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本尊と曼荼羅
462
:
犀角独歩
:2005/11/18(金) 08:02:55
■曼陀羅が守札である事は想像に難くない
これは日蓮の遺文のなかに、たしかにそのように書いてあります。
> 弟子への允可証というのは合点がいきません
そうですか。しかし、漫荼羅は1人1幅が原則で、日蓮の名、授与者の名、日付が入ります。この弟子が、法座その他を開くときには、そこに掲げられたでしょう。となれば、それだけで日蓮の弟子であるとわかります。このような用途があれば、允可証という側面はあったろうと想像できます。
> 守札を下賜するのは縄張り意識からでしょうか
違うでしょうね。密教の呪符の側面からでしょうね。二明王、「頭破七分」「福過十号」などという書き込みは、まさにそのような点を物語っています。
> 日蓮聖人は「通力に頼るべからず」
写本遺文の範囲です。真蹟には載りません。
> 受持即観心
これまた真蹟に載らない用語です。
■一遍首題というのは天台・伝教の頃「宝幡」
この点は少し調べてみましょう。
> 日女御前御返事に「法華弘通のはたじるし」
これも写本遺文です。真蹟を遺さない一節です。
> 十界曼陀羅には冥府判官其他…日興上人に下賜
これは伝説、不確かな話ではないでしょうか。記されるところが考えると、それは「臨終漫荼羅」などと言われる葬式要に考案された後世の漫荼羅の様式。創価学会が盛んに謗法だと喧伝した様式です。大石寺では日寛まで遡れたと記憶します。しかし、日蓮漫荼羅の諸尊勧請にこれが記されたものは遺りません。行方不明と言うより、伝説に過ぎないのではないでしょうか。
> 化導にあって像法と末法の区別
この区別は、日蓮的に言えば、釈迦在世は法華経典、天台に摩訶止観、日蓮に題目五字ということになるでしょう。
> 宗派別
宗派というのは、空海が日本に初めてもたらしたもので、天台の時点では南三北七の別はありますが、これは宗派に当たりません。日本では南都六宗がありますが、これも今の大学で言う学部程度の相違しかありません。日蓮の時代に念仏、禅の興起があり、日蓮自身天台法華から次第に離れ、独自性を確立していきました。しかし、三国四師という自尊に明らかなように釈迦・天台・伝教を継承する法華宗としての自覚ですから、これはその後の宗派意識とは異なっていると思います。
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