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神の存在/不在と科学の範囲
181
:
diamonds8888x
:2007/01/16(火) 19:48:10 ID:h2fLyT9w
>宗教が科学の範疇であろうとなかろうとそんなことには関わらず宗教に対する発言にはもう少し気を配りましょう。もう少し宗教者の気持ちに対する配慮をいたしましょう。
まあこれは同意。結局fukkenさんの言いたいのは「言い方がきついんじゃない?」ということですよね? そうかも知れませんが、元々は科学を使う側への批判なんだし、あまり追求しても仕方ないのでは?
言い方はともかく事実認識としてはと言えば、
「宗教は分からないことについてさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえても良いことになっている」
の方は勇み足かも知れませんね。例えば啓示による知識は信なのか知なのかというと宗教と科学では見解がわかれるでしょうから。啓示を受けた人間にとってはそれは観測事実そのものでしょうなあ。他の人間に取っては伝聞ですけど。で、その伝聞はとても信頼できる人からの伝聞だからという理由で宗教的な知だと主張されたら・・・。ハイハイと言うしかないかも。
「多くの宗教者たちは、その時代の常識や科学的知識と矛盾しないように柔軟に教典解釈を変更する」という方は歴史的事実としておおむねは正しいのではありませんか? イスラムにしてもいくつかの分派が生じてますよね。これはその中の少なくとも一派以外もしくは全てが元々のマホメットの教えから教典解釈を変更していることを意味しませんか? むろん多くの宗教者が実のところは教典に忠実足らんと努力しているだろうことは想像できますが、にもかかわらず歴史的事実としてはいくつもの教典解釈が生じているわけです。で、それは別に非難すべきことでもないわけで。
実のところ、この手の断りは宗教サイトの場合だと結構きびしかったりしてね。科学なぞよりも他の宗教との妥協の方が教義的に厳しいなんてことはないのでしょうかね。例えばプロテスタント系のサイトでQA。
Q)両親は仏教徒なんですが天国には行けないでしょうか?
A)天国には行けないでしょうが、極楽には行けます。
なんて具合に宗教同士が寛容になれるなら世界平和に大いに貢献しそうなんだけど。
戦国時代の日本人のキリシタンにはデウスに出会えなかった御先祖様が天国に行けないのではないかと非常に心配した方々もいたとか。ちょっと出典は記憶の彼方ですが。
182
:
diamonds8888x
:2007/01/16(火) 20:03:03 ID:h2fLyT9w
>>162
>最初から、「正しい正しくない以前に、それは科学ではない」と言えたほうがラクだし、
それはそうです。反証可能性のふるいですぐに判定できるものもありますしね。もともとはむしろ観測問題についての理論についてなので具体的に論ずべきことだったのですが、本筋には関係なそさうですし、そのうち別スレッドで書きますから興味があればまったりとおつきあい下さい。
183
:
diamonds8888x
:2007/01/16(火) 20:38:55 ID:h2fLyT9w
>>159
>観測とか実証の可能性がなく、理論化の契機がない事象についてすら、現実世界の森羅万象がカガクの検証対象だとあのオツムてんてんは抜かしているにゃんぜ。
どこでそう言っていたのか引用して見せて下さい。私には該当個所がわかりません。
>>160
同意。検証の対象となるかどうかを判定すべきは、正確には「事象」そのものというよりは「事象が存在するという主張(命題)」なんですよね。「事象を検知した(観測した)という主張」もそうですね。
>>178
えーと、例えばこの大地は日本神話にとっての検証(というか解釈というか)の対象であり、創世記にとっても解釈の対象であり、同時にまた科学の検討対象でもある。で間違っていないのでは?
んで、それぞれの知の体系におけるそれぞれの理論や解釈は互いに尊重しましょうよ、ということでは紳士協定があるということだと思うのですが。macskaさんの発言がその紳士協定に触れたように見える、ということで紛糾してるんでしょうけど。元々macskaさんが問題としているのは科学の側なんですから、日本神話や創世記の知の体系に関して無知であっても論ずることに差し支えはないように思えます。
171より引用
>わたしが文句を言っている相手は科学の側(の一部に見られる科学的思考の不徹底)であることがどうして分からないのかな。
184
:
地下に眠るM
:2007/01/16(火) 22:03:00 ID:cizMQ0FI
>他人を無知呼ばわりする前に、ちょっとは自分で調べましょう。出エジプト記 31:12-14 によれば、安息日を破った罰は死刑だと神様が直接モーセに伝えています。
とりあえずここだけレスしておくにゃ。
出エジプト記20:10七日目は、あなたの神、主の安息日であるから、いかなる仕事もしてはならない。あなたも、息子も、娘も、男女の奴隷も、家畜も、あなたの町の門の中に寄留する人々も同様である。
出エジプト記31:14安息日を守りなさい。それは、あなたたちにとって聖なる日である。それを汚す者は必ず死刑に処せられる。だれでもこの日に仕事をする者は、民の中から断たれる。
出エジプト記31:15六日の間は仕事をすることができるが、七日目は、主の聖なる、最も厳かな安息日である。だれでも安息日に仕事をする者は必ず死刑に処せられる。
20:10が十戒のいわば「本文」だにゃ。ここから、安息日規定は実は弱者保護を意図したものだと解せられるにゃ。
31:14では、安息日を穢すものは死刑、仕事をしたものは追放とあるにゃ。
31:15では、安息日に仕事をしたものは死刑とあるにゃ。
最初からニンゲンの側の解釈の余地がある記述だということは明らかにゃんけどな。
(引用するなら前後もちゃんと引用してほしいもんだにゃ)
安息日の意義を穢すものは死刑であるということはまず共有される解釈だろ。
しかし、例えば病人を看護するといったようなことは安息日にも必要なことであることは論をまたにゃー。事実、ラビたちの会議で、人命保護のためなら安息日の労働は許されるという見解が世俗化以前にでているにゃ。
まあ、弱者保護という法の意義を勘案すれば当然の結論にゃんがね。これは世俗化において「テキトーに」読み替えた結果ではなく、本来の趣旨から導かれる結論であり、もともとニンゲンの側の解釈に委ねる部分のある規定であることは明らかにゃんね。
185
:
macska
:2007/01/16(火) 23:41:29 ID:VdHL1C4M
>>180
> あなたの発言からすると、
> 「宗教は現実世界の知りもしない、わかってもいない事について発言すべきではない」
> また
> 「科学の進歩と合致するように都合の良い所は解釈を変更するのがずるい」
> のですね?
>
> macskaさんの考える理想的な状態とは、
> 「宗教の教義や聖典が、「現在の科学が認める現実世界」に反する部分を捨て、
> もしくは寓意にすぎないと解釈しなおし、二度と現実について語らない」
> ことですか?
どれも、わたしの主張とは全然違います。
基本的に、わたしが批判しているのは科学の側ですから、それをご理解ください。宗教に対する注文はほとんどつけていません(「信じている」と「知っている」の区別をちゃんとつけてほしい、くらいは言いました)。
>>184
だからですね、あなたは「神様からモーセに与えられたのは安息日の規則だけであり、違反者は死刑というルールはニンゲンが勝手に決めたもの」としてわたしを無知だと攻撃したでしょ。
それに対し、「いや、安息日を破った場合の刑罰は神様が決めた(ことになっている)ものですよ」とわたしは具体的なソースを元に反論したわけだから、まずあなたは自分の間違いを認めなくちゃいけない。
安息日に関して死刑を神様が支持した箇所は他にもあります。例えば民数記 15:32-36 では安息日に木片を集めていた男が捕まり、どう罰するかについてモーセが神様にお伺いを立てます。神様は「その男は死ななければならない」として、共同体全員による投石による死刑を命じます。聖書の記述によればこれは神の決定であり、ニンゲンが独自に解釈したことではない(ことになっている)。
なお、地下に眠るMさんは「安息日でも病人を看護するのは良い」といったような見解が生まれたことを「弱者保護という法の意義を勘案すれば当然の結論」として、規則から導き出される合理的な解釈であるとしていますが、全てがそのように説明がつくわけではない。
例えば、安息日の規則のディテールとして、出エジプト記 35:1 において「安息日には住居に明かりを灯してはいけない」と書かれています。この規則の意図が何だかわたしには分かりませんが、この記述をそのまま信じる人は現代にもかなりいて、安息日には照明のスイッチにさわらないようにして生活しています。
ところがそういう人が安息日には照明を使わないのかというとそうではなくて、タイマー式に自動的に明かりが付いたり消えたりする装置や人の気配を察して明かりが付くような装置を使うなどしている人がたくさんいます。あるいは、安息日は電化製品をつけっぱなしにしている人も多い。さらには、照明は付けっぱなしにしておいて、それを何かで覆い隠すことでスイッチを切り替える代わりとしていたりする(こうなると、スイッチを使うのとどこが違うのかもう分からない)。
そしてこれらの方法は、現代のラビたちによって「安息日の規則に従っている」と認定されているのですが、どうしてスイッチを入れたり切ったりするのがダメで、照明をつけたままにしておいて明かりが邪魔なときにそれを覆い隠すのは良いのか、聖書の記述からはとても正当化できないでしょう。傍目からは、信仰と現代的な生活を名目上両立するために捻り出した苦しい言い訳のように見えます。
一応言っておくと、わたしはそれが悪いと言っているわけじゃないんです。
そうじゃなくて、世俗化した宗教というのはそういうものだと言っているわけ。
186
:
fukken
:2007/01/17(水) 02:31:48 ID:M5vfENrY
>>179
肝心なことへの回答がないので苛立ちましたが、考えてみれば大勢を相手にして大変ではありましょうね。
罵声を浴びせたことについてはお詫びします。
ですが、故意にはぐらかしているのだとしたら、今後はお止めください。
>「事実なのかそうでないのか」はっきりしろ、というのではなく、あなたの批判が「事実に反する」というものなのか、それとも「事実であっても言うべきではない」という主張なのか、どちらかはっきりして欲しい、と言ったのです。
少し元の文と変わっていますね。
「事実であっても・・・」でなく「事実だけれど・・・」です。
「であったとしても」と「であるが」では大分意味が違ってきますよ。
「(死後の世界だとか人生の意味だとかいう問題については)宗教には全く何もわかっていない」
と言うあなたの断定した一文について、
これが「事実じゃない」と言っているのか、「事実だがそんなこと言うべきじゃない」と言っているのか?どちらかはっきりしてくれ。
と質問されたわけですね、つまり私は。
で、既に答えているように、私は最初から「それが事実かどうかわからない」と何度か明言しています。
そして貴方自身も「そう思っているだけ」であることを表明しました。
>>165
つまり、この時点で、それが事実であるか否かなど議論すること自体が全く無意味であるという結論は出ているわけです。
そして私は、宗教者は「(死後の世界等を)信じている」のだから、そこに踏み込んだら信と知の区分を標榜する貴方にとってダブスタとなりますよ。と結論しています。
それに対して不当な対等論だとか言って難癖付けられたと思ったので、
上記をダイジェストで示して差し上げたわけです。
その際、どうでもいいナンセンスな質問を、簡単に「事実なのかそうでないのか」って言ったまでです。
これでいいですか?
#けど、そのまま「事実なのかそうでないのか」としたって、(冒頭の)「事実であっても・・・」と「事実だけれど・・・」の差ほども意味の違いは生じないよね。
>>にも関わらず、macskaさんは「(死後の世界があるかどうか)宗教には全く何もわかっていない」と言い切ってしまっている。
>だって、そうでしょう?
>宗教ではさまざまな信仰はあるでしょうが、たしかな知識を持っているわけではない。
>空からのおろしたフックはあっても、下から築き上げるためのクレーンはないでしょ。
科学は(死後の世界の存在を)検証出来ない。もちろん、macskaさんにも。
で、知りもしないことをどうして断言できるのですか。と聞いているのです。
宗教者には「知らないことを知っていると言うな」と言っておきながら。
宗教者は死後の世界を語っても良いのですよ。”信じてる”のだから。もしかしたら本当に”知っている”可能性だってゼロではない。
科学に検証できることについて宗教者がいい加減なことを言った場合は文句を言うこともできるでしょうけど、科学で確認できないことは宗教者が何を言ったって我々には何も言えないでしょう。
>>まず、「どんなに不合理な信仰でも”信じる”と言う分にはそれを認める」と言うのがmacskaさんのこれまでの主張。
>>それからすると、「宗教者が死後の世界があると信じている」と言う事実をもとに、死後の世界が宗教の”信”の対象であると認めなければならない。
>そうですよ。信仰は尊重します。
>しかし、信じればそれが事実となるわけではないでしょ。
事実と言うのは何のことでしょうか。
死後の世界の存在の事実と言うことでしょうか。
宗教者が「死後の世界はある」と言ったとしてもそれは信仰ですから、必ずしも事実である必要はないでしょう。事実であるかも知れないしないかも知れない。
macskaさんが死後の世界のないことを明確にしない限り、それを否定することは出来ませんね。
187
:
fukken
:2007/01/17(水) 02:32:53 ID:M5vfENrY
>>181
>結局fukkenさんの言いたいのは「言い方がきついんじゃない?」ということですよね? そうかも知れませんが、元々は科学を使う側への批判なんだし、あまり追求しても仕方ないのでは?
途中でも一度diamonds8888xさんにレスしたかと思いますが、私は一貫して、不確かなことをわかった風に断言して、宗教を侮辱するような発言をしたmacskaさんに「そんなこと言っていいの?根拠はあるの?」って問い続けているだけなんですけどね。
それをのらりくらりされ続けているものですから。取り下げなり訂正なり、何らかの釈明があればすぐ引きます。
それと、私自身は無信論者ですし皆さんのように宗教に関する知識もありませんが、しっかりとした宗教を持つ友人と良く話すものですから心情的に入れ込むところはりますね。彼らがmacskaさんに侮辱を受けた気持ちにもなるものですから。
>「多くの宗教者たちは、その時代の常識や科学的知識と矛盾しないように柔軟に教典解釈を変更する」という方は歴史的事実としておおむねは正しいのではありませんか?(中略)で、それは別に非難すべきことでもないわけで。
私は「それは本当か?」と聞いていただけで、macskaさんがそう言ったこと自体は一度も非難していないはずです。
>>148
罵倒によって大分心象悪くされた方多いと思いますが、
>>76
以降の私とmacskaさんのやりとりをじっくりご覧になれば、多少なりとも私の立腹をわかってもらえると思いますし、そうして先入観を取り払っていただければこのような誤解もなくなるのではないかと思います。
別に読んでくださいと言っているわけではなく、それだけ自分の主張に自信を持っていると言う意思の表明です。
188
:
macska
:2007/01/17(水) 03:23:27 ID:VdHL1C4M
>>186
> 少し元の文と変わっていますね。
言い換えた時に、意味が少しずれてしまいました。
でも、どちらに取られても結構です。
> で、既に答えているように、私は最初から「それが事実かどうかわからない」と何度か明言しています。
> そして貴方自身も「そう思っているだけ」であることを表明しました。
>>165
「そう思っている」とは書きましたが、「そう思っているだけ」(つまり、そうわたしが信じているほかに何の根拠もない)とは表明していません。つまり、「科学にわからないことは、宗教にもわからない」とわたしが言うとき、それはそれなりの根拠をもって言っています。
根拠というのは、人間は現実世界の外側にあるとされるものごとについて、何ら知覚する能力を持たないからです。死者しか行くことができない「死後の世界」というものが仮にあったとして、それが生者の世界とは完全に切り離されているのであれば、そうした「死後の世界」についてわたしたち生者が何らかの確かな知識を得ることは原理的にできないはずです。確かな知識どころか、確率としてすら何ら把握できない。
科学の手法によっては知覚不可能なそうした世界について、宗教の手法を使えば確かなことが分かるのでしょうか? もしそれを主張する宗教があるならわたしも入信したいところですが、実際のところ宗教にできるのは「信じること」だけではないでしょう。そして、もちろん宗教はそれを恥じる必要はありません。むしろ「信じている」だけのことを「知っている」と言い換える方が恥ずかしいことでしょう。
> 科学は(死後の世界の存在を)検証出来ない。もちろん、macskaさんにも。
> で、知りもしないことをどうして断言できるのですか。と聞いているのです。
死後の世界の存在は、わたしには知りようがないし、断言もできません。
しかし、その事について宗教がわたしに比べてより確かな知識を持っていないことは、断言できます。
宗教をやっている人たちだって同じ人間なんですから。
> 科学に検証できることについて宗教者がいい加減なことを言った場合は文句を言うことも
> できるでしょうけど、科学で確認できないことは宗教者が何を言ったって我々には何も言
> えないでしょう。
いや、別に宗教者に対して何か言えということじゃないんですが。
ただ単に、宗教者が人知の及ばない物事について何かを言うとき、それは宗教を知らない一般人より何か確かな知識を持って言っているわけじゃないんですよ、ということを指摘しているだけ。
> macskaさんが死後の世界のないことを明確にしない限り、それを否定することは出来ませんね。
だから、信仰を否定したことはこれまで一度もありませんって。
どうしてアンチ宗教にされてしまうのかなぁ。
189
:
macska
:2007/01/17(水) 03:25:09 ID:VdHL1C4M
>>188
× 実際のところ宗教にできるのは「信じること」だけではないでしょう。
↓
○ 実際のところ宗教にできるのは「信じること」だけではないでしょうか。
190
:
すらりん
:2007/01/17(水) 04:13:23 ID:Fc.S231Y
はじめまして。
ここの議論を面白く読ませてもらっています。
>だから、信仰を否定したことはこれまで一度もありませんって。
>どうしてアンチ宗教にされてしまうのかなぁ。
fukkenさんも書いてますけど
やっぱり宗教を揶揄するような言い回しに引っかかる人が多いんじゃないですかねー。
それからドーキンスはアンチ宗教ですけど、
macskaさんはドーキンスの主張にかなり影響を受けているんじゃないかという気もしますし。
191
:
すらりん
:2007/01/17(水) 04:15:11 ID:Fc.S231Y
>だから、信仰を否定したことはこれまで一度もありませんって。
>どうしてアンチ宗教にされてしまうのかなぁ。
↑これは
>>188
からの引用です。失礼しました><
192
:
谷庵
:2007/01/17(水) 04:16:41 ID:???
何であれ、信じている者にとっては事実なんですよ。
問題行動に結びつかない限り、放っておけばいいのです。
ことさら口を挟む人がいれば、アンチ宗教と見られても仕方がないでしょうね。
また、優れた芸術家や職人は信じられない感覚を持っています。
優れた宗教家であれば、死後の世界のことも判るのかも知れませんよ。
実際に私がそのように考えているわけではありませんが、完全に否定できるだけの自信がないことも事実です。
「その事について宗教がわたしに比べてより確かな知識を持っていないことは、断言できます。
」というmacskaさんの自信がどこから来るのか、私には疑問です。
193
:
tema
:2007/01/17(水) 08:29:15 ID:???
>>168
HAKASEさん、はじめまして。temaと申します。
>言葉の問題なのかもしれませんし現状では研究レベルの話かもしれませんが,*上記の意味では*偶然に起こると思われる物事も科学的手法で扱う対象のひとつだと思います.
ここらへんの記述は、地下に眠るMさんの以下の記述に対するものだと認識してます
>>77
>カオス理論とかいうものがあるだろ?
>蒙古襲来のカミカゼの原因が、その半年前に地球の裏側で蝶がはばたいたことにあるのが直接の原因だとするにゃ。
>そして、その蝶のはばたきは蝶の神経系における量子力学的な確率事象に関する神の干渉であったとしたらどないよ?
>いや、蝶のはばたきの原因が150億年前のビッグバンにおける何らかの介入に端をはっするものだとしたら?
地下に眠るMさんが忙しそうなので、横レスします。
>>77
の記述においてカオス理論は、ミクロな事象をマクロに拡大するために使われており、そこは主題ではありません。
主題はあくまで、量子力学における波束の収束であり、ビック・バン時(またはビッグ・バン以前)のことです。この2つについて(少なくとも前の方は)科学は原理的に手が出せない、とtemaは考えています。というより、手が出せないということを原理にしているのでしょう。
まぁ、主題では無いのに「カオス理論とかいうものがあるだろ?」で書きはじめるのはどうよ、という事はあるかもしれませんが、そこまではHAKASEさんも求めますまい。
194
:
tema
:2007/01/17(水) 08:30:31 ID:???
