという感覚。
ただ、Sはそんな思いは微塵も感じていない様で、車を降りてずかずかと寮の中に入って行った。
Sは二階のKの部屋まで一直線に、僕はそろりそろりとその後ろをついて行く。
一階の集合ポストに新聞が挟んであったので、ついでにKの分を抜き取る。

92なつのさんシリーズ「千体坊主2 晴」5:2014/06/11(水) 18:04:29 ID:hD.sYvCs0
部屋の中でKは、僕らが出ていった時と同じ体勢で作業台の横に倒れていた。
Sがその背中を軽く蹴る。起きない。蹴る。起きない。
それからSはKの上半身を背後から抱き起こすと、両脇の下から腕を入れて両手をKの首の後ろで固定する。
その状態でSが「んっ」と力を入れると、Kの半開きの口から「ほひゅっ」と変な音が漏れた。
「……う、うおう!?」
Kが起きた。
するとSはすかさずKの目の前に自分の手をかざし、人差し指と中指と薬指を立て、極々小さな声で言った。
「……何本だ?」
Kは未だに状況が上手く掴めていないらしく、数回高速で瞬きした。
「何本だ?」
Sがもう一度、囁くように訊く。
「う、あ?……あ。えー、三本、だ?」
「よし。耳は聞こえてるな。目も意識も問題ないようだ」
そこでKはようやく自分の変化に気がついたようだった。
「お、おー!ホントだ。雨が、やんでら……」
それを聞いた瞬間、僕の中で張りつめていたものが煙の様な音を立てて抜けていった。
安心すると、油断をしたのか腹の底から大きな大きな欠伸が出た。そのせいでちょっと涙が混じった。
欠伸がてらに、上手く呑み込めていないKに状況の説明をしてやった。
こっちは真剣に話しているのに、相槌がいちいち「へーえ」とか「ほーお」とかばかりだったのが気になったが、
まあ、それは良いとしておこう。
「……呪いかよ。こえーなあ、しかも無差別なんだろ?」
「インターネットの様な環境は、そういうものをばらまくのに最適だからな。
 まあ、そんなもんに迂闊に手を出す奴も悪いんだが」
「あー、いや。マジ反省してる。……今回はキツかった。いやマジまいった。次からはさ、こういうことの無い様にすっから」
「次があったら見殺すぞ。あとバイト代よこせよコラ」
「はっはっは。またまた冗談を」
そんな今日も冴えている漫才コンビの後ろで、僕は先程ポストから持ってきた今日の朝刊の週間天気の欄を見ていた。
六日間晴れマークの続いた後に、ぽつんと傘のマークがついている。
ふと思い出す。
もしも今回のことが呪いのせいならば、
僕がKの耳元で聞いたあの本物の雨の音も、やっぱり呪いの類だったのだろうか、と。
分からない。呪いは伝染するのかもしれない。良い意味でも悪い意味でも。
その証拠に、SがKを絞め落とす際に見せたノートに書いた言葉、机の上に開きっぱなしになっているそれには、
『耳鳴りで眠れないか?』 の下に走り書きで、『目が覚めたら、全部終わってる』 と書かれていた。
もしかしたら、これがSの言っていた呪いには呪いというヤツだろうか。

ちなみに、四コマ漫画『わたる君』 の今日のネタは、
『どうしても遠足に行きたいわたる君が、てるてる坊主を百個作ってベランダに吊るして、
 作り過ぎだとお天道様に呆れられる』
というものだった。
Kに見せると、「ギャグ漫画にリアルで勝つとかオカルトだろ……」などとわけの分からないことを口走っていた。

93なつのさんシリーズ「Kとの出会い」1:2014/06/14(土) 01:15:02 ID:Hpd3syqU0
大学に入学して間もない頃、僕は学科の新入生歓迎会を通じて、とある面白い男と知り合った。
そいつは名をKと言って、人懐っこくて陽気な男だった。
正直なところ僕は小中高と友達が極端に少なく、
だから大学生活が始まって早々、Kと言う友人が出来たことが素直に嬉しかった。

