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本尊と曼荼羅
1
:
管理者
:2002/04/04(木) 07:30
いちりんさんより、スレッドテーマの御提案がありました。立ち上げます。幅広い議論が展開される事を期待致します。提案文は以下の通り。
30 名前: いちりん 投稿日: 2002/04/04(木) 02:20
本尊と曼荼羅って、とてもおもしろいテーマですよね。
こちらのスレッドは、「本門戒壇の大御本尊様の偽作説について」ということですが、
できれば、「本尊と曼荼羅」というテーマで、論じていったらいいなあと思います。
管理人さん、いかがでしょうか。
真宗の本尊とか、密教の本尊とか、天台の本尊観とか、あるいは釈迦在世のときの本尊とか、いろいろとおもしろいと思います。たとえば、天台の四種三昧の修行などみますと、修行によって本尊が変わりますよね。
そういうところから、本門の本尊をとらえかえしていくと、本質的なものがみえてくるかなあと思ってもみたり。
369
:
川蝉
:2005/05/14(土) 15:24:47
冨士門流信徒でないですが、横から失礼します。
撰時抄の法華儀軌批判について。
すでに、江戸時代に真迢が、「日蓮は、観智儀軌が寿量品を阿弥陀仏としていると誤った評をしている」と、批判を寄せています。
真迢の批判に対して、日題の「中正論」では
「時に婆伽梵得自性清浄法性如来とは、是れ観自在王如来の異名なり。則ち此の仏を無量寿と名づく。若し浄妙の仏国土に於いて現に仏身を成ず。雑染五濁世界に住しては則ち観自在菩薩と為る。」
との不空三蔵の「理趣釈」の文を引き、
「文の中の、時婆伽梵得自性清浄法性如来とは理趣経の文なり。是れは釈迦如来を推功帰本して法性如来と云うなり。然るに不空は是れを釈して則ち或いは観自在菩薩とも又は無量寿仏とも云へり。
豈に 釈迦如来を無量寿仏とするに非らずや。・・・(観智)儀軌の文を見るに寿量品を誦する次に無量寿決定如来の真言を誦せよと云うは豈に寿量の如来を無量寿如来と意得て咒願するに非らずや」
と指摘し、不空に「寿量の仏と弥陀と同じ」と云う思想があったとしています。
(参考)「理趣釋」も文は下の様に成っています。
「1003_,19,0612a10(08):時婆伽梵者如前所釋。
1003_,19,0612a11(06):得自性清淨法性如來者。是觀自在王如來異名。
1003_,19,0612a12(02):則此佛名無量壽。如來若於淨妙佛國土。現成佛身。
1003_,19,0612a13(01):住雜染五濁世界。則爲觀自在菩薩。」
(大樂金剛不空眞實三昧經般若波羅蜜多卷下)
ちなみに日存の「金山抄」には
「不空の無量寿経の儀軌に云く。昔は霊山に在っては 妙法と名づけ、今、西方に在っては阿弥陀と名づく等、已上・・・既に霊山説妙の釈迦を以て弥陀と名づけたり。故に不空、寿量の釈迦を以て弥陀とせること決定なり」
と指摘していますが、日題の「中正論」によれば、無量寿経の儀軌にこの文は無いとのことです。私も見てみましたが無いようです。
弘法大師や智証大師の「弥陀と釈迦と同じ」と云う思想に基づいて「金山抄」引用の文が挿入された別本があった可能性も考えられます。
また「録内啓蒙 」においては、
「澄豪記(澄豪は1049〜1133年の人)に云く・・有る伝に云く無量寿決定如来とは阿弥陀如来と云々・・古来、決定如来を阿弥陀仏と云える一説あるに付順して今も(撰時抄も)此の如く遊ばせるか。元来、密家の所伝理趣釋(二十六丁)に、得自性清淨法性如來とは観自在王如来の異名なり、則ち此の仏を無量寿と名づくと云い。空海諸開題の第四法華開題にも、妙法蓮華とは斯れ乃ち観自在王の密号也、則ち此の仏を無量寿と名づくと云える亦其の流例なり」(録内啓蒙巻の十一・38丁左)
と会通しています。
(参考)「法華開題 」には次のように有ります。
「妙法蓮華とは、これすなはち観自在王の密号なり。すなはち、この仏を無量寿と名づく。もし浄妙国土に於いては、仏の身を現成し、雑染五濁の世界に住せば、すなわち観自在菩薩たり。」
(法華開題(開示茲大乗経)筑摩書房刊空海全集3ー304頁
370
:
川蝉
:2005/05/14(土) 15:26:05
法華儀軌の品の前後について。
「録内啓蒙巻の十一・三十九丁」に
従義の「補注八二十丁」の
「唐の時、不空所訳の法華儀軌、その間亦提婆を将て合して宝塔品の内に在り。又陀羅尼品を以て神力品の後に在り。復嘱累品を移して普賢品の後に安ず。此れ則全く添品法華と改易是れ同じ。甚だ羅什の飜ずる品の次第と違うなり」
との文や、
また証真の「文句私記十」の
「問うて云く。不空三蔵法華儀軌二十七品帰命偈頌の諸品の前後は、全く添品に同じ。彼れ末後に帰命最後嘱累品と云う。彼の帰命偈、是れ天竺の諸阿闍梨は梵本に依って作る故に、添品を以て正本と為すべきなり。故に知んぬ、嘱累定んで経末に在りと。
答う。梵文同じからず。彼の不空の偈は添品の本に依りて偈頌を作るのみ」
との文を挙げています。
日蓮聖人は従義や証真の見た法華儀軌と同じ本を見て「陀羅尼を神力品の次に置ける。とか嘱累品を経末に下せる。」等と指摘されたのでしょう。
371
:
顕正居士
:2005/05/14(土) 16:59:22
日蓮の「所従」思想-1
「所従」は家来、従者、下人などをいう。比叡山の荒法師とは学生(がくしょう)の「所従」(学僕)が長じて衣を着た
のであるなどと使う。わが国では得宗家の家司が大きな権勢を有することがある。しかし家来である以上は主君
の専権に服する身分である。「臣下」や「大名」ではない。家内使用人である。ただし提婆品に「多宝世尊。所従
菩薩。名曰智積」とあり、日蓮は「所従」を「随従、侍従」の意味で用いている可能性はある。臣下とも脇士とも
いうからである。
法華取要抄(真翰完存)
「教主釈尊は既に五百塵点劫より已来、妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の
諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ、是れ也。華厳経の十方臺上の毘盧遮那、
大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士也。例せば世の王の両臣の如し。
此の多宝仏も、寿量品の教主釈尊の所従也。此土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子也。
不孝の失に依て今に覚知せずと雖も、他方の衆生には似るべからず」
仏身については幾種類も説がある。大日如来を法身というけれども、それは密教のほうでいうことで、天台宗の
三身説にあてれば胎蔵界大日・理法身が法身、金剛界大日・智法身は報身である。多宝仏が不二の大日なら
釈迦仏と報法・境智の関係が成り立たない。更に多宝仏が釈迦仏の所従であるとは何をいうのか。多宝仏は
霊山の客であるが、釈迦仏はまた多宝塔の客であるから上座なのである。所従といったら二仏の並坐は成立
しない。大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏でなければわからない。その上で東密では釈迦多宝不二
を大日如来とするのに対して、台密では両部大日不二を無量寿命決定如来(寿量品の仏)とするのであろう。
上の文ではゆえに娑婆世界は宇宙の中心であると述べる。われらも「他方の衆生には似るべからず」。ただし
「有縁の仏と結縁の衆生とは、譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは、譬へば聾者の雷の
声を聞き、盲者の日月に向ふが如し」
と文が続くから、諸仏同道、互為主伴の上で述べている可能性も否定できない。
372
:
顕正居士
:2005/05/14(土) 17:02:25
日蓮の「所従」思想-2
神国王御書(真翰断存)
「仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の、師なり主なり親なり。
三界の諸王の皆は此の釈迦仏より分ち給て、諸国の総領・別領等の主となし給へり」
「王権仏授説」がいわれる。
「しかるに我が日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし」
宇宙の中心である娑婆世界の中心が更に日本である。
真言七重勝劣事
「今経位配人事
(鎌倉殿)
征夷将軍 無量義経
摂政 涅槃経
院 迹門十四品
天子 本門十四品」
征夷将軍を無量義経に配する。しかし爾前の経は征伐する対象なのか。二乗作仏(絶待一乗)と久遠実成
(十界皆成)のみが法華経の教義ではなかったか。正像末三時も鎮護国家も征伐し、方等部に摂属させた
真言三部経も征伐し曼荼羅も陀羅尼も滅ぼしたら日蓮宗がどうして成立しようか。与えて論ずれば征夷将軍
とは蝦夷を滅ぼす職にあらず服属させるのである、いわんや鎌倉殿の場合は得宗家の権威を認めればよい
とも解せる。しかし証真のいう「諸部の円文を泯じ、部教混乱する咎」を免れるのか?