>>176
fukkenさんへ
聞き届けていただき、ありがとうございます。
195
:
fukken
:2007/01/17(水) 11:31:24 ID:M5vfENrY
>>188
>「そう思っている」とは書きましたが、「そう思っているだけ」(つまり、そうわたしが信じているほかに何の根拠もない)とは表明していません。つまり、「科学にわからないことは、宗教にもわからない」とわたしが言うとき、それはそれなりの根拠をもって言っています。
元の
>>165
を見てもらってもその次の文章を読んでもらってもわかるはずなのですが、「そう思っている”だけ”」と言ったのは、貴方が知っているのか否かに焦点を中てるためです。
貴方は”知・ら・な・い”のですよ。↓自分でもちゃんとわかっているじゃないですか。
>根拠というのは、人間は現実世界の外側にあるとされるものごとについて、何ら知覚する能力を持たないからです。死者しか行くことができない「死後の世界」というものが仮にあったとして、それが生者の世界とは完全に切り離されているのであれば、そうした「死後の世界」についてわたしたち生者が何らかの確かな知識を得ることは原理的にできないはずです。確かな知識どころか、確率としてすら何ら把握できない。
そう考える貴方自身には確実にそれは言えることでしょうが、他人のことは貴方にはわからんのではないですか。”はず”なんて言っている内は、何の論拠にもなりませんよ。
そんなこと自覚出来ているんでしょう。
貴方程の人がご自分のダブスタを認識出来ていないはずだってないのに、こんな不毛な論争を続けようとするのは何故でしょうね。
>科学の手法によっては知覚不可能なそうした世界について、宗教の手法を使えば確かなことが分かるのでしょうか?もしそれを主張する宗教があるならわたしも入信したいところですが、実際のところ宗教にできるのは「信じること」だけではないでしょう。そして、もちろん宗教はそれを恥じる必要はありません。むしろ「信じている」だけのことを「知っている」と言い換える方が恥ずかしいことでしょう。
宗教者が「死後の世界がある」と言ったとして、それは知っていると言ったことになるのですか?
宗教者の信仰なのですよ。
”信じている”と考えるべきところを、勝手にそう解釈し、自分だって知らないことを断定的に「いや、わかっていない」なんて言うことの方が余程恥ずかしいことだと思いますけど、私は。
>死後の世界の存在は、わたしには知りようがないし、断言もできません。しかし、その事について宗教がわたしに比べてより確かな知識を持っていないことは、断言できます。宗教をやっている人たちだって同じ人間なんですから。
宗教者は知っているのでなく”信じている”のです。
それに「宗教をやっている人たちだって同じ人間なのだから、〜のはずがない」という理屈は、所詮貴方の憶測に過ぎないでしょう。「断言できます」なんて言えるのならその確かな証拠を示してください。
そのような常に自分を基準とした論理だと、宗教を認めると言いながら、科学で観測できる事象以外を認めることは一切できなくなるんじゃないでしょうか。
と言うより、「断言できます」なんて言われちゃうと、自分の”信じる”こと以外は認めないんじゃないかって疑いたくなる。
>>科学に検証できることについて宗教者がいい加減なことを言った場合は文句を言うこともできるでしょうけど、科学で確認できないことは宗教者が何を言ったって我々には何も言えないでしょう。
>いや、別に宗教者に対して何か言えということじゃないんですが。
>ただ単に、宗教者が人知の及ばない物事について何かを言うとき、それは宗教を知らない一般人より何か確かな知識を持って言っているわけじゃないんですよ、ということを指摘しているだけ。
そうではなく、あなたが自分の領域を踏み越えて行って「宗教はご都合主義」「宗教者は詭弁者」と受け取れるような発言をしてしまったことを問題視しているのです。
そして宗教に対する貴方自身の主張によって、それが言い訳の余地のない過ちであることを立証してしまった。
論理的に貴方はそれを撤回せざるを得ない状況に追い込まれているのです。
しかし、”自分の非は絶対に認められない病”に罹患している貴方はこうして恥ずかしい真似を繰り返しており、その症状に中てられ私も持病の”往生際の悪い輩は罵倒したくて仕方がないシンドローム”が悪化しているといったところでしょうか。
196
:
fukken
:2007/01/17(水) 11:32:40 ID:M5vfENrY
>>188
>>macskaさんが死後の世界のないことを明確にしない限り、それを否定することは出来ませんね。
>だから、信仰を否定したことはこれまで一度もありませんって。
>どうしてアンチ宗教にされてしまうのかなぁ。
良く読んでもらえればわかるはずですが
>>186
、それというのは、「宗教者が死後の世界を主張する」
こと(信仰)を指します。貴方がそれを否定したから議論が始まっているのです。
あなたにはアンチ宗教の匂いを強く感じますが、ここではそんなことは全く主張していません。
197
:
地下に眠るM
:2007/01/17(水) 12:15:50 ID:VNlqTVDw
>>185
ユダヤ・キリスト教が世界的にみて特異な宗教であることは先日の投稿で述べたにゃ。
そして、逐語的解釈をするというのはその中でもまた特異なウルトラ馬鹿の一派なのだにゃ。聖書の逐語解釈というのは、特異な宗教の中でもさらに特異なウルトラ馬鹿一派であるということを肝に銘ずることだにゃ。(そして、特異中の特異なウルトラ馬鹿一派が、最大の軍事力をもっているという恐ろしい状況がある)
こうしたウルトラ馬鹿一派を除けば、教義にはニンゲンの解釈の余地が必ず入るというのは当然のことなのだにゃ。成文律法に対する解釈である口伝律法があることから、ユダヤ教は逐語解釈などという白痴的な真似をしてにゃーことは明らか。
しかも、ことは法の施行という極めて現実的なことだにゃ。どの国の刑法の量刑だって、情状の酌量をしてにゃーところなんてにゃーわけだ。これは立法の趣旨を考慮すれば当然のことだにゃ。宗教においても、逐語解釈という立場をとらにゃー限り、趣旨を解して施行するというのはアタリマエなの。現実の罰はニンゲンの手に委ねられているのだにゃ。
事実、出エジプト記においても安息日の労働は追放と死刑の矛盾した文言が連続するわけで、最初からニンゲンに解釈の余地があるように書かれているにゃ。
「教義通りではないからテキトーだ」という物言いは、逐語解釈を標榜する一派に対しては有効だにゃ。しかし、逐語解釈などというバカな真似をしていにゃーほとんどの宗教に対しては、因縁をふっかけているだけのことなんだにゃ。もともとの教義の趣旨をねじ曲げてまで牽強付会の解釈がなされていたら、それは「テキトー」であるといってもいいけれど、教義をきっちりと検討することは必要になってくるわけ。
チミの出した「灯」の例だけど、合理的な解釈としては、火の管理にはほぼ必ず何らかの労働がともなうことを前提として、家内における奴隷(あるいは女性)の使役を禁じるためのものだといえにゃーかな? 電気による灯が一般化した現在では、そのあたりの趣旨は無意味になったけど、成文律法をむげにはできにゃーので、どういう場合は許されるのかをいちいち指標をだしている、というあたりではにゃーかと愚考するにゃ。
ただ、罵倒修辞に気がとられ、ロジックの部分でmacskaの主張するように読まれても仕方のにゃー表現になっていたことは認めますにゃ。罵倒修辞学の徒として許されにゃーミスだ。ごめんね。
しかし、特異なユダヤ・キリスト教の中で、さらに特異に馬鹿な逐語的教義を標榜する宗教を仮想敵にする場合になら有効なロジックを、他の宗教に対してふりまわすのは、やはりチミがわかってにゃーからだとあらためていっておく。
いままでmacskaがいっていた言明は、逐語主義的馬鹿キリスト教に対するものなのであれば、僕はその多くを了解致しますにゃ。それにしても方法論として文句はオオアリだけど。
198
:
地下に眠るM
:2007/01/17(水) 12:17:12 ID:VNlqTVDw
さて、宿題のつづき
>>104
より
>ある問いに対して特化した体系が、その問いに対する答え(=知)を独占するのはアタリマエのことにゃんね。
>だから、その独占された知の正しさに疑問があるというのなら、その体系を丁寧に学んでみなければならにゃー。それもせずに、学ぶ気もにゃーくせに「肯定論者に立証義務があります」とかのたまってふんぞりかえるのは傲岸で無礼でかつ頭のワリイことですにゃ。
>僕はもちろん、macskaクンのことをいっているにゃ。
>宗教における知の体系というと、神秘主義がまず思い浮かぶにゃんね。スーフィーとかヨガとか禅とかいう体系には、修行者がいまどのくらいのレベルにあるかについては、先達がちゃんと判定できるということですにゃ。客観的な基準はあるらしい。客観的な基準はあっても体験者でなければわからにゃー。権威ある科学誌の査読はそれなりの科学者でなければつとまらにゃーのと同じことにゃんが、なにせ実際の体験の比重がカガクなどよりはるかにおおきい体系であるちゅうことは肝に銘じておかなければならにゃー。
>こういう体系に対して、ソトから気楽に、どーせわかってない、とか、信じてるだけ、とか放言して、否定する対象についての無知と傲岸さを宣伝するという行為。
>恥ずかしくにゃーのだろうか?
>掲示板によくやってくるシンカロン否定にこりかたまったウスラ馬鹿と何が違うんだろうか?
>>110
より
>「神の存在を否定できるものなら否定してみろ」という言いがかりが、その「第一掲示板によく出没する馬鹿」が述べる頭のワリイ論法の1つであることが、あなたには分かりませんか?
>わたしはその言いがかりに対し、立証責任は「神が存在する」と主張する側にあるという、スタンダードな回答をしているだけですよ。なぜ存在側に立証責任があるかというと、不在を証明するには世界の全てを調べなければいけないので原理的に不可能であることや、宇宙軌道にあるティーポットや空飛ぶスパゲッティモンスターのようなばかげたモノですらその不在証明はできないことから、当たり前です。
>わたしは神一般の存在を否定したことはないし、否定する論理も持ち合わせていませんが、それはスパゲッティモンスターを否定できないのと同じだけであり、「神の存在を否定できないこと」は神の存在可能性を少しも高めることにはなりません。神の存在可能性を高めることができるのは、神が存在するのではないかという肯定的な証拠だけです。
>こうした思考法が「第一掲示板によく出没する馬鹿」と区別できないとすると、本当に頭のワリイのはあなたでしょうね。てゆーか、思い切り傲岸で無礼だし。
禅・ヨガ・スーフィーなどの神秘主義においてはそもそも一神教的な特異な神概念なんてもってにゃー。だが、彼らは知の体系を持っていると主張しているにゃ。元レスでも「修行者がいまどのくらいのレベルにあるかについては、先達がちゃんと判定できるということですにゃ。客観的な基準はあるらしい。」と書いてあるにゃ。そして、その知は「実際の体験の比重がカガクなどよりはるかにおおきい体系」なわけにゃんね。
しかし
カガク理論がいくらひらかれたものであるといっても、それなりの才能がそれなりの努力を払わにゃーと理解できにゃーものも多いわけだにゃ。数学がまるでダメだったら、量子力学や相対論はもちろんのこと、集団遺伝学なんかもまるで理解できにゃー。語学もひらかれたものにゃんが、外国語の習得には多大な努力と時間が必要だにゃ。いかなる知の体系においても、それなりの才能が努力と時間を投資して、はじめて一定の知を獲得できるということはかわらにゃーのだ。
ここのところを否定できるものはいにゃーだろう。
元レスで僕は知の体系としてある種の神秘主義があり、それは体験に重きをおくものであるが同時に客観的な基準をもっていると書いたにゃ。つまり、そこではある種の客観的な知が立証されているということなんだよ。こんな読みはアタリマエだろうに。
シンカロン否定のウスラ馬鹿は、その知が立証されているといってもそれを学ぼうともせずに否定するばかり。それは否定したいから否定しているだけの悪意に基づく白痴的所業だにゃ。ちょうど第一掲示板にもきてるけどね。愚昧イッツセルフってとこだにゃ。
macskaの言動も全く同じ。
これは、macskaは基本的な読解力がにゃーということを示すに足る例だと考えるので、宿題の2つめは終わりかにゃ。
付け加えておくと、心理学者のユングは晩年にBBCテレビのロングインタビューに応じているにゃ。最後の質問で「あなたは神を信じますか」と問われて「信じているのではありません。知っています」と答えていますにゃ。
199
:
macska
:2007/01/17(水) 13:43:27 ID:UfRlMoOA
>>190
> fukkenさんも書いてますけど
> やっぱり宗教を揶揄するような言い回しに引っかかる人が多いんじゃないですかねー。
言い回しというか、「穏健な」宗教者と科学者やその他一般の人たちのあいだで、紳士協定的な「住み分け」がある程度なりたっているわけですよね。そしてわたしは、その「住み分け」の内容が不当であるとして、主に科学の側を批判しているわけです。ところがそのことが宗教を攻撃しているかのように解釈されたので、わたしはそれはわたしの本意でないと何度もことわっています。それでも引っかかるとなると、紳士協定に疑問を抱くこと自体がいけないと言われているような気がするのですが、そうであれば意図ではなく論理を正面から批判していただきたいです。
> macskaさんはドーキンスの主張にかなり影響を受けているんじゃないかという気もしますし。
ドーキンスだけじゃないですが、影響はあるでしょうね。
しかし、ドーキンスは別として、わたしはアンチ宗教では決してありませんよ。
# 個人的に、かれのイスラム教に対する発言にはかなり危ういものを覚えます。
# かれは政治にはあまり関心がないのかもしれないけれど、欧州の一部で最近目立って
# きた「リベラルを標榜する排他主義的極右勢力」に利用されかねないのでは。
>>195
> そう考える貴方自身には確実にそれは言えることでしょうが、他人のことは
> 貴方にはわからんのではないですか。
いや、言えるでしょ。論理的に。
あるモノが人間の知覚(器具など含む)で認識できるものであれば、それは科学的探求の対象となり得るはずです。しかしここでは「死後の世界」はそうした探求を全く受け付けないモノとして想定されているわけで、それを人間が知覚できると言い出すとおかしなことになってしまう。
> 宗教者が「死後の世界がある」と言ったとして、それは知っていると言った
> ことになるのですか?
なりません。それは「死後の世界があると信じている」という意味に解釈できます。
わたしは、宗教者が「死後の世界がある」と主張することを、何ら、全く、一度も、否定もしくは批判していません。
どうしてそんなにわたしの発言をアンチ宗教に読み替えなくちゃいけないのかな。
わたしは宗教の批判なんてほとんどやっていないのに。
> 宗教者は知っているのでなく“信じている”のです。
そうです。だから、「知っている」と言わなければ全く問題ありません。
> そうではなく、あなたが自分の領域を踏み越えて行って「宗教はご都合主義」
> 「宗教者は詭弁者」と受け取れるような発言をしてしまったことを問題視して
> いるのです。
まず、わたしはそうは言っていない。というか、少なくとも非難の意味で言ってはいない。それが「宗教を叩いている」と受け止められたことについては、何度もそうではないと釈明しているわけで、どれだけ言えば分かってもらえるのかな。それとも、「わたしは非難するつもりはなかったけれど、結果として傷ついたならゴメン」とでも言えばいいんでしょうか?
> 論理的に貴方はそれを撤回せざるを得ない状況に追い込まれているのです。
どの言明を撤回すべきか、具体的にご指摘ください。
「〜と受け取れるような発言」と言われても、そういう受け止め方が真意に反するものであることは再三説明していますから、誤解によって「受け取られたメッセージ」は既に撤回したも同然でしょ。
>>196
> 良く読んでもらえればわかるはずですが
>>186
、それというのは、「宗教者が死後の世界を主張する」
> こと(信仰)を指します。貴方がそれを否定したから議論が始まっているのです。
わたしは信仰を一度も否定していません。「宗教者が死後の世界を主張すること」を一度も否定、批判、非難、その他否定的に評価したことがありません。
200
:
macska
:2007/01/17(水) 13:43:56 ID:UfRlMoOA
>>198
わたしの一番最初の発言 (
>>1
) から見れば分かると思いますが、わたしは「神様」と一般の呼ばれるものが多種多様に渡ることを、誰よりも自覚しているからこそ、「神様についてのQ&Aの記述は、ある特定のタイプの神様には当てはまるが、他のタイプの神様には当てはまらないのではないか」という主張をしたわけですよ。わたしが指摘するまで、そのことに誰も気付かないでいたくらいです。
そのわたしをつかまえて、macskaは世界の中でも特異なユダヤ・キリスト教の神しか想定していないとか、そのユダヤ・キリスト教の教義についてすら無知だとか(この点は撤回されたのかな?)、さんざん言いがかりをふっかけるだけなのは何とかして欲しいな。罵倒に夢中になって自分の無知を自ら暴いてしまうなんて、非常にカッコ悪いよ。
> 「教義通りではないからテキトーだ」という物言いは、逐語解釈を標榜する一派
> に対しては有効だにゃ。しかし、逐語解釈などというバカな真似をしていにゃー
> ほとんどの宗教に対しては、因縁をふっかけているだけのことなんだにゃ。
つまりさ、あなたは宗教における教典の扱いについて、わたしと全く同じことを言っているの。そうでしょ? 普通、宗教では逐語解釈などしない(それをしていると標榜している一派も、実際には程度問題)、時代の流れや科学の進歩に応じて解釈を変えている、と。わたしの言った通りじゃん。
あなたは、わたしがそう書いたとき、それは宗教に対する非難であると勝手に誤解して、いきり立っているわけでしょ。たしかに、ちょっと皮肉っぽい表現ではあったし、そういう誤解を招きかねない書き方だったことは認めてもいいや。でもわたしは、非難や批判の意図はない、宗教とはこういうものであるという自分の見解(あなたの書いているものとほぼ同じです)を述べただけだと何度も釈明しているんだから、いい加減それを理解してくれても良さそうなものだと思うけどな。
201
:
NAN
:2007/01/17(水) 15:06:44 ID:op1ePviI
私的に公的に忙しいし、時折思いついたことを書くだけで参加は無理!と思っていた(いや、今も思っている)んだけど、なんだかむっちゃ錯綜してるし双方(この場合は単にmacska氏側とほかの参加者というカラー分けでいいかな)がぶつかっているのか平行線なのかも良く分からない。
で、こういう場合「振り出しに戻る」のが得策と思うので私なりに長くなったこのスレを1から読んでみると…
>1
>この記述ですが、「神がいるかどうかという問題は科学の範囲外」という言明が常に正しいとは思いません。
については、まぁ「どんな神だろうと云ったもん勝ちで科学の範囲外=検証も批判もされないってのはおかしいだろ?」という主張であれば頷ける。ここで「範囲外」から「範囲内」に引きずり出されるのは、現代社会においては恐らく「シンコーシューキョーのキョーソ様=イキガミ様」だとか「ウラナイ師」だとか「オカルト政治団体」とか「オカルト詐欺集団」とかイロイロある。であるのなら、その辺はも少し具体的に書いたほうがヨカったんでないかい?という後悔はともかく…問題はこの後で、
>3
にある
>例えば、伝承によればモーセという人は海を割ったとか、
>イエスという人は水をワインに変え、死者を蘇らせたとか。
>あるいは、マリアが処女であるにも関わらず懐妊したとか。
>これらの「奇跡」は古い時代の話なので検証するに足るだけの証拠がないですが、
>もし証拠が発見されれば、例えばイエスの DNA が発見されれば、
>それは原理的に科学的検証を受け付ける現象であるはずです。
↑なんていう記述からすでに争点が浮き彫りになってるよね。これは>4にあるミケ氏の突っ込みにはじまり私も>19くらいで最初の介入したりしてますが、なんかもうそのあたりですでに「本来の議論」と「枝葉の議論」の比重がひっくり返っている。に関わらずここまでスレが伸びてなお罵倒修辞が飛び交っている現状は、>1におけるmacska氏の主張に頷ける私から見ても、続いて繰り出した>3あたりの記述に問題があるからであり、この部分に「果たして自分はまったく無謬であると言い切れるのか」という自問をしてもらわんことには、解決不能と思うですよ。
少なくとも>3の記述を読む限り、macska氏が「神をなんでも科学の範囲外にするのは間違いだろう」と述べている「範囲」を逸脱して、あるいは最近のレスでmacska氏自身が「その辺は検証不能の領域でいいんじゃん?」と述べている「らしき」事象までを対象に「カガクのドヒョー」に引きずり出そうとしている「かのように」見えるのは間違いない。また、私が指摘したことだけどこの辺のmacska氏の主張はまさに「逐語解釈」であり、「イエスのDNAもしくはその断片が発見されたならば、水をワインに変えたり、死者を蘇らせる能力を(身体的に)有していたか否か」が検証(自然科学の方法論によって)できる、と述べているようにしか読めない。
無論「科学的に実証できるような出来事」を指して「奇跡」なんて呼ぶ必要はない。奇跡というくらいだから「めっちゃあり得ない事象」で構わないわけで、これを「検証しようという試み」自体がすでに破綻しているんだよね。
#イキガミ様の予言ってのは「地上のことを指すテキトーなホラ」に過ぎないので検証してもいいさ。
百歩譲って…逐語解釈OK!としても、検証できるのは「聖書とかいう出版物に書いてある文言」あるいは「口伝による伝承」という「ニンゲンのコトバ」に過ぎないわけであり、たとえば「イエスという存在そのものが奇跡」という解釈に対してなんの反証にもならない。いや極論すると「イエスなどという人物は実は歴史的に存在しなかった」みたいなことが「科学的に実証」されたところで、イエスの「実在」は奇跡なんだからOK、ということになる。
奇しくも「一部の神はカガクの対象となるはずだ」と「カガクとかいうブンカ」側に対して発した指摘が、そのまんま「一部というモノサシの不確かさ」によって捻じ曲がっちまった、というのが現状じゃないのかな?だったら…正すべきはどこか、明確でないですかい?