歓迎会は、街の中心にある市民ホールみたいなところのワンフロアを貸し切って行われていた。
まるで身に入らない学長の話が終わった後、当然ながらすでに仲良くなった者同士グループで固まっていて、
僕とKはフロアの隅の方で、しばらくの間二人だけで話をしていた。
しばらく「出身地は何処か」とか、「趣味は何か」など、取り留めも無い話をしていた。
そして、そんな話題もひと段落したころ。
Kがおもむろに「あそーだそーだ。見せたいものがあんだけどよ」と言って、
傍に置いていた自分のバッグから何かを取りだした。
Kが取り出したのは、立方体の形をしたナニカだった。
大きさは一辺が十センチ程度、両親が結婚指輪を入れている箱よりは一回りほど大きいと言ったところだ。
Kはそれを僕の傍ら、料理を並べているテーブルの上に置いた。
「さて、ここで一つ質問。こいつは一体、何だと思う?」
箱を指差してKは僕に尋ねる。
質問の意図がイマイチ良く分からなかったが、僕はとりあえずその塊を一通り眺めてみる。
上部に周囲を一周する切れ目と、一つの面に可愛らしい蝶番が二つついていたこので、これは箱なのだと見当付ける。
材質は木製のようで、木目以外の模様は見えなかった。
「……えーと、箱、だと思う。木の箱」と僕が答えると、Kは満足そうに「おーけーなるほど」と言った。
「正解だ。んじゃ、それ手に取ってみて」
言われた通り僕は箱を手に取る。その時、ことり、と箱の中から僅かに音が漏れた様な気がした。
「開けてみ?」
僕はフタの部分を手で押さえ、箱を開けようとした。
「……あれ?」
開かない。少し力を込めてみる、がやっぱり開かない。
どころかいくら力を入れても、箱とフタの間に僅かな隙間も作れなかった。
「開かないよ?」
するとKは面白そうに「うはは」と笑い、僕はちょっとムッとする。
「まー開かねーだろうな。だってそれカギ掛かってっから」
「鍵?」
言われて僕は、改めて箱を見直してみる。