日蓮の教義をその特異な「所従」思想から考えると、彼の長所も欠陥も鮮明になるようにおもう。与釈を以て
考察すれば直ちに彼をその亜流と同一視はできないが、奪釈を以て批判すれば後世の日蓮主義の邪教化
の源流、実に宗祖自体である。娑婆宇宙中心、日本国娑婆中心、釈尊宇宙大王、祭政一致、他経敵経他宗
敵人等。現世利益を主眼とする純正カルト(マルチ商法の一種)までは無関係であるから含めない。
373
:
真部
:2005/05/14(土) 17:28:49
川蝉さん
誠にありがとうございます。よく拝読させて頂きます。
顕正居士さん
誠にありがとうございます。熟読三思します。
374
:
問答迷人
:2005/05/15(日) 06:31:49
一大秘法
『三大秘法』の成句は、真蹟遺文には見当たらず、後世の成立かも知れません。ただ、曾谷入道殿許御書(文永十二)に、『一大秘法』の文言があります。
『大覚世尊、仏眼を以て末法を鑒知し、此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂、法華経本門久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔之中に於て二仏座を竝べしこと宛も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬之師子の座を竝べ敷き、衆星の如く列坐したまひ、四百万億那由他之大地に三仏二会に充満したまふ之儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。』
この文意は、三仏を以って、『一大秘法』と述べているかのごとくです。もう一箇所、同じく、曾谷入道殿許御書に次のように有ります。
『爾時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也。例せば九苞淵之相馬之法には玄黄を略して駿逸取る。史陶林之講経之法には細科を捨てて元意を取る等云云。加之、霊山八年之間に、進んでは迹門序正之儀式に文殊・弥勒等の発起影向之聖衆にも列ならず、退ひては本門流通之座席に観音・妙音等の発誓弘経之大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居する之後、仏の滅後正像二千年之間に於て未だ一度も出現せず。所詮、仏専ら末世之時に限りて此れ等の大士に付属せし故也。』
この文意では、『妙法蓮華経之五字』を以って、『一大秘法』と述べているように取れます。
この二文を総合的に考えると、一大秘法とは、
本門の本尊→久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏。
本門の題目→上行所伝の妙法蓮華経の五字
この二つの内容を含み、この様に二つに分かたない未分の状態を『一大秘法』と表現されたかに取れます。なお、字像曼荼羅は、この二つを含み、しかも、二つに分かたずに表現されていますから、この曾谷入道殿許御書に述べられた『一大秘法』を表していると思います。
375
:
ひたち
:2005/05/15(日) 08:14:00
川蝉さん
貴重な資料ありがとうございます。
観智儀軌に別バージョンが存在したことを思わせる文献ですね。しかも、江戸時代にはすでに失われていた可能性が高そうです。日蓮系諸派による妙法蓮華経の普及がそれを行わしめたのかもしれません。
蓮師が蓮華三昧経、もしくはその思想的背景となった観智儀軌によって曼陀羅を創案したとすれば、決定如来の位置は寿量品の仏座を表すわけで、南無妙法蓮華経=寿量品の仏となるのではないでしょうか。しかしながら、妙法蓮華経は唯仏与仏の智慧そのものですから、仏と拝するならば三身のうち報身如来にあたると思われます。台密では、大日=釈迦の義を建てる場合、大日=法身、釈迦=応身と配するようです。このことを考えあわせますと、弘安期の曼陀羅においても三身整うかと考えます。いわゆる釈迦=応身、五字=報身、多宝=法身ということになります。
顕正居士さんの「所従」思想を読みまして連想しましたのは、先に示されました八宗違目抄の記述ですね。いわゆる主師親三徳を三身に当てはめる時、
主・国王・報身如来
師・・・・応身如来
親・・・・法身如来
とされている点ですね。報身如来を主徳に配した時、その義に「所従」思想があったとも考えられます。また、この書の冒頭に以下の引用があることから、
「記の九に云く『若し其れ未だ開せざれば法報は迹に非ず。若し顕本し已れば本迹各三なり』。文句の九に云く『仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝へず』。」
三身を一仏に備えるという三身即一の義を蓮師は支持されていたように思われます。
376
:
顕正居士
:2005/05/15(日) 08:33:55
>>374
問答迷人さん。
「一大秘法を留め置きたまふ」からは四菩薩が「法華之会に出現し、三仏を荘厳す」ることを述べたのであり、
そして「爾時に大覚世尊寿量品を演説し」、「妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄」を「四大菩薩に付属」
された意味でしょう。
「如來一切所有之法。如來一切自在神力。如來一切祕要之藏。如來一切甚深之事」を「皆於此經宣示顯説」
されたのですから、付属の法である一大秘法の名は「妙法蓮華経」(此経)であり、これを三大秘法(戒定慧)に
展開し戒壇、本尊、題目となってもやはりおのおのの「名」は「妙法蓮華経」の五字であり、だから顕仏未来記に
は本尊で三秘を代表させ「本門の本尊妙法蓮華経の五字を以って閻浮提に広宣流布せしめんか」と述べられた
と考えます。
「本尊問答抄」については「思想の変化」であると考えるのが単純です。例えば
『釈尊像から法華経へ』
http://www.fujimon.or.jp/tenran/izanai/izanai_6.htm
「不空三蔵(ここにも出現する)などは宝塔品により法華経の教主を本尊としているが、それは法華経の正意
ではない」と他人事のように3年前に報恩抄を送った浄顕房に述べます。
しかし顕仏未来記にも「本門の本尊妙法蓮華経の五字」とあり、本尊に二種類あると理解するにせよ、実は
同じと理解するにせよ、本尊を妙法五字ともいうこと自体は思想の変化ではない。法華経の教主を本尊とする
のは正意ではないと否定したのは思想の変化でしょう。なお本尊問答抄についての優陀那師の会通は納得
はできません。報恩抄を送った相手自体ですから。
377
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 08:48:33
ひたちさん、
> 釈迦=応身、五字=報身、多宝=法身
この整理は土台、無理でしょう。
三身とは仏身であって、首題の五字には当てはまるはずはありません。
まして、釈迦を応身に充てることは、甚だ不可です。
378
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 08:50:06
顕正居士さん、「所従」に関するご教示、御礼申し上げます。
「ああ、やはり」という気分で拝読いたしました。
「日蓮の教義をその特異な「所従」思想」とは、まことに以て、わたしが注視した一点でした。わたしなりに問題が整理されました。有り難うございました。
なお、以下の点、
> 大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏…東密・釈迦多宝不二・大日如来…台密・両部大日不二・無量寿命決定如来(寿量品の仏)
という点ですが、無量寿仏は阿弥陀であり、それが法華寿量仏と再解釈され、また、多宝・大日と解釈される宗教事情に、わたしは着目しました。ただ、蓮師に、既にその起源を見る阿弥陀アレルギーは、日蓮門下にあっては、思考から阿弥陀をスポイルするように論が組み建つところに面白さを感じます。結局のところ、日本阿弥陀信仰は比叡山なくして成立しなかったわけで、この山で語られた阿弥陀は重崇の対象で、やがて法然へと結実し、一方、阿弥陀アレルギーとも見える日蓮とその門下では、その存在を躍起に消すことで論を組み立てようとする、過剰反応があるように見受けました。この点に就きましても、もしご教示を賜れれば有り難く存じます。
379
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 08:50:44
川蝉さん、お久しぶりです。
非常に参考になるご教示、感謝申し上げます。
わたしは信仰者ではないので、歴史的な推移の中で、どのような思想の流れがあり、習合、摂取があったのかという視点で考えています。
今回、ご提示くださった文献を拝見すると、法華に登場する阿弥陀、さらに大日ばかりではなく、法華信仰からかなり距離があると思える理趣経、また、婆伽梵まで、無量寿、自在というタームから摂取があったことが窺え、新鮮でした。このような動向が印度で起きたのか、中国で起きたのか、その点は、今後、自分なりに調べてみようと思いますが、ヒィンドー、バカバットギータとの習合…、というかシンクレティズムが、たぶん、‘観’無量寿という西方地域の影響が渦巻くように起きていたことが窺えるような資料で、たいへんに興味が惹かれました。
有り難うございました。
380
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 09:55:43
問答さん、一大秘法への視点、興味深く拝読しました。
また、顕正居士さん、ご投稿、併せて、資とさせていただきました。
文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華主要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)
寛師説で言えば、一大秘法−三大秘法−六大秘法となるのでしょうが、はたしてどうでしょうか。むしろ、単純に題目を一大秘法と言っているように、わたしには思えます。
要は本門本尊釈尊(仏)が一大秘法(法)を上行菩薩(僧)に付属したという関係ではないのかという意味です。これを本尊、あるいは戒壇と束ねて一つに見る必要があるのだろうかという意味でもあります。
なお、顕正居士さんが挙げられる『本尊問答抄』(、この真偽は、いちおう、置きますが、わたしはこれを曼陀羅正意へのスライドであるとする正信会の考えにはまったく反対です。単なる牽強付会と映じるからです。
たとえば、『本尊問答抄』では、たしかに「法華経の題目を以て本尊とすべし」とありますが、ここだけを挙げるのは、切り文ではないでしょうか。何故ならば、そのあとに「仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像、画像の開眼供養は唯だ法華経にかぎるべし」という文があるのであって、何ら木画像の釈迦仏像は撤廃されていないからです。また、真跡曽存(やや真偽に難はあるものの本尊問答抄が真跡であるするのであれば、敢えて挙げれば)、問答抄の翌年・弘安2年の『日眼女造立釈迦仏供養事』には、
「御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立…釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人…釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し…一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべし」
と記すわけです。これを漫荼羅正意の色眼鏡では、釈迦像に執着するものへの方便の如き解釈しますが、それはあくまで漫荼羅正意論者の解釈であって、しかし、蓮師の文はかくの如きです。
しかし、もし『本尊問答抄』の冒頭文のみを墨守して読むのであれば、この時点で、蓮師は「三大秘法」を捨てたと言うことでしょう。つまり、本門本尊:題目=本文題目:題目+戒壇という二本立てになるからです。つまり、本尊問答抄と三大秘法は併存不可の関係にあると、わたしは思います。
381
:
真部
:2005/05/15(日) 11:11:50
顕正居士さん
1.「諸仏同道」、「互為主伴」の上で述べている可能性も否定できない、
と記されておりますが、
(1)「諸仏同道」(方便品の「五仏同道」か)とは、「取要抄」の当該文の上でどのように考えればいいでしょうか。
(2)「互為主伴」(「交互に主君となり臣下となる」老子の釈文か)とは、教主釈尊と多宝仏との関係において、どのように考えればいいでしょうか。
2.「方等部に摂属させた真言三部経も征伐し曼荼羅も陀羅尼も滅ぼしたら日蓮宗がどうして成立しようか」と記されておりますが、日蓮宗において「曼荼羅」は欠かしてはならない尊体であるという意味でしょうか。
3.「しかし証真のいう「諸部の円文を泯じ、部教混乱する咎」を免れるのか?」と記されておりますが、記されました前後の文脈との関係でどのような意味を述べられているのでしょうか。
4.「本尊問答抄」(弘安元年 57歳御作 写本・日興・北山本門寺)は思想の変化と記されておりますが、「唱法華題目抄」の「…本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並びに神力品に見えたり…」(文応元年 39歳御作 於鎌倉名越 写本・日興・東京由井一乗)との関係はどのように見ればよいでしょうか。
無学のため、稚拙なご質問をさせて頂きます事お許しください。
382
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 12:56:38
横レス失礼します。
真部さんは、『唱法華題目抄』を真筆であるという立場でしょうか。是一
真跡無し・日興写本に限り題目本尊論が出てくることをどのようにお考えになりますか。是二
以上、2点に就き、お考えをお示しいただけませんでしょうか。
383
:
顕正居士
:2005/05/15(日) 12:59:32
>>380
独歩さん。
妙法本尊説が巻頭にだけ述べられているのではなく、この書の問答の前半全体で示されています。そして
「釈迦と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。
其故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦、大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。
故に今能生を以て本尊とするなり」
と結論し、「仏三種身従方等生」等の経文を引き、木画の二像の話になります。これも「仏は所生、法華経は
能生」であるから、「大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり」というのです。
*「仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり」(撰時抄 )
さてわたしのおもうにはこの書は「法華経本尊」、「首題本尊」を述べているのであって、曼荼羅が本尊だと
は述べていない。本尊抄、報恩抄のように曼荼羅の姿らしき記述はない。具体の本尊として、首題だけでも
本尊たり得る意義は示されるが、一尊四士と曼荼羅といずれが正意の本尊という後世の議論とは次元は
異なる。日蓮聖人は本尊という語を多義的に用いている。図顕の曼荼羅を御本尊といわれるからもちろん
曼荼羅は本尊である。教主釈尊は本尊であるから、釈尊の像を造ったら本尊であろう、一体ではいけないと
いう遺文もない。しかしながらあえて本尊という語を一義に限定するなら、それは法華経あるいは法華経の
題目であり、法華経の教主ではないことを浄顕房に断定されたのではないか。本尊抄や報恩抄の説のみで
は、結局は何が本尊という疑問が生じ、七百年議論が尽きない。剋実すれば法華経の題目であると。
仏や菩薩の中で誰は誰の家来であるというような説はわたしには仏教の経典を探してもない考えに思える。
日蓮聖人は強引に釈迦仏を大乗仏教万神殿のゼウスになされようとしたこともあるが、晩年にはその無理を
悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至ったのではなかろうか?