202
:
酔っ払い
:2007/01/17(水) 16:22:52 ID:???
A:原理的に科学的手法による検証の対象にならないものについて、宗教は「信じている」とは言えても、「知っている」とはいえない。
B:なんだそりゃ。例えばそれについて宗教が知っていると言う時、必ず嘘をついているってこと?
A:知っているはずは無いんだから、そうなるね。
B:ふむ。…実はね、僕は宇宙の真理が42だってことを知っている。
A:いきなりなんだ。しかもなんで宇宙の真理が42?
B:説明は出来ないし、証明も出来ない。そもそも検証できないんだから証明しようもない。
A:証明できないのに、なんで知ってるって言えるんだよ。
B:でも、君には僕が知らないとは言えない。
A:原理的に知りえないはずのことを、知っているって言うのはおかしいっていってるんだよ。
B:原理的に知りえないってのは、どういうこと?
A:科学的手法では知覚不可能ってこと、かな。
B:つまり、宗教が科学の手法では知覚不可能なことについて知っていると言うとき、それを知っているとはいえないってこと?
A:そう。それは知っているのではなく、信じている、もしくは知っていると信じていると言うべきだ。
B:僕は宇宙の真理が42だと知っているけど、それが科学の範疇だ、なんてことは一言もいってないし、事実君の定義でも、科学の範疇じゃないんだよね?
A:まだ言うか。でも、それなら「宇宙の真理」とやらが将来科学で扱えるようになったとして、それが42であれ37であれ、君の「宇宙の真理は42」教は、科学を利用しちゃ駄目だよ。
B:了解。当然、「宇宙の真理は42」教は科学の範疇にないのだから、それが科学で否定されようが肯定されようが、君も口出ししないのだよね?
A:もちろん。
B:なら、やっぱり僕は宇宙の真理が42だと知っているし、君はそれについて、とやかく言えないはずなんだけどな。
駄文失礼。
203
:
みずすまし
:2007/01/17(水) 16:34:17 ID:TgyKdXjk
(
>>202
と趣旨がかぶってる)
>macskaさん
かなり古い発言を引っ張ってきますが,次の文章は,言いすぎではないでしょうか。
>>75
> 科学が主に対象とする領域については科学はある程度確からしいことを明らかにするこ
> とができますが、その科学が扱えない領域において宗教が何か確からしいことを言える
> のかというと、科学に分からないことはやっぱり宗教にも分からない。
「科学に対象とする領域については科学はある程度確からしいことを明らかにすることができますが、『科学に対象とする領域において』宗教が何か確からしいことを言えるのかというと、科学に分からないことはやっぱり宗教にも分からない。」というのなら分かります。また,macskaさんの以降の発言はそう読むこともできます。
数学や論理学や科学哲学は,日本語の用法として「科学」に含めないことが多いと思いますが,数学的知,論理学的知,科学哲学的知というのは認めてよいように思います。もしそうなら,神学的知はどうして排除されるのでしょうか。
----
>>201
> いや極論すると「イエスなどという人物は実は歴史的に存在しなかった」みたいなこと
> が「科学的に実証」されたところで、イエスの「実在」は奇跡なんだからOK、という
> ことになる。
そこまで言っちゃうと,科学的言明が「実在」についての言明でないか,「実在」が相対的にありうるということになっちゃって,非常にまずいと私は思うのですが(科学が間違っていて,宗教のほうが正しかったのでなければ)。
204
:
Josef
:2007/01/17(水) 17:09:04 ID:uPoVYQoU
NANさんが言うように(
>>201
)、本題はとっくに終わってます。
macskaさんの言ってることを煎じ詰めれば、
「科学の対象となるものは科学の対象となる」
というトートロジーであって、なんでこんなトートロジーが出てきたかといえば、Q&Aに「すべての神」が「科学の範囲外」であるかに誤解されそうな記述があったからですね。「神」と名がつきゃ科学は一切手出しできない聖域になるなんて馬鹿な話はないわけで、このままだと「科学の対象」を自ら狭めてしまうことになりはしないか、と。NATROMさんは指摘されてすぐに問題点を理解し、元の記述に手を入れた。本題はこれだけ。macskaさんが「科学の対象」について突拍子も無いことを言っているわけではありません。
枝葉の部分で私がちょっとおかしいと思うのは、何人かの方が指摘していますが、「信じている」と「知っている」の区別ですね。同じ枠組みを共有する者同士なら区別は明白でしょうが、信仰者なら(全ての信仰者、とは言いません)神の存在を明証的に「知っている」でしょう。それを「信じているだけだ」と外野から言ってみたって詮無いこと。だってその人は「世界が在る」と同じくらい明証的に「神が在る」ことを知っているんだから。
205
:
Hiju
:2007/01/17(水) 18:37:24 ID:MM7DYpv2
初めて書き込みします。
結局、macskaさんの言葉に従えば、宗教は「宗教だけが知っている」なんて
何があっても言えないってことですよね?だって、知っているならば「人間
にとって知覚可能」でなければならないし「人間にとって知覚可能」ならば
科学の検証対象であると考えなければならないんでしょう(なんなら知覚が
不可能であっても、現実に起こったことは科学の検証対象なわけですし)?
そして、科学の検証対象であれば、科学が口を噤むのはおかしい、と。
つまり、宗教の「知」は科学の範囲内に納めておけ、科学がわからない事象
についての宗教的「知」などありえない、知っているんじゃなく信じている
だけだと認めろ、と、“宗教に対して科学側は主張すべきだ”と。
そうしないのは科学的思考の不徹底だと。
言い換えれば「宗教が『知っている』と言っているものは全て科学の対象と
言え」ってことですよね。『信じている』だけだと認めているものは科学の
対象にしなくて良いけど、と。で、その理由は「宗教は『信じている』だけ
で『知っている』わけではない主張を押し付けてくることがあって、有害だ
から」。
macskaさんの定義そのものが、宗教的知を科学的知より不確かで範囲の狭い
ものであることを認めろ、という主張に読めます。
だからカガク主義的だったり宗教を否定していたり、のように見えるのでは?
で、ポイントは「科学の検証対象であるが、検証不能な現象について」。
これを「科学(“人間”と言い換えてもいいです)が検証不能なのだから、
宗教でも『知っている』とは言えない」という主張をmacskaさんはしている。
それに対し、「科学が検証不能なのだから、宗教が『知っている』かどうか
科学には何も言う術がない」というのが他多くの方の主張。私は後者に同意
します。
#「検証不能であれば科学の検証対象ではなく、範囲外である」という
#話もありますね。
ここでmacskaさんの主張は、「宗教の知は『科学が検証できる範囲』にだけ
収まるべきである」と読み替えることができますよね。なぜなら科学が検証
できない範囲については“宗教が知っているはずがないと断言できる”わけ
ですから。宗教の知の範囲は、科学的検証が可能かどうかによって左右され
てしまう。
#あるいは、宗教には『知』などありえない、という主張なんですか?
#もしくは、“よりよい生き方”みたいなことについては宗教的知がありえ
#るんでしょうか?宗教的知の一例でもないと理解しにくいですね。
基本的に私は「知ること」と「信じること」は区別すべきだと考えているし
宗教的知については「うん、科学的知とは違うけど信じてるんだよねー」と
答えてれば良いじゃんと思う方なのですが、宗教的知を科学的に検証可能な
範囲に限定するようなやり方は科学主義的だと感じます。
それはそうと、「本人の中で使い分けが出来ていれば良い」んだったらば、
「死後の世界が存在するかどうかは知らない(信じているだけだ)が、神の
存在は知っている」と主張する人がいたら、彼は「神の存在を知っている」
と認められるんでしょうか?だったら「知っているはずがない」という主張
ができるはずがないので、ここはグローバル(?)な定義に従って解釈してみま
した。
206
:
AH1
:2007/01/17(水) 19:19:54 ID:MM7DYpv2
>どれも、わたしの主張とは全然違います。
>基本的に、わたしが批判しているのは科学の側ですから、それをご理解ください。宗教に対する注文はほとんどつけていません(「信じている」と「知っている」の区別をちゃんとつけてほしい、くらいは言いました)。
失礼しました。
ですが、科学の側に「カミだからって譲渡しないこと」を要求されるということは、
「科学は宗教に対し、『この世のことは僕、カガク君が最も良くわかっているのだ。キョウソ君が僕以上にわかっていることはないと言え』ということになるのではないか?」と読んだのです。
要するに、205のHijuさんの投稿とほとんど同じ意見です。重複を避けるため、私から新たには申しません。
他の方々も投稿されていますが、私も最初のmacskaさんの投稿の御意見に同意します。ただ、結局、macskaさんが科学に対して要求することは、現実の解釈を挟んで「宗教にこの世との連接を断って縮こまる事」を要求してしまうんじゃないかと感じ、それがアンチ宗教みたいに見えてしまう原因なのかな?と考えた次第です。
これも他の方々の投稿の繰り返しですが、信じていると知っているの定義についてが(もはや日本語の問題かもしれないが)食い違いの原因でしょう。
(つまりキョウソ君が「この世のことは『わかって』などいないよ、『信じて』いるだけさ。それで十分だろ?」と言えば問題ないわけですよね?)
207
:
みずすまし
:2007/01/17(水) 19:27:57 ID:TgyKdXjk
(
>>203
の補足)
私が,macskaさんの投稿について疑問に思っているのは,以下のうちの(1)です。
(1)「現実の世界で起こったこと」以外について,「知っている」というのは成り立つのではないか?
(2)「現実の世界で起こったこと」について,科学的知識以外に「知っている」というのは成り立つのではないか?
(3)あることを信じている人に対して,「それは,『信じている』だけで,『知っている』わけではないのではないか」といっても,無意味ではないか?
208
:
名無しさん
:2007/01/17(水) 19:44:32 ID:.Dq0EKFk
だんだんパフォ系社会学者みたいになってきてるね、このオバサン。
209
:
diamonds8888x
:2007/01/17(水) 20:12:07 ID:h2fLyT9w
>>188
macskaさん
直接のレスは初めてですがよろしく。いくつかのテーマが混在してしまってますが、ちょっと列挙してみましょう。以下をまぜこぜで議論するとややこしいので>>>all
1.何が科学の検証の対象であるか、という問題
「現実世界に介入するタイプの神は原理的には科学的検証の対象となり得る」
これは科学の側の問題なので宗教側の論理は無関係だと思う。同じ対象が宗教でも科学でも対象になってたって構わないし。まあ既に終わってるでしょう(
>>201
,
>>204
)
2.macskaさんは宗教を侮辱したのか、という問題
本人が否定してんだからいいんでないの。ま、そう取られた表現については謝罪してもいいかも。
3.宗教者は神を知っているか、という問題
「知らないはずだ」と断言するのは正しいか?
2が混じり込んで読み取りにくいんですが、それを除くとfukkenさん他の指摘しているのは3の問題です。最新のmacskaさんの表現(
>>188
)だと、
>宗教者が人知の及ばない物事について何かを言うとき、それは宗教を知らない一般人より何か確かな知識を持って言っているわけじゃないんですよ
>宗教をやっている人たちだって同じ人間なんですから。
この認識がたぶん共有されていないと思います。一番コンパクトで明確なのが谷庵さん(
>>192
)。
> また、優れた芸術家や職人は信じられない感覚を持っています。
> 優れた宗教家であれば、死後の世界のことも判るのかも知れませんよ。
視覚の発達してない生物が「人間は大地のずっと上方には星という光り輝くものがあると言うが、それは知っているのではなく信じているだけだ」と述べたとしたら、どうでしょう? 視覚がなくとも知性があれば、それなりに科学が発達するでしょうが、「星が現実に介入した現象」はなかなか観測しにくいでしょうね。太陽ならバンバン介入してますが。
アハ、H.G.ウェルズ作「盲人の国」の世界ですね。この作品はむしろ超人に対して「あんたの感覚を持たない者の知的体系も尊重せえよ」というメッセージの方が強く読みとれるように感じたものですが。
いや人間は誰も同一種じゃないか、と言いたいかも知れませんが、人間Aが自分と同一種という認識も生物学に由来しますからね。
ま、普通は上記のような極端な懐疑主義で世界を認識したりはしませんけど、ここの人達はそのレベルで議論してるんだってことで御了解いただければ幸いです。
むろん我々の持っている科学は普通の人間が持つ普通の五感による観測を基にしていますし、超感覚を主張されてもそれを使うことは我々にはできません。それに世の中には、超感覚を持つと称して人々をだます、時には自分自身もだまされているらしい人(もしも嘘つきでなければ)もあまりにも多い。だから「宗教をやっている人たちだって同じ人間」と仮定して行動するのは極まっとうな戦略ではあります。
ただそれは超人を凡人に引きずりおろそうとすることでもあるので冒涜の危険もあるのですね。ある意味、超人を認めず凡人の立場に徹することは誠実な行動とも言えますが。待てよ、それって当の超人から見たら果たして「侮辱」と感じるのかなあ? 「おろかな者どもがけなげにも頑張っているワイ」としか見ないような気もする。
210
:
diamonds8888x
:2007/01/17(水) 20:27:43 ID:h2fLyT9w
>>209
「レベル」と言っても高いとか低いとかいう評価は意図していませんので誤解無きよう。
「聖域に土足で踏み込む聖者」てのはロジャー・ゼラズニイ「伝道の書に捧げる薔薇」に出てきたなあ。ロマンだなあ。あれは認識というより行動の問題でしたが。
科学は大地を踏みしめて歩くしかない牛のもの。空を飛ぶ竜には別の知的体系があるのかも知れないが。
(高村光太郎「牛」を参考にしてね)
211
:
diamonds8888x
:2007/01/17(水) 20:48:06 ID:h2fLyT9w
ところでみなさんは「宗教は」とか「宗教人は」とか言ってますが、それでどんな者達をイメージしているのでしょうか? そこの認識の食い違いももしかしたらあるのかも。
変な表現ですが、宗教をサービス産業と考えると、生産者と消費者では範囲が違うでしょうし。宗教の場合は生産者はほとんどの場合は消費者でもあるのですが。これは科学でもスポーツでも囲碁将棋でも、およそ文化というものはそうなんですけど。
本筋の議論では生産者かつ消費者たる宗教人てことでいいのかな。私は消費者の立場というものも大事だと思いますが、本論からははずれますね。
212
:
HAKASE
:2007/01/17(水) 20:50:40 ID:ZC/gbS1c
temaさん.返答ありがとうございます.
議論が紛糾しているので情報提供だけにおさえようかと思ってましたが,返答をいただいたので少し書きたいと思います.
先の書き込みをした理由はいくつかあるんですが,そのひとつは,ある程度カオス理論を用いた実証的な研究を知ってる自分から見て,地下に眠るMさんの「カオス理論」の扱い方だとそれがトンデモ理論であると誤解されるんじゃないかなと心配したからでした.
地下に眠るMさんがあげられた話はあくまでも一般向けにニュアンスを説明するためのものであって,カオス理論にもとづく予測手法などはもっと科学的手法に基づいたものだということは理解してもらいたいなぁと思っています.
# そんなの承知の上というのでしたら,私の単なる杞憂です.すいません.
それから,量子力学とビッグバンの話について,少し誤解してるかもしれませんが書いて見たいと思います.ただ,後者の方は知識がほとんどないので何ともいえません.すいません.
量子力学については雰囲気をおおざっぱに知ってる程度ですが,特定の観測系で一定時間間隔ごとにデータ観測を行って時系列データを生成できるのであればカオス時系列解析の検証対象データとして扱うことができると思います.
確か量子力学の理論では「事象は確率的に決まる」というのが前提のひとつになってたと思いますが,カオス時系列解析を使うとそれが本当に「確率的」なのか,それとも確率的のように見えても実は特徴がある(カオス的)なのか評価できます.
もしカオス的な特徴が見つかれば,例えば10000回の観測の後の10001回目の観測結果を予測できる可能性があります(カオス的特長が見つかったからといって必ず予測できるわけではないですが).
私は,量子力学に詳しいわけではないですし,そういう研究がなされているかとか,既にカオス的でないことが明らかになってるかどうかも知りませんが,検証の対象になるという意味では「科学的手法では原理的に手が出せない」とまでは言えないと思います.
# 趣旨から外れてたらすいません.
213
:
地下に眠るM
:2007/01/17(水) 20:57:19 ID:cizMQ0FI
職場からだにゃー
ユダヤ教の安息日にあこがれる僕。労働基準法の罰則に死刑をいれるべきだにゃ(ぶつぶつ
なんか、新顔がぞくぞくにゃんね(嬉々
さて、僕は
>>159
の
>観測とか実証の可能性がなく、理論化の契機がない事象についてすら、現実世界の森羅万象がカガクの検証対象だとあのオツムてんてんは抜かしているにゃんぜ。
をとりさげたつもりはにゃーのだが。宿題を優先してレスを後回しにしているだけ。
まあ、「観測とか」のところはとりさげておいたほうが話が早いので、取り下げておきますけどにゃ。
誤読で罵倒したら、罵倒キャラは廃業モノだにゃ。
本人が侮辱してないといいはれば、侮辱してにゃーことになるのなら、この世に差別主義者はほとんどいなくなるにゃ(げらげら
214
:
GB
:2007/01/17(水) 21:12:57 ID:jqYqTCMI
突然すみませんが、私は、macskaさんのコトバは、
「確かな知は科学だけのものなんだから、宗教が『知る』なんておこがましい、
せいぜい『信じる』というならば認めよう」という風に聞こえます。
しかし宗教的真理というのは、(人が生きる)意味・価値をもとに組み立てられたもので、
科学的な思考とは成り立ちも方法も違いますよね。素朴に、科学は意味にはかかわらないんだから
共存しましょうねと言ってもいいんじゃないかと思うし、
宗教が時代に合わせて教義の変更を行っても不思議じゃない、「意味・価値の部分(真理)」は
揺らがないでしょうから。
同様に、「現実世界に介入する神」という表現もよくわかりません。科学的認識の「外」→「内」、
つまり意味・価値の世界から現実世界(物理化学的世界)に影響を与えた実例など、
ありうるんでしょうか。
(もちろん聖書を含めた文献上の報告や超能力などは除きます)
215
:
HAKASE
:2007/01/17(水) 21:37:37 ID:ZC/gbS1c
せっかくですので,人間の意識が科学的手法で扱えるかの現状についても情報提供してみたいと思います.
義手の研究の話を聞いたことがありまして,これまでは筋肉を動かしたときにでる電気信号で義手を動かす研究がさかんだったそうです.
で,最近ではそこから一歩進んで,「右手を握りたい」と思ったときに右手の義手が握る動作をするにはどうしたらいいかって研究が始まってて,脳から出る信号を利用する試みもあるそうです.