94なつのさんシリーズ「Kとの出会い」2:2014/06/14(土) 01:15:34 ID:Hpd3syqU0
そんな鍵がついている様には見えなかったけどなあ、なんて思いながら、もう一度四方八方360度見てみたが、
やっぱり鍵穴なんて何処にも見当たらなかった。
「鍵穴も、何も見えないけど……」
するとKはさらに「うははは」と笑い、僕はさらにムッとする。
「ワリー、ゴメンゴメン。でもな、本当、鍵はちゃんと掛かってんだよ。親指くらいのちっちぇ南京錠だけどよ」
「でも、」
「まあ聞けよ。鍵はな、外側からじゃなくて、内側から掛かってるんだ」
「……え?」
一瞬、頭の全細胞が急ブレーキをかけて動くのを止めたかの様に、僕の思考がストップした。
ただしその停滞は気のせいかと思う程短く、一秒かからず回復し、僕の脳細胞は再び自分たちの仕事を再開する。
「それはおかしいよ。箱を閉じた状態で、内側から鍵はかけれない」
「まーそらそうだな。つっても俺からは、『内側からカギが掛かってる』 って、それしか言えないわけだが……。
 なあ、箱、振ってみ」
数秒躊躇してから、僕は箱を軽く振ってみる。コツ、コツ、と中で音がする。何かが入っているようだ。
「音がすんだろ。そいつが箱の鍵だ」
鍵のかかった箱の中にその鍵がある。あくまでもKは、内側からカギをかけたのだと言い張るつもりのようだ。
僕は僅かな時間、箱を見つめてそれからKを見やった。
「でさ。この箱を僕に見せてどうしようって言うん?なんか理由が分からんのだけど……」
Kがまた「うはは」と笑う。どうやらこの笑い方は彼のクセらしい。
ふとKの笑い声が止んだ。そして間を置かず、口元に笑みの跡が残ったまま彼はこう言った。
「○○(←僕の名前)はオカルトを信じるか?」
沈黙。僕の頭はまたもやフリーズしていた。気のせいじゃない。今度ははっきりと、たっぷり十数秒。
「……何?」
「何って、ただの簡単な質問だって。オカルトを信じるか、そうでないか。
 あなたは地動説を信じますか、ってな質問と同じレベルだろ」
僕はすぐには答えられなかった。
質問の意図が分からなかったからと言うのもあるが、それ以上に、
口元は笑っていたが、Kは至って真面目に、真剣に、この質問を僕にぶつけた。それが伝わって来たからだ。
僕の回答を待たず、Kが口を開く。
「『その箱が本当に内側から鍵をかけられているのか』 ってのは、
 まあ○○(←僕の名前)の立場からすれば、考え方、まー可能性だな、は三つあらーな」
Kが両腕を前に出す。右手はピース、左手は人差し指だけ立てて。
「まーず、一つ。俺が嘘をついている。こりゃ簡単。箱は糊づけでもされてて、中には石コロなんかが入っている。
 ま、無難な考えだ」
Kの右手の中指が下がる。両手共に残っているのは人差し指。残り二つ。
「そんで二つ目。確かに内側から鍵は掛かっているのだけど、何らかの現実的な方法・手段を用いて俺がそうした。
 ま、ミステリの密室トリックみたいな感じだなこれ」
僕は何か言おうとした。しかしKがそれを制して言う。
「ただし、だ。前提としてだな、その箱は、箱部分とフタ部分の二パーツだけ。
 んでもって、その二つのパーツは、一つの材木から削りだされてる。見てみな、つなぎ目、無いだろ?」
「じゃあ、蝶番は……」
「おっと、良いとこつくな。でも残念。蝶番はネジ止めされてるんだが、ネジは箱の内がわでナットでとめられてんだ。
 意味分かるよな?」