なお本尊問答抄は白蓮日興と実相寺日源の写本があり、富木日常の常修院聖教目録にもあげられており、
これが後世の偽作である可能性はほぼ皆無であると考えます。
384
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 13:34:46
> 383
顕正居士さん、懇切丁寧なご教示、まことに有り難うございます。
ご教釈いただいた点、よく納得できるものです。
本尊問答抄を真筆と見なす場合、仰るとおりであると存じます。
ただ、わたしのなかで、以上の点を頷くと絡む糸は380に記したとおりで、こうなると、三つの法門(三大秘法)の構成は崩れてしまうが、この点はどうなのであろうかという疑問です。
ですから、個人的には、蓮師は文永から建治に掛け三つの法門をあれこれ熟考され、結局のところ、弘安にいたり、これを捨て、題目本尊を以て至極とされ、戒壇義の理論構築を取りやめたと言うことなのか、こう、考えてよいのかという即断できない思いが生じます。
なお、今回の顕正居士さんのご教示で、最もわたしが重要と思ったのは「晩年にはその無理を悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至った」という点です。
これを「三大秘法」の取捨と絡めて論じては、ご教示の意図から外れてしまうかもしれませんが、以上のような結論は、晩年に至った蓮師が「三大秘法」を思わせる真跡を遺さないことと無縁であると思えません。
そうなると蓮師は、此土弘通から霊山浄土へ、三つの法門から題目本尊へという以降は、身延入山という遁世、さらには、日蓮を用いずとも・法華調伏をなさなくとも、国は亡びることはなかったという予言の不的中とも相俟って、変遷無常の哀感を孕む結論になっていくように思えます。
385
:
顕正居士
:2005/05/15(日) 14:19:57
>>381
真部さん
1 「一切十方の諸仏の法亦是の如し」。例えば、西方阿弥陀仏の世界からいえば安養が宇宙の中心であり、
阿弥陀仏が本仏であるというような理解です。
2 曼荼羅を除いても日蓮宗は成り立つ(仏本尊過激派)と考えても南無妙法蓮華経を除いては成り立たない。
「経題を唱える者を守護するすらその福は量ることができない」という十羅刹女への世尊の説示が唱題の直接
の根拠であり、五字七字は陀羅尼だからです。
3 華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時の中にそれぞれに蔵・通・別・円の化教四教がある。天台教判で
五時(五部)はそれほど重要でない、化教四教が根本である。しかるに妙楽大師湛然は「超八醍醐」、法華経
は天台教判の外に超越するという説を唱えた。これは部(五時)と(四)教を混乱させるものという鎌倉時代の
宝地房証真による湛然への批判です。日蓮聖人は「超八醍醐」の説を採って、四教よりも五部を重視された。
*阿含時には円教はないなどの例外はある。
4 本尊問答抄で妙法本尊の説をはじめていわれたのではなく、あえて本尊を一義に限定すれば法華経教主
ではないと否定されたとわたしは理解します。
386
:
真部
:2005/05/15(日) 19:21:07
顕正居士さん
誠に有難う存じます。
本当に勉強になりました。
私もまた悪しき日蓮主義からの脱却を目指していきたいと思います。
また折に触れ、教えて頂ければ幸いです。
感謝の言葉もありません。
ありがとうございました。
387
:
真部
:2005/05/15(日) 19:27:00
独歩さん
1.『唱法華題目抄』を真筆であるという立場か。
写本とありますので宗祖の真筆ではないと理解しています。
2.真跡無し・日興写本に限り題目本尊論が出てくることをどのように考るか。
この点につきましては、上記に顕正居士さんのお言葉がございますので、
私にそれ以上の意見はございません。
388
:
問答迷人
:2005/05/15(日) 21:09:30
顕正居士さん
>法華経の教主を本尊とするのは正意ではないと否定したのは思想の変化でしょう。
いつもながら、的確なご指摘、有難うございます。
蓮師が『法華経の教主を本尊とする』と報恩抄に述べたことを、本尊問答抄に到って、自ら覆した、という事ですね。そうすると、仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。
その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。如何お考えになられますでしょうか。
389
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 22:18:23
真部さん、
顕正居士さんがどうおっしゃったかは、顕正居士さんのお考え。わたしは、真部さんのお考えを問うているのです。それ以上の考えないというのは答えになっておりません。
では、なんでもかんでも顕正居士さんが言ったとおり、塩田なにがしという学者が言ったとおり、自分の考えというものはないのでしょうか。
わたしはこのような回答の仕方に“個人”を感じません。
390
:
ひたち
:2005/05/15(日) 22:55:58
四信五品抄
「問う末法に入って初心の行者必ず円の三学を具するや不や、答えて日く此の義大事たる故に経文を勘え出して貴辺に送付す、所謂五品の初二三品には仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る慧又勘ざれば信を以て慧に代え信の一字を詮と為す」
初心の行者の話とはいえ、たしかに本門の三大事からは後退している気がします。。。
391
:
顕正居士
:2005/05/16(月) 07:10:28
>>388
問答名人さん。
>仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。
南無釈迦牟尼仏と唱えるなら、その宗ごとに中心とする教法が異なっても、釈迦仏の教法に帰依する意義を
含むでしょう。同様に南無妙法蓮華経と唱えも、寿量品の教主を中心とする、諸仏、菩薩への帰命の意義を
含むはずです。
>その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。
一大秘法を戒定慧三学に展開してもおのおのの名は妙法蓮華経であるから、三大秘法について思想が変化
したことはないと考えます。神力品の「於我滅度後 應受持斯經 是人於佛道 決定無有疑」が三大秘法を表現
していると理解します。すなわち妙法を本尊とし、妙名を唱える、その処が戒壇です。
ただし三大秘法とは法華本門の宗の戒定慧三学であるから、妙名を唱える、それははじまりであって、
法華迹門の宗になんら劣らない慧学の体系が具体に完整して三秘中の題目の法門が立ったといえる。
本尊、戒壇も同じである。首題本尊ははじまりである、諸宗に劣らない仏教芸術が創造されて本尊の法門が
立ったといえる。法華本門の戒法が制定され、戒壇建立が勅許され、公認の宗教となって戒壇の法門が
立ったといえる。したがって上の神力品の偈は一秘が受持されて三秘に展開するはじめをいう。はじめに
過ぎないけれどもすでに授記されている。授記されているということはしかし具体の三学をかならず建立せよ
という教勅である。
日蓮聖人は三秘中の本尊と題目を建立し戒壇は門弟に遺されたということがある。これは誤りであるとおもう。
戒法なくして戒壇は立たない、宗学なくして戒法は立たない、法華迹門の宗に劣らない宗旨として公認される
ためには芸術的の荘厳も必要である。三学全部具体的のことは門弟に遺されたというべきであるとおもう。
392
:
犀角独歩
:2005/05/16(月) 08:13:57
380への自己レスです。
先の箇条書きを更新します。
文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(法華行者値難事)
本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華取要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)
真跡遺文から、「戒壇」で検索すると以下のとおりです。
わたしは三つの法門でいう「本門戒壇」は、所謂「理壇」、つまり、本尊安置の場所、道場、法華経を置くところが戒壇というところと考えてきました。しかし、実際に戒壇で検索してみると、蓮師の「戒壇」の用法は、実質的な建物を指しています。となれば、「本門戒壇」も同じと考えざるを得ないと思えます。この考えを蓮師が懐いていたとしたら、顕正居士さんがおっしゃるように、後続に託したと考えるか、身延隠居後、その考えを捨てたか、どちらかということになります。しかし、蓮師寂後、弟子達は、それぞれに「申状」を提出していくことから考えると、真跡遺文には見られないものの、その意志は終生、あったのかも知れません。しかし、あるいは、「申状」「奏状」の類は、先に記したように、今で言う宗教法人許可の範囲であるとすれば、戒壇建立とは無縁となります。この点は、上古の弟子の確実な資料を当たることで、ある程度、割り出せると思えます。
文永3年(1266)「象頭山戒壇を築き」法華題目抄
文永8年(1271)「小乗の戒壇を三所に建立せり」行敏訴状御会通
文永11年(1274)「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」法華行者値難事
文永11年(1274)「東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なき」
…………………「天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべき」聖密房御書
…………………「本門の本尊と戒壇と題目の五字」法華取要抄
文永12年(1275)「天台の戒壇を建立」
…………………「南岳・天台も未だ弘めたまはざる円頓の戒壇を叡山に建立す」
…………………「吾が師伝教大師…円頓の大戒壇を叡山に建立」曽谷入道殿許御書
建治元年(1275)「法華経の広宣流布にはにたれども、いまだ円頓の戒壇を立てられず」
…………………「日本小乗の三処の戒壇」撰時抄
建治元年(1275)「大乗の戒壇はゆる(許)されしなり」三三蔵祈雨事
建治2年(1275)「大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇」
…………………「西国の観音寺の戒壇・東国下野の小野寺の戒壇・
………………… 中国大和国東大寺の戒壇・中国大和国東大寺の戒壇」
…………………「我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇」
…………………「叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給ひぬ」
…………………「宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに
………………… 上行等の四菩薩脇士となるべし。
………………… 二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に
………………… 人ごとに有智無知をきらはず一同一同に他事をすてて
………………… 南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず」報恩抄
建治3年(1277)「円頓の戒壇を叡山に建立」
…………………「法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立」
…………………「或は東大寺の戒壇小乗の者なり」下山御消息
弘安元年(1278)「戒壇は以て前に同じ」三論宗御書
弘安3年(1280)「山門の得分たる大乗戒壇を奪ひ取り」諌暁八幡抄
393
:
顕正居士
:2005/05/17(火) 06:00:03
三大秘法を三学に配当することと、四信五品鈔の趣旨との関係について。
四信五品とは。
在世四信 一念信解 略解言趣 広為他説 深信観成
滅後五品 初随喜 読誦 説法 兼行六度 正行六度
日蓮聖人は法華本門の立行は六即中の名字即、在世四信中の一念信解、滅後五品中の初随喜と判定する。
ただし一念信解、初随喜はいまだ行や解を伴わない段階であるから、具体的には滅後五品中の二品と三品、
すなわち読誦と説法をあげ、
「五品之初二三品 仏正制止 戒定二法 一向限慧一分 慧又不堪 以信代慧 信一字為詮」と述べる。
本門の立行が慧学に限るのであれば、三大秘法ではなく題目の一大秘法のみになる、三学具備の三大秘法
から慧学限定の一大秘法へと説が変化されたのであろうか?
