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本尊と曼荼羅
427
:
犀角独歩
:2005/10/23(日) 22:42:23
彰往考来さんと話題にしている『大崎学報』第104号の、掲載の小林是恭師『本尊抄の本尊の主要形態』に、かつてどなたかと議論になった本尊為体、並びにその造立資材についての論及があり、大いに頷きました。
「本尊為体での主要形態なるものが、それならいかなる資材によって造立されるのか。本尊抄には本尊造立の資糧と考えられるものであろうと思うものに「木画」の文字が出ている。又第九の文に記されている聖人前の仏像が木又は金銅でのものだことから想うと、聖人が包懐されていた仏像造立の資材は、大体は木像で絵像も認知の中にあったであろうということだ。「木画」の木はいう迄もなく木材だ。「画」は「絵画」と見るのが普通だろう。而して其は多くの彩色を有つだろうし、其資源は草木であった。本尊抄・の第二の文に「草木之上不置色心因果」とは、此等が自ら仏像造立の不可欠材であるに通ずる意もあってのことと見てよいだろう。
…第一は本尊抄での本尊は第四の「本尊為体」の処で語られたものが聖人の本尊相で、以下の文に見る本尊の文字は、何れもこの本尊相のものを指示しているということ。第二は聖人の本尊相の主体仏は寿量品の釈尊で、従って「本尊為体」での主体仏は釈尊だ。これはまた聖人の本尊は尤も端的に言えば本師釈尊だということ。第三はこの本尊造立の資材たるものを本尊抄から考えると草木で、それは木像或は絵像で大体は木像であろうと想われるということだ」(『大崎学報』第104号 P66)
また、その前掲論文『御本尊造像史』で影山尭雄師は、日蓮最晩年から滅後間もない本尊状況に就き、
「宗祖御自身は伊東感得の立像釈尊の一体仏を御本尊とせられ御直門の僧俗へは文字マンダラを御授与になり御入滅程ない頃には関東の主な諸寺で御本尊として一尊四士の仏像が造立せられ、他方では文字マンダラの絵画化は既に御在世の頃から試みられたらしく、それが祖滅七十余年頃には完成せられ、これと並んでマンダラの木像化も祖滅五六十年頃から試みられ、さらに日興門流の間では本門戒壇造立に至らぬ已前は文字マンダラ本尊説が、滅後五六十年頃から盛んであったように見られる。
三宝さまと通称せられる中尊二仏式が普及してをる現状をひるがえって考えて見るに、宗祖はそのご終生まで尊崇給仕遊ばされたのは、たとえ宗祖自らの御心持ちでは四士を添えた久遠の本仏であったのは勿論でも、表現された形は一体仏であったし、御在世中に一尊四士を造立した者があったがそれは四五人已上を出ていない極めて少数の、しかも在家信者であった。これに対して、直弟直檀に崇拝の対象として授与せられた文字マンダラは現在蔵伝せられてをるだけでも百二十余幅に達してをり、滅後五六百年間に焼失破損紛失盗難などで失われた数も少なからぬことを思えば、御在世当時授与せられたのはこれ已下の数であったろう筈はない。随って祖滅三四十年ごろは御門下僧俗の殆んど大部分の者がすでに文字マンダラを御本尊と崇拝していたと思われる。ここに祖滅四五十年の間に身延三世日進中山三世日祐の両師が前後してこの文字マンダラを木像化した中尊二仏式を造立せらたのは、この当時の現状の基づかれた企てではなかろうか」(同 P61)
という記述は、興味が惹かれました。
ただ、わたしがどうも合点がいかないのは、日蓮自身が本尊とするところ(一体仏)、信者(文字マンダラ)、身延中山(中尊二仏式)と、それぞればらばらという点です。
日蓮を宗祖と仰ぐのであれば、日蓮と同じ本尊を崇敬するのが自然だと思うからです。
以上の点は、彰往考来さんに資料を送付したのち、ご意見を窺いたいと思っています。また、最近、お忙しそうなれんさん、また、一字三礼さん、独学徒さんなどは、どのようにお考えなのかお聞きしたいと思っています。最近は問答さんはお忙しいようで、ご投稿がないことは残念です。
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