95なつのさんシリーズ「Kとの出会い」3:2014/06/14(土) 01:16:19 ID:Hpd3syqU0
それはつまり、箱の内がわの『南京錠に鍵を掛けて鍵も中に入れてから、蝶番を取りつけて密室を作りだす』 、
それが出来ないということ。
「二つ目の可能性は、そこを踏まえてなお、俺が細工をした、っていうことだ。ここまで、二つは理解出来たな?
 よし。おーけーおーけー」
Kが立てている指が、いつの間にか左手の人差し指だけになっている。
「じゃ、最後だ。
 最後の可能性は、ここまでの俺の話は全部本当で、鍵を入れて箱を閉めた後、『何かが、箱の中で、鍵を掛けた』」
Kの左手の人差し指が、僕の手の中にある箱をさす。ことり、と箱の中で音がした。
「……だとしたら、その『何か』 は、まだ箱の中に居ることにならないか?なるよな?うん」
片手で持ててしまうくらいに小さな箱の中。
その中に、鍵を掛けてしまえる何かが存在する。常識的に考えれば、あり得ない。
しかし、今の僕の口からは何故か、その『ありえない』 という五文字の言葉が出てこなかった。
「もう一度聞こうか。『○○は、オカルトを信じるか?』」
Kが先程の質問を繰り返す。
「答えがNOなら、その箱、無理やり開けてみな。
 蝶番はネジ止めになってるから、そこのナイフでも使えばいけるだろ。石コロが入ってるかもな。
 ……しかしだ。し、か、し」
ずい、とKがこちらに一歩近づき、僕は思わず一歩下がる。
「その時、もし、箱の中にとめられた南京錠とその鍵が入っていたら……どうなる?」
どうなる。鍵が入っていたら。どうなる。
僕はその状況を想像してみるが上手くいかない。
ナイフで蝶番を壊し、開けた箱の中身、そこには靄が掛かっている。まるで浦島太郎の玉手箱だ。
僕は目を瞑った。暗闇の中でイメージはよりリアルになる。箱の中の靄が徐々に晴れて行く。雑音が消えた。靄が晴れる。
箱の中には、内側に掛けられた小さな南京錠と、小さな鍵が一つずつ。
その瞬間、足元が崩れ、僕の中の世界は壊れた。
刹那の落下の感覚。それが僕を想像の中から現実の世界に引き戻した。
目の前にはKが居て、腰に手を当てニヤニヤ笑いながら僕のことを見ていた。
僕は僅かに高まった動悸が鎮まるのを待って、一つ大きく息を吐いた。
「……箱は開けない。オカルトを信じるも信じないも、僕には分からないよ」
手にしていた箱をテーブルの上に置く。
するとKが噴き出した。笑う。「うはは」と。今までで一番大きな笑い声だった。周りのみんながこちらを見る程に。
呆気にとられた僕は、ぽかんと口を開けてKを見つめていた。
「うはははははっ、……あーいやー、ワリーワリー。はは、ゴメン。いややっぱお前おかしいよ。
 おかしいだろ?ふつー開けるだろ?はっ、うははは。分からないから、開けたくないって、マジかよ、はっは……」
よほどおかしかったのか、Kは腹を抱えて笑っている。
僕がこいつ今日初めて話したんだけど、殴ろうかどうしようか真剣に迷っていると、ようやくKの笑い地獄は収まった。
「あー、久々に笑ったわ。いやマジごめん。悪気は無いんだって。ただ、予想外の答えで面白かったからよ」
Kが箱を手に取る。
「俺よー。なんか自分と気が合いそうな奴みつけたら、この箱見せんだけどよ。さっきみたいに話しながらさ。
 そんで相手に訊くんだ。『オカルトを信じるか否か、箱を開けるか否か』 ってな。
 ……でもみんな結局は、箱を開けるって言うんだよな」
話しながらKは箱を回転させたり、軽く上に放ったり、色々弄んでから、箱の底部分に左手を、フタの部分に右手を添えた。
「そう言う時はネタばらしをすんだけど、『ごめんごめん。全部俺の嘘でした』 っつってさ。
 箱を取り返して、そいつとは縁を切る」
「……、え?」
「だーかーら、実際に箱を開けて見せるのは、お前で二人目だな、うん」
何かを問う暇もなかった。Kが「んよっ、」と妙な掛け声で気合いを入れると、
箱の蓋がまるでルービックキューブの一列だけ動かす時の様にスライドした。

96なつのさんシリーズ「Kとの出会い」4:2014/06/14(土) 01:17:09 ID:Hpd3syqU0
「え、え〜……?」
そのままKは、箱の蓋をジャムの瓶からフタを取るがごとくくるくると回す。数回転するとフタは箱から外れた。
途端に箱の中から何かが飛び出した。が、それはバネによって飛び出してきた白い紙人形だった。
紙人形は人魂のような形をしていて、足が無く、両手にプラカードを持っている。そこにはこう書かれていた。
『Welcome to Occult World!!』
「オカルトの世界へようこそ〜!」と親切にもKが訳してくれる。
見ると蓋の方に蝶番が二つともくっついていた。あれは最初から箱の方には固定されてなかったのだ。
やられた、僕は騙されたのだ。
「……ハナから嘘だと思ってるよーな奴に、ホンモンは見えねーんだよ。
 ……あ、ちなみに箱の中で音出してたのは石コロな」
そう言ってKは「うはは」と笑う。けれど、そこには嫌味だとかそういった感情は何一つ見えなかった。
再び蓋を閉じ、箱を元に戻したKが右手を僕の方に差し出す。
「握手」
僕はたっぷり躊躇って、恐る恐るその手を握った。上下左右に振り回される。痛い痛い。
「……お前、あの最初の挨拶で、学長のナナメ後ろに居た奴、……見えたろ。一人だけ全然違う方向見てたからよ」
手を握ったままKがぽつりと呟いた。
その言葉に、ああそうかと納得する。だからKは僕なんかに話しかけたのだ。
僕が、話をする学長の後ろ、ここのホールに居る『気配』 に気付いていたから。
「見えては無いよ。……なんか居るなー、くらい」
「上等上等。うはは、ま、そんなわけでさ。これからよろしくな。なんかお前とは長い付き合いになりそうだし」
何時の間にか『○○君』 から『お前』 になっているのはまあ良いとして、それにしてもと僕は思う。
小中高と友達が居なかった一番の『原因』 が、大学生になってすぐ友達が出来るきっかけになるとは。
世の中と言うものは分からないものだ。
「ところでよ、週末、街の北西にあるって言う廃病院行くんだけど、来るよな」
「え?……いや、僕、まだ足が無いから……」
「大丈夫だって。今日は『面倒臭え』 つって来てないけど、Sっていう俺のマブダチが車持ってっからよ。な、行こうぜ」
後にこのSとも僕は強烈な出会いをすることになるのだが、それはまた別の話。
気がつくと僕は廃病院行きを了承していた。