もちろん,倫理的に問題ないのかとか,どうするべきかの「べき論」とかとは,切り離した場合での話ですし,現状ではここで議論してるレベルの話(知るとか信じるとか)までを科学的手法で扱ってるわけではないですが,意識や思考の問題が完全に科学的手法による検証の範囲外かというと,必ずしもそうではないと思います.
# 既に終わってる議論なのかもしれませんが参考になればと思います.
216
:
地下に眠るM
:2007/01/17(水) 22:04:57 ID:cizMQ0FI
仕事さぼりつつもう1点
情報提供あんがとね>HAKASE
カオス理論を持ち出した理由はtema の読みのとおりですにゃ。
で、ああいう書き方になったのは、僕がカオス理論をよくわかってにゃーからだ。
愚者というものは、自分のわかってもにゃーことを振り回したがるものなのですにゃ。
あと、お説のとおり、意識はカガクの対象であることはまちがいにゃーと思う>HAKASE
魂(タマシイ)とは意識というものを説明しようとして考えられた仮説という見方もできると考えますにゃ。
そして、唯物論の立場からみた観念論の最大の弱点のひとつは、「物質に影響をあたえることのできるのは物質だけである」ことにあるわけで、そうすると、魂とか霊魂はなんらかの意味で物質的な存在であることを認めるか(つまり唯物論の軍門にくだってしまう)、あるいは観念的存在が物質に影響を与えるその機構を示さなければならなくなるわけですにゃ。
ちゅうわけで、タマシイとタマシイの集う場である死後の世界というものは、「現実世界の森羅万象がカガクの対象である」のなら、カガクの対象になっちまうはずなんだけどにゃ。
などと、メモを兼ねて
217
:
すらりん
:2007/01/17(水) 22:47:17 ID:Fc.S231Y
横レス失礼します。
地下Mさんの↓を読んで疑問に思ってたんですが
>>104
宗教における知の体系というと、神秘主義がまず思い浮かぶにゃんね。スーフィーとかヨガとか禅とかいう体系には、修行者がいまどのくらいのレベルにあるかについては、先達がちゃんと判定できるということですにゃ。客観的な基準はあるらしい。客観的な基準はあっても体験者でなければわからにゃー。権威ある科学誌の査読はそれなりの科学者でなければつとまらにゃーのと同じことにゃんが、なにせ実際の体験の比重がカガクなどよりはるかにおおきい体系であるちゅうことは肝に銘じておかなければならにゃー。
こういう体系に対して、ソトから気楽に、どーせわかってない、とか、信じてるだけ、とか放言して、否定する対象についての無知と傲岸さを宣伝するという行為。
恥ずかしくにゃーのだろうか?
たとえばオウム信者の人にオウムの教義とかポアするだとかいったことについて
「貴方は修行が足りずステージが足りてないから理解出来てないだけ」
と言われたら
その言い分は(少なくとも可能性は)認めざるを得ない、ということなんだろうか?
それともオウム信者の主張は無視して良いとするなら、
その違いは何に拠るのでしょうね。
オウムは宗教界でも権威では無いからかな?
218
:
e10go
:2007/01/17(水) 23:34:13 ID:5/V6R9W6
初めまして。すらりんさん。
>>217
>たとえばオウム信者の人にオウムの教義とかポアするだとかいったことについて
>「貴方は修行が足りずステージが足りてないから理解出来てないだけ」
>と言われたら
>その言い分は(少なくとも可能性は)認めざるを得ない、ということなんだろうか?
一般人(信者でない人)がそう言われたら、「一般人」は「オウムの教義」について知らない(詳しくない)から、
「理解していない」と認めればいいでしょ。
仮に自分が信者だとしても、理解していなければ「理解していない」と認めればいいだけの事ですけどね。
しかし、「ポア」については、「チベット仏教のナーローの六法」を知っているなら、認める必要は無いでしょう。
だいたいオウムの一部の犯罪者共は、自分達の行為を正当化するために、「ポア」の意味を勝手に解釈しているんだから。
ようは、相手の事を知りもせず、また知ろうともせずに批判するのは傲慢でしょ、という事ですね。
知っている事なら、突っ込んでも良いんじゃないですか。
219
:
妥当?進化論
:2007/01/17(水) 23:38:05 ID:m5c0scEQ
横レス失礼します。
数年前にメインの掲示板や、ツリーの掲示板でお騒がせしたものです。
ほとんどに人は忘れてしまったと思いますが…
だいぶ議論が発展してしまっているので、元に戻るような話題をするのも何なのですが…
神と科学の適用範囲について、一時期はmacskaさんに納得しかけたのですが、自分なりの意見です。
まず最初に、「神の存在は、科学的手法で考られる範囲のものである」という命題ですが、「科学的手法」については皆さんの定義は一致できると思うので、まず問題は「神」の定義についてです。
ここでmacskaさんは「現実世界に関与する神」という定義をされているようです。
この定義をもっと厳密に見てみると、「現実世界に関与」した現象を考えると、科学的手法で説明のつく現象を行うものを神と呼べるでしょうか?
例えば海を割って道を造るという現象が、そのエネルギーの源から方法まで全く科学的に矛盾なく説明ができるのなら、ゆくゆくは人間能力でもできるのであって、それは神の所行ではないのではないでしょうか。
処女受胎の例も出されていますが、最近のニュースでコモドオオトカゲが雌1個体のみで他の雄個体と接触することなく、単為生殖で子供をなすことができることが確認されたようです。
それを持ってコモドオオトカゲが神であるといえるわけではないと思います。
次に「6000年で世界を作った神は科学で否定ができる」という話もありましたが、否定できるのは「世界を6000年で作ること」であって、実際には6000年で世界を作った神が、例えば46億年に地球ができたような証拠を残して世界をつくったのであれば、それを科学で考えることは不可能だと思います。
何せ科学的にはどうあがいても46億年で作ったことしかわからないのですから、そのような神は科学の範囲を超えています。
つまり現実世界に神が関与しているとしても、その現象を科学的に検証することができないのなら、その現象は科学の範囲外ですし、神の能力が科学を超えているのならやはり科学の範囲外です。
ということで、神の存在を考えることは「科学の範囲外である」と言えると思いますが、どうでしょうか?
220
:
ぽっと出2号
:2007/01/18(木) 00:11:52 ID:EZ3AtddI
妥当?進化論さんへ
横横レスになりますが・・・
>例えば海を割って道を造るという現象が、そのエネルギーの源から方法まで全く科学的に矛盾なく説明ができるのなら、ゆくゆくは人間能力でもできるのであって、それは神の所行ではないのではないでしょうか。
macskaさんが言っているのは、科学的に検証はできる(その結果が判定不能でも)ではないでしょうか?
つまり、『海を割って道を造る現象を、科学的に検証して、そのエネルギーの源から方法まで全く科学的に矛盾なく説明でき』なくても、良いわけです。
いや、説明できても良いんですが、macskaさんの論旨は、説明できるできないに関わらず検証対象にはなるでしょ?という事かと。
また、
>次に「6000年で世界を作った神は科学で否定ができる」という話もありましたが
「地球を6000年前に作った」かつ「地球が46億年前に出来たように見える証拠をつくるようなことをしない『人間を騙さない』神」という前提であれば、否定できるという話ではないでしょうか?
221
:
ぽっと出2号
:2007/01/18(木) 00:34:42 ID:EZ3AtddI
すみません、6000年の件については、私の誤解でした。
「地球を6000年前に作った」かつ「地球が46億年前に出来たように見える証拠をつくるようなことをしない『人間を騙さない』神」については、
NATROMさんの発言でしたね^^;
222
:
macska
:2007/01/18(木) 01:17:10 ID:VdHL1C4M
>>201
> 「イエスのDNAもしくはその断片が発見されたならば、水をワインに変えたり、
> 死者を蘇らせる能力を(身体的に)有していたか否か」が検証(自然科学の
> 方法論によって)できる、と述べているようにしか読めない。
そんなことはないし、そうは言っていない。イエスのDNA云々は、仮にの話で、例えばイエスの父と母が誰であったかDNAによって確認された場合、聖書による処女受胎の伝説が反証されることもあり得ると言っているだけ。DNAが発見されればその人物について何でも分かるなんてことは主張していません(いくらなんでもそんなトンデモありえない)。
> 無論「科学的に実証できるような出来事」を指して「奇跡」なんて呼ぶ必要は
> ない。奇跡というくらいだから「めっちゃあり得ない事象」で構わないわけで、
> これを「検証しようという試み」自体がすでに破綻しているんだよね。
だから、現実問題として検証可能なだけのデータがあるかどうかは別として、仮にそれが神の介入による現象でも、現実世界で起きたことは科学の探求の対象でしょう、と言っているわけ。現実世界で起きた物理的な現象が「科学の範囲外」というのは論理的におかしい。
>>205
> つまり、宗教の「知」は科学の範囲内に納めておけ、科学がわからない事象
> についての宗教的「知」などありえない、知っているんじゃなく信じている
> だけだと認めろ、と、“宗教に対して科学側は主張すべきだ”と。
いや、この件についてはわたしが「宗教にも分からない」と言っているだけであって、科学の側がことさらそう宗教に向けて主張するべきだとは言っていません。
しかしまぁ、科学の側に立つ論者の一部が、科学に全く手の届かないテーマが話題に上ると「それは宗教の範疇である」として、まるで宗教にならそのテーマについて何か確からしいことが言えるかのように振る舞うことがありますが、それは不必要だと思いますけどね。
> macskaさんの定義そのものが、宗教的知を科学的知より不確かで範囲の狭い
> ものであることを認めろ、という主張に読めます。
宗教的知というのが、(文脈上)現実世界の外側の事象に対する、人間の知覚によって何の確認も取れない物事についての知識であるとすれば、それは科学的知より不確かであると言って問題ないのではないでしょうか。そしてそのことは、宗教の価値を何らおとしめないと思います。「宗教への侮辱だ」と反応している側のほうが、科学の価値観で宗教の価値を決めつけているという点で宗教を侮辱していると思います。
223
:
macska
:2007/01/18(木) 01:19:30 ID:VdHL1C4M
>>209
> ま、普通は上記のような極端な懐疑主義で世界を認識したりはしませんけど、
> ここの人達はそのレベルで議論してるんだってことで御了解いただければ幸
> いです。
しかし、だったら「わたしに」そういう超感覚があって、それによって「宗教にも分からない」ということが「分かっている」という可能性も考慮してくれても良さそうですが(笑)
真面目な話、仮にその「超感覚」を持つ人がいたとして、それが優れた科学者ではなく優れた宗教者に限られるという理由は、何かあるんでしょうか? わたしが言っているのは、「人知を越えた現象について宗教に特権的な知はない」ということなので、もしそうした「超感覚」が宗教だけでなく誰にでも開かれている(あるいは確率論的に開かれている)ということなら話が違ってきます。
>>214
> 突然すみませんが、私は、macskaさんのコトバは、
> 「確かな知は科学だけのものなんだから、宗教が『知る』なんておこがましい、
> せいぜい『信じる』というならば認めよう」という風に聞こえます。
宗教であろうと科学であろうと(あるいはただの個人であろうと)、知らないことを「知っている」と言うのはやめよう、というだけのことですが。
> 同様に、「現実世界に介入する神」という表現もよくわかりません。
現実世界に介入していると想定される神、という意味です。
実際に介入した科学的証拠は、いままでのところありません。
>>216
> ちゅうわけで、タマシイとタマシイの集う場である死後の世界というものは、
> 「現実世界の森羅万象がカガクの対象である」のなら、カガクの対象になっち
> まうはずなんだけどにゃ。
もしタマシイというのが物理的に構成されているなら(わたしはそうだとは思わないけれど)、当然科学の対象でしょう。違うという論理がまったく理解不能。
224
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 01:23:33 ID:Ka2n4cc2
酒が入っているので罵倒レスはなし。
罵倒修辞学徒律法ケッヘル番号への3番で、酒飲んでの罵倒は禁忌とされているにゃ。
ちゅうわけで
>>217
のすらりんへレス。
まず、
>>218
のe10goの見解に僕は文句はにゃーです。
その上で
>「貴方は修行が足りずステージが足りてないから理解出来てないだけ」
>と言われたら
>その言い分は(少なくとも可能性は)認めざるを得ない、ということなんだろうか?
然り。
相手がたとえオームであっても、その部分だけで判断するのなら、真理をつかんでいるかもしれにゃーという可能性を捨てることはできにゃーです。実際、オームにはちゃんと勉強をしたはずの宗教学者がひっかかったりしていますにゃ。
ただ、オームが仏教をなのっていた以上、つまり仏教の権威を利用していた以上、仏教学・仏教哲学からの学問的な検証をうけることはさけられにゃーでしょう。ま、オームは仏教をなのりつつ、実際には神智学のパクリ教義だったにゃんが。
しかし、現実の言動をよくみることこそ重要ではにゃーでしょうか?
オームにおいてはインチキ予言を繰り返していたという事実がありますにゃ。僕ね、アサハラの戦慄の預言だとかいう本を持ってましてにゃ(こういうの大好きなのよ)。
93年に出版されたものにゃんが、すんごいぞー。
湾岸戦争でプラズマ兵気が使われて、10万人死んだけど死体はほとんど残ってにゃーだとか、97年には大恐慌がおきるだとか、もう外れた顎の骨がポルカを踊るようなシロモノ。
このあたりのタワゴトで、十分に正体の推測はできると思いますけどにゃー。
225
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 01:24:18 ID:Ka2n4cc2
酔っぱらいの独り言
なぜ、数学が自然科学においてこれほど役にたつのだろう?
数学とは、その根本においてはニンゲンの純粋な思弁の自己運動みたいなところがあるにゃ。「現実」を解析するためにつくられたわけではない、いわば形而上的な体系であるのに、「現実」の解析に圧倒的な有効性を発揮するわけだにゃ。
数学がなぜ自然科学においてこれほど役に立つか、ちゅうのはなかなか答えがいのある問いかもしれにゃー。
ニンゲンの脳という器官は、数十億年の進化をへてつくられてきたものだにゃ。動物行動学者のローレンツによれば、「進化とは認識の過程である」そうだにゃ。
僕たちの脳は、数十億年におけるトライ&エラーで貯えた莫大な情報を物質的に構造化した器官だといえにゃーだろうか? ニンゲンの脳内における法則は、外界・自然界の法則と相当程度にパラレルな関係にあるのではにゃーだろうか? だからこそ、ほぼ純粋な思弁の結果である数学が、外界の事象の解析にあれだけの力を発揮するのではにゃーのだろうか?
だとしたら
数学以外の方法においても、ニンゲンには純粋な内省・思弁において、相当に信頼性の高い知の体系を築く可能性があることは当然なのではにゃーだろうか?
形而上哲学、あるいは神秘主義の知について、現在ここでは「まあソトからの否定は乱暴だよね」という理性的な論調が支配的にゃんが、僕はそうした知が現実に存在していることの可能性を積極的に主張したいにゃ。
カガクは確かに物質的に積み重ねられたクレーンかもしれにゃー。
しかし、形而上学は天からつり下げられたフックではにゃーのだ。形而上学を支えているのは、数十億年の進化を経た僕たちニンゲン存在の手なのではにゃーだろうか?
226
:
fukken
:2007/01/18(木) 05:21:46 ID:M5vfENrY
>>199
macskaさんに対してできるだけ丁寧に応えようと思って、言うことすべてに回答していたけど、それに対して自分に都合の良いところだけつまみ食いされ続けていい加減疲れました。
1対多であちらは大変だから仕方ないとも思ったけど、それにしたってこちらの論旨をことごとくかわして、急所への突っ込みや質問には一切応えないってやり方は、まともな論者のすることじゃないでしょ。
それに、私が拙い言葉でダラダラ書くより、それを簡潔明瞭に言ってくれる人たちも現れたようなので、以後こちらもmacskaさんへの対し方を変えることにします。
でも、私への質問にはすべて応えますよ。それが議論の上で最低限すべきことだと思うので。
macskaさんは他人には「それは言い過ぎだ」とか「知りもしないことを知っていると言うな」とか注文を付けるわりに自分が言われるとただ反発するだけのように感じますが、私の思い過ごしでしょうか。
「神がいるかどうかという問題は科学の範囲外」
がいけなくて
「宗教は分からないことについてさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえても良いことになっているので、宗教者はラッキーですけどね。」
と言う表現には全く問題ないと言い切れる理由を”他人に誤解を与えかねない文章であるか否かの観点で”きちんと説明してください。
貴方の発言に対して「問題あり」とした私やその他数名の方が納得できるようにお願いします。
>どの言明を撤回すべきか、具体的にご指摘ください。
とのことですが、
管理人さんはご自身の上記言明に対し「趣旨はこうだが確かに不正確でした」と誤解を招く可能性を認めQ&Aを修正しました。
私は貴方の上記発言はそれ以上に問題がある(宗教、宗教者に対する偏見、侮辱を孕んでいる)と思っていますので、(非難の意味で使っていようがいまいが)同様に撤回もしくは訂正する必要があると考えます。
それから
何度も言ってきたように、宗教者でもない貴方が
「(死後の世界だとか人生の意味だとかいう問題については、)宗教にだって全く何も分かっていません。」
と言い切ることは論理的におかしいと言うのが私の主張です。
何もわかっていない”はず”とか”思われる”に修正すべきだと思いますが、どう思われますか?
これに関連して、
>死後の世界の存在は、わたしには知りようがないし、断言もできません。しかし、その事について宗教がわたしに比べてより確かな知識を持っていないことは、断言できます。
>>188
「断言できます」なんて言えるのならその確かな証拠を示してください。
>>195
と言う質問への回答がありませんでした。
知らないことを知っているなどと言わせないmacskaさんが「断言できる」と言うからには、神や死後の世界などに関して宗教(宗教者)がmacskaさん以上の知識を持っていないことを”知っている”はずですから、論理矛盾のないようにしっかりとした説明をお願いします。
227
:
diamonds8888x
:2007/01/18(木) 06:04:01 ID:h2fLyT9w
>>223
>真面目な話、仮にその「超感覚」を持つ人がいたとして、それが優れた科学者ではなく優れた宗教者に限られるという理由は、何かあるんでしょうか?
ありません。宗教と名乗るかどうかは無関係です。実際の所は、宗教と名乗ろうが超能力と名乗ろうが宇宙人の友達だと名乗ろうが、「同じ人間だろ」と仮定するのが安全で確率の高い方法です。
228
:
diamonds8888x
:2007/01/18(木) 06:06:04 ID:h2fLyT9w
>>225
数学も歴史的には現実解析の道具として発達したものでしょう。幾何学は測量のため、数論や代数は金勘定のため(^_^)、だけでもないけど。
>僕たちの脳は、数十億年におけるトライ&エラーで貯えた莫大な情報を物質的に構造化した器官だといえにゃーだろうか? ニンゲンの脳内における法則は、外界・自然界の法則と相当程度にパラレルな関係にあるのではにゃーだろうか?
ええ、そうらしいことは脳科学で色々と明らかになってきてますね。生物がロボットにとっての難問であるフレーム問題をすらすらと解決できるのは、まさに脳内法則が外界法則とパラレルで、しかも有用な情報のみを自然に選択する規則を生まれながらに持っているかららしいのです。
て、科学からの解釈ですが(^_^)
229
:
tema
:2007/01/18(木) 06:54:55 ID:???
HAKASEさんへ
>>212
>確か量子力学の理論では「事象は確率的に決まる」というのが前提のひとつになってたと思いますが,カオス時系列解析を使うとそれが本当に「確率的」なのか,それとも確率的のように見えても実は特徴がある(カオス的)なのか評価できます.
>もしカオス的な特徴が見つかれば,例えば10000回の観測の後の10001回目の観測結果を予測できる可能性があります(カオス的特長が見つかったからといって必ず予測できるわけではないですが).
「カオス時系列解析」は言葉すら聞いたことがなかったtemaですので、間違ってたら指摘して下さい。
カオス理論で扱う「カオス」とは、「一見ランダム(ノイズ)に見えるが、実際は特定の数式により生成される(無限の)数列」と認識しています。ここから、カオス時系列解析とは「カオス」内の特定の数列を近似できる非線形微分方程式を求める技法、と想像しています。
もし波束の収束が未知の数式により決定されているとしたら、収束する時刻および位置はカオス的でありカオス時系列解析により予測できる可能性があるのでしょう。しかし、波束の収束は非決定的であり、カオス的ではなくノイズである、と認識しています。
この場合、カオス時系列解析を行っても意味がありません。
また、解析のために使用する数列(この場合、波束が収束する時刻および位置)は観測によって得られます。しかし波束は観測した時点で収束するため、肝心な基情報に観測が多大な影響を及ぼします。このため、解析のための数列すら入手できません。
以上により、カオス時系列解析を使用しても検証はできない、と考えます。
230
:
tema
:2007/01/18(木) 06:55:33 ID:???