日蓮聖人は大元帝国の侵寇を契機に自身の説が用いられるだろうと期待していた。その期待が実現し、八宗
十宗の学者たちが彼の顕教根本説をある程度評価するに至った場合には本門の三学についての詳細な論述
を求められたであろう。この書述作の建治3年、文永の役と弘安の役の間にはその期待はまだ持続している。
本門立行慧学限定説と三大秘法説とは必ずしも矛盾しないと考えます。戒学の制止とは具足戒の制止、定学の
制止とは一念三千の観解の制止であると理解できる。三秘中の本尊とは散心で行う単信唱題の対象であり、
三秘中の戒壇の前提である本門の円戒は迹門の円戒と同じく受持即持戒の理戒であり、事戒は用いても補助
であろうと推測される。だから、本尊と戒壇とは通常の意味の戒定二学には摂せられない。そういう意味では
三大秘法というけれども、もともと一大秘法の題目であるともいい得る。
「制止戒定」について、進んでは一念三千の観解もあるべき等とするのか、は後世の解釈は二途にわかれる。
ただこの鈔の一種の解釈から出た不受不施などの教義は仏教思想に反し、かつ反社会的なものであると思う。
394
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 12:55:02
ひたちさん、顕正居士さんのご投稿を拝読して、改めて、『四信五品抄』を拝読しました。
たしかに「仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す」であり、さらには「檀戒等の五度をを制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す」といい、さらに「教大師未来を誡めて云く ̄『末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ずべき』云云というわけです。まったく、戒定は斥けています。もはや本門戒壇の介在する余地などないように窺えます。
さらに妙法蓮華経について、これは、文字と題目の両面から見られますが、ここでは明らかに唱える題目に重があります。「唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具する…小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや」といい、さらに「但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位…此の人は但四味三経の極意竝びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将た又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍也。請ふ、国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩也。豈に煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば八十年の布施を超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓に纏はれて、大龍の始めて生れんがごとし。蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」と言い切るわけです。
『四信五品抄』は建治3年(1277)の書で、先に愚鈍凡夫さんが挙げられた『建治弘安交』を踏まえれば、『本尊問答抄』の弘安元年の前年と言うことになります。この時点で、三つの法門は、一大秘法へと落着した観があります。
富士門下でもしかし、たとえば「私に云く戒定慧とは妙法蓮華経なり、難じて云く戒定慧は三なり五字は一なり如何、答ふ三にして而も一、一にして而も三なり、戒壇本尊妙法の五字は面は三にして其の躰一なるか、山家大師云く虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶伝名て妙法と曰う」と本尊相伝等にも見られ、どうも妙法五字に収斂し三学倶伝を遵守しようとする様ですが、しかし、こうなると「戒定の二法を制止」には当たらないことになってしまいます。
三学と三つの法門は別義ということはできるかもしれません。しかし、「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異」と引く蓮師が、戒壇建立を目指すことは、これまた、文字どおり、「怪異」ではないのか、どうも、この辺りが見えてきません。
395
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 22:25:12
【394の訂正】
誤)…と本尊相伝等にも見られ
正)…ほか、本尊相伝等にも見られ
396
:
犀角独歩
:2005/05/17(火) 22:34:18
問答さん、一つ質問させてください。
「唱題成仏」は、やはり、いま議論になっているような筋から結論でありましょうか。
397
:
問答迷人
:2005/05/18(水) 06:30:54
犀角独歩さん
>唱題成仏・・・いま議論になっているような筋から結論
というか、元の住職が「日蓮大聖人の教えは、突き詰めれば、唱題成仏」と何回か言っていたこと、聞いた時は、『学者はそんな風に捉えるのか』程度に流していましたが、その後、体験的にも南無妙法蓮華経と唱える事自体を蓮師は教えたのではないか、と感じる事がしばしばあり、元住職の説に大いに賛同するところが有りました。そのような流れからの僕なりの結論なのです。まぁ、その元住職の考えは、日蓮正宗の僧侶の発言としては、異質でしたから、いま議論になっているような筋が有ったのではないかと思いますが・・・
398
:
犀角独歩
:2005/05/18(水) 08:30:58
問答さん。
わたしは議論を通じて、ずっと仏と法と言ったとき、仏が先で、その覚った法、もしくは教法があとと思ってきたわけです。ところが涅槃経を引用して蓮師は、法は諸仏の師と言うわけです。
さらに妙法蓮華経の五字が先か、音声が先か、どちらだろうと考えてきたわけです。
また、妙法蓮華経は、元来、法華経典の題名で、蓮師自体、南無妙法蓮華経は文字どおり、妙法蓮華経への南無を意味していた。ところが晩年に至るに連れ、非常に神秘性を帯び、所謂、マントラ的な意味合いを持つに至ると映じます。
さらに中世で因果倶時不思議一法、近代では宇宙の妙法とか言われると、なんだか完全に神秘じみます。
以上のようなことについて、我々は、仏教の右も左も分からない段階で、その組織の“解釈”を刷り込まれるわけです。わたしは創価学会でしたから、一切合切“生命”で解釈するといった具合です。
しかし、そのように刷り込まれてきた“解釈”はよく突き詰めると、蓮師と関係ないばかりか、仏教としてもかなり異常なものであることに気付くことになりました。
そこから、さらに突き詰めてきたわけですが、漢字五文字の妙法蓮華経を蓮師は一体、どうとらえていたのだろうか、というのが目下、わたしの決せない疑問としてあります。
上行付嘱の南無妙法蓮華経の五字。これは要するに、蓮師の教学からすれば日本の鎌倉時代から2200余年前、インドに於いて、滅後末法の弘通を上行等に釈尊が託したという前提です。インドの話です。何で漢字五文字なのか?という疑問がまずあります。さらにそれが五百塵点已来隠し持ってきたとなると、その段階で漢字があった前提なのか?という疑問が生じます。妙法蓮華経という教えを付属したとか、過去遠々劫から秘し持っていたというならばまだしも、妙法蓮華経漢字五文字となれば、これはもはやお話にならないわけです。実際のところ、神力の付嘱などは、その点はクリアしていますが、それを五字とやってしまうと、とたんにこけないかという疑問がわたしにはあるわけです。
その意味で、問答さんが、それを唱える音声(おんじょう)であるとするのは、指示したい欲求に駆られるのですが、さて、そう決してしまって良いかどうかと足踏みをしています。
この文字と音声、少しお考えをお聞かせいただければ、有り難く存じます。
399
:
問答迷人
:2005/05/18(水) 09:39:52
真蹟を残しませんが、唱題成仏について、法華初心成仏抄には次のように書かれています。参考になると思いますので、引用してみます。
『問うて云はく、仏の名号を持つ様に、法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや、如何。答へて云はく、経に云はく「仏諸の羅刹女に告げたまはく、善きかな善きかな、汝等但能く法華の名を受持する者を擁護(おうご)せん福量(はか)るべからず」云云。此の文の意は、十羅刹(じゅうらせつ)の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給へるを、大覚世尊讃めて言(のたま)はく、善きかな善きかな、汝等(なんだち)南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳、いくら程とも計りがたくめでたき功徳なり、神妙なり、と仰せられたる文なり。是我等衆生の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云ふ文なり。凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舍利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世諸仏の解りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。譬へば篭(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「若(も)し暫(しばら)くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給ふは此の心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏になり給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣(おもむき)を能く能く心得て、仏になる道には我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。』
400
:
問答迷人
:2005/05/18(水) 09:58:49
僕は、この中で、特に『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。』とあるところに注目しています。
意味としての、或いは思想としての「南無妙法蓮華経」ではなく、口に唱えるという行為が、自分に対しても、他者に対しても影響を与える、という事がここには書かれていると思います。『事行の南無妙法蓮華経』とは、行為として口に唱えられ、『呪』の働きを持つものとして、蓮師は考えていたのでは無かろうか、と思います。
また、曼荼羅にしたためられた『南無妙法蓮華経」の文字が、所謂「ヒゲ文字」で書かれているのは、「意味としての南無妙法蓮華経」ではなく『音声としての南無妙法蓮華経」なんだという事を知らしめるためにそうされたのだろうと思います。引き題目では一字一字長く声を引いて唱える訳ですが、それを文字で表現するとすれば、やはり、ヒゲ文字として表現することになるのがごく自然の成り行きかな、と思うわけです。であれば、曼荼羅の「南無妙法蓮華経」は「事行の南無妙法蓮華経」を表現されたいるのだと思います。
401
:
問答迷人
:2005/05/18(水) 10:13:14
>インドの話です。何で漢字五文字なのか?という疑問がまずあります。
これは、当然のことながら、漢字五文字に限定されるべきものではないと思います。ただ、蓮師が漢訳仏典の「妙法蓮華経」に拠ったために、そうなったに過ぎませんでしょう。サンスクリット文字だと何字になるのか、僕には分かりませんが、「サツダルマ プンタ゚リーカ スートラ」の何文字か、それが、付属の実体なのだと思います。蓮師は、それを漢訳仏典を用いる立場から「妙法蓮華経」の五文字として付属を受けた、としたに過ぎないのではないかと思います。
402
:
問答迷人
:2005/05/18(水) 10:49:24
>妙法蓮華経の五字が先か、音声が先か
漢訳仏典がなければ、南無妙法蓮華経の音声は有り得ないですから、当然、五字が先にあって、そののち、その文字を唱える音声でなければ、道理が合わないと思います。
403
:
顕正居士
:2005/05/18(水) 13:03:14
日蓮聖人の教説はこれを精密に解釈しようとすると煩瑣な議論に陥るのでありますが、これを単純に受容するなら
実に簡単な内容であります。すなわち法華経を唯一至高の聖典であると信仰することによって、それのみによって
釈尊の因行の功徳も果徳の功徳も自然にわれわれに譲与されるという以上の内容はありません。遺文はすべて
以上の事柄を述べるに過ぎず、かつその大部分は法華経が唯一至高の聖典であることを論証しようとするのです。
日蓮の教説をルターの教説と比較すれば、
法華経のみ--聖書のみ(Sola Scriptura)
信仰のみ----信仰のみ(Sola Fide)