この日うっかりKの友人になってしまったことがきっかけで、僕は大学生活の中で様々な体験をすることになる。
まあその時はそんなこと知る由も無いのだがけども。
ただ、何だか面白いことになりそうだな、という漠然とした予感があったことだけは、はっきり覚えている。
それは、僕にとって今までに感じたことのない光。
やはりKは嘘つきだった。鍵はちゃんとあの箱の中に入っていたのだ。
『Welcome to Occult World!!』

「Kとの出会い」終わり

97なつのさんシリーズ「Sとの出会い」1:2014/06/14(土) 01:18:27 ID:Hpd3syqU0
大学一年生の春、僕は生まれて初めて自らの意思で心霊スポットに赴くことになった。
大学主催の新入生歓迎会で、オカルティストのKと知り合ったのがきっかけだ。
歓迎会があったその週の土曜日、深夜十時。僕は待ち合わせ場所の大学正門前でKと落ち合った。
Kの話によると目的の廃病院は、街を北西に向かい、その先の山を少しばかり上った場所にあるらしい。
もちろん歩いては行けない。
当時の僕は原付バイクの免許すら持ってなかったし、
そもそもこの歳で自転車すらまともに乗れない程の、『車輪オンチ』 だったのだけど、まあ、それはいいとしてだ。
廃病院までは、Kの友人のSという人が車を出してくれるらしい。
Sは僕と同い年で同じ学科だとKが教えてくれた。
僕はSと面識が無い。先日の歓迎会にも来ていなかった様だし、まともに会うのはその時が初めてだった。
僕はKに、Sはどういう人かと尋ねてみた。するとKは「うーん、まー、そーだなー……」と一つ間を置いてから、
「理屈好きで説教好きで頑固で皮肉屋でリアリスト」
そして可笑しそうに「うはは」と笑った。
僕は何を言えるでも無く、「ふーん……」とだけ述べておいた。
とりあえず僕の中でのSのイメージが、
一昔前の特撮アニメで出てきた白髪で眼鏡のマッドサイエンティストで固まったことだけは確かだった。
「KはS君と、前々から知り合いなん?」
「おう、小坊のころからだから、もう腐れ縁だな」
そう言ってKはまた「うはは」と笑う。
噂をすればなんとやらと言うが、Sがやって来たのはその直後だった。
正門前で待っている僕ら二人の前に、やけに丸っこいボディをした小型車がやって来て停まった。
窓が開いて、運転手が外に顔を出す。
若干細目で、髪ぼさぼさ、セットしていないのか所々寝癖の様にはねていた。この人物がSの様だ。
残念ながら白髪では無かったが、眼鏡はかけていた。
Kが僕のことを紹介しようとすると、Sは面倒くさそうに方手を振り「後でいい。とりあえず入れ。さみぃから」と言った。
Kが僕の方を向いて『だろ?』 と、そんな表情をした。僕は、なるほど、と思った。