…と考えはするのですが、ちょっと困りました。
上記はコペンハーゲン解釈に基づいています。
昨夜、調べてて始めて知ったのですが、量子力学に対してはコペンハーゲン解釈以外の解釈があり、その中に「パイロット解釈」という解釈があります。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E8%A7%A3%E9%87%88
この場合、波束が収束する時刻および位置は決定的であり、カオス的振る舞いをすると考えます。
パイロット解釈が正しいならば未来は決定されており、カオス時系列解析による検証が有効な可能性があります。この場合、観測が基情報に与える影響はありますが、「科学的手法では原理的に手が出せない」とまでは(temaは)言いません。
ただし、現在の本流がコペンハーゲン解釈である以上、「科学的手法では原理的に手が出せない」と考えます。
231
:
みずすまし
:2007/01/18(木) 07:24:48 ID:TgyKdXjk
>>203
をスルーされたのは,助詞が間違っていたからかと思って,訂正。
>>203
> 「科学に対象とする領域については科学はある程度確からしいことを明らかにすること
> ができますが、『科学に対象とする領域において』宗教が何か確からしいことを言える
> のかというと、科学に分からないことはやっぱり宗教にも分からない。」というのなら
> 分かります。
「科学が対象とする領域については科学はある程度確からしいことを明らかにする
ことができますが、『科学が対象とする領域において』宗教が何か確からしいこと
を言えるのかというと、科学に分からないことはやっぱり宗教にも分からない。」と
いうのなら分かります。
に訂正します(「に」→「が」)。
232
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 12:02:05 ID:btJIvKD.
僕がなぜ「宿題」を優先していたのかというと、macskaは都合のワリイ質問やツッコミをスルーし、自分の答えやすいところだけをねじ曲げて解答するということを常とう手段にしていると判断したので、過去ログからそうした事例をきっちりと示す必要があると考えたからですにゃ。
で、ゆっくりとやっていたら昨日、新顔が何人かきて、これから言おうと思っていたことをいくつか言われてしまったのだにゃ、NANにも「逐語解釈」を先にいわれてしまったし・・・・
まあ、みにゃさま僕が書くよりもうまくいってくれているので、それはそれでいいんですけどにゃ。
で、それに対するmacskaクンの対応は、やっぱり「スルー」
特に、
>>202-203
-205あたりの完成度の高いツッコミ投稿に対してはことごとくスルー。一応答えた箇所にしても、とても正面から答えたとはいえにゃーものだにゃ。で、答えられにゃーくせに、自説を曲げようとも譲ろうともしにゃー。もちろん、一対多の状況だしいろいろと大変だとは思うから、すぐにレスをかえせとも全てに詳細にレスしろと言う気もにゃーけどね。それにしても誤魔化しが歴然としてるだろ。
で、これからどうしようかとも考えたにゃんが、とりあえず宣言したことはやっておこうと思いますにゃ
では宿題のつづき
残っている宿題は、macskaは場当たりでテキトーなことをいう、とかいったことでしたにゃ。当然これは、都合のワリイことのスルーも含むわけで、みにゃさまが目の当りにしていることですにゃ。僕の投稿でスルーされている重要なところは、
>>198
全部と、
>>102-110
-154の流れでの
>>> ニンゲンの意識の有り様を解析していけば、一定の条件のもとでの「正しい生き方」
>>> は自然科学で答えが出せるかもしれにゃー。
>>それは、宗教が教えるような、いわゆる「正しい生き方」とは違った意味になりますね。
>え?
>どう違うの?
>逃げにしか見えにゃーぜ。
ここについての答えがにゃー。ここは重要なところのはずだから、「逃げにしか見えにゃー」とわざわざ煽りまでくれたのにスルー。
233
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 12:03:10 ID:btJIvKD.
さて、場当たり発言の好例を以下に。
>>31-33
-93 は全てmacskaの発言より引用
>それは証拠不十分によって検知できないだけであって、
>原理的に検知不可能な事象(例えば、死後の世界)とは区別されるべきです。
>>31
>偶然というのは、われわれが完全な情報やメカニズムを知覚できないから偶然として立ち現れるのであって、いくらバラバラで予測不可能に見えても自然法則に従っていないはずがありません。
>>33
>科学の範疇には、情報不足で解決不可能な問題はいくらでもありますよ。
>>93
こうした発言をうけて、
>>107
において「本質的な偶然性」(ミケのレトリックでは「勝利の女神」)という概念を引っ張り出し、僕はこう発言したにゃ
>macskaは偶然性ということについて「人間の無知のために存在するかにみえているにすぎない」という立場なのは明らかだと思われますにゃ。しかしそれは、自分では気づいていにゃーのだろうけど、偏った立場なんだよね。
そしたら
>>111
>わたしの立場は、そういう認識に依存しません。いい加減その誤解やめてください。
>何十回も説明させるつもりですか?
だってさ(タメイキ
macska「偶然というのは、われわれが完全な情報やメカニズムを知覚できないから偶然として立ち現れるだけ」
馬鹿猫「macskaは偶然性ということについて「人間の無知のために存在するかにみえているにすぎない」という立場なのは明らかだ」
macska「わたしの立場は、そういう認識に依存しません。いい加減その誤解やめてください。何十回も説明させるつもりですか? 」
・・・・漫才にゃんな。macskaクンの「いい加減にしろ」の用法として典型ですにゃ。
234
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 12:03:53 ID:btJIvKD.
で、この「本質的な偶然性」「勝利の女神」がらみだにゃ。以下のミケの発言を参照。
>あー、科学で答えの出せないことを一まとめにして、
>「科学の外」と言うことが気に入らないというだけなんですね?
>>136
>現実に干渉可能な神でも検証不能となる場合があることについては
>同意していただけるんですよね。
>>138
>「検証不能である」という部分がmacska さんに通じていなかったのでは?
>という点だったので。
>それが誤解だったらしいことが分かったので、もう引き上げたわけです。
>>151
こうしたミケの発言に対し、macskaは直接は応答していにゃー。(得意のスルー?)
しかし、以下の発言はあるにゃ。
>わたしが一貫して言っているのは、
>「どんなことであれ、現実世界で起きた(あるいは起きたとされた)現象は、科学的探索の範疇ですよ」
>と、それだけです。
>>133
>ようやくわたしが何を言っているのか理解されかけてきた様子。
>>150
つまり、macskaは検証不可能な事象についても、「どんなことであれ、現実世界で起きた(あるいは起きたとされた)現象は、科学的探索の範疇」だといっているわけ。検証不可能ということは、カガクにおける理論化の契機すらにゃーということだにゃ。そこで、僕の以下の発言。
>macskaクンの主張がどんなに白痴的で無意味かチミにはわかんにゃーのかな?
>観測とか実証の可能性がなく、理論化の契機がない事象についてすら、現実世界の森羅万象がカガクの検証対象だとあのオツムてんてんは抜かしているにゃんぜ。
>言い換えると
>カガク的な知を構成することのありえにゃー事象についてもカガクの対象だ、といっていることになるにゃ。
>>159
上記の発言から「観測とか」の部分はすでにとりさげているにゃ。
これでも僕の発言は誤読に基づくものかい?>Josef・diamonds8888x
まともなカガク観からは
>※一応ミケとしてはそもそも検証の対象にできようができまいが、
>検証不能なものを科学の範疇である、という言明には賛成できない、
>という立場です。今でも。
という言明がでてくるだろにゃ。僕もそれに賛成。
で、まあこれだけならば、macskaのいう「科学の対象」という概念はただのゴミだというだけのことで(十分に有害でカガク主義よりの概念なのは確かだけど)。
でもさあ
>分からないことについては何も言えない科学と違い、宗教は分からないことについてさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえても良いことになっているので、宗教者はラッキーですけどね。
>>75
などといっちゃっているんだよにゃ。検証不能というのは、カガクには何もいえにゃーということ。現実世界におこることであれば、何もいえにゃーことについてすらカガクの独占対象であるってどうよ? もうとにかく無茶苦茶。
235
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 12:08:32 ID:btJIvKD.
ああ、失敬
>>205
は形としては一応スルーされてなかったにゃ。ごめん。
ついでに
216はメモなんで、そこに突っ込まれても(しかも明後日の方をむいたツッコミ)なんともいえにゃーな。
236
:
macska
:2007/01/18(木) 15:19:53 ID:VdHL1C4M
>>226
> macskaさんに対してできるだけ丁寧に応えようと思って、言うことすべてに
> 回答していたけど、それに対して自分に都合の良いところだけつまみ食いさ
> れ続けていい加減疲れました。
うーん、わたしもそのつもりなんですが。
> 「神がいるかどうかという問題は科学の範囲外」
> がいけなくて
> 「宗教は分からないことについてさも知っているように自分の思い込みを事
> 実とすりかえても良いことになっているので、宗教者はラッキーですけどね。」
> と言う表現には全く問題ないと言い切れる理由を”他人に誤解を与えかねな
> い文章であるか否かの観点で”きちんと説明してください。
全く問題がないことを説明しろと言われても、どこが問題なのかさっぱり分からないので。そこに書かれたことは事実じゃないですか? それとも、事実だけどそういう言い方は失礼だという意味ですか?
> 私は貴方の上記発言はそれ以上に問題がある(宗教、宗教者に対する偏見、
> 侮辱を孕んでいる)と思っていますので、(非難の意味で使っていようがい
> まいが)同様に撤回もしくは訂正する必要があると考えます。
うーん、しかしわたしはそうは思わないのです。事実を言った結果、事実を拒絶したい人を傷つける可能性があるのは分かるけれど、だからといって事実の側を撤回もしくは訂正するのはおかしいと思うし。困ったな。
> 「断言できます」なんて言えるのならその確かな証拠を示してください。
>>195
> と言う質問への回答がありませんでした。
人間の知覚の対象とならない物事について、人間は確かな知覚を得ることができない、という論理そのものが根拠です。ていうか、確かにそう答えたけどな。「そんな答えじゃ満足できない!」というならまだしも、回答そのものがなかったことにしないで欲しいです。
まぁ、こんなことで揉めてもしかたがないので(言わなければいいのにちょっとサービス精神出して言っただけだし)、どうしてもと言うなら撤回して言い換えてもいいです。
「科学がわからない領域のものごとについて、宗教が何かわかっているという証拠は一切ない。八百屋や農民や大工や主婦に分からない、現実世界の外のものごとが、宗教家になら分かるという証拠も一切ない」
これなら、みなさん満足していただけるでしょうか。
237
:
macska
:2007/01/18(木) 15:20:28 ID:VdHL1C4M
>>232
> 特に、
>>202-203
-205あたりの完成度の高いツッコミ投稿に対してはことごとくスルー。
まず
>>202
はあれは答えようがないでしょう。
>>205
に関しては、答えたつもりだけど。
>>203
は、どこに答えればいいのかな。
「神学的知はどうして排除されるのか」という問いなら、空からのフックによってもたらされるものをわたしは「知」とは呼びません(宗教学や宗教史、神学史なら、「知」になり得ます)。その理由は既に書きました。
残りは、わたしに対する質問ではないようですね。
>>> ニンゲンの意識の有り様を解析していけば、一定の条件のもとでの「正しい生き方」
>>> は自然科学で答えが出せるかもしれにゃー。
>>それは、宗教が教えるような、いわゆる「正しい生き方」とは違った意味になりますね。
>え?
>どう違うの?
>逃げにしか見えにゃーぜ。
「正しい生き方」という課題に自然科学で答えが出るという部分で既にブッ飛んでいてわたしの理解を越えています。そうして判明する「正しい生き方」というのが仮にあったとして、それは宗教の教える「正しい生き方」とは違ったモノなんじゃないかと思うんですが。
いや同じだと言うなら、そもそも自然科学の手法でどのようにすれば「正しい生き方」が示されるのか、説明してください。そんなわけの分からない話を持ち出しておいて、わけが分からないからスルーしたら「弱点を突いたぞ!」みたいに反応されても困ります。
>>233
はい、その部分は、本来の議論とは関係のない議論に踏み込んでしまって、分かりにくくなってしまったと思います。しかし、
>>33
の時点から
>>111
の時点までのあいだに「わたしの主張はそれではなくこれです」と何度も説明しているわけで、それだけ離れた発言を連続するものであるかのように書くのは不当です。
はっきり書かないと分からないようなのでもう一度説明しますが、
>>33
で示した「偶然」についての認識は、わたしは撤回しているのです。なぜなら、それは本来の議論から離れた論点であり、本来わたしが主張していることは、
>>33
で示した認識に依存しないからです。
> 検証不能というのは、カガクには何もいえにゃーということ。現実世界におこる
> ことであれば、何もいえにゃーことについてすらカガクの独占対象であるってど
> うよ? もうとにかく無茶苦茶。
科学の「独占」対象だとは一度も言っていませんが。
というより、科学と宗教では、対象に重なりがあるとわたしは一貫して言っています。つまり、現実世界の事象は科学の独占対象ではない、という主張をわたしはしていることになります。わたしの主張の正反対のことを、わたしの主張であるとすり替えて批判するのはやめてください。
238
:
fukken
:2007/01/18(木) 15:40:38 ID:M5vfENrY
>>236
>全く問題がないことを説明しろと言われても、どこが問題なのかさっぱり分からないので。そこに書かれたことは事実じゃないですか? それとも、事実だけどそういう言い方は失礼だという意味ですか?
「あなたは、分からないことについてさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえる。」と言われて平気ですか?
(ま、貴方はあまり羞恥心がなさそうだから平気かも知れないけど、じゃあロムの皆さんにでも聞いてみるといい。)
普通の神経の人なら怒るでしょう。
それを、「宗教はそんな詭弁すら容認されている。だから信者はラッキー。」って・・・。
前にも言ったけど(案の定スルーされたけど)
自分の思い込みを事実とすりかえる人がいたとしても、それが本人の勝手な行為でなく宗教自体が認める行為であるとどうして断定できるのか。
きっちりと説明してください。
239
:
AH1
:2007/01/18(木) 15:45:02 ID:MM7DYpv2
macscaさんの発言にある
>いや、この件についてはわたしが「宗教にも分からない」と言っているだけであって、科学の側がことさらそう宗教に向けて主張するべきだとは言っていません。(Msg222)
と
>宗教であろうと科学であろうと(あるいはただの個人であろうと)、知らないことを「知っている」と言うのはやめよう、というだけのことですが。(Msg223)
の使い分けがどうしてもわかりません。また「科学がカミだからって常に譲渡するのはやめよう」という最初の主張とも微妙に違うような気がします(これは科学に対して言われた言葉ではあるが、カミに対して言及するという点で宗教に対して要求がある、ということになると思う)。
macscaさんが理想とする状態、あるいはmacscaさんが苛立ちを感じない宗教の在り方を教えて頂けませんか。
240
:
macska
:2007/01/18(木) 16:32:26 ID:VdHL1C4M
>>238
> 「あなたは、分からないことについてさも知っているように自分の思い込み
> を事実とすりかえる。」と言われて平気ですか?
一般論として正しいことでも、特定の個人に対して言えば失礼にあたるというのはよくあることです。わたしは一般論として宗教とはこういうものであると言っているのであって、特定の宗教者に対して言っているわけではありません。例えば、特定の宗教者を指差して「こいつは分からないことをさも知っているようにすりかえている」と叫べば、そりゃ当然失礼にあたるでしょう。
ところで、「あなたが言われても平気か」と返したということは、あなたの批判は「事実に反する」という批判(事実についての批判)ではなく、「事実であるが/仮に事実であっても言うべきではない」という批判(倫理についての批判)だということでいいですか?
> 自分の思い込みを事実とすりかえる人がいたとしても、それが本人の勝手な
> 行為でなく宗教自体が認める行為であるとどうして断定できるのか。
例えば、ある個人が自分の思い込みを勝手に事実とすりかえていて、その人に向かって宗教が「それは違う、実際はこうである!」と言ったとして、その宗教の側の言い分というのはその個人の思い込みに比べてより確かなものなのかというと、そんなことないでしょ?
>>239
わたしの名前が違ってますが(別に失礼だとか言いたいわけじゃなくて、今後のために)。
> 使い分けがどうしてもわかりません
使い分けというか、一連の主張のうちの別の箇所をとりあげているだけに見えますが。
> また「科学がカミだからって常に譲渡するのはやめよう」という最初の主張とも微妙に
> 違うような気がします
だから、最初の主張とは別の主張なんですって。
こうも混沌としてくると、余計なことは言わなきゃ良かったと思うわけですが、言った内容が間違いだったとは思っていません。
わたしの最初の主張は、科学に対するものです。
それに対し、「知らないことを『知っている』というのはやめよう」というのは、最初の主張とは別に言った、誰にでも通用することですが、特に一部の宗教では「知っていること」と「信じていること」を区別しない傾向があるのが問題だと思っています。
> macscaさんが理想とする状態、あるいはmacscaさんが苛立ちを感じない宗教の在り方を
> 教えて頂けませんか。
それらの答えは、わたしには思いつかないです。
241
:
fukken
:2007/01/18(木) 17:20:02 ID:M5vfENrY
>>240
>例えば、ある個人が自分の思い込みを勝手に事実とすりかえていて、その人に向かって宗教が「それは違う、実際はこうである!」と言ったとして、その宗教の側の言い分というのはその個人の思い込みに比べてより確かなものなのかというと、そんなことないでしょ?
質問は、「宗教自体が認める行為であるとどうして言えるのか?」です。
良く考えて回答してください。
貴方の質問については、これを良く理解してもらわないと回答してもまた誤解されるだけだと思いますので、納得のできる回答をいただいてからお答えします。
242
:
みずすまし
:2007/01/18(木) 17:23:21 ID:TgyKdXjk
>>237
>
>>203
は、どこに答えればいいのかな。
> 「神学的知はどうして排除されるのか」という問いなら、空からのフックによってもた
> らされるものをわたしは「知」とは呼びません(宗教学や宗教史、神学史なら、「知」
> になり得ます)。その理由は既に書きました。
「その理由は既に書きました」というのは,「人間の知覚の対象とならない物事について、人間は確かな知覚を得ることができない」(
>>236
)だと思います。それは正しいと思います。
# ここでいう「知覚」とは,五感とその統合作用による知覚だと思いますが,以下,そ
# の前提で書きます。
しかし,「人間の知覚の対象とならない物事」について,確かな(or かなり確からしい:以下同じ)知識を得ることはできるのではないでしょうか?
例えば,数学がそうですよね。
macskaさんが,数学的知識も「人間の知覚の対象と *なる* 物事」の知識だというのならばそれはそれで一つの立場だと思いますし(私は賛成できないけど),数学的知識は確かな知識ではないというのならそれも争う気はありません。
しかし,もし,macskaさんが,数学的知識が「人間の知覚の対象とならない物事」の知識であり,確かな知識だと認めるならば,少なくとも「人間の知覚の対象とならない物事」について,確かな知識を得る方法を一つは認めるわけですよね。
さらに,もしそうであるならば,科学的知識と神学的知識は「人間の知覚の対象とならない物事について、人間は確かな知覚を得ることができない」ということで区別できたとしても,数学的知識と神学的知識はそれでは区別できません。
それならば,どういう理由で数学的知識と神学的知識は区別するのだろうか,というのが私の疑問です。
ところで,「空からのフック」(
>>237
)・「下から築き上げるためのクレーン」(
>>179
)というアナロジーがよく分からないのですが,そのアナロジーだと,数学的知識は「空からのフック」に吊るされたものになるのでしょうか? それとも「下から築き上げるためのクレーン」があるものになるのでしょうか?