只自然譲与--恩寵のみ(Sola Gratia)
であります。親鸞とカルヴァンの教説も概ね同致であって欧州と日本にはこの四宗が成立普及したことが、世界に
先んじて資本主義を発達させた歴史はマックス・ウェーバーの著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、
及びこれを日本に応用した研究によって叙述されます。モンゴル世界帝国の成立が周辺の欧州と日本において
中世的ナショナリズムの形成を共通に刺激した契機があったと考えます。なぜこの四宗の教義が近代社会の成立
を促すかといえば、人は「信仰のみ」によって救済に与るのであって、「行い」や「修行」によるのではない。宗教は
信仰の一点に集中し集約され、かつて宗教に摂せられた善行も修行も学問も世俗の活動になる、あるいは逆に
個人生活も社会生活もすべてが宗教に接せられ、世間の法の全体が仏法となる。これを「宗教の世俗化」という。
しかしこれらの新宗旨が近代社会の将来を意図して成立したのではなく、純粋な狂信によって生成したのだから、
欧州も日本も極限的の宗教戦争の世界になった。しかしその荒廃の中から宗教勢力を統制し得る権力が生じ来り、
やがて近代国民国家が誕生した。今日、欧米の諸カルトのほとんどが広義の福音派に由来し、日本の強力なカルト
の多くは日蓮宗か浄土真宗と関連がある。この四つの宗旨は意図せずして近代社会の将来に積極的にあるいは
敵対勢力として反面的に貢献した。その元来の反面の要素がマルチ商法と連結し、多数のカルトを生成し、欧米や
日本の文明を脅かしつつある。イスラームの場合には逆に「信仰のみ」の宗旨がいまだ成立していないゆえに近代
社会への発達が順調ではない。
404
:
犀角独歩
:2005/05/18(水) 13:48:21
問答名人さん
顕正居士さん
ご教示、有り難うございます。
参考にさせていただき、少し考えてみます。
405
:
一乗談義庵01
:2005/05/18(水) 22:55:51
五重玄て漢字5文字に対する説明でしょ。名体宗用教て。
406
:
犀角独歩
:2005/05/19(木) 09:58:30
蓮師の御立法門というのは、実際のところ、法華経典=聖典信仰なのでしょうか。
一字三礼さんのご批正を期待しますが、いわゆる経典というものが、それまでの暗誦伝承に取って代わっていった経過というのは、インド独自のものではなく、たぶん、西の影響を受けていたのではないのかと思えます。聖書、コーラン、経典というのは、世界史的に見れば、ほぼ同時期に勃興した「聖典」信仰という潮流であったように思えます。
では、蓮師はどうか。聖典(法華経典)信仰なのか。むしろ、そこからさらに前に進んだ(後退した?)題名信仰であるように思えるのです。
そして、その題名(=首題=題目=妙法蓮華経という経典の名称))を、ついに陀羅尼(問答さんのお言葉を借りれば、‘呪’にまで高めていった信仰のように思えますが、このような判断は違っていますでしょうか。
407
:
問答迷人
:2005/05/19(木) 10:11:43
>ついに陀羅尼、呪にまで高めていった信仰
僕は、体験的には、そのように捉えています。『南無妙法蓮華経』=『即身成仏の呪文』という捉え方です。
408
:
犀角独歩
:2005/05/19(木) 10:46:54
> 407
そうですね。そう考えたほうが当を得ていると思えます。
その呪を書き付けたのが漫荼羅ですから呪(護)符ということでしょうか。
そんなふうに、たしかかつて投稿されていた菊水護国さんが記された覚えがあります。
しかし、呪文を唱えて成仏するというのは、もはや、シャキャムニとは何の関係もないどちらかというとバラモン、ヒンドゥー的、それを摂取した密教ということなのでしょうね。タントリズムは仏教とは言えないというのが厳格な学者の意見でした。
晩期の蓮師というのは、題目の呪文化、呪(護)符の授与という真言密教的な発想、、霊山浄土(他土)願望という念仏的発想に転じていったわけでしょうか。三つの法門の放擲されたのでしょうか。青年期の虚空蔵求聞持法、不動愛染感見、壮年期の論理性、晩期の退行と蓮師の一代を見るべきでしょうか。
「教学なんか考えなくて、先生(猊下)が」完璧に教えてくれるから、あとは勤行、唱題して、実践するのみ」、こんなものが仏教でも何でもありませんが、絶対的な信を立て、ただ呪文を唱え続けるという蓮師タントリズムを会運営、絶対権力者の座の保持にしようとすれば、そんな打ち出しになることは火を見るよりも明らかということでしょうか
もちろん、以上は、問答さんの体験を批判する意図ではもちろんありません。個人的な体験は個人にしかわからないことですから、各人の固有の宝として大切にされてしかるべきです。
けれど、科学で言う因果とは違い、万人に通用し、再現可能というものでないところに、仏教2500年の歴史のなかで成仏を目的にしながら、誰一人、成仏した人がいない理由も隠されているのでしょうか。
かつて、投稿されていた五月雨さんが、たしか、「成仏したあとはどうするの?」といった疑問を呈されていたことがありましたが、初歩的な疑問として当然すぎることであったのでしょう。
409
:
一字三礼
:2005/05/19(木) 17:49:33
犀角独歩さん
> いわゆる経典というものが、それまでの暗誦伝承に取って代わっていった経過というのは、インド独自のものではなく、たぶん、西の影響を受けていたのではないのかと思えます。
ご指摘に賛同します。
西の影響、もっと言えば世界的な潮流であったのではないでしょうか。
大乗仏典が文字化・典籍化された理由には、宗教文化圏の拡大が考えられます。世界規模で交易が盛んになり、異国・異文化圏にまで仏教が拡大していく過程で、暗誦伝承から成文化への変化は必然だったのでしょう。
蓮祖の題目行について
「南無妙法蓮華経」だけで成仏できるという発想の根拠は、法華経の一偈一句の受持にもとめられるのではないかと考えます。
「仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」(法師品第十)
「是の清浄の意根を以て乃至一偈一句を聞くに、無量無辺の義を通達せん。」(法師功徳品第十九)
教えのほんの一部分を聞いただけで、成仏が約束されたり、全てを理解することが出来るとするくだりです。この教説は、法華経のみならず他の大乗経典にも散見されます。
「もし、善男子善女人有りて、七宝を以て、そこばくの恒河の沙の数ほどの三千大千世界を満たし、もつて布施せんに、福を得ること多きやいなや。須菩堤言う、甚だ多し、世尊よ。仏、須菩堤に告げたもう。もし、善男子善女人ありて、この経の中において、乃至四句の偈等を受持して、他人のために説かんに、しかもこの福徳は前の福徳に勝れたり。」(金剛般若波羅蜜経)
実際にこれらの経典からランダムに一偈一句を抜き出しても、それだけでは意味の通じない箇所も当然あります。結局は、この一偈一句の受持を重んずる教説の意味は、いわゆる須利槃特の故事の拡大解釈ではないでしょうか。
「善哉善哉、汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず。」(陀羅尼品第二十六)
直接の題目受持の根拠は、この陀羅尼品にもとめられるのでしょう。
しかし、その意義としては法華経の一偈一句受持と不軽菩薩の但行礼拝の精神ではないかと愚考します。
410
:
犀角独歩
:2005/05/19(木) 18:19:46
問答さん、408の補足です。
どうも、先のような書き方ですと、問答さんが仏教ならざるものを信仰しているかのように論の運びになってしまいます。下手な文で恐縮です。わたしが言いたかったのは、以上のような脈絡でわたしは考え込んできたと言うことで、問答さんが非仏教の信仰をしているという意味では決してありません。法華経から導き出される蓮師が示した久遠本仏とい仏への信仰であれば、仏教に違いありません。
一字三礼さん、ご教示、有難うございます。
ご指摘の点こそ、たしかに「大乗」仏教の醍醐味なのかも知れません。批判考証しすぎると、こんなダイナミズムを否定しているような文の運びになってしまうと反省しました。
411
:
問答迷人
:2005/05/19(木) 19:23:02
>問答さんが非仏教の信仰をしているという意味
ここが、僕の悩むところなんです。
『南無妙法蓮華経』=『即身成仏の呪文』という捉え方は、僕の中では確固とした信念のようなものになっていますが、果たして、これが蓮師の教えの全てか、と問われると、そう言い切ってしまってよいのか、という躊躇いはあります。
まるっきり、それでは密教ですよね。まぁ、この辺りは、不動・愛染が曼荼羅に常に書かれていることから、そういう理解で、蓮師のお考えと基本的には違わないだろうとは思っています。
412
:
吉祥仙人
:2005/05/20(金) 05:11:42
お邪魔虫が失礼します。
>『即身成仏の呪文』
新人間革命のなかでアメリカ合衆国での折伏の場面
「あのマジックワードを教えてください」
とアメリカ人が言うシーンがありました。
413
:
犀角独歩
:2005/05/20(金) 11:20:22
> 411
問答さん、結局のところ、このようなことは言えるのでしょうね。
たしかに悩ましい問題ではあります。
414
:
顕正居士
:2005/05/21(土) 12:32:03
大聖人門下掲示板に中尊は法であって仏ではないという私見について投稿しました。
http://jbbs.livedoor.jp/study/3171/gudo.html
わたしの本尊観はおよそ次のような考えです。
日蓮宗諸派にある具体的様々な本尊から別勧請や宗祖御影を報恩謝徳等の意義による造立とし外し、
一体釈尊は四菩薩を加えるのが宗祖滅後にはより適切として外し、一塔両尊四士およびこれに若干の
諸尊を加えたものを大曼荼羅の立体表現(羯磨曼荼羅)として大曼荼羅に含めれば、日蓮宗の正格の
本尊は三種ある。一遍首題、大曼荼羅、一尊四士である。三種本尊を法仏に配すれば順に法本尊、
法仏倶備本尊、仏本尊である。大曼荼羅は法仏倶備の本尊であり、本尊抄、報恩抄の説示するところ、
此の宗の基本的正格の本尊である。大曼荼羅の全体が本門教主釈尊の本身を示し、中尊は本法、
具体に宝塔であり、塔中の釈迦仏は迹身に即した本身を示す。一遍首題は中尊を毘盧遮那仏と誤解
しないよう本尊問答抄に説示するところ、元意の本尊であるが、究竟の本尊ではない。一尊四士は
四菩薩造立抄*に説示するところ、教主に即した本尊であり、宗祖在世には立教の本主を示さんため、
滅後には法仏混乱の弊を防がんために推奨される。しかし在末相対して一尊四士が滅後には基本的
正格の本尊であるという学説は遺文に根拠がない。本尊問答抄は元意の本尊を示し、報仏本体説を
遮すと同時に応仏絶対説を遮す。
*四菩薩造立抄 真偽未決とするが、宗祖在世に一尊四士が推奨された伝説は史実であると考える。
415
:
犀角独歩
:2005/05/22(日) 08:23:20
一昨日、開催された御遺文講義に質疑応答の際の小松師・渋澤師の質疑応答は、漫荼羅と本尊に関することでした。小松師は立正の先生から、漫荼羅本尊感を陳べ、しかし、渋澤師は、突っ込んだ質問を繰り返すと言った具合でした。終了後、渋澤師は「漫荼羅が何であったか、よくわかりませんよね」と、あのにこやかな調子で語っておられました。
漫荼羅本尊正意で凝り固まったつまらぬ議論と違い、有意義なものでした。
四菩薩に関しては、法華行者値難事に「本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字」ともあり、また、本尊抄一巻の大意からしても、当然のことであると思います。
やや、ずれますが、
文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(法華行者値難事)
本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華取要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)
と挙げてみますと、蓮師は「本門の題目」と句を成していません。法華主要抄では「三つの法門」というものの三大秘法とはもちろん言っておりません。本門の題目はありか、わたしはやや疑ってかかっています。
416
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 17:54:38
犀角独歩さん
>415
本門の題目はありか
『本門の題目』という成句は見当たりませんが、意味としては、有りだと思います。以下に該当する真蹟遺文を引用します。
観心本尊抄
『此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては、仏、猶お文殊・薬王等にも之を付属したまはず。』
新尼御前御返事
『上行菩薩等を涌出品に召し出させ給ひて、法華経の本門の肝心たる妙法蓮華経の五字をゆづらせ給ひ』
下山御消息
『世尊、眼前に薬王菩薩等の迹化他方の大菩薩に、法華経の半分迹門十四品を譲り給ふ。これは又地涌の大菩薩、末法の初めに出現せさせ給ひて、本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を、一閻浮提の一切衆生に唱へさせ給ふべき先序のため也。』