新たに僕とK二人を乗せてSの車は走り出した。運転するのはSで、助手席に僕、後部座席にはKが座っている。
正直、今日が初対面であるSの隣よりは、後部座席の方に座りたかったのだけど、
Kが言うには、後ろは彼の特等席だから駄目らしい。
そしてKはと言うと、車が発進するや否や、二人分のシートにバタリと横になって眠ってしまった。
Kが僕とSの間を取り持ってくれると思っていたので、これは予想外の事態だった。
しばらくの沈黙。車内にBGMは無い。
「……Kから何処まで聞いた?俺のこと」
さてどうしようかと悩んでいると、Sがいきなり口を開き僕は慌てる。
「あ、それはえっと、えーとだね。……S君って名前と、あと理屈と説教と頑固と皮肉とリアリストが好きって」
しまった、間違えた。別にリアリストが好きだとは言っていなかったな。
しかし弁解する間もなく、Sは怪訝な顔をしてバックミラーを見やる。
「別に好きなわけじゃない。ってか何吹き込んでんだあの馬鹿は……」
すんませんK。僕は心の中で謝った。
「まあ、名前さえ間違ってなきゃそれでいいんだがな」
「……S君で合ってるよね?」
「ああ。それと、『君』 は要らない。Sでいい」
それから僕とSは互いに自己紹介も兼ねた会話を交わした。
初対面の時は気難しい印象を受けたのだけど、話してみれば意外とそうでも無く、
少なくともKよりはよほど常識を持った人の様に思えた、その時は。

98なつのさんシリーズ「Sとの出会い」2:2014/06/14(土) 01:19:04 ID:Hpd3syqU0
いつの間にか車は市街を抜け、山へと続くなだらかな坂道に差し掛かっていた。
しばらくその道を上って行くと、僅かな外灯の明かりの中に、その薄灰色をした建物は唐突に姿を現した。
Sがその入口の門の近くに車を停める。ここが目的の廃病院らしい。
後部座席で眠っていたKがむくりと身体を起こした。
「んふー……ふわあぁおぉえあ。んーだ?お、着いたみてーだな」
Kがドアを開けて外に出たので、それを追って僕も持参の懐中電灯を握りしめ車外に出る。
外は寒い。
門の向こうには少しばかりの駐車スペースがあるようだったけれど、
『立ち入り禁止』 の看板と共に門が閉められているので車は入れない。
門の向こうに見える建物は、昔は白かったのだろうが、灰色の外壁の表面が所々剥がれ、細い亀裂が幾本も走っている。
二階建てだった。
一階の窓や入口にはトタン板が打ち付けてあり、
山を背にしたその建物は、夜の暗さと相まって何とも言えない暗鬱な雰囲気を漂わせていた。
「……昔はなー、ここからもう少し上った場所には集落があった。
 でも、いつかの地震で大規模の地滑りが起きて、集落は無くなっちまった。
 その集落の人間が主に利用してたのが、この病院だったっつー話」
言いながら身体をほぐす様に色々動かしていたKが、
自分の手にしていたライトを一旦ズボンのポケットに差し込み、両手を自由にする。
「……ここには色々噂があってだな。それこそ今から全部紹介してたら、それだけで朝になっちまうくらい」
そしてKは門に手を掛け足を掛けて、そのままひょいと乗り越えた。向こう側に降り立ち、こちらを振り向く。
「ってなわけで。さっそく、行こうぜ」
門に貼られた 『立ち入り禁止』 の張り紙が空しく感じられる。一瞬躊躇うも僕も行くことにした。せっかくここまで来たのだ。
けれども、そこでふと気がつく。Sのことだ。Sはまだ車から出ていない。
何をしているのかと思ったその時、運転席側の窓がスライドしてSが顔を出した。
「……俺は別に、幽霊やらその類に興味はないんでな」
まるで見透かしたようなタイミングで僕に向かってそれだけを言うと、Sの首はまた車内に引っ込んだ。
ウィーム、と音がして窓が閉まる。
「あいつ、立ち入り禁止って場所には入ろうとしねーんだよな。……別にワリーことしに行くわけじゃねーのにな」
と門の向こうからKが言う。
確かに荒らしてやろうだとか、ヤクの取引場所として利用しようとか、そういう意識は無いけども。
「まあ、入ること自体が不法侵入っていう、れっきとした犯罪ではあるけどね……」
自分の口から出た言葉が、幾分自嘲気味に聞こえる。まあ、ここに来ると決めた時点で、開き直ってはいるのだが。
「ちげえよ。ちげえ。俺はちゃんと事前に役所に電話して、『入っていいか?』 て訊いたんだよ。
 そしたら、『駄目』 っつーもんだから、仕方なくこうやってな?」
「どっちにしろ入るんやったら、訊く意味無くない?」
「礼儀だよ。礼儀、いいじゃん。ほれ、いこうぜ」
Kに促され僕は門を乗り越えた。
敷地に降りた瞬間、何やら身体中を無数の手に撫でられるような感覚があった。鳥肌が立つ。
門という壁一枚隔てただけで、これほど空気が変わるものなのか。
Kもそれを感じていたのか、まるで泥棒の様にそろそろ歩きながら病院まで近づいた。
二階建ての病院は近くで見ると、先ほどより大きく見えた。夜だからだろうか。
二階の窓に一瞬何かが映った様な気がして、僕はとっさに目をそむける。
「んじゃ……、お邪魔しまーす……」とKが言った。
入口はトタン板で打ちつけられているので、その横の割れた窓から入ることにする。
おそらくは以前にここにやって来た僕らの様な人が、力ずくでトタンを剥がしたのだろう。
最初に入った先はどうやら受付をする部屋らしかった。