243
:
NAN
:2007/01/18(木) 17:43:17 ID:IFKuzC4g
返答(
>>222
)があったようなので書きます。
>そんなことはないし、そうは言っていない。イエスのDNA云々は、仮にの話で、例えばイエスの父と母が誰であったかDNAによって確認された場合、聖書による処女受胎の伝説が反証されることもあり得ると言っているだけ。DNAが発見されればその人物について何でも分かるなんてことは主張していません(いくらなんでもそんなトンデモありえない)。
自分で味わってみないとなんとも云えんと思ってたんだけど…なるほどmacska氏の議論スタイルは
→他者には逐語的読解を要求するのに、自説については解釈の幅を持たせる方式
のようです。
こぉいう場合、「イエスのDNA云々についての自分の記述には問題があると認めるor取り下げるand勇み足についてケリをつける」というアクションを行った上で、「しかし本来自分の述べていることとは…」とやらにゃぁ、紛糾するに決まってるでしょう。挙句に私の指摘を「意図的に誤読」しているようにも見える。意図的な誤読は詭弁議論の基本的な手段で、macska氏のそれは「ソフトな強弁」という印象。
明らかに「イエスのDNAが手に入れば、イエスが行ったとされる奇跡もカガクの検証対象となる」とmacska氏が述べている。この指摘に対して「そんなことは云っていない、それは仮の話である」と逃げる。仮の話だろうとなんであろうと、明らかに「イエスのDNAが手に入れば奇跡を反証できる」と云っているのにそれを認めない。挙句に「処女受胎という奇跡が(たかがカガクによって)反証される」とか述べる。それは結果的に「奇跡の定義」をカガクの範囲に収めるべきだ、という「カガクの側からなされる宗教側に対する冒涜」であることに、いまだに気づいていない、あるいは認めない、というカガク万能主義に基づいた思い上がりにしか見えないのは当然だろうね。
>現実世界で起きた物理的な現象が「科学の範囲外」というのは論理的におかしい。
イエスの奇跡(に限らず、さまざまな信仰対象となる奇跡)が、現実世界で起きた物理的な現象である、となぜ決め付けられるのだろう。これが「逐語解釈」にほかならない、と私は述べている。macska氏が「そんなのは仮の話だ」と逃げまくるのとは違い、まともな宗教者であれば毅然として「カガクの対象がカガクの対象であるのは当然だろ?だがこれは宗教の話だよ?」と述べておしまい。
逐語解釈に従い、聖書の記述はすべて一字一句正しいので「カガクが提唱する進化論は間違いである」と述べるのが原理主義的創造科学であり、疑似科学の典型なわけですが…カガクの側がそれを積極的に行うのであれば、なるほど聖書やその他の経典の中身はすべて「論理的、科学的にマチガイ」とかいうことになり、それが宗教者に対する甚だしい冒涜になるとは思わないのだろうか?
244
:
AH1
:2007/01/18(木) 18:35:11 ID:MM7DYpv2
>わたしの名前が違ってますが(別に失礼だとか言いたいわけじゃなくて、今後のために)。
大変失礼致しました。気をつけます(咎められなくてもこれは明らかに失礼ですので)。
>使い分けというか、一連の主張のうちの別の箇所をとりあげているだけに見えますが。
確かにそうかもしれないのですが、macskaさんが「要するにどうしたいのか」がよく見えなかったのです。
(複数の話が錯綜していることはわかっております・最初の提案はわかりやすかったのですが、以後、頭が混乱してしまいました)
>> macscaさんが理想とする状態、あるいはmacscaさんが苛立ちを感じない宗教の在り方を
>> 教えて頂けませんか。
>それらの答えは、わたしには思いつかないです。
うーん・・ そうですか。
私が感じていたことは202で酔っ払いさんが見事に表現されているのですが、ああいうのとも違うんでしょうか。
245
:
macska
:2007/01/18(木) 19:24:33 ID:VdHL1C4M
>>241
> 質問は、「宗教自体が認める行為であるとどうして言えるのか?」です。
個別の「思いつき」であれば、宗教が認めることもあれば認めないこともあります。
わたしが言うのはそういう個別の話じゃなくて、宗教というのは「何も根拠はないけれど、信じる」という振舞いが許される領域なのではないか、と言っているの
「どうして〜と言えるのか?」と何度聞かれても、わたしがもともと言っていた発言と違う内容について責任は持てません。
> しかし,「人間の知覚の対象とならない物事」について,確かな(or かなり確から
> しい:以下同じ)知識を得ることはできるのではないでしょうか?
はい、五感のほかにも「論理」という道筋があります。数学もその一部だと思います。
わたしが「知覚」というとき、五感だけではなく論理的に導き出されるものも含めたつもりですし、現にわたしは議論の中で論理を「確からしさ」の源泉として援用しているので文脈上そう理解してもらえないこともないと思いますが、はっきりと説明していなかった点はすみませんでした。
> ところで,「空からのフック」(
>>237
)・「下から築き上げるためのクレーン」(
>>179
)
> というアナロジーがよく分からないのですが,そのアナロジーだと,数学的知識は「空
> からのフック」に吊るされたものになるのでしょうか? それとも「下から築き上げる
> ためのクレーン」があるものになるのでしょうか?
数学は、非常に有用なクレーンの1つです。
どんな複雑な数学的知識も、より細かい部品を積み重ねた上に到達できるわけですから。
>>243
> 明らかに「イエスのDNAが手に入れば、イエスが行ったとされる奇跡もカガクの
> 検証対象となる」とmacska氏が述べている。
言っていない! いくらなんでもそこまでバカだと思わないでください。そんな読解が可能だなんて、あなたに言われるまで考えもしなかったくらいで。
イエスのDNAが手に入れば(そして周囲の人のDNAも手に入れば)、イエスの両親が誰であったかということは科学的に検証できる。できないという理由が何かありますか?
> イエスの奇跡(に限らず、さまざまな信仰対象となる奇跡)が、現実世界で起きた物理
> 的な現象である、となぜ決め付けられるのだろう。
現実世界で起きたとされる現象ならば科学の範囲であると言っているのであって、奇跡と呼ばれるものは全て現実世界で起きた物理的な現象であるとは言っていません。まぁ現実に何を人々が「奇跡」と呼んでいるかと調べれば、その大半は「現実世界で起きた物理的な現象」のことだとされているけどね。
たとえば、イエスが水をワインに変えたというのが何かの例え話だとしたら、もちろんそれは科学的検証の対象ではありません(が、もし例え話なら、奇跡とは普通呼ばないですね)。しかし、現実にイエスが水をワインに変えたという主張であれば、それは科学の対象となるはず。
> カガクの側がそれを積極的に行うのであれば、なるほど聖書やその他の経典の中身はすべ
> て「論理的、科学的にマチガイ」とかいうことになり、それが宗教者に対する甚だしい冒
> 涜になるとは思わないのだろうか?
科学の側が積極的に宗教の教典の中身を検証しろとは言っていません。
まぁ、もしやる人がいたら、それは確かに宗教に対する敵意丸出しですね。
# 敵対行為だとは思いますが、冒涜というのはちょっと違うような気がします。
>>244
> macskaさんが「要するにどうしたいのか」がよく見えなかったのです。
じゃあ、標語風にしちゃいます。
人知の及ばない領域の問題について、宗教だけに何か特別の知があるかのように扱うのはやめよう。
246
:
YS
:2007/01/18(木) 19:42:14 ID:PQAzdVPI
一読者として解説を加えさせてもらいましょう。
私には macskaさんは例えの使い方がわるかったぐらいで議論にあまり問題があるように思えません。macskaさん、これ以上論理的思考のトレーニングが足らない人たちと議論するのはあなたにとって時間の無駄だと思うんですけどね。
「クレーン」「フック」はダニエル・デネットが使うたとえです。知識体系という塔を積み上げていくのに、下位概念から上位概念を積み上げていくのがクレーン、その逆がフックです。生物学/地質学etc.の基本的証拠から進化を論ずるのが前者、創造者/デザイナーの存在をもとにそれらの基本的証拠を論ずるのが後者の思考法です。数学(なんで数学を科学から除外するのか私にはさっぱりわかりませんが)および科学は主にクレーン的思考を使用します。たとえばユークリッド幾何学は平行線は交わらないなどの直感的な公理をもとに定理を構築します。「クレーン」「フック」の違いはその論理体系の基盤となる公理の性質の違いといってもいいかもしれません。「我唯一の神の存在を信ず」と「我平行線は交わらない事を信ず」の信念としての差はない、とおっしゃる方にはクレーンもフックもありませんし、私としては議論の仕様もありません。
あとmacskaさんの主張を理解するのに必要なのは
>>110
にある「存在を主張する方に証明責任があり、非存在は証明不可能」という当たり前のルールですね。
>>202
に関していえば、Aが宇宙の真理が42である証拠を出さない限り、Bは(そしてA以外の誰も)Aの主張を論理的に認める義務はありません。これは科学もクソもない、単なる論理の問題にすぎません。
って書こうとおもったらもうmacskaさん書いてたね・・・・・
>>244
の標語にどんな文句があるんですか?皆さん?
247
:
YS
:2007/01/18(木) 19:44:02 ID:PQAzdVPI
まちがい、
>>245
の標語。
248
:
AH1
:2007/01/18(木) 20:11:37 ID:MM7DYpv2
>じゃあ、標語風にしちゃいます。
>人知の及ばない領域の問題について、宗教だけに何か特別の知があるかのように扱うのはやめよう。
了解いたしました。回答、ありがとうございます。
そして人知の及ぶ領域については、当然、科学の出番ですよね?
249
:
HAKASE
:2007/01/18(木) 20:46:28 ID:ZC/gbS1c
temaさん.お返事ありがとうございます.
カオス時系列解析の理解については,temaさんの書かれた想像で正しいと思います(私自身とても詳しいというわけではないですが,私の理解と一致しています).
それからパイロット解釈の紹介ありがとうございます.私も知りませんでしたが,カオス理論を用いた検証をしようという試みは量子力学の分野でも検討されているということですね.
「観測が多大な影響を及ぼす」場合についてですが,観測が基情報に影響を与えても,ある特定の観測装置で観測した時系列データが得られさえすればカオス時系列解析の分析対象になり得ます.
ただし,得られるモデルは「データ収集に利用した観測装置の特性も含めた観測対象の数学的なモデル」になります.
そして,その観測装置が,各データ観測時刻で同じ特性を持つものだった場合,観測結果がカオス的であることが示されれば,観測対象を数学的モデルで表せる可能性が示唆されます.
そういう意味ではカオス時系列解析でも,数学モデルが生成可能か否かの実証的な検証は可能だと思います.
# 門外漢なので間違っているかもしれませんが,もし量子力学の理論が,カオス理論による数学のパラダイムシフトを考慮しない数学体系で証明されているなら,今後の科学的検証によって修正が入る可能性はあると思います.
temaさんの意見についてですが,もし「現在主流である科学的な論理(コペンハーゲン解釈)では,原理的に説明ができない」という趣旨でしたら,私もtemaさんの意見に同意します.
ですが,もし「科学的なデータ解析手法を適用して(例えば予測可能性などを)検証することが原理的にできない」という趣旨でしたら,私は原理的に不可能とまでは言えず,例えば上に示したような科学的な手法に基づく検証は可能なのではないかなと思います.
おそらくtemaさんのご意見の趣旨は前者だろうと思います.一方,私が示したかったのは後者の意見で,この両方の意見は両立可能だと思います(私は両方の意見に納得しました).
なので,temaさんに「後者の意味では「科学で扱う範囲内」である」という趣旨に賛同していただけると,お互いに合意したうえで意見交換を終了にできるかと思いますが,どうでしょうか?
250
:
えめ
:2007/01/18(木) 21:15:13 ID:0JLPCUfQ
>たとえば、イエスが水をワインに変えたというのが何かの例え話だとしたら、もちろんそれは科学的検証の対象ではありません(が、もし例え話なら、奇跡とは普通呼ばないですね)。しかし、現実にイエスが水をワインに変えたという主張であれば、それは科学の対象となるはず。
ほーほー。水をワインに変える、ねえ。
「ありえない」を前提にして話してるでしょ。ニヤニヤ
でもね本当にあったらどうするの?
イエスのDNAだって調査したら外見は男にも関わらずDNAはマリアとまったく同じ(処女生殖)だったらどうするの?
「そんなことはありえないんですよ」
ですか?
でもそれらが観測されたら、貴方はどうするの?
>>37
の問い
>仮に現在イエスが存在したとして、水をぶどう酒に変えて見せたとして
>まぁ、おそらくマジシャンも参加した実験を繰り返しますわな。
>で、結果
>1.科学者が調べたが確かに水の組成はぶどう酒へと変化していた。
>2.実験は厳密に行われ、トリックの介在できる余地は一切なかった。
>3.念じただけで水がぶどう酒に変わる原理など皆目見当もつかなかった。
>4.当の男はこの現象は神への信仰によって齎される(奇跡)と主張していた。
>さて科学者はこの場合、自然法則を超越している「奇跡」だから神の存在(意思)が証明されていると主張すべきですか?
元々は科学は奇跡と呼ばれる現象をどう扱うか、と言う話なんですが答えは
>>41
>ええと、あのですね、だから、水がワインに変わるわけがないんですよ。
残念なのはこの返答はただの常識であって科学(としての姿勢)ではないと言うこと。
皆がありえないと考えているから宗教的には奇跡であり、奇跡を起こしたとされるから預言者の一人として認められているのでしょう。
科学って言うのは現象のメカニズムを探求するツールであるから、厳密に用いたにもかかわらず意に反する結果が出たからと言って「”常識では考えられない(あるいは現在の仮説では説明できない)”からありえない」と断言するのは拠り所とするツール、科学すら実は否定してるって事になりませんか?
余話ですが
今更ながらですが地下ネコさんにお礼です。
宗教と科学は呪術において重なり合う、とても参考になりました。
賑やかでROMも楽しいですね。
251
:
みずすまし
:2007/01/18(木) 21:36:46 ID:TgyKdXjk
>>245
> わたしが「知覚」というとき、五感だけではなく論理的に導き出されるものも含めたつ
> もりですし、現にわたしは議論の中で論理を「確からしさ」の源泉として援用している
> ので文脈上そう理解してもらえないこともないと思いますが、はっきりと説明していな
> かった点はすみませんでした。
〔・・・〕
> 数学は、非常に有用なクレーンの1つです。
> どんな複雑な数学的知識も、より細かい部品を積み重ねた上に到達できるわけですから。
うーん… 以下の質問はスルーしていただいても良いのですが(枝葉の枝葉を作り出すことになるから),余裕があればお答えください。
第一に,macskaさんは「数学」を「科学」に含めるんでしょうか?
第二に,論理的というよりも直観的な数学的知識もあるんじゃないでしょうか?
これは説明を加えます。
例えば,「ある三角形に内接する円は一つだけ,そしてただ一つだけある」というのは直観的に正しいですが,私はその証明を知りません。しかし,やはり,私は「ある三角形に内接する円は一つだけ,そしてただ一つだけある」と知っているといってよいと思うのです。
# 現代のソフィスケートされた数学では「直観的に正しい」というのは通用しないかも
# しれない。でも,数学がそこに至るには19世紀〜20世紀初頭まで待たなくてはならな
# くって,それ以前の数学者はいくぶんかは「直観的に正しい」ということに頼らなく
# てはならなかったはず。
厳密さのために,手元の書籍から一例を引いておくと,『数学的経験』には,「われわれはこの問題の分析型の解を知らない」(おそらく,公理から論理的に組み立てられた証明はまだない,という意味に解してよいと思う)定理として,「ゴモリー(E. Gomory)の定理」というものが,幾何学的に直観的な証明とともに紹介されています。
>>246
> (なんで数学を科学から除外するのか私にはさっぱりわかりませんが)
私個人の言語感覚。
数学が「科学」に含まれるかどうかは言葉の使い方の問題なので,はっきりしてさえいれば,どちらでも良いのですが。
# 日本では,「科学」に数学を含めない用法のほうが一般的じゃないですか? とは思
# うけど,水掛け論になるので。
> たとえばユークリッド幾何学は平行線は交わらないなどの直感的な公理をもとに定理を
> 構築します。
直観的な公理が「正当化された真なる信念」であるということでしょうか?
それとも,ユークリッド幾何学の公理が「真」であるのは,そう公理が定められているからであって,その公理系を離れては「真」でも「偽」でもないという話でしょうか?
252
:
fukken
:2007/01/18(木) 21:43:50 ID:M5vfENrY
>>245
>個別の「思いつき」であれば、宗教が認めることもあれば認めないこともあります。
>わたしが言うのはそういう個別の話じゃなくて、宗教というのは「何も根拠はないけれど、信じる」という振舞いが許される領域なのではないか、と言っているの
>「どうして〜と言えるのか?」と何度聞かれても、わたしがもともと言っていた発言と違う内容について責任は持てません。
こちらはあなたが言ったままを尋ねているだけなのですけどね。
NANさんにあれだけ書かれてるのに、今度は「ではないのか」なんていきなりトーンダウンさせたりしてるし。
いいですか。(わかっててやってるっぽいけど、一応もう一度説明してあげます。)
「分からないことについてもさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえる」が人として良い行いでないことは了解してもらえていますね?
「宗教はそれをして良いことになっている」と貴方は言ってしまったのです。
もっと分かりやすく言えば、「宗教は悪行をして良いことになっている」です。
それでもこの発言に問題ないと言うのですか?
253
:
地下に眠るM
:2007/01/18(木) 21:50:21 ID:cizMQ0FI
またわかりやすい馬鹿がきたこと(ほくそ笑む僕
>>246
> (なんで数学を科学から除外するのか私にはさっぱりわかりませんが)
ほれ、ウィキから引用だにゃ
***************************
「数学は理学や自然科学ではない」と考える主な根拠は数学は自然現象を対象にしていないというもの。より詳しく言うと以下の通り。
* 数学では実験も観察も行わない:「仮説を立て実験観察により検証する」という自然科学の最大の特徴を欠いている。数学は自然科学とは異質な学問である。
* 数学は机上の空論:自然科学は自然現象を扱う学問である。しかし数学はただの論理で、公理から導けるものなら何でも扱う机上の学問。
* 数学の正しさは自然現象と無関係:数学はただの論理なので自然現象と矛盾する数学を作る事が可能だし、実際にそういう研究もなされている。数学の真正性は我々の宇宙とは別の宇宙ですら成り立つ。物理学は実験結果によって理論が覆される事があるが数学ではありえない。
* 数理モデルは自然現象とは別:(平たく言えば、数学で扱う「直線」は太さが無いのに実際の直線は太さがあるので両者は別物、という事。)自然現象を数学で扱うこともあるが、その場合はまず数理モデルという「自然現象とそっくりな数学的対象」を作り、自然現象そのものではなく数理モデルの方を扱う。この為数理モデルを使った成果と実際の自然現象にズレが生じる事も多い。これは数理モデルのほうは数学だが実際の自然現象のほうは数学ではないからだ。数や図形のように物理的背景を持つ研究対象も多いが、数学で扱うのは数理モデルの方の数や図形であって実際の数や図形ではない。
* 自然現象と無関係な対象も扱う:例えば計算機も研究対象。
* 数学は言語:数学は自然科学の記述に必要だが、だからといって数学は自然科学だとは言えない。実際自然科学の記述に英語や日本語などの言語を用いるが、英語や日本語を自然科学だとは誰も思わない。数学は言語だ。実際計算機科学では数学(的に正しい命題全体の集合)を言語として扱う。数学は自然科学自身ではなく自然科学を記述するための"メタ科学"だ。
************************
チミのいう「論理的思考のトレーニングが足らない人たち」の多くは、ウィキの引用一発で無知と無思慮がばればれになるような底の浅いレスなんてしてにゃーぜ(げらげら
引用につけくわえるとしたら
科学理論というのは常に仮説であり、あるいは近似値である。真理そのものではない。だからこそ、それはクレーンという比喩が適当なのだにゃ。
しかし、数学はズバリ真理を扱える知的体系なのよ。むしろ人文科学の側面があるんだにゃ。科学の記述言語といえるしね。
一応いっておくと、数学教育は積み重ねで行われるけど、数学そのものは必ずしも積み重ねでえられるものではにゃー。
デネットの見解では進化はアルゴリズムに還元されるというのは承知しているし、そのあたりは僕も支持しているのだにゃ。
しかし、数学は「クレーン」かにゃ?
デネットはそんなことをいっているかい?