417
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 21:20:05
問答名人さん、
うーん、どうでしょうか。蓮師の程、到な人が、「本門の題目」、「本門の戒壇」といい、しかし、本門の題目とは言わなかったという点は重視されるべきとわたしには思えます。
たとえば、四菩薩には本門は付されません。
本門の本尊とは、迹門の本尊に対する語として意味をなします。つまり久成已前・已後の対比です。
戒壇も本迹の相対から論ずることはできます。また、このような考えは蓮師は遺文から看取できるように思えます。
しかし、四菩薩は迹門の終わりで涌きい出たとにせよ、迹門の四菩薩は成り立ちません。
同じく、本門の題目に対して、迹門の題目ということは蓮師が言ったかどうか。
題目は本迹で捌く枠を出ていると見ることはできませんでしょうか。
本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違があると思います。
ただし、これはそう断言することではなく、蓮師が言う三つの法門とは、本門の本尊(釈尊・四菩薩)・本門戒壇と題目の五字(裏一念三千)ということが、後代、勝手に三大秘法と言われ、本門題目と成句された可能性を探ってみようと言うことです。
418
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 21:20:55
【417の訂正】
誤)蓮師の程、到な人
正)蓮師の程、周到な人
419
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 22:18:13
>本門の肝心が題目であるということと、本門の題目というのは、論理的には相違がある
なるほど。そうですね、迹門の題目という表現は確かに見当たりません。
僅かに、関連するものとして、下山御消息に次のように有ります。
『故に教大師像法の末に出現して法華経の迹門の戒定慧の三が内、其の中円頓の戒壇を叡山に建立し給ひし時、二百五十戒忽ちに捨て畢んぬ。随って又鑒真が末の南都七大寺の一十四人三百余人も加判して大乗の人となり、一国挙つて小律儀を捨て畢んぬ。』
この場合、『迹門の戒定慧』という表現から、対比関係として『本門の戒定慧』が想定されていたと考える事は出来ます。そうであれば、理屈的には、その『本門の慧』を『本門の題目』と言っても不思議はないのではないかと思います。
そして、勿論、そうであるにも拘らず、蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由が何か、という事がやはり重要だと思います。
420
:
問答迷人
:2005/05/24(火) 22:24:54
自己レスです。
>蓮師が『本門の題目』と表現されなかった理由
『本門の慧』=『事行の南無妙法蓮華経』=『題目』なので、『本門の「題目」』では、『本門の「本門の慧」』と『本門』が重複してしまうので、「本門の題目」とは表現されなかったのではないか、と思います。
421
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 23:00:30
問答さん、レス、有難うございます。
いずれにしても、蓮師が「本門の題目」を成句化していない以上、この語彙の使用は慎重を期そうと思います。
語彙の使用として関連しますが、昨日、福神講義で今成師の摂折論を聴講してきました。おってブログにアップしますが、「折伏」語の使用も、慎重を期そうと思いました。それにしても、このような真面目な考証に、自分たちの教義と違うというだけで、学的考証をするわけでもなく、批判する相変わらずの石山の在り方は、噴飯者というか、世間の物笑い、読んでいて恥ずかしくなります。
妙光寺の尾林さん
http://www.myokoji.jp/page/kowa/97-2.htm
この記述のことを今成師ご本人にお伝えしたら、苦笑いをしていました。真剣に、学問的に、追究する人に対して、真偽考証もしない好い加減さで、簡単に批判を加えるというのは如何にも石山流だと思った次第です。
さらに余談ですが、最近、わたしは石山方では「学会員」と断定されているそうです。それでわたしが書いていることが間違っているというのです。わたしが書いていることが間違っていると言うとき、自分たちが書いていることが正しいという大前提があるのでしょうが、わたしは学会員ではないわけですから、既にその段階で間違っています(笑)
さきほど、とある方からご連絡を受けて、腹を抱えて大笑いをしました。
本尊と漫荼羅という当スレから脱線しましたが、真摯にその実否を考えるのに、なんでかどうしてか、事実とはまったく違うレッテルを貼り批判をする、蓮師が言ってもいないことを恰も言ったかのように語る、こんなことを随分と騙されてきたとさらに感慨を深くする昨今です。蓮師は漫荼羅を本尊と考えていたか・扱っていたか、そんな考証で足に絡むゴミを、やや話題とさせていただいた次第です。
422
:
ひたち
:2005/05/24(火) 23:03:27
横レス失礼します。
題目とは、字の如くtitleではありませんか。素直に考えれば、妙法蓮華経の経題だと思います。ですので、あえて成句にするとすれば、「本門の題目」ではなく、「法華経の題目」となると思います。ただ、南無妙法蓮華経が三つの法門の一つであることは、どちらにしても揺るがないと思いますがいかがでしょうか。
423
:
犀角独歩
:2005/05/24(火) 23:10:37
ひたちさん、記されるところ、同意見です。
424
:
犀角独歩
:2005/07/06(水) 19:50:48
問答名人さん
本日、小野文著師の講演録を読んでいたのですが、そのなかで日講『禄内啓蒙』から優那陀日輝に至る教学を解説されて
「久遠実成の釈迦牟尼仏が南無妙法蓮華経である…南無妙法蓮華経は、お題目じゃない。法じゃない。南無妙法蓮華経は寿量品の久遠本仏の大牟尼世尊のお名前…南無釈迦牟尼仏、この久遠の本仏が仏界として顕れた時のお名前、九界として顕れると、この天照大神、八幡大菩薩や諸仏世尊尼なると、これが仏界縁起である」
と記されていました。「あ、そういえば」という感じで拝読していたのです。
この考えは、日寛教学では、久遠本仏釈尊=日蓮大聖人を置換されたうえで、奪取されているわけですが、違うのは人即法の本尊という点かと思えました。
この一連の教学潮流は、人即法という一点を除くと問答さんのお考えと親和性があると思ったのですが、如何でしょうか。
425
:
問答迷人
:2005/07/07(木) 10:48:11
犀角独歩さん
>親和性があると思った
うーん。僕は違和感を感じます。
>南無妙法蓮華経は、お題目じゃない
これは、全く納得できません。僕は、字像曼荼羅の中尊、南無妙法蓮華経は、唱題の音声以外には無かろう、と考えています。ですから題目そのもの。
>久遠実成の釈迦牟尼仏が南無妙法蓮華経
これは、本尊抄と矛盾すると思います。
どうも、全てを『久遠実成の釈迦牟尼仏』として、統一しようという意図は分かりますが、蓮師の祖意の果たして叶うものかどうか、甚だ疑問です。
本尊問答抄の如く、逆に、南無妙法蓮華経が先ず有って、そこから『久遠実成の釈迦牟尼仏』も、三世十方の諸仏も出ているというのが、蓮師のお考えで有ろうと思います。
426
:
犀角独歩
:2005/07/07(木) 11:23:02
問答名人さん
そうでしたか、失礼いたしました。
> 南無妙法蓮華経が先ず有って…
たぶん、「三身所顕無始古仏」という点から展開であろうと思います。
わたしは、蓮師文献のなかで、この点がもっとも謎です。要は法華の説相と一致しないではないかという思いがあります。門下一般では五百塵点を無始永劫ととらえるのも、この件からでしょうが、納得できない日蓮教説の一つです。
427
:
犀角独歩
:2005/10/23(日) 22:42:23
彰往考来さんと話題にしている『大崎学報』第104号の、掲載の小林是恭師『本尊抄の本尊の主要形態』に、かつてどなたかと議論になった本尊為体、並びにその造立資材についての論及があり、大いに頷きました。
「本尊為体での主要形態なるものが、それならいかなる資材によって造立されるのか。本尊抄には本尊造立の資糧と考えられるものであろうと思うものに「木画」の文字が出ている。又第九の文に記されている聖人前の仏像が木又は金銅でのものだことから想うと、聖人が包懐されていた仏像造立の資材は、大体は木像で絵像も認知の中にあったであろうということだ。「木画」の木はいう迄もなく木材だ。「画」は「絵画」と見るのが普通だろう。而して其は多くの彩色を有つだろうし、其資源は草木であった。本尊抄・の第二の文に「草木之上不置色心因果」とは、此等が自ら仏像造立の不可欠材であるに通ずる意もあってのことと見てよいだろう。
…第一は本尊抄での本尊は第四の「本尊為体」の処で語られたものが聖人の本尊相で、以下の文に見る本尊の文字は、何れもこの本尊相のものを指示しているということ。第二は聖人の本尊相の主体仏は寿量品の釈尊で、従って「本尊為体」での主体仏は釈尊だ。これはまた聖人の本尊は尤も端的に言えば本師釈尊だということ。第三はこの本尊造立の資材たるものを本尊抄から考えると草木で、それは木像或は絵像で大体は木像であろうと想われるということだ」(『大崎学報』第104号 P66)
また、その前掲論文『御本尊造像史』で影山尭雄師は、日蓮最晩年から滅後間もない本尊状況に就き、
「宗祖御自身は伊東感得の立像釈尊の一体仏を御本尊とせられ御直門の僧俗へは文字マンダラを御授与になり御入滅程ない頃には関東の主な諸寺で御本尊として一尊四士の仏像が造立せられ、他方では文字マンダラの絵画化は既に御在世の頃から試みられたらしく、それが祖滅七十余年頃には完成せられ、これと並んでマンダラの木像化も祖滅五六十年頃から試みられ、さらに日興門流の間では本門戒壇造立に至らぬ已前は文字マンダラ本尊説が、滅後五六十年頃から盛んであったように見られる。
三宝さまと通称せられる中尊二仏式が普及してをる現状をひるがえって考えて見るに、宗祖はそのご終生まで尊崇給仕遊ばされたのは、たとえ宗祖自らの御心持ちでは四士を添えた久遠の本仏であったのは勿論でも、表現された形は一体仏であったし、御在世中に一尊四士を造立した者があったがそれは四五人已上を出ていない極めて少数の、しかも在家信者であった。これに対して、直弟直檀に崇拝の対象として授与せられた文字マンダラは現在蔵伝せられてをるだけでも百二十余幅に達してをり、滅後五六百年間に焼失破損紛失盗難などで失われた数も少なからぬことを思えば、御在世当時授与せられたのはこれ已下の数であったろう筈はない。随って祖滅三四十年ごろは御門下僧俗の殆んど大部分の者がすでに文字マンダラを御本尊と崇拝していたと思われる。ここに祖滅四五十年の間に身延三世日進中山三世日祐の両師が前後してこの文字マンダラを木像化した中尊二仏式を造立せらたのは、この当時の現状の基づかれた企てではなかろうか」(同 P61)
という記述は、興味が惹かれました。
ただ、わたしがどうも合点がいかないのは、日蓮自身が本尊とするところ(一体仏)、信者(文字マンダラ)、身延中山(中尊二仏式)と、それぞればらばらという点です。
日蓮を宗祖と仰ぐのであれば、日蓮と同じ本尊を崇敬するのが自然だと思うからです。
以上の点は、彰往考来さんに資料を送付したのち、ご意見を窺いたいと思っています。また、最近、お忙しそうなれんさん、また、一字三礼さん、独学徒さんなどは、どのようにお考えなのかお聞きしたいと思っています。最近は問答さんはお忙しいようで、ご投稿がないことは残念です。
428
:
犀角独歩
:2005/11/03(木) 13:37:11
彰往考来さん
『御本尊写真鑑』コピーのご送付、まことに有り難うございました。
わたしが先に立正大学情報センターでコピーしてきたものと付き合わせたところ、同一の本でした。
ただ3箇所、相違があります。
1箇所は立正大学所蔵本は、書名が「御本尊写真鑑 巻之一」となっていましたが、頂戴したほうは「御本尊写真帖 全」となっていました。(旧字)
もう1箇所は奥付で、立正大学所蔵本では「大正元年十二月二十日印刷/大正元年十二月廿三日」となっていますが、頂戴したほうでは「大正元年十二月廿四日/大正元年十二月廿六日」となっております。こちらは日付のところは張り紙で訂正してあるのでしょうか?
もう一箇所は、立正大学所蔵本では、1ページ目に、「日蓮宗管長」の揮毫があります。
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/gohonzonshasinkan.html
429
:
彰往考来(しょうおうこうらい)
:2005/11/05(土) 22:13:35
>428犀角独歩さん・・・3箇所、相違
>(1)は立正大学所蔵本は、書名が「御本尊写真鑑 巻之一」、頂戴したほうは「御本尊写真帖 全」(旧字)
そうなんです。(2)と関連しますが奥付の日も数日の違いがあります。今回の犀角独歩さんの投稿で逆に私は「御本尊寫眞鑑 巻之一」の存在を確認できました。
>(2)奥付で、立正大学所蔵本では「大正元年十二月二十日印刷/大正元年十二月廿三日」、頂戴したほうは「大正元年十二月廿四日/大正元年十二月廿六日」
>こちらは日付のところは張り紙で訂正してあるのでしょうか?