99なつのさんシリーズ「Sとの出会い」3:2014/06/14(土) 01:19:35 ID:Hpd3syqU0
年月のせいで黄ばんだ書類がカウンターの下に散らばっている。ここに通っていた患者の個人情報だ。
あまりじろじろ見てはいけない、と自分に言い聞かせた後で、そうした心遣いの無意味さに気付いてひとり苦笑する。
次の瞬間、文章が不自然な箇所で途切れている書類を見つけ、苦笑は止んだ。
ロビーに出る。二人分の懐中電灯の光のみが照らす病院内には、月明かりすら入って来ない。
侵入してから、二人とも未だ無言。
院内は外観に比べると比較的綺麗だった。
割れた蛍光灯の破片やパイプいすや医療器具などが散乱しているが、
有名な心霊スポットの様に壁や床への落書きなんかは見当たらない。
ただ、それが逆にこの病院が未だ『生きている』 ように感じられて不気味ではあった。
それともう一つ、音がしていた。微かだが確かに聞こえる。
Kは何も言わなかったけれど、おそらく気付いている。『キィ……キィ……』 という何か金属がこすれるような音。
僕らは二人とも、風のせいだと思いこむか、もしくは聞こえないふりをしていた。
音は二階へと続く階段から聞こえていた。ただ、Kは先に一階を見て回るつもりのようだった。

一階の手術室、レントゲン室、診察室などを順に見て回る。
どの部屋も印象深いが、特に手術室にあった緑色の手術台が目に焼き付いた。まるでまな板の様だと思った。
けれど考えてみるとそうだ。手術台は人を捌くまな板だ。台の縁には血痕の様なシミも残っていた。

一階を一通り見て回る。
他のドアは全て鍵が壊されていたが、何故か一番奥の霊安室だけは、鍵が掛かっていて入れなかった。

ロビーに戻り、そのまま僕らは階段へと向かった。
その際に、Kがぼそりと言った言葉がある。
「本番は、病室のある二階だ」
今までは前座だったのか。

二階に上がる。
……キィ、キィ、キィ……
音がする。一階に居た頃よりもはっきりと。
「……さっきから、何の音だろう?」と僕は呟く。
「……ここには、車イスの霊がでるって噂もある」とK。
何故か二人とも囁く様な小声になっていた。そして二人とも声が少し震えている。
僕はKが例え僅かでも怖がっていることに驚いていた。こういうことは慣れっこだろうと思っていた。
存外頼りないのかもしれない。ああ、そうか、だから僕を誘ったのか。Sは来てくれないから。