254
:
Josef
:2007/01/18(木) 21:54:16 ID:uPoVYQoU
HAKASEさんの「人間の意識が科学的手法で扱えるか」(
>>215
)についてです。
仰るとおり、意識を科学的手法で扱うことはできるし、実際扱われていますが、意識内に起こる「実感」そのものについては科学的手法にうまく乗っからないでしょうね。
「痛い」という実感(感覚)の起こるメカニズムを物質レベルで解明・記述することはできる。けれどもそれによって「痛い」という実感そのものが「分かる」ことにはならない。たとえば「痛い」を経験したことのない人が、「痛い」が起こるメカニズムについての科学的説明を完璧に理解しても、あの「痛い!」というアリアリとした実感を「知る」ことはできない…。まあこれは昔から議論されてきたことですが(茂木健一氏の言う「クオリア=質」もそれでしょう)。
話題に上っている「神を知っている」の「知」は上記の「知」、すなわち「痛いを知っている」に近いと思われます。言うまでもなくそれは学的な「知」ではなく直観的な「知」です。このような「知」は科学では扱えないのではないとおもいますがいかがですか、皆様。
255
:
Josef
:2007/01/18(木) 21:57:47 ID:uPoVYQoU
ひらがなが一つ抜けていました。
>このような「知」は科学では扱えないのではない「か」とおもいますがいかがですか、皆様。
です。
256
:
Josef
:2007/01/18(木) 21:58:33 ID:uPoVYQoU
>>246
>「我唯一の神の存在を信ず」と「我平行線は交わらない事を信ず」の信念としての差はない、とおっしゃる方にはクレーンもフックもありませんし、私としては議論の仕様もありません。
信念、というか信憑としての差は見出せないでしょう。差があるのは「神」と「平行性は交わらない」の存在様態です。前者は非論理であり、後者は論理(の基盤)です。それゆえ伝達性において大きな違いが出てくる。しかし非論理であろうと論理であろうと、それが当人にとっては疑いえない明証として立ち現れるという点で、「信」そのものには差はないと思います(あると言うならあると言う方が証明すべきですね)。
>数学(なんで数学を科学から除外するのか私にはさっぱりわかりませんが)
既に指摘されている通り、数学は科学の一部ではなく科学を研究し記述する際の道具でしょう。「道具」というのは科学から見た場合の話で、有名な数学者ガウスの言葉を借りれば「数学は科学の女王」ということになります。科学に対してメタレベルに立つものですね。科学は数学の正しさを証明できません。
257
:
macska
:2007/01/18(木) 22:13:23 ID:VdHL1C4M
>>248
> そして人知の及ぶ領域については、当然、科学の出番ですよね?
科学以外は口を挟むなとまでは言いませんが、科学の有用性は広く理解されて欲しいですね。
>>250
> イエスのDNAだって調査したら外見は男にも関わらずDNAはマリアとまったく
> 同じ(処女生殖)だったらどうするの?
もしそれが事実として確認されたら、驚愕の新発見ですね。何かの間違いじゃないかという意見も出るでしょう。なぜなら、これまで知られている生物学の知識を大きく逸脱するからです。しかし、それでも確実にイエスのDNAがマリアと同一だと確認されたのであれば、いずれ生物学の理論の方を見直す必要がでてくるかもしれません。
わたしが
>>41
で「水がワインに変わるわけがない」と言ったのは、「もし確認されたらどうするのか」とばかり言うから、「確認されたら大変なことだけど、検証したら『やっぱりワインにはならなかった』という結論が出る可能性の方が高い」と言っているだけ。もし確認されたらされたで、科学的にそういう結論が出たということだから、やっぱり「水がワインに変わったかどうかは科学的調査の対象となり得る」という部分ではわたしの言った通りです。
というわけで、
> 科学って言うのは現象のメカニズムを探求するツールであるから、厳密に用いたにも
> かかわらず意に反する結果が出たからと言って「”常識では考えられない(あるいは
> 現在の仮説では説明できない)”からありえない」と断言するのは拠り所とするツール、
> 科学すら実は否定してるって事になりませんか?
というのは誤読です。
わたしは「常識では考えられないからありえない」とは言っていません。
そんな常識でありえない方向の議論ばかりやっても仕方がないじゃん、程度の意味です。
>>251
> 第一に,macskaさんは「数学」を「科学」に含めるんでしょうか?
数学というのは、科学ではなく論理学の一部であると認識しています。科学における「正しさ」は現実世界をきちんと説明できるとか、現実世界の事象と合致するということを意味しますが、数学や論理学においては現実との対応ではなく数式あるいは言明それ自体が正であったり誤であったりすることがあり得るという点が特殊だと思います。
> 第二に,論理的というよりも直観的な数学的知識もあるんじゃないでしょうか?
わたしは数学はよく知らないのですが、「ある三角形に内接する円は一つだけ」という問題なら、実際にいくつか三角形を描いてみて、それに内接する円をさまざまに描こうとしてもどうしても1つしか描けない、という事実は、命題が真であることの証明にはならないまでも、それが「かなり確からしい」と判断するに足る材料にはなるのでは。
258
:
e10go
:2007/01/18(木) 22:24:18 ID:5/V6R9W6
>>245
:macska:2007/01/18(木) 19:24:33 ID:VdHL1C4M
>
>>243
>> 明らかに「イエスのDNAが手に入れば、イエスが行ったとされる奇跡もカガクの
>> 検証対象となる」とmacska氏が述べている。
>言っていない! いくらなんでもそこまでバカだと思わないでください。そんな読解が可能だなんて、あなたに言われるまで考えもしなかったくらいで。
へえ〜、言ってないってか。じゃあ、これはどうなの?
>>3
:macska:2006/12/25(月) 07:30:53 ID:VdHL1C4M
>例えば、伝承によればモーセという人は海を割ったとか、
>イエスという人は水をワインに変え、死者を蘇らせたとか。
>あるいは、マリアが処女であるにも関わらず懐妊したとか。
>これらの「奇跡」は古い時代の話なので検証するに足るだけの証拠がないですが、
>もし証拠が発見されれば、例えばイエスの DNA が発見されれば、
>それは原理的に科学的検証を受け付ける現象であるはずです。
NANさんの言い回しとは違っても、同じ意味の事を言ってるんじゃーないの?
NANさんの言っている意味と違うというなら(誰が見ても同じ意味に取れるが)、
>>222
:macska:2007/01/18(木) 01:17:10 ID:VdHL1C4M
>そんなことはないし、そうは言っていない。
ではなく、「訂正します。こういう意味です。」と発言するべきでしょう。
NANさん、横はいりすみません。こういう発言見ると、どうしても突っ込みたくなるもんで。
259
:
AH1
:2007/01/18(木) 22:44:21 ID:MM7DYpv2
> >そして人知の及ぶ領域については、当然、科学の出番ですよね?
>科学以外は口を挟むなとまでは言いませんが、科学の有用性は広く理解されて欲しいですね。
了解しました。あわせると
「人知の及ばない領域の問題について、宗教だけに何か特別の知があるかのように扱うのはやめよう。
人知の及ぶ範囲については、科学以外は口を挟むなとまでは言わないが、科学に信頼を寄せろ」
くらいになりましょうか。
・・・「科学以上に現実世界を知っているものはない」とのお考えのように読んでおりましたので、後段はちょっと予想とニュアンスが違いましたが。
「科学の範疇にあることは科学が最もよく知っており、科学の範疇にないことは科学は知らず、科学的に確かめられた事以外は『知っている』と表現してはいけない故に、科学の範疇にないことを『知っている』者はいない。」
ということか、やっとわかった・・(頭悪ぃな、俺)。と思ってたんですけど。
で、この理解が正しいとしてですが、まあ、素朴に唯物論的・経験論的・科学主義的に言えば確かにそうかもしれませんけど、これを言ったら宗教者は怒るでしょうなあ・・
それに私は科学の「知」についてそこまでの絶対的な自信はもてないですね。
(って代わり映えしない意見だ。ほんと頭悪ぃな、俺)
260
:
macska
:2007/01/18(木) 22:53:01 ID:VdHL1C4M
>>252
> 「分からないことについてもさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえる」
> が人として良い行いでないことは了解してもらえていますね?
そういう行為はできるだけやめて欲しいとわたしは思っています。
「人として良い行いでない」というような、絶対的な倫理はわたしは持ち合わせていませんが。
> 「宗教はそれをして良いことになっている」と貴方は言ってしまったのです。
全ての宗教ではないですが、世界的な大宗教の中にそれを許容し奨励するものがあるのは事実です。
> もっと分かりやすく言えば、「宗教は悪行をして良いことになっている」です。
うーん、多くの宗教では一般社会の善悪の基準を超越した倫理を説くのは事実です。それを「宗教は悪行をして良いことになっている」と表現するのは極端だしおかしいと思いますが、それはわたしの発言ではなく、あなたが勝手に言い換えただけです。
> それでもこの発言に問題ないと言うのですか?
どこが問題なのか、理解できません。
>>258
「例えばイエスのDNAが発見されれば」というのは、マリアの処女受胎について調査するための科学的証拠になる、という意味です。DNAが発見されればイエスの生涯のすべてについて解明できるなんてことは普通に考えてありえないし、いくらなんでもそこまでわたしはバカじゃない。もしあなたがわたしがそれほどバカだと思うなら、そんなバカと議論するだけ無駄ですから無視してください。
わたしの書き方が悪いから誤読してしまったというなら、いくらでも「文章ヘタですみません」と言ってもいいですが、「それは誤読である」と言っているのに「いや、お前はこういう意図だっただろう」と決めつけられてしまっては、議論が全然進みません。特に今回の件のように、わたしの意図からはるかにかけ離れたことを「わたしの意図」として決めつけられて攻撃されるのは不快です。誤読してしまったのは仕方がないとして、それは誤読だとちゃんと説明しているのに「いやそれが真意だ」と言い続けることにどんな意味がありますか? そんなことをやって何が楽しいですか?
>>259
> で、この理解が正しいとしてですが、まあ、素朴に唯物論的・経験論的・科学主義的
> に言えば確かにそうかもしれませんけど、これを言ったら宗教者は怒るでしょうなあ・・
そんなことで怒らないで欲しいんですけどね。まぁ、知りもしないことを「知っている」と標榜することで商売しているような宗教にとってはダメージかもしれませんが、宗教の価値ってそんなことではないんじゃないかなぁ。
> それに私は科学の「知」についてそこまでの絶対的な自信はもてないですね。
わたしは科学の「知」を信頼しているんじゃなくて、クレーンを信頼しているんですね。
そういう意味では、地下に眠るMさんの
>>225
における独り言、
> カガクは確かに物質的に積み重ねられたクレーンかもしれにゃー。
> しかし、形而上学は天からつり下げられたフックではにゃーのだ。形而上学を支え
> ているのは、数十億年の進化を経た僕たちニンゲン存在の手なのではにゃーだろうか?
というのは、ちょっとだけ興味をそそられます。
もし形而上学が科学とは別のクレーンだというなら、それは考慮する価値がありそうです。
現時点では、わたしはその主張にかなり懐疑的ですが。
261
:
谷庵
:2007/01/18(木) 22:54:00 ID:???
>>246
>あとmacskaさんの主張を理解するのに必要なのは
>>110
にある「存在を主張する方に証明責任があり、非存在は証明不可能」という当たり前のルールですね
「存在を主張する方に証明責任があり、非存在は証明不可能」というのは科学の領域の話ですね。
信仰は神の存在が証明されたからするものじゃない。
「神の存在は科学的に証明された」とでも言えば別ですが「私は神の存在を信じます」という人に、神の存在を証明してみろと言っても仕方がない。
それにね、科学の領域だって、存在が証明されなければ存在しないと断言できる訳じゃない。
macska氏は
>>188
で(死後の世界は誰にとっても知覚できないと)断言しちゃっているんだよ、知らなかった?
(念のために言うと、谷庵だって誰かが死後の世界を知覚できるとは思っていない。でも、断言はしない。)
262
:
fukken
:2007/01/18(木) 23:34:55 ID:M5vfENrY
>>260
>>「分からないことについてもさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえる」が人として良い行いでないことは了解してもらえていますね?
>そういう行為はできるだけやめて欲しいとわたしは思っています。
>「人として良い行いでない」というような、絶対的な倫理はわたしは持ち合わせていませんが。
なるほど。
だからこそこうして平気で恥ずかしい真似ができるのですね。
>>「宗教はそれをして良いことになっている」と貴方は言ってしまったのです。
>全ての宗教ではないですが、世界的な大宗教の中にそれを許容し奨励するものがあるのは事実です。
確かに!オウム真理教もそうですよねっ!
#さすがにその言い訳は苦しすぎるだろ
>>もっと分かりやすく言えば、「宗教は悪行をして良いことになっている」です。
>うーん、多くの宗教では一般社会の善悪の基準を超越した倫理を説くのは事実です。それを「宗教は悪行をして良いことになっている」と表現するのは極端だしおかしいと思いますが、それはわたしの発言ではなく、あなたが勝手に言い換えただけです。
そうですか。
私は姑息で卑劣な真似が大嫌いなので「分からないことについてもさも知っているように自分の思い込みを事実とすりかえる」は、私にとっては十分「悪行」です。
姑息な真似を特技としているmacskaさんにとっては「善行」ってところなのでしょうね。
>>それでもこの発言に問題ないと言うのですか?
>どこが問題なのか、理解できません。
うん、macskaさん楽しい。こうなるともう一つの芸だね。
>例えば、特定の宗教者を指差して「こいつは分からないことをさも知っているようにすりかえている」と叫べば、そりゃ当然失礼にあたるでしょう。
>>240
って言っていたじゃんって突っ込みはしないでおきます。(って、してるし。)
263
:
fukken
:2007/01/18(木) 23:35:33 ID:M5vfENrY
じゃ、つぎ。
>>236
>>>死後の世界の存在は、わたしには知りようがないし、断言もできません。しかし、その事について宗教がわたしに比べてより確かな知識を持っていないことは、断言できます。宗教をやっている人たちだって同じ人間なんですから。
>>188
>>「断言できます」なんて言えるのならその確かな証拠を示してください。
>>195
と言う質問への回答がありませんでした。
>人間の知覚の対象とならない物事について、人間は確かな知覚を得ることができない、という論理そのものが根拠です。ていうか、確かにそう答えたけどな。「そんな答えじゃ満足できない!」というならまだしも、回答そのものがなかったことにしないで欲しいです。
それは失礼しました。
答えてもらっていたとは全く気付きませんでした。
私は「”確かな証拠”を示してください」とお願いしていたものですから。
では改めて、そんな答えじゃ満足できない!です。
例えばですね、
現時点でヒトの知覚の対象となっていないと思われていても、何年か後に科学で確認できてしまうって可能性だってなくはないわけで、実は修行等によってヒトの潜在能力を極めた宗教者にはそれが今でも察知できている。
って話は論理的におかしいですか。(論理的思考のトレーニングを山ほど積まれたYSさん、どうでしょうか。)
これを否定できなければ、macskaさんの主張は崩れます。
私はね、ここにいる誰もが「参った」と言わせてくれる”非の打ち所のない証拠”を見せてくださいと言っているのですよ。
>「科学がわからない領域のものごとについて、宗教が何かわかっているという証拠は一切ない。八百屋や農民や大工や主婦に分からない、現実世界の外のものごとが、宗教家になら分かるという証拠も一切ない」
そうですね。これには異議はありませんが、macskaさんが”証拠”を見せてくれない限り「わかっていない」という証拠もありません。
264
:
macska
:2007/01/19(金) 00:20:07 ID:VdHL1C4M
>>261
> macska氏は
>>188
で(死後の世界は誰にとっても知覚できないと)断言しちゃって
> いるんだよ、知らなかった?
不正確な引用です。もし「死後の世界」が現実世界に物質的に存在するのであれば、もちろんそれは人間によって知覚できる可能性があります。しかしここでは「死後の世界」が現実世界の外側にある、人知の届かないモノという前提で議論しているわけです。人知が届かないモノについて誰かが何かを「知っている」ということは、論理的にありえない。
さて、ここで「一般人には知覚できないが、特殊な人にだけは知覚できるという可能性」を挙げる人がいます。なるほど、人間の能力には幅があるので、ある現象について「ある人には知覚できないけれども、別のある人には知覚できる」という可能性は、一般論としてならあります。
しかしそういう可能性が考えられるのは、現実世界のどこかに物理的に存在する対象についてのみではないでしょうか。例えば、視力の弱い人には見えないものが、視力の強い人には見えたりしますが、現実世界の外側に届く視力というのはちょっと考えられません。目の構造からいってもあり得ないのではないかと。ここでは視力を例に出しましたが、他のどの感覚も(あるいは、いまのところ知られていない感覚があったとしても)やはり現実世界の外側に届くという「可能性」は、ないと言っていいんじゃないでしょうか。
# てゆーか、もし届くなら、「現実世界」という言葉の定義自体を再考しなきゃいけない。
>>262
> なるほど。
> だからこそこうして平気で恥ずかしい真似ができるのですね。
あなたの言動のほうが、よほど恥ずかしい真似だと思います。わたしの意見が結果として(わたしの意図に反して)信仰者を傷つけてしまうことはあるかもしれませんが、わたしは特定の誰かに向けて罵倒したりしていませんから。
> 私は姑息で卑劣な真似が大嫌いなので「分からないことについてもさも知っているように
> 自分の思い込みを事実とすりかえる」は、私にとっては十分「悪行」です。
> 姑息な真似を特技としているmacskaさんにとっては「善行」ってところなのでしょうね。
わたさいは「分からないことを〜」は「できるだけ止めて欲しい」と言っていますから、わたしがそれを「善行」だと思っているわけがないでしょう。他人に対するそうした人格攻撃は、「人として良い行いではない」とは思わないのですか?
>>263
> 私はね、ここにいる誰もが「参った」と言わせてくれる”非の打ち所のない証拠”を
> 見せてくださいと言っているのですよ。
これまで述べた論理が不十分というなら、残念ながらあなたを説得することはできそうにありません。
そこで、
>>236
のように言い換えました。これならOKでしょ。
265
:
e10go
:2007/01/19(金) 00:41:07 ID:5/V6R9W6
>>260
:macska:2007/01/18(木) 22:53:01 ID:VdHL1C4M
>わたしの書き方が悪いから誤読してしまったというなら、いくらでも「文章ヘタですみません」と言ってもいいですが、「それは誤読である」と言っているのに「いや、お前はこういう意図だっただろう」と決めつけられてしまっては、議論が全然進みません。特に今回の件のように、わたしの意図からはるかにかけ離れたことを「わたしの意図」として決めつけられて攻撃されるのは不快です。誤読してしまったのは仕方がないとして、それは誤読だとちゃんと説明しているのに「いやそれが真意だ」と言い続けることにどんな意味がありますか? そんなことをやって何が楽しいですか?
macskaさんが「誤読だ」と言ったのは分かっています。
ワザと誤読させるように書いたのか、それとも天然でああいう書き方しているのかは置いといて、私は
「『誤読だ』と言うんなら、macskaさんが誤読させる書き方をしたのだから、『誤読だ』と言うんでなく、『内容を訂正します』と発言するべきでしょ」
と言ったのですが。
>>5
ミケさんも誤読した事になるけど、それでもmacskaさんは自分の書き方に問題ないと思いますか。
自分の書いた内容を見直すつもりはないですか。
「不快です。そんなことをやって何が楽しいですか?」と言うからには、そんなつもりはないでしょうね。
おそらく、macskaさんは、何故こんなツマラン横槍が入るか分かっていないでしょう。
266
:
みずすまし
:2007/01/19(金) 00:51:32 ID:TgyKdXjk
>>257
私は
>>236
の言い換えで満足なので,独り言コメント。
> > 第二に,論理的というよりも直観的な数学的知識もあるんじゃないでしょうか?
>
> わたしは数学はよく知らないのですが、「ある三角形に内接する円は一つだけ」という
> 問題なら、実際にいくつか三角形を描いてみて、それに内接する円をさまざまに描こう
> としてもどうしても1つしか描けない、という事実は、命題が真であることの証明には
> ならないまでも、それが「かなり確からしい」と判断するに足る材料にはなるのでは。
んー… そう言われると,そうなんですけど。
ただ,私は直観的な数学的知識もある,という立場ににそれなりにこだわっているので,ちょっと釈然としません。
267
:
地下に眠るM
:2007/01/19(金) 00:52:00 ID:wg4HFyLg
例によって酔っているので罵倒レスは後回し
>>254
>話題に上っている「神を知っている」の「知」は上記の「知」、すなわち「痛いを知っている」に近いと思われます。言うまでもなくそれは学的な「知」ではなく直観的な「知」です。このような「知」は科学では扱えないのではないとおもいますがいかがですか、皆様。
僕は同意するにゃ。穏当な見解にゃんね。
しかしまあ、カガク的な知を構成する契機すらない事象まで、現実におこったことは森羅万象カガクの対象だとかおっしゃるお方がどうおっしゃるでしょうかにゃ?