私が所蔵のコピーでみる限り、張り紙で訂正してあります。
私が『御本尊寫眞帖 全』を国会図書館でコピーしたのは、10年ほど前と思います。その時は原本だったと思うのですが記憶は定かでありません。最近、独学徒さんの「お薦めスレッド」 >305 の投稿で、資料としては成り立たないほどの写りの悪さということでしたので、再度、国会図書館へ出むき確認したところ、マイクロフィッシュ(マイクロフィルム)になっていて、確かに写りが悪いものでした。そのため現在、私が所有しているコピーはかなり貴重なものになってしまいました。そのおかげで立正大学所蔵本でちぎられていた箇所の内容を明らかにすることができて、よかったと思います。
>(3)もう一箇所は、立正大学所蔵本では、1ページ目に、「日蓮宗管長」の揮毫があります。
私の所蔵コピー(国会図書館所蔵本)では、このような揮毫は見当たりませんね。
この本は同一内容で、異本があるようですね。どちらが本流なのでしょうね。「御本尊寫眞鑑 巻之二」の作成予定がないので『御本尊寫眞帖 全』のほうがよいと後で思ったのでしょうか。また名前が『妙宗先哲本尊鑑』と紛らわしいので“帖”としたのでしょうか。どうもその程度のことであったのではと考えています。
430
:
犀角独歩
:2005/11/05(土) 22:41:27
> 429 彰往考来さん
有り難うございます。
お陰で破り取られたものを確認できました。
それにしても、「巻之一」が「全」になり、‘鑑’が‘帖’になって同じもの、なんとも大らかというか、これが今だと、ちょっと騒ぎにもなりそうですが、和綴じ本の妙味というか、「なんだ、そうか」と納得して終わってしまう自分がおかしくなりました。
431
:
ラスカル
:2005/11/14(月) 11:36:33
414・顕正居士さんの意見が気になります。一遍首題は始成正覚、一尊四士は久遠実成、大曼陀羅は久遠元初と考えるなら本尊として解り易いのですが、教主とか本仏とか絡むとヴァリエーションの問題なのでしょうか。時空軸・次元軸で内実を一つひとつ判別できるのでしょうか。ブッダ・ガヤの覚りと大乗経典の悟りと。
432
:
犀角独歩
:2005/11/14(月) 14:09:45
> 一遍首題は始成正覚、一尊四士は久遠実成、大曼陀羅は久遠元初
わたしは、この分類は納得がいきません。
大漫荼羅の二仏並座・四菩薩他脇士は霊山虚空の儀式ですから、久遠元初ではなく、教学的な意味における法華説法の在世、一尊四士は末法における上行弘法を顕わすでしょうし、むしろ、久遠已来一貫しているのは「南無妙法蓮華經」ということなると思います。
433
:
ラスカル
:2005/11/14(月) 14:51:02
返答ありがとうございます。携帯のページ検索などで犀角独歩さんと問答迷人さんの検証論議を覗き読みさせてもらいました。創価学会の幽霊会員で久遠云々などは我見ですので御容赦願います。「始成正覚は蓮が言葉の意味合いが似てるかなと思い、久遠実成は四士以外は出て来ないから、久遠元初は南無妙法蓮華経如来=日蓮と考えて」つい書き込んでしまいました。ドがつくぐらいの素人で雑学ぐらいの知識・情報しか持ち合わせてませんが宜しくお願い致します。
434
:
ラスカル
:2005/11/14(月) 14:58:13
連続書き込みで失礼します。何が一番聞きたいか考えました。やっぱり、真偽いろいろある遺文・御書で四箇格言、三大秘法、独一本門、天生原戒壇等どこからどこまでが鎌倉時代の僧・日蓮が思考展開した教義なのでしょうか。
435
:
01
:2005/11/14(月) 17:36:50
横レス、ごめん。
ラスカルさん、あんたいいやつだなぁ。おれ、ファンになっちゃったよ。
独歩ジジは気難しがり親父だけどど、うまくつき合ってヨロシクぅ。
436
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 09:45:19
> 真偽いろいろある遺文・御書
取り敢えず、パンナコッタさんが示された「現宗研 文献資料」で、真跡遺文とされるものを基に、残る写本遺文に関しては、その内容から類している現在進行形が日蓮研究でしょう。わたしは個人的には最蓮房関連、御義口伝、日向記は外します。
> 四箇格言
これは日蓮の考えです。ただし、伝説で言われるように建長5年4月28日の初登高座で述べたのではなく、佐後にかけて整理されていったのだろうと考えられます。
> 三大秘法
「三大秘法」という成句は『三大秘法稟承事』に見られる成句ですが、この書が真筆であるとする点には疑問があります。つまり、日蓮は「三つの法門」というのに留まっています。
> 独一本門
石山で言えば、日寛の用語で、江戸時代以降と考えられます。
> 天生原戒壇等
これまた、要法寺出の石山歴代が持ち込んだ考え、本来、石山にはなく、また、重須の日興にもこの考えはありませんでした。もちろん、日蓮にこの考えはありません。
437
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 15:07:12
返答ありがとうございます。気になる所から。■三大秘法について、遺文・御書を読めば其の儘書いてあるようです。本門寿量の一品→(涌出品に秘し)寿量品の本尊戒壇題目〈口決・三大秘法〉〈義(行為)〉→寿量品事の三大事⇒事戒法→戒壇堂云々■此の遺文・御書で考えたいのは、五百塵点とは大乗経典の内容から比べた相対的時間の長さなのか。それと、曼陀羅は戒壇(受戒の儀式を行なう)足り得るか。如何でしょう。
438
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 16:33:44
三大秘法稟承事の補足としまして、
『日親本』、京都府本法寺蔵。従来『日時本』とされてきた大石寺蔵本は、日時筆とは認められず『大石寺本』とする。
同本は「御書目録日記事」及び「三大秘法抄」を含む数通の御書写本・要文、更に『天台四教義集解』の要文、
日目伝等が収録されており、中に大石寺第十四世日主(1555〜1617)の「本持日主 花押」との記載がある。
『日朝本録外目録』『本満寺録外』『三宝寺録外目録』『刊本録外』等所収。
本書は特に近来真偽についての論争が盛んになされてきたが、今日ではおおむね山川智応・清水竜山の
真撰説が支持されている。しかし、本書には「一身即三身」などの、信頼される御書には見られず、
且つ疑義濃厚な御書にしばしば見られる用語が使用されており、今後更に慎重に検討されるべきであろう。
御書システム 解題より引用
真筆は現存しない、真偽未決文のようですね。
439
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 17:40:50
> 三大秘法について、遺文・御書を読めば其の儘書いてある
いえ、書いてありません。書いてあるのは、真偽未決という果たして本当に日蓮の文章かどうかわからない疑わしいもののなかだけです。
> 寿量品の本尊戒壇題目〈口決・三大秘法〉〈義(行為)〉→寿量品事の三大事⇒事戒法→戒壇堂云々
このフローチャートは日蓮とは関係のない後世のものです。
要は『三大秘法稟承事』(真偽未決)、『日蓮一期弘法付嘱書』(偽書)の出てくる言葉から組まれたもので、日蓮の教えではありません。
> …五百塵点とは大乗経典の内容から比べた相対的時間
相対とする二つの主語は何を指しているのかわからないので、答えられません。
> 曼陀羅は戒壇(受戒の儀式を行なう)足り得るか
これも仰る意味がよくわかりません。曼陀羅とは本来、壇も、意味するでしょうが、日蓮の漫荼羅を指すのであれば、しかし、その趣旨は、わたしは違うと考えています。
440
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 18:37:49
情報ありがとうございます。それならば、真蹟はどれくらい残っているのでしょう。■相対的とは広くは大乗経典の他宗派の物。狭くは久遠実成、久遠元初と比べて。■日蓮聖人の曼陀羅の位置付けと出典を教えて下さい。
441
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 19:14:49
> 真蹟はどれくらい残っているのでしょう
遺文集はなにかお持ちですか。
お持ちでしたら、冒頭の目次に真蹟所在は明記されています。断片まで入れるといくつと数えることになるのか、意見の相違はあるでしょうが、御書と言われるものの半数程度。200編程度ということになりますか。既にパンナコッタさんが紹介してくださった現宗研サイトに真蹟と写本は分けて載っているので参考になります。
> 久遠実成、久遠元初
久遠実成と五百塵点は同じ時を指しています。
久遠元初は日蓮とは関係ありません。のちの教学解釈です。
> 日蓮聖人の曼陀羅の位置付け
図示の部分的説明とすれば『本尊抄』でしょうが、‘位置付け’ということであれば、「ない」というのがもっとも正確な答えになると考えます。
442
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 19:24:37
ちなみに御書システムのC分類では、
◆[C]: (部類 = class の頭文字) 御書を真蹟・写本の存否、内容の種別、システムの必要性等の理由から10に分類したものです。
「御書本文」「御書通読」の各行にも付してあります。
C=0 真蹟が完全若しくはほぼ完全な形で現存し、活字御書と対応するもの。 17.6 %
C=1 真蹟が断簡で現存し、活字御書の断簡と対応するもの。 5.2 %
C=2 真蹟の断片が現存し、活字御書の一部分と対応するもの。 11.6 %
C=3 真蹟が明治8年の火災まで身延山久遠寺に存在していたもの。 10.0 %
C=4 真蹟は現存しないが日興書写本の現存するもの。 4.5 % 以上 48.9 %
C=5 日興上人以外の上代諸師の古写本の現存するもの。 3.2 %
C=6 上記の0〜5と下記の7〜9以外の全てのもの。 31.3 %
C=7 御義口伝と御講聞書。 6.2 %
C=8 富士門流の相伝書類。 1.5 %
C=9 偽書と云われるもの。(昭和定本第三巻の第二輯続篇分) 8.9 % 以上 51.1 %
と、なっています。(注法華経や写本の円多羅義集は含まず)
443
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 19:33:17
>442
失礼、注法華経はシステムに本文が掲載されていないだけで、C=0。
円多羅は、蓮祖の写本ということで掲載していないと云う意味です。
444
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 19:39:55
パンナコッタさん、御書システムでは、真蹟は何編と数えているんでしょうか。
445
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 20:18:13
御書システムで、現在掲載されているのは、
C=0 145編
C=1 499編
C=2 114編
断簡・断片を含めて、このようになっています。
446
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 20:38:39
断簡・断片をとりあえず省いてみると、
C=0 145編
C=1 51編 (含めると499編)
C=2 58編 (含めると114編)
と、云うことになっています。
447
:
犀角独歩
:2005/11/15(火) 21:32:54
パンナコッタさん、有り難うございました。
448
:
パンナコッタ
:2005/11/15(火) 21:47:52
またまた、すみません。
>443
円多羅は、蓮祖の写本ということで、システムに本文を掲載していないと云う意味です。
数と%が違っているのは、一つの遺文に断簡が多数ある物もあり、数字か違ってくるということです。
449
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 23:26:34
犀角独歩さん、パンナコッタさん、ありがとうございます。御書全集と呼ばれるものしかありませんのでHPサイトを見てみます。
450
:
ラスカル
:2005/11/15(火) 23:51:31
■のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか。(独一本門もでしょうか)■では、曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだったのでしょう。■四箇格言は鎌倉時代の様相が背景にあり、それぞれ教義比較など踏まえた含蓄のある格言だと思います。でも、平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良いと考えますが如何でしょう。■国立戒壇とかも話題になりましたが、其の先々の為、地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らないと思います。文化財など否定するつもりは無いですけど。
451
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 10:34:09
> のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか
そうですね。整理集成落着するのは、日寛でしょう。
> 独一本門もでしょうか
「独一本門」という成句は、(大石寺ではなく)要法寺『本因妙抄』のなかで見られますが、これが「文底独一本門事本門戒壇本尊」というような教学的な整理は日寛です。
> 曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだった
真跡遺文から知られる限りでは、守札の用途ははっきりしています。その他は、実は不明です。実際のところ、日蓮自身が漫荼羅は拝んだことはないと考えざるを得ず、(拝んでいたのは所持の釈迦一体立像)では、なんのための図顕かというのは当然の質問です。この点はここでも議論されましたが、わたしは弟子への允可証ではないのかと考えています。
> 平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良い
まあ、この考えは四箇格言よりは実際的でしょうね。四箇格言中、「念仏無間」は念仏法華の法論で法華が負け詰め腹を斬らされて以来の禁句でした。これが復活するのは明治以降のことでしょう。
現在、四箇格言が鎌倉時代同様の意味を持ち得るか。やはり、持ち得ないでしょう。
では三証はとなりますが、第一段階の「文証」で、日蓮がどのような経釈に基づいて論を構成したのかという分析は可能です。しかし、その文証とした経典、つまり、大乗経典が釈尊の直説ではなく、滅後500年以上経って創作されたものである以上、これを金科玉条の如く文証とするのは今の科学的見地は認めません。となれば、つづく理証も同様の扱いと成らざるを得ない。では実証もか、となりますが、さて、ここはどうでしょうか。実証とは学会を含む石山門下が言うような功徳、御利益の類を言うのであれば、これは別段、信仰者は誰しも、‘体験’はあるでしょうから、その体験は否定されないでしょう。しかし、文理との因果関係にあるのかは、それらが釈迦真説出ないことがわかった以上、関係しないことになります。さらに言えば、実証とは「実証証得」などという成句でもわかるとおり、元来、成仏の証を意味するわけです。こうなると、もはや、三証は、今日的な意味を持ち得るかどうか。わたしは否定的に考えざるを得ません。ただし、各人の感じる法悦は否定しませんが。
> 国立戒壇
