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本尊と曼荼羅
451
:
犀角独歩
:2005/11/16(水) 10:34:09
> のちの教学というと日有上人・日寛上人の頃なのでしょうか
そうですね。整理集成落着するのは、日寛でしょう。
> 独一本門もでしょうか
「独一本門」という成句は、(大石寺ではなく)要法寺『本因妙抄』のなかで見られますが、これが「文底独一本門事本門戒壇本尊」というような教学的な整理は日寛です。
> 曼陀羅は何故図顕され、どのような扱いだった
真跡遺文から知られる限りでは、守札の用途ははっきりしています。その他は、実は不明です。実際のところ、日蓮自身が漫荼羅は拝んだことはないと考えざるを得ず、(拝んでいたのは所持の釈迦一体立像)では、なんのための図顕かというのは当然の質問です。この点はここでも議論されましたが、わたしは弟子への允可証ではないのかと考えています。
> 平成時代は三証・四悉檀で対応した方が良い
まあ、この考えは四箇格言よりは実際的でしょうね。四箇格言中、「念仏無間」は念仏法華の法論で法華が負け詰め腹を斬らされて以来の禁句でした。これが復活するのは明治以降のことでしょう。
現在、四箇格言が鎌倉時代同様の意味を持ち得るか。やはり、持ち得ないでしょう。
では三証はとなりますが、第一段階の「文証」で、日蓮がどのような経釈に基づいて論を構成したのかという分析は可能です。しかし、その文証とした経典、つまり、大乗経典が釈尊の直説ではなく、滅後500年以上経って創作されたものである以上、これを金科玉条の如く文証とするのは今の科学的見地は認めません。となれば、つづく理証も同様の扱いと成らざるを得ない。では実証もか、となりますが、さて、ここはどうでしょうか。実証とは学会を含む石山門下が言うような功徳、御利益の類を言うのであれば、これは別段、信仰者は誰しも、‘体験’はあるでしょうから、その体験は否定されないでしょう。しかし、文理との因果関係にあるのかは、それらが釈迦真説出ないことがわかった以上、関係しないことになります。さらに言えば、実証とは「実証証得」などという成句でもわかるとおり、元来、成仏の証を意味するわけです。こうなると、もはや、三証は、今日的な意味を持ち得るかどうか。わたしは否定的に考えざるを得ません。ただし、各人の感じる法悦は否定しませんが。
> 国立戒壇
田中智学以前の意義からすれば、国主の立てる戒壇ということになりますが、それは、ともかく、民主主義のご時世ではこの意味を取り違えているのだろうと思います。これらは、要するに国主受戒の場を自らが作ることを意味していたのでしょう。過去の戒壇建立の理由を見る限り、その様子が窺えます。もちろん、併せて僧侶受戒の意義があることは言うまでもありません。そんな、その後の扱いはともかくかくとして、本来の意味はそこにあるのでしょう。一般在家に受戒など、元来はなかったわけです。この点は藤川さん辺りと話し合いましたが、こんなことがある程度、定着したのは昭和になってから、先の戦前の話でしょう。
> 地域ごとに法華堂を建てれば伽藍は要らない
日興は日蓮御筆漫荼羅に「奉懸本門寺」と複数の漫荼羅に添書をしています。
当時の日本各地方ごとが「国」であったわけです。日本全土を指して一国という考えは、やはり、明治以降に一般化したものでしょう。当時、京と鎌倉、どちらが真性日本の首都であったか、両方かは議論の分かれるところでしょうが、それでも、それらは統一拠点以上の意味を持たなかったのが当時でしょう。つまり、複数の本門寺に懸ける漫荼羅が策定されたこと自体、ある面、「地域ごと」という考えは当たっていることになります。
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