そのあたりの見解をちょいと敷延するにゃ。
以下は小林秀雄「歴史と文学」より(引用者が適時改段)
***********************
歴史は決して二度と繰返しはしない。だからこそ僕等は過去を惜しむのである。歴史とは、人類の巨大な恨みに似ている。歴史を貫く筋金は、僕等の愛惜の念というものであって、決して因果の鎖というようなものではないと思います。それは、例えば、子供に死なれた母親は、子供の死という歴史的事実に対して、どういう風な態度をとるか、を考えてみれば、明らかな事でしょう。
母親にとって、歴史事実とは、子供の死という出来事が、幾時、何処で、どういう原因で、どんな条件の下に起こったかという、単にそれだけのものではあるまい。かけ代えのない命が、取返しがつかず失われて了ったという感情がこれに伴わなければ、歴史事実としての意味を生じますまい。若しこの感情がなければ、子供の死という出来事の成り立ちが、どんなに精しく説明出来たところで、子供の面影が、今もなお眼の前にチラつくというわけには参るまい。
歴史事実とは、嘗て或る出来事が在ったというだけでは足りぬ、今もなおその出来事が在る事が感じられなければ仕方がない。母親は、それを知っている筈です。母親にとって、歴史事実とは、子供の死ではなく、寧ろ死んだ子供を意味すると言えましょう。
死んだ子供については、母親は肝に銘じて知るところがある筈ですが、子供の死という実証的な事実を、肝に銘じて知るわけにはいかないからです。そういう考えを更に一歩進めて言うなら、母親の愛情が、何も彼もの元なのだ。死んだ子供を、今もなお愛しているからこそ、子供が死んだという事実があるのだ、と言えましょう。愛しているからこそ、死んだという事実が、退引きならぬ確実なものと在るのであって、死んだ原因を、精しく数え上げたところで、動かし難い子供の面影が、心中に蘇るわけではない
***********************
有名な箇所ですにゃ。
小林は、この前段で、知るということについては2通りあると述べていますにゃ。例えば天文学を知る知り方、そして、友の死を知る知り方。もちろん、友の死を知る知り方をして「肝に銘じて知る」といっているわけですにゃ。
「子供の死」という実証的な事実の群れを知る知り方、つまりカガク的な知を知る知り方のほかに、「死んだ子供」という実存的な事実を肝に銘じて知る知り方、あえていえば宗教的な知を知る知り方というものがあるのだにゃ。こうした知を体系化したものが宗教であり神話なのよ。
カガクは「子供の死」を対象にすることはできても、「死んだ子供」を対象にすることはできにゃー。それは、カガクの範囲のソトにある。「死んだ子供という事実」はカガクには手も足もでにゃー。
268
:
fukken
:2007/01/19(金) 00:55:34 ID:M5vfENrY
>>264
>あなたの言動のほうが、よほど恥ずかしい真似だと思います。わたしの意見が結果として(わたしの意図に反して)信仰者を傷つけてしまうことはあるかもしれませんが、わたしは特定の誰かに向けて罵倒したりしていませんから。
私は自分の行った行為がはしたないものであると言う自覚はありますが、誰にでもこのようなことをするわけではありません。
余程腹に据えかねない限り、こうした行為はしていないつもりです。(人よりちょっと切れやすいことも認めます。)
あなたは特定の人を罵倒しない代わりに、複数の議論の相手を愚弄するような行為をしているじゃないですか。
本当に無自覚でこうした行為をしているのだとしたら同情し謝罪もしますが、察するところそうではないだろうと判断しました。
>これまで述べた論理が不十分というなら、残念ながらあなたを説得することはできそうにありません。
そうです。もう私と貴方の話は終わっています。
残りの質問にも答えていただかなくて結構ですよ。
また、貴方に卑劣な行為を強いるだけですしね。
269
:
えめ
:2007/01/19(金) 00:57:20 ID:UugNa5UQ
>不正確な引用です。もし「死後の世界」が現実世界に物質的に存在するのであれば、もちろんそれは人間によって知覚できる
>可能性があります。しかしここでは「死後の世界」が現実世界の外側にある、人知の届かないモノという前提で議論している
>わけです。人知が届かないモノについて誰かが何かを「知っている」ということは、論理的にありえない。
つまり貴方が今まで語っていた死後の世界ってのは「たとえ話として」なの?
人間が知りえない物のモデルとしてわかりやすい例が(理想気体のような)空想の、死後の世界なの?
もしイエスが現在に存在して間違いなく水をワインに変えて見せたらどうよ、見たいな。
だとしたらそれにどんな名前をつけようが人知の届かないモノを人間が知りえるわけないでしょうね。
知ったらそれは人知が届いちゃってるって事だからね。当たり前の話。
そんな絶対に知りえない世界を知ってると言い張る人間がいると想定する事自体が非論理的
皆さんは人知の届かないモノかどうかわからないものとして実際の死後の世界を考えていますから。
貴方の死後の世界は皆さんが言っている物とは別物なので、空想をもって現実の宗教批判は出来ませんよ。
そうでした、そういや批判していないんだっけ。
270
:
地下に眠るM
:2007/01/19(金) 01:05:49 ID:wg4HFyLg
てきとーに気づいたこと
宗教というのは一定の社会集団をつくるにゃ。
で、一定の社会集団に対して、「一般論として」と断ろうが断るまいが、かっちりと証明もできにゃーで悪口と解釈できることをいうのは差別的言辞なんではにゃーのかな?
言論の場で対等の立場で特定の個人をいろいろいうのは構わにゃーと僕は思っているし、かつ実行しているけどにゃ。
馬鹿に対して馬鹿というのは当然だし、馬鹿でにゃー相手に馬鹿といったら自分が恥をかくだけのことにゃんから。
しかしなあ、特定の社会集団に対し差別的言辞をふりまくのはいけにゃーよ。ニンゲンとして。
271
:
macska
:2007/01/19(金) 01:46:03 ID:VdHL1C4M
>>265
> 「『誤読だ』と言うんなら、macskaさんが誤読させる書き方をしたのだから、『誤読だ』
> と言うんでなく、『内容を訂正します』と発言するべきでしょ」と言ったのですが。
真意はこうでしたと釈明して記述を追加しているのだから、同じことではないですか?
そうして釈明したにも関わらず、まだ「自分の読解の方が正しい、真意である」と言い張るのはやめてね。
>
>>5
ミケさんも誤読した事になるけど、それでもmacskaさんは自分の書き方に問題ないと思いますか。
ああ、これでやっと
>>5
の意味が分かりました。そんな誤読されていたとは、指摘されるまでマジ気付きませんでした。「イエスやモーセのDNAが手に入ったとしても奇跡の検証は不可能」って、当たり前のことを何言ってるんだと思ってた。
「問題ないと思いますか」という点については、仮にその時点で誤解を招くような問題がある記述だったとしても、誤解を受けたと気付いた時点で釈明しているので真意は伝わっているものと思います。それ以上何か必要ですか?
>>268
> あなたは特定の人を罵倒しない代わりに、複数の議論の相手を愚弄するような行為をして
> いるじゃないですか。
そんなつもりは全然ないんですが… 自分では、真摯に議論しているつもりです。
あなたと意見は違うかもしれない。もしかしたらわたしの意見には大きな穴があって、それに自分で気付いていないのかもしれない。あるいは、気付かずにものすごく失礼なことをしてしまっているのかもしれない。それらは可能性としてありえます。しかし、故意に議論の相手を愚弄していないことは100%誓って言えます。
>>269
> つまり貴方が今まで語っていた死後の世界ってのは「たとえ話として」なの?
寓話という意味の「喩え」ではなく、ある一例という意味の「例え」という意味ですが、はい、例えの話です。
死後の世界でなくても、魂でも、輪廻でも、あるいは現実に一切手も口も出さないタイプの「神様」でも、なんでも構いません。
> そうでした、そういや批判していないんだっけ。
はい、宗教批判はしてません。
>>270
> で、一定の社会集団に対して、「一般論として」と断ろうが断るまいが、かっちりと証明もできにゃーで
> 悪口と解釈できることをいうのは差別的言辞なんではにゃーのかな?
社会集団に対して言った発言ではないし、悪口と差別は違うし、そもそも悪口でないものを悪口と決めつけられてもねぇ。
悪口ではないと何度も言っているし。
だいたい、あなたが「悪口」と呼ぶわたしの発言内容は、言い方は違うけれど中身はあなたの意見と全く同じなんだよ。
272
:
macska
:2007/01/19(金) 02:15:30 ID:VdHL1C4M
答え忘れ。
>>269
> 皆さんは人知の届かないモノかどうかわからないものとして実際の死後の世界を考えてい
> ますから。
> 貴方の死後の世界は皆さんが言っている物とは別物なので、空想をもって現実の宗教批判
> は出来ませんよ。
うーん、どうしてこういう議論になったか、筋道を忘れてませんか?
わたしの主張では、「死後の世界」というものが人知の届くモノであった場合、それは科学的探求の対象となります。もし人知が届かないのであれば、科学の対象とはならないので科学にはそれがあるともないとも(あるいはどれくらいの確率で存在するとも)全く何も分かりません。しかし、それが人知の届かないモノであるならば、科学にとってわからないだけでなく、宗教にとってもわからないはずです。
わたしの論理は、それだけの単純なものですよ。すなわち、「死後の世界」は人知が届くもの=科学の対象であるか、あるいは人知が届かないもの=科学にも宗教にも確かなことは何もわからないか、どちらかだと言っているのです。そういう意味では、わたしも「人知の届かないモノかどうかわからないもの」(けれども、届くか届かないかのどちらかであろう)として実際の死後の世界(があるとはとわたしは思っていませんが)について論じています。
273
:
fukken
:2007/01/19(金) 03:10:15 ID:M5vfENrY
>>271
>あなたと意見は違うかもしれない。もしかしたらわたしの意見には大きな穴があって、それに自分で気付いていないのかもしれない。あるいは、気付かずにものすごく失礼なことをしてしまっているのかもしれない。それらは可能性としてありえます。しかし、故意に議論の相手を愚弄していないことは100%誓って言えます。
そんな言葉はとても信じられません。
あなたはここで私を含め何人の方からあなたの投稿姿勢について私と同様の指摘を受けましたか。
もし貴方が言う通り、貴方が自分に非がある可能性を認めているなら、ここがこのような状況になっていないはずです。
もし貴方が嘘を付いていないとすれば、脳に障害がある可能性を疑った方が良いと思います。これは罵倒などでなく本当に貴方の身を案じての言葉ですのであしからず。
274
:
diamonds8888x
:2007/01/19(金) 05:42:00 ID:Zz3oJN62
>>273
fukkenさんは感情的軋轢についてはもう引っ込めたとおっしゃったと理解してましたが(
>>187
)、
そうでもないように見えるのは誤解でしょうか?
macskaさんが故意に議論の相手を愚弄していないことは99.9%くらい、私には信じられますけどね。「そんな言葉はとても信じられません。」て何%くらい? 人の心の中についてはそれこそ信じることしかできないのでは?
食い違いの原因は「確かさ」とか「根拠」とか「知」とかいう言葉の指す範囲がfukkenさんとmacskaさんで異なっていることだと思います。そこはお互いもっとすり合わせてもいいとは思いますが、それで「相手に悪意がある」なんて言ったのでは議論が錯綜してしまうと思うのですが。
すり合わせるという意味は、fukkenさんにしても「確かさとはこういう基準なんだ」という御自分の基準は、macskaさんのような自分以外の人にとっても当然の常識である、というかのような前提は破棄するという意味です。どう違うのかを説明しようとすると長くなるので困るのですが。
275
:
diamonds8888x
:2007/01/19(金) 05:45:51 ID:Zz3oJN62
>>266
私はここでいう「直観的な数学的知識」というのは実は「経験的な数学的知識」に他ならないと思います。「ある三角形に内接する円は一つだけ」という直観的な知識は、これまでに数多くの三角形に内接する円という図形を見てきたからではないのでしょうか? そもそも一度も見ていなければ、この命題の意味すらわからないでしょう。小中学の数学では、こういう体験をバンバン使って教えるのが効果的ですよね。
数学的な定理の多くは人は直観的に正しいとわかります。たがらこそ「証明なんて面倒くさいことをなぜにわざわざ」という声も出るのです。
ま、以上は徹底的な経験論に基づく科学の論理だ、と言われればそれまでですが。でもそれでちゃんと矛盾無く解釈できるほどに、徹底的な経験論に基づく科学の論理というのは意外と強力なのです。
276
:
diamonds8888x
:2007/01/19(金) 06:10:27 ID:Zz3oJN62
>>269
えめさん
私から見てもちょっと意図が読みとりにくくなってます。時間不足で詳しく書けなくて指摘だけになりますが気分を害したらごめんなさい。
> そんな絶対に知りえない世界を知ってると言い張る人間がいると想定する事自体が非論理的
ん? だったら「宗教人が知ってるはずがない」という主張は正しいことになりますね?
> 皆さんは人知の届かないモノかどうかわからないものとして実際の死後の世界を考えていますから。
> 貴方の死後の世界は皆さんが言っている物とは別物なので、空想をもって現実の宗教批判は出来ませんよ。
それが理解できているなら、互いの言葉の違いが理解できたと言うことでOKでは?
> そうでした、そういや批判していないんだっけ。
そうですよね。何も文句はないのでは?
277
:
いらはい
:2007/01/19(金) 06:12:00 ID:DHj5XiXA
しばらく見なかったら、議論の本質的な部分については収束しだしているようですね。
遅レスですが...
>>171
>そういう問題はあるでしょうが、現状はそれ以前の段階でして。
宗教者は他人を祈起するために、根拠を出せない教義を、出せるかのように偽ることがある、ということですか。
私は、人が宗教に帰依するのはボトムアップ的根拠を期待するからではなく、リアリティに惹かれているのだと思いますが。
ところで、モダリティ表現無しの断言、たとえば「死後の世界は存在します」は知っているように振る舞うことの内に入りますか?状況によっても変わると思いますが。
>科学によって否定される(可能性がある)のは、現実世界に対する何らかの言明です。その言明が、たまたま教義の一部だったからといって、科学的検証から保護される理由はありません。
信仰(=信じていること・崇めていること、という意味で使っています)の中のある言明が科学的に検証されることを「科学と信仰の衝突」と呼びますか?
そこは科学の側も宗教の側も、(たとえ科学的発見が常識になり信仰が変容しても)これは衝突ではないと言わなければならないのでは。
それから、どうしてもひっかかるのは言葉の選び方ですね。
「わからない」「知らない」を「合理的な根拠を持ってない」くらいに言い換えれば同意できるのですけど。
宗教者が「わかる」「知っている」と口にするのは
教義を確信している、宗教の教えるリアリティ(神の愛など)を生きている、ということの表明という面もあり、
それを否定してしまうと教義を疑っているような、帰依心が無いような印象になりかねない。
また「信じている」という言葉には、相対的なものごとから敢えてあるものを選択する、というニュアンスが含まれており、
冷笑的な人の「信じているだけでしょう?」という問いかけに頷くことは、
自身にとって信仰の内容が相対的であることを認めてしまうような印象になりかねない。
もちろん「知っている」と言われる側の論理としてはmacskaさんのおっしゃるようなことになるのかもしれませんが、
コンテキストによっては他人の信仰を貶めることになりかねないから、ひっかかるんですね。
278
:
tema
:2007/01/19(金) 07:40:20 ID:???
HAKASEさんへ
>>249
>それからパイロット解釈の紹介ありがとうございます.私も知りませんでしたが,カオス理論を用いた検証をしようという試みは量子力学の分野でも検討されているということですね.
されてないと思います。
量子の位置情報をカオス時系列解析の対象とするためには、特定の量子に対して複数回観測を重ねる必要がある、と考えます。
仮にパイロット解釈が正しいとしても、観測を実現するには以下のとおり色々問題があります。
まず、観測が及ぼす影響があります。
>そして,その観測装置が,各データ観測時刻で同じ特性を持つものだった場合,(後略)
と記述されてますが、1つの量子の位置を捉えるためには、各観測時刻の特性のぶれを観測対象の量子以下に抑える必要があるでしょう(注)。しかし、観測装置もそれを使う人間も膨大な数の量子から構成されています。
観測装置自身の影響が大きすぎて、各観測時刻で同じ特性を持たせることはできないと考えます。
そしてそもそも、同一量子に対する複数回の観測など、現在の技術では不可能だと思います。
>ですが,もし「科学的なデータ解析手法を適用して(例えば予測可能性などを)検証することが原理的にできない」という趣旨でしたら,私は原理的に不可能とまでは言えず,例えば上に示したような科学的な手法に基づく検証は可能なのではないかなと思います.
現状temaは、「原理的にできない」とまでは言えません。ただし…
1.(情報採取などが)原理的にできないことを証明する
2.科学的な手法に基づく検証を行う
上記の実現可能性を考えた場合、1の可能性が高いと思います。
注)この文章の表現は適切ではありません。しかしどう表現すれば良いか判らないのです。
279
:
tema
:2007/01/19(金) 07:40:46 ID:???
『数学は科学が否か』
この件については、言いたいことがあります。
「やだいやだい、数学も科学に加えてくんなきゃやだい!」
いや、これではありません。
本日は時間が無いので、ここまで。
280
:
fukken
:2007/01/19(金) 07:46:30 ID:M5vfENrY
>>274
>fukkenさんは感情的軋轢についてはもう引っ込めたとおっしゃったと理解してましたが(
>>187
)、そうでもないように見えるのは誤解でしょうか?
一度言ったことを守れなかったことについては弁解の余地なく申し訳ないと思います。
しかし
>>260
のようなふざけたレスをもらえば、「もうやってられるか」となるってものです。
のらりくらりに丁寧に付き合っているのが馬鹿馬鹿しくなって、言い逃れできないよう急所を一箇所ずつとことん追求することにしたのですが、結局あの通りの受け答えでしたから。
>>262
で感情的になったことは否定しませんが、「もうこの件については終わりにしてあげるよ」と言う意味を込めて、地下猫さん風に言うと負け逃げし易いように、敢えて罵倒しました。
宗教蔑視発言が片付いたらと思ってストックしておいた
>>263
をUPしたものの、これじゃ息も出来なくなるだろうなあと思っていたら、>262に対する人格攻撃云々に埋もれさせる形で案の定>263はスルーでしたから彼(彼女なのかな?)にとってもこれで良かったんじゃあないでしょうか。
>macskaさんが故意に議論の相手を愚弄していないことは99.9%くらい、私には信じられますけどね。「そんな言葉はとても信じられません。」て何%くらい? 人の心の中についてはそれこそ信じることしかできないのでは?
私も99.9%くらいは信じていなければ、そうは言わなかったと思います。
>食い違いの原因は「確かさ」とか「根拠」とか「知」とかいう言葉の指す範囲がfukkenさんとmacskaさんで異なっていることだと思います。そこはお互いもっとすり合わせてもいいとは思いますが、それで「相手に悪意がある」なんて言ったのでは議論が錯綜してしまうと思うのですが。
いや、「議論にならん」と憤慨しているからこその、こういう態度なわけでして。
>すり合わせるという意味は、fukkenさんにしても「確かさとはこういう基準なんだ」という御自分の基準は、macskaさんのような自分以外の人にとっても当然の常識である、というかのような前提は破棄するという意味です。どう違うのかを説明しようとすると長くなるので困るのですが。
議論の内容に関してであれば私にもその用意はあります。要は議論以前の問題です。
私やここにいるほとんどの人が自分に間違いがあれば、直ちにそれを認めることができると思います。しかし、macskaさんはそれが出来ない人だと言うことがわかりました。一見紳士的な対話のできる方ですが、本質は過去にここを出入り禁止になった人などと変わらないと感じました。それを説明しろと言われると私の方も長くなりますので。
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