田中智学以前の意義からすれば、国主の立てる戒壇ということになりますが、それは、ともかく、民主主義のご時世ではこの意味を取り違えているのだろうと思います。これらは、要するに国主受戒の場を自らが作ることを意味していたのでしょう。過去の戒壇建立の理由を見る限り、その様子が窺えます。もちろん、併せて僧侶受戒の意義があることは言うまでもありません。そんな、その後の扱いはともかくかくとして、本来の意味はそこにあるのでしょう。一般在家に受戒など、元来はなかったわけです。この点は藤川さん辺りと話し合いましたが、こんなことがある程度、定着したのは昭和になってから、先の戦前の話でしょう。
> 地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らない
日興は日蓮御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と複数の漫荼羅に添書をしています。
当時の日本各地方ごとが「国」であったわけです。日本全土を指して一国という考えは、やはり、明治以降に一般化したものでしょう。当時、京と鎌倉、どちらが真性日本の首都であったか、両方かは議論の分かれるところでしょうが、それでも、それらは統一拠点以上の意味を持たなかったのが当時でしょう。つまり、複数の本門寺に懸ける漫荼羅が策定されたこと自体、ある面、「地域ごと」という考えは当たっていることになります。
452
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 11:06:27
一つ落としました。
> 四悉檀
これはたしか渡辺照宏師の指摘したことであったと思いますが、四悉檀は、梵本から訳される際、誤訳(意訳?)された誤った翻訳文に基づいて構成された教義で、成り立たないということでした。この点を記した論文を、読んだのですが、題名とも、失念しました。わたしの失念とは別に、この指摘は重要で、梵本直訳が容易に手に入る現在、この指摘が正鵠を得ていれば、四悉檀を用いる以上は、この反対文理を証明する義務があるとわたしは考えます。わたしは、この指摘を読み、もっともだと思った記憶があり、故に反対の論陣を張る蛮勇も起きませんので、四悉檀は用いません。
453
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 12:31:57
【451の訂正】
誤)「実証証得」
正)「実相証得」
454
:
ラスカル
:2005/11/16(水) 17:41:46
素直(?)になって聞いてみるものですね。って。パソコン持ってないし大きな書店へ行かないと探すのも難しいので。もう少し質問させて下さい。■久遠元初の出典■南無妙法蓮華経如来の出典■法華経説話と一念三千の間は繋がるか■経典・サッダルマ法プンダリカ蓮の付属の表現もしくは出典範囲等。焦点絞って簡潔に書いたつもりなんですけれど解り辛いかもしれませんが、いろいろ単語・成句などを出してもらえれば、調べたり考えたりできるので宜しくお願いします。
455
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 22:03:16
■久遠元初の出典
要法寺相伝(正確には上行院と言ったがよいかもしれませんが)『百六箇抄』「久遠元初の自受用報身無作本有の妙法」『本因妙抄』「久遠元初の結要付嘱」、その後、要法寺出の日教『150箇条』「御書曰久遠元初」と見られ、しかし、日蓮遺文にはもちろんこの語句はないので、上記2抄を指すのでしょう。日教は日有の時代に大石寺に来ているので、二箇相承などと共にこの要法寺教学を伝播した役割を果たしたのであろうと思えます。その後、これら相伝は大石寺にもとよりあったような論法で日寛が教学を創り、この基礎に据えたのが「久遠元初」でしょう。ただし、これには日時以来、大石寺の歴代が学んだ仙波檀林(天台宗)には、この原型となる教学、恵心流口伝法門があるので、教学的枠組みとしては、こちらの影響も受けてのものでしょう。
■南無妙法蓮華経如来の出典
この成句は、日寛文献で読んだ記憶がありますが、今は思い出せません。文段中であったと記憶します。しかし、近代では横浜問答で蓮華会が使用しました。
■法華経説話と一念三千の間は繋がるか
羅什訳『妙法蓮華経』から天台が経て、妙楽が造語したところです。
法華経説話、もちろん、サンスクリット語原点ではつながるはずもありません。
■経典・サッダルマ法プンダリカ蓮の付属の表現もしくは出典範囲等
日蓮の教学では末法付属の正体は妙法蓮華経の5字であることを『本尊抄』に尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」と記されるとおりです。
しかしながら、上行菩薩が神力品で付属を受けたのは、漢訳妙法華でみて、「嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし」を付属と見るかどうか、見たとしても、この該当文が妙法蓮華経の五字になるかどうかは、一考を要するでしょう。わたしは、そうはならないという立場です。
456
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 22:08:21
【255の訂正】
誤)『本尊抄』に尊の因行果徳の二法
正)『本尊抄』に釈尊の因行果徳の二法
457
:
ラスカル
:2005/11/16(水) 23:14:27
龍樹の空識・一心三観から天台一門の一念三千まで認識判断の複雑化構造改革も、教義・方法論も[正法→像法→末法]や[戒→破戒→無戒]など、どういう時にどういう形で受け取るかの質量で語句の表現も変わる。というのではキツイでしょうか。表題は妙法蓮華経の事ですよね。それとも、皆成仏道だけで無く諸行無常とかも兼ね合わせての呼び掛けになるのか。宗教は学問でヴァリエーションをどれだけ具現化できるかなら曖昧な繋ぎでも良いのでしょうが。未顕真実→真実開顕ですから、実相証得が鍵でしょうか。
458
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 23:22:25
> 457
なかなかいいところを掴んでいますね。
459
:
ラスカル
:2005/11/17(木) 12:41:37
■始成正覚・空間・本仏→久遠実成・時間・本尊にはなりませんか。■曼陀羅図顕は法華経に沿った本仏と本尊の立て分け?一遍首題と十界曼陀羅は像法と末法への対応に考えられなくもないのだけれど。
460
:
犀角独歩
:2005/11/17(木) 22:24:36
■始成正覚・空間・本仏→久遠実成・時間・本尊
時空概念からということでしょうか。
こういう現代発想オチはおやめになったほうがよいでしょう。
■曼陀羅図顕は法華経に沿った本仏と本尊の立て分け?
法華経に添った部分と密教に添った部分の二重立てです。
本仏は釈迦牟尼仏(本尊抄)本尊は法華経の題目(本尊問答抄)というわけで、では、本仏=本尊となるか?という点では、いまだに落着していないのが日蓮教学研究の実像でしょう。
> 一遍首題と十界曼陀羅は像法と末法への対応に考えられなくもない
これは、どういう意味かわたしには介せません。
461
:
ラスカル
:2005/11/17(木) 23:41:27
早とちりのような書き込みで申し訳ないです。 ■曼陀羅が守札である事は想像に難くない事かもしれませんが、弟子への允可証というのは合点がいきません。弟子の名前を書いたとして本尊でない?守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか。日蓮聖人は「通力に頼るべからず」とかありませんでしたでしょうか。修行方法・受持即観心の戒壇と考えるなら納得がいくと思うのです。■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」と呼び、日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」と書いてあります。首題と不動・愛染の名、十界曼陀羅には冥府判官其他書いてある掛け軸があるらしいですが日興上人に下賜された十界曼陀羅の事を指します。行方不明らしいですが。化導にあって像法と末法の区別とした方が宗派別に気配りしたというよりは良いと思います。憶測とテンション上がったような書き方ですみません。
462
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 08:02:55
■曼陀羅が守札である事は想像に難くない
これは日蓮の遺文のなかに、たしかにそのように書いてあります。
> 弟子への允可証というのは合点がいきません
そうですか。しかし、漫荼羅は1人1幅が原則で、日蓮の名、授与者の名、日付が入ります。この弟子が、法座その他を開くときには、そこに掲げられたでしょう。となれば、それだけで日蓮の弟子であるとわかります。このような用途があれば、允可証という側面はあったろうと想像できます。
> 守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか
違うでしょうね。密教の呪符の側面からでしょうね。二明王、「頭破七分」「福過十号」などという書き込みは、まさにそのような点を物語っています。
> 日蓮聖人は「通力に頼るべからず」
写本遺文の範囲です。真蹟には載りません。
> 受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。
■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」
この点は少し調べてみましょう。
> 日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」
これも写本遺文です。真蹟を遺さない一節です。
> 十界曼陀羅には冥府判官其他…日興上人に下賜
これは伝説、不確かな話ではないでしょうか。記されるところが考えると、それは「臨終漫荼羅」などと言われる葬式要に考案された後世の漫荼羅の様式。創価学会が盛んに謗法だと喧伝した様式です。大石寺では日寛まで遡れたと記憶します。しかし、日蓮漫荼羅の諸尊勧請にこれが記されたものは遺りません。行方不明と言うより、伝説に過ぎないのではないでしょうか。
> 化導にあって像法と末法の区別
この区別は、日蓮的に言えば、釈迦在世は法華経典、天台に摩訶止観、日蓮に題目五字ということになるでしょう。
> 宗派別
宗派というのは、空海が日本に初めてもたらしたもので、天台の時点では南三北七の別はありますが、これは宗派に当たりません。日本では南都六宗がありますが、これも今の大学で言う学部程度の相違しかありません。日蓮の時代に念仏、禅の興起があり、日蓮自身天台法華から次第に離れ、独自性を確立していきました。しかし、三国四師という自尊に明らかなように釈迦・天台・伝教を継承する法華宗としての自覚ですから、これはその後の宗派意識とは異なっていると思います。
463
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 12:08:38
【462の訂正】
誤)臨終漫荼羅
正)導師漫荼羅
464
:
ラスカル
:2005/11/18(金) 17:55:38
認識判断の前提で印度応誕のゴウタマ・シッダルタは似ている箇所はあっても大乗経典以後は別人でしょうか。■日蓮聖人は密教の捉え方で何か直接的に教えた文言はあるでしょうか。■天台、伝教、日蓮の説法教化でそれぞれオリジナルな語句・成句はどれくらいあるでしょうか。金剛宝器戒はどうでしょう。
466
:
乾闥婆
:2005/11/18(金) 19:23:06
犀角独歩さん、ラスカルさん。
>受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。
ちょっと驚いたのですが写本遺文にもないようですね。いつごろから使われるようになった成句なのでしょうか。受持即観心の根拠は結局のところ観心本尊抄の「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等、此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」になるようです。
「此の五字を受持すれば」ということも、具体的にどういうことを言っているのか、よく分かりません。観心といっても、蓮祖と天台では違うのでしょうか。犀角独歩さんから勧められました小止観を読んでみましたが、そこで語られる「観を修す」ることとは、心を観ることにより、「諸法の実相」を観、そのことによって現実世界への執着を解体するようなもの、と読めました。どうも蓮祖のイメージと違うようなのですが、天台においても小止観と摩訶止観では違ってくるのでしょうか。それとも蓮祖の受け止め方が異質なものなのでしょうか。蓮祖においては己心に仏を見るといったように感じられるのですが。
467
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 20:30:47
乾闥婆さん
仰るとおりで、実は天台関連の初期文献にもこの語はでてきません。
伝教は、手許にすべて資料がないためにわかりません。
注法華経にもないようです。
富士宗学要集でみると、以下のとおりです。
観心本尊抄文段上観心本尊抄文段上
「正しく本尊の妙能に由って受持即観心を成ずるの義を明かす。これ則ち文底深秘の奥旨、久遠名字の直達の正観なり」
「受持即観心の義なり。これ則ち「於我滅度後、応受持斯経」の文「凡そ当家の意は唯信心口唱を以て、即ち観心と名づけ、而して受持とは正しく信心口唱に当る。故に受持即観心というなり」
観心本尊抄首日相聞書
「是の故に堅固にこれを秘すと云云。是れ則ち受持即観心の義を明かす故」
「初め難信難解を示し、次に世尊の徳用を明かし、三に正しく受持即観心を明かす」
「先づ無量義経の文を借り以つて受持即観心の意を示す」
「今元意を示す正に是れ受持即観心なり。何んとなれば信心修行を以つて名づけて受持となす故なり」
まあ、日寛は観心とは信心口唱、すなわち、観心の本尊とは信心の本尊とするのは、なかなか卓見であるとは思います。しかし、日蓮遺文に受持即観心がない以上、日蓮のあずかり知らないことではあるのでしょう。
乾闥婆さんの止観禅のとらえ方は、わたしもほぼ同様に考えます。
これはたしか小松師が仰っていたことですが、日蓮の時代、比叡山では参禅はすっかり廃れていたということでした(小松師の言は、記憶違いの可能性もあります)もし、これが事実であろうと思うのは、日蓮の行学から、まるで参禅が見えないからです。ですから、その意味からすれば、たしかに天台・伝教と止観そのもののとらえ方が違っているというのは、当を得た観察であろうと思います。
468
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 20:43:37
> 認識判断の前提で印度応誕のゴウタマ・シッダルタ…大乗経典以後は別人
うーん、難しいですね。いちおう、仏伝は踏襲しているのが、大乗経典です。しかし、あんなスーパーマンやマジシャンみたいなブッダは初期経典とは著しく違っているのは事実です。
> 日蓮聖人は密教の捉え方で何か直接的に教えた文言
これまた、難しい質問ですが、しかし、たとえば、曼陀羅、本尊、不動・愛染ほか、これらは、みな密教に属します。
> 天、伝教、日蓮の説法教化でそれぞれオリジナルな語句・成句はどれくらい
この算出には該博な知識が必要でしょうね。
天台は華厳経ほか、当時の中国思想の影響も多々あるわけですから、これをより分けるには、わたしは力不足です。
伝教は当然、天台、妙楽等を踏襲するわけですから、その文意をさっ引いて、さらに偽撰を抜いてというのもなかなかの作業です。
天台宗その他で以上の作業をされているか多鹿いらっしゃるかも知れません。
> 金剛宝器戒
真蹟・写本通じて『教行証御書』に一度、引用されるのみであったと思います。富要にも載らないようです。
これを日蓮の教学とするのは、同書が確実な真跡であることを証明する必要があります。
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