100なつのさんシリーズ「Sとの出会い」4:2014/06/14(土) 01:20:06 ID:Hpd3syqU0
Kの評価が段々下降修正される中、それを阻止しようとKはゆっくりと音の出所へと向かい、僕はその後ろをついて行く。
音の出所は『202号室』と書かれた病室の様だった。まだネームプレートもそもまま残っている。
井出……高橋……仲瀬川……一つプレートが空いている。ここは四人部屋らしい。
キィ、キィ、……キィ、キィ
音がする。音がしている。このドアの向こうで。
その時、ドアの前に立つKが何の前触れも無く、「……うははは」とひきつった笑い声をだした。
憑りつかれたのかと身構えるが、ただの緊張からくる笑いの様だった。
「……ノックが要ると思うか?」
「いらないと思う……」
「おーけー」
Kがノブに手を掛け、ドアをそっと押して開く。
懐中電灯二本分の光の筋が病室内を照らした。
部屋の端にそれぞれベッドが四つ。マットもシーツも枕もそのままだった。
ドアを開けた瞬間、僅かな風が頬を撫でる。
見ると、窓が割れていて室内に風が吹きこんでいる。
その風のせいで、半分天井から外れかけた蛍光灯の傘が揺れて、
ベッドの横、天井から床まで伸びる鉄製のパイプと擦れ合って、ひび割れた音を出していた。
音の出どころはこれだったのか。
ふう、と隣でKが息を吐くのが聞こえた。同様にKも僕が息を吐いたのが聞こえただろう。
病室内に入る。窓から外を見ると、門の向こうにSの車が見えた。
窓に近い方のベッドの骨組は錆つき、シーツは黒く変色している。
床や天井も幾箇所か剥げており、他の部屋は見ていないが、
おそらく窓が割れているせいで、廃れるのも早かったのだと見当付ける。
このたった四つのベッドで、一体何人の人間が息を引き取ったのだろうか。
一通り室内を見終わったらしいKが、病室を出ようとしている。
僕も入口のドアに向かおうとして、しかし、ふと立ち止まる。一瞬、懐中電灯の光が何かを照らした様な気がした。
入口から見て右手前のベッド。もう一度照らす。
ベッドの上、壁側、枕の横に何かが見えた。白を基調とした病室の中で、その色はちゃんと自己を主張していた。
僕はベッドに近づいてそれを拾い上げる。
折り紙だった。かなり変色しているが、青と、黒色。
鶴ではない。やっこさんだ。しかも袴、足がついている。二枚の折り紙を組み合わせて作るタイプのものだった。
身体が青。袴が黒。
誰かが患者のために折ったのだろうか。
そして僕は息を呑んだ。
ふと、そのやっこさんをライトで照らした瞬間気付いた。
袴の色は黒では無い。黄色だ。黄色い折り紙に、黒い文字がびっしりと書き込まれている。だから黒く見えたのだ。
『あし』
文字はひらがなでそう書かれていた。
よせばいいのに、やっこさんの袴を広げる。
やっぱりその紙には、裏表両方に隙間なく『あし』 と書かれていた。文字の大きさも、方向もバラバラだった。
良く見ると、ベッドの下に隠れる様に同じやっこさんが幾つも落ちていた。めくったシーツの中にも、枕の下にも。
割れた窓から風が吹きこんでくる。
カツン……ギギ……カツ……
半分取れかけた蛍光灯の傘が揺れて、鉄のパイプと擦れ合う音。
違う。音が違う。
僕が聞いたのはこんな音じゃなかった。
そうだ。それにそもそも、扉が閉まっている室内で僅かな風が音を鳴らしたとして、
それが一階まで聞こえて来るはずが無い。


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